エルマ エイミー。 【ヨルシカ/心に穴が空いた】の歌詞の意味を徹底解釈

ヨルシカ「エルマ」の初回盤の特典は?歌詞とエイミーの意味は?ライブツアー月光のチケット先行は?

エルマ エイミー

ヨルシカ 「ノーチラス」。 アルバム「エルマ」に収められた一曲であり、一連の物語に沿って進行していたヨルシカの楽曲群において、現時点でこれが最後の楽曲である。 いわば、エルマとエイミーの物語のクライマックスだ。 一連の物語については以下の記事で触れているので、ご存じでない方には参考までにお読みいただきたい。 MVから察するに「ノーチラス」は、エイミーがエルマに送ることなく、彼が毒性の人工染料「花緑青」を飲んで入水自殺した桟橋にギターとともに残していた詩である。 彼の 遺作ともいえる作品だ。 なぜ彼は、「だから僕は音楽をやめた」で締めくくったかに思われた楽曲群にこの曲をつけ足したのか。 なぜこの曲は、エルマに送られることなく桟橋に残されたのか。 ここではその理由を徹底的に考察していく。 あくまで私個人の考察であり、曲の解釈を決めつけるものではない、という点にご理解いただきたい。 また、初回限定盤得点のエルマの日記帳を筆者は拝読していないため、公式の物語と考察が異なっている可能性がある、という点にもご留意いただきたい。 ヨルシカ• J-Pop• provided courtesy of iTunes• 垣間見えるエイミーの二面性 前作「だから僕は音楽をやめた」、およびこの曲を通してみると、エイミーという人物の 二面性のようなものが垣間見える。 彼は表層的にはエルマを恨んでいるが、その一方でエルマを心の底から愛しているのだ。 こう考えるに至った経緯を、詳しく説明していきたい。 「だから僕は音楽をやめた」でのエルマ 前作「だから僕は音楽をやめた」で語られた、彼が音楽をやめた理由を一言で表せば 「昔の信念を失ったから」であった。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽をやめた だから僕は音楽をやめた 作詞 n-buna 昔は愛や正しさを追い求め、音楽を通してただ自分の中の「エルマ」を描き続けていた彼であったが、その信念を貫くことができなくなった。 描き続ければいつか答えにたどり着けるとひたすらに信じていた「エルマ」の記憶が時が経つにつれ失われ、答えなどないという現実に直面せざるを得なくなったのである。 間違ってるんだよ わかってないよ、あんたら人間も 本当も愛も世界も苦しさも人生も どうでもいいよ 正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ 考えたんだ あんたのせいだ だから僕は音楽をやめた 作詞 n-buna そして彼は 「考えたんだ あんたのせいだ」とエルマに残し、エルマに会うことのできない、救いのない現実への諦めから花緑青を飲んで海底へと沈んでいった。 ここでの彼のエルマへの感情は 「憎しみ」に近いものがあり、自分の信念を貫けなかった要因としてのエルマを恨んでいる。 エルマのせいで、彼は社会を、信念を、音楽を、諦めざるを得なくなった。 社会に対する、言うなれば 表向きの理由として、彼はエルマに恨み口を叩かなければならなかったのである。 「だから僕は音楽をやめた」の中で自分を言い聞かせるために、音楽を諦めるために、人生の幕を閉じるために、彼はエルマを恨まなければならなかったのだ。 そして彼はこの曲を、エルマに送る手紙の最後にしなければならなかった。 彼女への最後の一曲が彼女への感謝の言葉であったり、謝罪の言葉であったりしては彼の面目が保たれないからだ。 自分への説明がつかないからだ。 「だから僕は音楽をやめた」は信念を曲げた自分に対する言い訳であり、自身の面目を保つための最後のメッセージだったのである。 捨てられなかった優しさ「ノーチラス」 エルマを表層的に憎もうとした一方で、 エイミーは根本的に、エルマを愛していた。 その捨てられなかった優しさこそが、彼が残した最後の曲「ノーチラス」なのではなかろうか。 さよならの速さで顔を上げて、 いつかやっと夜が明けたら もう目を覚まして 見て、 寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから ノーチラス 作詞 n-buna 音楽をやめたのはあんたのせいだ。 そう言って世を去ろうとしたところで、彼にそんなことできるはずなかった。 愛する人を傷つけたままで終わることなどできなかったのであろう。 「寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから 」。 音楽をやめたとしても、彼の心の中にはいつだってエルマがいた。 それを伝えずにはいられなかったのだ。 そしてそれを桟橋に残した。 エルマが自分の足取りを追ってここに来た時に、彼女を救ってあげられるように。 彼が愛した音楽が終わってしまわぬように。 彼の信念からすれば、この曲の存在は 駄作なのかもしれない。 「だから僕は音楽をやめた」で最後にしなければならなかったのかもしれない。 しかし、どうしてもこの曲を残してあげたかった。 「ノーチラス」は、彼のエルマへの愛そのものなのだ。 まとめ エイミーの残した遺作 「ノーチラス」。 ノーチラスはフランスの小説「海底二万里」に登場する、陸地との一切の交流を絶った潜水艦である。 人間社会とのかかわりを拒絶し、ただエルマだけを描いた彼の人生は、エルマへの想いとともに海底へと沈んでいった。 この曲がエルマに届いたことで、エルマが目を覚まし、本当の彼の想いに気が付くことができたなら。 エイミーの最後の願いは無事にかなったといえるのではないだろうか。 Twitter @nabuna2.

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エルマ (対潜迫撃砲)

エルマ エイミー

ヨルシカが、明日8月28日にリリースする2ndアルバム『エルマ』から新曲「ノーチラス」のミュージック・ビデオを公開した。 2ndアルバム『エルマ』のラストを飾る「ノーチラス」は、ヨルシカ結成当初に制作された楽曲。 MVは、気鋭のCGクリエイター 森江康太が監督を務め、前作アルバム『だから僕は音楽を辞めた』と新作アルバム『エルマ』で語られている物語の主人公"エルマ"と"エイミー"のストーリーを、最高峰レベルのフルCGアニメーションで表現している。 MV制作には"マウスコンピューター"のクリエイター向けPCブランド"DAIV(ダイブ)"を使用。 車窓 2. 憂一乗 3. 夕凪、某、花惑い 4. 雨とカプチーノ 5. 湖の街 6. 神様のダンス 7. 雨晴るる 8. 歩く 9. 心に穴が空いた 10. 森の教会 11. 声 12. エイミー 13. 海底、月明かり 14. -" 9月2日 月 21:00~ ゲスト:ヨルシカ これまで緻密に作り込んだ2枚のミニ・アルバムで、リスナーを"ここではないどこかの物語"へと誘ってきたヨルシカが、"音楽を辞めた青年"を主人公にした初のフル・アルバム『だから僕は音楽を辞めた』を完成させた。 できれば、今作は初回生産限定盤を手に取ってほしい。 音楽を辞めることを決意した青年が"エルマ"に宛てた全14曲の楽曲に加えて、オスカー・ワイルド、ヘンリー・ダーガー、松尾芭蕉ら、偉大な芸術家たちの言葉を引き合いに出して綴られる"手紙"が今作への理解を深めてくれる。 "音楽を辞めた"というセンセーショナルなモチーフをテーマにすることで、コンポーザー n-bunaが抱く思想や哲学を徹底的に炙り出し、ひいては"音楽をやる理由"が浮き彫りになる構造が秀逸。 (秦 理絵) ヨルシカの新しいミニ・アルバムのタイトルが"負け犬にアンコールはいらない"だと知って驚いた。 めちゃくちゃエモいじゃないか。 前作ミニ・アルバム『夏草が邪魔をする』では、ソングライティングを手掛けるn-buna(ナブナ)が自身の死生観を色濃く反映させた切ない夏物語を描いたが、あれから約1年を経てリリースされる今作は、同じ夏の匂いを継承しながらも、"どこかの誰かの物語"とは一蹴できないリアルが滲む。 "もう一生、後悔したくない僕らは吠えたい"と歌う表題曲「負け犬にアンコールはいらない」を始め、荒々しい曲調も多い。 輪廻転生をテーマに、ピアノによる美しいインスト曲を挟みながら現実と非現実の間を彷徨うようなアルバムは、最後に不思議な余韻を残してくれた。 (秦 理絵) ニコニコ動画で200万回再生を記録する人気曲を生み出してきたボカロPのn-buna(ナブナ)が女性ヴォーカル suis(スイ)を迎えて結成したバンド"ヨルシカ"の1stミニ・アルバム。 ピアノの繊細なフレーズが紡ぐインスト曲「夏陰、ピアノを弾く」から幕を開けると、ギターを中心にした表情豊かなバンド・サウンドのなかで描かれるのは、夏の気配を漂わせた切ない恋の物語だった。 それはハッピーなラヴ・ソングではなく、すべてが死別を思わせる悲恋の楽曲。 カトレアの花、青い空、夕立ち、花火、入道雲という夏を連想させるワードが散りばめられた曲たちは全7曲がそれぞれに独立しながらも一篇の小説としてリンクしているようにも聴こえた。 テーマは悲しいが、作品をカラリと爽やかに仕上げたのはsuisの透明感のある歌声の存在が大きい。 (秦 理絵).

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鷲津鷹行

エルマ エイミー

来たる12月11日、新木場COASTにて私が敬愛してやまないn-bunaさんのバンドであるヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」、「エルマ」からなるコンセプトライブ「月光」が開演された。 これはその公演後に書いている。 この記事は端的に言うとその後書きだ。 まず、公演地について話そう。 今回の公演は追加公演だったのだが、それの開催される地がn-bunaさんが慕っていたwowakaさんの追悼会が行われた地である。 私もその様子をニコ生で見ていた。 そんな場所でのライブだったので、n-bunaさんはどういう心境だったのだろうか。 n-bunaさん自身もそれを意識しているらしく、ライブの随所にある詩を読む場面での口調がwowakaさんを彷彿とさせるものであった。 今回の公演では「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の両アルバムからの選曲だった。 アンコールで負け犬にアンコールはいらないを歌うことは無かった アンコールも無かった公演だったがとても見応えのあるライブだった。 演奏者の迫力もあるが、「物語を見ている」ようであった。 それもアルバムの背景にある物語の一場面のように。 このライブはエイミーが最後の手紙と詩を書いたあとの一瞬を切り取ったものだった。 その中で雨の降るカフェテラスや駅前の茜色のロータリーが出てきたが、それは全部「走馬灯」だという。 この「走馬灯」という言葉はこのライブにとてもピッタリであったと思う。 このライブのサブタイトルを付けるのなら私は「走馬灯」と付けるだろう。 観客目線からもあっという間の時間であったし、ライブのコンセプトとしてもあっという間の表現だった。 演奏陣の話をしよう。 ライブでの演奏は普段ヨルシカのレコーディングをしている面々がしていた。 その中でn-bunaさんとsuisさんがセンターにいた。 その様子がまるでエルマとエイミーのようだった。 その奥にも演奏陣がいたのだが、その中で特に印象的だったのがn-bunaさんとベースのキタニタツヤさんの対象的な演奏である。 n-bunaさんは動きが少なめに演奏をするのに対してキタニタツヤさんは情熱的に演奏をしていた。 この対象的な表現もとても良かった。 またキーボードの平畑徹也さんも超ノリノリだった。 ボーカルのsuisさんもとても良い歌声だったのだが、よく見ると靴を履いていなかったので少しびっくりした。 まぁ「ノーチラス」の曲の一節で、このような歌詞があったため直ぐに納得した。 傘を出してやっと外に出てみようと決めたはいいけど、靴を捨てたんだっけ 「僕らは深い海の底にいる」 そう言ってはじまったこのライブの締めはこのようだった。 生まれ変わってでもあなたに会いにいかなくてはならない 生まれ変わってでも。 この一節を聞いて思い出したのは、「負け犬にアンコールはいらない」の初回限定盤についていた短編、「生まれ変わり」だった。 この物語は「雲と幽霊」の背景談になっていた。 「生まれ変わり」を信じている幽霊が、どこかの町のバス停のベンチで座っている。 そこに主人公の女の子が話しかけるところから始まる。 幽霊には想い人がいてその人を探しているという。 女の子がこんな所よりも人の多いところに行った方が良いのでは?と聞くと 彼女がもし生まれ変わっているのなら、きっとここへ来ているだろうから。 と言った。 その時に女の子の前世が幽霊の想い人だったことを両者が知り物語が終わる。 これは勝手な憶測なのだが、この幽霊と女の子がエイミーとエルマなのではなかろうか。 正確にはエイミーの幽霊とエルマの生まれ変わり 深読みしすぎかと思う人もいるだろうが、n-bunaさんの曲には関連性があるものが多いため、有り得る話だろう。 長々と書いてしまったが、その位のものが詰まったとっても良いライブだった。 この後に、ライブ前後で撮った写真たちとセットリストを載せておく。

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