()『』1493年、版画 「生」に対して圧倒的勝利をかちとった「死」が踊っているすがた — の「黒死病」の流行は全ヨーロッパに死の恐怖を引き起こした。 感染症の歴史(かんせんしょうのれきし)では、において、特に後世に、、に甚大な影響を与えたについて記述する。 は感染症の対策や治療の探求により発展してきた。 感染症は、や文化の接触と交流、の拡大、などによって規模が拡大していった。 病原微生物ないし(やといった、、、、、、)がやのからだやに侵入し、定着・増殖してをおこすとを破壊したり、病原体がを出したりしてからだに害をあたえると、一定のを経たのちにとなる。 これをという。 類義語としてがあるが、これは伝染性をもつ感染症をさしている。 また、伝染性をもつ感染症の流行を(はやり病)と呼んでいる。 感染症の歴史はの出現とそのの歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトのの大きな部分を占めてきた。 感染症や疫病に関する記録は、古代にあってはの『』にすでに四災厄のなかのひとつに数えられ、同時期のでもの威光は悪疫の年における厄病神に比較されている。 中国にあっても、におけるの刻されたからも疫病を占卜する文言が確認されている。 日本においてはには疫病の終息を願う神事が全国で行われていた。 レーウェンフック(1632-1723) にで活躍したはの地方における(ペスト)の流行において、・・への接触が発症の有無を左右していることを発見した。 これを受けて、(Ibn Khatima、 -? )は「感染症はがの体内に侵入することによって発症する」とのを打ち立てた。 この考えは、ので科学者のの著作『梅毒あるいはフランス病』()や『伝染病について』()により、期のヨーロッパにも広く受け入れられた。 フラカストロは伝染病のコンタギオン説(接触伝染説)を唱え、梅毒( Syphilis)やチフス( typhus)という病名の命名者となった。 病原体(病原微生物)について、それを人類が初めて見たのは、形態的にはのののによる細菌の観察だといわれる。 レーウェンフックのの改良により、細菌を肉眼で容易に観察できるようになった。 昔のを描いた旧の。 初期の感染症研究には顕微鏡の発達が不可欠であった。 に細菌を意味する " bacterium" が出現しており、病原体が現在のように判明してきたのは以降のことであって、のやのに負うところが大きい。 パスツールは、病気の中には病原体によって生じるものがあることを証明し、のワクチンを開発した。 そしてコッホは、、感染力のある病原体としての細菌であるを、光学顕微鏡を用いた観察によるものとして初めて発見し 、また、感染症の病原体を特定する際の指針として「」を提唱して近代感染症学の基礎となる科学的な考え方を打ち出した。 、、の3人はそれぞれ、やに有効なワクチンを開発し、後にそれぞれを地球上から根絶、もしくはほぼ制圧するために大きな一歩を踏み出した。 でも、がにを、はにを発見している。 なお、主な疫病菌の発見は以下の通りであり、19世紀後葉から20世紀初頭にかけての時期に集中している。 病名 発見年 病原菌発見者 () (フランス) 1880年 (ドイツ) (ドイツ) ロベルト・コッホ(ドイツ) ()(ドイツ) () ()(フランス)、(日本) (日本) ()(ドイツ) (フランス) (フランス) 光学顕微鏡では観察できない極小のウイルス virus の発見は、細菌よりも遅れ、ののによるの発見が最初であった。 フレミング(1881-1955) 細菌による感染症はに初のであるがイギリスのによって発見されるまで根本的な治療法はなく、による感染症に至っては患者自身の免疫に頼らざるを得ない部分が今なお大きい。 、ドイツのは初の広域合成抗菌薬であるを開発、発表した。 サルファ薬は生物由来ではないため、抗生物質とはされない。 抗生物質とサルファ薬の開発は、感染症治療に新しい地平を切り開いた。 抗生物質の普及やの義務化、の改善などによって感染症を過去の脅威とみなす風潮もみられたが、やによるの出現など、一時の楽観を覆すような新たな状況が生じている。 こうして感染症(伝染病)は長い間、人びとのあいだで大きな災厄ととらえられてきており、今なおその脅威は人類社会に大きな影を投げかけている。 災厄に対する人びとの対応は、歴史的・地域的にさまざまであったが、その一方で、人びとの行為・行動の背景となった疫病観、、、、の発達などを考察することにより、人類のや、のあり方への理解を深めることができる。 ペスト [ ] ヨーロッパにおけるペストの伝播(第二のパンデミック) はこれまでに3度にわたるをみている。 第1次は、6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」に始まって8世紀末までつづいたもの、第2次は、14世紀に猖獗をきわめた「黒死病」から17世紀末にかけてのもので、では19世紀半ばまでつづいた。 そして第3次は、19世紀末から20世紀中盤までつづくものである。 とりわけ第二のパンデミックである「 黒死病」は、正確な統計はないが全世界で8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後、イギリスやフランスでは過半数が死亡したと推定されている。 ペスト菌の存在がわからなかった時代には大流行のたびに原因が特定の人びとにおしつけられ、が行われたり、特にユダヤ教徒をとして迫害する事件が続発した。 主な大流行(リスト) 年代 場所 推定死者数 備考 1347—51 欧州・アジア・中東 2500万~7500万 1360—63 イギリス 700,000~800,000 1464—66 パリ 40,000 1471 イギリス 300,000~400,000 1479—80 イギリス 400,000~500,000 1576—77 ヴェネツィア 50,000 1596—99 スペイン・カスティリア地方 500,000 1603—11 ロンドン 43,000 1620—21 アルジェリア 30,000~50,000 1628—31 フランス 1,000,000 1629—31 イタリア 280,000 1647—52 スペイン南部 500,000 1654—55 ロシア 700,000 1656—57 ナポリ・ローマ 150,000 1665—66 ロンドン 70,000~100,000 1675—76 マルタ 11,300 1679—80 オーストリア 76,000 1681 プラハ 83,000 1689—90 バグダッド 150,000 1704—10 ポーランド 75,000 1709—13 バルト海沿岸 300,000~400,000 1720年代 マルセイユ 100,000 1738—40 ハンガリーなど 50,000 1770年代 モスクワ 75,000 1772 バグダッド 70,000 1791 エジプト 300,000 1813—14 マルタ 4,500 1829—35 バグダッド 12,000 ハンセン病 [ ] (1181・82-1226) 生前にフランチェスコを描いたといわれる肖像 いっぽう、にによって組織された「小さき兄弟の会」()は中部のに「らい村」を建設した。 そこでは、1つの共同自治が目指され、聖書の精神にもとづく救済がおこなわれた。 の東方遠征においては、ハンセン病に罹患した兵士を看護するためがで組織され、のらい院では患者の救済がおこなわれている。 なお、英邁で知られるの国王はハンセン病患者として知られる [ ]。 日本では、・にはこの病気は仏罰・神罰の現れたると考えられており、発症した者は身分に編入されるという不文律があった。 これにより、都市では重病者が各地のや奈良の、鎌倉のなどの施設に収容され、衣食住が供された。 北山十八間戸や極楽寺は、「非人救済」に尽力したらによって開かれた施設である [ ]。 戦国武将はハンセン病患者であったことが知られ、面体を白い頭巾で隠して戦場に臨んだことはよく知られる。 また、での自らに対するの振る舞いに吉継が感激し、では三成に味方をする決意をしたとされるエピソードも著名である。 には、発症すると、家族が患者をやの公祠などのへに旅立たせることが多かった。 このため、これらの地に患者が多く物乞をして定住することになった。 旅費がない場合は単に集団から追放され、死ぬまでをしながら付近の霊場巡礼をしたり、患者のみで集落をなしてなどによって生活した。 貧民の間に住むこともあり、その場合は差別は少なかった。 をはじめとする(こじきやと)はその一例である。 また、患者が漁にでるとがよく獲れるというが各地にあり、患者にはに携わる者も少なくなかった [ ]。 以降、近現代になると、そうした患者の寺社周辺などへの集住状態を解消すべくへの隔離政策が行われ、そのなかで「救らい」の名目で近世までとは異なった形での患者の迫害が生じた。 、らい菌の発見者であるノルウェーのが英文で初めて発表をおこない、そののち感染症としての感染力の弱さが明らかとなり、また、治療法が確立してからも患者や既に治癒して身体の変形などの後遺症を持つのみとなった元患者への強制隔離政策は続き、非人道的な人権侵害が行われた。 に、首相が公式に謝罪し、治療法確立後も強制隔離をつづけた国の責任を認めて元患者との和解がようやく成立した。 しかし、今もなお病気に対する正確なの欠如から、後遺症に対するに苦しむ人が多い。 コロンブス交換と梅毒 [ ] 1498年のメディカル・イラスト 梅毒の原因にはが関係すると考えられた。 すなわち、、、、、、、(嗜眠性脳炎)、、、、などが、ユーラシアとアフリカからへもたらされた。 免疫をもたなかったはこれらの伝染病によって激減した。 アメリカ大陸には、やをはじめとしてヨーロッパ各地から多くの植民者がわたったが、スペイン王室は植民者に先住民支配の信託を与え、征服者や入植者に対し、その功績や身分に応じて一定数のを割り当て、一定期間使役する権利を与えるとともに、彼らを保護してにさせることを義務づけた。 これがである。 まもなく先住民(インディオ)を使役してで金や銀を掘り出し、域ではの栽培が始まった。 どちらも現地の人びとのためではなく、ヨーロッパ大陸におけるのための生産であった。 先住民は、過酷な労働条件と感染症のために激減し、深刻な労働力不足に陥った。 これを補うため、ヨーロッパ人は黒人をアフリカ大陸に求めてがはじまった。 ここに西ヨーロッパ、西アフリカ、南北アメリカ大陸を結ぶ人とモノの貿易連鎖、いわゆるが成立し、をはさむ4大陸のあいだに大西洋経済とよばれるが形成されていった。 いっぽう、アメリカ大陸よりにもたらされた感染症には、である、として知られる、、黄熱( American strains)がある。 梅毒は、元来はの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。 アジアへはの一行が頃インドにもたらし、日本には9年()に中国よりを通じて伝わったとされ、江戸時代初期にはの次男も梅毒に罹患している。 日本で流行する前に、とくにそので大流行し、古くから花柳界にいる人の罹患率が高かったので、梅毒は「古血」と称され、また、では梅毒患者のことを「 ふるっちゅ」(古い人)と呼ぶようになった。 なお、梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のを通じてヨーロッパ各地に広がったため「 ナポリ病」と称することも多い。 「コロンブス交換」は、の歴史学者によって唱えられた用語である。 上述のように、それは、ヨーロッパとアメリカ大陸との相互の疫学的条件の均質化をうちに含んでいるが、これを、フランスのに属する歴史家は「細菌による世界の統一」という表現を用いて説明した。 ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、からにかけての(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民()の約8割が死亡したといわれる。 征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったというもある。 梅毒の治療薬としては、を唱えたドイツのとエールリヒの研究所で薬学実験を担当していた日本の医学者がに発見したというが有名であり、これは合成物質による世界最初の化学療法剤であった。 また、サルバルサンの発見は、のちのペニシリン(1929年)等や、(1935年)等のの発見をうながしたのである。 麻疹 [ ] 麻疹ウイルス は一般に はしかといわれ、によって感染する。 感染力はきわめて強く、高熱、咳、鼻水、全身性の発疹をともない、口中にと呼ばれる白い斑点ができる。 日本でも古くから知られ、平安時代以降の文献にしばしば登場する「あかもがさ」は麻疹であろうと考えられている。 からへの改元のあった(正暦6年、長徳元年)に全国的なとなってを直撃、貴族も多数死亡して政治に混乱をきたした。 古来ほとんどの人が一生に一度はかかる重症の伝染病として知られ、かつては「命定め」とよばれて恐れられたため、全国各地に麻疹に関するが伝わっている。 富山県では「はしか」が流行すると九紋龍の手形の紙をもらい、「九紋龍宅」と書いて門口に貼って病除けにした伝承がのこる。 神奈川県や、に点在する(左馬神社、佐婆神社とも)を一日で巡る「七さば巡り」をおこなうと「はしか」やの病除けになるといい、愛知県や三重県ではの貝殻を戸口につるして「はしか除け」をしたという。 江戸時代の庶民にとって、地震や火事とともに怖れられたのが感染症であったが、とくに疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡()は「」と呼ばれて恐怖された。 WHO では2015年3月27日、日本を麻疹の「排除状態」にあると認定した。 「排除状態」は、日本に土着するウイルスによる感染が3年間確認されない場合に認定される(2014年の流行などは、日本国外から持ち込まれたウイルスのため、判断に影響していない) 天然痘 [ ] 詳細は「」、「」、「」、および「」を参照 天然痘は、有史以来、高い死亡率、治癒してもを残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症である。 痘瘡ともいい、による高熱、、があり、全身に発疹する。 すでに1万年前にはヒトの病気であったらしい。 天然痘で死亡したと確認されている最古の患者はののであり、の頭部に天然痘の痘庖があることを確認している。 彼はに死亡したとみられる。 の遠征中のローマ軍のなかで発生し、こののち内で流行したといわれる伝染病は、こんにちでは天然痘であると考えられており、これによりローマは深刻な兵力不足に陥って、国力衰亡の原因のひとつとなった。 天然痘は以来、アジア各地で流行している。 中国では、ジェンナー(後述)による(牛痘)が試みられる前から、発疹の瘡蓋(かさぶた)を用いた人痘がさかんにおこなわれていた。 にした際、このウイルスを持ち込み、とあいまって先住民人口が激減する不幸な事態となった。 は、がに600人弱の部下で数百万の民を擁するを軍事的に征服したのみならず、文化的、精神的にも征服しえたのは、コルテス一行が持ち込んだ天然痘ウイルスによってアステカ王国の首都で天然痘が猛威をふるっていたにもかかわらず、従来のアステカの事物はそれに対しまったく無力であったことに起因するとしている。 のによるの征服も、それに先だって中央アフリカから帝代のの領域にもたらされた天然痘による死者が膨大なものであり、人口の60パーセントから94パーセントを失ったことによるとされる。 にはインカ皇帝のや宮廷の臣下たちの大部分が天然痘がもとで死んでいるが、後継者とされたもまた天然痘で命を落としてしまった。 そのため王位をめぐる争いがとの異母兄弟のあいだで起こった。 ピサロは、そこに付け込んだのである。 両帝国とも、や、をもたない軍事的敗北の結果といわれるが、それ以前に天然痘が猖獗をきわめたことにともなう帝国側の戦闘力喪失が最大の要因であった。 17世紀前半には東部ので天然痘が流行している。 また、18世紀のでは、によりとしてインディアン殲滅を目的に使用された例がある。 また、では、英国軍をカナダに追いつめてカナダがアメリカ合衆国領となる事態までとなったが、このとき独立軍に天然痘が流行したといわれる。 なお、も11歳のとき天然痘にかかり、その痕跡がいくつもあったといわれている。 種痘法を確立したジェンナー(1749-1823) 、で発達したの人痘接種法がヨーロッパに伝わったが、これは天然痘それ自体の発病の危険をともなうものであった。 、自らも人痘接種を受けたことのあるイギリスの医師が牛痘にかかった者は人痘にもかからないという農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘を接種した。 これが世界におけるのさきがけであり、一種の人体実験でもあった。 ジェンナーは自身の幼い子どもにも予防接種をおこない、また、種痘の乾燥保存に成功した。 これ以降は種痘の普及に伴い急速に天然痘の流行は少なくなったが、ソ連の独裁者は顔にはっきりと痘痕が残っており、天然痘によるものとされている。 なお、アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のがいる。 天然痘は、に WHO 総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。 には西アフリカ全域から根絶され、翌に中央アフリカと南米から根絶された。 、の3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのとが流行地域として残ったが、、ソマリアのを最後に天然痘患者は報告されておらず、3年を経過したにWHOはを行った。 天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアの4の施設で厳重に管理されている。 天然痘は、ヒトに感染する物の中では、人類が根絶した唯一の感染症である。 ジェンナーの種痘 人びとは牛痘を人間に植え付けることに抵抗感をもち、普及には時間を要した。 日本でも、過去には定期的な大流行を起すことで知られていた。 年間にやを通じて侵入したと考えられる天然痘が西日本を中心に蔓延()し、(天平9年)、では政権を担当していたが相次いで死去した。 がを建立した背景にもや政治的混乱とならんで悪疫の流行があった。 摂関政治が隆盛期をむかえたにも大流行しての兄、、はともに天然痘のために死去したといわれる (ただし、前述のように麻疹とする説もある)。 また、百万遍に所在する(左京区田中門前町)は、京都に天然痘が大流行していた(元年)、の勅によりを行い疫病を治めたことから「百万遍」の寺号が下賜されたものである。 その後も歴史上の著名人物で天然痘に苦しんだ例は少なくない。 「独眼竜」の異名で知られる奥州の、が幼少期に右目を失明したのも天然痘によるものであった。 儒学者、「」のエピソードで知られるも天然痘による片目失明者であった。 に布教のため来日したのは、ヨーロッパに比して日本ではが多いことを指摘しているが、後天的な失明者の大部分は天然痘によるものと考えられる。 なお、江戸時代にあっては、疱瘡除けの神として、さかんにの肖像が描かれ、「疱瘡絵」(赤絵)と呼ばれた。 これは、八丈島に疱瘡(天然痘)が流行しなかったのは、この島に流された為朝が疱瘡神を押さえ込む力があったためと信じられていたためであった。 また、、、、は顔にあばたを残し、は両手の一部の指が大きくならず、結果的に小指より短くなるという障害を負った。 の急死は幕末の政局に大きな影響を及ぼしたが、これも天然痘によるものであったと記録されている。 天皇自身が当時かなり普及し始めていた種痘を嫌悪したために天然痘に対して無防備であったといわれているが、なお根強く暗殺説を唱える人もいる。 のは幼少時に発症しており、のちに種痘の普及による天然痘対策に尽力した。 これはやがて直轄のに発展し、のちの医学部の前身となった。 の患者を最後に、日本では天然痘は根絶されている。 コレラ [ ] "Le Petit Journal"(1912. 12) コレラを残忍な死神として描いている はによる感染症で、突然の高熱、嘔吐、、が起こり、その感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行(コレラ・)が発生し、2006年現在も第7期流行が継続している。 最も古いコレラの記録は頃のものである。 そののちの、のでもコレラと思われる悪疫の記録があるが、世界的大流行はに始まっている。 コレラの原発地は下流のの、およびにかけての地方と考えられる。 にで起こったコレラの流行はアジア全域とアフリカに達し、まで続いた。 その一部は日本にもおよび、のちに「文政コレラ」とよばれたものである。 経由か経由かは明らかでないが、から東方向へひろがりにまでおよんだ。 このときはより東には感染せず、での被害はなかった。 からまでの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。 以降、から、から、から、からと、計6回にわたるアジア型コレラの大流行があった。 この大流行の背景には、によって、など交通手段が格段に進歩し、また、をはじめ世界諸地域が経済的、政治的にたがいに深く結びつけられたことがある。 とはいえ、これほど短期間のうちに「」から「パンデミー(世界的流行病)」へと一挙に広がって人類共通の病気となった例はめずらしい。 、ドイツの哲学者はコレラ禍のためにで死去しており、にでコレラが流行した際には、辣腕政治家として知られた ()が死亡した。 このとき、パリでは毎日数百人もの人びとが罹病し、1,000人を越える患者が出る日もあった。 死亡率も高く、1日で800人もの人が命を失うこともあったという。 1832年4月、コレラが増えはじめたパリでは、だれかが毒を投げこんだという噂が飛びかい、毒殺犯人とみなされた人びとがにを受ける事件がおこっている。 この事件では数名が殺害されている。 コレラの流行したのヨーロッパでは至るところで毒殺説がささやかれ、なかには医師が疑われて殺害されたこともあった。 でもパリでも、病気はとに沿って広がり、ことに貧民街での被害が著しかった。 前半のコレラの流行は、19世紀初頭以来の急速な都市化の進んだ時期でもあり、ヨーロッパの大都市はどこも劣悪な衛生環境にあった。 コレラの猖獗によって、感染症は「人間の病」である以上に「社会の病」であることを多くの人が痛切に感じたのであり、そのなかから、社会の健康を考えるや上下水道の整備や道路拡幅なども取り込んだ近代的なという学問分野が生まれた。 また、イギリスの外科医はロンドンでのコレラ流行に際し、死亡者の生活状況をを用いてのという的な手法を用いて生活改善を提案し、これらの業績により「の父」と称される。 コレラ病棟(1892年、) 日本では2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目の流行は再び日本におよび、が結ばれたから3年にわたって全国を席巻する大流行となった。 いわゆる「安政コレラ」で、検証には疑問が呈されているものの、江戸だけで10万人が死亡したといわれる。 このときの流行はからはじまり、江戸で大流行してにも広がった。 手当としては、と(からしでい)を用いるのがよいとされた。 2年()には、残留していたコレラ菌により再び大流行し、56万人の患者が出て、江戸では7万3000人が死亡した。 以後、に入っても2、3年間隔で万人単位の患者を出す流行が続き、、には死者が10万人台を数えた。 このうち、1879年の流行については、それに先だつから78年にかけてコレラの流行があったため、8月、各国官吏・も含めて共同会議で規則をつくったものの、のが、日本在住イギリス人はこの規則にしたがう必要なしと主張しており、翌79年の初夏にコレラが再びからに伝わり、などで大流行したものであり、この年、これに関連してが起こっている。 ヘスペリア号事件とは、西日本でのコレラ大流行を受けた日本当局が、1879年7月、ドイツヘスペリア号に対し検疫停船仮規則によって検疫を要求したところ、ドイツ船はそれを無視して出航、の護衛のもとへの入港を強行したという事件であり、このためコレラは関東地方でも流行して、この年だけで10万9000人の死者が出たというものである。 この事件は、国民のあいだに、を改正してを撤廃しなければの威信は保たれず、の安全やも守ることができないという認識を広める契機となり、要求の高まりをもたらした原因のひとつとなった。 日本がようやく海港検疫権を獲得するのは、に外相下でむすばれたなどの改正条約が発効したのことである。 なお、日本では、最初に発生した「文政コレラ」のときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭だったが、流行の晩期には商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、それが転訛した「コロリ」や、「虎列刺」「虎狼狸」などの当て字が広まっていった。 それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「」「見急」「三日コロリ」などとも呼ばれた。 コッホ(1843-1910) にはの細菌学者によってが発見され、の発展、防疫体制の強化などとともに、アジア型コレラについては世界的流行は起こらなくなった。 ただし、アジア南部およびアジア東部においてはコレラの流行が繰り返され、中国では、、に大流行があり、インドではまでつづいて、いずれも万単位の死者を出すほどであった。 一方、エルトール型コレラはに(エジプト)ので発見された。 この流行はから始まり、を発端に、を中心に世界的な広がりをみせており、には南米ので大流行が発生したほか、先進諸国でも散発的な発生がみられた。 、日本でも、下で感染経路不明のエルトール型の集団発生が生じた。 また、に発見されたO139菌はインドとバングラデシュで流行している。 なお、1月初め、の首都から500キロメートル離れた積出港において、コレラの発生が確認された。 コレラの流行を防止するため、下水道の整備など大都市における政策が発達し、が普及し、体制が整備されて、その多くは現代にも引き継がれている。 また、科学的なも1854年のでのコレラ大流行において、が公衆の水が原因であると指摘したことがはじまりである(後述)。 コレラは反面、衛生的な近代都市の生みの親となったのである。 チフス [ ] かつらをかぶった(1689年) とはが媒介するによる感染症で、高熱、、が特徴である。 人口密集地域、不衛生な地域にみられ、冬期、または寒冷地での流行が顕著である。 、スペイン兵がから発疹チフスをもちこみ、ヨーロッパで流行し、にはで流行した。 17世紀以降、ヨーロッパの王侯貴族や裕福な中・上級市民の間で頭髪を丸刈りにしてをかぶるが大流行した背景にはシラミ予防の意味もあったという。 のの際にはで大流行し、大勢の死者を出した。 の発疹チフスの流行は、コレラとともに活発化の一因となり、各国は都市の改造や公衆衛生を徹底させるなどの都市政策をおこなった。 下のでは3000万人が罹患し、その1割にあたる人びとが死亡している。 また、による虐殺のための内でも大流行した。 フランスの細菌学者はの()において風土となっていた発疹チフスを研究し、病院に入院すると感染しない傾向がみられるから院内と院外の条件を比較して、患者の衣服に着目した。 ニコルはに発疹チフスの研究でを受賞している。 腸チフス・パラチフス [ ] 腸チフスやパラチフスは、のイタリアの数学者でもあり医者でもあったが発見者といわれているが、これはともにの一種であるチフス菌によるもので発疹チフスとは全く異なる条件下、異なる病原体が原因で起こるものであるが、症状が似ているため区別が遅れた。 にようやく両者の識別がなされて、別の疾患として扱われるようになった。 かつては「不治の病」「死の病」「」とされ、「 白いペスト」と呼ばれることもあった。 結核は太古より存在する病気として知られ、で出土したころの人骨に結核の痕跡が認められるものがあり、にはころの結核痕跡をともなう2体の人骨が沖で発見された。 また、ころののミイラには、骨の結核であるの認められる遺体がある。 末、で発見された前半の男性の骨から結核菌とのが見つかり、の時代のエルサレムの上流階級では結核がかなり流行していたことが確認された。 に発見された中国郊外のの1号墳に埋葬されたの女性のミイラからは結核病変を確認しており 、中国末の武将での英雄も死因は結核だといわれる。 また、に韓国南部の勒島(ヌクト)の遺跡から出土した若い女性の人骨の脊椎3か所にを発見した。 の音楽家で「ピアノの詩人」といわれたや『』で知られるも結核で亡くなっている。 日本における最古の結核症例は、に所在するのの発掘調査で検出した5,000体中の2点の脊椎カリエスの進行した人骨である。 の遺跡出土の人骨からは、結核痕跡が確認されていないので、現在のところ、における結核はアジア大陸から渡来した人びとによってもたらされたものと考えられる。 、は『』のなかで「胸の病」について書き記しており、の『』でもが胸の病を患い、が悲しむさまが描かれている。 のからは、のの(元弘の乱)の戦没者とみられる人骨が多数確認されているが 由比ヶ浜南遺跡の人骨は調査により合戦死のものではないことが判明している。 同項目参照。 合戦死と見られているのは稲村ケ崎の人骨 、このなかの1体よりカリエスにより変形したと結核菌DNAとを検出した。 50歳前後の男性と推定されている。 産業革命期イギリスの炭坑で働く少年労働者(18世紀) 結核は、後に「世界の工場」と呼ばれて繁栄したイギリスで大流行した。 最も繁栄を謳歌していたはずのころのでは5人に1人が結核で亡くなったといわれている。 当時のは賃金が低く抑えられていたうえに1日15時間もの長時間労働が一般的であった。 また、急激なへの人口集中によってが形成され、人びとは生活排水をなどのに投棄し、その川の水をして飲料水とするなど、生活環境も劣悪であった。 と栄養不足が重なり、抵抗力が弱まったことから結核菌が増殖し、非衛生的な都市環境がそれに拍車をかけたものと考えられる。 これは、一面では産業革命が各国へ拡大し、普及したことにともなってイギリス発で結核が広がることともなった。 初年、日本からイギリスへの留学生がそこで結核にかかり、学業半ばで帰国したり、亡くなったりするケースも多かったのである。 日本では、明治初期まで肺結核を称して労咳(癆痎、ろうがい)と呼んだ。 の、幕末の志士はともに肺結核のために病死した。 も結核を病み、喀血後、血を吐くまで鳴きつづけるというに自らをなぞらえて子規の号を用いた。 、、、、、、、、、、、、、、なども結核で亡くなっている。 ので振興に尽くしたの(28年)の死去も、死因は結核といわれている。 近代において、特に犠牲のひどかったのは、ではたらく女工であった。 の『』にみられるように、ここでも長時間労働や深夜業による過労と栄養不足、集団生活が大きな原因となっているが、工場内ではを保護するため湿度が高かったことも結核菌の増殖をおおいに助けることとなった。 日本で結核による死亡者が最も多かったのはであった。 このとき、人口10万人あたり257人が亡くなっており、1991年には人口10万人あたり2. 7人にまで低下したが長い間、日本人の「国民病」であった。 また、前は、され、狭い兵舎で集団生活を送る若い男性に結核が蔓延した。 からまでの15年間、日本の死亡原因の首位は結核であり、「亡国病」とも称された。 日本ではに須磨浦()に最初のが民間の手によって創設されたが、国立結核療養所官制の公布はようやくになってからのことで、それによってに最初の国立結核療養所として村松晴嵐荘(現在の)が営まれた。 セルマン・ワクスマン 結核については、の『』、堀辰雄の『』『』、の『』、の『』など結核患者やそれをめぐる人間関係、での生活などを題材、舞台にした小説も多い。 結核菌は、細菌学者ロベルト・コッホにより発見され、にはとワクスマン研究室の学生であったによるなどの抗生物質があらわれて 、結核は完治する病気となって、患者はいったん激減した。 しかし、近年、学校や老人関係施設、医療機関等での集団感染が増加しており、結核治療中の患者は日本だけで約27万人にのぼり、新たな結核患者が年間3万人も増加している。 世界保健機関 WHO の推計では世界人口60億人の3分の1にあたる20億人が結核菌に感染していると発表している。 これは、抗生物質の効かない耐性結核菌の発生によっており、「菌の逆襲」 とよばれることがある。 また、(AIDS)との結びつきが指摘され、「今や結核対策はAIDS対策でもある」 と考えられるにいたっている。 インフルエンザ [ ] スペイン風邪の患者でごった返すの(アメリカ合衆国・) の一種と考えられるは、、の兵士の間で流行しはじめ、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行()となり、感染者は6億人、死者は最終的には4000万人から5000万人におよんだ。 当時の世界人口は12億人程度と推定されるため、全人類の半数もの人びとがスペイン風邪に感染したことになる。 この値は、感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、もっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである。 死者数は、の死者をはるかにうわまわり、日本では当時の人口5500万人に対し39万人が死亡、アメリカでは50万人が死亡した。 詩人、社会学者、画家、劇作家、作曲家、革命家、音楽家が亡くなっており、日本でも、元の、の設計を担当した、劇作家の、夫人の、皇族の、軍人のなどの著名人がスペイン風邪で亡くなっている。 「黒死病」以来の歴史的疫病で、インフルエンザに対する免疫が弱い南方の島々では島民がほぼ全滅するケースもあった。 1918年の警察(アメリカ合衆国・) 全員、をしている。 流行の第1波は、1918年3月に米国付近で最初の流行があり、の第一次世界大戦参戦とともに大西洋をわたって、5月から6月にかけてヨーロッパで流行したものである。 第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、がさらに強まって重症なを起こし死者が急増した。 第3波は春から秋にかけてで、やはり世界的に流行した。 日本ではこの第3波が一番被害が大きかった。 の病原性については、にアメリカのが、ブタにおこるインフルエンザが、プファイファーの発見したインフルエンザ菌とウイルスとのによっておこることを確認し、に、イギリスのとたちが患者からインフルエンザウイルスを分離し、を用いた実験によって証明して、病原体論争はおさまった。 さらに、スペイン風邪の病原体の正体は、のから8月に発掘された4遺体から採取された肺組織検体からやがてウイルスが分離されたことによって、ようやく明らかとなった。 これにより、であったことと、ウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。 つまり、スペイン風邪は、それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったことが原因と考えられる。 したがって、当時の人びとにとっては全く新しい感染症()であり、スペイン風邪に対する免疫を持った人がきわめて稀であったことが、この大流行の原因だと考えられるようになったのである。 スペイン風邪におけるおもな死因は二次性の細菌性肺炎であったといわれる。 なお、アメリカ発であるにもかかわらず「スペイン風邪」と呼ばれたのは、当時は第一次世界大戦中であり、世界各国・各地域で諸情報が検閲を受けていたのに対し、は中立国であったため、主要な情報源がスペイン発となったためである。 一説には、スペイン風邪の大流行により第一次世界大戦終結が早まったともいわれている。 アジア風邪と香港風邪 [ ] 詳細は「」、「」、および「」を参照 の100年間でインフルエンザのパンデミックは3度あった。 上述のスペイン風邪、H2N2亜型ウイルスによるの 、H3N2亜型によるの である。 アジア風邪では、世界で200万人もの人びとが死亡した。 1957年の冬、中国のに発生し、中国全土に広がった。 中国の科学者はの分離に成功したが、当時、中国がWHOのインフルエンザ関係機関に加わっていなかったため、その情報が他の諸国に伝えられたのは、流行から2か月も経過してからであった。 このあいだアフリカや中南米に拡大し、欧米ではにはあまり広がらなかったがに入り、世界的に流行した。 日本での感染者は届出のあったものだけで98万3105人、死者は7,735人にのぼる。 香港風邪では、世界で100万人が死亡し、日本の死者は2,200人以上である。 H3N2亜型に属する新型ウイルスであった。 同時にH2N2亜型のものは姿を消した。 現在の季節性インフルエンザの原因の1つである。 その後、にはが(局地的流行)となった。 これまでパンデミックを起こしたインフルエンザウイルスは、いずれもに由来するものであり、しかも弱毒性のものであった。 今後、発生が心配されているのはの強毒性のものである。 世界保健機関 WHO の(イ・ジョンウク)元事務局長は「もはやが起こる可能性を議論する時期ではなく、時間の問題である」と述べており、、アメリカの大統領は、新型インフルエンザ対策を優先度の高い国家戦略とすると表明し、国際的な協力体制の構築を各国によびかけた。 2009年新型インフルエンザ [ ] 詳細は「」および「」を参照 21世紀にはいり、2009年にはがあった。 当初はおよびアメリカ合衆国での局地的流行であったが、2009年春頃から2010年3月にかけ、、のインフルエンザウイルスによるとして世界的に流行した。 WHOは2009年4月27日にフェーズ4を、2日後の4月29日にはフェーズ5を、6月11日にはフェーズ6を宣言した。 これは、21世紀に入って人類が経験するインフルエンザ・パンデミックの最初の事例となった。 日本では第6条第7項第1号において「新たに人から人に伝染する能力を有することとなったウイルスを病原体とするインフルエンザ」と規定され「」と命名されている。 ポリオ(急性灰白髄炎) [ ] 壁画にみられるポリオ ポリオは、に発症が多かったことから「小児麻痺(しょうにまひ)」の名でも知られ、日本での正式名称は「急性灰白髄炎」である。 ポリオの名称は、英語の poliomyelitis の前半部分(灰白部)に由来しており、である灰白部とに病変が生じるところからの名称である。 ポリオは、のを病原体とする感染症であり、の灰白質をおかすため、はじめの数日間はをひいたような症状があらわれるが、その後急にやがして動かなくなる病気である。 ポリオウイルスに感受性があるのはだけであり、はヒトだけである。 ポリオについても、その歴史は古く、(-)のに、片足が萎縮してをついた人物が刻されているが、これが症状からみてポリオであろうと推定されている。 日本では、の後期のから出土した女性人骨にポリオ痕跡の可能性が高い遺体が認められる が、日本へのポリオ流入は明治以降であるという有力な反論があり、定説には至っていない。 の貧しい家庭にとして生まれた ポリオの医学的な記載は、のの郊外の医師 ()によるものがはじめてであり、にはの ()によってポリオのでの流行について詳細な報告がなされたことより、ヨーロッパでは当初「ハイネ-メディン病」と称されたこともあった。 ポリオは、後半から前半にかけて諸国で大流行し、後は世界的に流行した。 ポリオウイルスに感染したとしても、後遺症として麻痺がのこるのは100分の1ないし1,000分の1といわれている。 は数多く、そのなかで麻痺がのこったのは不運なケースといえるが、その麻痺を克服して成人後に大きな業績を成し遂げた人も多い。 たとえば、委員長でありも経験した、の研究でのを受賞した、で女子短距離3種目(女子、、)でを獲得したなどが知られる。 日本では、、、後半から後半、(昭和26年)1月から6月にかけて、および(昭和35年)に流行している。 とくに1960年春の北海道にはじまった大流行では、全国で5,606人と日本史上最大の患者届出があった。 このとき、ワクチン接種を求める世論が大きな高まりをみせ、によるアメリカ製のか、製の弱毒のの投与しか解決のみえない状況となった。 効果においては生ワクチンの方が優れているが、当時の日本では生ワクチンの安全性は確認されておらず、国産の生ワクチンもなかった。 また、輸入するとしてものさなかにあってに属していた日本は乗り越えるべき課題も多かったのである。 そうしたなか、のは内の反対を抑えて「責任は大臣が持ちます」と宣言して(昭和36年)にソ連(および一部カナダ)からの緊急輸入が決定された。 、の()が生ワクチンを飲むすがたが放映された。 実は、このポリオ根絶の真の立役者はのちに日本社会党のとなったであったという。 NHK社会部の放送記者として活躍し、その後NHKのである日放労の委員長となった上田は、このときポリオ根絶をめざした「上田プラン」を唱えてNHKを動かし、厚生省を動かしたという。 生ワクチン輸入については、のちに監督の映画「われ一粒の麦なれど」の主題ともなっている。 日本では、こうして世界にさきがけて徹底した全国一斉投与(NID )をおこなって、それが実をむすんで患者数は(昭和38年)には100人以下に激減して、(昭和56年)以降は集団的なポリオの発生は確認されていない。 日本政府は(平成12年)にWHOに対し、ポリオ根絶を報告している。 車いす姿のF. ルーズベルト なお、ポリオ患者として有名であった人物に第32代のがいる。 にポリオに罹患したF. ルーズベルトはみずからの麻痺症状の治療のために、にのに土地を購入して別宅を建てた。 しばしば同地に滞在したため、別宅は「リトルホワイトハウス」と呼ばれ、4月にそこで死去している。 ルーズベルトは、みずからの障害体験から障害者支援には積極的で、大統領就任後、ポリオ対策のために国立小児麻痺財団( the National Foundation for Infantile Paralysis) を設立して活動をおこない、ワームスプリングスには彼の死後、ルーズベルトポリオ病院が建てられた。 ただ、かれ自身は日常生活においてを用いていたものの、その姿をにみられるのを嫌い、車いす姿の写真も2枚しか残っていない。 また、メディア側もあえてそのことを報道しなかったため、当時のアメリカ国民は大統領に麻痺があったことはほとんど知らなかったという。 ルーズベルトは実はポリオではなく、神経疾患であるであったという記事がアメリカ合衆国の医学情報誌に報告された。 それによれば、39歳という壮年に達してから発症したことや、彼の症状8項目のうちの6項目がギランバレー症候群に特徴的な症状を示し、ポリオを示す症状は2項目にすぎなかったことから、ギランバレー症候群であった可能性が高いということである。 ワームスプリングスのポリオ病院も、こんにちでは施設に変わっている。 近年、日本ではポリオ感染による障害者の数が増加し、深刻な問題となっている。 生ワクチンの投与は、上述のように、大流行時の緊急使用には際だった効果を有した実績があるものの、このワクチンによる免疫獲得率の低い世代が親になったこんにち、生ワクチンがむしろ小児麻痺の主な原因となっており、生ワクチンに使用されたウイルスが強毒化する事態も発生している。 被害者からは医療行政への抗議とともに不活化ワクチンへの切り替えを求める声が出ており、、の薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会が開催され、承認申請が行われている不活化ワクチンのうち1種については製造・販売を行なっても問題ないとの結論が出て、同年9月1日よりポリオの定期接種は生ワクチンから不活化ワクチンに切り替えられた。 エボラ出血熱 [ ] にで流行した際のに収容された患者 は、6月ののヌザラ(Nzara)という町で倉庫番を仕事にしていた男性が急に39度の高熱と頭や腹部に痛みを感じて入院、その後、やから激しく出血して死亡したことを最初の確認例とするである。 そののち、その男性の近くにいた2人も同様に発症して、これを発端に血液や医療器具、を通して感染が広がった。 最終的にヌザラでの被害は、感染者数284人、死亡者数151人というものだった。 この最初の男性は、ザイール(現)の付近の出身で、森に深く入って炭焼き小屋に長く生活したことがあり、病原菌との関係が考えられるため、この病気を引き起こしたウイルスの名前を「エボラウイルス」と名づけ、病気も「エボラ出血熱」と名づけられた。 症状は全身の出血のほか、臓器のもある。 その後エボラ出血熱はアフリカ大陸で10数回にわたって突発的に発生・流行しており、感染したときの致死率は50パーセントから89パーセントの範囲にあって非常に高く、また有効な治療法もないことから非常に怖れられている。 ただし、のため、患者の血液に触れなければはおこらず、アフリカにおいては病院のや看護者を通じて感染が広がったものである。 この感染症は、熱帯雨林の開発によって人が新たな病原体に遭遇したもので、ガボンではから感染したといわれているが、ウイルスの自然宿主はまだわかっていない。 12月、の医学チームは、感染するが発病していないというを発見しており、宿主の可能性を報告した。 エボラ出血熱は2014年7月以降、、、など西アフリカ諸国で大流行し、死者は1,000名を超えた。 8月上旬には、この感染症の治療にあたった医療チームの外国人医師も感染した。 医療チームの米国人2名に対して投与された実験用の抗体治療剤「」に効果がみられたことから、この未承認薬の患者への投与承認を求める申請がWHOになされた。 また、この治療剤はアフリカ人医師にも投薬された。 一方、フランスでは、リベリアで医療活動中に感染して帰国した女性看護師に、日本のが開発したインフルエンザ治療薬・ファビピラビル(販売名・アビガン錠)が9月から投与され、快方に向かっていることが分かった。 この治療薬は、エボラ出血熱に対する承認は得ておらず、エボラ出血熱の患者への投与は初めてだった。 エイズ [ ] 6月にアメリカのに住む男性4人に初めて発見され症例報告された新興感染症である。 ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしい症例はすでにから報告されており、中部アフリカ各地などで「痩せ病」( slimming disease)という疾患群が報告されていた。 7月、この病気はAIDS(後天性免疫不全症候群)と名づけられ、にはが発見された。 1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中で100万人にまで広がった。 日本では、(昭和61年)の事件、(昭和62年)の事件・事件など「エイズ・パニック」と称される一連のパニックが引き起こされた。 これは、行政当局や医療機関のあり方に問題がなかったわけではなかったが、むしろパニックに仕立て上げていったのはマスメディアであった。 アメリカでエイズが広がり始めた当初、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて感染者に同性愛者や常習者が多かったことから、感染者に対して社会的なが持たれることも多かった。 アメリカは、「エイズ・パニック」を体験した最初の国であった。 現在は、病原体として(HIV)が同定され、による感染や時のも起こりうることが広く知られるようになった。 しかし、未だこの病気に対する知識の不足から来るや偏見がみられる。 日本では、おもにの患者に対して非加熱製剤を治療に使用したことから、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生むをひきおこし、大きな社会問題となった。 それ以外でHIVに感染する可能性は、HIV感染者とのであるため、相手がHIVに感染していないことが確実でなければ性行為をおこなわないか、あるいはを用いて感染の可能性をなくすことが大切である。 また、早期に治療を開始するためには、が必要である。 エイズは、アメリカをはじめ世界各地で患者や感染者が増加しており、現代医療の大きな課題といえる。 各国でエイズ予防キャンペーンが繰り広げられている。 マラリア [ ] 蚊帳 の中での一部の種だけが病原体を媒介する。 のハマダラカが感染者の血液を吸い、別の人を刺すことによって広がる。 効果的なワクチンはないが、で治療できる。 においては、現在、エイズ、結核と並ぶ3大感染症のひとつであり、や聴覚を失うなどの後遺症で悩む人も少なくない。 感染者は毎年3. 5億人から5億人にかけてと推測され、アフリカでは子どもの主要な死因のひとつになっている。 3月にに流れた情報によると、、、にまたがる最大の湖は、年々水位が下がっており、係留していたと思われるが陸に上がってしまったり、湖岸であった箇所には幅10メートルないし20メートルの草地が続いていたという。 などの観測データは、ヴィクトリア湖の水位がピークのにくらべ1. 5メートルも低下しており、1990年代の平均と比べても約50センチメートル低くなっていると伝えている。 その原因としては、の減少と下流にあるへの過剰な流出が考えられている。 干上がりかけた水たまりにハマダラカのボウフラ(カの幼虫)が泳ぐなど蚊の繁殖に好適な水域が広がり、従来はマラリアが非流行地だったケニア西部のにも多発する傾向が顕著となっている。 また、の影響でハマダラカが越冬できる地域が広がったことにより、感染地域が広がる危険性についても指摘されている。 日本もマラリア対策に協力しているが、そのひとつに伝統的なづくりがある。 ウエストナイル熱・ウエストナイル脳炎と日本脳炎 [ ] の病原体であるは、に属し、その1属である狭義のは、(DEN)、(JE)、(TBE)、(YFV)の4グループに分類され、そのうち、日本脳炎ウイルスのグループを構成するのは西ナイルウイルス(WN)、(SLE)、(MVE)、(KUN)、そして狭義の日本脳炎ウイルス(JE)の5ウイルスである。 ウエストナイル脳炎 [ ] ウエストナイル脳炎の発生と前後して大量死が確認された( Corvus brachyrhynchos) 西ナイルウイルスは、その名のとおり西ナイル地方(の西)で見つかった。 19世紀末、イギリス領()南部の西岸地域を西ナイル地方と呼んでいたが、この地方は一時期に属し、にはイギリス領に編入されて西ナイル州とされた。 西ナイルウイルスは、、の研究者がウガンダの西ナイル州の女性の熱病患者から単離したウイルスである。 従来、日本脳炎ウイルスグループにおいては、世界地図上でのみごとな地理的棲み分けがなされていた。 狭義の日本脳炎ウイルスがインド以東の・、マレーヴァレーウイルスが一部の東南アジア、クンジンウイルスが、セントルイス脳炎ウイルスが、そして西ナイルウイルスが発見地のほか、、、、、の各地である。 で西ナイルウイルスへの警告を呼びかける(、) このような地理的棲み分けに対し、異変が生じたのは、のことであった。 内の病院のが2例の患者症例を報告し、その後、市保健局の調べによって他に6例の脳炎患者をクイーンズ区内で確認した。 ヒトにおける脳炎の流行に相前後して、ニューヨークでは大量のが死亡していた。 から9日にかけては(ニューヨーク市)で2羽のと、とそれぞれ1羽の死亡が確認された。 当初、ヒトやの死亡はセントルイス脳炎ウイルスによるものと診断された。 しかし、その後、(CDC)の調べで、ヒト、トリ、より分離されたウイルスは西ナイルウイルスであることが判明した。 従来、西ナイルウイルスはアメリカ大陸にはまったく存在しないと思われていたので、この事実は米国全土に衝撃をあたえた。 以後、2010年現在までアメリカ全土で西ナイルウイルスが見つかっている。 このウイルスを病原体とする・の最多患者数を記録したには、合衆国だけで患者9,862人、死亡264人が報告されており、この年はさらに隣接する、両国への広がりも確認された。 媒介する蚊は、などの仲間を中心に13種(にはさらに増加して60余種)、である鳥類ではカラス、、、、など220種以上におよぶから西ナイルウイルスが分離された。 でふれたように、従来、にので死去したの(大王)は、そのという症状やからの帰還での死という地理的要素から、古来、死因はであると考えられてきた。 しかし、、アレクサンドロスの死は西ナイルウイルスによるではなかったかという学説が登場した。 その根拠は、古代のバビロンが現代の西ナイルウイルスの流行する分布域に属していることのほか、からにかけて活躍した著述家の『』(「プルターク英雄伝」) のなかの以下のような記述である。 アレクサンドロスがバビュローンに入ろうとしている時に、(中略) 城壁のところまで行くと、多くのカラスが喧嘩をして互いにつつきあい、その内幾羽かが大王の足元に落ちた。 公的な記録によれば、アレクサンドロス大王は高熱を発してずっと熱が下がらず、そのあいだ激しくが渇いてを飲み、うわごとがはじまって、発熱後10日目に亡くなったといわれる。 これらの症状は、ウエストナイル熱やウエストナイル脳炎の症状と矛盾しない。 動物媒介性の感染症の新たな出現や伝播は、やによるや文物の大量移動を基礎として、たとえば・やなどによって媒介動物である蚊の生息条件が変化して分布域が変動・拡散し、また、その宿主の生息域が変動するなどの事象によっており、「感染症の生態学」と呼ぶべきひとつの研究領域が成り立つような条件を生じさせているが、他方では、アレクサンドロスの死因のように、過去にさかのぼって史実の解釈さえ再検討の俎上に乗せる可能性を有しているのである。 日本脳炎 [ ] 詳細は「」を参照 ( Japanese encephalitis)は、日本脳炎ウイルスによるであり、日本や東アジア、東南アジアを分布域とする。 感染者の発症率は0. 1パーセントから1パーセントと推定されており、そのほとんどがである。 日本でのは主としてといわれるが、地域では他の蚊も媒介する。 潜伏期は6日ないし16日間とされ、高熱を発して、や意識障害におちいる。 発症してからはにたよるしかない。 発症した場合の致死率は10ないし20パーセント程度と推定されるが、発症者の半数以上はにダメージを受け、脳障害や身体のなどの重篤ながのこる。 (昭和29年)、日本ではの勧奨接種が開始され、(昭和40年)には高度精製ワクチンの使用がはじまった。 日本での患者は、(昭和42年)からにかけての積極的ワクチンの接種によって、劇的に減少したといわれている。 日本住血吸虫症 [ ] 日本住血吸虫卵 日本住血吸虫症は、・・等でみられるの一種で、(オンコメラニア)というをとして成長した()が経皮感染によってヒトや、などに感染することによって発生する感染症である。 日本では特に下で「」と称されて地域特有の奇病と見なされ、古くから底部一帯が国内最大の罹病地域として知られてきた。 にがでこの寄生虫を発見し、にと鈴木稔がにおいて、寄生虫の中間宿主がオンコメラニアであることを発見したため、病名に「日本」の名が付されることとなった。 中国の代の墳墓であるのから日本住血吸虫の生活痕跡を検出したことから、中国において、この感染症の流行はきわめて古くからのものであることが確かめられている。 中国では、初頭、をふくむ流域や、、など広汎な地域で日本住血吸虫症の流行が顕在化し、患者数は約3200万人にのぼったと推定される。 では、建国以来、大衆動員によって古いを埋め立て、新しいクリークを開削する方法によってオンコメラニア対策が採られ、には、での成功にちなんで、当時のの指導者は「(瘟神を送る)」と題するをつくっている。 日本住血吸虫症は、こんにちでも中国やフィリピンを中心に年間数千人以上の新規感染患者が発生しているが、日本ではに発生した山梨県の罹患者を最後に新規感染者が確認されておらず、にはのによって「地方病終息宣言」が出された。 コロナウイルス [ ] SARS 2002-2004年 [ ] のSARS治療医院(2004年) 20世紀にはいると、次々と新しいウイルスが登場したが、 通称SARSウイルス はに見つかったウイルスであり、それによる感染症は SARS と呼ばれる。 高熱、、息切れ、、低酸素血症あるいはなどの症状をともなう。 にので40歳代の農協職員が発症した例が最初とされたが、呼吸病研究所は最初の患者は7月にさかのぼると発表している。 11月の発症後、中国政府はこの疾患が広まらないよう対処するいっぽう、世界保健機関 WHO にこの情報を知らせたのは2月であり、自国の名誉と信用をまもるためを規制した。 秘密にした結果、国際的な対応が遅れ、被害を拡大させてしまったため、中国政府はのちにこのことを謝罪している。 2003年4月3日、日本政府はSARSを新感染症として取り扱うことを発表、さらに4月17日、原因が判明したため指定感染症へ切り換える方針を発表した。 4月上旬、SARSが大問題としてで取り扱われている頃、中国政府の公式方針は変わったが、の軍病院で実際の患者数より少なく発表していたのが判明したのもこの頃である。 国際世論の強い圧力ののち、中国政府はWHOなどのがこの件に関する調査をおこなうことに同意した。 これにより、過度の分散、形式主義、コミュニケーションの不足など、中国医療制度の古い体質が暴かれた。 4月下旬、中国政府は患者数のごまかしが医療制度上の問題であることを認め、博士は中国政府のもみ消しを暴露した。 こののち、北京市長や保険局長を含む多くの人が解任され、ようやくSARS調査と予防に向けた効率的で透明なシステムがつくられるようになった。 2003年7月5日にWHOはSARS封じ込め成功を発表した。 MERS 2012年- [ ] ジョン・スノウの調査結果 コレラによる死者(黒点)の分布から規則的なパターンが読み取れる。 スノウはコレラの原因がブロード街の中央にある手押し式の井戸であると判断した。 最終的には、手押し井戸のポンプのレバーを取り外すことでコレラが収束した。 後年の調査によると、肥料に用いるために備え付けられていた汚水溜めに1854年8月末の最初の患者の糞便が混入したこと、汚水溜めと問題の井戸が90センチメートルしか離れていなかったことが判明した。 の起源は古く、都市の起こりによって汚染水や塵芥の処理がなされないまま放置されると伝染病が発生することが、いわゆる「」(説)として知られていた。 古代に起源をもつの多くは、日常の食物や・性的関係の制限、清浄さの維持など、健康のための習慣づけを規範や教義として内包していることが少なくない。 古代ローマでは、適切な汚物の排出は都市における公衆衛生の常識として理解されていた。 また、ヨーロッパで黒死病が流行した14世紀には、死体を遠ざけておくことが感染を遠ざけると信じられた。 近代的な公衆衛生の概念は、19世紀のヨーロッパにおいて、産業革命後の急激な都市化にともなう住環境の悪化などが感染症の蔓延と結びついているものと考えられ、それに対応していくなかで発展してきた。 また、科学的なはのでのコレラ大流行において、公衆の水が原因であるとジョン・スノウが発見したことを嚆矢としている。 スノウは当時主流であった瘴気説に対抗してを説いた。 コレラはの不足によって生じると考えた従来の瘴気説では、コレラの流行は自然発生的なものと考えられ、臭気が疫病をもたらすとされていた。 しかしスノウは、同じ流行地域でも罹患者の分布は斑状に分散していること等の知見に注目して空気感染説に疑問を持ち、「汚染された水を飲むとコレラになる」という「仮説」を立てた。 スノウは、患者が多数発生した地区で発生状況の精査をおこなったうえ、ある井戸が汚染源と推測、あてはまらない事例についても調査をおこなった。 当時、ロンドンの水道会社はから取水していたが、当時のテムズ川は汚濁がひどく衛生的とはいえなかった。 スノウは患者発生マップと各水道会社の給水地域との比較照合を行い、特定の水道会社の給水地域においてコレラ患者が多発していることを突き止めた。 同社の取水口は投棄の影響を受ける位置にあったのである。 最終的に、行政当局がこの結果にもとづき、問題の井戸を閉鎖したことにより流行の蔓延を抑えることができた。 19世紀前半までのパリもまた悪臭に満ちた不衛生な都市であった。 の時代、を管轄するの県知事となったは、皇帝の命を受けて、首都の「美化」を主眼とするをおこなったが、同時に見えない部分に対しても「浄化と衛生化」のための都市改造をおこなった。 オスマンは、主要な道路を拡幅し、水については、遠隔地から水源水を導いて配給して各戸給水を目指し、また、式の網を首都の地下に張り巡らせた。 ウジェーヌ・ルネ・プベル 、パリではチフスが大流行して3,352人の命が奪われ、また、から84年にかけては約50年ぶりにコレラが再びパリで流行し、にはコレラによる死亡者が986人に達した。 この頃、共和派のセーヌ県知事として就任したのが、である。 プベルは赴任1ヶ月後の1883年11月、知事令により(製の箱ないし)の使用を義務づけた。 県知事令は全11か条で、ゴミ箱の形状や容量はもとより、設置場所をも細かく規定したものであった。 同様のは1884年3月にも発布され、これらにより、市民にはゴミの分別が義務づけられ、また、出されたゴミは当局が回収していくしくみが制度化された。 従来の、にを流して路上の塵芥を一掃する方式に加え、ゴミ箱を徹底的に利用する方式は大きな効果を挙げ、パリのゴミ処理問題は長足の進歩を遂げた。 プベルによってパリ市民にもたらされた新しいはなどのマスメディアからも支持された。 こうして、不衛生都市パリの汚名は返上され、衛生的な都市として生まれ変わった。 の「プベル( poubelle)」は「ゴミ箱」を指すとして現在定着している。 しかし、ゴミ箱方式は、分別や管理にともなうを節減したいや、生活への脅威を感じた的な業者やからの抵抗を受けている。 の「パリ大悪臭」とそれにつづく感染症の大流行は、一方では下水道の大幅な改造をもたらした。 プベルらが進めようとすると糞尿、水、などを一緒に排水するトゥ・タ・レグ(すべてを下水へ)の方式には、多くの根強い反対論があり、その採用に至るまでには紆余曲折があった。 とくに、ジョルジュ・オスマンは自らの傑作である回廊式下水道を糞尿で汚染されることに強い嫌悪感を示したといわれている。 しかし、コレラが再び流行し、このことは、建物を直接に接続させた際に生ずる費用を家主や管理者が負担するの条例の発布につながった。 こうして、全廃水下水道放流方式すなわちトゥ・タ・レグ方式の下水道システムが整備されたのである。 日本では、明治の以降の近代的な「公衆衛生」に相当する概念として、当時医学の諸制度はドイツを手本としていたため、の Hygiene(ヒュギエーネ)の概念がないしとして受容されたが、イギリスの制度も参照された。 このころ、はヨーロッパを視察し、生命や生活を守る概念として Hygieneが社会基盤の整備を内包し、国家や都市を対象としていることから、その和訳について、あえて「養生」ないし「健康」「保健」を転用せず、『』庚桑楚篇にある「衛生」の語をあてている。 明治政府は、その初期においては(明治7年)にを公布し、各地方に医務取締を設置、その後(明治12年)には中央衛生会(地方には衛生課)を設置、によって衛生委員を置くなどの体制を採用した。 しかし、(明治19年)、このような民主的なシステムは廃止され、1893年(明治26年)には衛生医院の機能をに移管、式になった。 これは、日本の中央集権型行政の進展を意味するとともに、いっぽうでは、急速な感染症拡大への手早い対応をめざしていたためでもあった。 日本ではからの支援もあってが昭和初年に発足している。 なお同衛生院第2代院長の古屋芳雄は、公衆衛生を「公衆団体の責任に於いて、われらの生命と健康とを脅かす社会的並びに医学的原因を除き、かつわれらの精神的及び肉体的能力の向上をはかる学問及び技術」としている。 感染症と現代 [ ] 詳細は「」、「」、および「」を参照 1980年、WHOは天然痘の根絶宣言を出した。 人類は、医学の進歩や公衆衛生事業の進展により、近い将来、感染症を撲滅することができるだろうとだれもが楽観した。 しかし、実際にはエボラ出血熱や(HIV)の登場などにみられる新たな感染症()の登場や、結核・マラリアなどいったんは抑制に成功したかにみえたが再び流行した感染症()の時代をむかえている。 さらに、医薬品に抵抗力をもつ、さまざまなも出現している。 病名 病原体 発見(確認)年・国名 症状 感染経路 ・ 全身出血、壊死 ・の接触 AIDS (HIV) ・ 全般的な免疫力低下 、など ・アメリカ合衆国 、低下 ・アメリカ合衆国 不振、、など 血液・体液の接触、 ・ 進行性の、行動異常など 牛の・などの摂取 トリインフルエンザウイルス ・ 、、多臓器不全 病鳥およびその内臓・への接触 SARS() ・中華人民共和国 発熱、咳、症状(呼吸困難など) 、 上表は、以降に発見された新興感染症のなかで主要なものである。 感染症が再び問題となってきた背景としてはまず、人やモノの移動が大量かつ短時間におこなわれるようになったことがあげられる。 中国南部を起源とするSARSがわずかな期間で世界中に広がったことはの利用により人びとの移動が活発化したこと、さらには世界経済の一体化が進行していることとも深い関係がある。 次に、の開発により、人類が新しい病原体と出会うようになったことがあげられる。 エボラ出血熱などが、そうした事例に属する。 薬剤耐性菌の出現に関しては、医療現場で抗生物質が過剰に、または不適切に使用されたり、患者が自己判断で服用・投与をやめたりすることも原因のひとつと考えられている。 さらに、インフルエンザの流行などでは、感染症にたいする警戒感が弱まり、などが十分でなくなってきたことが指摘されている。 麻疹やに関しても、予防接種の未接種などによって十全なが獲得されないことが流行の要因と考えられ、そのため現在では基本的に2回接種することとしている。 (へのワクチン注射) 感染症にかかわるこうした時代状況は「細菌の逆襲」 、「疫病の時代」 などとも呼ばれている。 21世紀にはいってからも、SARSが出現して世界的に猛威をふるった。 将来的には、農業開発にともなう土地開発、環境破壊、都市化・工業化もふくむ環境変化によって、こうした新興感染症が今後も現れるであろうことが予想され、また、再興感染症もふくめて感染症を撲滅することは難しいという見通しが立てられている。 このような状況にあって、必要なことは、過度に恐れることではなく、適度に恐れることであるという認識 、あるいはむしろ、感染症との「」がはかられるべきではないかという認識も広がっている。 WHOは、パンデミックによる被害を軽減するために、• 医療体制(抗ウイルス薬治療をふくむ)• ワクチン• 公衆衛生対応• 個人防御 の4点を組み合わせて実施することの必要を呼びかけている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• David W. Tschanz, MSPH, PhD August 2003. "Arab Roots of European Medicine", Heart Views 4 2. Syed, Ph. 2002. "Islamic Medicine: 1000 years ahead of its times", 2, p. 2-9. Beretta M 2003. Medicina nei secoli 15 2 : 129-54. (国立療養所菊池恵楓園)• 原出典は、Crosby,A. F;"The Columbian Exchange" 1972• 原出典は、Emmanuel Le Roy Ladurie"Le territoire de l'historie" 1973• Bland, R. ; Clarke, T. ; Harden, L. 1976-02-01. American Journal of Obstetrics and Gynecology 124 3 : 263—267. 原出典は、梁其姿"施善与教化—明清的慈善組織" 1997• 加藤茂孝「人類と感染症の戦い-第5回"ポリオ"」(2010)。 原出典は、Godman AS et al:What was the cause of Franklin Delano Roosevelt's paralytic illness? Journal of Medical Biography. 11:232-240 2003• 2012年8月31日. 2012年9月1日閲覧。 [ ]• - 中央日報 2014年8月6日• 加藤茂孝「人類と感染症の戦い-第6回"ウエストナイルウイルス"」(2010)。 原出典は、JS Marr et al:Alexander the Great and West Nile Virus Encephalitis. Emerging infectious Diseases. 9 12 , 2003• 訳、より。 原出典は、「中国における日本住血吸虫症」 1995• 2011年7月30日閲覧• 『標準微生物学』中込治・神谷茂(編集)、医学書院、2015年2月15日、第12版、p. 498. ProMED-mail,2012-09-20 15:51:26• 15 May 2013 ,Global Alert and Response(GAR)• Word Health Organization. 2020年1月16日閲覧。 World Health Organization. 2020年1月16日閲覧。 WHO. 2020年1月27日閲覧。 このウイルスについて、日本のは単に「 新型コロナウイルス」と2020年1月時点で呼称している。 www. mhlw. 日本厚生労働省. 2020年1月27日閲覧。 2020年1月5日. 2020年1月7日時点のよりアーカイブ。 2020年1月6日閲覧。 26-56• 参考文献 [ ]• 『食品衛生』〈共立全書〉、1952年6月。 『プルターク英雄伝 9 - アレクサンドロス、カエサル、フオーキオーン、小カトー -』訳、〈〉、1956年5月。 『根絶-世界初のポリオ発生ゼロを実現したロマン・ドキュメント-』〈いるか叢書〉、1967年。 『川柳医療風俗史』、1972年。 ・・ほか「第10章 日本資本主義とアジア」『日本の歴史5』家永三郎(編)、〈ほるぷ教育体系〉、1977年11月。 「条約改正」『日本歴史大辞典第5巻 さ-し』日本歴史大辞典編集委員会(編)、、1979年11月。 『ペスト大流行——ヨーロッパ中世の崩壊』岩波書店〈〉、1983年3月。 『科学の事典 第3版』岩波書店辞典編集部(編)、岩波書店、1985年3月。 『疫病と世界史』訳、、1985年5月。 『明治ニュース事典第7巻(明治36年-明治40年)』(編)、毎日コミュニケーションズ、1986年1月。 「感染症」『世界大百科事典 第6(カヘナ-キス)』、1988年。 『エイズと生きる時代』岩波書店〈岩波新書〉、1993年3月。 『クロニック世界全史』・・・監修、、1994年11月。 「都市と衛生」『クロニック世界全史』樺山ほか監修、講談社、1994年11月。 「疾病と文明」『クロニック世界全史』樺山ほか監修、講談社、1994年11月。 福田眞人『結核の文化史ー近代日本における病のイメージ』名古屋大学出版会、1995年2月。。 『細菌の逆襲——ヒトと細菌の生存競争』中央公論社〈〉、1995年3月。 『ペストの文化誌-ヨーロッパの民衆文化と疫病-』〈〉、1995年8月。 ・村上陽一郎・ほか『疾病の時代』酒井シズ(編)、、1999年2月。 『銃・病原菌・鉄 (上)』訳、、2000年10月。 『日本の近代16 日本の内と外』中央公論社、2001年1月。 福田眞人『結核という文化ー病の比較文化史』(中公新書)中央公論新社、2001年11月。。 『ビジュアル・ワイド 江戸時代館』監修、小学館、2002年12月。 「エボラ出血熱」『日本大百科全書』(編)、小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。 「麻疹」『日本大百科全書』小学館(編)、小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。 「病の中国史-インデックスとしての疾病-」『世界史の研究 208号』、2006年8月。 『感染症と免疫のしくみ』、2007年7月。 福田眞人 『北里柴三郎ー熱と誠があれば』(ミネルヴァ日本評伝選)ミネルヴァ書房、2008年10月。。 ジョン・ケリー『黒死病 ペストの中世史』訳、、2008年11月。 ・『パンデミックとたたかう』岩波書店〈岩波文庫〉、2009年11月。 『骨から見た日本人 古病理学が語る歴史』講談社〈〉、2010年1月。 『ワクチンと薬の発見—牛痘から抗生物質へ—』訳、〈人がつなげる科学の歴史〉、2010年3月。 石坂尚武編訳 『イタリアの黒死病関係史料集』 刀水書房 2017年12月 関連項目 [ ].
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日本で感染症は平成10年10月2日に施行された「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」により予防や治療が定められ、感染症の分類されています。 また、伝染病・感染症の広がり方として「エンデミック(一定の地域での感染)」「エピデミック(エンデミックの範囲を越え急激に広がる感染)」 「パンデミック(多国間に渡って広がる感染)」「アウトブレイク(特定の地域の中で、感染症に感染した人間や動物の集団を指す言葉)」が有ります。 感染症・伝染病の種類一覧 名称 説明 一類感染症 エボラ出血熱 Ebola hemorrhagic fever エボラウイルスを病原体とする感染症で出血熱でもあります。 主にアフリカ中央部のスーダン、コンゴ民主共和国、ガボンなどで発生しています。 症状には発熱、頭痛、筋肉痛、腹痛、嘔吐、下痢などがあり、酷くなると口内、皮膚、消化器官などから出血が起こります。 エボラ出血熱には特効薬やワクチンなどは無く、効果的な治療法は現在確立されていません。 クリミア・コンゴ出血熱 Crimean- Congo hemorrhagicfever CCHF クリミア・コンゴウイルスを病原体とする感染症です。 クリミア・コンゴウイルスを持っているダニに噛まれたり、ウイルスに感染している家畜・動物や病人の体液に触れることで感染します。 症状には高熱、頭痛、結膜炎、下痢などがあり、酷くなると粘膜に紫斑が発生したり、肝機能障害などを伴う場合があります。 致死率は15~30%とされています。 治療法としては輸血や、抗ウイルス剤(リバビリン)の投与、抗生物質の投与があります。 痘そう(天然痘) smallpox, variola 天然痘ウイルスを病原体とする感染症です。 症状には高熱、頭痛、頭部や顔面の発疹が発生し、天然痘が進行すると発疹が内臓を含む全身に現れ、肺にも影響が現れ呼吸困難で死に至る場合もあります。 また、完治後も発疹の瘢痕(あばた)が残ることがあります。 天然痘は非常に強い感染力を持ち、飛沫感染や接触感染で人に感染します。 予防法にはワクチン(種痘)を接種することが有効で、対処法は鎮痛剤投与、水分補給、シドフォビル(ビスタイド)の注射などの対症療法があります。 なお、天然痘の自然感染は1977年を最後に報告されていないため、1980年5月8日にWHO(世界保健機関)は根絶宣言を行いました。 ペスト Bubonic Plague ペスト菌を病原体とする感染症で、ペストは種類にも寄りますが致死率が高い病気です。 症状には高熱があり、感染方法により、リンパ腺が冒される「腺ペスト」、菌が血液に入り敗血症を起こす「ペスト敗血症」、 肺に菌が入り込む「肺ペスト」、皮膚が感染し膿疱が出来る「皮膚ペスト」があります。 このうち「ペスト敗血症」は全身に黒いあざが出来るため「黒死病」とも呼ばれます。 ペスト菌クマネズミなどのげっ歯類に感染する病気で、感染したネズミの血を吸ったノミを介して人間に感染します。 予防法にはワクチンの接種があり、治療には抗生物質やストレプトマイシン、テトラサイクリン、サルファ剤の投与があります。 マールブルグ病 Marburg virus disease マールブルグ出血熱、マールブルグ病、ミドリザル出血熱とも呼ばれています。 マールブルグウイルスを原因とする感染症です。 過去にアフリカを中心に何度か散発的な発生をしていますが、感染力はそれほど強くないようで、爆発的に広まることは少ないようです。 マールブルグ病の症状には発熱、頭痛、嘔吐、下痢などがあり、重度になると吐血や下血が発生し死にいたる場合があります。 治療法はまだ確立されておらず、病状の緩和を目的とする対症療法のみとなっています。 ラッサ熱 Lassa fever ラッサウイルス原因とする感染症で、1969年にナイジェリアのラッサ村で発生したことから病名が付けられました。 毎年世界で10万人以上が感染し、5000人近くが死亡しているとされています。 症状には発熱、頭痛、関節痛、咽頭痛、吐血、下血、倦怠感などがあり、場合によってはショック死をしたり、後遺症として知覚神経マヒなどが発生します。 ラッサ熱に感染しても8割は軽症で回復しますが、2割は重症となり、1~2%の患者は死に至ります。 治療方法には抗ウイルス薬のリバビリンの注射が有効とされています。 南米出血熱 フニンウイルスが原因となるアルゼンチン出血熱、マチュポウイルスが原因となるボリビア出血熱、 グアナリトウイルスが原因となるベネズエラ出血熱、サビアウイルスが原因となるブラジル出血熱の総称です。 それぞれ中南米の地域で発生し、現地に生息するネズミなどのげっ歯類から感染します。 症状には発熱、筋肉痛、頭痛、リンパ腫の肥大などがあり、重度になると出血も発生し、場合によっては死にいたる事もあります。 二類感染症 急性灰白髄炎 ポリオ poliomyelitis、Polio ポリオウイルスが原因で発生する感染症です。 5歳以下の感染率が9割以上であるため脊髄性小児麻痺とも呼ばれますが、成人になってからも感染することがあります。 症状には発熱、頭痛、倦怠感、嘔吐、下痢などがあり、極まれに足や腕に弛緩性の麻痺が発生することがあり、これが呼吸器官のマヒに繋がり死にいたる場合があります。 感染した場合の効果的な治療法はありませんが、各種ポリオワクチンの接種で予防が可能です。 ポリオは世界を挙げて根絶を目指しており、現在もポリオが常在している国はインド、パキスタン、アフガニスタン、ナイジェリアの4カ国となっています。 ジフテリア Corynebacterium diphtheriae ジフテリア菌を原因とする感染症です。 症状の場所により、咽頭・扁桃ジフテリア、喉頭ジフテリア、鼻ジフテリア、 皮膚ジフテリア、 眼結膜ジフテリア、生殖器ジフテリア等と分類されます。 ジフテリアの症状には高い発熱、激しい咳、喉の痛み、嘔吐などがあり、場合によっては出血や、喉頭部の腫れなどにより呼吸困難や窒息死を引き起こす場合があります。 治療法にはペニシリン、エリスロマイシンなどの抗生物質の投与があり、予防法にはジフテリアトキソイドを含んだ三種混合ワクチンなどがあります。 重症急性呼吸器症候群 SARS(サーズ:Severe Acute Respiratory Syndrome)、新型肺炎 SARSウイルスを原因とする感染症です。 2002年7月もしくは11月に中華人民共和国広東省で発生し、2003年7月に鎮圧されるまで中国・香港・台湾・カナダ・シンガポール・アメリカなどで8000人以上が感染し、 770人余りが死亡しました。 重症急性呼吸器症候群の症状には38度以上の高熱、咳嗽、息ぎれ、呼吸困難、肺炎などがあります。 結核 Tuberculosis 結核菌を原因とする感染症です。 明治頃までの日本では労咳(ろうがい)と呼ばれ、日本人の多くが感染し国民病とも呼ばれていました。 結核菌は空気感染で伝染し、発症する器官により様々な症状を発生させ、場合によっては死にいたることもあります。 結核が発生する場所により、肺結核、結核性髄膜炎、結核性リンパ節炎、結核性心膜炎、結核性腹膜炎、腸結核、腎結核、副腎結核、 結核性卵管炎、筋骨格系の結核症、皮膚結核などがあります。 結核の予防方法にはBCGワクチンの接種があります。 三類感染症 腸管出血性大腸菌感染症 enterohemorrhagic Escherichia coli ベロ毒素や志賀毒素と呼ばれる毒を発生する大腸菌による感染症です。 腸管出血性大腸菌感染症を発生させる大腸菌にはO2、O4、O5、O18、O25、O26、O55、O74、O91、O103、O104、O105、O111、O113、O114、O115、O117、O118、O119、O121、O128、O143、O145、O153、O157、O161、O163、O165、O172などがあり、 中でもO157が有名で発生率も8割近くと非常に高くなっています。 症状にはかるい発熱、下痢、腹痛、血便などがあり、場合によっては合併症を引き起こし死にいたる場合もあります。 コレラ コレラ菌を病原体とする感染症で、日本ではO1血清型、O139血清型を原因とするものを主にコレラとして扱っています。 潜伏期間は通常2~3日で、症状としては下痢、低体温、血行障害、血圧低下、筋肉の痙攣、極度の脱水などにより死ぬことがあります。 また、脱水症状により皮膚が乾燥し、コレラ特有の「コレラ顔貌」という顔になります。 致死率は治療を行わない場合、アジア型コレラで75~80%、エルトール型で10%。 コレラに感染した場合は、極度の下痢と嘔吐による脱水を防ぐ為、電解質液(水にブドウ糖や塩化ナトリウムなどを溶解したもの)を与え、水分を補給させます。 コレラの感染は経口感染であるため飲食に注意し、特にコレラ感染者の排泄物や吐瀉物には注意が必要です。 2010年現在、7回の世界的流行(パンデミック)を起こし、日本でも江戸時代から大正時代頃まで、数度に渡って数万から数十万(資料によって数は様々)の死者を出しています。 細菌性赤痢 Shigellosis 赤痢菌を原因とする感染症で、血屎(ちくそ)とも呼ばれていました。 赤痢菌にはA群赤痢菌・志賀赤痢菌、B群赤痢菌・フレクスナー赤痢菌、C群赤痢菌・ボイド赤痢菌、D群赤痢菌・ソンネ赤痢菌の4種類があり、 細菌性赤痢の症状には下痢、発熱、血便、腹痛があります。 腸チフス Typhoid fever サルモネラの一種であるチフス菌を原因とする感染症です。 腸チフスの症状には発熱、腹痛、下痢、頭痛などがあり、重度になると40度近い高熱や水状の下痢、血便などになり、バラ疹と呼ばれるピンク色の発疹が発生します。 治療方法には抗菌剤の接種があり、予防にはワクチンの接種がありますが、日本では未承認となっています。 感染経路には感染者の便や生水を通して伝染する場合があります。 パラチフス サルモネラの一種であるチフス菌を原因とする感染症です。 パラチフスの症状は通常、腸チフスよりも軽いとされています。 四類感染症 E型肝炎 hepatitis E E型肝炎ウイルス(HEV)を原因とする感染症で、肝炎を引き起こします。 症状には腹痛、嘔吐、発熱、黄疸、肝臓の腫れなどがあります。 E型肝炎は自然消滅や自己治癒により治る事があり、致死率はそれほど高くありませんが、急性間肝疾患により死に至る場合もあります。 ウエストナイル熱 西ナイル熱 West Nile fever ウエストナイルウイルスを原因とする感染症です。 発症率は20%程度と低いですが、発症すると発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛などの症状が起こり、極まれにウエストナイル脳炎を発症する場合があります。 ウエストナイル脳炎は頭痛や、嘔吐、錯乱、マヒ等が起こり、場合にっては死にいたることも有ります。 ウエストナイルウイルスの感染経路は、菌を持つ鳥の血を吸った蚊に刺されることで感染します。 A型肝炎 Hepatitis A A型肝炎ウイルス(HAV)を原因とする感染症で、肝炎を引き起こします。 症状には発熱、下痢、腹痛、吐き気、嘔吐などがあり、急性肝炎を引き起こします。 エキノコックス症 エキノコックスと呼ばれる寄生虫を原因とする感染症です。 エキノコックスはキツネ・イヌ・ネコに感染し、感染した動物の糞等に混じったエキノコックスの卵を口に居れることで人間に感染します。 人間に感染すると肝臓に寄生し、腹痛、黄疸等の症状が発生し、その後は肺などに感染が移ります。 治療にはアルベンダゾールの服薬などがあります。 日本ではエキノコックスは北海道などに分布し、毎年約20人が感染します。 黄熱 黄熱病 yellow fever 黄熱ウイルスを原因とする感染症です。 黄熱の症状には発熱、頭痛、背部痛、虚脱、悪心、嘔吐などがあり、重度になると腎障害、出血、黄疸などがあり死に至ることもあります。 効果的な治療方法はありませんが、ワクチンを接種することで予防が可能です。 なお、野口英世は黄熱の研究中に自らも黄熱に感染し亡くなりました。 オウム病 psittacosis、parrot fever クラミジアの一種のオウム病クラミジアを原因とする感染症です。 主にオウム病に感染した鳥の排泄物や羽毛を吸い込むことで感染します。 なお、鳥以外の動物から感染することもあります。 オウム病の症状には、発熱、肺炎、気管支炎などを引き起こします。 予防のためのワクチンはありませんが、治療方法には各種抗生物質を投与する方法があります。 回帰熱 relapesing fever 真正細菌であるスピロヘータの一種ボレリアを原因とする感染症です。 回帰熱に感染すると、発熱と熱が下がる時期を繰り返す特徴があります。 症状には発熱、頭痛、筋肉痛、結膜炎、黄疸などがあり、肝炎や脳出血などを引き起こす場合もあります。 また、治療を行わないと肝不全や脳出血などで死に至る場合もあります。 感染源には菌を保持するシラミやダニなどがあり、治療方法には各種抗生物質の投与が効果的です。 Q熱 Query fever コクシエラ菌を原因とする感染症で、感染力が非常に強くコクシエラ菌を一つ吸い込んだだけでも感染する可能性があります。 症状には高熱、頭痛、悪寒、筋肉痛、咽頭痛などがあり肺炎や肝炎を引き起こす場合があります。 治療方法にはテトラサイクリンなどの抗菌薬の投与があります。 狂犬病 rabies 狂犬病ウイルスを原因とする感染症で、人間やイヌ以外の哺乳類も感染します。 症状には発熱、水を恐れる恐水症状、風を恐れる恐風症状、興奮、錯乱、マヒなどがあり、最終的には脳神経や筋肉の麻痺により呼吸困難などで死に至ります。 コクシジオイデス症 真菌の一種であるC. immitisを原因とする感染症です。 コクシジオイデス症の原因となる菌は、米国西南部、メキシコ西部、アルゼンチンの一部、ベネズエラの一部などの土中に分布しており、 コクシジオイデス症は古くから渓谷熱、砂漠リューマチ、砂漠熱などと呼ばれる風土病でした。 症状には発熱、腫瘍の形成、肺炎、髄膜炎などを引き起こし、場合によっては死に至ります。 サル痘 monkeypox サル痘ウイルスを原因とする感染症です。 腎症候性出血熱 hemorrhagic fever with renal syndrome(HFRS) ハンタウイルス属のウイルス(Hantaan virus、Dobrava virus、Seoul virus、Puumala virus、Prospect Hil、Sin Nombre virus)を原因とする感染症です。 症状には発熱、頭痛、腎不全、出血等があります。 炭疽 炭疽症 炭疽菌を原因とする感染症です。 感染源にはヒツジやヤギなどの家畜や野生動物があります。 炭疽症には以下の種類があります。 皮膚炭疽症 皮膚のキズから炭素菌が進入した状態で、発疹やカサブタができ、高熱が発生します。 致死率は10~20%とされています。 肺炭疽症 炭素菌が肺に吸入された状態で、高熱や咳などが出て呼吸困難を引き起こします。 腸炭疽症 炭素菌が口から混入した状態で、高熱、嘔吐、腹痛、下痢等を引き起こします。 致死率は25~50%とされています。 治療方法には抗生物質の投与などがあります。 つつが虫病 細菌の一種であるツツガムシリケッチアを原因とする感染症で、ダニの一種であるツツガムシが媒介となり 菌を持っているツツガムシに刺されることで感染します。 症状には高熱、発疹、リンパ節の腫脹等があり、場合によっては血の凝固や臓器不全で亡くなる場合があります。 つつが虫病には古典型ツツガムシ病(山形県・秋田県・新潟県などで発生した風土病で、アカツツガムシにより発症)と、 新型ツツガムシ病(タテツツガムシやフトゲツツガムシにより発症)があります。 デング熱 dengue fever デングウイルスを原因とする感染症で、菌を持つネッタイシマカやヒトスジシマカなどの蚊に刺されることで感染します。 症状には発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、腹痛、発疹などがあり、再感染した場合にはデング出血熱と呼ばれる症状になり顔の粘膜から出血を起こします。 鳥インフルエンザ A型インフルエンザウイルス原因とする感染症で、A型インフルエンザウイルスがニワトリ・ウズラ・七面鳥等に感染すると、 高病原性鳥インフルエンザと呼ばれる高い病原性をもたらすものになる場合があります。 鳥インフルエンザは通常鳥に感染しますが、感染者の状況や体質などにより人に感染する場合があります。 症状には発熱、呼吸器症状、下痢、多臓器不全等があり、場合によっては死にいたることもあります。 ニパウイルス感染症 ニパウイルスを原因とする感染症で、人間への感染源にはブタなどがあるとされています。 症状には発熱、頭痛、急性脳炎などがあり、死亡率は高く50%とされています。 日本紅斑熱 Japanese spotted fever Rickettsia属一種である日本紅斑熱リケッチアと呼ばれる菌を原因とする感染症です。 感染源は日本紅斑熱リケッチアを持つダニに刺されることで発症します。 主に日本の関東以西の地域で発生しています。 症状には発熱、発疹、頭痛などがあり、極まれに死に至ることもあります。 日本脳炎 Japanese encephalitis フラビウイルス属の一種である日本脳炎ウイルスを原因とする感染症です。 日本脳炎ウイルス持つコガタアカイエカに刺されることで発症します。 現在は日本脳炎ワクチンの予防注射により、感染者は年間数人となっています。 ハンタウイルス肺症候群 Hantavirus Pulmonary Syndrome(HPS) ハンタウイルスを原因とする感染症で、アメリカ大陸に生息するげっ歯類から感染します。 症状には発熱、筋肉痛、悪寒、嘔吐、下痢などがあり、場合によって肺水腫を引き起こし呼吸困難などになりショック死する場合があります。 Bウイルス病 Bウイルス(Bvirus、オナガザルヘルペスウイルス、サルヘルペスウイルス)を原因とする感染症で、アカゲザル等のサル類が感染源となっています。 症状には発熱、頭痛、筋肉痛、目眩、水泡の発生などがあり、全身の麻痺や肺虚脱(肺に空気が溜まること)などにより死亡することがあります。 ブルセラ症 マルタ熱 brucellosis ブルセラ属の細菌を原因とする感染症です。 様々な臓器や骨などに感染し、高熱、リンパ節の肥大、関節通、嘔吐、下痢、心内膜炎、髄膜炎などの症状を引き起こします。 治療法にはドキシサイクリン、ストレプトマイシン等の投与があります。 発疹チフス Rickettsia属の菌である発疹チフスリケッチアを原因とする感染症です。 発疹チフスリケッチアを持つコロモジラミに刺されることで感染します。 症状には発熱、頭痛、悪寒、脱力感、嘔気、嘔吐、発疹などがあり、重症の場合には幻覚、錯覚、興奮などの精神神経症状が現れます。 治療方法にはテトラサイクリン系抗菌薬の投与があります。 ボツリヌス症 クロストリジウム属の細菌であるボツリヌス菌にを原因とする感染症です。 ボツリヌス菌が作り出すボツリヌス毒素(ボツリヌストキシン)は非常に毒性が強く、致死量が0. 7〜0. 7~0. 9グラム)とされています。 ボツリヌス症はボツリヌス毒素を含んだものを食べることで発生し、症状には身体のマヒ、呼吸困難などを引き起こします。 マラリア 麻剌利亜 マラリア原虫を原因とする感染症で、マラリア原虫を持つハマダラカ等の蚊に刺されることで感染します。 症状には40度近い高熱、脳マラリア(マラリア原虫が赤血球に寄生する事で脳内の血管が詰まり神経症状が起こること)、 溶血(赤血球の破壊)などが起こり、場合によっては死に至ります。 治療方法には抗マラリア剤のニキーネ、クロロキン、メフロキン、ファンシダール、プリマキン等の投与があります。 野兎病 やとびょう、大原病 野兎病菌であるFrancisella tularensisを原因とする感染症です。 野ウサギと接触することで感染します。 症状には発熱、頭痛、悪寒、嘔吐、リンパ節の腫れ、かまれた部位の化膿などがあり、場合によっては敗血症などで死亡する場合もあります。 治療方法には抗生物質の投与があり、予防方法にはワクチンの摂取などがあります。 ライム病 ボレリア Lyme disease 真正細菌スピロヘータの一種であるボレリアを原因とする感染症です。 ボレリアを持つマダニに刺されることで感染します。 症状にはダニに刺された部分の腫れ、発熱、頭痛、筋肉痛、リンパ節の腫張、神経症状、心疾患、関節炎、筋肉炎などが発生します。 また感染してから数ヶ月から数年後に角膜炎、慢性関節炎、慢性脳脊髄炎などになる場合もあります。 リッサウイルス感染症 リッサウイルスが原因の感染症で、狂犬病以外のリッサウイルスによる感染症が含まれます。 感染源はリッサウイルスに感染したコウモリで、このコウモリに噛まれることで発症します。 症状には発熱、倦怠感、コウモリに噛まれた部位の痛みや痒み等があり、重度になると中枢神経に症状が出て死に至ることも有ります。 リッサウイルス感染症の効果的な治療方法は無く、一部のリッサウイルスは狂犬病ワクチンにより予防が可能です。 レジオネラ症 レジオネラ属に分類される細菌により引き起こされる感染症で、レジオネラ肺炎、ポンティアック熱などがあります。 ポンティアック熱の症状には発熱、悪寒、筋肉痛など。 レジオネラ肺炎には頭痛、高熱、胸痛などがあり、重度になると中枢神経系に症状が出て死に至ることもあります。 レプトスピラ症 Leptospirosis グラム陰性菌に感染することで発生する感染症で、人間以外にもほぼ全ての哺乳類に感染します。 レプトスピラ症には黄疸出血性レプトスピラ(ワイル病)、秋季レプトスピラ、イヌ型レプトスピラなどの種類があります。 中南米や東南アジアなどの熱帯と亜熱帯地域で発生し、症状には悪寒、発熱、頭痛などがあり、重度になると出血、黄疸、肝臓や腎臓の機能障害などが起こり、場合によっては死に至ることもあります。 治療方法には抗生物質の投与があり、予防方法にはワクチンの接種があります。 五類感染症 アメーバ赤痢 赤痢アメーバが原因の伝染病で、大腸に寄生した赤痢アメーバにより下痢、発熱、血便、腹痛などの細菌性赤痢とよく似た症状を引き起こします。 治療方法には抗菌薬のメトロニダゾール、抗生物質のテトラサイクリンなどの投与があります。 ウイルス性肝炎 肝炎ウイルスが原因で発生する肝臓の炎症で、ここでは四類感染症に指定されているA型肝炎及びE型肝炎を除いた、 B型肝炎(B型肝炎ウイルス)、C型肝炎(C型肝炎ウイルス)、D型肝炎(D型肝炎ウイルス)、F型肝炎(F型肝炎ウイルス)、G型肝炎(G型肝炎ウイルス)、TT型肝炎(TT型肝炎ウイルス)および、 サイトメガロウイルス・EBウイルス・単純ヘルペスウイルス・風疹ウイルス・麻疹ウイルス・パルボウイルス等のウイルスによる肝炎を指します。 急性脳炎 単純ヘルペスウイルス、ムンプスウイルス、アルボウイルス、エンテロウイルス、狂犬病ウイルス、アデノウイルス、麻疹ウイルス、インフルエンザウイルス 等が原因で発生する感染症です。 五類感染症に指定されている急性脳炎は、ウエストナイル脳炎、西部ウマ脳炎、ダニ媒介脳炎、東部ウマ脳炎、 日本脳炎、ベネズエラ脳炎、リフトバレー熱を除くものとされています。 症状には発熱、頭痛、嘔気、嘔吐などがあり、重度になると様々な精神症状は意識症状が発生します。 クリプトスポリジウム症 cryptosporidiosis クリプトスポリジウム属の単細胞生物の寄生が原因で発生する感染症で、腸などに障害が発生します。 感染者の便や、水、土などから感染します。 症状には下痢、腹痛、発熱などがあります。 クロイツフェルト・ヤコブ病 Creutzfeldt-Jakob disease(CJD) 異常プリオン(タンパク質から成る感染性因子)が脳内に入り込み中枢神経の変性疾患で脳機能障害を引きおこす感染症で、孤発性、医原性、遺伝性、変異型などの分類されます。 このうち感染症とされるのは医原性のクロイツフェルト・ヤコブ病で、異常プリオンに汚染された医療器具を使用したり、感染者からの角膜移植などで感染します。 そのためクロイツフェルト・ヤコブ病の感染者に接触しても病気が移ることはありません。 症状には認知症、視力低下、歩行障害などの脳機能障害で、発病すると1~2年で死に至ります。 劇症型溶血性レンサ球菌感染症 A群溶血性レンサ球菌を原因とする感染症で、「人食いバクテリア」などと呼ばれることもあります。 症状には全身の痛みや腫脹、発熱、血圧低下などがあり、発病から数十時間で組織の壊死、急性肝不全、多機能不全、成人型呼吸窮迫症候群、 血液の凝固などが起こりショック死に至ることがあります。 発病から重症の状態になるまでが非常に短時間という特徴があり、治療にはペニシリン系の薬の投与が効果的とされています。 エイズ(AIDS) 後天性免疫不全症候群 ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が免疫細胞に感染し、免疫不全を引き起こす感染症です。 後天性免疫不全症候群という名称よりイズ(AIDS)での呼ばれ方が一般的です。 感染経路には性交による性的感染、輸血・麻薬の回しうち・医療事故・汚染された血液製剤の使用などによる血液感染、出産時の母子感染があります。 ジアルジア症 giardiasis ランブル鞭毛虫が消化器官に寄生することを原因とする感染症です。 症状には下痢、腹痛、体重の減少、胃腸炎などがあります。 髄膜炎菌性髄膜炎 髄膜炎菌を原因とする感染症です。 症状には敗血症、発熱、粘膜や皮膚の出欠、関節炎、頭痛、髄膜炎などが現れます。 先天性風疹症候群 congenital rubella syndrome(CRS) 妊娠初期の妊婦が風疹ウイルスにより風疹に感染した場合、胎児に様々な影響や奇形をもたらす病気です。 胎児に起こる症状には心奇形、白内障や緑内障などの眼の異常、聴力障害、精神発達遅滞、 脳性まひ、低体重、糖尿病、間質性肺炎、血小板減少症などがあります。 梅毒 Syphilis、黴毒、瘡毒 梅毒トレポネーマを原因とする感染症で、性行為により感染するため性感染症にも分類されています。 梅毒の症状には陰部や口内へのシコリの発生、リンパ節の腫れ、発熱、赤い発疹、皮膚や筋肉や骨への腫瘍、臓器への腫瘍、神経や脳への障害などがあります。 治療方法にはペニシリン系の抗生物質の投与などが効果的です。 破傷風 Tetanus 破傷風菌を原因とする感染症です。 破傷風は破傷風菌が作り出す毒素テタノスパスミンによるもので、神経毒であるテタノスパスミンは脳や神経に作用し、筋肉のマヒや痙攣を引き起こします。 症状として、筋肉の硬直、全身の痙攣などがあり、痙攣発作などで死にいたる場合があります。 バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌感染症 抗生物質の一つであるバンコマイシンに対する耐性をもつ黄色ブドウ球菌を原因とする感染症です。 症状には、発熱、膿瘍、腹膜炎、敗血症などがあります。 バンコマイシン耐性腸球菌感染症 抗生物質の一つであるバンコマイシンに対する耐性をもつ腸球菌を原因とする感染症です。 症状には発熱や敗血症などがあります。 RSウイルス感染症 RNAウイルスの一種のRSウイルスを原因とする感染症です。 RSウイルス感染症の症状には発熱、鼻水、咳、気管支炎、肺炎などがあります。 咽頭結膜熱 プール熱 咽頭結膜炎 アデノウイルスを原因とする感染症で、プールの水で感染することから「プール熱」とも呼ばれています。 感染力は強く、口、鼻、目、喉の粘膜から感染します。 咽頭結膜熱の症状には40度近い高熱、結膜炎、扁桃腺炎などがあります。 インフルエンザ Influenza インフルエンザウイルスを原因とする感染症で、流行性感冒(流感)などとも呼ばれることがあります。 インフルエンザの症状には高熱、筋肉痛、頭痛、悪寒、咳、腹痛、嘔吐、下痢などがあり、合併症として肺炎やインフルエンザ脳症があります。 治療方法にはタミフル、リレンザ、ラピアクタ、イナビルなどの抗インフルエンザ薬の投与が効果的です。 予防方法にはインフルエンザワクチンの接種が効果的です。 A群溶血性レンサ球菌咽頭炎 溶連菌感染症 A群溶血性レンサ球菌を原因とする感染症です。 A群溶血性レンサ球菌は「溶連菌」とも呼ばれています。 症状には高熱、嘔吐、腹痛、喉の痛み、リンパ節や舌の腫れ(苺舌)、全身に赤い発疹などが起こります。 治療方法にはペニシリン系薬剤の投与が効果的です。 感染性胃腸炎 腸炎ビブリオ、病原性大腸菌、サルモネラ菌、カンピロバクター菌、ロタウイルス、腸管アデノウイルス、 ノロウイルス、アメーバ、クリプトスポリジウムやランブル鞭毛虫の寄生などが原因の感染症により発生する胃腸炎の総称です。 近年ではノロウイルスによる感染が増えています。 感染性胃腸炎の症状には発熱、下痢、悪心、嘔吐、腹痛などがあり、感染した菌・ウイルス・寄生虫により異なった症状が発生します。 急性出血性結膜炎 アポロ病 エンテロウイルス70やコクサッキーA24変異株が原因の感染症です。 アポロ11号が月から帰還した頃に世界的に大流行し、アポロ11号が月から持ち込んだ病気だというデマが広がったことで「アポロ病」とも呼ばれました。 急性出血性結膜炎の症状には結膜の炎症、目の痛み、頭痛、発熱などがあります。 クラミジア肺炎 オウム病クラミジアを除く、肺炎クラミジア、トラコーマ・クラミジアなどが原因で発生する感染症です。 症状には肺炎、発熱などがあります。 細菌性髄膜炎 化膿性髄膜炎 Bacterial meningitis 細菌感染により発生する中枢神経系の感染症で、原因となる菌には大腸菌、B群レンサ球菌、インフルエンザ桿菌b型、肺炎球菌、黄色ブドウ球菌、 リステリアなど年代や基礎疾患により様々な菌があります。 症状には発熱、頭痛、嘔吐、痙攣、意識障害などがあり、治療方法には抗菌薬や抗生物質の投与が効果的です。 水痘 水疱瘡 varicella ヘルペスウイルス科の水痘・帯状疱疹ウイルスを原因とする感染症で、水疱瘡(みずぼうそう)としても知られています。 一度水痘を発症するとその後は感染しても発症することは殆どありません。 水痘・帯状疱疹ウイルスは強い感染力を持ち、空気感染や飛沫感染により感染します。 症状には発熱、倦怠感、全身の発疹などがあり、水痘・帯状疱疹ワクチンを接種することで予防が可能です。 性器クラミジア感染症 クラミジアの1種であるクラミジア・トラコマチスが原因の感染症で、性交により感染するため性行為感染症に分類されています。 性交などにより膣などの性器、尿道、口などの粘膜に感染します。 症状には尿道からの膿、女性はおりものが増える事があります。 治療をせず放置することで、男性は前立腺炎・副睾丸炎・肝炎など、女性は子宮頚管炎・子宮内膜炎・卵管炎・不妊・流産・早産の原因などに繋がります。 また、クラミジアに感染していると他の性行為感染症に感染する可能性が高くなります。 治療方法には抗生物質や抗菌剤の投与が効果的です。 性器ヘルペスウイルス感染症 単純ヘルペスウイルスが原因となる感染症で、性交により感染するため性行為感染症にも分類されています。 ヘルペスウイルス感染症の症状には、性器周辺の水疱の発生やその周辺に痛みを生じます。 治療方法にはヘルペス剤の投与があります。 成人麻疹(はしか) measles、rubeola 麻疹ウイルスを原因とする感染症で、通称「はしか」として知られています。 通常はしかは子供が感染することが多いですが成人でも感染し、2007年には南関東の大学などで流行し約1650人の患者が発生しました。 尖圭コンジローマ ヒト乳頭腫ウイルス HPV が原因による感染症で、性交により感染するため性行為感染症にも分類されています。 尖圭コンジローマの症状には陰茎・亀頭・陰嚢・肛門・小陰唇・大陰唇・膣内・会陰部・大腿。 唇へのイボの発生があります。 なおイボは必ず発生するものではなく、イボが発生しても害は無い感染症です。。 手足口病 Hand,foot,and mouth disease(HFMD) コクサッキーウイルスA16・A4・5・9・10・B2・5、及びエンテロウイウルス71型が原因の感染症です。 手足口病の症状には手のひら・足の裏・口内や口の周りに水泡が発生します。 主に乳児や子供が感染しますが、成人になっても感染する場合があります。 伝染性紅斑 リンゴ病 ヒトパルボウイルスB19が原因となる感染症です。 伝染性紅斑の症状には発熱、頭痛、悪寒、筋肉痛等があり、感染後しばらくたつと身体に赤い斑紋が発生し、 頬がりんごのように赤くなるため「リンゴ病」とも呼ばれています。 突発性発疹は0歳から1歳の子供に発生し、40度近い高熱とや発疹が現れ、まれに熱性痙攣を起こすことがあります。 百日咳 whooping cough, Pertussis グラム陰性桿菌の百日咳菌またはパラ百日咳菌が原因の感染症です。 百日咳の症状には発熱や咳発作などがあります。 小児期に行う三種混合ワクチンの接種により予防することが出来ます。 風しん(風疹) Rubella、「三日はしか」とも呼ばれています。 風疹ウイルスによる感染症で、発熱、斑点の発生、頸部リンパ節の腫脹、発疹などがあります。 また妊娠初期の妊婦が風疹に感染すると、胎児に影響の発生する先天性風疹症候群を発症します。 ペニシリン耐性肺炎球菌感染症 penicillin-resistant Streptococcus pneumoniae(PRSP) 抗生物質であるペニシリンに耐性を持った肺炎球菌を原因とする感染症です。 症状には肺炎や敗血症、髄膜炎などがあります。 ヘルパンギーナ Herpangina エンテロウイルス属のA群コクサッキーウイルスなどが原因となる感染症です。 ヘルパンギーナの症状には発熱、口内に水泡の発生などがあります。 マイコプラズマ肺炎 Mycoplasma属の真性細菌を原因とする感染症です。 夏期オリンピックが発生した年に流行するため「オリンピック熱」とも呼ばれています。 マイコプラズマ肺炎の症状には、発熱、頭痛、発疹などがあり、咳、喉の痛み、気管、気管支、細気管支、肺胞など呼吸器官に影響を及ぼします。 麻しん(麻疹) はしか measles, rubeola 麻疹ウイルスを原因とする感染症で、空気感染・飛沫感染・接触感染と様々な感染経路を持ちます。 麻しんの症状には、高温の発熱、薄紅色の発疹、咳、鼻水、下痢などがあります。 また合併症として亜急性硬化性全脳炎やウイルス性脳炎、中耳炎、肺炎を引き起こすことがあります。 予防方法としては幼児期のワクチン予防接種があります。 無菌性髄膜炎 ウイルス性髄膜炎 細菌以外の、各種ウイルス、マイコプラズ、真菌、寄生虫などを原因とする髄膜炎で、 最も多い原因に主にエンテロウイルスがあります。 症状には発熱、頭痛、悪心、嘔吐などがあります。 症状には腸炎、敗血症、肺炎、下痢、肝機能障害など様々な感染症を引き起こします。 症状には骨髄、気道、尿路、皮膚、軟部組織、耳、眼などに様々な感染症を引き起こし、敗血症になる場合もあります。 流行性角結膜炎 はやり目 epidemic keratoconjunctivitis アデノウイルス8型・19型・37型などを原因とし、結膜炎と角膜炎を引き起こします。 プールなどで感染し、治療方法には抗菌剤の点眼などがあります。 流行性耳下腺炎 おたふく風邪 ムンプスウイルスが原因で起こる感染症で一般的には「おたふく風邪」と呼ばれています。 症状には耳下腺の膨張、発熱、頭痛などがあり、場合によっては髄膜炎、難聴、睾丸の肥大などがあります。 流行性耳下腺炎の効果的な治療方法はなく、予防方法には新三種混合ワクチン(MMRワクチン)の接種があります。 淋菌感染症 淋菌が原因で起こる感染症で、淋病として性病および性行為感染症にも認定されています。 感染原因には性行為、オーラルセックス、出産時の母子感染などがあります。 淋菌感染症の症状としては粘膜の炎症があり、咽頭炎、尿道円、子宮頚管炎などを引き起こします。 治療方法には抗生物質の投与を行います。
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()『』1493年、版画 「生」に対して圧倒的勝利をかちとった「死」が踊っているすがた — の「黒死病」の流行は全ヨーロッパに死の恐怖を引き起こした。 感染症の歴史(かんせんしょうのれきし)では、において、特に後世に、、に甚大な影響を与えたについて記述する。 は感染症の対策や治療の探求により発展してきた。 感染症は、や文化の接触と交流、の拡大、などによって規模が拡大していった。 病原微生物ないし(やといった、、、、、、)がやのからだやに侵入し、定着・増殖してをおこすとを破壊したり、病原体がを出したりしてからだに害をあたえると、一定のを経たのちにとなる。 これをという。 類義語としてがあるが、これは伝染性をもつ感染症をさしている。 また、伝染性をもつ感染症の流行を(はやり病)と呼んでいる。 感染症の歴史はの出現とそのの歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトのの大きな部分を占めてきた。 感染症や疫病に関する記録は、古代にあってはの『』にすでに四災厄のなかのひとつに数えられ、同時期のでもの威光は悪疫の年における厄病神に比較されている。 中国にあっても、におけるの刻されたからも疫病を占卜する文言が確認されている。 日本においてはには疫病の終息を願う神事が全国で行われていた。 レーウェンフック(1632-1723) にで活躍したはの地方における(ペスト)の流行において、・・への接触が発症の有無を左右していることを発見した。 これを受けて、(Ibn Khatima、 -? )は「感染症はがの体内に侵入することによって発症する」とのを打ち立てた。 この考えは、ので科学者のの著作『梅毒あるいはフランス病』()や『伝染病について』()により、期のヨーロッパにも広く受け入れられた。 フラカストロは伝染病のコンタギオン説(接触伝染説)を唱え、梅毒( Syphilis)やチフス( typhus)という病名の命名者となった。 病原体(病原微生物)について、それを人類が初めて見たのは、形態的にはのののによる細菌の観察だといわれる。 レーウェンフックのの改良により、細菌を肉眼で容易に観察できるようになった。 昔のを描いた旧の。 初期の感染症研究には顕微鏡の発達が不可欠であった。 に細菌を意味する " bacterium" が出現しており、病原体が現在のように判明してきたのは以降のことであって、のやのに負うところが大きい。 パスツールは、病気の中には病原体によって生じるものがあることを証明し、のワクチンを開発した。 そしてコッホは、、感染力のある病原体としての細菌であるを、光学顕微鏡を用いた観察によるものとして初めて発見し 、また、感染症の病原体を特定する際の指針として「」を提唱して近代感染症学の基礎となる科学的な考え方を打ち出した。 、、の3人はそれぞれ、やに有効なワクチンを開発し、後にそれぞれを地球上から根絶、もしくはほぼ制圧するために大きな一歩を踏み出した。 でも、がにを、はにを発見している。 なお、主な疫病菌の発見は以下の通りであり、19世紀後葉から20世紀初頭にかけての時期に集中している。 病名 発見年 病原菌発見者 () (フランス) 1880年 (ドイツ) (ドイツ) ロベルト・コッホ(ドイツ) ()(ドイツ) () ()(フランス)、(日本) (日本) ()(ドイツ) (フランス) (フランス) 光学顕微鏡では観察できない極小のウイルス virus の発見は、細菌よりも遅れ、ののによるの発見が最初であった。 フレミング(1881-1955) 細菌による感染症はに初のであるがイギリスのによって発見されるまで根本的な治療法はなく、による感染症に至っては患者自身の免疫に頼らざるを得ない部分が今なお大きい。 、ドイツのは初の広域合成抗菌薬であるを開発、発表した。 サルファ薬は生物由来ではないため、抗生物質とはされない。 抗生物質とサルファ薬の開発は、感染症治療に新しい地平を切り開いた。 抗生物質の普及やの義務化、の改善などによって感染症を過去の脅威とみなす風潮もみられたが、やによるの出現など、一時の楽観を覆すような新たな状況が生じている。 こうして感染症(伝染病)は長い間、人びとのあいだで大きな災厄ととらえられてきており、今なおその脅威は人類社会に大きな影を投げかけている。 災厄に対する人びとの対応は、歴史的・地域的にさまざまであったが、その一方で、人びとの行為・行動の背景となった疫病観、、、、の発達などを考察することにより、人類のや、のあり方への理解を深めることができる。 ペスト [ ] ヨーロッパにおけるペストの伝播(第二のパンデミック) はこれまでに3度にわたるをみている。 第1次は、6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」に始まって8世紀末までつづいたもの、第2次は、14世紀に猖獗をきわめた「黒死病」から17世紀末にかけてのもので、では19世紀半ばまでつづいた。 そして第3次は、19世紀末から20世紀中盤までつづくものである。 とりわけ第二のパンデミックである「 黒死病」は、正確な統計はないが全世界で8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後、イギリスやフランスでは過半数が死亡したと推定されている。 ペスト菌の存在がわからなかった時代には大流行のたびに原因が特定の人びとにおしつけられ、が行われたり、特にユダヤ教徒をとして迫害する事件が続発した。 主な大流行(リスト) 年代 場所 推定死者数 備考 1347—51 欧州・アジア・中東 2500万~7500万 1360—63 イギリス 700,000~800,000 1464—66 パリ 40,000 1471 イギリス 300,000~400,000 1479—80 イギリス 400,000~500,000 1576—77 ヴェネツィア 50,000 1596—99 スペイン・カスティリア地方 500,000 1603—11 ロンドン 43,000 1620—21 アルジェリア 30,000~50,000 1628—31 フランス 1,000,000 1629—31 イタリア 280,000 1647—52 スペイン南部 500,000 1654—55 ロシア 700,000 1656—57 ナポリ・ローマ 150,000 1665—66 ロンドン 70,000~100,000 1675—76 マルタ 11,300 1679—80 オーストリア 76,000 1681 プラハ 83,000 1689—90 バグダッド 150,000 1704—10 ポーランド 75,000 1709—13 バルト海沿岸 300,000~400,000 1720年代 マルセイユ 100,000 1738—40 ハンガリーなど 50,000 1770年代 モスクワ 75,000 1772 バグダッド 70,000 1791 エジプト 300,000 1813—14 マルタ 4,500 1829—35 バグダッド 12,000 ハンセン病 [ ] (1181・82-1226) 生前にフランチェスコを描いたといわれる肖像 いっぽう、にによって組織された「小さき兄弟の会」()は中部のに「らい村」を建設した。 そこでは、1つの共同自治が目指され、聖書の精神にもとづく救済がおこなわれた。 の東方遠征においては、ハンセン病に罹患した兵士を看護するためがで組織され、のらい院では患者の救済がおこなわれている。 なお、英邁で知られるの国王はハンセン病患者として知られる [ ]。 日本では、・にはこの病気は仏罰・神罰の現れたると考えられており、発症した者は身分に編入されるという不文律があった。 これにより、都市では重病者が各地のや奈良の、鎌倉のなどの施設に収容され、衣食住が供された。 北山十八間戸や極楽寺は、「非人救済」に尽力したらによって開かれた施設である [ ]。 戦国武将はハンセン病患者であったことが知られ、面体を白い頭巾で隠して戦場に臨んだことはよく知られる。 また、での自らに対するの振る舞いに吉継が感激し、では三成に味方をする決意をしたとされるエピソードも著名である。 には、発症すると、家族が患者をやの公祠などのへに旅立たせることが多かった。 このため、これらの地に患者が多く物乞をして定住することになった。 旅費がない場合は単に集団から追放され、死ぬまでをしながら付近の霊場巡礼をしたり、患者のみで集落をなしてなどによって生活した。 貧民の間に住むこともあり、その場合は差別は少なかった。 をはじめとする(こじきやと)はその一例である。 また、患者が漁にでるとがよく獲れるというが各地にあり、患者にはに携わる者も少なくなかった [ ]。 以降、近現代になると、そうした患者の寺社周辺などへの集住状態を解消すべくへの隔離政策が行われ、そのなかで「救らい」の名目で近世までとは異なった形での患者の迫害が生じた。 、らい菌の発見者であるノルウェーのが英文で初めて発表をおこない、そののち感染症としての感染力の弱さが明らかとなり、また、治療法が確立してからも患者や既に治癒して身体の変形などの後遺症を持つのみとなった元患者への強制隔離政策は続き、非人道的な人権侵害が行われた。 に、首相が公式に謝罪し、治療法確立後も強制隔離をつづけた国の責任を認めて元患者との和解がようやく成立した。 しかし、今もなお病気に対する正確なの欠如から、後遺症に対するに苦しむ人が多い。 コロンブス交換と梅毒 [ ] 1498年のメディカル・イラスト 梅毒の原因にはが関係すると考えられた。 すなわち、、、、、、、(嗜眠性脳炎)、、、、などが、ユーラシアとアフリカからへもたらされた。 免疫をもたなかったはこれらの伝染病によって激減した。 アメリカ大陸には、やをはじめとしてヨーロッパ各地から多くの植民者がわたったが、スペイン王室は植民者に先住民支配の信託を与え、征服者や入植者に対し、その功績や身分に応じて一定数のを割り当て、一定期間使役する権利を与えるとともに、彼らを保護してにさせることを義務づけた。 これがである。 まもなく先住民(インディオ)を使役してで金や銀を掘り出し、域ではの栽培が始まった。 どちらも現地の人びとのためではなく、ヨーロッパ大陸におけるのための生産であった。 先住民は、過酷な労働条件と感染症のために激減し、深刻な労働力不足に陥った。 これを補うため、ヨーロッパ人は黒人をアフリカ大陸に求めてがはじまった。 ここに西ヨーロッパ、西アフリカ、南北アメリカ大陸を結ぶ人とモノの貿易連鎖、いわゆるが成立し、をはさむ4大陸のあいだに大西洋経済とよばれるが形成されていった。 いっぽう、アメリカ大陸よりにもたらされた感染症には、である、として知られる、、黄熱( American strains)がある。 梅毒は、元来はの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。 アジアへはの一行が頃インドにもたらし、日本には9年()に中国よりを通じて伝わったとされ、江戸時代初期にはの次男も梅毒に罹患している。 日本で流行する前に、とくにそので大流行し、古くから花柳界にいる人の罹患率が高かったので、梅毒は「古血」と称され、また、では梅毒患者のことを「 ふるっちゅ」(古い人)と呼ぶようになった。 なお、梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のを通じてヨーロッパ各地に広がったため「 ナポリ病」と称することも多い。 「コロンブス交換」は、の歴史学者によって唱えられた用語である。 上述のように、それは、ヨーロッパとアメリカ大陸との相互の疫学的条件の均質化をうちに含んでいるが、これを、フランスのに属する歴史家は「細菌による世界の統一」という表現を用いて説明した。 ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、からにかけての(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民()の約8割が死亡したといわれる。 征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったというもある。 梅毒の治療薬としては、を唱えたドイツのとエールリヒの研究所で薬学実験を担当していた日本の医学者がに発見したというが有名であり、これは合成物質による世界最初の化学療法剤であった。 また、サルバルサンの発見は、のちのペニシリン(1929年)等や、(1935年)等のの発見をうながしたのである。 麻疹 [ ] 麻疹ウイルス は一般に はしかといわれ、によって感染する。 感染力はきわめて強く、高熱、咳、鼻水、全身性の発疹をともない、口中にと呼ばれる白い斑点ができる。 日本でも古くから知られ、平安時代以降の文献にしばしば登場する「あかもがさ」は麻疹であろうと考えられている。 からへの改元のあった(正暦6年、長徳元年)に全国的なとなってを直撃、貴族も多数死亡して政治に混乱をきたした。 古来ほとんどの人が一生に一度はかかる重症の伝染病として知られ、かつては「命定め」とよばれて恐れられたため、全国各地に麻疹に関するが伝わっている。 富山県では「はしか」が流行すると九紋龍の手形の紙をもらい、「九紋龍宅」と書いて門口に貼って病除けにした伝承がのこる。 神奈川県や、に点在する(左馬神社、佐婆神社とも)を一日で巡る「七さば巡り」をおこなうと「はしか」やの病除けになるといい、愛知県や三重県ではの貝殻を戸口につるして「はしか除け」をしたという。 江戸時代の庶民にとって、地震や火事とともに怖れられたのが感染症であったが、とくに疱瘡(天然痘)・麻疹(はしか)・水疱瘡()は「」と呼ばれて恐怖された。 WHO では2015年3月27日、日本を麻疹の「排除状態」にあると認定した。 「排除状態」は、日本に土着するウイルスによる感染が3年間確認されない場合に認定される(2014年の流行などは、日本国外から持ち込まれたウイルスのため、判断に影響していない) 天然痘 [ ] 詳細は「」、「」、「」、および「」を参照 天然痘は、有史以来、高い死亡率、治癒してもを残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症である。 痘瘡ともいい、による高熱、、があり、全身に発疹する。 すでに1万年前にはヒトの病気であったらしい。 天然痘で死亡したと確認されている最古の患者はののであり、の頭部に天然痘の痘庖があることを確認している。 彼はに死亡したとみられる。 の遠征中のローマ軍のなかで発生し、こののち内で流行したといわれる伝染病は、こんにちでは天然痘であると考えられており、これによりローマは深刻な兵力不足に陥って、国力衰亡の原因のひとつとなった。 天然痘は以来、アジア各地で流行している。 中国では、ジェンナー(後述)による(牛痘)が試みられる前から、発疹の瘡蓋(かさぶた)を用いた人痘がさかんにおこなわれていた。 にした際、このウイルスを持ち込み、とあいまって先住民人口が激減する不幸な事態となった。 は、がに600人弱の部下で数百万の民を擁するを軍事的に征服したのみならず、文化的、精神的にも征服しえたのは、コルテス一行が持ち込んだ天然痘ウイルスによってアステカ王国の首都で天然痘が猛威をふるっていたにもかかわらず、従来のアステカの事物はそれに対しまったく無力であったことに起因するとしている。 のによるの征服も、それに先だって中央アフリカから帝代のの領域にもたらされた天然痘による死者が膨大なものであり、人口の60パーセントから94パーセントを失ったことによるとされる。 にはインカ皇帝のや宮廷の臣下たちの大部分が天然痘がもとで死んでいるが、後継者とされたもまた天然痘で命を落としてしまった。 そのため王位をめぐる争いがとの異母兄弟のあいだで起こった。 ピサロは、そこに付け込んだのである。 両帝国とも、や、をもたない軍事的敗北の結果といわれるが、それ以前に天然痘が猖獗をきわめたことにともなう帝国側の戦闘力喪失が最大の要因であった。 17世紀前半には東部ので天然痘が流行している。 また、18世紀のでは、によりとしてインディアン殲滅を目的に使用された例がある。 また、では、英国軍をカナダに追いつめてカナダがアメリカ合衆国領となる事態までとなったが、このとき独立軍に天然痘が流行したといわれる。 なお、も11歳のとき天然痘にかかり、その痕跡がいくつもあったといわれている。 種痘法を確立したジェンナー(1749-1823) 、で発達したの人痘接種法がヨーロッパに伝わったが、これは天然痘それ自体の発病の危険をともなうものであった。 、自らも人痘接種を受けたことのあるイギリスの医師が牛痘にかかった者は人痘にもかからないという農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘を接種した。 これが世界におけるのさきがけであり、一種の人体実験でもあった。 ジェンナーは自身の幼い子どもにも予防接種をおこない、また、種痘の乾燥保存に成功した。 これ以降は種痘の普及に伴い急速に天然痘の流行は少なくなったが、ソ連の独裁者は顔にはっきりと痘痕が残っており、天然痘によるものとされている。 なお、アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のがいる。 天然痘は、に WHO 総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。 には西アフリカ全域から根絶され、翌に中央アフリカと南米から根絶された。 、の3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのとが流行地域として残ったが、、ソマリアのを最後に天然痘患者は報告されておらず、3年を経過したにWHOはを行った。 天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアの4の施設で厳重に管理されている。 天然痘は、ヒトに感染する物の中では、人類が根絶した唯一の感染症である。 ジェンナーの種痘 人びとは牛痘を人間に植え付けることに抵抗感をもち、普及には時間を要した。 日本でも、過去には定期的な大流行を起すことで知られていた。 年間にやを通じて侵入したと考えられる天然痘が西日本を中心に蔓延()し、(天平9年)、では政権を担当していたが相次いで死去した。 がを建立した背景にもや政治的混乱とならんで悪疫の流行があった。 摂関政治が隆盛期をむかえたにも大流行しての兄、、はともに天然痘のために死去したといわれる (ただし、前述のように麻疹とする説もある)。 また、百万遍に所在する(左京区田中門前町)は、京都に天然痘が大流行していた(元年)、の勅によりを行い疫病を治めたことから「百万遍」の寺号が下賜されたものである。 その後も歴史上の著名人物で天然痘に苦しんだ例は少なくない。 「独眼竜」の異名で知られる奥州の、が幼少期に右目を失明したのも天然痘によるものであった。 儒学者、「」のエピソードで知られるも天然痘による片目失明者であった。 に布教のため来日したのは、ヨーロッパに比して日本ではが多いことを指摘しているが、後天的な失明者の大部分は天然痘によるものと考えられる。 なお、江戸時代にあっては、疱瘡除けの神として、さかんにの肖像が描かれ、「疱瘡絵」(赤絵)と呼ばれた。 これは、八丈島に疱瘡(天然痘)が流行しなかったのは、この島に流された為朝が疱瘡神を押さえ込む力があったためと信じられていたためであった。 また、、、、は顔にあばたを残し、は両手の一部の指が大きくならず、結果的に小指より短くなるという障害を負った。 の急死は幕末の政局に大きな影響を及ぼしたが、これも天然痘によるものであったと記録されている。 天皇自身が当時かなり普及し始めていた種痘を嫌悪したために天然痘に対して無防備であったといわれているが、なお根強く暗殺説を唱える人もいる。 のは幼少時に発症しており、のちに種痘の普及による天然痘対策に尽力した。 これはやがて直轄のに発展し、のちの医学部の前身となった。 の患者を最後に、日本では天然痘は根絶されている。 コレラ [ ] "Le Petit Journal"(1912. 12) コレラを残忍な死神として描いている はによる感染症で、突然の高熱、嘔吐、、が起こり、その感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行(コレラ・)が発生し、2006年現在も第7期流行が継続している。 最も古いコレラの記録は頃のものである。 そののちの、のでもコレラと思われる悪疫の記録があるが、世界的大流行はに始まっている。 コレラの原発地は下流のの、およびにかけての地方と考えられる。 にで起こったコレラの流行はアジア全域とアフリカに達し、まで続いた。 その一部は日本にもおよび、のちに「文政コレラ」とよばれたものである。 経由か経由かは明らかでないが、から東方向へひろがりにまでおよんだ。 このときはより東には感染せず、での被害はなかった。 からまでの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。 以降、から、から、から、からと、計6回にわたるアジア型コレラの大流行があった。 この大流行の背景には、によって、など交通手段が格段に進歩し、また、をはじめ世界諸地域が経済的、政治的にたがいに深く結びつけられたことがある。 とはいえ、これほど短期間のうちに「」から「パンデミー(世界的流行病)」へと一挙に広がって人類共通の病気となった例はめずらしい。 、ドイツの哲学者はコレラ禍のためにで死去しており、にでコレラが流行した際には、辣腕政治家として知られた ()が死亡した。 このとき、パリでは毎日数百人もの人びとが罹病し、1,000人を越える患者が出る日もあった。 死亡率も高く、1日で800人もの人が命を失うこともあったという。 1832年4月、コレラが増えはじめたパリでは、だれかが毒を投げこんだという噂が飛びかい、毒殺犯人とみなされた人びとがにを受ける事件がおこっている。 この事件では数名が殺害されている。 コレラの流行したのヨーロッパでは至るところで毒殺説がささやかれ、なかには医師が疑われて殺害されたこともあった。 でもパリでも、病気はとに沿って広がり、ことに貧民街での被害が著しかった。 前半のコレラの流行は、19世紀初頭以来の急速な都市化の進んだ時期でもあり、ヨーロッパの大都市はどこも劣悪な衛生環境にあった。 コレラの猖獗によって、感染症は「人間の病」である以上に「社会の病」であることを多くの人が痛切に感じたのであり、そのなかから、社会の健康を考えるや上下水道の整備や道路拡幅なども取り込んだ近代的なという学問分野が生まれた。 また、イギリスの外科医はロンドンでのコレラ流行に際し、死亡者の生活状況をを用いてのという的な手法を用いて生活改善を提案し、これらの業績により「の父」と称される。 コレラ病棟(1892年、) 日本では2回目の世界的流行時には波及を免れたが、3回目の流行は再び日本におよび、が結ばれたから3年にわたって全国を席巻する大流行となった。 いわゆる「安政コレラ」で、検証には疑問が呈されているものの、江戸だけで10万人が死亡したといわれる。 このときの流行はからはじまり、江戸で大流行してにも広がった。 手当としては、と(からしでい)を用いるのがよいとされた。 2年()には、残留していたコレラ菌により再び大流行し、56万人の患者が出て、江戸では7万3000人が死亡した。 以後、に入っても2、3年間隔で万人単位の患者を出す流行が続き、、には死者が10万人台を数えた。 このうち、1879年の流行については、それに先だつから78年にかけてコレラの流行があったため、8月、各国官吏・も含めて共同会議で規則をつくったものの、のが、日本在住イギリス人はこの規則にしたがう必要なしと主張しており、翌79年の初夏にコレラが再びからに伝わり、などで大流行したものであり、この年、これに関連してが起こっている。 ヘスペリア号事件とは、西日本でのコレラ大流行を受けた日本当局が、1879年7月、ドイツヘスペリア号に対し検疫停船仮規則によって検疫を要求したところ、ドイツ船はそれを無視して出航、の護衛のもとへの入港を強行したという事件であり、このためコレラは関東地方でも流行して、この年だけで10万9000人の死者が出たというものである。 この事件は、国民のあいだに、を改正してを撤廃しなければの威信は保たれず、の安全やも守ることができないという認識を広める契機となり、要求の高まりをもたらした原因のひとつとなった。 日本がようやく海港検疫権を獲得するのは、に外相下でむすばれたなどの改正条約が発効したのことである。 なお、日本では、最初に発生した「文政コレラ」のときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭だったが、流行の晩期には商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、それが転訛した「コロリ」や、「虎列刺」「虎狼狸」などの当て字が広まっていった。 それまでの疫病とは違う高い死亡率、激しい症状から、「」「見急」「三日コロリ」などとも呼ばれた。 コッホ(1843-1910) にはの細菌学者によってが発見され、の発展、防疫体制の強化などとともに、アジア型コレラについては世界的流行は起こらなくなった。 ただし、アジア南部およびアジア東部においてはコレラの流行が繰り返され、中国では、、に大流行があり、インドではまでつづいて、いずれも万単位の死者を出すほどであった。 一方、エルトール型コレラはに(エジプト)ので発見された。 この流行はから始まり、を発端に、を中心に世界的な広がりをみせており、には南米ので大流行が発生したほか、先進諸国でも散発的な発生がみられた。 、日本でも、下で感染経路不明のエルトール型の集団発生が生じた。 また、に発見されたO139菌はインドとバングラデシュで流行している。 なお、1月初め、の首都から500キロメートル離れた積出港において、コレラの発生が確認された。 コレラの流行を防止するため、下水道の整備など大都市における政策が発達し、が普及し、体制が整備されて、その多くは現代にも引き継がれている。 また、科学的なも1854年のでのコレラ大流行において、が公衆の水が原因であると指摘したことがはじまりである(後述)。 コレラは反面、衛生的な近代都市の生みの親となったのである。 チフス [ ] かつらをかぶった(1689年) とはが媒介するによる感染症で、高熱、、が特徴である。 人口密集地域、不衛生な地域にみられ、冬期、または寒冷地での流行が顕著である。 、スペイン兵がから発疹チフスをもちこみ、ヨーロッパで流行し、にはで流行した。 17世紀以降、ヨーロッパの王侯貴族や裕福な中・上級市民の間で頭髪を丸刈りにしてをかぶるが大流行した背景にはシラミ予防の意味もあったという。 のの際にはで大流行し、大勢の死者を出した。 の発疹チフスの流行は、コレラとともに活発化の一因となり、各国は都市の改造や公衆衛生を徹底させるなどの都市政策をおこなった。 下のでは3000万人が罹患し、その1割にあたる人びとが死亡している。 また、による虐殺のための内でも大流行した。 フランスの細菌学者はの()において風土となっていた発疹チフスを研究し、病院に入院すると感染しない傾向がみられるから院内と院外の条件を比較して、患者の衣服に着目した。 ニコルはに発疹チフスの研究でを受賞している。 腸チフス・パラチフス [ ] 腸チフスやパラチフスは、のイタリアの数学者でもあり医者でもあったが発見者といわれているが、これはともにの一種であるチフス菌によるもので発疹チフスとは全く異なる条件下、異なる病原体が原因で起こるものであるが、症状が似ているため区別が遅れた。 にようやく両者の識別がなされて、別の疾患として扱われるようになった。 かつては「不治の病」「死の病」「」とされ、「 白いペスト」と呼ばれることもあった。 結核は太古より存在する病気として知られ、で出土したころの人骨に結核の痕跡が認められるものがあり、にはころの結核痕跡をともなう2体の人骨が沖で発見された。 また、ころののミイラには、骨の結核であるの認められる遺体がある。 末、で発見された前半の男性の骨から結核菌とのが見つかり、の時代のエルサレムの上流階級では結核がかなり流行していたことが確認された。 に発見された中国郊外のの1号墳に埋葬されたの女性のミイラからは結核病変を確認しており 、中国末の武将での英雄も死因は結核だといわれる。 また、に韓国南部の勒島(ヌクト)の遺跡から出土した若い女性の人骨の脊椎3か所にを発見した。 の音楽家で「ピアノの詩人」といわれたや『』で知られるも結核で亡くなっている。 日本における最古の結核症例は、に所在するのの発掘調査で検出した5,000体中の2点の脊椎カリエスの進行した人骨である。 の遺跡出土の人骨からは、結核痕跡が確認されていないので、現在のところ、における結核はアジア大陸から渡来した人びとによってもたらされたものと考えられる。 、は『』のなかで「胸の病」について書き記しており、の『』でもが胸の病を患い、が悲しむさまが描かれている。 のからは、のの(元弘の乱)の戦没者とみられる人骨が多数確認されているが 由比ヶ浜南遺跡の人骨は調査により合戦死のものではないことが判明している。 同項目参照。 合戦死と見られているのは稲村ケ崎の人骨 、このなかの1体よりカリエスにより変形したと結核菌DNAとを検出した。 50歳前後の男性と推定されている。 産業革命期イギリスの炭坑で働く少年労働者(18世紀) 結核は、後に「世界の工場」と呼ばれて繁栄したイギリスで大流行した。 最も繁栄を謳歌していたはずのころのでは5人に1人が結核で亡くなったといわれている。 当時のは賃金が低く抑えられていたうえに1日15時間もの長時間労働が一般的であった。 また、急激なへの人口集中によってが形成され、人びとは生活排水をなどのに投棄し、その川の水をして飲料水とするなど、生活環境も劣悪であった。 と栄養不足が重なり、抵抗力が弱まったことから結核菌が増殖し、非衛生的な都市環境がそれに拍車をかけたものと考えられる。 これは、一面では産業革命が各国へ拡大し、普及したことにともなってイギリス発で結核が広がることともなった。 初年、日本からイギリスへの留学生がそこで結核にかかり、学業半ばで帰国したり、亡くなったりするケースも多かったのである。 日本では、明治初期まで肺結核を称して労咳(癆痎、ろうがい)と呼んだ。 の、幕末の志士はともに肺結核のために病死した。 も結核を病み、喀血後、血を吐くまで鳴きつづけるというに自らをなぞらえて子規の号を用いた。 、、、、、、、、、、、、、、なども結核で亡くなっている。 ので振興に尽くしたの(28年)の死去も、死因は結核といわれている。 近代において、特に犠牲のひどかったのは、ではたらく女工であった。 の『』にみられるように、ここでも長時間労働や深夜業による過労と栄養不足、集団生活が大きな原因となっているが、工場内ではを保護するため湿度が高かったことも結核菌の増殖をおおいに助けることとなった。 日本で結核による死亡者が最も多かったのはであった。 このとき、人口10万人あたり257人が亡くなっており、1991年には人口10万人あたり2. 7人にまで低下したが長い間、日本人の「国民病」であった。 また、前は、され、狭い兵舎で集団生活を送る若い男性に結核が蔓延した。 からまでの15年間、日本の死亡原因の首位は結核であり、「亡国病」とも称された。 日本ではに須磨浦()に最初のが民間の手によって創設されたが、国立結核療養所官制の公布はようやくになってからのことで、それによってに最初の国立結核療養所として村松晴嵐荘(現在の)が営まれた。 セルマン・ワクスマン 結核については、の『』、堀辰雄の『』『』、の『』、の『』など結核患者やそれをめぐる人間関係、での生活などを題材、舞台にした小説も多い。 結核菌は、細菌学者ロベルト・コッホにより発見され、にはとワクスマン研究室の学生であったによるなどの抗生物質があらわれて 、結核は完治する病気となって、患者はいったん激減した。 しかし、近年、学校や老人関係施設、医療機関等での集団感染が増加しており、結核治療中の患者は日本だけで約27万人にのぼり、新たな結核患者が年間3万人も増加している。 世界保健機関 WHO の推計では世界人口60億人の3分の1にあたる20億人が結核菌に感染していると発表している。 これは、抗生物質の効かない耐性結核菌の発生によっており、「菌の逆襲」 とよばれることがある。 また、(AIDS)との結びつきが指摘され、「今や結核対策はAIDS対策でもある」 と考えられるにいたっている。 インフルエンザ [ ] スペイン風邪の患者でごった返すの(アメリカ合衆国・) の一種と考えられるは、、の兵士の間で流行しはじめ、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行()となり、感染者は6億人、死者は最終的には4000万人から5000万人におよんだ。 当時の世界人口は12億人程度と推定されるため、全人類の半数もの人びとがスペイン風邪に感染したことになる。 この値は、感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、もっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである。 死者数は、の死者をはるかにうわまわり、日本では当時の人口5500万人に対し39万人が死亡、アメリカでは50万人が死亡した。 詩人、社会学者、画家、劇作家、作曲家、革命家、音楽家が亡くなっており、日本でも、元の、の設計を担当した、劇作家の、夫人の、皇族の、軍人のなどの著名人がスペイン風邪で亡くなっている。 「黒死病」以来の歴史的疫病で、インフルエンザに対する免疫が弱い南方の島々では島民がほぼ全滅するケースもあった。 1918年の警察(アメリカ合衆国・) 全員、をしている。 流行の第1波は、1918年3月に米国付近で最初の流行があり、の第一次世界大戦参戦とともに大西洋をわたって、5月から6月にかけてヨーロッパで流行したものである。 第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、がさらに強まって重症なを起こし死者が急増した。 第3波は春から秋にかけてで、やはり世界的に流行した。 日本ではこの第3波が一番被害が大きかった。 の病原性については、にアメリカのが、ブタにおこるインフルエンザが、プファイファーの発見したインフルエンザ菌とウイルスとのによっておこることを確認し、に、イギリスのとたちが患者からインフルエンザウイルスを分離し、を用いた実験によって証明して、病原体論争はおさまった。 さらに、スペイン風邪の病原体の正体は、のから8月に発掘された4遺体から採取された肺組織検体からやがてウイルスが分離されたことによって、ようやく明らかとなった。 これにより、であったことと、ウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。 つまり、スペイン風邪は、それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったことが原因と考えられる。 したがって、当時の人びとにとっては全く新しい感染症()であり、スペイン風邪に対する免疫を持った人がきわめて稀であったことが、この大流行の原因だと考えられるようになったのである。 スペイン風邪におけるおもな死因は二次性の細菌性肺炎であったといわれる。 なお、アメリカ発であるにもかかわらず「スペイン風邪」と呼ばれたのは、当時は第一次世界大戦中であり、世界各国・各地域で諸情報が検閲を受けていたのに対し、は中立国であったため、主要な情報源がスペイン発となったためである。 一説には、スペイン風邪の大流行により第一次世界大戦終結が早まったともいわれている。 アジア風邪と香港風邪 [ ] 詳細は「」、「」、および「」を参照 の100年間でインフルエンザのパンデミックは3度あった。 上述のスペイン風邪、H2N2亜型ウイルスによるの 、H3N2亜型によるの である。 アジア風邪では、世界で200万人もの人びとが死亡した。 1957年の冬、中国のに発生し、中国全土に広がった。 中国の科学者はの分離に成功したが、当時、中国がWHOのインフルエンザ関係機関に加わっていなかったため、その情報が他の諸国に伝えられたのは、流行から2か月も経過してからであった。 このあいだアフリカや中南米に拡大し、欧米ではにはあまり広がらなかったがに入り、世界的に流行した。 日本での感染者は届出のあったものだけで98万3105人、死者は7,735人にのぼる。 香港風邪では、世界で100万人が死亡し、日本の死者は2,200人以上である。 H3N2亜型に属する新型ウイルスであった。 同時にH2N2亜型のものは姿を消した。 現在の季節性インフルエンザの原因の1つである。 その後、にはが(局地的流行)となった。 これまでパンデミックを起こしたインフルエンザウイルスは、いずれもに由来するものであり、しかも弱毒性のものであった。 今後、発生が心配されているのはの強毒性のものである。 世界保健機関 WHO の(イ・ジョンウク)元事務局長は「もはやが起こる可能性を議論する時期ではなく、時間の問題である」と述べており、、アメリカの大統領は、新型インフルエンザ対策を優先度の高い国家戦略とすると表明し、国際的な協力体制の構築を各国によびかけた。 2009年新型インフルエンザ [ ] 詳細は「」および「」を参照 21世紀にはいり、2009年にはがあった。 当初はおよびアメリカ合衆国での局地的流行であったが、2009年春頃から2010年3月にかけ、、のインフルエンザウイルスによるとして世界的に流行した。 WHOは2009年4月27日にフェーズ4を、2日後の4月29日にはフェーズ5を、6月11日にはフェーズ6を宣言した。 これは、21世紀に入って人類が経験するインフルエンザ・パンデミックの最初の事例となった。 日本では第6条第7項第1号において「新たに人から人に伝染する能力を有することとなったウイルスを病原体とするインフルエンザ」と規定され「」と命名されている。 ポリオ(急性灰白髄炎) [ ] 壁画にみられるポリオ ポリオは、に発症が多かったことから「小児麻痺(しょうにまひ)」の名でも知られ、日本での正式名称は「急性灰白髄炎」である。 ポリオの名称は、英語の poliomyelitis の前半部分(灰白部)に由来しており、である灰白部とに病変が生じるところからの名称である。 ポリオは、のを病原体とする感染症であり、の灰白質をおかすため、はじめの数日間はをひいたような症状があらわれるが、その後急にやがして動かなくなる病気である。 ポリオウイルスに感受性があるのはだけであり、はヒトだけである。 ポリオについても、その歴史は古く、(-)のに、片足が萎縮してをついた人物が刻されているが、これが症状からみてポリオであろうと推定されている。 日本では、の後期のから出土した女性人骨にポリオ痕跡の可能性が高い遺体が認められる が、日本へのポリオ流入は明治以降であるという有力な反論があり、定説には至っていない。 の貧しい家庭にとして生まれた ポリオの医学的な記載は、のの郊外の医師 ()によるものがはじめてであり、にはの ()によってポリオのでの流行について詳細な報告がなされたことより、ヨーロッパでは当初「ハイネ-メディン病」と称されたこともあった。 ポリオは、後半から前半にかけて諸国で大流行し、後は世界的に流行した。 ポリオウイルスに感染したとしても、後遺症として麻痺がのこるのは100分の1ないし1,000分の1といわれている。 は数多く、そのなかで麻痺がのこったのは不運なケースといえるが、その麻痺を克服して成人後に大きな業績を成し遂げた人も多い。 たとえば、委員長でありも経験した、の研究でのを受賞した、で女子短距離3種目(女子、、)でを獲得したなどが知られる。 日本では、、、後半から後半、(昭和26年)1月から6月にかけて、および(昭和35年)に流行している。 とくに1960年春の北海道にはじまった大流行では、全国で5,606人と日本史上最大の患者届出があった。 このとき、ワクチン接種を求める世論が大きな高まりをみせ、によるアメリカ製のか、製の弱毒のの投与しか解決のみえない状況となった。 効果においては生ワクチンの方が優れているが、当時の日本では生ワクチンの安全性は確認されておらず、国産の生ワクチンもなかった。 また、輸入するとしてものさなかにあってに属していた日本は乗り越えるべき課題も多かったのである。 そうしたなか、のは内の反対を抑えて「責任は大臣が持ちます」と宣言して(昭和36年)にソ連(および一部カナダ)からの緊急輸入が決定された。 、の()が生ワクチンを飲むすがたが放映された。 実は、このポリオ根絶の真の立役者はのちに日本社会党のとなったであったという。 NHK社会部の放送記者として活躍し、その後NHKのである日放労の委員長となった上田は、このときポリオ根絶をめざした「上田プラン」を唱えてNHKを動かし、厚生省を動かしたという。 生ワクチン輸入については、のちに監督の映画「われ一粒の麦なれど」の主題ともなっている。 日本では、こうして世界にさきがけて徹底した全国一斉投与(NID )をおこなって、それが実をむすんで患者数は(昭和38年)には100人以下に激減して、(昭和56年)以降は集団的なポリオの発生は確認されていない。 日本政府は(平成12年)にWHOに対し、ポリオ根絶を報告している。 車いす姿のF. ルーズベルト なお、ポリオ患者として有名であった人物に第32代のがいる。 にポリオに罹患したF. ルーズベルトはみずからの麻痺症状の治療のために、にのに土地を購入して別宅を建てた。 しばしば同地に滞在したため、別宅は「リトルホワイトハウス」と呼ばれ、4月にそこで死去している。 ルーズベルトは、みずからの障害体験から障害者支援には積極的で、大統領就任後、ポリオ対策のために国立小児麻痺財団( the National Foundation for Infantile Paralysis) を設立して活動をおこない、ワームスプリングスには彼の死後、ルーズベルトポリオ病院が建てられた。 ただ、かれ自身は日常生活においてを用いていたものの、その姿をにみられるのを嫌い、車いす姿の写真も2枚しか残っていない。 また、メディア側もあえてそのことを報道しなかったため、当時のアメリカ国民は大統領に麻痺があったことはほとんど知らなかったという。 ルーズベルトは実はポリオではなく、神経疾患であるであったという記事がアメリカ合衆国の医学情報誌に報告された。 それによれば、39歳という壮年に達してから発症したことや、彼の症状8項目のうちの6項目がギランバレー症候群に特徴的な症状を示し、ポリオを示す症状は2項目にすぎなかったことから、ギランバレー症候群であった可能性が高いということである。 ワームスプリングスのポリオ病院も、こんにちでは施設に変わっている。 近年、日本ではポリオ感染による障害者の数が増加し、深刻な問題となっている。 生ワクチンの投与は、上述のように、大流行時の緊急使用には際だった効果を有した実績があるものの、このワクチンによる免疫獲得率の低い世代が親になったこんにち、生ワクチンがむしろ小児麻痺の主な原因となっており、生ワクチンに使用されたウイルスが強毒化する事態も発生している。 被害者からは医療行政への抗議とともに不活化ワクチンへの切り替えを求める声が出ており、、の薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会が開催され、承認申請が行われている不活化ワクチンのうち1種については製造・販売を行なっても問題ないとの結論が出て、同年9月1日よりポリオの定期接種は生ワクチンから不活化ワクチンに切り替えられた。 エボラ出血熱 [ ] にで流行した際のに収容された患者 は、6月ののヌザラ(Nzara)という町で倉庫番を仕事にしていた男性が急に39度の高熱と頭や腹部に痛みを感じて入院、その後、やから激しく出血して死亡したことを最初の確認例とするである。 そののち、その男性の近くにいた2人も同様に発症して、これを発端に血液や医療器具、を通して感染が広がった。 最終的にヌザラでの被害は、感染者数284人、死亡者数151人というものだった。 この最初の男性は、ザイール(現)の付近の出身で、森に深く入って炭焼き小屋に長く生活したことがあり、病原菌との関係が考えられるため、この病気を引き起こしたウイルスの名前を「エボラウイルス」と名づけ、病気も「エボラ出血熱」と名づけられた。 症状は全身の出血のほか、臓器のもある。 その後エボラ出血熱はアフリカ大陸で10数回にわたって突発的に発生・流行しており、感染したときの致死率は50パーセントから89パーセントの範囲にあって非常に高く、また有効な治療法もないことから非常に怖れられている。 ただし、のため、患者の血液に触れなければはおこらず、アフリカにおいては病院のや看護者を通じて感染が広がったものである。 この感染症は、熱帯雨林の開発によって人が新たな病原体に遭遇したもので、ガボンではから感染したといわれているが、ウイルスの自然宿主はまだわかっていない。 12月、の医学チームは、感染するが発病していないというを発見しており、宿主の可能性を報告した。 エボラ出血熱は2014年7月以降、、、など西アフリカ諸国で大流行し、死者は1,000名を超えた。 8月上旬には、この感染症の治療にあたった医療チームの外国人医師も感染した。 医療チームの米国人2名に対して投与された実験用の抗体治療剤「」に効果がみられたことから、この未承認薬の患者への投与承認を求める申請がWHOになされた。 また、この治療剤はアフリカ人医師にも投薬された。 一方、フランスでは、リベリアで医療活動中に感染して帰国した女性看護師に、日本のが開発したインフルエンザ治療薬・ファビピラビル(販売名・アビガン錠)が9月から投与され、快方に向かっていることが分かった。 この治療薬は、エボラ出血熱に対する承認は得ておらず、エボラ出血熱の患者への投与は初めてだった。 エイズ [ ] 6月にアメリカのに住む男性4人に初めて発見され症例報告された新興感染症である。 ただし、これはエイズと正式に認定できる初めての例で、疑わしい症例はすでにから報告されており、中部アフリカ各地などで「痩せ病」( slimming disease)という疾患群が報告されていた。 7月、この病気はAIDS(後天性免疫不全症候群)と名づけられ、にはが発見された。 1981年の症例報告後、わずか10年程度で感染者は世界中で100万人にまで広がった。 日本では、(昭和61年)の事件、(昭和62年)の事件・事件など「エイズ・パニック」と称される一連のパニックが引き起こされた。 これは、行政当局や医療機関のあり方に問題がなかったわけではなかったが、むしろパニックに仕立て上げていったのはマスメディアであった。 アメリカでエイズが広がり始めた当初、原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて感染者に同性愛者や常習者が多かったことから、感染者に対して社会的なが持たれることも多かった。 アメリカは、「エイズ・パニック」を体験した最初の国であった。 現在は、病原体として(HIV)が同定され、による感染や時のも起こりうることが広く知られるようになった。 しかし、未だこの病気に対する知識の不足から来るや偏見がみられる。 日本では、おもにの患者に対して非加熱製剤を治療に使用したことから、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生むをひきおこし、大きな社会問題となった。 それ以外でHIVに感染する可能性は、HIV感染者とのであるため、相手がHIVに感染していないことが確実でなければ性行為をおこなわないか、あるいはを用いて感染の可能性をなくすことが大切である。 また、早期に治療を開始するためには、が必要である。 エイズは、アメリカをはじめ世界各地で患者や感染者が増加しており、現代医療の大きな課題といえる。 各国でエイズ予防キャンペーンが繰り広げられている。 マラリア [ ] 蚊帳 の中での一部の種だけが病原体を媒介する。 のハマダラカが感染者の血液を吸い、別の人を刺すことによって広がる。 効果的なワクチンはないが、で治療できる。 においては、現在、エイズ、結核と並ぶ3大感染症のひとつであり、や聴覚を失うなどの後遺症で悩む人も少なくない。 感染者は毎年3. 5億人から5億人にかけてと推測され、アフリカでは子どもの主要な死因のひとつになっている。 3月にに流れた情報によると、、、にまたがる最大の湖は、年々水位が下がっており、係留していたと思われるが陸に上がってしまったり、湖岸であった箇所には幅10メートルないし20メートルの草地が続いていたという。 などの観測データは、ヴィクトリア湖の水位がピークのにくらべ1. 5メートルも低下しており、1990年代の平均と比べても約50センチメートル低くなっていると伝えている。 その原因としては、の減少と下流にあるへの過剰な流出が考えられている。 干上がりかけた水たまりにハマダラカのボウフラ(カの幼虫)が泳ぐなど蚊の繁殖に好適な水域が広がり、従来はマラリアが非流行地だったケニア西部のにも多発する傾向が顕著となっている。 また、の影響でハマダラカが越冬できる地域が広がったことにより、感染地域が広がる危険性についても指摘されている。 日本もマラリア対策に協力しているが、そのひとつに伝統的なづくりがある。 ウエストナイル熱・ウエストナイル脳炎と日本脳炎 [ ] の病原体であるは、に属し、その1属である狭義のは、(DEN)、(JE)、(TBE)、(YFV)の4グループに分類され、そのうち、日本脳炎ウイルスのグループを構成するのは西ナイルウイルス(WN)、(SLE)、(MVE)、(KUN)、そして狭義の日本脳炎ウイルス(JE)の5ウイルスである。 ウエストナイル脳炎 [ ] ウエストナイル脳炎の発生と前後して大量死が確認された( Corvus brachyrhynchos) 西ナイルウイルスは、その名のとおり西ナイル地方(の西)で見つかった。 19世紀末、イギリス領()南部の西岸地域を西ナイル地方と呼んでいたが、この地方は一時期に属し、にはイギリス領に編入されて西ナイル州とされた。 西ナイルウイルスは、、の研究者がウガンダの西ナイル州の女性の熱病患者から単離したウイルスである。 従来、日本脳炎ウイルスグループにおいては、世界地図上でのみごとな地理的棲み分けがなされていた。 狭義の日本脳炎ウイルスがインド以東の・、マレーヴァレーウイルスが一部の東南アジア、クンジンウイルスが、セントルイス脳炎ウイルスが、そして西ナイルウイルスが発見地のほか、、、、、の各地である。 で西ナイルウイルスへの警告を呼びかける(、) このような地理的棲み分けに対し、異変が生じたのは、のことであった。 内の病院のが2例の患者症例を報告し、その後、市保健局の調べによって他に6例の脳炎患者をクイーンズ区内で確認した。 ヒトにおける脳炎の流行に相前後して、ニューヨークでは大量のが死亡していた。 から9日にかけては(ニューヨーク市)で2羽のと、とそれぞれ1羽の死亡が確認された。 当初、ヒトやの死亡はセントルイス脳炎ウイルスによるものと診断された。 しかし、その後、(CDC)の調べで、ヒト、トリ、より分離されたウイルスは西ナイルウイルスであることが判明した。 従来、西ナイルウイルスはアメリカ大陸にはまったく存在しないと思われていたので、この事実は米国全土に衝撃をあたえた。 以後、2010年現在までアメリカ全土で西ナイルウイルスが見つかっている。 このウイルスを病原体とする・の最多患者数を記録したには、合衆国だけで患者9,862人、死亡264人が報告されており、この年はさらに隣接する、両国への広がりも確認された。 媒介する蚊は、などの仲間を中心に13種(にはさらに増加して60余種)、である鳥類ではカラス、、、、など220種以上におよぶから西ナイルウイルスが分離された。 でふれたように、従来、にので死去したの(大王)は、そのという症状やからの帰還での死という地理的要素から、古来、死因はであると考えられてきた。 しかし、、アレクサンドロスの死は西ナイルウイルスによるではなかったかという学説が登場した。 その根拠は、古代のバビロンが現代の西ナイルウイルスの流行する分布域に属していることのほか、からにかけて活躍した著述家の『』(「プルターク英雄伝」) のなかの以下のような記述である。 アレクサンドロスがバビュローンに入ろうとしている時に、(中略) 城壁のところまで行くと、多くのカラスが喧嘩をして互いにつつきあい、その内幾羽かが大王の足元に落ちた。 公的な記録によれば、アレクサンドロス大王は高熱を発してずっと熱が下がらず、そのあいだ激しくが渇いてを飲み、うわごとがはじまって、発熱後10日目に亡くなったといわれる。 これらの症状は、ウエストナイル熱やウエストナイル脳炎の症状と矛盾しない。 動物媒介性の感染症の新たな出現や伝播は、やによるや文物の大量移動を基礎として、たとえば・やなどによって媒介動物である蚊の生息条件が変化して分布域が変動・拡散し、また、その宿主の生息域が変動するなどの事象によっており、「感染症の生態学」と呼ぶべきひとつの研究領域が成り立つような条件を生じさせているが、他方では、アレクサンドロスの死因のように、過去にさかのぼって史実の解釈さえ再検討の俎上に乗せる可能性を有しているのである。 日本脳炎 [ ] 詳細は「」を参照 ( Japanese encephalitis)は、日本脳炎ウイルスによるであり、日本や東アジア、東南アジアを分布域とする。 感染者の発症率は0. 1パーセントから1パーセントと推定されており、そのほとんどがである。 日本でのは主としてといわれるが、地域では他の蚊も媒介する。 潜伏期は6日ないし16日間とされ、高熱を発して、や意識障害におちいる。 発症してからはにたよるしかない。 発症した場合の致死率は10ないし20パーセント程度と推定されるが、発症者の半数以上はにダメージを受け、脳障害や身体のなどの重篤ながのこる。 (昭和29年)、日本ではの勧奨接種が開始され、(昭和40年)には高度精製ワクチンの使用がはじまった。 日本での患者は、(昭和42年)からにかけての積極的ワクチンの接種によって、劇的に減少したといわれている。 日本住血吸虫症 [ ] 日本住血吸虫卵 日本住血吸虫症は、・・等でみられるの一種で、(オンコメラニア)というをとして成長した()が経皮感染によってヒトや、などに感染することによって発生する感染症である。 日本では特に下で「」と称されて地域特有の奇病と見なされ、古くから底部一帯が国内最大の罹病地域として知られてきた。 にがでこの寄生虫を発見し、にと鈴木稔がにおいて、寄生虫の中間宿主がオンコメラニアであることを発見したため、病名に「日本」の名が付されることとなった。 中国の代の墳墓であるのから日本住血吸虫の生活痕跡を検出したことから、中国において、この感染症の流行はきわめて古くからのものであることが確かめられている。 中国では、初頭、をふくむ流域や、、など広汎な地域で日本住血吸虫症の流行が顕在化し、患者数は約3200万人にのぼったと推定される。 では、建国以来、大衆動員によって古いを埋め立て、新しいクリークを開削する方法によってオンコメラニア対策が採られ、には、での成功にちなんで、当時のの指導者は「(瘟神を送る)」と題するをつくっている。 日本住血吸虫症は、こんにちでも中国やフィリピンを中心に年間数千人以上の新規感染患者が発生しているが、日本ではに発生した山梨県の罹患者を最後に新規感染者が確認されておらず、にはのによって「地方病終息宣言」が出された。 コロナウイルス [ ] SARS 2002-2004年 [ ] のSARS治療医院(2004年) 20世紀にはいると、次々と新しいウイルスが登場したが、 通称SARSウイルス はに見つかったウイルスであり、それによる感染症は SARS と呼ばれる。 高熱、、息切れ、、低酸素血症あるいはなどの症状をともなう。 にので40歳代の農協職員が発症した例が最初とされたが、呼吸病研究所は最初の患者は7月にさかのぼると発表している。 11月の発症後、中国政府はこの疾患が広まらないよう対処するいっぽう、世界保健機関 WHO にこの情報を知らせたのは2月であり、自国の名誉と信用をまもるためを規制した。 秘密にした結果、国際的な対応が遅れ、被害を拡大させてしまったため、中国政府はのちにこのことを謝罪している。 2003年4月3日、日本政府はSARSを新感染症として取り扱うことを発表、さらに4月17日、原因が判明したため指定感染症へ切り換える方針を発表した。 4月上旬、SARSが大問題としてで取り扱われている頃、中国政府の公式方針は変わったが、の軍病院で実際の患者数より少なく発表していたのが判明したのもこの頃である。 国際世論の強い圧力ののち、中国政府はWHOなどのがこの件に関する調査をおこなうことに同意した。 これにより、過度の分散、形式主義、コミュニケーションの不足など、中国医療制度の古い体質が暴かれた。 4月下旬、中国政府は患者数のごまかしが医療制度上の問題であることを認め、博士は中国政府のもみ消しを暴露した。 こののち、北京市長や保険局長を含む多くの人が解任され、ようやくSARS調査と予防に向けた効率的で透明なシステムがつくられるようになった。 2003年7月5日にWHOはSARS封じ込め成功を発表した。 MERS 2012年- [ ] ジョン・スノウの調査結果 コレラによる死者(黒点)の分布から規則的なパターンが読み取れる。 スノウはコレラの原因がブロード街の中央にある手押し式の井戸であると判断した。 最終的には、手押し井戸のポンプのレバーを取り外すことでコレラが収束した。 後年の調査によると、肥料に用いるために備え付けられていた汚水溜めに1854年8月末の最初の患者の糞便が混入したこと、汚水溜めと問題の井戸が90センチメートルしか離れていなかったことが判明した。 の起源は古く、都市の起こりによって汚染水や塵芥の処理がなされないまま放置されると伝染病が発生することが、いわゆる「」(説)として知られていた。 古代に起源をもつの多くは、日常の食物や・性的関係の制限、清浄さの維持など、健康のための習慣づけを規範や教義として内包していることが少なくない。 古代ローマでは、適切な汚物の排出は都市における公衆衛生の常識として理解されていた。 また、ヨーロッパで黒死病が流行した14世紀には、死体を遠ざけておくことが感染を遠ざけると信じられた。 近代的な公衆衛生の概念は、19世紀のヨーロッパにおいて、産業革命後の急激な都市化にともなう住環境の悪化などが感染症の蔓延と結びついているものと考えられ、それに対応していくなかで発展してきた。 また、科学的なはのでのコレラ大流行において、公衆の水が原因であるとジョン・スノウが発見したことを嚆矢としている。 スノウは当時主流であった瘴気説に対抗してを説いた。 コレラはの不足によって生じると考えた従来の瘴気説では、コレラの流行は自然発生的なものと考えられ、臭気が疫病をもたらすとされていた。 しかしスノウは、同じ流行地域でも罹患者の分布は斑状に分散していること等の知見に注目して空気感染説に疑問を持ち、「汚染された水を飲むとコレラになる」という「仮説」を立てた。 スノウは、患者が多数発生した地区で発生状況の精査をおこなったうえ、ある井戸が汚染源と推測、あてはまらない事例についても調査をおこなった。 当時、ロンドンの水道会社はから取水していたが、当時のテムズ川は汚濁がひどく衛生的とはいえなかった。 スノウは患者発生マップと各水道会社の給水地域との比較照合を行い、特定の水道会社の給水地域においてコレラ患者が多発していることを突き止めた。 同社の取水口は投棄の影響を受ける位置にあったのである。 最終的に、行政当局がこの結果にもとづき、問題の井戸を閉鎖したことにより流行の蔓延を抑えることができた。 19世紀前半までのパリもまた悪臭に満ちた不衛生な都市であった。 の時代、を管轄するの県知事となったは、皇帝の命を受けて、首都の「美化」を主眼とするをおこなったが、同時に見えない部分に対しても「浄化と衛生化」のための都市改造をおこなった。 オスマンは、主要な道路を拡幅し、水については、遠隔地から水源水を導いて配給して各戸給水を目指し、また、式の網を首都の地下に張り巡らせた。 ウジェーヌ・ルネ・プベル 、パリではチフスが大流行して3,352人の命が奪われ、また、から84年にかけては約50年ぶりにコレラが再びパリで流行し、にはコレラによる死亡者が986人に達した。 この頃、共和派のセーヌ県知事として就任したのが、である。 プベルは赴任1ヶ月後の1883年11月、知事令により(製の箱ないし)の使用を義務づけた。 県知事令は全11か条で、ゴミ箱の形状や容量はもとより、設置場所をも細かく規定したものであった。 同様のは1884年3月にも発布され、これらにより、市民にはゴミの分別が義務づけられ、また、出されたゴミは当局が回収していくしくみが制度化された。 従来の、にを流して路上の塵芥を一掃する方式に加え、ゴミ箱を徹底的に利用する方式は大きな効果を挙げ、パリのゴミ処理問題は長足の進歩を遂げた。 プベルによってパリ市民にもたらされた新しいはなどのマスメディアからも支持された。 こうして、不衛生都市パリの汚名は返上され、衛生的な都市として生まれ変わった。 の「プベル( poubelle)」は「ゴミ箱」を指すとして現在定着している。 しかし、ゴミ箱方式は、分別や管理にともなうを節減したいや、生活への脅威を感じた的な業者やからの抵抗を受けている。 の「パリ大悪臭」とそれにつづく感染症の大流行は、一方では下水道の大幅な改造をもたらした。 プベルらが進めようとすると糞尿、水、などを一緒に排水するトゥ・タ・レグ(すべてを下水へ)の方式には、多くの根強い反対論があり、その採用に至るまでには紆余曲折があった。 とくに、ジョルジュ・オスマンは自らの傑作である回廊式下水道を糞尿で汚染されることに強い嫌悪感を示したといわれている。 しかし、コレラが再び流行し、このことは、建物を直接に接続させた際に生ずる費用を家主や管理者が負担するの条例の発布につながった。 こうして、全廃水下水道放流方式すなわちトゥ・タ・レグ方式の下水道システムが整備されたのである。 日本では、明治の以降の近代的な「公衆衛生」に相当する概念として、当時医学の諸制度はドイツを手本としていたため、の Hygiene(ヒュギエーネ)の概念がないしとして受容されたが、イギリスの制度も参照された。 このころ、はヨーロッパを視察し、生命や生活を守る概念として Hygieneが社会基盤の整備を内包し、国家や都市を対象としていることから、その和訳について、あえて「養生」ないし「健康」「保健」を転用せず、『』庚桑楚篇にある「衛生」の語をあてている。 明治政府は、その初期においては(明治7年)にを公布し、各地方に医務取締を設置、その後(明治12年)には中央衛生会(地方には衛生課)を設置、によって衛生委員を置くなどの体制を採用した。 しかし、(明治19年)、このような民主的なシステムは廃止され、1893年(明治26年)には衛生医院の機能をに移管、式になった。 これは、日本の中央集権型行政の進展を意味するとともに、いっぽうでは、急速な感染症拡大への手早い対応をめざしていたためでもあった。 日本ではからの支援もあってが昭和初年に発足している。 なお同衛生院第2代院長の古屋芳雄は、公衆衛生を「公衆団体の責任に於いて、われらの生命と健康とを脅かす社会的並びに医学的原因を除き、かつわれらの精神的及び肉体的能力の向上をはかる学問及び技術」としている。 感染症と現代 [ ] 詳細は「」、「」、および「」を参照 1980年、WHOは天然痘の根絶宣言を出した。 人類は、医学の進歩や公衆衛生事業の進展により、近い将来、感染症を撲滅することができるだろうとだれもが楽観した。 しかし、実際にはエボラ出血熱や(HIV)の登場などにみられる新たな感染症()の登場や、結核・マラリアなどいったんは抑制に成功したかにみえたが再び流行した感染症()の時代をむかえている。 さらに、医薬品に抵抗力をもつ、さまざまなも出現している。 病名 病原体 発見(確認)年・国名 症状 感染経路 ・ 全身出血、壊死 ・の接触 AIDS (HIV) ・ 全般的な免疫力低下 、など ・アメリカ合衆国 、低下 ・アメリカ合衆国 不振、、など 血液・体液の接触、 ・ 進行性の、行動異常など 牛の・などの摂取 トリインフルエンザウイルス ・ 、、多臓器不全 病鳥およびその内臓・への接触 SARS() ・中華人民共和国 発熱、咳、症状(呼吸困難など) 、 上表は、以降に発見された新興感染症のなかで主要なものである。 感染症が再び問題となってきた背景としてはまず、人やモノの移動が大量かつ短時間におこなわれるようになったことがあげられる。 中国南部を起源とするSARSがわずかな期間で世界中に広がったことはの利用により人びとの移動が活発化したこと、さらには世界経済の一体化が進行していることとも深い関係がある。 次に、の開発により、人類が新しい病原体と出会うようになったことがあげられる。 エボラ出血熱などが、そうした事例に属する。 薬剤耐性菌の出現に関しては、医療現場で抗生物質が過剰に、または不適切に使用されたり、患者が自己判断で服用・投与をやめたりすることも原因のひとつと考えられている。 さらに、インフルエンザの流行などでは、感染症にたいする警戒感が弱まり、などが十分でなくなってきたことが指摘されている。 麻疹やに関しても、予防接種の未接種などによって十全なが獲得されないことが流行の要因と考えられ、そのため現在では基本的に2回接種することとしている。 (へのワクチン注射) 感染症にかかわるこうした時代状況は「細菌の逆襲」 、「疫病の時代」 などとも呼ばれている。 21世紀にはいってからも、SARSが出現して世界的に猛威をふるった。 将来的には、農業開発にともなう土地開発、環境破壊、都市化・工業化もふくむ環境変化によって、こうした新興感染症が今後も現れるであろうことが予想され、また、再興感染症もふくめて感染症を撲滅することは難しいという見通しが立てられている。 このような状況にあって、必要なことは、過度に恐れることではなく、適度に恐れることであるという認識 、あるいはむしろ、感染症との「」がはかられるべきではないかという認識も広がっている。 WHOは、パンデミックによる被害を軽減するために、• 医療体制(抗ウイルス薬治療をふくむ)• ワクチン• 公衆衛生対応• 個人防御 の4点を組み合わせて実施することの必要を呼びかけている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• David W. Tschanz, MSPH, PhD August 2003. "Arab Roots of European Medicine", Heart Views 4 2. Syed, Ph. 2002. "Islamic Medicine: 1000 years ahead of its times", 2, p. 2-9. Beretta M 2003. Medicina nei secoli 15 2 : 129-54. (国立療養所菊池恵楓園)• 原出典は、Crosby,A. F;"The Columbian Exchange" 1972• 原出典は、Emmanuel Le Roy Ladurie"Le territoire de l'historie" 1973• Bland, R. ; Clarke, T. ; Harden, L. 1976-02-01. American Journal of Obstetrics and Gynecology 124 3 : 263—267. 原出典は、梁其姿"施善与教化—明清的慈善組織" 1997• 加藤茂孝「人類と感染症の戦い-第5回"ポリオ"」(2010)。 原出典は、Godman AS et al:What was the cause of Franklin Delano Roosevelt's paralytic illness? Journal of Medical Biography. 11:232-240 2003• 2012年8月31日. 2012年9月1日閲覧。 [ ]• - 中央日報 2014年8月6日• 加藤茂孝「人類と感染症の戦い-第6回"ウエストナイルウイルス"」(2010)。 原出典は、JS Marr et al:Alexander the Great and West Nile Virus Encephalitis. Emerging infectious Diseases. 9 12 , 2003• 訳、より。 原出典は、「中国における日本住血吸虫症」 1995• 2011年7月30日閲覧• 『標準微生物学』中込治・神谷茂(編集)、医学書院、2015年2月15日、第12版、p. 498. 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