DDE改装後のフレッチャー() 基本情報 建造所 社 運用者 艦種 級名 ラッキー 13(Lucky 13) ファイティング・フレッチャー (The Fighting Fletcher) マザー・フレッチャー (Mother Fletcher) ファースト・イン・クラス (First in Class) 艦歴 起工 進水 就役 (再就役) 退役 (再退役) 除籍 その後 に台湾へとして売却 要目 2,100トン 376ft 3in(114. 7m) 最大幅 39ft 8in(12. 1m) 13ft(4. の1隻で、ネームシップ。 艦名は、に上陸をしを受章したに因む。 フレッチャーには「 ラッキー 13」( Lucky 13) や「 ファイティング・フレッチャー」( The Fighting Fletcher) 、「 マザー・フレッチャー」( Mother Fletcher) 、「 ファースト・イン・クラス」( First in Class) という愛称があった。 艦歴 [ ] フレッチャーは、にの社で起工した。 に未亡人であるF・F・フレッチャー夫人によって進水。 に竣工し、ウィリアム・M・コール(W. Cole)の下で就役した。 フレッチャーはフレッチャー級駆逐艦の中で(USS Nicholas, DD-449)と USS O'Bannon, DD-450 に次いで3番目に就役した艦だった。 第二次世界大戦 [ ] 就役したフレッチャーはに配属され、10月5日にのに到着した。 を巡る戦いに加わったフレッチャーは護衛任務と哨戒任務に従事し、10月30日にはを砲撃した。 11月9日に島への上陸を援護するためを出発したフレッチャーは、11月12日に輸送船団への空襲に対して対空戦闘を実施し、数機の撃墜を記録した。 11月13日のではに攻撃を行い、後の自沈に貢献した。 翌14日朝には哨戒機の通報により、前日に(USS Juneau, CL-52)を撃沈していた を追跡したが、逃げられた。 フレッチャーは翌日に補給のためエスピリトゥサント島へ戻り、ヌーメア沖での対潜哨戒任務を行った。 11月29日夜、重巡洋艦(USS Minneapolis, CA-36)、(USS Northampton, CA-26)、(USS Pensacola, CA-24)、(USS New Orleans, CA-32)、軽巡洋艦(USS Honolulu, CL-48)、駆逐艦4隻(フレッチャー他)はガダルカナル島へ向かう日本艦隊迎撃のためエスピリトゥサントを出撃。 これに駆逐艦2隻を加えたアメリカ艦隊は11月30日夜、駆逐艦からなる日本艦隊と交戦した()。 海戦開始時はフレッチャーが先頭で、その後に駆逐艦3隻、巡洋艦5隻と続いていた。 まず前衛の駆逐艦が魚雷を発射(フレッチャーは10本)したが、これは外れた。 続く砲撃では日本の駆逐艦を撃破(後沈没)したが、日本駆逐艦の雷撃で巡洋艦4隻が被雷した。 雷撃およびそれに続く砲撃の後、前衛の駆逐艦は北西に退避し、の西に沿って北上していた。 駆逐艦2隻がニューオーリンズの元へ向かうよう指示され、残る2隻(フレッチャーと ()(USS Drayton, DD-366))は被雷しなかったホノルルと合流後、炎上するノーザンプトンと遭遇。 フレッチャーとドレイトンは救助活動を行ない773名を救助した。 フレッチャーは機転を利かせての浮きが付いた貨物用ネットを投じ多くの生存者を救助している。 ノーザンプトンは沈没した。 救助活動後、2隻はホノルル、駆逐艦1隻と合流し、12月2日にエスピリトゥサントに帰投した。 におけるフレッチャーの活動は続き、哨戒、沿岸砲撃、対空戦闘、撃墜された友軍機の搭乗員救助、日本のの掃討、ガダルカナル島北岸への上陸援護といった多様な任務をこなした。 2月11日、ヌーメアに帰投中の第67任務部隊(司令官:少将)所属の軽巡洋艦(USS Helena, CL-50)から発進し哨戒中のが、艦隊から約17kmほど離れた海域で潜航する を発見。 哨戒機は発煙筒を投下して、近くにいたフレッチャーを攻撃に向かわせる。 フレッチャーは船首から約2700m離れた位置で潜航中の伊十八をソナー探知。 15時27分、フレッチャーは最初の攻撃を行う。 この結果、15時39分にと空気の泡が浮かび上がるのを確認し、4分後には大きな水中爆発音1回を聴取。 フレッチャーは浮かび上がった重油の中心部をめがけてさらに爆雷3発を投下。 この結果、15時46分に片と木片、歯車、その他伊十八のものと思われる物体が浮かび上がり、長い重油の帯ができるのを確認した こうしてフレッチャーはにも戦果を挙げた。 2月21日にフレッチャーは上陸を支援するために出航、3月5日から6日にかけての飛行場を夜間砲撃した。 ソロモン諸島各地への上陸部隊を載せた船団に対するフレッチャーの護衛活動は続いた。 4月23日から5月4日にかけて、フレッチャーはので十分な休息を得ると共に、ソロモン諸島での通常任務を通じて艦を最高の状態に高める機会を得た。 6月19日にエスピリトゥサント島を発ったフレッチャーは、アメリカ本土でのオーバーホールを受けた後で9月27日にヌーメアへ戻り活動を再開、10月31日まで行動した。 その後、フレッチャーはを支援する空母機動部隊に加わり、11月26日と12月4日には日本側の空襲に対して反撃を行った。 沖をゆくフレッチャー。 7月18日。 フレッチャーは12月9日にへ戻り、への侵攻に備えたオーバーホールとでの演習を行う。 1月13日から21日にかけて、フレッチャーは- ()間の輸送船団護衛に従事し、1月30日にはを砲撃する支援集団に加わった。 翌日、への上陸部隊主力と会合したフレッチャーは2月4日まで船団と環礁沖合の哨戒を行った。 へ空になった船団を護衛した後で2月15日にへ向かったフレッチャーは、2月20日・21日にタロアとウォッジェを砲撃するの護衛に加わり、それからエニウェトク環礁沖合の哨戒を行った。 パーヴィス港沖の演習に参加したフレッチャーは、続いて4月18日にの ()に到着。 フレッチャーはここを拠点に、 ()やアリ島、セレオ島への上陸支援砲撃に従事した。 5月にはヌーメアへの船団護衛と対潜哨戒任務を行う。 6月8日、での先頭にいたフレッチャーはの反撃を受けたが、被弾はなかった。 その後も夏を通して、フレッチャーは ()、、の支援や哨戒・護衛といった様々な活動を行った。 フレッチャーは10月12日にに参加する船団を護衛し、10月20日にはへの最初の上陸を援護した。 翌日ニューギニアへ向かった後、11月23日に増援部隊を載せた船団を護衛して再びレイテ島へ戻った。 翌月、フレッチャーは各地での戦闘を支援し、やでの上陸前の砲撃や数度の空襲での対空戦闘を行った。 1月、フレッチャーはを支援し、1月8日には日本軍機1機撃墜を報じている。 翌日には ()を援護し、サン・アントニオ海岸への上陸を支援した。 続いて1月29日にへ入ったフレッチャーは作業の援護を行う。 1月31日にナサグブ湾(Nasugbu Bay)上陸で支援砲撃を実施し、2月13日までの4日間にとの占領、の掃海を援護した。 2月14日、ロス・コチノス岬の日本軍砲兵陣地を艦砲射撃していたフレッチャーに1発の砲弾が命中し、死者8名・負傷者3名を出した。 フレッチャーはを行い、被弾後も30分にわたって砲撃を続けたほか、被弾した YMS-48の乗員を救助した後にYMS-48を砲撃処分した。 フレッチャーはマニラ湾で2月17日まで砲撃を行った。 フレッチャーは5月13日までの間、とへの上陸作戦、での掃海と上陸の援護、フィリピン各地での哨戒と護衛に従事した。 4月30日にはタラカン島で僚艦(USS Jenkins, DD-447)が触雷したため、スービック湾まで護衛を行っている。 その後フレッチャーはジェンキンスの負傷者を移乗させ、オーバーホールのために西海岸に向かった。 のでオーバーホールを行った後、フレッチャーはサンディエゴに留められ、そのままを迎えた。 フレッチャーは1月15日に退役した。 朝鮮戦争 [ ] (USS Kearsarge, CVS-33)と共にのフェイス7の回収に向かうフレッチャー。 5月15日撮影。 3月26日、フレッチャーは DDE-445()に艦種変更され10月3日に再就役する。 5月1日にを出航し、でに加わる。 勃発時、空母(USS Valley Forge, CV-45)と共に停泊中であったフレッチャーは、7月3日にと共に沖に到着した。 部隊にはの空母(HMS Triumph, R16)が加わり、への空爆を開始した。 フレッチャーは、夏までで任務に従事し、のおよびので補給を行った。 9月13日から17日にかけての支援を行い、その後11月11日に母港の真珠湾に帰還した。 11月19日に真珠湾を出港したフレッチャーは、朝鮮半島での作戦任務に就く第7艦隊で空母の護衛を担当する。 護衛任務に加えて2度の艦砲射撃を行い、沖縄の沖合で行われた対潜訓練に参加、のを行った。 6月20日に真珠湾へ帰還し、9月5日から11月24日まではで行われた初の水爆実験()に参加した。 その後5月4日から11月30日まで再びでの任務に従事した。 からまでの間、フレッチャーは毎年、第7艦隊と共に極東での任務に就き、には ()からのの軍民避難()で対潜護衛任務を担当した。 との両年、フレッチャーはとオーストラリアを経由する航海を行った。 この間の主な任務は対潜水艦戦訓練であった。 6月30日にフレッチャーの艦番号は DD-445(駆逐艦)に戻された。 ベトナム戦争 [ ] が勃発すると、現役にあった他の姉妹艦同様にフレッチャーも沿岸へ向かうことになった。 フレッチャーは空襲を行う空母のプレーンガードや地上部隊の砲撃支援といった数多くの任務をこなした。 フレッチャーはから退役するまでの間に4度の西太平洋展開を実施している。 退役 [ ] フレッチャーはにサンディエゴで退役し、同日除籍された。 退役したフレッチャーの艦体はサンディエゴのアメリカ海軍艦艇整備施設(U. Naval Ship Maintenance Facility)で保管された。 フレッチャーはがとして保存する案も出たものの、予算面での問題や、フレッチャーが戦後まもなく退役した姉妹艦に比べて戦後のDDE改装でオリジナルと異なる姿をしていたことなどが原因となり実現することはなかった。 保存の望みが絶たれたフレッチャーは廃棄が決定し、3つの戦争に参加した特筆すべき艦級のネームシップは にのTai Kien Industries Co. , Ltd. にとして売却された。 栄典 [ ] フレッチャーは第二次世界大戦の功績で15個(第二次大戦中のアメリカ海軍艦艇で第5位 )、朝鮮戦争の功績で5個、ベトナム戦争で7個の ()を受章した。 さらに ()(1968年1月18日)と ()2個(および:1959年9月21日、:1961年1月1-7日)も授けられている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• www. navsource. org. 2019年2月10日閲覧。 destroyerhistory. org. 2019年2月10日閲覧。 www. zuzuray. com. 2019年2月10日閲覧。 www. ussfletcher. org. 2019年2月10日閲覧。 Naval History and Heritage Command. 2019年2月10日閲覧。 www. combinedfleet. com. 2019年2月10日閲覧。 Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, pp. 3-5• Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, p. 戦史叢書第83巻 南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで、439ページ、Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, pp. 7-9• Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, p. Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, pp. 18-19• Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, pp. 17-20• Battle of Tassafaronga, 30 November 1942, p. 、木俣『日本潜水艦戦史』374、375頁。 www. navsource. org. 2019年2月11日閲覧。 参考文献 [ ]• 木俣滋郎『日本潜水艦戦史』図書出版社、1993年、• 防衛庁防衛研修所 戦史室『』朝雲新聞社• 関連項目 [ ]• (CIC)…艦艇のCICのコンセプトは、第三次ソロモン海戦およびルンガ沖夜戦においてフレッチャーの副長 ()少佐により創出された。 ワイリー少佐はこの功績によりを授与された。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 フレッチャー DD-445 に関連する および があります。
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フレッチャー級駆逐艦 艦級概観 艦種 艦名 功労者 運用者 建造期間 1942-1944年 前級 次級 計画 188隻 建造 175隻 中止 13隻 性能諸元 基準:2,100 満載:2,850t 全長 376ft 5. 75in 114. 75m 全幅 39ft 5. 25in 12. 02m 吃水 12ft 6. 5in 3. 82m 機関 43. 乗員 322名 フレッチャー級駆逐艦(フレッチャーきゅうくちくかん Fletcher-class destroyer)は、のの艦級。 最も多く発注された駆逐艦の艦級であり、1942年から1944年にかけて175隻が建造された。 艦名については、1914年の時にベラクルス上陸を指揮し名誉勲章を受章した提督に因んでいる。 フレッチャー級は従来のアメリカ海軍駆逐艦より大幅に大型化しており、航洋性・武装ともに強化されたことから大きな成功を収め、駆逐艦の標準とも言える艦級となった。 また、続いて建造された、のベースともなった。 設計 [ ] フレッチャー級の設計にあたっては、基本的な要求は従来と変わっておらず1939年に設計を開始した時には基準排水量1,600t前後、速力36ノットの計画であった。 しかし船体強度を増すため船型を従来の長船首楼型から平甲板型に変更し、また同時期の大型艦比で5ノットの優速を目標に主機関を増強したことから、条約の制約がなかったこともあって大型化し、アメリカ駆逐艦としては初めて基準排水量が2,000tを超える、空前の大型駆逐艦となった。 溶接範囲の拡大に伴って、船体構造は縦肋骨方式の部分が拡大された。 弾片防御を重視したこともあり、船体の材料としては特殊処理鋼()が多く採用された。 また、戦時急造期であったこともあり、艤装などあらゆる面に標準化が推進されている。 フレッチャー級の設計は、以後に至るまでのアメリカ駆逐艦の基本線となった。 上記の通り速力増強の要請に伴い、主機出力は従来艦の50,000馬力から60,000馬力に増強されている。 機関配置としては、ベンソン級以来の分離配置が踏襲され、ボイラーを2基ずつ収容した缶室と、・・等を収容した機械室がセットになり、前部缶室・前部機械室・後部缶室・後部機械室の順に直列のシフト配置とされている。 主機は(GE)社製のオール・ギヤードであるが、DD-649,662〜665ではフォスター・ホイーラー社製とされている。 としては初めて2段減速歯車装置が採用されており、タービンは高速回転とされた。 としても、同様にが艦橋上に搭載されている。 当初は射撃指揮レーダーをもたなかったが、のちにUHF帯のMk. 12、さらにのMk. 25が装備された。 一方、に関しては大規模な換装・増設が重ねられたことから、各艦ごとの差異が大きい。 初期建造艦では、当初、3・4番砲間にの4連装マウントが搭載されていた。 しかし中の戦訓から強化の必要性が痛感されたことから、これを撤去するかわりに、とが増備された。 多くの場合、2番砲の後方両舷、後部煙突脇両舷と28mm機銃の撤去跡に40mm連装機銃が設置されていたほか、上掲の一般配置図に示す通り、一部艦では5連装魚雷発射管のうち1基を撤去して、さらに40mm連装機銃が搭載された。 また各所に20mm機銃多数が装備された。 20mm機銃はしばしば内蔵のMk. 14照準器を備えており、また40mm機銃はこれにFCSとしての機能を付加したによる射撃指揮を受けていた。 水雷装備に関しては、以来の5連装2基装備が踏襲されたが、爆雷投射機は6基に増強された。 後に能力強化のため、多くの艦で艦橋前両舷01甲板レベルの40mm連装機銃がの固定マウントに換装されたほか、度計画でフレッチャー級のうち39隻に対し、すべての魚雷発射管を陸揚げしてかわって短魚雷落射機を搭載するなどの改装が行われている。 FRAM-II改装艦 ニコラス また度計画より、潜水艦の高性能化と増勢に対応するため18隻が(DDE)に種別変更されへの改修を受けた。 これによってレーダーやソナー、FCSが更新されたほか、2・3・4番砲は撤去され、かわって旋回式のMk. 15 ヘッジホッグ対潜迫撃砲とが搭載された。 さらにには、3隻(ラドフォード、ジェンキンス、ニコラス)が ()( Fleet Rehabilitation And Modernization II)改修を受けて、や、を搭載している。 108 324mm対潜ロケット砲や短魚雷発射管などはFRAM-II改装艦以外の同型艦にも新たに装備されている例がある。 なお、6隻に対して航空機用の装備が計画され、そのうち3隻(プリングル、スティーヴンス、ハルフォード)が実際に装備された。 しかしこの計画は成功せず、以後の改装は中止され、これら3隻の装備も後に撤去された。 また、ヘイゼルウッドはの試験艦としてその・などの航空艤装を設置しているが、この実績は上記のFRAM-II改修の際に生かされることとなった。 第二次世界大戦終結後には多くの艦がに編入された。 にが勃発するとそれらの艦は殆どが現役復帰したが、現役復帰が為されないまま解体されたり、標的艦とされたりした艦も多い。 艦名 造船所 就役 退役 再就役先 Hull No. 艦名 就役 退役 その後 DD-445 DDE-445 1942年06月30日 1949年10月03日 1947年01月15日 1969年08月01日 スクラップ。 DD-446 DDE-446 1942年07月22日 1949年10月17日 1946年01月17日 1969年11月10日 DD-447 DDE-447 1942年07月31日 1951年11月22日 1946年05月01日 1969年07月02日 DD-448 1942年08月12日 1946年04月16日 1974年07月26日 部品取り。 DD-449 DDE-449 1942年06月04日 1951年02月19日 1946年06月12日 1970年01月30日 スクラップ。 DD-450 DDE-450 1942年06月26日 1951年02月19日 1946年05月21日 1970年01月30日 DD-451 1941年07月20日 1943年10月06日、にて駆逐艦の雷撃により戦没。 DD-465 DDE-465 EDDE-465 1942年08月29日 1949年12月15日 1946年06月12日 1965年01月29日 実艦標的。 DD-466 DDE-466 1942年10月01日 1950年07月05日 1946年06月10日 1969年07月15日 DD-467 バス鉄工所 1942年08月07日 1943年07月05日、日本海軍の雷撃により戦没。 DD-468 DDE-468 1942年08月28日 1951年12月03日 1946年05月31日 1969年06月03日 D-560 ランチエーレ 1969年06月03日 1971年01月 部品取り。 DD-469 1942年09月21日 1943年02月01日、沖にて日本海軍航空隊の急降下爆撃を受け戦没した。 DD-470 DDE-470 造船所 1942年11月14日 1951年10月01日 1946年02月04日 1968年02月06日、ギリシャの沖にて難破。 DD-471 DDE-471 1942年12月23日 1951年11月01日 1946年04月11日 1968年09月30日 実艦標的。 DD-474 1943年03月02日 1947年01月15日 実艦標的。 DD-475 1943年04月13日 1946年05月31日 スクラップ。 DD-476 1942年11月17日 1945年11月30日 1945年04月27日、沖縄戦においての攻撃で大破座礁して放棄、戦後にスクラップ。 DD-477 1942年09月15日 1945年04月16日、においての攻撃により戦没した。 DD-478 1942年10月15日 1946年10月 1945年04月12日、沖縄戦においてが命中し大破、戦後にスクラップ。 DD-479 1943年02月01日 1946年07月02日 スクラップ。 DD-480 1943年04月10日 1946年05月15日 DD-481 1944年03月04日 1945年12月06日 1945年04月06日、沖縄戦において特攻により大破除籍、戦後にスクラップ。 DD-482 1946年01月07日、建造中止 DD-498 DDE-498 1942年11月21日 1950年06月30日 1946年02月01日 1968年09月30日 1972年02月02日、スクラップとして解体される前に嵐に遭い沈没した。 DD-499 DDE-499 1942年12月05日 1950年06月 1947年02月 1970年02月14日 スクラップ。 D-42 キモン 1981年09月18日 1993年 スクラップ。 DD-501 1943年01月01日 1946年04月29日 スクラップ。 DD-502 1943年01月23日 1947年03月31日 DD-507 DDE-507 バス鉄工所 1942年10月09日 1950年11月08日 1946年06月18日 1969年11月15日 実艦標的。 DD-508 DDE-508 1942年10月30日 1949年11月17日 1946年06月18日 1969年07月02日 DD-509 1942年11月20日 1946年04月23日 D-23 アルミランテ・バルデス 1959年07月01日 1986年11月17日 スクラップ。 DD-510 1942年12月04日 1951年12月11日 1946年06月21日 1969年05月30日 実艦標的。 DD-511 1942年12月22日 1946年04月18日 スクラップ。 DD-512 1943年01月08日 1944年12月18日、で作戦行動中、の嵐により戦没。 DD-513 1943年01月26日 1947年07月11日 1974年07月26日 部品取り。 DD-514 1943年02月10日 1945年11月23日 1945年05月20日、沖縄戦において特攻により大破除籍、戦後にスクラップ。 DD-515 1943年02月26日 1946年04月17日 D-170 Z 1 1958年01月17日 1976年 実艦標的。 DD-517 1943年04月03日 1950年09月15日 1946年05月31日 1969年07月02日 D-561 ファンテ 1969年07月02日 1977年 DD-518 造船所 1943年02月03日 1943年12月26日、沖にて日本海軍の急降下爆撃を受け戦没。 DD-519 1943年03月10日 1951年07月06日 1946年04月18日 1960年05月02日 スクラップ。 DD-520 1943年04月12日 1951年04月05日 1946年01月01日 1961年09月11日 DD-72 アルミランテ・ギセ BAP Almirante Guise 1961年10月08日 1981年 スクラップ。 DD-521 1943年05月22日 1951年02月08日 1947年02月05日 1954年01月15日 DD-18 DDG-918 安陽 ROCS An Yang 1967年06月02日 1999年09月16日 実艦標的。 DD-522 1943年06月21日 1945年05月04日、沖縄戦にて特攻機の攻撃を受け戦没。 DD-526 造船所 1943年02月05日 1944年11月01日、レイテ湾にて日本海軍の特攻機により戦没。 DD-527 1943年03月20日 1951年04月05日 1946年04月15日 1960年09月15日 スクラップ。 DD-528 1943年04月23日 1951年03月08日 1946年02月14日 1971年10月06日 DD-9 DDG-909 慶陽 ROCS Ching Yang 1971年10月06日 1999年07月16日 人工として海没処分。 DD-529 1943年05月10日 1945年04月06日、にて特攻機の攻撃により戦没。 DD-530 1943年05月28日 1951年08月01日 1946年01月18日 1965年05月11日 スクラップ。 DD-531 1943年06月18日 1951年09月12日 1946年01月18日 1965年03月09日 沖縄戦に従事中の1945年04月29日、特攻機 西口徳次中尉操縦の の突入を受け大破。 戦後に再就役した後、スクラップ。 DD-532 1943年07月06日 1951年09月12日 1946年06月12日 1957年12月20日 D-20 アルミランテ・ブラウン 1961年08月14日 1982年 スクラップ。 DD-533 1943年07月19日 1944年10月25日、にて重巡洋艦の砲撃により戦没した。 DD-534 1943年08月19日 1951年08月01日 1947年01月15日 1954年06月09日 スクラップ。 DD-535 1943年08月31日 1951年05月19日 1945年12月19日 1964年06月30日 DD-536 1943年09月20日 1951年08月17日 1946年12月10日 1958年05月27日 DD-537 1943年09月30日 1951年07月06日 1946年01月10日 1965年01月07日 博物館船。 DD-538 1943年10月21日 1951年03月29日 1945年09月21日 1958年04月21日 スクラップ。 DD-539 1943年11月25日 1951年01月27日 1946年03月 1963年11月30日 実艦標的。 DD-540 1943年12月01日 1950年06月10日 1946年06月14日 1971年07月01日 DD-8 DDG-908 貴陽 ROCS Kwei Yang 1971年08月16日 1999年07月16日 除籍 DD-541 1943年12月30日 1951年02月28日 1947年01月15日 1958年09月30日 DD-19 DDG-919 昆陽 ROCS Kuen Yang 1968年06月10日 1999年10月16日 DD-544 ベスレヘム造船、 造船所 1943年05月08日 1950年11月24日 1947年01月15日 1969年10月01日 D-343 イスケンデルン TCG İskenderun 1969年10月01日 1981年 スクラップ。 DD-545 1943年06月12日 1950年10月27日 1946年08月01日 1962年02月09日 D-22 テュエッラ 1962年09月07日 1981年01月18日 DD-546 1943年07月10日 1950年10月27日 1946年08月01日 1962年02月09日 D-63 ナヴァリノ 1962年09月27日 1981年 DD-547 1943年08月23日 1951年09月21日 1946年07月22日 1971年08月17日 D-24 アルミランテ・ストルニ ARA Almirante Storni 1971年08月17日 1982年 DD-550 1943年06月23日 1947年01月15日 D-21 レパント 1957年05月15日 1985年12月31日 DD-551 1943年09月18日 1946年08月17日 D-22 アルミランテ・フェランディス 1951年05月15日 1987年11月17日 DD-552 1943年12月11日 1945年11月07日 1945年05月11日、沖縄戦において特攻により大破除籍、戦後にスクラップとして解体 DD-553 1944年02月02日 1946年04月30日 スクラップ。 DD-554 1943年07月30日 1946年05月31日 DD-555 1943年08月31日 1945年11月01日 1945年04月29日、沖縄戦において特攻により大破除籍、戦後にスクラップ。 DD-556 1943年09月30日 1951年04月27日 1946年01月27日 1960年11月03日 D-30 ペルナンブコ CT Pernambuco 1961年07月20日 1982年 実艦標的。 DD-557 1943年10月27日 1944年10月25日、サマール沖海戦にて戦艦を含む日本艦隊の砲撃により戦没した。 DD-558 1943年11月18日 1951年11月02日 1946年12月01日 1964年03月30日 スクラップ。 DD-559 1943年12月04日 1945年05月18日、沖縄戦において珊瑚礁に座礁後、沿岸砲台からの砲撃により大破、友軍の攻撃により撃沈処分された。 DD-560 1943年12月18日 1945年05月04日、沖縄戦において特攻機の攻撃により戦没。 DD-561 1944年01月15日 1951年08月17日 1946年03月14日 1970年01月10日 D-555 ジェニエーレ 1970年01月17日 1975年 スクラップ。 DD-562 1944年01月31日 1951年08月03日 1946年06月12日 1964年04月01日 実艦標的。 DD-563 1944年02月21日 1951年10月27日 1946年06月04日 1959年11月06日 DD-564 1944年03月13日 1951年10月05日 1947年01月31日 1959年11月06日 DD-565 1944年03月31日 1951年07月03日 1946年07月18日 1957年09月30日 スクラップ。 DD-566 1944年04月15日 1951年03月09日 1946年07月08日 1969年09月26日 の演習により撃沈処分。 DD-567 1944年04月29日 1951年07月06日 1946年04月12日 1969年09月26日 スクラップ。 DD-568 1944年05月20日 1951年09月07日 1946年07月13日 1963年12月30日 DD-569 、 ()造船所 1942年10月27日 1946年04月18日 D-85 スフェンドニ 1959年08月21日 1991年10月25日 スクラップ。 DD-570 1942年11月24日 1946年04月18日 D-180 Z 6 1960年04月12日 1968年10月 DD-571 1942年12月08日 1946年04月18日 D-178 Z 4 1959年12月16日 1981年02月26日 ギリシャ海軍へ部品取り用に譲渡。 DD-575 1943年03月31日 1946年02月15日 スクラップ。 DD-576 1943年08月20日 1951年10月16日 1946年03月27日 1965年06月01日 DD-577 1943年05月19日 1950年09月15日 1946年01月18日 1968年09月30日 DD-578 1943年06月16日 1945年12月20日 実艦標的。 DD-579 1943年07月06日 1945年06月10日、沖縄戦にて特攻隊の攻撃により撃沈。 DD-580 1943年07月31日 1947年01月 実艦標的。 DD-581 ボストン海軍工廠 1943年05月18日 1947年01月15日 D-16 ヴェロス 1959年06月16日 1991年02月26日 博物館船として保存。 DD-582 1943年06月08日 1946年07月05日 D-06 アスピス 1959年09月15日 1991年02月01日 スクラップ。 DD-583 1943年07月06日 1946年12月10日 D-56 ロンチ 1960年02月09日 1990年10月01日 DD-584 1943年08月19日 1945年03月26日、近海にて触雷により戦没。 DD-585 1943年09月16日 1946年07月02日 実艦標的。 DD-586 1943年11月10日 1945年11月20日 1945年04月06日、沖縄戦において特攻機が5機命中して大破除籍、戦後にスクラップ。 DD-587 1943年03月04日 1946年06月14日 実艦標的。 DD-588 1943年04月03日 1946年06月25日 DD-589 1943年05月15日 1946年05月31日 スクラップ。 DD-590 1943年10月25日 1945年09月24日 DD-591 1943年11月04日 1945年06月16日、沖縄戦にて特攻機の攻撃により戦没。 DD-592 ピュージェット・サウンド 海軍造船所 1944年04月03日 1946年04月30日 実艦標的。 DD-593 1944年05月04日 1946年07月09日 DD-594 1944年11月04日 1946年05月31日 スクラップ。 DD-597 1945年02月22日 1946年05月15日 スクラップ。 DD-629 バス鉄工所 1943年04月23日 1951年02月26日 1946年05月21日 1965年03月26日 DD-630 1943年05月11日 1951年04月06日 1946年07月26日 1971年08月17日 D-23 アルミランテ・ドメク・ガルシア ARA Almirante Domecq Garcia 1971年08月17日 1982年11月30日 実艦標的。 DD-631 1943年05月28日 1951年05月19日 1946年05月31日 1958年06月27日 DD-91 DD-911 忠武 Chung mu 1963年05月16日 1983年 係留訓練艦後スクラップ。 DD-642 1943年06月15日 1951年03月24日 1947年01月15日 1960年07月30日 DD-01 アンティオキア ARC Antioquia 1961年01月23日 1973年12月20日 スクラップ。 DD-643 1943年06月29日 1951年09月07日 1946年03月20日 1960年05月01日 スクラップ。 DD-644 1943年07月16日 1951年11月09日 1946年05月31日 1958年05月27日 D-22 ロサレス 1961年08月07日 1982年 スクラップ。 DD-649 1943年11月24日 1946年07月16日 スクラップ。 DD-650 バス鉄工所 1943年07月30日 1951年04月06日 1946年07月06日 1960年04月27日 実艦標的。 DD-651 1943年08月17日 1951年01月07日 1946年04月30日 1969年10月01日 D-342 イズミット TCG İzmit 1969年10月01日 1980年 スクラップ。 DD-652 1943年08月31日 1951年05月04日 1946年07月19日 1970年01月20日 実艦標的。 DD-653 1943年09月16日 1951年05月03日 1946年07月05日 1957年03月04日 スクラップ。 DD-654 ガルフ・シップビルディング 1944年04月12日 1951年09月07日 1947年01月31日 1963年12月30日 DD-655 1944年06月07日 1951年08月03日 1946年07月03日 1964年06月30日 DD-656 1944年08月02日 1951年03月08日 1946年04月12日 1954年02月26日 D-341 イズミル TCG İzmir 1967年02月28日 1987年 スクラップ。 DD-657 造船所 1943年07月23日 1951年09月10日 1946年05月21日 1957年12月20日 1974年05月10日 部品取り。 DD-658 1943年08月23日 1950年12月16日 1946年06月14日 1966年08月01日 実艦標的。 DD-659 1943年03月20日 1951年05月03日 1946年03月30日 1960年04月29日 スクラップ。 DD-660 1943年04月09日 1946年12月20日 DD-661 1943年04月23日 1951年03月28日 1946年12月10日 1964年06月19日 博物館船として保存。 DD-662 ボストン海軍工廠 1943年12月14日 1946年06月20日 スクラップ。 DD-663 1944年01月26日 1946年07月01日 DD-183 ありあけ 1959年03月10日 1974年03月09日 スクラップ。 DD-664 1944年02月23日 1946年12月10日 DD-184 ゆうぐれ 1959年03月10日 1974年03月09日 DD-665 1943年12月04日 1947年01月15日 実艦標的。 DD-666 1943年05月21日 1951年07月18日 1946年08月05日 1969年09月26日 スクラップ。 DD-667 1943年05月31日 1950年07月18日 1945年12月19日 1954年05月14日 DD-668 1943年06月11日 1951年06月07日 1946年07月16日 1960年06月29日 D-340 TCG İstanbul 1967年01月14日 1987年 スクラップ。 DD-669 1943年07月24日 1951年07月03日 1946年07月15日 1960年12月13日 スクラップ。 DD-670 1943年08月07日 1951年05月04日 1946年07月19日 1957年12月13日 D-21 エスポラ 1961年08月16日 1977年 スクラップ。 DD-671 1943年08月19日 1951年06月04日 1946年07月16日 1960年05月02日 スクラップ。 DD-672 1943年09月03日 1951年08月03日 1946年07月11日 1958年03月11日 DD-673 1943年09月10日 1951年05月19日 1946年12月10日 1957年12月20日 DD-93 DD-913 釜山 Pusan 1968年11月15日 1989年 スクラップ。 DD-674 1943年09月22日 1951年10月31日 1945年12月15日 1963年12月30日 スクラップ。 DD-675 1943年09月29日 1951年05月19日 1946年01月10日 1957年12月08日 D-31 ピァウイ CT Piaui 1967年08月01日 1989年 スクラップ。 DD-676 1943年10月16日 1951年04月27日 1945年12月 1969年07月19日 スクラップ。 DD-677 1943年11月19日 1950年12月29日 1947年01月15日 1963年12月16日 DD-678 1943年12月20日 1951年07月06日 1946年04月30日 1960年11月30日 D-25 ホルヘ・フアン 1960年12月01日 1988年11月15日 スクラップ。 DD-679 1943年12月30日 1951年07月06日 1946年05月28日 1963年12月30日 スクラップ。 DD-680 1943年11月24日 1951年02月26日 1946年05月31日 1954年01月13日 DD-681 ベスレヘム造船、 サンペドロ造船所 1943年09月30日 1951年03月28日 1947年01月15日 1970年01月02日 実艦標的。 DD-682 1943年10月30日 1951年04月27日 1946年07月15日 1969年11月07日 DD-683 サンフランシスコ造船所 1944年02月11日 1951年11月14日 1946年08月30日 1957年09月02日 DD-684 1944年03月09日 1950年11月21日 1946年04月04日 1969年10月01日 スクラップ。 DD-685 造船所 1943年09月21日 1951年01月26日 1945年12月20日 1969年09月06日 実艦標的。 DD-686 1943年10月25日 1951年04月27日 1946年12月10日 1968年04月27日 DD-92 DD-912 ソウル Seoul 1968年04月27日 1982年 スクラップ。 DD-687 1943年11月22日 1950年05月23日 1946年06月14日 1972年07月15日 スクラップ。 DD-688 バス鉄工所 1943年09月30日 1951年12月14日 1946年12月10日 1963年12月30日 DD-689 1943年10月19日 1951年10月03日 1946年06月20日 1962年06月28日 14 ブランコ・エンカラーダ Blanco Encalada 1962年07月26日 1983年 スクラップ。 DD-690 1943年11月05日 1946年04月30日 スクラップ。 DD-691 1943年11月19日 1946年04月23日 DD-792 ベスレヘム造船、 サンペドロ造船所 1943年11月27日 1945年07月28日、沖縄戦にて特攻機の攻撃により戦没。 DD-793 1943年12月31日 1951年09月08日 1946年05月28日 1960年04月29日 博物館船として保存。 DD-794 1944年02月14日 1951年02月26日 1946年05月31日 1958年01月10日 D-32 サンタ・カタリナ CT Santa Catarina 1968年05月10日 1988年12月28日 実艦標的。 DD-799 シアトル・タコマ造船所 1944年06月03日 1951年02月08日 1946年06月29日 1960年10月24日 D-24 アルカラ・ガリアーノ 1960年11月03日 1988年12月15日 スクラップ。 DD-800 1944年06月24日 1951年02月09日 1946年07月03日 1953年08月10日 スクラップ。 DD-801 1944年07月08日 1945年04月06日、沖縄戦にて特攻機の攻撃により戦没。 DD-802 1944年07月29日 1951年04月27日 1947年01月15日 1964年02月01日 実艦標的。 DD-803 1944年08月19日 1945年05月03日、沖縄戦にて特攻機の攻撃により戦没。 DD-804 1944年09月02日 1951年05月19日 1946年06月11日 1962年07月26日 15 コクレーン 1962年07月26日 1983年 スクラップ。 アメリカ国外での運用 [ ] 本級のうち49隻が外国海軍に売却・供与・貸与された。 その中には、、と言った以前の敵国も含まれており、アメリカ海軍での経歴よりも長い経歴を積んだ。 中華民国に供与された艦のように対艦ミサイルを搭載するなどの近代化改修()を受けた艦もある。 残りの艦は1970年代に解体された。 最後まで現役に留まった艦はメキシコ海軍の「クィトラワク」(元「ジョン・ロジャース」)であり、2002年に退役した。 - 5隻• - 3隻• - 3隻• - 8隻 西ドイツ海軍から譲渡された2隻を含む• - 1隻• - 5隻• - 4隻• - 2隻• - 5隻• - 6隻• - 2隻• - 7隻• - 2隻• - 2隻 保存艦 [ ] 4隻がとして保存された。 カッシン・ヤング USS Cassin Young, DD-793 :• ザ・サリヴァンズ USS The Sullivans, DD-537 :• キッド USS Kidd, DD-661 :• ヴェロス AT Velos, D16 (元 チャレット USS Charrette, DD-581 ):、ファリロン 登場作品 [ ] 『』 架空艦「DD-298 キャシデイ」役で「DD-498 フィリップ」が登場。 時に湾内にいたが、緊急出港したことで難を逃れる。 その後、残存艦と共にのへの攻撃に参加し、その最中に襲撃してきた日本海軍の潜水艦に対して爆雷を投下し撃沈する。 撮影には、アメリカ海軍の全面協力で実物が使用されている。 参考文献 [ ]• 以下のサイトでの航続距離。 The Pacific War Online Encyclopedia World War II Database NavSource Naval History• 「船体 技術面から見たアメリカ駆逐艦の発達 」『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 150-155頁。 阿部安雄「機関 技術面から見たアメリカ駆逐艦の発達 」『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 156-163頁。 高須廣一「兵装 技術面から見たアメリカ駆逐艦の発達 」『世界の艦船』第496号、海人社、1995年5月、 164-171頁。 Paul R. Yarnall 2013年. 2020年5月18日閲覧。 www. navsource. org. 2020年5月18日閲覧。 2017年05月27日 2018年06月02日閲覧。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。
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II による実装で、持参装備皆無なのにMod. 常設無しで持参品無しかつコンバート仕様の【駆逐艦】で、ここまでの難条件を提示とは… これが芸無流【傑作駆逐艦】だというのならド阿呆としか言いようがないわ微差栗 なお、Mk. IIからMod. つまり、 Mod. II間を往復する度にバーナー40・釘200を持っていかれる。 コンバートって何だよ。 ちなみにコイツ用であろう装備は同時実装された出撃任務 要米艦複数。 フレックチャア【Mod. 2限定】【Mk. II限定】が必須条件のもの有り の選択報酬で獲得可能。 いつもの【装備ゲー】が炸裂ゥ微差栗微差栗 なお終戦後も活動していたフレッチャー含む姉妹には航空駆逐艦を始めとした様々な改装が為されている艦がいるので、夕張改二に比べればまだ真っ当なIF改装となる余地があった。 しかし実質改二ではアルファウェポン(量産型機銃)とミリ視点で見るなら弱体化・挙句ウィキ丸コピなので間違いの可能性があるというミリヲタからの指摘もあった。 更に命名法則もガンダムスタイルのMk. II表記から謎のMod. 2表記にしたり 名前だけ強そうな量産型装備を付けるなど、FFのアルテマウェポン並のライブ感ガバガバ後付けっぷりを晒し内外から失笑を買った。 このことから邪道を行く(行けてるといえない)艦王の事からして今後、鈴谷みたく姉妹・計画艦改装を文字通りwiki頼りで複合・悪魔合体して全載せてする懸念の声も見られた。 キャラ的には「大所帯の長女」という立ち位置から艦これを含め、既出のどのタイトルでも最低1隻以上の姉妹艦が登場している。 戦少Rでは艦船図鑑に登録されている姉妹の数に応じて自己バフがかかり、アズレンでは自身も含めた同型艦姉妹にバフをかけるスキルで表される。 また、最ラブでは艦隊で最もダメージが大きい1隻を優先的に回復したり艦砲攻撃への耐性を付与するなどの回復・防御型スキルに特化しており、作中で唯一登場する妹のウィリアム・D・ポーターが持つ攻撃型スキルとの噛み合わせが良くなっている。 レアリティがゲーム内トップのSSRと他のタイトルに比べて突出した高評価で、登場時にピックアップ招募が行われた。 同型の妹は99番艦のコナー(USS Conner, DD-582)が登場している。 ジョンストン(USS Johnston,DD-557• 画:皇宇 ZECO• 声:白城なお• 他:R、S Wikipediaにあり。 サマール沖海戦でサミュエル・B・ロバーツやガンビア・ベイ等と共に圧倒的劣勢にありながら奮戦し、まず熊野に魚雷をお見舞いして戦列から落伍させ、8時45分より始まった戦闘では偽装の魚雷発射姿勢で見事に矢矧を欺き日本側の艦隊を混乱に陥れた。 その代わりにこの戦闘でジョンストン自身は日本側からの砲撃で撃沈された。 もし後者ならよほど性格が歪んでいるが、艦王だしなぁ… 案の定セリフでは追記・追及されすらされなかった(サラトガRJに近い関係か) 当初いつ実装されるのかは不明だったが、 戦少Rやアズレンのフレッチャー級祭りにムガールを爆発させたのかで唐突に実装された。 直前に日本版戦少Rでジョンストンの改造が追加されたため、それに対する当てつけでほぼ間違いないと思われる。 そんなこんなで愚痴スレ内で付いた彼女のあだ名は【オガタリナン】 まぁそれを抜きにしても天津風に容姿、性格がよく似ている事からアメリカ版天津風 アメツカゼ・アメリ風・ZECO津風など と呼ばれる事も。 誰かに似てるという点では一緒か そして冬イベ終了後、アズレンが春節(旧正月)イベントに累計13・14隻目となるフレッチャー級のキンバリーとマラニーを投入。 しかも、この2隻は戦後にアメリカ海軍から中華民国海軍へ貸し出されてそれぞれ「安陽」と「慶陽」へ改名した経緯があり(同じような経歴を持つ雪風やベンソンがゲーム内では一切口にしなかった)台湾へ移籍して以降の話題を着せ替えとセットで取り上げている。 さらに、この2隻のキャラデザを担当したのは日本在住ながらズッ友と同郷、つまり台湾出身のTwinBox氏である(アズレンでは以前にロード画面を提供していた)。 この結果、日本に上陸したでは1タイトルだけ消極的だったアズレンの台湾を含む繁体字圏進出フラグが遂に立ち、夏の終わりにはそれが現実となってしまった訳だが艦王のしょぼいマウント取りに駆り出されて痛烈な3倍返しを食らってしまったばかりでなく「艦船擬人化ジャンルの先駆者」と言う名誉もボロボロに失墜する破目に陥ったズッ友がとにかく不憫でならない。 だが最近の艦王に毒されたとしか評し得ない仕事ぶりからは自業自得とも言えなくはない。 また、CVの白城なおは後述のサミュエル・B・ロバーツに続いてジョンストン獲得に挑んだものの ドロップ海域のE3にたどり着けないまま、難易度丁でE2ゲージ2本目の段階で挫折。 イベント終了直後にはTwitterで艦豚から立て続けにマウントを取られると言う悲惨な目に遭った。 これ以後、白城氏は芸無内のスクショを滅多に見せなくなった模様 そのため、本渡楓がで親潮を獲れなかったのになぞらえて「 悔潮2世」と呼ばれることもある。 なお、上記の艦豚の中にプロフ欄に「拡散されるのが嫌い」と書いていた人物が居たのだが、白城氏にマウントを取った結果 当然のように思いっきり拡散され、より格上の艦豚にマウントを取り返されるなど完全におもちゃにされた挙句アカウントを消して逃亡するという珍事も起こっていた。 アホ過ぎだろ… 6番艦、Wikipediaにあり。 「突如至近距離に現れた呂34を沈没しつつある味方艦と誤認し接近した所、敵だと判明して錯乱した船員が手当たり次第に投げたジャガイモを呂34が手榴弾と誤認し混乱した隙に距離を取って砲撃、そのまま撃沈する」というブッ飛んだエピソードを持つ。 戦艦少女でもそのエピソードがしっかりと再現されており、初期装備にもジャガイモを装備している しかも、しっかり対潜値も上昇する。 艦Rユーザーからは「芋」や「ジャガイモ」というあだ名が付けられているが、この「芋」がしばふを連想させることから「もし艦これにオバノンを出す時はしばふで決まりだろうな」「まさに【真の芋】が誕生するのか」などの憶測が飛び交っている。 蒼青のミラージュでは300年後の人類の肉体的変化に必要な栄養素をテーマに芋の品種改良などの研究をしている植物学者で 地下ポテトキングダムの主のポテトプリンセス。 こちらでも初期装備でジャガイモを持参するが、その ジャガイモが超性能になっている 低コストで索敵と移動速度と砲火力が上がり、回避補正+5%。 戦闘中砲撃時に確率で ジャガイモで追加攻撃をしてダメージをあたえるスキルを所持している。 またこの攻撃を受けた敵は3秒間行動ができなくなる ボスには無効。 かつて鋼鉄少女アプリ版に登場した4隻中の1隻。 最ラブでは純真な天然ボケタイプで、常にウサギのぬいぐるみを持ち歩いている。 CVは日本版が小倉唯、海外版(韓国版除く)が加隈亜衣で、加隈氏は日本版(大和、エンタープライズ他)と海外版の両方に出演している唯一のキャストでもある。 リリース時に何度かピックアップガチャの対象となった以外は高額課金者限定特典扱いで欠片も全くドロップしないため、入手したプレイヤーが極端に少ない。 アズレンではロード画面で魚雷を担いで左端から右端へ走り抜けるちびキャラとして登場しているが、本編にプレイアブルで登場する予定は公表されていない。 他:R 165番艦。 Wikipediaにあり。 記念艦としてボストンに現存している。 どちらもマハン級でアズレンに登場しているカッシン(USS Cassin, DD-372)や守護プロで初期艦のカッシング(USS Cushing, DD-376)、そしてDD-376から襲名したフレッチャー級のカッシング(DD-797, 擬人化無し)と頻繁に混同されるので注意。 外部では戦少Rに登場。 諸事情でイラストが差し替えられたが、その差し替えとなった新規イラスト担当者がSaru氏である。 Wikipediaに記事なし。 スリガオ海峡海戦にて、 戦艦扶桑を魚雷2発で討ち取る大武勲を上げる。 米駆逐艦>日戦艦(笑) 駆逐艦でありながら戦艦を沈めた事で 「ジャイアントキリングを果たした駆逐艦」と称され、さらに乗務員から 「青い悪魔(ブルーデビル)」や 「無慈悲なメルヴィン」とまで称された。 扶桑クソザコすぎひん? 扶桑提督にとっては大発狂必須の米艦のため、艦これでの実装は非常に厳しいと見られる。 艦これ界隈に多いリョナ厨からも標的されそう たとえ他所で実装されたとしても、アズレンでアルバコアが実装された時と同じように界隈がざわつく可能性も否定できない。 海外へ移籍したフレッチャー級 このうちキンバリーとマラニーは2019年の春節記念でアズレンに登場している。 の中で際立って繁体字圏進出に消極的な姿勢が目立っていたアズレンの思わぬ奇襲攻撃が炸裂した形で、この2隻が登場した半月後にはPS4『クロスウェーブ』の繁体字版リリース決定が報じられた。 その後、10月には本編も繁体字版が大陸版から2年半遅れで正式リリースされている。 冷戦下では陽字フレッチャー級4隻が人民解放軍の初代「四大金剛」こと鞍山級と対峙するポジションであったことから「残り2隻が登場して陽字フレッチャー級が揃うのはそう遠くない時期だろう」とする予測がある。 大韓民国海軍.
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