ほんの ちょっと 当事者。 ほんのちょっと当事者の通販/青山 ゆみこ

ほんのちょっと当事者 : 青山ゆみこ

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ウェブストアに14冊在庫がございます。 (2020年06月27日 18時27分現在) 通常、ご注文翌日~3日後に出荷されます。 入手できないこともございます。 【カートに入れる】を選択後に全国店舗の中からお受け取り店をご指定下さい。 尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。 内容説明 ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、看取り、親との葛藤…「大文字の困りごと」を「ここまで曝すか!」と連載時より大反響の明るい(?)社会派エッセイ。 目次 第1章 暗い夜道と銀行カードローンにご用心 第2章 「聞こえる」と「聞こえない」のあいだ 第3章 奪われた言葉 第4章 あなたの家族が経験したかもしれない性暴力について 第5章 父の介護と母の看取り。 「終末期鎮静」という選択 第6章 哀しき「おねしょ」の思い込み 第7章 わたしは「変わる」ことができるのか 第8章 わたしのトホホな「働き方改革」 第9章 父のすててこ 著者等紹介 青山ゆみこ[アオヤマユミコ] フリーランスのエディター/ライター。 1971年神戸市生まれ。 月刊誌副編集長などを経て独立。

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他人事、自分事?〜ほんのちょっと当事者ブックレビュー

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28 「ほんのちょっと当事者」青山ゆみこ ミシマ社 当事者というと、いわば新聞記事で見出しとなるような「大文字の困りごと」を抱える人のようだが、それだけではない。 ごく小さな困り事やふと感じる生きづらさ、自分でも見落としていたあれこれに目を向けて、ほんの少し当事者意識をもって改めてぐるりと回りを見渡せば、世界の見え方が少し変わっていく。 それを書いてみたのが、この本だそうだ。 クレジットカードの使い方が下手で、自己破産しそうになった話から始まって、日常に差し障りがないレベルでの難聴であること、言葉で自己表現するのが難しい人たちの話、性暴力、介護と終末期鎮静、おねしょ、津久井やまゆり園、働き方改革、遺品整理・・・。 様々な話題が、自分自身のことから出発して、社会に向かって広がっていく。 考え方全てに賛成するわけではない。 それってどうなの、と思うことも書いてある。 が、そうやって立ち止まることで、気がついていなかったことに気づいたり、違う視点をもらったりして、まるで様々なテーマをもとに、よく物を考える友達と長々とお喋りをしたみたいな感覚がある。 そりゃそうだ、どんなに仲の良い友達とだって、全てにおいて一致することはないからね。 生きていると、いろいろなことに出会う。 そんなもんか、とそのまま受け入れたり、諦めたり、見ないふりをしたりしないで、私は当事者である、とちゃんと自覚して、それに対してどう振る舞うかを考えたい、選びたい。 背筋を伸ばして生きていたい。 そう思えるような本であった。

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ほんのちょっと当事者 / 青山 ゆみこ【著】

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青山ゆみこさん「ほんのちょっと当事者」インタビュー 私もあなたも「ちょっと当事者」 フリーのライター・編集者の青山ゆみこさん 女性としての生きづらさや差別について語ることのハードルは、かつてよりは低くなった。 一方で、当事者として発言する人たちを周囲が遠巻きに見たり、語りたいことがあっても「自分程度の経験では」とためらったり、という現象も起きがちだ。 昨年末『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)を出版した青山ゆみこさんに、「当事者として語ること」について聞いた。 性暴力・障害者排除…自分重ね見えたもの 青山さんはフリーの編集者・ライター。 同書では「自己破産」「難聴」「おねしょ」など多岐にわたる話題について、「問題の当事者」として語った。 「性暴力」「男尊女卑」など、女性として経験した問題もつづっている。 以前は当事者といえば「事件当事者」などの言葉が思い浮かぶ程度で、そこに自分を重ねることはなかったという。 自分も問題の当事者になることがあると最初に自覚したのは、介護だ。 テレビで介護の特集を見ても人ごとだったが、母の死で介護の必要な父が残された時、「私が当事者だ」と急に気がついた。 ニュースやSNSを見ていると、それが自分の経験と結びつく瞬間がある。 ジャーナリスト・伊藤詩織さんの性暴力被害や#MeToo運動からは、遠い昔受けた性暴力を思い起こした。 自分も「社会問題と言われていることの片隅なのかもしれない」と思った。 本では、ネットカフェで一人で赤ちゃんを産み殺害してしまった女性の事件を知り、裁判傍聴に行った時のことが書かれている。 経済的理由での高校退学、母の過干渉、男に強いられたデリヘル業、貧困……。 一人の女性が、多くの問題の当事者であると知った。 本当は当事者なのに、「みんな我慢していることだ」と自分の問題を過小評価し、助けを求められない人は多いのではないかと感じた。 自分は「片隅」の当事者だが、だからこそ気楽に読めるものが書け、つらさを抱え込むしかなかった人がしんどさを「成仏」させられるかもしれない。 相談できる先につながる、きっかけになるかもしれない。 そんな思いで、「自分の中のもやもやを掘り起こして埋める」ように書き進めた。 自分や友達が受けた性暴力の経験を書くと、友人や読者から被害を打ち明けられた。 「知らない人が想像する以上に性暴力は身近にある。 親しい人が当事者である可能性、そうなるかもしれない可能性を胸にとめてほしい」。 私たちにとってたいていのことは人ごとだけど、完全に人ごとにしてしまうと、「見えないこと」が多すぎる、と話す。 当事者という言葉は、マイノリティーが自分の意見や思いを主張する、後押しになってきた面がある。 しかし本では、社会問題における「加害者」的な立場からの経験も書いている。 多数の入所者が殺傷された津久井やまゆり園事件から、連想した記憶だ。 小学生の時、障害のある級友をグループに入れるのを拒み、逆に迎え入れた友達に恥ずかしさや逆恨みのような感情を抱いた。 大人になり、排除がなぜよくないのか、わかるようになった。 その点は、事件の被告とは違う。 しかし、今も自分の中にある弱さや卑劣さは、彼と同じなのかもしれない。 あえて「同じ」である方に自分の当事者性を重ねることで、弱さを自覚しながら生きたいと考えた。 最近では、新型コロナウイルスで学校が一斉休校になった時、突如育児や政治の「当事者」としてSNSで発信を始めた人がいたことに目をとめた。 「当事者は、『なる』ものなんだろうか」「当事者って誰なんだろう」。 書いた後も考え続けている。 (高重治香)=朝日新聞2020年3月4日掲載.

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