ヴィア・ドロローサ(悲しみの道) 日本人は基本的に拒否反応を示す人が多いけど、世界的には自分の宗教を持ち信仰している人のほうが圧倒的に多い。 海外にあるカトリックや、他の教会の建物は別に信徒でなくとも自由に入れることが多く、本当に大きな教会はその美しさに圧倒される。 2001 年にイスラム教スンニ派のアルカイダが起こした同時多発テロの光景をテレビで見ながら、宗教間の溝はこんなに大きいものなのかと衝撃を受けたのを覚えている。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも一神教であり、神観の違いはあれど、聖書に端を発する彼らが信じる神は同じ存在である。 ちょっとピンとこないかもしれないが、一神教ということは彼らの神は必然的に全く同一の存在を示すということになる。 のちに少し触れるが、パレスチナ地方のエルサレムは3つの宗教全てにおいて聖地とされている(地区は分かれているが)。 単純に3つの宗教の違いというだけではそれはあまりにも多岐にわたるけれども、重要なのはそれらを生み出している、最も根本的な、核心的な違いは何なのかということである。 立場によって見方は変わる。 ただ僕が考えるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの宗教が生まれた原因に対する答えは イエス・キリストに対する解釈の違いである。。 イエスキリストに対する解釈が違うことによって、すなわち イエスをどういう存在としてそれぞれが受け入れたかによって、この3つの宗教は生まれ離れてしまったといえるだろう。 以下は3つの宗教のざっくりとした違いである。 重要視する教典が違う 救済とメシヤ(救世主)に対する観が違う 終末の意義が違う 神観が違う• まずはユダヤ教から見ていくことにする。 ユダヤ教にとってのイエスは異端者 ホテルとかにもよく置いてある聖書を見たことがあるだろうか。 中を見てみると基本的には旧約聖書と新約聖書が両方入っている。 ユダヤ教が用いるのが旧約聖書で、キリスト教徒は旧約と新約両方を用いるが、キリスト教徒にとっては新約のほうが重要 である。 イエス・キリストが出て来るのが新約聖書で旧約にはイエスは出てこない。 旧約聖書という言い方はそもそもキリスト教徒が言い出したものでユダヤ教徒にとっては聖書といったら、クリスチャンの旧約聖書だけを指している。 旧約というのは『古い約束』という意味で『古い』と言っているあたり、これはキリスト教徒がユダヤ教を揶揄して、すなわち、わずかな侮蔑を含んで使っているということがわかる。 旧約聖書で有名な人物といえば紅海を割ったとされるモーセや信仰の祖と言われるアブラハム、あとはダビデやソロモン王くらいは日本人でも知っているだろう。 ユダヤ教の教えの中心はモーセがシナイ山で神から賜ったとされる十戒である。 ただの十個の戒めというわけではなく、こうしなさい、ああしなさいというルール、掟のようなものがこの時に大量に作られた。 旧約聖書にはかなり詳細にユダヤの律法の元になった記述が載っている。 では過去のユダヤ人は旧約聖書の中に彼らの最大の願いとして何を見ていたのか。 それがメシヤの降臨である。 モーセもアブラハムも預言者とされているが、モーセ以降、イエスが生まれるまでにユダヤ人には多くの預言者がいたのである。 一般的には4大預言者とか12小預言者 と言われる。 ではユダヤ人はメシヤをどのような存在として捉えていたか。 それは ユダヤ人を導くものである。 旧約聖書の記述を見るとアブラハムは神の命令で故郷を出てカナンの地(現在のパレスチナ:故にパレスチナはユダヤ教徒にとって重要な地である。 先祖の土地。 先祖が神様から与えられた土地。 神様と約束した土地という感じである。 )に住むようになった。 カナンではたびたび飢饉が起こった。 それ故にアブラハムの子供の子供であるヤコブ、のさらに子供のヨセフの導きでエジプトに移住する。 しかし時が流れエジプトでユダヤ人が増えすぎて、エジプトの王が脅威に感じるようになり、ユダヤ人を奴隷として酷使するようになる。 モーセによって解放されたユダヤ人は再びパレスチナ地方に戻るが、のちにバビロニアによって滅ぼされ捕囚とされる。 何とか戻ってきて預言者マラキの指導の下、建国したユダヤはローマの属国である。 すなわちローマの支配を受けている。 長い年月に渡り、多くの困難を経験したことがユダヤ教のメシヤ観につながっている(もちろんこれは信仰的な見方で はなく、歴史的な現実的な見方である)。 ユダヤ人からしてみれば試練の中にあっても、自分たちは神の選民なのだから、必ず神が我々を解放してくれる救世主 を送ってくれる、という預言が生まれる。 預言者というとノストラダムスのように『未来のことを言い当てる人』みたいなイメージがあるかもしれないが、宗教的ない意味でつかわれる預言者は『神のお告げを述べ伝える人』という意味である。 つまり通常の人には神の声は聞こえない。 それで民族全体を代表して神からお告げを受け、それを皆に伝えて民族を引っ張っていくリーダーのような存在である。 彼らの言葉をユダヤ人は信じ、試練の中にあって も慰めや励みとしてきたということである。 つまりユダヤ教にとってのメシヤとは 他国の支配や抑圧から解放してくれる政治的な解放者ということだ。 この点がキリスト教徒とは大いに異なる。 ユダヤ教にとってのイエスはどのような存在であるか? イエスはユダヤ教を変革しようとした。 だから当時のユダヤ教の指導者たちの言っていることとは異なる教えを説き始めた。 またユダヤ人が必ず守る安息日には働いてはならないという掟を破った。 その言動がユダヤ人の指導者、律法学者たちにはうっとうしかった。 それでローマに訴えられた。 つまりユダヤ教にとってイエスは、 教えを無下にする異端者である。 今でもそれは変わらないだろう。 だからイエスの言葉が中心の4つの福音書で構成されている新約聖書は彼らにとっては教典ではない。 キリスト教はもちろんイエスが十字架で亡くなった後に生まれたが、 イエスの言葉でユダヤ教が大きく書き換えられたというか更新されたものがキリスト教である。 ユダヤ人にとってメシヤはまだ来ておらず、預言者の予言を信じて今でも彼らはメシヤの降臨を信じている。 気の長い話である。 ユダヤ教まとめ 教典: 旧約 聖書、タムルード 救い:政治的開放、神から与えられた約束の地に安住、繁栄(これはキリスト教やイスラム教に比べて極めて現実的なことである)。 メシヤ:政治的な解放者、まだ一度も来ていない。 終末:よくわからない。 神: 超越神。 人間をはるかに超えた存在。 掟、ルールを守らせる神。 偶像を禁止。 旧約聖書の中では神は幾度となく人間を不信仰、不道徳を理由に殺している。 ノアの洪水やソドムとゴモラを滅ぼしたり。 神は恐れ多い存在。 キリスト教徒との大きな違いは赦しのなさ。 だからユダヤは戒律にものすごく厳しい。 以下、ユダヤ教についての追記 ユダヤ教の経典は聖書である。 キリスト教徒たちはユダヤ教徒の聖書を旧約聖書と呼ぶ。 旧約とというのは『神と人間の古い約束』という意味であり、イエスキリストによってその約束が更新されたと考えているのである。 だからキリスト教徒にとっては新約聖書のほうが重要だが、ユダヤ教徒はイエスを受け入れていないので、キリスト教徒たちの言う旧約聖書が経典である。 逆に言えば『旧約聖書』という言い方は少し馬鹿にしたようなニュアンスが入っているように感じる。 タムルードとはモーセの時代に作られたユダヤ人の行動規範を後にもっとよく編集したようなものであるがぼ僕も読んだことはない。 モーセはもちろん聖書の中では神からお告げを受けてそのような規範をつ創るわけだが、実際には当時のユダヤ民族のリーダーたちと相談しながら、少しずつ規範を考えたのだろうと思う。 またユダヤ教徒にとっての神はユダヤ人のみを援助する神であり、聖書をみればわかるが、ユダヤ民族の神、通称『ヤハウェ』は明らかにユダヤ民族をひいきしている。 一神教の神であれば宇宙や人間の創造主としての神であり、すべての人類を大切にしてもいいような気がするが、そうではない。 だからユダヤ教は民族宗教の域を出なかったのである。 民族宗教というのは特定の民族に信仰されている宗教であり、反対の言葉は世界宗教という。 次に出てくるキリスト教やイスラム教は世界宗教である。 イエスはユダヤ民族だけでなく人類全体を罪から救おうとしたのである。 もしかしたらユダヤの民族主義にうんざりしていたのかもしれないとも思う。 ユダヤ教はキリスト教やイスラム教よりもその歴史は古く、世界で初めて『唯一神』という概念を生み出した宗教である。 それまでは多神教が主要であった。 古代ギリシャやローマの神もさまざまな神がいて、明らかに多神教であることがわかる。 キリスト教にとってのイエスは神の子、神と人間の仲保者 キリスト教といえば十字架だろう。 十字架を神聖視し大切にする。 だが別にこれはイエスが言ったことではもちろんない。 当たり前である。 イエスは十字架によって刑を受けたのだから。 イエスの死後、神学的に後付けされたものに過ぎない。 十字架は当時最も忌み疎まれるものだった。 当たり前である。 それは一番苦しい処刑の仕方だったのだから。 キリスト教はこの十字架のイメージを救いの象徴であるかのように甘美なものにするのに大変苦労したようである。 それについてはここでは詳しくは触れない。 神の子としてのイエスの言葉を中心にした新約聖書 キリスト教徒にとって旧約聖書よりも重要なのは、新約聖書である。 ヨハネによる福音書のなかでイエスは、モーセは私について書いたのであるという言葉を残している。 イエスは人間の中にある罪や悔い改め、それによって神から受ける赦しなど、ユダヤ教よりも人間の内面的な内容について多く教えた。 例えばユダヤの十戒は人をこ〇してはならない、泥棒してはならないなど、外的な行動を制限するものが多い。 それに対してイエスは信仰や謙遜、愛といった目に見えないものを説いた。 イエスの言葉については以前まとめたので参考までに。 イエスの教え(というか長い歴史の中で築かれたキリスト教神学)において、ユダヤ教と異なる内容は多くあるが、重要なものをいくつか。 イエスは神のことを父と呼んだ。 イエス自身は神と人間の仲保者であり、自分を通さないと人間は神に帰ることができないとした。 神を父と呼んだことが重要である。 すなわち人間は神の子供であるという神観を作り出した。 ユダヤ教の神は絶対的に従わなければならない恐れ多い存在であるに対し、キリスト教の神は人間を深く愛し、罪を赦す、そういう面が強く神の性質として受け入れられた。 聖書に記録されている有名なエピソードがある。 姦淫の女をユダヤ人の律法学者たちが石で撃ち殺せ、という中でイエスは彼らに対して言うのである。 『あなた方のうちで罪を犯したことのないものが最初にこの女に石を投げよ』と。 すると 誰も石を投げることなくその場を立ち去るのである。 現実的な見方をすれば当時の遊女や取税人(取税人とは税を徴収しローマに収める人のこと。 ある面ローマの手先のようなイメージであまり好かれていない)のような卑しい身分の人でも救いが得られるというその寛容さで庶民の支持を得たのではないかと思う。 聖書の中ではイエスは病気を治したり、目の見えない人の目をみえるようにしたり、様々な奇跡を行っているから、その神通力についていった人も多くいたのではないかと思う。 そして人間の救いは罪を無くして天国に行くことであるという観念が作られた。 罪を無くすためにはイエスに対する信仰と悔い改めが必要である。 すなわち キリスト教徒にとってのメシヤとは神との仲保者であり、罪からの解放者である。 イエスは自身がもう一度地上に再臨することを約束し、キリスト教徒はメシヤの再臨を待っている。 死後に天国に行くこと メシヤ:神との仲保者 終末:イエスの再臨、天変地異によって世界が滅びる。 イエスを信じる者がイエスと主に天国に入る。 (宗派によっても異なるが聖書の記述が根幹) 神観:母性の神。 愛の神。 赦しの神。 人間の父として人間に近い存在。 イスラム教にとってのイエスは預言者の一人。 しかし神の言葉を伝えるのに失敗した預言者 祈りを捧げる子供 数年前はアメリカ大統領のトランプがイスラム教徒に対する偏見に満ちた発言を繰り返していた。 最近は日本でもアジアや中東から来日した人を中心として、イスラム教徒ムスリムの姿をたまに見かけるようになってきた。 世界ではイスラーム教徒の人口が増え続けていて、いずれキリスト教徒を追い抜くといわれている。 キリスト教徒との間においては歴史的には十字軍による国土回復運動で多くの血が流れ、ユダヤ教徒とはパレスチナ地域をめぐり、中東戦争から続く紛争がいまだ解決してはいない。 旧約聖書も新約聖書も用いるが、一番重要なのはクルアーン。 イスラム教徒にとってイエスは、重要な予言者6人(アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマド)の1人であるが、神の言葉を正しく伝えたのはムハンマドだけで、他の預言者はそれができなかったとされている。 ムハンマドは大天使ガブリエルから神の言葉を受け取っていたとされる。 イスラム教の初期はそれらの言葉を口伝していたが、歪曲されることを恐れた後継者がマホメットの言葉を編集してクルアーンを作った。 クルアーンはあまり読んだことがないから、わからないがどうもユダヤ教的な超越神的な神をムハンマドは伝えたようだ。 ゆえにユダヤのように戒律に厳しく、神の偶像を強く完全に禁止している。 またキリスト教のように神と人間を仲介するメシヤや救世主といった思想はなく、ムハンマドも最大の預言者といわれるが、飯を食べ市場を歩く人として、ただの人とされる。 クルアーンに基づく終末論 これは重要な教訓である。 神を恐れる者たちには、良い帰り場所がある。 それは永遠の楽園であり、その門は彼らに開かれている。 (38章49節・50節) あなた方は、われわれ(神)が無為にあなた方を創造したと思っていたのか。 あなた方は我々の下に帰されないと思っていたのか。 (23章115節) クルアーンによれば終末は定められた期間が終わればすべてが神のもとに帰る時である。 イスラム教徒にとってのイエス 第二バチカン公会議の宣言分の一部にこのようにある。 カトリック教会は、唯一にして生きて存在し慈悲深く全能であり、天地の創造者であり、人間に語り掛ける神を奉じるムスリムを敬意をもって見る。 (中略)・・・・彼らはイエスを神として認めようとはしないものの、彼を予言者として尊敬する。 イスラームではイエスを神の子としては認められていないが偉大な予言者として敬われているし、イエスの母マリアも敬虔な女性の模範として褒め称えられている。 しかしユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの中で最も神観を持つイスラームでは、キリスト教の三位一体説(神とイエスと聖霊は3つの神ではなく1つの神であるとする説)やイエスの受肉(神の言葉がイエスという人間となって地上に降りた)という考えは認められない。 またキリスト教においても、預言はイエスの十字架によって成就されているのでムハンマドを最終預言者として受け入れることはできないし、クルアーンも聖書には代えられない。 慈悲深い神であれば、ユダヤにもイスラムにも通用するが、父なる神であれば、子が想定されなければならない。 それでキリスト教神学において、イエスが神であると同時に人であるという三位一体論が定着していく。 このようにイエスに神性を加えたことによって、キリスト教はユダヤともイスラムとも対峙するようになっていく。 ちなみに以前、イエス・キリストの父親がだれなのかということについて書いたが、キリスト教徒からすればイエスは母親のマリアが処女のときに聖霊によって身ごもったのであり、父親はおらずイエスと神は同一であるというふうに考えているが、イスラム教徒にとってはイエスは神の子ではないので、父親はいるという冷静な判断ができるらしい。 僕が以下の記事で紹介しているものと同じ結論だ キリスト教の三位一体とユダヤ、イスラムの反応 ここで少しキリスト教の三位一体論について述べておこうと思う。 ユダヤ、キリスト、イスラムが相いれな相いれない大きな原因の一つでもある神の唯一性についてである。 いずれの宗教も一神教という立場は同じであるので神は『唯一人』であるというのが基本である。 しかしながら、キリスト教ではイエスキリストを『神の子』である、としているのでその『神性』を認めなければならなかったのだ。 そこで神学的に体系化されたのが三位一体論である。 これは非常に捉えがたいに内容だが、根源的には一つだけども人間の目に見える形としては神は『父と子と聖霊』の三位において現れる、とするキリスト教の考え方である。 それによってイエスの神性を保とうとしたわけだ。 当然ユダヤやイスラムはそれを否定している。 コーランには次のような記述がある。 『「まことに神こそは三の第三」(三位一体の中の一つということ)等というものは無知の輩。 神というからにはただ一人の神しかありはせぬ。 』 よってユダヤとイスラムは全く異なる宗教であるが、共通するところもあり、その代表がキリスト教の三位一体の否定である。 キリスト教からすれば、イエスの神性そのものを否定されるわけであるのでたまったものではない。 イスラム教まとめ 教典:旧約、新約聖書、クルアーン 救い:イスラムでは人間に罪はないとされる。 よって罪を贖罪するような発想はない。 メシヤ:メシヤ思想はない。 終末:神に帰るとき。 生死という概念よりも来世という言葉で表される。 ゆえに死後の世界や霊界という考えとは少し違う。 神観:人間とはかけ離れた超越神。 神の絶対性や支配者としての側面を強調。 キリスト教の神の子思想と対比して、産みもせず生まれもしない神とされる。 簡単にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の違いを述べたが、最も伝えたかったことは最初にもふ触れたとおり、この3つの宗教が生まれ異なる要因となったのはイエス・キリストを如何に取り扱ったかによると思う。 それが一番重要なことである。 イスラム教については僕は正直そんなに理解してないです。 今後修正できればと思っている。 本記事は以上だが、同カテゴリでおすすめの記事をいかに載せる。 イエス・キリストの言葉をまとめて紹介する記事。 聖書の残されているのイエスの証言は多くはないが、未だに世界中の人々に影響を与え続けているのはすごいことだと思う。 こちらは旧約聖書と新約聖書の違いを宗教的な立場からではなく、できる限り客観的に紹介している。 神の存在に対して懐疑的にならざるを得ない誰もが抱く疑問である、『もし、神がいるならばなぜこの世の中はこんなにも悲惨なのか』ということに対してできる限り理論的に答えている。 my-load.
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目次はこちら• ユダヤ教の特徴 ユダヤ人の民族宗教です。 ヤハウェを唯一神とする一神教で、世界三大宗教とも呼ばれるキリスト教やイスラム教の元になった宗教です。 ユダヤ人は選ばれた特別な存在(聖なる民)だと考え、メシア信仰と呼ばれる救世主を待ち続けています。 メシアはあちこち存在していて「 信じるだけでは救われない」と解釈し、言わば信仰や教義よりも宗教儀式などの行為や実践に重きを置いているのがユダヤ教の特徴でしょう。 歴史 ユダヤ教にとって歴史上画期的なできごとは2つあります。 まず、モーセの指導により民族がエジプトから脱出し、シナイ山において神ヤハウェと契約を結んだいわゆるモーセの十戒(シナイ契約)です。 カナーンの地から飢饉などで難をエジプトから避けていた一部の民族への救いがきっかけで、民族全体にかかわる神の救いの業としてこの民族の意識のなかに深く根を下ろした歴史で、ユダヤ教の一神性と倫理的性格が生まれた瞬間です。 次に、紀元後70年には王国だけでなく、ローマの手でエルサレム神殿をも破壊されました。 神殿祭儀を中心としていたユダヤ教の在り方が根本的に変質を迫られ、国はなくてもユダヤ教団として生きる道を選び、大胆な宗教変更・改革が行い、イスラエル民族のアイデンティティを確立させ、旧約聖書の天地創造物語が作られるきっかけとなったのです。 紀元前二千年紀カナン(パレスチナ)に移住した民族の祖アブラハムにさかのぼりますが、厳密に はユダヤ教として認識され始めたのは、キリスト教の登場以降であると言われています。 開祖 4千年の歴史を持つと言われるユダヤ教には開祖がいません。 と言うより、 長い年月をかけて徐々に生み出された先人の叡智とも言えるため、現代宗教のようにたった1人の開祖によって始まった訳ではありません。 聖典や教典 ユダヤ教の聖典はタナハとも呼ばれます。 律法・預言書・諸書の3部から構成され、キリスト教で 旧約聖書と呼ばれているものとほぼ内容的に一致します。 その中でもイスラエル民と神との契約を記した書トーラー(モーセ五書)を重んじています。 また、ミシュナと呼ばれる口伝律法やその注釈書であるゲマラを加えたタルムードも重要な教典となっています。 ユダヤ教の神「ヤハウェ」 ヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「 宇宙の最高原理」とも呼ばれています。 神ヤハウェは自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど人類を自らの作品として愛し、創世記のとおり人類は内面を神ヤハウェに似せて造られたと言われています。 神ヤハウェは、はっきりしない存在と言われていますが、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、神ヤハウェ自ら預言者たちに試練を与える場面を創世記やシェモース(出エジプト記)に記述したのは、神ヤハウェを実在感のある存在と捉えていたのではないかとも言われています。 ユダヤ教の教え ユダヤ教の教えとされる一般的な教典はタルムードだと言われ、ユダヤ人の 信仰および生活の基盤となっています。 教育、労働、食事、死生観、性、婚姻、商法など、多岐に渡って教義が書かれています。 その中でも教育は最も重要視され、迫害などの歴史が多いユダヤ教では教育こそが身を守る手段と考えられています。 そして、特徴的なのは労働の価値観でしょう。 労働は、神の行った行為だとされ神聖な行為と考えられ、人間は創造主の代わりに労働をする存在として作られたため、その労働により得た賃金や物質は一部を創造主に捧げなければならないという教えが浸透しています。 ユダヤ教の選民思想 ユダヤ教には選民思想があります。 簡単に言えば、ユダヤ人は選ばれた特別な存在だと信じています。 ユダヤ教の選民思想とは、ユダヤ教にとって神と契約(聖約)を結べる唯一の民族だと考え、その契約を守って行くことによってメシアと呼ばれる救世主が現れ、平和が到来する唯一の道だと信仰しています。 そのため、ユダヤ教はモーセの戒律から派生する多くの戒律にユダヤ人が従う義務(使命)があると考えられています。 戒律が多く制約ばかりのように見えますが、逆説的に言えば、より はっきりと進むべき道が神より啓示されユダヤ人に特別に与えられた恩寵だと解釈されています。 ようは、聖約を果たす代わりに祝福を受けると言っても過言ではないでしょう。 ユダヤ教の戒律 ユダヤ教は戒律主義だとも言われる宗教です。 カシュルートと呼ばれる食物についての詳細な規定や安息日 金曜日の日没から土曜日の日没まで に一切の仕事を禁じるなど厳しい戒律があります。 ユダヤ教の食事や戒律についてはこちらの記事で詳しく解説しています。 その中でも一般的人がわかりやすい代表的な違いは3つ( 信仰・聖典・休息日)でしょう。 まず、イエスキリストを神(救い主)であると考えるキリスト教に対して、ユダヤ教はイエスはメシア(救い主)の1人だと考えています。 次に、旧約聖書を重んじるユダヤ教に対し、キリスト教は新約聖書を聖典とします。 そして、ユダヤ教の安息日は土曜日(正確には金曜の日没から)ですが、キリスト教ではイエス・キリストの復活の日である日曜日を主の日と呼び、日曜日を主日として礼拝に捧げています。 ユダヤ教とイスラム教の違い ユダヤ教とイスラム教の違いも沢山あります。 その中でも注目したいのがユダヤ人とイスラム教の大多数を占めるアラブ人の選民思想の違いです。 どちらも選ばれた特別な民だと言う根拠は、宗教の産みの親とも言えるアブラハムの息子が2人いて、 それぞれ片方ずつの子孫がユダヤ人とアラブ人だと言う訳です。 妻サラが生んだ子がユダヤ人、妻サラの所有していた奴隷ハガルが生んだ子がアラブ人という訳です。 念の為、アブラハム共に高齢(75歳)だったサラが子宝に恵まれなかったため、自らハガルを床入れしたようです。 その後、なんと90歳にしてサラが身籠って出産したと創世記に書かれています。 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の繋がり キリスト教は西暦1世紀にユダヤ教から生まれ、イスラム教は西暦7世紀にユダヤ教とキリスト教の影響を受け生まれました。 どちらもルーツは中東に共通の起源を持ち、聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐため、この3つの宗教を アブラハムの宗教と呼んだりします。 ユダヤ教とキリスト教は少なくとも旧約聖書の部分では世界観を共有していますが、イスラム教の世界観はそれらとは独立して存在しています。 アブラハムの宗教は今や全世界で40億人を超え、いずれも一神教であり偶像崇拝を禁じています。 ユダヤ教の聖地 ユダヤ教の聖地はエルサレム(イスラエル)にある嘆きの壁です。 嘆きの壁とは、ローマ軍によって破壊されたエルサレム神殿の現存する唯一の外壁で、ユダヤ教にとって 最も神聖な場所です。 ヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分とされ、ユダヤ人は西の壁と呼んでいます。 イサクの燔祭と呼ばれアブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした台(聖なる岩)を祀る神殿がエルサレム神殿です。 ユダヤ教の日本事情 日本在住のイスラエル国籍者は800名を超え、非常に少ないですがユダヤ教に改宗した日本人も存在します。 ユダヤ教徒=ユダヤ人です。 ユダヤ教徒になれるのはユダヤ人だけで、改宗は簡単ではありませんが逆に日本人もユダヤ教に改宗すれば、ユダヤ人になります。 シナゴーグと呼ばれるユダヤ教の会堂は全国に4つ(東京、横浜、名古屋、神戸)あります。 ユダヤ教の英語表現 ユダヤ教は英語で Judaism と表現します。 ユダヤ人は Jew と呼ばれ、聖地である嘆きの壁は英語で Western Wall と呼ばれます。 基本的に ユダヤ教用語はヘブライ語のため、英語が使われる事は多くありません。 ユダヤ教にとっての天使 天使は、ヘブライ語ではマルアハと呼ばれます。 遣わすと言った言葉からの派生語で、ユダヤの伝承では七大天使の他、天使サンダルフォンや天使メタトロンなどが存在します。 サンダルフォンは背の高さが世界の大きさの半分に達すると言われ、メタトロンは世界の広さにも等しい長身で、36対の翼と無数の目を持ち炎の柱とも呼ばれ、 一般的な御使いとしての天使とはかなりイメージや存在が異なるようです。 ユダヤ教の迫害 ユダヤ教には迫害の歴史があります。 ユダヤ教徒たちは古代に王国が滅亡して以来、1948年のイスラエル建国まで国を持たない民族として世界各地に離散していました。 ユダヤ教の独特な生活習慣やイエス・キリストの処刑に加担したとの考えから、 様々な迫害を受けてきました。 1993年になり、キリスト教カトリックの本部であるバチカン市国とイスラエルとの間に国交が樹立され、2000年3月には、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が過去のキリスト教カトリック教会が犯した過ちを認め、ユダヤ人迫害を容認したことについて懺悔したのは全世界でもニュースとなったのを覚えている人もいるでしょう。 ユダヤ教を信仰している国 イスラエルは国教制度を採っていませんが、ユダヤ教を民族宗教としています。 基本的にユダヤ人=ユダヤ教徒となり、どのような国にいようがユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人であると規定されています。 ユダヤ人の総人口は1500万人を超えていると言われ、イスラエル以外で最も多い国はアメリカでイスラエルと同じ人口がいると言われています。 他に多い国は、フランスやカナダ、イギリスを含めた 5カ国でユダヤ人の8割を占めています。 ユダヤ教の超正統派 19世紀の改革派、保守派の動きに同調しなかったヨーロッパのユダヤ人はすべて正統派と呼ばれています。 正統派のうちでもごく一部の人々はいっさいの変革を拒否し、中世的伝統主義ユダヤ教を保守しています。 彼らはテレビ、新聞をはじめ、現代文化を受け入れません。 しかしその他の大部分は、いわゆる新正統派とよばれる人々で、現代社会の文化価値を受け入れています。 これは、時代の流れへの譲歩ではなく、環境社会の文化を吸収し、かつその社会の言葉でユダヤ教の価値と思想を表現するのは、過去の歴史に明らかなごとくユダヤ教本来の必然性だ、と理解するからだと言われています。 その中でも超正統派とは、ユダヤ教の最右派。 信仰上の理由から 出生率が高く(6. 9人)、国民1人当たりとしても世界一です。 2019年1月時点ではイスラエル国内の信者比率は12%(約100万人)ですが、21世紀半ばにはイスラエル人口の40%に達するとの予測もあり、注目が集まっています。 まとめ.
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ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は、同じ「アブラハム・イサク・ヤコブの神」であり、 その唯一神をどう受け取っているかが三宗教の違いと言えます。 (別の言い方をすると、三宗教は、姉妹宗教です) 歴史的に始めに成立したユダヤ教から、キリスト教、イスラム教が生まれていますが、 キリスト教とイスラム教は、それぞれの神観が発展的に解釈されているので、 宗教性、聖典とされる文書や解釈の仕方も異なっています。 (ユダヤ教とキリスト教) ユダヤ教において、神は自身をイスラエルの民に啓示したとされますが、その民の神理解は全能の超越神というものでした。 改宗者もいるわけですが(歴史的に言っても紀元前では相当いました。 現代でも多数ではないですがいます)、 基本的にはイスラエルの神という民族宗教といえます。 また信仰性として来世的な救済概念は希薄で、この世での救いを重視する現世宗教と言えます。 語弊があるかも知れませんが、日本の神道の性格と この点は近似しているかも知れません。 ユダヤ教文化の中で啓示されたキリスト教では、神は単なる超越神ではなく、 謙って人間と連帯し、共に苦しむ側面を併せ持ちます。 ユダヤ教が、寧ろ世界の外側のただただ超越した絶対神として信仰していたことを考えると、この点は特徴的です。 民族の枠を超え世界宗教となり、肉体の死を乗り越える来世的救済観が付与されています。 キリスト教では、ユダヤ教の信じる唯一神を 「三位一体」の神として信仰します。 三位一体とは、三つの固有の位格「父なる神・御子イエス・聖霊」が、それぞれが互いに呼応し合う関係性を持ちながら、 三つの神ではなく一つの神であるという、キリスト教における奥義です。 キリスト教の信仰は、本質的には、父なる神に向かい、神である聖霊の働きの内に、神であるキリストを通じて なされます。 キリスト教から見れば、ユダヤ教の完成がキリスト教といえます。 ユダヤ教における啓示が無効になったわけではなく、それらの啓示はイエスのもたらす救いの予型であり、 ユダヤ教における啓示を解き明かし、実現するのが、イエスという方、そのものです。 一方、ユダヤ教の見方からすれば、キリスト教とは、イエスをキリスト(=救世主、メシア)と信じる集団です。 それだけでなく、キリスト教ではイエスは単なる救世主でなく、神である「神の子」となっているので、 ユダヤ教からすれば、神観が異なるということになります。 ユダヤ教では、イエスや聖霊に神性をみません。 つまり、イエスは信仰対象ではありません。 ユダヤ教は、文字通りの一神教で、キリスト教でいう「父なる神」をそのまま唯一神として信仰します。 ユダヤ教でいう聖書は、キリスト教でいう旧約聖書です。 イエスのもたらす救いをつげる新約聖書はキリスト教では聖典ですが、 イエスをメシアと認識しないユダヤ教では、当然、聖典でありません。 (イスラム教) 三宗教の中で、歴史的に最後に発生したイスラム教では、国際宗教という面ではキリスト教と同様ですが、 人間と共に歩まれる神という面は消失し、超越神というユダヤ教的な神理解に戻りました。 そこには、神自身による人類の「あがない」というキリスト教的な考え方はありません。 三位一体という概念はなく、同じ神を純然たる唯一神として信仰します。 (キリスト教とは違って、イエスは唯一神の一位格ではなく、預言者の一人という捉えかたとなります) 神の絶対性が強調され、人間観も神との上下的な強いコントラストのもとに捉えられます。 ただ、キリスト教と同様に来世的な救済観を持ち、ユダヤ教的な現世における救いという捉え方はしません。 神と人との関係性は、 キリスト教において「神への信頼」といった表現とすれば、 イスラム教では「神への完全な帰依(絶対的服従)」という言い方で表されるように思います。 イスラム教では、四種の啓典として、クルアーン(コーラン)に加え、モーセ五書、詩編、福音書をみとめますが、 クルアーンが完全な神のことばを伝える聖典であり、それ以前の三種は、正しく完全には神の言葉を伝えていないとします。 ちなみに「アラーの神」とよく日本語で言いますが、 アラー自体が、英語でいう「the God」つまり神を表していますので、「神の神」という重複的な表現です。 「アラーは偉大なり」と言うのは、「神は偉大」という表現で、ユダヤ教やキリスト教でも言われる表現です。 教わったばかりのうけうりを書きますが、 一番古いのはユダヤ教です。 その教典旧約聖書の中にアブラハムという人がでてきます。 その人の子孫がイエス様の母マリアの夫なのですが、 アブラハムが奴隷にうませた子イスマイルの子孫が、マホメットということになっています。 ですから、ユダヤ教からすべてが派生したわけです。 ユダヤ教では、神はイスラエルの民を守ると契約されましたが、 神と同質で一体であるイエス様はイスラエル以外の民もみな平等に扱いました。 ユダヤ教はユダヤ人限定。 しかもたしか母系。 キリスト教は民族国籍不問。 イスラム教も民族国籍不問です。 キリスト教とイスラム教のわかりやすい違いは、 イエス様の父のご先祖の父はアブラハムですが母は正妻サラであり、 マホメットのご先祖の父もアブラハムですが母は奴隷ハガールだったということです。 つまり異母兄弟。 だそうです。 アブラハムは奴隷ハガールを追い出しました。 乳飲み子をかかえて砂漠をさまようハガールが、 神の啓示を受け、泉にありついたのが「ザムザムの泉」で、 「メッカ」ということになっています。
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