愛し てるよ 宝塚 歌 劇団。 宝塚歌劇団

宝塚歌劇団

愛し てるよ 宝塚 歌 劇団

すべては「電車の乗客を増やすため」 宝塚大劇場の正面玄関(4月10日) 大阪の北の玄関口・梅田から阪急電鉄の急行に乗れば、宝塚まで約30分。 今でこそ宝塚は宝塚歌劇のメッカとして知られているが、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の開業した1910年当時は村を流れる武庫川の右岸に貧弱な温泉場があるだけだった。 現在宝塚大劇場の立地する左岸には数軒の農家が点在するのみで、閑静な松林の続く河原だった。 都会(大阪)と田舎(宝塚)を結ぶ電車は開通したものの、沿線人口が少なく、旅客もまばら。 大阪と神戸の大都市間を結ぶ先発の「阪神電気鉄道」(1905年開業)はライバル。 乗客を増やすため、事実上の経営トップだった一三が打った手は、以前から構想を温めていた沿線の住宅分譲と大衆娯楽施設の開設だった。 既存温泉場の対岸の埋立地を購入してオープンした「宝塚新温泉」は大理石の浴槽と広壮な施設が人気を呼んだものの、隣に増設した新型レジャーセンター「パラダイス」の室内プールは大失敗。 「日光の直射がないから、5分間も泳ぐことのできないほど冷たい。 外国の水泳場では水中に鉄管を入れ、そこに蒸気を送って適度に温めていることを知らなかった」(『逸翁自叙伝』)からだ。 阪急宝塚駅と宝塚大劇場を結ぶ「花のみち」(4月10日) 閉鎖されたプールをどうするか。 それからがアイデアマン・一三の真骨頂だ。 水を抜いて水槽を客席に、脱衣場を舞台として改造し、そこで少女らに唱歌を歌わせ、劇を演じさせた。 温泉に入る人なら誰でも無料で見られる少女歌劇は、日を追うごとに評判を呼び、2カ月間の処女公演は連日大入り満員。 これがその後、100年続く「宝塚歌劇」の始まりになるのだから、世の中は面白い。 特筆すべきは、素人の少女たちをにわか仕立てで舞台に立たせたのではなかったことだ。 歌が好きな良家の少女を募集し、水準以上の俸給を支払った。 音楽教育以外に、人間教育やしつけにも責任を持った。 幼少時からの芝居好きが歌劇立ち上げで開花 小林一三の肖像写真(提供=向山建生氏) 少女歌劇誕生のヒントになったのは三越呉服店(現三越)が客寄せの一環で作った少年音楽隊。 20~30人のかわいい楽士が洋装に鳥の羽のついた帽子を斜めに被って歌う姿は評判をとっており、「宝塚新温泉もこれをまねて、三越の指導を受け、女子音楽隊を設けることにした」(小林一三『宝塚生い立ちの記』青空文庫)。 一三がすばらしいのは単なる思い付きに終わらせなかったことだ。 公演実現に向けた懸命な努力や、人材育成に対する取り組みは単なる経営者の域をはるかに超えている。 なぜ、そこまで入れ込んだのか。 その秘密を知るためには一三の幼少時にまでさかのぼらなければならない。 一三が生まれたのは富士山の見える山梨県韮崎市。 市内在住の小林一三研究家で、山梨大学客員教授の向山建生氏によると、一三の生家は裕福な商家で、小さいころから小学校の近くにあった芝居小屋にしょっちゅう出入りしていた。 東京の慶応義塾に入学してからも、ひんぱんに芝居小屋や歌舞伎に足を運び、継続的に見物していた。 書くことも好きで、郷里の山梨日日新聞に小説を連載するほどだった。 慶応卒業後は三井銀行(現三井住友銀行)に15年間勤務。 銀行マンの仕事が性に合わなかったこともあって、大阪勤務時代にはまたもや小説や芝居にのめり込んだ。 大阪の花街や粋人らとの付き合いは逆に深まり、それまでの経験や交流が宝塚歌劇の立ち上げで一気に花開いた。 「女でなければできない雰囲気」 2004年の宝塚歌劇団宙組公演「ファントム」主演の和央ようかさん(左)と花總まりさん=2004年2月24日(時事) 宝塚の舞台に上がれるのは未婚女性に限られる。 観客に「夢の世界」を見させることに徹し、「現実の世界」の生活感を舞台に持ち込ませないためだ。 それも、「清く、正しく、美しく」をモットーに厳しくしつけられた宝塚音楽学校で2年間の修業を積んだ卒業生にのみ許される。 この点は、欧米のオペラやミュージカルのように、その都度オーディションで選ばれた舞台集団とは根本的に異なる。 一三は「うちの歌劇なんか、男をこれだけに育てることは不可能だ。 料理にしても、うまいものは男でなくてはならんかもしれないが、家庭ですぐ間に合うものをつくるのは女である。 今宝塚はかれこれ400~500人の生徒でやっているが、男だったらこんなことがやれるものではない。 年中喧嘩だろう。 宝塚には男の世界にない、女でなければできない雰囲気があると思っている」(宝塚生い立ちの記)と指摘している。 純血主義をかたくなに順守 宝塚歌劇団が100年間も存続し得たのはガラパゴス(日本国内で独自かつ高度に進化し、世界標準とかけ離れていること)であることに執着したためではないか。 人材供給を宝塚音楽学校を卒業した日本人の未婚女性に限定する純血主義をかたくなに順守し、ブロードウェイのミュージカルのように、卓越した技能を持つ外部人材や演目に応じた最適プロフェッショナル人材には門戸を開放していない。 日本の伝統芸能には、男が女も演じる「男だけの世界」である歌舞伎もあるが、こちらもガラパゴスと言えばガラパゴス。 「歌舞伎の女形は不自然だから、女を入れなければいかんというて、ときどき実行するけれども、結局、あれは女形あっての歌舞伎なのだ。 女から見た男役というものは男以上のものである。 いわゆる男性美を一番よく知っている者は女である。 その女が工夫して演ずる男役は、女から見たら実物以上のほれぼれする男性が演じられているわけだ。 そこが宝塚の男役の非常に輝くところである」(宝塚生い立ちの記)と一三は論じている。 小林一三が目指したタカラジェンヌのあるべき姿は「清く、正しく、美しく」。 日本男性がこよなくあこがれる「やまとなでしこ」(清楚で凛とし、つつましやか。 一歩引いて男を立て、男に尽くす甲斐甲斐しい女性)であり、退団後の良妻賢母だ。 それを夢想させる姿がタカラヅカの舞台にはあるのではないか。 線路を引くだけだった鉄道事業に、日本初の住宅ローン制度を導入した沿線宅地開発というビジネスモデルを持ち込んだほか、電鉄ターミナル駅・梅田に大衆デパート「阪急百貨店」をオープンし、最上階の大衆食堂で大衆メニューのカレーライスを提供したのも一三だ。 旧邸の洋館「雅俗山荘」を居住当時の状態に復元した小林一三記念館(大阪府・池田市) 東京電燈(現東京電力)の社長兼務時代には東京に出張してくるビジネスマンを対象としたホテルを構想、1938年に日本初のビジネスホテル「第一ホテル」(現阪急阪神ホテルズ・グループ)を新橋に開業させた。 現東京急行電鉄の創業時の経営にも関与し、田園調布の開発にも関わっている。 ただ指示を出すだけの経営者とはまるきり違う。 「プロデューサー的仕事師」と言われるゆえんだ。 小説も書いたことのある文才をいかんなく発揮。 箕面有馬電気軌道の開業が危ぶまれたときには『最も有望なる電車』という宣伝パンフレットを1万部印刷して大阪市内にばらまいた。 分譲地販売でも『如何なる土地を選ぶべきか、如何なる家屋に住むべきか(住宅地御案内)』のパンフを作った。 現在のコマーシャル・メッセージを先取りした企業広告のセンスは出色だ。 その最高傑作が神戸線を開業した際、ライバルを意識した新聞広告(1920年)。 「新しく開通した神戸(又は大阪)ゆき急行電車、綺麗で、早うて、ガラアキで、眺めの素敵によい涼しい電車」。 一三は宝塚歌劇のために20以上の作品を執筆したが、彼の文才を知れば、不思議ではない。 パネル展の前で小林一三について語る向山建生氏(3月27日、韮崎市内のふるさと偉人資料館) 政治家としての顔も持っている。 1940年には第2次近衛内閣で、民間初の商工大臣を務めた。 しかし、後任となる商工官僚の岸信介次官と対立し、1年足らずで辞任。 終戦直後の45年にも幣原内閣で国務大臣兼戦災復興院総裁に就任したが、このときは公職追放で辞めている。 小林一三が興した事業は数々あるが、「彼が最もやりたかった事業は生活文化面だった。 自分の事業は生活に密着しなければ意味がないと考えていた」と向山氏は指摘する。 中でも一三が一番愛した事業こそが庶民が気軽に足を運べる演劇・タカラヅカだった。 高い席もあるけれど、安い席でも十分楽しめる。 「野球の外野席とか、相撲の3階席と同じ。 年中いける。 まじかでなくてもいいんですよ。 気軽に文化に親しめる。 それが生活の中の文化というものではないですか」(向山氏)。 取材・文・写真=長澤 孝昭(一般財団法人ニッポンドットコムシニアエディター/ジャーナリスト)バナー写真:宝塚歌劇団100周年記念式典で、総勢460人のタカラジェンヌと宝塚音楽学校の生徒が合唱した=2014年4月5日(宝塚大劇場、提供=神戸新聞社).

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関西歌劇団(Kansai opera)

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2007年初演、その秘された史実と共に大きな感動を呼び話題と なり、以降2008年、2010年、2013年と上演を重ねてき た舞台『宝塚BOYS』。 その伝説的舞台が、5年振り5度目となる2018年夏、東京芸術 劇場 プレイハウス他にて上演されることが決定した。 今回は、「team SEA」「team SKY」という2チームによるWキャストで新生BOYSが誕生す る。 「宝塚男子部」は、第二次世界大戦が終わって間もない1945年(昭和20年)12月から1952年(昭和27年) の間に4回にわたり、宝塚歌劇団の舞台に男性を出演させることを 目的として募集され大勢の中から25人が合格。 それぞれに出自が違う彼らは「明日の宝塚スター」を夢見て、 レッスンに励んだが、1954年(昭和29年)3月「男子部」 は解散。 その間、彼らはメインステージである宝塚大劇場に立つことは、一度もなかった。 『宝塚BOYS』は、そんな彼らにスポットをあてたドキュメ ンタリー本、 辻則彦著「男たちの宝塚〜夢を追った研究生の半世 紀」 神戸新聞総合出版センター刊 を原案に、 男たちの切ない青春グラフィティとして2007年舞台化され全 国9カ所を巡演。 大好評を得、翌2008年、2010年、201 3年と上演を重ねている。 物語は、昭和20年秋、第二次世界大戦が終わったばかりの激 動の時代が舞台。 幼い頃から宝塚の舞台に憧れていた若者・ 上原金蔵は、一枚の召集令状で青春を失い、今度は自らの書いた 一枚の手紙で、人生を変えようとしていた。 手紙の宛先は宝塚歌 劇団創始者・小林一三。 内容は宝塚歌劇団への男性登用を訴えるも のだった。 そうして集まったメンバーは、上原をはじめ、電気屋の竹内重 雄、宝塚のオーケストラメンバーだった太田川 剛、旅芸人の息子・長谷川好弥、闇市の愚連隊だった山田浩二、 現役のダンサー・星野丈治、と個性豊かな面々だった。 宝塚歌 劇男子部第一期生として集められた彼らではあるが、劇団内、 観客などの大半が男子部に反対。 前途多難が予想される彼ら の担当者として歌劇団から、池田和也が派遣されていた。 池田は彼らに厳しく言い放つ。 」 「訓練期間は2年。 その間、実力を認められるものは2年を待たず に仕事を与える。 」 男子部のメンバーはいつか大劇場の舞台に立てることを信じ、 声楽・バレエ……と不慣れなレッスンに明け暮れる日々が始 まる。 敗戦の荒廃から立ち上がった日本とともに、夢を描いた男性達の、 汗と涙と、夢と挫折。 精いっぱいの男たちの青春物語に期待してほ しい。 原案の辻則彦、「team SEA」のキャスト、「te am SKY」のキャストから、それぞれメッセージが届いた。 辻則彦(原案「男たちの宝塚」著者)コメント 「男子禁制」の宝塚歌劇団に男子部があった! これは本当にあった 話である。 1945年から1954年までの9年間、4期にわたっ て歌劇団に特設された男子部に在籍したのは25人。 2007年の「宝塚BOYS」初演、男子部に在籍していた25人 のうちの5人がその舞台を観劇。 「自分たちの夢を叶えてくれた! 」と喜びを確かめ合い、さらに友情を深めた。 その後も、再演を重 ねるたびに客席に彼らの姿はあったが、残念ながらその数はだんだ んと減っていった……。 そんななか、いまは91歳を筆頭に3人が元 気に暮らしている。 男子部を去った後に自らバレエ団を起ち上げ、 数々のスターを生み出した人、数年前までは舞台に立ち、生涯を演 劇に捧げた人。 180センチを超す長身を生かして映画俳優に転身 し、引退後はおだやかな余生を過ごしている人。 歩んできた道はさ まざまだが、いまの時代に「貴重な体験」を語り継いでいる。 良知真次(team SEA) コメント 今回の出演が、『宝塚BOYS』の2度目の出演になります。 この作品は、本当にあった、本当に起こった事実が元になっていま す。 実際に当時在団されていた方にもご観劇頂きました。 だからこ そ大切に演じ、ご観劇下さるお客様に大切にお届けしたいと思いま す。 それが今回のメンバーに選んで頂いた責任だと思っています。 上手い下手ではない。 劇場で生まれる感動を是非五感で感じて頂け たらと思います。 演出の鈴木裕美さんとは、前回の『宝塚BOYS』で初めてご一緒 させて頂きました。 以降いくつかの作品でご一緒させて頂きました が、大好きな演出家の先生の1人です。 そしてコワイです(苦笑) でもこんなにもお芝居を愛して、作品を愛して、妥協しない。 身を 削る思いで作品を作って下さる裕美さんと、またご一緒できること が役者としてとても幸せです。 良い意味で前回の記憶は無くして、新しい作品を、新しいメンバー で作りたいと思っています。 僕自身があれから、宝塚歌劇団の振付を実際にやらせて頂きました。 実際、宝塚の稽古場に入った時に感動し震えたのを覚えています。 そして宝塚のスターさんとも1つの作品を作りました。 宝塚の方々 の華!努力!にも感動しました。 その経験があるからこそ、また違 う目でこの作品に正面から挑みたいと思います。 『清く・正しく・ 美しく』一生懸命、魂を込めて演じます。 是非! ご期待下さい。 良知真次 永田崇人(team SKY) コメント 今回、『宝塚BOYS』に出演が決まり、とても嬉しかったです。 過去5作品に出演されているキャストの皆様が素敵な方々ばかりで 、自分もそんな風になれるように頑張るぞ!という気持ちですが、 少しプレッシャーも感じています。 作品の印象は"青春"ですね。 DVDで拝見したのですが、作中の 男達がひたむきに一生懸命に夢を追いかける姿に感動し共鳴しまし た。 そして、演出の鈴木裕美さんは、以前からずっとご一緒させていた だきたいと思っていたので、とても嬉しかったです。 いつもハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!! 」シリーズ で共演している、康平さんや一馬くんとまた今回も共演できること も楽しみです。 そして、今回ご一緒する2チームの素敵なキャスト の方々の技術をたくさん盗みたいです 笑。 25歳という自分的には節目の歳にこの作品に出演出来る事をとて も嬉しく思います。 そして、自分の今を全力でぶつけられる作品に なると思うので、大きな成長の場に出来るよう頑張ります! 僕たちと一緒に夢をみてください! 劇場でお待ちしてます! 【ものがたり】 昭和 20 年秋……第二次世界大戦が終わったばかりの激動の時代。 幼い頃から宝塚の舞台に憧れていた若者・上原金蔵。 彼は一枚の召集令状で青春を失い、今度は自らの書いた一枚の手紙で、人生を変えようとしていた。 手紙の宛先は宝塚歌劇団創始者・小林一三。 内容は宝塚歌劇団への男性登用を訴えるものだった。 そうして集まったメンバーは、上原をはじめ、電気屋の竹内重雄、宝塚のオーケストラメンバーだった太田川剛、旅芸人の息子・長谷川好弥、闇市の愚連隊だった山田浩二、現役のダンサー・星野丈治、と個性豊かな面々だった。 宝塚歌劇男子部第一期生として集められた彼らではあるが、劇団内、観客などの大半が男子部に反対。 前途多難が予想される彼らの担当者として歌劇団から、池田和也が派遣されていた。 池田は彼らに厳しく言い放つ。 」 「訓練期間は2年。 その間、実力を認められるものは 2 年を待たずに仕事を与える。 」 男子部のメンバーはいつか大劇場の舞台に立てることを信じ、声楽・バレエ……と慣れないレッスン明け暮れる日々が始まった。 報われぬ稽古の日々が一年近く続く中、やっと与えられた役は……馬の足……。 そして男子部の存在を否定するかのような事件が起こり、彼らの心中は激しく揺れ動く。 そんな中、新人・竹田幹夫が入って来る。 月日は流れて行く。 やり切れない想いをかかえながらも、相変わらず日々のレッスンに励む男子部の面々。 しかし、彼らの出番は相変わらずの馬の足と陰コーラス。 プログラムに名前すら載らない。 それどころか、男子部反対の声はますます高まり、孤立無援の状況。 そんな彼らをいつも温かく見守ってくれるのは、寮でまかないの世話をしてくれる君原佳枝だけだ。 そんなある日、彼らの元に宝塚男女合同公演の計画が持ち上がった。 喜びにわく彼らだったが……。

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宝塚はトンチキを愛してこそ・『出島小宇宙戦争』に思う

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コンテンツ• 宝塚歌劇の新卒採用 私が新卒の時代は、宝塚歌劇関係で新卒採用があるのは 阪急電鉄株式会社・ 株式会社宝塚舞台くらいだったと思います。 何年か前から 新卒採用にシフトチェンジしていってるイメージがあります。 演出助手まで新卒から第二新卒を対象とした採用試験に切り替わっていますね。 (後述) 本気で働きたいのであれば、 新卒のタイミングが最大のチャンスと言えるでしょう。 新卒採用を実施している関連企業としては 阪急電鉄株式会社 株式会社宝塚クリエイティブアーツ 株式会社宝塚舞台 などがあります。 では一社ずつ、どうのような事業をしているのか見てみましょう。 阪急電鉄株式会社 言わずと知れた 親会社です。 宝塚歌劇を知らない方でも、阪急は知っている方は多いのではないでしょうか。 阪急電鉄の創始者・ 小林一三翁が 国民的演劇を目指し「 宝塚唱歌隊」を結成したことから今日の宝塚歌劇がありますので、阪急電鉄と宝塚歌劇は切っても切れないんですね。 阪急電鉄は 鉄道事業や 不動産事業などの部署がありますが、 宝塚歌劇関係の仕事がしたい場合は「 歌劇事業部」志望ということになります。 私は阪急に就職したことがないのでどんな感じで配属場所が決定するかわかりませんが、希望くらいは出せるのでしょう。 しかし、 鉄道事業も 不動産事業も、またエンターテイメント事業でも「 梅田芸術劇場」配属もあり得るようなので必ずしも宝塚歌劇関係の仕事が出来るわけではないでしょう。 株式会社宝塚クリエイティブアーツ 宝塚クリエイティブアーツ(以下 TCA)は、 宝塚歌劇関連の コンテンツを多岐にわたり制作している会社です。 公式の DVD・ CDの制作・販売、「 歌劇」や「 宝塚GRAPH」などの宝塚歌劇関連書籍の出版・販売、「 TAKARAZUKA SKY STAGE」の運営・番組制作、 宝塚歌劇オリジナルグッズの企画制作、オフィシャルショップ「 キャトルレーヴ」の運営や 宝塚オーケストラの運営などもTCAの仕事のようです。 宝塚歌劇の舞台には直接関わることはないですが、 宝塚歌劇の普及に確実に貢献されている会社ですね。 稀に公式サイトにも募集がかかる「 宝塚オーケストラ楽員」などはTCAの所属になります。 こちらは 専門楽器の演奏者向けの求人なので、新卒採用というよりは 音楽大学出身者向けだったり、 プロの演奏家の転職案件のような感じでしょうか。 株式会社宝塚舞台 宝塚舞台は主に、 宝塚歌劇の公演・ステージにまつわる仕事をしています。 進行(舞台監督)・ 美術(大道具・小道具)・ 音響・ 照明・ 衣装などの プランニングや オペレーションなど、いわゆる 舞台の技術屋さんたちです。 出演者のかつらを作ったりメンテナンスをする 床山さんもこちらの所属です。 舞台の裏方の仕事が一体どんな仕事なのかイメージつきにくい方は、宝塚舞台のHPを見てみてはいかがでしょう。 各職種の仕事内容をムービーで紹介しています。 他にも、 大劇場内にある施設「 Salon de Takarazuka ステージスタジオ」や「 宝塚歌劇の殿堂」の運営も宝塚舞台のお仕事のようです。 あと「 楽屋スタッフ」なんで職種もあります。 こちらは アルバイトのようですが、 楽屋口で差し入れの受付をしたり、楽屋内の清掃なども業務の様です。 上記の企業は新卒採用をしているようなので、新卒の方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。 宝塚歌劇団としての求人 阪急・TCA・舞台以外に、 宝塚歌劇団として求人を出している職種があります。 演出助手 演出助手は、 将来の 演出家候補として宝塚歌劇団に所属し、演出家のもとで 公演の制作進行や 稽古の管理など、 なんでもやる人です。 公演成功のためになんでもやらないといけないので、 雑用もいっぱいあるとか。 稽古場映像でよく見かける 稽古用の小道具や、稽古場だけで使う 稽古用音源の編集、楽譜の手配なんかの仕事もあるそうです。 雑用の割合が結構多いみたいですが、 助手に付く演出家によっては 1曲作詞を任せてもらえたりすることもあるのだとか。 そして 自身も助手の激務の間を縫ってデビューに向けて 企画書や 脚本を作成し、劇団に提出していかなけれないけないようです。 入社の倍率は100倍を超えることもザラで、正直宝塚音楽学校に入るより難しい。。。 あまりの激務に体を壊してデビュー前に退職する方もいるようです。 しかしみなさん助手になりたくて入団したわけではなく、あくまでも「 宝塚歌劇の演出家」になるべく入団した方たち。 雑用が続いても「いつかあの舞台を作るんだ」という意志を強くもって励んでおられるとか。 採用試験はここ10年で募集スパンがかなり変わりました。 かつては三年に一度、求人が出るか出ないか位の募集でした。 基本が欠員補充だったのでしょう。 公式サイトや各演劇雑誌などに求人広告が出て、募集要項と課題作文のタイトルが発表されていました。 それを簡易書留で劇団あてに送るのが一次審査でした。 最近は毎年求人がかかり、 マイナビからエントリーする形になりました。 以前は上記のように書留で課題を送る形式だったため、 正直若くなくても応募できたのが実情です。 今はマイナビで新卒から第二新卒が対象となり、エントリーフォームからの受付となりっています。 実際採用された方の年齢層や勤務実績を鑑みて、 マイナビからの求人が効率が良いという劇団の判断なのでしょう。 どこの企業でもそうですが、新卒が一番その企業色に染めやすいのは確かですしね。 音楽助手・衣装デザイナー補助 歌劇団の 座付き作曲家の助手や 衣装デザイナーの補助も宝塚歌劇団所属になるようです。 こちらも演出助手と同じく、 将来の 座付き作曲家・ 衣装デザイナー候補として経験を積むことになるのでしょう。 音楽助手・衣装デザイナーについては 新卒募集をしているイメージはありません。 郵送で課題を送って審査ということになるのでしょう。 演出助手と違って、 音楽家なら 自身の作曲した作品、衣装デザイナーなら 自身が描いたデザイン画などが一次審査から提出課題になるので、演出助手より応募も少なく一つ一つしっかりと審査できるのでしょう。 (演出助手の一次は作文なので、いっちゃ悪いが受験の敷居は低いです) 歌劇団所属のどの職種も、 舞台食っていきたいと思う 演出家志望や 作曲家志望にとってはとても 魅力的な求人なので、人気は高いでしょう。 関連会社にも注目 宝塚歌劇は大きな劇団ですから、 実はいろんな仕事を 下請け会社に回していたりします。 例えば、公演プロムラムの製作はTCAの仕事の一つでもありますが、 装丁やデザインなどは別の会社でやっていたりします。 舞台も 各照明会社や 音響会社の出入りがあったりします。 スカステの番組は 番組ごとに制作会社が違います。 また、 派遣会社に求人が出ていることもあります。 こちらは 「宝塚歌劇団」の名前が伏せられていることが多いですが、宝塚で働きたいと思って見ていれば、ピンときます…! 劇場スタッフ(もぎりとか客席係のお姉さん)も派遣会社経由で求人が出ています。 が、大劇場勤務限定ではなく、いろんなイベント会場のスタッフを取り仕切っている会社のようので、勤務場所がどこになるかはわからないですね(希望が出せればいいですが) 「新卒で受けられるとこ全部落ちたけど、宝塚に関わる仕事がしたい!」って方は、関連会社や派遣会社に着目してみるのも一つです。 おわりに こう考えると、 宝塚歌劇にまつわる仕事っていっぱいあるんだなぁとつくづく思います。 宝塚で働きたい方、新卒の方、是非頑張ってもらいたいですね。 大事なことなので2回言いますが、もし、上記のような職場で働けるチャンスをものにしたならば、仕事はきついかもしれないけど 宝塚歌劇を愛してくれよな。 ではまた!.

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