概要 方針 、により「で通用するような一流のヨットマンを育てる」という理想の下で設立される。 教育方針は校長の戸塚宏が提唱する「 脳幹論」と称するものに基づいている。 この「脳幹論」とは、「 青少年の問題行動は、の機能低下により引き起こされる」という持論に基づき、「や、、、なども、を鍛えることによって克服できる」と説くものである。 しかし、それらの主張を裏付ける的根拠はなんら存在せず 、第三者による客観的・科学的なも不十分である。 当然、戸塚はではなく、の研究に携わったこともない。 戸塚は、やを通じて大自然の中で原始的な状況に直面せざるを得ない状況を作りだし、彼らに直面させることで脳幹に刺激を与え、戸塚が衰えたと考えるその機能を回復させるというもので、や、周囲のというようなものだけでは治らない者もあり、教育荒廃は決して解決しないとの考えに基づく。 戸塚の支援者であるは、この理論はの動物行動学者であるが唱えたものであるとしている。 「人間が与えられた『生きる力』を100%開花させることに全力を注ぐ」ことをうたい、「基礎精神力を養う」ことを目的に、現在はを使ったトレーニングを行っている。 校内には寮が併設されており、登校拒否、引きこもり、、などの問題を抱えた生徒は合宿が原則となっている。 また、入校に際しての年齢制限はなく、4歳から80歳まで受け入れるとしている。 指導としてのは否定せず、「体罰を使えば期間を短縮できる」が、現状では「使いたいのですがなかなか使えない」としている。 合宿中は月曜の休み以外は毎日ウィンドサーフィンによるが行われるが、嫌なことから逃避する癖の付いた大半の生徒は、様々な口実や時には巧みな嘘で逃げようとし、ほとんどの生徒がを試みるという。 この事実をあらかじめ想定し、対応しないと生徒の嘘に幻惑され帰宅を許してしまい失敗すると説く。 このため、家族には戸塚を信頼し、必ず指示に従うよう求める。 戸塚ヨットスクール事件 詳細は「」を参照 末からにかけて、と呼ばれる独自の指導により、ややなどの数多くのを矯正させたという触れ込みで、戸塚ヨットスクールはに登場し話題となる。 当時はが化していたため、問題行動を繰り返す青少年の矯正を行えると自称した同スクールが注目されたものであった。 しかし、訓練中に生徒が死亡したり行方不明になったりした、いわゆる「」が明るみに出た結果、にの疑いで捜査が行われ、校長の戸塚以下関係者15名が逮捕、起訴された。 長年に及ぶ裁判の末、戸塚およびコーチらは有罪判決を受けた。 校長の戸塚は懲役6年の実刑で服役した後、にを出所し、スクールの現場に復帰した。 復帰後の事件 10月9日、25歳の訓練生の男性がスクール近くの沖合で水死体となって発見される事件が起きた。 この男性は同月6日にし行方不明となっていた。 遺体に外傷はなかったため、事故死かとみられている。 10月19日、戸塚ヨットスクールの寮の3階から18歳の訓練生の女性が飛び降りて死亡する事件が発生した。 女性は3日前に入所したばかりで、他の寮生・コーチと共に布団干しの作業中に約1. 5メートルのコンクリート製の屋上のへりを乗り越え、路上に転落した。 は自殺とみてしている。 事件後、戸塚校長は「突発的だった。 管理態勢に問題はなかったが、所属した生徒が亡くなったことには責任がある」と話した。 12月20日、30代の訓練生の男性がスクール内の寮から転落し重傷を負う事件が発生。 愛知県警半田署は事故と自殺未遂で調べていると報じられた。 1月9日、スクール内の寮の前で頭から血を流して倒れている21歳の訓練生の男性が発見され、病院搬送後に死亡。 「ヨットスクールの生活がつらく、このまま生きていくのもつらい」と書かれたメモがあったことから、飛び降り自殺と考えられている。 思想・信条• は創るものであり、あるものではない。 『』の第1条に、「人は生まれながらに…理性ととを付与されており…」とあるが、これはとんでもない誤りだ。 「・・・」これらは創るものであって、あるものではない。 「」はだ。 「力」を「」と混同し、力そのものを否定してはいけない。 力は群れのためにあり、自分のためにあるのではない。 が決定的に弱い。 をしなかったために生じたものだ。 「人間は平等ではない」と自覚した時、進歩しようとする。 己をまず知らねば、進歩はなく、へたなは、の芽を摘む。 は褒めると進歩しない。 本当のとは、「・・」のすべてが人より優れ、特に「知」において抜きん出ている人を指すが、日本の「インテリ」は「情・意」においては人並み以下、「知」は他人の知識の盗み取りに過ぎない。 行動力がないのは、「情・意」が弱いためで「褒める教育」が、これに拍車をかけている。 「褒める教育」はも強くする。 は、「インテリ」の集団だ。 浮ついた教育論を人に押し付ける。 支援する会 戸塚ヨットスクールの教育・更生方針に賛同する支持者は、厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、同スクールが様々な誤解と中傷に曝されてきたと主張。 「戸塚ヨットスクールを支援する会」を組織し支援に当たっている。 主要な支援者の中には(会長)やなどの著名人が含まれている。 ・収監中も戸塚はマスメディアに依頼された原稿の執筆活動や弁論雑誌への投稿、同スクール支援者団体を通じてのインターネット上での意見表明・コラム掲載などを行っており、支援団体サイト『教育再生! 』には支援者による資料が掲載されている。 社会的影響 この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2018年6月) 遭難・行方不明・傷害致死事件が報じられてからは、戸塚ヨットスクールは激しい非難を受けたが、テレビのでは「不謹慎」として扱われる傾向も見られた。 また1983年に放映された「第7回」の第8チェックポイント・は、「クイズヨットスクール」と銘打たれていた。 戸塚自身も、『』や『』などのバラエティ番組にゲストとして出演したことがある。 講演「私の脳幹論」 戸塚は、2014年11月28日・29日に開催された「第27回日本総合病院精神医学会総会」において、「私の脳幹論」と題する講演を行った。 この中で戸塚は、「脳幹論」と「本能論」について、• 「脳の構造が、脳幹部・辺縁系・新皮質と三段だから、やっぱり精神も3つに分かれますね」• 「脳幹部で処理された情報が辺縁系へ来て、そこでまた細かく処理される」ことが「本能」• 「本能論」とは「理性の目標を本能と一にする」ことであり、「本能と目的を違(たが)えてつくった理性は悪」 と説明し、• 「恐怖の使い方が進歩するか落ちこぼれるかの境目」• 「恐怖を安定に持っていくトレーニングをする」ことで、子どもに「進歩の能力」が身につく• 「人にとって一番大きい恐怖というのは、生きるか死ぬかの時に発生する恐怖であるから、そのときに「生きよう」とする、そういう能力をつけてやればいい」 などと述べ、体罰によって訓練生へ恐怖を植え付けることの正当性を主張した。 また、• 「幻覚がある場合、トレーニングをすれば統合失調症の場合は悪くなっていくから、それで判断でき、そのときに初めて、精神病として扱えばいい」 と述べ、精神疾患の診断と治療よりも戸塚の提唱する「トレーニング」が優先し、それによって症状が悪くなってから医療を受ければいいと主張した。 これに対して、日本児童青年精神医学会の理事会は、• 戸塚氏が、戸塚ヨットスクール事件に至る理論的背景であった「脳幹論」を当時と変わらずに主張し、それがいまだに死傷者を出現させているにもかかわらず、恐怖を与えることの正当性を主張していることを、精神医学に携わる者は無批判のままに放置しておくべきではない。 「脳幹論」(「本能論」)自体が何ら医学的根拠を持つものではないにもかかわらず、医学雑誌である「精神医学」に無批判に「私の脳幹論」が掲載されたことは極めて問題• 戸塚氏は、医療を提供する立場ではないが、「脳幹論」(「本能論」)に示される戸塚氏の考え方が、朝田氏が期待するように「これからの皆様の臨床の中で活かされることがあれば」、それは私たち精神医学の臨床現場への重大な破壊行為• 戸塚宏氏は、「脳幹論」を掲げ続け、以前の戸塚ヨットスクール事件と同様の「トレーニング」を繰り返し、死傷者を出現させている。 戸塚氏の講演録を無批判のまま医学雑誌に掲載することは、子どもの最大の利益に反するものであり、精神医療に携わる者にとって許されるものではない。 などとする声明を発表し 、また、本講演の主催者である日本総合病院精神医学会の理事会も、• 本学会理事会は、戸塚氏が過去の暴力による体罰とその重大な結果について何ら反省を示していないこと、用いられている疾患概念等は精神医学の正しい理解に基づいたものではないこと、したがってその内容は本学会の見解とは全く相容れないことを全会一致で認定した。 このような講演が学会総会のみならず誌上で公にされ、結果として本学会が戸塚氏を支持しているかのような誤解を与えたことを遺憾とし、これまでおよび現在の戸塚氏の主張や立場を断じて容認しないことをあわせて表明するものである。 本学会は、これまで通り「子どもたちに対するいかなる虐待も許さず、子どもの人権を守る」立場を堅持することを再確認し、総合病院における臨床実践を通して児童青年の精神健康の増進を図ることを宣言する。 などとする声明を発表した。 関連作品 映画• 『』(監督、主演、配給、1983年) ドキュメントドラマ形式のものであったが、上映の直前になって戸塚校長が逮捕されたため上映中止。 その後戸塚が刑期終了したため、スクールを支援する団体が著作権を取得、にビデオ化• 『』(斎藤潤一監督、配給、2011年) - ドキュメンタリー から26年、現在の戸塚ヨットスクールに密着したドキュメンタリー映画。 に屋上から投身自殺をした訓練生の3日前の生前映像と、事件後、ヨットスクール内で行われたの映像も入っている。 に向けに放送されたテレビドキュメンタリー番組を劇場化したもので、未ビデオ化。 だが、に・にてテレビ初放送された。 脚注 [].
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ホームページに、ようこそお越しくださいました。 本スクール校長、戸塚宏は、ヨットマンを育成するためにヨットスクールを設立し、それがいつしか非行・不登校児などの改善役立つと、日本各地から少年少女を預かり、多くの子供達を鍛えてきました。 机上の理論ではなく、実際に、本気で、子供達と接してきた育てのプロが語る「現代の子供達」。 それら全てを、ご紹介しています。 ヨットスクールをご理解いただき、ご活用いただければと心から願っております。 戸塚ヨットスクール校長 戸塚宏 代表取締役 長富伊佐穂 CIO 久富 哲也 海にふれることで、自然の厳しさと向き合い、人は裸の自分に気づくことで、成長します。 人間が与えられた「生きる力」を100%開花させる、その一点に戸塚ヨットスクールでは全力を注ぎます。 多くの成長した子供達を見てきたヨットスクールのコーチ、スタッフ一同が、社会的にバランスの取れた成人への成長に、手を差し伸べたいと思います。 新着情報• 2020. 5 の情報を掲載しました。 2020. 22 戸塚校長がに出演されます。 2019. 27 再び。 2019. 25 の情報を掲載しました。 2019. 21 に戸塚校長の記事が掲載されました。 2019. 2019. 18 の情報を掲載しました。 2019. 2019. 15 の情報を掲載しました。 2018. 16 新WEBサイトを開始しました。 copyrights 2004-2017 TotsukaYacht School. All Rights Reserved.
次のいじめについて いじめをなくしてもいじめ問題は解決しない ストレスの発散のさせ方を知らず、酒を飲み過ぎ、食生活が乱れている…、それで胃潰瘍になったサラリーマンが 「胃があるから胃潰瘍になるんだ。 胃なんかなければいい」という。 あるいは、信号無視で事故を起こした暴走族が「信号がなければ、信号無視もない。 信号があるのがいけないんだ」という。 こういう例なら誰でもおかしな理屈だと思うでしょう。 では、「いじめがあるのがいけない」「体罰があるのがいけない」「校則があるのがいけない」という新聞論調も、実はこれと同じだ、ということはお分かりでしょうか。 体罰と暴行は「目的」が違う 以前、兵庫県の高校で、遅刻した女生徒が鉄の門扉にはさまれて死亡するという事故がありました。 この時やはり出てきたのが、マスコミの「校則不要論」です。 胃も信号も校則も、大切な目的があって存在します。 胃は食物を消化するため、信号は交差点での安全と混雑緩和のため、校則はスムーズな学校運営を行うために、それぞれ存在します。 校則は、生徒を殺すのが目的ではありません。 事故が起きたのは、使い方が悪かったからであり、校則そのものが悪かったわけではありません。 それを「校則不要論」に短絡させる新聞の論説委員は、自分たちが信号無用論の暴走族と同レベルの論理能力しかないことを告白しているようなものです。 体罰と暴行も、目的を考えればその違いが分かります。 体罰と暴行は、確かに、外見は似ています。 どちらも「有形力の行使」ですから。 しかし、目的がまったく違います。 暴行が自分の利益を目的としているのに対し、体罰は相手(子ども)の利益を目的としていますから、全く別物です。 体罰は子どもの進歩を促すための強制であって、その時は不快でも、それで得られる「進歩向上」という子どもの利益がはるかにまさるのです。 体罰を行う側には、なんの利益もありません。 子どもに悪態をつかれ、親に文句をいわれ、教師なら学校をクビになることだってあります。 それでも体罰を行う側に喜びがあるとしたら、ずっとあとになって、子どもが大きくなってから、「あの時はありがとうございました」と感謝されることぐらいのものです…。 体罰で生徒がケガをしたり、死んだりするのは、その使い方がまずかったということであって、体罰そのものを否定するのは大間違いです。 いじめには目的がある いじめも同じです。 いじめは、人類の歴史とともに、地球上のあらゆる所で数十万年間存在してきました。 それは、いじめが人類の生存に関わる重要な目的を持っているからです。 その目的を考えれば、いじめ問題の答えはおのずと出てきます。 いじめは、弱い子の弱点を突き、その進歩を促す大切なトレーニングなのです。 いじめられると、怒り、悲しみ、不安、といった不快感が生じますが、その不快感が 子どもを行動にかりたて、いじめられっ子を進歩させます。 そして、ある程度進歩が認めれるようになると、もうそのことでは、いじめられなくなります。 その結果、いじめられた側は、いじめた側よりもずっと大きな利益を得るわけです。 いじめられるのは、「嫌なこと」ではあっても「ありがたいこと」なのです。 弱点を克服させるのがいじめの目的ですから、「いじめをなくせ」というのはとんでもない話です。 「子どもの弱点なんて、後の人生で克服すればいいじゃないか」などと思ってはいけません。 本能というものは、実にうまく、また冷酷にできていて、チャンスを逃すと一生取り返しがつかないからです。 子供時代というのは、一人前の大人になるためのトレーニングをしている時期であり、 この時期に人間性の基礎ができあがってしまうのです。 我々の経験からすると、男の子は3歳ぐらいから「男」になりはじめるようです。 いつそれが終わるのかはよく分かりませんが、たぶん小学生いっぱいぐらいまででしょう。 今、巷にあふれているナサケナイ男どもは、この大切な時期に男になりそこねた者たちであり、もう手遅れです。 いじめは進歩のきっかけ 私たちも子どもの頃、下の子をいじめたものです。 それが子どもの本能だからです。 (子どもが本能通りに行動する時、その子は「君子」であると「中庸」ではいっています) それに対し、親や先生に弱い者をいじめるなといわれ、いい子をしているのは「郷原」(徳の賊)なのです。 なぜなら、いじめっ子は、いじめられっ子が自分の弱点を克服して進歩したと認めた途端、急にいじめることができなくなるようにできているからです。 いじめられっ子は、いじめっ子の態度から「学びて、時にこれを習う」を実践したことになるのです。 このように教育もしつけも、「今」を考えると戦術を誤ってしまいます。 子どもが泣こうが騒ごうが、それに左右されることのない確固たる戦略に基づいて事を進めねばなりません。 いじめを悪いものと否定するのは、とんでもない間違いです。 いじめっ子もいじめられっ子も本能に反する いじめが大きな問題となったのは、子どもが遺書を残して自殺し、それをマスコミが大騒ぎしたからです。 そして、そのヒステリックな報道が自殺の連鎖反応を引き起こし、遺書のほうもマスコミ受けを狙って過激になってきました。 しかし、ちょっと冷静になって考えてみてください。 あれが普通の意味での「遺書」と呼べるでしょうか。 自分の命と引き換えに「犯人」に社会的制裁を加えるようにし向けた内容になっています。 本来、生きて、自分でやるべきことから逃げながら、最もいやらしい方法でいじめっ子に復讐するというやり方は感心しません。 今問題になっている「いじめ」には、 (1)いじめっ子のいじめ方がおかしい (2)いじめられっ子のいじめられ方がおかしい という(本能に反する) 2つの特徴があります。 これらはすべて本能に反しています。 人間が本能の通りに行動するなら、強者が弱者を攻撃するのは、秩序維持、弱者保護、弱者の進歩を促す場合、しかありません。 今問題になっているいじめを見て、誰もが不快になるのは、それが本能に反したものだからです。 現代っ子は攻撃衝動をせき止められている 本能には「自発性」があります。 攻撃という人間にとって欠くべからざる重要な本能は、発散されないまませき止められると、ほんのちょっとした刺激で触発され、ついには理由もないのに攻撃行動が起きてしまいます。 けんかを禁じ、危ない遊びをさせず、平等主義とやらで100m競走で順位をつけることさえ悪とするような環境では、子どもの攻撃衝動の発散の場は無くなってしまいます。 最近の若者が、すぐに「チョームカツク」のはこのためです。 こうしてせき止められたムカツク若者の攻撃衝動は、いじめとなり、家庭内暴力、おやじ狩り、暴走行為、いたずら電話、ホームレス襲撃となり、果ては、女子高生コンクリート詰め殺人のような事件となるのです。 自殺するぐらいの決心があるなら、いじめっ子にせめて一撃なりとも加えればいいのに、それをしないで遺書に怨みを書き残して死ぬ、というのは全く本能に反します。 本当なら、いじめをきっかけにして成長しなければならないのですから。 さて、いじめる側もいじめられる側も本能に反する理由は何でしょう。 本能を発揮するのは自分自身しかないのですから、本能が正しく発生ない理由は本人の中にしかありません。 環境や教育のせいにせず、本人の本能が弱く、時に狂っているのだと考えれば、現実をよりうまく説明できるし、それによって実際的な解決法も見えてきます。 本能をトレーニングする いじめ問題をすべて子ども自身のせいにするのは(特に、いじめられっ子にとって) 残酷なようですが、問題が本人のせいであれば、本人の力だけで解決できるという事になり、非常に実際的な方法が出てくることになります。 では、どうしたら良いか。 いじめられっ子の特徴は、逃げるばかりで立ち向かおうとしないことにあります。 一方、いじめっ子のほうも、まともな方法で問題を解決しようとせず、安易に目的を達成しようとします。 つまり、いじめっ子も、実は立ち向かわずに逃げています。 逃げるのは弱いからです。 ならば強くすればいい。 弱いものを強くするのは、トレーニング以外にありません。 「本能の発生場所である脳幹をトレーニングで強くする」。 これがすべての解決策なのです。 昔の子どもは、日常の遊び(特に危険な遊び)の中で脳のトレーニングを無意識のうちに行っていました。 それが、行動せず、家の中に閉じこもり、ゲームに熱中し、女のペットになってしまった今の子どもたちには、脳をトレーニングするメカニズムが全く失われています。 先生と父親の「力」が子どもを本来の姿に戻す 戦後民主主義などというあやふやな理念を捨て、先生や父親の「力」を素直に認め、子どもに対する毅然とした態度を取り戻せばよいのです。 もちろん先生の体罰の権利も復活させます。 子どもを外に追いやれば、ほうっておいても子どもは自分の中に解決法を見つけてしまいます。 そうすれば、子どもは本来の子どもに戻り、いじめは本来のいじめに戻ります。 大人の正しい力が、いかに子どもを成長させるかには、目を見張らせるものがあります。 その喜びは、教育の現場にたずさわる者にしか実感できないものなのです。 代表取締役 長富伊佐穂 CIO 久富 哲也 copyrights 2004-2017 TotsukaYacht School. All Rights Reserved.
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