ゴダイゴ メンバー。 GODIEGO PROFILE

ミッキー吉野

ゴダイゴ メンバー

GODIEGO ミッキー吉野 キーボーディスト。 1951年12月13日 神奈川県横浜市出身。 68年、グループ・サウンズの「ザ・ゴールデン・カップス」に加入。 そのプレイは天才キーボーディストと注目される。 カップス脱退後71年6月に渡米、9月にボストンのバークリー音楽大学に留学。 卒業後帰国して「ミッキー吉野グループ」を結成する。 76年にゴダイゴ結成、数々のヒットを飛ばし、アレンジャーとしても高く評価される。 85年のゴダイゴ活動停止後も音楽学校創設、スタジオ活動、映画音楽等で広く活躍。 2004年の「スウィング・ガールズ」のサントラでは岸本ひろしと共に日本アカデミー賞の最優秀音楽賞を受賞した。 現在はゴダイゴ、ザ・ゴールデン・カップス、EnTRANS、なつの組等幅広く活躍している。 タケカワユキヒデ ヴォーカリスト。 1952年10月22日 埼玉県浦和市出身。 小学校の時にThe Beatlesの影響でロックに目覚め、中学からバンド活動を開始する。 当時から英語のオリジナルを目指していた。 75年、東京外国語大学在学中にデビュー・アルバム「走り去るロマン」をリリース、 この頃ミッキー吉野グループがサポートしたことを契機にミッキー吉野からリード・ヴォーカルとして誘われ、ゴダイゴを結成。 ソングライターとしてもゴダイゴのヒット曲の大部分を作曲、79年のブレイク時にはバンドのフロント・マンとしてアイドル的な人気も勝ち得ていた。 ゴダイゴ在籍中から並行してソロアルバムをリリース、活動停止後は自身の音楽活動に加え、作詞・作曲にテレビやラジオの司会、講演活動に執筆等も手がけ、現在もマルチタレントとして活動している。 浅野孝已 ギタリスト。 1951年6月1日 東京都豊島区出身。 中学よりエレキ・ギターを始め、14才の時に「ジュニア・テンプターズ」、その後「ジュニア・モップス」を結成、新宿のディスコ等に出演、そのプレイは注目を集める。 68年に伝説のロック・バンド「エム(The M)」を結成、ニュー・ロック・シーンで活躍する。 75年にミッキー吉野グループに参加、ゴダイゴのオリジナル・メンバーとなる。 日本で最初にギター・シンセサイザーをレコーディングに使用する等、そのフレキシブルな演奏はゴダイゴ・サウンドに欠かせない存在である。 2000年代に入り自己のプロジェクト「T. C」を始動、以降は自身のアルバム制作、新進アーティストのプロデュースや舞台音楽制作、様々なミュージシャンとのライヴ演奏等幅広く活動している。 スティーヴ・フォックス ベーシスト。 1953年10月3日 宮城県仙台市出身。 69年に当時ゴールデン・カップスのメンバーだったミッキー吉野を訪ね意気投合、71年「サンライズ」結成。 ミッキーの渡米後自身もテキサスに移るが、72年6月バークリー音楽院に入学、ミッキーとバンドを組む。 74年に来日、ミッキー吉野グループに参加して、以降はゴダイゴ結成から80年の脱退までミッキーと活動を共にする。 長身で日本人離れした容姿と硬派なキャラクターはタケカワユキヒデと並びファンが多かった。 ミキシングなどサウンド・エンジニアリングにも興味を持ち、ゴダイゴの音作りにも貢献していたが、伝道師になるため80年3月19日の「ポートピア1年前記念式典」を最後の出演としてゴダイゴを脱退、ハワイで伝道師となる。 99年のリユニオンの際にゴダイゴに復帰、現在は再び牧師を務めつつ、ゴダイゴの活動に参加している。 トミー・スナイダー ドラマー。 1952年12月20日 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州出身。 7才からドラムを始め、9才の頃からピアニストである父シドに連れられジャム・セッションに参加、12才の時には父と共にクラブで演奏していた。 69年に全米ヒットも飛ばしていたボストンのバンド「オーフィアス」に参加、70年代初めにフィル・ラモーンがプロデュースしていたバンド「スピリット・イン・フレッシュ」に参加、アルバム・リリースの他、NYカーネギー・ホールのステージを踏む。 77年にミッキーとスティーヴの誘いで来日、ゴダイゴに参加する。 当時からゴダイゴの活動と並行してルパンIII世のテーマ「スーパー・ヒーロー」等大野雄二のレコーディングに参加、TVサントラやCMソング制作等を多数手がけている。 80年代後半よりフランスで生活していたが、現在は日本に在住している。 2010年に「HAYAMAレーベル」で通産7枚目のソロ・アルバムをリリースした。 1957年1月31日 東京都出身。 米大学在籍中、18才の頃からギタリストとしてNYのジャズクラブ「グレゴリーズ」でチャック・ウェインなどビーバップ・ミュージシャンと共演、'79年の帰国後、ロック・ミュージカル"HAIR"に参加し早熟ジャズギタリストとして注目を浴びる。 '80年ベーシストとしてゴダイゴにスカウトされ'85年の活動休止まで活動を共にする。 '82年頃からゴダイゴと並行してミッキー吉野、トミー・スナイダーらとジャズ・ロック・フュージョングループ"DEBUT"を結成、オーストラリア、香港など海外でも活動する。 '84年からはクラシックギター、リュート奏者として文化庁主催のクラシック音楽の公演を定期的に行うなど表現の場を広げる。 また、吉澤洋治および『各務洋治』名義での作曲・演奏活動と並行し、絵画や狂言など異分野アーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。 本サイトに掲載されている画像等、全ての内容の無断転載・引用を禁止します。

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タケカワユキヒデ(ゴダイゴ)の妻と娘と今現在は?病気についても解説!

ゴダイゴ メンバー

ゴダイゴは1985年にいったん解散しましたが、2006年に恒久的な再結成を果たします。 昨年11月には「GODIEGO ロックが中国に入った日」コンサートを開催。 今年の春も新型コロナウイルスの発生がなければ、日比谷野音「日中友好音楽祭2020 瞬間的永恒コンサート」など、いろいろなライブを行う予定でした。 浅野との出会いから半世紀の間にいろいろなことが起こりましたが、絆はずっと変わらず、ゴダイゴ以外のプロジェクトが一番多かったのも浅野でした。 2人で中国の大連にコンサートにいったり、M&A(MICKIE&ASANO)というユニットを組んだり。 1951年生まれの同い年で、聴いてきた音楽も同じなので、一緒にいて楽。 なんでもできました。 言葉にしなくても分かってくれたし、なんでも言いやすいところもあって、それもいい関係を保てた理由でしょう。 そのうちに「ちゃんとやりだしたよ」って、うれしかったですね。 本当に優しくて、メンバーの誰もが怒っている姿を見たことがありません。 僕が入院したり、何かあったときには、いつも最初に駆けつけてくれました。 ゴダイゴの活動についても、思えば、いつも浅野に支えられていたような気がします。 バンドのなかでは、いい意味で、空気のようなやつ。 だから今、ゴダイゴの雰囲気は酸欠状態なんです…。 亡くなってから、ほかのメンバーから幾度となく連絡が入ってきています。 近年のゴダイゴは年に数回しか活動していませんでしたが、メンバーみんなの拠り所でした。 そのなかで浅野は素晴らしいポジションにいた。 派手ではなかったけどしっかりと。 だから今、空気がなくなりどんなに大切な存在だったかと、苦しくてつらい。 こんなに早く、突然亡くなってしまい、訳が分かりません。 この先のゴダイゴのことも、メンバーが残っている限りはと思っていますが…。 今、浅野に送る言葉はありません。 それに僕のなかではいなくなっていません。 ずっと心にいるよ、と。

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銀河鉄道999 (ゴダイゴの曲)

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「銀河鉄道999」などのヒットで知られるロックバンド「ゴダイゴ」のギタリスト・浅野孝已(あさの・たかみ)さんが12日、東京都内の病院で死去した。 68歳だった。 後日、お別れの会を開く。 12日朝に自宅で倒れているのを家族が発見し、病院に搬送されたが、死亡が確認された。 1975年にミッキー吉野さんらとバンドを結成し、ゴダイゴのオリジナルメンバーに。 CMソングやドラマの主題歌など、既存のロックグループとは一線を画し、幅広くメディアで活躍。 「モンキー・マジック」「ガンダーラ」など数多くのヒットを飛ばした。 ギタリストとしては、日本でまだあまり知られていなかったギターシンセサイザーを取り入れるなど、バンドの洗練されたサウンドの屋台骨となった。 浅野さんの死去を受け、ゴダイゴのリーダー・ミッキー吉野さんは、「ゴダイゴのメンバーの中で一番長い付き合いでした。 悲しいの一言。 悲しくてやりきれません。 この時期のこういう別れは、本当に辛いです」とコメントした。 同じくゴダイゴのメインボーカル・タケカワユキヒデさんは「僕たちの大切な仲間、ギタリストの浅野さんが亡くなった。 つい2週間前に電話で話したばかりだったのに。 僕のどんな曲にもすぐにギターを弾いて合わせてくれるオールマイティなギタリストで、愉快な仲間だった。 冥福を祈りたい」とのコメントを発表し、浅野さんの死を悼んだ。 (定塚遼).

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