プラチナ級の実力者が集う四代目山健組本部 六代目山口組分裂後、神戸山口組の中核団体である四代目山健組は、常に脚光を集め続ける存在だった。 その理由は、神戸山口組の井上邦雄組長が四代目山健組の当代を兼任していることもあるが、六代目山口組系組織との間で起きた数々の抗争事件で、山健組系組員らが身体を賭けたことが大きいはずだ。 山健組には、三代目山口組時代から続く、武闘派組織としての血が脈々と受け継がれているということだろう。 非常事態に多くの人員を稼働させられる山健組の組織力を支えるのは、プラチナ(直参)級の実力があるとされる山健組幹部の面々だ。 若頭である五代目健竜会・中田浩司会長を筆頭に、その動向に注目が集まる人物が複数存在する。 神戸山口組発足時には、新設された「幹事」のポストに名を連ねていた幹部である。 関係者によれば、福原会長は同じく姫路市に本部を置く四代目山健組村正会の出身で、同会で最高幹部を務めていた際には、すでに姫路では顔役として知られる存在であったという。 筆者自身、20代を姫路少年刑務所で務めていた頃から、姫路という街に多少の縁があり、福原会長が山健組直参へと昇格する以前からの武勇伝を何度も耳にしていた。 また、その後の大阪刑務所時代には、邦楽會で執行部を務めた経験のある人物とも寝食を共にしたことがあったために、福原会長が姫路市においてどれだけの影響力をもっているかということを伝え聞いていた。 「資金力がとにかくずば抜けている。 その上、誰にでもズバッとものが言え、地元のカタギ衆の評判も抜群に良い昔気質の親分だ」(地元関係者) だからこそ任侠山口組・織田絆誠代表(元四代目山健組副組長)が神戸山口組から離脱し、二代目兼一会・植野雄仁会長(元四代目山健組統括委員長)が六代目山口組へ復帰するなど、有力幹部が山健組を割って出た際に、福原会長の動向が組織内外で話題に上がったことは必然だと思えたのである。 「織田代表も植野会長も、山健組での影響力には確かに定評がありました。 しかし福原会長の人望や知名度の高さは、2人に決して劣ってはいないと聞きます。 それゆえ、近年の福原会長の組織内での立ち振る舞いには常に注目が集まってきました。 実際に、山健組内での福原会長の存在感は日増しに大きくなっているようです」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト) 俠友会からも新しい直参が誕生 大物幹部が離脱してもすぐに新たな幹部が立ち上がり、その存在感を示す。 これこそ山健組が「山健であらずんば山口にあらず」と評された頃から、今も変わらず、武闘派組織としての名をヤクザ社会内外に轟かせている所以ではないだろうか。 その福原会長が、4月9日に行われた神戸山口組定例会で、神戸山口組直参へと昇格を果たしたのだ。 他にも同定例会では、直参の中から二代目英組・藤田恭道組長が若中から幹部へと昇格を果たしており、寺岡修・神戸山口組若頭が率いる俠友会からは、同会若頭である修心會・薮内秀宝会長が福原会長と同じく直参へと昇格を果たしたことが明らかになった。 既報の通り【参考記事:、ここに来て、六代目山口組や任侠山口組でも直参を増員させたり、執行部を強化したりする動きが加速している。 神戸山口組では、さらに2次団体との兼任の直参組長を増員させていくことが噂されており、組織力の増強につながるのではないかと注目を集めている。 2014年、所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。 以来、物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。 著書に(共にサイゾー)。 最新刊は(同)。
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来歴 [ ] を源流としている。 三代目山口組(組長・)の若衆・がに結成。 山本はその後、山口組若頭補佐に就任し、に山口組若頭・梶原清晴が海難事故で急逝すると、その後任に就任した。 その際、山本健一と、同じく若頭補佐のによる決選投票が行われ、投票の結果一度は山本広に決定したが、山本健一の直訴により田岡から山本健一が指名された。 田岡の山本健一への寵愛ぶりは有名で、山本健一自身は田岡の後継者と目されながらも田岡の後を追うように病死したが、死後も山本健一の遺志をふまえ、山健組の出身者は山口組の主要ポストに起用されていった。 に四代目山口組組長に就任したは、直参昇格間もない二代目組長を異例の早さで若頭補佐に抜擢した。 渡辺は翌1月、竹中とともに山口組若頭・が暗殺されると、2月に編成された暫定執行部体制の下で後任の若頭に就任し、直参昇格から3年足らずの間に山口組ナンバー2の座まで上ることとなった。 のちに六代目山口組体制においてが直参昇格からわずか4ヶ月で若頭に就任し、この記録を破っている。 に渡辺が五代目山口組組長に就任すると、三代目を継承したの他、会長・ら最高幹部10人が同年のうちに本家(山口組)直参へ昇格、翌90年には桑田と中野が山口組若頭補佐に就任して山健組の勢力を磐石なものにし、山口組内の最大派閥へと押し上げた。 、桑田の懲役7年の判決が確定すると、若頭・会長を組長代行に昇格させ、四代目会長・井上邦雄を後任若頭とする組織改編を行った。 、橋本と前舎弟頭の相談役・会長が本家直参へ昇格し、橋本は山口組若頭補佐に就任した。 同年、を首領に据えた六代目山口組が発足すると、桑田が引退し若頭・井上邦雄が4代目を継承、井上は山口組幹部(「幹部」という名称の役職)に就任した。 同年11月には、舎弟頭・会長と舎弟頭補佐・会長森尾卯太郎が本家直参へ昇格した。 さらに同年12月には、井上が幹部から山口組若頭補佐兼阪神ブロック長に昇格・就任している。 六代目体制下にあっても山口組の最大派閥であり執行部メンバーも輩出しているが、同体制の司忍組長、高山清司若頭がともに出身であることから、山口組内では弘道会の発言力が増してきていた。 、五代目健竜会会長である中田広志が五代目山健組組長として継承した。 山口組離脱・神戸山口組結成 [ ] 2015年8月、山口組六代目司忍組長のの出身母体「」を中心とした組織運営に不満を募らせ、山健組を含む下部団体が離脱に動き始めたことから、山口組執行部側から離脱派の組長10数人が絶縁・破門の制裁処分を受けた。 これを受けて山健組は他の離脱派の団体とともに新団体を組織し、四代目山健組組長井上邦雄が、神戸山口組組長に就任した。 2017年4月30日、山健組の副組長であったが神戸山口組を離脱し、新たにを組織した。 山口組ナンバー2、の出所直前のタイミングである、山健組本部事務所前で弘道会系幹部の手により組員2人が射殺される。 実行役は、現場で殺人未遂容疑で逮捕された。 歴代組長 [ ]• 初代(1961年 - 1982年):(三代目若頭)• 二代目(1982年 - 1989年):(初代会長)• 三代目(1989年 - 2005年):(二代目健竜会会長)• 四代目(2005年 - 2018年):(四代目健竜会会長) 執行部 [ ] 役職 氏名 率いる三次団体 本拠地 組長 中田広志 兵庫県神戸市中央区 若頭 與則和 兵庫県神戸市兵庫区 若頭補佐 中橋勝久 中橋組 長崎県長崎市 若頭補佐 藤森吉晴 二代目松藤組 愛知県名古屋市中区 若頭補佐 水田忠好 三代目村正組 兵庫県姫路市 若頭補佐 物部浩久 三代目 岡山県岡山市中区 その他の組員 [ ] 舎弟 [ ]• 砂子宜優(砂子会 会長)• 和田茂平(和田組 組長)• 藤田一夫(東龍連合 組長)• 疋田春男(疋田組 組長)• 福原辰広(邦楽会 会長)• 山田浩二(愛誠会 会長) 幹部 [ ]• 酒井康夫(酒井組組長)• 西住孔希(邦竜會会長)• 山之内健三(会長)• 橋本憲一(橋本会会長)• 中村啓一(二代目南進会会長)• 池田真吾(池田会会長) 若中 [ ]• 小林 茂(五代目副会長 小林会会長)• 山田光竜(光竜会会長)• 田辺泰之(健竜会若頭)• 岡本朝夫(岡本事務所総長)• 岡田典之 中政組若中• 牧野元義(牧野興業総長)• 松岡昌幸(勢道会会長)• 池田 修(池田総業組長)• 大石真人(大真会会長)• 矢野英昭(二代目本江組組長• 牟田秀次郎(牟田一家総長)• 樺山典正(樺山総業総長)• 金岡英二(金岡組組長)• 竹内正夫(二代目竹内組組長)• 永野一雄(國竜会会長)• 石川正勝(二代目川村会会長)• 元満志郎(二代目安倍組組長)• 亀瀧一朗(亀瀧連合会長)• 野崎秀夫(四代目伊藤会会長)• 松下功(五代目紀州連合会会長)• 福富弘(健仁会会長)• 五十嵐善彦(善盛会会長)• 高山秀樹(高山実業組長)• 笹川啓三(二代目鷲坂組組長)• 石澤重長(石澤組組長)• 出崎勉由(四代目春駒組組長)• 福田康廣(福田組組長)• 斉藤浩一(二代目宮鉄組)• 原重明(三代目今倉組)• 岩崎尚介(二代目道志会会長)• 加茂輝幸(輝侠会会長)• 沖征史(沖征興業組長)• 河合哲男(天網会会長)• 田中勝彦(二代目矢倉会会長)• 菊池右祐(二代目北竜会会長)• 山本實(二代目橘会会長)• 土屋清嗣(二代目兼生会会長)• 関戸政信(二代目太成会会長)• 島田潔希(二代目兼昭会会長)• 坂上明弘(三代目石湊会会長)• 植野雄仁(二代目兼一会会長)• 松岡武(四代目西川会会長 主な出身者 [ ]• 二代目 舎弟頭・浅川一實(総長) - 後に五代目山口組若中• 二代目 若中相談役・松下靖男(組長) - 後に五代目山口組若中• 二代目 若中相談役・杉秀夫(健心会会長) - 後に五代目山口組若中• 二代目 舎弟頭補佐・中野太郎(会長) - 後に五代目山口組若頭補佐• 二代目 舎弟頭補佐・(会長) - 後に六代目山口組若中• 二代目 舎弟頭補佐・松本敏久(松本組組長) - 後に五代目山口組若中• 三代目 舎弟頭補佐・根本辰男(二代目組長) - 後に六代目山口組若中• 三代目 舎弟頭補佐・中村伍男(組長) - 後に六代目山口組若中• 三代目 舎弟頭補佐・鈴木秀具(鈴秀組組長) - 後に五代目山口組若中• 三代目 舎弟・大関大(二代目会長) - 後に五代目山口組若中• 三代目 舎弟・前田英明(二代目北岡会会長) - 後に五代目山口組若中• 三代目 舎弟頭・金澤膺一(金澤組組長) - 後に臥龍会会長、五代目山口組若中• 二代目 若中・井奥文夫(会長) - 後に中野会会長代行、六代目山口組若中• 二代目 若中・岡本久男(岡本組組長) - 後に二代目松下組組長、六代目山口組若中• 三代目 組長代行・(会長) - 後に六代目山口組若頭補佐• 三代目 相談役・太田守正(会長) - 後に会長、六代目山口組若中• 四代目 舎弟頭・(会長) - 後に六代目山口組若中• 四代目 舎弟頭補佐・森尾卯太男(会長) - 後に六代目山口組若中 脚注 [ ].
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組員数は約8,900人(構成員約4,100人、準構成員約4,800人)。 とととを除く43の都道府県に系列組織を置いている(2019年末時点)。 、及びとともにから主要暴力団に位置づけられている。 山口組の組員は1名の「組長」()、数名の「舎弟」(弟分)、および数十名の「」(子分)から成る計100人弱に過ぎないが、組長を除く全組員はそれぞれが数十人から数千人の構成員を抱える組織の首領であり、「」(直系組長)と呼ばれる。 米経済誌『』の推計(2014年)では、世界のあらゆるの中で屈指の収益力を有する組織であるとされ、の密売やなどの非合法ビジネスによる総収入は年間およそ66億ドル(約7000億円 )に達する。 これはに次ぎ、の最大組織を凌ぐ規模にあたる。 従軍を終えたは折から急激な発展を見せていたに新天地を求め、海運業の労務者となってのち大嶋組に下属。 その大嶋組を率いた大嶋秀吉の主従関係を上位に辿ればやがてはのに行き着いた。 (大正4年)のことであった。 しばらくは大嶋組の傘下にあって活動したものの、いつしかその勢力は本家の大嶋組を凌ぐものとなり、1925年におけるの二代目襲名を経て、の開設に伴う利権を巡り大嶋組と対立、死者を伴う激しい抗争の末に同卸売市場の運搬作業の独占権を得るに至り、1932年をもって大嶋組から独立した。 三代目:急成長 1942年における山口登の死後、しばらくは跡目が決することなく組長不在の状態にあったものの、1946年にを首領に据えた三代目体制が発足。 この田岡率いる三代目体制下にあって、昭和30年代〔1955〜1964〕から昭和40年代〔1965〜1974〕にかけて日本全国各地へ進出、を繰り返しながら急速に勢力を拡大していった。 田岡襲名時の山口組の総勢はわずか33人に過ぎないものであった。 それが1965年までに、傘下424団体、総勢9450名を数える巨大組織に発展。 その間に当事者となった対立抗争は日本の各地を舞台としたもので、「」、「」、「鳥取抗争」、「」、「」、「」などが主要なそれであった。 によるいわゆる「」のさなかで直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するも、勢力の回復を経て、田岡の死去の前年にあたる1980年までに、2府33県に559団体、1万1800人余の総勢を擁する組織に成長。 そうした三代目体制期を築いた田岡は山口組のとして記憶されるに至った。 その過程で抗争相手のにより暗殺された竹中に代わって、抗争が終結するに至った平成元年〔1989〕、傘下を率いたを首領に据える五代目体制が発足。 施行の年でもあった1992年には、直系組織総数が三代目体制下1963年以来の最大数(120超)を記録した。 五代目体制期の1995年にが発生すると、渡辺自身の陣頭指揮による組織ぐるみの災害救援活動を展開。 その活動はの記者でさえ『半端なものではなかった』と言わしめた。 1997年になると五代目体制開始以来の非常事態と言われた「」が発生。 この事件は以後の組織に混迷をもたらす未解決の懸案事項となった。 2004年から長期休養に入るとともに組織運営の全権を執行部へと委譲していた渡辺であったが、2005年7月に引退を表明。 予期なき突然の引退であった。 ここに16年間の長きにわたった五代目体制が終焉。 そして、若頭の役にあったの新たな襲名をもって、同年のうちに六代目体制が発足し現在に至っている。 山口組分裂抗争(2015年~) 2015年8月には、篠田組長の出身母体にあたるのとのを筆頭とする諸団体との不和が表面化し、事実上の分裂事態が発生した。 9月には離脱した13団体と新加入した1団体が新組織「」を結成、初会合を開いたと報じられている。 分裂後、山口組と神戸山口組のそれぞれの傘下団体が関係する事件がまでに20都道府県で49件発生しており、警察庁はと認定している。 その後、同年に警察が対立抗争状態と認定してから2019年末までに72件発生している。 2016年4月、と共に、への指定が検討されることとなる。 5月には神戸山口組から任侠団体山口組(現・絆會)が分裂したことで、事実上山口組は3団体に分裂した。 そして、任侠団体山口組(現・絆會)とは、2017年から2019年末までに8件発生している。 2020年1月、山口組は神戸山口組と共に両組織の拠点がある兵庫、愛知、大阪、京都、岐阜、三重の6府県のにより特定抗争指定暴力団に指定された。 綱領と組指針 山口組は以下の「」を定めている。 山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。 一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。 この5か条の「綱領」は時代に制定されたもので、定例会などの行事の際に唱和される。 加えて、年度ごとに定められる「組指針」がある。 歴代組長 氏名 在任期間 備考 初代 - 2代 1925年 - 山口春吉の実子 3代 - 4代 - 組長 5代 - 二代目組長 6代 2005年 - 組長、二代目総裁 歴代若頭 山口組における「」は、「組長」に次ぐナンバー2の立ち位置にあたり、にいう「理事長」、にいう「」や「」、にいう「」に相当する。 二代目時代• (- ) 三代目時代• ( -) - 解任• (- ) - 辞任• ( - ) - 事故死• ( - ) - 病死 三代目代行時代• ( - ) - 四代目山口組組長へ昇格 四代目時代• ( - ) - 一和会により暗殺 四代目代行時代• ( - )- 五代目山口組組長へ昇格 五代目時代• ( - ) - 中野会により暗殺• () - 六代目山口組組長へ昇格 六代目時代• ( - 現在) 六代目山口組 主たる事務所(本部)は4-3-1である。 一次団体にあたるこの本部「山口組本家」に対し、二次団体の首領は「本家」に直に繋がる組長という意味を込めて「直系組長」あるいは「直参」(じきさん)と呼ばれ、「本家」にあってはそれぞれ、「組長の弟」を意味する「舎弟」(6名)あるいは「組長の子供」を意味する「若衆()」(約80名)の役職名を与えられている。 日本全国に散らばるこれら直系組織は「関東・北海道」、「中部」、「大阪北」、「大阪南」、「阪神」、「中国・四国」、ならびに「九州」という7つのブロックに分かたれ、各ブロックの長は執行部から選出される。 この「ブロック制」は五代目体制発足直後の1990年に全国の暴力団に先駆けて導入されたもので、当初は「大阪中」のブロックも存在していたものの、2007年にこれが廃された結果、全国7ブロックとなった。 各ブロックごとに毎月「ブロック会議」と呼ばれる会合を開いており、各ブロック長は管轄地域の直系組長と執行部との伝達役のような役割を担っている。 組長 役職 氏名 生年 出身団体 在任期間 六代目山口組組長 1942年01月2日 弘田組、 名古屋市中村区 2005年7月- 組長代行(舎弟) 1937年7月20日 - 2018年5月9日 國領屋下垂一家、 浜松市中区 2005年7月- 執行部 役職 氏名 二次団体 本部 若頭 三代目(総裁) 名古屋市中村区 舎弟頭・九州ブロック長 青山千尋 二代目 福岡市中央区 統括委員長(舎弟) (本名:姜弘文) 大阪府東大阪市 本部長・中国・四国ブロック長 森尾卯太男(本名:服部盛夫) 鳥取県米子市 舎弟頭補佐 鈴木一彦 北海道旭川市 若頭補佐・関東ブロック長 本名 : 丸橋芳夫 五代目 東京都台東区 若頭補佐・関西ブロック長 江口健治 二代目 大阪市浪速区 若頭補佐・東海ブロック長 高木康男 (本名:陣内唯孝) 六代目 静岡市清水区 若頭補佐・中部ブロック長 三代目 名古屋市中村区 若頭補佐・北陸地区長 野村孝 三代目 大阪市北区 若頭補佐・阪神・中国地区長 安東美樹(本名:安妟行) 二代目 兵庫県姫路市 若頭補佐 津田力(本名:津田智加良) 四代目 和歌山県和歌山市 若頭補佐 薄葉政嘉(本名:薄葉暢洋 十一代目 愛知県豊橋市 舎弟 役職 氏名 二次団体 本部 最高顧問 川合康允 岐阜県大垣市 顧問 青野哲也 七代目 浜松市南区 幹部 役職 氏名 二次団体 本部 幹部・組織委員長 高野永次(本名:高次龍) 三代目 大阪市中央区 幹部・北海道地区長 茶谷政雄(本名:茶谷正夫) 札幌市白石区 幹部 富田丈夫 浜松市中区 幹部 清田健二 十代目 愛知県瀬戸市 幹部・組長付 薄葉政嘉 十一代目 愛知県豊橋市 幹部・慶弔委員長 能塚恵 三代目 大阪市中央区 幹部・組織委員 秋良東力(本名:金東力) 大阪市浪速区 幹部・四国地区長・組織委員 加藤徹次 本名:加藤徹司 六代目 高知県高知市 幹部 生野靖道(本名:生野靖一) 四代目 大分県大分市 兵庫若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 野元信孝 三代目 神戸市中央区 大阪若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 布川皓二 本名:布川耕治 二代目 大阪府大阪市 若中 里照仁 本名:照屋里美 二代目 大阪府大阪市 若中 山下昇(本名:森尾昇) 大阪府東大阪市 若中 鈴川驗二(本名:鈴川憲司) 六代目 大阪府大阪市 若中 吉村俊平 本名 : 山口俊平 四代目 大阪府大阪市 若中 新井錠士 本名 : 松岡錠司 二代目 大阪府大阪市 若中 金田芳次 本名 : 金芳次 二代目 大阪府大阪市 若中 植野雄仁(本名:金奎轍) 二代目 大阪府大阪市 他都道府県若中 役職 氏名 二次団体 本部 若中 良知政志 静岡県吉田町 若中 北島虎 本名 : 北嶌延幸 二代目 愛知県名古屋市 若中 貝本健 愛知県名古屋市 若中 篠原重則 二代目 香川県高松市 若中 田保伸一 二代目 石川県金沢市 若中 落合勇治(本名:落合益幸) 二代目 静岡市駿河区 若中 田中三次 三代目 熊本県熊本市 若中 田堀寛 二代目 愛知県名古屋市 若中 塚本修正 静岡県富士市 若中 一ノ宮敏彰 本名 : 一ノ宮敏哲) 福岡県福岡市 若中 高山誠賢(本名:姜義幸) 滋賀県大津市 若中 山嵜昌之 三代目 横浜市中区 若中 浜田重正 二代目 横浜市中区 若中 波入信一 本名:李人言 七代目 福島県会津若松市 若中 中山和廣 三代目 愛媛県今治市 若中 佐藤光男 東京都渋谷区 若中 井上茂樹 二代目 岡山県岡山市 若中 渡部隆 四代目 北海道札幌市 若中 平松大睦 二代目 新潟県新潟市 若中 小林良法 三代目 徳島県徳島市 若中 森健司 本名 : 森健次 三代目 愛知県名古屋市 若中 杉山志津雄 本名 : 杉山静夫 三代目 三重県四日市市 他団体関係 友好団体 率いる六代目体制に入って以降の山口組は、『盃外交』と呼ばれる活発な他団体交流を展開し、かつての反目組織をすら含む日本各地の暴力団組織と友好関係を築いてきた。 三代目 - 組長・串田芳明は司忍の代紋違いの舎弟。 - 団体同士の親戚縁組。 - 会長・塩島正則を司忍が後見。 五代目 - 会長・守屋輯を司忍が後見。 三代目 - 会長・長岡寅夫を司忍が後見。 - 会長・金海芳雄を司忍が後見。 三代目 - 会長・池澤望と若頭・が五分兄弟分。 二代目 - 会長・吉良博文と六代目山口組相談役・が五分兄弟分。 六代目 - 会長・馬場美次を六代目山口組若頭・が後見。 七代目 - 総長・温井完治を髙山清司が後見。 八代目 - 組長・南喜雅を髙山清司が後見。 - 稲川会三代目総長・と六代目山口組若頭補佐三代目組長・竹内照明が五分兄弟分。 - 総裁、七代目総長が司忍の出所祝いを送る。 非友好団体 を本拠地とするは六代目山口組と数多の抗争事件を引き起こしてきたが、組長の司忍が出所した2011年をもって正式な組織間交際関係を樹立。 山口組関係者の言によれば、六代目山口組が組織ぐるみの縁を持たないのは、とのみである。 出典 []• Report. 1-40. 2020年4月4日閲覧。. 『』 -• 『』 2015年8月27日• 『』 2015年1月26日• 『』 2014年9月16日 (中国語)• 『』 2014年9月14日 (英語)• 24 2011年• 219-235 2008年• 『もう一つの日本 山口組』 p. 85 1990年• 『』 1999年• 『』 2013年10月5日• 2015年8月27日• 2015年9月6日• 『』 2016年3月7日• 鹿児島読売テレビ. 2016年4月14日閲覧。 - 、2017年5月1日配信・閲覧• 読売新聞 2020年1月7日. 2020年1月8日閲覧。 『』 2015年1月28日• 『』 2013年12月5日• 『』 2014年• 22 2011年• 『山口組三代目 1野望篇』 p. 43 1982年• 21-22 2011年• 23 2011年• 72 2008年• 73 2008年• 『』 2007年12月17日• 『』 2011年5月23日• 『』 2006年7月23日 および 『』 2006年7月22日 関連項目•
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