サバクトビバッタ(成虫)。 (写真クリックで拡大) 日本にもいるトノサマバッタとは同じ科で分類的には近く、つまり極端な乾燥地帯に生息しているトノサマバッタをイメージすれば素人的な理解としてはまず合格だろう。 アジアのトノサマバッタは時々、大発生して農作物に壊滅的な被害を与えてきた。 大挙して飛来しては、すべてを食べてつくしてしまうのである。 日本では開拓時代の北海道の事例がよく引用される。 作物どころか家屋の障子紙まで食い尽くしたと言い伝えられるのが凄まじい。 最近では、2007年、関西国際空港で開港直前の「第2期島」で大発生し、調査の結果およそ4000万個体がいることが分かったという。 航空機の運航上の脅威になりかねないので、大がかりな防除が行われた。 その時の写真を見た人なら「なにこのバッタ?」と思ったはずだ。 なぜなら、我々に馴染みのあるトノサマバッタは、緑色っぽいのに対して、こちらはもっと黒っぽい、まるで別の体色だからだ。 ここで覚えておくべきキーワードは、「孤独相」と「群生相」。 ふだんぼくたちが見ているトノサマバッタは、孤独相といって、群れることなく、ほとんど単独で生きている。 もちろん繁殖する時には、雌雄が集うわけだが。 一方、群生相は、幼虫の時代から群れる。 なにかを引き金に、そのような行動の変化が起こり、同時に体色など姿形が変化する。 だから、いきなり群れて群生相になっているトノサマバッタを見ると、「なにこのバッタ?」となるわけだ。 さて、サバクトビバッタも、普段の孤独相から、群生相になると、群れをなして甚大な被害をもたらす。 目下、国際連合食糧農業機関 FAO がモニタリングを行っている害虫であり、アフリカのサブサハラ諸国や、中東での被害が常に警戒されている。 下図はFAOのウェブサイトから引いたもので、ちょうどぼくがモーリタニアを訪ねた頃、群生相の幼虫が発生しているという情報が登録されていた。 ほかの地域では静穏のように見えるが、これはモニタリングがきちんと為されているかどうかという問題もあり、必ずしも、モーリタニアだけで群生相の幼虫が出ているわけではなかろう、という説明を受けた。
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アフリカでしばしば大発生し、農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。 防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。 その謎に包まれた生態を調査するため、単身、西アフリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。 「愛するものの暴走を止めたい」と語る、野生のサバクトビバッタ研究者、前野ウルド浩太郎、その人である。 「相変異」の解明が世界を救う アフリカに生息するサバクトビバッタは「相変異」を起こすバッタだ。 環境によって「相」、つまり、モードを変える。 普段はお互いを避け合うおとなしい「孤独相」を示しているものの、エサが乏しい状況下などで限定された場所に集まり、他個体とぶつかり合いながら育つと、群れることを好み、獰猛な性格の「群生相」となる。 孤独相の時は、周囲にある植物の緑など、生息している環境に合わせて自分の体色を似せて天敵の目をくらますが、群生相になると黒や黄色といったハッキリと目立つ体色になる。 「孤独相」と「群生相」で性格も見た目もまるで変わってしまうのだ。 サバクトビバッタの生態について説明をする前野氏。 孤独相の時は無害なサバクトビバッタも、ひとたび群生相になると害虫と化し、しばしば農被害をもたらしてきた。 アフリカにおけるサバクトビバッタの蝗害(こうがい)の歴史は長く、聖書やコーランにも「神の罰」と、その深刻な状況が記されている。 2003年にモーリタニア、マリ、ニジェール、スーダンといった西アフリカで大発生した群れは、130,000平方キロメートルもの広大な地域に拡散した。 蝗害対策を行う国際連合食糧農業機関(FAO)の試算によると、のべ20ヶ国以上が受けた農被害の総額は25億ドルにも上り、対策費として4億ドル以上が投じられたが、被害は2005年に降水量が減り、気温が下がるまで長く続いた。 人類は古くから、バッタの異常発生による災害、「蝗害(こうがい)」に悩まされてきた。 大量に発生したバッタは集団を形成して移動と産卵を繰り返しながら、農作物に限らずあらゆる植物を食べ尽くす。 国土の狭い日本では、蝗害を引き起こすバッタ類が数世代に渡って大集団を作る環境がないため、ここで言う「蝗害」は、ごく限られた地域や時代にしか起きていない。 蝗(イナゴ)という字が使われているが、イナゴと個体群の密度といった環境の変化によって姿を変える「相変異」を示すバッタは厳密には別のものである。 昆虫は、自身の生存と子孫の繁栄のために様々な環境適応能力を持っている。 サバクトビバッタの相変異も生き延びるための変化のひとつである。 彼らにとって、高頻度でぶつかり合うことは、エサ不足などの厳しい環境の訪れを意味するシグナルであり、孤独相から群生相へとモードを変えることは止められない。 サバクトビバッタの大量発生と農被害の拡大を防ぐために行われているのは、殺虫剤による幼虫の駆除だ。 しかし、効率よく防除するためには成虫になって飛翔する前に発見しなければならないため、アフリカの広大な地域を適切にカバーすることは非常に難しい。 そこで長年、注目され続けているのが、サバクトビバッタの相変異のメカニズムを解明することだ。 群生相化を阻止することが、最適な防除策であり、100年以上に渡って研究が続けられている。 サバクトビバッタの「孤独相」幼虫(左)と「群生相」幼虫(右)。 孤独相の緑の体色と群生相の黄色と黒色が混じった目立つ体色との違いに注目。 白眉センター・昆虫生態学研究室の前野特定助教が、サバクトビバッタと出会ったのは、つくば市にある農業生物資源研究所だった。 幼い頃、「ファーブル昆虫記」に魅せられた当時のように、相変異によって鮮やかに体色を変えるサバクトビバッタに強く興味を惹かれ、時にアフリカで猛威を振るう彼らを「愛するものの暴走を止めるために」、研究対象とすることに決めた。 博士課程のために神戸大学に籍を置きながら、つくば市の研究室で飼育されたサバクトビバッタの研究を続け、その間、膨大な文献や論文を読み漁った。 そして「これでは足りない」と感じた。 「なぜ誰も野外調査を行わないんだ?」…先行研究のほとんどが、実験室内で行われており、サバクトビバッタが生息する地域での野外調査がほとんど行われていないことが気になるようになった。 野外での生態に関する情報が欠如しているようでは、防除のため技術は進歩しない。 このまま環境を汚染するリスクを負いながら広大なアフリカの発生地域に殺虫剤を散布し続けていて良いのか?疑問を解決するには、現地に行くほかなかった。 2010年、サバクトビバッタの発生地域のひとつである西アフリカの砂漠の国、モーリタニアに渡り、現地を視察した。 なぜ、野外調査を行う研究者がいないか、理由が分かった。 白人の研究者はテロリストのターゲットになる可能性が高く、現地の研究者は国外で学位を取得した後、帰国すると各国の研究施設の要職に就いてしまい、現地調査に出る機会が失われてしまうのであった。 「ならば、日本人の研究者である自分の出番だ」…そう確信して、視察した「モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所」に置かれた来訪者用ノートに「I'll be back」と書き残した前野氏は、翌2011年、日本学術振興会海外特別研究員として、モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所に赴任した。
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黒い影が目の前を横切った。 群れからはぐれたバッタに違いない。 車に驚いて、バッタがチラホラ飛びはじめた。 いるぞ。 明らかにバッタの数が増えてきている。 バッタの大群は近い。 胸の高鳴りを抑えるのに必死になりながら、道なき道を突き進む。 期待と緊張感は高まるばかりだ。 目を見開き、どこに潜んでいるのか、くまなく探し回る。 目の前に立ちはだかる巨大な砂丘を大きく回り込み、視界が開けた瞬間、億千万の胸騒ぎが全身を走った。 大量のバッタが群れを成し、黒い雲のように不気味に蛇行しながら移動していた。 その尾の先は地平線の彼方にまで到達している。 想像を遥かに超えた異様な光景に唖然とする。 すぐに驚きが一周して笑えてきた。 「こんな巨大な群れを退治するとか、どうやったらいいのよ」 こんなものに闘いを挑もうとしていたとは、私はなんと無謀なのか。 バッタは漢字で「飛蝗」と書き、虫の皇帝と称される。 世界各地の穀倉地帯には必ず固有種のバッタが生息している。 私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。 その被害は聖書やコーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。 農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると一日に100km以上移動するため、被害は一気に拡大する。 地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害総額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。 バッタの翅(はね)には独特の模様があり、古代エジプト人は、その模様はヘブライ語で「神の罰」と刻まれていると言い伝えた。 「蝗害」というバッタによる被害を表す言葉があるように、世界的に天災として恐れられている。 なぜサバクトビバッタは大発生できるのか? それはこのバッタが、混み合うと変身する特殊能力を秘めているからに他ならない。 まばらに生息している低密度下で発育した個体は孤独相と呼ばれ、一般的な緑色をしたおとなしいバッタになり、お互いを避け合う。 一方、辺りにたくさんの仲間がいる高密度下で発育したものは、群れを成して活発に動き回り、幼虫は黄色や黒の目立つバッタになる。 これらは、群生相と呼ばれ、黒い悪魔として恐れられている。 成虫になると、群生相は体に対して翅が長くなり、飛翔に適した形態になる。 長年にわたって、孤独相と群生相はそれぞれ別種のバッタだと考えられてきた。 その後1921年、ロシアの昆虫学者ウバロフ卿が、普段は孤独相のバッタが混み合うと群生相に変身することを突き止め、この現象は「相変異」と名付けられた。 大発生時には、全ての個体が群生相になって害虫化する。 そのため群生相になることを阻止できれば、大発生そのものを未然に防ぐことができると考えられた。 相変異のメカニズムの解明は、バッタ問題解決の「カギ」を握っているとされ、1世紀にわたって世界的に研究が積み重ねられてきた。 バッタに関する論文数は1万報を軽く超え、昆虫の中でも群を抜いて歴史と伝統がある学問分野であり、現在でも新発見があると超トップジャーナルの表紙を飾る。 ちなみに、バッタとイナゴは相変異を示すか示さないかで区別されている。 相変異を示すものがバッタ(Locust)、示さないものがイナゴ(Grasshopper)と呼ばれる。 日本では、オンブバッタやショウリョウバッタなどと呼ばれるが、厳密にはイナゴの仲間である。 Locustの由来はラテン語の「焼野原」だ。 彼らが過ぎ去った後は、緑という緑が全て消えることからきている。 アフリカに行きさえすれば、サバクトビバッタの群れに出会えるかもしれない。 しかし、私はしがないポスドクのため、職を得るためには論文を発表し続けなければならない。 アフリカに行ったからといって論文のネタとなる新発見ができる保証はどこにもない。 なぜなら、室内の実験設備が整っておらず、研究の全ては野外で行われるからだ。 自分の運命を自然に委ねるのは、あまりにも危険すぎた。 しかし、日本には、給料をもらいながら自由に研究できる制度はもはや皆無だった。 結局、アフリカに行ってみたのは31歳の春。 向かった先は日本の国土のほぼ3倍を誇る砂漠の国・西アフリカのモーリタニアだった。
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