ダーク ナイト 考察。 映画『ダークナイト』感想┃近代映画に転換期を与えた傑作を考察

映画「ダークナイト」が”いかに素晴らしいか”を7つのポイントに分けて解説!|マイペースナイト

ダーク ナイト 考察

『ダークナイト』を含むクリストファー・ノーラン監督・脚本のバットマン三部作は、「ダークナイト ・トリロジー」と呼ばれ、非常に完成度の高い三部作映画として今もなお語り継がれている。 DCエクステンデッド・ユニバース DCEU では、ベン・アフレックを起用した新たなバットマンの姿も描かれた。 7月11日には、『ダークナイト』のメインヴィランであったジョーカーを主役に据えた単独作品が、ベン・アフレックの義弟であるホアキン・フェニックス主演で撮影されることも発表された。 ダークナイト・トリロジーは映画界だけでなく、「バットマン」というコンテンツにとっても、大きな影響を与えるシリーズとなったのだ。 ダークナイト以降に登場したトリロジーに注目 大ヒット後に監督が交代した「猿の惑星」 ダークナイト・トリロジーの大きな特徴は、全ての作品で同一監督が脚本を執筆しているという点である。 これが今では如何に特異であることは、ダークナイト・トリロジー以降に登場したSFトリロジーを見れば明らかだ。 まず最初に挙げられるのは、2011年公開の『猿の惑星:創世記』から始まった「猿の惑星」新シリーズだろう。 「創世記」の大ヒットに続き、『猿の惑星:新世紀』 2014 、『猿の惑星:聖戦記』 2017 と、3年に一本のペースで製作が行われた。 一作目の「創世記」で監督を務めたルパート・ワイアット監督は、スケジュールの問題により続編は降板、二作目以降は「クローバーフィールド」シリーズで知られるマット・リーヴス監督が指揮を執った。 創世記のヒットを受けて続編製作が決定した為、ワイアット監督はスケジュールを合わせることができなかったのである。 もちろん、この新三部作が名作シリーズであることに違いはないのだが、クリストファー・ノーラン監督が全作品で脚本を書き指揮を執ったダークナイト ・トリロジーのように、最後まで一人の監督によって製作が進められたものではなかったのだ。 来年には「エピソード9」の公開が予定されているが、こちらも複雑になっているのは監督人事だ。 「フォースの覚醒」では『スター・トレック』のJ・J・エイブラムスが監督と共同脚本を手がけたが、「最後のジェダイ」では同監督は製作総指揮に回り、ライアン・ジョンソンが監督と脚本を担当した。 「最後のジェダイ」の撮影時期は、ちょうどJ・J・エイブラムス監督が製作総指揮を務めたドラマシリーズ二作の撮影時期にも当たる。 ディズニーによる買収後、外伝も含めて毎年リリースされることになった「スター・ウォーズ」シリーズを、一人で捌くには当然無理があるのだ。 そして やはりというべきか 、事件は起きる。 2017年9月、「エピソード9」の監督を務めることになっていたコリン・トレボロウ監督が、脚本の内容を巡って製作会社のルーカス・フィルムと衝突。 結局、第一作で指揮を執ったJ・J・エイブラムス監督が後任に決定した。 以上は、「スター・ウォーズ」という「公共財」の域にある作品ならではの問題かもしれない。 それに、「映画監督」という職業自体が、製作総指揮という仕事やテレビシリーズを手がけるようになったことにも、理由はありそうだ。 だが、いずれにしても、もはや監督主導で映画を作る時代ではなくなったという事実が、一連の騒動を生み出したと言えるだろう。 偉大なコンテンツであるということは、「バットマン」シリーズにも言えることなのだから。 クリストファー・ノーラン監督が振り返る「贅沢な時代」 実は5部作!? 同一監督だから扱えたトリロジーを超えたテーマ では、ダークナイト ・トリロジーの三作全てを監督し、脚本も執筆したクリストファー・ノーラン監督は、こうした現在の映画界の状況をどう見ているのだろうか。 彼は、2005年に『バットマン ビギンズ』、2006年に『プレステージ』、2008年に『ダークナイト 』、2010年に『インセプション』、2012年に『ダークナイト ライジング』を発表している。 全ての作品で自ら脚本を手がけているのだが、この5作には通底するあるテーマが掲げられている。 そのテーマは作品を観てご確認いただきたいが、ここで重要なポイントは、当時のクリストファー・ノーラン監督が描きたかったテーマが、五つもの映画作品を使ってふんだんに扱われたということである。 バットマンシリーズまでその一部になってしまうとは…まさに監督主導の時代を象徴している。 特権の時代の先に そんな時代を生きてきたクリストファー・ノーラン監督だが、昨年の12月にロンドンで行われたBAFTAにて、当時を振り返ってこんなコメントを残している。 映画の作り手が、あんな特権と贅沢を享受することは、もうないでしょうね。 どんな監督でも製作会社に対して、「次回作は作るよ、でも四年後くらいになる」と言える最後の時代だった。 今では公開スケジュールが切迫しすぎている。 でもね、クリエイティビティにとっては、大事なことだったんです。 人として、脚本家として成長し、同じ仲間ともう一度仕事をする為の特権を持っていたんですよ。 by クリストファー・ノーラン ダークナイト・トリロジーに「ダークナイト」の名が冠されているように、このシリーズがここまでの成功を収めることは、『バットマン ビギンズ』の時点では予想されていなかったことだ。 『ダークナイト』、『ダークナイト ライジング』の製作を見据え、腰を据えて脚本の執筆と製作に臨めた環境こそが、「トリロジー」としての大成功を生んだのだ。 クリストファー・ノーラン監督は、そのような環境はあの時代の「特権」だったという。 マーベルやDCが競うように年間複数本のユニバース作品を発表し、毎年「スター・ウォーズ」シリーズが公開されるようになった現在、監督や脚本といった仕事、そして映画製作のあり方は、一体どこへ向かうのだろうか。

次の

相棒13ダークナイトが後味悪いありえない最終回。続編の相棒14はやらないのか?

ダーク ナイト 考察

カービィの正体 カービィは、 ダークマターの一族の一体であると言われています。 ダークマターとは、プププランドの平和を脅かす、悪の心を持った侵略者のことです。 星のカービィ2ではダークマター自らが、星のカービィ3においてはゼロと呼ばれるダークマターがボスとして立ちはだかります。 星のカービィ64では、コピー能力を使ってくるミラクルマターなどのダークマターの他、ゼロツーという、カービィ3のボス「ゼロ」の面影を残した不気味なボスがカービィを倒すべく襲いかかってきます。 それぞれが、世界を闇に陥れるという目的を持っており、カービィは何度もこれらと戦うことになります。 そんなダークマターが、なぜカービィと同じ一族であると言われるのか? その根拠として、 グーイと呼ばれるキャラクターがあります。 グーイはダークマターです。 しかし、例外的に善良な心を持っており、カービィと同様にコピー能力を使うことが出来ると、公式より説明されています。 実際に、星のカービィ3では2P専用のキャラクターとして登場しており、見た目は違えど性能はまるでカービィと同じです。 コピー能力はカービィ固有のスキルでなく、ダークマターであるグーイも使用可能であることが分かります。 また、ダークマター一族の「ミラクルマター」というボスも、コピー能力と思しき力を使ってカービィを倒しにきます。 カービィがダークマターと同じ能力を持っているだけでも不可解ですが、まだ特筆すべき点はあります。 星のカービィ3において、 カービィはHPがゼロになってやられてしまった グーイを自分の体力を削ることで復活させることが出来るのです。 これはまさに、自身も同じダークマターであるからこそ可能な行動と言えるでしょう。 スーパーデラックスで登場するヘルパーと呼ばれるカービィの味方は、1度やられてしまうと復活させることが出来ません。 それに対して、グーイに限っては自身の体力を犠牲にすることで復活させられる。 つまり、 カービィはグーイと同じ善良なダークマターであると考えられます。 メタナイトの正体とカービィとの関係 メタナイトは、星のカービィ夢の泉の物語という作品で初登場した剣術を得意とする仮面の剣士です。 仮面の奥の素顔や、その姿がカービィとよく似ていることから、しばしばカービィとは何かしらの関係があるのではないかと囁かれています。 メタナイトは、普段は素顔を仮面で覆い、メタナイツと呼ばれる部隊を率いています。 初登場した夢の泉の物語では、カービィを倒すために。 スーパーデラックスという作品では、プププランドを侵略するべく自ら編成した組織、メタナイツを率いて襲いかかってきます。 このメタナイトですが、その正体は カービィと同じ星の戦士であると考えられます。 初代や2などにおいて登場しなかったのは剣の修行に励んでいたからであり、初登場が夢の泉の物語になったのはそのためでしょう。 これは憶測になりますが、メタナイトはカービィが誕生する前から存在しており、長いこと、プププランドを守っていたのだと思われます。 守るためには強くなる必要がある。 そのために剣の修行をしていたのでしょう。 彼は常に強さを求めていますが、それはこうした事情があったからだと考えられます。 また、メタナイトには正義の心があることは確かです。 そのために、何度もカービィに攻撃を仕掛けてきたのでしょう。 まずメタナイトは、何らかの方法でカービィがダークマターの一族であることを知ります。 ダークマターは、星のカービィ2にてプププランドを暗黒に染め上げようとした悪そのものです。 もしもカービィがそれと同じ素質を持っているならば、野放しにしていては危険と考えることが通常でしょう。 夢の泉の物語で、メタナイツを率いてカービィを襲撃したのはそのためで、この時は本気でカービィを叩き潰そうとしていたと思われます。 その後、スーパーデラックスにおいては、プププランドを制圧するという野望を掲げて侵略をしてきます。 正義の心を持つメタナイトにしてはかなり荒い行動ですが、これは表向きの目的であり、真の目的はカービィの正義の心を試すことだと考えられます。 プププランドを救い続けるカービィには、ダークマターでありながら善の心があると考えたために、メタナイトはこのような行動に出たのでしょう。 その後、メタナイトはカービィをライバルもとい真の勇者と認めたのか、シリーズが進むに連れて、自身がカービィの味方として共に戦ったり、カービィの代わりにプププランドを守ったりと協力的な一面を見せています。 なお、 メタナイトとカービィとの関係は、同じ星の戦士というだけで 特別な関係はないと思われます。 見た目は似ていますが、実際のところはいかなる繋がりもないでしょう。 いわゆるソックリさんというやつです。 もしも 関係があるならば、どこかでそれをにおわせる要素を公式が出すでしょう。 今に至るまで全く触れられていないということは、やはりカービィとメタナイトは、似たもの同士の赤の他人であると考えられます。

次の

【ネタバレ解説】『ダークナイト』はアメコミ映画の傑作!その人気の理由を考察解説!ジョーカーの怪演も歴史に残る!

ダーク ナイト 考察

ヒースレジャーの遺作にして代表作。 彼が演じたジョーカーは世界中で絶賛されました。 今回は映画「 」について、 主にジョーカーにスポットを当て書いていきます!• 第一部(ネタバレなし) 「リアルなバットマン」という挑戦 「」は新生シリーズの第二作目。 一作目「 ビギンズ」で監督を務めたが続投しています。 ノーランといえば、「 大味娯楽大作をリアルに描く」ことに定評のある監督。 こうした ジャンルムービーを重厚かつ精巧に作り込んでいくのが彼の持ち味です。 「 ビギンズ」も、そうした語り口は健在。 それまで家族向けヒーロー映画として製作されていた 実写をリアル路線で描くことに成功しました。 ……というのが世間的評価。 では私はどうかというと、 正直ノレませんでした。 スーをリメイクした「マンオブスル」の時も感じたんですが、このころのヒーロー映画は リアル&陰鬱に描くことに注力し過ぎて、ヒーローモノに肝心な「スカッとシーン」が激減。 マンオブスルに至ってはほぼ皆無(汗) マーベル映画のような「 弱者を助ける陽気な英雄」モノが大好きな私には、かなり食い足りない印象でした。 では、はどうか。 リアル&陰鬱路線は継続しているのですが、それが作品に良い効果を生んでいます。 リアルな「ジョーカー」の構築 なぜ、リアル&陰鬱路線が功を奏しているか。 それは、ジョーカーという存在によるものが大きいです。 てか、 本作の主人公はジョーカーです。 の宿敵として、過去に多くの俳優が演じたジョーカー。 ファンタジックなピエロ姿の(悪役)として描かれてきたキャターを、本作では「 現実にいてもおかしくない凶悪犯」として構築。 このジョーカーを演じたのは、 名優ヒースレジャー。 彼はこれまで、やのオファーがありながら、拒否してきたそう。 曰く、「ヒーロー映画に興味がない」。 しかし、「ビギンズ」を観て、彼のなかで意識が変わり始めます。 その後、ジョーカー役のオファーを受諾。 ヒースは徹底した役作りに挑みまず。 ホテルに引きこもり、「 狂気の笑い」を特訓。 ピエロやジョーカーについて徹底調査。 そして、撮影現場に現れたヒース。 ノーランは、彼の姿に目を剥きます。 雑に塗られた白塗り。 鋭く引かれた口紅。 目には淀んだ黒塗り。 敢えて雑に塗ることで、 「リアル」を表現したメイク。 その様相を、ノーランは絶賛。 メイクは採用となりました。 「さあ、俺を轢け!」 恐怖のメイクに、ピシっと着こなした紫のスーツ。 彼がスクリーンに映るたび、思わず見とれてしまう。 ヒースは 言葉ではなく佇まいで「ジョーカー」を語ることに成功しているのです。 たとえば、中盤。 に乗り、直進する。 前には、ジョーカーの姿。 ひょうひょうとのほうへ向かうジョーカー。 猫背で両手を広げ、「 さあ、俺を轢け!」とを挑発します。 「人を殺さない」という信念がある。 叫びながら猛進するものの、ジョーカーを轢く選択を取れず、は右折し横転。 身体の痛みに呻き、ニューヨークのに倒れる。 彼に近づくジョーカー。 満面の笑み。 人々の善や信念に揺さぶりをかけるジョーカーの姿は、 洗練された「潔さ」を持っていて、悪役なのに応援したくなります(汗) 終盤。 その「善」と「信念」を崩し、 自身の「悪の美学」を貫くことに成功したジョーカーが、 パトカーの窓から顔を出し、すがすがしい顔で風を浴びるシーン。 やったね!ジョーカー! そう思ってしまう自分がいる(汗) ヒースの演技はジョーカーに命を吹き込んだと同時に、キャターの魅力を与えたのです。 シティの「善」である検事のハービー・デント。 中盤、彼と、彼の婚約者であるレイチェルが誘拐されます。 どちらにもガソリンと爆弾が積んである。 そうに伝え、高笑いするジョーカー。 「場所を言え!」と叫び、ジョーカーの胸倉を掴む。 ジョーカーはレイチェルの所在を伝えます。 レイチェル救助のためバットポットを走らせる。 しかし、教えられた所在にいたのは……ハービーだった。 「 何故オレのところへ来たんだ!」憤るハービー。 レイチェル側は爆破。 婚約者を失ったハービー。 彼の入院先に、看護師姿で現れるジョーカー。 ハービーに復讐心を植え込み、結果、彼は悪側に堕ちていきます。 これ、私の勝手な推測ではありますが、 は、ジョーカーが伝えた所在がハービーのものだと知っていたんじゃないか?と思うンです。 も馬鹿ではないので、「あれ?意外とすんなり所在を教えたな。 これはまさか……」と察したんではないかと。 というのも、初見時、私自身が「これ、逆ってパターンじゃね?」と気付いたからです。 では、気づきながらも何故、ハービーを選んだか。 が、「社会に価値のある存在はどちらか」を天秤にかけた結果ではないか、と思うのです。 地方検事ハービーがいなくなれば、「善」がなくなり、シティは混沌に陥る。 明らかにこの街に必要な存在。 では、レイチェルはどうか? 「ハービーの恋人」という価値はあっても、社会の価値としては……。 そうした思索がのなかに渦巻いていたのではないでしょうか。 終盤、ジョーカーはこの 「社会の価値」を「命の選択」の天秤として提示します。 海に浮かぶ二隻のフェリー。 一方には、一般市民が乗船。 もう一方には、囚人が乗船。 双方にスイッチを持たせ、ジョーカーはニタリと笑い、こう告げる。 「 どちらかを爆破すれば、どちらかが助かる」 スイッチを押せば、自分たちは助かる。 心の葛藤を抱えながら、スイッチを押すことを躊躇する。 結果、お互いがスイッチを押すことを拒否。 その間にはジョーカーの居所を掴み、逮捕する。 ……という、最後は人々の善が勝利し、ジョーカーに打ち克つことが出来た、という展開。 スイッチを押さなかった囚人たち、あっぱれ!刑軽くしてやって!(笑) 正直、私が市民の立場だったら、 「うーん、ごめんなさああああい!」って言って押しちゃいそうだし、 わりと理想化された幕切れだとは思うンで、「リアル路線」と外れてしまってるのでは?という見方も出来なくはないですが、 しかし、 「人はみな善を持ち、悪を否定する」という、ヒーローモノといえばコレ!ってなテーマをきっちり描いてくれたこの展開には感動いたしました。 ごちそうさまです。 揺さぶり足りない問題 以降、ジョーカーは登場せず、 復讐の鬼と化したハービーが暴走していく……という展開になっていくンですが、 うーん、 揺さぶり足りない。 というのは、 コミック版では、ジョーカーはもっとエグいことをやるわけです。 人間の心を踏みにじるような行動を繰り返すことで、精神を蝕み、ダークサイドへ落としていく。 それと比較すると、今回のの「命の選択」というシークエンスは物足りない!と感じてしまうんですよね……。 何故、コミックよりソフトになったか? それは、 本作が「ファミリームービー」であることが要因でしょう。 でもさ、これを家族で観に行く人いるんけ?!(笑) 2019年に製作されたフェニックス主演の「ジョーカー」は、 R15指定にし、徹底してオトナ向けのつくりにしてあるので、そのへんの深掘りは見事になされていて大傑作なのですが、 ヒースレジャー版ジョーカーでもそれが観たかった……というのが、私的意見。 そして、それはもう二度と叶わない。 うーん、もったいない!!! 続編「ダークナイト ライジング」について 以上がレビューなんですが、 本作の続編にしてシリーズ最終作「 グ」について少し書きます。 「」公開後、その評価の高さから、次回作の噂が立ち、 記者が監督のノーランにその旨を問うと、 「 みんなは映画のシリーズもので出来の良い3を思いつくか?」 と答えたそうな。 三作目を作ること、その意義を悩んでいたそうです。 結局、製作が決まり、公開。 私の感想は「うーん、いらなかったのでは?(汗)」です。 やたらと長く、悪にも魅力を感じない。 単調なアクションシーン。 緊迫感のないカット割り。 ストーリーラインは綺麗な流れになってはいるものの、その「綺麗さ」にこだわるあまり、にはあった「いびつさ」という魅力が薄れていってるかなー……と思ったり。 し・か・し! は間違いなく大傑作。 All Rights Reserved.

次の