新入幕の場所前に「三賞を獲る!」と公言し、それを見事に実現させた阿炎関。 「私は元々ビッグマウスなんですよ。 目標を言葉にして周りに言うことで、これを実現しなきゃ恥ずかしいぞって自分にプレッシャーをかける。 十両優勝したときもそうでしたし、今のところ宣言したことはかなっているので、言霊の力を信じているんです」 願ったことは必ずかなえるしんの強さを持つ阿炎関ですが、実は力士になりたいと思ったことは一度もなかったそうです。 「小学1年生のとき『わんぱく相撲越谷場所』に出場したのが相撲を始めたきっかけですが、それも学校の先生に誘われたから。 1年2年と優勝して、3年生で初めて負けたのが悔しくて、次は勝ちたいから相撲を習うことにしたという感じです。 その後も中学に入ったら相撲はやめるとか、高校では相撲はやらないとか親に言い続けていて(笑)。 高校を卒業するときも地元で就職するつもりで、力士になる気はなかったんですよ」 そんな阿炎関を角界に導いたのは、錣山親方(元関脇・寺尾)の熱意と、親思いの優しい性格を知り尽くした一言でした。 「中学生のときから親方には目をかけてもらって、うちの部屋に来いよと言われていましたがずっと断っていました。 高校卒業目前の3月の大阪場所に、旅行がてら遊びに来いよと誘われたのでその言葉を信じて行ったら、毎日入門しろと口説かれて。 とうとう明日は帰るという日の夜、親方に『誘うのは今日で最後だ。 お前の力を試す勝負をしてみないか?この勝負はきっと親孝行になるぞ』と言われて。 そうか、親孝行になるなら…って入門しちゃいました(笑)」 明るい性格とともに今や阿炎関のトレードマークとなっているのが、足を高く上げて踏む美しい四股。 この四股が誕生したのは、初土俵から約2年後、初めて十両に上がったころのこと。 「応援してくれている方から、もっと美しい四股を踏んでよ、それで勝ったらご褒美を上げるからと言われたんです。 じゃあもう少し足を上げてみるかと試しにやってみたら、ツイッターとか周りの評判がすっごくよくて。 うれしくなっちゃって今も続けているんですよ」 注目を浴びる関取になった阿炎関ですが、負け越しが2場所続き、1年経たぬうちに幕下に転落してしまいます。 「あのころは毎晩夜遅くまで遊んだりして、相撲なんかどうでもいい!って態度が出るくらいふてくされていました。 そのとき同じ越谷出身の兄弟子・彩 いろどり 関に『親も部屋のみんなも心配してるのにその態度はなんだ、いい加減にしろ!』と思いっ切り怒られて目が覚めました。 その後、親方や鶴竜 かくりゅう 関の付き人をやって勉強させてもらったことで自分を取り戻すことができたし、今につながっていると思います」 1年半ほど幕下に甘んじたものの、十両に復帰して2場所目で十両優勝を成し遂げます。 親孝行のために力士になったほどの阿炎関はとにかく家族が大好きで、休みが取れると必ず帰省するそうです。 「越谷に着くと、自由だ~って感じますね。 温泉に入った瞬間のアア~っとため息の出る気持ちよさに似てます(笑)。 帰ってくると両親と兄姉とおいっ子めいっ子、知り合いも集まって、大体20人くらいでワイワイ食事するのがお決まりのパターンですね。 それから子どものころにおばあちゃんに連れて行ってもらって以来、ずっと通ってるラーメン屋さんにも必ず顔を出します。 お店には自分の写真がいっぱい貼ってあって、応援してくれてるのもありがたいです」 越谷名物で好きな物は何かと尋ねると、 「クワイですね。 父の友人で農園をやっている方が毎年部屋にクワイを送ってきてくださるんです。 私は野菜嫌いなんですけど、そのクワイで作る素揚げはホクホクしていてめっちゃうまいです」 と阿炎関。 力士として芽が出たのも、縁起物のクワイ効果かも知れません。 今年中に三役になる!というのが阿炎関の目下の目標。 常に向上心を持ち続けられるのは、仲がよくてライバルでもある力士仲間の存在が大きいのだそう。 「特に仲がいいのは阿武咲 おうのしょう 、貴景勝 たかけいしょう 、大栄翔 だいえいしょう の3人。 阿武咲はすでに三役ですから、やっぱり負けたくないですね。 土俵で勝負するとき、仲がいい力士のほうが燃えるんです。 お互いに勝ち負けの数を覚えていて、今は俺が5勝4敗で勝ってるからな!とか言って、刺激し合ってます」 そして将来の夢は、師匠・錣山親方を超える『大関』になること。 「師匠を超えることが最高の師匠孝行だと言われたので、絶対かなえたい目標です。 横綱?それは大関になってから考えますよ」 思い切りのいい突き押し相撲が持ち味の阿炎関。 その素顔は家族や親方、仲間など周囲の人への感謝と優しさにあふれていました。 夢に向かって頑張る姿を、これからもっと応援していきましょう。 *三役は大関・関脇・小結のこと.
次の新入幕の場所前に「三賞を獲る!」と公言し、それを見事に実現させた阿炎関。 「私は元々ビッグマウスなんですよ。 目標を言葉にして周りに言うことで、これを実現しなきゃ恥ずかしいぞって自分にプレッシャーをかける。 十両優勝したときもそうでしたし、今のところ宣言したことはかなっているので、言霊の力を信じているんです」 願ったことは必ずかなえるしんの強さを持つ阿炎関ですが、実は力士になりたいと思ったことは一度もなかったそうです。 「小学1年生のとき『わんぱく相撲越谷場所』に出場したのが相撲を始めたきっかけですが、それも学校の先生に誘われたから。 1年2年と優勝して、3年生で初めて負けたのが悔しくて、次は勝ちたいから相撲を習うことにしたという感じです。 その後も中学に入ったら相撲はやめるとか、高校では相撲はやらないとか親に言い続けていて(笑)。 高校を卒業するときも地元で就職するつもりで、力士になる気はなかったんですよ」 そんな阿炎関を角界に導いたのは、錣山親方(元関脇・寺尾)の熱意と、親思いの優しい性格を知り尽くした一言でした。 「中学生のときから親方には目をかけてもらって、うちの部屋に来いよと言われていましたがずっと断っていました。 高校卒業目前の3月の大阪場所に、旅行がてら遊びに来いよと誘われたのでその言葉を信じて行ったら、毎日入門しろと口説かれて。 とうとう明日は帰るという日の夜、親方に『誘うのは今日で最後だ。 お前の力を試す勝負をしてみないか?この勝負はきっと親孝行になるぞ』と言われて。 そうか、親孝行になるなら…って入門しちゃいました(笑)」 明るい性格とともに今や阿炎関のトレードマークとなっているのが、足を高く上げて踏む美しい四股。 この四股が誕生したのは、初土俵から約2年後、初めて十両に上がったころのこと。 「応援してくれている方から、もっと美しい四股を踏んでよ、それで勝ったらご褒美を上げるからと言われたんです。 じゃあもう少し足を上げてみるかと試しにやってみたら、ツイッターとか周りの評判がすっごくよくて。 うれしくなっちゃって今も続けているんですよ」 注目を浴びる関取になった阿炎関ですが、負け越しが2場所続き、1年経たぬうちに幕下に転落してしまいます。 「あのころは毎晩夜遅くまで遊んだりして、相撲なんかどうでもいい!って態度が出るくらいふてくされていました。 そのとき同じ越谷出身の兄弟子・彩 いろどり 関に『親も部屋のみんなも心配してるのにその態度はなんだ、いい加減にしろ!』と思いっ切り怒られて目が覚めました。 その後、親方や鶴竜 かくりゅう 関の付き人をやって勉強させてもらったことで自分を取り戻すことができたし、今につながっていると思います」 1年半ほど幕下に甘んじたものの、十両に復帰して2場所目で十両優勝を成し遂げます。 親孝行のために力士になったほどの阿炎関はとにかく家族が大好きで、休みが取れると必ず帰省するそうです。 「越谷に着くと、自由だ~って感じますね。 温泉に入った瞬間のアア~っとため息の出る気持ちよさに似てます(笑)。 帰ってくると両親と兄姉とおいっ子めいっ子、知り合いも集まって、大体20人くらいでワイワイ食事するのがお決まりのパターンですね。 それから子どものころにおばあちゃんに連れて行ってもらって以来、ずっと通ってるラーメン屋さんにも必ず顔を出します。 お店には自分の写真がいっぱい貼ってあって、応援してくれてるのもありがたいです」 越谷名物で好きな物は何かと尋ねると、 「クワイですね。 父の友人で農園をやっている方が毎年部屋にクワイを送ってきてくださるんです。 私は野菜嫌いなんですけど、そのクワイで作る素揚げはホクホクしていてめっちゃうまいです」 と阿炎関。 力士として芽が出たのも、縁起物のクワイ効果かも知れません。 今年中に三役になる!というのが阿炎関の目下の目標。 常に向上心を持ち続けられるのは、仲がよくてライバルでもある力士仲間の存在が大きいのだそう。 「特に仲がいいのは阿武咲 おうのしょう 、貴景勝 たかけいしょう 、大栄翔 だいえいしょう の3人。 阿武咲はすでに三役ですから、やっぱり負けたくないですね。 土俵で勝負するとき、仲がいい力士のほうが燃えるんです。 お互いに勝ち負けの数を覚えていて、今は俺が5勝4敗で勝ってるからな!とか言って、刺激し合ってます」 そして将来の夢は、師匠・錣山親方を超える『大関』になること。 「師匠を超えることが最高の師匠孝行だと言われたので、絶対かなえたい目標です。 横綱?それは大関になってから考えますよ」 思い切りのいい突き押し相撲が持ち味の阿炎関。 その素顔は家族や親方、仲間など周囲の人への感謝と優しさにあふれていました。 夢に向かって頑張る姿を、これからもっと応援していきましょう。 *三役は大関・関脇・小結のこと.
次の
新入幕の場所前に「三賞を獲る!」と公言し、それを見事に実現させた阿炎関。 「私は元々ビッグマウスなんですよ。 目標を言葉にして周りに言うことで、これを実現しなきゃ恥ずかしいぞって自分にプレッシャーをかける。 十両優勝したときもそうでしたし、今のところ宣言したことはかなっているので、言霊の力を信じているんです」 願ったことは必ずかなえるしんの強さを持つ阿炎関ですが、実は力士になりたいと思ったことは一度もなかったそうです。 「小学1年生のとき『わんぱく相撲越谷場所』に出場したのが相撲を始めたきっかけですが、それも学校の先生に誘われたから。 1年2年と優勝して、3年生で初めて負けたのが悔しくて、次は勝ちたいから相撲を習うことにしたという感じです。 その後も中学に入ったら相撲はやめるとか、高校では相撲はやらないとか親に言い続けていて(笑)。 高校を卒業するときも地元で就職するつもりで、力士になる気はなかったんですよ」 そんな阿炎関を角界に導いたのは、錣山親方(元関脇・寺尾)の熱意と、親思いの優しい性格を知り尽くした一言でした。 「中学生のときから親方には目をかけてもらって、うちの部屋に来いよと言われていましたがずっと断っていました。 高校卒業目前の3月の大阪場所に、旅行がてら遊びに来いよと誘われたのでその言葉を信じて行ったら、毎日入門しろと口説かれて。 とうとう明日は帰るという日の夜、親方に『誘うのは今日で最後だ。 お前の力を試す勝負をしてみないか?この勝負はきっと親孝行になるぞ』と言われて。 そうか、親孝行になるなら…って入門しちゃいました(笑)」 明るい性格とともに今や阿炎関のトレードマークとなっているのが、足を高く上げて踏む美しい四股。 この四股が誕生したのは、初土俵から約2年後、初めて十両に上がったころのこと。 「応援してくれている方から、もっと美しい四股を踏んでよ、それで勝ったらご褒美を上げるからと言われたんです。 じゃあもう少し足を上げてみるかと試しにやってみたら、ツイッターとか周りの評判がすっごくよくて。 うれしくなっちゃって今も続けているんですよ」 注目を浴びる関取になった阿炎関ですが、負け越しが2場所続き、1年経たぬうちに幕下に転落してしまいます。 「あのころは毎晩夜遅くまで遊んだりして、相撲なんかどうでもいい!って態度が出るくらいふてくされていました。 そのとき同じ越谷出身の兄弟子・彩 いろどり 関に『親も部屋のみんなも心配してるのにその態度はなんだ、いい加減にしろ!』と思いっ切り怒られて目が覚めました。 その後、親方や鶴竜 かくりゅう 関の付き人をやって勉強させてもらったことで自分を取り戻すことができたし、今につながっていると思います」 1年半ほど幕下に甘んじたものの、十両に復帰して2場所目で十両優勝を成し遂げます。 親孝行のために力士になったほどの阿炎関はとにかく家族が大好きで、休みが取れると必ず帰省するそうです。 「越谷に着くと、自由だ~って感じますね。 温泉に入った瞬間のアア~っとため息の出る気持ちよさに似てます(笑)。 帰ってくると両親と兄姉とおいっ子めいっ子、知り合いも集まって、大体20人くらいでワイワイ食事するのがお決まりのパターンですね。 それから子どものころにおばあちゃんに連れて行ってもらって以来、ずっと通ってるラーメン屋さんにも必ず顔を出します。 お店には自分の写真がいっぱい貼ってあって、応援してくれてるのもありがたいです」 越谷名物で好きな物は何かと尋ねると、 「クワイですね。 父の友人で農園をやっている方が毎年部屋にクワイを送ってきてくださるんです。 私は野菜嫌いなんですけど、そのクワイで作る素揚げはホクホクしていてめっちゃうまいです」 と阿炎関。 力士として芽が出たのも、縁起物のクワイ効果かも知れません。 今年中に三役になる!というのが阿炎関の目下の目標。 常に向上心を持ち続けられるのは、仲がよくてライバルでもある力士仲間の存在が大きいのだそう。 「特に仲がいいのは阿武咲 おうのしょう 、貴景勝 たかけいしょう 、大栄翔 だいえいしょう の3人。 阿武咲はすでに三役ですから、やっぱり負けたくないですね。 土俵で勝負するとき、仲がいい力士のほうが燃えるんです。 お互いに勝ち負けの数を覚えていて、今は俺が5勝4敗で勝ってるからな!とか言って、刺激し合ってます」 そして将来の夢は、師匠・錣山親方を超える『大関』になること。 「師匠を超えることが最高の師匠孝行だと言われたので、絶対かなえたい目標です。 横綱?それは大関になってから考えますよ」 思い切りのいい突き押し相撲が持ち味の阿炎関。 その素顔は家族や親方、仲間など周囲の人への感謝と優しさにあふれていました。 夢に向かって頑張る姿を、これからもっと応援していきましょう。 *三役は大関・関脇・小結のこと.
次の