伊東四朗、三宅裕司をはじめとする、笑いの強者たちが集結した「伊東四朗一座」と、同じメンバーで伊東の参加を欠いた場合にのみお目見えする「熱海五郎一座」の「合同公演」を銘打った『こんにちは 赤ちゃん』が27日、東京・赤坂ACTシアターにて初日を迎えた。 上記の2名に加え、小倉久寛、春風亭昇太、東貴博らが名を連ねるこの一座。 アドリブやハプニング等、その場の勢いに頼ることなく、練り上げられた脚本 妹尾匡夫 と、稽古を重ねた出演陣の芝居によって繰り広げられる「東京の笑い」を追究している。 とはいえ、観客に届けられるのはそういった堅苦しい文言ではない。 自然と頭が空になり、気持ちが限りなくゆるんでいく、幸福な数時間だ。 客席の多くは、おそらく40~50代。 だから本当に面白くなければそれなりの反応であり、しかし本当に面白かったらそのときは拍手喝采が起こる。 この日、特に喝采を浴びていたのは、久しぶりの「コント赤信号」そろい踏みである。 3人がボケとツッコミを応酬しだすと、息もぴったり。 往年のお笑いファンはついつい、拍手せずにはいられない。 物語の舞台は、すっかりさびれてしまった遊園地。 集客増をはかろうと、園長 三宅 や町役場の観光課長 伊東 、そして観光課長の妻 真矢みき をはじめとする園の従業員たちがある計画をする。 園内のショータイムに出演中のアイドルふたり組が、UFOに連れさらわれたという狂言誘拐事件をでっち上げるというのだ。 しかし計画の最中に、アイドルが本当にUFOにさらわれてしまい……!? 特筆すべきは真矢みきのコメディエンヌぶりである。 「何らかの事情により、日本語がところどころ変」なキャラクター設定。 しかし、それら珠玉の言い間違いを、真矢はことさら強調するでもなく、サラリと言うから可笑しみが増す。 やがて、クライマックス。 これもまた何らかの事情により、彼女が歌と踊りのショータイムを牽引するわけだが、その華やかさと選曲のミスマッチ感がさらなる可笑しみを呼び、客席からはいつしか拍手と手拍子が。 ショータイムはとてもハードながら、観客の拍手に救われたのだと、カーテンコールで口にした真矢。 そして観客の方も、彼らの笑いによって確実に、気持ちが軽くなっている。 客席をあとにする人たちが、総じて笑顔であったことを最後に記したい。 『こんにちは 赤ちゃん』は6月12日 日 まで、赤坂ACTシアターにて上演。 取材・文:小川志津子.
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4年以上にわたって「ビビット」MCを務め、朝の顔としてもおなじみになった 真矢ミキが、 『正しいオトナたち』で久々舞台に立つ。 日本でもその作品がたびたび上演されているフランスの女性劇作家ヤスミナ・レザが手がけた4人芝居で、ロマン・ポランスキー監督の手により映画化もされている(邦題『おとなのけんか』)。 本作は子供同士のけんかをきっかけに、二組の夫婦が真実の顔を露わにしていくスリリングなセリフ劇だ。 真矢に意気込みを直撃した。 ーー5年ぶりの舞台となります。 朝の情報番組に出演するようになって4年半近く経つんですが、その出演を決めたときに、あ、演劇から離れる、と思ったんです。 そして、4年半走らせてもらってきた間に、芝居をやりたいなとますます思うようになったんです。 というのも、物事を見るにあたって、正面からだけではなく、裏からだったり、側面からだったり、さまざまな角度から見ることができるようになってきたので。 それだからこそ、ストレートプレイをやりたいと思ったんです。 もう一回、舞台という場で、しっかり芝居というものを作りあげたいなと。 他の方がどうやって作っていらっしゃるかが見えるのも舞台の楽しさだと思うし、そこからまた自分も何かを感じ取って変わっていったりする。 今、本当にお芝居が楽しいんです。 楽しいとできるはまだ別だったりするんですが(笑)。 今回、少人数の芝居というのも魅力的です。 真矢ミキ ーー『ART』をはじめ、『大人のけんかが終わるまで』など、ヤスミナ・レザ作品は日本でもたびたび上演されてきています。 今回、二組の夫婦が言い争ううちにそれぞれの本性が見えてきたりする、なかなかエグいところもあったりする作品ですが、どんなところに惹かれましたか。 ちょっとシュールだったりしますよね。 一番人間が目をふさぎたくなるような部分が如実に描き出されていて、刺激的だなと。 全然きれいごとを言わせない感じも好きだなって。 冒頭のト書きに、「リアリズムなし。 無駄なエレメントなし」と書かれているところも、すごいな、おもしろいなと思いました。 日々、生かされている中で、思ってもみないような一日になってしまうことが多いなってよくよく思うんです。 自分ですごく心を整えて、熟睡もでき、食事もいい感じででき、ご機嫌でドアを開けたって、そこに車が通りかかって水ハネが上がったり、いつも挨拶してくれる人が挨拶してくれないとか、負のスパイラルをたぐりよせてしまったのか、というような一日がある。 この作品も、悲劇か喜劇か、よくわからない。 でも、何だか、人生ってそういうことだよねと思わされるものがあって……。 去年母が亡くなったんですが、そのとき、喜劇みたいなことがいっぱい起こったんです。 泣いたり笑ったり、激しくて。 お通夜なんて思い出話に花が咲いて、途中、何で集まったのか忘れてしまったりとか。 でも、そういう時間が、人間らしい、愛おしい時間なんだろうなって思ったり。 このお芝居をやりたいなと思ったのは、つかみどころのないところ、そして、人間特有のいやらしさやかわいげや純粋性がぐちゃぐちゃになって浮かんでは消えていく感覚に惹かれたからなんです。 真矢ミキ それと、自分自身、「オトナ」という言葉に縛られて、全然現実的に生きていないなということもすごく感じているし(笑)。 何だか虚構のようなものをしっかり作っている自分がいるんですよね。 昔は家に帰ったら表にいるときとの差ってもっとあったんですけど、最近は家でも虚構を生きているような感覚というか。 いったいどこが「自分」なのか、どこまでが「自分」なのか、それがわからない、そこがおもしろいなと感じていたりして……。 ーーご自分をどこか常に演じているということですか? いえ、こうありたいと思う自分にだんだん近づいてきたんでしょうね。 でも、それが本音かと言ったら、どうでしょうという。 このお芝居のように、その本音のフタがポコっと外れたとき、自分でも驚くような自分が生まれたり、自己嫌悪に陥るような、封印していた自分が現れたりするのかなって。 「ビビット」をやらせてもらっていて、自分の欠落したところにすごく気づいたりもしたんです。 同じ物事を見ていても、それぞれの考え方が違う、毎朝毎コーナー、すべてについてそれが起こっていくので、番組の二時間ずっと自問自答しているんですよ。 このお芝居でも、大人だから、自分を隠すことも上手で、そこを利点に見せる話術もついていたりして、でもそれが悪い方向に行ってしまったときにこうなってしまうという、その様が滑稽だったりする。 登場人物のそういうところが非常に自分に似ていたりするから、いざ舞台で演じたときに、それを心地いいと思うのか、あまりにも自分過ぎて嫌になってしまうのか、わからないんですが(笑)。 真矢ミキ ーー今回演じるヴェロニックという役柄についてはいかがですか。 彼女はアフリカの歴史に興味を持っている……人類の起源はアフリカにあるので、ということは、それは人間の始まりが知りたいわけですよね。 それなのに、自分自身がわからないという人(笑)。 順番をはき違えているのに本人そうは思っていないところが愛おしいなと思います。 知性や知識が自分の未来につながる階段になると考えている人なんじゃないかなと。 でも、その知識が現実に活かされていなかったら、あなたっていったい何者なの? という感じで、そこが愛おしいというか。 完璧主義というか、正しく生きたいと思っている人ほど、剥き出しの現実を見つめることが苦手で、知識とかいろいろなものを引用してすりかえてしまうところがある。 台本を読んでいると、自分として落ち込んでくるんですよ(笑)。 自分でも、本や新聞を読んでいると落ち着くところがある。 でも、その内容をどれだけ咀嚼できているのかというと、う~んという。 この作品のテーマとしているところが、自分の人生と割と似ているなと思うんです。 「正しいって何?」という。 若いころなんかはあえて正しくない方に行きたい、個性的に生きたいと思って、常に模索して生きてきたので。 自分の不器用な生き方って愛おしいな、納得できていないところが謙虚でかわいいじゃないかって思っていたりもする。 でも、謙虚という言葉にも両面があって、立場によっては、謙虚よりも自信で統率してほしいというところもあるだろうし。 この人ってここを守りたくてこう生きてきたんだというところが、シーンごとに浮かぶといいなと思いますよね。 ーー二組の夫婦が言い合ううち、それぞれの夫婦関係が垣間見えてくるのもおもしろいところです。 二組、全然違う形の夫婦なんですが、お互いまったく他人様なんだなと思いますよね(笑)。 剥き出しの心もみんなそれぞれまったく違った個性があって、その心のまま生きられたら本当はいいのに、でも、共存しにくいんだろうなとか。 ヴェロニックとミシェルの夫婦は、クラシックというか、過去から学ぶのが好きなタイプ。 そこに、全然違うタイプの夫婦がやってくる。 とにかく難しい芝居だと思うんです。 でも、四人で作り上げていって、目指すべき方向性が見えてきたとき、想像を超えるような舞台ができあがってくるんじゃないかなと思いますね。 真矢ミキ ーー今回、岡本健一さん、中嶋朋子さん、近藤芳正さんが出演、演出は上村聡史さんが手がけられます。 楽しみでわくわくします。 自分でも、舞台を観に行こうと思ったとき、この方々のお名前があったら絶対行くという方々ですから。 お三方それぞれの舞台を観たことがありますし、上村さんの舞台も、表現しすぎないところが想像力をかきたてられて、いいなって。 ーー真矢さんというと、本番の舞台に非常に強いイメージがありますが、生の情報番組を長らく務められてきて、そのあたり、ますます磨きがかかったり? 番組を続けてきて、瞬発力はつきました。 でも、瞬発力があっても、ある程度の土台、自信がないことについては、如実にわかってしまいますし。 私、割と自信をもちにくいタイプなんですけど、究極に追いつめられたときの腹のくくり方ってめちゃめちゃいいんですよ。 そういうとき、意外な力を発揮したりするから、今回もそこに至ることができたらいいなと思っています。 そのためには、あるがままの自分を認めるというか、自分に足りない部分にいかに気づけるかということでしょうね。 それと、台本をどれだけ読み込めるか。 ーーお稽古に入る前に、すでに台本がボロボロですね。 読んでいるとおもしろくて。 ヴェロニックの人格を作っているものがこのセリフに入っているよねというところを見つけられたとき、自分でもすごくうれしいんです。 もちろん、台本を読む力の上に、形にする力、人の前で演じる上での爆発力が要りますけれども。 他のお三方がすばらしい方々なので、ちょっと自分ひるむなというところはあるんですが(笑)、これまで、役者として、いっぱい恥はかいてきましたから。
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4年以上にわたって「ビビット」MCを務め、朝の顔としてもおなじみになった 真矢ミキが、 『正しいオトナたち』で久々舞台に立つ。 日本でもその作品がたびたび上演されているフランスの女性劇作家ヤスミナ・レザが手がけた4人芝居で、ロマン・ポランスキー監督の手により映画化もされている(邦題『おとなのけんか』)。 本作は子供同士のけんかをきっかけに、二組の夫婦が真実の顔を露わにしていくスリリングなセリフ劇だ。 真矢に意気込みを直撃した。 ーー5年ぶりの舞台となります。 朝の情報番組に出演するようになって4年半近く経つんですが、その出演を決めたときに、あ、演劇から離れる、と思ったんです。 そして、4年半走らせてもらってきた間に、芝居をやりたいなとますます思うようになったんです。 というのも、物事を見るにあたって、正面からだけではなく、裏からだったり、側面からだったり、さまざまな角度から見ることができるようになってきたので。 それだからこそ、ストレートプレイをやりたいと思ったんです。 もう一回、舞台という場で、しっかり芝居というものを作りあげたいなと。 他の方がどうやって作っていらっしゃるかが見えるのも舞台の楽しさだと思うし、そこからまた自分も何かを感じ取って変わっていったりする。 今、本当にお芝居が楽しいんです。 楽しいとできるはまだ別だったりするんですが(笑)。 今回、少人数の芝居というのも魅力的です。 真矢ミキ ーー『ART』をはじめ、『大人のけんかが終わるまで』など、ヤスミナ・レザ作品は日本でもたびたび上演されてきています。 今回、二組の夫婦が言い争ううちにそれぞれの本性が見えてきたりする、なかなかエグいところもあったりする作品ですが、どんなところに惹かれましたか。 ちょっとシュールだったりしますよね。 一番人間が目をふさぎたくなるような部分が如実に描き出されていて、刺激的だなと。 全然きれいごとを言わせない感じも好きだなって。 冒頭のト書きに、「リアリズムなし。 無駄なエレメントなし」と書かれているところも、すごいな、おもしろいなと思いました。 日々、生かされている中で、思ってもみないような一日になってしまうことが多いなってよくよく思うんです。 自分ですごく心を整えて、熟睡もでき、食事もいい感じででき、ご機嫌でドアを開けたって、そこに車が通りかかって水ハネが上がったり、いつも挨拶してくれる人が挨拶してくれないとか、負のスパイラルをたぐりよせてしまったのか、というような一日がある。 この作品も、悲劇か喜劇か、よくわからない。 でも、何だか、人生ってそういうことだよねと思わされるものがあって……。 去年母が亡くなったんですが、そのとき、喜劇みたいなことがいっぱい起こったんです。 泣いたり笑ったり、激しくて。 お通夜なんて思い出話に花が咲いて、途中、何で集まったのか忘れてしまったりとか。 でも、そういう時間が、人間らしい、愛おしい時間なんだろうなって思ったり。 このお芝居をやりたいなと思ったのは、つかみどころのないところ、そして、人間特有のいやらしさやかわいげや純粋性がぐちゃぐちゃになって浮かんでは消えていく感覚に惹かれたからなんです。 真矢ミキ それと、自分自身、「オトナ」という言葉に縛られて、全然現実的に生きていないなということもすごく感じているし(笑)。 何だか虚構のようなものをしっかり作っている自分がいるんですよね。 昔は家に帰ったら表にいるときとの差ってもっとあったんですけど、最近は家でも虚構を生きているような感覚というか。 いったいどこが「自分」なのか、どこまでが「自分」なのか、それがわからない、そこがおもしろいなと感じていたりして……。 ーーご自分をどこか常に演じているということですか? いえ、こうありたいと思う自分にだんだん近づいてきたんでしょうね。 でも、それが本音かと言ったら、どうでしょうという。 このお芝居のように、その本音のフタがポコっと外れたとき、自分でも驚くような自分が生まれたり、自己嫌悪に陥るような、封印していた自分が現れたりするのかなって。 「ビビット」をやらせてもらっていて、自分の欠落したところにすごく気づいたりもしたんです。 同じ物事を見ていても、それぞれの考え方が違う、毎朝毎コーナー、すべてについてそれが起こっていくので、番組の二時間ずっと自問自答しているんですよ。 このお芝居でも、大人だから、自分を隠すことも上手で、そこを利点に見せる話術もついていたりして、でもそれが悪い方向に行ってしまったときにこうなってしまうという、その様が滑稽だったりする。 登場人物のそういうところが非常に自分に似ていたりするから、いざ舞台で演じたときに、それを心地いいと思うのか、あまりにも自分過ぎて嫌になってしまうのか、わからないんですが(笑)。 真矢ミキ ーー今回演じるヴェロニックという役柄についてはいかがですか。 彼女はアフリカの歴史に興味を持っている……人類の起源はアフリカにあるので、ということは、それは人間の始まりが知りたいわけですよね。 それなのに、自分自身がわからないという人(笑)。 順番をはき違えているのに本人そうは思っていないところが愛おしいなと思います。 知性や知識が自分の未来につながる階段になると考えている人なんじゃないかなと。 でも、その知識が現実に活かされていなかったら、あなたっていったい何者なの? という感じで、そこが愛おしいというか。 完璧主義というか、正しく生きたいと思っている人ほど、剥き出しの現実を見つめることが苦手で、知識とかいろいろなものを引用してすりかえてしまうところがある。 台本を読んでいると、自分として落ち込んでくるんですよ(笑)。 自分でも、本や新聞を読んでいると落ち着くところがある。 でも、その内容をどれだけ咀嚼できているのかというと、う~んという。 この作品のテーマとしているところが、自分の人生と割と似ているなと思うんです。 「正しいって何?」という。 若いころなんかはあえて正しくない方に行きたい、個性的に生きたいと思って、常に模索して生きてきたので。 自分の不器用な生き方って愛おしいな、納得できていないところが謙虚でかわいいじゃないかって思っていたりもする。 でも、謙虚という言葉にも両面があって、立場によっては、謙虚よりも自信で統率してほしいというところもあるだろうし。 この人ってここを守りたくてこう生きてきたんだというところが、シーンごとに浮かぶといいなと思いますよね。 ーー二組の夫婦が言い合ううち、それぞれの夫婦関係が垣間見えてくるのもおもしろいところです。 二組、全然違う形の夫婦なんですが、お互いまったく他人様なんだなと思いますよね(笑)。 剥き出しの心もみんなそれぞれまったく違った個性があって、その心のまま生きられたら本当はいいのに、でも、共存しにくいんだろうなとか。 ヴェロニックとミシェルの夫婦は、クラシックというか、過去から学ぶのが好きなタイプ。 そこに、全然違うタイプの夫婦がやってくる。 とにかく難しい芝居だと思うんです。 でも、四人で作り上げていって、目指すべき方向性が見えてきたとき、想像を超えるような舞台ができあがってくるんじゃないかなと思いますね。 真矢ミキ ーー今回、岡本健一さん、中嶋朋子さん、近藤芳正さんが出演、演出は上村聡史さんが手がけられます。 楽しみでわくわくします。 自分でも、舞台を観に行こうと思ったとき、この方々のお名前があったら絶対行くという方々ですから。 お三方それぞれの舞台を観たことがありますし、上村さんの舞台も、表現しすぎないところが想像力をかきたてられて、いいなって。 ーー真矢さんというと、本番の舞台に非常に強いイメージがありますが、生の情報番組を長らく務められてきて、そのあたり、ますます磨きがかかったり? 番組を続けてきて、瞬発力はつきました。 でも、瞬発力があっても、ある程度の土台、自信がないことについては、如実にわかってしまいますし。 私、割と自信をもちにくいタイプなんですけど、究極に追いつめられたときの腹のくくり方ってめちゃめちゃいいんですよ。 そういうとき、意外な力を発揮したりするから、今回もそこに至ることができたらいいなと思っています。 そのためには、あるがままの自分を認めるというか、自分に足りない部分にいかに気づけるかということでしょうね。 それと、台本をどれだけ読み込めるか。 ーーお稽古に入る前に、すでに台本がボロボロですね。 読んでいるとおもしろくて。 ヴェロニックの人格を作っているものがこのセリフに入っているよねというところを見つけられたとき、自分でもすごくうれしいんです。 もちろん、台本を読む力の上に、形にする力、人の前で演じる上での爆発力が要りますけれども。 他のお三方がすばらしい方々なので、ちょっと自分ひるむなというところはあるんですが(笑)、これまで、役者として、いっぱい恥はかいてきましたから。
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