井筒 三 兄弟。 「3本の矢」だ 史上初3兄弟同時関取へ三男が先陣

逆鉾昭廣

井筒 三 兄弟

大相撲の元十両鶴嶺山の福薗好政氏が3月28日、急性心不全のため東京都内の自宅で死去した。 60歳。 鹿児島県出身。 葬儀・告別式は近親者で行った。 父の先々代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の長男で、父の弟子として75年春場所初土俵。 81年名古屋場所新十両。 十両は通算7場所在位。 90年初場所限りで現役を引退した後は墨田区内でちゃんこ店を営んでいた。 共同通信 弟たちと父の先々代井筒親方を担ぐ元十両鶴嶺山(左)。 中央は元関脇寺尾(現錣山親方)、右は元関脇逆鉾(先代井筒親方)=1984年5月、東京・両国 引用元:.

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長兄死去、錣山親方が寂しさ吐露 井筒3兄弟で「ぽつんと一人」:北海道新聞 どうしん電子版

井筒 三 兄弟

来歴 [ ] 3月場所、父が師匠を務める君ヶ濱部屋へ入門する(同じ部屋に後のも同時に入門した。 入門から6年後の7月場所に弟の福薗(後の逆鉾)とともに十両に昇進したが負け越し、再十両まで1年以上かかった。 再び十両に上がってからは定着し、幕内入りも期待されていたが稽古中に右肩をし、これが思わぬ重傷となって完治せず、その後は休場を繰り返した。 長期休場の後はやで優勝したが、怪我は長引き、1月場所をもって廃業。 鶴嶺山の四股名は従弟の(のち鶴ノ富士)を経て井筒部屋の幕下力士(現・鋼一幸)が受け継いだ。 幕内昇進を果たした暁には師匠の現役名である鶴ヶ嶺を襲名する予定だったらしいが実現できなかった。 廃業後は相撲料理店の業務に従事。 その後、東京・で「相撲茶屋 寺尾」(店名は弟同様、実母の旧姓に由来)のオーナーとなった。 井筒部屋の味を基本にしつつ、全国の鍋料理を研究して作られたが特徴。 2020年3月28日、急性心不全のため都内の自宅で死去。 60歳没。 次弟のの死からわずか半年後のことであった。 末弟のによると、亡くなる前日まで墨田区内で経営するちゃんこ店で普段通り接客をしており、呼吸停止の状態で朝に発見された。 もともと心臓の持病があったため、睡眠中に体調の急変があったと見られる。 四十九日が過ぎるまでは公表を控えていたという。 人物・エピソード [ ]• 自身が死去した際に当時の角界OBが証言したところによると「照れ屋」であったとのこと。 「井筒三兄弟」の長男と言う事で取材の依頼が多かったが、照れ屋な性格のためか廃業後は取材もほとんど断っていた。 錣山部屋創設から間もない頃、本業の合間に部屋のちゃんこ作りを行っていた。 末弟のの角界入りは当初反対していた。 自身が死去した際に当時の角界OBは「多少、推測は入るけど」と前置きしつつ「母と子の関係でいられなくなり女将と弟子という関係を強いられてしまうことは母に対して甘えん坊だった寺尾にとって酷だったのではないか」という趣旨の内容を鶴嶺山が角界入りに反対した理由として述べていた。 家系図 [ ] (25代横綱)の曾孫(養女の養女の子)、加賀錦(元幕下)の孫、(元関脇)の長男、薩摩錦(元幕下)の従兄の孫。 井筒3兄弟と言われ、長男が鶴嶺山、次男が(元関脇)、三男が(元関脇)。 また、 (元十両)は従弟に当たり、元選手のは親戚に当たる。 姪(逆鉾の娘)は元娘役の。 通算成績:326勝260敗93休 勝率. 556• 十両成績:40勝48敗17休 勝率. 455• 現役在位:90場所• 十両在位:7場所• 各段優勝• 三段目優勝:1回 1984年5月場所• 序二段優勝:2回 1985年9月場所、1987年3月場所 場所別成績 [ ] 鶴嶺山宝一 一月場所 初場所() 三月場所 春場所() 五月場所 夏場所(東京) 七月場所 名古屋場所() 九月場所 秋場所(東京) 十一月場所 九州場所() (昭和50年) x (前相撲) 西序ノ口9枚目 3—2—2 西序二段120枚目 3—4 西序ノ口122枚目 5—2 西序ノ口80枚目 休場 0—0—7 (昭和51年) 西序ノ口16枚目 5—2 西序二段69枚目 5—2 西序二段18枚目 4—3 西三段目89枚目 3—4 東序二段17枚目 6—1 西三段目52枚目 3—4 (昭和52年) 東三段目66枚目 5—2 西三段目30枚目 4—3 東三段目18枚目 3—4 西三段目28枚目 4—3 東三段目16枚目 3—4 東三段目28枚目 6—1 (昭和53年) 東幕下49枚目 3—4 東幕下58枚目 4—3 東幕下48枚目 4—3 東幕下39枚目 3—4 西幕下50枚目 4—3 東三段目43枚目 3—4 (昭和54年) 東幕下55枚目 3—4 西三段目7枚目 5—2 西幕下48枚目 5—2 東幕下28枚目 3—4 西幕下37枚目 6—1 西幕下13枚目 4—3 (昭和55年) 西幕下9枚目 4—3 西幕下6枚目 5—2 西幕下2枚目 4—3 西幕下筆頭 3—4 西幕下4枚目 2—5 東幕下15枚目 5—2 (昭和56年) 東幕下7枚目 4—3 東幕下5枚目 4—3 西幕下2枚目 4—3 西十両13枚目 5—10 東幕下5枚目 4—3 東幕下2枚目 2—5 (昭和57年) 西幕下14枚目 2—5 東幕下29枚目 4—3 東幕下19枚目 5—2 東幕下11枚目 5—2 東幕下5枚目 6—1 東十両12枚目 8—7 (昭和58年) 西十両7枚目 9—6 西十両3枚目 7—8 東十両4枚目 8—7 西十両2枚目 3—10—2 西十両12枚目 休場 0—0—15 西幕下13枚目 2—5 (昭和59年) 西幕下29枚目 休場 0—0—7 西三段目3枚目 休場 0—0—7 西三段目53枚目 優勝 7—0 東幕下49枚目 6—1 西幕下24枚目 4—3 西幕下18枚目 1—1—5 (昭和60年) 西幕下52枚目 休場 0—0—7 西幕下52枚目 休場 0—0—7 東三段目33枚目 休場 0—0—7 東三段目84枚目 休場 0—0—7 東序二段36枚目 優勝 7—0 東三段目48枚目 6—1 (昭和61年) 東三段目3枚目 5—2 東幕下45枚目 4—3 西幕下34枚目 3—4 東幕下42枚目 2—5 東三段目12枚目 休場 0—0—7 西三段目62枚目 休場 0—0—7 (昭和62年) 西序二段12枚目 0—1—6 東序二段73枚目 優勝 7—0 東三段目68枚目 6—1 東三段目16枚目 4—3 東三段目3枚目 5—2 東幕下41枚目 3—4 (昭和63年) 東幕下52枚目 5—2 東幕下31枚目 3—4 西幕下39枚目 4—3 西幕下28枚目 5—2 西幕下15枚目 3—4 西幕下24枚目 3—4 (平成元年) 東幕下33枚目 3—4 東幕下40枚目 3—4 西幕下53枚目 4—3 西幕下40枚目 4—3 東幕下29枚目 1—6 西幕下60枚目 1—6 (平成2年) 東三段目35枚目 引退 3—4—0 x x x x x 各欄の数字は、「 勝ち-負け-休場」を示す。 福薗(ふくぞの)1975年3月場所 - 1976年1月場所• 鶴嶺山 好政(かくれいざん よしまさ)1976年3月場所 - 1982年7月場所• 鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち)1982年9月場所 - 1984年1月場所• 福薗 好政(ふくぞの よしまさ)1984年3月場所 - 1986年11月場所• 鶴ノ富士(つるのふじ)1987年1月場所 - 1990年1月場所 脚注 [ ]• 共同通信. 2020年5月16日. 2020年5月16日閲覧。 nikkansports. com 2020年5月16日. 2020年5月17日閲覧。 「相撲」 ベースボールマガジン社 2020年6月号・112頁• INC, SANKEI DIGITAL 2020年5月16日. 産経ニュース. 2020年5月17日閲覧。 右肩関節靱帯損傷・右肩甲骨不全骨折により4日目から途中休場、7日目から再出場• 右肩関節脱臼により初日から全休 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 相撲レファレンス• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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大波3兄弟揃って本土俵

井筒 三 兄弟

荒汐部屋の大波3兄弟が、そろって本土俵に上がった。 先陣を切ったのは、今場所が初土俵で三男の三段目若隆景(わかたかかげ、22)。 白星で弾みをつけたが、続く長男の幕下大波(25)が黒星。 3人の取組があることには「昨日、気付いてました。 これで(次男の)剛士が勝ったら立場がない」と苦笑い。 それを聞いていたかのように幕下剛士(23)が、元十両の朝弁慶を破って白星で締めた。 3兄弟力士は過去に6組いる。 中でも元十両鶴嶺山、元関脇逆鉾(現井筒親方)、元関脇寺尾(現錣山親方)は唯一の関取3兄弟として有名だ。 最初の3兄弟は幕下小林、関脇輝昇、序二段輝櫻で、1944年までさかのぼる。 現役では佐渡ケ嶽部屋の三段目琴大龍、序二段の琴虎と琴大村に続いて2組目になる。 大波は「三男とはよく飯に行きますね。 話も相撲の話で盛り上がる。 次男は変わり者」と言い、剛士は「三男には負けられない」。 若隆景は「3兄弟で関取になれたらいい」と話をまとめた。 師匠の荒汐親方(元小結大豊)からは、最初の関取に他の2人が付け人を務める案が浮上中。 「それだけは嫌」と3人仲良く口をそろえた。 【佐々木隆史】.

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