千葉ロッテの歴代の背番号5番をつけた選手をご紹介 まず、千葉ロッテマリーンズの背番号5番を付けた、歴代の全11選手を一挙ご紹介します。 年 度 年 数 球 団 名 選 手 名 1950年~1955年 6年 毎日オリオンズ 西本幸雄選手 1956年~1963年 8年 毎日オリオンズ~毎日大映オリオンズ 葛城隆雄選手 1964年~1975年 12年 東京オリオンズ 前田益穂選手 1976年 1年 ロッテオリオンズ ラフィーバー選手 1977年~1987年 11年 ロッテオリオンズ リー選手 1988年 1年 ロッテオリオンズ マドロック選手 1989年 1年 ロッテオリオンズ 空白 1990年 1年 ロッテオリオンズ 高橋慶彦選手 1991年~2010年 20年 ロッテオリオン ズ~千葉ロッテマリーンズ 堀幸一選手 2011年~2016年 6年 千葉ロッテマリーンズ 伊志嶺翔大選手 2017年 1年 千葉ロッテマリーンズ ダフィ選手 2018~ 千葉ロッテマリーンズ 安田尚憲選手 背番号5番を背負った主な3選手 次に、千葉ロッテマリーンズの、背番号5番をつけた主な3選手の経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。 レロン・リー選手 生年月日 1948年3月4日 出身地 アメリカ合衆国カリフォルニア州 投/打 右/左 プロ野球歴 セントルイス・カージナルス 1969年~1971年 サンディエゴ・パドレス 1971年~1973年 クリーブランド・インディアンス 1974年~1975年 ロサンゼルス・ドジャース 1975年~1976年 ロッテオリオンズ 1977年~1987年 タイトル 首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回、最多安打1回 表彰 ベストナイン4回 リー選手は、来日1年目である1977年の開幕から衝撃的な活躍を見せて、日本プロ野球界に衝撃を与えました。 1977年のシーズンが開幕をすると、開幕2試合目から14試合連続安打、5月8日からは11試合連続打点を記録します。 5月を終了した時点で、すでに本塁打20本、打点51打点をマークしました。 そして、千葉ロッテに11年間在籍したリー選手は、入団1年目から10年目まで、すべて打率3割をキープしました。 リー選手の日本プロ野球界における通算打率320は、2018年10月現在で、4000打席以上をマークした選手による歴代打率ランキングにおいて第2位の記録です。 ちなみに、ヤクルトスワローズの青木宣親選手に追い抜かれるまでは、史上最高の打率として記録されていました。 スラッガーの代名詞といえる背番号5番を付けたリー選手は、千葉ロッテの歴史の中で、もっともチームの勝利に貢献をした外国人選手といえます。 私がリー選手で印象に残っているのは、『メジャーリーグに戻れば、年棒1億円はもらえる』という発言です。 当時の日本プロ野球では年棒1億円の選手は誰もいなくて、1億円というのは夢でした。 堀幸一選手 生年月日 1969年4月2日 出身地 長崎県長崎市 投/打 右/右 プロ野球歴 ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ 1988年~2010年) タイトル なし 表彰 ベストナイン1回 堀選手はロッテ一筋に、23年間の選手生活を送った選手です。 その堀選手は、入団から3年間は背番号45番を付けていましたが、入団4年目に背番号5番に昇格をすると、その後20年に渡って付けた、背番号5番の代名詞といえる選手です。 堀選手はシュアなバッティングが特徴であり、特に右方向への打ち方は「天才」と言われました。 また、長打力を持ち合わせ、4番打者を任されることも多くあった選手です。 1998年には全打順で本塁打を記録もしています。 2010年のシーズン後半に戦力外通告を受け、フロント入りしないか誘われましたが、堀選手は現役を続けたかったため12球団合同トライアウトを受けました。 活躍を見せたものの獲得する球団がなく、12月に引退を表明しました。 堀選手というと、ロッテオリオンズ時代に入団した選手で最後まで現役で頑張った選手です。 小学生時代にロッテオリオンズファンであった私にとって、一つの時代が終わったと寂しい思いをしたものです。 伊志嶺翔大選手 生年月日 1988年5月12日 出身地 沖縄県平良市 投/打 右/右 プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ 2011年~) タイトル ベストナイン1回 伊志嶺選手は東海大学時代に、世界大学野球に日本代表として出場しました。 その時、代表チームの主将を務めるとともに、打率0. 458をマークする活躍をいたしました。 堅実な守備とプロ野球界でもトップクラスの俊足が評価され、オリックスバッファローズとの競合の末、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団しました。 俊足のスラッガーとして大きな期待を受けた伊志嶺選手は、新人ながら20年間にわたり堀選手がつけていた背番号5番を与えられると、初年度から30盗塁を記録し、チームの勝利に貢献をいたします。 翌2012年は2年目のジンクスのように精彩を欠いてしまい、3年目以降も1年目の成績を越えられずに苦しむ事となります。 残念ながら入団7年目の2017年からは、背番号も5番から38番へ変更されました。 千葉ロッテマリーンズの背番号5番の傾向とは? 日本プロ野球界において背番号5番は、ポジション番号でもある三塁手など、内野手が付けるという傾向があります。 2018年のシーズン終了時点で、千葉ロッテの背番号5番を背負った選手は、合計で11名になりますが、 千葉ロッテマリーンズにおいても、背番号5番は投手の背番号ではなく野手が多くつける傾向がある背番号になります。 その中には、日本プロ野球の歴史の中でも、通算打率ランキング2位に輝く記録を残したリー選手も含まれます。 また外国人選手を除くと、比較的長く付け続ける傾向があります。 それだけ千葉ロッテには、背番号5番に愛着を持った選手が多く、また好成績を残している選手が揃っていることになります。 ちなみに、偉大なOBが名を連ねる伝統の背番号5を、2018年から背負っている現役選手は、名門履正社高校からドラフト1位で入団をした安田尚憲内野手です。 高校No1スラッガーとして甲子園球場を沸かした安田選手に、背番号5番に似合う期待したいですね。 当ブログでは、他にも千葉ロッテマリーンズに関しての話題を提供しています。 よろしければご覧になってみてくださいね。 そして多くの選手が、6年以上の長期にわたって背番号5番をつけてきているのも、特徴と言えます。 2018年から千葉ロッテマリーンズの背番号5番を背負っている安田選手、持ち前のバッティング力をフルに発揮して活躍し、歴代の選手のように末永く背番号5番を背負っていくことを願ってやみません。 最後までお読み頂き大感謝! みっつでした。
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千葉ロッテの歴代の背番号5番をつけた選手をご紹介 まず、千葉ロッテマリーンズの背番号5番を付けた、歴代の全11選手を一挙ご紹介します。 年 度 年 数 球 団 名 選 手 名 1950年~1955年 6年 毎日オリオンズ 西本幸雄選手 1956年~1963年 8年 毎日オリオンズ~毎日大映オリオンズ 葛城隆雄選手 1964年~1975年 12年 東京オリオンズ 前田益穂選手 1976年 1年 ロッテオリオンズ ラフィーバー選手 1977年~1987年 11年 ロッテオリオンズ リー選手 1988年 1年 ロッテオリオンズ マドロック選手 1989年 1年 ロッテオリオンズ 空白 1990年 1年 ロッテオリオンズ 高橋慶彦選手 1991年~2010年 20年 ロッテオリオン ズ~千葉ロッテマリーンズ 堀幸一選手 2011年~2016年 6年 千葉ロッテマリーンズ 伊志嶺翔大選手 2017年 1年 千葉ロッテマリーンズ ダフィ選手 2018~ 千葉ロッテマリーンズ 安田尚憲選手 背番号5番を背負った主な3選手 次に、千葉ロッテマリーンズの、背番号5番をつけた主な3選手の経歴をご紹介しますので、是非参考にしてください。 レロン・リー選手 生年月日 1948年3月4日 出身地 アメリカ合衆国カリフォルニア州 投/打 右/左 プロ野球歴 セントルイス・カージナルス 1969年~1971年 サンディエゴ・パドレス 1971年~1973年 クリーブランド・インディアンス 1974年~1975年 ロサンゼルス・ドジャース 1975年~1976年 ロッテオリオンズ 1977年~1987年 タイトル 首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回、最多安打1回 表彰 ベストナイン4回 リー選手は、来日1年目である1977年の開幕から衝撃的な活躍を見せて、日本プロ野球界に衝撃を与えました。 1977年のシーズンが開幕をすると、開幕2試合目から14試合連続安打、5月8日からは11試合連続打点を記録します。 5月を終了した時点で、すでに本塁打20本、打点51打点をマークしました。 そして、千葉ロッテに11年間在籍したリー選手は、入団1年目から10年目まで、すべて打率3割をキープしました。 リー選手の日本プロ野球界における通算打率320は、2018年10月現在で、4000打席以上をマークした選手による歴代打率ランキングにおいて第2位の記録です。 ちなみに、ヤクルトスワローズの青木宣親選手に追い抜かれるまでは、史上最高の打率として記録されていました。 スラッガーの代名詞といえる背番号5番を付けたリー選手は、千葉ロッテの歴史の中で、もっともチームの勝利に貢献をした外国人選手といえます。 私がリー選手で印象に残っているのは、『メジャーリーグに戻れば、年棒1億円はもらえる』という発言です。 当時の日本プロ野球では年棒1億円の選手は誰もいなくて、1億円というのは夢でした。 堀幸一選手 生年月日 1969年4月2日 出身地 長崎県長崎市 投/打 右/右 プロ野球歴 ロッテオリオンズ・千葉ロッテマリーンズ 1988年~2010年) タイトル なし 表彰 ベストナイン1回 堀選手はロッテ一筋に、23年間の選手生活を送った選手です。 その堀選手は、入団から3年間は背番号45番を付けていましたが、入団4年目に背番号5番に昇格をすると、その後20年に渡って付けた、背番号5番の代名詞といえる選手です。 堀選手はシュアなバッティングが特徴であり、特に右方向への打ち方は「天才」と言われました。 また、長打力を持ち合わせ、4番打者を任されることも多くあった選手です。 1998年には全打順で本塁打を記録もしています。 2010年のシーズン後半に戦力外通告を受け、フロント入りしないか誘われましたが、堀選手は現役を続けたかったため12球団合同トライアウトを受けました。 活躍を見せたものの獲得する球団がなく、12月に引退を表明しました。 堀選手というと、ロッテオリオンズ時代に入団した選手で最後まで現役で頑張った選手です。 小学生時代にロッテオリオンズファンであった私にとって、一つの時代が終わったと寂しい思いをしたものです。 伊志嶺翔大選手 生年月日 1988年5月12日 出身地 沖縄県平良市 投/打 右/右 プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ 2011年~) タイトル ベストナイン1回 伊志嶺選手は東海大学時代に、世界大学野球に日本代表として出場しました。 その時、代表チームの主将を務めるとともに、打率0. 458をマークする活躍をいたしました。 堅実な守備とプロ野球界でもトップクラスの俊足が評価され、オリックスバッファローズとの競合の末、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団しました。 俊足のスラッガーとして大きな期待を受けた伊志嶺選手は、新人ながら20年間にわたり堀選手がつけていた背番号5番を与えられると、初年度から30盗塁を記録し、チームの勝利に貢献をいたします。 翌2012年は2年目のジンクスのように精彩を欠いてしまい、3年目以降も1年目の成績を越えられずに苦しむ事となります。 残念ながら入団7年目の2017年からは、背番号も5番から38番へ変更されました。 千葉ロッテマリーンズの背番号5番の傾向とは? 日本プロ野球界において背番号5番は、ポジション番号でもある三塁手など、内野手が付けるという傾向があります。 2018年のシーズン終了時点で、千葉ロッテの背番号5番を背負った選手は、合計で11名になりますが、 千葉ロッテマリーンズにおいても、背番号5番は投手の背番号ではなく野手が多くつける傾向がある背番号になります。 その中には、日本プロ野球の歴史の中でも、通算打率ランキング2位に輝く記録を残したリー選手も含まれます。 また外国人選手を除くと、比較的長く付け続ける傾向があります。 それだけ千葉ロッテには、背番号5番に愛着を持った選手が多く、また好成績を残している選手が揃っていることになります。 ちなみに、偉大なOBが名を連ねる伝統の背番号5を、2018年から背負っている現役選手は、名門履正社高校からドラフト1位で入団をした安田尚憲内野手です。 高校No1スラッガーとして甲子園球場を沸かした安田選手に、背番号5番に似合う期待したいですね。 当ブログでは、他にも千葉ロッテマリーンズに関しての話題を提供しています。 よろしければご覧になってみてくださいね。 そして多くの選手が、6年以上の長期にわたって背番号5番をつけてきているのも、特徴と言えます。 2018年から千葉ロッテマリーンズの背番号5番を背負っている安田選手、持ち前のバッティング力をフルに発揮して活躍し、歴代の選手のように末永く背番号5番を背負っていくことを願ってやみません。 最後までお読み頂き大感謝! みっつでした。
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背番号「00 」 00ですか・・これは意味ありげな番号ですね!というわけでこの背番号の意味や理由を考えてみました。 ロッテ鳥谷敬が背番号00になった意味や理由を考察 背番号は「00」。 この番号が何を意味しているのか?勝手な推測ですが、『ゼロからのスタート』『実績も何もかもかなぐりすててゼロから勝負をする』などの気持ちが込められているのではと思います。 鳥谷選手が10人目となりますね! 年度 選手名 1991-1992 大順 将弘 1993 モトリー 1994-1996 諸積 兼司 1997 小坂 誠 2001-2003 メイ 2005-2008 代田 健紀 2011-2016 高濱 卓也 2017 柴田 講平 2019 レイビン 2020 鳥谷 敬 阪神ファンとロッテファンの方はもうお分かりでしょうが、2011年から2016年の高濱卓也、2017年の柴田講平の二人は、阪神からロッテへ移籍しました。 千葉ロッテマリーンズと鳥谷敬の契約年数と年俸 契約:1年契約 年俸:1600万 鳥谷選手の実績が素晴らしいとはいえ、38歳というプロ野球選手としては若いとは言えない年齢、昨季の74試合出場で打率2割7厘という成績などから考えれば、1年契約は妥当だと言えます。 年俸1600万円は、1軍最低保証クラスの年俸だそうです。 阪神では年俸4億円プレーヤーの大スター選手だっただけに、いささか厳しい査定に思えるかもしれません。 ですが、鳥谷選手はお金どうこうよりも、純粋にプロ野球でもう一度勝負をしたいのだと思います。 だからこその1年契約、年俸1600万円、背番号00からのリスタート!そんな鳥谷選手を応援しようと思う方は多いのではないでいょうか?僕もそのうちの1人です。 ルーキー時代にはそこまで守備が上手いという選手ではなかったものの、試合に出続けキャリアを積むごとにメキメキと守備力がアップ!ついにはショートに飛べば難しい打球でも鳥谷がなんとかしてくれる!と思えるほどの名手になっていきました。 2011年・2013年・2014年・2015年に遊撃手 ショート としてゴールデングラブ賞を受賞し、名実ともにセ・リーグを代表するショートとして認知されるようになったのですね。 サードとしてもゴールデングラブ賞を受賞しましたし、セカンドも守れます。 ファーストだって守れるでしょう。 つまりショートとサードを中心に内野全般をカバーできるわけです。 ロッテは内野の選手層に不安を抱えており、井口監督やコーチからすれば、複数の内野ポジションを守れてケガにも強いベテランの鳥谷選手は、若手の不調やケガなどがあった時などには特に「いてくれると頼りになり安心できる存在」でしょう。 鳥谷敬の千葉ロッテでレギュラーになれる? 鈴木大地選手がFAで楽天へ移籍したロッテの内野は、 ファーストの井上晴哉、サードにはブランドン・レアードがメインでレギュラーを務めることになるでしょう。 その他の内野陣は、安田尚憲、中村奨吾、藤岡裕大、三木亮、平沢大河らがいますが、今のところチャンスをものできていないようです。 もちろん若返りを図るチーム事情から、若くてさらなる成長が期待できる選手を起用したいと思うのが普通です。 ですが、もし鳥谷選手が打撃や守備で若手たちに勝るアピールができれば出番が来るはずです。 1年を通してのレギュラーとなると難しいかもしれませんが、鳥谷選手の力が必要になった時に準備ができていれば、井口監督は鳥谷選手を起用するでしょう。 そこで結果を残して1試合でも多く出場して活躍するス姿を見せてほしいですね。 鳥谷選手・井口監督・松本球団本部長の声 ロッテ鳥谷敬選手の声 『キャンプ、練習試合、オープン戦と戦ってきまして、その中で内野のところの補強、厚みをもたせたいというのがひとつとして挙げられます。 (野球に取り組む姿勢については)みなさんご存知だと思いますけど、そういうところが若い選手に色々と見せていって欲しい 』 さぁ君がヒーローだ鳥谷敬! 1939試合連続試合出場、通算2000安打達成。
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