ありおり。 「しております」「しています」の意味の違いと使い分け

「ありおりはべりいまそかり」とは?意味や使い方をご紹介

ありおり

特に新聞や論文などの文章で、 例えば、 「10年続いており、毎回100人が参加している」 といった「~ており」と書かれる文章を見かけます。 「おり」を使っているのものの、同時に「いる」も使っていて、違和感を覚えます。 新聞などの文章では、表記の統一性が求められると思います。 辞書によると「おる」は 『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。 』 とあります。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」 「10年続いており、毎回100人が参加しておる」 両者を比較すると、「~ていて」のほうが、統一性があり現代風なように思います。 新旧混ざった言い方は様々な場面で見れますが、 新聞などが、古風でかつ、不統一な表記を使用しているのはどうかと思います。 (「~しております。 9でふれた菊地康人氏の『敬語』の記述について。 詳しくは下記をご参照ください。 】 以下は一部の抜粋(重言)。 【引用部】 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。 322) P. 318~のテーマは「おる」。 これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。 当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。 これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。 話は前後するが、途中に興味深い記述がある。 【引用部】 5 [ニュートラルな用法] (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。 また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。 ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉 ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P. 321~322) この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。 よく見聞するのはちょっと違うと思う。 「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。 手元の本を調べまくった記憶がある。 「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。 後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。 とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。 ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。 こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。 【引用部】 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。 333) 「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。 辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。 この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。 この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。 当方の考え方は下記。 間違ってはいないよな。 ドキドキ。 ってことで、下記をどうぞ。 おる おられる おられた おられます【まとめ】 以下は一部の抜粋(重言)。 ================引用開始 本動詞の「おる」のほかに補助動詞の「~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。 辞書の引用は末尾に。 『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。 『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。 〉と明記されている。 この点に関しては『大辞泉』も同様。 これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。 ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。 これが一応の結論。 以降はマニアックな部類に入る話。 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。 かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。 【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? この点について『大辞林』には下記のようにある。 ================引用開始 自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。 時には尊大な物言いに用いられることもある。 ================引用終了 〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。 『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。 そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。 一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。 ところが、〈1〉で見た6 によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。 問題の根が深いorz。 【2】「おります」で丁寧な言い方? 『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。 『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。 〈1〉の1 で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。 「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。 「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。 「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。 「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。 ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。 で、辞書の記述に戻る。 それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。 (略) ================引用終了 中止形の「~おり(、)」と「~いて(、)」。 「~している。 」「~しておる。 」という終止形とはちょっと違う話です。 』は終止形の話でしょう。 現代では「~しておる。 」の形はあまり使われず「~しております。 」の形で謙譲語として使われます(異説もあります)。 中止形の「~おり(、)」は、すでにコメントがあるように、ニュートラルでしょう。 『敬語』でこの話が出てくるのは「~しておられる/おられる」の話の中で、これがまた厄介です。 詳しくはコメントを別にします。 新聞で中止形の「~いて(、)」を使ってますか? 当方の記憶だと、新聞は圧倒的に「~おり(、)」が多い印象です。 どちらが正しいということではなく、どちらも使われます。 「~おり(、)」のほうが昔ながらの言い方なので、言葉を厳格に使う人はこちらを使うようです。 「昔ながらの言い方」は、古風とも言えます。 当方は一応プロのライターですが、もう何十年も「~いて(、)」を使っています。 それでも問題になったことはありません。 一度だけ年配者に「文法的におかしいのでは……」と指摘されたことがありますが、「おかしい」理由はいくら調べても見つからないはずです。 当方は、古くさい言葉づかいがイヤなので避けている言い回しがいくつかあります。 中止形の「~おり(、)」もそのひとつです。 やや古風で格調の高い印象の文章が書きたければ、下記の心得の逆を心がければよいでしょう。 こういうときは、「いい」にはしにくい(泣)。 1 「~である」を使わずに「~だ」を使う(理想を言えば「~だ」もできるだけ使わない) 2 「よい」は使わず「いい」を使う(ex. 「いい方法がある」「こうすればいい」) 3 補助動詞の「ゆく」は使わず「いく」を使う(ex. 問題はこの点だけ) 6 むやみに漢字を使わない 7 結果を表す「と」は使わず「に」を使う(ex. 「~することとした」を「~することにした」にする) 8 「行う」はできるだけ使わない。 とくに過去形の「行(おこな)った」は「行(い)った」とまぎらわしい場合があるので、極力避ける。 みんなで行った花火大会。 個人的には本則ではないことを承知で「行なう」と書くことにしている。 9 重文のつなぎの「~おり」(正確にはなんと言えばいいかわからないorz)は使わず「~いて」を使う。 この件はすでに解決していて、~ 10 接続詞の「また」は極力つかわない だいたい削除できる。 助詞の「も」をうまく使う。 「それもまた一理ある」のような副詞は許容(個人的にはまず使わない)。 #5です。 #6さんがお示しになった菊池康人氏の下記の記述は興味深いですね。 ------------------------------------------------ 「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方と見られる。 ------------------------------------------------ この菊池氏は、たしか文化審議会国語小委員会の副主査だったと思いますが、<敬語の指針>作成メンバーの一員とは思えない記述です。 >「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがある : と言っているわけですが、なぜ「いる」を「おる」と言い換えることができるのか?また、言い換えた場合、どのような差異が意味的、ニュアンス的に生じるのか、という点についての言及がまったくありません。 そもそも、言葉が違えば必ず別の意味やニュアンスが生じるはずであり、そうでなければ別の言葉の存在意義はないでしょう。 単に言いやすいから「おり」を使うという説は腑に落ちないですね。 実際、 >謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方 : とは言っていますが、古風な言い方ではない、とまでは言っていません。 古風な表現を採用することで、である調の歯切れよさを維持しようとした、と考えるのが自然でしょう。 「10年続いてい、」が本来の表現とおっしゃる方もおられます。 それはそうなのでしょうが、先述いたしましたように、「10年続いており、」とまったく同じ意味、ニュアンスにはならないはずです。 「古風な言い方」というのは、言葉を変えれば「改まった言い方」です。 「改まった言い方」というのは、必然的に尊大に使うこともできますし、明快に歯切れ良く使うこともできます。 その意味で、軽快に述べたい場合には適した表現だと言えるでしょう。 (むろん、古風な言い方のすべてが適していると言っているわけでないことはご理解いただけると思います) とは言うものの、#4さんや#6さんがおっしゃるところの、連用中止法という用語は勉強になりました。 #5で、わたしは、 ----------------------------------------------------- 「10年続いていて、毎回100人が参加している」の場合は、である調であるにも拘わらず「歯切れの良さ」が減少してしまうだけでなく、重複による語感の悪さも伴うことになります。 ----------------------------------------------------- と述べました。 「歯切れの良さ」が減少してしまうのは、「おる」ではなく「いる」を使っているため、としたわけですが、これに加えて、接続助詞「て」を使っているため、であることがわかります。 #4さんがすでに指摘されていますが、この「ている」は、下記辞書の、 7 (補助動詞)動詞連用形に接続助詞「て」が付いた形に付く。 ア 動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。 「猫が鳴いている」「花が咲いている」 という用法です。 「10年続いて現在に至っている。 【そして】、毎回100人が参加している」というニュアンスになります。 この【そして】が勢いを削いでしまい、歯切れの良さが減少するわけです。 「おる」は古風な言い方でもありますが、聞き手に対して丁重な表現をするという謙譲語2でもあります。 下記辞書の1-イが前者であり、2が後者です。 謙譲語2は現役表現ですが、それとは別に古風な言い方、という用法もあるわけで、これらを同列に論じようとすると収拾がつかなくなります。 これは#1さんが「現役の表現方法」とされ、さらに#4さんが「単純な回答をすれば…」としてご指摘の通りなのです。 古風でも、である調でも、尊大なわけでも、不統一なのでもありません。 日本語学習者など、日本語が不慣れな人限定の「テ形 te-form 」で済ますところですが、実際には「い(補助動詞連用形)」+「接続助詞「て」の2語から成っており、この接続助詞「て」を加えるとアスペクトも変化し、順次成立型へと限定拘束されてしまうきらいがあるからです。 本来は「10年続いてい、」とすべきなのですが、実際作家などはそういう遣い方もするのですが、この新聞記事のように「10年続いており、」と記して余計な接続助詞の介入を排除し、連用中止法を守って文脈を自然にするのが一般的なやり方なのです。 参考:菊池康人「敬語」講談社学術文庫 「標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方と見られる。 また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず」をニュートラルに使う人もいる。 」(322頁) これは、である調の文ですね。 丁重さよりも歯切れの良さを重視しているのでしょう。 「歯切れの良さ」を重視する場合、「古風な表現」も有効になるため「おる」が採用され、 「10年続いており、毎回100人が参加している」という文になった。 「参加しておる」を使わないのには、2つの理由があると思います。 文末なので、尊大な表現になってしまうから。 また、前の「おる」と重複し語感が良くないから。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」の場合は、である調であるにも拘わらず「歯切れの良さ」が減少してしまうだけでなく、重複による語感の悪さも伴うことになります。 因みに、文化審議会<敬語の指針>で、「おる」は謙譲語2に分類されています。 18&28ページ 謙譲語2とは、聞き手に対して丁重な表現をするという用法の敬語で、丁重語とも呼ばれます。 生徒が聞き手である先生に対して「昨日はずっと部屋にいました」ではなく「昨日はずっと部屋におりました」と言うのが謙譲語2の敬語表現です。 性質上、基本的に丁寧語を伴って使います。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」を聞き手(読み手)に丁重に伝えるためには、謙譲語2を使い、 「10年続いていて、毎回100人が参加しております」と表現します。 ただ、これは、です・ます調の場合。 新聞記事とは異なり、歯切れの良さには重点が置かれていないため、「続いており」と古風な表現をする必要がありません。 また、「参加している」ではなく丁重表現の「参加しております」を使うため、「ている」の重複も避けられ、自然な表現になります。 質問者がおっしゃることも、3人の回答者のおっしゃることも、いずれもうなずけるところがあり、やはり「いる」「おる」の問題は根が深いようです。 単純な回答をすれば、「おる」は「おり」という(連用形)中止法が使えるのに対し、「いる」の連用形は「い」ですから、そこで止めるためには「い、」で切ることになります。 しかし「いる」だけは「い、い、い」 例えば「人がい、犬がい、猫もい、」のように のようには使えません。 これは、No. 2のかたがおっしゃるように「不自然な言い方」にも聞こえます。 「て」を付ければいいとも考えられますが、実はNo. 1の方が触れられたように「ている」というのは別の意味を表します。 いわゆる「アスペクト」でいう、「動作が完了した状態が残っている」または「動作が引き続き行われている」ことを表す言い方でもあるのです。 そうしたことは、「おり」を使えば直ちに解決できるという理由があります。 しかし、質問者のおっしゃるように、「おる」は共通語の立場からすれば、ちょっと異様なな印象を与えるでしょう。 辞書の説明に『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。 』とあるようですが、「尊大」という印象は「武家言葉」の「おり申す」などから来るのでしょう。 「い申す」とは言いにくかったのです。 ある大学教授が「関西の先生方は、どうして『おられる』という言葉を平気で使われるのでしょう」と発言されたのを聞いたことがあります。 実は共通語からすれば、「おる」は「いる」の謙譲語だといわれます。 その謙譲語に「れる」を付けて敬語のように使うのが腑に落ちないということですね。 今日のテレビで、元首相の細川氏が「言っておられることと、やっておられることが違う」と現首相を批判されていましたが、やはり関西出身だなと思いました。 古文の勉強をしたとき、「あり・をり・侍り・いますかり」とラ変動詞を覚えたものですが、この「あり・をり」こそが古い時代の「存在動詞」でありました。 (現代の存在動詞は「ある・いる」)この「をり」が「おる」に変化しました。 一方、「いる」という動詞も上一段活用としてありました。 どうして、「をり」と「いる」の両方が存在したのかというと、「いる」は別の意味を表していました。 人間で言えば「座る」の意味です。 (鳥などで言えば「とまる」の意味。 )そして「立つ」に対応する意味でもありました。 今も残る「立ち居振る舞い」「居ても立ってもいられない」はその名残です。 また「月」を表す言葉で「いざよい月」「立ち待ち月」「居待ち月」「寝待ち月」(臥し待ち月とも)と続きますが、「立って待つ」「座って待つ」「寝て待つ」と一日ずつ月が出る時間の遅れを表しています。 この「いる」が実は関東方言として定着し、後に江戸では現在の存在動詞と同様に使われました。 政治経済の中心が江戸に移って以後は、全国の各藩の武士たちも参勤交代などによって江戸に住むものも増え、武士以外の人々も各地から集まって、ちょうど近世英国のロンドンにおける「言葉の坩堝(るつぼ)」状態と似た状況になりました。 英国で「キングズ イングリッシュ」が生まれたのと同じ現象が、江戸時代から東京時代にかけて起こり、明治期に「標準語」と名づけただけの理由はあったわけです。 多分に「江戸っ子弁」とも言うべきものが残ってはいますが。 しかし、京・大坂などでは「おる」を使い続けてきました。 「家にいるか」を関西では「家におるか」というのが普通です。 方言に聞こえたり、古い言葉に思えるのは、当然のことです。 「イルカ、オルカ」と動物の名の語呂合わせにもなるところですね。 一部で「言っちょる」(薩摩弁?)もあったようです。 以上、「いる」と「おる」についての考察でした。 文法的な内容は書かず、(多くの人が感じるが認識していない)無意識的な部分を書いていきます。 ほとんどの人は文法的な内容などは考えず、自分がその時(聞いた時)に感じた感覚を元に話しているからです。 「あり」と「いて」の違いですが、これは文章の位置によって変わってきます。 今回の文章の位置とは、「途中」(あなたが挙げられた文章では「、」付近)と「最後」つまり「。 」があるところです。 「途中」に関しては、「おり」のほうが品があり少しそこで「区切り」がつくようになります。 それに比べ「いて」は前後の内容がつながれることが前提であり、すぐに後ろの言葉を話す(聞く)ことが求められます。 そのため、お寺やお城や貴族・皇族などの重厚感がある場面では「おり」が使われ、スピード感が求められるスポーツの実況などは「おり」は使われにくく、通常は「いて」や省略されやすいです(「続いていて」も「続いて」になります)。 一方「最後」では「おり」は現代語では「おる」になりますが、「おる」は古風というより「年配者が使う言葉」になります(また、関東人には「関西人が使う言葉」にも感じます)。 一方「いる」には特別な感覚はありません。 そのためか、おなじセリフでも「おる」にしただけで年寄りっぽくなります(たいていは語尾に言葉を追加して「おるんじゃ」などになりますし、関西人は「おるんや」になります)。 「おる」にこうした意味が付加された経緯はわかりませんが、感覚的にこうしたことを読み取り(音質的にそうした特徴があるかもしれません)それを使い続けているのが、こうした感覚が続いている理由ではあるでしょう。 「おる」自体に年寄り要素があるというより、年寄りがよく使う言葉が「おり」であり、その結果「おり」に年寄りくささがついた というものです。 比較するならこんな感じです。 「10年続いておって、毎回100人が参加しておる」 2. 「10年続いていて、毎回100人が参加している」 3. 「10年続いており、毎回100人が参加しておる」 4A. 「10年続いてい、毎回100人が参加している」 4B. 「10年続いており、毎回100人が参加している」 1. が対応します。 は古風あるいは方言のような感じです。 は格調高さがありません。 と4A. が対応します。 と同様に古風あるいは方言のような感じです。 は不自然な言い方です。 4Aの代わりに4Bを使うと 不自然さはなくなり,かつ程よい格調の高さが生まれます。 には統一性があり現代風だとは思いますが,少し幼稚に聞こえます。 この回答への補足 「おる」と「いる」は「デジタル大辞泉」の解説 を見ました。 「…ている」の古風な、または尊大な言い方。 ア:動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。 「猫が鳴いている」「花が咲いている」 イ:動作・作用の結果が、続いて現在もあることを表す。 「枝が枯れている」「窓があいている」 ウ:現在の状態を表す。 「彼の気持ちはもう変わっている」 とありました。 外国の友達から次のような内容のメールをもらいました。 「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語を勉強して、今年からあなたとメールのやり取りをしています。 」 そこで、「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強し、今年からあなたとメールのやり取りを始めました。 」と訂正してあげました。 (この文章も何だか変なのですが・・・) するとその友達から『「勉強して、・・・。 」と「勉強し、・・・。 」の違いを教えて欲しい」』と言われました。 私なりに考えてみた結果、 「~て、~て」では、同じような表現の繰り返しになってしまい、幼稚な 感じになってしまうので避けたほうが良い。 むしろ、「~て、~て」と繰り返すよりも「雇って、」の句点を取ったほうがスッキリする。 「勉強し、」 ; 動詞「勉強する」の連用中止形。 で、良いのでしょうか? 意味にはほとんど違いは無く、中止形の方が書きことば的だと思うのですが、どうなのでしょうか? 一生懸命日本語を勉強している人に(私よりも目上の方です)対して、 「幼稚な文です。 」と言ったら気分を害されてしまうでしょうか? 長文になってしまい申し訳ありません。 ぜひ、ご意見をお聞かせください。 宜しくお願いします。 「~し、」と「~して、」の違いを教えて下さい。 外国の友達から次のような内容のメールをもらいました。 「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語を勉強して、今年からあなたとメールのやり取りをしています。 」 そこで、「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強し、今年からあなたとメールのやり取りを始めました。 」と訂正してあげました。 (この文章も何だか変なのですが・・・) するとその友達から『「勉強して、・・・。 」と「勉強し、・・・。 」の違いを教えて欲しい」』と言われました... A ベストアンサー たしかに、ひとつの文に「て」が複数あると、見苦しく感じる場合はあります。 ただし、その前に、 「雇って」は「勉強して」を修飾しています。 このような修飾する/されるの関係がある場合は、修飾する側の動詞に「て」を付けないといけません。 よって、 「雇って勉強し」か「雇って勉強して」のどちらかに絞られます。 ここで、「て」が2箇所あると不自然だという考え方を適用して、 「雇って勉強し」 のほうが望ましい、ということになります。 ただし、口で言う場合は、「雇って勉強して」のほうが普通ですね。 本題とは離れるかもしれませんが、 複数の動詞を羅列する場合は、 (話し言葉) 「新宿までバスで行って、山手線で渋谷まで行って、田園都市線でニコタマまで行って、駅から5分歩いて」 (書き言葉) 「新宿までバスで行き、山手線で渋谷まで行き、田園都市線でニコタマまで行き、駅から5分歩き」 ですね。 「勉強し、」 ; 動詞「勉強する」の連用中止形。 で、良いのでしょうか? よいです。 たしかに、ひとつの文に「て」が複数あると、見苦しく感じる場合はあります。 ただし、その前に、 「雇って」は「勉強して」を修飾しています。 このような修飾する/されるの関係がある場合は、修飾する側の動詞に「て」を付けないといけません。 よって、 「雇って勉強し」か「雇って勉強して」のどちらかに絞られます。 ここで、「て」が2箇所あると不自然だという考え方を適用して、 「雇って勉強し」 のほうが望ましい、ということになります。 ただし、口で言う場合は、「雇って勉強して」のほ... A ベストアンサー 格助詞「に」と「と」の違いですね。 この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。 「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。 「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」 「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。 「すったもんだの末、結局彼が村長となった。 また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。 html Q 私は社会人歴7年、ひととおりのビジネスマナーはまあまあ覚えていたつもりなのですが、実は未だにちょっと分からないことがあります。 例えば、仕事上で相手の会社に電話をかける際、はじめに目的の人物以外が電話に対応する場合のはよくあることですね。 振り返って思い出してみると地元の人たちで「おられますか?」を使うのを殆ど聞いたことが無い気がします。 どちらかと言えば、他県、それも関西方面の人たちが「おられますか?」をよく使っていたような…。 私は新社会人当時、関西の言葉を話す社員が多い会社にいたので、「おられますか?」は耳に馴染んでいて、今でもその時々によって「いらっしゃいますか?」と合わせて半々に使います。 A ベストアンサー 学校文法的に言えば、 敬語には尊敬語、謙譲語、丁寧語の三種類があります。 「おる」は謙譲語です。 したがって、これに尊敬語の助動詞「られる」をつけるのは間違いです。 ということになります。 私もそのように教えられた覚えがあります。 しかし、「おる(をる)」は元々謙譲語というより丁寧語であって、これに「られる」という助動詞をつけて尊敬の意味を表わすことは、何ら間違いではないと言う説もあります。 このことについて、説得力のある説明をしているサイトを見たことがあります。 文部省や国語審議会の言うことなど、学問的にさほど権威があるとも思えません。 ただ、学校の試験などでどう答えるか、ということが問題ならば、彼らのいうことが金科玉条ですが。。。 alc. html A ベストアンサー 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。 それも「かかわる」でなく「かかる」です。 「人命に係 かか る問題」「係 かか り結び」など。 前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合 常用漢字の基準では 「係わる」でなく「かかわる」です。 結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。 漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。 ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。 漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。 一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的 「関わらない」「係わらない」 にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。 ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。 念のため。 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい... A ベストアンサー 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか? ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、 私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。 「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。 これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。 1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。 」 2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。 」 1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。 2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。 1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。 」 2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。 」 これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。 2は素直な人が話しているなら単なる並列。 ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。 とまあ、こんなところです。 前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。 色々な回答がつくといいですね。 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか?... A ベストアンサー かなりややこしい問題です。 はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。 ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。 大辞泉では、 「はじめ【始め・初め】 5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多くの中で、主となるもの。 また、先に立つもの。 つまり、5の文例は「初め」を慣用とするとしているようです。 岩波国語辞典では、 「はじめ【始め・初め】」としているだけで、特にどちらを が 用いる・用いられるかは明確にしていません。 ただし、副詞に限っては「初め」としています。 新明解国語辞典 「はじめ【初め】」として、末尾に「「始め」とも書く」としています。 Windows付属のIMEでは、 始め: [一般的][物事に関して][動詞的] 初め: [時間に関して][副詞的] としています。 IMEだけは、はっきりと「校長を始めとして」と用例をあげています。 しかし根拠は ? です。 漢字の由来としては、 「始」は「終わり」に対する「始め」の意味だけです。 [始皇帝、終始、始終、始末、始めは処女のごとく後には脱兎のごとく] ま、大辞林のとおりですね。 IME他、時間的な始まりと物事の始まり、という分け方をしているものを時々みかけますが、どうでしょうか。 「並んでいる一番目」「第一の」というようにとらえれば「初め」になるようです。 初恋、初陣、初夜などは時間とばかりはいえないでしょう。 少なくとも、「社長をはじめ、職員の…」であれば「はじめ」は動詞・連用形と考えられるので「始め」になります。 しかし、「社長をはじめとする職員の…」となると「ははじめ」は名詞ですから、やはり ? です。 歯切れのいい回答にならず申しわけありません。 かなりややこしい問題です。 はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。 ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。 大辞泉では、 「はじめ【始め・初め】 5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多く... A ベストアンサー #3です。 ビジネス文書なので簡潔な言い回しがふさわしいでしょう。 #4さんのおっしゃる ・ご案内いたします ・ご手伝いいたします ・ご返却いたします ですが、 「ご案内」「お手伝い」は 「ご挨拶」「お電話」などと同様、 丁寧語として耳慣れています。 例えば、「おみおつけ」(味噌汁)などは丁寧部分をとると 「つけ」だけになりますしね。 でも、「ご返却」の場合、 「ご出席」「ご意見」「ご確認」などに「致します」が続くと 変に思うように、 自分の行動に「御」をつけるなんて・・・となると思うのですが、 如何でしょう? 「致します」に繋げるところに問題があるのでしょうね。 変に感じたら、続くことばで工夫ですね。 「ご返却させていただきます」なら、変じゃないですよ。

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お店からの再度お願い

ありおり

突然ですが、皆さんは自分の発した言葉や作成した文章を、100%理解していますか。 「当然理解している」という方がほとんどでしょう。 しかし、ビジネスの場においてはどうでしょうか。 ビジネスの場で、いつも友人や家族に話すような口調をそのまま使う人はいないはずです。 それはメールや資料など、文章になっても同じことが言えます。 今回ご紹介する言葉は、ビジネスの場において頻繁に使われる言葉「しており」です。 ビジネスに限らず、日常のいたるところで聞く言葉です。 動作を表す敬語であり、日常で使う頻度も高い言葉です。 言葉の意味と活用、使い方などをしっかり覚えて正しい日本語を使いましょう。 次から、「しており」の意味と使い方をご紹介します。 「しており」の意味とは? 「しております」の意味がわかったところで、次は実際に「しており」の使い方について学んでいきましょう。 上司や取引先、お客様など、敬語を使う機会は頻繁にあります。 意味がわかっていても、スムーズに使えないと「敬語を知らないんだな」という悪い印象を与えかねません。 どのような場面で使うことが多いのか、例を挙げてご紹介します。 ・ご無沙汰しており、申し訳ございません ご無沙汰の「沙汰」とは、「消息」や「便り」を表す言葉です。 文字どおり「挨拶や便りを送らず消息を伝えられていなかった」という非礼を詫びた言葉になります。 最近では、単純に「お久しぶりです」という意味で「ご無沙汰しております」と使われる場面も多いです。 久しぶりに会った取引先や、贔屓にしてもらっていたお客様には「ご無沙汰しており、申し訳ございません」と伝えた方が好印象でしょう。 ・この製品はわたくしもすでに試飲しており、効果を実感しております。 「すでに試飲していて」という意味と、「実感している」という意味の2つの言葉が、それぞれ「しており」で表されているのがお分かりいただけましたでしょうか。 このように、現在行っているだけでなく、過去にすでに行っていた状態のことも「しており」と表すことができます。 ・ただいま店内が大変混雑しており、ご迷惑を掛けしております。 混雑している理由が自分ではなく「お客様」だった場合でも、自分の店を指して言う場合はこのように謙譲語で表現します。 この場合の「しており」は、「今も現在進行形でしているので」という意味が含まれています。 接客業やサービス業の方はとくに「ただいま在庫が欠品しており」「レジに5千円札が不足しており」などお店の状態を表すときに多く使う言葉でしょう。 「しておりません」の使い方 「しており」の意味や使い方がわかったところで、ここからは「しており」を活用した言葉の使い方をご紹介します。 まずは、否定を表す「しておりません」という表現。 こちらは現在進行形で行っていない、という意味になります。 「受け付けていない」と拒否を表すときにも使われる言葉です。 ・こちらの商品は、現在販売しておりません 欠品ではなく、販売自体をしていないという否定の言葉。 しかし、言い切りで文章を終えると相手にきつい印象を与えてしまう恐れがあります。 その場合は、「こちらの商品は、現在販売しておりませんが〇月ごろ入荷を予定しております」「現在販売しておりませんが、販売の目途が立ちましたらご連絡いたしましょうか」と情報を付け加えることで、文が柔らかい印象になるでしょう。 ・現在、弊社では求人の募集はしておりません 他にも「弊社では新規会員の受付はしておりません」など、「現在わが社では行っていない」という旨を相手に伝えるときに使います。 相手に柔らかい印象で伝えたいときには、文頭に「誠に申し訳ございませんが」「恐れ入りますが」といったクッション言葉をつけるといいでしょう。 「しておりませんでした」の使い方 こちらは、前述の「しておりません」という現在進行形の否定に対して、「していなかった」「できていなかった」など過去の行いを指す言葉です。 相手から問われた件に対して「まだしていなかった」と伝えるときに使います。 会社全体の意向を伝える際にも使う「しておりません」に対して、「しておりませんでした」は個人的な行いを指す場合に多く使われます。 ・この件に関しては把握しておりませんでした 上司や取引先から指摘を受け、「現在まで把握をしていなかった」という状況のときに使います。 何か重要なことを、意識的に「やらなかった」という方はまずいないでしょう。 「誤認で」「双方に食い違いがあり」といったニュアンスが含まれた言葉です。 「しておりますため」の使い方 現在行っている事柄を相手に伝え、その上でさらに何かを伝えたいときに用いる言葉が「しておりますため」といった言い回しです。 ただ、「もう少々お待ちいただけますでしょうか」と伝えるよりも、そうなる理由を事前に述べることで相手に納得してもらいやすくします。 他にも、「こちらの商品ですが、容器が破損しておりますため新しいものをお持ちいたします」など、報告と提案を同時に行う際にも使える言い回しです。 ・部長の鈴木は席を外しておりますため、折り返すよう申し伝えます 会社内の人間や会社のことを説明する際にも使えます。 他にも、「現在エスカレーターは使用を停止しておりますため、エレベーターをお使いいただけますでしょうか」など、相手に不都合を与える場合にも使える言葉です。 「しており」とは「している」の謙譲語です。 ビジネスシーンにおいて、自分や自分の会社を指す場合に使う謙譲語は、もっとも使うといっても過言ではありません。 相手の立場を低める誤った敬語は厳禁ですが、同じように自分の立場を高めてしまうのもマナー違反です。 謙譲語と尊敬語はセットで覚えて、どんなシーンでもスムーズに使えるように心がけましょう。 次から、「している」のように動作を表す謙譲語をいくつかご紹介します。 とくに頻繁に使うものなのでしっかり覚えておきましょう。 「言う」の謙譲語 「言う」の謙譲語は「申し上げる」です。 「現況を申し上げますと」「先ほど申し上げましたように」と自分の意見を言う場合に使います。 ビジネスの場で頻繁に使われるので覚えておきましょう。 反対に、尊敬語として目上の方に使う場合には「おっしゃる」になります。 「見る」の謙譲語 「見る」の謙譲語は「拝見する」です。 取引先の相手から、「弊社の製品はご覧になりましたか」と聞かれた場合には、「はい、拝見いたしました」と返答します。 間違っても「はい、ご覧になりました」と答えないようにしましょう。 手紙やメールの場合には、読んで内容を確認したという意味合いも含めて「拝読しました」と伝えるのがベストです。 「行く」の謙譲語 「行く」の謙譲語は「伺う」です。 他にも、「伺う」は「聞く」の謙譲語でもあるので「よろしければ、わたくしがご用件お伺いいたします」といった使い方もできます。 反対に、「行く」の尊敬語は「いらっしゃる」「おいでになる」です。 自分の言葉を理解してから相手に伝えよう.

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ビジネスでの「ご無沙汰しております」の最適な使い方〜「お世話になっております」との併用の仕方

ありおり

「ありおりはべりいまそかり」とは、 日本語の古語でラ行変格活用をする動詞をまとめて読み上げたものです。 完了の助動詞を「きけりつぬたりたしけむ」と連続して読んで覚えたりもするように、よくある語呂合わせのようなものです。 「ありおありはべりいまそかり」に含まれる動詞は以下の4つです。 共通するのは「いる」という意味を持つことですが、敬語表現が違っていたりします。 動詞 他の表記 敬語 意味 あり 存在する おり をり いる、座っている はべり 謙譲 お側に控える、伺候している 丁寧 あります、ございます いまそかり いまそがり、いますかり、いますがり 尊敬 いらっしゃる、おいでになる 【例文】• 今は昔、竹取の翁というもの ありけり(今となっては昔のことだが、竹取のお爺さんという者がいた)• 立てれども をれどもともに戯れ(立っていても座っていても、一緒に遊び戯れ)• 宰相中将、左大弁など はべりたまひて(宰相中将、左大弁などが伺候なさって)• 歌一首、作りて はべり(歌を一首作ってございます)• 才も賢く いまそかり。 (学識も優れておられる).

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