日蓮宗と日蓮正宗の違い まず、「正宗」の意味であるが、古来からお経を研究する時、そのお経を(序文=序分)(本論=正宗分)と(流通分)の三段に分けてみることが行われた。 正宗とは正宗分のことで、本論の意味である。 日蓮正宗は別名、日興派とも富士門流とも言い、日蓮聖人の直弟子である六老僧の一門流である。 日興上人は、純信一徹で妥協を許さぬ厳格な人であったようで、しばしば同じ六老僧の一人、日向上人との間で、信者の指導方法で対立があった。 結局は、他の五老僧と訣別して分立し、富士の大石ヶ原に大石寺を…また重須に本門寺を建立した。 このような、日興上人のやり方について行けない人も多かったようで、多くの離反者を出し、ますます孤立化していったという。 やがて、自分たちの門流を富士方、他の五老僧たちを鎌倉方と称して、さらに独立の意識を鮮明にしていった。 これに対し正宗では、六老僧の一人である日興上人だけを正式な直弟子と認め、日蓮聖人から日興上人に秘密の法門(教え)が伝授された…として他の五老僧を否定する。 もっとも重要な法門(教え)は、法主一人しか知ることが出来ず、代々の法主から法主へと伝授されるのであり、文字通りの法門の主なのである。 日蓮宗では、南無妙法蓮華経を唱えることを「正行」と言い、法華経の本文を読誦することを「助行」と言う。 これは、正宗も同じである。 ただ、日蓮宗では、方便品・寿量品・神力品などの要品を必要に応じて読誦するが、正宗では方便品と寿量品の二品しか読誦しない。 お曼荼羅を本尊とするのは、日蓮宗も正宗も同じであるが、その授与については異なっている。 日蓮宗では、各寺の住職が日蓮聖人の書かれた本尊曼荼羅を拝写して、檀信徒に授与できる。 しかし正宗では、大石寺の貫主(法燈職)だけが、本尊を書写し授与することが出来るのである。 明治頃には、全国に50ヶ寺ほどしか末寺がなかった正宗であるが、創価学会の急成長で信徒数・公称800万世帯と言われ、会員への本尊授与システムが変わっていないのは、ある意味で立派だと言えよう。 日蓮宗では、お曼荼羅の他に仏像形式の本尊を認める。 正宗では、彫刻した仏像形式の本尊は認めない。 日蓮正宗の著しい特徴は、「宗祖本仏論」あるいは「日蓮本仏論」と呼ばれる教えである。 真の本仏から、最初に教えを受けた上行菩薩と呼ばれる菩薩は、法華経だけに現れ、他のお経のどこにも現れない。 上行菩薩は、もっとも高貴な菩薩である。 日蓮宗では、その上行菩薩こそ日蓮聖人その人であるとして『日蓮大菩薩』と尊称している。 正宗の主張する日蓮本仏論では、日蓮聖人が上行菩薩と認めはするが、本当の解釈は少し違うのである。 日蓮聖人は、真の本仏の再来であり、久遠(永遠の存在)の釈尊の生まれ変わりであるというのである。 日蓮宗も日蓮正宗も、日本国を「妙法蓮華経」で浄土化、妙法化することが信仰運動の目的となっている。 正宗は、富士山本門寺に戒壇(本尊を祀って正式に師匠弟子の関係をつくる場)を建立することが、日蓮聖人の御遺命であるとする。 その為に、折伏が実践され、信徒の増大を目指している。 日蓮宗では、そのような戒壇を建立する為に、宗門として運動を起こすことはしていない。 「寺院」をもって戒場、戒壇と考え、妙法蓮華経を受け保つ信念を持戒(戒を受ける)と考える。 日蓮宗では、日蓮聖人の御真蹟か、またはそれに準ずる御遺文に基づき…、 現代の世の仏宝とは、久遠実成(永遠の存在)の釈迦牟尼仏。 同じく法宝は、南無妙法蓮華経。 同じく僧宝は、本化上行菩薩の日蓮聖人。 これを三宝とする。 日蓮正宗では………、 仏宝は、日蓮聖人。 法宝は、お曼荼羅(日蓮聖人の直筆) 僧宝は、六老僧の一人である日興上人を以て三宝としている。 創価学会は、昭和五年に牧口常三郎が「創価教育学会」を創設し、同じく二十一年に、戸田城聖が「創価学会」に改名して再建。 日蓮聖人の教え(教学)に、美・利・善の価値論を結合したものである。 現在、創価学会は大石寺と決別している。
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どっちがホンモノ?似て非なる存在にご注意を 世の中には、未だにとが同じ宗教であるという認識をお持ちの方がいます。 この考えは一昔前の考えで、今現在は全く違います。 どこがどのように違うのか解りにくい方もおられましょう。 一見、同じ様な御経と御題目を唱え、御本尊様も同じ様な御本尊様です。 我田引水でこのことを判断できません。 本質を理解せず自分自身の見解で考えることは避けましょう。 根本的な違いは、宗祖大聖人からの伝統である教えに従うか従わないかです。 更に信心の根本である、本門の大御本尊様と唯授一人の御上人を信じて修行しているかの違いです。 はこの伝統法義に従い、これからの未来の暁までこのまま継続していきます。 しかし、は伝統法義とは違う考え、下種を蔑ろにした、民主主義や政治、世間法に重きを置く考えにすり替え、本来の教えから大きく脱線しました。 一般の員には、から盗んだ非常に難解な教義を巧みに利用して洗脳し、の正当性を裏付け、学会員の組織における結束を固めています。 でも御書を読んでおります。 本来の意味と違う解釈をし、「御」から大きく逸脱しています。 ここがまた根本的に違うところで摧尊入卑しております。 そして信心の基本、七百年来の伝統である「寺院参詣」を否定し、寺院に行けばで主張することとは違う現実を目の当たりにするため、あらゆる情報機関を利用し寺院の参詣を阻止しています。 で流すところの情報と本来のとの実態に天地雲泥の差があるので、寺院の現実を見せたがらないわけです。 組織運営の常套手段となっております。 邪智に秀でたが犇(ひし)めく宗教団体であり、成仏の妨げとなる我慢偏執に汚染された幹部が多い団体です。 において員が寺院に参詣しなくなったことで、非常に有り難いことがあります。 それは本来の姿に戻り「少欲知足」の精神を実践でき、無駄を省き節約する気持ちが養われ、世間の謗法に染まることなく布教できるようになりました。 寺院も荘厳さを増し、本堂では生活や仕事場で失った心の落ち着きや冷静な気持ちを取り戻し、心の汚れを洗い流すことが已前より出来やすくなりました。 この荘厳さと雰囲気を本来のものへと清浄にするため、を破門に伏したのであります。 この以上のことを未だに知らない人がいます。 目先の御利益主義に徹することなく、あくまでも宗祖大聖人の御精神を貫くとこらからの破門です。 つまり現在、とは根本的に違うのであります。 この清浄な雰囲気に目を覚まさせないように、ではの寺院へ行かないよう会員に呼びかけ、様々なにおける誹謗中傷を繰り広げているのです。 幹部は、巧みに会員の心理を情報操作しているのが現実であり、にマイナスとなる不味い情報は即遮断します。 人間は多くの人が信じる情報を鵜呑みにする傾向があり、この点を巧みに上層部は心得て利用しています。 これは一つの魔の働きとなった第六天の魔王の「利根と通力」です。 正しい信心の眼を具えている純真な方は見破り、の寺院へ参詣され日々勤行唱題に精進し成仏を目指しているのであります。 の幹部は、第六天の魔王が用いる「利根と通力」が使えることに酔いしれ、身心が毒され本心を失っています。 その背景には、家族を養い生活を維持していくという自己保身も伺えます。 自己保身は大聖人の御精神「不自惜身命」を忘れた精神腐敗です。 御書根本と主張しながら、御書と矛盾する点が明らかです。 三大秘法の御本尊様から頂く御利益を履き違えている部分です。 の間違いに気付かれ、未だに所属し、のに入講されていない方は、寺院で勧誡式を受け正しい信心をされ、現実を明らかに見ることが大事です。 そこに本当の幸福があります。 以下の資料からと(世界宗)の違いをご確認下さい。 日蓮正宗信徒のポリ銀と申します。 創価学会の家に生まれて、19歳まで創価学会員でした。 高校三年生の時に、池田大作の「11. 16スピーチ」を地元の会館で観まして、創価学会に大きな疑問を持ちました。 20歳の時、創価学会を脱会。 父の勧めで顕正会に入会。 浅井昭衛の国立戒壇論に心酔し18年、38歳の時には罰で心身ともに疲弊しきってしまっていました。 自殺願望が募り、毎日のように「死にたい」と口にするようになる中、ネットで元顕正会員のサイトで顕正会の嘘を知り、日蓮正宗のお寺を訪問しました。 御僧侶の御話を聴き、説得されまして再入信させていただいたのが、2010年。 今年(2020年)は、再入信して満10年の節目となります。 10年間、罪障消滅の苦しみと向き合いながら、一歩ずつ自分の人生を良い方向に導いていただきました。 日蓮正宗に戻れて良かったと、思う人生にたどり着いた状態です。 どうか、一人でも多くの創価学会員・顕正会員が日蓮正宗に戻り、人生の立て直しができますように。 その思いでブログを書いています。 連絡先:porigin yahoo.
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日蓮宗と日蓮正宗の違い まず、「正宗」の意味であるが、古来からお経を研究する時、そのお経を(序文=序分)(本論=正宗分)と(流通分)の三段に分けてみることが行われた。 正宗とは正宗分のことで、本論の意味である。 日蓮正宗は別名、日興派とも富士門流とも言い、日蓮聖人の直弟子である六老僧の一門流である。 日興上人は、純信一徹で妥協を許さぬ厳格な人であったようで、しばしば同じ六老僧の一人、日向上人との間で、信者の指導方法で対立があった。 結局は、他の五老僧と訣別して分立し、富士の大石ヶ原に大石寺を…また重須に本門寺を建立した。 このような、日興上人のやり方について行けない人も多かったようで、多くの離反者を出し、ますます孤立化していったという。 やがて、自分たちの門流を富士方、他の五老僧たちを鎌倉方と称して、さらに独立の意識を鮮明にしていった。 これに対し正宗では、六老僧の一人である日興上人だけを正式な直弟子と認め、日蓮聖人から日興上人に秘密の法門(教え)が伝授された…として他の五老僧を否定する。 もっとも重要な法門(教え)は、法主一人しか知ることが出来ず、代々の法主から法主へと伝授されるのであり、文字通りの法門の主なのである。 日蓮宗では、南無妙法蓮華経を唱えることを「正行」と言い、法華経の本文を読誦することを「助行」と言う。 これは、正宗も同じである。 ただ、日蓮宗では、方便品・寿量品・神力品などの要品を必要に応じて読誦するが、正宗では方便品と寿量品の二品しか読誦しない。 お曼荼羅を本尊とするのは、日蓮宗も正宗も同じであるが、その授与については異なっている。 日蓮宗では、各寺の住職が日蓮聖人の書かれた本尊曼荼羅を拝写して、檀信徒に授与できる。 しかし正宗では、大石寺の貫主(法燈職)だけが、本尊を書写し授与することが出来るのである。 明治頃には、全国に50ヶ寺ほどしか末寺がなかった正宗であるが、創価学会の急成長で信徒数・公称800万世帯と言われ、会員への本尊授与システムが変わっていないのは、ある意味で立派だと言えよう。 日蓮宗では、お曼荼羅の他に仏像形式の本尊を認める。 正宗では、彫刻した仏像形式の本尊は認めない。 日蓮正宗の著しい特徴は、「宗祖本仏論」あるいは「日蓮本仏論」と呼ばれる教えである。 真の本仏から、最初に教えを受けた上行菩薩と呼ばれる菩薩は、法華経だけに現れ、他のお経のどこにも現れない。 上行菩薩は、もっとも高貴な菩薩である。 日蓮宗では、その上行菩薩こそ日蓮聖人その人であるとして『日蓮大菩薩』と尊称している。 正宗の主張する日蓮本仏論では、日蓮聖人が上行菩薩と認めはするが、本当の解釈は少し違うのである。 日蓮聖人は、真の本仏の再来であり、久遠(永遠の存在)の釈尊の生まれ変わりであるというのである。 日蓮宗も日蓮正宗も、日本国を「妙法蓮華経」で浄土化、妙法化することが信仰運動の目的となっている。 正宗は、富士山本門寺に戒壇(本尊を祀って正式に師匠弟子の関係をつくる場)を建立することが、日蓮聖人の御遺命であるとする。 その為に、折伏が実践され、信徒の増大を目指している。 日蓮宗では、そのような戒壇を建立する為に、宗門として運動を起こすことはしていない。 「寺院」をもって戒場、戒壇と考え、妙法蓮華経を受け保つ信念を持戒(戒を受ける)と考える。 日蓮宗では、日蓮聖人の御真蹟か、またはそれに準ずる御遺文に基づき…、 現代の世の仏宝とは、久遠実成(永遠の存在)の釈迦牟尼仏。 同じく法宝は、南無妙法蓮華経。 同じく僧宝は、本化上行菩薩の日蓮聖人。 これを三宝とする。 日蓮正宗では………、 仏宝は、日蓮聖人。 法宝は、お曼荼羅(日蓮聖人の直筆) 僧宝は、六老僧の一人である日興上人を以て三宝としている。 創価学会は、昭和五年に牧口常三郎が「創価教育学会」を創設し、同じく二十一年に、戸田城聖が「創価学会」に改名して再建。 日蓮聖人の教え(教学)に、美・利・善の価値論を結合したものである。 現在、創価学会は大石寺と決別している。
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