2010年09月30日 21世紀は価値観のパラダイムシフトが起こるのはもちろんのこと、経済が不安定になるのは目に見えています。 資本主義の崩壊を叫ぶ学者やアナリストは多いですが、次の時代はどのような価値が重んじらると思いますか?年金問題や預金封鎖など煽られるとどうしても不安になってしまいます。 (秋田県・会社員・Dさん・男性・53歳) 石器時代は、いかに獲物を獲得するかが 決定打でした。 戦国時代は、武術や何万石のリーダーか、 といった腕力、勢力が決定打でした。 20世紀は、どれだけお金持ちか、という のが決定打でした。 もちろん、間には元禄文化や化政文化と いった文化が栄えて、その時代は藝術的 なセンスが評価されたこともあったでしょう。 それぞれ決定打はコロコロ変わってきた わけですが、ベースは同じです。 それは、 「性欲をいかに満たすことができるか」 です。 人類が始まって以来、常にこのベースは、 揺るぎないものです。 あらゆるものは、もとを辿れば性欲を満 たすためにつながっているのです。 男性は女性に何で評価されるかによって、 磨くものが変わってきます。 お金の力であれば、その国の経済力は 見る見る発展していきます。 イケメンだったら、眉のテンプレートやプチ 整形が流行ります。 ちなみに、香港に行ったときに若い女性 たちに直接インタビューしてみたら、 「美味しいものを食べさせてくれる人」 「エリート」 と口を揃えてお洒落な回答が返ってきま した。 露骨にお金持ちと言わないところがミソ です。 中国もインドも欧米も日本以外は全部露 骨にいい学校を出た人をストレートに尊敬 します。 あと、米国の男性は、全員筋トレをしてい ます。 デブとガリは絶対にモテないからです。 マッチョがモテるのではありません。 マッチョはほんのスタートラインなのです。 日本人一般男性のほとんどがフリーウエイ トでベンチプレスをやると60kgなんて絶対 に正式なフォームで上下できません。 米国では100kgオーバーなんてザラです。 女性がそれを求めているからです。 米国でヘナチョコは子孫を残せる可能性す ら減ってしまうのです。 これからの日本がどうなるのかは、女性た ちが何を求めるのかにかかっているのは、 何も経営に限らず、日本経済も政治経済も 同じなのです。 残念ながら性欲を満たせない人は、お酒 に溺れたり、ドラッグに溺れたりするのは 世界共通です。 お酒やドラッグ以外でハイになれるもの を仕事にできる人は成功します。 性の衝動を仕事に変換できる人のこと を、人は天才と呼びます。 膨大な作品を生み出す画家や作家は性 衝動を変換できたからです。 偉大な組織のリーダーも同じです。 もちろん、モテますしお金持ちになって幸 せになる可能性が高いです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月29日 うちの会社の数々の矛盾に苛立っています。 転職も考えたのですが、すでに私は2度の転職を経験しており、人に使われるようなサラリーマンは向いてないな、と自分でも気づいてきました。 矛盾を一つひとつ正していくことは難しいし、現実的ではありません。 転職するか独立するかあるいは別の方法があるか模索中です。 甘ったれた質問であることは重々承知ですが、矛盾を受け入れる方法、あるいは、解決する方法があれば教えてください。 (兵庫県・会社員・Tさん・女性・28歳) 会社はもともと矛盾だらけのものです。 矛盾だらけでも、給料が出続けるという ところが実に美味しいのです。 矛盾のない会社で働く方法は1つしか ありません。 自分で会社をつくることです。 自分で会社をつくると、好き勝手にでき ますが、今度は別の不満が出てきます。 サラリーマンのときには、成果が出なく ても上司の厭味に堪えさえすれば、毎 月指定口座に同じ額の給料が振り込ま れていました。 でも、独立したらそれはありません。 働いた分だけ振り込まれないのです。 成果を出した分だけが振り込まれます。 矛盾がないというのは、本来そういうこと です。 汗をかいたか否か、残業したか否か、が んばったか否か、はまったく意味があり ません。 会社に対して売上総利益(売上-原価) で、1000万円納めたら300万円もらう 資格があります。 年収1000万円欲しかったら、売上総利 益で3000万円納めるだけの話です。 様々な会社を見てきましたが、それに匹 敵するビジネスパーソンは20%いれば、 その会社は優秀なほうでした。 独立してやっていくためには、この感覚が 大切です。 自分は3000万円の売上総利益を 納めているから独立したら1000万円 は確保できる、と考えるのはまだ早 合点です。 それは今いるお客さんが全員自分につい てきてくれたら、という希望的な話です。 部下の人件費、間接部門スタッフの人件 費を忘れてはいけません。 特にセールスの方に多いのは、自分の 会社の看板と自分の力を間違っているこ とです。 大企業から独立した人も同じです。 自分が人として見ていなかったような、 取引先の弱小零細企業の社員たちに さえ、軽くあしらわれてしまいます。 人は鏡です。 大企業に在籍していた頃の自分の姿が そのまま反射してるに過ぎません。 「あの人だけは大丈夫」と確信していた お客さんはすべて皮算用であることを知 ることでしょう。 それは、自分が相手をそうした目で見て いた事実をそのまま教わっているのです。 結局、独立して矛盾がなくなったほうが、 大半の人たちにとっては辛くなってしまう のです。 矛盾していたほうが、甘えることができて 幸せです。 怒鳴られたり、軽くあしらわれたり、窓際 に寄せられるのを我慢するだけで、毎月 給料が振り込まれていること自体が矛盾 しているのです。 矛盾から卒業すると、厳しい現実が待っ ています。 それでも矛盾から卒業したいという人だけ が独立してやっていけるのです。 仮に収入が10分の1になってもやりたい ことがあれば生きていけるでしょう。 お金儲けのためだけに独立するのであれ ば、精神が続きません。 高々1億円稼いだところで、サラリーマンに は勝ったことにはならないのです。 矛盾のありがたさを感じられないようで は、独立してはいけません。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月28日 これから研修・セミナーの講師をしていくことになりました。 人前で話をすることは比較的好きだったのですが、それはあくまでも挨拶や数分間のスピーチレベルでの話です。 今までお金をもらいながら1時間とか2時間の話を初対面の人前で話し続けた経験などありません。 しかし、仕事だからそんな呑気なことも言っていられなくりました。 講師としてこれから活躍していくためにアドバイス、注意点等ございましたらよろしくお願いします。 (東京都・会社員・Tさん・男性・29歳) 講演をしていて勉強になるのは、まず人 に説明できないことは自分もわかってい ないと気づかされることです。 知っていることと、伝えることではまった く違います。 これは、愛していることと愛していること を伝えることはまったく違うのとまさに同 じです。 伝えることができて、はじめてわかっ たことになります。 講演をすると、自分が話したいな、と感 じていたことの、たった1割くらいしか話 せません。 あれも話したい、これも話したい、と思っ ていたのに時間が足りなくなってしまっ て終了です。 そして、自己嫌悪に陥ります。 理由は簡単です。 準備不足につきます。 どんなにベテランでも、準備してきたこと の1割しか話せません。 これはこれから先もずっと変わりません。 100%話したい人は、1000%の準 備をするしかないということです。 いたってシンプルです。 どうせ1割しか話せないのだから、同じ なのではありません。 どうせ1割しか話せないからこそ、その 1割の密度を上げていくのです。 1割の密度を上げていくと、捨てた9 割がオーラになります。 捨てた9割が「奥の深さ」「魅力」に直結 するのです。 ついでに講演が巧い人は、自分が聴く 側に回ったときに、質問の仕方も巧い です。 講演会場にはたいてい1人は混ざって いる、 質問のための質問。 これだけ自分は知っているぞ君。 は、いずれも講演できない人たちです。 会社の会議でも私語が多いタイプです。 私語が多い人に当てると、質問のため の質問やあまり関係のない知識を披露 するスピーチが始まってしまいます。 そういう人たちへの対応の仕方も講演 には含まれています。 だからこそ、講師は聴く側に回った際に どちらの気持ちもわかるのです。 先生の経験と、生徒の関係のどちらも 必須です。 どちらか片方だけでは、魅力が半減して しまいます。 否、どちらか片方だけだと、消化不良を 起こしてしまうのは人体と同じです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月27日 プロジェクトが次から次へと成功し、社内でもその成果が急激に認められてきました。 一見申し分ない人生のようですが、社内の一部の先輩社員や仲間だったはずの同期たちから明らかな嫌がらせを受けるようになりました。 あの手この手で巧みに私の足を引っ張ってくるのです。 余りに露骨だと極端な話、殺意さえ抱いてしまうくらいにこの人たちが憎くなるときもあります。 私は行動力には自信があるのですが、口下手なためにこんなことでもクヨクヨ悩んでいます。 考えすぎでしょうか。 (東京都・会社員・Iさん・男性・36歳) 大丈夫です。 ちゃんと自分としてはがんばっている つもりなのに、次から次に嫌がらせを されてしまう。 邪魔をする人が出てくる。 これは、間もなく成功する証拠です。 間もなく成功する人に対して、世間 は厳しくなります。 もちろん、原因は嫉妬です。 でも、嫉妬されることは実はありがた いことです。 成功しても人間性が貧弱なためにすぐ に落ちぶれてしまわないように、神様 が嫉妬する人を次から次へと目の前に 連れて来てくれているのです。 その人たちは、今回の人生は成功 者に嫉妬するためだけに生まれて きたのです。 がんばって成功しようとしている人 に対して、傲慢になってはいけない よ、と気づかせるためだけに生まれ てきたのです。 お気の毒ですが、事実としてそういう 人生もあります。 でも、Iさんは別の人生を歩むために 生まれてきたわけです。 たいていの場合、同性との会話がギク シャクし始めるのが成功の前兆です。 正確にいうと、成功というよりも成長し ている証拠です。 次のステップへと進化しているのです。 成功者が同性よりも異性と二人で話を することが多いのは、浮気をしているわ けでも、遊んでいるわけでもありません。 同性からは嫉妬されるから会話が 噛み合わないことを経験上熟知して いるから、それだったら異性から学 ぼうという考えからです。 男性でまだ若いのに、収入も多くて影響 力を持ってきたら、必ず同性の補欠の先 輩たちから激しく嫉妬されます。 女性で若くて、美人で、学歴があって、 お金持ちの彼氏がいたら、同性からは 100%嫉妬されます。 それらのいずれも持ち合わせていない 人たちから厳しい目でチェックされるの です。 世の中にはチェックされながら人間 性を高めていって成功する人と、人 のチェックをし続けながら心身ともに おかしくなって死んでいく人のいずれ かしかありません。 どちらのコースを選ぶのかは、早いうち に自分で決めておくことです。 どちらのコースも一長一短です。 なぜなら、チェックする人のほうが割 合からいくと圧倒的多数だからです。 きっと、そちらのコースのほうが楽しい のでしょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月26日 千田さんの本を読んで、どうせ一度の人生なのだから自分も好きなことをして人生を生きていきたいと強く思うようになりました。 ただ、現実問題としてサラリーマンには「好きなこと」と「会社の仕事」を両立させるのは難しいです。 どうしても会社の仕事が忙しくて好きなことが疎かになってしまいます。 独立してやっていくしかないのでしょうが、好きなことだけで食べていけるほど実力もないし、世の中甘くはないと思います。 好きなことで生計を立てていくことができる基準のようなものってあるのでしょうか?(奈良県・会社員・Kさん・男性・40歳) 好きなことというのは、 継続できるという ことです。 成功して儲かることが好きなことではありま せん。 その人は成功してお金が儲かることが好き なことであって、本当に好きなことをしないま ま死んでしまいます。 たとえば、私はこのブログで返事を書いてい る間にまた別のブログを書きたくなります。 1つのブログを書いていると、勉強したり、 気づいたりして5つくらいネタが見つかります。 だから、永遠にネタが尽きません。 この 継続力が好きなことです。 上手くいくか否かは人が評価することであっ て、好き嫌いとは無関係です。 本の原稿を書いていても、その原稿を書いて いる最中に次の本のテーマが生まれます。 今月私はTSUTAYAビジネスカレッジで講師 を務めてきましたが、話している最中にどん どんネタが生まれてきました。 講演の内容は主催者に事前に渡したレジュ メとは当日ガラリと変えました。 当日の参加者の顔を見て、 「あ、この人が来てくれているから、こんな 話をしよう」 「あ、この人も忙しいのに来てくれたから、 とっておきの話をしよう」 「この美人を笑わせよう」 と思って話します。 講演終了後には、新しい本が生まれるの です。 本を出すことが好きなのではなくて、 文章を書くことが好きだから続けられる のです。 大学に合格することが好きだという人は、 合格した途端に勉強しなくなります。 でも、勉強が好きだという人は一生勉強し 続けます。 継続することがその人が本当に好きなこと なのです。 「遊んでいないで、やりなさい!」 と強制されることは嫌いなことです。 「そんなことばかりやって、ダメな子にな りますよ!」 と言われることが好きなことです。 でも、実際には 「そんなこと」を24時間 365日やり続けていたら、 ダメな子には なりません。 中途半端に 「そんなこと」をやっているから、 迷ってしまってダメになるのです。 本気で10年継続したら、親も周囲も諦める ようになります。 そこからが 本当の誕生日なのです。 10年というのはあっという間です。 でも、継続している人にとっては意外に長く 感じます。 正確には、あっという間なのですが、圧縮さ れていろんなことがあったということがわか ります。 一度これを味わうと、好きなことを継続する 生き甲斐が忘れられなくなります。 だから慣性の法則で、一生好きなことを継続 して結果として成功しているように見えるの です。 毎日子どものような顔をして、イキイキとしな がら人生を生きていくことができるのです。 継続できないことをしているうちは、他人の ための人生を歩んでいるのであって、自分の 人生を歩んでいるわけではないのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月25日 「携帯電話が人体を破壊していく」といった内容の記事を読みました。 話半分に聴くにしても、ちゃんとした学位を持った人がコメントしていたのです。 確かに、世の中は便利になったには違いありませんが、何か大切なものを失っているような気がします。 便利で豊かになっているはずなのに、イライラしている人や心ない人が増えているように思えて仕方がありません。 とはいっても、携帯やパソコンを使わずにはいられない世の中ですが。 (徳島県・会社経営・Aさん・男性・35歳) 以下、すべて仮説です。 不妊治療をする夫婦が非常に多くなってきて います。 特に先進国にいえることです。 理由は1つではないでしょう。 ただ、科学技術が進化すればするほどに、 不妊が増えていくと思います。 それは、携帯やパソコン、ipad、ipod、iphone といったものによる電磁波です。 電磁波というのは学術的に認められており、 実在するものです。 人体に影響を及ぼすか否か、という点において 意見が分かれているというだけの話です。 数年前まで私は地方のホテルに宿泊していた ときに、 「これは怖いな」 と、感じていたことがあります。 2メートルは離れた場所に充電してある携帯に メール受信があると、古い型のテレビですが、 画面がビビッと音を発して上下揺れ始めたの です。 液晶ではない、古い型のテレビです。 これだけでも、凄まじい電磁波が部屋中に 発生していることが明らかです。 いろんな学術書を読んでも、専門家の中でも 意見が分かれているようです。 確定できない、というのが現在の結論らしい のですが、自分の身は自分で守るしかありま せん。 我々の人体はもちろん、地球上のものす べてが究極は電子で構成されています。 電子で構成されている以上、強烈な電磁波に 反応しないとは考えにくいです。 もし、人体に悪影響を与えることを公言し たら、世界経済に響くからしばらく伏せて いくのかもしれません。 携帯をウエストポーチやハンドバッグに入れて おくと、男性は睾丸、女性は子宮に電磁波が 直撃します。 いずれも細胞分裂が激しい部位ですから、 癌になるきっかけをつくらないとは断言でき ません。 うつ病をはじめ、精神に関する病気が先進国 で増えているのも、携帯で脳に電磁波を直撃 しているからなのかもしれません。 高校物理の簡単な公式ですが、電磁波の影 響力は距離の2乗に反比例しますから、たとえ 10cmでも身体と離すことによって、差が出て きます。 IT技術を駆使しているようなビジネスエリート たちは男女共に裕福でも子を授からない人が 多いのには、ひょっとしたら理由があるのかも しれません。 先進国の男性の精子の数が激減しているのと 無関係であればいいのですが。 地球上の人口がこれ以上増えないようにする ための自然の摂理だとすれば、恐ろしいです。 もっとも、栄養過多で肥満の人は一般に精子 が少ないと言われていますが。 追伸. 世界の要人たちの間では、 使用者が増えているのはなぜでしょうか?... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月24日 世の中って、法律上は犯罪でなくともそれに匹敵することって多いように思います。 周囲を不快にして、不快になった人たちを逆に犯罪者に仕立ててしまう人っています。 私は今、損害保険会社に勤務しており、査定調査の仕事をしていますが、どう考えてもこの事故って当事者ではなくてその周囲にいたドン臭い、空気の読めない車が真の犯人だっていうことが多いのです。 でもその真の犯人はブーッとそのまま通過して家族団欒の中、夕飯でも食べているのでしょう。 ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、世の中ってこういうの多くないですか?(北海道・会社員・Iさん・女性・43歳) 犯罪にはならないにしても、犯罪以上に罪 が重いことはあります。 たとえば、こんな人はかなり致命的な犯罪 者です。 1.食事中にテンションを下げる人 2.出張中に訪問した人に荷物になる手 土産を持ち帰らせる人 3.朝っぱらからテンションを下げる人 これらはついついやってしまいます。 でも、たとえ「ついつい」やってしまっても、 本来極刑に匹敵する罪の重さです。 言い訳無用です。 本人に悪気がないところが、これまた重症 なのです。 この人たちの質が悪いのは、本人ではなく、 周囲の人たちを犯罪者に育ててしまうという ことです。 こうした環境で育てられた子どもは犯罪者 になります。 でも、犯罪者をつくった環境こそが、本当 の犯人なのです。 率直に申し上げて、これらの犯罪は病気な ので、いくら言って聞かせても相手には理解 不可能です。 だから、そっと自分から距離を置くしかありま せん。 高速道路で、暴走車が乱暴な運転をして、 グイグイごぼう抜きしているのに対抗しては いけないのと同じです。 暴走車からは自分からそっと距離を置くのが 一番です。 もらい事故を避ける方法は、これしかありま せん。 中学校の国語の教師で、やたら本音が多い けど、人望があった教師がいました。 その教師が言っていたことの中で、印象に残っ たことが1つあります。 40人いたら、最低1人は完璧におかしい人間 が混ざっている。 これはもう努力して矯正することは不可能だか ら気をつけなさい、と。 藝術的な国語の授業をする教師でした。 でも、きっとこんなに本音ばかり言っていては、 出世できないんだろうな、と余計な心配をして いましたが、その後最短コースで校長先生に なったようです。 この教師からは、本当に大切なことを教わり ました。 万引きと痴漢と放火も矯正できません。 繰り返します。 矯正できないことを嘆くのではなくて、矯正 できない人からいかにして距離を置くのか、 という考え方も大切なのです。 距離を置くことは、消極的な生き方ではあり ません。 人生において、より大切なことをするために、 必ず習得しておかなくてはならないことです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月23日 私は今ブログやツイッターに力を入れており、サイドビジネスをしています。 結果は鳴かず飛ばずですが、やっている時間はすっかり没頭しています。 本当は本業を辞めてしまって、サイドビジネスを主にしていきたいのですが、周囲からは猛反対されています。 やっぱり現実逃避なのでしょうか?パソコンに関しては中学生の頃から熱狂的でハマってました。 サイドビジネスはサイドビジネスだかこそ、楽しいのでしょうか?でも、現実にはごく一部とはいえ、生計を立てている人もいるわけです。 一度の人生を充実させたものにしたいのですが・・・(福岡県・会社員・Sさん・男性・34歳) 考えてみれば、最初にサインの練習をしたのは 高校生の頃でした。 今でもたまにそのサインを使います。 私はサインを二つ持っていますが、そのうち一 つは高校生の頃に考えたサインです。 高校の授業中はサインの練習にハマっていた こともありました。 明らかに現実逃避でした。 でも、青春時代に現実逃避していたことが今で は一番好きなことだったと気づきました。 現実逃避の中にこそ、その人の才能がある ということです。 現実逃避は好きなことをします。 だったら、その現実逃避だけを仕事にすればい いのです。 現実逃避に絵を描いた人は、それを貫くとマン ガ家になるかもしれません。 現実逃避に運動ばかりいた人は、それを貫くと スポーツ選手になるかもしれません。 現実逃避にカラオケ通いをしていた人は、それ を貫くと歌手になるかもしれません。 中途半端な現実逃避だと親や学校の先生 に説得されています。 親や学校の先生に説得されているようでは、 世の中に出てからその現実逃避の才能で勝負 していけるはずがありません。 だから、親や学校の先生の説得に乗らないか 否かは、その才能で食べていくことができるか 否かのテストなのです。 「今どき、大学くらいは行っておかないと」 「何だかんだいっても、公務員が一番安心」 「そんな夢みたいなこと言ってないで」 というのは、すべてテストなのです。 放っておいても、周囲が寄ってたかってテストを してくれているので、ラクチンです。 もし、あなたが、 「それもそうだよな・・・」 と説得されたら、それはそれで正解です。 説得を払い除けて、抜きんでる実力をつけて、 はじめて周囲は応援してくれます。 間もなくすると、 「アイツはオレが育てたんだ」 という自称 「師匠さん」が必ず現れます。 実は、自称 「師匠さん」は一番邪魔していた 人たちばかりです。 また、 「何かあったら力になるよ」 という人たちも複数現れます。 その人たちは、本当は失敗するのを笑いたかっ た人たちです。 みんな嫌なことを我慢しながらやって生きている 人たちばかりですから、好きなことを仕事にして いる人を見るとムカついて仕方がありません。 自分も現実逃避していたことを、仕事にしている のだから、嫉妬するのは当たり前です。 嫉妬する側と、嫉妬される側 この差は大きいです。 間もなくブレイクする人の共通点があります。 自称業界通の人たちから、 「アイツはもうすぐ終わるよ」 と言われる人です。 現実逃避をするなら、中途半端にではなくて、 本気で現実逃避しましょう。 それができないのであれば、説得されて我慢 の人生を送るのが無難です。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月22日 デジタル化がこれから進化していくに伴って、アナログも見直されています。 アナログだけでもダメ、デジタルだけでもダメ、ということで以前千田さんがおっしゃっていたことが思い出されます。 これから活かすべきアナログ力とは、たとえば具体的にどのようなものなのでしょうか?(神奈川県・会社員・Kさん・男性・37歳) デジタルで確認してアナログで決断する ということは人類が続く限り永遠です。 たとえば、インターネットでホテルの予約 をしたとしましょう。 そこには最高の映像が掲載されていて、 たいていは騙されます。 もうできてから20年以上も経って老朽化 著しいにもかかわらず、オープン当初の 写真を使っています。 ホテルに限りません。 レストランでもサービス業であればすべ て同じと考えてください。 アナログで決断する方法を言います。 必ず電話してみることです。 「予約したいのですが・・・」 と伝えてみて、感じが悪かったらすぐに その場でキャンセルしましょう。 もっと国民全体でキャンセルを積極的に していかないとサービスのレベルはいつ まで経っても向上しません。 電話対応はどのサービス業も厳しく教育 されています。 にもかかわらず、感じが悪いということは、 それ以外のサービスはもっと感じ悪いと いうことなのです。 インターネット上では、絶対にそこまでわ かりません。 ありとあらゆる手段を使って実態を隠ぺい しているからです。 一巡するまで騙し続けて最後の最後まで 田舎者からお金をむしり取ります。 そしてオーナーは売却して逃げるというの が典型的なパターンです。 最初からサービスになんて興味がないの がアナログであれば簡単にわかるのに、 デジタルに依存しきっていると騙されてし まうのです。 これは仕事でも同じです。 インターネット情報を収集するだけでなく、 必ずアナログ情報を掴んでおくことです。 「・・・らしい」 ではなくて、 「・・・だった」 と言えなくてはなりません。 「・・・らしい」という人の話は、いかにも いつも優等生的で抽象的です。 理路整然と説明されても、つまらないも のはやっぱりつまらないのです。 「・・・だった」という人の話は、いつも具 体的です。 まったく的を外していてもいいのです。 超具体的な支離滅裂の情報のほうが、 遥かに役立ちます。 香港に行ったことがない人が、いくら香 港ビジネスや香港の歴史をレクチャーし てもみんな眠くなってしまいます。 本人もきっとキツイはずなのに可哀想 です。 それよりは、実際に香港に行ったことが ある人の、 「香港の商店街はラードの腐った匂い がした」 という話を本当に辛そうな顔をしながら 話をされたほうが説得力があります。 説得力とは具体性です。 具体性はいつもアナログからしか得られ ないのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月21日 私は行動力がありません。 正確には継続力がありません。 そのため、仕事能力が今日に至るまでとても中途半端で悩んでいます。 20代の頃は30代になればどうにかなると思い込んでいました。 でもどうにもならないのです。 恥ずかしながら、口だけはやたら達者になったのですが・・・。 当然ながら上司からのウケは悪く、このままではリストラも免れません。 現状打破する方法はあるでしょうか?(群馬県・会社員・Mさん・男性・39歳) 反論したくなったときに、グッと飲み込むこと です。 議論に強い人は、実践に弱いです。 議論に勝つことによって満足して、行動が鈍っ てしまうからです。 これは、カッコ悪いです。 やっぱり人生は、実践してナンボです。 あーでもない、こーでもない、とやり合って、 議論で勝ったとしても、その人が何もやり遂 げていなかったら、結局その人は軽蔑され ます。 議論で勝つというのは、それくらい損なこと です。 口喧嘩の強い人は、大成できない人が多い のです。 朝まで生テレビを見ていると、口下手な人 でコテンパンにやっつけられている人のほう が実績があることに気づかされます。 理路整然とまくしたてる人は、実戦には弱い 人が多いのです。 本当に口の達者さと実践は反比例している のではないかと驚かされるくらいです。 議論で打ち勝つと、次の2つを失くします。 1.仲間 2.行動力 議論に負かされて気持ちのよい人はいま せんから、応援してくれる人が周囲にいな くなります。 でも、それより怖いのは自分の行動力 が鈍ってしまうことです。 顎(あご)の筋肉だけ発達してもまったくの 無意味です。 議論に強いのは必ずしも長所ではないこと を知っておきましょう。 議論に弱いことによって、それを行動力に 変換すればいいのです。 私が朝まで生テレビで興味があるのは1点 のみです。 出演した人たちのその後です。 議論に強い人が必ずしも実績を挙げている わけではありません。 議論に弱い人のほうが実績を挙げていること に注目すると面白い発見があります。 追伸. 人生で本当に議論で勝たなくてはならないの は、せいぜい数回でしょうね。 その数回は少なくとも逃げてはいけません。 普段議論ばかりしている人は、いざとなった ときは弱いものです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月20日 謙虚になる方法ってありますか?私は小さな成功ですぐにはしゃいでしまい、人を見下してしまう悪癖があります。 もちろん、年齢とともに表面上はごまかせるようになってきましたが、内面では何の変化もありません。 そんな自分がとても嫌いです。 本当は傲慢無礼な人間なのに、嘘をついて謙虚になっても意味がないのはわかっているのですが・・・(大阪府・会社員・Tさん・女性・30歳) できるだけ感受性の高い若いうちに才能の 塊である天才と出逢って、打ちのめされて おくことです。 さんというSF作家がいます。 1995年にで日本ホラー 小説大賞を受賞されました。 『パラサイト・イブ』は大反響を呼んでその後 映画化されました。 瀬名さんは当時大学院生で博士課程に通っ ていました。 私はまだ学部生でした。 ある日、いつもどおりに仙台の一番町どおり にある丸善に行ったら、ものすごい人だかり ができていました。 仙台名物七夕祭りでもないのに不思議です。 誰か芸能人でも来ているのかな、と思って、 行列の先を覗くと、とても地味な格好をした 若者がいました。 2002年にノーベル化学賞を受賞された、 さんをテレビで見たとき、すぐに 瀬名さんを彷彿させました。 「いったい、この人は何者だろう・・・」 行列に並んでいる人たちの手に持っている 本を見て合点がいきました。 自分とたいして歳が変わらないというのに、 世の中には凄い人がいるものだな、と焦り ました。 『深重の海』で直木賞を受賞したさん ならまだ納得がいきます。 津本さんは私の祖父の世代であり、かけ 離れ過ぎてピンとこないからです。 でも、瀬名秀明さんを間近で見たときには、 不思議な衝動に駆られました。 すぐにその行列の最後尾に並んだのでは ありません。 ヤバイ、と思って勉強しようと思ったのです。 もちろん、私はすでにその本を読んでいま したが、サインしてもらう気にはならなかっ たのです。 上手く表現できませんが、 「自分はその行列に並ぶ側になっては いけない」 と本能的に思ったのかもしれません。 『パラサイト・イブ』は単なるホラー映画 ではありません。 ミトコンドリアが地球外生物であるという仮説 がなぜ成立するのかを理解できていないと、 この映画の本当の意味はわかりません。 単に、葉月理緒菜がかわいい・・・とか、CG が怖い映画だった、で終わってしまいます。 手もとに瀬名さんの本『ミトコンドリアのちから』 があって、今でも何度も読み返しています。 瀬名さんは、やはりとんでもない天才でした。 20代半ばであの小説を書くことができるとい うのは、私の中ではどう贔屓目に見てもあり えませんでした。 とんでもない天才の、まだあどけない地味 な学生の頃の姿を生で見ることができて 本当に幸せでした。 いつもあの光景を思い出す度に、謙虚になる ことができます。 思い出す度に、ゾッとします。 悪夢で目が覚めます。 学生時代にとてつもない才能の塊、天才に出 逢っておくと、謙虚になることができるのです。 追伸. 通称「貧食」というカレーライス専門食堂があ りました。 学内で1番人気の食堂でした。 カレーライスが1杯160円で食べられた、貧 乏学生の強い味方だったからです。 そこでさんともすれ違っていた はずです。 なぜなら・・・、... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月19日 うちの会社の従業員は、学歴的には優秀な人材を採用しているはずなのですが、なぜか年々新入社員たちのやる気がなくなっているように思えます。 そうした世の中の風潮なのかもしれませんが、徐々に業績が落ちているだけに将来が不吉です。 何というか、古い表現で文字どおり「指示待ち族」が急増しているのです。 指示されるまでボーっと待っているのですが、私にしてみれば信じられません。 採用ミスなのでしょうか?(東京都・会社管理職・Tさん・男性・41歳) リー・アイアコッカというクライスラー元会長、 フォード社元社長が言ったとされる有名な セリフがあります。 「ただぼうっとしていないで、どんなつま らないことでもとにかく何かを始めろ」 これは悲惨な会社の状況を目のあたりに してアイアコッカが従業員に言った言葉で した。 デキル人に暇を与えると、必ず何かを始め ます。 ぼうっとしないで、何かを考えたり、新しい 仕事を始めるのです。 業績の悪い会社、からきし成果を出せない 人たちというのは、決まってぼうっとしてい ます。 私のコンサルティング経験においても、 これにはもう例外がありませんでした。 「ほら、ぼうっとしていないで!」 と言っても効き目なんてありません。 人はもともと考えることが嫌いです。 放っておくと考えなくなるのです。 やる気のないぼうっとした人に火をつける のは非常に難しいのです。 採用や育成の際も、やる気のないぼうっと した人を採用してしまうことほど苦労させら れることはありません。 ぼうっとした人は意外なことにプライドが高 い人も多いのが事実です。 親や先生に言われるがままにしてきただ けで、心身ともに疲労困憊しているのです。 だから、ぼうっとした人に注意をすると、逆 切れされることも珍しくありません。 やる気というのは、一種の才能ですから、 もともとないやる気を叩き直すことは本質的 にはできません。 採用の際には、やる気を見抜くことが一番 大切なのです。 やる気を見抜く簡単なヒントをいくつか提示 しておきます。 1.面接の時間に遅刻しないか否か 2.お辞儀の仕方(深さ) 3.履歴書がびっしり埋まっているか否か やる気のある人は、丁寧さが必ず行動に 出ます。 細部に至るまで丁寧な人はやる気のある 人である可能性が高いです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月18日 世界の人口は増え続けていくのに、日本の人口は情けないことに減少傾向にあります。 これは市場が縮小してくことであり、海外戦略以外にもはや生き残る道はないのでしょうか?自分の業界においては、既に国内市場は頭打ちでM&Aがあちこちで起こっています。 海外戦略以外に何か方法はあるのでしょうか?社会保険制度や年金は大丈夫なのでしょうか?これからの日本の将来が不安です。 (東京都・会社経営・Mさん・男性・39歳) 人口減少は、このままいくと2050年頃には 1億人を切り、2100年頃には4080万人に なるというデータがあります。 当然そのとおりになれば市場は縮小し、今 までのように拡大志向で企業戦略を練るの は無理です。 「だったら海外戦略を練るしかない!」 と声を荒げる人もいますが、私はそれはあま り現実的ではないと思っています。 逆に、人口が減っても別に困らない世の中 にすることが大切だということです。 逆の発想で、人口がこのまま増え続けると いうことが、人類にとって幸せかといえばそ うではありません。 たとえば、現在の世界人口は約68億人です が、100億人、200億人・・・1000億人に なることが果たして幸せだと言えるでしょうか。 私はそうは思いません。 限られた資源の奪い合いになるのは目に見 えています。 そもそも日本の人口密度は高すぎます。 ただでさえ狭い上に山だらけの日本で、 1億2700万人いること自体が不自然かも しれません。 いろんなデータを照合して見ると、日本の 人口というのは、約6000万人くらいから 8000万人くらいが一番住みやすくて平和 なのではないかと思えます。 韓国や香港に行くとわかりますが、狭くて 人口密度が高いとみんな殺気立って言葉 が乱暴に聞こえます。 常に怒っている状態です。 あまり幸せだとは思えません。 人口密度が高くては、どんなにがんばって お金を稼いでも、広い家に住むことができな くなりますし、環境にも悪いです。 ここから、資本主義の限界が見えてくるという わけです。 ちなみに第2次世界大戦前がちょうど人口が 6000万人~8000万人くらいでした。 今より随分住みやすかったはずです。 経済力がなかったとしても、豊かな生活ができ るということです。 「人口が減ったら年金がもらえなくなるから 困るじゃないか!?」 という人は洗脳されています。 そもそも今の若者やこれからの若者は自分 たちのためだけに年金を払えばよいのであっ て、今のお年寄りのために支払うわけでは ありません。 つまり、今のお年寄りたちがもらっている年 金というのは、お年寄りたちが若い頃に支払っ た分から国が運用して返しているだけという のが本来のベースになる考え方です。 それを、 「ちゃんと若者が年金払わないと、困る!」 と発破をかけながら、今のお年寄りへ年金を 支払っているとしたら、おかしな話です。 自分たちが支払った分は、自分たちの分に 対して支払われるのですから。 国の運用さえ失敗していなければ、人口が減っ ても年金にはまったく影響がないわけです。 人口が減ってもほとんど困ることはないのです。 ベンツに乗ったり、大豪邸に住んだり、自家用 ジェットに乗れなくなる人が減ったとして、それ のいったい何が困るというのでしょうか? 何も困りません。 経済においては飢餓にならないレベルにまで すでにいるわけですから。 少子化は正しい流れであって、新しい社会 構造が一変するイノベーションが起こってい る証拠なのです。 拡大戦略というのは、実はダサいのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月17日 最近の哲学ブームの延長で今、宗教学にハマっています。 別に特定の宗教にハマっているわけではなくて、宗教の歴史を原点から勉強すると非常に面白いのです。 私はれっきとした民間人ですが、宗教と名だたる大企業を一代で成し遂げた創業社長とは紙一重だな、とつくづく感心させられます。 といっても100%鵜呑みにしてそれがすべて正しいと思っているわけではなく、ちょっと冷やかに見ているのですが・・・搾取する側と搾取される側の定めというのでしょうか?(広島県・会社員・Mさん・男性・35歳) 宗教の面白いところは、教祖がたいてい金持 ちだということです。 更に、取り巻きの幹部も小金持ちです。 そして末端の信者は「儲」かるという字にもか かわらず、たいていは貧乏だということです。 これが世界中の宗教で不思議なところです。 ひょっとしたら人間は貧乏で従うことに快感に なる本能があるのではないか、と思えるほど です。 無意識の奴隷願望です。 ちょっと考えたら、 「やってられるか!」 と言いたくなるようなことにも平気で従ってい るからです。 しかも教祖に感謝しながらです。 そもそも宗教を立ち上げた人というのは、もと もとすごく平等で差別はいけないという考え 方の人がほとんどです。 階級制度も反対の人が多いです。 お釈迦様はもともとすべてにおいて平等 主義だったのに、なぜか儒教は男尊女卑 です。 哲学者ニーチェはもともとキリストを評価して いましたが、キリスト教は批判しました。 だから、ニーチェはキリストを批判したと 勘違いしている人がたまにいます。 でも、ニーチェはキリスト教を批判したの です。 宗教を立ち上げた人と、それを伝える人とで は、時差を経てまったく別のものになってしま うこともあるということです。 これは伝言ゲームを考えてもわかります。 高々5人程度の伝言ゲームでも怪しいのに、 それが10人にもなると、もはやまともに伝言 が伝わることを誰も期待しません。 情報というのは、必ずそれを伝える人の意志 が込められるわけです。 つまり、情報を発する人の都合がいいよう に大なり小なり捏造されるのです。 これが、すべての宗教で教えの原点はすば らしいはずなのに、いつの間にかズレてしまっ て教祖とごく一部の幹部がぶくぶく太っていく パターンなのです。 会社経営もこれと同じことが言えます。 いつの間にか創業当初の理念を曲解して、 一部の幹部だけが甘い汁を吸うような仕組 みにしてしまいます。 民間企業はもっと宗教法人から学ばなくて はなりません。 民間企業は営利を追求するもので、宗 教法人は徳を追求するものだというのは、 みんな嘘だと知っています。 宗教法人もお金が大切です。 並の銀行や商社顔負けの財力を持っている 宗教法人もあります。 民間企業は宗教法人から学んで、宗教法人 は民間企業から学ぶのです。 結局、一代で1兆円以上の巨大企業を創 業した人物は、みんな宗教法人を立ち上 げたとしても成功した人たちばかりです。 民間企業を立ち上げたふりをしながら、実は 宗教法人を立ち上げているのです。 宗教法人を立ち上げるふりをしながら、実は 民間企業を立ち上げているのです。 追伸. 教祖がぽっちゃり型の宗教はちょっと・・・ 教祖がフェラーリやポルシェ乗ってる宗教も ちょっと・・・ もともとは我欲をなくして財産は実家にすべ て置くようにと教えたお釈迦様の教えと、明 らかに矛盾していませんか?... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月16日 今、筋トレにハマってます。 1年間続けてきて、記録も伸びて楽しい時期です。 ところが、もともと弱点であった腰の故障が目立つようになってきました。 生来の負けん気からなのか、やるからには常に成長したいと思って、より重い重量でトレーニングしたいと思うのですが、どうやら骨までは鍛えることができないようです。 ほどほどが一番なのでしょうか?パワーリフティングをされていたという話を以前読んだことがあったので、質問させていただきました。 (埼玉県・会社員・Yさん・男性・27歳) 今私がいる部屋の目の前の青山通りでは、 夕方になるとジョギングしている人たちがた くさんいます。 また住人専用のトレーニングジムでもガシガ シ音を立てながら筋トレしている人もいます。 一度、ジョギングを楽しみ始めると麻薬のよう にそれが辞められなくなります。 これは筋トレもまったく同じです。 勝つためのスポーツやプロとしてお金をもらう 場合は仕方がありません。 本人たちもその価値があると判断しているわ けですから。 命を削ってでもお金を稼いでいるのです。 ただし、健康維持のためにジョギングをして いたり、激しい筋トレをしているのはまったく のナンセンスです。 ジョギング後にたくさんご飯を食べたり、お酒 を飲んでいる人は、単に命を削っているだけ なのです。 プロスポーツ選手は、ほとんどが短命なこと はご存じだと思います。 スポーツというのは、本格的にやると寿命を 縮めることは間違いありません。 その意味で私が命を削りながらスポーツに 打ち込んだのは、中学生の頃と大学生の頃 でした。 特に大学生の頃は限界を超えてまでやり切っ て、それを痛感しました。 運動のし過ぎは、運動不足よりもはるかに 体に悪いのです。 過剰なジョギングや筋トレは、骨をボロボロ にします。 後悔するのは40代後半から50代半ばに かけてです。 60代以降は一生の持病になります。 厳しいトレーニングをした人たちが、過酷な肉 体労働を積み重ねてきた人たちと似たように 老け込んでいくのは同じ理由からです。 私も痛いほどよくわかるのは、一度ハマると、 抜け出せないくらいのハイな気分に浸ること ができるのです。 でも、これは一種の現実逃避です。 50代半ば以降になって、本当に心身ともに 健康的に幸せそうになる人を見てください。 知的な人は、過酷な運動などしていません。 一番健康なのは、ちょっと早めに5分ほど 毎日歩くことです。 これはもはや間違いないようです。 しかも、ちょっと意識して手を大きく振りなが ら歩くといいでしょう。 自転車に乗るのでも構いません。 ただし、毎日継続することです。 携帯電話で話しながら運動しても、息が上 がって相手にバレてしまわないくらいの、 ギリギリの状態の運動です。 究極、歩く時には常に早歩きにする習慣 にしておけば運動不足とは無縁なのです。 学術書、専門書を読んでいて私がギクリとし た決定打は、激しくアスファルトを叩きつけ るような運動は、脳にダメージを与え続ける ということでした。 自分も含めて周囲の人たちを思い浮かべて、 私の運動に対する価値観を一変させた出 来事でした。 運動にハマってみることによって、単純に、 「運動は体にいいものだ」 といった常識を疑ってみることを学びました。 追伸. どうしても筋トレをしたいのならば、アルバイト などではない、ちゃんとしたプロの専門トレー ナーに個別指導してもらいながら、「加圧式」 がおススメです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月15日 以前、千田さんの講演で「支払期日を守れない人は、遅刻の常習犯である」という話を聴いて、度肝を抜かれました。 確かに、ただの一人の例外もなく見事に当てはまるからです。 加えてそうした会社は一時的に派手な利益を上げることはあっても、その後急速に衰退していきます。 まさにその姿は無残としか言いようがありません。 異常なほどに礼儀正しくて(単に卑屈?)笑顔が最高な人には、ドケチで継続的な成功者はいないな、と思うようになってきましたが、何故なのでしょう?(福島県・会社員・Sさん・男性・41歳) まず、貪欲に無料サンプルに飛びついた り、何でも聞いて質問していくのだけど、 お金を払わない人というのがどこにでもい ます。 凄く礼儀正しくて、笑顔も素敵なんだけど、 何に対してもお金は絶対に払わない人。 こうした人は何十年経っても成長せずに、 同じレベルをウロチョロしているだけです。 否、正確には現状維持せずに関わる人 たちすべてを巻き込みながらアリ地獄に 引きずり込んでいくのです。 食べることと着るものに対してだけは、お 金を払います。 それはそれでその人が選んだ人生です から、正しいのです。 なぜ、積極的にタダで聞いているのに吸 収力がないのでしょうか。 礼儀正しさも笑顔もあるのに、成長しない のでしょうか。 なぜなら、その礼儀正しさや笑顔はす べてが嘘だからです。 偽物の礼儀正しさや笑顔は必ず卑屈 になります。 無償でサービスを受けようとするために身 につけた武器だからです。 私は全国でいろんな会社の顧客インタビ ューをしてきました。 その中で人間の行動特性とその人の将来 をたくさん見てきました。 何千人と会って話をしているうちに、別に 望んでいなくても、その人の背中に映像の ように将来像が見えてくるようになりました。 私には霊感がないので、背後霊はもちろん 見えません。 でも、後天的に圧倒的な経験でその人の 特性や将来がわかりたくなくてもわかって しまうようになったのです。 最初の頃は、何か適当に思ったことがよく 当たるなぁ・・・と思っていました。 年々その頻度が等比級数的にアップして きて、そのうち確信に変わっていきます。 「この会社は必ず上場するだろうな」 「この人は将来必ずのし上がってくる」 「この人は社長になる」 「あぁ、この会社は業界では持て囃され ているけど、もうダメだな」 「この人、身内に絶対不幸が起きるな、 しかも1年以内に」 「この人、奥さんが鬱になって子どもが 登校拒否になるな」 というのが全部当たっていくのです。 きっかけはすべて小さなしぐさや発言から です。 何気ないしぐさや発言からパパパッと一瞬 で仮説構築されていくのです。 その中の1つに、お金の払い方、使い方と いうのが確実に決定打にありました。 ああ、そんなケチったら必ずしっぺ返しが 来るのに・・・ ああ、そんな醜くごまかしては自慢の長生 きお父さんが亡くなってしまうのに・・・ というのが見事に当たります。 買うと言ったのに買わない人。 支払期日を1日以上遅れる人。 例外なくその後不幸になっています。 正確に言うと不幸になるのではありません。 気づかされるために、何度でも不幸が 巡ってきて教わっているのです。 この恐ろしさを痛いほど教わったので、私は 遅刻と共にお金の振り込み期限は厳守しよ うと過剰反応するようになりました。 支払期日に1日遅れる会社は必ず業績が 傾きます。 これには、理由も全部あるのです。 世の中は非常に論理的にできており、つく づく平等だと感謝するようになりました。 金払いの悪さ、支払い方の醜さは、立派な 病気だったのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月14日 相手に断るのが苦手です。 新人社員研修の際に習った「Yes,・・・but・・・」方式で断る方法が通用しない場面もリアルビジネスでは非常に多いです。 デキル人を見ていると、いきなりストレートに断ってきますし、模範解答とはかけ離れた本音やテクニックを駆使しています。 どうしたら上手に断ることができるでしょうか。 性格以外のことで変えていけるのであれば、ぜひ変えていきたいと思っています。 (兵庫県・会社員・Kさん・男性・33歳) Yes,・・・but・・・ 方式で断るというのは、模範解答では あります。 模範解答だから、知っておく必要はあ りますが、それがすべてに通用しない ことも同時に知っておく必要があります。 模範解答の特徴は、それがばれた 瞬間に相手にウンザリされるという ことです。 Yes,・・・but・・・方式で断ろうとしてい るな、と相手に伝わると、相手はがっ かりします。 つまり、もう飽きられており、but以下し か聞いてもらえないから、Yes以下は、 時間泥棒に思われてしまう可能性が あります。 特にデキル人にとってはそうです。 ただでさえ忙しい人に社交辞令や遠回 しな言い方は嫌われます。 人生を変えたかったら、言葉や口癖を 変えてみると面白いです。 たとえば、断る際にいきなり本音を言っ てみるのです。 ストレートに、 「ごめん、興味ない」 と言って断ると、確かに相手は少し驚 くかもしれません。 少し驚くけれども、思ったより嫌われな いことにも同時に驚くのです。 今まで自分があんなにビクビクしていた、 断るという行為は、こんなに簡単だった のか・・・ と、驚くのです。 「行きたいのは山々だけど・・・」 「面白そうだけど・・・」 とやってしまうと、相手は勘違いして永遠 に誘ってきます。 嫌がらせで誘っているわけではなくて、 いい人であればあるほどに、 「本当は参加したいのにかわいそうだから」 「面白そうだと言っていたから」 と断れないように事前に誘ってくるように なります。 相手が悪いのではありません。 原因は自分が作っているのです。 種は自分が撒いているのです。 ビシッと断ってみて、相手から離れて 行ってもいいけど、自分から関係は切 らない、とだけ決めておくのです。 そうしたら、必ず関係は続きます。 必ずチャンスはやってきます。 逆に相手に断ってもらうことも平気で 受け止めることができます。 立場なんてコロコロ変わるからです。 もし、それで相手が離れて行ってしまっ ても、気にする必要なんてありません。 どんなにがまんして気を遣っても、いず れプツンと切れてしまう瞬間がきます。 その前に相手に切ってもらうのですから、 むしろラッキーだったのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月13日 いつもメルマガ・書籍で刺激を与えていただき感謝です。 一つだけ教えてください。 10年以上勤務したベテラン事務員が退職することになりました。 社内の雰囲気を初め仕組みも改革しようと思い、それに伴って新人女性事務員を2名採用予定です。 で学習した千田式面接と適性テスト(ペーパー)を実施予定です。 女性同士の組合せ(年齢差・相性・既婚・独身???)で気をつけることが有ればご教授お願いします。 (福岡県・会社経営・Yさん・男性・56歳) 細かいテクニックやトークについてはCDで 対応できると思いますので、ここではCDで の情報をベースにした上で話を進めます。 気づきの種にしてもらえたらと思います。 1.必ずしも女性である必要があるだろうか 2.女性は年齢差はあまり関係ない 3.女性は「愛情が満たされているか否か」 が仕事に直結する 4.王様と奴隷、主人と召使の関係が長続 きする 5.ピッチャーとキャッチャーの関係 1.必ずしも女性である必要があるだろうか については、現在様々な会社では男女の 職種の垣根が取り払われてきています。 業種業界問わずに、伸びている会社という のは、男性もお茶汲みをしていたり、女性 が営業をバリバリこなしていたりと、従来の 偏見がないのです。 男性の事務員など珍しくも何ともありません。 そもそも前提自体が絶対とは限らない、と 疑ってみることは、変革期には特に有効だ と思います。 新しく採用せずに、今いる社員の中で営業 成績が不振の社員を事務員として育成した ら大きく成長して、営業として給料泥棒だっ たのとは対極に、会社の業績アップに直結 させた、という例もたくさんあります。 2.女性は年齢差はあまり関係ない については、男性と違って女性は年齢を気 にしません。 男性の世界では考えられないかもしれませ んが、お婆ちゃんと孫が本気で喧嘩するの が女の世界です。 女性の基本的価値観は、平等なのです。 これを踏まえた上で、容姿に関することで、 男性社員が差別をするような言動をすること 自体のほうが遥かに問題なのです。 男性が「どっちが強いか」「どっちが偉いか」 を価値基準とするのに対して、女性の判断 は「好きか嫌いか」だけです。 片方が美人で片方が不美人だとトラブルの もとになることも憶えておくといいでしょう。 これは本能の問題ですが、どうしても男性の 言動に差が出てしまうことが要因です。 3.女性は「愛情が満たされているか否か」 が仕事に直結する については、家庭があるなしにかかわらず、 好きな男性からたっぷり愛情を受けているか、 というのは女性は仕事能力にそのまま反映 されます。 男性には理解しがたいことでしょうが、女性 にとっては仕事は2の次3の次です。 愛されているという安心感こそが、絶対的に 必要な要素であって、それさえあれば、仕事 で多少辛いことがあっても乗り越えることが できます。 逆に、異常なほど仕事に打ち込んでいる人 というのは、一番大切な愛情を享受できてい ない偽キャリアウーマンの可能性が高いです。 偽キャリアウーマンは、本人以外すべてを不 幸にしますから、要注意です。 本人の仕事ができるからと言って、周囲を幸 せにして会社の業績が上がるわけではあり ません。 4.王様と奴隷、主人と召使の関係が長続 きする については、どんなに小さな部署においても、 あるいは従業員と会社の関係においても、 長続きする関係は、実は対等な関係ではあ りません。 どちらかが王様でどちらかが奴隷の関係が、 組織が上手くいくコツです。 だから、昔から文明は長期間にわたって栄 えてきたのです。 動物も昆虫も対等な関係で群れや組織を 存続させることができません。 対等な関係だと人間は必ず張り合ってしまい ますから、ケンカになって決裂します。 真に対等な関係は、王様と奴隷の関係です。 王様は奴隷がいなければ生きていけない。 奴隷もそれがわかっていて、王様がいないと 組織は成り立たないから奴隷を演じます。 SMの世界もそれぞれが女王様と僕を演じて いるのであって、どちらかが欠けても成立し ないことをお互いが熟知しているのです。 お客さんが逆ギレして、 「お金払っているのに、ムチで叩いて痛いな!」 とやってしまったらSMは成立しません。 そこで次の、 5.ピッチャーとキャッチャーの関係 が大切になってきます。 ご主人役と女房役を素で演じることができる ペアこそが大切です。 二人ともピッチャーでも二人ともキャッチャー でも仕事になりません。 カップルや夫婦と同じで、必ず片方がピッチャー、 片方がキャッチャーでなければ関係は続かな いのです。 以上踏まえた上で以下おまけのアドバイスです。 まずは一人をちゃんと採用し、中核メンバーとし て活躍して欲しい人を確保しておきます。 その一人の従業員を同席させながら、次の一人 を面接すると、ちょっとした壁にぶつかっても言い 逃れできません。 これは事務員に限らず、すべての職種に対応で きる方法です。 採用にかかわらせることによって、言い訳できな いようになり、経営に参加するようになるのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月12日 最近業績悪化のためか、主商品の値段を下げておきながら、オプションで稼ごうという魂胆が見え見えの商売が増えてきて憤りを感じます。 肝心のサービスが低下しているのに、押し付け営業されるのは不快です。 千田さんはサービスに厳しそうですが、いい店の目利きの仕方とかご自身で決めているノウハウがあればご教授ください。 (兵庫県・会社員・Kさん・男性・44歳) 私はイケてない店のリピーターになることが 好きです。 決して、マゾではありません。 もの凄く勉強になるからです。 もちろんイケている店にも行くことがあります が、イケてない店のリピーターになって、経 営が悪化してどのように復活していくのか、 あるいは消滅していくのかを生で感じるので す。 だから、クレームなんて言いません。 いつも、お金を支払う側の私が心底感謝を 込めて、 「ありがとうございました」 と言います。 私はどんなにドンマイなコンビニの店員さん に対しても必ずお礼を言います。 たとえば、今私が散髪に行っている店は、 あるクライアント先のすぐ傍です。 毎月1回訪問していますから、毎月1回は その散髪屋さんに行きます。 ちょうど1年くらい前からサービスが劣化し てきました。 案の定、その2ヶ月後には店長が変わりま した。 でも、その店長のやり方もドンマイだな、と 感じていたら、案の定オプションのサービス の押しつけがしつこくなってきました。 また、プライベートのことを根掘り葉掘り聞く ことによってコミュニケーションが大切だと勘 違いする教育を従業員にも浸透させてしま いました。 私もつい先日、店員さんの一人に、 「いい就職先見つかるといいですね」 と励ましていただきました。 中にはゆっくりと目を瞑ってリラックスしたい サラリーマンも多いはずなのに、プライベー トのことを根掘り葉掘り聞いてくるのです。 当然客離れしていきます。 最近はラーメンを売りつけるようになってき ました。 なんと、レジで支払いの際に、ラーメンを買 わせようとするのです。 これはドンマイです。 そんなもの買っても、持って帰るのが恥ず かしいだけです。 でも、店員さんは店長のマニュアル通りに、 相変わらず沖縄そばセットを売りつけようと してしまいます。 気の弱い人が断られずに買って行きます。 これが、実に勉強になるのです。 売上が下がれば下がるほどに、しつこいコ ミュニケーションをお客さんに要求してしま い、オプションを売りつけようとする。 その結果、売上が低下するのは必至です。 本人たちは、みんながんばっているつもり です。 でも、がんばればがんばるほどに、売上 が低下していくのです。 日本軍が、がんばればがんばるほどに、 劣勢になっていったのと同じです。 そもそも戦略が間違っていたら、ますます 負ける方向へ導かれていくのです。 これも、勉強です。 振り返ってみて、自分も無意識のうちに こうしたことをしていないだろうか、と気 づくことができます。 欠点を探すのではありません。 逆に、自分に欠けている部分を教わって いるのです。 だから、お金を払っているのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月11日 子会社出向の話がありました。 まだ30代半ばなのにすでに絶望的になりました。 同期の中では真ん中より上に位置していたつもりだったのが、甘かったです。 という本の中の「伸びる人」に該当していたのは45/70項目ほどでした。 ちょっと出逢うのが遅かったようですが、転職したほうがいいでしょうか?これから行く子会社はすでに人生の墓場であって、過去に親会社に戻ってきた社員はほとんどいないようで憂鬱です。 (東京都・会社員・Iさん・男性・34歳) 今月末に、 『30代で伸びる人は、20代の頃より叱られる』 という本がから出ます。 その中にも書いたのですが、若いうちの子会社 出向は絶好のチャンスです。 冗談抜きで、出向は買ってでもすべきです。 子会社になると、普通は会社の規模は2桁くら い小さくなります。 だからこそ、チャンスなのです。 出向先では役職が1ランクないし2ランク上がっ て、部下を持たせてもらえる可能性も高いです。 親会社でコースに乗っかっている人と、若くし て子会社で経営のトレーニングをした人とでは、 将来の底力が大きく違ってきます。 まず、規模の小さな組織でいったい経営という ものがどのように行われているのかがよく見え るはずです。 どんなに財務・会計をいじったところで、経営全 体から見たらその重要性は10%もない。 だったら節税なんて専門家に任せておいて、全 エネルギーを本業で稼ぐことを考えるのが第一 だ、と気づかされます。 また、親会社では会社のブランド力が桁違いに 大きいため、営業力ではなく、マーケティング力 によって商品が売れてしまいます。 子会社はブランド力がありませんから、営業力 がとても重要になります。 素の力と向き合わざるを得なくなるのです。 経営コンサルティング会社というのは小規模の 中小企業が大半です。 コンサルティング会社で100名を超えるところ は、業界内でかなり大手に含まれるといって いいでしょう。 綺麗事は抜きにして、コンサルティング会社の 入社には経歴が重んじられることが多いです。 その中で中途採用組は名だたる大企業出身 者がメインとなります。 ところが、大企業出身者が小世帯のコンサル ティング会社に入ってきても、からきし使い物 にならないパターンも枚挙に暇がありません。 理由は、子会社出向とまったく同じです。 大企業では仕事のできなさが埋もれてしまい ますから、見えにくくなります。 そのくらい大企業はすばらしい仕組みが構築 されているわけです。 子会社出向するというのは、コンサルティン グ会社に転職してキャリアアップするチャン スを得たようなものです。 仮に親会社に戻れなくてもそんなことは気に しなくてもいいのです。 独立するために勉強するチャンスをいただけた と解釈することもできます。 子会社を成長させて、親会社を抜くという経営 の醍醐味を味わうことも可能です。 富士通という世界的企業は、富士電機の子 会社だったことを思い出しましょう。 子会社の時価総額が親会社のそれを抜く例 も珍しくありません。 時代は潮目です。 下剋上もどんでん返しも珍しくもなんともない時 代が今、まさに、到来しているのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月10日 一流コンサルタントのセミナーに参加して衝撃を受けました。 何と、経営で一番大切なことは、「運をよくすることである」というのです。 経営はどこまでいってもギャンブルのようなものだから、最終的には運が強い人間が勝つということでした。 確かに振り返ってみると、自分は運に救われたとしかいいようのないエピソードがいくつもありました。 でも、ギャンブルとはちょっと違うような気がするし、たとえ運が悪くても成長し続けるのが経営だと思うのですが・・・(三重県・会社経営・0さん・男性・36歳) 人生においてギャンブルをするのが必要な 瞬間もあります。 でも、それは 生涯に1回だけのほうがいい のです。 加えて、 常に圧倒的な準備をしていること が条件です。 ギャンブルといってもパチンコや競馬や麻雀 や株のことではありません。 それらはゲームであって真のギャンブルでは ありません。 真のギャンブルというのは、自分の人生を 賭けるようなことです。 戦国武将で一番人気のある織田信長を例 に考えてみましょう。 織田信長は戦国武将の中で荒くれ者で、 怖いもの知らずでイケイケだったと勘違いさ れていることが多いです。 確かに見方によってはそういった面もあった でしょうが、すべてにおいてそんなことはあ りませんでした。 今川義元という、約10倍の競合に立ち向 かった桶狭間の戦以外にはとてつもない 大勝負には後にも先にも臨んでいません。 それどころか、非常にち密な戦略を練って、 斬新なアイデアを取り入れていたことがわか ります。 そして情報収集能力がとてつもなく高かった。 情報収集能力は、身分や家柄を気にしてい ては決して身につけることはできません。 楽市楽座は市場を解放して経済を活性化さ せると同時に、現場の生情報を得るための ものだったのです。 信長が商人からの情報を非常に大切にした のは、実は祖父の影響です。 祖父の信定という人は、信長そっくりで既成 の枠組みにとらわれない斬新な発想をする人 でした。 武力がすべてだという戦国時代の真っただ 中で、商人を大切にして、情報とお金を制す る者がこれからの世の中を制すると洞察して いました。 慧眼の至りでした。 だから既成の枠組みにおいては文武両道で 戦国時代のスーパースターであった、 武田信玄と上杉謙信のいずれも天下統一に かすりもしませんでした。 先見性のあった祖父・信定は、当時では非 常に常識外れであった、自分の愛娘を商人 と結婚させるということをやってのけます。 祖父のおかげで織田家は大金持ちになって、 力をつけていったといっても過言ではありま せん。 信長は母親からの愛情不足もあってか、年 上の女性や子連れの女性を好む傾向もあり、 人間観察眼も磨かれていきました。 人間観察眼、情報収集力、斬新なアイデア、 既成の枠に閉じこもらない、・・・これは、20 世紀の世界的経営者とまったく同じです。 盛田昭夫さん、松下幸之助さん、本田宗一郎 さん、・・・みなさん同じです。 そして大きなことを成し遂げる人の共通点は、 一世一代の大勝負は本当に人生で1回きりだ ということです。 それ以外は非常に慎重で、常にじっくり考えて いたからこそ、即断即決できるように見えるだ けだったのです。 運が良くて勝ったことは、本人が一番よくわかっ ています。 運も実力のうち と人は言います。 でも、 運は運であって実力ではないのです。 少なくとも長期的に見たら、運良く勝ったことは、 相当気をつけないとヤバイのです。 成功する人は、運で勝った時こそ、脂汗をかい てヒヤリとします。 そして、二度とこんなことを繰り返してはいけな いと猛省するのです。 これ以外に継続的に成功し続ける方法はありま せん。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月09日 もうすぐ30代です。 今まで各種勉強会、異業種交流会、書籍、オーディオブック、セミナー、映画、ミュージカル、美術館・・・と、自己研鑽はそれなりにしてきたつもりですが、30代でこれをしておくといいという自分への投資はありますか?このまま引き続き、自分が興味を持ったことを深掘りしていくのがいいのでしょうか?子どももできて徐々に苦しくなってくる兆しがありますが・・・(神奈川県・会社員・Sさん・男性・29歳) 30代以降の男性で一番欲しいのは、 書斎です。 30代40代になると子ども部屋が優先 されて居場所がなくなってきます。 それでダイニングでゴロンと寝ころびな がら缶ビール片手に野球中継を見る人 生で幕を閉じます。 一方、いつまでも輝き続けてステップア ップしていく男性は、子供部屋よりも書 斎を優先します。 ここで大切なのは、書斎そのものよりも、 自分の書斎を持つことができる力です。 すっかり数ポンドのぜい肉を身につけた 奥さんに、 「な~に、バカなこと言ってんのよ、 少ない稼ぎで」 「そんな夢みたいなこと言ってないで」 「子どもが第一!あなた父親でしょ?」 と言われてしまわないようにしなくては なりません。 また、子どもの教育にも最高です。 「将来自分も大人になったら書斎を 持つことができるようになるんだ」 と夢を与えることができます。 家庭内のポジションが、母親1番、父親 2番という子どもの犯罪率が高いのはご 存知でしょうか。 過去の未成年犯罪を分析してみると、 母親が最も権力を握っている家庭が圧倒 的に多いのに気づかされます。 「牝鶏(ひんけい)晨(あした)すれば、 家危うし」 という格言もあります。 犯罪者にはマザコン度の極端に高い人 が圧倒的に多いです。 父親が書斎を持つということは、あらゆる 意味で効果的なのです。 勉強できる子どもを育てるには、勉強部 屋と立派な学習机を与えることではあり ません。 まずは親が机にむかって勉強する姿を毎 日見せ続けることです。 楽しそうに本を読む姿を見せ続けること です。 友だちと遊ぶことは大切です。 でも、大人も子供も共通点は 一人の時 間を確保しなければ絶対に成長しない ということです。 書斎を持つと年収も増えます。 理由は2つあります。 1つは、書斎を持つためにがんばって働 こうとするからです。 もう1つは、書斎を持つことによって頭が よくなって知的生産性が高まるからです。 善のスパイラルになります。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月08日 メールの処理の仕方が苦手です。 仕事上で毎日30件ほどのメールのやり取りをしているのですが、たいした量でなくても気を遣ってしまい、処理のスピードが鈍ってしまいます。 結局ペンディングにしているうちに相手から催促されてしまい、催促されればされるほどに気を遣って時間がかかってしまうという悪循環です。 あるいは逆に、何度も催促しているのに返事のない典型的なドン臭い人も苦手です。 表現の仕方を気にしている間にあっという間に時間が過ぎていきます。 メールの処理の仕方にコツってあるのでしょうか?(静岡県・会社員・Kさん・女性・34歳) 締め切りを守らない人への催促、ドンマイ な人へのネガティブメールは、すべての仕 事が終わったその日の最後にします。 相手には翌朝一番で見てもらうようにする わけです。 こちらが配信した時間は前の晩になってい るわけです。 あるいは逆に、ドンマイな人からの的外れな メールや、ネガティブメールに対する返事は どうすればいいのでしょうか? もちろん、これもその日の最後にしておくの です。 疫病神のようなもので、自宅までそれを 持ちこんでしまったら大変だからです。 メールが出現したからといって、相手の 時間に土足で入り込んでいい訳ではな いのは、電話と同じです。 催促したかったら、自分から淡々と発信し続 けることです。 返事がなくても文句を言ってはいけません。 返事がない理由は1つです。 あなたのことが嫌いだということです。 嫌いという表現がキツイのであれば、重要で はない、返事をするまでもないと思われてい ると考えて間違いありません。 期待するから腹が立つのです。 ビジネスメールの期限は世界共通です。 営業日中の24時間以内です。 24時間以内に返事が来なければ、欠席裁 判でいいのです。 だから、受信したらまず 「拝受しました」 と返しておかなければなりません。 それに加えて、 「今週金曜日18時までには回答差し上 げます」 と書いておけば相手も金曜日まで待つこと ができます。 でも、何も返事をしないまま2日以上待 たせるということは相手と縁を切りたい という意思表示だと思われても仕方が ありません。 換言すれば、そういう意思表示もテクニック として知っておくのです。 お日様が照っているうちは、ポジティブメー ルだけにかかわっておけばいいのです。 ネガティブメールはできる限り短時間で、 最後にパパパッと片づけてゴミ箱に捨てる 気持ちでちょうどいいのです。 1年経てば人脈が一変します。 お試しください。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月07日 お客さんから「あんた、プロやないな」と言われてすごくショックを受けました。 自分としては全力を尽くしたつもりだし、社内での評価も高いのに、です。 単に嫌われているだけかと思ったのですが、上司にこっそり聞いてもらったところ、ストレートにクオリティ(質)の問題だというのです。 プロとプロじゃない人の違いって何でしょうか?ここまでプライドを傷つけられたら必ずプロと認められるようになりたいです。 (大阪府・会社員・Iさん・男性・31歳) 「今回の仕事はイマイチだったな」 と反省して落ちこんでいる時に、お客様からは、 「さすがに、すごくよかったです」 と言われてその後もリピートしてもらえるように なったらプロになった証拠です。 つまり、アマチュアの最高の状態をコンス タントに維持できるのがプロなのです。 アマチュアは所詮、アマチュアです。 プロのように歌が上手い。 プロのように田舎のゴルフ大会で連続優勝 していた。 でも、「プロのように上手い」という表現は間違っ ています。 本当に上手いなら、プロで勝負すべきなのです。 その程度だから、所詮アマチュアなのです。 田舎に行くと必ず自己最高記録で自慢大会が 始まります。 たいていは、嘘です。 すべて自称です。 「最後は怖くて手が震えちゃってさ~」 というのが決まり文句です。 プロになるには最悪の状態でもアマチュアの 自称最高記録をコンスタントに出し続けなくて はなりません。 自称世界記録を出してもプロにはなれません。 緊張して最悪の環境にもかかわらず、アマチ ュアがリラックスして最高のコンディションで、 ちょっとサバ読みしたような記録を出さなくては ならないのです。 同じ歌をうたっているのでも、まったく違う競技 をやっているのです。 同じゴルフをやっているのでも、まったく違う競 技をやっているのです。 ただし、冒頭で述べた、 「今回の仕事はイマイチだったな」 というのは、プロ同士なら完璧に見抜かれて います。 経営コンサルタントの世界でも同じです。 歌手の世界でも同じです。 スポーツの世界でも同じです。 漫才の世界でも同じです。 作家の世界でも同じです。 お客様には死ぬまでばれないけれども、プロ同 士でならわかってしまうような仕事をした瞬間に 差がつくのです。 「バレなくて、よかった」 という人は必ず5年後には完全に姿を消してい ます。 「このままでは、相当ヤバイ!」 という人は必ず5年後には次のステージへと進 化しています。 プロはお客様のために仕事をしているなんて 嘘をつきません。 プロは自分のために仕事をしているとハッキリ と言うことができます。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月06日 私は公私ともに主導権を握られやすくて、自分の人生を歩めていないような気がしています。 いつも人に従えられてしまい、窮屈な人生を歩んでいます。 千田さんの過去のブログを拝読して、「主導権の握り方」については非常に自分の中でヒットしました。 実際に試してみて本当に成果もありました。 ただしばらくするとすぐに元に戻ってしまうのです。 何が欠けているのでしょうか?(埼玉県・会社員・Kさん・男性・28歳) これは男女限らずにいえることですが、相手 に嫌われるために自分から先に嫌っておけ、 という人をたまに見かけます。 これは実に受け身でネガティブな発想です。 こういう人は自分が相手に受け入れられる 自信がないので、いつもそっけない態度を取 ります。 相手にそっけない態度を取ることによって、 「どうして嫌われるのだろう」 と思わせることが作戦なのです。 そうすることによって力のない自分が主導権 を取ろうとしているわけです。 これが逆にその人の主導権を弱めてしまうの です。 主導権というのは、テクニックでは必ず化 けの皮がはがれます。 たった1回の関係であれば猫騙しが通用して も2回目以降の付き合いでは通用しません。 回数を重ねれば重ねるほどに、必ず主導権 は力のある方に傾いていきます。 だから力のある人はいつも謙虚に見えるの です。 年齢に関係なく「さん」づけで呼ぶのは、媚 びているわけではありません。 外資系企業では社長も新入社員も「さん」で 呼ぶ会社が多いです。 これは、いつ立場が逆転するのか分からな いし、お互いをそれぞれの仕事のプロフェッ ショナルとして尊重しているからです。 コンサルティング業界においても、1年もしな いうちに上司と部下の関係が一瞬で入れ替 わってしまうこともあります。 そして分担された役割においては、例え新 入社員でもプロフェッショナルとして責任を負 わされます。 だから「さん」づけで呼ぶのです。 最近はテクニック論に走り過ぎる傾向が強く て肝心な実力をつける大切さが置き去りに されているような気がします。 若い人に不足しているのは実力です。 ひたすら実力不足です。 出る杭が打たれるのは嫉妬されて打た れるのではありません。 単に実力不足だから打たれるのです。 その程度の実力なのに分をわきまえないか ら打たれるだけなのです。 正面から実力をつけたいものです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月05日 私はキャバクラが大好きです。 現実逃避と言われればそれまでですが、それを生きがいにして仕事をしているという感じです。 店では女性が真剣に私の話に耳を傾けてくれて、本当に私に気があるのではないかと思わせるような眼差しなので、何度も騙されて痛い目に遭いました。 女性の眼差しってすごくミステリアスですよね。 私は女性とじっと目を合わせることなどとてもできません。 この悪循環をでもどうしても断ち切れません。 現実を直視してまっとうな人生を歩まなければならないのですが・・・(福岡県・会社員・Gさん・男性・41歳) 一般に女性は好かれたい男性に話しかけて いるときには、相手の男性の目を見ます。 これはプライベートだけでなく、サービス業な どでも応用されており、嫌われてはいけない お客さんに対してしっかり目線を合わせて話 しかけます。 少なくとも嫌われたくない、できれば好か れたい、という顕れです。 一方、男性は小心者が多くて熱心に女性か ら話しかけられると、たいていは目線を逸ら します。 女性はますます熱心に目を合わせて話しか けてきますから、一層男性は目を逸らしなが ら話を聴くようになります。 これが 行き違いというヤツです。 男性は好きな女性で安心できる相手が 話しかけている場合のみ、目線を合わ せます。 初対面の女性に対して堂々と目線を合わせ 続けてくる男性は、相当自信があると言って いいでしょう。 それ以外は、好きな女性の普段の何気ない 行動を追いかけているのが男性です。 さっと振り返った時に、目が合うことが 多ければその男性は好意を寄せている 可能性が高いです。 もちろん、人間には思い込みや願望という やっかいなものがありますので、すべてが このパターンに当てはまるわけではありま せん。 むしろ自意識過剰の人のほうが多いので、 パターンから外れる場合のほうが多いかも しれません。 でも客観的に見ればたいていは当たります。 初めてのデートで別れ際に握手を求めてく る男性は、勇気がなくて一歩踏み出せな かった証です。 勇気がない人の特徴は悪あがきをするこ とです。 男性に勇気が求められるのは、もともと男 性は勇気がないからです。 「男だったら・・・」 「男らしくしなさいよ!」 というのは、弱い男性に無理強いさせて楽 しようとする女性の戦略なのです。 究極の女性の本質は、子どもと自分が美味 しいものを食べて一生、平和に暮らしていく ことです。 男性はそのために寿命を縮めながらこき使 われることに生き甲斐を感じるのです。 「すごい!」 「さすが!」 とたいして思ってもいないことを口にされると ついついその気になってしまうところも、男性 らしいといえば、男性らしいのです。 トップレベルのホステスは口数が少ないです。 「なるほど」「へぇ~」 「素敵」「すごいじゃないですか」 「あらら・・・」「でも大丈夫」 を連発しておきながら自分の得意分野に関 する意見を求められた時に、初めて口を開き いて1回だけ的を射た意見を述べます。 話題は大きく分けて3つです。 1.会社での評価の愚痴 2.家庭の愚痴 3.自分の大物ぶりを披露 コツはあまり話し過ぎないところです。 すべてにおいて寸止めでいいのす。 男性は、自分の話をすべてわかってくれる のはこの女性だけだ、となってリピーターに なります。 もちろんホステスは目薬を注してでも目を ウルウルさせながらあなたの話を一生懸命 に頷きながら聴いてくれます。 これを好意を寄せていると思ってしまうのは、 もちろん 勘違いです。 勘違いビジネスにも、立派な市場があると いうヒントです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月04日 私はパーティーが苦手です。 この世からパーティーなんてなくなってしまえばいいのに・・・と真剣に思っています。 すぐに独りぼっちなるし、話も続きません。 緊張して何を話しているか分からなくなってしまい、ますます自信をなくしてしまうからです。 ただ、現在の仕事上パーティーが欠かせないので苦痛以外の何でもありません。 パーティーから脱出したいです。 (東京都・出版社勤務・Tさん・女性・34歳) パーティーが好きな人は少ないです。 私もパーティーは苦手です。 でもみんな親密になってから本音を打ち明け ると、実はパーティー嫌いが多いことに驚か されます。 パーティーが好きな人というのは、たいてい 本人の自己満足に過ぎません。 それでもやはりパーティーに出る経験は 必要なのです。 パーティーは勉強の場として最高の環境です。 パーティーは生まれてから今日までを試す 模擬試験のようなものです。 お金を払って模擬試験を受けるのです。 99%の人たちが思っていることは、壁の花に なってしまうとカッコ悪いな、ということです。 誰も話相手がいなくて孤独になってしまった 時はみんな気まずいです。 こんな時は同じく孤独な人が必ずいますから 話しかけてみるのです。 話術なんて必要ありません。 「誰も話相手がいなくなってしまって・・・」 でいいのです。 運命の出会いになるかもしれません。 あるいは一人で人間観察をしているのも 退屈しません。 盛り上げるのが上手い人、紹介の仕方が卓 越している人からその技を盗むのです。 こうしていると、たとえ独りぼっちでも孤独に 見えません。 凛としてかっこよく見えるのです。 オロオロして周囲をチラチラ見ているのはカッ コ悪いです。 パーティーでカッコ悪いのは、後日商談 をするためにあちこちで名刺交換しまくっ ている人です。 明らかにお金儲けをするための手段として、 名刺を見た瞬間に相手の値踏みをします。 それがマナー研修の講師や話し方教室の 経営者だというから笑わせます。 断言できるのは、100人と名刺交換して その後アクションを起こさない人よりも、 たった一人としっかり話せてその後アクシ ョンを起こした人が成功するということです。 中にはせっかく話が盛り上がっていたり、 沈黙しているけれどもいい感じになってい る人たちを引き裂いてまで、 「ちょっと、こんなところでボーっとしてい ないで、こっちいらっしゃいよ。 いい人紹 介してあげるから」 とやってしまう人もいます。 これらもすべて勉強です。 逆に自分の知り合いがたまたま多い場で、 調子に乗って同じことをやってしまっていない かと振り返ってみることができます。 カッコいいのはさっきまで一人でいたのに、 いつの間にか親くなっていた人と一緒に いなくなってしまう人です。 合コンではいつも一番の美人は行動力ある 男性といつの間にか消えてしまっています。 モタモタしている男女でカラオケに行って、 もう日付が変わっているのにラーメンを食べ てお互いにぶくぶく太っていくのです。 モタモタしているとチャンスはなくなります。 早く来て早く消える人は仕事ができます。 ドタキャンしたり、遅刻してきた割にはダラ ダラといつまでも残っている人は仕事がで きない人です。 パーティーは最高の勉強の場です。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月03日 毎月2回の部署別の月会議があって、責任者として私が社の方針や新企画のプレゼンテーションをしなければならないことになっています。 ところが、部下たちの集中力は30分も持続せずに、居眠りし始める始末です。 もちろんカチンとくるので厳しく叱責するのですが、正直こちらもその繰り返しで疲れてきました。 決して社の状態はよいとはいえずにとても大切なことを伝えているにもかかわらず、いい加減なものです。 私に危機感がまだ欠けているから伝わらないのでしょうが、部下を積極的に振り向かせるためには何が一番欠けているのでしょうか。 (千葉県・会社員・Oさん・男性・45歳) 話す内容ではなくて、話し方が大切です。 話す内容は、相手が解釈します。 聴き手が解釈した内容がすべてです。 愛していることと、愛していることを伝 えることはまったく別です。 感謝していることと、感謝を伝えること はまったく別です。 つまり1回の話を聴いても、10人いたら、 10通りの解釈の仕方があるのです。 仮に大筋さえ外さなければ勘違いでもい いのです。 なるべくたくさん勘違いして、勝手に感動 して気づきを帰ってもらえるのが成功です。 一番ダメなのは、正しいことを言っている のにつまらない話です。 会議室を出た瞬間にすべて忘れます。 これこそ、時間の無駄です。 優等生で教科書通りの話をし続けている のにみんな居眠りしているのは話し手に 責任があるのです。 面白い話をする必要はありません。 聴き手が面白いと感じるように話すこと が大切なのです。 すごくプレゼンテーションが上手な人が話 している内容をそのまま書面にすると、 すごく当たり前で退屈だったということが あります。 これがプロのプレゼンテーションです。 結局、画期的なことをするためには当 たり前のことを尋常ではないくらいに 継続することです。 尋常でないことを尋常でないくらいにやる ことなど誰にもできません。 人間の体力など高々知れていますから、 必ず限界が来て休むようにできています。 話し方を鍛えるコツは簡単です。 参加者の中で一番好きなタイプ、熱心 なタイプの人を見つけて、その人だけ にメッセージを送り続けて感動して泣 かせるつもりで話しかけるだけです。 書き方を鍛えるコツも簡単です。 世界中で一番好きな人、一番伝え たい一人に向けて書けばいのです。 上手なプレゼンの仕方、上手な書類の 書き方を100冊くらい読むとそういった ことに気づかされます。 内容は当たり前のことでいいのです。 面白いことを話すのではなくて、面白そ うに話しましょう。 面白いことを書くのではなくて、面白そう に書きましょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月02日 今年からリーダーになりました。 同期最年少出世ともてはやされたのも束の間。 早くも地獄の日々が襲ってきました。 同期最年少ということは、年上や同期の部下もいるということです。 私自身の問題ですが、どうしても動いてもらえないのです。 いかにして人を動かすのか、というセミナーに参加したり、本も貪るように読み尽したのですが、解決策はまだ見えてきません。 正直、こんなにつらいのであれば、トッププレーヤーとして成績を上げていたほうが遥かに幸せでした。 (千葉県・会社員・Mさん・男性・33歳) リーダーにとって一番大切なことは、 まず自分が動くということです。 リーダーになると、どうしてもいかに して部下に動いてもらうか、ばかりを 考えるようになります。 「部下に動いてもらえないんです」 というのがリーダーに最も多い悩み です。 動かない悩みの種の部下は、リーダ ーに対してあの手この手で不足して いる部分、サボっていた部分を教え てくれているのです。 自分に満たされている部分につい ては問題を起こしてくれません。 自分が逃げ回ってきた部分、隠し続 けてきた部分を困った部下が教えて くれているのです。 だから、困った部下は困った部下で はありません。 困った部下は、先生なのです。 部下のふりをした先生なのです。 何か問題を起こした部下がいたら、 自分の過去を振り返ってみるのです。 必ず思い当たる節があるはずです。 まずは自分が動くということは、まず は自分が改めるということです。 休みの日に、テレビを見ながら部屋 でゴロンとしているお父さんが、 「勉強しなさい」 「外で遊んできなさい」 と言っても説得力がありません。 子どももテレビを見たりゲームをする ようになります。 そして、 「あんな大人になりたくないな」 というイメージが強烈に残ります。 これがニートやフリーターの急増の 原因です。 「大人になったらなんてつまらなさ そうなんだろう・・・」 「まるで奴隷の様だ」 と思わせてしまっているのです。 家庭でいうと、部下は子どもです。 子どもはあの手この手で自分が逃 げて隠蔽してきた部分を教えてくれ ている先生だったのです。 叩こうとしているその手で、自分の ほっぺを叩かなくてはならなかった のです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月01日 先日うちの会社から本を出しました。 今までお世話になった人たちに対してお礼のメールをしたのですが、思ったより返事がきません。 「おめでとう」くらい言ってもらえるかな、と思った人たちから何も返事がないのです。 正直、これにはショックを受けました。 出版を武器にしてこれから会社のブランディング向上を戦略として考えていたのですが・・・このまま当初の予定通り突っ走っていいものでしょうか?(神奈川県・会社経営・Uさん・男性・43歳) 調子に乗りすぎたら、周囲がどんどん バッシングしてくれますから大丈夫です。 とりあえず突っ走ればいいです。 世の中には二通りの人間がいます。 どんどん突っ走ってバッシングされな がら人間性を高めて最終的に成功し ていく人。 嫌なことを嫌々やりながら、突破して いる人を見つけて死ぬまでバッシング し続ける人。 どちらを選ぶのかは自分が決めればいい のです。 一見、バッシングされている人は孤独で 苦しい人生に思えます。 一見、バッシングしてニヤニヤ笑っている 人は、友だちもたくさんいて楽しそうな人 生に思えます。 ところが、逆なのです。 バッシングしてニヤニヤしている人たちは、 同じ仲間内から成功して突っ走ろうとした 人が出現すると、寄ってたかって芽を摘も うと必死になります。 仲間を失うことへの恐れです。 同時に、仲間への激しい嫉妬です。 「突き抜けたら無視するぞ」 「突き抜けたら陰口を言うぞ」 「突き抜けたら嫌いになるぞ」 というのが弱者の発想です。 弱者は弱者であるがゆえに、群がって抜き ん出ようとがんばろうとする人を必死で叩き ます。 弱者の必殺技は、ヒソヒソ話なのです。 これは縄文時代から変わりません。 抜きん出て突っ走ろうとした人たちは、実 力を蓄えていくと、同じような経験をした人 に必ず出会います。 これが、絆です。 自立した人同士でなければ、コラボレ ーションしても意味がないのです。 意味がないのではありません。 むしろ依存しきっている人同士が手を組む と大きなマイナスになります。 いかにして相手を引き摺り下ろして自分と 並べるかを考えている人たちの集団だか らです。 自立した人たちのコラボレーションは違い ます。 いかにしてお互いが高め合って、自分が 上に登っていくのか、と考える人たちです。 バッシングにはきちんと感謝して耳を傾け ておくと、ますます勝ち組になります。 一度の人生です。 どうせなら、バッシングされる側になりまし ょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年08月31日 陰口を言ってはいけないのは正論としてよくわかります。 ただ、私は陰口をついつい言ってしまいます。 陰口を言ってはいけないのはみんな頭ではわかっているはずですが、では実際にどうすればいいのか、原因は何なのかを考えなければいつまで経っても解決できないと思います。 陰口を言わない人生が歩めたら最高だと思います。 (兵庫県・会社員・Nさん・男性・37歳) 陰口を言ったことのない人はいないでしょう。 人間はみんな陰口が大好きです。 放っておくと陰口をたくさん言ってしまいます。 人の会話からすべての陰口や噂話を取り 除いたら、ほとんど会話できなくなってしま うくらいです。 どういうときに、人は陰口を言ってしまうので しょうか。
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2010年09月30日 21世紀は価値観のパラダイムシフトが起こるのはもちろんのこと、経済が不安定になるのは目に見えています。 資本主義の崩壊を叫ぶ学者やアナリストは多いですが、次の時代はどのような価値が重んじらると思いますか?年金問題や預金封鎖など煽られるとどうしても不安になってしまいます。 (秋田県・会社員・Dさん・男性・53歳) 石器時代は、いかに獲物を獲得するかが 決定打でした。 戦国時代は、武術や何万石のリーダーか、 といった腕力、勢力が決定打でした。 20世紀は、どれだけお金持ちか、という のが決定打でした。 もちろん、間には元禄文化や化政文化と いった文化が栄えて、その時代は藝術的 なセンスが評価されたこともあったでしょう。 それぞれ決定打はコロコロ変わってきた わけですが、ベースは同じです。 それは、 「性欲をいかに満たすことができるか」 です。 人類が始まって以来、常にこのベースは、 揺るぎないものです。 あらゆるものは、もとを辿れば性欲を満 たすためにつながっているのです。 男性は女性に何で評価されるかによって、 磨くものが変わってきます。 お金の力であれば、その国の経済力は 見る見る発展していきます。 イケメンだったら、眉のテンプレートやプチ 整形が流行ります。 ちなみに、香港に行ったときに若い女性 たちに直接インタビューしてみたら、 「美味しいものを食べさせてくれる人」 「エリート」 と口を揃えてお洒落な回答が返ってきま した。 露骨にお金持ちと言わないところがミソ です。 中国もインドも欧米も日本以外は全部露 骨にいい学校を出た人をストレートに尊敬 します。 あと、米国の男性は、全員筋トレをしてい ます。 デブとガリは絶対にモテないからです。 マッチョがモテるのではありません。 マッチョはほんのスタートラインなのです。 日本人一般男性のほとんどがフリーウエイ トでベンチプレスをやると60kgなんて絶対 に正式なフォームで上下できません。 米国では100kgオーバーなんてザラです。 女性がそれを求めているからです。 米国でヘナチョコは子孫を残せる可能性す ら減ってしまうのです。 これからの日本がどうなるのかは、女性た ちが何を求めるのかにかかっているのは、 何も経営に限らず、日本経済も政治経済も 同じなのです。 残念ながら性欲を満たせない人は、お酒 に溺れたり、ドラッグに溺れたりするのは 世界共通です。 お酒やドラッグ以外でハイになれるもの を仕事にできる人は成功します。 性の衝動を仕事に変換できる人のこと を、人は天才と呼びます。 膨大な作品を生み出す画家や作家は性 衝動を変換できたからです。 偉大な組織のリーダーも同じです。 もちろん、モテますしお金持ちになって幸 せになる可能性が高いです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月29日 うちの会社の数々の矛盾に苛立っています。 転職も考えたのですが、すでに私は2度の転職を経験しており、人に使われるようなサラリーマンは向いてないな、と自分でも気づいてきました。 矛盾を一つひとつ正していくことは難しいし、現実的ではありません。 転職するか独立するかあるいは別の方法があるか模索中です。 甘ったれた質問であることは重々承知ですが、矛盾を受け入れる方法、あるいは、解決する方法があれば教えてください。 (兵庫県・会社員・Tさん・女性・28歳) 会社はもともと矛盾だらけのものです。 矛盾だらけでも、給料が出続けるという ところが実に美味しいのです。 矛盾のない会社で働く方法は1つしか ありません。 自分で会社をつくることです。 自分で会社をつくると、好き勝手にでき ますが、今度は別の不満が出てきます。 サラリーマンのときには、成果が出なく ても上司の厭味に堪えさえすれば、毎 月指定口座に同じ額の給料が振り込ま れていました。 でも、独立したらそれはありません。 働いた分だけ振り込まれないのです。 成果を出した分だけが振り込まれます。 矛盾がないというのは、本来そういうこと です。 汗をかいたか否か、残業したか否か、が んばったか否か、はまったく意味があり ません。 会社に対して売上総利益(売上-原価) で、1000万円納めたら300万円もらう 資格があります。 年収1000万円欲しかったら、売上総利 益で3000万円納めるだけの話です。 様々な会社を見てきましたが、それに匹 敵するビジネスパーソンは20%いれば、 その会社は優秀なほうでした。 独立してやっていくためには、この感覚が 大切です。 自分は3000万円の売上総利益を 納めているから独立したら1000万円 は確保できる、と考えるのはまだ早 合点です。 それは今いるお客さんが全員自分につい てきてくれたら、という希望的な話です。 部下の人件費、間接部門スタッフの人件 費を忘れてはいけません。 特にセールスの方に多いのは、自分の 会社の看板と自分の力を間違っているこ とです。 大企業から独立した人も同じです。 自分が人として見ていなかったような、 取引先の弱小零細企業の社員たちに さえ、軽くあしらわれてしまいます。 人は鏡です。 大企業に在籍していた頃の自分の姿が そのまま反射してるに過ぎません。 「あの人だけは大丈夫」と確信していた お客さんはすべて皮算用であることを知 ることでしょう。 それは、自分が相手をそうした目で見て いた事実をそのまま教わっているのです。 結局、独立して矛盾がなくなったほうが、 大半の人たちにとっては辛くなってしまう のです。 矛盾していたほうが、甘えることができて 幸せです。 怒鳴られたり、軽くあしらわれたり、窓際 に寄せられるのを我慢するだけで、毎月 給料が振り込まれていること自体が矛盾 しているのです。 矛盾から卒業すると、厳しい現実が待っ ています。 それでも矛盾から卒業したいという人だけ が独立してやっていけるのです。 仮に収入が10分の1になってもやりたい ことがあれば生きていけるでしょう。 お金儲けのためだけに独立するのであれ ば、精神が続きません。 高々1億円稼いだところで、サラリーマンに は勝ったことにはならないのです。 矛盾のありがたさを感じられないようで は、独立してはいけません。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月28日 これから研修・セミナーの講師をしていくことになりました。 人前で話をすることは比較的好きだったのですが、それはあくまでも挨拶や数分間のスピーチレベルでの話です。 今までお金をもらいながら1時間とか2時間の話を初対面の人前で話し続けた経験などありません。 しかし、仕事だからそんな呑気なことも言っていられなくりました。 講師としてこれから活躍していくためにアドバイス、注意点等ございましたらよろしくお願いします。 (東京都・会社員・Tさん・男性・29歳) 講演をしていて勉強になるのは、まず人 に説明できないことは自分もわかってい ないと気づかされることです。 知っていることと、伝えることではまった く違います。 これは、愛していることと愛していること を伝えることはまったく違うのとまさに同 じです。 伝えることができて、はじめてわかっ たことになります。 講演をすると、自分が話したいな、と感 じていたことの、たった1割くらいしか話 せません。 あれも話したい、これも話したい、と思っ ていたのに時間が足りなくなってしまっ て終了です。 そして、自己嫌悪に陥ります。 理由は簡単です。 準備不足につきます。 どんなにベテランでも、準備してきたこと の1割しか話せません。 これはこれから先もずっと変わりません。 100%話したい人は、1000%の準 備をするしかないということです。 いたってシンプルです。 どうせ1割しか話せないのだから、同じ なのではありません。 どうせ1割しか話せないからこそ、その 1割の密度を上げていくのです。 1割の密度を上げていくと、捨てた9 割がオーラになります。 捨てた9割が「奥の深さ」「魅力」に直結 するのです。 ついでに講演が巧い人は、自分が聴く 側に回ったときに、質問の仕方も巧い です。 講演会場にはたいてい1人は混ざって いる、 質問のための質問。 これだけ自分は知っているぞ君。 は、いずれも講演できない人たちです。 会社の会議でも私語が多いタイプです。 私語が多い人に当てると、質問のため の質問やあまり関係のない知識を披露 するスピーチが始まってしまいます。 そういう人たちへの対応の仕方も講演 には含まれています。 だからこそ、講師は聴く側に回った際に どちらの気持ちもわかるのです。 先生の経験と、生徒の関係のどちらも 必須です。 どちらか片方だけでは、魅力が半減して しまいます。 否、どちらか片方だけだと、消化不良を 起こしてしまうのは人体と同じです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月27日 プロジェクトが次から次へと成功し、社内でもその成果が急激に認められてきました。 一見申し分ない人生のようですが、社内の一部の先輩社員や仲間だったはずの同期たちから明らかな嫌がらせを受けるようになりました。 あの手この手で巧みに私の足を引っ張ってくるのです。 余りに露骨だと極端な話、殺意さえ抱いてしまうくらいにこの人たちが憎くなるときもあります。 私は行動力には自信があるのですが、口下手なためにこんなことでもクヨクヨ悩んでいます。 考えすぎでしょうか。 (東京都・会社員・Iさん・男性・36歳) 大丈夫です。 ちゃんと自分としてはがんばっている つもりなのに、次から次に嫌がらせを されてしまう。 邪魔をする人が出てくる。 これは、間もなく成功する証拠です。 間もなく成功する人に対して、世間 は厳しくなります。 もちろん、原因は嫉妬です。 でも、嫉妬されることは実はありがた いことです。 成功しても人間性が貧弱なためにすぐ に落ちぶれてしまわないように、神様 が嫉妬する人を次から次へと目の前に 連れて来てくれているのです。 その人たちは、今回の人生は成功 者に嫉妬するためだけに生まれて きたのです。 がんばって成功しようとしている人 に対して、傲慢になってはいけない よ、と気づかせるためだけに生まれ てきたのです。 お気の毒ですが、事実としてそういう 人生もあります。 でも、Iさんは別の人生を歩むために 生まれてきたわけです。 たいていの場合、同性との会話がギク シャクし始めるのが成功の前兆です。 正確にいうと、成功というよりも成長し ている証拠です。 次のステップへと進化しているのです。 成功者が同性よりも異性と二人で話を することが多いのは、浮気をしているわ けでも、遊んでいるわけでもありません。 同性からは嫉妬されるから会話が 噛み合わないことを経験上熟知して いるから、それだったら異性から学 ぼうという考えからです。 男性でまだ若いのに、収入も多くて影響 力を持ってきたら、必ず同性の補欠の先 輩たちから激しく嫉妬されます。 女性で若くて、美人で、学歴があって、 お金持ちの彼氏がいたら、同性からは 100%嫉妬されます。 それらのいずれも持ち合わせていない 人たちから厳しい目でチェックされるの です。 世の中にはチェックされながら人間 性を高めていって成功する人と、人 のチェックをし続けながら心身ともに おかしくなって死んでいく人のいずれ かしかありません。 どちらのコースを選ぶのかは、早いうち に自分で決めておくことです。 どちらのコースも一長一短です。 なぜなら、チェックする人のほうが割 合からいくと圧倒的多数だからです。 きっと、そちらのコースのほうが楽しい のでしょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月26日 千田さんの本を読んで、どうせ一度の人生なのだから自分も好きなことをして人生を生きていきたいと強く思うようになりました。 ただ、現実問題としてサラリーマンには「好きなこと」と「会社の仕事」を両立させるのは難しいです。 どうしても会社の仕事が忙しくて好きなことが疎かになってしまいます。 独立してやっていくしかないのでしょうが、好きなことだけで食べていけるほど実力もないし、世の中甘くはないと思います。 好きなことで生計を立てていくことができる基準のようなものってあるのでしょうか?(奈良県・会社員・Kさん・男性・40歳) 好きなことというのは、 継続できるという ことです。 成功して儲かることが好きなことではありま せん。 その人は成功してお金が儲かることが好き なことであって、本当に好きなことをしないま ま死んでしまいます。 たとえば、私はこのブログで返事を書いてい る間にまた別のブログを書きたくなります。 1つのブログを書いていると、勉強したり、 気づいたりして5つくらいネタが見つかります。 だから、永遠にネタが尽きません。 この 継続力が好きなことです。 上手くいくか否かは人が評価することであっ て、好き嫌いとは無関係です。 本の原稿を書いていても、その原稿を書いて いる最中に次の本のテーマが生まれます。 今月私はTSUTAYAビジネスカレッジで講師 を務めてきましたが、話している最中にどん どんネタが生まれてきました。 講演の内容は主催者に事前に渡したレジュ メとは当日ガラリと変えました。 当日の参加者の顔を見て、 「あ、この人が来てくれているから、こんな 話をしよう」 「あ、この人も忙しいのに来てくれたから、 とっておきの話をしよう」 「この美人を笑わせよう」 と思って話します。 講演終了後には、新しい本が生まれるの です。 本を出すことが好きなのではなくて、 文章を書くことが好きだから続けられる のです。 大学に合格することが好きだという人は、 合格した途端に勉強しなくなります。 でも、勉強が好きだという人は一生勉強し 続けます。 継続することがその人が本当に好きなこと なのです。 「遊んでいないで、やりなさい!」 と強制されることは嫌いなことです。 「そんなことばかりやって、ダメな子にな りますよ!」 と言われることが好きなことです。 でも、実際には 「そんなこと」を24時間 365日やり続けていたら、 ダメな子には なりません。 中途半端に 「そんなこと」をやっているから、 迷ってしまってダメになるのです。 本気で10年継続したら、親も周囲も諦める ようになります。 そこからが 本当の誕生日なのです。 10年というのはあっという間です。 でも、継続している人にとっては意外に長く 感じます。 正確には、あっという間なのですが、圧縮さ れていろんなことがあったということがわか ります。 一度これを味わうと、好きなことを継続する 生き甲斐が忘れられなくなります。 だから慣性の法則で、一生好きなことを継続 して結果として成功しているように見えるの です。 毎日子どものような顔をして、イキイキとしな がら人生を生きていくことができるのです。 継続できないことをしているうちは、他人の ための人生を歩んでいるのであって、自分の 人生を歩んでいるわけではないのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月25日 「携帯電話が人体を破壊していく」といった内容の記事を読みました。 話半分に聴くにしても、ちゃんとした学位を持った人がコメントしていたのです。 確かに、世の中は便利になったには違いありませんが、何か大切なものを失っているような気がします。 便利で豊かになっているはずなのに、イライラしている人や心ない人が増えているように思えて仕方がありません。 とはいっても、携帯やパソコンを使わずにはいられない世の中ですが。 (徳島県・会社経営・Aさん・男性・35歳) 以下、すべて仮説です。 不妊治療をする夫婦が非常に多くなってきて います。 特に先進国にいえることです。 理由は1つではないでしょう。 ただ、科学技術が進化すればするほどに、 不妊が増えていくと思います。 それは、携帯やパソコン、ipad、ipod、iphone といったものによる電磁波です。 電磁波というのは学術的に認められており、 実在するものです。 人体に影響を及ぼすか否か、という点において 意見が分かれているというだけの話です。 数年前まで私は地方のホテルに宿泊していた ときに、 「これは怖いな」 と、感じていたことがあります。 2メートルは離れた場所に充電してある携帯に メール受信があると、古い型のテレビですが、 画面がビビッと音を発して上下揺れ始めたの です。 液晶ではない、古い型のテレビです。 これだけでも、凄まじい電磁波が部屋中に 発生していることが明らかです。 いろんな学術書を読んでも、専門家の中でも 意見が分かれているようです。 確定できない、というのが現在の結論らしい のですが、自分の身は自分で守るしかありま せん。 我々の人体はもちろん、地球上のものす べてが究極は電子で構成されています。 電子で構成されている以上、強烈な電磁波に 反応しないとは考えにくいです。 もし、人体に悪影響を与えることを公言し たら、世界経済に響くからしばらく伏せて いくのかもしれません。 携帯をウエストポーチやハンドバッグに入れて おくと、男性は睾丸、女性は子宮に電磁波が 直撃します。 いずれも細胞分裂が激しい部位ですから、 癌になるきっかけをつくらないとは断言でき ません。 うつ病をはじめ、精神に関する病気が先進国 で増えているのも、携帯で脳に電磁波を直撃 しているからなのかもしれません。 高校物理の簡単な公式ですが、電磁波の影 響力は距離の2乗に反比例しますから、たとえ 10cmでも身体と離すことによって、差が出て きます。 IT技術を駆使しているようなビジネスエリート たちは男女共に裕福でも子を授からない人が 多いのには、ひょっとしたら理由があるのかも しれません。 先進国の男性の精子の数が激減しているのと 無関係であればいいのですが。 地球上の人口がこれ以上増えないようにする ための自然の摂理だとすれば、恐ろしいです。 もっとも、栄養過多で肥満の人は一般に精子 が少ないと言われていますが。 追伸. 世界の要人たちの間では、 使用者が増えているのはなぜでしょうか?... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月24日 世の中って、法律上は犯罪でなくともそれに匹敵することって多いように思います。 周囲を不快にして、不快になった人たちを逆に犯罪者に仕立ててしまう人っています。 私は今、損害保険会社に勤務しており、査定調査の仕事をしていますが、どう考えてもこの事故って当事者ではなくてその周囲にいたドン臭い、空気の読めない車が真の犯人だっていうことが多いのです。 でもその真の犯人はブーッとそのまま通過して家族団欒の中、夕飯でも食べているのでしょう。 ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、世の中ってこういうの多くないですか?(北海道・会社員・Iさん・女性・43歳) 犯罪にはならないにしても、犯罪以上に罪 が重いことはあります。 たとえば、こんな人はかなり致命的な犯罪 者です。 1.食事中にテンションを下げる人 2.出張中に訪問した人に荷物になる手 土産を持ち帰らせる人 3.朝っぱらからテンションを下げる人 これらはついついやってしまいます。 でも、たとえ「ついつい」やってしまっても、 本来極刑に匹敵する罪の重さです。 言い訳無用です。 本人に悪気がないところが、これまた重症 なのです。 この人たちの質が悪いのは、本人ではなく、 周囲の人たちを犯罪者に育ててしまうという ことです。 こうした環境で育てられた子どもは犯罪者 になります。 でも、犯罪者をつくった環境こそが、本当 の犯人なのです。 率直に申し上げて、これらの犯罪は病気な ので、いくら言って聞かせても相手には理解 不可能です。 だから、そっと自分から距離を置くしかありま せん。 高速道路で、暴走車が乱暴な運転をして、 グイグイごぼう抜きしているのに対抗しては いけないのと同じです。 暴走車からは自分からそっと距離を置くのが 一番です。 もらい事故を避ける方法は、これしかありま せん。 中学校の国語の教師で、やたら本音が多い けど、人望があった教師がいました。 その教師が言っていたことの中で、印象に残っ たことが1つあります。 40人いたら、最低1人は完璧におかしい人間 が混ざっている。 これはもう努力して矯正することは不可能だか ら気をつけなさい、と。 藝術的な国語の授業をする教師でした。 でも、きっとこんなに本音ばかり言っていては、 出世できないんだろうな、と余計な心配をして いましたが、その後最短コースで校長先生に なったようです。 この教師からは、本当に大切なことを教わり ました。 万引きと痴漢と放火も矯正できません。 繰り返します。 矯正できないことを嘆くのではなくて、矯正 できない人からいかにして距離を置くのか、 という考え方も大切なのです。 距離を置くことは、消極的な生き方ではあり ません。 人生において、より大切なことをするために、 必ず習得しておかなくてはならないことです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月23日 私は今ブログやツイッターに力を入れており、サイドビジネスをしています。 結果は鳴かず飛ばずですが、やっている時間はすっかり没頭しています。 本当は本業を辞めてしまって、サイドビジネスを主にしていきたいのですが、周囲からは猛反対されています。 やっぱり現実逃避なのでしょうか?パソコンに関しては中学生の頃から熱狂的でハマってました。 サイドビジネスはサイドビジネスだかこそ、楽しいのでしょうか?でも、現実にはごく一部とはいえ、生計を立てている人もいるわけです。 一度の人生を充実させたものにしたいのですが・・・(福岡県・会社員・Sさん・男性・34歳) 考えてみれば、最初にサインの練習をしたのは 高校生の頃でした。 今でもたまにそのサインを使います。 私はサインを二つ持っていますが、そのうち一 つは高校生の頃に考えたサインです。 高校の授業中はサインの練習にハマっていた こともありました。 明らかに現実逃避でした。 でも、青春時代に現実逃避していたことが今で は一番好きなことだったと気づきました。 現実逃避の中にこそ、その人の才能がある ということです。 現実逃避は好きなことをします。 だったら、その現実逃避だけを仕事にすればい いのです。 現実逃避に絵を描いた人は、それを貫くとマン ガ家になるかもしれません。 現実逃避に運動ばかりいた人は、それを貫くと スポーツ選手になるかもしれません。 現実逃避にカラオケ通いをしていた人は、それ を貫くと歌手になるかもしれません。 中途半端な現実逃避だと親や学校の先生 に説得されています。 親や学校の先生に説得されているようでは、 世の中に出てからその現実逃避の才能で勝負 していけるはずがありません。 だから、親や学校の先生の説得に乗らないか 否かは、その才能で食べていくことができるか 否かのテストなのです。 「今どき、大学くらいは行っておかないと」 「何だかんだいっても、公務員が一番安心」 「そんな夢みたいなこと言ってないで」 というのは、すべてテストなのです。 放っておいても、周囲が寄ってたかってテストを してくれているので、ラクチンです。 もし、あなたが、 「それもそうだよな・・・」 と説得されたら、それはそれで正解です。 説得を払い除けて、抜きんでる実力をつけて、 はじめて周囲は応援してくれます。 間もなくすると、 「アイツはオレが育てたんだ」 という自称 「師匠さん」が必ず現れます。 実は、自称 「師匠さん」は一番邪魔していた 人たちばかりです。 また、 「何かあったら力になるよ」 という人たちも複数現れます。 その人たちは、本当は失敗するのを笑いたかっ た人たちです。 みんな嫌なことを我慢しながらやって生きている 人たちばかりですから、好きなことを仕事にして いる人を見るとムカついて仕方がありません。 自分も現実逃避していたことを、仕事にしている のだから、嫉妬するのは当たり前です。 嫉妬する側と、嫉妬される側 この差は大きいです。 間もなくブレイクする人の共通点があります。 自称業界通の人たちから、 「アイツはもうすぐ終わるよ」 と言われる人です。 現実逃避をするなら、中途半端にではなくて、 本気で現実逃避しましょう。 それができないのであれば、説得されて我慢 の人生を送るのが無難です。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月22日 デジタル化がこれから進化していくに伴って、アナログも見直されています。 アナログだけでもダメ、デジタルだけでもダメ、ということで以前千田さんがおっしゃっていたことが思い出されます。 これから活かすべきアナログ力とは、たとえば具体的にどのようなものなのでしょうか?(神奈川県・会社員・Kさん・男性・37歳) デジタルで確認してアナログで決断する ということは人類が続く限り永遠です。 たとえば、インターネットでホテルの予約 をしたとしましょう。 そこには最高の映像が掲載されていて、 たいていは騙されます。 もうできてから20年以上も経って老朽化 著しいにもかかわらず、オープン当初の 写真を使っています。 ホテルに限りません。 レストランでもサービス業であればすべ て同じと考えてください。 アナログで決断する方法を言います。 必ず電話してみることです。 「予約したいのですが・・・」 と伝えてみて、感じが悪かったらすぐに その場でキャンセルしましょう。 もっと国民全体でキャンセルを積極的に していかないとサービスのレベルはいつ まで経っても向上しません。 電話対応はどのサービス業も厳しく教育 されています。 にもかかわらず、感じが悪いということは、 それ以外のサービスはもっと感じ悪いと いうことなのです。 インターネット上では、絶対にそこまでわ かりません。 ありとあらゆる手段を使って実態を隠ぺい しているからです。 一巡するまで騙し続けて最後の最後まで 田舎者からお金をむしり取ります。 そしてオーナーは売却して逃げるというの が典型的なパターンです。 最初からサービスになんて興味がないの がアナログであれば簡単にわかるのに、 デジタルに依存しきっていると騙されてし まうのです。 これは仕事でも同じです。 インターネット情報を収集するだけでなく、 必ずアナログ情報を掴んでおくことです。 「・・・らしい」 ではなくて、 「・・・だった」 と言えなくてはなりません。 「・・・らしい」という人の話は、いかにも いつも優等生的で抽象的です。 理路整然と説明されても、つまらないも のはやっぱりつまらないのです。 「・・・だった」という人の話は、いつも具 体的です。 まったく的を外していてもいいのです。 超具体的な支離滅裂の情報のほうが、 遥かに役立ちます。 香港に行ったことがない人が、いくら香 港ビジネスや香港の歴史をレクチャーし てもみんな眠くなってしまいます。 本人もきっとキツイはずなのに可哀想 です。 それよりは、実際に香港に行ったことが ある人の、 「香港の商店街はラードの腐った匂い がした」 という話を本当に辛そうな顔をしながら 話をされたほうが説得力があります。 説得力とは具体性です。 具体性はいつもアナログからしか得られ ないのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月21日 私は行動力がありません。 正確には継続力がありません。 そのため、仕事能力が今日に至るまでとても中途半端で悩んでいます。 20代の頃は30代になればどうにかなると思い込んでいました。 でもどうにもならないのです。 恥ずかしながら、口だけはやたら達者になったのですが・・・。 当然ながら上司からのウケは悪く、このままではリストラも免れません。 現状打破する方法はあるでしょうか?(群馬県・会社員・Mさん・男性・39歳) 反論したくなったときに、グッと飲み込むこと です。 議論に強い人は、実践に弱いです。 議論に勝つことによって満足して、行動が鈍っ てしまうからです。 これは、カッコ悪いです。 やっぱり人生は、実践してナンボです。 あーでもない、こーでもない、とやり合って、 議論で勝ったとしても、その人が何もやり遂 げていなかったら、結局その人は軽蔑され ます。 議論で勝つというのは、それくらい損なこと です。 口喧嘩の強い人は、大成できない人が多い のです。 朝まで生テレビを見ていると、口下手な人 でコテンパンにやっつけられている人のほう が実績があることに気づかされます。 理路整然とまくしたてる人は、実戦には弱い 人が多いのです。 本当に口の達者さと実践は反比例している のではないかと驚かされるくらいです。 議論で打ち勝つと、次の2つを失くします。 1.仲間 2.行動力 議論に負かされて気持ちのよい人はいま せんから、応援してくれる人が周囲にいな くなります。 でも、それより怖いのは自分の行動力 が鈍ってしまうことです。 顎(あご)の筋肉だけ発達してもまったくの 無意味です。 議論に強いのは必ずしも長所ではないこと を知っておきましょう。 議論に弱いことによって、それを行動力に 変換すればいいのです。 私が朝まで生テレビで興味があるのは1点 のみです。 出演した人たちのその後です。 議論に強い人が必ずしも実績を挙げている わけではありません。 議論に弱い人のほうが実績を挙げていること に注目すると面白い発見があります。 追伸. 人生で本当に議論で勝たなくてはならないの は、せいぜい数回でしょうね。 その数回は少なくとも逃げてはいけません。 普段議論ばかりしている人は、いざとなった ときは弱いものです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月20日 謙虚になる方法ってありますか?私は小さな成功ですぐにはしゃいでしまい、人を見下してしまう悪癖があります。 もちろん、年齢とともに表面上はごまかせるようになってきましたが、内面では何の変化もありません。 そんな自分がとても嫌いです。 本当は傲慢無礼な人間なのに、嘘をついて謙虚になっても意味がないのはわかっているのですが・・・(大阪府・会社員・Tさん・女性・30歳) できるだけ感受性の高い若いうちに才能の 塊である天才と出逢って、打ちのめされて おくことです。 さんというSF作家がいます。 1995年にで日本ホラー 小説大賞を受賞されました。 『パラサイト・イブ』は大反響を呼んでその後 映画化されました。 瀬名さんは当時大学院生で博士課程に通っ ていました。 私はまだ学部生でした。 ある日、いつもどおりに仙台の一番町どおり にある丸善に行ったら、ものすごい人だかり ができていました。 仙台名物七夕祭りでもないのに不思議です。 誰か芸能人でも来ているのかな、と思って、 行列の先を覗くと、とても地味な格好をした 若者がいました。 2002年にノーベル化学賞を受賞された、 さんをテレビで見たとき、すぐに 瀬名さんを彷彿させました。 「いったい、この人は何者だろう・・・」 行列に並んでいる人たちの手に持っている 本を見て合点がいきました。 自分とたいして歳が変わらないというのに、 世の中には凄い人がいるものだな、と焦り ました。 『深重の海』で直木賞を受賞したさん ならまだ納得がいきます。 津本さんは私の祖父の世代であり、かけ 離れ過ぎてピンとこないからです。 でも、瀬名秀明さんを間近で見たときには、 不思議な衝動に駆られました。 すぐにその行列の最後尾に並んだのでは ありません。 ヤバイ、と思って勉強しようと思ったのです。 もちろん、私はすでにその本を読んでいま したが、サインしてもらう気にはならなかっ たのです。 上手く表現できませんが、 「自分はその行列に並ぶ側になっては いけない」 と本能的に思ったのかもしれません。 『パラサイト・イブ』は単なるホラー映画 ではありません。 ミトコンドリアが地球外生物であるという仮説 がなぜ成立するのかを理解できていないと、 この映画の本当の意味はわかりません。 単に、葉月理緒菜がかわいい・・・とか、CG が怖い映画だった、で終わってしまいます。 手もとに瀬名さんの本『ミトコンドリアのちから』 があって、今でも何度も読み返しています。 瀬名さんは、やはりとんでもない天才でした。 20代半ばであの小説を書くことができるとい うのは、私の中ではどう贔屓目に見てもあり えませんでした。 とんでもない天才の、まだあどけない地味 な学生の頃の姿を生で見ることができて 本当に幸せでした。 いつもあの光景を思い出す度に、謙虚になる ことができます。 思い出す度に、ゾッとします。 悪夢で目が覚めます。 学生時代にとてつもない才能の塊、天才に出 逢っておくと、謙虚になることができるのです。 追伸. 通称「貧食」というカレーライス専門食堂があ りました。 学内で1番人気の食堂でした。 カレーライスが1杯160円で食べられた、貧 乏学生の強い味方だったからです。 そこでさんともすれ違っていた はずです。 なぜなら・・・、... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月19日 うちの会社の従業員は、学歴的には優秀な人材を採用しているはずなのですが、なぜか年々新入社員たちのやる気がなくなっているように思えます。 そうした世の中の風潮なのかもしれませんが、徐々に業績が落ちているだけに将来が不吉です。 何というか、古い表現で文字どおり「指示待ち族」が急増しているのです。 指示されるまでボーっと待っているのですが、私にしてみれば信じられません。 採用ミスなのでしょうか?(東京都・会社管理職・Tさん・男性・41歳) リー・アイアコッカというクライスラー元会長、 フォード社元社長が言ったとされる有名な セリフがあります。 「ただぼうっとしていないで、どんなつま らないことでもとにかく何かを始めろ」 これは悲惨な会社の状況を目のあたりに してアイアコッカが従業員に言った言葉で した。 デキル人に暇を与えると、必ず何かを始め ます。 ぼうっとしないで、何かを考えたり、新しい 仕事を始めるのです。 業績の悪い会社、からきし成果を出せない 人たちというのは、決まってぼうっとしてい ます。 私のコンサルティング経験においても、 これにはもう例外がありませんでした。 「ほら、ぼうっとしていないで!」 と言っても効き目なんてありません。 人はもともと考えることが嫌いです。 放っておくと考えなくなるのです。 やる気のないぼうっとした人に火をつける のは非常に難しいのです。 採用や育成の際も、やる気のないぼうっと した人を採用してしまうことほど苦労させら れることはありません。 ぼうっとした人は意外なことにプライドが高 い人も多いのが事実です。 親や先生に言われるがままにしてきただ けで、心身ともに疲労困憊しているのです。 だから、ぼうっとした人に注意をすると、逆 切れされることも珍しくありません。 やる気というのは、一種の才能ですから、 もともとないやる気を叩き直すことは本質的 にはできません。 採用の際には、やる気を見抜くことが一番 大切なのです。 やる気を見抜く簡単なヒントをいくつか提示 しておきます。 1.面接の時間に遅刻しないか否か 2.お辞儀の仕方(深さ) 3.履歴書がびっしり埋まっているか否か やる気のある人は、丁寧さが必ず行動に 出ます。 細部に至るまで丁寧な人はやる気のある 人である可能性が高いです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月18日 世界の人口は増え続けていくのに、日本の人口は情けないことに減少傾向にあります。 これは市場が縮小してくことであり、海外戦略以外にもはや生き残る道はないのでしょうか?自分の業界においては、既に国内市場は頭打ちでM&Aがあちこちで起こっています。 海外戦略以外に何か方法はあるのでしょうか?社会保険制度や年金は大丈夫なのでしょうか?これからの日本の将来が不安です。 (東京都・会社経営・Mさん・男性・39歳) 人口減少は、このままいくと2050年頃には 1億人を切り、2100年頃には4080万人に なるというデータがあります。 当然そのとおりになれば市場は縮小し、今 までのように拡大志向で企業戦略を練るの は無理です。 「だったら海外戦略を練るしかない!」 と声を荒げる人もいますが、私はそれはあま り現実的ではないと思っています。 逆に、人口が減っても別に困らない世の中 にすることが大切だということです。 逆の発想で、人口がこのまま増え続けると いうことが、人類にとって幸せかといえばそ うではありません。 たとえば、現在の世界人口は約68億人です が、100億人、200億人・・・1000億人に なることが果たして幸せだと言えるでしょうか。 私はそうは思いません。 限られた資源の奪い合いになるのは目に見 えています。 そもそも日本の人口密度は高すぎます。 ただでさえ狭い上に山だらけの日本で、 1億2700万人いること自体が不自然かも しれません。 いろんなデータを照合して見ると、日本の 人口というのは、約6000万人くらいから 8000万人くらいが一番住みやすくて平和 なのではないかと思えます。 韓国や香港に行くとわかりますが、狭くて 人口密度が高いとみんな殺気立って言葉 が乱暴に聞こえます。 常に怒っている状態です。 あまり幸せだとは思えません。 人口密度が高くては、どんなにがんばって お金を稼いでも、広い家に住むことができな くなりますし、環境にも悪いです。 ここから、資本主義の限界が見えてくるという わけです。 ちなみに第2次世界大戦前がちょうど人口が 6000万人~8000万人くらいでした。 今より随分住みやすかったはずです。 経済力がなかったとしても、豊かな生活ができ るということです。 「人口が減ったら年金がもらえなくなるから 困るじゃないか!?」 という人は洗脳されています。 そもそも今の若者やこれからの若者は自分 たちのためだけに年金を払えばよいのであっ て、今のお年寄りのために支払うわけでは ありません。 つまり、今のお年寄りたちがもらっている年 金というのは、お年寄りたちが若い頃に支払っ た分から国が運用して返しているだけという のが本来のベースになる考え方です。 それを、 「ちゃんと若者が年金払わないと、困る!」 と発破をかけながら、今のお年寄りへ年金を 支払っているとしたら、おかしな話です。 自分たちが支払った分は、自分たちの分に 対して支払われるのですから。 国の運用さえ失敗していなければ、人口が減っ ても年金にはまったく影響がないわけです。 人口が減ってもほとんど困ることはないのです。 ベンツに乗ったり、大豪邸に住んだり、自家用 ジェットに乗れなくなる人が減ったとして、それ のいったい何が困るというのでしょうか? 何も困りません。 経済においては飢餓にならないレベルにまで すでにいるわけですから。 少子化は正しい流れであって、新しい社会 構造が一変するイノベーションが起こってい る証拠なのです。 拡大戦略というのは、実はダサいのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月17日 最近の哲学ブームの延長で今、宗教学にハマっています。 別に特定の宗教にハマっているわけではなくて、宗教の歴史を原点から勉強すると非常に面白いのです。 私はれっきとした民間人ですが、宗教と名だたる大企業を一代で成し遂げた創業社長とは紙一重だな、とつくづく感心させられます。 といっても100%鵜呑みにしてそれがすべて正しいと思っているわけではなく、ちょっと冷やかに見ているのですが・・・搾取する側と搾取される側の定めというのでしょうか?(広島県・会社員・Mさん・男性・35歳) 宗教の面白いところは、教祖がたいてい金持 ちだということです。 更に、取り巻きの幹部も小金持ちです。 そして末端の信者は「儲」かるという字にもか かわらず、たいていは貧乏だということです。 これが世界中の宗教で不思議なところです。 ひょっとしたら人間は貧乏で従うことに快感に なる本能があるのではないか、と思えるほど です。 無意識の奴隷願望です。 ちょっと考えたら、 「やってられるか!」 と言いたくなるようなことにも平気で従ってい るからです。 しかも教祖に感謝しながらです。 そもそも宗教を立ち上げた人というのは、もと もとすごく平等で差別はいけないという考え 方の人がほとんどです。 階級制度も反対の人が多いです。 お釈迦様はもともとすべてにおいて平等 主義だったのに、なぜか儒教は男尊女卑 です。 哲学者ニーチェはもともとキリストを評価して いましたが、キリスト教は批判しました。 だから、ニーチェはキリストを批判したと 勘違いしている人がたまにいます。 でも、ニーチェはキリスト教を批判したの です。 宗教を立ち上げた人と、それを伝える人とで は、時差を経てまったく別のものになってしま うこともあるということです。 これは伝言ゲームを考えてもわかります。 高々5人程度の伝言ゲームでも怪しいのに、 それが10人にもなると、もはやまともに伝言 が伝わることを誰も期待しません。 情報というのは、必ずそれを伝える人の意志 が込められるわけです。 つまり、情報を発する人の都合がいいよう に大なり小なり捏造されるのです。 これが、すべての宗教で教えの原点はすば らしいはずなのに、いつの間にかズレてしまっ て教祖とごく一部の幹部がぶくぶく太っていく パターンなのです。 会社経営もこれと同じことが言えます。 いつの間にか創業当初の理念を曲解して、 一部の幹部だけが甘い汁を吸うような仕組 みにしてしまいます。 民間企業はもっと宗教法人から学ばなくて はなりません。 民間企業は営利を追求するもので、宗 教法人は徳を追求するものだというのは、 みんな嘘だと知っています。 宗教法人もお金が大切です。 並の銀行や商社顔負けの財力を持っている 宗教法人もあります。 民間企業は宗教法人から学んで、宗教法人 は民間企業から学ぶのです。 結局、一代で1兆円以上の巨大企業を創 業した人物は、みんな宗教法人を立ち上 げたとしても成功した人たちばかりです。 民間企業を立ち上げたふりをしながら、実は 宗教法人を立ち上げているのです。 宗教法人を立ち上げるふりをしながら、実は 民間企業を立ち上げているのです。 追伸. 教祖がぽっちゃり型の宗教はちょっと・・・ 教祖がフェラーリやポルシェ乗ってる宗教も ちょっと・・・ もともとは我欲をなくして財産は実家にすべ て置くようにと教えたお釈迦様の教えと、明 らかに矛盾していませんか?... 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月16日 今、筋トレにハマってます。 1年間続けてきて、記録も伸びて楽しい時期です。 ところが、もともと弱点であった腰の故障が目立つようになってきました。 生来の負けん気からなのか、やるからには常に成長したいと思って、より重い重量でトレーニングしたいと思うのですが、どうやら骨までは鍛えることができないようです。 ほどほどが一番なのでしょうか?パワーリフティングをされていたという話を以前読んだことがあったので、質問させていただきました。 (埼玉県・会社員・Yさん・男性・27歳) 今私がいる部屋の目の前の青山通りでは、 夕方になるとジョギングしている人たちがた くさんいます。 また住人専用のトレーニングジムでもガシガ シ音を立てながら筋トレしている人もいます。 一度、ジョギングを楽しみ始めると麻薬のよう にそれが辞められなくなります。 これは筋トレもまったく同じです。 勝つためのスポーツやプロとしてお金をもらう 場合は仕方がありません。 本人たちもその価値があると判断しているわ けですから。 命を削ってでもお金を稼いでいるのです。 ただし、健康維持のためにジョギングをして いたり、激しい筋トレをしているのはまったく のナンセンスです。 ジョギング後にたくさんご飯を食べたり、お酒 を飲んでいる人は、単に命を削っているだけ なのです。 プロスポーツ選手は、ほとんどが短命なこと はご存じだと思います。 スポーツというのは、本格的にやると寿命を 縮めることは間違いありません。 その意味で私が命を削りながらスポーツに 打ち込んだのは、中学生の頃と大学生の頃 でした。 特に大学生の頃は限界を超えてまでやり切っ て、それを痛感しました。 運動のし過ぎは、運動不足よりもはるかに 体に悪いのです。 過剰なジョギングや筋トレは、骨をボロボロ にします。 後悔するのは40代後半から50代半ばに かけてです。 60代以降は一生の持病になります。 厳しいトレーニングをした人たちが、過酷な肉 体労働を積み重ねてきた人たちと似たように 老け込んでいくのは同じ理由からです。 私も痛いほどよくわかるのは、一度ハマると、 抜け出せないくらいのハイな気分に浸ること ができるのです。 でも、これは一種の現実逃避です。 50代半ば以降になって、本当に心身ともに 健康的に幸せそうになる人を見てください。 知的な人は、過酷な運動などしていません。 一番健康なのは、ちょっと早めに5分ほど 毎日歩くことです。 これはもはや間違いないようです。 しかも、ちょっと意識して手を大きく振りなが ら歩くといいでしょう。 自転車に乗るのでも構いません。 ただし、毎日継続することです。 携帯電話で話しながら運動しても、息が上 がって相手にバレてしまわないくらいの、 ギリギリの状態の運動です。 究極、歩く時には常に早歩きにする習慣 にしておけば運動不足とは無縁なのです。 学術書、専門書を読んでいて私がギクリとし た決定打は、激しくアスファルトを叩きつけ るような運動は、脳にダメージを与え続ける ということでした。 自分も含めて周囲の人たちを思い浮かべて、 私の運動に対する価値観を一変させた出 来事でした。 運動にハマってみることによって、単純に、 「運動は体にいいものだ」 といった常識を疑ってみることを学びました。 追伸. どうしても筋トレをしたいのならば、アルバイト などではない、ちゃんとしたプロの専門トレー ナーに個別指導してもらいながら、「加圧式」 がおススメです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月15日 以前、千田さんの講演で「支払期日を守れない人は、遅刻の常習犯である」という話を聴いて、度肝を抜かれました。 確かに、ただの一人の例外もなく見事に当てはまるからです。 加えてそうした会社は一時的に派手な利益を上げることはあっても、その後急速に衰退していきます。 まさにその姿は無残としか言いようがありません。 異常なほどに礼儀正しくて(単に卑屈?)笑顔が最高な人には、ドケチで継続的な成功者はいないな、と思うようになってきましたが、何故なのでしょう?(福島県・会社員・Sさん・男性・41歳) まず、貪欲に無料サンプルに飛びついた り、何でも聞いて質問していくのだけど、 お金を払わない人というのがどこにでもい ます。 凄く礼儀正しくて、笑顔も素敵なんだけど、 何に対してもお金は絶対に払わない人。 こうした人は何十年経っても成長せずに、 同じレベルをウロチョロしているだけです。 否、正確には現状維持せずに関わる人 たちすべてを巻き込みながらアリ地獄に 引きずり込んでいくのです。 食べることと着るものに対してだけは、お 金を払います。 それはそれでその人が選んだ人生です から、正しいのです。 なぜ、積極的にタダで聞いているのに吸 収力がないのでしょうか。 礼儀正しさも笑顔もあるのに、成長しない のでしょうか。 なぜなら、その礼儀正しさや笑顔はす べてが嘘だからです。 偽物の礼儀正しさや笑顔は必ず卑屈 になります。 無償でサービスを受けようとするために身 につけた武器だからです。 私は全国でいろんな会社の顧客インタビ ューをしてきました。 その中で人間の行動特性とその人の将来 をたくさん見てきました。 何千人と会って話をしているうちに、別に 望んでいなくても、その人の背中に映像の ように将来像が見えてくるようになりました。 私には霊感がないので、背後霊はもちろん 見えません。 でも、後天的に圧倒的な経験でその人の 特性や将来がわかりたくなくてもわかって しまうようになったのです。 最初の頃は、何か適当に思ったことがよく 当たるなぁ・・・と思っていました。 年々その頻度が等比級数的にアップして きて、そのうち確信に変わっていきます。 「この会社は必ず上場するだろうな」 「この人は将来必ずのし上がってくる」 「この人は社長になる」 「あぁ、この会社は業界では持て囃され ているけど、もうダメだな」 「この人、身内に絶対不幸が起きるな、 しかも1年以内に」 「この人、奥さんが鬱になって子どもが 登校拒否になるな」 というのが全部当たっていくのです。 きっかけはすべて小さなしぐさや発言から です。 何気ないしぐさや発言からパパパッと一瞬 で仮説構築されていくのです。 その中の1つに、お金の払い方、使い方と いうのが確実に決定打にありました。 ああ、そんなケチったら必ずしっぺ返しが 来るのに・・・ ああ、そんな醜くごまかしては自慢の長生 きお父さんが亡くなってしまうのに・・・ というのが見事に当たります。 買うと言ったのに買わない人。 支払期日を1日以上遅れる人。 例外なくその後不幸になっています。 正確に言うと不幸になるのではありません。 気づかされるために、何度でも不幸が 巡ってきて教わっているのです。 この恐ろしさを痛いほど教わったので、私は 遅刻と共にお金の振り込み期限は厳守しよ うと過剰反応するようになりました。 支払期日に1日遅れる会社は必ず業績が 傾きます。 これには、理由も全部あるのです。 世の中は非常に論理的にできており、つく づく平等だと感謝するようになりました。 金払いの悪さ、支払い方の醜さは、立派な 病気だったのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月14日 相手に断るのが苦手です。 新人社員研修の際に習った「Yes,・・・but・・・」方式で断る方法が通用しない場面もリアルビジネスでは非常に多いです。 デキル人を見ていると、いきなりストレートに断ってきますし、模範解答とはかけ離れた本音やテクニックを駆使しています。 どうしたら上手に断ることができるでしょうか。 性格以外のことで変えていけるのであれば、ぜひ変えていきたいと思っています。 (兵庫県・会社員・Kさん・男性・33歳) Yes,・・・but・・・ 方式で断るというのは、模範解答では あります。 模範解答だから、知っておく必要はあ りますが、それがすべてに通用しない ことも同時に知っておく必要があります。 模範解答の特徴は、それがばれた 瞬間に相手にウンザリされるという ことです。 Yes,・・・but・・・方式で断ろうとしてい るな、と相手に伝わると、相手はがっ かりします。 つまり、もう飽きられており、but以下し か聞いてもらえないから、Yes以下は、 時間泥棒に思われてしまう可能性が あります。 特にデキル人にとってはそうです。 ただでさえ忙しい人に社交辞令や遠回 しな言い方は嫌われます。 人生を変えたかったら、言葉や口癖を 変えてみると面白いです。 たとえば、断る際にいきなり本音を言っ てみるのです。 ストレートに、 「ごめん、興味ない」 と言って断ると、確かに相手は少し驚 くかもしれません。 少し驚くけれども、思ったより嫌われな いことにも同時に驚くのです。 今まで自分があんなにビクビクしていた、 断るという行為は、こんなに簡単だった のか・・・ と、驚くのです。 「行きたいのは山々だけど・・・」 「面白そうだけど・・・」 とやってしまうと、相手は勘違いして永遠 に誘ってきます。 嫌がらせで誘っているわけではなくて、 いい人であればあるほどに、 「本当は参加したいのにかわいそうだから」 「面白そうだと言っていたから」 と断れないように事前に誘ってくるように なります。 相手が悪いのではありません。 原因は自分が作っているのです。 種は自分が撒いているのです。 ビシッと断ってみて、相手から離れて 行ってもいいけど、自分から関係は切 らない、とだけ決めておくのです。 そうしたら、必ず関係は続きます。 必ずチャンスはやってきます。 逆に相手に断ってもらうことも平気で 受け止めることができます。 立場なんてコロコロ変わるからです。 もし、それで相手が離れて行ってしまっ ても、気にする必要なんてありません。 どんなにがまんして気を遣っても、いず れプツンと切れてしまう瞬間がきます。 その前に相手に切ってもらうのですから、 むしろラッキーだったのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月13日 いつもメルマガ・書籍で刺激を与えていただき感謝です。 一つだけ教えてください。 10年以上勤務したベテラン事務員が退職することになりました。 社内の雰囲気を初め仕組みも改革しようと思い、それに伴って新人女性事務員を2名採用予定です。 で学習した千田式面接と適性テスト(ペーパー)を実施予定です。 女性同士の組合せ(年齢差・相性・既婚・独身???)で気をつけることが有ればご教授お願いします。 (福岡県・会社経営・Yさん・男性・56歳) 細かいテクニックやトークについてはCDで 対応できると思いますので、ここではCDで の情報をベースにした上で話を進めます。 気づきの種にしてもらえたらと思います。 1.必ずしも女性である必要があるだろうか 2.女性は年齢差はあまり関係ない 3.女性は「愛情が満たされているか否か」 が仕事に直結する 4.王様と奴隷、主人と召使の関係が長続 きする 5.ピッチャーとキャッチャーの関係 1.必ずしも女性である必要があるだろうか については、現在様々な会社では男女の 職種の垣根が取り払われてきています。 業種業界問わずに、伸びている会社という のは、男性もお茶汲みをしていたり、女性 が営業をバリバリこなしていたりと、従来の 偏見がないのです。 男性の事務員など珍しくも何ともありません。 そもそも前提自体が絶対とは限らない、と 疑ってみることは、変革期には特に有効だ と思います。 新しく採用せずに、今いる社員の中で営業 成績が不振の社員を事務員として育成した ら大きく成長して、営業として給料泥棒だっ たのとは対極に、会社の業績アップに直結 させた、という例もたくさんあります。 2.女性は年齢差はあまり関係ない については、男性と違って女性は年齢を気 にしません。 男性の世界では考えられないかもしれませ んが、お婆ちゃんと孫が本気で喧嘩するの が女の世界です。 女性の基本的価値観は、平等なのです。 これを踏まえた上で、容姿に関することで、 男性社員が差別をするような言動をすること 自体のほうが遥かに問題なのです。 男性が「どっちが強いか」「どっちが偉いか」 を価値基準とするのに対して、女性の判断 は「好きか嫌いか」だけです。 片方が美人で片方が不美人だとトラブルの もとになることも憶えておくといいでしょう。 これは本能の問題ですが、どうしても男性の 言動に差が出てしまうことが要因です。 3.女性は「愛情が満たされているか否か」 が仕事に直結する については、家庭があるなしにかかわらず、 好きな男性からたっぷり愛情を受けているか、 というのは女性は仕事能力にそのまま反映 されます。 男性には理解しがたいことでしょうが、女性 にとっては仕事は2の次3の次です。 愛されているという安心感こそが、絶対的に 必要な要素であって、それさえあれば、仕事 で多少辛いことがあっても乗り越えることが できます。 逆に、異常なほど仕事に打ち込んでいる人 というのは、一番大切な愛情を享受できてい ない偽キャリアウーマンの可能性が高いです。 偽キャリアウーマンは、本人以外すべてを不 幸にしますから、要注意です。 本人の仕事ができるからと言って、周囲を幸 せにして会社の業績が上がるわけではあり ません。 4.王様と奴隷、主人と召使の関係が長続 きする については、どんなに小さな部署においても、 あるいは従業員と会社の関係においても、 長続きする関係は、実は対等な関係ではあ りません。 どちらかが王様でどちらかが奴隷の関係が、 組織が上手くいくコツです。 だから、昔から文明は長期間にわたって栄 えてきたのです。 動物も昆虫も対等な関係で群れや組織を 存続させることができません。 対等な関係だと人間は必ず張り合ってしまい ますから、ケンカになって決裂します。 真に対等な関係は、王様と奴隷の関係です。 王様は奴隷がいなければ生きていけない。 奴隷もそれがわかっていて、王様がいないと 組織は成り立たないから奴隷を演じます。 SMの世界もそれぞれが女王様と僕を演じて いるのであって、どちらかが欠けても成立し ないことをお互いが熟知しているのです。 お客さんが逆ギレして、 「お金払っているのに、ムチで叩いて痛いな!」 とやってしまったらSMは成立しません。 そこで次の、 5.ピッチャーとキャッチャーの関係 が大切になってきます。 ご主人役と女房役を素で演じることができる ペアこそが大切です。 二人ともピッチャーでも二人ともキャッチャー でも仕事になりません。 カップルや夫婦と同じで、必ず片方がピッチャー、 片方がキャッチャーでなければ関係は続かな いのです。 以上踏まえた上で以下おまけのアドバイスです。 まずは一人をちゃんと採用し、中核メンバーとし て活躍して欲しい人を確保しておきます。 その一人の従業員を同席させながら、次の一人 を面接すると、ちょっとした壁にぶつかっても言い 逃れできません。 これは事務員に限らず、すべての職種に対応で きる方法です。 採用にかかわらせることによって、言い訳できな いようになり、経営に参加するようになるのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月12日 最近業績悪化のためか、主商品の値段を下げておきながら、オプションで稼ごうという魂胆が見え見えの商売が増えてきて憤りを感じます。 肝心のサービスが低下しているのに、押し付け営業されるのは不快です。 千田さんはサービスに厳しそうですが、いい店の目利きの仕方とかご自身で決めているノウハウがあればご教授ください。 (兵庫県・会社員・Kさん・男性・44歳) 私はイケてない店のリピーターになることが 好きです。 決して、マゾではありません。 もの凄く勉強になるからです。 もちろんイケている店にも行くことがあります が、イケてない店のリピーターになって、経 営が悪化してどのように復活していくのか、 あるいは消滅していくのかを生で感じるので す。 だから、クレームなんて言いません。 いつも、お金を支払う側の私が心底感謝を 込めて、 「ありがとうございました」 と言います。 私はどんなにドンマイなコンビニの店員さん に対しても必ずお礼を言います。 たとえば、今私が散髪に行っている店は、 あるクライアント先のすぐ傍です。 毎月1回訪問していますから、毎月1回は その散髪屋さんに行きます。 ちょうど1年くらい前からサービスが劣化し てきました。 案の定、その2ヶ月後には店長が変わりま した。 でも、その店長のやり方もドンマイだな、と 感じていたら、案の定オプションのサービス の押しつけがしつこくなってきました。 また、プライベートのことを根掘り葉掘り聞く ことによってコミュニケーションが大切だと勘 違いする教育を従業員にも浸透させてしま いました。 私もつい先日、店員さんの一人に、 「いい就職先見つかるといいですね」 と励ましていただきました。 中にはゆっくりと目を瞑ってリラックスしたい サラリーマンも多いはずなのに、プライベー トのことを根掘り葉掘り聞いてくるのです。 当然客離れしていきます。 最近はラーメンを売りつけるようになってき ました。 なんと、レジで支払いの際に、ラーメンを買 わせようとするのです。 これはドンマイです。 そんなもの買っても、持って帰るのが恥ず かしいだけです。 でも、店員さんは店長のマニュアル通りに、 相変わらず沖縄そばセットを売りつけようと してしまいます。 気の弱い人が断られずに買って行きます。 これが、実に勉強になるのです。 売上が下がれば下がるほどに、しつこいコ ミュニケーションをお客さんに要求してしま い、オプションを売りつけようとする。 その結果、売上が低下するのは必至です。 本人たちは、みんながんばっているつもり です。 でも、がんばればがんばるほどに、売上 が低下していくのです。 日本軍が、がんばればがんばるほどに、 劣勢になっていったのと同じです。 そもそも戦略が間違っていたら、ますます 負ける方向へ導かれていくのです。 これも、勉強です。 振り返ってみて、自分も無意識のうちに こうしたことをしていないだろうか、と気 づくことができます。 欠点を探すのではありません。 逆に、自分に欠けている部分を教わって いるのです。 だから、お金を払っているのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月11日 子会社出向の話がありました。 まだ30代半ばなのにすでに絶望的になりました。 同期の中では真ん中より上に位置していたつもりだったのが、甘かったです。 という本の中の「伸びる人」に該当していたのは45/70項目ほどでした。 ちょっと出逢うのが遅かったようですが、転職したほうがいいでしょうか?これから行く子会社はすでに人生の墓場であって、過去に親会社に戻ってきた社員はほとんどいないようで憂鬱です。 (東京都・会社員・Iさん・男性・34歳) 今月末に、 『30代で伸びる人は、20代の頃より叱られる』 という本がから出ます。 その中にも書いたのですが、若いうちの子会社 出向は絶好のチャンスです。 冗談抜きで、出向は買ってでもすべきです。 子会社になると、普通は会社の規模は2桁くら い小さくなります。 だからこそ、チャンスなのです。 出向先では役職が1ランクないし2ランク上がっ て、部下を持たせてもらえる可能性も高いです。 親会社でコースに乗っかっている人と、若くし て子会社で経営のトレーニングをした人とでは、 将来の底力が大きく違ってきます。 まず、規模の小さな組織でいったい経営という ものがどのように行われているのかがよく見え るはずです。 どんなに財務・会計をいじったところで、経営全 体から見たらその重要性は10%もない。 だったら節税なんて専門家に任せておいて、全 エネルギーを本業で稼ぐことを考えるのが第一 だ、と気づかされます。 また、親会社では会社のブランド力が桁違いに 大きいため、営業力ではなく、マーケティング力 によって商品が売れてしまいます。 子会社はブランド力がありませんから、営業力 がとても重要になります。 素の力と向き合わざるを得なくなるのです。 経営コンサルティング会社というのは小規模の 中小企業が大半です。 コンサルティング会社で100名を超えるところ は、業界内でかなり大手に含まれるといって いいでしょう。 綺麗事は抜きにして、コンサルティング会社の 入社には経歴が重んじられることが多いです。 その中で中途採用組は名だたる大企業出身 者がメインとなります。 ところが、大企業出身者が小世帯のコンサル ティング会社に入ってきても、からきし使い物 にならないパターンも枚挙に暇がありません。 理由は、子会社出向とまったく同じです。 大企業では仕事のできなさが埋もれてしまい ますから、見えにくくなります。 そのくらい大企業はすばらしい仕組みが構築 されているわけです。 子会社出向するというのは、コンサルティン グ会社に転職してキャリアアップするチャン スを得たようなものです。 仮に親会社に戻れなくてもそんなことは気に しなくてもいいのです。 独立するために勉強するチャンスをいただけた と解釈することもできます。 子会社を成長させて、親会社を抜くという経営 の醍醐味を味わうことも可能です。 富士通という世界的企業は、富士電機の子 会社だったことを思い出しましょう。 子会社の時価総額が親会社のそれを抜く例 も珍しくありません。 時代は潮目です。 下剋上もどんでん返しも珍しくもなんともない時 代が今、まさに、到来しているのです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月10日 一流コンサルタントのセミナーに参加して衝撃を受けました。 何と、経営で一番大切なことは、「運をよくすることである」というのです。 経営はどこまでいってもギャンブルのようなものだから、最終的には運が強い人間が勝つということでした。 確かに振り返ってみると、自分は運に救われたとしかいいようのないエピソードがいくつもありました。 でも、ギャンブルとはちょっと違うような気がするし、たとえ運が悪くても成長し続けるのが経営だと思うのですが・・・(三重県・会社経営・0さん・男性・36歳) 人生においてギャンブルをするのが必要な 瞬間もあります。 でも、それは 生涯に1回だけのほうがいい のです。 加えて、 常に圧倒的な準備をしていること が条件です。 ギャンブルといってもパチンコや競馬や麻雀 や株のことではありません。 それらはゲームであって真のギャンブルでは ありません。 真のギャンブルというのは、自分の人生を 賭けるようなことです。 戦国武将で一番人気のある織田信長を例 に考えてみましょう。 織田信長は戦国武将の中で荒くれ者で、 怖いもの知らずでイケイケだったと勘違いさ れていることが多いです。 確かに見方によってはそういった面もあった でしょうが、すべてにおいてそんなことはあ りませんでした。 今川義元という、約10倍の競合に立ち向 かった桶狭間の戦以外にはとてつもない 大勝負には後にも先にも臨んでいません。 それどころか、非常にち密な戦略を練って、 斬新なアイデアを取り入れていたことがわか ります。 そして情報収集能力がとてつもなく高かった。 情報収集能力は、身分や家柄を気にしてい ては決して身につけることはできません。 楽市楽座は市場を解放して経済を活性化さ せると同時に、現場の生情報を得るための ものだったのです。 信長が商人からの情報を非常に大切にした のは、実は祖父の影響です。 祖父の信定という人は、信長そっくりで既成 の枠組みにとらわれない斬新な発想をする人 でした。 武力がすべてだという戦国時代の真っただ 中で、商人を大切にして、情報とお金を制す る者がこれからの世の中を制すると洞察して いました。 慧眼の至りでした。 だから既成の枠組みにおいては文武両道で 戦国時代のスーパースターであった、 武田信玄と上杉謙信のいずれも天下統一に かすりもしませんでした。 先見性のあった祖父・信定は、当時では非 常に常識外れであった、自分の愛娘を商人 と結婚させるということをやってのけます。 祖父のおかげで織田家は大金持ちになって、 力をつけていったといっても過言ではありま せん。 信長は母親からの愛情不足もあってか、年 上の女性や子連れの女性を好む傾向もあり、 人間観察眼も磨かれていきました。 人間観察眼、情報収集力、斬新なアイデア、 既成の枠に閉じこもらない、・・・これは、20 世紀の世界的経営者とまったく同じです。 盛田昭夫さん、松下幸之助さん、本田宗一郎 さん、・・・みなさん同じです。 そして大きなことを成し遂げる人の共通点は、 一世一代の大勝負は本当に人生で1回きりだ ということです。 それ以外は非常に慎重で、常にじっくり考えて いたからこそ、即断即決できるように見えるだ けだったのです。 運が良くて勝ったことは、本人が一番よくわかっ ています。 運も実力のうち と人は言います。 でも、 運は運であって実力ではないのです。 少なくとも長期的に見たら、運良く勝ったことは、 相当気をつけないとヤバイのです。 成功する人は、運で勝った時こそ、脂汗をかい てヒヤリとします。 そして、二度とこんなことを繰り返してはいけな いと猛省するのです。 これ以外に継続的に成功し続ける方法はありま せん。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月09日 もうすぐ30代です。 今まで各種勉強会、異業種交流会、書籍、オーディオブック、セミナー、映画、ミュージカル、美術館・・・と、自己研鑽はそれなりにしてきたつもりですが、30代でこれをしておくといいという自分への投資はありますか?このまま引き続き、自分が興味を持ったことを深掘りしていくのがいいのでしょうか?子どももできて徐々に苦しくなってくる兆しがありますが・・・(神奈川県・会社員・Sさん・男性・29歳) 30代以降の男性で一番欲しいのは、 書斎です。 30代40代になると子ども部屋が優先 されて居場所がなくなってきます。 それでダイニングでゴロンと寝ころびな がら缶ビール片手に野球中継を見る人 生で幕を閉じます。 一方、いつまでも輝き続けてステップア ップしていく男性は、子供部屋よりも書 斎を優先します。 ここで大切なのは、書斎そのものよりも、 自分の書斎を持つことができる力です。 すっかり数ポンドのぜい肉を身につけた 奥さんに、 「な~に、バカなこと言ってんのよ、 少ない稼ぎで」 「そんな夢みたいなこと言ってないで」 「子どもが第一!あなた父親でしょ?」 と言われてしまわないようにしなくては なりません。 また、子どもの教育にも最高です。 「将来自分も大人になったら書斎を 持つことができるようになるんだ」 と夢を与えることができます。 家庭内のポジションが、母親1番、父親 2番という子どもの犯罪率が高いのはご 存知でしょうか。 過去の未成年犯罪を分析してみると、 母親が最も権力を握っている家庭が圧倒 的に多いのに気づかされます。 「牝鶏(ひんけい)晨(あした)すれば、 家危うし」 という格言もあります。 犯罪者にはマザコン度の極端に高い人 が圧倒的に多いです。 父親が書斎を持つということは、あらゆる 意味で効果的なのです。 勉強できる子どもを育てるには、勉強部 屋と立派な学習机を与えることではあり ません。 まずは親が机にむかって勉強する姿を毎 日見せ続けることです。 楽しそうに本を読む姿を見せ続けること です。 友だちと遊ぶことは大切です。 でも、大人も子供も共通点は 一人の時 間を確保しなければ絶対に成長しない ということです。 書斎を持つと年収も増えます。 理由は2つあります。 1つは、書斎を持つためにがんばって働 こうとするからです。 もう1つは、書斎を持つことによって頭が よくなって知的生産性が高まるからです。 善のスパイラルになります。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月08日 メールの処理の仕方が苦手です。 仕事上で毎日30件ほどのメールのやり取りをしているのですが、たいした量でなくても気を遣ってしまい、処理のスピードが鈍ってしまいます。 結局ペンディングにしているうちに相手から催促されてしまい、催促されればされるほどに気を遣って時間がかかってしまうという悪循環です。 あるいは逆に、何度も催促しているのに返事のない典型的なドン臭い人も苦手です。 表現の仕方を気にしている間にあっという間に時間が過ぎていきます。 メールの処理の仕方にコツってあるのでしょうか?(静岡県・会社員・Kさん・女性・34歳) 締め切りを守らない人への催促、ドンマイ な人へのネガティブメールは、すべての仕 事が終わったその日の最後にします。 相手には翌朝一番で見てもらうようにする わけです。 こちらが配信した時間は前の晩になってい るわけです。 あるいは逆に、ドンマイな人からの的外れな メールや、ネガティブメールに対する返事は どうすればいいのでしょうか? もちろん、これもその日の最後にしておくの です。 疫病神のようなもので、自宅までそれを 持ちこんでしまったら大変だからです。 メールが出現したからといって、相手の 時間に土足で入り込んでいい訳ではな いのは、電話と同じです。 催促したかったら、自分から淡々と発信し続 けることです。 返事がなくても文句を言ってはいけません。 返事がない理由は1つです。 あなたのことが嫌いだということです。 嫌いという表現がキツイのであれば、重要で はない、返事をするまでもないと思われてい ると考えて間違いありません。 期待するから腹が立つのです。 ビジネスメールの期限は世界共通です。 営業日中の24時間以内です。 24時間以内に返事が来なければ、欠席裁 判でいいのです。 だから、受信したらまず 「拝受しました」 と返しておかなければなりません。 それに加えて、 「今週金曜日18時までには回答差し上 げます」 と書いておけば相手も金曜日まで待つこと ができます。 でも、何も返事をしないまま2日以上待 たせるということは相手と縁を切りたい という意思表示だと思われても仕方が ありません。 換言すれば、そういう意思表示もテクニック として知っておくのです。 お日様が照っているうちは、ポジティブメー ルだけにかかわっておけばいいのです。 ネガティブメールはできる限り短時間で、 最後にパパパッと片づけてゴミ箱に捨てる 気持ちでちょうどいいのです。 1年経てば人脈が一変します。 お試しください。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月07日 お客さんから「あんた、プロやないな」と言われてすごくショックを受けました。 自分としては全力を尽くしたつもりだし、社内での評価も高いのに、です。 単に嫌われているだけかと思ったのですが、上司にこっそり聞いてもらったところ、ストレートにクオリティ(質)の問題だというのです。 プロとプロじゃない人の違いって何でしょうか?ここまでプライドを傷つけられたら必ずプロと認められるようになりたいです。 (大阪府・会社員・Iさん・男性・31歳) 「今回の仕事はイマイチだったな」 と反省して落ちこんでいる時に、お客様からは、 「さすがに、すごくよかったです」 と言われてその後もリピートしてもらえるように なったらプロになった証拠です。 つまり、アマチュアの最高の状態をコンス タントに維持できるのがプロなのです。 アマチュアは所詮、アマチュアです。 プロのように歌が上手い。 プロのように田舎のゴルフ大会で連続優勝 していた。 でも、「プロのように上手い」という表現は間違っ ています。 本当に上手いなら、プロで勝負すべきなのです。 その程度だから、所詮アマチュアなのです。 田舎に行くと必ず自己最高記録で自慢大会が 始まります。 たいていは、嘘です。 すべて自称です。 「最後は怖くて手が震えちゃってさ~」 というのが決まり文句です。 プロになるには最悪の状態でもアマチュアの 自称最高記録をコンスタントに出し続けなくて はなりません。 自称世界記録を出してもプロにはなれません。 緊張して最悪の環境にもかかわらず、アマチ ュアがリラックスして最高のコンディションで、 ちょっとサバ読みしたような記録を出さなくては ならないのです。 同じ歌をうたっているのでも、まったく違う競技 をやっているのです。 同じゴルフをやっているのでも、まったく違う競 技をやっているのです。 ただし、冒頭で述べた、 「今回の仕事はイマイチだったな」 というのは、プロ同士なら完璧に見抜かれて います。 経営コンサルタントの世界でも同じです。 歌手の世界でも同じです。 スポーツの世界でも同じです。 漫才の世界でも同じです。 作家の世界でも同じです。 お客様には死ぬまでばれないけれども、プロ同 士でならわかってしまうような仕事をした瞬間に 差がつくのです。 「バレなくて、よかった」 という人は必ず5年後には完全に姿を消してい ます。 「このままでは、相当ヤバイ!」 という人は必ず5年後には次のステージへと進 化しています。 プロはお客様のために仕事をしているなんて 嘘をつきません。 プロは自分のために仕事をしているとハッキリ と言うことができます。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月06日 私は公私ともに主導権を握られやすくて、自分の人生を歩めていないような気がしています。 いつも人に従えられてしまい、窮屈な人生を歩んでいます。 千田さんの過去のブログを拝読して、「主導権の握り方」については非常に自分の中でヒットしました。 実際に試してみて本当に成果もありました。 ただしばらくするとすぐに元に戻ってしまうのです。 何が欠けているのでしょうか?(埼玉県・会社員・Kさん・男性・28歳) これは男女限らずにいえることですが、相手 に嫌われるために自分から先に嫌っておけ、 という人をたまに見かけます。 これは実に受け身でネガティブな発想です。 こういう人は自分が相手に受け入れられる 自信がないので、いつもそっけない態度を取 ります。 相手にそっけない態度を取ることによって、 「どうして嫌われるのだろう」 と思わせることが作戦なのです。 そうすることによって力のない自分が主導権 を取ろうとしているわけです。 これが逆にその人の主導権を弱めてしまうの です。 主導権というのは、テクニックでは必ず化 けの皮がはがれます。 たった1回の関係であれば猫騙しが通用して も2回目以降の付き合いでは通用しません。 回数を重ねれば重ねるほどに、必ず主導権 は力のある方に傾いていきます。 だから力のある人はいつも謙虚に見えるの です。 年齢に関係なく「さん」づけで呼ぶのは、媚 びているわけではありません。 外資系企業では社長も新入社員も「さん」で 呼ぶ会社が多いです。 これは、いつ立場が逆転するのか分からな いし、お互いをそれぞれの仕事のプロフェッ ショナルとして尊重しているからです。 コンサルティング業界においても、1年もしな いうちに上司と部下の関係が一瞬で入れ替 わってしまうこともあります。 そして分担された役割においては、例え新 入社員でもプロフェッショナルとして責任を負 わされます。 だから「さん」づけで呼ぶのです。 最近はテクニック論に走り過ぎる傾向が強く て肝心な実力をつける大切さが置き去りに されているような気がします。 若い人に不足しているのは実力です。 ひたすら実力不足です。 出る杭が打たれるのは嫉妬されて打た れるのではありません。 単に実力不足だから打たれるのです。 その程度の実力なのに分をわきまえないか ら打たれるだけなのです。 正面から実力をつけたいものです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月05日 私はキャバクラが大好きです。 現実逃避と言われればそれまでですが、それを生きがいにして仕事をしているという感じです。 店では女性が真剣に私の話に耳を傾けてくれて、本当に私に気があるのではないかと思わせるような眼差しなので、何度も騙されて痛い目に遭いました。 女性の眼差しってすごくミステリアスですよね。 私は女性とじっと目を合わせることなどとてもできません。 この悪循環をでもどうしても断ち切れません。 現実を直視してまっとうな人生を歩まなければならないのですが・・・(福岡県・会社員・Gさん・男性・41歳) 一般に女性は好かれたい男性に話しかけて いるときには、相手の男性の目を見ます。 これはプライベートだけでなく、サービス業な どでも応用されており、嫌われてはいけない お客さんに対してしっかり目線を合わせて話 しかけます。 少なくとも嫌われたくない、できれば好か れたい、という顕れです。 一方、男性は小心者が多くて熱心に女性か ら話しかけられると、たいていは目線を逸ら します。 女性はますます熱心に目を合わせて話しか けてきますから、一層男性は目を逸らしなが ら話を聴くようになります。 これが 行き違いというヤツです。 男性は好きな女性で安心できる相手が 話しかけている場合のみ、目線を合わ せます。 初対面の女性に対して堂々と目線を合わせ 続けてくる男性は、相当自信があると言って いいでしょう。 それ以外は、好きな女性の普段の何気ない 行動を追いかけているのが男性です。 さっと振り返った時に、目が合うことが 多ければその男性は好意を寄せている 可能性が高いです。 もちろん、人間には思い込みや願望という やっかいなものがありますので、すべてが このパターンに当てはまるわけではありま せん。 むしろ自意識過剰の人のほうが多いので、 パターンから外れる場合のほうが多いかも しれません。 でも客観的に見ればたいていは当たります。 初めてのデートで別れ際に握手を求めてく る男性は、勇気がなくて一歩踏み出せな かった証です。 勇気がない人の特徴は悪あがきをするこ とです。 男性に勇気が求められるのは、もともと男 性は勇気がないからです。 「男だったら・・・」 「男らしくしなさいよ!」 というのは、弱い男性に無理強いさせて楽 しようとする女性の戦略なのです。 究極の女性の本質は、子どもと自分が美味 しいものを食べて一生、平和に暮らしていく ことです。 男性はそのために寿命を縮めながらこき使 われることに生き甲斐を感じるのです。 「すごい!」 「さすが!」 とたいして思ってもいないことを口にされると ついついその気になってしまうところも、男性 らしいといえば、男性らしいのです。 トップレベルのホステスは口数が少ないです。 「なるほど」「へぇ~」 「素敵」「すごいじゃないですか」 「あらら・・・」「でも大丈夫」 を連発しておきながら自分の得意分野に関 する意見を求められた時に、初めて口を開き いて1回だけ的を射た意見を述べます。 話題は大きく分けて3つです。 1.会社での評価の愚痴 2.家庭の愚痴 3.自分の大物ぶりを披露 コツはあまり話し過ぎないところです。 すべてにおいて寸止めでいいのす。 男性は、自分の話をすべてわかってくれる のはこの女性だけだ、となってリピーターに なります。 もちろんホステスは目薬を注してでも目を ウルウルさせながらあなたの話を一生懸命 に頷きながら聴いてくれます。 これを好意を寄せていると思ってしまうのは、 もちろん 勘違いです。 勘違いビジネスにも、立派な市場があると いうヒントです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月04日 私はパーティーが苦手です。 この世からパーティーなんてなくなってしまえばいいのに・・・と真剣に思っています。 すぐに独りぼっちなるし、話も続きません。 緊張して何を話しているか分からなくなってしまい、ますます自信をなくしてしまうからです。 ただ、現在の仕事上パーティーが欠かせないので苦痛以外の何でもありません。 パーティーから脱出したいです。 (東京都・出版社勤務・Tさん・女性・34歳) パーティーが好きな人は少ないです。 私もパーティーは苦手です。 でもみんな親密になってから本音を打ち明け ると、実はパーティー嫌いが多いことに驚か されます。 パーティーが好きな人というのは、たいてい 本人の自己満足に過ぎません。 それでもやはりパーティーに出る経験は 必要なのです。 パーティーは勉強の場として最高の環境です。 パーティーは生まれてから今日までを試す 模擬試験のようなものです。 お金を払って模擬試験を受けるのです。 99%の人たちが思っていることは、壁の花に なってしまうとカッコ悪いな、ということです。 誰も話相手がいなくて孤独になってしまった 時はみんな気まずいです。 こんな時は同じく孤独な人が必ずいますから 話しかけてみるのです。 話術なんて必要ありません。 「誰も話相手がいなくなってしまって・・・」 でいいのです。 運命の出会いになるかもしれません。 あるいは一人で人間観察をしているのも 退屈しません。 盛り上げるのが上手い人、紹介の仕方が卓 越している人からその技を盗むのです。 こうしていると、たとえ独りぼっちでも孤独に 見えません。 凛としてかっこよく見えるのです。 オロオロして周囲をチラチラ見ているのはカッ コ悪いです。 パーティーでカッコ悪いのは、後日商談 をするためにあちこちで名刺交換しまくっ ている人です。 明らかにお金儲けをするための手段として、 名刺を見た瞬間に相手の値踏みをします。 それがマナー研修の講師や話し方教室の 経営者だというから笑わせます。 断言できるのは、100人と名刺交換して その後アクションを起こさない人よりも、 たった一人としっかり話せてその後アクシ ョンを起こした人が成功するということです。 中にはせっかく話が盛り上がっていたり、 沈黙しているけれどもいい感じになってい る人たちを引き裂いてまで、 「ちょっと、こんなところでボーっとしてい ないで、こっちいらっしゃいよ。 いい人紹 介してあげるから」 とやってしまう人もいます。 これらもすべて勉強です。 逆に自分の知り合いがたまたま多い場で、 調子に乗って同じことをやってしまっていない かと振り返ってみることができます。 カッコいいのはさっきまで一人でいたのに、 いつの間にか親くなっていた人と一緒に いなくなってしまう人です。 合コンではいつも一番の美人は行動力ある 男性といつの間にか消えてしまっています。 モタモタしている男女でカラオケに行って、 もう日付が変わっているのにラーメンを食べ てお互いにぶくぶく太っていくのです。 モタモタしているとチャンスはなくなります。 早く来て早く消える人は仕事ができます。 ドタキャンしたり、遅刻してきた割にはダラ ダラといつまでも残っている人は仕事がで きない人です。 パーティーは最高の勉強の場です。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月03日 毎月2回の部署別の月会議があって、責任者として私が社の方針や新企画のプレゼンテーションをしなければならないことになっています。 ところが、部下たちの集中力は30分も持続せずに、居眠りし始める始末です。 もちろんカチンとくるので厳しく叱責するのですが、正直こちらもその繰り返しで疲れてきました。 決して社の状態はよいとはいえずにとても大切なことを伝えているにもかかわらず、いい加減なものです。 私に危機感がまだ欠けているから伝わらないのでしょうが、部下を積極的に振り向かせるためには何が一番欠けているのでしょうか。 (千葉県・会社員・Oさん・男性・45歳) 話す内容ではなくて、話し方が大切です。 話す内容は、相手が解釈します。 聴き手が解釈した内容がすべてです。 愛していることと、愛していることを伝 えることはまったく別です。 感謝していることと、感謝を伝えること はまったく別です。 つまり1回の話を聴いても、10人いたら、 10通りの解釈の仕方があるのです。 仮に大筋さえ外さなければ勘違いでもい いのです。 なるべくたくさん勘違いして、勝手に感動 して気づきを帰ってもらえるのが成功です。 一番ダメなのは、正しいことを言っている のにつまらない話です。 会議室を出た瞬間にすべて忘れます。 これこそ、時間の無駄です。 優等生で教科書通りの話をし続けている のにみんな居眠りしているのは話し手に 責任があるのです。 面白い話をする必要はありません。 聴き手が面白いと感じるように話すこと が大切なのです。 すごくプレゼンテーションが上手な人が話 している内容をそのまま書面にすると、 すごく当たり前で退屈だったということが あります。 これがプロのプレゼンテーションです。 結局、画期的なことをするためには当 たり前のことを尋常ではないくらいに 継続することです。 尋常でないことを尋常でないくらいにやる ことなど誰にもできません。 人間の体力など高々知れていますから、 必ず限界が来て休むようにできています。 話し方を鍛えるコツは簡単です。 参加者の中で一番好きなタイプ、熱心 なタイプの人を見つけて、その人だけ にメッセージを送り続けて感動して泣 かせるつもりで話しかけるだけです。 書き方を鍛えるコツも簡単です。 世界中で一番好きな人、一番伝え たい一人に向けて書けばいのです。 上手なプレゼンの仕方、上手な書類の 書き方を100冊くらい読むとそういった ことに気づかされます。 内容は当たり前のことでいいのです。 面白いことを話すのではなくて、面白そ うに話しましょう。 面白いことを書くのではなくて、面白そう に書きましょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月02日 今年からリーダーになりました。 同期最年少出世ともてはやされたのも束の間。 早くも地獄の日々が襲ってきました。 同期最年少ということは、年上や同期の部下もいるということです。 私自身の問題ですが、どうしても動いてもらえないのです。 いかにして人を動かすのか、というセミナーに参加したり、本も貪るように読み尽したのですが、解決策はまだ見えてきません。 正直、こんなにつらいのであれば、トッププレーヤーとして成績を上げていたほうが遥かに幸せでした。 (千葉県・会社員・Mさん・男性・33歳) リーダーにとって一番大切なことは、 まず自分が動くということです。 リーダーになると、どうしてもいかに して部下に動いてもらうか、ばかりを 考えるようになります。 「部下に動いてもらえないんです」 というのがリーダーに最も多い悩み です。 動かない悩みの種の部下は、リーダ ーに対してあの手この手で不足して いる部分、サボっていた部分を教え てくれているのです。 自分に満たされている部分につい ては問題を起こしてくれません。 自分が逃げ回ってきた部分、隠し続 けてきた部分を困った部下が教えて くれているのです。 だから、困った部下は困った部下で はありません。 困った部下は、先生なのです。 部下のふりをした先生なのです。 何か問題を起こした部下がいたら、 自分の過去を振り返ってみるのです。 必ず思い当たる節があるはずです。 まずは自分が動くということは、まず は自分が改めるということです。 休みの日に、テレビを見ながら部屋 でゴロンとしているお父さんが、 「勉強しなさい」 「外で遊んできなさい」 と言っても説得力がありません。 子どももテレビを見たりゲームをする ようになります。 そして、 「あんな大人になりたくないな」 というイメージが強烈に残ります。 これがニートやフリーターの急増の 原因です。 「大人になったらなんてつまらなさ そうなんだろう・・・」 「まるで奴隷の様だ」 と思わせてしまっているのです。 家庭でいうと、部下は子どもです。 子どもはあの手この手で自分が逃 げて隠蔽してきた部分を教えてくれ ている先生だったのです。 叩こうとしているその手で、自分の ほっぺを叩かなくてはならなかった のです。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年09月01日 先日うちの会社から本を出しました。 今までお世話になった人たちに対してお礼のメールをしたのですが、思ったより返事がきません。 「おめでとう」くらい言ってもらえるかな、と思った人たちから何も返事がないのです。 正直、これにはショックを受けました。 出版を武器にしてこれから会社のブランディング向上を戦略として考えていたのですが・・・このまま当初の予定通り突っ走っていいものでしょうか?(神奈川県・会社経営・Uさん・男性・43歳) 調子に乗りすぎたら、周囲がどんどん バッシングしてくれますから大丈夫です。 とりあえず突っ走ればいいです。 世の中には二通りの人間がいます。 どんどん突っ走ってバッシングされな がら人間性を高めて最終的に成功し ていく人。 嫌なことを嫌々やりながら、突破して いる人を見つけて死ぬまでバッシング し続ける人。 どちらを選ぶのかは自分が決めればいい のです。 一見、バッシングされている人は孤独で 苦しい人生に思えます。 一見、バッシングしてニヤニヤ笑っている 人は、友だちもたくさんいて楽しそうな人 生に思えます。 ところが、逆なのです。 バッシングしてニヤニヤしている人たちは、 同じ仲間内から成功して突っ走ろうとした 人が出現すると、寄ってたかって芽を摘も うと必死になります。 仲間を失うことへの恐れです。 同時に、仲間への激しい嫉妬です。 「突き抜けたら無視するぞ」 「突き抜けたら陰口を言うぞ」 「突き抜けたら嫌いになるぞ」 というのが弱者の発想です。 弱者は弱者であるがゆえに、群がって抜き ん出ようとがんばろうとする人を必死で叩き ます。 弱者の必殺技は、ヒソヒソ話なのです。 これは縄文時代から変わりません。 抜きん出て突っ走ろうとした人たちは、実 力を蓄えていくと、同じような経験をした人 に必ず出会います。 これが、絆です。 自立した人同士でなければ、コラボレ ーションしても意味がないのです。 意味がないのではありません。 むしろ依存しきっている人同士が手を組む と大きなマイナスになります。 いかにして相手を引き摺り下ろして自分と 並べるかを考えている人たちの集団だか らです。 自立した人たちのコラボレーションは違い ます。 いかにしてお互いが高め合って、自分が 上に登っていくのか、と考える人たちです。 バッシングにはきちんと感謝して耳を傾け ておくと、ますます勝ち組になります。 一度の人生です。 どうせなら、バッシングされる側になりまし ょう。 次代創造館、千田琢哉 投稿者 senda : 2010年08月31日 陰口を言ってはいけないのは正論としてよくわかります。 ただ、私は陰口をついつい言ってしまいます。 陰口を言ってはいけないのはみんな頭ではわかっているはずですが、では実際にどうすればいいのか、原因は何なのかを考えなければいつまで経っても解決できないと思います。 陰口を言わない人生が歩めたら最高だと思います。 (兵庫県・会社員・Nさん・男性・37歳) 陰口を言ったことのない人はいないでしょう。 人間はみんな陰口が大好きです。 放っておくと陰口をたくさん言ってしまいます。 人の会話からすべての陰口や噂話を取り 除いたら、ほとんど会話できなくなってしま うくらいです。 どういうときに、人は陰口を言ってしまうので しょうか。
次の十一月の歌 川手 清三 自らの虜囚の悲惨触るるなく四十五年の教職を辞す 「槻の木」第九〇〇号記念号) 川手清三さんが亡くなった。 川手さんは戦前からの数少ない会員の一人。 千葉県に あって教職の傍ら歌を詠み、詩を書き、童話を書いて充実した人生を送られた。 だが 過酷な歳月もあった。 第二次大戦のさなかに招集されて旧満州へ配属、敗戦後は捕虜 としてシベリアに送られた。 飢餓と極寒に耐えて強制労働に従事する数年があった。 それらの日々は歌集『シベリアに歌ふ』に纏められている。 だが、学校の児童たちに はその「虜囚の悲惨」は語らなかった、というのが右の歌である。 出征前、川手さん は東京余丁町に都筑省吾を訪ねた。 「丸め来し頭指差 あたまゆびさ しこを見よと言 ふ清三やにこにこと笑む」これは「川手清三君を送る」と題する恩師の歌でさる。 その 笑顔が実によかったと、師は後に語っている。 平成三年、千葉県茂原市の小川進司邸 に師の歌碑が建った時、その除幕式の司会を川手さんは努めて下さった。 私にはそれ が最初で最後の川手さんとの一会 いちえ であった。 もう一首「書きなづみわがある 机上舞ひ降りし花あぶひとつ升目を埋む」。 謹んでご冥福を祈る。 来嶋靖生 十月の歌 谷川 健一 あおと 棄てられて飢えさまよへる牛の群れの足音とどろく人絶えし町 『露草の青』) 谷川健一さんが亡くなった。 歌とエッセイをまとめた新刊の『露草の青』が版元か ら送られて来、一読したその翌日、新聞を見て驚いた。 右に掲げたた歌は誰でもわか るように、東日本大震災を詠まれた歌。 このほかにも石巻を訪ねた歌をはじめ多くの 憂いと悲しみの歌がある。 祖国の現状に対する憂いだけでなく、谷川さんには現代短 歌に対する愁いもあった。 この『露草の青』の「はしがき」にはその心がかなり鮮明 に綴られている。 実は今年三月、NHK短歌(TV)の私の最終回には谷川さんをゲ ストにお招きすることが決まっていたのだが、 急に辞退される申し出があった。 は がきにはご自身のペンでこう書かれていた。 「二月にお目にかかることを楽しみにし ておりましたが、突然血圧が異常に高くなりました。 寒い折ですので、万一皆様に御 迷惑をおかけすることがあっては、と思い、御遠慮することにしました。 悪しからず 御了承下さい」。 前々からの行き掛りで、柳田国男の短歌や現代短歌について、お考 えを承る予定であったが、果たせなかった。 謹んでご冥福を祈る。 来嶋靖生 九月の歌 小島 ゆかり 坂道に白き陽流れ眼帯の人のぼりくる九月のまひる 『純白光』) 作者は現歌壇でもっとも忙しく立ち働いている一人。 この歌は二〇一二年、ある出 版社から求められて「短歌日記」という企画 一日一首、短文を添える に応じた一首。 九月三十日の項にある。 毎日ともなるとかなりの苦行のはずだが、ここに掲げたよう な落ち着いた歌が並んでいる。 「歌は人なり」とは言い古された表現だが、この作者 の魅力の秘密もやはりこの「人」にあるのではないか。 才を際立たせて詠むのではな く、力まずに詠む歌にそれとなく品がただよう。 『月光公園』当時のきららかな作風 はすでに越え、年とともにしっとりと味わいの濃い手厚い歌が多くなっている。 前々 からのことだが歌柄は変化に富み、さまざまな様相をみせてくれる。 例えば「車椅子 の父は駱駝に乗るごとし一生 ひとよ の時間砂漠のごとし」といったきびしい内容の 歌もあれば「教へても教へても歌を一句といふ学生ありてわが丈縮む」といったユー モラスな歌もある。 どちらも底に流れているかなしみを思わずにはいられない。 初心 者への批評も暖かくかつ鋭い。 多忙となるのは当然であろう。 来嶋靖生 八月の歌 窪田 空穂 高やまのいただきの原窪窪に清水湧きたまり四十八沼 『冬日ざし』) 昭和十四年夏、空穂は次男茂二郎を伴って志賀高原を訪れた。 バスで高原に入り、 前山に登り、大沼池や四十八沼(空穂は沼と言っている)をめぐって二十首ほどの歌 を詠み残している。 古く、志賀山の噴火によって溶岩が流れ、数多くの窪地に水が溜 まって生じた池という。 いわゆる高層湿原で、標高は一七八〇から一八〇〇くらい。 空穂の歌、「窪窪」という表現 が珍しい。 また初出の後、幾つかの手入れをしているのも参考になる。 「高やまの真 蒼の沼のふちめぐりあなやさしさや花もつ深苔」の第二、三句はのちに「真蒼き水の 岸めぐり」に、「高やまの真蒼き沼の浮島や足の危くわが踏みのぼる」の第二、三句は 「真蒼き沼に浮む島」にそれぞれ改めている。 さる夏、私は高原内の焼額山 やけびた いやま と笠山に登った後、この四十八沼と大沼池とを歩いてきた。 四十八沼から大沼 池へ回るのはかなり時間がかかる。 しかも七十年前のこと、今のように道も整備され ていないはずだが、よくぞ空穂父子は歩き通したと思う。 濁沢は高瀬渓谷から烏帽子岳への登りにかか る直前にある。 大正十一年夏、空穂は長野県大町の旅館対岳荘を出発。 槍ヶ岳を目指 した。 始めから終いまで徒歩である。 高瀬川沿いに歩き続け、途中葛の湯で小休止。 「浴槽は、家とは反対の私たちの歩いて来た川岸にあった。 屋根はあるが、壁のない 浴槽の中に湯に入っている二人三人の首だけが見えていた」と空穂は記している。 そ の夜は橋を渡って出た濁沢の川原にテントをはって一泊する。 章一郎は五十二年後の 昭和四十九年、立派になった葛の湯こと葛温泉の湯に身を沈めて父を偲んでいる。 父 と同じく山好きであった章一郎は高齢になってもしばしば山に登り、山への思いを詠 んでいるが、ここにもそれが気持よく表われている。 実は昨年の夏、私もこの高瀬渓 谷から濁沢を訪れた。 いまは壮大な高瀬ダムが出来、当時の面影はほとんどないとい うが、それでも濁沢の滝は白い帯をなして落ちているし、石ごろごろの河原もある。 空穂はここで流木を燃やしながら一夜を明かしたのだ。 来嶋靖生 六月の歌 松田 常憲 たやすきにつきてためらふこともなし現代仮名遣といふをいぶかる 『凍天以後』) 短歌雑誌として屈指の老舗『水甕』が今年創刊百年を迎え、先頃盛大な記念会が行 なわれ、また立派な記念号もできた。 『水甕』創刊の中心にあったのは尾上柴舟だが、 その柴舟を補け、会の運営・雑誌編集発行に生涯を捧げたといってもよいほど、大き な力を注いだのがこの歌の作者松田常憲である。 昭和三十三年に亡くなったからもう 没後五十五年になる。 明治の和歌革新の大歌人については多くのことが語られるが、 その傍らで奮励努力した人のことは意外に知られずに過ぎることが多い。 常憲もその 一人である。 とくに昭和の戦前戦後の多難な時期に雑誌を支えるについて、どれだけ の困難に堪えたことか。 察するにあまりある。 幸い作者は『長歌自叙伝』という大著 を残しているので、ある程度のことを知ることができる。 ここに掲げた歌は戦後間も ない昭和二十二年、国語改革の名のもとに当用漢字、現代仮名遣いが行なわれるよう になった折、それに対する批判をもっとも早く歌によって表明したもの。 明快で滞る ところがない。 読み直し、学びたい歌である。 来嶋靖生 五月の歌 小野 茂樹 まぼろしにすぎねどかつて迷ひたるその岐路をなほゆくはわが影 『黄金記憶』) 歌の「わが影」に余韻が響く。 これが短歌であり人生であろう。 もう三十年以上も 前のことになってしまったが、 小野茂樹が交通事故で亡くなったと聞いた時 は耳を 疑った。 亡くなる二年半ほど前のこと。 勤め先の河出書房で、小野さんと私は社長に 呼ばれ、ある新しい企画の準備にかかるよう指示された。 間もなく、関連する業界の 人に招かれ、二人で打ち合せに赴いた。 仕事の上で行をともにするのは初めてであっ た。 会議の後は酒となり、六本木の某所でしたたかに飲んだ。 小野さんは私と違って 酒に強く、いくら飲んでも乱れず、相手によどみなく調子を合わせられる人であった。 命じられた仕事はたやすくは進まず、そのうちにそれぞれのもつ他の仕事に戻った。 その後、事は起こった。 早稲田の短歌会では学年差があったが、何かと交流はあった し、勤め先では後から入った私にいろいろと面倒を見てくれた人。 都筑省吾先生の次 の歌はおそらく小野茂樹を詠んだものと思われる。 「昨夜 よべ おそく路上に事故に 遭はれつと若き友の死電話の報ず」。 五月七日の深夜の出来事である。 来嶋靖生 四月の歌 若山 牧水 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花 『山桜の歌』) 若山牧水といえばまず多くの人は「白鳥は」を吟じ「幾山川」を思い出す。 そして 「白玉の」を口づさむ。 恋と旅と酒。 それが標準的な牧水のイメージである。 それは それでいい。 が、牧水の歌にはもっと違う面もある。 その一つがここにあげたような 歌である。 作者は桜であれ雲雀であれ、自然とじっくり向き合って心静かに思いを述 べる。 ここに見る山桜の歌は、大正十一年、伊豆湯が島温泉に滞在しての作で二十三 首の連作だが、全体にゆったりした気分があり、 のびやかで美しい。 この頃すでに 三十八歳になっている牧水の歌には、人生的な落ち着きが加わり、言葉ではたやすく 言えないような味わいを湛えている。 青春歌人牧水はまた人生歌人牧水でもある。 古 来桜の名歌は多く、桜はいわば歌いにくい素材である。 先例が多すぎるのだ。 牧水に も「うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花」のような家持や 宣長と通い合うような歌がある。 いまの若い作者たちと牧水の歌とはテンポがあわな いかも知れないが、この流麗な調べこそが歌のベースなのだ。 来嶋靖生 三月の歌 高木 佳子 苦しみは燦としてあるみつかんね みつかんねんだどこさゐんのか 『東日本大震災詩歌集 悲しみの海』) ここに掲げた歌の作者はいわき市に住む。 写真で知るだけで面識はない。 が、震災 についてのこの人の発言や歌にはつねづね注目している。 ここでも上の句のきびしい 表現が下の句の切実な方言に裏打ちされて限りない感動を呼ぶ。 昨年震災詠をめぐる 座談会に出席したとき、私は歌の善し悪しではなく「人間としてどう生きるか、何を どう感じるか、そこのところをじっくりと見つめて」いこうと述べるのが精一杯だっ た。 現地にはほんの一二回足を運んだだけ。 まだ一歩も踏み出せていない。 三月といえば、私の心には三つの衝撃が走る。 まずこの歌にあるように二〇一一年 三月十一日の東日本大震災。 次に昭和二十年三月十日の東京大空襲、 そして第三は 二十二年三月十日以後の大陸からの引き揚げ、である。 実際に身を以て体験したのは 最後の引き揚げだけだが、どれをとっても人の命、失われた人命の数の多さとその奪 われ方のすさまじさ。 三月がくるたびに私は歌を詠むことに戦慄を覚える。 歌を詠も う。 詠まねばならぬ、と思ってもたやすく言葉には出来ないのだ。 来嶋靖生 二月の歌 都筑 省吾 人麻呂の像は上方一点を見据うるぞよき一点見据う 『星の死』) 昭和五十六年二月に河出書房から刊行された『石見の人麻呂』は、著者畢生の大著 である。 その敬愛してやまぬ人麻呂晩年の絶唱、いわゆる「石見相聞歌」をもとに人 麻呂終焉の地鴨山について、通説を覆す新見を提示した大きな研究である。 ここに掲 げた歌はその執筆の間に成った一首で、詠まれている人麻呂像は同著四十九頁に収め られている写真の像であろうと推察される。 編集担当の藤田三男が調達したものであ ろうか。 人麻呂像と称される画像や木像は幾つもあり、様相はさまざまだが、この画 像は至極穏やかな表情をしている。 詠まれている通り、上方一点を見据えているが、 写真よりも歌のほうがずっと迫力がある。 結句の繰り返しがいい。 この歌を「槻の木」 誌上で読んだ亡き小中英之が「いい歌だなあ、いいなあ」と感嘆していたこと、忘れ られない。 この稿を書くにあたって、久しぶりに『石見の人麻呂』を開いて、拾い読 みしていると、まさに亡き師の声が聞こえて来るような気がして粛然となった。 この 大著、もう一度丁寧に読み直さなくては、と思ったことである。 来嶋靖生 一月の歌 窪田 空穂 いへ 卓上に白く光るは菊の花長寿を祝ひ家びとの活く 『清明の節』) 昭和四十一年元旦の歌。 「元旦」と題する八首の第三首目にある。 夫人の献身的な介護のさまは、昨年窪田空 穂記念館に展示された夫人のノートによって悉さに知ることができる。 (これについ ては別に記したい。 空穂は長い生涯で多くの新年の歌を詠み残した。求められて詠ん だものもあろうし、自らの感として詠んだ歌もある。 この年の元旦は前年春の気管支 炎が快癒した後だけにやや改まった気分で新年を迎え、家族や知人の祝いを素直に受 け入れて詠んでいる。 もちろん同じ一連の中の「命あるままに積もりし齢 よはひ な り命の歳なりわがものならず」などはやはり空穂らしい厳しさがあるが、この菊の花 が「白く光る」というのはまさに自らの心そのままの表現であろう。 なお「命あるま まに齢つもり凡愚われ九十をひとつ越す身となりぬ」という歌があるが、空穂は数え 年で歳を考えていたから、自分は九十歳を越えたとして詠んでいる。 今の数え方だと 八十九歳となる。 亡くなる前年、つまり最晩年の元旦の歌として、特に感慨深い。 来嶋靖生 十二月の歌 樫山 まつ 山峡の段 きだ なす畦の彼岸花炎をあぐる秋陽に照りて 『山茱萸の花』) 彼岸花の歌は昔も今も非常に多い。 右はおだやかな歌で実景をそのまま素直に詠ん でいる。 「炎をあぐる」も彼岸花の描写としてはごく普通の形で特に目立つ言い方で はない。 が、こういう平明素朴、かつ堅実な詠み方こそ短歌のベースにあるものだと 私は思う。 いま歌壇には騒々しい歌がはびこっているが、私はここにある静けさを大 事にしたい。 また女優樫山文 枝さんの母。 個人的な話になるが、今から約三十年前、私は「毎日新聞」の新刊歌集 紹介を書いていた。 この歌集に出合い、拙い文章を書いたのだが、たまたまその前の 週から紙面の使用行数が少なくなり、短い紹介がさらに短くなってしまった。 久しく 満ち足りぬ思いでいたところ、過日「NHK短歌」に文枝さんがお付き合いくださる ことになり、まつさんの歌を語る機会が到来した。 「人の眼に追はるる職を持つ娘の がれて今日は樹の間を歩む」という心やさしい歌もある。 もっと語りたいが、作者亡 き今、ここでは短歌の基盤にしっかりと立つ歌として確かめておきたい。 来嶋靖生 十一月の歌 水野 昌雄 石ころを音も立てずに押し上げてすつくと立ちし寒霜柱 『暁風』) 霜柱の歌。 読めば何ということもない歌に見える。 だが上の句に注目したい。 石こ ろを持ち上げるのは霜柱にとっては重く、負担であろう。しかも何の音も立てずにすっ くと押し上げているのだ。 当たり前じゃないか、と言ってしまえばそれまでだが、作者 は霜柱の決して目立たない当然の姿に注目している。もう少しわかりやすい歌をみよう。 「リストラというよりかつての日本語は端的率直馘首と記す」。 この歌、作者の心に は端的率直ではない日本語の現状への強い批判がある。 言葉の問題だけではない。 こ こから万事あいまいに本質を隠したがる政治や社会、教育など、各方面に及ぶ憂いが 響いてくる。 時代に対して、権力に対して、妥協しない鮮烈な歌を六十年間粘り強く 詠み続けてきたのが水野昌雄である。そして見落としてならないのは彼の柔軟な感性、 決して頑なではない。 ここに示した歌は、なべて報われない無名の民衆への思いに繋 がる。 作者と私は同世代。 大陸からの引揚げなど共通する経験もあり、歌の上では竹 馬の友と言いたい人。 窪田空穂への理解も深い。 来嶋靖生 十月の歌 橋本 喜典 沖縄戦 広島 長崎 ポツダム宣言 十六歳のあの三か月 『な忘れそ』) この歌にあるように、作者は昭和二十年に十六歳であった。 この年日本国民は初め て敗戦という事態に遭遇した。 沖縄日本軍の全滅、広島・長崎への原爆投下、ポツダ ム宣言の受諾、つまり無条件降伏という、いままで学校でまた新聞ラジオで教え込ま れてきたことがすべて逆転した。 八十二歳の作者は顧みる。 「敗戦後十七歳の思ひし こと 大震災後八十二歳の思ひゐること」「敗戦後打ちひしがれしわれらにも希望は ありき希望はいのち」。 そしてさらに次のように詠む。 「再びの悲歌の時代に生きてわ れあかるき歌を詠みたくおもふ」「再びの悲歌の時代をみつめつつ花鳥風月を愛さむ われは」。 これらの歌、注釈を加える必要はあるまい。 私は作者より三歳年下である。 早大短歌会の後輩として、ずっと先輩の背を見つつ学んで来た。 右の歌を見てわかる 通り、祖国を思い、同胞を思う作者が、自らの身に鞭打って、渾身の力を込めて纏め たのが、新刊の歌集『な忘れそ』である。 そこには、日本人としてまさに忘れてはな らないことが重く、凛々と歌い上げられている。 来嶋靖生 九月の歌 土岐 善麿 燃えさかる野天の竈の焔のなかかの腕はもよいつまでも焼けず 「改造」大正13. 3) 昨年三月の東日本大震災によって多くの歌が詠まれた。 特に被災された方々やその 家族の歌はいずれも切実で、短歌に携わるものとして多くのことを考えさせられた。 そしてあらためて過去の関東大震災の歌や空襲の歌などを詠み返してみた。 ここに掲 げた歌は関東大震災の時の歌、当時新聞記者だった作者が震災の後、東京市内を取材 のために駆け回ったその一齣。 多くの人が安全と思って逃げた被服廠跡は折からの風 に煽られて火の海となり、何万という生命が失われた。 焼死した人々の亡骸は収拾が つかず、その場に竈を作り火葬にしたという。 作者はそれらを「地上百首」と題する 連作とし、雑誌「改造」に発表した。 このほかにも「くろこげのむくろよく見ればよ こ顔にいきのみの肉のすこしなほある」「投げ込むや筵のかばねもんどり打ちすなは ちあらず焔のなかに」など凄惨な状態が悉さに描かれている。 現在と違ってまだテレ ビはなく、ラジオも普及していない当時のこと、根拠のない流言が広がりさらに悲惨 なことも起こった。 それらについては別に記す。 来嶋靖生 八月の歌 安永 蕗子 日本に依り韻律に拠ることの命運つひに月下を出でず 『朱泥』) 昨年三月亡くなった安永蕗子の歌。 熊本に縁があるということで、安永さんには生 前しばしば優しい言葉をかけて頂いた。 過日、これまた熊本生まれ、俳句の正木ゆう 子さんと同席する機会があり、正木さんとの話から再度安永蕗子の歌を詠み直した。 その歌の魅力はすでに多く論じられているが、私は作者の歌の、きっぱりと言い切る 小気味よさが好きだ。 よく言われていることだが漢語・熟語の選択がみごとで、実に 韻律性の高い語を詠み込んでいる。この「命運つひに月下を出でず」はその好例である。 「朝靄の薄れゆくまま江津と呼ぶ冬麗母のごとくみづうみ」の「冬麗」も、ともする と浮きあがりそうな語だが、上の句と下の句の結節点として、この場合は効果をあげ ている。 江津湖近くに転居されてからはこの湖が多く素材として選ばれた。 ここで自 然詠こそが歌の究極にあると思い定め「自然詠の方向に人生必然の理由を見る」とも 書いている。 歌の調べのもととなる言葉の韻き、その律調の高さは現代短歌において 範とすべきものと私は思っている。 読み直されるべき歌人である。 来嶋靖生 七月の歌 影山 一男 エアコンの雫の狐雨が降る神保町裏道ひとりし行けば 『桜雲』) 作者は出版社柊書房を営む一方、歌人としては「コスモス」選者の一人。 会社のあ る神田神保町で毎日忙しく働いている。 書店街の裏通りを歩いていると、時折エアコ ンから戸外に落ちる雫を浴びることがある。 それを「狐雨」といったところが秀逸。 現役編集者の日常の哀感を詠む歌には、私自身の経験と重なるところがしばしばあり、 親しみと懐かしさを覚えることが多い。 「表紙張り、かがり、箔押し、安き値に働く 人いて本は生まるる」「本作りなりはひとして生くること天命としてこの先も生く」。 出版も編集も、とにかく好きでなくては続かない仕事だ。 また「エースでも四番でも なきわれの頭 づ を染めつつ咲けり白さるすべり」という歌もある。 「コスモス」で高野 選手が打点王になれるのは出塁率の高い一番影山選手が得点圏にいるからだ。 さもな くば絶妙のバントで走者を進める二番影山の功か。 編集者は人に花をもたせるのが仕 事である。 自分を殺す心を持たなくては務まらない。 風貌が若い頃の宮柊二さんそっ くりと言われてきた作者。 今も面影は残している。 来嶋靖生 六月の歌 武川 忠一 単純に流れぬ水のゆくえなど心けわしき夜は思うも 『秋照』) 四月十一日、武川忠一さんが亡くなった。 亡くなった人に「さん」は要らないとい うが、この人にはつけずにいられない。 私が歌を始めて間もない頃、武川さんは「ま ひる野」のトップスターであり、民衆詩としての短歌の論客として輝かしい存在、私 には憧れの先輩であった。 毎週の早大短歌会に、一度だけだったが、武川さんと植田 重雄さんをゲストに招いたことがある。 武川さんの批評は明快で歯切れよく、胸のす く思いをしたことを覚えている。 その後何年か経ち、窪田空穂先生が亡くなり、空穂 忌や空穂会が始まり、なぜか私が事務を預かる役になった。 当初若年の私には、各結 社の均衡や長老先輩方の意見を調整したりするのはかなり重荷だったが、そのたびに 私を扶け、励まし、適切な指示をして下さったのが武川さんであった。 さらに後、松 本の窪田空穂記念館の開館前後は、文字通り一つになって労を共にした。 それらのこ と、語り出せば尽きない。 掲げた歌の背景の詳細は知らないが、何かの組織に拘るこ とであろうか。 武川さんらしい、深い思索の思われる歌である。 来嶋靖生 五月の歌 今野 寿美 「業平橋」を「とうきょうスカイツリー駅」にしたがる平成の世は 『雪占』) 五月の歌かどうかは知らない。 だがこの歌に出会って思わず膝を打った。 しかも実 際は「したがる」を越えて「して恥を知らず」なのだ。 この改悪は著しく目立つ例だ がこれに類する醜悪卑俗な新駅名、新町名は挙げきれないほどある。 歌集『雪占』に ははじめに掲げた歌を初め、批評性高く、立ち止まって考えさせられる歌が多い。 しかも言葉や文字に関わることを多く採り上げている。 「力士ならぬ相撲取りとか聞 こえたり歌人、歌詠み、はたまた歌屋」とか「持ち帰って検討します前向きに検討し ます言つて済ませる」とか老人に力 りょく づけて言ひ失敗に学つけて言ふきのふけ ふ雨」など。 昔近藤芳美さんが「歌人」と書くと中国では「歌手」という意味になるんだ よと教えて下さったが、今わが国には「歌手」ならぬ「歌屋」さんが続々と生まれて いる。 在原業平を抹消してまでスカイツリーに熱狂しるのは行政かマスコミか、地元 の商店街か、そしてまた鉄道会社か。 疑わない人が多い。 いやな世の中だが、言葉を 鋭く強く守る歌人今野寿美さんにはぜひ多く発言して頂きたい。 来嶋靖生 四月の歌 太田 水穂 咲きて散りて幾春のわが花なりし老木のさくら跡もなきかな 『流鶯』) 昭和二十年 一九四五 四月十三日の東京大空襲で東京はほとんど焦土となった。 太田水穂も田端の家を失った。 その家は二田荘と号し、大正八年から住み慣れたとこ ろで「潮音」社もここにあった。 昭和十四年、水穂はその家を嗣子青丘一家に譲って 自身は鎌倉に移っていた。 水穂はすでに七十才、その衝撃はいかばかりであったか。 「ひとところ焼けのこりたる骨組のすくと立ちをり野を寒くする」「やけあとの末はお ぼろの朝霞ひとすじ川の光り流れたり」などをはじめ、悲痛な歌が続いている。 周知 のように、水穂は空穂と同じ信州の出身で、青年時代からの親しい交友関係があり、 空穂の妻藤野との結婚にも一役買った。 同じ昭和二十年に出た空穂の歌集『明庵』に 対しても「その日々のさやけさくらさつばらかに顕はし見しめ飽かしめぬ歌」と好意 的に詠んでいる。 またこれより先、空穂は鎌倉に水穂を訪問し「故事 ふること に心 を潜め我が村を語る水穂のわれよりも知る」「山の家に籠もりて門を出でぬとふ水穂 老いては信濃びとさぶ」などの歌を残している。 来嶋靖生 三月の歌 佐藤 通雅 非情の雪なれどもバケツに詰め込んで不浄用の水作らんとする 「短歌往来」七月号) 作者は仙台市に住む歌人。 児童文学研究者。 昨年の大震災により被災し、同居の親 族が亡くなった。 被災後は各地を回って被災者のために働き続けている。 この歌もそ のひとこまであろう。 解説する必要はない。 作者はまた仙台の「河北新報」の歌壇の 選者も務めている。 そこに寄せられた多くの歌は(私はごく一部を読んだだけだが) いずれの歌も胸を打つ。 例えば「避難所にいますと赤い旗立てて一軒二軒と人消えて ゆく・渋谷史恵」五月一日掲載。 「戦争に戦後今日まで生かされて体験せぬこと「死] のみになりぬ・安田貞夫」五月八日掲載。 「生きねばと仮設の隣り荒地借り季節遅れ の野菜の種蒔く・島田敬三郎」七月三十一日掲載。 右はわずかな例だが、東京の歌壇 雑誌に出ている著名歌人の歌にはない迫真生、技巧を超える力がある。 佐藤さんから 聞いた話だが、震災によって家を奪われた人たちが、仮設住宅で日々を過ごすうちに 短歌を詠みはじめた人が何人もおり、短歌つくりが生きる上での励みになっていると いう。 短歌とはなにか、考える資料にもなる貴重な話である。 来嶋靖生 ] 二月の歌 都筑 省吾 も あした も 生き残りひとり我があるこの世なり夕べかく思ひ 朝 かく思ふ 『星の死』) 一九八七年、作者八十七歳。 この歌の次に「思はぬに昨夜(よべ)雪の降り我がた めは二つはあらぬ今日の日来たる」がある。 「二つはあらぬ今日の日」とは二月十九日、 つまり作者の誕生日のこと。 この頃、藤田三男の肝煎りで、いつ頃からか、先生を囲 んで盃を交わすささやかな集まりが続けられていた。 この集まりについては私よりも もっとおもしろく書いてくれる人たちがいると思うのでそちらに譲る。 掲げた歌は、 若き日に文学に志した仲間がみな世を去って、自分一人になってしまったという歌。 孤独を嘆いているようにもとれるが、決してそれだけではない。 我こそはという昂然 たる自負と気概が下の句「かく」の繰り返しにこめられている。 前年の秋、かねて研 究を進めて来たオノコロシマの所在について、実地踏査のため大阪湾を航行、定期船 から遠望した後、翌日は小さい舟で令息至さんとともに目標とする沼島に接近し、そ の姿をカメラに収めている。 「浪飛沫 しぶき 真前よ我が面打ち叩き小舟音立てひた 驀地 ましぐら に」。 まさに年齢を感じさせない生き生きとした行動である。 来嶋靖生 一月の歌 休載 平成二十四年一月号は、「第九〇〇号記念号」としたため、一月の歌は休載。 十二月の歌 會津 八一 いにしへ の とほ の みかど の いしずゑ を くさ に かぞふる うつら うつらに 『自注鹿鳴集』) 大正十年十二月の作。 作者會津八一はこの年秋から翌年春にかけて九州を旅し、大 分県中津、別府、福岡県太宰府など各地をめぐり多くの歌を残している。 この旅の成立や経過については原田清著『私説會 津八一』に詳細綿密な考証がある。 右の歌を理解の便のために、仮に漢字まじり、字 間をつめた形にすると「古への遠の朝廷 みかど の礎 いしずゑ を草に算 かぞ ふる うつらうつらに」とでもなろうか。 つまり太宰府都府楼跡に佇んでの歌である。 あわ せて観世音寺の鐘の音を詠んだ歌もある。 「このかね の なり の ひびき を あさゆふ に ききて なげきし いにしへ の ひと」。 むろん菅原道真を偲ぶ歌 である。 知られているように八一は歌の調べを重んじ、声に出して歌を詠み、舌頭千 転してよどみないのがほんとうの歌だ、とした。 今こそ学ぶべき尊い教えである。 磯は「アララギ」で山口茂吉に 学び、戦後は山口の創めた「アザミ」に参加。 氏の死後は「表現」を創刊して今日に至っ た。 平成二十二年十一月八日死去、九十三歳。 戦後間もない頃は磯幾造といえば鮮烈 率直な職場詠で知られ、短歌の社会性のあり方を身をもって明らかにする存在であっ た。 晩年は堅固な写実による自然詠を多く詠み残した。 掲載歌の作者結城千賀子はそ の娘。 文字通りの愛娘で、はやくから作歌に励み、師でもあり父でもある磯幾造のも とで、女性らしい清新な感覚をもって頭角を現わす一方、父の主宰する「表現」の発 行編集を扶け、また父の作品を整理し、その業績を明らかにする地道な作業を続けて きた。 いま日本は高齢化社会となり、介護の歌は歌壇に充満しているが、父の終焉を 見守る作者の歌は緊密な調べをもって胸をうつ。 ほかに「一穂 いつすい のいのちの 炎細りゆく見つくして一夜わが眸 め 乾けり」「なほしばしこの世の岸にたゆたへる 父の眠りよ黄昏までを」「一揖 いちゆう しこの世しづかに罷りゆくその後姿 うしろで の 幻に見ゆ」などがある。 来嶋靖生 十月の歌 千代 国一 瓦斯 ガス の焔 ひ は青々と噴く妻の影くらく小さきを後より抱く 『鳥の棲む樹』) 十月号の入稿を終え、一息ついて後記に取り掛かろうとしていた矢先、電話が鳴っ た。 千代国一逝去の報せである。 案じていた事が遂に現実となった。 大正五年一月の 生まれだから今年九十五歳。 歳に不足はないとはいうものの。 やはり少しでもこの世 の人であってほしいという願いはもつ。 空穂系雑誌としては最も古い「国民文学」を 松村英一から引き継ぎ、先年創刊九十年の偉業を成し遂げた。 歌は松村直系の写実に 徹する詠風で堅実そのものだが、初期にはここに掲げたような初々しい相聞歌で知ら れた人。この歌を含む歌集『鳥の棲む樹』は第一回新歌人会賞を受賞した。 「唇 くち ふれて冷たかりけり霧のなか足もとに砂崩るる音す」「乳色に夜明くる部屋に吾と妻と 互 かたみ に見えてしばし眠れり」など今も新鮮である。 敗戦後、財閥解体で苦境に 立つ旧大倉組の再建に尽力、経営者としての手腕も高い。 その才をもって現代歌人協 会の財務担当理事としても大きな功績を残した。 私にとっては空穂会の良き先輩。 協 会財務の上でも実に多くのことを教えて頂いた。 謹んでご冥福を祈る。 来嶋靖生 九月の歌 宮 柊二 たたかひを終りたる身を遊ばせて石群れる谷川を越ゆ 『小紺珠』) 歌集『小紺珠』冒頭にある著名な歌。 第二次大戦で中国大陸にあった作者は敗戦後 復員、九月に妻子の疎開している富山県を訪ねた時の作。 歌意、戦争を終えて帰国し た自分の体を休ませるような気持で岩の群がっている谷川を越えていることよ。 この 谷川は黒部渓谷であろう。 まだ戦争中の緊張感が残っている身ながら、その戦争がよ うやく終わったという安堵感、そしたまたこれから展開して行く新しい生活とを思っ ている。 さわやかな詠み口で、ここに日本の歌がああると思わせるような調べがある。 戦地にあったときの歌は歌集『山西省』に纏められているが、それとこの歌を含む歌 集『小紺珠』とが宮柊二によって示された戦後短歌の新機軸であった。 歌を詠み初めて間もない私は先輩から教えられて何冊かの歌集を繰り返し読んだが、 この『小紺珠』もその一冊である。 「一本の蝋燃 もや しつつ妻も吾 あ も暗き泉を 聴くごとくゐる」「悲しみを窺うごとも青銅色 せいどう のかなぶん一つ夜半に来てを り」「告白と芸術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面」を発見せり。 」など。 来嶋靖生 八月の歌 春日真木子 地震 津波 底ひ揺れつつ小さなるこの国土 くにつち の傷つきやすし 『燃える水』) この歌は今年三月の地震・津波の歌ではない。 数年前に今日を予見するかのように 詠まれた歌である。 これより先、阪神淡路大震災があった。 中越の大地震があった。 作者はそれらの経験の上に立って日本という国土への憂いを述べている。 この前に作 者は五島列島を訪れ、壮大な石油備蓄基地を見、エネルギー問題についての知見を新 たにした。 歌集『燃える水』にはその前後の感が淡々と穏やかに、かつ鋭く詠まれて いる。 長くゆたかな人生経験、作歌経験に基づく作風の特徴は短い言葉では語り尽く せない。 それとは別に、私達が目をみはるのは、「水甕」責任者としての活躍ぶりで ある。 「水甕」が生まれたのは大正三年 一九一四 、百年に近い老舗である。 主催柴舟 の死後は、作者の父松田常憲が継ぎ、さらに石井直三郎、加藤将之、熊谷武至、高嶋 健一と主宰が次々に変わってきた。 春日真木子は父娘二代にわたってこの 暖簾 を守 り、柴舟の「業績」はもとより「水甕」の先輩達の存在を明らかにする事業を次々に世 に送っている。 まさに偉観というべきであろう。 来嶋靖生 七月の歌 上田 三四二 あぢさゐの花をおほひて降る雨の花のめぐりはほの明りすも 『湧井』) 紫陽花はさまざまな人によって詠まれ、知られている歌も多い。 その中にあって、 この歌は決して目立つような歌ではなく、ごく穏やかな歌だが、ここに採り上げたの はひとえに調べが美しいこと、印象鮮明なこと、による。 「花をおほひて降る雨の」の 流れが美しい。 「花のめぐりはほの明りす」も雨季の表現として的確である。 短歌を読 むよろこびはここにあるとでも言いたくなるような歌だ。 上田さんが亡くなってはや 二十年以上が経過した。 私は短い間だったが、上田さんからは歌人協会の仕事で貴重 なことを教えられた。 それは言葉では現わせない。 短歌の世界はいま、商業雑誌など を見ていると何となく騒然とした感じがするが、こういう歌を読むと、救われるよう なやすらぎを覚える。 歌集『湧井』は、大病による手術前後の緊張した期間のもので、 掲げた歌のほか「死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きている一日 ひとひ 一日はい づみ」といった厳しい歌や、名高い「ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて 谷にゆくかも」などが収められている。 来嶋靖生 六月の歌 藤井 常世 あぢさゐの葉群しづまる夕やみに湛ふる水のごとき花あり 『繭の歳月』) やわらかい調べ、静謐な気分を持った歌。 夕方、風に揺れていたあぢさゐの葉群も 静かになり、作者の目に映る花は湛えられた水のような澄んだ風情をもっている。 自 然であれ何であれ、このように落ち着いた眼ざしで対象を見つめ、しっとりとした抒 情を伝えるのがこの人の世界である。 学芸の気風に恵まれた家系に育った人だが、作 者自身の意識せぬうちにおのずからどの歌にもよき血脈が感じられる。 もう何十年も 前のことだが『紫苑幻野』という作者の第一歌集の出版を祝う会に私は顔を出した。 未知の作者だが、小中英之に薦められてのことだ。 作者は多くを語らず、師の隣につ つましく目を伏せているばかり、その姿が心に残った。 現代短歌は年々猥雑の度を加 えているが、この作者はそういう風潮に馴染まず、明らかに一線を画して自らの歌風 を貫いている。 「一夜さのあらしに梢を離れしは木の葉鳥の子逡巡の月」「「ひとすじの 風あればわれとともにそよぐ母が残しし帯の秋草」 来嶋靖生 五月の歌 松平 盟子 バゲットは半分 ドウミ で買うべし今日の分だけの幸福さくさくと切る 『カフェの木椅子が軋むまま』) 一九一二年五月、与謝野晶子はパリにいる夫、寛を追って旅立った。 当時のことで、 飛行機ではなく、シベリア鉄道経由の長い旅である。 夫妻はヨーロッパ各地を回って 十月に帰国するが、その滞在中のくさぐさはまだ知られていないことが多い。 この歌 の作者松平盟子はかねて晶子研究を進めている人だが、単身現地へ赴き、与謝野夫妻 のヨーロッパ旅行の足跡をつぶさに調べ上げている。 もう十年も前のことだ。 歌はそ の晶子研究の一端で、踏査旅行中の生活が多く詠まれている。 海外旅行の観光短歌は うんざりするほどあるが、現地で生活し、それを詠んだ歌は数少ない。 友人の部屋を 借り、不慣れな土地で苦闘しながらのつつましい生活から生まれた歌は、生き生きと した力に充ちている。 「「フランス人はみな優しい」の例文が仏語テキスト最初にあり ぬ」「晶子の靴くくと鳴りたる石畳わがサンダルは踵が折れし」「浴槽に浸ればわれの なにがしの苦汁といえる汁が溶け出す」 来嶋靖生 四月の歌 小島 ゆかり ふ 水流にさくら零る日よ魚の見るさくらはいかに美しからん 『月光公園』) 古今の桜の歌はほとんど人間の眼で見た桜である。 が、ここに魚の眼で見る桜の歌 が登場した。 詠んだのは子を生んで間もない、若い母親である。 幼い子に近く、同じ 低い視線でものを見るうちに、たくまずして得られた新鮮な発想であろう。 ものには 表と裏があり、ともすれば裏は好ましくないイメージを伴うことが多い。 裏目、裏金、 裏街道、裏取引・・・。 だが水面の裏には人間の汚れた眼には見えない美しさが存在する。 それを魚は知っているのだ。 この歌はさくらを詠んだ美しい歌だが、読みようによっ ては人間の、また短歌の、それこそ「裏」を見透した鋭い歌でもある。 「槻の木」新年 会の彼女の話は、古典から現代までの歌を通覧し、作者自身の体験を踏まえた実作に 有益な話であった。 宮柊二に学び、高野公彦ら「コスモス」の佳き先輩に刺激され、 短い間に大きな成長を遂げた新世代の女流。 明るく、変化に富む歌が身上だが、最近 は「三人の親の一人も喪はず今年暮れたり大き息する」といったきびしい歌もある。 歌壇の明日を担う一人である。 来嶋靖生 三月の歌 木俣 修 かみはし あけ そりはし いろ 神橋の朱の反橋ほのぼのとこの降る春の雨に彩へり 『高志』) 昭和十五年(一九四〇)、宮崎県鵜戸神宮での作。 この年、紀元二千六百年というこ とで、国中が「奉祝行事」に沸き立った。 中でも宮崎県は天孫降臨や神武天皇東征な どの神話に基づいて、霧島山や美々津浜をはじめ、県内各地が脚光を浴び、有力歌人 が相次いで訪れ、多くの歌を残した。 中でも木俣修の諸作は、喧伝された斎藤茂吉の 歌とは別に、純粋な力のこもった一連である。 詠まれている鵜戸神宮は日南市にあり、 日向灘に突き出た鵜戸岬の先端の洞窟内にある。 祭神は神武天皇の父、鵜茅草葺不合 命 うがやふきあえずのみこと を主神とし、戦前は官幣大社として国家的に尊ばれて きた。 「古事記」には豊玉毘売命 とよたまひめのみこと が 鵜茅草葺不合命を生む劇 的な場面が記されている。 修の歌も茂吉の歌も、いわば戦時中の国策の流れに沿って 生まれた歌であることは否めないが、それを超えて、あの当時日向の大自然と向き合 った力作として十分に評価すべき歌と私は思う。 他に佐々木信綱、長塚節、若山牧水、 前田夕暮、川田順、松田常憲、宮柊二、伊藤一彦ら、鵜戸神社の歌は近代現代を通じ て枚挙に暇ない。 来嶋靖生 二月の歌 津川 洋三 海へだて雪にかがやく連峰を振り放 さ けやまずわれの家持 『連峰の雪』) 第二次大戦中、新年御題に「連峰の雲」という年(昭和十九年)があった。 そうい う古いことを思い出すのは私の年齢を伝えるだけで、この歌とは関係ない。 作者は純 粋に家持と立山を思っての歌である。 歌は堅実で、とくに第一、二句は土地の人なら ではの美しい響きをもっている。 私が作者のこの歌に惹かれるのは、やはり北陸、加 賀の歌人としての津川洋三が意識されるからである。 「白山を望む山村にて十九まで 育ちき一族に守られながら」という歌は志貴皇子を産んだ越路君伊羅都売(こしぢの きみいらつめ)を詠んだ歌だが、何か作者に通じる血脈を思わせる。 作者は加賀の中 心的歌人でありまた土地の名望ある医師でもある。 個人的な思い出になるが、平成十 三年、はじめて金沢を訪れた時、私はこの津川さんと永井正子さんんとに大変世話に なった。 加賀白山に登りたい、という私の夢に、二人はいろいろな形でアドバイスし て下さった。 おかげで十七年と二十年、心筋梗塞後の身ながら、私は白山への登頂を 二度も果たし、黒百合の群生や壮麗なお花畑に接することができた。 来嶋靖生 一月の歌 都筑 省吾 かかる間も時は過ぎゐむかくてある今宵も遠きむかしとならむ 『入日』) 敗戦直後、「新年」と題された五首の最後に置かれている。 当然のことを当然のよう に歌っているが、国の大きな変動の時に新しい年を迎える緊張がそのまま形になって いる。 この前には「高らかにラジオうたひてありけるが鳴り出でにけりあはれ除夜の 鐘」がある。 今なら紅白歌合戦の後にゆく年くる年という番組が続くという平凡な事 実ととられやすいが、これは敗戦直後のこと。 戦事中に多くの寺の鐘は金属供出で軍 に懲発され、国民は除夜の鐘をきくことなどほとんどなかった。 この「あはれ」には 久々に聞く除夜の鐘への感慨が込められている。 敗戦後すでに六十数年、「今宵も遠 き昔とならむ」はまさに事実となった。 この頃、作者は四十歳代後半、創作力がもっ とも充実していた時期にあたる。 「明るくも春の夕日の照らしたりあの草原に出でて 歩まむ」「ひぐらしのかそかに鳴ける峡を来て空に吊せる吊端渡る」「この丘にわが佇 めばくれなゐの入日の前に汽車笛鳴らす」など、代表作ともいうべき秀歌が次次に生 み出されている。 二千四百首 を超える多くの歌が収められている。 昭和十年、夫寛と死別した後の、悲しみと追慕 の心が全編に流れ、哀切をきわめる秀歌が数多く並んでいる。 しかしなお「なまめかしけれ」と言い切 るのがこの人である。 前年五月に脳溢血で倒れ、以後山梨や湘南に転地療養をするが 状態は決して好転しない。 しかも暮になって太平洋戦争が勃発、出征した子を思って 「戦ある太平洋の西南を思ひてわれは寒き夜を泣く」という歌もある。 傷心と寂寥の 中でも歌は詠み続け、「梟よ尾花の谷の月明に鳴きし昔を皆とりかへせ」という凄みの きいた歌、また「われのみが長生の湯にひたりつつ死なで無限の悲みをする」や「源 氏をば一人となりて後に書く紫女年若くわれは然らず」など悲痛な歌を多く詠み残し ている。 亡くなった時は六十五歳であった。 (来嶋靖生) 十一月の歌 山崎 方代 大正三年霜月の霜の降るあした生まれて父の死を早めたり 『左右口』) 最近ことがあって山崎方代の歌を読み直し、少しばかり調べごとをした。 三十年以 上も前、はじめて『左右口』を読んだ時はその独特の語り口、文学一筋を貫こうとす る生き方に感銘を受け、多少のことを書いた記憶がある。 だがその後、その無頼の在 り方に疑問を感じ、歌にみられる殊更の構えを疎ましく思うようになった。 しかし、 今回あらためて読み直し、方代が大きな影響を受けたヴィヨンの詩などと思い合わせて みると、また新しい感想を得た。 特に晩年の歌はかつての構えが薄れ、親しみのある 人間が浮かんでくる。 生計は二の次、歌が第一、というありようはわが師都筑省吾の 若き日に通うものがある。 だが二人は決定的に違う。 ここに掲げた歌は父を思い、 自分の不幸を心で詫びている歌だが、方代の父が亡くなったのは九十何歳だというか ら、単純に言えば事実と違うことになる。 虚構は創作にはつきもの、「嘘の真実 まこと 」 と方代に明るい人は言う。 詠まれたことすなわち事実と読み取る自然主義的読者の幼さ を笑うようなところがある。 もちろん異論はあろう。 (来嶋靖生) 十月の歌 都筑 省吾 四方 よも)うづめ天地おほひて降れる霧渦巻き流れ乱れ走せ飛ぶ 『螢橋』) 昭和五十二年十月二十九日、「槻の木」創刊五十年を祝う会が栃木県鬼怒川温泉星 の湯で行なわれた。 日光湯元に降り立った一同は、まず二荒山神社に参詣、ここを詠 んだ窪田空穂先生の色紙を都筑省吾から神社に奉納した。 この歌は境内に歌碑となっ て残っている。 その夜は「一日五十首」の歌を各自詠んだり、懇談したりして過ごし、 翌日は鬼怒川の川下りの後、車をつらねて霧降高原に向かった。 しかしその名の通り 一面の霧、紅葉の名所とされる六方沢橋の上で停車したものの視界ゼロ。 沼尾静一さ んの話を聞きながら往事を偲ぶばかりであった。 だが私が驚いたのは、霧に覆われて 何も見えぬ橋の上で都筑先生が、何も見えぬ霧に向かって一心にメモをとっておられ る。 歌を詠んでおられるのだ! 先生のそういう姿を見るのははじめてだった。 この 時の先生の歌一つ二つ「行けど行けどもみづる落葉松 からまつ 林なり降りしく霧の いや降りしきる」「高鳴るは我が靴音か渓底を落ち行く軍の蹄の音か」。 何しろ三十 三年前、参加した会員の多くは物故、健在なのは原田清と来嶋ぐらいであろうか。 (来嶋靖生) 九月の歌 小高 賢 縁日にむらがる子らにまぎれいん九月一日九歳の母 『眼中の人』) 「震災記念日」と註があり、九月一日とあるから当然これは大正十二年の関東大震 災を指す。 九月一日は震災記念日だなあ、ということから、幼い頃の母を偲んでいる 歌。 今は第二次大戦すら知らない人が多くなったが、関東大震災を知る人はさらに少 なく、もし思い出話など聞いたとすれば実に貴重なことである。 当時刊行された震災 写真画報の類を私は何冊か見たが、その惨状には言葉を失う。 作者はむろん大震災は おろか、空襲の体験もあるかないかの世代だが、彼の歌にはつねにこういう歴史意識 が流れている。 同じ歌集に「感傷といわれるだろう『資本論』第一巻の新訳買えば」 という歌もある。 「私たちは長谷部文夫訳だった」と註があり、新訳読後の何首かがあ る。 私は古本屋でもっとも安価だった高畠素之訳を買ったが、一つの文が幾つも幾つ も読点で繋がる悪文?で難渋した記憶がある。 (卒業前後に岩波文庫で向坂逸郎訳が 出た 。この歌集にはほかにも『日本の思想』『矛盾論・実践論』など、なつかしい書 名が次々に出て知的興奮?をそそられる歌集である。 来嶋靖生 八月の歌 窪田 章一郎 征く日まで戦 いくさ のさなか端座して深夜ひとりの碁を打ちし音 『素心臘梅』) 「深夜ひとりの碁」を打っているのは作者の弟茂二郎。 昭和十八年、早稲田大学国 文科を繰り上げ卒業、十月世田谷の野砲連隊に入隊、戦地に向う。 中国大陸で敗戦を 迎え、捕虜としてシベリアに送られ、同地で死去した。 茂二郎は秀才の名が高く、卒 業論文には泉鏡花を選んだ。 碁が強く、この歌に見るように深夜一人碁盤に向かい、 棋譜を片手に碁石を並べ研究していた姿は、都筑省吾先生からも聞いたことがある。 兄弟の仲は睦まじく、病弱であった弟を兄はつねに思い、あの体で軍隊生活が堪え られるかと案じている歌がある。 戦後、復員を待つ家族の願いも空しく、同じく捕虜 として抑留されていた友人が帰国して、茂二郎の死を伝えた。 家族の衝撃は大きく、 父空穂の長歌「捕虜の死」をはじめ、兄章一郎の「弟を偲ぶ」などの秀作が多く生み 出された。 掲げた歌はその後歳月を経てからのもので「鎮魂歌」十六首の中にあり、 「八月十五日」という小題のもとにある一首。 ありし日の弟の姿がそのままに窺える 哀切な響きがある。 来嶋靖生 七月の歌 窪田 空穂 大君 おおきみ の将校として死にけむも親には子なり泣かずあ らめや 『冬木原』) 昭和十九年七月十八日、ラジオは大本営発表として、サイパン島日本軍全員玉砕の 報を伝えた。 このニュースを聞いて、空穂はすぐに筆を執り、この歌を含む六首の歌 を書き郵便で半田良平に送った。 以前(平成十一年七月)この欄に記したように、良 平の三男信三は兵士としてサイパン島日本軍の中にあった。 玉砕の報を聞いて良平は 「報道を聴きたる後にわが息を整へんとぞしばし目つむる」に始まる悲痛な歌を多く 詠んでいる。 その同じニュースを空穂も聴いたのである。 掲げた歌の意は『信三君は 「大君の将校」として名誉の戦死を遂げたのであろうが、親にとってはかけがえのな い「子」ある。 泣かずにいられようか』。 ほかには「代り得ばと親はおもはむ三人子 の残れるあらぬ半田のあはれ」などがあった。 信三が死ぬと、三人の男の子をすべて 失なうことになる良平を思う歌だが、当時郵便でこの歌を送るなど、危険極まること で、もし検閲にかかったら反戦思想として処罰されたはずである。 人間としての真情 を吐露した、そして深い師弟愛の思われる歌である。 来嶋靖生 六月の歌 窪田 空穂 さし出だす曽祖父 ひいぢい の中指握りたる曽孫 ひまご 何思 ひし振り切りにけり 『去年の雪』) 昭和四十年六月一日、空穂は老人性貧血のため、青山の心臓血管研究所に入院し、 二十五日に退院した。 「眼 まなこ 昏み口もの言へずなる我を妻はおどろき声高く喚 よ ぶ」という状態になったので急遽入院したが、その後は経過も良く、入院中の歌三 十首が歌集に収められている。 病院は東宮御所や代々木の森が窓から望める青山の高 台にあり、全体に明るい気分の歌が多い。掲げた歌は曽孫が見舞いに訪れたのであろう。 ほんの一瞬のことだが楽しげに詠んでいる。 「眼昏み口もの言へず」の状態にあった 時は「老病は癒ゆる日あらず言ふべくは死もて全治の日とはなすべき」と、やや気弱 になった感じもあるが、入院後は体調も戻り「命とはわがものなりけり俄には死なず と思へば死は近からず」と力強く詠んでいる。 事実、その夏から一年半は元気に過ご すことが出来た。 『去年の雪』には四十一年の九月までの歌が収められているが、こ れは空穂が生前、自ら編んだ最後の歌集となった。 翌年の六月には「わが誕辰祝ひて 妻の菖蒲生くかくて咲き散る幾十度 いくとたび ぞも」と詠んでいる。 来嶋靖生 五月の歌 馬場 あき子 若夏の雨すぎし木々さやさやと現し身洗ふ窓にさやげる 『葡萄唐草』) 「若夏」は沖縄地方で四月五月の季節を言う、と『広辞苑』にはあるが、他の辞書 には「若夏」がないものもある。 古い歳時記にはない。 沖縄の古謡「おもろそうし」 の例が辞書にはあげられている。 短歌で先鞭をつけたのは馬場あき子のこの歌で、三 十数年前のことだが、一読目のさめるような新鮮な印象を受けた記憶がある。 以後多 くの歌人が追随している。 作者は古典や古謡に生きている佳い言葉を敏感に採り入れ る人で『うたことば辞林』(作品社)にはそれらの古語を生かした作者の歌が多く収 められている。 最近刊行された『能・よみがえる情念』 檜書店 は著名な演目の解題 が中心だが、関連する和歌がふんだんに引用、紹介されており、歌人には重宝な本と なっている。 例えば「桜川」の章では貫之の「つねよりも春べになれば桜川なみの花 こそまなくよすらめ」だけでなく、伊勢の「散り散らずきかまほしきを故郷の花見て 帰る人も会はなむ」にも触れられているのがありがたい。 短歌の韻律の危機が思われ る昨今、歌人には古典名歌にもっと学ぶべきではないか。 来嶋靖生 四月の歌 山口 茂吉 はるいかづち 川かみの低き空よりふるひ来る 春 雷は移らふらしき 『杉原』) 近代歌人の中には力をもち、よい作品を残しながら、当節あまり話題に上がらない、 そういう人が少なくない。 「アララギ系」では森山汀川、藤沢古実、山口茂吉、堀内通 孝、などが思い浮かぶ。 このうち山口や堀内は昭和三十年代まで生きていたのだから 親しんでいた人も多いはずだ。 ここにあげた山口茂吉は兵庫県の出身、はじめ島木赤 彦に学び、赤彦没後は斎藤茂吉に就いた、佐藤佐太郎とともに斎藤茂吉の身辺にもっ とも近くあって、学びかつその文業を支えた。 詠まれている川は多摩川、雷鳴の動き を簡潔かつ正確に描き、いわば写生に徹した歌である。 こういう調子はもっとも茂吉 的だが、これだけ着実に自然を把握できる人は少ない。 歌は地味だが内に深くこもる 気分に味わいがある。 大正昭和期の「アララギ」写生の息吹をもっともよく伝える一 人であろう。 岩波文庫の『斎藤茂吉歌集』は佐藤佐太郎、柴生田稔と山口茂吉三人の 編集である。 歌集『杉原』は第一歌集で、故郷「杉原谷」に因む。 このあと歌集『赤 土』『高清水』などがある。 昭和三十三年四月二十九日没。 来嶋靖生 三月の歌 都筑 省吾 鶯の今朝来て鳴けば俄にも春のかをりの漂ひ揺らぐ 『黒潮』) 昭和三十一年の作。 最近東京都内で鶯の鳴く声はめったに聞かれなくなった。 が、 まだこのころは作者の住むあたりでは毎年のように鶯の声が聞けた。 「明け方の冷た き雨の中に来て鳴く鶯は人知らざらむ」とも詠んでいる。 夜を徹して原稿を書き続け ている作者は、明け方の雨の中に庭の梅の木で鳴く鶯に気がついた。 同じ時の歌に 「鶯の鳴くを我が見ぬ逆さまに身は傾けてこゑ絞り鳴く」もある。 作者は鶯や雀をと くに好んで詠んだ。 こういう小鳥は作者のこよなき友であり、時には作者自身である かのような歌もある。 対象を凝視し、隙のない言葉でその姿を生き生きと描き出す。 また近年、東京は雪が少なくなった。 少し後のことだが「暖かき音立てて降る春の雨 夜に入り雪となりて音絶ゆ」 『星の死』 という歌がある。 夜の雨が雪になるという 何気ない表現の中に季節の変化が時代の変化とともに読み取れる。 自然を的確に詠む 歌が激減しているいま、これらは顧みられるべき歌である。 思えば都筑省吾先生が亡 くなられて、いつのまにか十三年が経過してしまった。 来嶋靖生 二月の歌 橋本 喜典 きさらぎの光の中に水仙の一念まこと静かに立てり 『無冠』) 作者は窪田章一郎亡き後、篠弘とともに「まひる野」の代表となって同誌をまとめ、 また先年、歌集『悲母像』によって詩歌文学館賞、短歌新聞社賞などを得た。 掲げた 歌は、十数年前の歌。 水仙の花がすっきりと立っているさまを描いている。 「一念」と いう表現が独特だが、これにはいささか背景がある。 この二年ほど前、作者は勤務先 の早稲田中学・高校の校長室で突然倒れた。 ただちに救急車で病院に運ばれたが「解 離性大動脈瘤」と診断された。 まさに危機一髪の状態だったようだがよき処置を得て 何ヵ月かの治療静養の後全快退院することができた。 生と死の狭間に立って「命」と 対峙した前後の歌は、何度読み直しても鋭い緊迫感を保っている。 時を経て詠んだこ の水仙にも、作者の命を凝視し命を愛惜する心が生きている。 学生時代から病気がち で、私より何年か先輩なのだが休学によって遅れ、短い間だが早稲田の短歌会で同席 したこともある。 空穂系の正統を思わせる誠實かつ人間味のあふれる歌風で、堅実な 措辞、こまやかな神経は六十年の歌歴を通してゆるがない。 来嶋靖生 一月の歌 正岡 子規 あら玉の年のはじめは寒けれど梅をし見ればたぬしかりけり 『竹の里歌』) 明治三十五年の歌会始の御題は「新年梅」であった。 子規はこれに即して五首の歌 を詠んでいる。 いずれも平明な歌で「大君のみことかしこみあら玉のとしのはじめに 梅の花さく」という第一首目の歌で知られるように、御題を詠む、という愼みがこめ られている。 五首すべてに枕詞「あら玉の」が含まれているのもその顕れであろう。 なお一首だけ「うめの花乏しく咲ける璞 あらたま のとしのはじめは嬉しくありけり」 と、漢字一字の「璞」を用いている。 すべておだやかな歌だが、苦しい病状の中から生 み出されたものでかりそめならぬ気配が感じられる。 ちなみに一月、子規の病状はと みに重くなり、碧梧桐、左千夫、虚子、秀真、鼠骨らが輪番で看護を続ける状態とな った。 その後やや小康を得て創作もできるようになったが、夏以後さらに衰弱が進み、 九月十九日に亡くなってしまう。 私はこれまで根岸の子規庵には四度ぐらい行ったこ とがあるが、梅の季節の様子は知らない。 いまTVで司馬遼太郎『坂の上の雲』が放 映されているが、子規庵が観光の波に汚染されぬよう、案ずるばかりである。 来嶋靖生 十二月の歌 高野 公彦 並び航 ゆ く翔鶴、瑞鶴、赤城、加賀、蒼竜、飛竜やがて亡びつ 『水行』) 「昭和十六年十二月、太平洋上」と詞書がある。 いうまでもなく、ここに並んでい るのはすべて航空母艦である。 ということはハワイ真珠湾への出撃であろうか。 日本 海軍の軍艦は命名に慣例があった。 戦艦は長門、武藏、大和などの旧国名、重巡洋艦 は鳥海、羽黒など山の名、経巡洋艦は天竜、利根など川の名であったと記憶する。 航 空母艦はここに見るように鶴と竜が付いていた。 がここに航空母艦の中に赤城、加賀 があるのは戦艦を航空母艦に改造したからで、三万トン級の巨艦として評判だったこ とをこども心に覚えている。 後のほうの蒼竜、飛竜は実践向きに行動力すぐれた新型 の艦と教えられた。 この歌は、作者高野の戦争への思い、あるいは連合艦隊に無言の 思いを馳せての歌であろうか。 だが私はそれよりも、ひそかに固有名詞への関心、つ まりネーミングへの興味が作者にはあったのではないか、と推測している。 なお高野 の十二月の歌としては同じ歌集に「十二月二日の夜明け東天 とうてん に燃ゆる薄雲 の紅 あけ のかなしさ」という美しい歌があるが、私はあえて航空母艦の歌を選んだ。 十一月の歌 佐藤 佐太郎 ひとところ蛇崩道に音のなき祭礼のごと菊の花咲く 『星宿』) 蛇崩 じやくずれ は東京目黒区の地名、作者の家に近く、日常の散歩コースで「花 ひらきあるいは閉ぢていたるところおしろいの咲く蛇崩の道」「雨に逢ひて蛇崩坂を いそぎ行く今日の一人も哀れならずや」「われの知る蛇崩川が消滅し遊歩道に残る橋の 名あはれ」など道、坂、川など多く詠まれている。 地名そのものに風情があるし、ま たその蛇崩が佐太郎の歌によって現代短歌の歌枕になった趣がある。 私は佐藤家に伺 ったことはないが、仕事の打ち合せのために近隣の作曲家石井歓先生のお宅を何度か 訪れたことがある。 掲出の歌は菊の花を「音のなき祭礼のごとく」と詠んでいるのが 見どころ、昭和五十六年、作者七十二歳の作。 歌は単純に、また表現は限定すること だ、という作者の信念の貫かれた歌といってよいであろう。 新刊の秋葉四郎『短歌情 話』には同年十一月三日のところに佐太郎自身が「この頃は歌が出来る」と言って、 この歌を含めて手帳に書かれた五首を夫人と秋葉氏の前で読まれたという。 作者とし ても自信作だったのであろう。 来嶋靖生 ] 十月の歌 坂井 修一 さらさらとゆふなぎの草照り翳り『百花譜』にひとのこころはありき 『望楼の春』) 詠まれている『百花譜』は木下杢太郎の遺作。 戦時中、灯火管制の下で夜毎描き続 けた植物の図譜。 貴重な短文が添えられている。 岩波文庫に抄録されているが、何十 年か前、伊東市の記念館でこれに接した時の感激は今も忘れない。 それを坂井修一が 詠んだのが右の歌、これも含めて坂井は「杢太郎」と題して十三首の歌を詠んでいる が、詩人、劇作家であるとともにも医学者太田正雄でもあった杢太郎についての深い 考察がある。 「太田母斑名はのこれども学徒らよ太田正雄をかへりみるなし」は医学 上の業績のこと。 また「東大にありし八年よきことのすくなかりけむ東大に果つ」と いう歌もあるが、坂井も今情報工学の専門家とした東大にいるのだから思いは微妙。 坂井自身、創作に研究に幅広い活動を続けているだけに杢太郎の才と気骨が何となく 坂井の姿に重なってくる。 東大の戦前の憲法学者上杉・美濃部を詠んだ「シルバーシ ートに物食ふをとめ わがうちに怒るは慎吉か達吉か知らず」も彼の奥行きを思わせる 歌で、これについても語りたいが他日を期すことにする。 来嶋靖生 九月の歌 渡辺 洋子 ベッドより起ち上がろうとして崩れ瞬くまなこは銀河をうつす 『珈琲の香り』) 九月の歌ではないが、あえてここに記すことにした。 作者は肝細胞癌を病み、この 歌を詠んでから二年と経たぬうち(平成十九年三月)に世を去った。 歌われている場 面は、いま日本中至るところで起きている高齢化社会の現実である。筋力衰えた病人、 あるいは老人がベッドから立ち上がろうとして崩れ、転倒する。そして病状が悪化し、 寝たきりになる人もいる。 ただこの作者は崩れるわが眼に映った銀河を捉えている。 これが歌を詠み続けてきた人の詩魂である。 作者はほんの短い間だが、調布市の私の 短歌教室「三日月歌会」に夫の渡辺進さんと一緒に出席されていた。 体調不自由な身 ながら、はきはきと発言する気持ちのよい人だった。 入会の時から、私は進さんが渡 辺順三の息子であり、洋子さんがその妻 徳永直 の娘であることは察し得ていたが、 文学の上に人定訊問は不要、と思ってしばらく知らぬ顔でいた。 やがて洋子さんは 「ポトナム」に作品を発表するようになった。 働くことの好きな、活発な女性であり、 語りたいことは多いが、ここでは一首を紹介するに止める。 来嶋靖生 八月の歌 正田 篠枝 子と母か繋ぐ手の指離れざる二つの死骸水槽より出づ 『さんげ』) 作者正田篠枝は昭和二十年八月六日、広島市御幸橋近くの自宅で被爆した。 原爆被 害の惨状を数多くの短歌に詠み、昭和二十一年三月 奥付は二十年十二月 、ひそかに 歌集『さんげ』として刊行した。 これは原爆体験を詠んだ最初の歌集であり、もっと も生々しい記録である。 私は『昭和万葉集』編纂作業の最中にはじめてこの歌集を読 んだ。 作者は後に次のように書く。 「その当時はGHQ(連合軍最高司令部)の検閲 が厳しく、見つかりましたなら必ず死刑になるといわれました。 死刑になってもよい という決心で、身内の者が止めるのに、やむにやまれぬ気持ちで、秘密出版をいたし ました」。 GHQの検閲といっても今やわからぬ人のほうが多いかも知れない。 出版 物はすべて、GHQの検閲が必要であった。 短歌雑誌でさえ、検閲によって発行禁止 になったり、部分削除や抹消が命じられた。 まして原爆被害の実情など、断じて公に してはならぬ、禁止情報であった。 それをあえて出版した作者の勇気はどれほど讃え ても讃えきれない。 篠枝は四十年六月、原爆症乳癌で亡くなった。 来嶋靖生 七月の歌 都筑 省吾 七月の日の下 もと 水の冷たくて手ひたし難し此処に鮎住む 『入日』) 昭和二十五年七月、作者は静岡県藤枝相楽の植田重雄の家に招かれ、翌日大井川を 遡ってともに釣り糸を垂れた。 同県出身でまだ学生だった高田敏も同行した。 手をひ たすことも出来ないほど冷たい清流に棲む鮎の群れが、早朝に川を下り、夕べとなる とまた川を上るありさまに目を見張った。 一連十二首。 「山と雲他にものなき峽にし てひぐらしの鳴き鮎つどひゆく」という大きな把握。 「ひぐらしの谿間にに潜り入る が鮎鮎が梢に鳴くがひぐらし」という斬新な発想。 この年作者五十歳、気力充実、まさ に脂の乗りきった時期で、鮎の姿を生き生きと捉えている。 私は「槻の木」に入って 間もなく、右も左もわからない頃だったが、この歌の溌剌とした調子に何か身の引き 締まるものを覚えた。 短歌で動くものを描く、その手本を見たように思った。 また 「瀬を幾瀬群れ走 は せ下 くだ りゆきし鮎夕べをあはれひた走せ上 のぼ る」で「あ はれ」の使い方を学んだ。 初心の頃の忘れられない連作である。 いまや作者はもちろ ん、同行した植田重雄も高田敏もこの世の人ではない。 半世紀以上前のことなのだ。 来嶋靖生 六月の歌 斎藤 茂吉 どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも 『赤光』) いまさら註釈を加える必要もない有名な歌。大正二年六月昨。 『改選赤光』では「死 にたまふ母」のすぐ後におかれている。 啄木の「どんよりと/くもれる空を見てゐし に/人を殺したくなりにけるかも」との類似から影響関係が論じられるが、深入りは しない。 下の句を読めば二人の違いがよくわかる。 私的なことだが、この歌を詠むと 私は中野重治の『歌のわかれ』を思い出す。 詩ではなく小説のほうである。 最後に近 く、歌会の場面があって、一座で好評を得ている万葉ぶりの歌を、片口安吉が立ち上 がって弁駁する。 早稲田の一年生だった私は、その場面から歌会の批評のあり方につ いて教えられた。 そしてそれが、なぜかこの「どんよりと」の歌とともに記憶に残っ ている。 また同じ頃、来春慶応を受験するという友人と三田で別れ、たまたま立ち寄 った古書店で『斎藤茂吉ノオト』を見つけ、高かったが思い切って買い、電車賃節約 のために都電に乗り、高田馬場まで長い長い時間をかけて帰ったことも思い出す。 梅 雨時の空を仰ぐたびに蘇る歌である。 来嶋靖生 五月の歌 北原 白秋 ああ五月蛍匍ひいでヂキタリス小さき鈴ふるたましひの泣く 『桐の花』) 先月来、必要があって『桐の花』をまたまた讀み返した。 白秋の絢爛たる言葉遣い にあらためて畏れに近い敬意を抱いたが、それはさておきこの歌はどうにも気になる ので再度取り上げる。 ここで詠まれているヂキタリスは薬用・観賞用植物で、小さい 鐘のような花がつく。 そこで白秋は「小さき鈴振るたましひの泣く」と言うのだが、 不思議なことに昭和二十四年八月刊行の岩波文庫『北原白秋歌集』では下の句が「日 々に汗ばむ草いきれたつ」となっている。 私はこの文庫版を大学受験の帰りに京都の 古書店で買って、当時つねに携行して愛読した。 しかも意味も深く考えずにこの形で 記憶していた。 が、先年『秀歌月ごよみ』刊行のとき、この形で引用したところ、影 山一男さんから下の句が違う、と指摘された。 たしかに全集の形とは違う。 編者の木 俣修に何か別の資料があったのかとも思ったが、どう考えても「日々に汗ばむ」では 意味が通じない。 おそらく編集なり印刷なりの過程で、編者も知らぬ間に他の歌の下 の句がまぎれこんだのではないか。 と今のところは思っている。 来嶋靖生 四月の歌 山川 登美子 わが柩まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく 『山川登美子全集』) 与謝野晶子、増田雅子とともに「明星」三女流と謳われた登美子は、明治四十二年 四月十五日に亡くなった。 同じ浪漫的な作風といっても、晶子とは違う気韻を持つ歌 が多く、失恋、結婚、夫の死、発病という悲運を負いながら、その歌は却って一途に 澄み、冴えわたって行った。 この歌は、死を自覚した作者の悲痛な心境であり「後世 ごせ は猶今生 なほこんじやう だにも願はざるわがふところにさくら来てちる」と ともに美しくもまた悲痛な秀歌である。 登美子には理解ある弟がいて、姉の作品や蔵 書が大切に長く保存され、よく整理された記念館ができているのは嬉しい。 何年か前 に私は登美子の生家のある小浜市を訪ね、その記念館を見学し、山川家の墓所にも詣 でて来た。 墓所は駅に近い丘の上にあり、土地の名家である山川家歴代の墓の中に登 美子の墓もつつましく建っていた。 悲恋の歌として名高い「それとなく紅き花みな友 にゆずりそむきて泣きて忘れ草つむ」の「忘れ草」は藪萱草のこと、その解釈につい てのある説に対し、今野寿美の歯切れのよい見解が近刊の歌の『ドルフィン』に見え る。 来嶋靖生 三月の歌 大岡 博 千仞の谷にくじけぬ獅子の仔になぞらへて母の仮借なかりき 『童女半跏』) 作者は窪田空穂に学び、歌誌「菩提樹」を創刊主宰した。 誠実温和な作風ながら鋭 い社会批判と人間愛が内在する歌を多く詠み、数多い空穂系歌人の中で際だった存在 感をもつ。 祖父は旧幕臣、維新後慶喜に従って駿府に下り静岡に住み着いた。 父は事 業の傍ら中国革命にも関与し、ほとんど家を顧ぬ人だったらしい。 そのため博は早く から社会に出て一家を支える立場にあった。 この歌は「三月九日、冷雨来たりて暗し」 という詞書と「かかる日に我や生まれし三界の首枷という嘆き負ひては」に続くもの。 武士の家柄という矜りもあり、母の躾はきびしかったのであろう。 その母は、千仞の 谷に落とされても挫けずに生きる獅子の 仔 の故事を説き、艱難に耐えよと博に教え た。 昭和四十二年三月、冷雨降る日に六十才になった博は母の教えをしみじみと思い 出しているのだ。 「仮借なかりき」はきびしい表現だが、実感であろう。 博の長男は詩 人また文芸評論家として大きな仕事をした大岡信である。 博の母の、愛深ききびしい 躾は、博からさらに信へと伝えられているに違いない。 来嶋靖生 二月の歌 尾上 柴舟 つけすてし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき 『日記の端より』) 尾上柴舟が亡くなったのは昭和三十二年(一九五七)だからもう五十年以上前のこ とになる。 美作(岡山県)津山藩士北郷家に生まれ、本名は八郎、尾上家を継いだ。 旧制一高から東京帝大に学び、落合直文に師事、久保猪之吉・服部躬治らと「いかづ ち会」を起こしたが、大正三年自ら「水甕」を創刊主宰し、同誌は現在も健在である。 ここに掲げた歌は柴舟の代表作とされ、世評は高いが、若い頃の私は、結句の「山は 悲しき」でどうにも躓いてしまった。 しかしこれは明治四十三年の作で、当時の短歌 界にあってはむしろ上の句の清新な叙景が注目されたのであろう。 この山は伊豆伊東 に近い大平山とされる。 実際の柴舟を私は知らないが、都筑省吾先生や山本寿さんか ら時折その面影、エピソードなどを聴き、何となく親しみを覚えてきた。 柴舟という と、今の歌壇では先ず「短歌滅亡私論」が思い浮かび、ついで草仮名の高手、ハイネ の初期紹介者などというイメージが先に立つが、近年「水甕」の人たちによって資料 が次々に整備され、新たな研究がめざましく進められている。 来嶋靖生 一月の歌 大岡 博 立ち返る年のあしたを朱ふかく咲きてひそけし寒木瓜の花 『童女半跏』) 大岡博が亡くなって二十七年になる。 昭和二十七年の第一歌集『渓流』以来、私はこの空穂系の先達の歌に少な からぬ関心をもってきた。 今あらためて全ての歌集を読み返すと、さまざまな感慨が 湧く。 祖父は幕臣、父は中国の革命運動にも関わりがあったという血筋だけに、博の 歌の底に流れる反骨の気概、強い正義感は生得のものである。 豊島逃水の縁で窪田空 穂を知って一途に傾倒、その死までひたすらな気持を貫いた。 ここに掲げたのは六十 歳を少し出た頃の歌だが清潔かつ静謐、空穂に学んだ色彩の濃い歌である。 しかしこ の後体調を崩し、年々に詠む新年の歌もしだいに病身を嘆く歌が多くなる。 「ゆるき 坂足曳きのぼり行く我に明るき海か眩しくも照る」。 昭和五十五年作の「歳旦余情」 の一首、この翌年に亡くなっている。 師を思う心とともに、家族への愛も深い。 詩人 大岡信は日本詩歌の世界を大きく広げたが、その力は父博の愛に培われたものであろ う。 『歌林提唱』というすぐれた歌論集も残されている。 来嶋靖生 十二月の歌 与謝野 晶子 鵠沼の松の敷波ながめつつ我れは師走の鶯を聞く 『白桜集』) 与謝野晶子最晩年の作。 この前に「夕月夜片瀬の河の橋くぐる黒き紅葉のなまめか しけれ」があり、後には、「円覚寺衆踏み賜ふ敷石に栗毛の色の紅葉朽ち行く」がある ので、湘南地方で詠まれたものであろう。 師走の鶯はめずらしいが、当時広い松原の あった鵠沼には師走でも鶯の声が聞かれたのであろう。 おだやかな歌である。 巻末近 くにあるので、昭和十六年の作かと思われるが、このころ作者はすでに病を得て静養 中であるから、歌はもう少し前の作かも知れない。 明治中期、近代短歌革新の輝かしい 担い手であった晶子は、その後は文化界全体に活動範囲を広げ、作風も穏和に深まっ て行くが、昭和十年夫の寛と死別して以後は、亡き夫を追慕する歌が主流を占めるよ うになる。 没後纏められた歌集『白桜集』には、孤りこの世に生きる作者の哀切を極 める秀歌が数多く収められている。 「源氏をば一人となりて後に書く紫女年若くわれ は然らず」「我のみが長生の湯にひたりつつ死なで無限の悲しみをする」「梟よ尾雄花の 谷の月明に鳴きし昔を皆とりかへせ」など。 来嶋靖生 十一月の歌 三井 ゆき 変りしはわれか老いゆく母の身かガラスの向うは霜月の海 『雉鳩』) 八十八歳の母をこどもたちが集まって祝った折の歌。 母の姿を見ながらふとわが身 を省みる。 複雑な思いをこめた下の句が美しく、また深い。 この歌の前にある「八十 八年生き来し面ざし母ならぬものを加へてときにかがやく」も母への恩愛の情が甘く 流れずにこめられた佳い歌である。 いま、介護の歌をはじめ老いの歌は歌壇全体を覆 っている感があるが、三井ゆきの「霜月」七首はこころゆかしい一連で、この手の歌 の範としてよい。 高齢者の甘い歌にいらいらさせられる昨今、こういうきっぱりとし た歌に出会うとほっとする。 作者は「短歌人」に属し、亡き高瀬一誌夫人。 夫との死 別はこの後間もなくのこととなる。 夫の介護の日々を詠んだ歌も、緊張した佳作が続 くがこれについては別の機会に触れる。 三十年も前のことになるが、歌壇総合誌に私が執筆しはじめの頃、ある座談会に出 ると、編集者の傍らに美しい速記者がいて目を瞠った。 それが三井ゆきさんとの初対 面であったが、黙礼程度で何も言葉は交わさなかったように思う。 来嶋靖生 十月の歌 栗木 京子 十月の跳び箱すがし走り来て少年少女ぱっと脚ひらく 『綺羅』) 十月は運動会シーズン、そのための練習か、普通の体育の時間か。 下の句「ぱっと 脚ひらく」がこどもたちのきびきびした動作を描き、こころよい。 作者は現在の歌壇 の最前線で活躍している女流。 何年か前の七月にもミシンの歌でこの欄に登場してい ただいた。 その時からこの歌は十月の歌として意中にあった。 去る六月、歌人協会の 短歌講座で作者と同席する機会を得たので、あらためて既刊の歌集すべてに目を通し た。 デビューの頃から現在まで、鋭い感覚と犀利な論理性、説得力ある措辞の斡旋は 変りなく、比喩も巧みだし、むしろ手厚くなっている。 言うとすれば戦後世代だけに、 文語的言い回しにぎこちなさが残る程度、だが破綻を見せるほどではない。 高安国世 創刊の「塔」に属しているが、先進の誰かの影響を強く受けた様子は、作品の上から は見えてこない。 歌も容姿も目立ちやすく、論じられることの多い人なのだが、私の 読んだ限りでは、納得できる栗木京子論はまことに少ない。 論者のほうが作者に及ば ないのだ。 まだ未知の部分を秘めている人である。 来嶋靖生 九月の歌 岩本 素白 いましめ うろたへて死ぬべき時に死なざりし人のうへ見ぬ 戒 とせん 「信濃詠草」) 岩本素白は歌人ではない。 専ら随筆を書き、早稲田大学の講壇にも立っていた。 昭 和二十年五月の東京大空襲で罹災、家財一切を消失した。 蔵書も資料もなくなっては 大学の教師は勤まらないと、大学へは即刻辞表を出し、縁戚を頼って信州屋代町に疎 開した。 机もない、枕もない、という生活で、素白は鉛筆と紙さえあればできる短歌 を詠みはじめた。 発表する気はなく、日記のように書き付けていたものらしい。 昭和 三十七年、作者長逝の後、発見された「信濃歌日記」短歌七百八十七首のうち三百十 八首と長歌三章が令息朝彦さんによって整理され「槻の木」に発表された。 歌は、平 明に詠まれる中におのずからの気品がただよい、その素養の深さ、さすがと思わせら れる。 掲げた歌は「九月十日、某将軍自裁の記事を新聞に知りてその死に損ねしを哀 れむ歌」四首の内の一。 函館五稜郭に立て籠った武士を父にもつ素白は、幼時から死 に際は潔くあれと、父から切腹の作法まで教えられていたらしい。 軽い所感のようだ が、素白の潔癖な性格が、またその死生観が窺える歌である。 来嶋靖生 八月の歌 佐 藤 佐 太 郎 味噌汁をあたたかに煮てすするときわが幸は立ち帰り来む 『立房』) 昭和二十年の作。 この歌の少し前に「昭和二十年八月十五日以後」という歌があり、 続いて「山河」と題する一連の中にこれがある。 「ことごとくしづかになりし山河 やま かは は彼の飛行機の上より見えん」「眼をとぢてわれは思ひぬ清き香は夜昼となく地 つち より立たん」などの歌とともに、長い戦争が終わった安堵感がただよう。 ここ にある「味噌汁」は同じ味噌汁でも平時の味噌汁とは違う。 背後に戦時中の不自由な 耐乏の日々があり、また安心して食事のできる平安の歓びがある。 またこの頃の歌に は、不要となった防空壕を埋める歌や、焼跡を歩く歌などが見える。 戦後六十年以上 経過した今、この頃の生活感情も次第に風化してゆくが、わたしたちの世代にとって は、何よりもここがすべての原点であった。 佐藤佐太郎は敗戦当時は三十六歳、その 歌は事柄を極度に削ぎ落とし、単純に徹している歌だが、こういう混乱期にあってか えって純粋に、詩の深奥に迫る趣がある。 しかしこうしてもたらされた平和だが、こ の後には戦時中にもまさる物資不足、窮乏の生活が待っていた。 来嶋靖生 七月の歌 宮 柊二 はう ふづき うなづら 砲の音と錯覚したり七月某日海側のかたに遠花火あがる 『晩夏』) 夏は花火のシーズン、とくに海辺では花火の催しが多い。 この歌は第二次大戦終結 後間もない昭和二十三、四年頃の作である。 戦時中、兵士として中国大陸にあった作 者、まだ戦地の記憶が痛烈に身のうちに残っている。 七月のある日、遠い花火の音が 海のほうから聞こえた。 一瞬、砲の音かと錯覚した、という歌である。 まずその錯覚 を第二句までで言い切り、一拍おいて事実を述べた簡明な歌。 戦後六十余年、戦争経 験者、つまり当時の砲の音を知る人は徐々に少なくなっているが、また新しい形で恐 怖を呼び覚ます音は生まれつつある。 作者はこの少し前の七月には「ゆらゆらに心恐 れて幾たびか憲法第九条読む病む妻の側 わき 」 『小紺珠』 とも詠んでいる。 いま憲 法論議は盛んだが、ここに挙げた二首、戦争を否定し、憲法擁護の歌として極めて説得力 がある。 歌集『晩夏』は、学生時代に私は先輩から借りて読んだ。当時はこの「遠花火」 の歌に気づかなかったが、ここに来て大きな力のあることを覚った。 若い頃には見え なかったことも、年齢や時の変化によって見えてくるものらしい。 来嶋靖生 六月の歌 辺見 じゅん 麦の穂の熟れゆく頃と告げし兵 死にきと父の声の昂 たかぶ る 『秘色』) 父の戦場回想をもって一首としている。 戦場で死の直前にある兵士が、いまごろ郷 里では麦の穂が熟れている頃だ、と言って息絶えた、ということである。 敗戦後復員 して来た父が家族に戦場体験を語っている場面である。 その時の父の昂ぶりは、まだ 幼い娘であった作者の心に、何にもまして強烈に印象づけられた。 歌集『秘色』は戦 後五十年以上経って刊行された歌集だが、長い間作者の胸に温められてきた思いであ る。 こ の歌の心はその後の作者の仕事の原点とさえ言える。 父は角川源義。 角川書店創業者 であるとともに俳人でもあり民俗学者でもあった。 娘は父を思う心篤く「遠山にきれ ぎれの虹つなぎつつ我が父の座に雪は降り積む」という名歌を残している。 短歌だけ でなく、『男たちの大和』や『収容所から来た遺書』『レクレイム・太平洋戦争』な どノンフィクション、ドキュメンタリーにも多くの作を著している。 来嶋靖生 五月の歌 半田 良平 言挙げを吾はせねどもうら深く国を憂ふる者の一人ぞ 『幸木』) 昭和二十年五月十九日に半田良平は亡くなった。 第二次大戦が終わる僅か三ヵ月前 である。 三男がサイパン島で戦死し、自らも病床にあり、戦局の非を痛感していた良 平は国の前途を危ぶんで、三月にここに掲げた歌を詠んだ。 良平は窪田空穂のもっと も早い門下生の一人で、少年時代、半田暁声の名で「電報新聞」に短歌を投稿、空穂 に師事した。 松村英一、植松壽樹とともに「国民文学」の三羽烏と謳われた。 栃木県 の農村に生まれ、旧制二高から東京帝大英文科に進んだ。 大学ではアーサー・シモン ズを研究、卒業後は教職につき「国民文学」随一の知性派として知られ、創作だけで なく研究・評論面でも活躍した。 鋭い批判精神をもち、昭和初年「蔑めるナチスドイ ツと防共協定をなさねばならぬ時いたれりや」「いつよりか軍需景気といふ声を空吹 く風のごとく聞きをり」など、あからさまに政治批判の歌を発表しているが、当時と しては勇気のいることであり、また危険なことでもあった。 死後刊行された歌集『幸 木』は昭和二十四年、第五回日本芸術院賞を受賞した。 来嶋靖生 四月の歌 三枝 昂之 甲斐ヶ嶺の神代桜咲きなむか心で会いて春を逝かしむ 『農鳥』) 甲斐ヶ嶺は文字通り甲斐の国の山々だが、多くの場合南アルプスの山、とくに白根 三山(北岳・間の岳・農鳥岳)を指すことが多い。 作者三枝昂之は甲府の出身、甲州 の風土や地名を採り入れた秀歌が多い。 歌集名の『農鳥』も山の名である。 歌は神代 桜を詠んでいるが、前後から推して病床の母を思う歌であることがわかる。 見舞いに 行きたいが仕事のために行けないことを「心で会いて」と言っている。 母を思う歌で は「海という言葉母から聞かざりき海なき九十一年を過ごししか母は」もある。 生涯 山梨県から出なかった母なのだ。 作者は七十年安保の頃、学生運動の渦中から作歌を はじめ、学生歌人としてデビュー。 のち作歌とともに研究活動にも打ち込んでいる。 『前川佐美雄』『昭和短歌の精神史』などは短歌史に残る名著である。 作者は学生時 代の激しい反体制の歌からこういう人間味溢れる暖かい歌まで幅広い領域を持つ。 父 は「国民文学」「沃野」の幹部同人であった三枝清浩、心臓を病んで戦後間もなく亡くな った。 弟は現歌壇で活躍している三枝浩樹。 来嶋靖生 三月の歌 島木 赤彦 我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる 『柿蔭集』) 大正十五年三月二十七日、島木赤彦は世を去った。 この歌は六日前の二十一日、夕 食を済ませた後、次女の初瀬に口述して書き取らせた歌。 赤彦最後の歌とされる。 こ の年早々、赤彦は胃癌で手術不能と診断され、日を追って病勢は進んだ。 歌は言葉や すらかに「今宵も思ひいでて眠れる」と、家に帰ってこない犬を案じているが、この 歌の前にある「たまさかに吾を離れて妻子らは茶をのみ合へよ心休めに」とともに家 族も犬も含めて命あるものへの深い愛惜の心から生れたもの。 赤彦と言えば鍛錬道と か、万葉偏重、排他的結社制の元祖など否定的な評価もあるが、五十年に満たない一 生をひたぶるに短 歌へ打ち込み、また一方 人としても心やさしい情愛の持主であっ た。 赤彦あればこその近代短歌である。 なお「みづうみの氷は解けて」「信濃路はいつ 春にならん」「夕焼け空焦げきはまれる」など著名な歌は多いが、最晩年のこの歌こそ 赤彦生涯の最高傑作と私は思っている。 なお斎藤茂吉の「島木赤彦臨終記」は赤彦の 臨終に至る十日間のありさまを心をこめて綴った名文である。 来嶋靖生 二月の歌 釈 超空 きさらぎのはつかの空の月ふかし。 まだ生きて子はたたかふらむか 『倭をぐな』) 昭和二十年二月十九日、アメリカ軍は硫黄島に上陸を開始した。 三日前から約九百 隻の艦船による艦砲射撃を続け、六万の地上兵力を投入してきた。 日本軍は陸海軍合 わせて二万三千、この中に釈超空の養子藤井春洋がいた。 激しい戦闘の後、司令官栗 林忠道中将の「国の為重きつとめを果たし得で矢玉尽き果て散るぞ悲しき」の電報を最 後に全員玉砕して果てた。 近年書籍・映画で採り上げられ、 本誌でも廣田光男が紹介 話題となった。 春洋は親しく超空の薫陶を受け、國學院大学教授であったが十八年に 再応召、硫黄島に赴任した。 この時超空は戦局の非を察知し、春洋を洋嗣子として入 籍する。 この歌にある二月二十日はまだ激戦のさなかであったろう。 全員玉砕の発表 があったのは三月に入ってからであるが、玉砕と伝えられた二月二十八日を春洋の命 日とした。 歌集『倭をぐな』は敗戦前後の超空の悲嘆慟哭の思いのこもる歌集で、死 後刊行された。 なお超空は戦後間もなく、二人の共著の歌集『山の端』を出し、春洋 の遺歌集『鵠 たづ が音 ね 』の刊行を終えて世を去った。 来嶋靖生 一月の歌 石川 啄木 何となく、今年はよい事あるごとし。 元旦の朝晴れて風無し。 『悲しき玩具』) 明治四十四年「創作」一月号に発表された。 原作は三行書き。 「よい事あるごとし」 は予感というより願望に近い気持であろう。 この年一月三日、啄木は与謝野鉄幹宅に 年始の挨拶に行き、帰途、同行した平出修のところに立ち寄る。 平出は「明星」の同 人でもあり弁護士でもある。 啄木は平出からいわゆる大逆事件についての内容を聞 き、弁護人に託した幸徳秋水の陳弁書を借りて四日から筆写を始める。 七日の日記に は「この陳弁書に現れたところによれば、幸徳は決して自ら今度のような無謀を敢て する男でない」と書く。 しかしその後下された判決は二十四名死刑という極刑で、啄 木は激しく興奮し「余の思想に一大変革ありたり」と意識する。 またこの頃、はじめ て土岐哀果と対面、意気投合して新雑誌「樹木と果実」創刊を企画、哀果からクロポ トキン自伝などの「国禁」の書を借用、愛読する。 哀果との邂逅は確かに「よい事」 だったが、啄木自身の健康は徐々に悪化して行く。 翌四十五年の新年は病苦と貧困の うちに迎え、四月十三日に世を去る。 二十七歳(数え年)であった。 来嶋靖生 十二月の歌 若山 牧水 膝寄せてもろ手かざせば炉のなかの燠は静かに燃え入りてをる 『黒松』) 大正十五年(一九二六)の作。 歳末、自宅の炉端で静かに時を過ごしている。 少し 前には「鉄瓶を二つ炉に置き心やすし一つお茶の湯ひとつ燗の湯」という歌もある。 「膝寄せて」以下、上の句の流麗な調べはいかにも牧水らしい。 結句の「をる」も、 今の幼い歌人なら「ゐる」とするところ。 こういう場合「をる」が本当だよ、と都筑 先生から私は教えられた。 この年五月、牧水は詩歌の総合雑誌「詩歌時代」を自ら企 画、華々しく創刊するが、資金が続かず十月号で廃刊となる。 その失意もこの歌には 反映しているかも知れない。 この頃から体調も徐々に衰え、二年後の昭和三年九月、 四十四才で世を去る。 病名は肝硬変、旅と酒の名歌を多く残した牧水だが、やはり酒 が過ぎ、次から次へと続けた旅も疲労の蓄積となったのであろう。 名声の割に経済的 に恵まれないのは当時の歌人に共通のことだが、とりわけ牧水は定職がなかったから 一層苦しかったに違いない。 数多い旅の中には色紙短冊の揮毫によって収入を得る目 的もあったという。 あまりにも短い一生であった。 来嶋靖生 十一月の歌 松倉 米吉 かなしもよともに死なめと言ひてよる妹 いも にかそかに白粉にほふ 同歌集) 大正八年(一九一九)十一月二十五日、松倉米吉は世を去った。 あと一 ト 月で二十 四歳になるという若さである。 新潟県糸魚川に生まれ、高等小学校在学中、再婚した 母を追って上京、鍍金 めっき 職人、挽物職人となって働いた。 大正二年「アララギ」に 入り、早川幾忠や高田浪吉と若手の勉強会を結んで作歌に励んでいたが、肺を病んで喀 血、十分な治療も受けられぬまま貧窮のうちに亡くなった。 歌の「妹」は恋人。親方の娘 で相愛の仲、しばしば米吉を見舞った。 「かび臭き夜具にながながこやりけりこのま まにしていつの日いえん」「かうかうと真夜を吹きぬく嵐の中血を喀くきざしに心は 苦しむ」など哀切な歌が胸を打つ。 死後友人たちの手で歌集がまとめられた。 米吉は 啄木と「アララギ」と現代短歌を結びつける接点だと言った評者もいる。 貧窮、貧困、 貧乏といった言葉が実質を失ない、その実感は一定の年齢以上の人にしか通じないよ うな現歌壇であるが、米吉の歌は私にはいまなお新鮮に響く。 早稲田の短歌会の頃、 この歌集を一読するように勧めてくれたのは篠弘であった。 来嶋靖生 十月の歌 大岡 博 浪の秀に裾洗はせて大き月ゆらりゆらりとあそぶがごとし 『春の鷺』) 昭和五十六年十月一日は大岡博の命日である。 この歌は死後刊行された歌集『春の 鷺』に収められているが、作者の代表作というべき歌。 三島市寿楽園に歌碑となって いる。 海の上に昇って行く月を、ゆらりゆらりと遊ぶようだ、と言う。 子息の信は「遊 魂」という言葉を連想すると言っているが、まことに月であって月を超える、深い魂 の歌である。 この歌、実は作者が亡くなる年の四月、熱海病院に入院した折の歌、つ まり四月の月なのだが、仲秋名月としても差し支えないと思ってここに掲げた。 今宵 の名月は、十月一日に亡くなった大岡博の魂なのである。 作者は幕臣の末裔。 歌は窪 田空穂に学び、昭和六年「菩提樹」を創刊した。 穏和な歌風だが鋭い社会性、批判性 をもち、晩年はさらに人間的な深い奥行が加わって重厚な骨太の歌を多く詠んだ。 空 穂門下の歌人は数多いが、この人こそ目立たぬところで自らを貫いたほんものの歌人 である。 空穂会のことで私は作者としばしば語る機会があり、貴重な多くの導きを得 た。 本格的な研究や評伝がなされるべき人である。 大岡信の父。 来嶋靖生 九月の歌 伊東 千鶴子 我 わが 立てる土につづきてほど近くまこと戦 たたかひ はじま りしとふ 『昭和万葉集巻二』) 一九三一年(昭和六年)九月十八日午後十時三十分過ぎ、旧満州(中国東北部遼寧 省)奉天市(現・瀋陽市)北方の柳条溝付近で鉄道が爆破された。 夜間演習中であっ た日本の独立守備隊は「支那軍が線路を爆破」と報告、すぐに軍事行動を起こして奉 天を占領した。 いわゆる満州事変である。 作者は「水甕」の会員で、おそらく奉天に 居住していたのであろう。『昭和万葉集』には同じ作者の歌で「ふとさめし夜ふけの街 を何事ぞあわただしくも往きかふ自動車」という歌も収められている。 当時私たちは 現地から三百キロ南の大連に住んでいたが、母は生まれて二月にみたぬ靖生を抱え、 いつ匪賊や馬賊が攻めてくるかも知れぬと、毎夜眠れぬほど不安な日々を過ごしたと いう。 だから現地奉天在住の人々の緊張はいかばかりであったろう。 この事件は、実 は日本軍の仕掛けた謀略で、これを口実に軍隊が一斉に出動、中国東北部一帯を制圧、 傀儡国家満州国の独立を導く。 日本軍で仕組んだ事件だという噂は当時から囁かれて いた。 こうして日本は、長い十五年の戦争に傾れ込んで行く。 来嶋靖生 八月の歌 水野 昌雄 雲一つ無かりし夏の正午のことそれにて通じる同じき世代 『正午』) 作者は昭和五年生まれ。 長く教育現場にあり、反戦平和の思想を純粋に守り、貫い て歌い続けている良心派の歌人。 さて、この歌一首だけを取り出して「通じる」人は、 年々少なくなりつつあろう。 あの頃、中学二年生だった私には、日本が敗ける、敗け た・・など、信じられないことであった。 八月十五日正午、対戦車壕堀りの動員現場から、近くの中学校の校庭に集合した私 たちは、整列して頭を垂れた。 詔書や勅語はそうして承るのが慣いであった。 ラジオ は雑音がひどく、言葉はほとんど聞き取れない。 「更ニ敵ハ残虐ナル爆弾を使用シ」 「五体為ニ裂ク」「堪ヘ難キニ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ」といったフレーズが断片的に、耳 に飛び込んでくる。 あの奇妙な抑揚をもった声は、ほんとうに天皇陛下の声なのか、 などと疑いながら聞いた。 この詔書、天皇は「更ニ敵ハ残虐ナル爆弾を使用シ」と明 確に述べている。 にも拘らず、六十年経った今、国務大臣が「原爆投下はしようがな い」という日本になってしまった。 風化もここまでくると恐ろしい。 来嶋靖生 七月の歌 藤沢 古実 深山木 みやまぎ の倒れ木あまた越えて来つ人の入りけむ跡さへもなし 『国原』) 作者藤沢古実は明治三十年長野県上伊那郡箕輪の生まれ、東京美術学校彫刻科卒。 島木赤彦に学び、土田耕平、高田浪吉らとともに大正期「アララギ」のホープと謳わ れ、赤彦を輔けて編集実務に携わった。 「木曽馬吉」というペンネームを使用してい た時期もある。 赤彦直伝の堅実な写生に徹した作風で、とくに甲信地方の山々を踏破 して詠んだ歌は、近代短歌の山岳詠の先駆として、今読んでも新鮮である。 ここにあ げた歌は「赤石山脈縦走」(今の南アルプス)という大連作の一首、ほかに「朝日さ す山上の霧にこゑかなし子をつれ歩む雷鳥の声」「山越しの嶺 ね 越しの雲のゆるやか に身をふるるこそ寂 しづ けかりけれ」など臨場感に富む歌が多い。 関東大震災の折 にも力作を残している。 しかし恋愛問題から平福百穂、斎藤茂吉ら「アララギ」幹部 との間に確執が起こり、退会を余儀なくされた。 恋人が絵画のモデルであるという、 今なら考えられない職業蔑視の圧力であった。 退会後は郷里に帰って歌誌「国原」を 創刊、後進の指導に当たった。 昭和四十二年没。 来嶋靖生 六月の歌 都筑 省吾 御玄関先六月の空に立てる槻きらめき光る今日我が来れば 「槻の木」昭26. 6) 「御玄関先」は窪田空穂邸の玄関。 今もこの「槻」の木は隆々と立っている。 六月 八日、師の誕生日を祝う作者のいわば挨拶の歌。 なぜか『都筑省吾全歌集』には収め られていない。 が、私には忘れられない歌だ。 昭和二十六年五月某日、私は先輩原田 清と高田敏に伴われて三浦荘に先生を尋ね、入会のことを申し上げた。 先生は話の後 で「君、歌をもってきましたか」 まだこの日はこういう言葉遣いであった といわれ た。 いいえというと「ではこの紙の裏に書きなさい」と言って、書きかけの原稿用紙 を三枚ほど下さった。 私はノートから十首ばかり、拙い歌を拙い字で書いて差し出し た。 先生はそれを、口の中で何度も何度も呟きながら、太いペンで直してくださった。 それが七月号に載った私の初め ての歌だが、そのもとの紙に書いてあったのが、この「御玄関先」の歌である。 もう 一首は「悉く身は削られて浪の上 へ に岩となる島 松此処に老ゆ」であった。その時は 歌の佳さより何より、変わった字だなあと驚き入るばかりであった。 来嶋靖生 五月の歌 影山 一男 今生の訣れ告ぐるか納骨の読経の間 あひ に五月の雨よ 『空には鳥語』) 平成六年の作。 当時作者は四十歳を過ぎて間もない頃。 四月十一日に母を喪い、三 十五日の法要を営んでいる。 五月の雨は悲しみの雨だ。 こどもの頃、私は死んだ兄の 法事で、お経は生きている人に聞かせるものなのよと祖母に言われ、当否は知らず、 熱心に読経を聞いたものである。 この作者も母との「訣れ」を意識して慎ましく聞い ている。 「働きて子を産み育て贅ならず貧しき昭和の母たり妻たり」という歌が続く。 上の句、わが母もそうだったと共感を呼ぶ。 東京下町、家業は町工場だったという。 江戸っ子らしい気っ風のよさ、さわやかな人柄が歌にもにじみ出て、晴れた青空のよ うな歌風。 自ら柊書房を営む。「マゼンタとシアンの配合毒薬と媚薬のよやうに愉しむ われは」は出版人ならではの歌。 最近は碁の手があがり「敗着となりし一手がわから ずに五十歳越えつ終局近し」といった渋い歌もある。 若い頃は痩身で、宮柊二を思わ せる風貌であった。 その頃、私とは(建物は違うが)同じ『昭和万葉集』編集作業で 苦楽をともにしたいわば「戦友」である。 「コスモス」編集委員。 来嶋靖生 四月の歌 今野 寿美 かたちよき姫神山も春さらば笑ふか胡桃の雄花ゆるるか 『龍笛』) 四月十五日は石川啄木の命日。 作者はその前後、四月何日かに啄木の生地、岩手県 渋谷村を訪れた。 いまは市町村合併で村や町の名が変わり、平成十八年四月から盛岡 市に編入されて「渋谷」の名は玉山町の大字として残るばかり。 詠まれている姫神山 は渋谷の東のあり、標高一一二三・八メートル。 ゆるやかな稜線が美しく、まことに 「かたちよき」姿をしている。 啄木が「ふるさとの山にむかひて言ふことなし」と詠ん だのはこの山と、西側に聳える岩手山の双方を差していると言われる。 この歌は「雪 むかへ」という十六首のうちの一首。 下の句が明るく、春を待つ心躍りをさわやかに 言う。 多才な作者は「北上の柳のせゐにするとてもあんなに泣いた男はあゐない」とユ ーモラスに歌ったり「安らぎはうめばちさうの白さにて家出時代の節子うつくし」と いったやさしい歌も見せる。 現在、三枝昂之氏とともに「りとむ」の中心にあって活 躍している。 余談だが、平成十八年九月三十日、私は妻と好摩の駅から山頂に登り、 念願の美しい稜線を伝つて渋谷へ降りてきた。 来嶋靖生 三月の歌 花山 多佳子 おのおのの葉むらのかたち枝のかたちにつもりて已みぬ三月の雪 『春疾風』) 三月、降り続いていた雪が已んだ状態。 雪は「葉むらのかたち」に積もっている。 また「枝のかたち」に積もっている。 作者が見ているものは目の前に展開している 「かたち」である。 その「かたち」は雪の降る前とは違う。 降っている時とも違う。 作者は降る雪がもたらした葉むらや枝の「かたち」の不思議に注目している。 あとは 読者が考えればよい。 作者は自らの感覚を押しつけようとせず、淡々と詠んでいる。 そこがこの人の不思議なのだ。 歌から説明的要素をいさぎよく捨て、あわせて通俗性 もきびしく排除する。 常識的な理解や感覚を超えたところに独特の詩情を結ぶかのよ うだ。 虚をつかれたような読後感を得ることもある。 だが先年、ある雑誌で長歌の特 集があり、この人の長歌に私は感心した。 描写と感覚の微妙な均衡を保つ歌であっ た。 力のある人なのにあまり目立たない。 作品の提示にあたってつねに寡黙だからで あろうか。 近頃、自己顕示欲まみれの歌人が多い中で貴重な存在。 昭和十七年生まれ。 高安国世に師事。 「塔」に所属。 来嶋靖生 二月の歌 小中 英之 生きながら傷の雄鹿は凍つるべし二月の沢の水音のうへ 『わがからんどりえ』) 月の異称でもっとも詩歌に多く使われるのは「きさらぎ」であろう。 漢字の「如月」 も佳いが、耳で聴くときの音感も美しい。 小中も「きさらぎ」を愛用した一人で『わ がからんどりえ』の中にも数多く見ることができる。 がこの歌では「二月」を採用し、 「きさらぎ」は捨てている。 詩とその言葉に関する感性は鋭敏かつ繊細で、一語一句の 選択に厳しく、一首の調べを尊ぶこと、同年配の友で彼の右に出るものはない。 昭和四十五、六年か、私が商業誌や新聞など結社外の場にものを書き始めた頃、新 宿でしばしば会い、串カツなど囓りながら飲みかつ語り合った。 意気投合した挙句、 無謀にも私は病身の彼をある大きな短歌企画の仲間に引き込もうとした。 今から思え ば無理な話で長続きはしなかったが、嫌な顔もせずにつきあってくれた彼に今も感謝 と悔いが残る。 掲げた歌の 雄鹿はあるいは自画像かも知れない。 恩師の安東次男は 「きさらぎの雪にかをりて家族らは帰ることなき外出をせよ」を採り上げているが、こ こでは触れない。 平成十三年、六十四才で世を去った。 来嶋靖生 一月の歌 三枝 昂之 りんりんと凍てるばかりの空遠し甲斐ケ嶺はわがまほろばである 『天目』) 「同じ昭和十九年一月三日、私は山梨県甲府市に生まれた」と詞書がある。 「同じ」 とあるのでわかるように、これは一月三日に発生した出来事を順次詠み連ねて三十数 首の連作としたもの。 実におもしろい。 「誰も来ぬ一月三日国民の団結を説き次の年 なし」明治四十五年の啄木。 この後四月十三日に亡くなつた。 「さびしさの果てに生 まれてうるわしき哀傷篇拾遺、城ケ島の雨」は大正二年の北原白秋。 「歌びとの茂吉と 茂吉銀座には春のうららがたっぷりとある」は昭和九年の斎藤茂吉と山口茂吉。 「声 揃える遠き姿は吾である 善麿、文明、哲久、修」は昭和十五年つまり紀元二千六百 年の歌人たちの姿。 最後に「後方宙返り バクテン をしても還らぬ故郷やなにはとも あれ還暦となる」で結ばれる。 近年著わした大著『昭和短歌の精神史』との相互関係 も窺われて興は尽きない。 一月三日といえば、戦前のカレンダーには赤い字で「元始 祭」と記され、一月五日の「新年宴会」ととともに小学生には不可解な日であった。 ともあれこういう形で歴史を、文学を、人生を顧みることを教えられた。 来嶋靖生 十二月の歌 春日 真木子 歳晩の町を隔つるひとところ伸びあがりたる青きひとむら 『燃える水』) 何年か前のこの欄で、昭和十六年十二月八日の臨時ニュースを聞いた時の松田常憲 の歌を紹介したが、作者はその常憲の息女にあたる。 父の志を継ぎ、雑誌「水甕」の 発行責任者として八面六臂の活躍を続けている。 歌は竹叢を遠望しての歌だが、実は この後に続くさまざまな竹の歌に作者の心は拡がって行く。 とくに「戦時下の昏きに 編める『竹酔日(ちくすゐじつ)』根のひろがれと父の名付けし」に私は立ち止まる。 「竹酔日」とは陰暦五月十三日のこと。 中国の俗説で、この日に竹を植えればよく繁 茂する 『広辞苑』 という。 戦時中、短歌雑誌にも次第に統制の波が押し寄せ、将来 が案じられていた頃、作者の父は「水甕」の年間歌集名にあえてこの語を選んだ。 年 の暮れ、作者はかなたの竹叢を望み見て、「根のひろがれ」と願った父の心を思い、 今に繋がる「水甕」に思いを馳せている。 「水甕」は大正三年四月、尾上柴舟を中心 に創刊された、歌壇屈指の老舗雑誌。 柴舟の後、主幹は松田常憲、加藤将之、熊谷武 至、高嶋健一、と繋がり、現在の春日真木子に至っている。 来嶋靖生 十一月の歌 土屋 文明 当用漢字新かなといふもので書いたとて誰か読むらむ歌はささやか 『読書南集』) 昭和二十一(一九四六)年十一月十六日、内閣告示第三十二号として公布されたの が「現代国語を書きあらわすために日常使用する漢字の範囲 当用漢字表 」であり、 同じく第三十三号で公布されたのが「現代国語の口語文を書きあらわすかなづかい 現代かなづかい 」である。 これが戦後の国語国字問題の発端であり、国語問題諸悪 の根源ということになる。 告示には強制力はないはずだが、占領軍の圧力もあって、 官公庁の文書、学校教育、新聞などがこぞって同調協力したために文学の世界にも現 代かなづかいが浸透するに至った。 やがて本来の正漢字や歴史的かなづかいで書くと 若い人は読めない、難しいという俗論が横行する。 土屋文明の歌はその俗論を嗤う。 「当用漢字や新かなづかいで書いたからといって短歌が多く読まれることがあろうか。 決してない。 歌は多くの読者(大衆)に読まれなくてもよいほどの、ささやかなもの なのである」と。 ここには表面的な平易を求めたがる俗論を冷笑する確固とした自負 がある。 この矜持と自戒こそ今の歌人に必要なのではないだろうか。 来嶋靖生 十月の歌 小池 光 いまだおさげのゆり子先生「青い山脈」の歌を教へきわれら児童に 『日々の思い出』) 昭和六十一(一九八六)年十月から翌年九月までの一年間、一日一首一ヵ月分を一 連とする企画として「現代短歌『雁』」に発表されたもの。 その後次々に類似の企画が 出現したが、この「日々の思ひ出」がいわば元祖といってよい。 作者は「あとがき」 で、日付が同時に写るカメラを例にして、公園のベンチの写真でも日付が入るとただ のベンチではなくなり「ただのベンチとして見てはならないという視線を観る側に誘 引する」と述べ、さらにこれは「高級一眼レフで撮った<芸術写真>でない」と言い 添えている。 私は発表当時、この試みとコメントは優れた現代短歌批判だと思った。 ここにあげた歌は詞書に「十月八日(水)石坂洋次郎死」とあり、「青い山脈」の歌 を年若い先生が小学生に教える、という戦後的一風景で、さわやかな歌だがとくに斬 新な歌ではない。 が、一連全体を読み進めて行くと、当今の歌壇的短歌が陥っている 病的現象が逆に浮かび上がってくる。 自分のカメラを「高級一眼レフ」と錯覚し、そ の貧しい作を<芸術写真>と盲信しているめでたい男女が歌壇には満ち溢れている。 何が歌か、を考えさせてくれる歌である。 来嶋靖生 九月の歌 伊藤 一彦 松川事件無罪判決夕刊に読みよろこびき二十歳の誕生日 『海号の歌』) 作者は一九四三年九月十二日に宮崎市に生まれた。 作者と私とはかなりの年齢差が あるが、心の動きは近いようで、この歌に注目した。 すぐ前に「海に向き海を見てゐ ず学徒出陣始まりし年にわれは零歳」があり、早くから歴史や時代の動向に敏感な少 年であったことを知る。 高校時代は新聞部長として活躍したと年譜にあるが、作者の 出身校は秀才の集まる大宮高校、高校新聞でも九州で一、二を争う存在だった。 実は 私も高校新聞経験者で、全九州高校新聞連盟総会などと称して各県の代表が別府や阿 蘇に集まり、社会の木鐸気取りで気勢を上げたものである。 だから大宮高校新聞部と 聞くと、ついゾクッと胸が躍るのだ。 学徒出陣にせよ松川事件にせよ、当時の意識的 な学生の大きな関心事であった、『松川歌集』には篠弘や私の歌も収められているが、 その頃互いに知っていれば伊藤一彦の歌も『松川歌集』に入り、歌集に新たな色彩を 加えていたかも知れない。 右、なかば個人的な懐古談になったが、今とは違う時代の 青春を伝える歌として、どうしても一言言いたかった次第である。 来嶋靖生 八月の歌 尾崎 左永子 夜の鏡みれば思ほゆひと日ひと日空爆の下に生きたりしこと 『星座空間』) 戦時中の体験は昭和一桁以上の世代には命と等価である。 もはや六十年以上も前の ことになるが、「空爆の下に生きたりし」記憶は決して拭い去ることのできぬものであ る。 この歌、初句と二句でまず読者を引きつける。 「何で夜の鏡」? と訝しむその 次に「姉いもうと鏡を食卓に持ち寄りて乏しき蝋の灯を明かるめし」という歌があっ てそうか! と膝を打つことになる。 灯火管制の下、電灯はもとより、蝋燭の火さえ 洩らすことの許されない日々であった。 鏡を持ち寄るとは、何と悲しく、いじらしい 知恵であろう。 これらの歌は「八月悲歌」と題する五十首の連作として歌集に収めら れている。 「終戦のかの暑かりし曇り空わが十七才は透く翅に似る」とあるように、十 七才の少女が眼で見、肌で味わった貴重な時代の証言、迫力にみちた記念すべき力作 である。 作者は佐藤佐太郎に学び、松田さえ子の名ではやくから頭角を表わした。 若 き日は放送作家として活躍、その後領域を広げて古典に親しみ、エッセイストとして 文芸全般に清新な一風を立てている。 近年みずから「星座」を創刊した。 来嶋靖生 七月の歌 栗木 京子 七月の夜に思ひ出づミシン踏む母の足白く水漕ぐごときを 『綺羅』) 作者栗木京子は「塔」に所属、岐阜に住んでいるが、活動範囲は全国にわたり、現 在もっとも活躍している女性歌人の一人。 「観覧車回れよ回れ」の歌をはじめ「天敵を もたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌乾くまで」など、あまりにも著名。 繊細な感覚、 斬新な発想、時代に対する批評性など、この作者の歌に必ず冠される評語だが、私も 異存はない。 ここにあげた歌はこの作者の歌にしては地味なほうだが、ミシンを踏む 母の足を「白く水漕ぐごときを」と表わしたところが美しく、また時代のかなしみを 湛えている。 当時、多くの市民の家庭には足踏み式のミシンがあり、夏の夜の住宅地 にはミシンを踏む音がよく聞かれた。 「洋裁」という言葉が日常の中に生きていた頃 である。 同じ歌集に「ミシン針上がり下がりして布すすむ雪の日は返し縫ひのしづけ さ」という歌もある。 ミシンは好みの素材なのかも知れない。 作者とはある新人賞の 選考会で同席したことがあるが、若い人の歌に対する的確で鋭い読み、そして授賞式 での選考経過の明晰な批評に感嘆したことがある。 (来嶋靖生) 六月の歌 藤井 常世 あぢさゐの葉群しづまる夕やみに湛ふる水のごとき花あり 『繭の歳月』) 「水無月の川」と題する六首の歌の冒頭にある。 静かな夕闇のなか、葉の間にひっ そりとあじさいの花が見える。 それを「湛ふる水のごとき」と言う。 澄んだ、静謐な 歌である。 いまや騒々しい、饒舌な、才知きらめく歌が幅をきかせる現代短歌の中 で、貴重な存在。 一連の末尾は「ひとすぢに思えるものを ふりむけばあぢさゐの花 かき消えてゐる」で結ばれる。 こういう歌に出会うと、私はほっと安堵の胸をなでお ろす。 釈超空の高弟を父にもつ作者、その血液には自ずから一門の共有する詩情が流 れているのであろうか。 第一歌集『紫苑原野』の出版記念会に出て以来、ことさらに 親しく話し合ったことはないのだが、私はこの人の歌と波長が合うらしく、ずっと関 心をもち続けてきた。 かと思うと「縊れむにほどよき枝と見てゐたり水無月情死の川 くだりきて」といったギクリとさせられる歌も詠む。 が、本領は「気を裂きて笛は鳴 りいづこの世ならぬものを呼ばむと息あつくする」(氷の貌)といったところにあろ う。 「人」解散後、自ら「笛」を主宰している。 (来嶋靖生) 五月の歌 佐 佐 木 幸 綱 新生児弟を見むと伸び立てる兄のうしろに窓さしのぞく 『金色の獅子』) 「五月十九日」と題する一連の中より。 一九八六年の作。 「新生児弟」は作者の次男 定綱くんであろう。 その「兄」は長男頼綱くんであろう。 はじめて見る弟を背伸びし て見守る幼い兄の姿がかわいく、微笑ましい。 前後の歌には「桃の実の小さき五月十 九日われに二人目の男 を の子来たりぬ」「ほのぼのと初夏の夕べに生まれ来ぬ地球北 半球初夏の夕べに」「かすかに揺れて清しき兄たらん覚悟のごときものも見ていつ」な どがあり、作者の子を見るまなざしのやさしさあたたかさがにじみ出ている。 数年前、 私の孫(男)も新生児の従兄弟を初めて見た時、しげしげと見つめていたがやがて振 り返り「へんなやつ」とはきすてるように呟いた。 思わず吹き出してしまったが、幼 い子の目に映るあかんぼはたしかに不思議な、むしろ異様なものであろう。 歳月の経 つのは早い。この兄弟ももう立派な青年に育っていることであろう。 ここにある数首、 人間の愛情の根源に立ち、何の衒いもなくさっぱりと詠まれている。 ますます生き難 い世であるが、育ち行く若い力を信じたい。 (来嶋靖生) 四月の歌 前 登 志 夫 花の山にひと群れつどひ来つれども村人はみな山畑にゐる 『流転』) 作者は吉野に住む。 吉野は古来桜の名所、古典和歌から吉野の桜を愛でて詠まれた 歌は限りなくある。 桜の名歌と言えばつぎつぎと口をついて出る歌は多い。 が、この 作者の歌は同じ桜を詠んでも少し風味が違う。 単純に言ってしまえば生活者の歌と旅 人の歌は違うということだ。 ここにあげた歌は呟くように低い声で詠まれているが、 響きは重い。 前後の歌には「音たてて山をわたれる春風にもののふのごとかなしび添 へつ」「尾根ふたつへだててをれば吉野山ながきいくさも花もまぼろし」がある。 い ま生活者の歌といったが、生活の背後には歴史があり、民俗の重量がある。 いま「村 人」を忘れて政治は動き、観光行政は賢しらに働く。
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