そもそも「バイエル」って何?? 「バイエル」は、ピアノを初めて習う人が使う教材のことです。 (「ピアノの導入教材」と言われています) で、ドイツの作曲家のバイエルさんが作ったピアノの本なのです! なので、「バイエル」は、人の名前なんです。 どんな種類があるの? どれがほんとの「バイエル」? どれもほんとの「バイエル」ですけど、私が思う、王道のバイエルはこちらです。 「子供のバイエル」です。 上下巻あります。 こちらが上巻。 通称「赤バイエル」と呼ばれるものです。 初めてピアノを習う子どもが弾きます(アマゾンのHPからお借りしました) 下巻はこれ。 「黄バイエル」って言われています。 ( 両手で弾くことに慣れてきたぐらいから始めます) これが 大人用(標準レベルのバイエルです)。 「バイエル」の次の本は? 「ブルグミュラー」という本です。 この本です。 バイエルには 「赤バイエル」(上巻)と「黄バイエル」(下巻)と2冊に分かれています。 「バイエル」が終わると 「ブルグミュラー」という本に入るのです。 みんなこの、「ブルグミュラー」までに辞めてしまうのです。 理由は、地道な練習が嫌になっていくんです。 例えば、 「片手は弾けたけど、両手になるとすらすら弾けない」、「へ音記号がすらすら読めない」とか。 なので「ブルグミュラー」まで続けられるかどうかが、ピアノの最大の関門なのです。 「バイエル」の存在は、今後、ピアノが続くか、続かへんかのせとぎわになるので、とっても重要な立ち位置なんです。 スポンサーリンク 「バイエル」の難易度は? 赤バイエル・・・片手から。 後半からやっと両手で弾きます。 黄色バイエル・・・最初から両手で始まる。 だいたい何年ぐらいで終わらせる!? ネットとかで見ていると、バイエルを1年とか半年で仕上げたって話を聞くけど、あれは猛烈に毎日練習している人です! 普通は年単位でかかると思います! 黄バイエルは、2年以上はかかります。 例を挙げてみますね。 黄バイエルって、44番~106番まであります。 つまり、 63曲収録されてることになります。 週1でレッスンに通っていることにします。 毎回のレッスンで1曲だけ弾くとします。 で、 1曲がクリアしたとしても1年間で仕上げられるのは48曲しかないんです。 黄バイエルは63曲入っています。 ということは、 残りの15曲(63曲-48曲の計算)はまだ残っていることになります。 しかも、毎回のレッスンのたびに合格できるなんて、テキストの後半になってくると難しくなるのでありえません。 毎日弾き込まないと一発合格はできないんです。 (赤バイエルなら、1曲が短いし、比較的簡単なので1回のレッスンで2、3曲弾くことは可能なので、1年未満で終わる可能性は十分にあります。 そのテキストが何年で終わったのかは、終わった時にわかることなんです。 なので、目安だけ知っておくだけで、あまり気にされなくて良いかなと思います。 「バイエル」は何番まである? 赤バイエル・・・1~43番 ちなみに上巻最後の43番の楽譜はこちら。 黄バイエル・・・44番~106番まで。 44番の楽譜 一番最後の106番の楽譜 昔、かなり苦戦して合格させてもらった覚えがあります。 達成感はハンパないです! 新米講師必見! 「赤バイエル」の欠点とは? ここからは、新米講師さん向けにお話ししたいと思います。 この間、楽譜売り場の方が「バイエルは、最近はあまり使われないんですよ・・・」とおっしゃっていました。 バイエルで育った私としては少しショックでしたが・・・。 なにが人気ないんやろうと思っていたのですが、おそらく、 「赤バイエル」(上巻)に欠点があるんやと思います。 ズバリ、教え初めの 「音の高さ」に問題があるのです。 赤バイエルは、高い「ド」の音から覚えるからです。 「赤バイエル」の本を見てみましょう。 しかも真ん中の「ド」じゃなくて、高い「ド」から しかも 高い「ド」から始まってます。 まずは真ん中の「ド」から覚えるのが基本やのに、なぜか高い「ド」を覚えなあかんというややこしさ・・・^^; 私なら真ん中の「ド」から教えます あと、ト音記号だけが載ってるんじゃなくて、ト音記号とへ音記号が一緒に載ってる楽譜を使います。 これを「大譜表」(だいふひょう)って言います。 最初から大譜表に慣れた方がいいと思うんです。 しかも真ん中の「ソ」から始まってます。 続いて、左手だけの練習が始まります。 しかも、左手で弾くのに、なぜか 真ん中の「ソ」から始まります。 しかも、ト音記号の位置で弾きます 私なら左手も真ん中の「ド」から教えます 「へ音記号は左手で弾こうね」と教えます。 あと、「 ト音記号の「ド」と、ヘ音記号の「ド」の位置は同じだよ」と伝えます。 しかも左右どちらもト音記号から・・・ 右手は、高い「ド」から。 左手は、真ん中の「ド」から始めます。 大人やったらここから進んだらいいけど、子どもやったら混乱すると思うんです・・・。 私なら、右手も左手も真ん中の「ド」から始めます。 両手は使うけど、真ん中の「ド」の場所から教えます。 そこから、右手「ドレミファソ」を教えて、左手「ドシラソファ」を教えて行くんです。 この教え方がシンプルかなぁと思っています。 じゃあ、初めはどんな本を使ったらいいの? では、「赤バイエル」に代わる本は、どんなものなのでしょうか。 私は、「ともだちピアノ」、「ピアノランド」、「オルガンピアノ」を使っています。 下記のリンクに詳しく書いています^^ 教材選びの参考になったらうれしいです^^ 読んで下さりありがとうございました^^ スポンサーリンク この記事を読んだ方は、こちらの記事も読んでいます None Found.
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やなどを送り出した世界的な医薬品メーカーとして知られる。 沿革 [ ]• バイエルはフリードリヒ・バイエル及び共同経営者ヨハン・フリードリヒ・ヴェスコットが、にドイツで創業する。 最初の主要な製品は()であった。 これはで解熱鎮痛薬として用いられていたのから抽出した有効成分を副作用の少ない形にしたものである。 に、バイエルのアスピリンはバイエルのブランドとして世界的に登録されたが、混合物のすべてのブランドを記述するために至る所で広く使われ、バイエルの商標保護が失敗して、「アスピリン」という言葉はアメリカ合衆国内の商標身分を失うこととなった。 これは現在薬のすべてのブランドとして幅広く使用されている。 しかしなどいくつかの他の国では今までどおり商標として登録されている。 に、「Y」を両方で共有する言葉とし、横文字「BAYER」が縦文字「BAYER」と交差する言葉から成る、自社の会社をバイエル・クロス Bayer cross として導入する。 バイエルは、などの化学企業と共に後、を本拠地としてに出現したドイツの化学産業の、の一員となった。 は後にによるいくつかのに関係したIG・ファルベンを解体したが、バイエルは単体でビジネスを再開している。 のは、元々バイエルの従業員が設立したチームであり、スポーツクラブを経て分離独立したチームになった現在でもメインスポンサーを務めている。 、高機能材料を製造するマテリアルサイエンス部門を分離し、新社名を「」とし独立させた。 COllaboration、inVEST、STROngの3語を合わせた新しいブランドを立ち上げた。 2016年9月、遺伝子組み換え種子の世界最大手を買収する計画で、モンサント側の合意を得て 、2018年6月に買収が完了した。 買収に当たり、一部種子事業がに譲渡された。 日本における事業 [ ]• このうちバイエル ホールディング株式会社は、日本における以下のバイエルグループ各社の持株会社であり、東京・に本社が置かれている。 バイエル薬品株式会社• バイエル クロップサイエンス株式会社 バイエル薬品 [ ] 詳細は「」を参照• バイエル薬品は 、のに本社がある。 に工場がある。 もともと同社がと長く関係を持っていたこともあり 、また他には同社と同じくドイツの製薬企業である (に とし、 となる)も関西に日本オフィスとして(7月1日に旧:バイエル薬品と経営統合し、バイエル薬品となる)を置いていた。 (現:)のに建設した研究所を、(17年)にに売却する。 バイエルをめぐる裁判 [ ] ラウンドアップをめぐる訴訟 [ ] 2018年にモンサントを買収したバイエルは、モンサントが製造してきた()のをめぐる、アメリカ国内の訴訟を引き継ぐこととなった。 バイエルは、6月までに最大109億ドルを支払うことで、責任も不正行為も認めずにラウンドアップがらみの大半の案件との間で和解を成立させた。 脚注 [ ].
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19世紀のドイツで活躍した作曲家、編曲家、ピアニスト。 世界で広く知られているピアノ教本『バイエル:ピアノ奏法入門書(バイエルピアノ教則本) Vorschule im Klavierspiel op. 101』を書いたバイエルだが、実はあまりその人生については知られていなかった。 しかし、2012年に刊行された『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(安田寛著、音楽之友社[2016年には同タイトルで新潮文庫より文庫本化されている])で、謎に包まれていたバイエルの人物像が明らかになっている。 長らくバイエルの生年は1803年とされていたが、『バイエルの謎』の著者、安田寛氏の調査によって、生まれが1806年だと分かっている。 この著書によると、母方祖父と母親がオルガニストだったため、バイエルもライプツィヒの神学校へ入学し、ここで音楽の訓練を受けたようだ。 その後、1837年にドイツ中西部の都市マインツへ移住した。 マインツには楽譜出版社ショット Schottの本社(1770年設立)があることで知られている。 おそらく、バイエルがマインツに定住したのも、ショット社があったことと無関係ではなかっただろう。 1838年にバイエルの作品が初めてショット社から出版されると、以後亡くなるまで間を開けることなく、絶えず楽譜を書き続け出版していた。 記録を見てみると、バイエルの作品はマインツのショット社のほか、ボンのジムロック社、ライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社とホフマイスター社からも出版されている。 このことからも、バイエルが当時の流行作曲家だったことは想像に難くない。 バイエルの作品の多くは、当時人気のあったオペラの曲をピアノ用に編曲したものや、ドイツ人作曲家による歌を編曲したもの、ドイツ以外の国の歌を編曲したものなど多岐に渡る。 また、オリジナル曲や編曲では19世紀中ごろに大流行したギャロップ(跳躍のある2拍子または4拍子の踊り)も多い。 そして、ピアノ人口の増加に伴い、初級者のためのメソッドが必要とされていた時代背景もあってか、1850年にショット社より刊行された『ピアノ奏法入門書(バイエルピアノ教則本)』を出版し、その名を音楽史に刻んだ。 バイエルはこうした楽譜の出版のおかげで十分な収入を得ていたようで、当時の作曲家としてはかなり大きな成功を収めた。 ドイツ国内で活躍したバイエルだったが、世界最高峰とも言われるドイツの大音楽辞典『MGG (Musik in Geschichte und Gegenwart 音楽の歴史と現在)』には、残念なことにフェルディナント・バイエルの項目はない。 しかし、『バイエルピアノ教則本』は現代のピアノ教育界にも残る偉大な功績であり、バイエルが決して忘れ去られてしまったただの流行作曲家ではないことを証明している。 1863年5月14日、56歳でマインツにて没した。 19世紀のドイツで活躍した作曲家、編曲家、ピアニスト。 世界で広く知られているピアノ教本『バイエル:ピアノ奏法入門書(バイエルピアノ教則本) Vorschule im Klavierspiel op. 101』を書いたバイエルだが、実はあまりその人生については知られていなかった。 しかし、2012年に刊行された『バイエルの謎 日本文化になったピアノ教則本』(安田寛著、音楽之友社[2016年には同タイトルで新潮文庫より文庫本化されている])で、謎に包まれていたバイエルの人物像が明らかになっている。 長らくバイエルの生年は1803年とされていたが、『バイエルの謎』の著者、安田寛氏の調査によって、生まれが1806年だと分かっている。 この著書によると、母方祖父と母親がオルガニストだったため、バイエルもライプツィヒの神学校へ入学し、ここで音楽の訓練を受けたようだ。 その後、1837年にドイツ中西部の都市マインツへ移住した。 マインツには楽譜出版社ショット Schottの本社(1770年設立)があることで知られている。 おそらく、バイエルがマインツに定住したのも、ショット社があったことと無関係ではなかっただろう。 1838年にバイエルの作品が初めてショット社から出版されると、以後亡くなるまで間を開けることなく、絶えず楽譜を書き続け出版していた。 記録を見てみると、バイエルの作品はマインツのショット社のほか、ボンのジムロック社、ライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社とホフマイスター社からも出版されている。 このことからも、バイエルが当時の流行作曲家だったことは想像に難くない。 バイエルの作品の多くは、当時人気のあったオペラの曲をピアノ用に編曲したものや、ドイツ人作曲家による歌を編曲したもの、ドイツ以外の国の歌を編曲したものなど多岐に渡る。 また、オリジナル曲や編曲では19世紀中ごろに大流行したギャロップ(跳躍のある2拍子または4拍子の踊り)も多い。 そして、ピアノ人口の増加に伴い、初級者のためのメソッドが必要とされていた時代背景もあってか、1850年にショット社より刊行された『ピアノ奏法入門書(バイエルピアノ教則本)』を出版し、その名を音楽史に刻んだ。 バイエルはこうした楽譜の出版のおかげで十分な収入を得ていたようで、当時の作曲家としてはかなり大きな成功を収めた。 ドイツ国内で活躍したバイエルだったが、世界最高峰とも言われるドイツの大音楽辞典『MGG (Musik in Geschichte und Gegenwart 音楽の歴史と現在)』には、残念なことにフェルディナント・バイエルの項目はない。 しかし、『バイエルピアノ教則本』は現代のピアノ教育界にも残る偉大な功績であり、バイエルが決して忘れ去られてしまったただの流行作曲家ではないことを証明している。 1863年5月14日、56歳でマインツにて没した。
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