解説 イタリアの巨匠ルキノ・ビスコンティが1960年に発表した監督第7作で、都会の生活に翻弄される兄弟の姿を、アラン・ドロン、アニー・ジラルド、クラウディア・カルディナーレら若き俳優たちを起用して描いた。 ミラノに住む長男を頼りに、南部から移住してきたパロンディ家。 次男のシモーネはボクサーとして成功への糸口を見つけるが、娼婦ナディアに溺れ落ちぶれていく。 ある時、三男のロッコも偶然にナディアと知り合い、ロッコとナディアは惹かれあっていくが、2人の関係に嫉妬したシモーネによって悲劇が引き起こされる。 日本では60年に初公開。 ビスコンティ生誕110年&没後40年となる2016年、「ルキーノ・ヴィスコンティ 生誕110年 没後40年メモリアル イタリア・ネオレアリズモの軌跡」と題した特集で、デジタル修復版が上映される(4K完全修復版マスターから変換した2K上映)。 1960年製作/179分/G/イタリア・フランス合作 原題:Rocco e i suoi fratelli 配給:アーク・フィルムズ、スターキャット 日本初公開:1960年12月27日 スタッフ・キャスト アランドロンの顔がとにかく良い。 太陽がいっぱいの時より良い気がする。 とにかく顔が良くてこんな良い顔をボコボコに殴らせるボクサーなんてやめてくれと懇願したくなる。 内容はなんともまあ悲劇で、どんなご都合幸せ主義もできるフィクションの中でよくもここまでの人間のクズを作り出すもんだなと思った。 最後までよく誰もこいつを殺害しないな…と感心して観てしまった。 私が監督だったらこういう奴は絶対泣き喚き命乞いさせながらボロ雑巾みたいにして殺す。 人間のクズはもちろんとして、ボクサーアランドロンの兄さん愛も家族だから助け合う、庇い合う、の限度を明らかに超えており2人とも両極端に異常だ。 そして多分、だから2人とも幸せになれない。 何事も中庸が一番ですね ネタバレ! クリックして本文を読む 南から北イタリアへ 貧困を逃れてきた家族の物語 長男が 取っ掛かりをつけ、次男が一時 生活を支え、三男が大黒柱になり、四男がそれを支え 五男の成長を促す、ということになる この 五人の息子達の中で、次男と三男が ある意味、この過程で 犠牲者になる この二人と 彼らの人生に飛び込んできた、娼婦との 三角関係が この人間模様をドラマチックにする 演技的には、ジラルドが 二人を引っ張っている感じがする 無垢なドロンも 美しく、悲劇的である 監督の これらの人間への洞察が 素晴らしく、舌を巻かずにはいられない 田舎者と都市生活者、手堅く生きる 長男と四男、一発狙いの次男と彼に人生を狂わされる三男、男と女、イタリアの家族主義的生き方と 都会の娼婦の根なし草的生き方… 等々 の対比! 劇中で語られるように 次男は 愚かだが 他の兄弟が この地に根をおろす為の「生贄」になった これは日本的には 捨て石、人柱、人身御供、ということだろう そんな次男でも イタリアの家族主義は最後まで庇おうとする 次男が 娼婦を殺したことは 結果的に、彼女もこの一家の「生贄にしてしまった」ことになる 家族でもないのに! 次男の人生にピリオドを打ち、三男が 聖人になるための、大黒柱として生きてゆくための、そして 一家が繁栄するための 人柱になった そして 三男はこの十字架を背負って 生きてゆくことになる 彼も 最後の生贄、かもしれない… 嵐のように、この家族に 娼婦が飛び込んで来た後、豆を分けながら 次男が無邪気に微笑み、三男が歌を歌う 場面が 好きだ この後、次男は 都会と女に幻惑され、真っ逆さまに堕ちて行く… 自分の宿命に 何処かで気がついただろうか? 個人的には 美しく、魅力的な娼婦ナディアに 哀れさを感じる 集団から 家族から 外れているものは、真っ先に殺されてしまうからだ オペラ的な感情表現に 揺り動かされながら 一気に見てしまい、考えさせられた 人が 生き残ってゆく、家族を存続させてゆく、 という難しさ 人との出会いの 素晴らしさと、恐ろしさ オペラとイタリア南部の土着信仰が融合した物語だろうか… 移民で 揺れるヨーロッパを ヴィスコンティは 墓の下で どう思うだろう• 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.
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解説 イタリアの巨匠ルキノ・ビスコンティが1960年に発表した監督第7作で、都会の生活に翻弄される兄弟の姿を、アラン・ドロン、アニー・ジラルド、クラウディア・カルディナーレら若き俳優たちを起用して描いた。 ミラノに住む長男を頼りに、南部から移住してきたパロンディ家。 次男のシモーネはボクサーとして成功への糸口を見つけるが、娼婦ナディアに溺れ落ちぶれていく。 ある時、三男のロッコも偶然にナディアと知り合い、ロッコとナディアは惹かれあっていくが、2人の関係に嫉妬したシモーネによって悲劇が引き起こされる。 日本では60年に初公開。 ビスコンティ生誕110年&没後40年となる2016年、「ルキーノ・ヴィスコンティ 生誕110年 没後40年メモリアル イタリア・ネオレアリズモの軌跡」と題した特集で、デジタル修復版が上映される(4K完全修復版マスターから変換した2K上映)。 1960年製作/179分/G/イタリア・フランス合作 原題:Rocco e i suoi fratelli 配給:アーク・フィルムズ、スターキャット 日本初公開:1960年12月27日 スタッフ・キャスト アランドロンの顔がとにかく良い。 太陽がいっぱいの時より良い気がする。 とにかく顔が良くてこんな良い顔をボコボコに殴らせるボクサーなんてやめてくれと懇願したくなる。 内容はなんともまあ悲劇で、どんなご都合幸せ主義もできるフィクションの中でよくもここまでの人間のクズを作り出すもんだなと思った。 最後までよく誰もこいつを殺害しないな…と感心して観てしまった。 私が監督だったらこういう奴は絶対泣き喚き命乞いさせながらボロ雑巾みたいにして殺す。 人間のクズはもちろんとして、ボクサーアランドロンの兄さん愛も家族だから助け合う、庇い合う、の限度を明らかに超えており2人とも両極端に異常だ。 そして多分、だから2人とも幸せになれない。 何事も中庸が一番ですね ネタバレ! クリックして本文を読む 南から北イタリアへ 貧困を逃れてきた家族の物語 長男が 取っ掛かりをつけ、次男が一時 生活を支え、三男が大黒柱になり、四男がそれを支え 五男の成長を促す、ということになる この 五人の息子達の中で、次男と三男が ある意味、この過程で 犠牲者になる この二人と 彼らの人生に飛び込んできた、娼婦との 三角関係が この人間模様をドラマチックにする 演技的には、ジラルドが 二人を引っ張っている感じがする 無垢なドロンも 美しく、悲劇的である 監督の これらの人間への洞察が 素晴らしく、舌を巻かずにはいられない 田舎者と都市生活者、手堅く生きる 長男と四男、一発狙いの次男と彼に人生を狂わされる三男、男と女、イタリアの家族主義的生き方と 都会の娼婦の根なし草的生き方… 等々 の対比! 劇中で語られるように 次男は 愚かだが 他の兄弟が この地に根をおろす為の「生贄」になった これは日本的には 捨て石、人柱、人身御供、ということだろう そんな次男でも イタリアの家族主義は最後まで庇おうとする 次男が 娼婦を殺したことは 結果的に、彼女もこの一家の「生贄にしてしまった」ことになる 家族でもないのに! 次男の人生にピリオドを打ち、三男が 聖人になるための、大黒柱として生きてゆくための、そして 一家が繁栄するための 人柱になった そして 三男はこの十字架を背負って 生きてゆくことになる 彼も 最後の生贄、かもしれない… 嵐のように、この家族に 娼婦が飛び込んで来た後、豆を分けながら 次男が無邪気に微笑み、三男が歌を歌う 場面が 好きだ この後、次男は 都会と女に幻惑され、真っ逆さまに堕ちて行く… 自分の宿命に 何処かで気がついただろうか? 個人的には 美しく、魅力的な娼婦ナディアに 哀れさを感じる 集団から 家族から 外れているものは、真っ先に殺されてしまうからだ オペラ的な感情表現に 揺り動かされながら 一気に見てしまい、考えさせられた 人が 生き残ってゆく、家族を存続させてゆく、 という難しさ 人との出会いの 素晴らしさと、恐ろしさ オペラとイタリア南部の土着信仰が融合した物語だろうか… 移民で 揺れるヨーロッパを ヴィスコンティは 墓の下で どう思うだろう• 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.
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共感がとまらない名曲 フジファブリックが世に送り出した名曲『若者のすべて』。 この作品には、いったいどんな想いが込められたのだろうか? そして、今でも『若者のすべて』が、支持され愛され続けている理由はどこにあるのだろうか? 様々なアーティストが歌い継ぐ名曲 この曲は、2015年6月に発売された柴咲コウのカバーアルバム『こううたう』でもカバーされ収録されている。 それだけでなく、過去には藤井フミヤやBank Band 桜井和寿 、Puffyなど有名ミュージシャンがライブステージ上などでも、カバーを披露している。 そもそも、この『若者のすべて』は、フジファブリック10枚目のシングル作品。 そして、この楽曲を作った人物こそ、フジファブリックの元ボーカリスト兼ギタリストであった志村正彦だ。 そして、当時のフジファブリックでは、志村正彦が楽曲の全ての歌詞を作り・楽曲制作を行っていた。 そのため、志村が2009年に亡くなるまでに80曲以上を作ったとされている。 志村制作曲の特徴 志村が作った曲には大きく3つの特徴があった。 1つは脳内妄想全開の歌詞ストーリーであること。 2つ目は、細かな風景描写が入り乱れていること。 3つ目は、独特なメロディに乗っていること。 これらがあわさって、思わず惹かれる作品になっているといえる…。 この楽曲『若者のすべては』、現在でもずっと歌われ続けている。 2007年に発売されてから、もう10年以上も経過しているにも関わらず…。 次に、この曲がもつ魅力を歌詞を中心に紹介していこうと思う。 というのもこの歌は、志村の故郷である山梨県の風景をイメージした楽曲とされている。 大きなインパクトを持つことが多い他の楽曲とは違い、シンプルで真っ直ぐであるのも特徴的だ。 志村は、レコーディング時からこの曲は名曲の予感。 とブログで明かしていた。 同時に、この曲を作れて救われた、とも記していた。 曲中で示されている事柄はそう多くない。 夏の終わりであること、花火が上がっていること、僕がそれを眺めているということだ。 しかし、その少なさによって、季節の変わり目にぐらつく心の動きを感じることができるのだ。 それでも、ただ会えたという事実に何かが変わる予感を覚えるのだ。 夏は様々な想いが残る この曲中では、何年か越しでのおぼろげな夏を清算して前に進みたい。 まさにこれから、何かが変わっていく予感がする。 そんな瞬間が刻まれている。 普段の生活でも、そんな瞬間に出会うことがあるはずだ。 夏の終わりの風景をとてもシンプルに的確に捉えている名曲『若者のすべて』。 しかし、淡々と語る裏でちゃんと希望を持たせてくれている。 それだけに惹かれる人も多い。 フェスや歌番組でも、愛され続けている。 『若者のすべて』は、きっとこれから先も歌い継がれていく楽曲であるには違いない。
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