「短歌」には、季節の感動を詠んだ歌、人生の不安や苦しみを嘆いた歌、恋する気持ちを詠った歌など、人々の日常に溢れる感情が多く詠み込まれています。 その中から今回は、「恋」に関する「短歌」を紹介したいと思います。 恋人と会えない時間を辛く感じたり、相手の気持ちが分からなくて不安になったり、そんな気持ちになっているのはきっと、現代の私達だけではないはずです。 紹介した三十首の作品を読みながら、共感したり、感動したり、好きだと思える一首に出会えたら素敵ですね。 短歌(和歌)とは? 五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)で表現する短歌。 「短歌」のはじまりは1300年前の奈良時代に遡り、その頃は、「短歌」「長歌」「旋頭歌」「仏足石歌」「片歌」という、五七調の歌(五音と七音を基調とした歌)を全てまとめて「和歌」と呼んでいました。 それが平安時代に入ると、「短歌」以外の歌の文化が廃れていったことから、「和歌」というと自然と「短歌」形式の歌を指すようになっていったのです。 「和歌」の特徴は、まず、歌の中に縁語、掛詞、序詞などの修辞法が多く用いられていることが挙げられます。 修辞法とは、伝えたい想いを効果的に伝えたり、趣を添えたりするために用いる技巧のことで、時には言葉遊びのように使われることもありました。 また、「和歌」のもう1つの特徴は、貴族や文化人などが中心になって盛り上がった文化ということです。 それは、天皇や上皇の「勅命」によって編纂された歌集が多く存在することや、宮中での「歌合(うたあわせ)」の様子が古典文学作品に描かれていることからも分かりますね。 長い間、多くの人に詠まれ、親しまれてきた和歌ですが、明治時代に入るとそんな「和歌」の歌風を批判する声が上がり始めました。 それがきっかけとなり、同じ五・七・五・七・七の形式でありながら、明治時代以降の作品を「短歌」と呼び、これまでの「和歌」と区別するようになりました。 近代の「短歌」には、都市化・近代化していく社会を背景に、生活への不安や苦悩が詠まれた歌なども多くあります。 そしてそれが現代になると、口語(話し言葉)やカタカナを用いて表現された作品も登場し、時代とともに「短歌」も変化してきました。 また、「短歌」は「和歌」と違って修辞法をあまり用いないこと、そして天皇や貴族など権力とも切り離された文学であるという特徴もおさえておきたいですね。 このように「和歌」「短歌」にそれぞれ歴史や特徴がありますが、ここでは、五・七・五・七・七の形式で詠まれた歌を「短歌」と一括りにして紹介していきたいと思います。 私は恋しい人と離れて、たった一人、寂しく寝ることであろうか。 修辞法:「足引きの山鳥の尾のしだり尾の」は「ながながし」を導く序詞。 それと同じように、あなたを思う私の恋心も積もり積もって、今では深い思いの淵のようになってしまいました。 修辞法:「川」「淵」は縁語。 こうなったのは誰のせいでもない、あなたのせいなのですよ。 修辞法:「陸奥のしのぶもぢずり」は「みだれ」の序詞、「しのぶもぢずり」「染め」は縁語。 きっとご存じないでしょうね。 ですから、私はそうおっしゃってくださる今日を最後に死んでしまいたいものです。 来るとおっしゃるから、あなたをずっとお待ちして、とうとう西の山に沈もうとする月を見てしまったことですよ。 うっかり心にかけたら、あとで涙で袖をぬらすことになるでしょうから。 修辞法:「音」「高師(髙し)」「波」「かけ」「ぬれ」は縁語。 それと同じように、たとえ今は恋しい人と別れても、また必ず逢おうと思う。 修辞法:「瀬を早み岩にせかるる滝川の」は「われても末に逢はむ」を導く序詞、「瀬」「せか」、「滝川」は縁語。 このまま生きながらえていると、たえ忍ぶ力が弱くなってしまい、自分ひとりの心に秘めている思いが、外に表れてしまいそうだから。 修辞法:「緒」「絶え」「ながらへ」「弱り」は縁語。 人がみんな手に入れることができないと言うあの安見児を妻にしたよ。 ですが、一度この人をと愛しはじめた人を、私は決して忘れたりはしないでしょう。 そのあやめ(ものごとの道理)もわからない夢中の恋をするよ。 修辞法:「ほととぎす鳴くやさ月のあやめ草」が「あやめ」を導く序詞。 二人の関係が長く続くと思うのなら。 もし、それが夢だと知っていたなら、目を覚ましたりはしなかったのに。 修辞法:見立て(「人の心」を「花」に見立てている)、「色」「うつろふ」「花」が縁語。 ㉑『結ぶ手の しづくににごる 山の井の あかでも人に 別れぬるかな』 作者:紀貫之 意味:山の清水は、すくいあげるてのひらからこぼれ落ちるしずくで、すぐに濁り、飲み足りない。 その清水のように、私は心残りのあるまま、あなたとお別れしましたよ。 修辞法:「結ぶ手のしづくににごる山の井の」は「あかでも」を導く序詞。 ㉒『つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ(う)人 天降(あまくだ)り来む(ん) ものならなくに』 作者:和泉式部 意味:なんとなく物悲しい気持ちで空を眺めている、愛しい人が天から降りてくるわけもないのに。 どんなに愛し合っていても、女性としては不安はつきもの。 そんな状況の中で詠まれた和歌です。 ㉓『もの思へ(え)ば 沢の蛍も わが身より あくがれ出(い)づる たまかとぞ思ふ(う)』 作者:和泉式部 意味:思い悩んでいると、この水辺を飛びかっている蛍も、私の体から出た魂かと思ってしまいます。 ㉔『黒髪の みだれもしらず うちふせば まづかきやりし 人ぞ恋しき』 作者:和泉式部 意味:黒髪が乱れているのに気がつかず横になると、まずは手で髪をかきのけてくれた人が恋しくなることだよ。 ㉕『桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり かならず人を 待つとなけれど』 作者:式子内親王 意味:桐の落葉がつもって、通りにくくなるほどになってしまったなあ。 必ずいらっしゃると思って、人を待っているというわけではないのですが。 修辞法:「本歌取り」(本歌は「わが屋戸は 道もなきまで 荒れにけり つれなき人を 待つとせし間に」) ㉖『なにとなく 君に待たるる ここちして 出(い)でし花野の 夕月夜(ゆうづくよ)かな』 作者:与謝野晶子 意味:なんとなくあなたが待っていてくださるような気がして、秋の草花な咲き乱れる野原に出てきました。 その野原は、美しい夕方の月に照らしだされています。 ㉗『小百合さく 小草(おぐさ)がなかに 君まてば 野末にほひ(い)て 虹あらは(わ)れぬ』 作者:与謝野晶子 意味:百合の花が咲いている草の中で、あなたを待っていると、野のはてがほのかにそまって虹が出てきました。 ㉘『それとなく 紅き花みな 友にゆづり そむきて泣きて 忘れ草つむ』 作者:山川登美子 意味:気が付かれないように、華やかな恋を友達に譲って、私は二人に背を向けて想いを忘れようと忘れ草を摘んでいます。 ㉙『薄紙の 火はわが指を すこし灼き 蝶のごとくに 逃れゆきたり』 作者:斎藤史 意味:薄い紙を燃やした火は、私の指をほんの少し焼いて、まるで蝶のように逃げていきました。 指にかすかな痛みだけを残して。 ㉚『ヒヤシンス 薄紫に 咲にけり はじめて心 ふるひ(い)そめし士日』 作者:北原白秋 意味:ヒヤシンスの花が、薄紫に咲いた。 誰かに対して、はじめて心がときめいた日もヒヤシンスの花が咲いていたなあ。 一言で「恋の歌」と言っても、恋の形は様々ではありますが、切なく悲しい歌も多くあったように感じます。 誰かを好きになり、心を通わせることができても、相手の気持ちが分からなくなって不安になったり、せっかく好きな人の夢を見ていたのに目覚めてしまって悔しい思いをしたり、言葉や表現方法は違っても現代の私達にも十分共感でき、気持ちを代弁しているように感じたりする素晴らしい歌ばかりだったのではないでしょうか。 「恋」の短歌(和歌)を通して、その時代を生きた人々の生活を学んだり、自分自身の恋愛や生き方を見つめてみるのもいいものですよね。
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「短歌」には、季節の感動を詠んだ歌、人生の不安や苦しみを嘆いた歌、恋する気持ちを詠った歌など、人々の日常に溢れる感情が多く詠み込まれています。 その中から今回は、「恋」に関する「短歌」を紹介したいと思います。 恋人と会えない時間を辛く感じたり、相手の気持ちが分からなくて不安になったり、そんな気持ちになっているのはきっと、現代の私達だけではないはずです。 紹介した三十首の作品を読みながら、共感したり、感動したり、好きだと思える一首に出会えたら素敵ですね。 短歌(和歌)とは? 五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)で表現する短歌。 「短歌」のはじまりは1300年前の奈良時代に遡り、その頃は、「短歌」「長歌」「旋頭歌」「仏足石歌」「片歌」という、五七調の歌(五音と七音を基調とした歌)を全てまとめて「和歌」と呼んでいました。 それが平安時代に入ると、「短歌」以外の歌の文化が廃れていったことから、「和歌」というと自然と「短歌」形式の歌を指すようになっていったのです。 「和歌」の特徴は、まず、歌の中に縁語、掛詞、序詞などの修辞法が多く用いられていることが挙げられます。 修辞法とは、伝えたい想いを効果的に伝えたり、趣を添えたりするために用いる技巧のことで、時には言葉遊びのように使われることもありました。 また、「和歌」のもう1つの特徴は、貴族や文化人などが中心になって盛り上がった文化ということです。 それは、天皇や上皇の「勅命」によって編纂された歌集が多く存在することや、宮中での「歌合(うたあわせ)」の様子が古典文学作品に描かれていることからも分かりますね。 長い間、多くの人に詠まれ、親しまれてきた和歌ですが、明治時代に入るとそんな「和歌」の歌風を批判する声が上がり始めました。 それがきっかけとなり、同じ五・七・五・七・七の形式でありながら、明治時代以降の作品を「短歌」と呼び、これまでの「和歌」と区別するようになりました。 近代の「短歌」には、都市化・近代化していく社会を背景に、生活への不安や苦悩が詠まれた歌なども多くあります。 そしてそれが現代になると、口語(話し言葉)やカタカナを用いて表現された作品も登場し、時代とともに「短歌」も変化してきました。 また、「短歌」は「和歌」と違って修辞法をあまり用いないこと、そして天皇や貴族など権力とも切り離された文学であるという特徴もおさえておきたいですね。 このように「和歌」「短歌」にそれぞれ歴史や特徴がありますが、ここでは、五・七・五・七・七の形式で詠まれた歌を「短歌」と一括りにして紹介していきたいと思います。 私は恋しい人と離れて、たった一人、寂しく寝ることであろうか。 修辞法:「足引きの山鳥の尾のしだり尾の」は「ながながし」を導く序詞。 それと同じように、あなたを思う私の恋心も積もり積もって、今では深い思いの淵のようになってしまいました。 修辞法:「川」「淵」は縁語。 こうなったのは誰のせいでもない、あなたのせいなのですよ。 修辞法:「陸奥のしのぶもぢずり」は「みだれ」の序詞、「しのぶもぢずり」「染め」は縁語。 きっとご存じないでしょうね。 ですから、私はそうおっしゃってくださる今日を最後に死んでしまいたいものです。 来るとおっしゃるから、あなたをずっとお待ちして、とうとう西の山に沈もうとする月を見てしまったことですよ。 うっかり心にかけたら、あとで涙で袖をぬらすことになるでしょうから。 修辞法:「音」「高師(髙し)」「波」「かけ」「ぬれ」は縁語。 それと同じように、たとえ今は恋しい人と別れても、また必ず逢おうと思う。 修辞法:「瀬を早み岩にせかるる滝川の」は「われても末に逢はむ」を導く序詞、「瀬」「せか」、「滝川」は縁語。 このまま生きながらえていると、たえ忍ぶ力が弱くなってしまい、自分ひとりの心に秘めている思いが、外に表れてしまいそうだから。 修辞法:「緒」「絶え」「ながらへ」「弱り」は縁語。 人がみんな手に入れることができないと言うあの安見児を妻にしたよ。 ですが、一度この人をと愛しはじめた人を、私は決して忘れたりはしないでしょう。 そのあやめ(ものごとの道理)もわからない夢中の恋をするよ。 修辞法:「ほととぎす鳴くやさ月のあやめ草」が「あやめ」を導く序詞。 二人の関係が長く続くと思うのなら。 もし、それが夢だと知っていたなら、目を覚ましたりはしなかったのに。 修辞法:見立て(「人の心」を「花」に見立てている)、「色」「うつろふ」「花」が縁語。 ㉑『結ぶ手の しづくににごる 山の井の あかでも人に 別れぬるかな』 作者:紀貫之 意味:山の清水は、すくいあげるてのひらからこぼれ落ちるしずくで、すぐに濁り、飲み足りない。 その清水のように、私は心残りのあるまま、あなたとお別れしましたよ。 修辞法:「結ぶ手のしづくににごる山の井の」は「あかでも」を導く序詞。 ㉒『つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ(う)人 天降(あまくだ)り来む(ん) ものならなくに』 作者:和泉式部 意味:なんとなく物悲しい気持ちで空を眺めている、愛しい人が天から降りてくるわけもないのに。 どんなに愛し合っていても、女性としては不安はつきもの。 そんな状況の中で詠まれた和歌です。 ㉓『もの思へ(え)ば 沢の蛍も わが身より あくがれ出(い)づる たまかとぞ思ふ(う)』 作者:和泉式部 意味:思い悩んでいると、この水辺を飛びかっている蛍も、私の体から出た魂かと思ってしまいます。 ㉔『黒髪の みだれもしらず うちふせば まづかきやりし 人ぞ恋しき』 作者:和泉式部 意味:黒髪が乱れているのに気がつかず横になると、まずは手で髪をかきのけてくれた人が恋しくなることだよ。 ㉕『桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり かならず人を 待つとなけれど』 作者:式子内親王 意味:桐の落葉がつもって、通りにくくなるほどになってしまったなあ。 必ずいらっしゃると思って、人を待っているというわけではないのですが。 修辞法:「本歌取り」(本歌は「わが屋戸は 道もなきまで 荒れにけり つれなき人を 待つとせし間に」) ㉖『なにとなく 君に待たるる ここちして 出(い)でし花野の 夕月夜(ゆうづくよ)かな』 作者:与謝野晶子 意味:なんとなくあなたが待っていてくださるような気がして、秋の草花な咲き乱れる野原に出てきました。 その野原は、美しい夕方の月に照らしだされています。 ㉗『小百合さく 小草(おぐさ)がなかに 君まてば 野末にほひ(い)て 虹あらは(わ)れぬ』 作者:与謝野晶子 意味:百合の花が咲いている草の中で、あなたを待っていると、野のはてがほのかにそまって虹が出てきました。 ㉘『それとなく 紅き花みな 友にゆづり そむきて泣きて 忘れ草つむ』 作者:山川登美子 意味:気が付かれないように、華やかな恋を友達に譲って、私は二人に背を向けて想いを忘れようと忘れ草を摘んでいます。 ㉙『薄紙の 火はわが指を すこし灼き 蝶のごとくに 逃れゆきたり』 作者:斎藤史 意味:薄い紙を燃やした火は、私の指をほんの少し焼いて、まるで蝶のように逃げていきました。 指にかすかな痛みだけを残して。 ㉚『ヒヤシンス 薄紫に 咲にけり はじめて心 ふるひ(い)そめし士日』 作者:北原白秋 意味:ヒヤシンスの花が、薄紫に咲いた。 誰かに対して、はじめて心がときめいた日もヒヤシンスの花が咲いていたなあ。 一言で「恋の歌」と言っても、恋の形は様々ではありますが、切なく悲しい歌も多くあったように感じます。 誰かを好きになり、心を通わせることができても、相手の気持ちが分からなくなって不安になったり、せっかく好きな人の夢を見ていたのに目覚めてしまって悔しい思いをしたり、言葉や表現方法は違っても現代の私達にも十分共感でき、気持ちを代弁しているように感じたりする素晴らしい歌ばかりだったのではないでしょうか。 「恋」の短歌(和歌)を通して、その時代を生きた人々の生活を学んだり、自分自身の恋愛や生き方を見つめてみるのもいいものですよね。
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堺生れ。 旧姓鳳 ほう。 しょう。 堺女学校卒。 1900年のの社友となり《》にを発表。 翌年処女歌集《》を出して世の注目を集めた。 同年鉄幹と結婚,《明星》の中心的存在となった。 初期の的なは次第に唯美的・幻想的となり,《小扇》,《毒草》(鉄幹と共著),《恋ごろも》(らと共著),《舞姫》などの歌集を出した。 日露戦争中の反戦的な詩〈君死にたまふことなかれ〉も反響を呼んだ。 また古典の現代語訳を試み《》を刊行。 大正期には広く女性問題,社会問題等の評論にも活躍,《》運動を助けたり,母性保護論争に参加するなどした。 遺歌集《白桜集》がある。 明治11年12月7日生まれ。 鳳 ほう 秀太郎の妹。 与謝野鉄幹主宰の東京新詩社社友となり,「明星」に短歌を発表。 明治34年第1歌集「みだれ髪」に奔放な愛の情熱をうたって反響をよぶ。 同年鉄幹と結婚し,ともに浪漫主義詩歌運動を推進するかたわら,社会問題の評論,文化学院の創立など多方面に活躍した。 長詩「君死にたまふことなかれ」は反戦詩として知られる。 昭和17年5月29日死去。 65歳。 大阪出身。 堺 さかい 女学校卒。 旧姓は鳳。 本名はしょう。 現代語訳に「新新訳源氏物語」。 29 1942 生年:明治11. 7 1878 明治大正昭和の歌人,評論家。 堺の菓子商である父鳳宗七,母つねの3女。 本名しょう。 堺女学校補習科卒業後,関西青年文学会に加わって詩歌を発表,明治33 1900 年から与謝野鉄幹の東京新詩社社友となり『明星』に短歌掲載。 同年来阪した鉄幹を知り,翌34年家を捨てて上京,妻を離別した鉄幹と結婚。 その激しい恋心と若い女のをうたいあげた第1歌集『みだれ髪』は同年8月刊行されて,一世を驚倒,眩惑させた。 藤島武二によるアールヌーヴォー風装丁の瀟洒な一冊に盛られた「くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」など399首の歌は,平安朝女流歌人以来の情念と修辞の伝統をよみがえらせながらも,それらをこえた表現の「奇峭」と「奔放」 上田敏の評語 によって20世紀日本の詩歌と女性史への新しい扉を開いた。 その後の歌集『小扇』 1904 ,ライバル山川登美子らとの『恋衣』 1905 などもの唯美的想像力のさらなる洗練を示す。 後者に付載された長詩「君死に給ふことなかれ」 1904年9月『明星』に発表 は,大町桂月の,これを「乱臣・賊子の詩」とする極評を呼んだが,晶子はこれに「まことの心を歌ふ」歌人として情意を尽くして反論した。 明治末から大正を通じて,平塚らいてうや山川菊栄らと母性保護などに関し論争しつつ展開された婦人解放論,さらに政治,教育,社会の問題におよぶ幾多の評論も,晶子が歌よみの域をこえる豊かな洞察と見識の持ち主であったことを示し,同時に『みだれ髪』が単に青春の一時期の狂詩曲ではなかったことをも証し立てている。 著作集に『定本与謝野晶子全集』全20巻,『与謝野晶子評論集』 岩波文庫 などがある。 佐藤春夫『』 芳賀徹 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版 朝日日本歴史人物事典について の解説 [生]1878. 大阪,堺 [没]1942. 東京 女流歌人。 本名,しょう。 早くから平安朝文学に親しみ,『よしあし草』などに短歌を発表していたが,1900年の東京新詩社に参加,01年歌集『』の奔放な空想力と激しい情熱とによって明治浪漫主義に新紀元を画した。 その間に鉄幹と結婚し,歌集『小扇』 1904 ,詩歌集『毒草』 04,鉄幹と共著 ,『恋衣』 05,山川登美子,と共著 を経て歌集『舞姫』 06 ,『夢の』 06 にいたり,唯美的のを示した。 ほかに『新訳源氏物語』 4巻,12~13 ,詩歌集『夏より秋へ』 14 ,遺稿歌集『白桜集』 42 などがあり,明治,大正,昭和を通じての浪漫主義のであった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 歌人。 明治11年12月7日、大阪府堺 さかい 市に菓子の老舗 しにせ 駿河屋 するがや の三女として生まれる。 旧姓は鳳 ほう 、本名志 し よう。 10代の初めから、店を手伝いながら古典、歴史書に親しみ、堺女学校卒業後、関西青年文学会の機関誌『よしあし草』などに詩や短歌を投稿。 1900年(明治33)与謝野寛 ひろし (与謝野鉄幹)によって前年に創立された新詩社の社友となり、『明星』に短歌を発表。 同年8月大阪で講演した寛に会い大いに創作意欲を刺激されたが、翌年東京の寛のもとに出奔、処女歌集『みだれ髪』を刊行して文壇の注目を浴びた。 「やは肌のあつき血汐 ちしほ にふれも見でさびしからずや道を説く君」など、近代の恋愛の情熱を大胆な官能とともに歌い上げ、日本的な艶 えん の美学と、西欧の近代詩に近い方法を包摂した浪漫 ろうまん 的一世界を開顕して、その華麗な作風は上田敏 うえだびん に「詩壇革新の先駆」と評価された。 寛と結婚後は『明星』の中心となって、小説、詩、評論、古典研究など多方面に活動をもつようになる。 歌集はその後、『小扇 こおうぎ 』(1904)、『恋衣』(共著。 1905)、『佐保姫 さおひめ 』(1909)、『青海波 せいがいは 』(1912)、『火の鳥』(1919)、『流星の道』(1924)、『心の遠景』(1928)と変化をたどりつつ、没後に編まれた『白桜集』(1942)まで二十数冊を数える。 この間、その作風は初期の浪漫的美質を失わなかったが、しだいに内面的な翳 かげ りや屈折を加え、沈静な自己観照や思索的な叙情を内包しつつ、しだいに人生的な詠嘆をもつようになる。 晩年の作風は、「梟 ふくろふ よ尾花の谷の月明に鳴きし昔を皆とりかへせ」(『白桜集』)にみられるように、寛の死を見送ってのちの哀傷感が深いが、そのなかにも一点、艶をたたえた叙情の表出に独自の境を開いている。 評論活動も積極的で、『一隅より』(1911)、『激動の中を行く』(1919)、『人間礼拝』(1921)など十数冊に上り、その関心は広い社会的視野にたって婦人問題に注がれていた。 女性に絶えず考える姿勢を求めつつ、その地位の向上への方途を説いたが、なかでも「母体の国家保護」をめぐる問題では平塚らいてうら婦人活動家と対立し、子供は一個の人格体としてとらえるべきだと主張するなど、自覚された母性の自恃 じじ に基づいた確固たる女性思想を示していた。 晶子の創作の原点には、少女時代から親しんだ古典の世界があったといえるが、新詩社の例会では『源氏物語』の講義を続け、2回にわたって現代語訳に意欲をみせているほか、『栄花物語 えいがものがたり 』『和泉式部日記 いずみしきぶにっき 』などの現代語訳や研究を残している。 また、日露戦争従軍中の弟を思う長詩「君死にたまふことなかれ」(1904)は、その思想的主題をめぐる論争を巻き起こして反響をよんだが、晶子の詩作品は口語詩を含め『晶子詩篇全集 しへんぜんしゅう 』(1929)にまとめられた。 なお、1921年(大正10)文化学院創立にあたっては初代学監に就任するなど、教育活動にも熱心で、文学を通して幅広い活動の軌跡を残している。 昭和17年5月29日没。 多磨霊園に葬られる。
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