ハワイ島在住のドルフィンガイドで、写真家のダイスケさん()。 64頭のイルカと顔見知り。 「イルカと会話できる」ガイドとして有名。 () 1986年ハワイ生まれ大阪育ち。 ハーフで生まれ、物心が付いた時からイルカが大好き。 いじめなどの試練を乗り越え、イルカの調教師を目指すが、何度も夢が絶たれる挫折を経験。 一転、ひょんなことから、一気に道が開かれ、2012年ハワイ島へ移住。 憧れのイルカと泳ぐ仕事に就く。 年間330日を海で過ごすうち、イルカたちと会話できるようになり、素潜りで写真を撮り始める。 「毎日の生活の中で道が分からなくなった人、夢があるけれどかなえれない環境や、踏み出す勇気がない人へ」と、イルカから受け取ったメッセージを添えた写真集、DVDを制作している。 それは「夢」という言葉なんですけど。 それがキーワードになっているなと。 「夢をかなえた経験者」としての話を聞きたいんですが、小さいときからイルカが好きというのは、何がきっかけだったのか覚えています? ダイスケ 本当に分からないんですよ。 物心付いたときからイルカが好きだった。 小さいときからラッセンのパズルとか好きで。 でも、幼稚園の卒園文集で先生が園児たちを「生き物で例えると」というのがあって、僕は「イルカ」と書いてあったのを覚えているんです。 ダイスケ 僕、それまで日本の中学校にいて。 生まれたのはハワイだった? ダイスケ お父さんが軍の仕事をしていたのでハワイで生まれただけで、5歳からずっと日本の小中学校に行っていたんですね。 ダイスケ いや、日本語しかしゃべれなかった。 英語のテストも7点とか1桁台なんですよ。 母あってのコミュニケーション。 ダイスケ いじめにあったのは小学校低学年。 髪の毛の色が違うとかで。 ダイスケ たぶん、自分のメンタルも弱かったこともあるんだけれども。 当時は6歳とか7歳とかで、仲間外れにされて泣いちゃったりして。 大変な時期もありました。 中学校に入ってから、絶対サラリーマンにはなれないと思っていたんです。 満員電車に乗って、上司にガミガミ言われて、月曜日から金曜日まで決まった時間に仕事して、飯のために生きるという形が、すごく僕は嫌だった。 団体行動が、まず苦手だったので。 ダイスケ 「夢をかなえている自分を想像できるかどうか」というところで、まずビジョンを持たないと始まらない。 ダイスケ 想像できることで夢がかなうのだから、想像できないことを言っても絶対かなわないから。 夢というのを持つことはすごく大事だし、夢をかなえるのはすごく簡単だと思う。 自分は、例えば、イルカの調教師に「なりたい」ではなくて、「なった」と完了形で考えるようにしていたんだけれども。 でも、自分の生まれがハワイというのもあったのかな。 うちの両親はもうハワイに住んでいなかった。 家族でハワイに行くことはあったので、ハワイの空気は感じていたんだけれども。 オアフ島は人が多過ぎてゴミゴミしていて嫌だなと思っていて、自分の中でマウイ島に移住してイルカの調教師になろうと決めていた。 それなら、ハワイ大学の海洋生物学を学ぶのが一番近道だと思ったんですね。 ダイスケ 当時英語は7点だから、ハワイ大学なんて絶対行けないと思ったから、今できることは何だろうと思って、14歳のときに、中1の英語の教科書に出ている英単語を全部覚えて点数を上げることをしました。 でも、僕からしゃべる自信がなかった。 日本人が英語をしゃべれない90%の理由がそれです。 間違いを起こすのを恐れてしゃべらない人がいるように。 僕はそうでした。 でも、読み書きができなかったので、すごく勉強して、英語の点数がどんどん上がっていって、中間試験で7点だったのが、期末テストは80数点になっていた。 1カ月半くらいで。 80点も上げたのね。 ダイスケ それで、自信が付いてきて、英語は結構いい点数取れるようになった。 英単語をまず全部覚える。 文法は「パズルみたいにひっくり返せばこうやって文ができるんだな」という仕組みを全部勉強したら、すごく英語の点数が上がった。 ダイスケ そうですね。 でも、成績悪かった子の成績が上がると先生にも目を掛けてもらえるようになって、将来の夢を真剣に一緒に考えてくれるようになった。 ダイスケ 絶対、言霊というのはあると思う。 それで、こうなりたいというのを全部書き出して逆算していく。 いきなりゴールを見ると途方に暮れて気が遠くなっちゃうので、砕いて砕いて小さくしていく。 夢に向かって着実に進んでいく。 ダイスケ そうです。 14歳のときに勉強して、英語のレベルがアップして、中学3年生になったら第1希望の高校から推薦が来ました。 で、最終的には英語のスキルをもっと上げるために、祖父母が住むミシガン州へ行き、父の母校の高校に留学したんです。 それで、3年間で英語がしゃべれるようになりました。 英検準2級くらいのレベルから。 「イルカ愛は世界の誰にも負けない」(写真提供/Dolphin Eyes) ダイスケ 夢をかなえるためには、イメージできることを砕いていく。 一番大事なのが「自分が好きなことでないと続かない」ということ。 ほとんどの人が挫折するのは、自分を分かっていないからだと思う。 自分の素質というのは絶対あると思うし、自分の才能を知ることが大事。 だって、イルカに会ったこともないわけじゃない? ダイスケ だけど、イルカ愛は世界の誰にも負けないぐらい自信があったから、それだけ。 ダイスケ はい。 周りがね。 ハワイ大学に行けるはずが……。 ハワイ大学の海洋生物学科の、GPAというアメリカの成績評価制度があって、それに受かったんです。 「Congratulation」という手紙も届いて、「やった!」と思ったんだけれども、今度は入学金を支払わないといけなくなって、しかも学費が高くて。 払える財力がなかったんです。 当時はハワイに住んでいないインターナショナル・スチューデントは学費が1年で250万円、4年間で1,000万円だったんです。 両親は日本で仕事をしていたので。 次に、日本のいろいろな奨学金制度を当たったんだけれども、日本の高校を卒業していないから駄目だと言われた。 そこで自分のプランが崩れるわけですよね。 ダイスケ だから、僕は3浪しているんですよ。 3年間、受かっているのに行けなかったんです。 それで、絶望して、19~20歳のときはうつ状態でした。 何をやってもうまくいかなくて、どん底でした。 でも、変な話、「ハワイに行く」というのがずっと自分の心の中に残っていた。 だけど、自分の中ではもうぐちゃぐちゃになっていたんです。 右を向いても左を向いても駄目だったし、親にも頼れなかった。 大学を諦めるしかないのかなと思った。 そのときは日本に帰ってきていて、途方にくれた生活を送っていたときに、あるロックバンドのコンサートがあった。 闇の中から希望の光が見えた(写真提供/Dolphin Eyes) ダイスケ 自分が好きな洋楽の歌手が大阪に来ることがあって、聞きにいったんですよ。 それが2007年7月24日だったと思います。 ちょっと頑張っていいチケット取って最前列で見られたんです。 目の前で憧れの人が熱唱している姿を見て、初めて、神様が降りていると思える人を見ちゃったんです。 ダイスケ そうです。 魂をつかまれてしまって。 「すげえ、この人のオーラ」と。 それで、思ったんです。 自分に自信を付けるためにはどうしたらいいのかというのは、やはり自分の好きなことをやって、それで結果を残せているとすごいオーラが出るんだな。 自信がある人にはオーラがあるって。 それで自分にエネルギーみたいなものを取り込めた。 ダイスケ 気持ちが上がったのを覚えています。 それで、もう一回大学にトライしてみようと思って調べたら、ハワイ大学ではできなかったんですけれども、当時アリゾナ大学に心理学部があったんです。 ダイスケ はい。 でも、心理学の勉強も必要だと思っていました。 いろんな人と接するだろうから、心理学も分かっていたらいいなと。 それまでに日本のドルフィンセンターに行ったことがあって、自閉症の子たちのプログラムがあるのも知っていたので。 それで、通信教育で入学することにしたんです。 イルカと接するだけでなく、観客のことも考えなきゃと思っていたわけですね。 ダイスケ イルカショーをしている人たちは人とも接しないといけないから。 そのころは対人恐怖というか、僕自身が八方塞がりで、気持ちはアメリカ人で日本に帰ってきて全然合わない感じだった。 ダイスケ 人と接するのも怖くなっていたときに、母親が自営で英会話の先生をしていたんですけれども、そこの生徒さんでドクターがいて「うちの病院で受付をしてくれる人はいないかな」と、母に相談していたんです。 僕でどう? と言ったら、「男性の受付はいたことがないから」となって、医療事務の仕事をすることになったんです。 ちょっと覚えていないんですけれども。 でもイルカが好きなのは変わりなくて。 その日に偶然、Jack Johnsonというハワイアンのサーファーのミュージシャンがいるんですけれども、ツアーで日本に来るとなって、大阪のライブが偶然3. 11の日だったんです。 彼のライブが始まる前に「今、日本ですごく大変なことが起きている。 このあとの日程は全部延期にします。 でも、今日は歌って帰るから楽しんでください」と。 そのライブを聴いたときに、涙が止まらなかった。 それで、「僕、ハワイに行かなきゃ」と思った。 忘れかけていた夢を思い出したんです。 次の日の3月12日に、ドクターに「1年後には辞めさせてください。 自分の夢を追いかけたいです」と言いました。 ダイスケ 当時、本当に貯金がなかったんで、1年で50万円貯めようと。 アリゾナ大学の通信教育部には2007年に入ったんですけれども、2年の単位に5年掛かっているんですね。 アルバイトしながらだったので。 だから、大学を卒業できるのが2012年で、アメリカの大学は編入できるので、あとの2年をハワイ大学の海洋生物学で勉強して、そして、イルカの調教師になろうと思って、行くことを決意したんです。 行ったこともないハワイ島へ単身向かって ダイスケ それで、2012年にハワイに行くためにお金を貯めて。 50万円あったら3カ月ぐらい生活できるかなと思って。 ドクターにも「夢に向かっていくんですけれども、駄目だったら、もしよかったら受け入れてください」と言いました。 待っているよ。 頑張ってこい」と言われました。 「僕が夢を止めることはできないから」と言われたので「ありがとうございます」と言って、2012年の9月24日にハワイに向かいました。 でようやく、ハワイ大学に行けたのね? ダイスケ それが、行ってないんですよ。 それまでハワイ島に行ったことなかったので。 ダイスケ そう。 知り合いもいない状況で。 ただ、9月に行くとなったら6月ぐらいから調べ始めるじゃないですか。 ハワイ島がどんなところかとか、どこでステイするのかとか。 そうしたら日本人が経営しているゲストハウスがあって、そこだったら月いくらとか分かったので見積もり取って、生活費のことまで計算したら3カ月50万円でできた。 ダイスケ そこの人とメールのやりとりをしていたら、僕の当初の予定では大学に行く予定だったんだけれども、ハワイアンになれば学費が4分の1で行ける。 それで、2013年まで1年間、仕事をして税金を納めてハワイ大学に行くことにしようと思ったんですね。 そうすればお金がすごく浮く。 まさかの展開であっという間に夢がかなって ダイスケ ゲストハウスの人が「ダイちゃんはどういう仕事がしたいの?」と聞いたので、「僕は日本語と英語ができるのでホテルの受付とかでも大丈夫です」と。 でも、夢のことも話したら「イルカのガイドを探している人がいるから」という話になって、今の会社の上司と話すことになったんです。 ダイスケ そういう話になったときに、ドルフィンガイドという仕事があるんだと知ったんです。 それで、ハワイ島でイルカのガイドをしている会社すべてにメールを送った。 そしたら、今の会社だけちゃんと連絡が返ってきて、他の会社からは来なかった。 連絡が来た1カ所で、今働いている。 9月24日にこちらに来て、9月25日からずっと今まで。 そこから毎日働いているわけだから、海洋生物学の勉強は独学でしたの? ダイスケ はい。 結局、アリゾナ大学の通信教育部に行きましたが、5年間の時間とウン百万円という金額を出しました。 もちろんマイナスではない。 でもかなり遠回りしましたね。 ダイスケ はい。 ハワイ島に着いたら、今の社長が空港まで迎えにきてくれて、「港はここだよ」と全部説明してくれて、そこからやったことのないドルフィンガイドを始めた。 それまで野生のイルカと泳いだこともなかった。 いきなり。 経験者求む、ということはなかったんだ。 ダイスケ ハワイ島の現状として、ビザを持っていて、英語も日本語もしゃべれる人はすごく少なかったんです。 ドルフィンガイドになりたいとかイルカ関係の仕事をしたい人はいっぱいいるんだけれども、ビザがないから仕事ができない場合がほとんどです。 僕はお父さんがアメリカ人でアメリカ国籍があったので。 今までの話を聞いていたら、もう運命としか思えない。 夢をかなえてみてどうですか? ずっと子どものころから思っていた夢をかなえたときはどんな感じ? ダイスケ ホッとはしましたよね。 だって、ガイドとしてお客さまと接しないといけなかったので。 ダイスケ ないです。 だから、余裕が全くなかったです。 余裕ができたのは数カ月たってからです。 自分が好きなことをして、みんなに広めることができて、それで喜んでもらえるし、すごく幸せです。 憧れだけで入ってすぐ辞めちゃう人もたくさんいます。 すごく大変だし、朝も暗いうちから動かないといけないし。 体力は使うし、命に関わる仕事だし。 お客さんの機嫌を損なわせないような気遣いもいる。 人の顔色を見るのは得意になったかな。 やればやるほど楽しい? ダイスケ はい。 もちろん、大変なこともありますよ。 でも、いろいろな人と接しているうちに「ダイちゃんが一番楽しんでいたらいいんだよ」と言ってくれる人が多くなって、今度は自分のために海でイルカの写真を撮り始めたんです。 ダイスケ ツアー客の方に、その日に撮ったイルカの写真を送るという作業をしていたんだけれども、そのうち、Facebookページを立ち上げたんです。 「今日のイルカ」というような投稿をして。 すると、どんどんフォロワー数が増えていった。 そうやっているうちに、雑誌の取材やテレビ番組に出るようになって、「ハワイ島のイルカ=ダイスケ」になっていった。 ダイスケ とにかく、がむしゃらに毎日泳ごうと思って。 もちろんジャパニーズ・コミュニティーもあるんですけれども、ハワイ島のツアー業界はほとんど外国の会社なので、外国の船長にリスペクトされるように毎日海に出ていた。 「あいつ、毎日いるな」と言われるように。 僕よりキャリアが長い人もハワイ島にいるけれども、海に出ている回数は僕のほうが上になっちゃっている。 外国人で毎日泳いでいる女性もいる。 自分で小さな会社をつくって、プライベートで案内することもあります。 それは、ハワイ島のイルカだけじゃなくて世界中のイルカと泳ぐ。 ガイドによってイルカに会えるか会えないか変わってくるような気がするし。 ダイスケ ありますね。 仕事なんですけれども、お金が一番先に動いているガイドさんと、「好き」が一番で動いているガイドさんとでは全然違うと思うんですよ。 でも、これはガイドが言う話ではなくて、お客さまが決めること。 ダイスケ そう。 どのガイドがいいとか、どのガイドが悪いとかいうわけではない。 本当に「好き」というのでやっていると伝わると思う。 ダイスケ 周りの人のご縁と、あとはチャンスを逃さなかった自分。 自分の直感を信じて動けたところ。 全部恐怖なんですよ。 留学するときも恐怖、ハワイ島に初めて来るときも恐怖。 心臓が口から出てくるような思いを何回もしているんですけれども。 とにかく動いたということが、すべてだと思っています。
次の海水浴に行くとき、どんな服装で行こうか悩みますよね。 早く海に入りたいけど、水着に着替える場所が狭かったり、なかったりすると、とても困ります。 服の下に、水着は着て行くべき?海から出た後は、何を着よう?など、意外と悩みます。 海水浴に行くときの服装について、紹介します。 服の下に水着を着ていくべし 男性の着替えは楽。 すぐに着替えらます。 服の下に水着を着ていけば、彼を待たせる心配はありません。 時間短縮のため、水着は中に着ていきましょう。 行きの電車や車、更衣室、トイレでの着替えで汗をたくさんかくと、体がベタベタします。 水着に着替えようにも、なかなか着替えられません。 そういった場面を考えても、あらかじめ服の下に水着は着ていった方が楽ちんです。 服装はどうする? 海水浴に行くとき、どのような服装を選ぶ女性が多いでしょうか。 ワンピースは、何かと便利。 服の下に水着を着ていなくても、比較的ササッと着替えられます。 ワンピースなら、帰りの着替えのときも楽です。 サッと下着を身につけることができます。 海水浴にワンピースを選ぶなら 「白のコットンワンピ」「マキシワンピ」がおすすめ。 男性ウケもバッチリです。 Tシャツ&短パンの組み合わせなら、汚れを気にせず、そのままでも海に入っても問題ない格好です。 キレイで広い更衣室の海水浴場なら、オシャレな服でも気にせず安心して着替えることができます。 しかし、狭かったり、汚れっぽかったり、更衣室自体がない海水浴場では、シンプルな服装が最も便利。 そのまま海に入るなら、着替えの服は必ず用意していきましょう。 日焼け対策のためのラッシュガードも持って行くと便利です。 ポイントは、長袖のものを持って行くこと。 できれば、フード付きが良いです。 髪の紫外線対策にもなります。 首の後ろの日焼けしやすい部分も守ってくれます。 UPFがついているものを選びましょう。 さらに日焼けをしたくない人は、 日傘や帽子も用意すると良いです。 サングラスも目を紫外線から守ってくれます。 夏の海は、太陽がギラギラときついので、サングラスがあると目が楽です。 また、 欠かせないのがビーチサンダル。 できれば、マリンシューズの方が安心です。 砂浜はかなり暑いです。 海の中は、貝や石があって危険。 マリンシューズなら脱げにくく、効果絶大です。 足をケガから守ってくれるほか、滑り止めの効果もあります。 帰りは、ビーチサンダル、マリンシューズではなく、 別の履き物に変えましょう。 そのままでは、車を砂で汚してしまいます。 砂汚れを防ぐには、別の履き物に履き替えましょう。 夏っぽいミュールやサンダルを選ぶと、ビーチっぽさが出て海デートにはおすすめ。 履き物が2足になるのが嫌な人は、ビーチサンダル、マリンシューズの裏についた砂を払ってから車に乗りましょう。 せっかくの夏。 オシャレに夏を思いっきり楽しむには、オシャレと機能性の両方がある服装を選んで海にいきましょう。 オシャレをして彼の心をキャッチしつつも、 着替えで彼を待たせることなく、また、彼の車を砂で汚さないマナーの良さを見せることも大切です。
次の
世界ジオパークとして認定されている「山陰海岸ジオパーク」は、京都府京丹後市の丹後半島から始まります。 日本海の形成期に起こった様々な地質や地形の変動、そして日本海の荒波。 それらがここ丹後半島でも、複雑に入り組んだリアス式海岸や、奇岩などが連続して現れる海岸線を作り上げました。 丹後半島、この絶景の海岸線に沿って走る道、人気のドライブコースでもあります。 京丹後市のジオパークから舟屋で有名な京都府綾部市の伊根まで、ドライブを一緒に楽しみませんか。 【京都常連が徹底ガイドのおすすめ記事】 海は広いな大きいな 撮影:iti こんにちは。 20年前に大阪から滋賀県高島市朽木小川に移住した榊 始(iti)です。 今日は妻(ご人)の兵庫県養父市の実家から「丹後半島ぐるっとめぐり」に。 養父市場から右岸道路に出て、まずは豊岡へ向かいます。 豊岡市内に入る手前で円山川を渡り、R178を走り京丹後市久美浜町へ。 「小天橋」をかぶと山から望む 撮影:iti 久美浜町・久美浜湾の日本海側には長い年月をかけてできた砂浜の橋、「小天橋」が。 この小天橋、かぶと山公園内の展望台から眺めるのが最高。 向こうに見える小天橋の手前は湖ではなく、久美浜湾。 海です。 撮影:iti かぶと山展望台には車で行ける、と思っていたら、 駐車場からは歩きでしたヨ。 ブツブツ。 おまけに晴れていたのに、にわか雨まで降り出しました。 「弁当忘れても傘忘れるな」と小さいころから言っていた、と但馬地方出身のご人。 でも、途中見えた久美浜湾の風景はキレイでした。 撮影:iti 標高191m、でもあなどるべからず。 小雨の中、20分ぐらいですが、結構な登りでした。 途中出会った若者のペア、「上るのは大変だけど、とってもキレイでしたヨ。 ようやく着いた展望台、ホント、絶景でした。 日本の暑い夏、やっぱり海でしょう 撮影:iti 丹後半島では夏になると日本海沿いにたくさんの海水浴場がオープンします。 雄大な日本海を肌で感じながら泳ぐことができますヨ。 撮影:iti 小天橋の日本海側、葛野浜海水浴場もず~っと広い砂浜が続きます。 今回はドライブ目的なので寄りませんでした。 写真は2015年9月に行ったときのもの。 遠くに蒲井浜海水浴場からの海岸線も望めます。 撮影:iti 「鳴き砂」で有名な琴引浜です。 日本海のきれいな海水で洗われた、石英質の多い砂の粒子が擦れあうことで、歩くと「キュッキュッ」と鳴る「鳴き砂」。 きれいな砂浜の証明です。 昼ご飯は「丹後王国 食の都」で 網野から国道を少し右折して、内陸方面に少し走ると「丹後王国 食の都」が。 新しくできた観光スポット、西日本最大級の道の駅だそうです。 撮影:iti 連休明けの平日ですが、人の動きもパラパラと。 「休み・連休などは、凄い人出でしたヨ」とは、豚カツ屋の呼び込みお兄さん。 木々に囲まれた、ご当地グルメ館などが、広い敷地に散らばっています。 撮影:iti 「京丹波高原の牧場で飼育した自慢の豚です。 」と、呼び込みのお兄さん。 レストランの前には、豚のベンチも。 海鮮丼やヘシコパスタなどなど、いろいろあるんですが、お腹は豚カツに決定していました。 撮影:iti 牧場の中にあるかのような、イイ感じのレストランです。 隣には、焼肉スペースもありましたヨ。 もちろん、大きなトンカツ、美味しかった。 撮影:iti 芝生の中で日差しを避けられる玉ねぎハウスです。 数組の親子連れが弁当タイムを。 敷地内には、木製アスレチックやポニー乗馬、芝生のステージなど、遊びのスペースもあり、子供連れでも1日ゆっくりと楽しめそうです。 そうそう、古墳もありましたネ。 海岸線の快適ドライブ 網野に引き返し、網野町浜詰からR178を離れて、網野町網野まで、日本海を望みながら細い道を海岸線に沿って。 その後、丹後半島の海岸線に沿って走る、R178を疾走します。 撮影:iti 途中の港、遠くの防波堤と沖の島。 「日本の漁港」風景ですね。 撮影:iti 岸壁に駐車スペースがあったので、休憩タイムです。 少し下りると、岩場に黄色い花が張り付いて群生していました。 撮影:iti 有名な屛風岩です。 一番よく見える道沿いに展望所があります。 岩の対岸は棚田や畑になっていて、そそり立った崖で日本海に面しています。 撮影:iti 日本三景の松島に似ていることから「丹後松島」と名付けられた海岸線、国道から離れているのですが、その手前でショットを。 遠くに見えるのが丹後松島の海岸線です。 撮影:iti 冬の荒波で有名な日本海。 今日はそんなに荒れていませんが、岩に打ち付ける白い波は寄せては返し、見ていて飽きることありません。 撮影:iti 経ヶ岬手前の柚志の棚田は「棚田百選」にも選ばれていますが、丹後半島には日本海の絶壁に面する美しい棚田が多く見られます。 写真は2016年10月、刈り入れの終わった後の海沿いの棚田です。 日本海に灯りをともし続ける経ヶ岬灯台 丹後町袖志、丹後半島最北端の経ケ岬へ到着。 日本海、揃い波が立ち、深い青とソラの青がキレイ。 撮影:iti R178から左に逸れて日本海に向かって暫く走ると、断崖の上に作られた駐車場が。 そこにゴン太号(愛車)を止めます。 岬に向かって、遊歩道を500m余り登ると明治31年に建設された「経ケ岬灯台」が。 撮影:iti 初点灯以来ず~っと沖を行きかう船舶の安全を守り続けてきた灯台です。 青い空と海を背景に、白い灯台。 撮影:iti 灯台のレンズ、ウルトラマンに出て来る、とフト。 絶壁の海岸線を走る国道178号とカマヤ海岸 撮影:iti 経ヶ岬から蒲入に続く海岸線では、海から一気にせりあがった断崖に国道178号がへばりつくように走っているのも絶景の一つです。 写真はカマヤ海岸展望所から甲崎を見たもの。 右側の絶壁にそのへばりつく国道が見られます。 撮影:iti 入り組んだ海岸線と海抜百数十メートルの絶壁・断崖。 撮影:iti ここでも息を飲むような絶景の連続です。 道の駅「舟屋の里 伊根」から舟屋を眺める 海岸線の絶景を堪能して、船屋で有名な伊根町へ。 伊根への道、前を走る車が国道178号を右折したのに続きます。 少し走ると、前の車はまた右折。 私たちはそのまま伊根の集落へ。 でも、肝心の舟屋は海の方向から見ないと。 引き返して、さきほどの車が右折した道へ入り、少し行くと道の駅がありました。 撮影:iti ここからの眺め、絶景です。 山裾の海岸沿いギリギリにズラリと並んだ舟屋にその前の静かな青い海。 撮影:iti 丹後半島が日本海の冬の季節風を遮り、また湾の入り口にある島が遮る形となって、潮の満ち引きが少ないこともあり、伊根湾を取り囲むように舟屋が建てられたそうです。 ここでアクセスを 阪神方面から小天橋のある久美浜へは舞鶴若狭自動車道から春日ICで北近畿豊岡自動車道に乗り、豊岡から国道178号を使うのが早いでしょう。 京都からは京都縦貫自動車道から国道312号で。 反対回りをするなら、京都縦貫自動車道を与謝で下りて伊根に向かいます。 公共交通では、山陰本線福知山駅か豊岡駅から丹鉄に乗り換えるといいのですが、天橋立から網野間の海沿い、鉄道路線はありません。 丹海バスの路線バスが今回通った国道178号を走っています。 丹後半島には1泊旅行を 撮影:iti 丹後半島「ぐるっとめぐり」、絶景の連続でした。 ただし、京阪神から日帰りは相当な強行軍、時間的に無理?かも。 養父市から出発した「ぐるっとめぐりドライブ」の私たちも運転を交代しながら、20時過ぎ家に着いたときはヘトヘトでした。 簡単に行けない、でもそれだからこそ、こんなきれいな海岸や砂浜に絶景が残されているのでしょう。 夏の海水浴や冬のカニ、海釣り、夕陽のきれいな夕陽ヶ浦温泉、それに伊根の舟屋など、宿はたくさんあります。 ぜひ海辺の宿で暮れゆく夕陽と新鮮な魚介類を楽しんでください。
次の