田中眞紀子のプロフィール• 名前:田中眞紀子• 生年月日: 1944年1月14日 年齢 74歳• 出身地:新潟県柏崎市• 最終学歴:早稲田大学商学部卒業• 父:第64、65代内閣総理大臣 田中角栄• 結婚:1969年に田中直紀と結婚 <議員になる前> 大学在学中は演劇サークル劇団木霊に所属。 同期には久米宏や長塚京三がいました。 大学卒業後は劇団雲に所属し、舞台に多数出演しますが結婚を機に引退しています。 母はなが体が弱かったことや眞紀子が高校時代にアメリカ留学の経験もあることなどから、父・角栄が首相在任中は海外視察にも同行するなどファーストレディとしての役目を果たしていました。 ただし子供の頃や政界入りする前は角栄と対立する事も多く、進学先や田中直紀(旧姓:鈴木)との結婚などは角栄の反対を押し切り決めたといいます。 <自民党時代> 1994年に1年生議員ながら当時の村山内閣の科学技術庁長官として初入閣して話題を呼びました。 その後も発言が超ストレートで毒舌なためか国民的人気を博しましたが、政治家として目立った実績を残したわけではありませんでした。 <民主党時代> 2009年8月、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。 当時の民主党代表鳩山由紀夫は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と発言しました。 同年9月鳩山内閣が成立すると衆議院文部科学委員長に就任しますが2011年の民主党代表選挙では投票権が与えられず、同年9月の野田内閣成立に伴い外務委員長に就任します。 2011年野田第3次改造内閣で文部科学大臣に任命され、第1次小泉内閣以来11年ぶりに3度目の入閣を果たしました。 同年11月、2013年春に開学を予定していた大学3校を「大学が多すぎ、質が低下している」と発言し認可しなかったことから関係各所を巻き込んだ騒動に発展しますが結局文科省は11月8日、新規3校についても正式に認可しました。 田中眞紀子の性格 見るからに意志の強そう、というかはっきり言って怖い面立ちの田中眞紀子ですが、幼少時代から父角栄にそれは大事に育てられたようです。 眞紀子には一つ違いの兄がいましたがその兄は小児結核により5歳で夭折しています。 それからは兄に代わり眞紀子を跡取りにと蝶よ花よと育てられました。 眞紀子が3歳の時に角栄は衆議院議員に初当選し、父親の権力が次第に増していく中で人格を形成していくのですが、今でも「オヤジ(角栄)唯一の失敗は、娘を教育しきれなかったことだ。 」というのが、田中家に関わった大方の人々の共通認識となっているのです(!) エピソード1 当時目白の田中邸には10人以上の書生さんやお手伝いさんが常駐していたといいますが、 お手伝いさんが鍵をかけ忘れても、電気を消し忘れても、家の中の小銭がなくなっても、真紀子によって猛烈な犯人さがしが行われるのです。 疑いをかけられ、面罵され、身におぼえがないのに、泣きながら謝罪させられる彼女たちは、結局、辞める道を選びます。 罰として、素っ裸で母屋の階段を昇り降りさせられたり、雨の中、玉砂利の上で正座させられて謝まらされたお手伝いさんもいます。 角栄さんが元気だったら、とても考えられないことでした」 出典 エピソード2 あるお手伝いが、食卓にカレーを運んでいた時のことである。 「その時、お手伝いさんが皿を落として割ってしまったのです。 その瞬間、真紀子さんが激昂し、食卓にあったカレーをお手伝いにかけたのです。 彼女はギャーといったままうずくまってしまった。 彼女は顔の半分に熱いカレーを浴びて、火傷してしまうのです。 もちろん彼女はお手伝いを辞めますが、悲劇なのは、その跡が今も赤いケロイドになって残っていることなんです。 彼女はその後、誰とも接触せず、沈黙を続けていますが、お手伝いさんの中にはそのことを知っている人もいるんです……」(古参秘書) 出典 なんと田中眞紀子さんてこんな人だったんだと調べていくうちに私も動揺してしまいました。 ひどい話だと思いませんか?こんなこと人として許されるのでしょうか。 なんでも母親のはなさんが子供時代に中耳炎を患い耳が少し遠かったことや、角栄とは子連れの再婚ということもあり家庭内では控えめで、自分の思い通りにならないとすぐヒステリーを起こす子供だったという眞紀子は、母親を影の薄い存在と見なし大きくなるにつれていつの間にか母親の方が逆に娘にすがるような関係になっていったというのです! 母親に向かって、学歴がない、とか、人前でなにもできない、ということを直接言っていたところを聞いた人もいたそうです。 子供の頃から強大な権力を持つ父親に大事にされ過ぎて、普通の感覚が育たなかったのでしょうね。 そして思春期に、角栄には囲っている女性が何人もいて、別に子供までいることを知った時の衝撃が、それまでの彼女の性格形成の上で決定的なものになったと私は思うんです。 自分以外に父親が愛情を注ぐ対象が存在し、そのことを母親が許しているという現実をまのあたりにして、彼女はどう思ったでしょう。 その怒りは狂うほどだったのではないでしょうか。 生まれた時から女王様だったわけですから。 のちに角栄は 直紀(注・夫の田中直紀参院議員)はえらい。 あんなヤツとよく一緒にいてくれるよ。 跡継ぎまでこさえてくれて。 オレなら20分も一緒にいられない」と語ったそうです。 田中眞紀子の現在 2012年12月6日の、第46回衆議院議員総選挙で父の時代からの強固な地盤だった新潟5区で自民候補の長島忠美(ながしまただよし)に3万票近い差をつけられ次点で落選し、比例復活もならず議席を失いました。 父・角栄の死去からちょうど19年になる命日のことでした。 この「角栄の命日」というのがちょっと驚きです。 もちろん単なる偶然かもしれませんが、角栄がやめさせたのかも。 本人は「この地域に責任がある」と発言し政界引退は否定しましたが、その後の選挙は出馬を見送っている状態です。 田中眞紀子は発言が毒舌でマスコミに取り上げられ騒がれやすいけれども単なる個人の「悪口」や人格への「中傷」が多く、作家の曽野綾子も「マスコミにもてはやされる才能を持ち、夫に対しても献身的なようだが、政治家には向いていない」と評しています。 夫田中直樹は今どうしてる? さて夫の田中直紀は現在どうしているのでしょう。 田中直紀は金沢市出身、慶應義塾大学法学部政治学科卒、元民主党議員で現在は新潟在住で越後交通の代表取締役をやっています。 田中眞紀子との間には3人の子供がいます。 長男田中雄一郎 田中雄一郎プロフィール• 1993年慶應大学経済学部卒業• 職業:公認会計士• 1998年10月:税理士登録 2004年税理士法人トラスト設立、代表社員・CEOとなる。 トラストFAS株式会社取締役会長、株式会社ビジネスビジョン代表取締役会長。 株式会社ファンダンゴ監査役、加賀電子株式会社監査役を務めています。 長男田中雄一郎は学生時代に恋仲になった女性と結婚したのですが、眞紀子の支援者であり新潟の老舗の和菓子屋の娘との見合いを進めようとしていた眞紀子の怒りを買い、「出て行け!」となりそのまま家を出たそうです。 賢明ですね。 長女田中真奈子 2004年に結婚わずか4年で離婚したそうです。 親の反対を押し切っての結婚だったといいますが、離婚後ロサンゼルスから一人ひっそりと帰国しているとのことです。 親の反対を押し切っての結婚とは母親にそっくりですね。 当時の文春のスッパ抜きに怒りをあらわにし、私人なのにと訴えを起こしたそうです。 彼女が私人か公人かということで世間でも話題になったということですがその後どうしているかはわかりませんでした。 田中眞紀子にはもう一人次女がいますが次女に関しての情報は見つかりませんでした。 まとめ いかがでしたか? 田中眞紀子の歯に衣着せぬしゃべりが豪快で、さすが角栄の娘ともてはやされていた時代がありましたが、実はこんなに底意地の悪い、まさに「裸の女王様」だったなんて。 ショックと同時に妙に納得できる気もします(!).
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田中眞紀子のプロフィール• 名前:田中眞紀子• 生年月日: 1944年1月14日 年齢 74歳• 出身地:新潟県柏崎市• 最終学歴:早稲田大学商学部卒業• 父:第64、65代内閣総理大臣 田中角栄• 結婚:1969年に田中直紀と結婚 <議員になる前> 大学在学中は演劇サークル劇団木霊に所属。 同期には久米宏や長塚京三がいました。 大学卒業後は劇団雲に所属し、舞台に多数出演しますが結婚を機に引退しています。 母はなが体が弱かったことや眞紀子が高校時代にアメリカ留学の経験もあることなどから、父・角栄が首相在任中は海外視察にも同行するなどファーストレディとしての役目を果たしていました。 ただし子供の頃や政界入りする前は角栄と対立する事も多く、進学先や田中直紀(旧姓:鈴木)との結婚などは角栄の反対を押し切り決めたといいます。 <自民党時代> 1994年に1年生議員ながら当時の村山内閣の科学技術庁長官として初入閣して話題を呼びました。 その後も発言が超ストレートで毒舌なためか国民的人気を博しましたが、政治家として目立った実績を残したわけではありませんでした。 <民主党時代> 2009年8月、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。 当時の民主党代表鳩山由紀夫は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と発言しました。 同年9月鳩山内閣が成立すると衆議院文部科学委員長に就任しますが2011年の民主党代表選挙では投票権が与えられず、同年9月の野田内閣成立に伴い外務委員長に就任します。 2011年野田第3次改造内閣で文部科学大臣に任命され、第1次小泉内閣以来11年ぶりに3度目の入閣を果たしました。 同年11月、2013年春に開学を予定していた大学3校を「大学が多すぎ、質が低下している」と発言し認可しなかったことから関係各所を巻き込んだ騒動に発展しますが結局文科省は11月8日、新規3校についても正式に認可しました。 田中眞紀子の性格 見るからに意志の強そう、というかはっきり言って怖い面立ちの田中眞紀子ですが、幼少時代から父角栄にそれは大事に育てられたようです。 眞紀子には一つ違いの兄がいましたがその兄は小児結核により5歳で夭折しています。 それからは兄に代わり眞紀子を跡取りにと蝶よ花よと育てられました。 眞紀子が3歳の時に角栄は衆議院議員に初当選し、父親の権力が次第に増していく中で人格を形成していくのですが、今でも「オヤジ(角栄)唯一の失敗は、娘を教育しきれなかったことだ。 」というのが、田中家に関わった大方の人々の共通認識となっているのです(!) エピソード1 当時目白の田中邸には10人以上の書生さんやお手伝いさんが常駐していたといいますが、 お手伝いさんが鍵をかけ忘れても、電気を消し忘れても、家の中の小銭がなくなっても、真紀子によって猛烈な犯人さがしが行われるのです。 疑いをかけられ、面罵され、身におぼえがないのに、泣きながら謝罪させられる彼女たちは、結局、辞める道を選びます。 罰として、素っ裸で母屋の階段を昇り降りさせられたり、雨の中、玉砂利の上で正座させられて謝まらされたお手伝いさんもいます。 角栄さんが元気だったら、とても考えられないことでした」 出典 エピソード2 あるお手伝いが、食卓にカレーを運んでいた時のことである。 「その時、お手伝いさんが皿を落として割ってしまったのです。 その瞬間、真紀子さんが激昂し、食卓にあったカレーをお手伝いにかけたのです。 彼女はギャーといったままうずくまってしまった。 彼女は顔の半分に熱いカレーを浴びて、火傷してしまうのです。 もちろん彼女はお手伝いを辞めますが、悲劇なのは、その跡が今も赤いケロイドになって残っていることなんです。 彼女はその後、誰とも接触せず、沈黙を続けていますが、お手伝いさんの中にはそのことを知っている人もいるんです……」(古参秘書) 出典 なんと田中眞紀子さんてこんな人だったんだと調べていくうちに私も動揺してしまいました。 ひどい話だと思いませんか?こんなこと人として許されるのでしょうか。 なんでも母親のはなさんが子供時代に中耳炎を患い耳が少し遠かったことや、角栄とは子連れの再婚ということもあり家庭内では控えめで、自分の思い通りにならないとすぐヒステリーを起こす子供だったという眞紀子は、母親を影の薄い存在と見なし大きくなるにつれていつの間にか母親の方が逆に娘にすがるような関係になっていったというのです! 母親に向かって、学歴がない、とか、人前でなにもできない、ということを直接言っていたところを聞いた人もいたそうです。 子供の頃から強大な権力を持つ父親に大事にされ過ぎて、普通の感覚が育たなかったのでしょうね。 そして思春期に、角栄には囲っている女性が何人もいて、別に子供までいることを知った時の衝撃が、それまでの彼女の性格形成の上で決定的なものになったと私は思うんです。 自分以外に父親が愛情を注ぐ対象が存在し、そのことを母親が許しているという現実をまのあたりにして、彼女はどう思ったでしょう。 その怒りは狂うほどだったのではないでしょうか。 生まれた時から女王様だったわけですから。 のちに角栄は 直紀(注・夫の田中直紀参院議員)はえらい。 あんなヤツとよく一緒にいてくれるよ。 跡継ぎまでこさえてくれて。 オレなら20分も一緒にいられない」と語ったそうです。 田中眞紀子の現在 2012年12月6日の、第46回衆議院議員総選挙で父の時代からの強固な地盤だった新潟5区で自民候補の長島忠美(ながしまただよし)に3万票近い差をつけられ次点で落選し、比例復活もならず議席を失いました。 父・角栄の死去からちょうど19年になる命日のことでした。 この「角栄の命日」というのがちょっと驚きです。 もちろん単なる偶然かもしれませんが、角栄がやめさせたのかも。 本人は「この地域に責任がある」と発言し政界引退は否定しましたが、その後の選挙は出馬を見送っている状態です。 田中眞紀子は発言が毒舌でマスコミに取り上げられ騒がれやすいけれども単なる個人の「悪口」や人格への「中傷」が多く、作家の曽野綾子も「マスコミにもてはやされる才能を持ち、夫に対しても献身的なようだが、政治家には向いていない」と評しています。 夫田中直樹は今どうしてる? さて夫の田中直紀は現在どうしているのでしょう。 田中直紀は金沢市出身、慶應義塾大学法学部政治学科卒、元民主党議員で現在は新潟在住で越後交通の代表取締役をやっています。 田中眞紀子との間には3人の子供がいます。 長男田中雄一郎 田中雄一郎プロフィール• 1993年慶應大学経済学部卒業• 職業:公認会計士• 1998年10月:税理士登録 2004年税理士法人トラスト設立、代表社員・CEOとなる。 トラストFAS株式会社取締役会長、株式会社ビジネスビジョン代表取締役会長。 株式会社ファンダンゴ監査役、加賀電子株式会社監査役を務めています。 長男田中雄一郎は学生時代に恋仲になった女性と結婚したのですが、眞紀子の支援者であり新潟の老舗の和菓子屋の娘との見合いを進めようとしていた眞紀子の怒りを買い、「出て行け!」となりそのまま家を出たそうです。 賢明ですね。 長女田中真奈子 2004年に結婚わずか4年で離婚したそうです。 親の反対を押し切っての結婚だったといいますが、離婚後ロサンゼルスから一人ひっそりと帰国しているとのことです。 親の反対を押し切っての結婚とは母親にそっくりですね。 当時の文春のスッパ抜きに怒りをあらわにし、私人なのにと訴えを起こしたそうです。 彼女が私人か公人かということで世間でも話題になったということですがその後どうしているかはわかりませんでした。 田中眞紀子にはもう一人次女がいますが次女に関しての情報は見つかりませんでした。 まとめ いかがでしたか? 田中眞紀子の歯に衣着せぬしゃべりが豪快で、さすが角栄の娘ともてはやされていた時代がありましたが、実はこんなに底意地の悪い、まさに「裸の女王様」だったなんて。 ショックと同時に妙に納得できる気もします(!).
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まだ議員になる前の昭和21年秋、角栄は待合「松ヶ枝」のお座敷で円弥という芸妓と出会う。 彼女の本名は辻和子といい、芸妓置屋「金満津」の養女であった。 お座敷での逢瀬を重ねるうちに2人はお互いに好意を抱くようになったが、その頃角栄には妻と、正法、眞紀子という子供がいた。 「一緒になろうか」という角栄の言葉に、和子は逡巡する。 「縁あって、好きあう仲になっても、おとうさんには奥さまがいらっしゃいますし、お子さんもいらっしゃいます。 奥さまもとても好感の持てる方でしたから、あちらさまの家庭を壊すわけには絶対にいきません。 わたしは芸妓ですから、そうなると、一生日陰の身でありつづけることを覚悟しなければなりません」(『熱情』辻和子) 結局、和子のほうの気持ちも強く、角栄は和子の旦那になる。 角栄28歳、和子20歳のときであった。 昭和26年には長男の京、32年には次男の祐が誕生し、2人とも角栄は田中の籍に入れた。 2人の息子の間に眞佐という娘が生まれているが、1歳にも満たず亡くなっている。 自分の理想の実現のために金を使い、人を動かした 昭和35年、京9歳、祐3歳のときに、角栄は歌手で女優の神楽坂浮子が売りに出した神楽坂の邸宅を買い、和子と息子たちが住む家にしたが、5年後にはすぐ近くに350坪もの土地を手に入れ、新居を建てた。 1階に7つ、2階に5つの部屋があり、大きな門と築山のある広い庭を備えた家だった。 昭和60年、脳梗塞で倒れるまで、角栄は和子に月100万円の仕送りを続けた。
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