スウィート ヒア アフター 映画。 映画の感想

『スウィート ヒアアフター』

スウィート ヒア アフター 映画

軽井沢で多くの死者を出したバス事故があった。 激安をうたったバスツアーだったようだが、その運営実体はかなり問題があったようだ 上の記事によると、会社は運転手の健康チェックを怠り、定められた金額以下の値段で仕事を請け負い、社長の遅刻で出発前の点呼もなく、虚偽の書類もあったようだ。 なるほど、このような記事を読んだ読者は「起こるべくして起こった事故」だったのだと納得感を得られるかもしれない。 しかし、こうした大きな事故というものは大抵当事者が亡くなっていることが多い。 実際の事故の瞬間に何があったのか、事後的に把握することは大変な労力なのだろう、先の記事のように周辺事情を並べ立てると、第三者の僕らは事故の必然性を感じる。 こういう事故が報道される度、思い出す映画がある。 1997年のカナダ映画「」(アトム・エゴヤン監督作品)だ。 今回の軽井沢の事故の死亡人数は14人。 この映画の中で起きるバス事故も14人が犠牲になっている。 奇妙な一致なのでより強く思い出した。 カナダの小さな田舎町で、スクールバスの転落事故が起き、多くの子供が命を落とす。 都会からやってきた弁護士のミッチェルは、事故の過失を突き止めようと、町の人々を説得し集団訴訟を起こそうとする。 バス会社がコストカットのため、安い部品を使っていたのではないか、ガードレールの整備は万全だったか。 ミッチェルは「事故は偶然起きるものではない」と言い、町の人々の怒りを「正しい方向」に向けようと説得して回る。 しかし、その訴訟は事故から生き残った少女ニコール(事故の後遺症で車椅子生活を余儀なくされている)の証言によって頓挫する。 事故の真相は究明されず、生存したベテラン運転手のドロレスは、町を離れ、都市部でバスの仕事に就いている。 他の町の住民はそれぞれ穏やかな暮らしを取り戻す。 よそ者の弁護士が正義を執行しようと町にやってきて、人々を訴訟に駆り立てる様をハーメルンの笛吹きになぞらえて物語が進行していく。 よそ者に駆り立てられ、平静な暮らしを失った住民に、再び平穏さを取り戻させるのは、事故の当事者である少女ニコールの嘘の証言であるという、複雑な展開を見せる作品で、一見だけでは理解するのが難しい作品かもしれない。 本作では、周辺事情をあげつらって過失を攻めたて正義はなされた、というような単純な作品にはなっていない。 生存した運転手ドロレスは、ニコールの嘘の証言によって町を追われた。 しかし、彼女はある種の開放感を得てもいる。 タイトルの「ヒアアフター」にはここではない楽園や天国という意味があるが、ドロレスはその町から出て行くことが彼女にとっての安らぎだったのだろう。 本作が示唆するのは、当事者の感情回復と第三者(あるいは社会全体)による正義の執行の両立の困難さだ。 本作では弁護士のミッチェルが社会正義の象徴として描かれる。 現実の事故には、弁護士の他、報道機関や世論も正義を貫徹せよと叫ぶだろう。 今回の事故は多くのニュースが報じているように、多くの過失があったろう。 しかし、過失を犯しながら運営を続けていて、なぜ事故が今回起こって、当事者の方たちがそれに当たってしまったのかは、きっと、どこまでいっても偶然としか言いようがないのだろう。 映画の予告は「正義も行き場を失い、真実さえも時には答えにならない時がある」と言う。 当事者の方々にとっての答えがなにか、僕にはわからないが、「悪役」を叩くということではなく、悲劇的な偶然を減らすための努力は、社会全体としては継続せねばならないのだろう。

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映画の感想

スウィート ヒア アフター 映画

映画『スウィート ヒアアフター』を無料でフル視聴できる動画配信サービスの一覧です。 各サービスには 2週間~31日間の無料お試し期間があり、期間内の解約であれば料金は発生しません。 配信状況により無料ではない場合があります。 スウィート ヒアアフターの登場人物(キャスト) ミッチェル・スティーヴンス(イアン・ホルム) 弁護士。 正義感が強く、バス転落事故の遺族のために集団訴訟を起こす。 娘のゾーイが薬物中毒で、エイズの陽性反応が出たことを知る。 ゾーイ・スティーヴンス(カーサン・バンクス) ミッチェルの娘。 薬物中毒で、エイズの陽性反応が出る。 父に何度も電話をして、情緒不安定な様子を見せる。 ニコール・ブリュネル(サラ・ポーリー) 父のサムと一緒に、ロック歌手を目指す少女。 サムとは、肉体関係がある。 バス転落事故に巻き込まれ、車椅子での生活を余儀なくされる。 事件の大事な生き証人。 事故後、父の接し方が変わり、それを不快に思って裁判を台無しにしてしまう。 サム・ブリュネル(トム・マッカス) ニコールの父。 ニコールに才能を感じ、ニコールの夢を後押しする。 ニコールと体の関係を持つ。 事故で車椅子生活を余儀なくされたニコールに夢を感じなくなってしまう。 ミッチェルの訴訟に協力する。 ドロリス・ディスコル(ガブリエル・ローズ) スクールバスの運転手。 子供達が大好きで、気さくなおばさん。 子供達や親からも人気がある。 運転技術は一流で、いつも安全運転を心がけている。 事故後に、ミッチェルに色々と証言をする。 ビリー・アンセル(ブルース・グリーンウッド) バスの整備士。 夫婦でモーテルを経営しているリサと不倫をする。 毎朝、自分の整備したスクールバスに息子を乗せ、安全確認のために学校までバスの後ろを車で追いかける。 リサ・ウォーカー(アルベルタ・ワトソン) 夫とモーテルを経営する女。 ビリーと不倫関係にある。 事故で子供を亡くし、一番最初にミッチェルと弁護士の契約をする。 スウィート ヒアアフターのネタバレあらすじ(ストーリー解説) 映画『スウィート ヒアアフター』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。 この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。 スウィート ヒアアフターのあらすじ【起】 ミッチェル・スティーヴンスがガソリンスタンドで洗車をしているとき、娘のゾーイから電話がかかってくる。 ゾーイの様子は、情緒不安定だった。 洗車機が壊れていて、そこに閉じ込められてしまったミッチェル。 びしょ濡れになりながら車を降りたミッチェル。 そこには、一台のボロボロになったスクールバスがある。 スクールバスが、ある遊園地に停車する。 そこから降りてきた生徒たちは、先生の指導のもと、ウサギ館へと入っていく。 その遊園地にはニコールという少女がいた。 彼女は、父親のサムと共にロック歌手を目指していた。 ミッチェルが訪れていた町では、かつてスクールバスの転落事故が起きていた。 ミッチェルは有能な弁護士で、事故で亡くなった子供達の親を集めて集団訴訟を起こそうとしていたのだ。 ミッチェルが最初に訪れたのは、モーテルを営むウェンデルとリサ夫妻。 ミッチェルはまず、彼らの弁護をする契約をする。 その後、他に身の綺麗な遺族がいないかミッチェルは尋ねる。 スウィート ヒアアフターのあらすじ【承】 スクールバスの運転手だったドロレスが、ミッチェルの前で証言をしている。 彼女の首にはコルセットが巻かれている。 彼女の話では、インディアンの養子を亡くしたハートリーとワンダのオットー夫妻だけが、いつも両親揃ってバスまで子供を送り届けていたという。 事故の日、ビリーという男がいつものように車でバスの後ろを走っていた。 彼はバスの整備士で、自身の子供もバスに乗せていた。 彼は毎日のように、子供の安全確認のためにバスの後ろを学校まで車で追いかけていたのだ。 ビリーは車の中で、リサに電話をする。 彼はリサと不倫をしていたのだ。 ミッチェルがオットー夫妻を訪れる。 扉を開けたワンダは、悲壮感に満ちていた。 家に入ったミッチェル。 そこにはハートリーもいて、彼も悲壮感を漂わせていた。 ミッチェルは彼らに、子供を失った怒りを言葉に変えて、責任者と戦うと夫婦に伝える。 ドロレスと戦うのかと尋ねるワンダ。 ミッチェルは、戦う相手は他にいると答える。 ミッチェルはその腐った根性を持った人間を叩きのめすためにやってきたのだと熱く語る。 スウィート ヒアアフターのあらすじ【転】 事故の前、ニコールはビリーに頼まれて子供達のベビーシッターをしていた。 その頃、ビリーはリサと抱き合っていた。 ビリーが家に帰り、ニコールは迎えにきたサムの車に乗って帰宅する。 その道中、二人は空き家に寄ると、そこで肉体関係を結ぶ。 いつも逢瀬を重ねていた部屋で、リサとビリーが話をする。 リサは、事故の原因を究明するために弁護士を雇ったと言う。 彼女は、ボルトに手抜きがあったのかもしれないと話す。 それに対しビリーは、あれはただのアクシデントだと強く言い返す。 整備した自分が一番分かっていると、ビリーは自信を持って言う。 バスの転落事故に巻き込まれたニコールは、一命を取り留める。 しかし、車椅子での生活を余儀なくされてしまう。 ミッチェルがニコールを訪れる。 大事な生き証人であるニコールに、事故当時のことを裁判で語って欲しいとミチェルは頼む。 夜中、ガソリンスタンドに停めてあった事故車をミッチェルが調べている。 するとそこへ、ビリーが姿を現す。 ビリーはよそ者のミッチェルのことを良く思っておらず、どこかへ行けとミッチェルを追い払おうとする。 そんなビリーにミッチェルは、薬物中毒になってしまった自分の娘の話をする。 スウィート ヒアアフターの結末・ラスト(ネタバレ) ゾーイから電話がかかってくるミッチェル。 ゾーイは、エイズ陽性という診断を受けたと話す。 町民センターで、ドロリスが事故当時の様子を証言する。 スピード違反はしておらず、ブレーキを踏んだが手遅れだったとドロリスは話す。 ビリーがサムの家を訪れる。 ビリーはサムに、訴訟を取り下げてくれと申し出る。 しかし、それは無理だとサムは断る。 町民センターでの証言を明日に控えたニコールは、その様子を見ていた。 その夜、サムはニコールに、事故があってからどこか心が離れてしまったみたいだと言う。 ニコールは、事故前に二人で追いかけていた夢の話を始める。 証言場に現れたニコール。 そこでサムを見つめたニコールは、ドロリスが猛スピードを出していたという嘘の証言をし、ミッチェルやサムの訴訟を台無しにしてしまう。 証言が終わった後、ミッチェルはサムを非難する。 そして、ニコールの嘘で裁判はもう終わってしまったと落胆する。 二年後、ミッチェルが再び町を訪れる。 空港の駐車場では、ドロリスが元気に働いていた。 この町には、人々が穏やかに暮らすための独特のしきたりのようなものがあるのだった。

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バス事故で思い出す映画「スウィート ヒアアフター」

スウィート ヒア アフター 映画

軽井沢で多くの死者を出したバス事故があった。 激安をうたったバスツアーだったようだが、その運営実体はかなり問題があったようだ 上の記事によると、会社は運転手の健康チェックを怠り、定められた金額以下の値段で仕事を請け負い、社長の遅刻で出発前の点呼もなく、虚偽の書類もあったようだ。 なるほど、このような記事を読んだ読者は「起こるべくして起こった事故」だったのだと納得感を得られるかもしれない。 しかし、こうした大きな事故というものは大抵当事者が亡くなっていることが多い。 実際の事故の瞬間に何があったのか、事後的に把握することは大変な労力なのだろう、先の記事のように周辺事情を並べ立てると、第三者の僕らは事故の必然性を感じる。 こういう事故が報道される度、思い出す映画がある。 1997年のカナダ映画「」(アトム・エゴヤン監督作品)だ。 今回の軽井沢の事故の死亡人数は14人。 この映画の中で起きるバス事故も14人が犠牲になっている。 奇妙な一致なのでより強く思い出した。 カナダの小さな田舎町で、スクールバスの転落事故が起き、多くの子供が命を落とす。 都会からやってきた弁護士のミッチェルは、事故の過失を突き止めようと、町の人々を説得し集団訴訟を起こそうとする。 バス会社がコストカットのため、安い部品を使っていたのではないか、ガードレールの整備は万全だったか。 ミッチェルは「事故は偶然起きるものではない」と言い、町の人々の怒りを「正しい方向」に向けようと説得して回る。 しかし、その訴訟は事故から生き残った少女ニコール(事故の後遺症で車椅子生活を余儀なくされている)の証言によって頓挫する。 事故の真相は究明されず、生存したベテラン運転手のドロレスは、町を離れ、都市部でバスの仕事に就いている。 他の町の住民はそれぞれ穏やかな暮らしを取り戻す。 よそ者の弁護士が正義を執行しようと町にやってきて、人々を訴訟に駆り立てる様をハーメルンの笛吹きになぞらえて物語が進行していく。 よそ者に駆り立てられ、平静な暮らしを失った住民に、再び平穏さを取り戻させるのは、事故の当事者である少女ニコールの嘘の証言であるという、複雑な展開を見せる作品で、一見だけでは理解するのが難しい作品かもしれない。 本作では、周辺事情をあげつらって過失を攻めたて正義はなされた、というような単純な作品にはなっていない。 生存した運転手ドロレスは、ニコールの嘘の証言によって町を追われた。 しかし、彼女はある種の開放感を得てもいる。 タイトルの「ヒアアフター」にはここではない楽園や天国という意味があるが、ドロレスはその町から出て行くことが彼女にとっての安らぎだったのだろう。 本作が示唆するのは、当事者の感情回復と第三者(あるいは社会全体)による正義の執行の両立の困難さだ。 本作では弁護士のミッチェルが社会正義の象徴として描かれる。 現実の事故には、弁護士の他、報道機関や世論も正義を貫徹せよと叫ぶだろう。 今回の事故は多くのニュースが報じているように、多くの過失があったろう。 しかし、過失を犯しながら運営を続けていて、なぜ事故が今回起こって、当事者の方たちがそれに当たってしまったのかは、きっと、どこまでいっても偶然としか言いようがないのだろう。 映画の予告は「正義も行き場を失い、真実さえも時には答えにならない時がある」と言う。 当事者の方々にとっての答えがなにか、僕にはわからないが、「悪役」を叩くということではなく、悲劇的な偶然を減らすための努力は、社会全体としては継続せねばならないのだろう。

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