三国志最強。 【三国志ブラスト 攻略】最強キャラ(陣営)・戦力の上げ方!効率的な強化方法・軍団メリット

【三国志ブラスト】リセマラ当たり最強UR/SSRキャラランキング

三国志最強

皆さん好きですか? 今日に行ったら『マンガ図解「武将」大百科』という本が売っていたので、ついつい衝動買いしてしまいました。 やっぱり男子はの武将というと誰が最強かという話題になりがちですが、今回は女子会やガールズトークでも使えるファンにおっと言わせる「私が大好きな武将ベ0」を発表したいと思います。 皆さんもぜひスタバやでの好きな武将トークに花を咲かせてください。 もし、を知らない人もここに上げる武将で知ったかすると話についていけないダサ子ちゃんとは言われないと思います。 おすすめ武将20~11位 第20位 最強の男「」 最強の男が早くもランクインです。 好きに「好き嫌いは置いといて誰が最強だと思う?」と質問したら9割はと答えるでしょう。 話についていけなくなった時に「やっぱ最強はだよね」と言っておけば大丈夫な素敵な武将です。 第19位 随一の凡君「」 19位にランクインしたのはの主人公の長男、です。 彼は一の凡君です。 中国で無能な人間を阿斗と呼ぶのは彼の幼名からです。 トークで言葉に詰まったときは「サイテー」と言えば場はつなげます。 第18位 の主人公「」 横山の原作「」主人公が第18位です。 、と兄弟の契りを誓いのちに蜀を三国の一つ建国する名君です。 実は意外といろんなところで裏切っている裏切り者です。 第17位 魏の礎を築いた乱世の雄「」 そののライバルが魏の、です。 あらゆる分野に長けた名君で政治家としても、戦略家としても、武人としてもさらには詩人としても後に名前を残しています。 魏がその勢力を強めたのはひとえにの能力の高さだと言えます。 第16位 忠義の象徴「」 第16位は主人公の片腕、です。 の中でも特に人気の高い武将で、女子との会話では悪口を言わないことが重要です。 しかし悪口を言おうにも欠点がないぐらいの優れた武将なのでおそらく大丈夫でしょう。 第15位 の後継者「」 の後継者、は、亡き後の蜀の復興を志した名将です。 しかし、があまりにも無能だったための頑張りは無駄に終わりました。 がもう少しまともだったら、の活躍ももっと広範囲になったと思います。 第14位 酒好きの最強の片腕「」 第14位はのもう一人の片腕、です。 まさにといえるほどの実力を持った武将です。 しかしお酒が大好きで、最終的にはお酒で身を滅ぼしてしまいました。 第13位 呉の国の長命の名君「」 は若くしてこの世を去ったの跡を継ぎ、長きにわたって呉の国を治めた名君です。 では軍と手を組み軍を打ち破りました。 考え方が柔軟で魏と蜀の戦いに合わせて戦略を考える柔らか脳の持ち主でした。 第12位 文武に秀でた五虎大将軍の一人「」 は、蜀の五虎大将軍と呼ばれたうちの一人で馬一族きっての天才です。 父のをに殺されてから、への敵討ちに燃えた文武両道の武将です。 蜀軍の漢中攻略で高い功名を上げ、五虎大将軍と呼ばれるようになりました。 第11位 魏の大斧の使い手「」 第11位は魏の大斧の使い手です。 魏の五将軍の一人で、の元ほとんどの戦いで武功を上げた優れた武人です。 何より大斧の使い手という設定がかっこいいです。 おすすめ武将10~6位 第10位 魏軍の大黒柱、盲夏候「夏候惇」 第10位は片目の盲夏候こと夏候惇です。 彼の左目はとの戦いによって傷つき視力を失いました。 激しい気性を持つ一方、普段は清廉潔癖で、人々に私財を分け与えるなど慎ましやかな人物です。 本人は盲夏候と言われることを嫌がっていたようです。 第9位 文武に長けた呉軍最強の将「」 知略家としても武人としてもその才能を発揮した呉軍最強の将がです。 や、南軍攻略など呉軍の幾多の戦いで武功を上げ、をして「私にはがいる」と言わしめた男です。 小さな失敗をした料理人を処刑するなど、激しい気性の持ち主である一方、部下には財貨をふるまい慕われるなど強いリーダーシップを持った武将でした。 が没した際、はその死去を痛惜したといわれています。 第8位 不満たらたらおじさん「」 蜀軍の武人として数々の武功を上げたのがです。 しかし、北伐中の作戦を立てる際、に自らの作戦を危険と言われ止められて以降、に対し臆病者という感情を抱き自分が軽んじられていると不満を抱いてしまいます。 の死後もその不満は変わらず謀反を起こすものの、は生前に自信の死後にが謀反を起こすことを察知していたため謀反は失敗しました。 とてもかわいそうな人です。 第7位 一の天才軍師「」 7位はです。 もうこの人は説明の必要がないぐらい有名です。 では、案山子を船に乗せ敵の攻撃を受けさせ3日で10万本の矢を集めるなど、柔らか脳の天才軍師です。 数々の戦略知略でを助け蜀の地位を確固たるものにしました。 もとても人気のある人物のためガールズトークで悪口を言うのは厳禁です。 第6位 五虎大将軍の肝っ玉兄さん「」 五虎大将軍として最も長く活躍したのがです。 長坂の戦いでは100万の軍の中から逃げ遅れたの夫人甘夫人とを単騎で助け出したという伝説を持っています。 がを殺されて呉を相手に激怒した際には、魏を倒すのが先だとをいさめるなど人間性も優れています。 も人気の武将のため悪口は厳禁です。 おすすめ武将5~2位 第5位 若き「」 優れた才能を持ちながら、若くしてこの世を去ってしまったのが、の長男であるです。 一時身を寄せていたから「のような息子がいれば自分も思い残すことなく死ねる」と言わしめるほどの才能の持ち主でしたが、26歳の若さでこの世を去りました。 自身も美男子で有名でしたが、その妻のも美人として有名でした。 まさに美男美女のカップルで今なら週刊誌の表紙を飾っていたかもしれません。 第4位 の陰に隠れた優等生「」 五虎大将軍のに隠れがちですが、実は隠れた優等生なのがのいとこのです。 の命を受け、彼の死後不満たらたらおじさんであるの謀反を打ち取ったのもこのです。 はの謀反の誘いに乗るふりをして、を討伐しました。 また南蛮征伐においては南蛮の武将との一騎打ちで一太刀で相手を倒すなど地味に重要な活躍をしています。 に人気をもっていかれがちですが、たまには優等生にも目を向けてあげてください。 第3位 悲運の天才「」 ベストスリー第3位にランクインしたのが、悲運の天才です。 その才能は「は伏龍、は」とと並ぶ潜在能力があると評されていました。 はの元で県令の任務に就いていた際、酒ばっかり飲んで仕事をしないのでが怒りに行ったところその仕事を半日で終わらせたという伝説を持っています。 その後、は大役を与えてこその人物と評されと同じ役職の軍師として活躍します。 その後は数々の戦いで軍師として活躍しますが、攻略の目前に敵の流れ矢に当たって36歳の若さでこの世を去っています。 もし、流れ矢に当たらずに長きにわたってとが蜀の軍師として活躍していたら歴史はどう変わっただろうと想像させるほどのロマンあふれる人物です。 第2位 五虎大将軍の最年長「」 第2位は五虎大将軍の中の最年長です。 彼は60歳を超えてからにつかえています。 それでも、やと並ぶ五虎大将軍と言われているのだから大したものです。 定軍山の戦いでは魏の有名な武将を打ち破るなど老いてもなお衰えることなく武勇を誇りました。 しかしどうしても、ほかの五虎大将軍の人気がありすぎるのと、おじいちゃんであるため他の五虎大将軍よりも地味な印象を持たれてしまっています。 ガールズトークの最中にの話題を出したらきっと「おっ」と思われるでしょう。 おすすめ武将1位 第1位 で有名な「」 栄えある第一位はの愛弟子であり、「」というでも有名なです。 人並み外れた才能を持ち、それがに気に入られ常にの参謀として行動を共にしています。 しかし北伐の際に、味方であるの助言に従わず独断で山の上に陣を敷いたため、魏軍に大敗してしまいます。 この大敗で蜀軍は大きなダメージを受けます。 は軍法により処刑されるほどの失態を犯しました。 は自分が手をかけて育ててきたの才能を惜しんだものの、私情を挟んでは国のためにならないと決意し、泣きながらを処刑したといわれています。 この逸話が「」の語源になったと言われています。 ちょっと調子に乗ってしまって悲痛な最期を遂げたこそ私がで最もお勧めする武将です。 彼もまたと同じく、長く活躍していたら歴史はどう変わっただろうかと思わせる非常にロマンあふれる人物です。 みんなもを読んでマイ武将を見つけよう は、本当に読み応えがあり、示唆に富んでおり、またとても面白い作品です。 登場人物も多く、ここに挙げた以外にも多くの魅力ある武将が登場します。 皆さんもぜひを読んで、自分のマイ武将を見つけてみてください。 bananawoma.

次の

【三国志14】戦法の最強ランキング

三国志最強

この記事の目次• 正史三国志・魏書の中で最強武将三位:部下を助けるために突撃した曹仁!? レンが選んだ正史三国志・魏書の中で一番強い武将第三位は、 樊城 はんじょう 攻防戦の時に大活躍したです。 しかし今回紹介する曹仁の活躍した場面は、 赤壁の戦いの後に起きた呉の大都督との戦である 江陵 こうりょう 攻防戦です。 周瑜は赤壁の戦いで曹操軍を打ち払うことに成功すると 荊州 けいしゅう 全域を平定するための第一歩として江陵城へ攻撃。 江陵城の守備を命じられていた曹仁は部下の牛金 ぎゅうきん へ周瑜軍の先鋒隊へ 攻撃をするように命令。 牛金は曹仁の命令を受けて城門を打って出て周瑜の先鋒隊へ攻撃を仕掛けますが、 牛金が率いていた兵士が少なかったため周瑜軍に包囲されてしまいます。 曹仁は江陵城の城壁に立って牛金と周瑜軍の戦を眺めていましたが、 牛金が周瑜軍に包囲されて攻撃を受けている所を発見。 曹仁と一緒に城壁に登っていた陳嬌 ちんきょう は曹仁が、 真っ赤になって激怒している姿を見て「曹仁殿。 出撃しては周瑜軍に囲まれてしまいます。 ここは我慢が必要ですぞ」と今にも飛び出していきそうな曹仁へ注意。 しかし曹仁は陳橋の注意を聞かずに側近へ「馬を引け!! 」と言って 愛馬を持ってこさせると親衛隊を数十騎引き連れて城門を開かせて突撃を開始します。 陳橋は城壁から曹仁が捕虜にならないことだけを祈って見ておりました。 曹仁は城の外に出ると周瑜の軍勢へ向かって突撃をしていき、 牛金を見つけると周瑜軍の包囲の外へ脱出させることに成功します。 だが牛金の部下が必死になって戦っていたのを見た曹仁は、 再度周瑜軍へ突撃を仕掛けて牛金の部下を全員救出することに成功。 こうして江陵城へ帰還した曹仁を江陵城の守備をしていた兵士達は歓喜の声で出迎え、 「曹仁将軍は天上世界の人物だで。 本当にすごい!! 」と褒め讃えたそうです。 たった数十騎で周瑜軍に包囲された牛金を救い出した曹仁こそ、 曹魏の並み居る武将の中でも栄誉ある最強武将第三位にランクインさせていただきました。 さて次は第二位の発表です。 もちろん第二位の武将は泣く子も黙るあの武将しかいないでしょう。 正史三国志・魏書の中で最強武将第二位:泣く子も黙る「遼来来」 正史三国志・魏書の中で最強武将第二位は泣く子も黙る「遼来来 りょうらいらい」で 有名なしかいないでしょう。 「遼来来」の呼び名が広がったのは第二次合肥 がっぴ 城の戦いにおいてです。 曹操は合肥まで出張った後張魯 ちょうろ 討伐のために西へ向けて進軍していきますが、 合肥城を離れる時に三人の武将を配置していきます。 合肥城へ駐屯させた三将軍とは魏軍の名補佐・、 戦場では一番乗り・、騎馬隊を率いれば魏軍一・でした。 しかし李典・楽進・張遼の三人は非常に仲が悪いことで有名でした。 三将軍が連携出来るとは思えない最悪な雰囲気が合肥城に流れている中、 孫権率いる呉軍10万の軍勢が合肥城へ進軍。 三将軍の監督役であった薛悌 せつてい は曹操が「孫呉の軍勢が攻め寄せてきたら、 中を開いて実行せよ」と言われていた命令書を開くことにします。 曹操からの命令書には「もし孫権軍が攻めてきたら張遼と李典は合肥城から打って出て、 孫権軍に突撃せよ。 楽進はしっかりと城を守って孫権軍を合肥城へ入れるな」と 書いておりました。 張遼はこの命令書を見た後ふたりの将軍へ「曹操様が張魯討伐に向かっているため、 援軍がこの合肥城へやってくる頃には敵軍にこの城は奪われているだろう。 ここは曹操様の命令書にあった通り敵軍の包囲網が完成する前に攻撃を仕掛けて、 出鼻を挫くべきだ。 この一戦に全てがかかっていると私は思うが二人はどう思う」と尋ねます。 すると李典と楽進も張遼の意見に賛成して曹操の命令書通りに行動を開始することに。 【PR】 孫呉の軍勢に突撃開始 張遼は翌日決死隊として集合した兵800人を引き連れて孫呉の軍勢へ向かって、 突撃を開始。 張遼はこの時大声で孫呉の兵士達へ「遼来来」と言いふらしながら、 数十人の兵士と将校二人を討ち取って孫権の本陣へ到達します。 張遼は孫権の本陣に到達すると小高い丘に登っている武将へ 「降りてきて俺と戦え!! 」と大声で怒鳴ります。 この小高い丘に登っていた武将こそ孫権でした。 孫権は張遼から怒鳴られても無視して冷静に戦況を確認することに。 すると張遼率いる軍勢が少ないことを知り、張遼軍を包囲して攻撃をするように命令。 張遼は孫権軍の包囲を突破して帰還しようとしますが、 残された部下達が居ることを知ると部下を救出してから帰還します。 こうして合肥城へ帰還した張遼は守備兵から歓呼の声で迎えられることになります。 孫権はその後数十日渡って合肥城へ攻撃を仕掛けますが、 陥落させることができずに撤退することに決めます。 張遼は孫権軍が撤退していく様子を確認すると追撃を開始。 張遼の追撃は厳しく、孫権も危うく張遼に討ち取られる寸前まで追い詰められます。 まさに鬼神の如き働きをして孫権軍を打ち払った張遼こそ、 正史三国志・魏書に記載されている最強・魏将TOP2に入る武将でしょう。 正史三国志・魏書の中で最強武将一位:「飛将軍」と言われた呂布 正史三国志魏書の中で最強武将一位は「飛将軍」と言われた呂布です。 魏書だけでなく三国志の中で最強と言っていい武将・呂布で、 三国志を知っている方であればどれくらい凄いかほとんどの人が知っていると思います。 今回は呂布と黒山賊 こくざん との戦いにおける活躍をご紹介しましょう。 呂布はと一緒に董卓を殺害した後、 長安を董卓軍の残党軍に奪われてしまったことがきっかけで、 中原を放浪することになります。 呂布はとりあえずの所に避難しますが、 邪険にされたことで袁術に愛想を尽かしての所に向かいます。 袁紹は呂布が来ると厚遇してから 「常山 じょうざん にいる黒山賊討伐に参加して欲しい」と要請。 呂布は袁紹の要請に応えて常山にいる黒山賊の討伐戦に参加します。 呂布はと成廉 せいれん の勇将と一緒に数百騎の軍勢で、 張燕軍数万の軍勢に向かって日に何度も突撃を行います。 張燕は呂布軍の突撃を支えることができずに敗北してしまい、 軍勢は散り散りになってしまうのでした。 他にも呂布は劉備と袁術の戦いを止めさせる為、 戟の胡と呼ばれる三寸ばかりの小さい的に数百歩ほど離れた場所から、 弓で命中させる達人ぶりを見せており、 これらの武技と黒山賊との戦いでの活躍を持って、 正史三国志魏書に登場する武将の最強武将と言えるのではないのでしょうか。

次の

正史三国志魏書での最強武将TOP3は呂布・張遼・曹仁じゃない?

三国志最強

この記事の目次• 正史三国志・魏書の中で最強武将三位:部下を助けるために突撃した曹仁!? レンが選んだ正史三国志・魏書の中で一番強い武将第三位は、 樊城 はんじょう 攻防戦の時に大活躍したです。 しかし今回紹介する曹仁の活躍した場面は、 赤壁の戦いの後に起きた呉の大都督との戦である 江陵 こうりょう 攻防戦です。 周瑜は赤壁の戦いで曹操軍を打ち払うことに成功すると 荊州 けいしゅう 全域を平定するための第一歩として江陵城へ攻撃。 江陵城の守備を命じられていた曹仁は部下の牛金 ぎゅうきん へ周瑜軍の先鋒隊へ 攻撃をするように命令。 牛金は曹仁の命令を受けて城門を打って出て周瑜の先鋒隊へ攻撃を仕掛けますが、 牛金が率いていた兵士が少なかったため周瑜軍に包囲されてしまいます。 曹仁は江陵城の城壁に立って牛金と周瑜軍の戦を眺めていましたが、 牛金が周瑜軍に包囲されて攻撃を受けている所を発見。 曹仁と一緒に城壁に登っていた陳嬌 ちんきょう は曹仁が、 真っ赤になって激怒している姿を見て「曹仁殿。 出撃しては周瑜軍に囲まれてしまいます。 ここは我慢が必要ですぞ」と今にも飛び出していきそうな曹仁へ注意。 しかし曹仁は陳橋の注意を聞かずに側近へ「馬を引け!! 」と言って 愛馬を持ってこさせると親衛隊を数十騎引き連れて城門を開かせて突撃を開始します。 陳橋は城壁から曹仁が捕虜にならないことだけを祈って見ておりました。 曹仁は城の外に出ると周瑜の軍勢へ向かって突撃をしていき、 牛金を見つけると周瑜軍の包囲の外へ脱出させることに成功します。 だが牛金の部下が必死になって戦っていたのを見た曹仁は、 再度周瑜軍へ突撃を仕掛けて牛金の部下を全員救出することに成功。 こうして江陵城へ帰還した曹仁を江陵城の守備をしていた兵士達は歓喜の声で出迎え、 「曹仁将軍は天上世界の人物だで。 本当にすごい!! 」と褒め讃えたそうです。 たった数十騎で周瑜軍に包囲された牛金を救い出した曹仁こそ、 曹魏の並み居る武将の中でも栄誉ある最強武将第三位にランクインさせていただきました。 さて次は第二位の発表です。 もちろん第二位の武将は泣く子も黙るあの武将しかいないでしょう。 正史三国志・魏書の中で最強武将第二位:泣く子も黙る「遼来来」 正史三国志・魏書の中で最強武将第二位は泣く子も黙る「遼来来 りょうらいらい」で 有名なしかいないでしょう。 「遼来来」の呼び名が広がったのは第二次合肥 がっぴ 城の戦いにおいてです。 曹操は合肥まで出張った後張魯 ちょうろ 討伐のために西へ向けて進軍していきますが、 合肥城を離れる時に三人の武将を配置していきます。 合肥城へ駐屯させた三将軍とは魏軍の名補佐・、 戦場では一番乗り・、騎馬隊を率いれば魏軍一・でした。 しかし李典・楽進・張遼の三人は非常に仲が悪いことで有名でした。 三将軍が連携出来るとは思えない最悪な雰囲気が合肥城に流れている中、 孫権率いる呉軍10万の軍勢が合肥城へ進軍。 三将軍の監督役であった薛悌 せつてい は曹操が「孫呉の軍勢が攻め寄せてきたら、 中を開いて実行せよ」と言われていた命令書を開くことにします。 曹操からの命令書には「もし孫権軍が攻めてきたら張遼と李典は合肥城から打って出て、 孫権軍に突撃せよ。 楽進はしっかりと城を守って孫権軍を合肥城へ入れるな」と 書いておりました。 張遼はこの命令書を見た後ふたりの将軍へ「曹操様が張魯討伐に向かっているため、 援軍がこの合肥城へやってくる頃には敵軍にこの城は奪われているだろう。 ここは曹操様の命令書にあった通り敵軍の包囲網が完成する前に攻撃を仕掛けて、 出鼻を挫くべきだ。 この一戦に全てがかかっていると私は思うが二人はどう思う」と尋ねます。 すると李典と楽進も張遼の意見に賛成して曹操の命令書通りに行動を開始することに。 【PR】 孫呉の軍勢に突撃開始 張遼は翌日決死隊として集合した兵800人を引き連れて孫呉の軍勢へ向かって、 突撃を開始。 張遼はこの時大声で孫呉の兵士達へ「遼来来」と言いふらしながら、 数十人の兵士と将校二人を討ち取って孫権の本陣へ到達します。 張遼は孫権の本陣に到達すると小高い丘に登っている武将へ 「降りてきて俺と戦え!! 」と大声で怒鳴ります。 この小高い丘に登っていた武将こそ孫権でした。 孫権は張遼から怒鳴られても無視して冷静に戦況を確認することに。 すると張遼率いる軍勢が少ないことを知り、張遼軍を包囲して攻撃をするように命令。 張遼は孫権軍の包囲を突破して帰還しようとしますが、 残された部下達が居ることを知ると部下を救出してから帰還します。 こうして合肥城へ帰還した張遼は守備兵から歓呼の声で迎えられることになります。 孫権はその後数十日渡って合肥城へ攻撃を仕掛けますが、 陥落させることができずに撤退することに決めます。 張遼は孫権軍が撤退していく様子を確認すると追撃を開始。 張遼の追撃は厳しく、孫権も危うく張遼に討ち取られる寸前まで追い詰められます。 まさに鬼神の如き働きをして孫権軍を打ち払った張遼こそ、 正史三国志・魏書に記載されている最強・魏将TOP2に入る武将でしょう。 正史三国志・魏書の中で最強武将一位:「飛将軍」と言われた呂布 正史三国志魏書の中で最強武将一位は「飛将軍」と言われた呂布です。 魏書だけでなく三国志の中で最強と言っていい武将・呂布で、 三国志を知っている方であればどれくらい凄いかほとんどの人が知っていると思います。 今回は呂布と黒山賊 こくざん との戦いにおける活躍をご紹介しましょう。 呂布はと一緒に董卓を殺害した後、 長安を董卓軍の残党軍に奪われてしまったことがきっかけで、 中原を放浪することになります。 呂布はとりあえずの所に避難しますが、 邪険にされたことで袁術に愛想を尽かしての所に向かいます。 袁紹は呂布が来ると厚遇してから 「常山 じょうざん にいる黒山賊討伐に参加して欲しい」と要請。 呂布は袁紹の要請に応えて常山にいる黒山賊の討伐戦に参加します。 呂布はと成廉 せいれん の勇将と一緒に数百騎の軍勢で、 張燕軍数万の軍勢に向かって日に何度も突撃を行います。 張燕は呂布軍の突撃を支えることができずに敗北してしまい、 軍勢は散り散りになってしまうのでした。 他にも呂布は劉備と袁術の戦いを止めさせる為、 戟の胡と呼ばれる三寸ばかりの小さい的に数百歩ほど離れた場所から、 弓で命中させる達人ぶりを見せており、 これらの武技と黒山賊との戦いでの活躍を持って、 正史三国志魏書に登場する武将の最強武将と言えるのではないのでしょうか。

次の