佐川宣寿。 泥をかぶって天下りのはずが 佐川宣寿氏の官僚人生が乱れた要因

佐川宣寿・元国税庁長官の経歴・現在まとめ。森友自殺職員の「遺書」公開で批判が再燃か!?

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「自殺」で責任は取れない 邦丸:まず、近畿財務局の職員が自ら命を絶ったという話ですが、「上からの指示で書き換えをさせられた」というメモが遺されていたそうです。 過去にも不祥事のあと、官僚が自ら命を絶つということがありました。 こういうことが繰り返されると、なんとも言えない気持ちになりますね。 佐藤:ちょっと厳しいことを言おうと思います。 邦丸:はい。 佐藤:たとえば鈴木宗男事件の時も、外務省の一部の人たちは「佐藤優が死ねばいい」と思っていたんですよ。 はっきり言いますが、官僚の自殺は、亡くなった方には本当に申し訳ないけれど、責任放棄ですからね。 邦丸: うーむ。 佐藤:国民に対する責任は、自殺することではなくて、真実を語ることによってのみ果たせるわけですから、そこを勘違いしないでほしい。 なぜ私が敢えてこういうキツいことを言うのかというと、今この瞬間も、財務省の中には自殺を考えている官僚が何人もいるということが、目に浮かぶんです。 単に悪事に手を染めるというわけではなくて、上から評価されたいと思って、一線を踏み越えて、言われた以上のことをしてしまった…とか、彼らはきっと考えている。 死んだら楽になるんじゃないか、死んだら検察やマスコミの追及もなくなる、と思ってしまう。 でも、これは違いますからね。 死んだら全部、被せられるよ。 「亡くなったのは本当に残念だけれど、実はわれわれが知らないところで、この人が全部やっていました」と被せられるだけだから。 特に財務省のノンキャリアで、上からの指示で悪事をやらされた、そしてその時はそんなに意識していなかったという人、絶対に死んだらダメです。 死なないで、真実を語ってほしい。 それが国民に奉仕することであり、あなた自身の名誉とあなたの家族を守ることにもなるから。 だから、亡くなった方には本当に気の毒だけれど、心を鬼にして言います。 それは私自身が、かつてそういう状況に置かれたことがあるから。 死んではダメ。 死んだら悪いヤツが喜ぶだけです。 真実を語ること。 死ぬ覚悟になれば、すべてを語れる。 そうすれば、世論はきちんと支持してくれるから。 キャリアとノンキャリの「本当の関係」 邦丸:霞が関では、特にキャリア組とノンキャリア組に分けると、どうしても責任はノンキャリアに被さってきてしまう。 そうした中で自ら命を絶つ方もいる。 日本全体では自殺者の数は減っていますが、霞が関の責任の取り方って、私には「独特の世界」だと映ります。 佐藤:そうなんです。 あそこには独特の空気があります。 ただ、キャリアとノンキャリアの関係というのは、言われているように「身分制」であるとか「ノンキャリアはキャリアの言うことを聞かざるを得ない」という構造では、必ずしもないんです。 私の場合、外務省にノンキャリアで入って、途中からキャリア扱いに登用という特殊なルートなので、両方の世界を見ているんだけれども、キャリアは全体像はわかるけれど細かいことはわからない。 そうすると、「悪知恵をつける」のは、意外とノンキャリアの仕事なんです。 邦丸:悪知恵をつける。 佐藤:そう。 「こういうふうにやったらごまかせますよ」とか、「この文書はヤバいから抜いちゃいましょう」というようなことは、意外とノンキャリアが言っている可能性がある。 キャリアには、そこまで見えないわけです。 キャリアは圧倒的な権力を持ってはいるんだけど、細かいところはノンキャリアがサボるとできない、ということがたくさんある。 だから、何か悪事が出てきたときは、ノンキャリアが相当深く噛んでいるわけ。 彼らは「実行犯」として現場でやっているから、すごく自分の責任を痛感するわけです。 「こんなことをやってしまった」と。 例えて言うなら、戦場で銃剣で目の前の相手を刺し殺すのはノンキャリア。 後方の司令部にいて「やれー」と命令しているのがキャリア。 こういう図式で見ればわかると思う。 邦丸:ふむ。 佐藤:現場のほうがリアルな悪事を行った感が強い。 そこがおそらく、自責の念にかられてしまう理由だと思うんですよ。 だから、メディアは「上が逃げ切るために下に全部被せている」というふうに単純化して書くけれど、必ずしも中の心理状態はそうではないんです。 邦丸:はあ〜〜。 佐藤:上は上で、「こんなはずじゃなかった」と当惑しているんですよね。 「なんでこんなことになっちゃったんだろう、あの時オレはどうしていたんだっけ…」という感じだと思いますよ。

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佐川宣寿の現在の職業や職場と年収・収入は?天下りの真実も調査!

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1982年4月 : 大蔵省入省(主計局総務課)• 1987年7月 : 高山税務署長• 1988年7月 : 銀行局総務課課長補佐• 1990年6月 : 日本貿易振興会コペンハーゲン事務所長• 1993年7月 : 主計局調査課課長補佐• 1994年7月 : 主計局主計官補佐(通産第一、二係主査)• 1996年7月 : 銀行局中小金融課課長補佐• 1997年6月 : 銀行局総務課課長補佐• 1998年7月 : 近畿財務局理財部長• 1999年7月 : 大臣官房文書課広報室長• 2000年7月 : 大臣官房秘書課首席監察官兼大臣官房秘書課人事企画室長• 2001年4月 : 財務大臣秘書官事務取扱• 2003年9月 : 主計局調査課長• 2004年7月 : 主計局主計官(外務、経済協力、経済産業係担当)• 2005年7月 : 主税局税制第三課長• 2006年7月 : 主税局税制第二課長• 2008年7月 : 主税局総務課長• 2013年6月 : 大阪国税局長• 2014年7月 : 国税庁次長• 2015年7月 : 関税局長• 2016年6月 : 理財局長• 2017年7月 : 国税庁長官• 2018年3月 : 辞職 赤字で記している時期に亡くなられた赤木俊夫氏に改竄や隠蔽を指示しています。 そして黄色下線の時期に国会で森友問題が浮上し野党から激しい追及ののち、自ら辞職をしています。 そして現在、どのに天下っているのかなのですが、結果から説明すると天下り先はなく、調べた結果『いわき応援大使』として活動されているようなのです。 スポンサーリンク 文書改竄・隠蔽は佐川局長の指示だった 文書の改竄・隠蔽があったとされる森友学園問題。 安倍昭恵さんが名誉校長になっていると報じられ、安倍晋三小学校の名目で寄付を募り、安倍昭恵夫人と籠池夫妻の間はかなり密接なものと言われていました。 その時に安倍晋三氏が国会で放った 『私や妻が関わっていれば首相も議員も辞める』という一言で、実際あったことを無かったことにするために改竄・隠蔽が行われていたと週刊文春で報じられました。 佐川宣寿氏から赤木俊夫氏に指示があったというもので、『手記』と書かれたA4用紙7枚の文章で、なんと自ら命を絶った当日まで書かれており、その内容というのが…。 「すべて、佐川理財局長の指示です」• 「美並近畿財務局長に報告したと承知しています」 と実名で書かれているのです。 さらに、国会などで財務省が虚偽の答弁をしている事についても批判しており、真面目で正義感の強い赤木俊夫氏にとっては、加担させられている事にとても苦しんでいた事を綴られていました。 しかも最後の文には遺書とも取れる内容も書かれていました。 『この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。 今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。 (55才の春を迎えることができない儚さと怖さ) 家族(もっとも大切な家内)を泣かせ、彼女の人生を破壊させたのは、本省理財局です。 (中略) さようなら』 引用元:文春オンライン この事により、佐川宣寿氏が国会で虚偽答弁をしていたことは明らかで、これから追求されるのはなぜ虚偽答弁をしたのか?誰の指示で文書改竄・隠蔽を行ったのか?という点でしょう。 今までは、官僚として将来を考えて虚偽の答弁をしていたのかもしれませんが、現在の佐川宣寿氏は天下り先もなく無職の可能性がありますので、そう考えると守るものがないので今度こそ赤木俊夫氏やその妻のためにも正しい答弁をしてもらいたいものですね。 関連記事.

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佐川宣寿の自宅は世田谷区祖師谷4丁目の豪邸?今現在はどこ?家族は?

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こわばった表情で目を泳がせ、怯えたように周囲をうかがいながら身を縮めて黒塗りの公用車に乗り組む。 それから1か月後、辞任表明で長官として初めてテレビカメラの前に現われた佐川氏の目は泳ぎ、声も精気を失っていた。 しかし、1年前の昨年3月、財務省理財局長として国会答弁に立った佐川氏はまるで違っていた。 「記録は速やかに廃棄した」 森友学園への国有地売却をめぐって、交渉記録の廃棄を断定したときだ。 都合の悪い質問には、ああでもない、こうでもないと語尾を曖昧にして言質を与えないようにする。 典型的な「官僚答弁」からすると異例な発言だったが、眼光にも口調にも官僚としての強い覚悟と誇りが滲んでいた。 佐川氏はあの答弁に官僚人生を賭けた。 ちょうどその頃、財務省OBが集まった席でこんな話が交わされたという。 「見事に泥をかぶったね。 だけど、これで彼の官僚人生は終わった」 「身を挺して政権を守ったのだから、いい天下り先を用意してもらえるだろう」 国会でああ言い切った以上、役所に残れば後で問題になる。 泥をかぶった官僚は組織防衛のために後腐れがないように退官させるのが財務省の人事の鉄則だ。 財務省の局長経験者が語る。 「官僚の最大の関心事は今も昔も人事だが、立場上、組織のために出世を棒に振り、官僚人生が終わることになる者には、いい天下り先という実利で報いる。 本人には政権を守ったという誇りと官僚社会の評価が生涯、勲章として残る。 佐川君もあの答弁をしたときは出世をあきらめ、退官する腹をくくっていたと思う」 佐川氏の官僚人生はそこから狂い始める。 安倍首相が疑惑を完全否定した答弁を激賞し、「佐川を見習え」と省内人事の鉄則を無視して国税庁長官に出世させたからだ。 森友疑惑が紛糾する中での栄転は、批判を浴びるのは明らかだった。 組織を守るという官僚社会の掟からいえば、佐川氏は長官就任を断わるべきだったかもしれない。 だが、あきらめたはずの出世の道が思いがけず拓けたとき、それが茨の道だとわかっていても、誰しも誘惑に駆られる。 佐川氏にとって国税庁長官は念願のポストでもあった。 「財務官僚は課長時代に出世のふるいにかけられ、同期入省組の中からトップの事務次官コースに乗る官僚が1人に絞られる。 佐川氏の同期(1982年入省組)27人の中で一番出世は福田淳一・現次官、佐川氏は2番手グループにつけていた。 同省の出世双六では、次官に次ぐナンバーツーが国税庁長官につく」(OB) しかし、佐川氏は局長選抜の段階で傍流の関税局長に回され、2番手グループの中でも出世競争に出遅れた。 同期のライバルで安倍首相と同じ山口県出身の迫田英典氏が一足先に理財局長、国税庁長官と出世していた。 この迫田氏こそ、森友学園への国有地払い下げ当時の理財局長という疑惑のキーマンだ。 佐川氏が迫田氏から1年遅れて後任の理財局長に就任したとき、「自分にもまだ国税庁長官のチャンスはある」と心中期するものがあったのではないか。 中堅官僚はこう振り返る。 「総理を守ると言えば聞こえはいいが、佐川さんにすればライバルだった迫田さんの尻ぬぐい。 損な役回りとしかいいようがない。 あの答弁の後に国税庁長官を打診された時も、本音では受けたくなかったはずです。 しかし、断われば総理の面子がつぶれる。 官邸は長官に縛り付けることでスケープゴートに仕立てた。

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