三びきのやぎのがらがらどんのあらすじ むかし、三びきのやぎがいました。 名前はみんながらがらどんです。 ある時山で草を食べようとのぼって行きます。 その道の途中には谷川がありました。 そこには橋がかかっていて、その橋の下にはトロルが住んでいます。 トロルはぐりぐり目玉で鼻は棒のように突き出ていて、とても気味が悪いのです。 さて、はじめはいちばん小さいやぎです。 小さいがらがらどんが橋をわたるとはしがかたかたなります。 ですので、トロルは「だれだ!おれの橋をカタカタさせるのは」と怒鳴りました。 すると小さなやぎは「いちばん小さなやぎのがらがらどんです。 これから山にふとりにいきます。 」ととても小さな声で言います。 それを聞いてトロルは「きさまをひとのみにしてやろう。 」と言いました。 なので、ちいさいやぎは「どうか食べないで下さい。 少し待てば、ぼくよりずっと大きい二番目のやぎがやってきますよ。 」と答えます。 トロルは「とっとと行ってしまえ!」と言いました。 橋はがたごと、がたごととなるのです。 ですのでトロルが「だれだ!橋をがたごとさせるのは!」と言いました。 すると、二番目のやぎのがらがらどんは、さっきのやぎよりも大きな声で、「ぼくは山へ太りに行くところだ!」と言うのです。 それで、トロルが、「きさまをひとのみにしてやる!」といいます。 しかし、2番目のやぎは「少し待てばもっとおおきいやぎがやって来るから」と言ったのです。 ですので、トロルは「とっとと消え失せろ!」と言いました。 すぐに、おおきいやぎのがらがらどんがやってきます。 おおきいやぎのがらがらどんがあまりに重いので、橋がきしんで音をたてました。 ですので、トロルは、「いったい誰だ!おれの橋をがたぴしさせるのは!」といいます。 すると、おおきいやぎのがらがらどんは「おれだ!おおきいやぎのがらがらどんだ!」と大きな声で言いました。 トロルも大きな声で「ひとのみにしてやる!」と言います。 けれども、おおきいやぎのがらがらどんは「こっちには2本のやりがある!大きな石も2つあるぞ!」といって、トロルに飛びかかりました。 そして、めだまを角でくしざしにして、ひづめで肉も骨もたたきつぶして、谷川に突き落としました。 それから山に登って行き、三匹のやぎたちは、たくさん美味しい草を食べました。 おしまい。 三匹のやぎのがらがらどんの教訓 このお話の教訓は、命が危ないときはなんとしてでもそこから逃げましょうという事です。 そして、間違っても抜け出せない、抜け出すのは無理だと思い込まない事が大切なのです。 ここでは、小さいやぎのがらがらどんと2番目のやぎのがらがらどんは、トロルに食べられない為に、なんとかその場から逃げ出します。 ここでは、一本橋なので、その橋を通らないと山の草場には行けなかったのでしょう。 また、一本橋なので、それることも、ただ走って逃げることも出来なかったのです。 例えば人はどうしても、生きていると困った事が起こる時があります。 その時は生死にかかわる重要な事ではないように思えても、ずっとその状態でいると、身体や精神の健康に影響する可能性もあるのです。 慢性的にその状態でいる為に、そのことに対して、辛いとか嫌だとか悲しいとかの感情を表すことをあきらめてしまう事があります。 そのうちに、その状態にあるのは自分のせいだ、自分が悪いとさえ、思うようになってしまうのです。 そして、このお話の中で、後に来る者に押し付けて逃げるのは卑怯だとか、間違っている等の考えもあるかもしれません。 けれども、ここではどう考えても、先の2匹のやぎはトロルには勝てないのがわかったのです。 例えば、自分が卑怯だと感じてもまずは、自分の命を守る事が最優先です。 後は、力のある誰かにおまかせする事も大事です。 自分の身が危険だと感じた時に、こんな事は考えないで、まず、その場から逃げる事を考えましょう。 人に迷惑をかけてはいけない。 自分だけ逃げてはいけない。 後で仕返しをされるのではないか? 人に知られたら恥ずかしい。 身内が知ったら困るのではないか? こうなったのは自分のせいだから、我慢しなければならない。 この人が、自分に悪い事をするはずがない。 すべて自分の為にしてくれている。 今の状態を続けなければならない。 ・・・・こんな事を考えてしまって、その場から逃げないのは間違っています。 まず、自分の身を守るためにその場から逃げなくてはなりません。 そして、そのあとの事は生きていればなんとかなるのです。
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本当にどうでも良いことかもしれませんが。 この有名な「三匹のやぎのがらがらどん」という話、一般的には3匹のヤギが知恵を絞って事態を打開する、という評価をされているような気がしますが、何故はじめに一番大きなヤギが行かないのでしょうか? 最終的に鬼と大きなヤギでタイマンを張るのであれば、はじめに戦い、 大きなヤギが敗れ去ったとしても最悪でも鬼を弱らせておけば、 2匹のヤギは助かる可能性が高かったわけです。 あとから大きなヤギが来るという言葉で、小さなヤギがその場を逃げられる可能性があると考えるほうが危険な気がします。 屁理屈と言うわけではなく、私が読んだ本に誤訳があるのか、 また何か背景があるのか、 もし何か理由があるのであれば知りたいと思っています。 「そういうお話」と言うのであればしょうがないですが、詳しい方、教えてください。 まず、この絵本の物語は北欧の民話を素材としたものです 神話や民話には良くあるように、解釈は個々に違うかも知れませんが わたしの見解は、こうです はじめの2匹は知恵で難を逃れます 3をキィワードとした童話に典型的な形でもあるでしょう この時のセリフによれば「少しまてば」大きいヤギが 来るのであって、すぐ後ろに控えているのではありません 一番小さいヤギが渡ってもトロルの目を覚ます音がする橋です そしてトロルは橋の下にいるのです(目指しているのは山の上) 先頭を一番(もしかすると唯一)の戦力が歩いていれば 後ろから、こっそり仲間は食べられてしまうでしょう 少なくとも、そう危惧する理由があるわけです 落ちるかも知れない橋を渡るのも、普通は小さい(軽い)方からで 無事な場所=ごちそう(草ですが)のある場所へ優先させます もし、間抜けなトロルが気づかず寝過ごしたら万々歳ですし 敢えて最初に大きな音を鳴らす、一番大きなヤギは渡りません なにより、太ろうと山へ行くので、小さいヤギに必要が高いのです 多くの民話の類いでは、強い者が悪者を倒すのを美談として描きますが 同じように力ではなく、知恵で回避することも良く描かれます 倒せる戦力があるのなら、それを切り札に残すのでしょう 特に、物語の原型がある土地でトロルは誰もが知るモンスターです 凶暴で、頑丈で、あまり頭は良くありません もしかすると、毎日のように同じことを繰り返している可能性も あるような物語です 谷底のトロルが再起不能だなどとは、どこにも書かれていませんし バラバラになった程度では、元通りになるかも知れない怪物です この戦いで、「もしも」彼らが無事だったとすれば、 今も太っているかも知れないだけです この民話のバリエーションには、「次に、最後に、もっと大きなのが」 と言い続けて、すっかり待ちぼうけとなるトロル(あるいは怪物や狼) なんてパターンもあります A ベストアンサー 原語でどうなっているかが問題だ,とのご指摘がありましたので,それを引き継いで補足しようと思います。 まず,サブタイトルに「アスビョルンセンとモーの北欧民話」とついていることからも分かるように,この話はもともと1841~44年にノルウェーのピーター・クリステン・アスビョルセン Peter Christen Asbjoernsen, 1812-1885 とユルゲン・モー Joergen Moe, 1813-1882 が刊行した『ノルウェー民話集』に収められているものです。 この作品は早くも1859年にイギリスでPopular Tales from the Norseという英訳本が出版され,これを訳したのがデースント George Webbe Dasent, 1817-1896 という人です。 日本で発売されている絵本は,マーシャ・ブラウン Marcia Brown, 1918- の絵で,1957年にアメリカで発売されたものが元になっています。 この英文は先ほどのデースントによる訳です。 瀬田さんがノルウェー語から直接翻訳したか,それともデースント訳の英文に基づいたかはちょっとわかりませんが,絵がアメリカ版と同じですし,英訳からの再翻訳の可能性が高いのではないかなあ。 さて,第1の疑問点「あぶらがぬけていなければ」ですが,英文では And if the fat hasn't fallen off them, why, they're still fat となっています。 従って,意味としては「皮下脂肪(体内脂肪かも)が落ちてやせてしまっていなければ」といったところでしょう。 ここで気がつくのが,「あぶら」も「太っている」も同じfatという単語なので,一種のシャレのようになっていることです。 もっとも,語源は同じ(元々「太っている」の意味だったのが,「太らせている原因=脂肪」などの意味に広がっていった)ですので,本当のシャレというよりは同義反復というべきかもしれません。 このfatという単語は,それまでの作中にたびたび登場しています。 まず冒頭の「やまの くさばで ふとろうと,やまへ のぼっていきました。 」が,go up to the hillside to make themselves fatですし,橋を渡るときの「やまへ ふとりに いく ところです」もI'm going up to the hillside to make myself fatです。 そんな感じでずっと来て,最後にif the fat hasn't fallen off them, they're still fatですから,二つのfatという言葉が,今までの流れを受けたしめくくりのセリフとして快くこだまするのでしょう。 こういうのは日本語に直しにくいですよね。 無理にやってみると,「もし太さの元が取れてなければ今でも太っているはず」ですが,これでは意味不明です。 しかたがないので,同じ単語の繰り返しという効果は犠牲にして,「あぶら」という訳で妥協したのではないでしょうか。 「チョキン,パチン,ストン」は英文ではSnip, snap, snout. snipは紙などを鋏で切るときの音ですし,snapは指を鳴らすときの音に使いますので,英語の語感を生かしたうまい訳だと思います。 日本の「とっぴんぱらりのぷう」や「どっとはらえ」などと同様,欧米の民話でも,子どもたちをお話の世界から現実の世界に引き戻す「おまじない」が最後についていることがしばしばあります。 グリム童話でも,話の末尾に「これでお話はおしまい。 ほら,そこに鼠が走っている,捕まえた子は毛糸の帽子を作ってもいいですよ」みたいなフレーズがついているのがあったかと思います。 おそらく,snip, snap, snoutもその一種で,特に深い意味はないと思われます。 ただ日本語と違って,英語ではその先まで続けるとSnip, snap, snout. This tale's told out. となっていて,snoutとoutが韻を踏んでいます。 また,この一節はこのお話を離れて,一種の決まり文句として「これでおしまい,めでたしめでたし」のような感じで,文章の中などで使われることがあります。 ちなみに,ノルウェー語版では snipp snapp snute, her er det eventyret ute. となっていて,これまたsnuteとuteが韻を踏んでいます。 というわけで,私なりの結論としては 1.「あぶらがぬけてなければ」は「その後何らかの事情で脂肪が落ちて,やせたりしてなければ」の意味。 5さんも書かれているように,話者はヤギたちがその後どうなったか,いまどうしているかは知らないというスタンスで,推量形で話を終えています。 そうすることで,話が終わった後に余韻が残るように感じられます。 逆に,「プロジェクトX」のように詳しい後日談を入れるというのも,もっと長い文学作品などでは時々見られる手法ですが,民話ではあまりなさそうです。 「やせてなければ太っているでしょう」というのは当たり前ですが,わざとそういう言い方をしておどけてみせたのかもしれません。 またfatの繰り返しによる音の響きの効果もあると思います。 2.チョキン・パチン・ストンは特に深い意味はなく,民話によく見られるエンディングの一つ。 と思っています。 最後に,この回答を書く上で参考にしたページを上げておきます。 html ノルウェー語の原文が載っています。 De tre bukkene Bruse som skulle g? til seters og gj? pitt. html 英訳文が載っています。 folktale. html 民話の終わり方に見られるいろいろなパターンを集めたページです。 長くなってしまってすみません。 参考になれば幸いです。 原語でどうなっているかが問題だ,とのご指摘がありましたので,それを引き継いで補足しようと思います。 まず,サブタイトルに「アスビョルンセンとモーの北欧民話」とついていることからも分かるように,この話はもともと1841~44年にノルウェーのピーター・クリステン・アスビョルセン Peter Christen Asbjoernsen, 1812-1885 とユルゲン・モー Joergen Moe, 1813-1882 が刊行した『ノルウェー民話集』に収められているものです。 この作品は早くも1859年にイギリスでPopular Tales from the Norseという...
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子どもの頃に聞いた民話や昔話。 「怖かったなぁ」とか「面白かったなぁ」と、今でも物語の印象が心に残っていませんか? 民話などの伝承されている物語には、なぜか少し残酷な部分があるのが世界的共通点です。 今回ご紹介する絵本は、ノルウェーの民話をアメリカの絵本作家Marcia Brown(マーシャ・ブラウン)が、楽しく迫力ある絵で再編したものです。 怖いもの見たさで何度も読んでしまう民話の不思議 個人的にですが、子供時代に読んだ民話絵本で、ダントツに「コワーイ」と感じたのが今回ご紹介する『THE THREE BILLY GOATS GRUFF』(『三びきのやぎのがらがらどん』,福音館書店刊)です。 ある日、橋の向こうに美味しそうな草場を見つけ、「あちらに行ってたくさん食べて太ろう!」と橋を渡ろうとします。 しかし、橋の下には、大きなトロル住んでいて、橋を渡るやぎを食べようとするのです。 三びきのやぎは、かしこく頭を使い、いちばん小さなやぎ、二番目のやぎ、いちばん大きなやぎという順番で、橋を通り、トロルをやっつけてしまうのでした。 「こんな怖い生き物がいるのか!」と驚きました。 そして、衝撃的だったのは、いちばん大きなやぎが、トロルをこっぱみじんにやっつけて、谷川に突き落とすところです。 やぎは、紙を食べるかわいい生き物だと思っていたので、恐ろしいはずのトロルをやっつけてしまう場面に恐怖を感じました。 「あの怖いトロルをこっぱみじんにするなんて、強いなぁ」と感心して、その場面を怖いのに、何度も読みたくてたまらなくなったものです。 子ども時代に恐怖を知ることの大切さ 大きなやぎがトロルを倒す場面の原文を紹介しましょう。 」 この場面は、マーシャ・ブラウンの迫力ある絵の効果もあり、大人でも怖いと感じる人はいると思います。 残酷すぎると感じで、この部分を飛ばして読んだという人もいるでしょう。 また、「トロルと仲直りをしました」と、あえてストーリーを変えて読み聞かせるママもいるかもしれません。 しかし、私は、残酷な部分も、そのまま子どもに読み聞かせるべきだと思っています。 絵本から、怖い場面をすべて排除してしまうのは、あまりにも、もったいない行為です。 子どもが、実際の危険は一切伴わずに、恐怖という感情を体感できる大切なチャンスを、逃してしまうと思うからです。 教訓を重視するのも良いですが、単純に「おもしろいおはなし!」と、楽しんで読み進めることが、子どもの心には一番残っていくと感じています。 5才のお姉ちゃんに英語で読み聞かせましたが、1ページ読むごとに、「日本語でも言って!」と、せがまれ、「読んだ英語文を日本語に訳していく」という読み聞かせになりました。 今回の文章は緊張感があるので、細かい部分を少しでも早く理解したかったようです。 それほど、ストーリーにのめり込んでいました。 読みきかせが終わったあと、一人でこっそり絵本を読み返していました。 感想を聞くと、「トロルが怖かった」とのこと。 今の子どもたちは、情報量が多いので、すでにトロルという生き物を知っていました。 読み聞かせのポイントは、昔ばなし風にリズミカルに読むこと。 翻訳に自信がない方は、瀬田貞二さん翻訳の日本語版(『三びきのやぎのがらがらどん』,福音館書店刊)をこっそり隠し持っていると、急に内容を聞かれたときに安心です。 瀬田さんの翻訳はリズミカルでとても面白いです。 例えば、この一文は次のように訳されています。 ) 私も5才のお姉ちゃんも(山のくさばでふとろうと)というくだりの言い回しが、おもしろくて笑い、大好きになりました。 楽しい民話を子供たちに知ってもらいたい 作者のマーシャ・ブラウンは、アメリカのニューヨーク州で生まれ、絵本作家として多くの作品を残しました。 『』(『』,岩波書店刊) 『』(『』,福音館書店刊)など、民話や童話を再編した絵本を得意としています。 民話の再編者としては、グリム兄弟(Brothers Grimm,ドイツ)、アンデルセン(Andersen,デンマーク)、シャルル・ペロー(Charles Perrault,フランス)、イソップ(Aesop,古代ギリシア)などが、世界的に有名です。 日本のむかしばなしも、先人たちの口頭伝承によって今日まで伝えられて来ています。 彼らとは、少し違うアプローチですが、マーシャ・ブラウンの作品のように、楽しい絵本として、残していくことも、大切なのだなぁと感じました。 民話が消えてしまわないように、伝承して、未来の子ども達に、語りついでいかなければなりません。 私自身がそうであったように、まずは、今の子ども達にファンになってもらい、未来の子ども達につなげていくことが一番の近道ですね。
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