シブ がき 隊 少年 隊。 80年代ジャニーズ対決・・・nammyblog vol.56: nammyのチャート日誌

80年代ジャニーズ対決・・・nammyblog vol.56: nammyのチャート日誌

シブ がき 隊 少年 隊

少年隊が仮面舞踏会でデビューした時の人気は、シブがき隊のピーク時より人気あったと思います。 ダンスがめっちゃ上手いのが出てきたって評判でした。 ただ、少年隊は2曲目以降は実はそれほど爆発的に売れた曲がないんですよね。 逆にシブがき隊は、田原のトシちゃんや近藤のマッチさんがまだ人気ピーク期にある頃からデビューしてコンスタントに売れていたので、相対的に見たらシブがき隊の方が人気があったのかもしれません。 少年隊にとってライバルはチェッカーズだったろうと思いますが、人気面では確実に劣っていたと思います。 そして意外なことに、2つのグループともにデビューしてわずか2年経った頃からガクンと人気が落ちてしまいました。 シブがき隊は少年隊が出てきたから、少年隊は光GENJIが出てきたからなんでしょうね。 それでも少年隊がジャニーズで一番息の長いグループであるのはやはり仲がいいからなんでしょうね。 シブがき隊は、ヤックンを筆頭に個性が衝突していた感じがありましたからね。 【補足】しますね。 私も自分自身の古い記憶と、ネットで調べた情報から回答しておりましたので、真実とはちょっと異なった部分があったかもしれません。 だだ、下記サイト情報によると、デビュー曲の「仮面舞踏会」がセールス47. 8万枚あったのに対して、2枚目の「デカメロン伝説」は急に落ちて27. 0万枚、それ以降も同程度で、「君だけに」も28. 8万枚でした。 光GENJIが出てきてからその人気が落ちたのは光GENNJIのデビューのタイミングから見て事実だろうと思います。 シブがき隊もデビュー以来、トシちゃん&マッチの2トップが存在していた中でずっとコンスタントに20~30万枚売りあげていましたので、かなり健闘していたと思います。 チェッカーズはちょうどシブがき隊がまだ売れていた頃にデビューし、少年隊がデビューした頃は絶頂期は過ぎてもまだまだ根強い人気が残っていた頃でしたね。 そのあたりが私の記憶とちょっとだけずれがあったようです。 少年隊は仮面舞踏会で正式デビューする前からすでにジャニーズファンの中ではかなり人気ありましたので、ヤッくんにすれば、「少年隊が出てきたから人気が落ちた」とは口が裂けても言いたくないでしょうね(笑).

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80年代ジャニーズ対決・・・nammyblog vol.56: nammyのチャート日誌

シブ がき 隊 少年 隊

Sponsored Link 「シブがき隊」のメンバーはTBSによって選ばれていた 「シブがき隊」といえば、ジャニーズですが、 実は、もともと、 「シブがき隊」はTBSにより選ばれていたそうで、 もともと、1981年4月、TBSテレビドラマ、 「2年B組仙八先生」に生徒役で出演していた、 さん、薬丸裕英さん、さんは、 特に人気が高かったことから、 「仙八トリオ」 「悪ガキトリオ」などと呼ばれていたのですが、 「2年B組仙八先生」より。 (左から)本木雅弘さん、布川敏和さん、薬丸裕英さん。 同年夏に、女性向けファッション雑誌 「セブンティーン」 の一般公募で正式に 「シブがきトリオ」と命名されます。 」 10月 「ZIG ZAG セブンティーン」 1983年2月 「処女的衝撃! (ヴァージンショック)」 5月 「ZOKKON 命(LOVE)」 8月 「Hey! フジヤマ」 10月 「べらんめぇ! 伊達男(ダンディ)」 1985年1月 「男意ッ気(イッキ)」 4月 「DJ in My Life」 6月 「月光淑女! (ムーン・ビーナス)」 10月 「KILL」 1986年1月 「トラ! 」 と、立て続けにシングルをリリース。 ただ、それでいて、ルックスはリーゼントなどのツッパリ風ではなく、 アイドルのままだったことから、この絶妙なバランスが、 アイドルファン、ツッパリファンの両者に受け入れられ人気者に。 また、 「シブがき隊」は、アイドルでありながら、 バラエティ番組でのコントやフリートークのほか、 歌番組に出演した時のコメントなどでも、 卓越したお笑いのセンスを発揮。 こちらも、 「ヤンキー文化」同様に、当時の 「MANZAIブーム」に乗って、 「面白いことが言えるアイドル」として、 今でいう、バラドルのさきがけとなったのでした。 「すし食いねえ!」の誕生秘話 そして、1986年2月、 17枚目のシングル 「すし食いねえ!」をリリースすると、 寿司ネタの歌詞とラップ調のメロディからなる、 斬新な楽曲がウケ、大ヒット。 「すし食いねえ!」 実は、この曲には、 ちょっと変わった誕生秘話がありました。 というのは、1985年、 名古屋でのコンサートツアーの初日、 薬丸さんが諸事情で参加できず、 布川さんと本木さんのみ参加のコンサートとなったのですが、 二人だけでは曲間のトークが盛り上がらなかったそうで、 その夜、布川さんは、バックバンドのベーシストKUZUさんと2人で、 場を持たせるための曲を作ろうということになります。 そこで、布川さんは、その当時、 アメリカのヒップホップグループ 「Run-D. 」の影響で、 日本でもラップが知られはじめていた時期だっったことから、 ラップを作ることを提案。 そして、翌日のステージでこの歌を本木さんと二人で、 振りを付けて披露したところ、予想以上に大ウケ。 それで、薬丸さんの復帰後も、 ツアーのトーク時にはこの曲をやり続けていると、 それがプロデューサーの目にとまり、 プロの作詞、作曲家によって作り直され、 レコーディングすることに。 そして、出来た曲が、NHKの歌番組 「みんなのうた」で、 1985年12月~1986年1月の曲として放映されるのですが、 そのユニークさがウケて大きな話題に。 同年12月31日に行われた、 「第36回NHK紅白歌合戦」でも披露することになったのでした。 (NHK紅白歌合戦史上初のリリース前に歌唱された楽曲だったそうです) こうして、翌年の1986年2月、 「すし食いねえ!」は、 満を持して、17枚目のシングルとしてリリースされたのでした。 解散理由は少年隊? しかし、どうしたことか、同じ年の1986年8月、 「シブがき隊」は、突然、東京厚生年金会館で解隊宣言。 同年11月、「解隊」(解散)してしまいます。 一体、何があったのでしょうか? 実は、 「シブがき隊」には、 解散の話が2度持ち上がったことがあったそうで、 いずれも、布川さんが解散を言い出されているのですが、 一度目は、当時、お給料はすべてご両親に振り込まれていたこともあり、 仕事をしているというよりは、部活をしている感覚に近かったそうで、 18歳になると、周囲が就職活動や大学進学など、 進路を決めている姿を見て、「俺も働かなきゃ」 と思われ、解散を言い出されたそうです。 ただ、その時は、周囲の大人たちから、 攻められたり、なだめられたりして丸め込まれてしまったそうで、 そのまま 「シブがき隊」として活動を続けることに。 そして、布川さんが23歳になり、 2度目の解散の話を切り出すのですが、 それは、その頃、がデビューし、 バック転をする姿を見て、 「俺ら終わったな」 と感じたからだそうで、 (「シブがき隊」はバック転ができなかったことから) このままシブがき隊として、おじいさんまでやっていけるのか? どうせなら人気のあるうちに解散しよう。 と、3人で話し合い、解散が決まったのだとか。 布川さんは、当時を振り返り、 少年隊がデビューするために猛レッスンしてるのは知っていたから、 それを見て、「あいつらがデビューしたらシブがき隊は終わりかもね」 なんて話してたんですよ(笑)。 でも、シブがき隊にいたから、三の線でコントやったり、 メンバーをバラ売りしたり、新しいチャレンジができた。 まあ僕らはお試し用で、もし失敗しても、 少年隊やがいるからっていうのがあったのかな(笑)。 でも、それが今のジャニーズの活躍に、 つながっているんじゃないかなと思いますね。 僕らはコンサートのMCもハチャメチャだったんだけど、 ジャニーさんは「シブがき隊のトークを盗みなさい」 って後輩に言ってたらしいですよ。

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少年隊・東山紀之がで衝撃告白!!藤井フミヤと不仲だったことが判明!!一世風靡セピアだった哀川翔、柳葉敏郎とも不仲!?

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ジャニーズ事務所の3人組グループ・少年隊の東山紀之 47 さんが、若かった頃に不仲だった有名ミュージシャンの名前を挙げて話題になっています。 東山さんは1979年に事務所入りして、1982年に少年隊のメンバーになります。 それから1985年12月『仮面舞踏会』でレコードデビューし、当時多くのアイドルやミュージシャンと音楽番組などで共演することがあったようなのですが、言葉も一切交わさずかなり険悪な空気が流れていたと言います。 果たして東山さんはどうしてこのような態度を取っていたのでしょうか? そして東山さんが不仲だった有名ミュージシャンとは… 【以下引用】 少年隊の東山紀之が、『ザ・ベストテン』などの音楽番組に多くのアイドルたちが出演していた時代の裏話を明かした。 当時、少年隊と人気を分けたチェッカーズとの共演も多かったが、東山は藤井フミヤと一言も話さなかったという。 「わきあいあいなんてやってられない、そんな時代が良かったなと思う」と彼はその頃を懐かしそうに振り返っていた。 今もジャニーズやAKB48グループなどアイドルたちが活躍しているが、コンサートや握手会などイベントが多いのに対して、1980年代のアイドル全盛期は音楽番組を中心に成り立っていたと言っていいだろう。 今ではジャニーズの大御所となった少年隊の東山紀之が10月27日の『おしゃれイズム』に出演して、そんな1980年代のアイドル事情を語った。 『レッツゴーヤング』(NHK)や『ザ・トップテン』(日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)そして『ザ・ベストテン』(TBS系)など様々な音楽番組が放送された1980年代には、男性アイドルではジャニーズの田原俊彦、近藤真彦から少年隊やシブがき隊、光GENJIなどジャニーズアイドルも毎回のように出演していた。 それとは違う流れで人気があったのがチェッカーズや一世風靡セピアだ。 今は東山も交流がある元チェッカーズの藤井フミヤから、番組にメッセージが届いた。 藤井は「俺たちは異質なアイドルとして鼻についた感じはあったと思う」と東山とはほとんどしゃべらなかったことを明かして、「俺のことを嫌いなんだなと思っていた」と笑いながら伝えたのだ。 それに対して東山は、否定せずに「嫌いっていうか、みんなライバルですから。 ライバル心はもの凄くありました」と当時の気持ちを語り始めた。 『ザ・ベストテン』などのソファーやひな壇に座っても、「あいさつもしないし、話もしない」ほど緊迫感があったらしい。 だがひな壇で談笑する姿を見かけたこともあるので、それはアイドル全般ではないだろう。 おそらく東山のようにライバル心を燃やす一部の者だったのではないか。 今では藤井フミヤはもちろん、一世風靡セピアだった哀川翔や柳葉敏郎と顔を合わせると「戦友のような気がして話が弾む」という。 しかし東山は、その当時を「(ライバル心を燃やす)そういうところが良い時代だった。 わきあいあいなどでなく、バチバチしていたことが良い効果があった」と語っており、彼のとった態度は正しいと信じているようだ。 最近は音楽番組も少なく、当時のように出演者がひな壇に座る番組には『ミュージックステーション』がある。 司会のタモリが話を振ることも関係しているだろうが、全体にわきあいあいという感じだ。 もう東山紀之が出演することはほとんどないが、出演したジャニーズを見てどう思っているのだろう。 【引用元: Techinsight Japan】 これにネットでは、 「女同士はバチバチだと思うけどね」 「別に今の感じでもいいと思うけどな」 「昔のメンバーが豪華すぎるな」 「東もどっかのおっさんみたいなことを言い出したな」 「哀川翔とのツーショットをみてみたいな」 などのコメントがありました。 当時は藤井フミヤさんはいかにもなタイプだったので、東山さんみたいなタイプとは絶対に合わなかったでしょうね。 最近はミュージシャンの入れ替えが激しいですし、音楽も多様化しているので、昔のようなライバル関係というのも少なくなりましたね。 東山さんはこの時に培った負けず嫌いの根性でここまで戦いぬき、今ではジャニーズの中でもトップに立つような人物になっていますが、これからはそれを若手に伝えていって欲しいですね。

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