キックボクシング世界チャンピオンのベニー・ユキーデの日本での知名度って当時どれくらい凄かったのでしょうか? 最近ジャッキーチェンの映画・サイクロンzとスパルタンxを見たのですが、ど うもラストの相手役の動きや雰囲気が妙に格闘家っぽいなと思ったので調べてみたところ、案の定その相手役ユキーデは80年代のチャンピオンだったので驚きました。 僕は90年代生まれなので詳しくはネット上でしか分からず、YouTubeで見たユキーデの実際の試合風景を見て凄く強くてかっこよかったので、当時の人達の知名度はどうだったのか、と気になったので質問させていただきました。 文が長くなり上手くまとめられなかったのですが、どうか教えて下さい。 補足一つ目の段落、「知名度って当時どれくらい凄かった」ではなく「当時の知名度はどれくらいだったのでしょうか」でした。 それではお声を聞かせて下さい。 ベニー・ユキーデは日本でキックボクシングのブームが下火になりかかった頃(1977年)に初来日を果たしました。 当時、絶大な人気を誇ったプロレスラーのアントニオ猪木が、前年76年に行ったボクシング史上最も偉大とされるモハメド・アリとの異種格闘技戦にて発生した莫大な借金を返済すべく、異種格闘技戦という名のプロレス路線を邁進しており、その対戦相手の一人として選ばれたアメリカの空手チャンピオン、ザ・モンスターマンことエベレット・エディとのプロレス興行の前座試合に、当時の全日本キックボクシング協会のランカーだった鈴木勝幸選手を6RKOで勝利し、日本の格闘技ファンに鮮烈な印象を与えました。 ベニー・ユキーデは、伝統的な空手にボクシングを融合する事で始まったフルコンタクト空手にて、アメリカでは老舗のPKA(プロ空手 協会)のライト級王者を獲得したものの、政治的な理由でタイトルを剥奪されて、当時創設されたばかりのWKA(世界空手協会)の選手としてアメリカ国外に活動の拠点を見出そうとしていた折の来日でした。 対鈴木戦を皮切りに、ブームが下火になりかかっていた日本のキックボクシングは、全日本キックボクシング協会、老舗の日本キック・ボクシング協会も同時に、アメリカのフルコンタクト空手(日本では全米プロ空手)との双方の競技の妥協ルールにて、マッチメークを始め生き残りを図ろうとしました。 しかし、ルールの差異も然ることながら、競技としての成熟度が浅かったプロ空手にはベニー・ユキーデを始めとする数名以外は日本選手とはまともに対抗できず、結果的には80年代に入り、日本におけるキックボクシングはテレビ放映が無くなり、団体は分裂を繰り返したりで、一過性のブームとして終わってしまいました。 日本におけるプロ空手のパイオニア的存在のベニー・ユキーデは、当時の格闘技界のフィクサー的存在だった劇画作家の故・梶原一騎氏が自ら原作を務めた「四角いジャングル」にて主役級の紹介をされた事から、日本中に多くのファンを生み出しました。 ですが、当時は現在のような格闘技雑誌が存在していなかったので、劇中で描かれたベニー・ユキーデはルックスはおろか、その出自がすべて創作(一応建前上はノンフィクションを謳っていた)で、ベニー・ユキーデ自身はカルト的人気を得たものの、ユキーデ個人およびアメリカの空手界に関する正しい理解は全く得られない状態が発生し、後年、梶原氏の劇画に影響を受けた格闘技雑誌のスタッフによる特集でも意図的に正しい情報が掲載されていない状況が続きました。 当時のベニー・ユキーデの人気は、試合のテレビ中継そのものは初戦の鈴木戦は新日本プロレスの興行であったので、テレビ朝日でしたが、それ以降は東京12チャンネル(現在のテレビ東京)でしたので、露出度は地方によっては違いがあったと思われますが、梶原氏原作の「四角いジャングル」は、ユキーデの試合を中心に実際の格闘技やプロレスの映像を編集して作成されたドキュメンタリーとして全国規模で公開され、当時既に格闘技ブームのピークだったので、知名度は高い方であったと思われますが、ただし、日本のキックボクシングブームの立役者の沢村忠とどちらが有名であるかというのであれば、当時の感覚でいえば、沢村氏だったと思います。 ベニー・ユキーデの知名度というか、影響という事であれば、むしろ格闘技ブームが去って、「四角いジャングル」の劇画で育った世代が90年代に始まった格闘ゲームにてその影響度が見て取れるようになりました。 結論として、ベニー・ユキーデは確かに日本にて一定のファン層を獲得した格闘技選手でした。 その影響は実際に彼の試合を追いかけた格闘技ファンや、また劇画にて描かれた誇張されたイメージに憧れたファン層の二つに分かれると思います。
次の
ベニーユキーデの現在と強さや全盛期の実力 ベニーユキーデをご存知だろうか?アメリカのプロ空手(WKA)のチャンピオンで、 日本にも来日して、日本人のキックボクサーを軒並み撃破して、 話題になった人物だ。 そして、ジャキーチェンの映画にも、ジャッキーの敵役として登場して、 素晴らしいバトルをジャッキーと繰り広げた人物である。 ベニーユキーデの存在を初めて知ったのは、映画「四角いジャングル」である。 この映画にベニーユキーデは登場する。 この四角いジャングルは元々漫画が原作で、原作者は梶原一騎で、 「空手バカ一代」の続編の様な漫画で、 現実世界とフィクションの世界を織り交ぜたような作品で、 この「四角いジャングル」に登場するベニーユキーデに当時はとても幻想を抱いたものだ。 ベニーユキーデの現在 ベニーユキーデは、現在62歳であるから、年齢的にオジサンだ。 当然オジサンなのだから、 ハゲてもいる。 全盛期のベニーを知っている人に取ってみたら少し寂しい気がする。 ベニーも今では順調にハゲていき、髪の毛は当時のフサフサと比べてかなり、 オデコが広くなってきている。 ベニーユキーデの必殺技 ベニーユキーデの必殺技と言えば、二つある。 それはマシンガンと言われるパンチと、バックスピンキックだ。 ベニーユキーデのマシンガンパンチで攻めまくられ、スキが出来たボディーに、 バックスピンキックを入れられ、マットに沈んだ対戦相手は当時何人いたのだろうか? ベニーユキーデの攻撃力はその人並み外れた腕力から繰り出されるパンチにあり、 そのパンチから逃げる為にスキが出来た対戦相手が、バックスピンキックでマットに葬られたのである。 ベニーユキーデの実力大したことない説 ベニーユキーデを語るにおいて必ず付きまとうのが、ベニーユキーデは大したこと無い説だ。 ベニーユキーデがいくら強いと言っても、その身長は168cmである。 大型選手が多いアメリカ人選手の中でも身長が低い。 また、日本に来日した時も、当時戦い勝った選手もザコばかりで、 日本人の最強クラスとは試合していないから、 だという意見があるのだ。 当時ベニーユキーデが来日した時に戦った選手は次のとおりである。 ベニー・ユキーデ日本での成績 鈴木勝幸 6RKO勝ち 岡尾国光 4RKO勝ち 内藤武 1RKO勝ち 大貫忍 無効試合 ユキーデが柔道技で投げ飛ばした為 殆ど、対戦した日本人選手をボコボコにしているが、当時日本人最強と言われていた、 藤原敏夫との対戦は実現しなかった(ベニー側が藤原との対戦を避けたという説) また、この時期、ムエタイのシーソンポップという選手に判定で敗れている。 また、その後の格闘技ブームの礎となる、グレイシー柔術のインストラクターと、 ベニーがスパーリングをして、 チョークであっさりやられてしまったというのだ。 この話は、グレイシー柔術の長男ホリオングレイシーがインタビューで語った事から、 一般的に知られる様になった。 ベニーは打撃だけでなく、柔道、合気道のブラックベルトである為、 寝技、関節に対応する事は可能であったとの事で、 寝技に持ち込もうとしたホリオンをかわして、起き上がって来たところを、 パンチを顔面の前で寸止めして自分が勝ったのだと、 自分の名前を利用されたのだと語っている。 そんな中でジャッキー映画で最強の敵は誰だ?と聞かれたら、当然「スパルタンX」の、 サスペンダーの奴と答えるだろう。 強烈なパンチのコンビネーションから、蹴りにつなげる。 その演技を見るだけで、ベニーユキーデのパンチや蹴りが如何に強烈なのかは、 分かるのではないだろうか? 私も子供の頃、ジャッキーチェンや、ベニーユキーデは憧れである。 もし、喧嘩でユキーデの様なコンビネーションを使ったら、相手がどんな感じになるのか? とても興味があった。 結局そんな場面は私の人生に訪れる事は無かったのだが、 ベニーユキーデのスパルタンXの動きは最強クラスの動きである事は間違いがない。 スパルタンXを見る 映画スパルタンXはU-NEXTの無料トライアルを利用すれば見る事ができます。 お支払い方法の登録は必要になりますが、 無料期間中解約もできるので実質無料で見れます。 スパルタンXにも登場したサモハンキンポーについてはこちらで詳しく書いています。 格闘技に関する記事のまとめページ 関連記事 関連記事: 関連記事: カテゴリー•
次のに、勝てるんじゃないかと思った位だから武田、マサト、KIDではお話にならないかもな。 ホーストもたじろいだ。 映画はジャガーNO1とかいうのと、ブルースリーの 娘主演の香港映画。 弟子で大物はデイヴ・リー・ロスとかオリヴィア ニュートンジョン。 bennythejet. 元マーシャルアーツ世界チャンピオン、ベニー・ユキーデとの対決シーンは必見。 引退試合だからあからさまなホームタウンデシジョンもしょうがない。 試合後に「親が死んだ直後だったから」と言い訳してた。 日本におけるユキーデ幻想が最も先鋭的に形になっています。 それを見たら映画の「格闘技世界一・四角いジャングル」で 動くユキーデの実物を見てください。 マンガの後にそれを見て 失望するかより興奮するかはあなた次第。 ヒマでしたら古本屋でその時代の「ゴング」などを買うと よりリアルなマーシャルアーツ=全米プロ空手の実態が みえてきます。 「MA日本キック」のMAの意味が分からない人間の方が 多いんだろうな。 今じゃ。 キックとは少し違うな。 なげ有り。 ひざなし。 レスありがとうございます。 さっそく四角いジャングルの文庫を捜してみます。 当時の格闘技はどんな感じか興味もあるし。 劇場版も貴重な映像がありそうですね。 炎一心は力忠勝、黒崎章男はシンサックだったような。 まさとクラスだと触らせてももらえないと思います。 しかしながらウチの兄に言わせると藤原敏男はことさら強かったみたいですね。 対戦実現しなかったのは残念ですけど。 あの頃と比してムエタイのレベルなんてガタ落ちだし、K-1がおもしろくないのは時代の流れでしょうがないんでしょうね。 映画では藤原敏男戦もあったね。 ユキーデの事あんまわからんが、テコンドーみたいな蹴り技使っていた人だよね。 橋本も憧れていたらしいが。 芸術の域だ。 ローが無いフルコン空手+ボクシングのほうが近いかな。 ユキーデはバックスピンよりもパンチが怖い。 ユキーデがキレて岡尾国光にパンチラッシュを打ち込んだのが凄かった。 レフリーの決断も遅い。 あれじゃ選手が壊れちゃうよ。 とくにひとつのキックボクシングの スタイルを指すものじゃないが日本では間違った意味で捉えられている。 アメリカではベニーの 時代のスタイルはプロカラテとかアメリカンキックボクシングと呼ばれてる。 一定のスタイルが あるわけじゃなくて選手それぞれが自分のバックボーンの武道とボクシングを組み合わせて 闘っていた。 一般的にはテコンドーとボクシングが組み合わさったようなスタイル。 新空手のルールはここから来たのか。 ここで話されてる時代って自分がたしか小学低学年の時だと思うから 知らない事がわかる。 当時はプロレスが本気でやってると思ってたよ。 今で云うレガースのスネの部分がない状態のもの。 当時、日本のキックボクサーは、これに随分と悩まされたものでした。 日本人と戦わせまくったがことごとく日本人は負けまくってた。 岡尾の時はテレビではなく、梶原の映画で見たような気がするけど。 あと、ベトナム・ホイップとかで骨折させられた日本人もいたな。 佐山も憧れていたって格通で言ってた。 両親メキシカンじゃなかったかな? 確か兄さんがWKAを創設したはず。 PKAの創始者ジョー・リュイスも同じくリーの子分だった。 ユキーデ初のムエタイルールだった。 ユキーデが藤原の試合をキャンセルしたあと 藤原と対戦を避けるようになったので藤原はユキーデに勝ったシーソンポップと試合をした。 藤原がシーソンポップに勝った後はユキーデを相手にしなくなった。 ユキーデvs藤原 2回目の逸話。 最後の対戦はユキーデからエキシビジョン・マッチを呼びかけた。 引退していた藤原が「3ヶ月あれば動ける 全R闘える ように出来る」と言って 本格的に練習を始めたのを知ったユキーデが理由無く試合をキャンセルした。 分からん。 佐山と懇意だったよね。 ルックスはもうまんまヤクザだったよね。 mikemiles. mikemiles. mikemiles. mikemiles. mikemiles. やっぱり空手だよね、プロ空手の人でしょ。 マーシャルアーツといえば格闘技全体をさす。 以前、英字紙の放送欄でリングスがそう表示されていた。 弟子が参加してるという名目でした。 弟子はペリーウベダ。 モランボンカップだったような気がする。 ウベダの試合だけ印象強くて覚えてる。 ポイントを稼ぐテコンドーの試合で一人だけキックボクシングのスタイルで試合してた。 しかもハイキックでKOさしてたな。 ユキーデもウベダもファイトスタイルが似てるっちゃ似てるかも。 ライト級同士のこの二人がもし対戦したらどうなっていたか、という内容だった。 ほとんどの格闘技ライターがディーゼルノーイの勝ちを予想。 鬼の黒崎は「階級が上とはいえシーソンポップ程度に負けた選手が ディーゼルノーイに勝てるわけがない」と発言していた。 ま、実際の話同じ階級でも20cm近く身長が離れていたんで ユキーデがパンチを当てるのは難しかっただろうし 下手に近付いたら首相撲からヒザ蹴りの黄金パターンでKOされてた公算が高い。 ただ、ディーゼルノーイはヒザ以外はショボかったんでそこに付け入る隙は……… やっぱり無かっただろうなァ。 サーマートにヒザ蹴りだけで完封勝ちしてるし、 あんまり勝ち過ぎて試合組んでもらえず、確か20代半ばでムエタイ失業してるはず。 ナロンノイ戦で凄い攻防を繰り広げたクンポンが子供扱い・・・・・ ムエタイは奥が深いよ。 強い選手は田舎から都会のジムに売られるのにプアはスカウトされずに田舎のジムから試合に出ている。 ユキーデが藤原の試合を永遠に逃げる原因になったと思う。 弟子の試合はヘクターとかウベタとか ルーファスなんかを観たんだが。 香港の有名どころの俳優も3人出てる。 ユキーデって、モンゴロイドの血が少し混じってるのかな。 ちょっと東洋人っぽい顔してたな。 それより、おれはあの映画に出ていた、娘がかわいくってしょうがなかったな。 かわいくってたまらない。 あんな美人がほんとに存在してたんだなぁ。 あと、メイクが今風なんだよな。 だから英が見てて、全然違和感が無かったな。 まだ若いなー。 30代か? 香港の俳優3人もビッグなのばかりで よくこんな3人が集められたなー。 引退して数年経つディーゼルノーイが当時約75kg。 太っていた佐竹が105kg。 30kgの体重差がありながら首相撲で全く相手にされなかったそうな。 佐竹曰く「あいつ、間違いなくカーマンより強いよ」 十数年前、カーマンが格闘技雑誌のインタビューで 「ユーゴスラビア(当時)のシカティック、アメリカのドン・星野・ウィルソン、 タイのディーゼルノーイ。 この三人を倒せば世界最強を名乗ってもいいだろう」 と答えていた。 シカティックはクルーザー。 カーマンもウィルソンもL・ヘビー。 ディーゼルノーイは20kgも重い連中からライバル視されていた。 って漏れ、ユキーデのことぜんぜん書いてねーな。 えーっと、四角いジャングルでのユキーデは美化し杉。 それと彼の中ではシーソンポップ戦は黒歴史になっている模様。 雑誌アイアンマンに載ったインタビュー記事に戦績も載ってたけど無敗になってた(w ま、キック界のヒクソンみたいなもんなんだろうね。 強いのに。 あの身体でライト級なんだもんね・・・ ただ膝蹴りを使えないルールだったらユキーデが勝てるかも。 ディーゼルノイは打ち合いに弱いらしい。 ボクシングルールで、フェザー級の選手にKO負けしてるとか。 ヒゲが似合ってて何気に男前だった。 脚が長くてモデルみたいだったよ。 ロー無し、膝無し、肘無しのルールでユキーデはタイ人にも勝ち続けていた。 ユキーデ初の敗北は初のムエタイルールだった。 プライドが高いユキーデは過去の戦績は敗北無しと嘘を書く事もある。 ユキーデ人気あったなたしかに。 (確かローキックも内股への攻撃は反則だったような気がする) これはアメリカのキックがムエタイよりテコンドーの影響下にあったかららしい。 だからユキーデはWKAルールではタイ人に勝てたが、ムエタイルールでは プライエット・シーソンポップの首相撲に苦しみ、判定を落とした。 むしろムエタイを知らないのに、小差判定までこぎつけたユキーデを もう少し評価してあげてもいいと思う。 日本のキックボクシングの選手より カッコよく見えたのは確か。 体動かす時は常に水分補給を忘れないように。 「水飲むな」っていうのは一体だれが言い出したんだろう? くだらない馬鹿げた迷信のせいで過去にたくさん人が死んでるのにね。 先の大戦中での帝国陸軍における戦地行軍での都合から一般化したというのが通説。 そう言えば、藤原敏男氏がジムを開いた当初、雑誌のインタビューで 「最近の若い奴は水の取り過ぎで、動くとすぐにバテて動けなくなる」とご立腹。 黒崎先生直伝は一味違うと納得。 汗と一緒に電解質なんかも流れ出るから。 それを知らない(勉強しない)自称スポーツ指導者どもは 「飲むな」の一点張りなわけ。 飲むなら粉末のスポーツ飲料を好みの濃さに作って飲む。 バテないコツ。 自分の意志で自分がキツい思いをするのは勝手だが 無知蒙昧な思い込みので他人の命を危険に晒すのは許せん。 そのメッキが剥がれた今、30代。 こないだ夜中やってたスパルタンX見た。 今まで何回か観たけど、気にしてなかったのか ジャッキー・チェンより背が低かったてことに今になって気付いた。 ってことは、俺より低いんだな。 新日の会場で試合前に子供たちに「Monsterman」って きっちりした楷書体でサインしてた。 全日本ライト級タイトルマッチで藤原をあそこまで苦しめた鈴木かつゆきをメッタ撃ちKOしたの見せ付けられた。 その後、日本キック系主催の打撃系交流戦で クンフーチャンプが無様な姿晒し、 韓国テコンドー選手は少しいいとこ見せただけなのに比べ メインイベントに登場したユキーデは元日本系キックチャンプと対戦。 出だし、出会い頭のパンチを貰いユキーデダウン。 でもダメージ受けるようなものでは全くなかったな。 2Rだったか、ユキーデはパンチだけで猛ラッシュ。 相手はあっという間に顔腫らして、最後はロープ際で身体が観客の方向いて倒れて終わり。 またもや戦慄のKO 当時のリング誌やファン、関係者の間で藤原VSユキーデは最大の注目の対決だった。 リング誌でいろんな人の予想コメント載せた特集もあった。 Benny!! はじめてユキーデを知り、2ちゃんで検索してここに来ました。 日本人をすんげえ倒し方で倒してた。 ヒントはメガネ・フリー・今でも現役、ぐらいかな。 確かに衝撃だよ。 137は俺じゃないよ。 1Rベニーがボクシング Cから計三度ダウンを奪い結果は1ラウンド終了ベニーのTKO勝ちになった。 相手は、ボクシングノタイトルマッチを三ヶ月も延期した。 ドン・ナカヤ・ニールセンもベニーの弟子。 投げ技があるし、ヒジ、ヒザ 禁止だからさ。 ボクで世界獲れる器ならボクをやってる気がする。 いきなり否定してゴメン。 もう少し詳しくカキコできるかな。 当時WKAにはローキックなかったからしょうがないのかも知れんけど シーソンポップにローきかされてヘロヘロじゃん。 組みヒザもまともに受けられないし。 冷静に考えて最全盛期のユキーデを連れて来ても MAXで1回戦勝てるかどうかのレベルでしょ。 魔裟斗、ブアカーオ、ジョン・ウェインには全く歯が立たないと思う。 東京12チャンネル(現テレビ東京) で全日本キックの放送があったが、深夜だったし。 当時、ガキだった俺は マーシャルアーツという言葉の響きに酔いしれてたよ。 劇画四角いジャングルでは誇張されてたかもしれんが 強かったし、どこか華のある選手だった。 ちゃんとボクシング技術を持ってたよ。 ジャッキーとの戦いのときに流れている音楽知っていたら教えてください。 (日本語吹き替えだと音楽が変わっている)。 本題からそれちゃってすみません。 相手役は俳優の新藤栄作。 見たい人いっかなぁ。 大山倍達が現役時代でも、ホリオンには勝てないだろう。 ベニーの顔はほんとうに恐い顔をしていたな。 ベニーはそれなりに強かったよ。 ムエタイもキックもしらない アメリカン空手からやってきて、そのルールの中で無差別級王者だろ? そういう意味では藤原を含むキック類勢やシーソンホップとの試合って異種格闘義戦だと 思ってる。 知らない技がある中でよくやっていたよ。 藤原が、K-1でやるのと同じくらい違うと思ってる。 ひざもほとんどだめ。 肘も投げもだめ。 でもK-1MAXでムエタイの武器を使用禁止としながらも勝ち続けるムエタイ選手が二人も いるからなあ。 やっぱ現役の藤原が当時つよいのは事実だから、K-1で技の制限があったとしても 勝っていたかなあ? ベニーはどうなんだろ。 ガードばっちりみたいな。 1977年3月の対 ナロンノイ 後に藤原に判定勝ち 戦でのユキーデの動きは素晴らしい。 サウス ポーからの左ロングフック2発、スイッチしてのフットワーク、ローキックで あのナロンノイをひっくり返している。 互角以上にやったのかもしれない。 クック本人も試合で使っているのを見たことがありません。 とにかく憧れだった。 ローリングソバット(飛び後廻し蹴り)を すっごい練習したよ〜 岡尾国光、玉城良光とかもノシテんだから半端じゃなく強かったよ。 確かにローは苦手だったけど、抜群のセンスと何より華があったよね。 mikemiles. mikemiles. mikemiles. mikemiles. mikemiles. もし機会があればピーター・カニングハムのビデオ観ることを薦める。 ムエタイ王者とも互角以上に渡り合ったおそらくアメリカンキック最高の選手。 個人的にはデッカーにも勝てたんじゃないかと思う。 国内、海外キックのビデオ取り扱ってましたよ。 今どうしてるんだろ?当時のビデオは。 chbox. 屋外で後ろの席で見ていてもシーソンポップの蹴りが当たるたびに バシンバシンもの凄い音がしていました。 ユキーデはシーソンポップの 膝蹴りに終始おされ気味でした。 また当日メイエベントで藤原敏男の試合 も有りましたが途中で相手が試合を放棄してしまい藤原敏男がもの凄く 怒っていました。 rivo. mediatti. NYに住んでたときにテレビから録画したものですが、見たかったら 何とかしますよ(週1回ISKAの番組があってそれを録画したものです) 1つは必見物です。 タイの日かなんかにLAで行われた試合ですが、3試合あって1試合目は 日本の飛鳥信也が、2試合目はピーターが、3試合目はDave Johnstonがタイの 強豪を迎え撃つっていうやつです。 惜しむらくはアメリカでの試合なんで、相手の体をつかんでの膝と肘は禁止という ルールというところですが、3つとも凄くいい試合です。 この時 確か1993年)初めてピーターを知ったのですが衝撃的でした。 タイ人も凄く強い選手なんですが、ピーターはそれをまったく苦にせず貫禄勝ちです。 こんな奴がアメリカにもいたのかっていう感じでした。 相手を腕ひしぎ十字固めをきめてギブアップさせていた。 この2試合しか日本での負けは無いと思うよ。 その後熊は病死した。 この日の全試合をノーカットで見たいものだ。 でも詳細までは。。。 なぜか英語の実況だった。 背は低かったが、TV等で見るよりも横幅があったのが印象強かった。 がんがん投票しましょう。 似た様なものだったんでしょ。 あとはパウンドからサブミッションで瞬殺かと。 当時とは技術体系が全く違うから比較は出来んか。 大山総裁は昔この大技で元ヘビー級プロボクサーをKOしたそうな。 オレ身長170cm体重60kg以下ですが握力は65kg〜70kgありますよ。 ウーテンボガードは、女の子に毛が生えたような握力ですね。 士道館だったよね。 WKAの流れを汲むMAキックってのもあった。 最初からWKAの流なんぞ汲んどらんw 同時に存在する全日本キックの方がWKAとは密接な関係にある。 それからデル・クックとドン・中矢・ニールセンが変な映画で戦ってたよ。 実力派が結構いた関西キック界 関係者の方もそうでない人も語ってください。 今から10〜15年前関西のキックボクシング界を支えた 奴らは強かった!時代に恵まれなかったね。 北心ジム 不破龍雄 ナンバー1テクニシャン) 仲洋幸(おそらく実力では1番のファイター) 松尾栄二(マーシャルアーツキックでチャンピオンに) 豊中ジム 山本ノボル(マーシャルアーツでチャンピオンに) 米英明(弱かったが憎めないキャラ) 横山ジム ガルーダテツ(日本キックで名勝負!) などがいいファイターだった。 シーソンポップとの再戦がドタキャンになったのは梶原がユキーデに頼んだのでしょうね。 同時進行の劇画の難しさを痛感したに違いない。 youtube. その後は俳優に転向し、ジャッキー・チェン主演の映画『スパルタンX』や 『サイクロンZ』に出演、ジャッキーと格闘シーンを演じている。 現在はハリウッドでアクションを担当しており、この『無頼漢』もハリウッドでは2度開催されているという。 早千予はユキーデの弟子であり、 モデルでもあるというKATTと親善試合が決定。 彼だけずば抜けて強かった。 九月に復活する私の師匠も達人だが.スパーでも見てみたい。 これってなんなんでしょう? メインがカリフォルニア州チャンピオン!?で10戦もしてない選手。 しかも3ラウンド。 他はそれ以下。 羽田の相手は元フライ級!?いつまでやってた人だ!? なんか全試合が短いのもテンポよくするためでなく、短い時間しか闘えない人達だからかなーと思ってしまう。 なんかMARSを遥かにしのぐB級さに興味そそられますが、カネは払えません。 白金在住、35歳。 中央大学にはいってません。 花の大都会トーキョーに田舎から出てきた のはいいんですが、何十年住んでもいまいち 馴染めないです。 一応新宿系でとおってますが、 その実、**道産子ジャパゆき***って感じかな。 格闘技がすきで、選手のおっかけで 上京したようなものなんですが、 田村潔のデマチしていたはずが、背に腹はかえれず カキ原さんと4Pに甘んじてしまいました。 それが人生のピーク。 25歳を過ぎると 選手から女扱いされなくなるので、今度は インターネットで恋人探し。 オフ会などに 積極的に参加しては、片っ端からモテない輩の オチンチン舐めちゃったんですが、それも数ヶ月して 嘘やハッタリが維持できなくなりキャリヤやステイタスの無い ジャパゆきサンだということがバレだすので おっくうになるんです。 六本木で遊んでた頃と 同じパターンでヒキコモリがちになって結局・・・ そんな私ですが一つだけ自慢できることがあります。 この際、負死鳥カラスだの、ムサシ大山だの、清水の画伯だの、あゆみちゃんだのも出てくると素晴らしいんですが。 そういえばカラスの試合って前回いつ見たか忘れてしまうくらいご無沙汰しているなぁ。 早千予は5月にひき逃げ事件を起こして話題になりましたが、被害者との示談が成立したために6月のMAキックの試合には予定通り出場も、確かその後に1年間の謹慎処分という条件で出たはずなんですが…いいのか? こういう興行なら出てもいいなら、謹慎処分の意味がないんですけど。 篠原については、昨年大晦日の大向美智子木刀襲撃事件は見ていないのですが、出てくることについてあんまりいい気はしないのが正直なところ。 経験でわかる。 」 モーリス・スミスやブランコ・シカティックに勝ったドン・星野・ウィルソンの言葉。 あれは確信犯だと思う。 怪我しなくて済むしね。 後にセンサクと世界戦をやった世界ランカーのモンロー、ブルックスに 8RKO負け。 望みを絶たれた。 ちなみに私はボクオタですが、ユキーデも藤原も当時生で見ています。 あのころのキックは熱かったですね。 著名どころでは、 アーツと戦った、ジェームス、ウオーリング、他にもフェザー級のトロイ、ドーシィ、 ホームズと戦ったランディ、コップ、などなど・・・ 最近じゃピタリ、クリチコなんかもそうでしょう。 マーシャル、アーツ(アメリカン キックボクシング) は、ボクシングとテコンドーを合体させたアメリカ生まれのキックってところが面白い。 タイのことなんて、アメリカではほとんど情報の無い時代でした。 アメリカで独自の発展を遂げた競技といえるでしょう。 当時来日した選手が、みんな世界王者を名乗っていたことでもよくわかる 笑い) それが衰退した要因のひとつだとも思います。 当時はタイと日本だけでしたから。 オリンピック競技に空手を差し置いて、先になったのも頷けます。 参考までに。 テコンドー由来のものだったんですね。 そのなかでユキーデは正攻法というか、前蹴りとパンチで押していくところが素晴らしかった。 しかもたまに見せるバックスピンキックで日本選手を悶絶させたのには驚きましたね。 でも当時の日本キック界にはそもそも重量級の選手がほとんどいませんでしたからムリだったかな? 蹴りの多彩さではモンスターマン>>>ユキーデでしたからね。 重量級であんな華麗な蹴り技は見たことがなかったからイノキ戦は驚異でした。 なかなか面白そうですが、ただキックのタイトルを見るとほとんど空位だらけで寂しいかぎりです。 wkausa. ユキーデの弟子がどこまでやってくれるのかちょっと不安なところもありますがこれはミモノでしょうね。 田上選手の方がかなり体が大きいね。 ユキーデもイイ年してよく対戦したものだと思う。 だからボクシング+空手(など)を身につけるのがキックの選手になる条件だった。 南アフリカでも、マイク・ベルナルド(剛柔流空手)やアンドリュー・トムソン(テコンドー) といった選手が、空手などのバックグラウンドがあったのは当然だった。 ユキーデの松濤館の師匠は、窪田孝行という熊本出身で、アメリカではタク・クボタとして FBIやCIAにも教授している有名な空手家。 現在は剛速流を創始。 田村潔オタクでミニスカ愛用派。 出勤は9時5分から 9時15分とフレキシブル)の会話集より。 アラヤ「いまさあ、長野県の温泉の若旦那とつきあってるんだあ」 友人「うっそーあいつとー、メグって年下専門がポリシーでしょお?」 アラヤ「でもさあ、お金もってるし、格闘技団体にコネとかあるらしいよ」 友人「でも、それであの宮戸優光似のデカ顔とセックスするのは違うでしょ?」 アラヤ「うううん・・でも背に腹はかえられないっつうか、もう東京は辛いよ」 友人「ええええっ!!こないだオフ会いってもう嫁入り気分かよ!はやっ! でもさ、温泉なんてメグの得意分野のEコマースや金融設計系じゃないじゃん」 アラヤ「うん。 私の得意分野のEコマースや金融設計系じゃないよね、確かに」 友人「普段、Eコマースや金融設計系にしか携わってなくて、客商売なんか できないよ。 慰安旅行のオヤジの団体とかきたらどうすんのよ、無理よ無理」 アラヤ「やっぱそお、それに相手は初婚で披露宴とかあって、それがちょっと」 友人「挙式したら、低学歴や惨めな経歴が全部大勢の人前でばれちゃうもんね、 基本的には日本語が流暢なジャパゆきさんと同格なんだからさあ、道民なんて。 でもそういう場面を避けていたら、結局北海道で大学でも出て普通にOLしてればよかったってことにならない?それじゃあまりに自分に卑屈じゃない?」 アラヤ「じゃあ私、どうしたらいいのかな、どうしたらいいと思う?」 友人「平凡な人生が嫌だったから今のメグがあるんだから、そういう 退屈な市民社会のお祭りに合わせなきゃいいんだよ。 披露宴なんてウンコの やることだよ。 そうだね、今度知り合いのオバ専なネパール人でも紹介するから つきあっちゃえ。 スパルタンXは厨房の頃にビデオ借りて見たんだけど一緒に見てた親父が 「ベニユキーデじゃん、こいつ強かったんだよ。 本気でやったらジャッキーなんて相手になんねぇ」 って言ってたの覚えるなぁ。 親父は12年前に死んじゃったからもう無理だけど、 当時の話を詳しく聞いておけばよかったよ。 皆、スマイリーでイイ感じですね。 試合そのものもスピード感があって、見ごたえがあります。 良き時代の・・・アメリカですね。 全米プロ空手は全盛期にはMSGに1万人の観衆を集めたとか。 本国では、ビル、ウオーレンスのほうが人気が高かったみたいだけど。 ブームが去った70年代中盤以降、活路を求めて日本などに進出しようとして ユキーデ以外、失敗したのが痛かったな。 アメリカのプロ空手は、ブルース・リーにも学んだジョー・ルイスが沖縄での 修行経験(防具組手)を元にジークンドーとボクシングを取り入れて創始した。 少林流空手を学んだルイスは、沖縄時代に授かったサイドの構えからの サイドキックを得意とし、ルイスの影響でアメリカ空手界はサイドキック を多用するようになった。 ルイスと同じ少林流空手を学んだ、ビル・ウォレスは、同じ構えから、前足 で、横蹴り、廻し蹴り、カケ蹴りをジャブのように連打する戦法を編み出し、 弟子(といっても流派は違うが)ドン・ウィルソン(剛柔、中拳)に伝授し、 セミナーを通して流派を超えて広まった。 ちなみに、テコンドー関係者は この戦法はテコンドー独自であると捏造している。 アメリカンカラテ=テコンドーというのは、小島一志の捏造。 とにかく空手 が最強であってほしいという思いが強く、この捏造は広く信じられている。 早い話、ユキーデなどアメリカのプロ空手を空手として認識するのは タブーだった。 ITFはプロ空手創設には一切関与していない。 ピーター・カニングハムなど の選手もテコンドーの経験は一切ない。 カニングハムは千唐流空手出身で ユキーデに弟子入り、Ukidokanとムエタイを基本に戦った。 チェ・ホンヒを始めとする古いテコンドー家は、日本の空手の影響を受けていたので、コンタクト制には 消極的だった。 現在行われているITFのルールも、アメリカのオープン制大会 のパクリ。 アメリカの試合で認められていた、中段への逆突きや、裏拳、背刀 などの手技、そして足払いを取り除き、テコンドーに特化下のが現行のITFルール。 アメリカではITFはマイナー。 だから当時、ロスにいた日本人の空手家に手技をまなんだ。 ただ、ノリスは、プロ空手の試合経験はない。 スポークスマンとしては知ら れている。 あと、タンスドーにはザ・モンスターマンやランバージャックがいたが、 異常に打たれ弱かった為、プロ空手では大成しなかった。 ハワード・ジャクソン は二人の後輩だったが、ロスに引っ越してノリスに弟子入りしたから成功した。 ユキーデの住んでいたロスには、窪田氏以外にも、西山英峻氏、大島努氏など 松濤館の師範が指導しており、当時アメリカの松濤館は最盛期だった。 また、 ハワイから、ケンポーカラテの師範が来ており、ビル・リュウサキという日系 の空手家にも指導を受けた。 ケンポーカラテは空手に中国武術の手技を合わせた もの。 一時、日本の雑誌にでてた、ベトナム帰りのキモとかいう師範がやっている のもその一つ。 映像が見たいよ〜。 彼のサイトに闘病記もあります。 ユキーデvsハワードジャクソン戦のビデオ・クリップもほんのチョットだけこのサイトで見られますヨ。 howardjackson. これは総合の試合で、ムエタイがスタンドで有効とされているのと タイ人のコーチが大量に移民してきているから。 今、アメリカで一番イケてる のがムエタイとブラジリアン柔術。 テコンドーは一番イケてないらしい。 WKAでもISKAでも、一階級にプロ空手、ローのみ有り、ムエタイと 3つの部門のチャンピオンを認定している。 あと、どの団体もルーツは空手 なのでポイント制の空手の大会も開いている。 現在プロ空手の選手になるのに空手の経験は必ずしも必要でない。 現在、プロ空手は ロー無しキックと呼ばれ、それ専門のジムが増えたから。 ルスラン・カラエフとかも そういうジムの出身。 試合開始から、ややジャクソン優位の展開だったが、4Rか 5Rだったか、ジャクソンがたたみかけようと前へ出た時、アマ時代に痛めて いた左膝靱帯がバランスを支えられなくなり、そこをユキーデがラッシュを かけて、レフェリーがストップした。 ストップが早かったのではないかという 見方もあり、遺恨の残る試合だった。 ちなみに同じ興業で、デトロイト時代の 先輩、モンスターマンがPKAヘビー級王者と戦って、1RKO負けした。 プロ空手は、この年からボクシングのグローブを採用したので、それまでボクシング 経験の無かったジャクソンは、ユキーデ戦後、遅いながらボクシングを習い始め、 結果としてWBAのウェルター級世界ランキング6位まで上った。 ユキーデは、ポイント制の空手 がいやになったので、プロボクサーとしての訓練をボビー・チャコンの元で していたのでボクシングには自身があった。 でも空手をつづけたかったので、 プロ空手(正式名称はフルコンタクト空手)で大成した。 ユキーデの試合は、本人のページで、鈴木戦、岡尾戦、玉城戦、そして大貫戦 2試合を販売しているけれど、DVDのリージョンコードが違うので、違法 だけど合わせる必要があるとおもいます。 あと、下のスペイン人のページにも幾種類かあるようです。 トレードが基本で 販売はしていないようなので、何か交換できる物があるといいですね。 kick boxingのところで、ユキーデやドン・星野とか沢山あります。 また ebayでpkaとかfull-contact karateで検索すると色々出てきます。 また下のページに、モンスターマンのKO負けの試合が入っていたと思います。 PRO-KARATE CHAMPIONSHIPS あと、PKAのダイジェストクリップも発見しました。 星条旗の空手着は リック・ルーファスだと思います。 玉城戦のユキーデはコンディション最悪で、見てられなかった。 アメリカの テレビ解説者が、ユキーデを何度もミスター空手と呼んでいたのが面白かった。 といっても、あくまで空手 の技の延長としてだった。 投げた方が膝をつかないこと、投げられた方の 背中がたたきつけられる事が条件で、ダウンとしてカウントされた。 ウォレス もユキーデと同じで柔道の黒帯だったらしく、結構投げていた。 でも脱臼の ような事故が増えたので禁止になった。 以前に、職場の後輩にゲーム世代がいて、アメリカ の友人宅につれていった時、ゲームで獲た知識を全部否定されていて泣いていた。 まあ、彼も被害者の一人だったのだが・・・。 ユキーデは現在、空手とキックは別に教えているらしい。 キックの弟子で 空手Ukidokanの黒帯を取ったのはカニングハムだけらしく。 つい最近来日 したキックの弟子は、テコンドーとか他流の出身。 キック部門の内容も ムエタイの影響が大きいらしいから、昔の面影は少ないかも。 しかし、、それでも、、あのチリチリの頭にモミアゲのモンスターマンはカッコヨカッタなぁ。 女兄弟っていたよね?名前なんだっけ? ・武田の師匠、長江氏に勝ったのは回し蹴りに合わせた右パンチだったと思う。 ・勇気道連盟が今の新空手道連盟。 ・今にして思うとやっぱ藤原の方が強いべ。 友人いわくモンスターマンは、 4回戦レベルのボクサーと異種格闘技戦をして1RKO負け。 とてもアリの用心棒は 無理だったと思う。 ただ、テコンドー歴が長いので、華麗な足技が 使えるのではないかな。 もし、K1MAXで優勝したりしたら、テコンドー関 係者がうるさくなりそう。 プロ空手よりはボクシングのキャリアがある。 チャクリキジムの初期の選手、サスキアに1RKO勝ちしたけど、数年後、 ルシア・ライカに2RぐらいでKO負けした。 ユキーデの空手、Ukidokanと新空手は関係ない。 新空手関係者はキック出身で 、下火になったキックに人を集めるために空手をなのっている。 ユキーデは空手 とキックを分けて教えており、新空手の関係者と袂を分かった。 基本や型もで きない者に黒帯を授けるという考えに同意できなかったかららしい。 364に 上げたリンク先によると、Ukidokan空手は武道、Ukidokanキックボクシングは スポーツとして教えている。 ロングレンジはもちろん接近しても肘、膝、首相撲に長けている藤原氏とは 分が悪いと思う。 ジェットセンターは保険に加入出来ないほど金がかかっており、映画の仕事な どもっと金になりそうな仕事があったからかな?でも、そのジェットセンター もカリフォルニアの自身でおシャカになってしまって、さらにアメリカキック 界もムエタイが主流になったせいで、自らのキック部門もかなりムエタイの影 響が強くなってしまった。 テレビドラマにも出演しているとは・・さすがユキーデの弟子だ! キックの6thグレードはどの程度なんでしょうねぇ? 赤いパンタロンがぴったり似合っているし先日の士道館の選手にも圧勝しているので今後に期待です。 あとレミー・ボイヤスキーとのスパーリング写真もあり結構楽しめましたよ。 残念なのはモンスターマンについてのお話だけですね。 モーリス・スミスとまではいかなくても、、もう少し強いと思ったんだけどなー。 しっかしユキーデもドンもピーターも技のキレにはほれぼれしてしまいますね。 新空手の前身の勇気道は、今サトル・バシコバのいるジム・勇心館が 前名の正心館だったころの前オーナーの赤木氏がベニーユキーデと提携 していたため使い始めたと思います。 誰も英語が話せない時代だったので、 どこまでお互い話し込んでやってたのかは不明ですが。 全日本キックもその当時は全日本マーシャルアーツ連盟と名乗っていて、 WKAの選手をたくさん呼んでいた時代ですね。 選手がいなかったから。 ユキーデはPKAのチャンピオンに なって期待されていたけれど、独占契約が気に入らなかったから、PKA にベルトを剥奪された。 日本だと特定の団体の興業にしか出場できない けど、アメリカではそういった考えは好まれない。 ドン星野など、PKA の世界タイトル挑戦が確定していたのに、やっぱり独占契約が気に入らな かったので、プロ空手初のフリーエージェントになって、他団体のベルト も獲得した。 WKAが日本に来たのは、アメリカの市場でPKAに勝てな かったから。 あと、アルティメットとか総合 はあんまり好きじゃないらしい。 カナダ時代にプロ空手のキャリアを開始して、千唐流 の師範がマネージャーとコーチを担当していた。 もっともユキーデの弟子 になったからこそローキックに対応できてサガットととも互角に渡り合える ようになったのだろうけど。 ビル・ウォレスのスーパーフットとシュガーレイ レナードのシュガーを組み合わせたシュガーフットという名称は萎えたと思う。 あと、カニングハムの蹴りは速くてシャープだったけど、KOが極端に少なか ったはず。 よくいわれているサイドキックも膝からのスナップだけのものが多く あんまりダメージはなさそう。 ジャブみたいに連発してポイントを稼ごうという スタイルだからそうなったのかも。 ドン星野はジャブ的なやつと腰が入った ダメージを与えるサイドキックを使い分けていたように思う。 ジム も表面上だけアメリカのシステムを真似て空手道場を名乗るようになって ユキーデに提携を申し出た。 でもキック関係者は空手に理解がなかったの で、基本とか型とか護身術とかはやる必要がないと考えて空手着を着た キックとして展開したが、ユキーデはそれが気に入らなかったので袂を 分かった。 現在まで続くキック界低迷の一旦はここにある。 アメフト出身で、ガタイがデカくて身体能力もハンパ じゃなかったから、ドン星野いわく一番やりにくかったそうな。 でも2度 ダウンを奪って判定勝ちした。 ユキーデ対ジャクソンの試合は入手不可能じゃないかな。 PKAは80年代 中期に消滅して、現在は、プロモーション団体として残っているけど、当時 の試合テープの権利関係は複雑らしい。 団体のスーパースターだったウォレス の試合すら、本人が出してる教則ビデオにクリップが入っているだけだし。 あと、関係無いけどタンスドーにはドン中矢ニールセンがいた。 まあ、彼も ムエタイ転向組だったけどね。 ユキーデはパンチ力とテクニックはあるが身長リーチが無さ杉で、ボクシング ではフライ級の中に入れてもリーチが短い。 プロ空手の主要武器がボクシングで構成されているのは事実だけど、国際式で 成功したのは、ワーリングとトロイ・ドーシーの二人だけ。 あとそれからプロ 空手選手はそんなに派手な技を使ってる訳じゃない。 ビクター・ソリエルとか 生粋のテコンドー家は1Rからいきなり後ろ廻し蹴りを連発してたが。 テコンドー といえばリック・ルーファスもそんな感じだったかな。 でもこの二人はキックでの KOも多かったから決して見せ技ではなかった。 テコンドー以外の選手、ドン星野 はサウスポーのときは騎馬立ちでサイドキック主体で、オーソドックスの時は猫足 立ちで、前蹴りとローが主体、回転技はバックブローをごく希にだすだけ。 個々の 技の切れや試合の組立は上手いと思ったが派手だとは思わなかった。 ワーリングも 身体がでかかったからか回転系は殆ど使ってなかった。 プロ空手に関する固定観念は、 やっぱり小島一志氏のせいだろう。 とにかくプロ空手が空手から派生した競技である と認識する事に抵抗があったから。 90年代にはマンソン・ギブソンの得意技でした。 マンソンがホーストからダウンを奪ったのもこの技でした。 私がこの技を初めて目にしたのは70年代後半、、全日本キックがTV放送されていた頃だと思います。 当時はベニー・ユキーデの全盛期ということもあり、全日本キックの試合に全米プロ空手の選手が大挙参加しておりました。 その中にバックブロウの達人がいて全日本キックの選手をさんざん苦しめたのが印象に残ってます。 軽量の選手でしたがかなりインパクトありましたよ。 名前は残念ながら思い出せませんが、たしか、、白人の選手でした。 ドン・ウィルソンはボクシング対キックボクシングという変なルールのアート・ジマーソン戦、シカティック戦、M・スミス戦。 ジョー・ルイスは白黒の試合ありますが、リングじゃないです。 1988年ラスベガスのチャンプア、チャモアペットが出場した試合や 極真世界大会よりも前に試合したスミットのキックもあります。 マンソンやディーゼルノイやチャンプア、サーマートの試合と交換してください。 ユキーデ登場以前の外国人選手というと、タイ人以外では・・・斉藤天心と試合したヘビー級のジミー・ジョンソンくらいでしたね。 基本的に二種類あって、カウンターで使う時は上体を捻り、相手を追い込む時 は平安三段のように、後ろ足を移動させて使います。 上のマンソンのインタビュー で、彼は相手の力を利用する戦法を心がでているようです。 だからバックブローとか 後ろ廻し蹴りで死角からの攻撃が多いとの事。 70年代後半の白人選手ですか。 名前は思い浮かべないですね。 80年代に入ると フライ級にミゲール・モントーヤという選手がいましたが、確か東金ジムの高橋宏 選手とか、全日本キックの土田光太郎選手、赤土公彦選手とかと対戦していた記憶 があります。 覚えているのは、試合は、膝蹴り禁止の ルールにとまどうもののナロンノイが有利に進め、内股ローが2発(だったかな?)ユキーデに 決まってダウン。 レフェリーが金的への蹴りと判断してノーコンテストになった。 もっとも 本当に急所に入ったかもしれないが、当時アメリカで誰も内股ローを技として認識していなかっ たからだけど、その後、判定に納得のいかないタイ人関係者が暴れ出して暴動に発展したのは 有名な話。 あと驚いたのは、ユキーデのタフさ。 ルールのおかげもあったけど、一方的な展開には ならず(ナロンノイ優勢だったと思うが)に最後まで闘い続けられたのはすごかった。 下のリンク に試合クリップがある。 タイでも数回試合して結構つよかったはず。 本業はロサンゼルス郊外で小さな旅行代理店をやっていましたが、 不況のあおりか95年を境にまったく姿を見なくなりました。 この人のファイトスタイルが凄く新鮮だったものですからついついこだわってしまいました。 まだ存命 されているのでしょうか?パートナーだったアーノルド・ユキーデは他界されて しまいましたが。 あの当時、ユキーデとジャクソン以外には サミー・モントゴメリー(テコンドー)くらいしかいなかったような。 これは驚き。 値段はアイルランドのポンドで 表示されていて、THAI BOXINGのところでKICKBOXING CLASSICSの一番最後に あった。 WKA は出てなかったと思うが、PKAからKICKまで殆どの団体でテレビ解説 してた。 KICKは今はもうないけど、たしかボブ・ウォールが友人の空手家 と共同で創設した団体だったと思う。 マンソン・ギブソンが主に闘っていたのが この団体で、ドン星野対シカティクもこの団体の興業。 ジャンクロード・ヴァンダム 主演のキックボクサーで兄役を演じていた元ヘビー級チャンピオン、デニス・ アレクシオのマネージャーでもあった。 ニューガルトは日本系の試合にアメリカ選手を引率していた 山下タダシの弟子だったはず。 WKAが全日本以外の団体と契約が結べなかった(表面上) から、同じ小林流空手の山下氏に引率を任せたのではないだろうか。 あと、モントゴメリー はハワード・ジャクソンと試合したらしい。 内容は知らないがジャクソンの勝ちだった らしい。 下はモントゴメリーのサイト。 WKAは1976年に小林流空手を修行していたハワード・ハンセン氏 とベニー・ユキーデの長兄、アーノルドが創設した団体で、当時は世界空手協会 だった。 アメリカの市場では老舗のPKAに対抗できなかった為、やむなく日本の 格闘技市場に参入。 全日本キックボクシング連盟と提携を行っていた。 80年代 に入って日本のキックが下火になると、全日本は全日本マーシャルアーツ連盟 として延命策をはかった。 猪狩元秀氏や田端靖男氏などもこの団体で現役を続行 、完全なプロ空手化を計ったが失敗。 87年後期に全日本キックボクシング連盟 が復活すると、通常のムエタイ式に加えてプロ空手にローキックを加えたインター ナショナルルールの試合を並列して行い、日本人の選手もWKAのタイトルに挑戦する 形で興業が成立していた。 WKAの功績は、まず、女子部門を設立した事とアウトサイドへのローキックを 認めた点だった。 日本やヨーロッパの選手が参入しやすいようにした苦肉の 策だった。 現在では、このローキックのみを認めた試合ルールをインターナショナル ルール、あるいはレッグキックルールと呼ばれている。 89年あたりから 世界キックボクシング協会を名乗るようになって、91年にはハンセン氏が引退 した。 このあたりから、一つの階級にローキック以外の、プロ空手ルール、ムエタイ ルールが設立され、団体の権威が急速に下がっていった。 現在WKAの本部はイギリス にあり、小林聡選手らが獲得したタイトルはムエタイ部門のもの。 現在、欧米では キックは、フルコンタクト(かつてのプロ空手、ロー無し)、インターナショナル (ローのみ)、ムエタイ(肘がない場合が多い)の3つに分けられていて、WKAやISKA などもこの分類に準じたタイトル認定を行っている。 ハードパンチャーで過去最高のプロ空手選手だと思います。 現役時代はカナダでは大変は英雄だったそうで、アメリカに対してコンプレックスのあるカナダ 市場では、プロ空手がボクシングの人気を上回っていた事もあるそうです。 モルソンやラバット といった大手ビール会社がスポンサーについていたせいか、フルタイムの選手として生活でき、 最後の最後までプロ空手ルールでキャリアを築き上げました。 アメリカの友人いわく、彼がいわゆる、ローキック無しキックボクサーのハシリだったとのこと。 それまでは、プロ空手の名称通り、空手を長年修行した者がボクシング技術を取り入れる形で 選手になったが、テリオーの場合、基本スタイルが柔術で、しかも青帯止まり。 ボクシング技術 を徹底的に磨く事で頭角を現してきました。 当初、蹴り技は前蹴りが中心でしたが、晩年には 廻し蹴り、横蹴り、後ろ蹴りによるKOが増えた。 空手で黒帯を取らずに、あるいはとっても ボクシング技術がしっかりしていれば、空手のバックグラウンドを捨て去っても、プロ空手の 選手になれるという最初の例で、たとえばマイク・ベルナルドのような選手のプロトタイプでした。 こういった選手が増えたことによりフルコンタクト空手(プロ空手)はフルコンタクト・キック ボクシングと呼ばれ始めました。 生粋のムエタイ選手の ホーストがプロ空手ルールに馴染めず、あまり攻めようとしないのでテリオーは攻め難く、平凡 な判定勝ちを収めました。 確か2戦目もそんな感じだったような。 あとチャンピオンになる少し 前にWKAの興業に参加しており、ユキーデの義兄、ブリンキー・ロドリゲスと対戦して、1RKO 負けした試合。 この試合では、松濤館空手のキャリアが長いブリンキーの足払いに対応出来ず、 スピンしたところに左フックを合わせられKO負け。 次に、84年に行われたドン星野ウィルソン との対戦。 本来この両者は80年にウォレスが残したPKAミドル級タイトルを争うはずだったが、 独占契約を嫌った星野がPKAを離脱。 それから4年後にSTARという独自ランキングを認定する組織 の名目のもと、ロー無しの純粋のプロ空手ルールで闘った。 当時の下馬評ではテリオーのKO勝ち の予想が多かったが、この頃、ドン星野はムエタイの選手と幾度か対戦しており、両者の実力に 開きが出てきた。 9Rにテリオーが軽いダウンを奪うものの、それ以外は星野の上手い攻めが圧倒 した。 が、地元判定故にドローとなった。 そして最後は、リック・ルーファスとの試合。 この時 ルーファスは全盛期で、テリオーは峠を越えていた。 にも拘わらず、4か5Rにダウンを奪われ、 そのもう一度ダウンを奪われそうになった。 けど、バックブローを多用し、手数にまさるルーファス が僅差の判定勝ちを収めた。 カーマンと試合した時は、マウンテンバイクの怪我が治ってなく、 5Rに棄権したと思う。 モーリスがムエタイに転向したのは、 日本で行われたドン星野戦の後、オランダで試合をして、同じ興業でイギリスのロニー・グリーン (斉藤京二と対戦)と出会ってから。 また、オランダのレベルの高さに驚かされ、ヤン・プラス 氏やトディー氏の元でもムエタイを学んだ。 理由は、空手(あるいはテコンドー)にボクシング を加えるという面倒臭い事をするより、最初からキックボクシングとして完成されているムエタイ を学んだ方が早いから。 これは405にも書いたけど、キックボクサーとして活躍したいのであれば、 無理に空手のバックグラウンドを保つ必要はないわけで、ルーファス兄弟とかも今ではムエタイだし、 日本みたいに無理にグローブ空手なんて呼ぶのは悪あがきでしかない。 チャンプア対ルーファスは88年だったはず。 プロ空手の団体であるはずのISKAが、ベトナム戦争で 弟を失ったチャック・ノリスの共和党的発想から実現した対戦だった。 ルーファスいわく試合当日に なってローキック有りと聞かされたらしく、ローの経験が無かったけど、なんとか左ハイでチャンプア の顎を砕いたそうな。 でも最終的にローに対抗できずギブアップした。 伊原信一氏にダウンを取られて判定負け。 その後来日、竹山晴友選手と対戦。 しかし、上の方に貼ってあるビデオクリップ作った人って恐ろしくマニアだなぁ。 番組MCの大江慎さんが『羽田さんは昔マーシャルアーツでユキーデらの前座でよく出てた』と言ってたので気になりました。 クックやソリエルの試合が入っている市販ビデオに 羽田選手のUSスーパーライト級タイトルマッチが入っていました。 (確か判定勝ち) 88年にはメキシコでジェットセンターのピーター・カニングハムとも やっていますね。 (大差の判定負け) その後、全日本キックに登場しましたが、キックルールに対応できず 1回きりの出場でした。 そしてシュートボクシングに定着。 チャンピオンになったみたいですが、当時のシュートボクシングは 全体のレベルがかなり低かったので、注目を浴びるまではいかなかった ようです。 カニングハムとやった日本人って飛鳥選手だけだと思ってたから驚きました。 以前にも書き込んだように、WKAは既に全日本キック連盟で団体の世界 タイトル戦を行ってたから、野口氏の日本系では出来なかったのだと思うけど 、知っている人がいたら教えて下さい。 だからハワード・ジャクソンなんかも 日本で闘っていた時はWKBAのタイトルを奪取、そしてアメリカでWKAのタイトル をかけて玉城良光と試合したはず。 余談だけど、今アメリカで活動しているユキ 堀内氏が野口氏からWKBAを受け継いでいたのだけれど、88年あたりからWKAが 世界キックボクシング協会を名乗るようになって、そのことに怒っていた事が あった。 羽田氏の試合も あったけど、相手がローキック未経験な上に羽田氏のローが頻繁に金的に 当たっていて試合が中断されていたりしていた。 羽田氏は錬武会空手の出身 だったと思う。 アメリカの友人に見せてもらった雑誌に羽田氏がシュート ボクシングで対戦した相手と空手着で技術を解説していたから、やはり彼の シュート初参戦はヤオだったのでは?あと、記事の中で藤原敏男氏に師事した 事があると書いてあったけど本当だろうか?そのわりには下の階級の青山隆氏 に首相撲でオモチャにされていたが。 ユキーデの両親がプロボクサーと プロレスラーだった事は知られているが、ベニーは彼含めて7人兄弟で、 しかも全員が柔道とケンポーカラテ、松濤館空手の黒帯を持っているという 空手一家。 後年リック・ルーファスが、幼少時にユキーデの試合を故郷で見たのがきっかけ で、空手の師匠だった父親がジェットというニックネームをつけるように言った。 シュガーフットはピーター・カニングハム。 ウォレスはスーパーフット。 ドン星野のドラゴンは、彼の学んだカンフーがパイラム(白龍)だったから という説と、彼がブルース・リーに似ていた為という説がある。 個人的には 後者のほうだと思うが・・・。 アレクシオのターミネーターはKO率が高いから付けられたものだと思うが 詳しくは知らない。 それ以前はDennis The Menaceで、問題ばかり起こ悪ガキ が主人公のアメリカのマンガにちなんで付いた名前だった。 でもパンチ、キック とも一発の破壊力は充分で、スピードに難があったけれど、プロ空手版のピーター・ アーツみたいだったというのは言い過ぎかな?全盛期の頃はドン中矢ニールセンに 6RKO勝ちしたけど、晩年には後のボクシングヘビー級チャンピオンのビタリ・ クリチコに負けたのが最後の試合だったと思う。 ポテンシャルの高い選手だったと 思うけど、アレクシオかモーリス・スミスと対戦してたら面白かったと思う。 でも完成度ではこの両者に劣っていた。 それとキックそのものが注目浴びていないなか、シュートボクシングだけ 脚光をあびていた。 特に大江は俳優向けだとよく言われていた(マサト・KIDの元祖か?) UWFインター時代の高山、金村などは大江は憧れの的。 今なら谷川がほっとかないぐらい選手を根こそぎ持って逝くだろう。 まぁ彼らの大半は離れたが。 オラの言うレベルが低い時代とは、羽田がチャンピオンの時期で 阿部も大江も大村もとっくにいなくなって平と岩下だけで客呼んでた 時期ですだ。 吉鷹もまだ川上達弘の時期ですだ。 キックの立嶋や空手の佐竹が人気で、シュートボクシングは雑誌からも 「シーザーさん、みんないなくなったのは何か問題でも?」と突っ込まれてた 時期ですだ。 後、吉鷹さんは川上一弘。 川上達弘さんは映画会社の人で忙しくて練習出来ず早く引退されたんじゃなかったけ。 確かに2年ぐらいの低迷はあったけど村濱というスターを生んで盛り返した。 シュートボクシングはシーザーマンセーがあり、内輪で盛り上がる馬場時代の 全日本プロレス臭さがあるからどうしてもレベルが低く見えるんだ。 確かそんな話を聞いた。 当時はさいたまジムの館長だったかな? そいつに関してはあまり深く考えない方がいいよ。 つなぎで如何様やらせたようなもんだ。 選手じゃない。 へフトンは試合の時には、師匠のジョン・モンザック の催眠術(?)によって人格がジキルとハイドのように攻撃的に変わる。 ボクシング技術に欠けていたので、一発一発を空手のように気合いを込めながら 打っていた。 あと、ドン星野主演のシューティングサンダー(原題:Blackbelt に出演していた。 少し前にebayでビデオがオークションに出されていた。 重ね重ねどうも。 アンタの書き込み興味深い話ばかりで好きだ。 当時の『ゴング』あたりで、煽ってたのは、何だったんだろ? 大仁田ところに来てた、「空手マン」と大差無かったのね(トホホ。 猪木も大仁田も、共にシアトルでやってたからスタイルが似ていると言われ てたけど、ホントにやり方、そっくりだったんだね。 そう言えば、当時、プロレス紙誌上限定wで話題になっていた、アリと猪木 の「再戦計画」も何だったのか? モンスターマンは、アリの用心棒で、再 戦の条件の1つで、猪木は対戦を受けたという「ギミック」になってて、ア リの顧問弁護士とか称する人が、リングに上がってたけど、あの人は、ホン トは何者だったのかな? あっ! スレ違いか。 これは、マジな疑問だけど、アリともエキシだか、スパだかやったことがあ り(確か、そのニュースは、一般マスコミにも配信されてた。 「テネシー」です。 あのチリチリの頭ともみあげだけでもオシャレだったし。 しかもあの華麗なる足技。 70年代ヘビー級では貴重な存在だったと思う。 華麗だが大してダメージの 無さそうな蹴りとボクシング仕込みの柔らかい上体の使い方でブラッド・ へフトンと二度に渡って勝利。 テコンドー対空手のわかりやすい対戦だった けど、1度目はレフェリーのブレイク直後に右ストレートでKO勝ち、2戦目 は観た事ないけど、判定勝ちだったそうだ。 モーリス・スミスのプロ空手時代の映像は、日本で行われたドン星野戦ぐらい しか知らない。 あとこの試合の少し前にスミスはジェームズ・ワーリングと 対戦して引き分けている。 現在では、アントニオ猪木の異種格闘技戦は、アリ戦と パキスタンで行われたペールワン戦以外はヤヲだったというのが定説で、 当時は、プロレスはボクシングのような真剣勝負の格闘スポーツとして 売り出していたから、そのプロレス流の営業を妨害するような記事は ゴングは書かなかったのでしょう。 90年頃のブラックベルト誌で、ビル・ウォレスが連載記事の中で、 エベレット・エディはポイント空手の大会では成功を収めたが、 フルコンタクト空手では芽が出ることは無かった。 非常に打たれ弱か ったというのが理由だそうです。 ただ、チャレンジ精神は旺盛だった ようで、70年代中期にロスに移ってからは、World Series of Martial Artsという興業に頻繁に出場しており、この大会は空手だけでなく いかなるバックグランドの選手も参加できる初期アルティメットのような 大会で、4回戦レベルのボクサーに簡単にKOされた事もあったようです。 同大会で、体重が倍近い相手に勝利を押さめた事もあるユキーデとは差が あったようです。 ただし後ろ廻し蹴りでアリの耳を 蹴ったというのは梶原一騎の捏造だと思う。 へスは基本的に剛柔流空手と 柔道、合気道の出身で、ドラム缶のような体系だから大技は無理だと思う。 まだ、ルールが統一していない頃に頻繁にプロ空手の大会に出ていたらしく、 唯一の敗戦がモンスターマン戦らしい。 聞くところによると目の上をカット してストップされたとか、本当の事は詳しくは知らない。 ただ、実戦では 警察官として長年活躍したへスの方が強そうというのは実際にあった事のあ る友人の話。 警察経験を活かしたヌンチャクや警棒の技術書も出している。 それから88年頃だったと思うけど、ロブ・カーマンが全盛の頃、対戦相手 のゲイブ・カーマイケルのセコンドとして来日してた。 カーマイケルが カーマンのローキックに耐えられずに3Rあたりでレフェリーがストップ したから、怒ったへスがドン星野と一緒にリングになだれ込んだ事があった。 初代チャンピオンのジョー・ルイスは 少林流空手で、沖縄時代に授かったサイドキックぐらいしか蹴り技は 無かった。 モンスターマンとランバージャックをKOしたロス・スコット はやはり沖縄の空手だったから蹴りはたいして使ってなかった。 ただ、 個人的には猪木戦で見せた蹴り技はプロレス的な演出の為だったと思う。 エディが、打たれ脆いというのは、プロレスとは言え、猪木戦でも わかりましたね。 ヘスは、結構強かったポイすね。 なんか、当初、あのミスターXの 中身候補だったらしいですが、これも梶原ソースですからねww。 そうですか、星野ウイルソン等と一緒に来日してたんですね。 星野 vsスミス戦は、TVですが、観戦しましたが、それは全く知りま せんでした。 ライル戦の前のアリと言えば、丁度、ジョン・リーこ とイ・ジュングにテコンドー習ってたころですかね。 興味あったん ですね。 ほんとに、このスレは、格板に珍しくw貴重な情報源です(ボク板 の「70年代スレ」と並んで)。 プロ空手の選手とおふざけのスパーやってても不思議ではないかも。 ドン星野とスミスの対戦は83年の 全日本マーシャルアーツ連盟の興業にて行われ、当時の東京12チャンネルが 放映したように記憶しています。 ジョー・へスが日本に来たのは、88年の末 か89年初頭に全日本キックボクシング連盟で行われたロブ・カーマン対ゲイブ・ カーマイケル戦にて、カーマイケルのセコンドを努めていました。 アリとジューン・リーが交流したのは、リー氏が親交の深かった、ブルース・リー から託された、ノーモーションで打つパンチをブルースが尊敬していたアリに伝授 する為だったそうです。 アリもブルース・リーを尊敬しており、直ぐに交流が始ま ったそうです。 アリの最後のKO勝ちだった、リチャード・ダン戦でKOを納めた パンチがそうだったそうです。 アリはこのパンチをアキュパンチと名付けました。 448にも書き込みましたが、ジューン・リー以前 には、ジョージ・ディルマンという沖縄空手の師範が交流があり、彼と 仲の良かった故ダニエル・パイ(ドン星野の師匠)と共にアリのボディ ガードをした事もあったようです。 特にディルマン氏との関係は良く 知られていて、フレージャーとの第3戦で見せたナックルパートを当てない ジャブは、空手の裏拳の応用で、またディルマン氏はアリに空手の型の三 戦の呼吸法を教え、精神的なプレッシャーをはねのける為にラウンドが 終わるごとに深く呼吸をしていました。 また、フォアマン戦でも、パンチが ボディにヒットする度に三戦の呼吸を繰り出し、平静を保とうと必死でした。 私が知る限り、モンスターマンがMSGで試合をしたのは、77年に 行われたジョー・へス戦だけです。 それから極真空手は、米国では アメリカ武道界のメインストリームに影響を与えるほど大きな団体では なかったので、梶原世代の方が期待するような逸話は残念ながら存在 しません。 だから熊殺しウィリーなんて誰も知らないのが現実です。 それからプロ空手は、選手及び関係者が様々な流派のバックグラウンド の出身なので、特定の流派、団体をひいきにあつかうような事はありません。 ちなみに、「四角いジャングル」において描かれたユキーデの出自及び プロ空手の歴史は全て梶原氏の創作ですので、ご了承下さい。 しかしタメになるね、このスレは。 中村氏は試合のルール はもとよりボランティアやチャリティーなど社会福祉活動を行うという、徹底した アメリカン空手スタイルを取り入れてしまった。 顔面攻撃禁止というルールに 異を唱えた人が多かったと聞いた事はあるけど詳しくは知らない。 強さ 以前に背景にある思想が閉鎖的だからあまり広まらなかったとか。 ただ、武道板 的内容だけど芦原空手は評価が高いらしい。 極真そのものはむしろカナダで 定着しているらしい。 これはITFテコンドーも同じですけど・・・。 今ここで書き込んでいる私も最初の頃は非常にショッ キングな発見ばかりでした。 そんな事で ここの板の方の殆どが格闘技に詳しいとかいうのはないと思いますよ。 ベニー:そのとおりだ。 ホリオンがロサンゼルスに来たときに一緒に仕事をしようと 言ってきたんだ。 それで、当然道場でトレーニングして組手もやったんだが、 ホリオンは私が柔道や合気道の黒帯だとは知らなかったようで、すぐに寝技を 仕掛けてきたんだ。 でも、私はそれをすぐにさばいて、起き上がって拳を顔面で 寸止めしたんだよ。 そこで勝負は決まったね。 1回も極められてないよ(笑)。 彼はそうやってビジネスをすすめて いくんだよ。 ベニー:そのとおり。 彼らは有名な人間を利用しようとするところがある。 私に チャレンジしたと言えば、それだけで名前が売れるし、私はそれをわかっていて チャレンジを受けたのに、こんなことを言い出す。 もっとも、それで売れていったの だから、彼は頭が良かったんだろう。 レベル氏はそういった 挑戦は軽々しく受けたりはしなかったが、グレイシー一族がしつこいので、重い 腰を上げて、一族の長であるエリオが相手なら挑戦を受けてもいいと返答した。 ラベル氏の選択に他意はなく、ただ年齢が近かったという理由からだったが、 グレイシー一族は、ラベル氏に向かって、100ポンドぐらい体重を減らせと 突き返して、対戦の話は流れてしまった。 自分達の方から挑戦しておいて、 減量しろと言うのは自分勝手な言い分だが、こういったところに一族のPR の裏に潜む矛盾があると思われる。 あと前提として申し上げるなら、 基本的にアメリカの選手は自国での成功を第一に考えていますから、日本 でプロレスラー相手に異種格闘技戦という名の演劇をやらなければいけない 選手は単にレベルが低いか、一時のモーリス・スミスのように対戦相手が なかなか見つからなかったかのどちらかでしょう。 もっともジェームズ・ ワーリングのような例外もあった訳ですから一概には言えませんが・・・。 ミスターX戦の前座に行われた試合?ネイビーハリケーンとかクレイジー レッグズとかいう選手の対戦でしたね。 おそらくは無名の選手で、レベル も高くないでしょう(観ればわかると思うが)。 ガチの可能性もあるとは 思います。 ただ、いわゆるフルコンタクトでなく演舞の大会がほとんどだが。 アメリカではショー・コスギなんかも含め、ブルース・リーに憧れて 映画俳優(アクションスター)になるため、武道の大会に出る人は多い。 格闘家になるために、ではなく映画スターになるために 演舞の大会中心に出てたという意味だと思う。 パリ・オペラにダンサーとして参加する誘いを受けるが断り、 18才でフィットネス・センター『カリフォルニア・ジム』を開設し、成功。 80年には全欧プロ空手選手権ミドル級チャンピオンの座につく。 ドルフ・ラングレン 格闘技のトレーニングを積み、77年極真空手の黒帯を取得。 79年に母国の代表として世界大会で準優勝。 80、81年にはヨーロッパチャンピオン、 82年にはオーストラリア・チャンピオンとして君臨した。 下のリンク先によると、彼はあくまで期待の新人(?)程度だったらしいで すが、WKA初代会長のハワード・ハンセン氏によると、フルコンタクト(プロ 空手)でもアマチュアの試合に一回だけ出場した事があるそうなので、真意 は不明です。 ドルフ・ラングレンはキックボクシングのキャリアはありません。 当時まだキックボクシングという単語がアメリカでは新しかったので利用した のでしょう。 ヴァンダムもキックのタイトルを持っていないので同様です。 ヴァンダムはアメリカ ので試合経験は一切ない。 ただ、チャック・ノリスを訪れた際に、彼と彼の 弟子のハワード・ジャクソンとスパーリングはしたみたいですね(ポイント ルールだったそうだが)。 確かに映画スターになるために武道の大会で実績 を上げようとする人は多いですが、これは長年において格闘家になるよりも 映画スターになる方がお金になるからであって悪い理由ではない。 けれども 演武出身でスターになったのは中国武術を修行しているシンシア・ラスロック ぐらいだけですが・・・。 世界大会に出場 するには最低茶帯でなければならなかったらしく、実力が抜きんでいた ラングレンは茶帯を締めて出場したとかしなかったとか・・・。 ホリオンより高いしね。 身長もそうだけど、あの時代のアメリカでは、ああいった 道着を着てた空手家は普通に沢山いたので、ユキーデの専売特許ではなかった。 当時は、 オランダでもヘビー級は層が薄く、選手も大していなかったと思うから、 今のピーター・アーツやアーネスト・ホーストほどではないと思われる。 全日本キックで試合をした トミー・フォンデベルグは従兄弟か何かだったはず。 ところで彼はアメリカ人 でもプロ空手の選手でもないから、だんだんとスレの主旨から外れてきている ような気が・・・。 猪木はモハメド・アリと試合したからブラジルでも ビッグネームだったので対戦すればグレイシーの宣伝になると思ったのでしょう。 当時のムエタイの強豪相手に互角かそれ以上に戦った。 藤原敏男はもっと評価されるべき存在だと思う。 ベニーユキーデとの対戦は架空の美化されたものであり、実力の差は雲泥の差であった。 藤原敏男と戦わずにすんだベニーユキーデはラッキーだった。 藤原敏男は本当はボクシング界に進むべきであった。 そうすれば、必ず世界チャンピオンになったと確信している。 今、藤原敏男は焼鳥屋をやっているらしい。 キックの世界に入ったことが藤原敏男から名声を失った。 藤原敏男はライト級世界チャンピオンになっていたはずだ。 あの頃のライト級周辺は、強いチャンプひしめいたからどうかな? ムエタイとボクシングでは、競技人口違いすぎるから、ムエタイで の実績と比例するとはかぎらない。 けれど、ガッツ石松よりは藤原敏男の方が上だと思う。 もう、みる影無いよー。 誰だか判らなかった。 講道館の 柔道から派生したという事実には触れておらず、インドとか中国とか出す事に よって東洋の神秘を醸し出そうとしたのだろう。 ユキーデの話題に戻すけれど、この間日本で興業を行ったのは、 現在、アメリカではムエタイの関係者が幅を利かせているので、肩身の狭い 思いをしているのだと思う。 つい最近読んだ記事では、引退した格闘家の為 がスタントマンとして活躍できるようにするマネジメント会社を設立する らしい。 ジムの方でも空手やキックなどのクラスは教えているものの、選手 を育成しようとしているのはアマチュアボクシングだけみたいだ。 15年くらい前に映像を見たよ。 廉 価なので、興味のある方は読んでみてはいかがでしょう。 個人的には、矛盾な 点が多く、ホリオンの話の信憑性は低いと思いましたが、一読して各自が判断 するのがいいと思います。 ディックフライはリングスではかなりマッチョ筋肉を付けて、もともとたいした ことはないキックボクサーとしての動きがさらに悪くなってはいた。 ベニー・ユキーデは結局、話題に上るほど強くはなかった。 ただ、ルックスが個性的だっただけだと思う。 ナロンノイに勝ったというのは信じがたい。 その映像を見てみたいものだ。 多分、地元判定だと思う。 結果はノーコンテスト。 (角田はフライのローキックに手も足も出ず完敗) フライのサイボーグみたいなルックスは結構人気あったんだけどね。。 だから藤原からも敵前逃亡した。 藤原の楽勝だよ。 はっきり言って。 妄想を膨らませるのも結構だが、そんなことしてるから日本は、奴のいい鴨にされるんだよ。 ナロンノイやプライユットとやって藤原から逃げる訳ないじゃないですか。 岡尾や玉城との試合見ても相当打たれ強くしつこいので、藤原が圧勝ってほどの 差はないですよ。 それにユキーデ晩年のヤン・スプラン、引退試合の田上戦でも年齢からは 信じられない強さを見せている。 プロの場合は全部ギャラを含む契約条件です。 ちなみに昔全日本キックが88年(?)に藤原とユキーデのガチンコでの エキシビジョンを組もうとして流れたのも敵前逃亡じゃないですよ。 ちなみに同時期にピーター・カニングハムvsラモン・デッカーが告知 されたが、行われなかった時など、そのこと自体をカニングハムが知らず、 オファーさえももらっていなかった。 まあ全ては金の問題なんですが、安いギャラ以前にアメリカ選手は、 セコンドの旅費(航空券とホテル)が出ない、試合前日着、単発のみ の契約などの条件を嫌がりますね。 なんか話がそれてしまいましたが、「たら、れば」での断言が多くなると 453さんのような貴重な情報提供者が逃げてしまいそうで。 そりゃムエタイルールでやれば藤原に 勝てる訳無い。 所詮主催者側に 有利なルールなのが今のキック業界の定番。 要は、単発の試合だけで はキックの業界として考えた場合、メジャースポーツへの道に一歩でも前進 出来るようで無ければ、ただの消化試合になってしまうと考えたのでしょう。 当時、ユキーデは、選手のみならず、インストラクター、道場経営者、 プロモーターなど複数の顔を持っており、映画俳優やミュージシャンらを 教える事によって大きなスポンサーやテレビ局に顔が利くように頑張って いた頃なので安易に試合が出来なかったのは事実でしょう。 現在は随分と理解があるが、76 年頃のアメリカではカリフォルニア州を始め、州ごとのアスレチックコミッ ションの許可がないとスポーツの試合は行えない。 当時は格闘技に関する 規制が厳しくて、80年にWKAがローキックを認めるようになっても、 州によっては禁止されていたところがあった。 ナロンノイ戦は膝蹴り禁止 だったが、ナロンノイは無視して連発していて、関係者もどうする事が 出来ず、黙認していた。 現在はカリフォルニアはムエタイの興業がよく 行われているので、こういった問題はない。 それなら団体が恣意で ルール変更とかできませんね。 藤原との対戦が決まって、私チケット勝っちゃったんだよ。 で、試合当日、いきなりドタキャン。 で、藤原の相手がシープレーに変更になったんじゃないかな? そこらへんは忘れちゃったけどね。 黒崎さん、怒ってた、怒ってた。 ユキーデはもう、日本に呼ばないっていっていた。 事実、それ以降、彼は日本で試合を試合していないはず。 当時彼は、日本ではアメリカでもらえないお金をもらってた。 (1万ドルだけどね。 ) プライユットとの田園コロシアムの試合も生で見てるけど、ムエタイ系の キックボクシングには勝てないと判断したんだとおもう。 その後の戦績詐欺と言い、彼は負けるのを、異常に怖がるチキンなところが あったからね。 妄想をふくらますのは、結構だが事実は事実として認め美化するべきではないと思う。 そこらへんの事情は藤原が一番知ってるはずだよ。 彼は人がいいので、何も言わないが。 当時のユキーデのパンチ・ラッシュに捕まったら藤原も岡尾のようにKOされていたような気がするんだけど。 つまり臨機応変。 万能型というやつ。 スピードもあったしね。 岡尾のスローなパンチでダウンしちゃうユキーデジャまず勝てないよ。 いまだ、彼を超える日本のキックボクサーはいないね。 サマート、パヤカルンに通じるものがある。 小学生の頃、藤原もユキーデも好きだったな。 でも、あの出来事以来、藤原は一切ユキーデのことは言わなくなった。 俺が高校生のときだったなw 魅力のある選手ではあったが、負けるとなかなか立ち直りのききにくい 精神的に弱いところがあったな。 当時夢中で、目白ジムまでいっちゃったよ。 島三男がサンドバック叩いてたなあ。 懐かしい。 黒崎さん、怖そうだったけど、友達と俺には優しかったよ。 「あいつら、アメリカ人、格好ばかりつけていて身がともなっていない。 事実は事実として認めるってのも、ユキーデがプライユットとの再戦を キャンセルしたのが事実なだけで、藤原から敵前逃亡したという事実は まだ見せてもらっていませんが。 プライユット戦のキャンセルにしても「びびった」だけとはちょっと 思えないんですよ。 簡単な説明ですみませんが、純粋な勝負としての負けということのみで 逃げるような国際レベルの選手って実際はいないじゃないでしょうか? 梶原、真樹、添野など人相の悪い関係者、ズサンな契約交渉、ユキーデの 価値を落とすような方向性など、いろいろなことがつもってそうなった 気がします。 >506氏 92年から93年にかけてデル・クックがラスベガスのユニオン・プラザで定期興行 をしていた時期に地元の人気選手としてセミ扱いでレギュラー出場してました。 実力は中堅でしたが、何せ思い切りのいい大技を連発するので会場は沸きました。 ただ当時からスタミナ切れると勝負を捨てる選手でもありました。 まったく挑戦に応じない気功術師よりよっぽど・・・。 空手の経験はあったみたいだけど(極真かも) あと、藤原組に来てたバートベイルもインチキマーシャルアーツ選手っぽかったね。 497さんのようにシーソンポップの頃から見てるようなキックファンの 人ともバトルしたくないんですが・・・。 何度も言うようにユキーデファンじゃないんで同国人に負けたことも、 そのデータを隠してることも知りませんでした。 興味深い話なので逆に詳しく教えて欲しいです。 >映画俳優としてやってゆくのに、自分のイメージ、ダウンを恐れたのでは ないのですか? お山の大将でいたかったのではないのですか? 憶測でしか言えませんが、その通りなんじゃないですかね。 まあ映画俳優として成功どころか、ロサンゼルスのダウンタウンで 行われたキックの会場に姿を見せても誰も気がつかない状態なんですがね。 アメリカの現状は、プロ空手=絶滅。 空手&テコンドー=子供のお稽古。 キック=ムエタイ、移民による移民のための格闘技、ボクシング=ヒスパニック のためのスポーツって感じです。 アメリカ生まれのアメリカ人は柔術か総合に偏ってますね。 キックで言うと本国でも活躍したタイ人、カンボジア系、アルメニア系が 3大勢力です。 世界レベルの選手はへクター・ペーナ、メルチョー・メノーを最後に 出てきてませんね。 衰退の理由はオランダ、フランスと同じく、移民が頑張りすぎて 生粋のアメリカ人が競技者、ファン、業界から消えていってしまったからでしょうね。 それぐらいしか知らない。 ジャッキー・チェンと競演したスパルタンX等 の香港映画は90年代後半になってアメリカでも多くの人に知られるように なった。 それまでは基本的に格闘技雑誌を読んでる人間にしか知られていな かったと思う。 それからユキーデが戦績を捏造しているのは、他にも理由が あると思う。 80年代に入ると、アメリカはレーガン政権の元、60年代から 70年代に盛んだった反戦運動の反動で、極右的雰囲気が強くなっていた時期 で、チャック・ノリスなどもベトナム戦争参戦を肯定するような映画を作って いて、そういう空気の中、アメリカが外国、特に過去幾度か戦争したアジアの 国に負けるというのは許せなかった風潮があった。 特にWKAは後発で、PKA との勝負では苦戦していた為、看板選手のユキーデに土がつくような事はあって はならないと考えていたのだろう。 実際、大貫忍との第一戦はTKO勝ち、89 年に行われた飛鳥信也とのエキシビジョンは判定勝ちとなっていて、引退試合と なった田上戦では、レフェリーが幼い頃、ユキーデ兄弟と共にビル・リュウサキ 氏の元でケンポーカラテを学んだセシル・ピープルズだったという事から完全に 仕組まれた試合だったのでしょう。 もっともラスベガスで試合が出来るからとい う理由で安直にGOサインを出した正道会館を養護するつもりもないが・・・。 こういう発想は、ジャンクロード・ヴァンダム主演のキックボクサーを観てもら えば分かると思う。 極真以外には洪家拳を修行していて、デイトンはブラックベルトとか の雑誌に、気功とボディビルを組み合わせて手錠をも引きちぎるパワーを養成 するとかいう広告を出していた。 プロ空手の選手だったという事実はない。 バート・ベイルは、ケンポーカラテのベテランで、フロリダ州南部に幾つかの 空手道場を運営している。 プロ空手のキャリアは少ないが、ナイトクラブの 用心棒のキャリアが長く、実戦で強いタイプらしい。 現在は空手とともに、 藤原組スタイルをシュートファイティングとして教えている。 格闘技で唯一メジャーのはずのボクシングで も、花形のヘビー級に良い人材が欠けている状態ですので、大多数のアメリカ 人は見向きもしないのでしょう。 これはモハメド・アリを中心として全盛を 極めた60〜70年代と違い、現在はスポーツ奨学金が非常に多く、これにより 身体能力に恵まれたヘビー級候補の多くがフットボールなどの競技に取られて しまう為です。 この階級はやっぱりルーファスでしょう。 格闘技オリンピックとかシュートボクシングに出てたね。 初期のK1じゃ正道の空手家がやたらクックが作ったUKFのタイトル持ってたっけ。 マンソンとどうちらが評価が高いかはちょっとわかりずらいですね。 ただ、両者とも国際的な見地ではアメリカ選手としては非常に高いレベルだ ったと思います。 個人的にルーファスの全盛期は90年代初頭のライトヘビー に階級を移した頃が一番完成度が高かったように思います。 ジョン・ロング ストリートはミネソタ州出身のジューン・リー式テコンドー家で、ポイント 空手のキャリアが長かったけど、プロ空手でもISKAのウェルター級王座 を獲得している。 一試合しかみた事ないけど、テコンドー家らしく蹴りが良く 伸びていたのは覚えている。 ただクック自身はまだ プロモーターとしては健在で、キックのイベントを開催したり、チャック・ ノリスのWCLにも選手を送り込んだりしているようです。 現在ではハヤトとかデービッドが持ってるんじゃ… 二人ともMA系ですね。 UKFってでもプロ空手ルールやったんかな?正道勢が取るくらいやからキックルールかな。 ベルトが貧相やったの覚えてる。 蹴り技もパンチにつなぐための派手な見せ技で軽い。 白人の弱い点がモロ出ている。 アメリカキックボクシングの枠の中ではマンソンとクックは同評価だが、対 ムエタイとなるとムエタイの蹴りの間合いから離れたところからKOできる黒人 特有のバネがあって伸びて威力のあるサイドキックやバックスピンを入れ、中 間距離ではバックハンドブローでヒザ蹴りの間合いに入られるとすぐ相手のヒ ザを抱えてブン投げることができて完全にムエタイを封じるマンソンのほうが 遥かに上となる。 金泰泳はマンソンの回転技対策でマンソンの周りを常に左か右回りだかずっと 動き回って攻撃することでマンソンを封じたが、ムエタイの選手はこういった 対策はやらなくて誰が相手でもいつもの自分のムエタイをやるのでマンソンの いい餌食となった。 実際、ユキーデの著書に推薦文を書いていた。 ユキーデは 高校時代の友人の元世界王者のボビー・チャコンのスパーリング・ パートナーを努めていて、チャコンのトレーナーからプロになるように 薦められていた。 アメリカの空手がフルコンタクトにならなければ、 ユキーデはプロボクサーになってたと思う。 蹴りに関しても、早い蹴りを連発した後、 相手が隙を見せれば重い蹴りをたたき込んでいた。 マンソン>クックだ とは思うが、過小評価だと思う。 「ジャンプ」はユキーデに対するオマージュ。 彼以外で はMegadethのメンバーがユキーデが創始したUkidokan空手の二段を 持っている。 blogspot. フジテレ ビで深夜に放送したのを見た記憶があります。 ムエタイルールということもあ ってか、全く歯が立たず、ひとつのラウンドに3回ダウンしてTKO負けだったと 思います。 ベニー・ユキーデがプロデュースした武頼漢、見に行きました。 ユキーデの弟子のマジットに期待してます。 (余談だがミスターTは世界チャンピオン時代のレオン・スピンクスの ボディガードだった。 ) あと、ウィリーが猪木に挑戦表明した時に「親友のモンスターマンが やられたので・・」みたいな事を言ってたけど、交流してたのかな。 試合を観た感じあんまり やる気なさそうだった。 70年代初頭、韓国空手のタンスドー出身のエベレット・エディは ポイント空手の大会で頭角を現したが、打たれ弱かった為にフルコンタクト 空手では大成しなかった。 詳しくは358、369、375、440、442、449を参照に して下さい。 それからウィリーとモンスターマンの交流はなかった。 「ベニーユキーデvs. 赤星潮」を期待したりしてました。 真樹道場所属で。 ベニー・ユキーデや藤原敏男の試合も 収録されています。 弟のマイク・ラーベル氏も元プロモーターでしたね。 木曜の晩に、Thursday Fight 興行を定期的に打っていて、日系人も 多い土地柄、日本人がメインの興行もよく組まれました。 プロボクでは、ラウル・ロハスvs西条正三、プロレスでは、ジョン ・トロスvsA・猪木が組まれたのもこの頃。 WKAやISKAは元々は純粋 なプロ空手団体だったが、現在ではプロ空手は一部門に過ぎない。 若い頃のラベル氏は柔道では金にならないという 事でボクサーになりたかったけど母親が反対しました。 自分の子供にはやら せたくなかったのでしょう。 そこでラベル氏はプロレスラーになって、テレビ や映画のスタントマンとしても活躍しています。 武道・格闘技的には、ブルース ・リーとベニー・ユキーデのグラップリングの師匠として有名。 レベル氏の 技術には柔道と、カール・ゴッチからならったランカシャーレスリングの 関節技が中心で、ユキーデは自ら創始したUkidokan空手に取り入れました。 今でもよく映画に出ていて、「ラッシュアワー」の冒頭で、ジャッキー・チェン に拳銃を向けているタクシーの運転手(だったかな?)役で出ていました。 ポジショニングの概念がなく、キーロックとかをそのまま教える感じでした。 共同経営のアルメニア人、ゴーコー・チビジアン氏が中々の実力者であり、 生徒達(9割がアルメニア移民)もゴーコー・ジムと呼んでいました。 カーロ・パリジャンはそのゴーコー氏の弟子です。 ジム自体は柔道というよりもサンボのジムでした。 それどころか当時17歳位のハルート・テルジャンと互角だったとか。 俺はウィチャーン戦で彼を知ったがその頃はムエタイに転向済みだったのかな? 一応ユキーデ関連だけどスレ違いだったらごめんなさい。 ラベル 氏は週一回ぐらいしか教えていないと友人はいっていたが、元々氏は、昔から 初心者を相手に教えるような道場の形態は好まず、スタント業やセミナーで生計 を立てているらしい。 自分の稽古は友人のところで行っていて、例えば、空手では ユキーデ、グラップリングではマチャド兄弟や多くの柔道家のところへ出向いている。 凄かったのはセコンドにいた藤原氏や島氏が躊躇せず に続行させた事だった。 だからファイトスタイルは ムエタイ。 ユキーデとは関係ない。 確か同大会に、ユキーデの弟子でフィリ ピン武術の師範のアンソニー・クリーマン氏が招待されていて出場していた が、ユキーデの空手ではITFテコンドーのルールに対応できなかったから 早い段階で姿を消したはず。 この頃から、ITF関係者は、ユキーデら全米 プロ空手はITFテコンドーから派生したという小島一志の捏造を既成事実 としようとしていたのかも知れない。 そうですか、関係ありませんでしたか。 80年代に入り、暴力団絡みのスキャンダルでキックブームが去った 後、全日本キックボクシング連盟は当時交流していたWKA(世界空手協会) と提携し、全日本マーシャルアーツ連盟として業界の危機を乗り越えようと 画策した。 つまり形式上は、アメリカのプロ空手のシステムを真似て、キック のジムではなく空手道場としてプロ志望の生徒を募り、アマチュア部門は 全日本勇気道連盟として発足した。 同連盟の代表的ジムの正心館(現、勇心館) はユキーデが建設したばかりのジェットセンターと提携する形でいかにも ユキーデ公認の組織として宣伝していた。 ユキーデはこの頃から空手とキック (プロ空手)を別に教え始めていたので、勇気道連盟のように基本や型などを 稽古しない空手着を着たキックの練習生に黒帯を授けるような事に同意しなか ったので新空手関係者と袂を分かった。 ただ勇気道という名称は新空手関係者 が考案したらしい。 それまでユキーデは自らの流派を拳法松濤館と呼んでおり、 日本語的に変だったから関係者が提案した。 彼が留学 していたのはウィスコンシン州だったはず。 リック・ルーファスの地元 だった。 彼がロスに来たのはその後だったと思う。 それからアメリカにいる 友人が言っている事だが、アメリカ帰りを売り物にしてマーシャルアーツ というカタカナを商売に使っている人間はあんまり信用しない方が良いら しい。 本来、英語で武道を意味する普通名詞のマーシャルアーツをわざわざ カタカナで連呼するというのは欧米コンプレックスの強い一部の日本人相手 を相手にした胡散臭いやり方だからだとか。 彼は確か初期の「格闘技通信」にもレポート記事を書いて いたはず。 ジェットセンターはビデオでしか見た事ないけど、至れり尽くせり たったように記憶しています。 専門の医者がいて常に練習生の健康状態を管理 できたり、リングが移動式になっていて月に一度、ボクシングやキックボクシング の興業を行ったりと従来のジム、道場では考えられなかったくらいです。 それから プロフェッサータナカによるプロレス教室が日曜日にあったり、マイク・ウィーバー を始めとするボクサーやケン・ノートンのトレーナーだったビル・スレイトン がコーチを担当していました。 ただ、日本の雑誌では空手のクラスに関する 記事は見なかった。 94年の地震で閉鎖してしまいましたが、現在アメリカで 成功している道場やジムのプロトタイプとして伝説が残っているのみです。 確かピーターカニングハムも 出演してました。 元々ボーリング場を改造しただけあって広いジムでしたね。 >561さん 今思うと、出稽古に誘ってくれたアメリカ人もゴーコー氏では名前が マイナー(当時)なので僕に「ジーン・ラベールのジムに行こう、 そこにいるカーロとハルートは強いから」と言ったんだなという気がします。 >565さん。 元々、私はキックのキャリアを正心館からスタートしましたが、 当時の亀山、佐伯、石野、杉田、清水といった選手が皆、ジェットセンター に短期留学という形で行ってました。 試合後によっただけの場合もありましたが。 その当時のオーナー、赤木氏はユキーデのジェットセンターと姉妹道場と 名乗っていましたが、ジムにいても実情は不明でした。 しかし、タイから輸入するグローブにJETとラベルを付けたり、著作権ぎりぎりの 商売はしてました。 ただ赤木氏自身が小さな土建屋さんで、本業が悪化したこともあり、 自宅を使った道場を閉鎖したくて、出て行ってくれと よく言ってたそうです。 ですから、仰るとおり、ユキーデ公認のように見せかけて、実際は赤木氏や 神村氏などが勝手にやっていたのかなあと思います。 私がネットを通して数年前に知り合ったアメリカ在住の友人は現地の 空手関係者とコネクションがあり、日本で紹介されなかった様々な情報を 知っている。 ユキーデの空手歴は、8歳の頃、長兄アーノルドの薦めで ハワイ出身のビル・リュウサキ氏の元で氏が代表を務めるハワイアン・ ケンポーカラテに兄弟全員で入門した。 ケンポーカラテはハワイで誕生 した首里手系の空手に中国武術の手技をミックスしたもので、接近しての 開手の連打に特徴がある。 ケンポー以外に熊本県出身の窪田孝行氏に松濤館 空手を学んだ。 ユキーデ創始のUkidokanは基本的にこの2つの流派から成り たっている。 この拳法松濤館という呼称が日本語的に変なので Ukidokanと改名した。 そういう意味ではアメリカン空手の一派を創始したと 言える。 貴方の指摘には2つの間違いがある。 まず、プロ空手の選手になるには流派は関係ない。 日本や沖縄の空手だろうが 韓国のテコンドーやタンスドーだろうが、アメリカ人が作ったアメリカン空手 であろうが問題は全くない。 それからプロ空手は、いわゆる日本でいう伝統派 ではなく、沖縄で少林流や一心流などを修行した者によって始められた。 騎馬 立ちからサイドキックを放つ戦法も少林流出身のジョー・ルイスによって 広められた。 彼ら沖縄帰りは元々防具着用の組手を経験しており、ポイント制 の空手に納得できなかったからフルコンタクト空手を始めた。 日本では全く報道 されなかった事だが、アメリカでは小林流、少林流、松林流、松村拳法、一心流 など沖縄の空手が軍関係者を通して広まっている。 プロ空手は元海兵隊員のジョー ・ルイスが防具空手にボクシングとジークンドーを融合して誕生した。 話は 戻すが、友人から聞いた話とユキーデの著書を見た限りでは、Ukidokanは松濤館 よりややケンポーよりだと思う。 Karate Dynamicsという本に紹介されている技術 はプロ空手やテコンドーとは似ても似つかないもので、開手の手技、低い蹴り、 柔術や合気道の関節技で構成されていた。 その本の締めくくりは初心者向けの 型の紹介だった。 当時の格闘技関係の編集者で唯一アメリカの武道雑誌を研究していた 小島氏は作為的に情報操作をおこなった。 確か「ノーサレンダー」とかに改称されたと 記憶してますが。 一応映画なのでUkidokanのグレーの道着は使用 してなかったのですが、白い空手着にUkidokanのシンボルマークが印刷され ていました。 冒頭で主人公の父親の道場がかつてチャック・ノリスが教えて いた道場だったりとかなりマニアックでした。 の続き ITFが小島氏の捏造を利用し始めたのは、おそらくピア・ゲネットのK1に おける失態及び自派の大会でぺリー・ウベダが優勝した事が発端ではないか と思う。 武道板でも叩かれているようにテコンドーに対する評価が一方的に 低くなってきているので、打開策としてユキーデに代表されるプロ空手は ITFテコンドーを元にして誕生したと捏造を始めたのだろう。 非常に面白いので今後も当時の事情など書き込んでください。 藤原はシープレーと対戦。 鈴木戦でキック界に衝撃を与えたわけだし。 鈴 木は藤原に接戦の末、KO負けした スタミナぎれ。 プラユットにKO負けしなかったのが強い。 YOU TUBEのナロンノイとのビデオクリップをみると、ユキーデが左のローキック を何発も見舞っている。 その内の一発でナロンノイが転倒、ダウンをとられてしまっ た。 これは、ナロンノイも不本意だったろうが、ナロンノイはタイの雑誌でユキーデ は実に上手い選手 ケング・マーク だったと語っている。 ただ、何回かユキーデの戦いぶりをみれば、その対策もわかってくるだろうから、 鈴木戦のような衝撃は1年後にはもうなかったと思う。 大貫戦でみせた投げ技あたり でネタ切れだったと思う。 藤原の強さはなんといっても、変則フットワークにあり、あれだけ動きつづける稽 古を藤原がやっていたということだと思う。 もし、藤原がユキーデとやったら? 当然、離れて変則フットワークをつかい、とにかくローキックでユキーデの脚を痛 めつける。 これが成功すれば藤原が勝つと思う。 ユキーデがなんらかの形でなかにはいり、パンチを見舞えば、藤原も危ないと思う。 藤原には打たれ強さというのを当時も感じてはいなかったので、努力とセンスの人だということはわかるけど、、 ユキーデ戦が実現していたら、、ワンサイド・ゲームにはならなかったと思う。 多分、素晴らしい接戦が展開されていたと。。 小島氏のアメリカン空手に関する発言 はことある毎に波状しています。 貴方の上げた文章は、氏の著作「最強格闘技 論」からの引用だったと記憶していますが、その他の媒体ではITFテコンドー がプロ空手の主体になったのではないかと記述したかと思えば、自身のブログ では誠道塾代表の中村忠氏が提案したルールを元にライトコンタクトが始まった などと明らかに作為的に捏造しています。 これは私の友人がよく言っている 事ですが、小島氏のように70年代から80年代のアメリカの武道雑誌に目を 通しているのなら、プロ空手やライトコンタクトのルーツがITFテコンドーや 誠道塾にルーツがあるという結論に至らないはずという事です。 小島氏のブログ それからアメリカンカラテというのは、あくまでアメリカで誕生した独自の 空手の諸流派の事で、特定ルールの競技の呼称ではありません。 アメリカの ポイント空手は、日本空手協会などのルールを参考に発展し、72年あたり から安全性の強化の為にセーフティと呼ばれる防具を採用し始めました。 それからこのライトコンタクトの大会もプロのフルコンタクト同様にいかなる 流派の選手が参加可能で、別にアメリカ人が作ったアメリカン空手に限定され る事は全くありません。 貴方は誤解しているが、私はテコンドーを嫌っている訳でもなく、また松濤館 の修行者でもありません。 ITFが小島氏の捏造を利用云々の下りも、決して嘘 ではなく、以下のページでもその捏造が確認できます。 小島の方は、アメリカのライトコンタクトルールの原型は中村忠が作って 後から北朝鮮系テコンドー団体が、それをそのままルールとして採用した と書いてあって、テコンドー側が後からパクったというニュアンス。 テコンドー道場の方は、ジョン・リーなる人物がプロテクターを開発した事で アメリカのライトコンタクトルールが始まった、と書いてありマーシャル アーツがテコンドーから派生した、と受け取れなくもない内容。 しかし、小島の主張とは全然違うだろ。 ITFテコンドーが小島の主張に乗っかってるなら、自分達でパクりです、と 言ってるも同然になる。 しかもこのリンク先は湘南の単なる1道場だろ? ITFテコンドーが団体として、自分達がマーシャルアーツの元祖だ、と 主張してる事にはならない。 小島はマーシャルアーツの元祖は中村忠と言ってて、テコンドー道場の方は ジョン・リーだと言ってるから、その辺は我田引水で胡散臭い感じはするがね。 でもあんたの言う、マーシャルアーツのルールは松濤館空手から派生した という主張も、同じように我田引水で胡散臭く感じるわけ。 だって誰がどう見ても、松濤館空手と、マーシャルアーツの半身に構えて サイドキックや裏拳や派手なバックスピンキックを、多用するスタイルとは 似ても似つかないから。 なにやら現在のPRIDEみたいな感じだった ようです。 自分がキックを見始めた80年代後半にも後楽園ホールの座席の 前列あたりに暴力団関係者と見られる人が陣取っていました。 裏拳、手刀、背刀などの手技や道着を掴んで の足払い、金的蹴り(寸止め)や流派を問わず一番多く使われている中段へ の逆突き等がポイントになりません。 もっとも現在ではアメリカでも掴みや 足払いには制限がありますが、60年代後半から70年代前半は、上段への 蹴り技は実戦性と安全性の見地から中段への蹴りの半分しかポイントになら ず、このあたりもITFルールとは異なります。 セーフティと呼ばれる防具は 元々、小林流のマイク・ストーンが開発するはずだったが、宣言だけして実行 しなかったので、テコンドー家のジューン・リー氏が開発して特許も取得した。 60年代当時のテコンドーやタンスドー は松涛館の影響がまだ残ってたから、腰が高めの前屈立ちから後ろ足の蹴りの から後ろ廻し蹴りなどに繋ぐ攻防が主流だった。 ブルース・リーのような構え といっているが、あの騎馬建ちを横に向けた構えはジョー・ルイスやビル・ ウォレスらが沖縄で学んだ島袋永三氏の流れを汲む少林流空手から来ている。 実際アメリカ空手界でサイドキックが主体になったのはルイスの影響が大で、 島袋氏の兄の龍男氏の弟子の金城氏より授かったもの。 同じ少林流を学んだ ウォレスは柔道の怪我で右足が使えなかった為、左足のみでスナップを利か せた横蹴り、廻し蹴り、カケ蹴りをジャブのように連打するスタイルを編み だした。 ウォレスはPKAの看板選手だった事と頻繁にセミナーで教えている 事が理由で空手、テコンドーなど流派を問わず様々な武道家が真似するように なった。 実際ルイスなどはブルース・リーのあの構えはルイスから取り入れた と言っているぐらいだ。 もう一つの誤解は、60年代に入ったアメリカのポイント空手の大会が日本 空手協会のルールを参考に始まったが、当初からオープン制だったので、 別に松涛館の選手だけが試合に参加していたわけではない。 当初はまだ各々の 流派の特徴が現れた戦い方が多かったが、やがて競技として成熟度が増すと、 実績のある有名選手の戦い方を取り入れるようになった。 こうした経験から 独自の流派を創始しようと考える者も現れた。 初期の頃に協会の空手ルールを 参考にしたからと言って、松涛館の戦い方をする必要は全くない。 後ろ廻し 蹴りなどはテコンドーの流れですね。 でもこれだって誰もが使っている技では ない。 回転の裏拳は、空手の平安三段のような型から抽出したもの。 マーシャル アーツなどという格闘技は存在しない。 貴方は本当にアメリカの空手の大会を 観た事はあるのですか?プロ空手に限定すれば、各々が学んだ流派によって 戦い方が違う事も多々ある。 WTFテコンドー出身のビクター・ソリエルなどは 1Rからいきなり後ろ廻し蹴りを連発したり、オリンピックでも観られる軸足 を滑らす廻し蹴りなどに特徴があった。 ドン星野ウィルソンは、サウスポーの 時は騎馬立ちでサイドキック主体、オーソドックスの時は猫足立ちで前蹴りと ローが主体になって回転技は殆ど無し。 中村氏が誠道塾を設立したのは76年。 アメリカのポイント空手がライトコンタ クトの防具を採用したのは72年から73年にかけての頃。 時期が違う。 ライトコンタクトのルールはそれまでのポイント制の大会の延長上にあるので、 中村氏や極真ルールは関係ない。 それからITFは極真同様にアメリカでは 大きな影響力のある団体ではない。 ジューン・リー氏など独立したテコンドー の組織が数多くアメリカに存在しているから。 誠道塾は身体障害者への指導や、地域社会へのチャリティーなど慈善事業 で知られているが、このトレンドはアメリカ人の空手家が始めたもので、中村氏 の発案ではない。 もっとも氏はそういった捏造はしていないが。 注目は貼り付けてあるビデオクリップの真ん中あたり、CBS NBC TURNER NETWORK ESPNと表示された後に、76年に行われた、PKA ヘビー級王者ロス・スコットがザ・モンスターマンを1RKOする 試合が観れます。 関節を決めて投げる、とか「四角いジャングル」では解説されてたけど、 実は投げ技を仕掛けて来るとは想定してなかった相手に、たまたま綺麗に 決まってケガしただけの気もする。 まず小島氏のアメリカ 空手界に対する記述は統一性が感じられない事が多い。 テコンドーと言ったり、 中村忠氏の誠道塾が起源だと言ったりとまちまちだ。 小島氏は自らの著書や かつて編集長を務めた「武道空手」誌において、80年代初頭、海外の武道 事情を研究する為に、アメリカのブラックベルト誌やカラテイラストレイテ ッド誌等を購読していたと告白しているが、はっきり言って、氏のアメリカ 空手界の説明にそういった雑誌の研究が反映されている内容が見当たらない。 誠道塾の名前が出てくるところ等は論外。 事実、海外の雑誌の記事の紹介を氏 が編集長を務めていた頃の「月刊空手道」誌において頻繁に行っていた事か ら、格闘技雑誌の編集者の中では、小島氏がアメリカ空手界に精通している オーソリティーであるかの見方が広まった為に、アメリカの空手の実体は テコンドーであるという見方が根強いものになってしまったのは事実だと思 う。 ITFの言い分では、 テコンドーはかつてフルコンタクトで試合を行っていたが、けが人が続出した ので安全性を高めるために、チェ総裁が現行のルールを確立したというもの。 これには2つ問題があって、まずオリンピックで採用されているWTFのルール が誕生する以前にテコンドーがフルコンタクトだった事実はない。 故チェ氏を 始めとする日本で松涛館空手を学んだ初期の韓国空手家は、当時の日本の空手 家同様にコンタクトには消極的だった。 2つ目は、ITFが現行ルールを採用する ようになったきっかけは、単に70年代に入ってから、ライトコンタクトの ポイント大会が北米は元より欧州などでもひろまって、他の空手、テコンドー との競争に勝ち抜くには、そういったトレンドによる流れが無視できなかった からで、結果的にテコンドーの特色を出す為に手技を顔面への寸止めの逆突き のみ、蹴り技は高いものほどポイントが高く、足払いや掴みは無しという形 に落ち着いた。 また、日本ではITFはプロテコンドーなるものの興業を行った のは記憶に新しい。 プロ空手との違いは、フットパッドを着用せず、1Rあた りに腰より上を9回蹴る(プロ空手は8回)だけの紛いもの。 下のリンクでも 確認できるが、American Martial Arts Eventという謳い文句が胡散臭さを醸 し出している。 パクリもここまでいくとあきれるものがある。 ただ投げ技は、あくまで空手の技の延長 という認識で、ポイント制の大会において足払いで相手を倒したあと、寸止 めの突きを放ってポイントを獲るようなものの延長でした。 PKAでは同団体 の看板選手だったビル・ウォレスが、WKAではユキーデがそれぞれ柔道経験 を活かして投げていました。 投げる方が膝をマットに付けないのと、投げら れた相手が背中から落ちる事が条件でダウンとしてカウントされました。 大貫戦での関節を決める云々は、不可抗力だと思われます。 しかしながら そのような事故が多発する恐れがあったため、80年代に入るとどの団体 でも投げ技は禁止になりました。 たしかにテコンドーと似ているが、日本にテコンドー(ITF,WTF)ができたのが80年代なので70年代は? 分からない部分が多いんだね。 70年代は日米ともに伝統派、極真、カンフーの流派が入り乱れていた頃だったと記憶しているけど。 とにかく、事ある毎に アメリカの空手に言及する時にテコンドー起源を示唆してきたのは事実だし、 結果として現在でも多くの人がアメリカの空手の実体はテコンドーではないのか という極端な見方をしている。 それはこのスレの最初の方の書き込みを読んでみ ても分かる。 私自身は小島氏と面識があるわけではないから、別に好きとか嫌い という判断はできない。 ただ、小島氏自身、アメリカの雑誌等で研究したと告白 しているにも拘わらず、アメリカ空手界に関する記述は全く事実とかけ離れてい る事に意見を述べているだけで、それ以上でも以下でもない。 それから日本におけるITFの捏造問題についてだが、私自身はITFの関係者でも ないので、組織内の活動がどうなっているのかは把握できないが、少なくとも 一部かも知れないが、同団体の一道場が、事実と違う意見を堂々とホームページ 上で発表し、プロテコンドーという名称で、既に確立されている競技のコピー を行い、金を取って客を集めているという事実は、組織として全体責任を 問われる可能性がある。 もっともそうなっていないのは、アメリカのプロ空手に かんする認識が日本において皆無に等しいからだが。 私がこの事と小島氏の 発言を結びつけたのは、単に氏のアメリカ空手界に関する意見が日本の格闘技 ジャーナリズムでおそらくは一番受け入れられていると考えたからに過ぎない。 だからITFは小島氏の捏造を取り入れた可能性が高いと考えただけ。 実際、同 団体は故チェ・ホンヒ総裁がライトコンタクトのルールを考えたと事実に基づ かない発言をしていた。 他人の言葉の揚げ足取りではなく、何か建設的な 書き込みをして下さい。 601 名前: 実況厳禁@名無し.
次の