男 に は 負ける と わかっ てい て も 戦わ なけれ ば ならない とき が ある。 男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがある。

男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがある。

男 に は 負ける と わかっ てい て も 戦わ なけれ ば ならない とき が ある

「声」はアニメ版における担当。 虚刀流七代目当主。 島育ちのため世間知らずで、考えることが苦手な面倒くさがりだが、常識に囚われない発想が敵を倒す糸口を発見することもある。 かなりの長身で、鋼のように鍛えられた肉体を持つ。 動きやすいということで上半身裸でいることが多いが、豪寒的な寒さには弱い。 虚刀流の血統のせいで刀剣を扱う才能が全く無く、刀を振りかぶれば後ろに落とし、振り下ろせば前に零す。 物語の後半で心王一鞘流の初めての門下生として汽口慚愧から刀剣を学び基礎的な知識を身に付けるが、刀の扱いが苦手なのは変わっておらず刀を多少振れる程度にしか至っていない。 言われて一番傷つく言葉は「花が無い」。 面倒がりな性格で、口癖はとがめに禁止される前まで「面倒だ」だった。 その後とがめに強引に勧められ済し崩し的に決定した「 ただしその頃には、あんたは八つ裂きになっているだろうけどな」が決め台詞。 とがめに付けられたあだ名は「しちりん」。 ちなみに酒は飲めない(苦い水と認識した)。 も分からない。 人間としてではなく、一本の刀となるよう育てられたため、対峙する相手に全く拘りを持たない。 とがめと行動を共にするようになってからは、最低限とがめの望みを可能な限り叶える方針を採るようにはなったものの、人間社会の細かい事情は全く理解出来ないままであった。 戦闘に於いては勝敗以外の配慮は出来ず、実力差から言えばわざわざ殺すまでもない相手の命をも奪おうとしていた。 よく言えば無垢で善悪に頓着が無く、悪く言えば人間性に乏しく残酷だったものの、刀集めの旅に出てから、人間らしい感情や感性が育っていく。 とがめの刀として付き添いつつ「愛している」などと度々口にしていたが、物語中盤以降は他の男のことを褒めるとがめに嫉妬心から意地悪をするなど、次第に彼女への好意が本物になって行き(賊刀「鎧」の所有者である校倉必が、「七花との勝負に勝ったら、とがめを貰い受ける」と申し出た際、当初は予想外の申し出に戸惑うとがめを他所に、あまり気に留めるような素振りは無かったが、勝負で必を戦闘不能にした直後に「俺の女 とがめ に手を出すな」と告げていた)、最後には彼女にはっきりと好意を自覚しそれを伝えるまでに至った。 とがめの刀になりたいがために、七実と戦う直前まで実は七実の方が強いということを黙っていた。 元々、どちらかと言えば思慮深い性格であり、乏しいながらも知識の及ぶ範囲内では物語序盤から細かい配慮を見せている。 戦闘では冷静に相手を観察して作戦を考えるタイプ。 後述の「ちぇりお」問題では父・六枝がよく「ちぇすと」の掛け声を使っていたので誤りに気づいていたのにも関わらず、とがめに何らかの事情があって言っているに違いないと考え、敢えて指摘しなかった。 凍空こなゆきの体を乗っ取った真庭狂犬との戦いの際には「狂犬が乗っ取った相手ごと殺せ」というとがめの命令に反して、狂犬の刺青が彼女の本体だという仮説を立てて刺青のみを攻撃し、こなゆきを殺さずに狂犬を倒した。 汽口慚愧との戦いでは「まぐれ勝ち」を狙うとがめの奇策が自分が刀を扱えないことを前提とした策であることを見抜いて、慚愧に刀の手解きを受けてしまったことに焦った。 12話では、とがめを殺されたことで旅に出る前の性分に戻ったような言動を取った上で、自らの死に場所を求め、血に染まって赤くなった彼女の装束を着て腰に彼女の遺髪を提げ、尾張城を襲撃。 最後は否定姫の計略に乗せられた形で「とがめの人生を滅茶苦茶にした」と将軍を殺害した。 物語が終わった後はを作りながら全国を巡り、その後の消息は不明とされている。 24歳。 身長六尺八寸。 体重二十貫。 趣味は「無趣味」。 とがめ 声 - 物語の発端である「刀集め」の提案者。 策士ならぬ奇策士を自称する、尾張幕府家鳴将軍家直轄預奉所軍所総監督。 役職相応の鋭い観察眼と発想を持ち、自称どおりの奇策によって七花の戦いを支える。 普段は尊大な態度を取っているが、勘違いを指摘されると過剰に照れてパニックを起こし、子供じみた言動になるなど、落差の激しい性格をしている。 鎖骨が。 目は赤っぽい色をしている。 実は、四季崎記紀の歴史改竄による歪みから生まれた、本来の歴史には登場するはずのなかった人物。 否定姫には、四季崎の歴史に対する最大のイレギュラーと評された。 アニメ版では、驚いた時や策を弄する際などに時折、左目に黒い十字紋が浮かび、色が紫色に変わる。 派手な格好を好み、七花にはいつも大量の着物を運ばせ、彼女の住居である奇策屋敷は質実剛健な気風の尾張城下町に似つかわしくない奇抜な外見をしている。 小説では十二単のような厚い服を着ているような描写があるが、小説の挿絵、およびアニメでは、その通りには描かれていない。 服に関しては敦賀迷彩から「元は高貴な出自で、昔のことを忘れられない、忘れたくないのだろう」と推察されている。 奇策屋敷は外見こそ奇抜で豪華だが中は至って普通の武家屋敷であり、完成形変体刀集めに先立ち決意のために家財を全て処分している。 真の名は 容赦姫(ようしゃひめ)で、20年前幕府に謀反を企てた飛騨鷹比等の娘である。 幼い頃に一族を殺された時の激しい憎悪で白髪となっている。 髪は長かったが、第七話で七実の手刀で切られ頭になる。 「障子紙の如く弱い」「戦闘力はうさぎ以下」などと表現され(自称もしている)、役職につくにあたって非武装を心に誓ったため攻撃力はまったく無いが、もともと運動神経も悪い。 口も頭も回るが、校倉必とのやりとりから、七花からは交渉能力にも疑問を持たれている。 口癖は「 ちぇりお」。 薩摩のの掛け声である「ちぇすと」をどこかで聞き間違えたもので、第五話で真庭鳳凰により間違いを指摘され、恥ずかしさのあまり大いに取り乱したものの、そのまま押し通すことにした。 ちなみに、死にかけるたびに「もし私が死んだら、私の代わりに「ちぇりお」を広めてくれ」と七花に懇願している。 最初は自らの父を殺した鑢六枝の息子である七花のことも憎んでおり、旅が終われば殺害するはずであった。 しかし、旅の開始から半年後に蝦夷・踊山のこなゆきの住居に宿泊した際に七花から「自分の正体を知っている」と聞かされたことで感情的には殺したくないと思うようになっていた。 出羽で人鳥に会った後、自らの地図作りの技量を鼻にかけ、「刀集めを終えたら地図作りの旅に出て金儲けをしよう」と七花を誘ったが、11本の刀を集めて尾張に帰還した際に、城が遠くに見える場所 アニメでは神社の で、否定姫の命を受けた右衛門左衛門に炎刀「銃」で致命傷を負わされる。 この時わざと急所を外されて撃たれており、最期に七花に「自分の気持ちさえ駒だった」と告げた上で、「言葉は嘘でも、気持ちは嘘ではない」とも伝えている。 そして「これまでの何もかも忘れて好きなように生きよ」と自分の死を以って七花との契約を解除する旨を述べ、「何の救いもない、死んで当然の女だけれど、それでも私はそなたに惚れてよいか?」という「散り際の一言」を遺して事切れた。 年齢不詳(七花よりは年上である模様)。 身長四尺八寸。 体重八貫三斤。 趣味は「悪巧み」。 虚刀流関係者 鑢 七実(やすり ななみ) 声 - 七花の姉。 特異体質のため極度に病弱で、死人のような印象の女性。 極度の方向音痴。 「人間一人に到底収まりきれぬ」と表現されるほどの驚異的な強さをもち、相手の技を一度観ただけで体得、二度見れば万全に自らのものとすることができるという「見稽古」という技がある。 この能力により、教わっていないにも関わらず、父六枝と七花の稽古を見ることにより虚刀流の全ての技を身に着けている。 だが他者の能力を習得するのは強すぎる自分の力を抑え、その強さに耐えられない体を持たせるためであり、見稽古をせずとも日本最強であることには変わりがない。 また常人ならば何度も死んでいるはずの病にかかり続けているため、死なない程度の毒は全くものともしない。 唯一の欠点は体力がなさ過ぎることであり、継戦能力はない。 外見は穏やかでひ弱そう、口調はおどけたところもあるが丁寧。 しかし性格は冷酷で、自らを傷つけたり人を殺すことに感情はなく、邪魔な者を「草」と呼び、人として見ていない。 策謀にも長け、忍びの気配すら容易く察知する。 七花ととがめが旅に出た後も不承島に残っていたが、その後、真庭忍軍虫組の襲撃を機に完成形変体刀に興味を示し独自に刀集めを始め、死霊山を壊滅して入手した悪刀「鐚」の所有者となり、七花達を待つために四国の御剣寺をほぼ壊滅させ乗っ取る。 その後、七花と戦いの果てに息絶える。 弟の爪をかじる癖をやめさせるために彼の爪を全て剥がす等、一般的にみるなら歪んだ形ではあるものの弟である七花のことを大切に思っており、時には七花に殺されたいと思っていた。 四国ではとがめに対する嫉妬とも思える言動をとっている。 ネーミングセンスは弟と大差無く、自身を襲った真庭忍軍虫組のことを弟と同様の理由で「まにわに」と呼んでいた。 27歳。 身長四尺九寸。 体重七貫六斤。 趣味は「草むしり」。 鑢 六枝(やすり むつえ) 声 - 七花・七実の父親。 虚刀流六代目当主で、とがめの父である飛騨鷹比等を討ったことで、大乱の英雄と呼ばれていた。 妻のみぎりを殺した疑いをかけられて不承島に子供たちと共に流刑に処され、その地で19年間虚刀流の跡取りとして七花を鍛えていたが、娘・七実の天才性に恐怖を抱き殺害を試みるも、息子である七花によって阻まれ、逆に命を落とすこととなった。 鑢 みぎり(やすり みぎり) 声 - 七花と七実の母親。 六枝が仕えていた戦国六大名の一つ、徹尾家ゆかりの女。 何者かにより殺され、それが七花たちが不承島に流される原因となった。 七花は当時まだ幼く、母の顔は覚えていない。 鑢 一根(やすり かずね) 声 - 虚刀流開祖。 七花たちの遠い先祖。 1人山奥で剣の修行をしていたが、剣術の才能が無かったため、無刀の剣術・虚刀流を興す。 四季崎記紀と面識があった。 鳳凰の身体を乗っ取ったという四季崎記紀曰く「歴史など興味ないただの剣術バカ」だったらしい。 尾張幕府(おわりばくふ) 否定姫(ひていひめ) 声 - 尾張幕府直轄内部監察所総監督。 とがめので、彼女のことは名前ではなく「あの不愉快な女」としか呼ばない。 本名不詳で、とがめ同様素性も公には不明。 自分も含めて誰彼かまわず、彼女自身が「自分が否定姫である事以外の全てを否定する」と言う程ありとあらゆることをただ否定するのでこう呼ばれ、住居も「否定屋敷」と呼ばれる。 背が高く、青い目に金髪という日本人には有り得ない外見を持つ。 右衛門左衛門との共同所有という形で炎刀「銃」を所有しており、他の完成形変体刀のそれぞれの特性、能力についてもある程度知っている。 変体刀について詳しいのは四季崎記紀の末孫であるため(右衛門左衛門に対して語った時は、例によって否定している)。 とがめの過去は、彼女が彼我木輪廻に会いに行った跡を右衛門左衛門につけさせるまで知らなかった。 とがめの正体を知った後、本心では殺したくないと思いながらも、職務と自らの野望のために彼女を右衛門左衛門に殺させ、結果的に彼女の手柄を横取りし、将軍に謁見する。 目論見どおり七花が尾張城に討ち入った際には「彼は私ではなく奇策師の配下で、彼女は任務中に死亡した」と言った上で、「これも将軍の天下泰平のため」と七花を完成形変体刀を持たせた御側人十一人衆と戦わせる。 なお、将軍の前で七花にとがめのことをどう思っていたか問われた時には「嫌いじゃなく、なくもなかったわ」と答えている。 彼女の野望は 将軍家を無くす事。 四季崎一族は国を守るために将軍家が成立しないよう策を練ったが、予知とは別の家が将軍家になってしまったことで目論みが外れたのが事の発端である。 ただし、彼女自身は一族の悲願を達成したい反面、「記紀の思惑通り行かないのも見てみたい」とも語っていた。 結局、将軍・匡綱を殺しても歴史の改竄は行われずに彼女の野望は失敗し、反逆者として追われる身になり尾張を出奔。 髪を切って右衛門左衛門の「不忍」の仮面を被り、地図製作の旅に出た七花が「付いて来るな」と言ったのを無視して無理矢理彼に付いて行った。 とのコラボ作品『混物語』にも登場。 先祖の予知に従い、未来予知の技術を応用することで時代を越え阿良々木暦の前に現れた。 妖刀「心渡」を求め、暦と刀比べを行った。 年齢不詳。 身長五尺五寸。 体重十三貫。 趣味は「悪巧み」。 左右田 右衛門左衛門(そうだ えもんざえもん) 声 - 否定姫の。 尾張幕府直轄内部監察所総監督補佐。 「不及(およばず)」「不答(こたえず)」「不得禁(きんじえず)」「不外(はずれず)」など、会話の際には、相手の言動に対して「不」の付く否定形の言葉を放つ。 百七十年前、真庭忍軍に里を滅ぼされた「相生忍軍(あいおいにんぐん)」の最後の一人。 上下とも時代にそぐわない洋装で靴を履き、否定姫の命令で顔の上半分は「不忍」と大きく縦書きした面で隠している。 便宜上剣士を自称するが刀や剣術への執着はなく、大小二本の刀を腰に差しているがどちらも変体刀ではない普通の刀。 真庭鳳凰は親友であったが、忍法と人格(および顔面の上半分)を奪われた関係でもある。 それ以来しばらく「精神的に死んだ」状態だったが、否定姫に自分の「死」を否定されたことがきっかけで忠誠を誓った。 感情を露わにすることはめったになく、否定姫に強い忠誠心を持ち、任務には非常に忠実。 しかし、否定姫が日和号を嘲笑した際に窘めるなど、ロマンチストである。 なお、現在の名前は部下となった時に否定姫から授かったもの。 強さも冷徹さも優れており、海亀を「 相生忍法 背弄拳(あいおいにんぽう はいろうけん)」と「 不忍法不生不殺(しのばずほう いかさずころさず)」、鴛鴦を炎刀「銃」で一蹴。 鳳凰と互角の戦いをし(相手が乱心したため中断)、その後人鳥を「僅かな危険性も断つ」という理由で殺害。 そして全ての枷を外した七花と死闘を繰り広げた。 年齢不詳。 身長六尺一寸。 体重十五貫。 趣味は「掃除(天井裏の)」。 家鳴 匡綱(やなり まさつな) 声 - 尾張幕府八代将軍。 かなりの高齢。 先の大乱時、幕府の指揮を執った。 能力には疑問が見られ、否定姫からは内心で見下されており「貰った物を継いだだけの八代目などこの程度」と称されている。 否定姫の策にのせられた七花によって殺された。 その後、彼の直系の息子が九代将軍に就任した。 原作では姿について明言されなかったが、アニメ版ではのような顔立ちで描かれていた。 家鳴将軍家御側人十一人衆 家鳴将軍家に代々仕える御側人の一団。 それぞれが完成型変体刀の使い手になり得るだけの技や能力を持っており、第十二話において七花の前に次々と立ち塞がるも、否定姫の策略で使い手と相性の悪い刀を持たされた挙げ句に枷を外した七花に全員秒殺されてしまい、真庭忍軍以上の噛ませ犬で終った。 それぞれの変体刀の特性については、後述の「所持者」と「完成形変体刀十二本」を参照。 般若丸(はんにゃまる) 声 - 妙に目つきの鋭い、前髪を不揃いに垂らした男。 口元に般若のような仮面を付けている。 絶対に折れない変体刀・絶刀「鉋」と、それによる突き技「 報復絶刀」を使用するが、全力の『菊』で絶刀「鉋」を折られ「七花八裂(改)」で倒された。 鬼宿 不埒(おにやどり ふらち) 声 - 坊主頭に髭面、僧形の男。 斬刀「鈍」を使い、七花との戦闘前に五人を斬って「 斬刀狩り」を発動させるが、白刃取りで受けて折られ「百花繚乱」で倒された。 七花がたやすく対応できた事から、銀閣の零閃には及ばなかった模様。 巴 暁(ともえ あかつき) 声 - 左目に眼帯をかけた女。 敦賀迷彩同様に千刀流の使い手で、千刀「鎩」を両手に持ち、部屋中にも突き刺して「 地形効果・千刀巡り」を発動させるが、七花に千刀「鎩」を破壊され、迷彩と同じく「鏡花水月」で倒された。 七花が苦手とした迷彩以上の使い手を自称したが、彼が苦手としたのは迷彩の人柄で、千刀巡りそのものではない事には気づいていなかった。 なお、原作では1本しか壊れておらず、「千本のうち一本でも失われたら取り返しがつかない」ため事実上破壊された事になっているが、アニメでは千本すべて砕かれている。 浮義 待秋(ふぎ まつあき) 声 - 総髪の髪を全て後ろに流した男。 日本最強の剣士錆白兵の好敵手だった男で、それに相応しく薄刀「針」を壊さず扱う技量を持ち「 薄刀開眼」 を使う。 しかし錆白兵との闘いで薄刀の特性を高いレベルで体験していた七花には通じず、 収集するためできなかった 筋をずらすことで薄刀を破壊されて「花鳥風月」で倒された。 七花によると薄刀の扱いでは白兵には及ばないらしく、原作では「あんたにゃちっとも、ときめかねえ」と言い捨てていた。 なお、原作では額で受けて破壊していたが、アニメでは指で摘んで破壊している。 伊賀 甲斐路(いが かいろ) 声 - 伊賀忍者。 体を大きくする忍法「 伊賀忍法 筋肉騙し」を使い、規格外の大きさである賊刀「鎧」を着用できた。 初手を取ったものの、一度対した経験のある七花には特性も見破られており、空中へ放り投げられ落ちてきたところに「柳緑花紅」を受け、衝撃を逃がす事もできず鎧の中で肉体を破壊され息絶えた。 なお、原作では「中からしか開けられない」という構造上、中の人間が死んだため事実上破壊された事になっているが、アニメでは中の人間ごと破壊されている。 真庭 孑々(まにわ ぼうふら) 声 - 美少年らしい。 真庭忍軍の出自だが、先祖は二百年以上前に真庭忍軍を離反、尾張将軍家にのみ忠誠を誓った。 物体の重さを操る「 真庭忍法 足軽」が使えるため、超重量の双刀「鎚」を扱う事ができた。 その際、七花は「あんたより弱いまにわには、さすがにいなかったよ」と半笑いで吐き捨てた。 胡乱(うろん) 声 - 奇抜な意匠の西洋眼鏡をかけた男で、拳法の使い手。 悪刀「鐚」を体に刺し、身体を活性化する「 悪刀七実」を発動させた。 本人は七実を引き合いに出し、健康な肉体に用いた事による更なる優位さを信じていたが、重さを取り除かない状態で「『雛罌粟』から『沈丁花』まで、打撃技混成接続」を打ち込まれ死亡し、悪刀「鐚」も保有していた雷を使い尽くしてしまった。 なお悪刀「鐚」は、原作では普通に心臓から抜け落ちていたが、アニメでは電気が切れたという描写なのか、錆びたように茶色く変色し砕け散っていた。 灰賀 欧(はいが おう) 声 - 豊かな髪を左右に振り分けた女。 両手に鉤爪のような武器を備えている。 七花が日和号に対して結局は動力切れによる勝利を選んだ事を知っており、自分の命令にだけ従うように設定変更された日和号(微刀「釵」)を従え、「 微風東風」と自身による同時攻撃を仕掛けたが、「七花八裂、応用編」で返り討ちにあった。 七花からは「灰賀が一緒に闘うことで、かえって日和号の邪魔になっている」と指摘された。 墨ヶ丘 黒母(すみがおか こくぼ) 声 - 何かに怒っているような厳しい表情をした男。 尾張一の獰猛者として知られていたが、王刀「鋸」を手にした事で「 王刀楽土」が発動し、穏やかな心持ちで七花に対して戦いを避けられないかと説得しようとしたが相入れず、斬り結ぼうとするも首を折られ 原作では「錦上添花」で 死亡した。 その際、七花から「あんたの言葉は汽口のそれと違って、上っ面だけで全然心を打たねえよ」と一蹴された。 皿場 工舎(さらば こうしゃ) 声 - 額にを巻き、を着た少女。 刀身の無い変体刀・誠刀「銓」を割り当てられたもののどうしていいか分からず、七花から戦闘を放棄して逃げ回る「 誠刀防衛」の存在を聞くが使えるわけもなく、とりあえず投げつけた。 原作では投げた後で接近戦を試みるが「飛花落葉」を受け、アニメでは七花から「とりあえず投げて使えば」と勧められ原作通り投げてみたものの七花にあざやかに膝蹴りで蹴り返され、蹴り飛ばした「銓」が額に直撃し、気絶した。 十一人衆で唯一の生き残り。 呂桐 番外(ろぎり ばんがい) 声 - 恰幅のよい大男。 毒刀「鍍」を使ったが、「 猛毒刀与」の効果によってほとんど自我を失い、完全に乱心していた。 そのため、本来の実力が発揮できないまま「落花狼藉」で倒された。 淡々と十一人衆を打ち破っていた七花も、乱心したその姿に「すぐ楽にしてやる」と同情を思わせる言葉を発していた。 真庭忍軍(まにわにんぐん) この物語における「」役。 『卑怯卑劣』を売りにした暗殺専門の忍者集団で、正式名は 真庭忍軍十二頭領。 人格破綻者の集まりで、集団行動をしない。 それぞれ突出した能力を持っているが固まって動くと互いの足を引っ張ってしまうため、頭領が12人いる。 頭領は3人ずつ手を結んでおり、それぞれ「鳥組」「獣組」「魚組」「虫組」の四組の派閥に区分されている。 服装は一般的な忍者のイメージとかけ離れており、覆面はしておらず、装束には袖がなく、主に防具として全身に鎖を巻いている。 巻き方、巻く場所は一人一人違う。 とがめから「刀集め」を依頼されたが、時代の流れで滅びかかっている真庭の里を救うため、変体刀の売却で得られる金目当てに裏切っている。 とがめと七花、および七実からは「短くていい」「可愛らしくて素敵」という理由で「 まにわに」と呼ばれている。 実は、四季崎記紀の歴史改竄の歪みによって生まれた存在で本来の歴史には存在しなかった。 真庭 蝙蝠(まにわ こうもり) 声 - 「 冥土の蝙蝠」。 絶刀「鉋」の蒐集に成功し、その後とがめを裏切った。 体内にどんなものでも収納できる柔軟な体質をしていて、絶刀「鉋」を呑み込んで保管していた。 耳障りな甲高い声でしゃべり、「きゃはきゃは」と特徴的な笑い方をする。 自身の「冥土」という異名を聞かされた七花の印象は「」。 使用する忍法は、体内に収納した多量のを一気に吐き出す「 手裏剣砲(しゅりけんほう)」と、外見から声色まで自在に作りかえる「 忍法骨肉細工(にんぽう こつにくざいく)」。 しかし衣装までは変えられないため、変装用の衣装は自分で用意している。 卑怯卑劣が売りの忍者にしては珍しい接待好きと評されており、異名も「冥土の土産を大盤振る舞いする」ことが由来。 ただ忍びとして育った結果、自分に役目が回ってきただけと語り、敵をいい気分にさせるためわざと負けるようなどお茶目な所がある。 自分でも本来の姿に確信を持っていない。 組を気にせず鳥組とも親しい間柄だったようで、人鳥の回想の中で寛ぎながら人鳥にとがめに対する情報(ひねくれている・腹の中まで腐ってる等)を語っているシーンがあり、蟷螂に対しても一目置いている。 丹波の不承島で七花と戦い敗れ、真庭忍軍最初の殉職者となった。 身長五尺八寸。 体重十五貫。 趣味は「陶芸」。 真庭 白鷺(まにわ しらさぎ) 声 - 「 逆さ喋りの白鷺」。 「ぜうらもてせら乗名」(「名乗らせてもらうぜ」)のように常に逆向きに喋っており、その喋り方自体が白鷺の使う忍法に密接に関係しているらしい。 使用する忍法は「 忍法逆鱗探し」という名前だが、詳細不明。 斬刀「鈍」を入手すべく下酷城へ赴くが、銀閣のいる部屋に足を踏み入れた瞬間に一刀両断され死亡した(斬られた瞬間はそのことに気づかなかった)。 真庭 喰鮫(まにわ くいざめ) 声 - 「 鎖縛(さばく)の喰鮫」(登場回においては「先月登場しとけば 」などと、言いもしないツッコミを自ら 原作では語り手が 入れている ただしノイタミナ版ではカットされている。 無益な殺生が好きで、金銭目的以外で働いたことがないのを誇りにしているが、誰に対しても敬語で接する慇懃無礼な人物。 「〜ですね」など(主に「いいですね」)を3・4回繰り返して言うのが癖。 使用忍法は、鎖に繋いだ刀を高速回転させて相手をバラバラにする「 忍法渦刀(にんぽう うずがたな)」で、幕府の関所を壊滅させたほどの戦闘力を持つ。 使用する忍法の特性上、装束に巻いている鎖が他人より若干長い。 七花に「まにわに」と直接呼ばれた最初の真庭忍軍だが、この奇妙な愛称を喜んでいた。 「戦う理由をわざわざ考えるくらいなら、そもそも戦う必要はない」という旨を口にしており、これは奇しくも最終話で七花が同様のことを口にしている。 千刀「鎩」を入手すべく出雲国三途神社に赴き攻撃を仕掛けるが、迷彩に自分の刀を両方とも使われ斬殺された。 真庭 蟷螂(まにわ かまきり) 声 - 「 首狩りの蟷螂」。 虫組の指揮官。 真庭忍軍の組では唯一頭領三人で行動を共にしており、絆も固い。 回数に限度はあるが、自分の爪を数十秒から数分にかけて異様なほどの長さに伸ばすことができ、これを武器とする「 忍法爪合わせ」を使う。 そのため虫組の中では最も戦闘向きと評される。 誰を相手にしても過大評価も過小評価もしない人格者。 虫組で丹波の不承島に赴き、蟷螂の単独行動にて鑢七実をさらいに襲いかかるが、攻撃をかわされたあげく逆に七実に捕らえられて拘束され、武器となる爪をすべて剥がされた上、拷問的な仕打ちを受ける。 従うふりをして反撃を狙うが、返り討ちにあい絶命する。 喰鮫とは逆に無益な殺生を好まない。 使用する忍法は、自分や自分が持った物の重量を消す「 忍法足軽」。 それを応用し、海の上を人を自身の肩の上に乗せて移動することができる。 また真庭忍軍独自の武術 真庭拳法の使い手でもある。 南方の生まれで、真庭の里の出身ではなかった。 同じ十二頭領の一人である鳥組の真庭鴛鴦と婚約している。 (アニメ版での銘柄は「」)を吸っていたが、鴛鴦との結婚の条件として禁煙している。 蟷螂の敗死を察すると、敗北を承知で仇討ちと次の手の捨石となるために蜜蜂を残して七実に勝負を挑む。 当初は足軽を用いた身軽な動きで優位に戦っていたかに見えたが、見ただけで足軽を習得した七実の前に敗れ去る。 アニメ版では、初代真庭蝶々と鑢一根との邂逅について言及している。 真庭 蜜蜂(まにわ みつばち) 声 - 「 棘々の蜜蜂」。 使用する忍法は、20丈先からでも百発百中の精度で、毒を仕込んだ巻菱を飛ばす「 忍法巻菱指弾」。 虫組頭領で一番若く、また一番長身。 少々控えめな所があるが虫組同士の友情は篤く、虫組の将来を託されていた。 蟷螂と蝶々の敵を討つために七実に麻痺毒付きの巻菱指弾を打ち込むことに成功。 勝利を確信し饒舌となるが、実は全く通用しておらず七実が知りたかった情報を喋らせられることになる。 その直後、自分が投げた巻菱指弾に蟷螂が自決のために奥歯に仕込んでいた毒を塗られた物を打ち返されて戦闘不能となり、毒で死ぬよりも斬り殺されることを選ぶ。 命乞いの代わりに三人一緒に葬ることと、線香代わりに蝶々の煙草を立てることを懇願した。 真庭の里の観察者。 真庭忍軍で人一倍情に篤い。 こなゆきに乗り移る前の体は長い髪を後ろでひとつに縛った女。 全身に黒い直線が出鱈目に這ったような刺青がある。 使用する忍法は、触れた相手に刺青を介して体から体へを移し、対象の体と記憶、経験、知識などを乗っ取る「 忍法狂犬発動」。 ただし狂犬自身が女性であるため、男性には使用不可。 身体ではなく刺青が狂犬の本体とも言え、この忍法によって100人を越える手練の女性武術家の体を乗り換え続けており、真庭の里の創生期から存在している アニメ版ではこなゆきに憑依した後、前の体は灰のようになって砕け散った。 また、乗っ取った相手の記憶を引き継ぐことができ、他の体に移っても前の憑依した相手の記憶を持ち続けることができる。 残留思念だけで存在している自分を恥じており、それゆえ仲間の生命に関するこだわりは人一倍強い。 鳳凰の話を聞かずに暴走し、仲間の仇である七花を殺すべく単身で蝦夷・踊山に向かい、こなゆきの肉体を乗っ取り七花に戦いを挑む ただし、この時点で七花が殺したのは蝙蝠だけであり、白鷺を殺したのは銀閣、喰鮫を殺したのは迷彩、虫組を殺したのは七実なのだが、彼女はそれを知らない。 だが、武道の心得があるため動きを読まれてしまい、「飛花落葉」で皮膚=刺青だけを攻撃され敗れる。 真庭 川獺(まにわ かわうそ) 声 - 「 読み調べの川獺」。 獣組の指揮官。 使用する忍法は、石や机、刀などの無生物が持つ「記録」を読むことが出来る「 忍法記録辿り」。 のようなものなので、人の心を読むことは出来ない。 蝙蝠の一番の友人にして、良きライバル。 誰に対しても常に飄々とした態度で接し、自分の命に対する執着がほとんどない。 真庭の里の出身だが、父方の血に陸奥のものが入っているため、死霊山神衛隊の交霊術と「 忍法記録辿り」の関連性が作中で言及されている。 七花&とがめと真庭忍軍との同盟を交わした矢先、真庭狂犬の独断専行による七花を襲った理由により信頼失墜、同盟破綻ともいえる事態に陥った際、その責任として、とがめと七花の前で自らの首を差し出し真庭鳳凰によって殺害された。 片腕を失っていた鳳凰は彼の腕を取り込んで両腕に回復し、「 忍法記録辿り」も使えるようになった。 真庭 海亀(まにわ うみがめ) 声 - 「 長寿の海亀」。 魚組の指揮官。 一見すると若い風貌の男だが実は結構な年で、本人によると若作りしているらしい。 一人称は「わし」で、事あるごとに自身を「最高格好よくて最高いかした最高強い最高もてもて最高金持ち」と評する。 南蛮渡来の刺突剣であるを帯刀しており、忍術に関しては「ほとんど使えぬ」と語る一方、剣術に関しては「虚刀流や錆白兵にも引けを取るつもりはない」と豪語する。 七花ととがめが微刀「釵」の収集している時に、人鳥の情報を基に信州にあるという完成形変体刀を探しに赴く。 そこで右衛門左衛門に行く手を阻まれ交戦するが、力及ばず敗死する。 真庭 鴛鴦(まにわ おしどり) 声 - 「 巻戻しの鴛鴦」。 全身に鎖を巻いたしのび装束でも隠しきれないほどの妖艶さを持つ女。 同じ十二頭領の一人、虫組の真庭蝶々と婚約している。 目上の鳳凰に対しては敬語を使うが、基本的には蓮っ葉な話し方をする。 使用する忍法は、1つの持ち手から10本に枝分かれして1つ1つの先端に刃物がついているを両手に1本ずつ持ち、それを同時に振り回して操る「 忍法永劫鞭(にんぽう えいごうべん)」で、その攻撃特性は彼女曰く「防御こそ最大の攻撃」という攻防一体の技。 毒刀「鍍」を入手した矢先に、否定姫から真庭忍軍暗殺の命を受けた右衛門左衛門の襲撃を受け、人鳥と鳳凰を逃がし殿を引き受けた。 一時は永劫鞭で押すが、右衛門左衛門の炎刀「銃」に撃たれ、蝶々を想いながら息絶える。 真庭 人鳥(まにわ ぺんぎん) 声 - 「 増殖の人鳥」。 年端もいかない小柄な童子であるが、真庭忍軍頭領の中でも鳳凰に次ぐ実力者とされている。 特に情報収集とその分析に関しては、鳳凰に「お前の情報には千に三つの誤りもない」と言わせるほど。 自らの忍術の影響で、常に何かに怯えたような態度でたどたどしく挙動不審の気があるが、頭領の1人として自分の意見はしっかり口にする。 使用する忍法は、人鳥を狙って放たれた飛び道具を自らの強運によって当たらなくする(一発必中とされている蜜蜂の「忍法巻菱指弾」ですら全く当たらない)「 忍法運命崩し」と、反射によって加速し威力を増す2つの楕円形の球「柔球」を跳ね回らせ、「運命崩し」と組み合わせて使用する「 忍法柔球術」。 毒刀「鍍」の毒に体を乗っ取られた鳳凰に斬られ瀕死の重傷を負い、出羽に逃げて道中で倒れたところをその場に通りかかった七花ととがめに助けられ、鳳凰の危機をとがめに託す。 七花ととがめが去った後に右衛門左衛門が現れ、狭い旅館の一室という好条件の下で「忍法柔球術」を用いて優位に戦局を進めたが、自らの意思の宿らない跳弾を用いた右衛門左衛門の射撃の前に破れる。 この段階ではまだ重傷を負うに留まり戦闘不能程度の状態であったが、「感情の不安定な子供であるが故に、見逃せば思わぬ障害になる危険性がある」と判断した右衛門左衛門により、確実に致命傷を与えるためにと口に銃口を咥えさせられた状態で発砲され、落命した。 死ぬ間際に「戦いたくなんてなかった」と嘆き、右衛門左衛門は「そんな情けないことを言って死ぬのは、歴史上お前が初めてだ」と侮蔑した。 真庭 鳳凰(まにわ ほうおう) 声 - 「 神の鳳凰」。 謎多き男。 鳥組の指揮官で、実質的な真庭忍軍の頭。 すらりとした長身で、伸ばした髪を真っ直ぐに下ろしている。 十二頭領の中で唯一、実在しない動物の名を冠している。 使用する忍法は、自分の身体を切り落として他人の身体を繋ぎ直し、その特性を奪う「 忍法命結び」と、詳細不明の「 忍法断罪円」。 かつてリーダーシップ 社会性 を得るために後の右衛門左衛門から顔面の上半分を奪い、その副産物として「忍法生殺し」 鳳凰が使う「忍法断罪円」と右衛門左衛門が使う「不忍法不生不殺」 が使えるようになった。 七花ととがめが薩摩に着いた時点で真庭忍軍の頭領が半数に減っていたため、とがめを信用させるために自ら左腕を切り落とし、同盟(とがめに言わせると一時休戦)を結ぶ。 この時、とがめは自分が所在を知っている双刀「鎚」のありかを、鳳凰は3振りの変体刀のありかを教えあった上で、鳳凰は否定姫が動き出したことをとがめに伝えた。 その後、独断で動いた狂犬を止めに川獺と共に蝦夷に向かうも間に合わなかった。 川獺を殺害し、収集に有効な忍法記録辿りを封じてとがめとの同盟破綻の回復の証としたように見せたが、その後で川獺の左腕を自らの左腕として接続、「忍法記録辿り」を使用できるようにするなど狡猾さも併せ持つ。 毒刀「鍍」に 忍法記録辿りで触れてしまったことで刀の毒に体を乗っ取られ、真庭の里を皆殺しにした後、変体刀の実態を語り、歴史上暫くは破られる予定の無い突き技を放つなど四季崎記紀本人であるかのような言動を取る様になった。 とがめはこれを乱心の一種、「他人になったという思い込み」ではないかとも述べており、本当に四季崎記紀の思念が蘇ったのかは判然としない。 32歳。 身長五尺九寸四分。 体重十六貫。 趣味は「気苦労」。 刀の所持者 真庭 蝙蝠(まにわ こうもり) 声 - 鈴木千尋 絶刀「鉋」の所有者。 を参照。 の不承島で七花と戦い敗れる。 限定奥義:報復絶刀(ほうふくぜっとう) 絶刀「鉋」による荒い突きと、大跳躍からの袈裟懸け斬り。 宇練 銀閣(うねり ぎんかく) 声 - 下酷城城主。 の達人で、目にも留まらぬ速さの抜刀術「 零閃(ぜろせん)」の使い手。 射程内の敵なら一刀両断だが、射程以外の頭上や真上に対して無防備なのが致命的な弱点。 先祖から斬刀「鈍」を継いでいる。 環境変化で全土がと化した因幡国の最後の住人。 いつも寝てばかりいるが、実際には立て付けを悪くした襖を開ける音で目を覚ますほど眠りが浅い。 32歳。 身長五尺四寸二分。 体重十四貫二斤。 趣味は「睡眠」。 散り際の一言は「これでやっと……ぐっすり、眠れる」。 限定奥義:斬刀狩り(ざんとうがり) 斬刀「鈍」を血で濡らし、鞘とのを減らしてを超える居合いを繰り出す。 その原理ゆえに「斬れば斬るほど速くなる」。 彼の先祖である宇練金閣(うねりきんかく)の一万人切りの真相。 敦賀 迷彩(つるが めいさい) 声 - 三途神社の長。 帯刀せずに相手の刀を利用して攻撃を仕掛ける奪刀術 千刀流の使い手。 出雲を守護していた護神三連隊の、二番隊隊長で千刀流を教えていた剣道場の道場主の一人娘だった。 大乱で戦災孤児となり、千刀「鎩」が頭目に受け継がれている山賊衆に参入したが、三途神社を襲って先代の敦賀迷彩を殺した際に「自分の代わりに神社を守れ」と言われたことがきっかけで山賊を抜け、敦賀迷彩の名と立場を継いだ。 黒巫女の治療に刀の毒を用いていた。 傷ついた迷い人を受け入れ癒す度量と人格の持ち主。 とがめに「鎩」の原型となった最初の1振りを探させ、それが成功した後に七花と刀を賭けて試合をする、という取り引きをした。 とがめからそうと思わしき刀を差し出された時には「お前がそうと言うならそうなのであろう」と言った。 七花と語り合い理解するものもあったが、刀を譲ることと戦わないことはできず、最後は七花との勝負に負け絶命したことで、とがめは心を深く痛めた。 これを期にとがめは約束として今後の七花との対戦相手を無闇に殺さぬよう七花と向き合う事となる。 その後迷彩亡き後、2人の弟子が神社の長として後を引き継いだ。 七花との最期の打ち合いの際には、「千刀流十二代目当主」と名乗っていた。 本名不明。 年齢不詳。 身長五尺八寸。 体重十三貫一斤。 趣味は「飲酒」。 限定奥義:地形効果・千刀巡り(ちけいこうか・せんとうめぐり) 千刀「鎩」をあらゆる場所にしかけ、そこに敵を誘い込む。 敵を精神的に追い詰めることも可能。 迷彩の弟子 アニメオリジナルキャラ。 迷彩の側近を務める双子の黒巫女。 の匂宮兄妹を元にデザインされている。 黒巫女(くろみこ) 三途神社境内で姿を見かける、揃いの黒装束と仮面を身につけた巫女たち。 全員がを持ち、他に行く場所もない。 一人一人が千刀「鎩」を持つ。 錆 白兵(さび はくへい) 声 - 堕剣士。 ので七花と決闘する。 最初に入手した薄刀「針」に魅入られて裏切った。 「拙者にときめいてもらうでござる! 」が口癖。 女と見まごうような総髪の美青年。 空に浮かぶ太陽ですら真っ二つにできるという触れ込みで、その名に恥じぬ強力で多彩な剣技を持つ。 果たし状を渡すなど、古風な男である。 全存在を剣にのみ懸け、それ以外は眼にも入らず、恐怖も戦慄も躊躇もない男。 20歳。 身長五尺三寸。 体重十一貫五斤。 趣味は「剣法」。 最期に七花に「鑢は四季崎の忘れ形見で、錆は四季崎の失敗作」「虚刀流は四季崎のケットウ」という謎めいた言葉を残しており、それが虚刀流と全刀流の正体に関する伏線となっている。 ストーリー上大きな役割を果たすかのように扱われていたが、七花との決闘の描写がすべて省かれるというサプライズがあった。 とくにアニメ版では、第3話における次回予告で七花との決闘シーンが描かれながら、第4話では七花ととがめの会話に出てくるのみで 、原作同様の展開となった。 限定奥義:薄刀開眼(はくとうかいがん) 巌流島において鑢七花と決闘した際、錆が使ったらしい薄刀・針の限定奥義。 錆との戦闘自体が直接描写されなかったため詳細不明。 七花は「ただ脆いだけかと思っていた薄刀にあんな利点があるとは思わなかった」と語っている。 校倉 必(あぜくら かなら) 声 - 、(幼少期) の濁音港を一手に仕切る、鎧海賊団の船長。 九州男児を自称しているが、実際はで生まれ育った。 この頃はただ「かなら」とだけ呼ばれており、を許されているわけでなく「校倉」の名字は自分で考えたもの。 幼きころ妹の「こころ」と共に父の漁船に忍び込んだ際に遠海で鎧海賊団の襲撃を受け、彼らが雑用係を欲していたのが理由でただ一人生き残った。 その後はこの憎しみを秘めて当時の鎧海賊団の雑用係にされていたが、海賊団が戯れに賊刀「鎧」を彼に着せた事から「鎧」の所有者となって彼らを殲滅し、自らが新たな頭目になる。 このときから生涯賊刀「鎧」を人前で脱がないことを誓った。 大盆と呼ばれる公開闘技場の主で、自らも闘士として参加することもある。 敵情視察のために七花ととがめが大盆の試合を観戦していた際に、今は亡き妹の「こころ」と少し似ていた、とがめに一目ぼれし、七花が勝ったら「鎧」の引渡しと鎧海賊団がとがめの道中を支援する代わりに七花が負けたらとがめを貰い受けるという提案を懸けて七花に決闘を申し込んだ。 その後も、とがめに妹の「こころ」の面影を重ねていた。 七花に敗北し約束通りとがめの道中を支援するも、薩摩から紀州に戻ろうとする二人への意趣返しとして蝦夷行きの船に乗せた。 七花に敗北 傷は軽症程度 し賊刀「鎧」を失った後も、大盆の一番人気であり続けているらしい。 因みにとがめには興味はあったものの七花が集めた刀には一切興味はなかった。 この戦いで七花は、とがめからこの勝負で相手をなるべく殺さず勝つようにと言い渡されている。 それ以降殺すに値しない相手に対しては無闇に殺すまでに至っていない。 38歳。 身長七尺五寸。 体重三十九貫三斤。 趣味は「釣り」。 限定奥義:刀賊鴎(とうぞくかもめ) 見た目は他の技と変わらない、全重量を乗せた猛スピードの体当たり。 アニメ版では技を繰り出す際、鎧の一部がわずかに変形する描写があった。 凍空 こなゆき(いてぞら こなゆき) 声 - の壱級災害指定地域、踊山に住む凍空一族の最後の生き残り。 一人称は「うちっち」で、語尾に「っち」を付けることが多い。 腕と脚のとで倒れた七花を前に慌てるとがめを発見し、二人を住居に運んだ。 凍空一族は出雲のを祖とし、一族特有の怪力で、この世で最も重い刀、双刀「鎚」を持ち運びできる 現在では 唯一の人物。 元々村長の長男が双刀「鎚」の所有者だったが、こなゆきが1人で散歩に出ている間に鑢七実の手にかかり全滅した。 それ以来洞窟に住処を変えて兎などを狩りながら暮らしてきた。 その寂しさから、山を訪れた七花ととがめに「所有者としての『資格』がなければ刀は渡せない」と嘘をついて足止めした(とがめにはバレていた)が、根は善良な少女。 凍空一族は狩りに刃物をほとんど使っていなかったため、とがめに訊ねられるまでこなゆきは「鎚」の存在を知らず、刀を見たことが無かった。 それまでの変体刀所有者と違い剣術や武術の心得は全くなく、怪力自体も同年代の凍空一族と比べても一族最弱。 半ば遊びとして勝負するが、素人故に七花は動きが全く読めず、左腕を骨折して敗北する。 七花が唯一勝てなかった人物である。 真庭狂犬に肉体を乗っ取られるが七花に救われ、双刀「鎚」を尾張に運ぶ。 その後、三途神社の護衛となり、その天真爛漫さで黒巫女の心を癒すのにも一役買っているらしい。 11歳。 身長四尺二寸。 体重八貫三斤。 趣味は「散歩」。 限定奥義:双刀之犬(そうとうのいぬ) 双刀「鎚」を振るって敵に飛び掛り、寸前で持ち手を変えて剣の反対側をぶつける打突攻撃。 どちらが上か分かりにくい双刀「鎚」の構造を利用した技。 実際に放ったのはこなゆきの身体を乗っ取った真庭狂犬。 鑢 七実(やすり ななみ) 声 - 中原麻衣 悪刀「鐚」の所有者。 を参照。 蝦夷・踊山を壊滅させた後、剣士の聖地、の清涼院護剣寺を襲撃して僧兵を全滅させ、そこを乗っ取り、鳳凰から悪刀強奪の報を聞いて追ってきた七花と相対する。 武術、忍術を問わず、相手の技(身体を変化させたり、怪力などの特異体質も含む)を見るだけで簡単に会得、使用できる規格外の強さを持つ。 七花との一度目の対戦では手加減をしつつも七花を圧倒した。 二度目の対戦ではとがめの奇策で照明のに細工を施され暗闇になった大仏殿で戦う羽目になり、「見稽古」を封じられた状態で七花の七花八裂(改)に倒れ、「鐚」を回収された。 しかしその時点では死んでおらず、封印していた本気を出して七花と殺し合いを演じた末に体が限界に達し、最後には七花の手でとどめを刺される。 「鐚」を奪って清涼院護剣寺という目立つ場所に居座ったのは、病弱なのにどうやっても死ねない自分を七花に殺させるためだった。 散り際に「よくぞ私を殺してくれたわね」と言おうとしたが、間違えて「よくも私を殺してくれたわね」と言ってしまった(実質的な散り際の一言は「……あれ…?噛んじゃった……」)。 限定奥義:悪刀七実(あくとうしちみ) 悪刀「鐚」を胸 に刺し、病弱な身体を強制的に活性化させた状態。 七実は「弱点も隙もない」と評した。 日和号(びよりごう) 声 - 四季崎記紀が生前もっとも愛した女性を模したからくり人形であり、微刀「釵」そのもの。 の壱級災害指定地域、不要湖を数百年にわたって徘徊し、射程距離に入った人間を無差別に攻撃する。 このため不要湖にはうかつに人間が近づけず、それが理由で壱級災害指定地域に指定されている。 「不要湖に捨てられたがらくたの化身」などと言われ、「がらくた王女」とも呼ばれている。 とがめと否定姫は、「不要湖のどこかにある四季崎記紀の工房を守り続けている」との推測を立てていた。 最後は曇天下での七花との持久戦による戦いで燃料切れと共に動力が止まり、敗北となった。 この戦いで七花は人間としての心を知った。 四本の腕と四本の脚を持ち、首が百八十度回転し、口にあたる部位からは槍を突き出す。 脚を変形させてのように飛ぶことも出来る。 動力源は。 年齢不詳。 身長六尺八寸。 体重十七貫三斤。 趣味は「無趣味」。 反撃技:人形殺法 高速移動と同時に装備状の武器を自在に操り「竜巻」、「旋風」、「春一番」、「突風」、「嵐」、「砂嵐」、「台風」、「カマイタチ」、「微風刀風 最後に登場 」などあらゆる技を繰り出し敵を追い詰め切り刻む。 限定奥義:微風刀風(びふうとうふう) 人形殺法の奥義で、人形殺法の最後に登場する大技。 逆立ちの状態になって4本の足を高速回転させ、手のばねで一気に飛び上がり、そのまま飛行して敵を切り刻む。 汽口 慚愧(きぐち ざんき) 声 - 棋士の聖地、の将棋村に道場を構える心王一鞘流の十二代目当主。 直毛で長い黒髪の女性。 とがめに、剣ではなくを取れば間違いなくとがめ以上の腕前になったであろうと評された、文武両道の人物。 道場を継ぐまでは将棋三昧の日々をしていて刀の修行は殆どしていなかったが、道場を継げる者が彼女しかいなかったためやむなく継ぐこととなり、当初は嫌々だったのが王刀・鋸を手にしたとたんそのことを受け入れてしまった、という経緯がある。 心王一鞘流の当主は本来は血筋によらない(現当主が例外的)。 とがめとの将棋対決にとがめが勝ったら七花との対決を受け入れる、と約束した。 しかし、将棋対決の後で七花が防具を付けず刀を持たずに対決しようとしたことを「見くびられた」「七花側が不利」と断じて防具を着けての木刀での試合を無理強いし、七花はこれに負けた。 そのため、王刀「鋸」を懸けて対等に戦えるように心王一鞘流の初めての門下生として約10日間ほど七花を迎え入れ、慚愧から刀剣を学ぶ修行の日々が暫く続いた。 七花にとって刀剣術を教えてもらった師匠とも言える人物でもある。 一方とがめは、道場に来る度に見た見間違いにより慚愧と七花が恋仲になったと誤解した挙句、七花に対して攻撃的に接する嫉妬やヤキモチの日々が暫く続いた。 それ以来七花を意識し始め遂にとがめは自身の思いをファーストキスで表し七花に思いをぶつけた(奇策のために七花に修行で身に付いたことを忘れさせるためでもある)。 その後、慚愧と七花との剣道による決戦で、とがめ自身が審判であることを利用した、将棋の棋譜を囁くという横槍による心理戦 もちろん反則技 によってついつい将棋のことを考えてしまい、あっけなく敗れ去った(語り手曰く「地味に決着がついた」)。 その後、改めて慚愧は防具着用、七花は防具無しの普段の姿で対決し、威力を6割ほどに落とした飛花落葉に敗れ、その強さを認めて自分の非礼を詫びた。 その際、刀を持つと弱くなる虚刀流の血筋を「(普通とは逆なので)呪われているようだ。 」と評した。 修行の休憩の合間に七花から聞いた敦賀迷彩の名に興味を示していた。 24歳。 身長五尺八分三寸。 体重十二貫。 趣味は「素振り」。 限定奥義:王刀楽土(おうとうらくど) 汽口の祖父が王刀を持った瞬間に感じた状態をこう呼んでいた。 王刀の効果により毒気が抜け、精神的王道を進んでいる状態。 彼我木 輪廻(ひがき りんね) 声 - 誠刀「銓」の所有者。 奥州はの百刑場に住む。 七花ととがめが接触した際には、七花が苦手意識を持ったか苦戦した相手である慚愧、七実、こなゆき、迷彩を混ぜ合わせた少女の姿に、とがめが内心苦手にしていた彼女の父親に似た言動をする人物に見えており、とがめは「相手の苦手意識を反映している」と分析した。 相手の苦手意識を逆撫でする、人を喰った言動を取る。 四季崎記紀の顔見知りでもある。 四季崎記紀から貰ってすぐに地中に埋めた「銓」をとがめ1人に発掘を行わせ、その間、自らは七花をおちょくるように彼と手合わせを行い、「真の目的のためには本来の目的を諦めなければならないことがある」と、二人に覚悟について教えた。 戦闘力は良く見積もっても七花の7割程だが、輪廻自身が「君は10の力を攻撃と防御に半分ずつ使っているから、全力で防御する僕には勝てない」と語るように、七花との戦いで力の全てを防御に回して逃げ回り、試合放棄に至って結果的に引き分けとなった。 とがめが「銓」を彼に差し出した際、虚刀流が「四季崎の血刀」である「完了形変体刀」であることを語った(彼はその直前、「(とがめが)まさかそれを知らずに虚刀流を連れて完成形変体刀を集めていたとは思わなかった」と驚いていた)。 とがめに誠刀「銓」を託した後、百刑場から姿を消したらしい。 自称300歳で、人間だった頃も含めると350歳ほどという。 身長四尺二寸。 体重八貫三斤(どちらも推測とされており、こなゆきと同じ数値)。 趣味は「」。 限定奥義:誠刀防衛(せいとうぼうえい) 攻撃を放棄し、自身の戦闘力の全てを防御・回避に費やす自らの戦法を、誠刀「銓」の特性になぞらえて輪廻自身が称した。 真庭 鳳凰(まにわ ほうおう) 声 - 置鮎龍太郎 毒刀「鍍」の所有者。 真庭忍軍を参照。 の山間部に新設された新・真庭の里で試し斬りしながら、七花達を待ち受ける。 物語の時代から150年後の剣術で七花に戦いを挑むも、割とあっさり見切られ、空中で七花八裂(改)を受けて絶命する。 限定奥義:猛毒刀与(もうどくとうよ) 四季崎記紀に乗っ取られた鳳凰自身が自分の状態をこう称した。 あまりに強すぎる「刀の毒」にあてられた状態。 左右田 右衛門左衛門(そうだ えもんざえもん) 声 - 小山力也 炎刀「銃」の所有者(否定姫と共同所有)。 を参照。 死ぬことを望み銃弾が当たっても突進してきた七花を前に弾切れし、断罪炎刀で激しく斬りあうも、一歩及ばずに力尽きた。 最期の言葉は「姫様、あなたのために死ぬことをお許し下さい」。 七花からこれを聞いた否定姫は「馬鹿なヤツ」と否定しながらも顔は満足そうだった。 限定奥義:断罪炎刀(だんざいえんとう) 「不忍法不生不殺」(しのばずほういかさずころさず)を炎刀「銃」の特性に乗せて放つ技。 アニメでは銃口に炎を灯した状態で行う、至近距離での連続した斬撃として描写された。 その他登場人物 四季崎 記紀(しきざき きき) 声 - 柄師、師まで兼任し、刀にまつわる全てのことをたった一人でやってのけた天才的な刀鍛冶。 の家系の生まれで一族最強の能力者でもあり、刀鍛冶になる前は占い師をしていた。 「変体刀」の刀作りの知識は未来の技術を逆輸入したもの。 輪廻曰く「否定的な人物」だったらしい。 その目的は、「日本が海外からので滅びる」という未来を回避すること。 かつて初代四季崎がこのように予言し、一族(特に記紀)はその未来を回避すべく奔走している。 飛騨 鷹比等(ひだ たかひと) 声 - とがめの父親。 奥州の顔役。 尾張幕府の謀反人。 鑢六枝が唯一好敵手と認めた男。 二十年前に死亡。 傍から見ると相手を見透かし過ぎ、達観し過ぎた、人を突き放すかのような言動をしていたらしく、娘のとがめ(容赦姫)は内心で彼を苦手としていた。 しかし、家族への愛情は本物で、自らの敗北を悟った時に娘に「愛していた」と言い残して、六枝の下に赴いた(のちにとがめはこれを「卑怯だ」と評した)。 この時、自分が殺される場面を娘に見せないように彼女に隠れているよう指示したが、彼女は結局、襖の隙間から彼が六枝に処刑されるところを目撃してしまう。 また、娘に「もし私の読みが正しければ、お前は死なないはずだ」と言う意味深な言葉も残した。 第零話の登場人物 鑢 六枝(やすり むつえ) 虚刀流唯一の「六刀流」の剣士。 情報が一切世に出ないことで謎めいている歴代当主と違い、情報が世に出すぎていることで謎に包まれている。 「鑢六枝は強かった」に対して「弱かった」、「とてつもない大男だった」に対して「女子供だった」等、一つの情報に対して必ず対になる情報が存在している。 その実態は、 六人で一人という規格外の存在。 組織というわけではなくあくまで個人であり、後述する5人と1匹はすべて六枝本人である。 「六刀流」と称されるのも、このため。 傷だらけの大男はその事を知らず、金髪碧眼の女は「親として接する為に七花の前ではなるべく一人でいたんだろう」と推測した。 自分の可能性のすべてを引き出し、ありとあらゆる自分を実現できるため、鷹比等には「確率の悪魔」と呼ばれた。 尾張城地下の武器庫で、四季崎記紀の通常形変体刀を含む数多の武器を管理していたが、みぎりを通した幕府の命を受け鷹比等の討伐に乗り出した。 娘と息子を人間として育てようと思っており、鷹比等の討伐にはそのために平和な世の中を取り戻したいという思惑も絡んでいたが、当の鷹比等からは遠くないうちに考えが変わるだろうと指摘されている。 私 体に刃物が刺さらない、筋肉の塊のような男。 アニメ版に登場する六枝は彼だと思われる。 僕 遠目にはナナフシのように見える棒人間。 刀は鞘に収まっていてこそが在るべき姿という価値観を持っている。 俺 上下左右どこから見ても、完全な球体に見える男。 刀に鞘なんて必要ないという価値観を持っている。 拙者 千歳生きた老人のような子供。 あたし 血管に青い絵の具が流れているような青白い女。 儂 人間の頭を容易く砕けそうな牙を持つ、喋るまだらの犬。 飛騨 鷹比等(ひだ たかひと) 大乱の首謀者。 天才であり、数百年先に情報媒体が進歩しを始め、様々なことを予見している。 その天才性により飛騨城で唯一道に迷わないとされているが、膨大な目的がある為、何処に辿り着いてもやる事があるだけで迷ってはいると本人は述べている。 現在の改竄された歴史の修正を目的としている。 現在の歴史がおかしいことに気付いているのが自分だけであり、他に誰もやるやつがいないのが理由らしい。 しかし、実際は四季崎一族が改竄した歴史から旧将軍との対立によって生じた歪みを修正するために組み込んだ分水嶺である。 本人も何者かの思惑が絡んでいることは察しており大根役者に徹していた。 現実に関して筋が通っていないのに物語として無理矢理筋付けられているような違和感を物心ついたころから感じており、人々が四季崎に与えられた役割でなく自由に行動できるようにするために大乱を起こしたが、一方で人間は他人の影響を受け動いているだけで自由なんてものは存在しない幻想だとも考えている。 自分の命も他人の命も駒としか考えておらず、使えるものはすべて利用する。 千刀流の少女を六枝の足枷として利用した際は、感情が無い六枝の中でも特にそれが顕著な 私を怒らせた。 幼い一人娘に相撲で負ける程弱いが、大乱の節目となる戦いには必ず参加し前線で戦うことを決めている。 前述の弱さを火薬で補い自爆さながらの戦い方をし、命に関わるほどの大怪我を負っても顔色一つ変えず笑いながら戦っている。 生まれてから一度も嘘を吐いたことがない。 最期に嘘を吐けば、娘の生き方を多少は変えられるとわかっていたが、たとえ世紀の大嘘吐きだったとしても家族に対して嘘は吐けなかっただろうと語られている。 首(くび) 飛弾鷹比等の参謀。 参謀とされてはいるが実質は城を抜け出し前線に立とうとする鷹比等のお目付け役に近い。 かつては 真庭毒蛇という名を持っていたが、忍の身分を捨てた際に名も捨て、現在は首という通称で呼ばれている。 その通称は首から上が刀になっているという異形に由来する。 真庭忍軍に属していた時代、頭領でこそないもののそれに見合う器の持ち主として鷹比等四天王と合わせ 真庭毒組と呼ばれていた。 六枝の見立てでは、黒鍵や慚愧に負けず劣らない実力を持つとされている。 右腕(みぎうで) 鷹比等四天王の一人。 真庭忍軍出身の元忍者。 かつての名は 真庭毒鶴。 右肩から先に腕が無く、代わりに刀が生えている。 鷹比等の命令によって鑢みぎりを誘拐した。 左腕、左足、右足よりも数段上の実力を持ち、首と比べても遜色がない。 大乱後は真庭忍軍に復帰した。 金髪碧眼の女は冗談めかしてはいるものの、傷だらけの大男と戦った十二頭領の中に紛れ込んでいた可能性を述べている。 右足(みぎあし) 鷹比等四天王の一人。 真庭忍軍出身の元忍者。 かつての名は 真庭毒鰒。 掛け値なく恐ろしい忍法を使う。 左腕、左足と共に、因幡砂漠で鑢六枝に三方挟撃を仕掛けた。 左腕(ひだりうで) 鷹比等四天王の一人。 真庭忍軍出身の元忍者。 かつての名は 真庭毒蟻。 掛け値なく恐ろしい忍法を使う。 右足、左足と共に、因幡砂漠で鑢六枝に三方挟撃を仕掛けた。 左足(ひだりあし) 鷹比等四天王の一人。 真庭忍軍出身の元忍者。 かつての名は 真庭毒蜘蛛。 掛け値なく恐ろしい忍法を使う。 右足、左腕と共に、因幡砂漠で鑢六枝に三方挟撃を仕掛けた。 錆 黒鍵(さび こっけん) 錆家の女剣士。 見た目は5歳以下だが、実年齢は30歳以上で息子もいる。 「死神」「剣聖の中の剣聖」等と呼ばれる 歴史上最強の剣士。 将軍家に仕える十一人に一人で匹敵し、ただの素振りで地を割り天を裂き全てを吹き飛ばす暴風を生み出す。 歩いて数日かかるほど遠距離にいる相手に、爆散する威力の突きを当てることができる。 一人で国一つ滅ぼせる力を持つため幕府からも危険物扱いされていた。 またあまりの強さのため、後世の剣士たちのやる気を削ぐことになりかねないため記録に残されるはずではなかった。 全刀「錆」の特性により、棒状のものなら何でも剣として使うことが出来る。 本人曰く、ただの木の枝でも伝説の勇者の剣と同等の性能となるらしい。 四季崎に関する因縁を息子の代まで引き継がせたくないと思っている。 語尾に「にゃん」と付ける口癖があるが、鑢七実を最初で最後の本気で戦える相手と見做した際は、変な口癖を止め半年に渡って戦い続けた。 この戦いは鷹比等の起こした大乱よりも激しかったらしいが記録には残されていない。 全刀流奥義・完全刀一 はっきり描写されず、不明。 ゆる 飛騨鷹比等の妻で容赦姫の母。 華やかな美貌に反して、質素な服とも呼べない荒い布のようなものを纏っている。 大乱の結末はわかっているが、鷹比等とともに最後を迎えようと思っている。 鑢 みぎり(やすり みぎり) 六枝の妻。 徹尾家の一人娘。 鷹比等曰く「悪意の塊」。 切腹の見物を始めとする常人には理解できない趣味を持ち、その悪名は場所によっては将軍よりも有名。 美貌の持ち主でもあり言い寄る男もいるが、「あんたの内臓が見たいから切腹をして」と必ず口にするため結婚相手がおらず、徹尾家の計らいで六枝と見合いをして結婚した。 結婚の理由は六枝が前述の台詞を言われ、実際に切腹したことにときめいたかららしい。 右腕に誘拐された際には、自分の子供たち(特に七実)が殺されなかったことを残念がり、六枝を困らせたいと自らすすんで誘拐に協力した。 飛騨城の地下牢で鷹比等の娘である黒髪の少女と「幸せと成功は別物」「成功したければ幸せになることは諦めなければならない」ということを語り合った。 鑢 七実(やすり ななみ) 六枝の娘。 六枝が英雄になるところを見ようと健気に後をつけていた。 六枝を見失い彷徨っていたところ、たまたま六枝を狙っていた黒鍵を見つけ、半年にわたり戦いを繰り広げた。 見よう見まねを見稽古にまで昇華したいと思っているが、それには無人島に監禁される位の過酷な環境が必要だと悟っている。 汽口 慚愧(きぐち ざんき) 心王一鞘流十一代目当主。 齢七十を超える老人。 木刀を使っているが、相手に真剣で足を縫い付けられていると錯覚させる程の気迫を放つ。 一歩も動くことなくただの素振りで互いに触れることなく、六人同時の六枝の攻撃を防ぐほどの実力を持つ。 鷹比等に関係ない所で、自分の意思で大乱に参加すれば犠牲者が遙かに少なくなり期間も遙かに短くなるという鷹比等の言葉を受け、六枝の前に立ちはだかった。 孫娘が将棋でも指して平和に暮らせる世の中を望んでいる。 心王一鞘流が大乱に関わったのは六枝との一戦のみであったため、記録では参戦していなかったことになっている。 彼我木 輪廻(ひがき りんね) 仙人。 記紀より数世代前の四季崎によって筋書きに組み込まれた。 飛騨鷹比等の苦手意識を反映し、鷹比等自身となっている。 鷹比等と語り合い、大乱を起こした鷹比等自身も四季崎の掌の上で踊らされているだけの可能性があることを示唆した。 鷹比等と彼の娘に関して、ある約束をした。 後の歴史に大きな影響を与えることになるこの約束は飛騨鷹比等が歴史に対して起こした最後の革命であり、これを機に反乱軍の勢いは急速に衰え、大乱は終結に向かうことになる。 容赦姫(ようしゃひめ) 飛騨鷹比等の一人娘。 飛騨城の地下牢で鑢みぎりと語り合い悪影響を受ける。 鷹比等は心に深く刻まれ今際の際に思い出すと推測している。 否定的な童女 金髪碧眼の少女。 この国には似つかわしくない容貌だが、不思議と着物が似合っている。 暗黒城で鷹比等の前に現れ、鑢六枝が狙っていることを伝えた。 因幡砂漠では焼け焦げる程の日差しの中を上半身裸で日焼け一つせず現れ、六枝を驚愕させた。 忍法の使用を確認された際は、自身は真庭忍軍でも滅亡した相生忍軍でもないと否定している。 千刀流の少女 護神三連隊の二番隊長の一人娘。 家も焼け落ち、死体の絨毯となった出雲の戦場跡地で父親を探し彷徨っていた際に、六枝と出会う。 七実と七花に年齢が近いこともあり、 僕は養子にとってもいいと考えていた。 六枝と鷹比等の戦いに巻き込まれ足枷として利用されるが、六枝に守られることで生存した。 錆黒鍵の天災のような斬撃を受けた際に無意識に奪刀しており、 あたしはその素質から後に七実と七花の障害となる可能性を考え殺そうとするが、それをしたら人じゃないと思い直し見逃した。 四季崎 記紀(しきざき きき) 完成、そしてその先にある完了を目指したが決して完全を目指そうとはしなかった。 完全を目指すことは闇に堕ちることと等しいと考え、「究極はあっても完全はない」というのが口癖だった。 彼にとっての刀とは切るものではなく、時代を区切るものである。 彼我木輪廻は、この世界に生きている人間で四季崎一族の筋書き通りに動いていない人間はいないと述べている。 鑢 五幹(やすり いつみき) 修行中に若くして死んだ、虚刀流五代目当主。 金髪碧眼の女 かつて否定姫と呼ばれていた。 否定的な童女は四季崎一族の別の子孫であり自分は大乱に関わっていないと述べているが、六枝と鷹比等のことを懐かしんでいる節もあり真相は定かでない。 鷹比等と六枝をそれぞれ「真実に拘りすぎた」「彼より弱い刀を他に知らない」と評価している。 鷹比等の娘が選んだ刀が、鷹比等同様に幕府に刃向かい傷だらけの容貌となったことに因縁を感じており愛憎は理解できなくもないと述べ、自分が愛憎を感じるのは先祖と右衛門左衛門だけと呟いている。 傷だらけの大男 六枝の息子。 かつて鑢七花と呼ばれていた。 茶屋で団子を食べながら二十年前の話を聞かされた。

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日本の故事:ことわざ◆その故事ことわざの意味◆

男 に は 負ける と わかっ てい て も 戦わ なけれ ば ならない とき が ある

青は藍より出でて藍より青し (あおはあいよりいでてあいよりあおし) 「氷は水より出でて水より寒し」と対のことばで、葉を発酵させて染料にする藍で白い布や糸を染めると、原料の藍よりも青い色に染めあがる。 また氷は水からできているが、原料の水よりも冷たい。 このことから、知識をうけた者が、それをさずけてくれた者をしのぐこと。 弟子が先生よりもすぐれることをいう。 【同義】「出藍の誉れ」(しゅつらんのほまれ)、「藍より青し」〔出典〕『荀子』。 寇に兵を籍す (あだにへいをかす) 自分に害をなすものに力を貸して、自分の損失をいっそう大きくすること。 これは司馬選の『史記』の中にある泰の政治家、李斯(りし)のことばで「国内の諸侯と仲たがいして他の国と結ばせることは、敵に兵力を貸し、どろぼうに食物をもってくるようなものだ」ということ。 李斯は始皇帝を助けて焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)・郡県制・小篆の制定などの政策を行って活躍したが、始皇帝の死後失脚し、刑死した。 〔出典〕『史記』。 羹に懲りて韲を吹く (あつものにこりてあえものをふく) 「羹に懲りて膾(なます)を吹く」ともいう。 一度失敗したのにこりて、必要のない用心をすることのたとえ。 羹は吸い物。 熱い吸い物をいきなりすって口の中にや けどをした。 そこでこんどはつめたいあえものやなますをフーフーと吹いてさましてから食べる、ということ〔出典〕『楚辞』。 穴があったら入りたい 恥かしくて、隠れてしまいたいこと。 フクフ斉(ふくふせい)という人が魯(ろ)の単父(ぜんぼ)を始めていたとき、斉(せい)の国が攻めてきた。 フクフ斉が麦を刈ることを認めなかったので、単父の麦は斉軍に取られてしまった。 領主の季孫がフクフ斉を責めると、「侵略があるからといってむやみに収穫すれば民衆が侵略を楽しみにしてしまう。 それはこの国のためにならない」と答えた。 これを聞いて李孫は「穴があったら入りたい」といったという。 虻蜂取らず (あぶはちとらず) あれもこれもと一度に二つのものをねらって、どちらも結局だめになること。 アブとハチとはよく似ているが、ハチの羽が四枚なのに対してアブの羽は二枚なので区別できる。 似ているところから、アブがだめならハチを、ハチがだめならアブをという気持ちを「虻蜂」で表わしたもの。 【同義】「虻も蜂も失う」、「二兎を追うもの一兎も得ず」。 晏嬰の狐裘 (あんえいのこきゅう) ひじょうにものを大切にし、つましく暮らすこと。 晏嬰は春秋時代、斉の国の宰相で、節約を旨とし、また君主に忠節をつくした。 狐裘は狐の皮の皮衣であるが、晏嬰は一枚の狐裘を三十年間使ったという。 また晏嬰は、籾をとっただけの米をたべ、食事は一汁一菜であったという。 〔出典〕『晏嬰脱粟』 衣食足りて礼節を知る (いしょくたりてれいせつをしる) 人間は生活が満ち足りてはじめて名誉や礼儀をわきまえるということ。 『管子』という書物の中に「倉廩実ちて則わち礼節を知り、衣食足りて則わち栄塾を知る」という文章があり、これがもとになっている。 人間は生活がすさんでくると、心もすさんでしまいます。 逆に、生活が満ち足りてくれば、礼儀や節度を考える余裕がでてくるという考え方。 急がば回れ (いそがばまわれ) 東海道を西へのぼっていくと、草津の宿の先で陸路と水路とにわかれる。 ここから大陸に行くのに、舟で琵琶湖を渡れば二里ほどの近道である。 しかし、突風で船が転覆することがたびたびあり、近道のつもりがかえって遠まわりになることが多かった。 江戸初期の笑い話を集めた『醒睡抄(せいすいしょう)』に「急がば回れといふことは、物毎にあるべき遠慮なり。 宗長がよめる、武士のやばせの船は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋」とあって有名になった。 磯のあわびの片思い (いそのあわびのかたおもい) 片思い。 こちらでは相手のことを深く恋い慕っているのに相手が少しも気づいてくれないこと。 あわびは巻き貝であるが巻いた部分が少なく二枚貝の片方しかないように見えるとこから「片」をひきだすことばになる。 「あわびの貝の風情」といえば、片思いをしている様子。 万葉集に「伊勢の白水郎(あま)の朝な夕なに潜(かず)くといふ鰒の貝の独念にして」という歌があり、すでにこの時代から、あったことばであることがわかる。 【同義】「あわびの貝」、「あわびの貝の片思い」。 一日作さざれば一日食はず (いちじつなさざればいちじつくわず) 仕事をしなかった日には食事をしない、ということ。 唐の懐海禅師というお坊さんは、ひじょうに働き者で、一日中働いていた。 そこである日、責任者のお坊さんが懐海禅師を休ませてやろうという親切心から道具を隠してしまった。 ところが懐海禅師は必死で道具をさがしているうちに、休むことも、食事をとることも忘れてしまった、という。 一葉落ちて天下の秋を知る (いちようおちて、てんかのあきをしる) 一枚の葉が落ちるのを見て、秋が来たのを知る、ということから、わずかなものごとのきざしから、天下の大勢を知ること。 天下の趨勢にのろうと考えている者は、このくらい鋭くないと成功しない。 〔出典〕『淮南子』【同義】「一花開けて天下の春」。 一犬、影に吠ゆれば、百犬、声に吠ゆ (いっけん、かげにほゆれば、ひゃっけん、こえにほゆ)。 一匹の犬が何かの影を見て吠えだすと、その声につられて、そのあたりの犬がみな吠えだすということ。 ここで犬にたとえられているのは人間で、一人が何かをいいだすと、それがたとえ、でたらめであっても、世間の人はそれを信じて騒ぎたてる、ということ。 一将功成りて万骨枯る いっしょうこうなりてばんこつかる) 一人の将軍が手柄を立てて名をあげるかげには、多くの兵士たちが死んで骨を戦場にさらすという犠牲がある。 一人の成功のかげには多くの犠牲がかくされている、ということ、成功者にたいするいましめ。 一敗地に塗れる (いっぱいちにまみれる) 完全に敗北して、どろだらけになること。 また脳みそや腸が地にまみれて、ちらばっている様子。 漢の建国者である高祖が「天下が乱れ諸侯が立ちあがっている今、何とかしなければ、二度と立ちあがれなくなってしまう」といったことから。 〔出典〕『史記』。 寿長ければ辱多し (いのちながければはじおおし) 長生きすると、何かにつけて恥をかくことが多い、ということ。 『荘子(そうじ)』に「男の子が多いと心配事が多く、財産があると雑事が多く、寿命が長いと恥が多い。 この三つの徳を養うのに役立たない」という。 しかし、長生きをしたいと思うのは人間の常で、まったく逆に「命長ければ蓬莱に逢う」などということばもある。 【同義】「命は槿花の露の如し」。 井の中の蛙大海を知らず (いのなかのかわずたいかいをしらず) 狭い世界の中に安住して、それを最もよいと思っている、ひとりよがりをいましめることば。 自分の住んでいる世界以外のことば、基本的には知ることはできないが、われわれは書物や映像によっていろいろな世界を知ることができる。 しかし、それだとて、本当に知っているといえるかどうか。 【同義】「井の中の蛙」。 鰯の頭も信心から (いわしのかしらもしんじんから) 鰯の頭のように、まるで信仰の対象にならない、ようなものでも、それを信じている人にとっては尊いものにみえるということ。 信仰は当事者としては、対象がなんであっても、ありがたいものということである。 たとえば、人参を毎日飲み続 けていた人が盗賊に襲われたとき、どこからともなく赤い服を着た男があらわれて助けてくれた、というような話がある。 信仰の強さをたとえているのであろう。 牛に引かれて善光寺参り (うしにひかれてぜんこうじまいり) むかし、善光寺のそばに老女が住んでいた。 ある日、庭にさらした布をかけておいたところ、隣の牛がそれを角にひっかけて善光寺へかけこんでしまった。 そ れを追いかけてきた老女は、はじめてそこが名高い霊場であることを知り、以後は、たびたび参詣したという。 そこから自分の本心からではない、きっかけで 信仰をもったり、よいことをしたりすることをいうようになった。 今日の意味は、思いがけずに、ものごとがよい方向へはこぶこと。 嘘も方便 (うそもほうべん) もともと嘘をつくのは悪いことであるが、大事な目的のためには、嘘も許される。 方便とは仏教語で到達するということで、衆生(一般民衆)を救うためによい方法を用いる、という意味。 衆生を悟らせ、救うという目的のためには、仏すらも嘘 をついた。 ただし、衆生を救うという至上の目的がある場合にのみ、嘘は許され るのである。 現在では、ある目的のために嘘をついても仕方がないというように 用いられることわざでである。 怨み骨髄に入る (うらみこつずいにいる) 根(こん)の字の「うらむ」は、いつまでも残っている心、という意味をもつ字。 怨 (えん)の字は、夘が身を曲げるという意味があり、まがった心のこと。 もとは根 が自分に対する感情、怨が人に対する感情をいった。 怨みの気持ちが骨の髄までしみわたるほど激しいこと。 【同義】「怨み骨髄に徹す(=徹る)」。 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや (えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや) 小人物には大人物の志が理解できないものであるという嘆(なげき)のことば。 燕雀はつばめとすずめで、小さな鳥のこと。 鴻鵠はおおとりとくぐいで大きな鳥のこと。 陳勝という百姓が、ある日仲間に「将来おれが出世しても忘れないでいよう」といった。 仲間が笑うと、陳勝が嘆いていったことば。 この陳勝が、後に「陳勝・呉広の乱」をおこし、一時楚王にまでなった人物である。 遠慮なければ近憂あり (えんりょなければきんゆうあり) 「人として遠き慮(おもんばかり)なき者は、必ず近き憂(うれい)あり」が原文。 遠い、近いは時間的な遠さ、近さをいったもの。 遠慮とは、遠い先のこと、まだ起こらないことにそなえることをいった。 そこから変化して、言葉や行動などを他人に気がねして控えめにすることをいうようになった。 今日の意味は、普段から、ずっと先のこと、将来のことまで考えていないこと、必ず身近なところでさし迫った問題がおこってくる、ということ。 〔出典〕『論語』。 老いては麒麟も駑馬に劣る (おいてはきりんもどばにおとる) 麒麟はここでは空相上の動物ではなく、一日に千里を走るといわれる名馬、駑 馬はのろのろした劣った馬のこと。 このことばは、中国戦国時代のことを書いた「戦国策」にある、「麒麟の衰えるや、駑馬これに先んず。 孟賁(もうほん)の倦むや、女子これに勝る」から。 今日的意味は、若い頃、ひじょうにすぐれていた人も、年をとると動きがにぶって普通の人にも及ばなくなってしまう、ということ。 大風吹けば桶屋が喜ぶ (おおかぜふけばおけやがよろこぶ) あてにならないことを期待する、また物事は思ってもみない方向へ発展するものだ、ということ。 大風の吹いたある日、桶屋のおやじがいさんで帰ってきた。 「おい、すごい風だ。 桶だ、桶が売れるぞ」。 おかみさんはわけがわからず「一体どういうことだい?」とたずねる。 「いいか、風が吹けば砂ぼこりが舞って、人の目へ入るだろ。 そうすると盲人がふえる。 盲人は三味線を習うから三味線が売れる。 そうすると皮になる猫がとられて減る。 すると鼠がふえて桶をかじるってぇ寸法だ」。 遅かりし由良之助 (おそかりしゆらのすけ) 歌舞伎から出たことばで、間にあわなかった、遅すぎた、の意。 塩谷判官(えんやはんがん)は殿中で高師直(こうのもろなお)に切りかかった罪で切腹を命じ られる。 切腹の場で判官は、国家老、大星由良之助の到着を待ちわびるが、なかなか由良之助はやってこない。 ついに判官が刀を腹に突きたてたその時、由良之助が到着する。 実は歌舞伎には「遅かりし由良之助」というせりふは、なかったが、それがこういうことばとなって広まったのである。 〔出典〕『仮名手本忠臣蔵』。 小田原評定 (おだわらひょうじょう) 天正十八年(1590)豊臣秀吉は北条氏を攻め、小田原城を包囲した。 城中では 北条氏政・氏直が腹臣と和戦を決する話しあいをつづけるが、意見が対立し、百日たってもいっこうに結論がでなかった。 結局、包囲百余日で小田原城は落 城し、奥州の伊達政宗も豊臣秀吉と結ぶことになり、秀吉の全国制覇が遂げられた。 ここから、いつになってもまとまらない相談、結論のでない会議のことをいう。 己の欲せざる所は人に施す勿れ (おのれのほっせざるところはひとにほどこすなかれ) 孔子に弟の子貢が「生涯を通じて行うべきことを一言でいうならばどういうことですか」とたずねた。 すると孔子が「それは恕(思いやりの心)であろう」といって、このことばで恕とはどういうものかを説明した。 すなわち、自分のして欲しくないと思うことは、他人もしてほしくないのだから、他人にもしてはいけない、ということ。 〔出典〕『論語』。 親の心子知らず (おやのこころこしらず) 親が子供のためを思ってあれこれ心をくだき、うるさいこともいうのに子供は親の愛情がわからず、反抗したり勝手なことをやったりする、ということ。 やはり「子を持って知る親心」で、子供を持ってみないと親の子に対する愛情や苦労はわからない、ということであろう。 しかし現代では身勝手な親、たよりない親もいて「子の心親知らず」という場合も、ままある。 吉田松陰の牢獄から親にあてた歌に「親思う心にまさる親心今日のおとずれ何と聞くらん」がある。 親はなくとも子は育つ (おやはなくともこはそだつ) 親がいなくても、子供は何とか成長するものだ、心配してあれこれ手を出すよりも、放っておくほうがいい場合もある、ということ。 親は自分がいなくなったら子供は生きていくことができないのではないか、と思いがちであるが、はたから見ればそれはど心配することでもない。 親が子供を思う気持ちをいったことわざは多いが、これは子供のたくましさをいったもの。 貝殻で海をはかる (かいがらでうみをはかる) 狭い知識や経験をもとにして大きな問題を考えること。 貝殻のような小さなうつわで、海の水がどれだけあるかを測ろうとしても、貝殻は役に立たないから。 【同義】「貝殻で海を干す」、「貝殻で海を汲む」、「よしのずいから天井をのぞく」。 隗より始めよ (かいよりはじめよ) 戦国時代の燕の国、照王がどうしたら、よい人材を集めることができるかと郭隗 (かくかい)に相談した。 隗がいうには「昔、千里の馬を求めていた王が、なかなか手に入れられず死んだ名馬を高く買ったところ、それが評判になって念願 がかなったといいます。 あなたがよい人材を集めたいと、お思いでしたら、まずこの隗を優遇なさい。 そうすればすぐれた人材が遠くからやってくるでしょう」と。 ここから大きな事をするためには、まず身近なところから始めよ、ということ。 臥薪嘗胆 (がしんしょうたん) 春秋時代、呉(ご)と越(えつ)とは常に争っていた。 越に父を殺された呉王夫差 は薪(たきぎ)の上に寝て苦しみを忘れないようにし、ついに会稽山で超王勾践を降した。 勾践は命を助けられ、胆を部屋にかけて常にこれを嘗(な)めてその苦さに会稽の恥を忘れないようにし、のちに夫差をほろぼした。 いずれもすさまじいばかりの執念である。 ここから、目的を果すために、自分を苦しめ努力する こと。 苛政は虎よりも猛し (かせいはとらよりもたけし) 孔子が泰山のふもとを通りかかると、墓のところで女の人が泣いている。 孔子は弟子の子路にそのわけをたずねさせた。 すると女の人がいうには「私の舅は虎に殺されてしまったのです」という。 孔子が「それならなぜこんな危険な土地 を去らないのですか」ときくと「ここはよその土地のように苛酷な政治がないからです」と答えたという。 そこで孔子が弟子にいったことばで、苛酷な政治は、虎よりも人に恐れられる、ということ。 〔出典〕『礼記』「壇弓」。 稼ぐに追いつく貧乏無し (かせぐにおいつくびんぼうなし) 仕事を一生懸命やって稼いでいれば、貧乏することはない。 ところが井原西鶴 の『日本永代蔵』のなかには「かせぐに追いつく貧乏神」ということばがみえ、やはり稼いでも稼いでも貧乏からぬけだせない、というのも人生のひとつではあるようだ。 このことわざは、だからこそ一生懸命働きなさい、という教訓を含んでいるのだが、一方で「貧乏神」のような真理をついた、ことわざもあっておもしろい。 瓜田に履を納れず (かでんにくつをいれず) 「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」と、対になっている。 瓜の畑では足元に瓜がなっているから、たとえ履が脱げても身をかがめて、はくことをしない。 李の木の下では頭の上に実がなっているから、たとえ冠がまがっても手を上げて直すことをしない。 本当に盗っていないから、いいではないか、と思うかもしれ ないが、つまらないことで疑われないほうがいい。 そこから、人から疑われるようなことはするな、といういましめ。 〔出典〕『古楽府』。 鼎の軽重を問う (かなえのけいちょうをとう) 楚の荘王は天下をうばう野心をもっていた。 そこで周の定王をたずね、周王朝に天子のしるしとして伝わっていた「九鼎」の大きさ、重さをきたという。 つまり天下をうばい、鼎を運ぶための下準備をしようとしたわけで、ここから人の地位をく つがえそうとすること、人の能力を疑うことをいう。 ちなみに定王の答えは「(天子の証は)徳にあるのであって鼎にあるのではない」であった。 〔出典〕『春秋左氏伝』。 株を守りて兎を待つ (かぶをまもりてうさぎをまつ) 中国の宗の時代、一人の男が畑を耕していると一羽の兎がとびだしてきて、偶然切り株にぶつかって首を折り死んでしまった。 男はこれを見て「そうだ、また兎がとびだしてきて死ぬかもしれない。 見張っていよう」といって鍬をなげ出し、切り株の番をして暮らし、国中の笑い者になってしまった、という。 そこから、古い習慣をまもって融通のきかないことをいう。 〔出典〕『韓非子』。 画餅に帰す (がべいにきす) 考えていたことや計画していたことが駄目になってしまうこと。 画餅は絵に書いたもち、役にたたないこと。 【同義】「水泡に帰す」、「水のあわ(になる)」。 壁に耳あり (かべにみみあり) だれも聞いていないなどと思って話をしていると、どこで誰が聞いているかわからない、秘密の話などはもれやすい、ということ。 『平家物語』には、西光法師が口をきわめて平家をののしるので、人々が「壁に耳あり、おそろしおそろし」といいあったという記事がある。 西光はあまりずけずけといいたいことをいうので、清盛の怒りをかい、むごい殺され方をした。 画竜点睛 (がりょうてんせい) 中国の梁の国の張僧? (ちょうそうよう)が安楽寺の壁に竜を描いた。 最後に睛(ひとみ)を書き入れたところ、壁の竜はたちまち天に昇ってしまったという。 「画竜天睛を欠く」とは、ものごとの最後の仕上げがなく、不完全なこと。 したがって、「画竜点睛」とはもっとも中心的な部分や、大切な部分を付け加えてものごとを完成させること、またわずかなことが全体をひきたたせ、いかすこと。 彼を知り己を知れば百戦殆からず (かれをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず) 敵と見方との実力・状態をよく知ったうえで計画をたてれば、何度戦っても負けることはない、ということ。 孫子の兵法のうち、もっとも有名な一節。 このあと「彼を知らずして己をしれば一勝一敗す。 彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず破る」(敵を知らず、味方の状態だけを知っているときは、勝敗は五分である。 敵の状態も味方の状態も知らなければ必ず負ける)とつづく。 韓信の股くぐり (かんしんのまたくぐり) 韓信は中国漢代の武将。 まだ若く無位無官であったころ、町で無頼の若者に侮辱され「勇気があるなら俺を刺せ。 刺せないならおれの股をくぐれ」といわれ、四つんばいになってその若者の股をくぐった。 この韓信が後に張良、蕭何(し ょうか)とともに漢の三将とよばれる武将になり、高祖をたすけておおいに活躍 したのである。 ここから、将来おおきなことを、なしとげようとするものは、つまらないことで争ったりせず、耐え忍ばなければならないというおしえ。 肝胆相照らす (かんたんあいてらす) 肝胆は肝臓と胆のうのこと。 そこから腹の中心の中、本当の気持ちをいう。 お互いに心の中まで打ちあけ合って、親しく交際すること。 「肝胆相照らす、斯れ腹心の友たり」という文章がある(『故事成語考』)。 【同義】かんたくを吐く(本心を打ち明ける、ほんねをいう)」、「かんたくをひらく(心をひらいて語る、腹を割って話す)」。 管鮑の交はり (かんぽうのまじわり) 中国春秋時代、斉(せい)の国の管仲と鮑叔とは、貧しいながらも一緒に商売を していた。 管仲は分け前を多く取ったが、鮑叔は「管仲は私より貧しいのだから」と責めなかった。 管仲が失敗しても、鮑叔はとがめることなく、変わらぬ友情をもちつづけた。 のちに鮑叔は桓公に仕え、管仲を推薦して二人で桓公を助けた という。 ここから、友達としてひじょうに親しく交際することをいう。 管仲は「我を生 む者は父母、我を知る者は鮑叔」といっている。 〔出典〕『史記』。 棺を蓋いて事定まる (かんをおおいてことさだまる) 中国晋代の歴史を書いた『晋書』の「丈夫は棺を蓋うて事まさに定まる」という文章からきたことば。 棺はひつぎ。 棺を蓋う、とはその人が死んで棺に入れられ、その棺にふたをする、ということ。 生きて仕事をしている間には、高く評価されていても大きなミスなどで評価を下げることもあるが、死んでしまえば、生前の仕事で客観的な評価ができるということ。 奇貨居くべし (きかおくべし) 秦の商人呂不韋が、趙に人質となって不自由な生活を送っていた秦の王子、子楚を助けたときにいったことば。 この奇貨は、子楚をたとえていったもので、めずらしいものだからあとで利益を生むだろう、ということ。 子楚は始皇帝の父荘襄王となり、呂不韋はその大臣となった。 〔出典〕『史記』。 樹、静かならんと欲すれども風止まず (き、しずかならんとほっすれどもかぜやまず) これは『韓詩外伝』にある詩の一節で、このことば自体のの意味は樹が静にしていたいのに風が止まない、つまり思いどおりのことができない、ということ。 それが親孝行に限定されるのは、このあとに「子、養わんと欲すれども親待たず」という一節がつづくからである。 そこから、子供が親に孝行したいと思ったときには、親はこの世にはいない。 だから親のいきてるうちに孝行しなさい、ということ。 きじも鳴かずば撃たれまい (きじもなかずばうたれまい) よけいなことをして、自分の身に災いをまねいてしまった人を批判的にいうことば。 きじは草原や低木林に住んで草、木の実や虫を食べる、日本の国鳥。 「きじの草隠れ」といえば「頭隠して尻隠さず」とおなじ。 きじは隠れるとき頭だけ草 の中につっこみ、尾が出たままであることにきずかないことからできたことば。 【同義】「とりも鳴かずば撃たれまい」、「鳴く虫はとられる」。 木に緑りて魚求む (きによりてうおもとむ) 斉の国の宣王に孟子が「武力によって天下を得ようとするのは、木によじ登って魚をつかまえるようなものだ」といったことによる。 王が「自分のしていることはそれほど実現できないことか」ときくと「それよりもっと悪い。 木に登って魚をとろうとしても魚がとれないだけですが、王のやっていることは後々必ずわざわいをうむだろう」といったという。 ここから、見当ちがいの方法で目的を実現しようと すること、また実現不可能なのぞみをいう。 〔出典〕『孟子』。 驥尾に付す (きびにふす) 「驥」は千里をはしる名馬のこと。 「尾」は文字通り尻尾。 「驥尾」ですぐれた人の後のたとえ。 青蠅が自分自身では遠くまで飛べないにもかかわらず、名馬の尻尾にしがみついていけば一日千里でも行くことが、できるところから、愚者でも賢人の後についてゆけば、何かはやりとげられるというたとえ。 秀れた人につき したがって行動したり、秀れた人の仕事などを見習ってすること。 多くは自分のことを謙遜して使うことば。 杞憂 (きゆう) 「杞」は古代中国の国名。 「杞」の国のひとは天がくずれ落ちてくることを心配し て夜も寝られず、食事ものどを通らなかったことからきている。 必要のないこと、あり得ないことを、あれこれと心配すること。 不必要な心配。 とりこし苦労のこと。 「杞憂に過ぎる」、「杞憂に終わる」などと使う。 〔出典〕『列子』。 窮鼠猫を噛む (きゅうそねこをかむ) 「窮鼠」は追いつめられて逃げ場を失った鼠のこと。 追いつめられてしまった鼠 がどうすることもできなくなって逆に猫に噛みつくことから、弱くても力のない者でも、絶体絶命でどうすることもできなくなった時には、強いものに反撃することがある。 必死の覚悟をきめれば、弱い者も強いものを苦しめることのたとえ。 【同義】「窮鼠かえって猫を噛む」、「闘雀(争っているすずめ)人を恐れず」。 漁夫の利 (ぎょふのり) 「漁夫は」漁業に従事している人、漁師のこと。 しぎと、はまぐりが海辺で争って、はまぐりが、しぎの口ばしをその殻ではさんでしまって両者とも身動きがとれなくなっていたところに漁夫が来て、両方とも手に入れた、ということ『戦国策』の故事から。 二者が争っているすきにつけ込んで、第三者がほとんど苦労することなく、利益をおさめることのたとえ。 愚公山を移す (ぐこうやまをうつす) 「愚公」は愚かな男の意味。 中国で、昔、愚公という男が、ある山を他の場所に移そうとして、永年努力しつづけたので、神がその愚公の努力に感じ入って、山を移してくれたという故事から。 怠ることなく努力をしつづければ、一見成功しそうもない、また常識的に不可能と思われるような大きな事業も成就するというたとえに使われる。 いつの世でも努力は必要欠くべからずもの。 口に蜜あり腹に剣あり (くちにみつありはらにけんあり) 中国の、唐時代の玄宗皇帝の帝相(大臣)であった李林甫の人柄を述べる際に使われたことば。 人に対して、口先だけではやさしいことを、いっておきながら心の中では言葉とはうらはらに陰険なこと。 国破れて山河あり (くにやぶれてさんがあり) 中国の唐の詩人杜甫の「国破山河有城春草木深(城春にして草木深し)」という詩の一節から。 戦乱のために、国は滅びてもとの姿は失われてしまってっも、山や川などの自然だけは昔のままの姿を残していることをいう。 松尾芭蕉は、杜甫の詩を愛し、有名な『奥の細道』にもしばしば杜甫の詩をひいている。 これも「国敗れて山河あり、城春にして草青みたり」として引用されているのでむしろ それで知られる。 鶏口と為るも牛後となるなかれ (けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ) 「鶏口」は、にわとりの口のことで、小さな団体のリーダーのことをたとえていう 「牛後」は牛の尻。 「後」をうしろとするのは誤り、大きな団体にただ所属しているよりは、小さい団体でもよいから、そのリーダーとなった方がよいということ。 小さな団体であってもリーダーともなれば苦労も多く、それだけ自分のためにもなるということ。 鶏口牛後。 〔出典〕『戦国策』。 鶏肋 (けいろく) 「肋」は、あばら骨のこと。 ニワトリのあばら骨は、少しは肉が付いているので、 そのまま捨てるにはもったいないというところから、たいして役にはたたないけれども、ただ捨てるにはおしいもののことをいう。 『後漢書』に「夫鶏肋の、これを食すればすなわち得るところなく、葉つればすなわち惜しむべきがごとし」とあるところから出ている。 『初鰹下女鶏肋をしゃぶっている』(川柳)。 下戸の建てた蔵はなし (げこのたてたくらはなし) 「下戸」は酒の飲めない人、または好まない人。 酒を飲まない人は、酒に金を使わないので金を残しそうなものだが、必ずしも金を残すのではなく、倉を建てたという話もきかない。 適当な量の酒を飲んで楽しんだ方がよいという意に使われる。 『めでたやなげこのたてたるくらもなしじょうごのくらもたちはせぬども。 (『醒睡笑』)。 毛を吹いて疵を求む (けをふいてきずをもとむ) 毛を吹き分けて傷を探し出す意。 わざわざ好んで人の欠点を指摘すること。 またわざと他人の弱点をあばいて、かえって自分の欠点をさらけ出すことになること【同義】「毛を吹いて過怠の疵を求む」。 後生畏るべし (こうせいおそるべし) 「後生」は後から生まれること、また後に学ぶこと。 またはその人、行進のこと。 自分より後から生まれてくる者は、これからどれほどの力量や能力を示すか測り知れないから、おそれなければならないということ。 〔出典〕『論語』。 狡兎死して走狗烹らる (こうとししてそうくにらる) 「狡兎」は、すばしこいうさぎのこと。 「走狗」は狩の時に鳥や獣を追うために人に使われる犬。 狡兎が死ぬと狩の時に使う猟犬は不要となって煮て食われてしまう。 敵国が滅亡すれば、それまで功績のあった謀臣は今度は邪魔にされて殺されるということのたとえ。 「狡兎尽きて良犬烹らる」ともいう。 他に狡兎を使った慣用句として「狡兎三窟(兎はいざという時のためにたくさんの逃げ道を用意 しておくということ=用心深いことのたとえ)」がある。 〔出典〕『韓非子』。 弘法も筆の誤り (こうぼうもふでのあやまり) 「弘法は」真言宗開祖である空海のこと。 弘法大師。 唐に渡って学問を修めた。 書道の名人として有名だった。 弘法大師のような書道の名人でも書き誤りをすることがあるということ。 その道に長じた人でも時には失敗することがあるというたとえ。 「弘法筆を選ばず」(真にその道に長じた人はどんな道具を使ってもすぐれた成果をあげることができるという意)も、弘法大師が登場する慣用句の一つ。 【同義】「猿も木から落ちる」、「河童の川流れ」、「上手の手から水がもる」。 紺屋の白ばかま (こうやのしろばか)「紺屋」は一般には「こうや」と読む。 「こんや」が変化した語。 染物を仕事とする家。 またその人の。 元来は藍染屋に限って使ったが後にはひろく染物屋のことをいうようになった。 他人のための仕事にば かり忙しくて、自分のことに手がまわらないことのたとえ。 またやる気になればすぐにできるにもかかわらず放置しておくことをいう。 虎穴に入らずんば虎子を得ず (こけつにいらずんばこじをえず) 「虎穴」は虎が住んでいる穴のこと。 転じてひじょうに危険な場所や状況のたとえ。 虎の住んでいる穴に入らなければ、虎の子供を奪いとることはできないことから、転じてひじょうな危険をおかさなければ貴重なものを手に入れたり、功名を得たりすることはできないことのたとえ。 五十歩百歩 (ごじゅっぽひゃっぽ) 戦争の時に、戦闘開始の合図のどらが鳴りひびくやいなや五十歩逃げた者が百歩逃げた者を臆病だと笑うこと。 自分と大差がないのに人のことを笑ったりばかにしたりすること。 どちらも不十分、不完全であることにはかわりがなく、本質的にはあまり違いのないことのたとえ。 〔出典〕『孟子』。 先んずれば人を制す (さきんずればひとをせいす) 「先んずる」は、他よりも先へ進む、先行する。 「先にする」の変化した語。 他の人よりも先に事を行えば、人よりも有利な立場に立つことができる。 また先手を討つことができなければ、相手を制圧することができないことをいう。 現今の大学生の就職活動などは、まさに「先んずれば人を制す」の典型で、はやければはやいほどよいようになってきている。 〔出典〕『史記』。 酒は百薬の長 (さけはひゃくやくのちょう) 酒は適当な量を飲んでいれば、健康のためにもよく、特に害はない。 酒と人とは切っても切れないものらしく、古来酒に関係しているいいまわしは多い。 「酒なくて何のおのれが桜かな」などといって盃を重ねれば、「酒が酒を飲む」となり、しまいには「酒に飲まれる」「酒人を飲む」となる。 日本では上代はすべて濁酒であって、清酒は室町時代ぐらいから、つくられるようになったという。 誘う水あらば (さそうみずあらば) 『古今和歌集』の小野小町の歌に「わびぬれば身を浮草の根をたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ」とあることからきている。 誘い招く者。 また女性に交際を求めたり、結婚を申し込んだりすることがあれば、それに応じてもよいという気持ち。 『さそふ水あらばと母は気を通し』(川柳)。 去る者は追わず (さるものはおわず) 物事はあきらめが大切な場合もある。 「去る者」を使った慣用句に、「去る者は日々に疎し」=親しかった人でも別れてしまうと、しだいに交情が薄くなっていくこと。 死んだ人は月日が経つにつれてだんだんと忘れられていくこと。 「去る者」とはいずれも自分と何らかのかたちで関係をもっていた人であること。 自分から離れていこうとする者は、その人の自由な意志にまかせて無理に束縛したりすることはしないことをいう。 三顧の礼 (さんこのれい) 古代の中国の国、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい) の庵を三度も訪れて、とうとう自分の国の軍師として迎えた故事による。 「顧」はたずねること。 目上の人が、すぐれた人に礼をつくして仕事を頼むこと。 また目上の人がある人を特別に優遇したり信任したりすること。 単に「三顧」ともいう。 いつの世の中でも礼をつくすことは必要である。 三舎を避く (さんしゃをさく) 「三舎」は、古代中国で、軍隊の三日間の行程のこと。 一日一舎を行軍するするとされており、現在の約六十キロメートルにあたる。 三日間の行程ほどの距離の外にしりぞくこと。 恐れて遠く避けること。 相手を恐れてしりごみをすること。 へりくだった態度をとること。 遠くおよばない。 とうてい比較にもならない。 まったく問題にならないこと。 〔出典〕『春秋左子伝』。 三尺下がって師の影を踏まず (さんじゃくさがってしのかげをふまず) 「三尺」は約九十センチメートル。 弟子が先生にしたがっていく時に、あまり先生に近づいては礼を失するので、三尺、後に離れてしたがうということから、弟子は先生を尊敬して、礼儀を失わないように、しなければならない、ことのたとえ。 【同義】「三尺去って師の影を踏まず」。 三十六計逃げるに如かず (さんじゅうろっけいにげるにしかず) 中国の古代の戦いの方法で用いられた語。 「三十六計」は三十六種類の計略。 兵法上のいろいろなはかりごとやかけひきのこと。 三十六策ともいう。 たくさんある計画のなかで、どうにも困っていきづまった時は、あれこれと考え迷うよりは時機を見て逃げ出し、まず身の安全を保つことが最上の方法であるということの教え。 ひきょうなために逃げるのではなく、身の安全をはかって、ひとまず退き、後日の再挙をはかれということ。 転じて、めんどうなことがおこった時は、にげるのがよいということ。 死灰復た燃ゆ (しかいまたもゆ) 「死灰」は火の気がなくなって冷たくなった灰のこと。 冷たくなった灰がふたたびもえることから、いったん衰えてしまったものが再び盛んになること。 あるいは一度落着しかかったものがまた起こることのたとえ。 漢の時代に韓安国という人が罪に陥った時に、獄史の田甲という人が、彼をさらし恥ずかしめたのに対して「死灰復燃ゆ」といったという故事からでている。 落ち目の人をあなどると後になって痛い目を見るという警告でもある。 〔出典〕『史記』。 鹿をさして馬と為す (しかをさしてうまとなす) 中国の秦の国の趙高が、自分の権力で、皇帝に対して鹿を馬といって押し通した故事から誤りを無理に押し通すこと。 また人をだましたり、愚弄したりすることをいう。 〔出典〕『史記』。 自家薬籠中のもの (じかやくろうちゅうのもの 「自家」はその人自身の家のこと。 「薬籠」は薬箱のこと。 自分の家の薬箱のなかのもののように、自分の意のままに、利用できるもの。 また自分のものとして取り入れて自由に使うことができるものという意。 地獄の沙汰も金次第 (じごくのさたもかねしだい) 地獄で罪人が受ける裁判も、金を出せば自分に有利になるというくらいだから、現実のこの世では金さえあれば、なにごとも思うがままに、なるということのたとえ。 金はあの恐ろしい、えんま大王でさえも左右することが、できるとなれば世の中で金ほど恐ろしいものは、ないということになる。 「地獄に仏」、「地獄は 壁一重」、地獄も住家」など、地獄を使った慣用句は多い。 死屍に鞭うつ (ししにむちうつ) 「死屍」は、しかばね、死体のこと。 中国の春秋時代に、五子胥(ごししょ)が父や兄の仇である楚の国の平王を三百回むち打ったという故事から、死んだ人の行為や言動を非難すること。 現在では「死者に鞭打つ」の方が一般に多く使われている。 いうまでもないが、死者の尊厳はいつの世も、また、どこの世界で も重んじられるので、この行為は非常のものとして歓迎されない。 単に失敗したり落ちこんでいる人に、さらに元気を失わせるようなことをする場合にも応用される。 〔出典〕『史記』。 弱冠 (じゃっかん) 中国の周代の制度では男子二十歳を「弱」といい、その時に元服して冠をかぶるところからいう。 時に「若冠」と書くこともあるが「若」はあて字。 現在では、単に年齢の若いことや弱年であることをいうのが一般的になりつつある。 ちなみに十歳を「幼」といい、三十歳は「壮」といい、四十歳は「強」という。 〔出典〕『礼記』。 柔よく剛を制す (じゅうよくごうをせいす) かたくて強いものを制圧するものは、よりかたくて強いものと思われがちであるが、実際は必ずしもそうではなく、やわらかいものが、かたくて強いものを制圧する、ということ。 たとえば雨だれが長い時間の間には石に穴をあけたり、雑草がコンクリートの割れ目からはいだすなど、柔軟なものが堅強なものよりも力がすぐれていることもあるということ。 「弱能く強を制す」と対になっている。 〔出典〕 『老子』。 小人閑居して不善をなす (しょうじんかんきょしてふぜんをなす) 「小人」は徳のない品性のいやしい人。 度量が狭くて器量のない人。 小人物。 「閑居」はなにごともすることがなくて、ひまなこと。 徳がなく品性のいやしい人はヒマであるととかく良くないことをするということ。 それだけに「閑居」した時にこそ、自分に対して厳しくしなければならないこと。 人が見ていまいが聞いていまいが、言行を慎んで気をつけるようにすることが大切。 少年老い易く学成り難し (しょうねんおいやすくがくなりがたし) 現在ではふつう「少年」といえば、小学・中学生ぐらいをさすが、この場合は、年の若いもの。 若者ぐらいの意味。 若いと思っているうちに、すぐ年をとってしまい、こころざしていた学問はなかなか進まないということ。 年月は無為にしているとすぐにすぎやすいので、寸刻をおしんで勉強せよということ。 食指が動く (しょくしがうごく) 「食指」はひとさし指。 中国の鄭(てい)の国の子公が、ひとさしゆびの動いたのを見て、ごちそうがでてくる前ぶれだといったという。 食欲がおこってくる。 転じて一般に、自分のものにしたいという欲望をおこす。 欲しがること。 〔出典〕『春秋左子伝』。 助長 (じょちょう) 中国、春秋時代の宋の国の、ある男が畑に作物の苗を植えた。 だが、みるみるうちに大きくなる、というわけにはいかない。 彼は苗が、なかなか生長しないことを気にやんで、一本一本その穂を引っぱって伸ばしてやった。 家にたどりつき、男は「今日は苗を引っぱって生長を助けてやった」といったということから、生長を助けようとしてむりに力を加えて、逆に害をなすこと。 人生意気に感ず (じんせいいきにかんず) 「人生」は人間の生活、また人間がこの世に生きていくことを意味している。 人間は、人の気性のいさぎよさを認め、それに感じて仕事をするのであって、金や名誉など、自分のためだけにするのではないということ。 相手がきっぷのよさを示した時は、それに感じて自分の損得などを考えずに仕事をすること。 現今は「合理主義」の名のもとに打算的で、すぐに自分の利益をはかる人がふえてきた ようであるが「人生意気に感ず」の精神を忘れずに。 人事を尽くして天命を待つ (じんじをつくしててんめいをまつ) 「人事」は人間に関係していることがら。 人間社会のことで「自然」に対してのこと。 「天命」は人間にさずけられた運命のこと。 人間の力で、できるだけのことをしてその結果については運命にまかせるのみ、ということ。 人間の力にはもともと限りがあって、どんなに細心の注意をしていても、人間には思いもしない事件 が起こって自分の行為を自分の思いどおりにすることはできないが、だからといって何事もはじめからあきらめていてはだめ。 まず自分の力で、できるだけのことをして、そのうえで運を天にまかせるべきだということ。 水魚の交はり (すいぎょのまじわり) 「水魚」は文字通り、水と魚。 転じて、魚と水がきってもきれない関係であるように、きわめて親密な交際のたとえ。 「三顧の礼」をつくして諸葛孔明を得た劉備(りゅうび)は、そのすぐれた能力に感じ入って師とあおぎ寝食をともにするまで になった。 若い諸葛孔明に対する王の傾倒ぶりをねたんで、武将たちが非難すると、王は「私が孔明を得たことは、ちょうど魚が水を得たようなものだ」といったことからでている。 過ぎたるは及ばざるが如し (すぎたるはおよばざるがごとし) 物事にはなんでもそれにふさわしい程度というものがあって、それを超えてしまうことは、不足しているのと同様にほめられた、ことではないということ。 なんでも度を過ごしてしまえば、足らないのと同様によくない。 『論語』の教えのなかで重要なことの一つは「中庸」(ちゅうよう)である。 これは、なにかにかたよること なく、中正なことをいうが、適度なことを重んじている。 このことわざも、その「中庸」の精神を表わしたもの。 青天の霹靂 (せいてんのへきれき) 「青天」は青くすみわたった空、晴れた空、青空のことで「晴天と」ほぼ同じ意味。 「霹靂」は「霹」も「靂も」かみなりのことで、はげしく鳴りひびくかみなりの意味。 すみきった青空に急に鳴り響く雷のこと。 これは宋の時代の有名な詩人陸游(りくゆう)(放翁)(ほうおう)の詩からでた言葉で、彼の書の筆勢の雄大でおどるような様子を形容した言葉である。 元来は筆勢のことをいうものであったが、今では突発的におこった大事件の意で用いられている。 背に腹は代えられぬ (せにはらはかえられぬ) 同じからだの一部分でも、背中を腹とかえることはできない。 この場合「背」は「腹」よりも重要な部分であるという考え。 大事なことのためには、他のことを注意する余裕がないことのたとえで、大きな苦痛を避けるためには、小さな苦痛はやむをえないこと。 船頭多く船山へのぼる (せんどうおおくふねやまへのぼる) 船は一人の船頭があやつってこそ思いのままに動くもの。 船頭がたくさんいて、それぞれが自分勝手な方向にこげば、船はとんでもないところに着いてしまう。 転じて異なった意見を主張する人が多数いてものごとがすこしも進まないこと。 先鞭をつける (せんべんをつける) 「先鞭」は文字通り他人に先だって馬を鞭打つこと。 他人より先に馬に鞭打って、さきがけの功名をすること。 人より先にものごとに着手すること。 さきがけ。 ぬけがけ。 「祖生鞭」(そせいのむち)または「祖鞭」(勉励して人と先を争うこと。 晋の劉? (りゅうこん)が、友人の祖逖(そてき)が先に官吏に登用されたのを聞いて、祖生=祖逖=にさきに鞭をつけられたといった故事)も同じような意味 で使われている。 〔出典〕『晋書』。 前門の虎後門の狼 (ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ) 「前門」はまえの門、正門。 「後門」はうしろの門。 一つのわざわいをのがれても、さらにまた他のわざわいがふりかかってくることのたとえ。 表門に来ている虎をふせいでいるあいだに、裏門から狼がおそいかかってくるという意。 【同義】「一難さってまた一難」。 千里の行も足下に始まる (せんりのこうもそっかにはじまる) 「千里」は現在の単位で、約三九三〇キロメートルにあたる。 転じて遠方のこと。 遠い路程も足元の第一歩から始まること。 転じて、ひじょうに遠大な計画も、はじめは手近な所から始まるということ。。 地道なこつこつとした努力が、大業をなし得る、もとであるということ。 〔出典〕『老子』。 千慮の一失 (せんりょのいっしつ) 「千慮」はあれこれと考えをめぐらすこと。 多くの思慮。 賢い人でも多くのうちには考え違いや失敗が必ずあるということ。 配慮をめぐらしていても思いがけない失敗はさけにくいということ。 これに対して「千慮の一得」は、愚かな人の考えでも、たまには名案もありうるということをいう。 ことわざや慣用句には、このようにまったく反対の意味を表わすものがある。 それだけ人間世界が複雑だということか。 創業は易く守成は難し (そうぎょうはやすくしゅせいはかたし) 「創業」は事業を新しく始めること。 「守成」は、創始者の意志をうけつぎ、その成果をさらに強固なものに発展させること。 中国、唐の太宗が家臣たちに、創業と守成とどちらが、むずかしいかと問い、それに対して家臣の魏徴(ぎちょう)が答えたことばから。 新しく事業をおこすことに比べて、その事業をおとろえさせ ないようにし、さらに発展させることの方が、ひじょうにむずかしいこと。 ちょっと考えると逆のようでもあるが、物事を安定した状態で保っていくことは、平凡な ようだが、それのできる人はむしろ非凡な人といえる。 宋襄の仁 (そうじょうのじん) 「宋襄」は宗の国の襄公のこと。 中国の春秋時代に宗と楚が戦った時に、襄公が、先制攻撃を進言した、宰相の目夷の意見をしりぞけて、敵の布陣をまってから戦って、さんざん敗れ、世間の物笑いとなったことから。 無益のなさけ、不必要なあわれみ。 また無用の仁義だてをしてひどい目に会うこと。 〔出典〕『春秋左氏伝』。 多芸は無芸 (たげいはむげい) 「多芸」は、多くの種類の学問、芸能、また多くの学問や芸能に通じていること。 何にでも通じている人は、かえってこれが専門というものをもっていない。 浅く広く知っているだけで、深くきわめたものは、なにもないという意味。 他山の石 (たざんのいし) 「他山」は、ほかの山。 よその山。 自分の石をみがくのに役だつ他の山の石。 転じて、自分の修行の助けとなるような他人のことばや行い。 自分にとっていましめとなる他人の誤った言行という意味で使われることが多いが、「誤った」ということが問題なのではなく「他の山の」ということが重要である。 自分をみがくためには、つねに他の人々と接している必要がある、ということ。 蛇足 (だそく) 「だ」は「蛇」の慣用音。 楚の国で、神に仕える下僕たちに大杯に一杯の酒が与えられた。 ところがみんなで、のむにはたりない。 そこで地面に蛇の絵をかいて、一番早くできあがったものが一人で飲むことにして競争した。 一人の男ができあがって、みんながまだかけないのを見て足を付け足していると、他の一人ができあがって足のある蛇はいないといって酒を飲んでしまったことから、無用なもののこと、あるよりは、むしろない方がよい、ことのたとえにも用いる。 璧を抱いて罪あり (たまをいだいてつみあり) 「璧」はたま。 また玉のようにりっぱなもの。 「完璧」の「璧」も玉。 自分に不相応なものをもったり、不相応なことをしたりすると、とかくわざわいを招きやすいことをたとえていう。 「玉を抱く」とは、崇高な大志を胸にひめ、大志をいだくこと。 忠ならんとすれば孝ならず (ちゅうならんとすればこうならず) 「忠」は、国家や主君に対して臣下としての本分をつくすこと。 臣下としての真心をつくすこと。 「孝」は、先祖や親などに真心をもって仕えること。 忠も孝も中国で重んじられた徳。 主君に忠義をつくそうとすれば、父の意志にさからってしまうので不幸となり、父の意にしたがおうとすれば主君に不忠になるという進退きわまった状態のこと。 月に叢雲花に風 (つきにむらくもはなにかぜ) 待ちに待った月がでてきても、雲が群がってきてその姿をかくしたり花を見ようとしている時、ちょうど桜がさいているのに風がその花を吹き散らすようなことがあるということ。 世の中では、良いことには必ず邪魔がはいることのたとえ。 【同義】「好事魔多し」。 恙なし (つつがなし) 無事息災である、ということ。 恙とはツツガムシのことで、ダニの一種。 ツツガムシ病を媒体する。 刺されると化膿し、リンパ腺がはれて全身に赤い斑状発疹がでる。 日本でも東北地方の川の流域に発生し、死亡率の高い風土病として知られていた。 現在では薬が開発され死ぬことはなくなった。 聖徳太子が髄(ずい)の煬帝に(ようだい)にあてた国書に「日出ずる処の天子、日没する国の天子に書(もう)す、恙なきや」とある。 詰腹切らす (つめばらきらす) 詰腹とは、自分の意志ではなくて、他から強制されてしかたなくする切腹のことをいう。 転じて、強制的に辞職させること。 また本人がのぞまないことを、むりにやらせること。 失敗を一人の人におしつけて、責任をとらせるといった意味でつかわれる。 轍鮒の急 (てっぷのきゅう) 目前に危急がせまっていること。 生きるか死ぬかの危機をむかえること。 轍は、車の轍(わだち)、鮒は、フナ。 ある時荘子は、ひじょうに生活に困り、裕福な友人のところへ借金を申し込んだ。 すると友人が「領地から税金が入ることになっているから、入ったらいくらでも都合しよう」といった。 体裁よく断られた荘子はこんな話をした。 「ここへ来る途中、轍のなかから鮒がおれに、ちょとでいいから水を運んでくれと頼んだんで、呉の方へいく予定があるから、西江の水をたっぷり運んできてあげるよ、といったんだ。 すると鮒のやつ、干物屋でまた会おう、だ とさ」〔出典〕『荘子』。 天網恢恢疏にして漏らさず (てんもうかいかいそにしてもらさず) 天網は天の網、天がはりめぐらす網のこと。 恢恢は広く大きいようす。 疏というのは目のあらいこと。 天の張りめぐらした網はあまりにも広く大きいのでその目もあらいようであるが。 決してその目から悪事を漏らすことはない。 すなわち天 の定めた人の道は厳正で、悪いことをした人は必ず罰をうけるものだ、ということ。 〔出典〕『老子』。 問ふに落ちず語るに落ちる (とうにおちずかたるにおちる) 人に聞かれた時には用心してなかなか秘密をもらさないが、何げなく話しているうちに、ふともらしてしまうということ。 落ちるとは、人の術中に落ちる、城が落ちるなどと同じで、攻撃され、降参するということ。 ここでは秘密を知られることをいう。 同病相憐れむ (どうびょうあいあわれむ) 同じ痛みや苦しみをもっているものは、なぐさめ、はげましあうこと。 また同情しあうこと。 「同病相憐れむ同憂相救う」と対になっている。 〔出典〕『呉越春秋』。 登竜門 (とうりゅうもん) 「竜門に登る」とよみ、きびしい難関を突破して出世の糸口をつかむこと。 「三秦記」、に中国黄河上流にある「竜門」の伝説がみえる。 ここの流れはひじょうに急で、魚はほとんどその流れをさか登れないが、ひとたび登れば竜になるという。 後漢の末、政治を堕落させる原因となっていた宦官(かんがん)を排除しようとした李膺は、高潔の士として若い官史たちに慕われていた。 そして彼に接することを望み「登竜門」と名づけたという。 日本に入って「登竜の門」解され、出世の関門をいうようになった。 螳螂の斧 (とうろうのおの) 斉の国の荘公がある日、狩に出かけた。 そのとき、一匹の虫が前足をあげて、荘公の車の輪におそいかかろうとしていた。 荘公が御者に何という虫かとたずねると「かまきりでございます。 この虫は進むことばかりでしりぞくことを知りません。 自分の力を考えずに敵にむかうのです」といった。 荘公はこれに感じ、車を戻させてかまきりをよけてやった。 ここから、自分の力をわきまえず、強敵にはむかうこと。 〔出典〕『韓詩外伝』。 読書百遍義自ら見る (どくしょひゃっぺんぎおのずからあらわる) 本を読んでいて意味のわからないとこらがあっても、何度もくり返して読んでいるうちに自然に意味がわかってくる、ということ。 『魏略』という書物の注釈にみられる文章。 同じところに「読書三余」ということばもみえる。 これは、作業が休 みになる一年のうちならば冬、一日のうちならば夜、そして雨の日という三つの余暇に読書をせよ、ということ。 塗炭の苦しみ (とたんのくるしみ) ひじょうに苦しむこと。 たいへんな難儀のこと。 塗は土と水と、どろをこてでぬる意の音をあらわす余とをあわせた字。 どろのこと。 炭はすみ。 塗炭の苦しみとは、どろにまみれ、火にやかれるような苦しみをいう。 〔出典〕『書経』。 虎の威をかる狐 (とらのいをかるきつね) 虎が一匹の狐をつかまえ、今にも食おうとしたところ、狐がいった。 「虎さん、私を食べてはいけません。 食べれば天に逆らうことになりますよ。 うそだと思うなら私のあとについてきてください。 みんな私を恐れて逃げてしまうから」。 虎が狐 のあとを歩くと、本当に皆が逃げてしまうので、虎はすっかりだまされてしまったという話。 ここから、他人の権勢をかりて、いばる小人物のこと。 〔出典〕『戦国策』。 飛んで火に入る夏の虫 (とんでひにいるなつのむし) 自分から進んで自分を滅ぼすようなわざわいのなかにはいりこんでしまう、ということ。 夏には、夜行性の蛾や虫が灯火などにあつまってくる。 現在は、電灯が多いからそんなことはないが、電気などなかった昔には、火に近づきすぎて身を焦がし死んでしまう虫も多かった。 その様子からでてきたことば。 泣く子と地頭には勝れぬ (なくことじとうにはかたれぬ) 道理を説明してもききめのないこと。 泣いている子供には、どんなに道理を説いても無駄で、結局は自分の思いどおりにしてしまう。 地頭というのは、平安時代から鎌倉時代にかけて荘園(しょうえん)管理をまかされた荘官のこと。 のちには領主化した。 寝耳に水 (ねみみにみず) まったく思いがけないこと。 とくに思いがけない話をきいたときにつかう。 眠っているときにいきなり耳に水をそそがれれば、びっくりしてとびおきるであろう。 そういう、ひどく驚いた状態をいう。 二の足を踏む (にのあしをふむ) ためらって、ものごとを思いきってしないことをいう。 「二の足」は、歩きはじめるときの二歩目のこと。 一歩はふみ出したものの、躊躇して二歩目をふみ出せず、同じ場所で足踏み状態になってしまったようすから。 背水の陣 (はいすいのじん) 韓信が趙軍と戦ったとき、前方に敵をむかえ、川を背にして陣を敷いた。 しりぞけば水に溺れるところから、決死の覚悟で敵と戦わせるための布陣をいう。 ここから意味は、一歩もあとへ退くことのできない絶体絶命の気持ちでものごとにあたること。 韓信は「韓信の股くぐり」でも知られる武将。 高祖をたすけ、肅何(しょうか)張良とあわせて漢の三傑といわれる人。 謀反の罪で殺された。 敗軍の将、兵を語らず (はいぐんのしょう、へいをかたらず) 司馬遷の「『史記』にある「敗軍の将は似て勇を言うべからず、亡国の大夫は似て存を図るべからず(戦いに敗れた将軍は武勇をかたれない、滅んだ国の主君は存命を願うことはできない)」からきたことわざ。 ものごとに失敗した者は、それについて意見をのべる資格が無い、ということ。 【同義】「敗軍の将は謀らず」、「敗軍の将、兵を談ぜず」。 馬脚を露す (ばきゃくをあらわす) 馬脚とは芝居で馬の脚をやる役者のこと。 本来は足だけを出していなければならないのに、姿を見せてしまうという意味から、隠していたことがわかてしまう、ということになる。 ここから、化けの皮がはがれる。 しっぽを出す。 隠していたことが知れてしまう、ということ。 白眼・請願 (はくがん・せいがん) 「竹林の七賢」の一人である晋の阮籍はことばで人を非難することはなかったが、気に入らないと上目づかいに相手のことを見た。 すると白目の部分が多く出るので、このように人をさげすむような目を白眼という。 逆に、気に入った相手には、まともに顔を合わせたので、黒目の部分が多く出た。 このように親しみをこめた眼を青眼という〔出典〕『晋書』。 白髪三千丈 (はくはつさんぜんじょう) 白髪がきわめて長いこと。 またものごとを誇張していうこと。 唐の詩人、李白の詩からでたことば。 「白髪三千丈、愁に緑りてかくのごとく長し、知らず明鏡の裏、いずれの処にか秋霜を得たる」。 当時の一丈は約三・一メートルであったから、三千丈といえば九キロメートルあまり、ということになる。 もちろんこれはレトリックであるが、ふと鏡をのぞいて自分の老いを痛感した李白のおどろきがこめられているといえるであろう。 破竹の勢い (はちくのいきおい) 三国時代の末、晋の軍勢は呉をあと一歩のところまで追いつめた。 冬をまって総攻撃をかけよう、と主張する部将に対し、総大将の杜預はつぎのようにいった。 「今、我が軍の勢いはひじょうに盛んになっている。 竹を割るときのようだ。 一筋割ってしまえば、あとはそれにつられて裂けていく」と。 ここから、とめようにもとめられないほど、ひじょうに勢いがあること。 〔出典〕『晋書』。 日暮れて途遠し (ひくれてみちとし) 人生の晩年を迎えても、まだ目的をもっていて、それが容易に達成できそうもないこと。 「途」は「道・塗・路」とも書く。 日が暮れたのに前途はまだまだ長い、ということから来ており、その道のりの長さを強調したことばであろう。 また、期日が迫っているのに、やらなければならない仕事ができあがっていないこともいう。 「日暮れて道を急ぐ」は期日が迫ってから急に必死になること。 〔出典〕『史記』。 百聞は一見に如かず (ひゃくぶんはいっけんにしかず) どんなにことばをつくして説明しても、たった一度実際に見ることには及ばない。 人から話をきくよりも、自分の目で見るほうが確かであるということ。 〔出典〕『漢 書』。 人と屏風は直ぐでは立たず (ひととびょうぶはすぐではたたず) 人間、世の中をわたっていくためには、ある程度意志をまげて妥協しなければならない、ということ。 直ぐとはまっすぐのこと。 屏風はまっすぐにしたのでは、ぱたりと倒れてしまう。 少しまげてやれば立つ。 人間の生き方も同様であるということ。 人間もあまりまっすぐで、自分の意志をまげることを知らないと、世の中とのまさつが大きく、いつか倒れてしまうことにもなりかねない。 舟に刻みて剣を求む (ふねにきざみてけんをもとむ) 舟に乗っている時に川の中に剣を落とした人が、舟が川の上を動いていることを考えに入れず、舟ばたに剣を落とした位置の印をつけて剣を探そうとしたという故事による。 時勢の移ることを知らず、いたずらに古いしきたりを追い求めることのたとえ。 仏造って魂入れず (ほとけつくってたましいいれず) 物事をほとんどなしとげながら、もっとも重要な一事が抜け落ちていること。 「仏造って眼を入れず」ともいう。 「画竜点睛をかく」もほぼ同じ意味。 「仏千人神千人」、「仏頼んで地獄へ落ちる」、「仏の顔も三度まで」、仏の心凡夫知らず」、「仏は金ほど光る」など仏を使った慣用句も多い。 満を持す (まんをじす) 弓を十分に引きしぼってそのまま構えること。 それから転じて準備を十分にして、時機の来るのをまつ。 また物事の極点に達したままもちこたえること。 物事を うまく成功させるためには何事も十分な準備をする必要がある。 「満は損を招く」(物事は完全な状態に達すると、やがて不都合なことがおこったり衰えたりするものである)という慣用句もあり「満」の状態を保つことはきわめて難しいこと。 水清ければ魚住まず (みずきよければうおすまず) あまり精簾にすぎるとかえって人に親しまれないことのたとえ。 江戸時代、わいろ政治で有名な田沼意次が老中の座を退いた後に老中となった松平定信、は倹約を旨として寛政の改革を行った。 庶民の衣服や装飾品にまで規定を設けたために、きびしすぎるという声が多かった。 その時に詠まれた落首は「白河の清き流れにすみかねて元のにごりの田沼恋しき」であった(松平定信は白河藩主だったから)。 まさに「水清ければ魚すまず」というところ。 矛盾 (むじゅん) 「矛」は、ほこ。 「盾」は、たて。 中国の楚の国に矛と盾を売っている人がいた。 この人は、この矛はどんな盾でもつらぬき通すことができるといい、また、この盾はどんな矛でもつらぬき通すことができないといった。 そこで、ある人がその矛でその盾をついたらどうなるのかとたずねたので、ほこたてを売っていた人は答えに困ったという故事から。 つじつまの合わないこと。 事の前後がそろわないこと。 〔出典〕『韓非子』。 元の木阿彌 (もとのもくあみ) 一度よくなったものがふたたびもとのよくない状態にもどること。 せっかくの苦労や努力が無駄になってしますこと。 この句の由来については諸説ある。 百姓の木工兵衛が僧に献金して某阿彌の号を得たが、村人は新しい名で呼ばず、たまに呼んでも、もとの名にひかれて木阿彌などと呼んでしまったということから、など。 物言へば唇寒し (ものいえばくちびるさむし) 芭蕉の句の「物言えば唇寒し秋の風」からでている。 「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」の後に添えられている句。 人の悪口を言った後では、なんとなくさびしい気持ちがすることを表わしている。 転じてなまじよけいなことを言えばかえってそのためにわざわいを招くことがあるということ。 口は禍の門」も 同じような意味。 「雉も鳴かずば打たれまい」など、口がまねくわざわいをいましめる慣用句は多い。 門前雀羅を張る (もんぜんじゃくらをはる) 「雀羅」はスズメなどを捕まえるための網。 訪れる人がなくて門前には雀が飛んでいるので、それを捕まえるのに網を張ることができるくらいだということから、門前がひっそりしてさびしいことを形容する言葉。 「門前」を使った慣用句も多い。 八百長 (やおちょう) 八百屋の長兵衛、通称八百長という人が、ある相撲の年寄とよく碁を打っていた。 長兵衛は年寄にじゅうぶん勝てる腕前を持ちながら、うまく手かげんをして、いつも対戦成績が一勝一敗になるように細工をしたところから起きた。 相撲や野球またはその他の競技などの勝負ごとで、前もって勝負の勝敗を打ち合わせておいて、表面だけは真剣に勝負をしているようにみせかけることをいう。 転じて、単なるなれあいのことをさす場合もある。 良薬は口に苦し (りょうやくはくちににがし) 「良薬」はよい薬、すぐれた効能のある薬のこと。 ききめがあって良い薬は、苦くて飲みにくいことが多いが、病気をなおすためには必要である。 忠言やいさめる言葉はなかなか聞き入れにくいが、その身のためになることをたとえてもいわれる。 老馬の知 (ろうばのち) 中国の春秋時代、斉の桓公が戦争しての帰路、山中で道に迷い立ち往生した時、賢臣の管仲が、このような時には「老馬の知」を借りた方がよいと進言した。 そこで放したが正しい道にたどりつき、みんな無事にもどることができたという 故事から。 経験のある者は物事の方針をあやまらないことをいう。 またものにはそれぞれの長所があることのたとえ。 〔出典〕『韓非子』。 隴を得て蜀を望む (ろうをえてしょくをのぞむ) 「隴」は、中国の地名。 魏(ぎ)の国の司馬懿(しばい)が、隴の地方を平定し、勝に乗じてさらに蜀を攻めようとした時に、曹操が答えた言葉。 一つの望みをとげた後に、さらにその上を望むこと。 人間の欲望には限りがないことのたとえ。 禍を転じて福となす (わざわいをてんじてふくとなす) 「わざわい」の「わざ」は神のしわざのこと。 「わい」は「さきわい(幸)」の「わい」と同じで、悪い結果をもたらす神のしわざの意からでている。 わざわいをうまくかえて、幸福になるようにとりはからうこと。 「わざわいも三年」、「わざわいは幸」など、わざわいに堪えるためのことわざも多い。 これも人の世には、とかくわざわいが多いところからきているのだろうか。

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下村湖人 次郎物語 第四部

男 に は 負ける と わかっ てい て も 戦わ なけれ ば ならない とき が ある

男には負けるとわかっていても戦わなければならないときがある。 死ぬとわかっていても、行かなければならないことがある… ほっほっほ 宇宙海賊キャプテン・ハーロックというおじさんの言葉なのですが、実際の人生でも、そのような絶望的な状況で、戦えるものなのでしょうか? そのような武勇伝をお持ちの方は、ぜひともこの言葉の意味みたいのを紹介していただければ、と思います。 よろしくお願いします!男くさいお話に、BAを差し上げたいと思います。 それと、男女差別だとか、戦争じゃ当たり前とか、中間期末テストだとかの苦情は松本さん・・じゃなかったハーロックさんのほうにお願いしますね。 この、ハーロック様のお言葉は、宇宙の海賊になった者だからこそ出て来る言葉ではないかと・・・・・・ しかし、負ける、死ぬというのは比喩で、現実には日々、このような思いで生きている人がたくさんいるとわたしは考えています。 「もう無理」「限界」「終わりだ」 そう思っていても、「生きるしかない」と踏ん張り、今日を懸命に終える。 そんな生き方は、地上の誇りある海賊と言えないでしょうか。 きっと言えると思います。 「少年は皆、明日の勇者」 少年でなくとも、皆コスモある限り、明日の勇者と思います(^^) きっとハーロック様も、そのような思いで口にされたのではないでしょうか・・・・ 愛するマーヤを失って、地球を後にする時、そのような生き方が出来るものだけ来い、と言った彼の決意を、わたしはとてもかっこいいと思っています。 それは、新たな生命の誕生に自らの死を惜しむよりも大きな喜びを見出すからでしょうね 未来への希望が、これまでの人生に勝ると言うことでしょうか 一方、男性は自分の持っている色々なものを「護る」為に戦いますね 「未来」よりも「過去・現在」が彼等にとっては重要と言うことになるでしょうか …上手く出来たもので、男女がこのようにしてそれぞれ異なったものを護っているからこそ、地球と人類が永続していけるのですね ふと、そんな事を考えましたよ 私には何の武勇伝もございませんが(笑) ほっほっほ.

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