人民 による 人民 の ため の 政治 意味。 人民の人民による人民のための政治って英語でなんて言うの?

リンカーンの演説は誤訳!?(1): アンチ・バベルの塔 (The Tower of Anti

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

アメリカが、奴隷制などを巡って国を2つに分けて戦った南北戦争。 そのさなかの1863年11月19日、エイブラハム・リンカーン大統領が、「人民の、人民による人民のための政治」というフレーズで有名な「ゲティスバーグ演説」を行った。 以下はその全文だ。 87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。 われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。 われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。 われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。 清めささげることもできない。 聖別することもできない。 足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。 世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。 しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。 ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。 われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。 [ 在日米国大使館] この有名なゲティスバーグ演説だが、この精神は日本国憲法の前文にも生かされているという。 GHQの草稿にも、「People」という単語が頻出する。 (引用強調は編集).

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リンカーンのゲティスバーグ演説

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

「人民の人民による人民のための政治」 that government of the people, by the people, for the people shall not perish from the earth. これは皆さんご存知のが行ったでの一節です。 誰しも社会の授業で一度は聞いた事があるかと思いますが、ここで質問です。 『人民「の」ってどういう意味???』 助詞の「の」の有用性はよくに出てしまうもので、しばしば解釈に苦労する場面に遭遇します。 まさに今日遭遇したのはこの文章 「の作り方動画公開中!」 まあ恐らく、というか当然「が美味しいアイスの作り方を紹介する動画」という意味なのですが、 解釈次第では自体を作る方法が公開されている事になります。 このように文脈や一般常識から意味を判断しなければならない文章は結構多いです。 では、「人民の人民による人民のための政治」の「の」はどういう意味なのでしょうか? というか、この訳し方は適切なのでしょうか? それを紐解くためには原文のofに注目する必要があります。 そこで、ofの解釈をいくつか検討してみましょう。 同格のof 同格のofはA of Bで「BというA」という意味になります。 この場合だと「人民という政治??」となり意味不明です。 ちなみに同格に近い(というか派生版?)様態のofというものもあります。 これと同格のofとの違いはAについて比喩的に表現していることくらいです。 違う、というより大体同じものです。 例 flood of information 洪水のように溢れんばかりの情報 いずれにせよ、今回のofとは違うでしょう。 主格のof この場合と次に書く目的格のofは、governmentは他動詞のgovernが名詞化したという考えを前提としています。 そうすると訳は「人民が人民によって人民のために統治する事」となります。 この訳し方だと「人民が人民によって」の部分で意味が重なってしまいます。 そうする事によって内容を強調する表現があるのでしょうか? 基本的には他動詞の名詞化表現があり、ofとbyが付いているのであれば目的語をofで、主語をbyで表すはずです。 そのため、ここで使われるofが主格である可能性は低いでしょう。 目的格のof この場合の訳は「人民を人民が人民のために統治する事」や「人民が自身を自らのために統治する事」となります。 「自分で自分のことをやりますよー」ということ。 こうすればofとbyの役割分担がされていて違和感がないように見えます。 起源のof 意味は大体所有格、所属のofと大体同じです。 (belonging toと考えても可) この場合の訳は「人民に由来する人民の人民による政治」となります。 この「人民に由来する」で既視感を覚えた方もいるかもしれません。 それは恐らくからでしょう。 『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、このは、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の、法令及びを排除する。 』 が提示した草案はこちらです。 Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith. 1文目からがの演説を参考にした事がよくわかります。 を訳した人は起源のofを支持するなのでしょうか、気になるところです。 さて、いかがだったでしょうか。 正直なところ「答えは絶対にこれだ!」と言う自信はありません。 少なくとも「主格や同格のofではないかなあ」という事くらいです。 正解を聞こうにもは残念ながらこの世にはいないので、本人の口から答え合わせは出来ません。 ですが「ネイティブの視点からだと起源のofに決まっている」だとか「当時は目的格としてのofは使われてなかった」みたいな話もあったりするようです。 そこら辺はまだ調べていないのでなんとも言えませんが、また何か分かりましたら更新しようと思います。 ebisuzawa.

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人民「の」人民による人民のための政治は誤訳なのか?

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

リンカーンのゲティスバーグ演説 リンカーンのゲティスバーグ演説 わ からないリンカーン演説 昔、中学のときにリンカーンの有名なゲティスバーグ演説を習った。 例の「人民の、人民による、人民のための政治」というヤツである。 このときに疑問に思って長い間わからなかったことがある。 それは「人民の」と「人民による」というのはどういう違いがあるのか、ということである。 「人民のための」はわかるのである。 そりゃまあ、人民のためにやるんでしょうからねえ。 しかし「人民の」と「人民による」というのは同じ意味なんじゃあないかなあ、って思っていたのである。 少なくとも日本語でならばこの区別はつかないはずである。 「人民の政治」「人民による政治」、両者とも「人民自身によって行われる政治」という意味でしか取れないではないか。 それならどうしてリンカーンはわざわざこの両者を分けて演説したのだろうか。 先生に聞いてもはっきりとした回答はもらえなかった。 高校に入ってからはこのリンカーン演説の原語を勉強した。 それによると「government of the people,by the people,for the people」となっている。 これでもわからなかった。 ofとbyとではどう違うのだろうか。 ofは「〜の」byは「〜による」であるから、この演説の日本語訳は結局原語の直訳である。 つまり原語を見ても意味の違いはわからないのである。 結局ofとbyの根源的意味の違いを理解しないことにはわからないのだ。 しかしそんなことは英語の時間でも教えてもらえなかった。 英語の歴史 ここで英語の歴史を少し概観してみたい。 英語というのはもともとは屈折言語であった。 屈折言語というのは語尾変化で格を示す言語体系である。 ラテン語やドイツ語がその例である。 ドイツ語を習ったことがある人はあの煩雑な格変化に悩まされた経験がおありかと思うが、屈折言語というのは語尾の格変化で「〜は」とか「〜を」とかを区別する。 したがって語順がでたらめであっても格変化によって意味が通じる。 ドイツ語は動詞さえ文の二番目においておけばあとは主語がどこに来ようがかまわないし、ラテン語にいたっては語順などあってなきが如きである。 英語ももともとはこういったたぐいの言語であったが(英語とドイツ語はもとをただせば同じ言語であったのである)なぜか次第にこうした格変化を捨てていった。 (かろうじて代名詞にだけは残っている。 I、my、me,mineといった例のヤツである)そして代わりに前置詞を置くようになった。 さらに語順というものを明確にした。 私たちが英語を最初に習うときSVOだのSVOCだのやかましく言われるのは格変化がなくなってしまった英語においては語順が名詞の格を示す唯一の根拠だからである。 たとえばThe girl has a pen. という文を主語と目的語を入れ替えてA pen has the girl. としてしまったら、意味が変わっておかしな文になってしまう。 しかし語尾変化が残っているドイツ語などなら別に主語と目的語を入れ替えても語尾の格変化によって意味は通じるのである。 前置詞の発達もまた格変化の衰退と比例関係にある。 格変化がなくなるにつれて名詞の格を示すのに前置詞が発達してきたのである。 むろんほぼ純粋な屈折言語であるラテン語などでも前置詞はあるが、その働きは英語などに比べればはるかに少ない。 ドイツ語では前置詞はかなり重要な働きを担っているが、格変化にたよることも少なくない。 (これがしかしドイツ語学習者を苦しめるのよね) ところでラテン語が衰退し、フランス語、イタリア語、スペイン語などが生まれつつあるとき、やはり語尾の格変化が省略されるようになり、代わりに英語同様、前置詞が発達した。 代表的なのが「de」というヤツである。 このdeは一般的には「〜の」と訳されるが、実はもっと多様な意味がある。 たとえばスペイン語でSoy de Tokyoといえば「私は東京都出身です」という意味になる。 つまりこのdeという前置詞は単に「〜の」という意味ではなく、「〜から由来する」という根源的意味があるのである。 ここまで書けば賢明な読者諸氏にはおわかりであろう。 そう、英語のofはこのラテン系言語の前置詞「de」と同義なのである。 (多分翻訳なのだろう)したがってこのofという前置詞には「〜に由来する」とか「〜から出自する」という意味があるのだ。 ただ、英語には「from」という前置詞があり、本来ofが持っていた意味をかなり代行するようになっている。 たとえば前記の「私は東京都出身です」を英語で言えばI'm from Tokyoとなる。 I'm of Tokyoとは言わない。 格変化がほぼ消失した英語では他のヨーロッパ言語に比べて前置詞が発達しており、前置詞による分業の度合いが他言語よりも高いのであろう。 やっとわかったリンカーン演説の意味 英語はその歴史において屈折言語である状態から格変化を捨てて、前置詞を多用するようになり、ofという前置詞を生み出した。 このofがラテン系言語の前置詞deと等価であることが理解できて私には初めてリンカーン演説の意味が理解できた。 すなわち リンカーン演説の「of the people」というのは「政治を行う権限は人民自身に由来する」ということを言っていたのだ。 したがってかの演説は「 人民自身から その権限が 由来する、人民自身が行う、人民のための政治」という意味だったのである。 リンカーンは政治(原語に忠実に訳せば「統治」ないしは「政府」)というものは人民自身がそれを行うべき権限を持っているのだ、そして実際に自分たちのために自分たちの手でそれを行うことが必要なのだ、ということをこの演説で言いたかったにちがいない。 だからこのof the peopleが一番大切であり、一番最初に言ったのであろう。 ところで辞書を引いてみると確かにofという前置詞にはいろいろな意味があることがわかる。 そしてこのリンカーン演説の訳もまたそれに則った誤訳なのだ。 おかげで私はリンカーンのこの演説を理解するのに大変な回り道をした。 確かに英語における「of」の訳は「〜の」で意味が通じることがほとんどであるが、スペイン語などの「de」は「〜の」と単純には訳せないことが多い。 このように同じ意味をあらわす前置詞でも言語によってはニュアンスにずれがあるのである。 わたしは語学の専門家ではないのでよくわからないが、リンカーンは自らの民主主義への思いをあえてこの「of」のやや頻度の低い使い方にこめたのであろう。 (単純に考えればここのところはofではなくfromの方がわかりやすかったかもしれない) 日本語でも特別な思いをこめる時には通常では使わない言い回しを使ったりすることがあるではないか。 それにしても教科書のこのリンカーン演説の訳はなんとか改めてもらいたいものだ。 おそらく私と同じような疑問を持っている人が全国にゴマンといるだろう。 私の場合ははるばるラテン語だのスペイン語だのを勉強してなんとか疑問が解けたが、最初からもっとわかりやすい訳で教えてくれればよいのにねえ。 補遺1;リンカーンのこの演説の中国語訳は「民有、民治、民享的政府」とのことである。 中国語を知らなくとも、はっきりいってこれは日本語訳よりはるかにわかりやすい。 この中国語訳によれば、of the peopleはやはり政治を行う権限が人民自身にあるということがよくわかる。 いっそのこと中学生には、わかりにくい邦訳より中国語訳で勉強させたらよいのではないか。 補遺2;日本国憲法前文には「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 」という文がある。 中学生には、リンカーン演説と憲法前文を一緒に教えた方がよいのではなかろうか。 参考サイト;.

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