DCコミックス『バットマン』に登場する悪役、「ジョーカー」。 本作はコメディアンを夢見る孤独な男のアーサーが、狂気あふれる悪のカリスマである「ジョーカー」に変貌していく衝撃のドラマを描いている。 IGN JAPAN掲載のでは、『ジョーカー』は秀逸なコミック映画作品というだけではなく、純粋に秀逸な映画作品でもあるとその質の高さを称賛され、10点満点を獲得している。 『ジョーカー』はアワードでの評価も極めて高い。 ゴールデングローブ賞で4部門、放送映画批評家協会賞で7部門、全米映画俳優組合賞で2部門にノミネートされている。 2020年に1月13日にはアカデミー賞のノミネートが発表予定なので、そちらにも本作が入ってくるのか気になるところだ。 2019年を代表する映画の1つ、『ジョーカー』の劇場公開は2020年1月9日までを予定している。 気になっている方は大きなスクリーンで見られる間に、映画館へ足を運ぼう。 日本全国の上映予定はを参照してほしい。 されるので、劇場に行けない場合はそちらもチェックしておこう。 IGN JAPANのスタッフが、最新の映画やドラマについて雑談をする番組「銀幕にポップコーン」第108回では『ジョーカー』の感想を語っているので、鑑賞後はそちらも楽しんでほしい。
次の
爆発的な大ヒット快進撃となっている日本でも週末ランキングで2週連続のNo. 1を記録。 日本において、アメコミ映画が2週連続No. 1になるのは、『アメイジング・スパイダーマン』以来、なんと7年ぶり!異例の快挙となった。 そして、これまでの日本でのDC映画の興行収入記録『ダークナイト ライジング』 最終興収19. DC映画史上最速となるスピードで拡大し続けている『ジョーカー』旋風は、DC映画ファンやリピーの枠を超え、ジョーカーを初めて知る幅広い層の観客に受け入れられた結果といえる。 映画の歴史を変えるほどの圧倒的な作品力かつ唯一無二の鑑賞後感から、公開日から早くもリピーターとなった人の声も続々とSNS上を飛び交っている。 第76回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、今年一番の拍手喝采とブラボーの嵐と共に8分間のスタンディング・オベーションが巻き起こり、最高賞となる<金獅子賞>を受賞した本作。 日本公開後にも、鑑賞者から「やっとジョーカーみれた... 映画館ほぼ満席で終わった後、拍手喝采がすごかった」、「ジョーカーものすごく良かった。 最後拍手すら起こってた」とヴェネツィア国際映画祭さながら、終映時に自然と拍手が巻き起こる異例の事態となっているとSNS上で話題に。 さらに「ジョーカー2回目はいろんな視点で観られて楽しかった」、「他人の考察みているとジョーカーもう1回観たくなる」、「『ジョーカー』2回目見て色々気になり、もう3回目が見たいです」というリピーターも相次ぎ、「巷で話題のジョーカー見てきた。 アメコミ映画を見るのは初めてなんだけど、良い映画だった」、「ジョーカー観てきました。 前知識無しだったけど楽しめました」、「知り合いは観て感動してたが、ジョーカーがバットマンの登場人物だということも知らなかった」と、ジョーカー初心者からの高い評価が広く拡散されている。 映画の冒頭で、アーサーはくたびれた様子で足を引きずるようにして階段を上る。 ところが、後のシーンで階段を下るアーサーはまるで別人のようだ。 身のこなしも、まったく違う」と語るその階段が、今、世界中から注目浴びている。 映画鑑賞の枠をも超えて社会現象となっている本作。 世界中で『ジョーカー』旋風が巻き起こり、今後どこまで成績を伸ばし続けるのか期待が高まっている。 『ジョーカー』 絶賛公開中 ワーナー・ブラザース映画 (C 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & C DC Comics.
次の
バットマンの宿敵が誕生するまでを、独自のストーリーで描いた映画『ジョーカー』が、予想を超える反響を呼んでいる。 世界興行収入が923億円を突破し、R指定映画として史上最高の記録を更新、アメコミ映画が比較的苦戦するといわれている日本の週末興行ランキングでも、4週連続で1位を獲得する快挙を達成し、まだまだ数字を伸ばしている状況だ。 そんな『ジョーカー』は、同時にいろいろな意味で波紋を広げてもいる。 『ヴェネチア国際映画祭』最高賞受賞という異例の快挙にはじまり、アメリカでの公開に際しては、警察や陸軍が警戒態勢を強化するという事態……。 社会的責任をめぐる内容への賛否の声、製作サイドや巨匠監督の発言が物議を醸し、使用楽曲に対する問題提起が生まれるなどなど、大ヒットを成し遂げるなかで、あらゆる角度から騒動が発生しているのだ。 『ジョーカー』は、なぜこんなにも人々の心をざわつかせ、娯楽作品の枠をはみ出して社会を騒がすまでの存在になり得たのか。 ここでは、いままでの騒動の中身を詳しく見ていきながら、その理由について徹底的に考察し、本質部分に迫っていきたい。 娯楽大作として異例の『ヴェネチア』金獅子賞。 『ジョーカー』の持つアートフィルムとしての性質 本作の公開前に『ヴェネチア国際映画祭』で金獅子賞を獲得したニュースは、多くの映画ファンを驚かせた。 アメリカの娯楽大作が受賞することすら稀な世界三大映画祭において、ましてやアメコミヒーロー作品が最高賞を受賞するというのは、史上初の出来事である。 そうなった大きな理由は、本作が娯楽映画であること以上にアートフィルムとしての性質を多く備えていたからだろう。 本作は積極的に、『タクシードライバー』(1976年)をはじめとする、ニューヨークを舞台にした、かつてのマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演映画の表現を模倣し、作家性の強い過去のアメリカ犯罪映画を現代に甦らせようとする。 当初、製作にスコセッシが参加するはずだったことや、デ・ニーロ本人が本作に出演しているところからも、その志向は容易に読み取れる。 このアプローチは、例えばクエンティン・タランティーノ監督の諸作や、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』(2011年)などにも近い。 犯罪映画を中心とする既存の作品の要素を解体して抽出し、新たなものを構築する「ポストモダン」的な取り組みが、そこに存在するのである。 本作に対して批評家たちが無視できないというのは、このようなアート作品としての文脈を読み取っているからであろう。 Ent. 主人公の心理の揺らぎが主軸となるのは、シェイクスピアなどより始まる「近代文学」的な価値観でもある。 そこでは、やはり文学的な要素が強く、残酷な描写のある名作映画『嘆きの天使』(1930年)や『 西鶴一代女』(1952年)、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)といった作品を思い出すような、ひとりの人間が転落していく姿と、同時に悲劇から逆説的に生まれる一種の高揚感や神聖さすらも映し出しているのだ。 くわえてそこに、大量生産のための機械的労働によって人間性を喪失し狂気に走るという内容のチャップリンの喜劇映画『モダン・タイムス』(1936年)のイメージを投影させるとともに、社会保障の打ち切りによる精神的な病の治療の中止という事情を描くことで、ジョーカーという悪が、貧富の差や、弱者に対して酷薄である環境が生んでしまった副産物であるという見方も用意されており、物語は社会派作品としての存在意義まで主張している。 ホアキン・フェニックス演じるアーサー。 Ent. アメリカの同時多発テロからイラク戦争までの社会背景を象徴的に物語に盛り込み、正義を信じる人々がジョーカーのたくらみによって悪に転じたり、倫理観を見失ってしまうという内容である。 だが『ダークナイト』は、最後には理性がジョーカーの仕組んだ計画に打ち勝つという描写をしっかりと入れることで、あくまでヒーロー作品の文脈から逸脱することはなかった。 対する『ジョーカー』は、『タクシードライバー』の結末がそうであったように、ヒーローと悪の違いを無効化してしまうような価値観を持つことで、ジョーカーという存在を、映画『バットマン』のシリーズが持っていた従来の制約から解放してしまったのだ。 クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』。 「ダークナイト・トリロジー」の2作目にあたる 正義と悪の対立構造が無効化した本作。 銃乱射事件の被害者遺族は劇場公開に懸念も このように、正義と悪の対立構造が崩れたヒーロー映画というのは、近年ではジェームズ・ガン監督の『スーパー!』(2010年)や、M・ナイト・シャマラン監督の『ミスター・ガラス』(2019年)くらいだったのではないだろうか。 『ジョーカー』監督のトッド・フィリップスは、ワーナーに企画を持ちかけたとき、「狂ったアイデア」だとされ、当初は相手にされなかったと振り返っている。 そのような冷ややかな反応の背景には、ワーナーが『ダークナイト ライジング』(2012年)を公開したとき、コロラド州の映画館の劇場内で無差別乱射事件が発生し、死者12人、負傷者多数という大惨事が起きたという経緯が大きく影響しているはずである。 一説では、この事件の犯人は『ダークナイト』に登場したジョーカーに影響を受けたのではないかといわれている。 犯人自身が、取り調べ時に自分はジョーカーだと主張したという話が伝わっているのだ。 当時警察は、そのような事実はないと否定しているものの、今回の『ジョーカー』公開に際して警戒態勢をとったことから、実際には警察も事件への関連を深刻にとらえていたことが分かる。 そして銃撃事件の被害者遺族ら5人が、ワーナーに『ジョーカー』公開への懸念を示す書簡を送ったという報道も話題となった。 Ent. さらに本作は、ジョーカーに影響されて、虐げられた市民たちがピエロ姿になったり暴力行為に及んだりする内容を描いている。 つまり、フィリップス監督は本作の危険性を十分認識していて、それをあえて利用しながら、物議を醸す方向に自ら突っ込んでいっているのである。 それは劇中の印象的なシーンにおいて、小児性愛者で児童虐待の罪を犯したことで服役しているゲイリー・グリッターの楽曲をわざわざ使用するという姿勢からも分かる。 とはいえ、本作はこのような危険性が内在するからこそ、善悪を超えたところで社会問題を描くことを可能にしたということもたしかではある。 ここまでの不穏な描写は、やはり現代の問題を扱ってきた、『アベンジャーズ』シリーズを中心にしたマーベル・スタジオ作品にも、また近年のDC映画にも存在しなかったものだ。 マーティン・スコセッシ監督やフランシス・フォード・コッポラ監督が、ヒーロー映画について苦言を呈したことが話題になったが、それは現在最も成功しているジャンルに、このような踏み込みや奥行きが足りなかったということを述べたかったのではないだろうか。 だからこそ、『ジョーカー』は強い意志がなければ作ることができない映画だったともいえる。 その意志は、蛮勇とも狂気ともいえるだろう。
次の