孤独 の 宗教。 非信徒から見たキリスト教の魅力①人の孤独を慰める神

非信徒から見たキリスト教の魅力①人の孤独を慰める神

孤独 の 宗教

大きな反響を呼んだ『日本人はなぜ無宗教なのか』 1996年に宗教学者・阿満利麿(あま・としまろ)氏が『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)という本を出した。 これは英語や韓国語にも翻訳されるなど非常に大きな反響を呼んだ。 阿満氏によると、日本人は無宗教だと言われてはいるものの、それは「創唱宗教」と比較しているからではないかという。 創唱宗教とは、特定の教祖がいて明確な教義を持つ宗教を指す。 キリスト教にはイエス・キリストが、仏教にはゴータマ・ブッダが、イスラム教にはムハンマドという教祖がいる。 他方、ヒンズー教や神道には特定の始祖がいない。 また民間信仰にも特定の始祖は存在せず、いわば無名の人たちによって自然に実践されてきたものである。 日本の宗教は創唱宗教から大きな影響を受けてきた。 6世紀に流入した仏教は、19世紀の中ごろまではもっとも影響力の大きい宗教であった。 今でも日本人の多くは仏教の様式でお葬式を出し、あるいは仏像に親しみ、中には阿弥陀仏、観音菩薩、地蔵菩薩を見分けることができる日本人もいる。 毎年お墓参りをする人は国民の過半数を大きく超えており、墓前で手を合わせるのは仏様への礼拝の方法である。 19世紀の後半からは、そこにキリスト教の強い影響が加わった。 しかし、学校や学問を通してキリスト教が及ぼした文化的影響は大きいものの、宗教集団としてのキリスト教は日本の全人口の1%程度にとどまっている。 神道に目を向けると、中には創唱宗教になったものがある。 19世紀の中ごろに中山みきという農婦が始めた天理教がその一例だ。 新宗教の中には神仏習合の宗教の影響を受けたものが多い。 19世紀の中ごろまでは神道といっても仏教と切り離せないものが圧倒的に優勢であり、それほど仏教の影響は大きかった。 自然宗教がベースとなった日本人の信仰 しかし、上記のように創唱宗教の影響もある程度はみられるが、概して日本人の信仰のベースは自然宗教だと阿満氏は述べている。 人々は土地や家の神々を礼拝するが、教義はあまり発達していない場合も多い。 「無宗教」とは何かを考えてみると、広い意味で神道といえるかもしれないし、民間信仰といえるかもしれない。 まずは自然宗教の影響があり、その後に創唱宗教の影響を受けたにもかかわらず、それがしっかりとは根付いていない。 そのため強い創唱宗教に出会うと何か戸惑ってしまい、自分は創唱宗教にはなじめないと考える日本人は多い。 それが、狭義の「宗教」(創唱宗教)を信じていないという意味で、多くの日本人が自らを「無宗教」と言う理由になっている。 これが、阿満氏の『日本人はなぜ無宗教なのか』の主な論旨である。 同書が刊行されたのは1996年。 前年の1995年にはオウム真理教事件があった。 同教団の信徒には20代の男性、とりわけ大学生や大学院生が多く、コンピューターグラフィックスや医学、自然科学などの高度な専門知識を備えた若者たちもいた。 彼らがオウム真理教に傾倒していったのは、日本が「無宗教」だったからだろうか。 この問いに、阿満氏は「自然宗教」の存在を説くが、自然宗教は必ずしも昔のものではない。 自然宗教自体は原始人以来の宗教であり、それがもっと発達して崇高な智慧をもつ段階になって生まれたのが創唱宗教だという考え方もある。 世界の文明はこの高等な創唱宗教に基礎づけられて進んできたという理解である。 日本でいえば、自然宗教というのは仏教が入ってくる前の宗教を指す。 神道は自然宗教に近い宗教ともいえるだろう。 1980年代にオウム真理教がマスコミで騒がれるようになる前、「アニミズム」という言葉が流行していた。 神道というと、何か日本のナショナリズムと結びついて外国人を排除するようなニュアンスがあるが、神道をアニミズムと表現すれば印象が変わってくるだろう。 日本という国家ができる以前、古代からあった神道を「古神道」というが、日本人の中には自分の中に根付いているものはそのようなものではないかという考え方も見受けられる。 しかし、宗教学の専門家からすると、そうした考え方は現代人が都合よく考え出したものにすぎないと感じられる。 「宗教のようなもの」としての儒教 日本人の宗教について、以上のように、無宗教か自然宗教かということで日本人の特徴を捉える考え方がある。 もう一つの見方として、「宗教」そのものにはなじみの薄い日本人でも「宗教のようなもの」にはいろいろな形で親しんでいることに着目することもできる。 たとえば儒教だ。 日本人は礼儀を大切にする。 日本人は誰に対してもお辞儀をするが、これは儒教の影響が大きいと考えられる。 また、日本人は敬語を使う。 中高生や大学生でも先輩に対する言葉遣いと後輩に対する言葉遣いが大きく異なるが、それは「長幼の序」を重んじているからだ。 死者への礼を尊ぶのも儒教の特徴である。 葬式や墓参りは仏教の領分だと述べたが、実はそこに儒教の影響が加わっているともいえる。 儒教が「宗教」であるかどうかは、「宗教」をどう定義するかによって異なるが、「天」の「命」を尊ぶこと、祖先から子孫へと受け継がれる命の連続を尊ぶこと、儀礼によって聖性を付与された秩序を尊ぶことなどに宗教性を見る立場がある。 また、東アジアでは「道」という言葉が西洋由来の「宗教」にあたる言葉だと考えられる。 17~18世紀の日本人にとっては、仏教も儒教も人に「道」を教えるものであった。 漫画『バガボンド』に見る「孤独」-「道」に惹かれる現代日本人 儒教は「宗教のようなもの」の代表的な例だが、明治維新以降、現実社会では見えにくいものになってしまった。 しかし、他にも「宗教のようなもの」の例は多い。 たとえば、漫画『バガボンド』(井上雄彦作、講談社刊)は、2013年10月までに36巻刊行されており、1998年に雑誌で連載開始以降、発行部数は国内6000万部以上にのぼる。 主人公は16~17世紀の武士、宮本武蔵で、彼は浪人の身ながら剣術の達人であり、また武士道の書も著した人物である。 原作は1935年に吉川英治が新聞で連載した小説『宮本武蔵』。 小説は人気を博し映画化もされた。 Planning,Inc. なぜ、これが現代の若者に人気なのかというと、一つには「孤独」が印象的に描かれていることがある。 『バガボンド』の主人公は武士だが、主を持たない浪人という身分のため、ある意味では自由である。 故郷を離れて全国を歩きながら戦い、あらゆる強い敵を見出して戦いを挑んでは勝ち続ける人生だ。 そして、勝つ時はいつも命がけである。 よって、死というものを常に意識せざるを得ない。 主人公は生きていることの意味が分からないと感じており、絶えず敵に勝たなければならない意味や、敵と戦うこと自体の意味を自問しながら生きている。 勝つということ自体が目的になっているという世界観が、現代人の心にも強く訴えかけてくるようだ。 2003年公開の米映画『ラストサムライ』などの影響もあって、近年では武士道という言葉の人気が高まっている。 武士道とは、命を賭けて戦い、主君のためには命を投げ出してもかまわないという覚悟で毎日を生きる世界だ。 絶えず死を意識するということが重要な要素となる。 そのような思想系譜に人々は強く惹かれるのである。 何のために生きているのかということの手がかりを探して、武士道に一つのヒントがあると感じているようにも思われる。 こうしてみると、日本人の中には、宗教自体には距離を感じてしまう人でも、「道」といわれるといろいろな形で関わってくる人が多い。 たとえば、東京大学の宗教学科に進学している学生の多くは音楽や芝居などの芸術に親しんでいる。 また、合気道や弓道といった武道をしている人も非常に多い。 筆者がこれまで接してきた例では、高校や大学に入ってから武道に親しんで、武道で感じたものを深めたいということで宗教学科に入ってきたという学生がかなりいる。 若い層ばかりでなく、晩年になって陶芸をしたり、茶道をしたりするなど、技芸の道に入って心の安定を求める人も多い。 捉えどころのない、漠とした「宗教」を極めようとするのではなくて、もっと身近な「技」や「道」を通して心の平安を求めようとするのである。 具体的で身近なものを通して精神的な価値を身に着けていこうとするのは、日本文化の一つの特徴であるといっていい。 学校で広められた「国家神道」 このように、日本人にとっては「宗教のようなもの」が多くある。 そのため、「宗教」であると自覚されにくいものがある。 その中でもっとも影響力が大きいのは、「国家神道」だろう。 1945年まで、日本の学校ではが尊ばれていた。 1890年に当時の明治天皇が、教育の根本精神について国民に授けた聖なる教えである。 この後、小学校は天皇の聖なる教えに導かれる場となっていった。 それから敗戦までの数十年の間に多くの日本人が神道的な拝礼に親しんだ。 伊勢神宮や皇居を遙拝し、靖国神社や明治神宮に詣で、天皇のご真影と教育勅語に頭を垂れた。 これが国家神道と呼ばれるものだ。 この時期には、学校教育を通じて大半の日本人が国家神道に慣れ親しんだといえよう。 1920年代前半に生まれた筆者の両親の世代は、2月11日の紀元節に小学校で歌われた次のような唱歌(紀元節の歌)を、大人になってからも憶えて口ずさんでいた。 雲に聳(そび)ゆる高千穂の。 高根おろしに草も木も。 なびきふしけん大御代(おおみよ)を。 仰ぐ今日こそたのしけれ。 子供たちは「高千穂」とは天照大神(アマテラスオオミカミ)の血を引く天孫迩迩藝命(ニニギノミコト)が天下った日向(ひゅうが/宮崎県)の山であると教えられた。 「大御代」はニニギノミコトの子孫である万世一系の天皇、つまり皇祖皇宗を継ぐ天皇による治世を指す。 しかし、この唱歌の中心場面は日向ではなく、後に出てくる飛鳥(奈良県)である。 飛鳥といえば7世紀ごろに歴代天皇が都を築き、天皇家の支配が確立した地だ。 この唱歌の3番は初代天皇である神武天皇の即位について述べている。 天津ひつぎの高みくら。 千代よろずよに動きなき。 もとい定めしそのかみを。 仰ぐけふこそたのしけれ。 「天津ひつぎ」とは天照大神の神勅によって皇位を継承する者、「高みくら」は天皇の玉座を指す。 「もとい定めしそのかみ」とは、神武天皇が最初の天皇として祭政一致の統治を始めた原初の時のこと。 この神話的存在である神武天皇が即位したとされる場に橿原神宮が奈良県に創建されたのは1890年で、教育勅語が発布された同じ年のことだった。 奈良県橿原(かしはら)市にある橿原神宮 国家神道は神社よりもむしろ学校で広められた。 紀元節に限らず戦前の祝祭日は、おおかた皇居で重要な天皇の神事が行われる日だった。 皇室神道・神社神道・学校行事が国家神道の主要な儀礼の場であり、子供たちは教育勅語や修身科、歴史といった授業を通して、国体思想や天皇崇敬の教えに親しんでいった。 国家神道のたどった歴史 神道についてよくある誤解は、神道とは神社と神職とその崇敬者の宗教だとする考え方だ。 これは神道に対する理解としてはあまりに狭すぎる。 実は天皇崇敬こそ国家神道の主要な牽引役だったのだ。 国家神道は神社以外の場、とりわけ近代国家の国民になじみが深い学校や国民行事、あるいはマスメディアを通して広められた。 それは江戸時代に形作られた国体思想をより所とし、国民国家とともに形成された神道の新しい形態ともいえる。 「国体」とは、広い意味では「国家の政治体制」を意味するが、日本(特に戦前の日本)では、「歴史の始まりから天界の神が遣わした神の子孫である天皇の家系が、変わることなく国民を統治してきた神聖な国家体制」という特別な意味を持つ。 そして、この国家体制を持つが故に、日本は世界の諸国にも勝るという信念をも表す言葉である。 では、神道の長い歴史のなかで国家神道はどのような位置をもつのだろうか。 民間の神道は神道とも言えないような不定型な民俗宗教と地続きであり、その起源がいつなのかを示すのは難しい。 有史以前の弥生時代、縄文時代に由来するものもあるかもしれず、これを「古神道」と呼ぶ人もいる。 だが皇室神道となると、ある程度その起源を見定めることができる。 まず、7世紀の終わりから8世紀の初めごろ、天武天皇、持統天皇らの時代に唐の国家体制にならって国家儀礼や法体系が整備され、皇室神道の基礎は確立した。 しかし、中世の日本では仏教が優勢であり、皇室神道は地域住民の生活とは関わりが薄い目立たぬものになっていた。 これを国家の中心に据えようとするのが国体思想や祭政一致論で、江戸時代末期に次第に高揚し明治国家の基本理念となった。 戦前から戦後へ、国家神道の大転換点 そして、明治から第二次世界大戦中まで、政府(文部省)は、天皇を崇敬する神道は日本人の習俗であって宗教ではないとした。 このため、仏教を信仰していようとキリスト教を信仰していようと、すべての日本国民が神社や学校での国家神道の儀礼に参加することを強制された。 なお、天皇崇敬の神道とは別に独自の教義を持つ神道宗派は「教派神道」と呼ばれ、宗教として扱われた。 第二次大戦後、日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)は日本の軍国主義や超国家主義が宗教のあり方と深く関わっていたと考えた。 とりわけ政教分離が不十分だった点に大きな問題があったとして早急に手を打とうとした。 日本人を無謀な侵略戦争に導いた宗教とイデオロギーの悪影響を取り除かなくてはならないとの判断がそこにはあった。 そこで1945年12月15日、いわゆるが、1946年1月1日には昭和天皇による年頭勅書で天皇の神格化を否定する「天皇の人間宣言」が下された。 これをもって国家神道は「解体」されたと理解されてきた。 しかし、戦後も皇室神道はおおむね維持された。 その後、皇室神道と神社神道の関係を回復し、神道の国家行事的側面を強めようとする運動が活発に続けられてきた。 そうした広い意味で1945年以後も国家神道は存続している。 国家神道はもともと天皇崇敬と結びついた民間の運動に支えられてきた。 戦後は民間団体となった神社・神職組織(神社本庁)が国家神道運動の主要な担い手の一つとなった。 戦前に比べ薄められてはいるものの、「神の国」の信仰を受け継ぐ国家神道は今もなお多くの支持者を集める。 それも信教の自由に属するが、他者の思想信条の自由を抑圧しない範囲にとどめなくてはならない。 憲法20条「信教の自由」が果たす役割 戦前の歴史を振り返れば、国民が否応なく国家神道への関与を強いられ、思想や信教の自由を失いかねないという不安にはもっともな理由がある。 日本国憲法第20条は「信教の自由」を規定する。 第1項「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない」、第2項「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」、第3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。 つまり、誰も国家神道に従うことを強制されてはならないし、国家が神道に特別な地位を与えることがあってはならないことを憲法上明らかにしているのである。 安倍晋三首相が2013年12月26日に靖国神社を参拝し、あらためて靖国神社の持つ意味がクローズアップされているが、もし靖国神社を国家の公式儀礼施設とするようなことがあれば、それは国民を宗教的な天皇崇敬に駆り立ててきた戦前の体制に近づいていく意味を含むものである。 国家神道強化に歯止めをかける上で、憲法20条の規定が果たしてきた役割は重い。 無宗教といわれるほど宗教になじみの薄いことが多い日本人だが、国家神道の例に見るように、日本においても宗教は社会や国家と非常に密接な関係にある。 その点は見過ごすべきではないだろう。 タイトル写真=京都・八坂神社の初詣で絵馬や破魔矢を買い求める人々(写真提供:アールクリエイション/アフロ).

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孤独・ひとりぼっちの由来と仏教に教えられる解消法

孤独 の 宗教

1 皆さん、お早うございます。 今朝のスピーチでは、「孤独」と「一人でいること」の違いについて考えてみたいと思います。 まず、何も聞かず、何の説明もないまま、30秒間、目を閉じて沈黙のうちに過ごしていただきたいと思います。 よろしいでしょうか。 それでは目を閉じて、完全に静かになってください。 30秒経ったら、声をおかけいたします。 (30秒後) はい、静かに目を開けてください。 2 さて、イエスはその短い宗教活動の間に、しばしば活動を中断し、人里離れたところで一人になって、静かに祈ったと言われています。 先ほど読みました聖書に、そのあたりのことが書かれておりました。 また、次のようにも教えておられます。 「祈るときは奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(マタイ6:6) 一人で祈れ、ということでしょう。 わずか二年でしかない彼の活動。 休んでいては思ったことの十分の一もできないと思うのですが、イエスはしばしば一人きりになり、祈っておられました。 それでは、イエスはさびしい人だったのでしょうか。 孤独感にさいなまれていたのでしょうか。 いいえ、彼の下には多くの民衆が集い、その教えに耳を傾け、いやしを求め、弟子に加わろうとしていました。 けれども、彼は活動の合間、そうした人々を後に残しても、場合によっては待たしておいても、誰も人がいないところに引き下がってしばらくの時を過ごし、神に祈りをささげておられたのです。 イエスは何時間も一人で過ごす中で、「神に出会い、共感のこころで民衆に接し、愛をこめて真実を語り、あるべき正義を求め、そして非暴力的に悪に抗することができた」のだと思います。 3 最近、わたしにとって大切な時間があります。 それは寝る前のほんの20分ほどの時間です。 ベッドに入り、キリスト教の修道者や信者の方が書いたエッセイや日記を読むのです。 その中から印象に残った文章を紹介いたしましょう。 カトリック教会のイエズス会に属する神父であり、長い間アメリカで非暴力による平和運動に取り組んで来られたジョン・ディアー先生の文章です。 (John Dear, Living Peace, A Spirituality of Contemplation and Action, Doubleday, 2001. 18-20. 上の「」内もディアー) 「平和のいのちは毎朝、新しく始まります。 私たちは呼吸し、目覚め、命のギフト、今というプレゼントを受け取ります。 偉大な霊的伝統は、毎日時間を取って、平和の魂のうちにこころを自分自身に集中させることを勧めています。 私たちが一人でいることに平和のうちに入っていくことができれば、自分が誰であるかを見出し、私たち一人一人は平和の神に愛されている、大切な神の子であることを見出すでしょう。 ・・・私たちは、沈黙の中で一人座りこころの中の雑音を消すことを学ぶとき、神が私たちの内側で働いてくださる、そのような聖なる空間を作り出すのです。 逆説的ではありますが、そうした一人でいる場所を内面に求めるとき、イエスがアドバイスしてくださったように、自分は一人ではないことに気づくことでしょう。 私たちの文化においては、「一人でいること」はおとしめられています。 それは弱さのしるしとして受け取られ、「孤独」と混同されます。 けれども、一人でいることを霊的な成長や内面的いやしとして受け止める人は、大きな祝福としてそのことを体験するのです。 私たちはなぜ、一人でいることから逃げようとするのでしょう? どうして、一人でいることを嫌がるのでしょう? なぜなら、一人でいるとき、おそれや不安、壊れやすさ、憎しみ、内なる暴力がいとも簡単にその姿を現すからです。 一人でいることは、最初は恐ろしく感じさせるものです。 私たちが持っている深い孤独を思い起こさせるものです。 けれども、本当の平和を求めるなら、私たちは内面の鬼を直視し、孤独を愛へと変革しなければなりません。 一人でいることは、この変革にどうしても必要なものなのです。 ・・・ 私たちは、自分の傍らに座り、そうした感情を感じ、平和の霊を抱きしめるとき、深く呼吸し、神の平和が私たちのこころの中に入ってくるのを実感します。 ゆっくりと時間が流れていくうちに、私たちは、・・・おそれや不安、内面の苦しみとすら親しくなれるのです。 私たちは自らの鬼と平和を築き、やがてそれは去り、内面の自由を得るのです。 こうしたプロセスにおいて、私たちは自分と平和を築き、一人でいることを大切なたまものとして感謝できるようになるのです。 ・・・ トマス・マートンも人生の全体をかけて、一人でいることの深みというものを探究しました。 暴力の世界を完全に拒否して、1941年にゲッセマニ大修道院に入ることによって、祈りと黙想の生活を始めました。 それからの27年間、1968年に訪れた悲劇的な死に至るまで、マートンは彼が「完全な内的変革」と呼ぶところのものを求めて、どんどん内面深く掘り下げていきました。 一人でいることへと身を引き、修道院からさらに森の奥の隠修庵へと移った際、彼の個人としての祈りがかえって彼を押し出し、平和についての知恵を世界と分かち合ったのです。 核兵器開発競争や公民権運動、ベトナム戦争がもっとも高まったとき、この一人の僧侶が平和の預言者となりました。 マートンはこう記しています。 『わたしが兄弟姉妹たちを本当に愛するだけの優しさを見いだすのは、深く一人でいる中である。 一人でいればいるほど、彼女たちへの愛は深まる。 それは純粋な愛情であり、他の人々の一人でいることに対する尊敬に満ちている。 一人でいることと沈黙は、わたしの兄弟姉妹を、彼女らの言ったことのためではなく、あるがままの彼女らを愛することを教えてくれる。 』(マートン『ヨナのしるし』五百旗頭明子、伊東和子訳、女子パウロ会、2001年、288ページ。 訳文を変更。 )」 4 私たちは「一人でいること」と「孤独」の区別を付けることができるでしょうか。 「一人でいる」とき、自分の内側に神さまがおられることを見いだすのでしょうか。 「一人でいること」がかえって、人を愛することのできる者への自己成長と関わっていることに気づけるでしょうか。 「一人でいること」と「孤独」は同じではありません。 「一人でいること」には精神的・信仰的な意味があるのです。 それでは最後にもう一度、そして今度はこころを込めて、「一人になる」ひとときを持ちましょう。 目を閉じて、最初と同じく30秒間、沈黙の時間を過ごしたいと思います。 (30秒の沈黙).

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中高年男性が軒並みハマる「孤独」という宗教

孤独 の 宗教

もくじ• 「沈黙の鉄の扉」としての東洋的宗教・運命・因果応報 さっそくですが、『神の痛みの神学』という独自の神学思想をお持ちの 北森嘉蔵にご登壇いただきます。 北森は、キリスト教を説明するために、 比較対象として東洋的宗教、運命論、因果応報を提示して、それら思想の冷たさについて語ります。 東洋的な運命・因果応報の考え方は「耐え忍べ!それが真理だ」というに過ぎず、冷たいものだと…。 偶然や運命は、いずれも徹底的に非人格的なものであり、たとえていえば、 鉄の扉のようなものである。 呼んでも問うても、完全沈黙、一言の答もない。 押しても突いても、微動だにしない。 偶然にしても運命にしても、「そう成ったから成った」というにすぎない。 そこにあるものは 徹底した非人格性である。 こちらが何を言っても、受けとめてくれない。 のれんに腕押しである。 (中略) 要するに、偶然にしても運命にしても因果応報にしても、訴えようがないという点では共通している。 東洋的なものとか日本的なものとか呼ばれる解決法では、むしろ 偶然や運命や因果応報を甘受することによって、問題を解消させていくといえるかもしれない。 「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」というわけである。 これも確かに一つの打開策ではある。 それを選びとるのも自由である。 しかし、聖書の示す道は異なる。 [1] 「偶然」も「運命」も「因果応報」も、究極的には「 どこにも苦しみを訴える相手がいない」という世界です。 またもし、「神」がいたにしてもそれが「因果応報」を徹底する「神」ならば、彼は自らを「悪人」とする者に罰を与えるだけ。 罪を自覚する人間にとってそんな神は、ただ恐ろしいだけ。 脅しにはなってもなんの慰めにもなりません。 つまり、 自分が過ちを犯したとき、自分の罪を深く自覚したとき、これら東洋の諸思想によっては「誰にも訴えようがない、語りかけることができない」わけです。 (同じ東洋でも浄土系思想についてはぼくは違うと思います。 ) ぼくは臨済禅の修行を三年ほど続けておりましたが、禅宗は基本的に 徹底した「自力」であり、 この世に自分を救ってくれる神も仏もいないのだから、自分を何度でも奮い立たせ、厳しい修行を積み、お釈迦様が悟ったように自分もこの身で自分を救う(悟る)のだ、と言えます。 (曹洞宗の禅やテーラワーダ仏教では、悟りを目指すというより ただ「あるがまま」になり切るといった方向が強くなるかもしれません。 ) しかしいずれにしろ、そこに「自分の苦しみを訴える相手」はいません。 世界は沈黙しており、私は孤独です。 だからこそ、自分が頑張らなくてはいけない。 無神論者や不可知論者もこの点は共通かと思います。 広い意味での自力です。 こんな自力の立場に立つ限り、ふとしたとき、人は絶対の孤独に立っている自分を見出します。 しかもその自分は、みじめでどうしようもない。 だからなんとか自分で、叩き上げなくてはならない。 修行をせねばらならない。 この立場も当然一つの打開策です。 この自分こそが、このどうしようもない自分を少しでもマシなものにする、それしかない。 いたってシンプルで、わかりやすいです。 現実的です。 (ただの印象ですが、東洋においては徹底的に自分をみつめ、自分の罪と向き合うという伝統があまりないのではなかったのではないかと思います。 自分と徹底的に向き合ったとき初めて、自力すらも諦めざるを得なくなるのではないでしょうか。 禅道場でも、世間でも、そんな印象を受けます。 巨大なキリスト教文化が、自分の罪に向き合わせる伝統を生み出したといったほうが良いのかもしれませんが。 ) 「自分の苦しみや苦悩を語りかけられる」神がいるキリスト教 ではこれに対して、 聖書(人格的な、愛の赦しの神)の立場はどうでしょうか。 聖書は、 「訴えようのある神」を示すのである。 「罪を天に得ても、訴うるところあり」である。 「たたけよ、さらば開かれん」である。 聖書に示される神は、問えば答える神なのである。 […] この神こそ、 真実の意味において人格的な神なのである。 [2] 「訴えようのある神」この北森の言葉は、キリスト教の魅力を鋭く提示しています。 この聖書の神は、 世界を作り、今も成り立たせ続けている神です。 全てを作り、いまも全てにおいて働いている神であります。 この私を、心の底まで、すべて見通している神であります。 だから私は、自分のすべてを神に訴えることができます。 この苦しみも、悩みも、孤独も、すべてをご存知なはずの神には、語りかけることができます。 これを読んで私は、 「え!じゃあ神を信じているものって、孤独じゃないんだ!」という大発見を致しました。 こりゃ、すごい。 驚くべきことです。 ぼくにとって人間は、己の罪を背負い、己の孤独を背負い、己に対する世間の不理解を背負い、しかし、死なずに一人で踏ん張って、生きていかなくてはならないものでした。 一人で何とかやっていく。 これが生きていく上での「大前提」でした。 しかし、なんと! これは一つの仮定でしかなかった! もしも神の存在を信じるのならば、人間は一人で生きていくのではない。 いつでも語りかけることのできる神とともに、神に自分のすべてを語りかけつつ、生きていくことができるのです! しかもこの人格的な神とは、(ここでは細かいところは端折りますが)人間の愚かさ醜さを知り、それでも人間を支配せず、自由意志を与え続けてくださっている 愛の神です。 人間の罪を許すために自分の息子をイエス・キリストとして世界に送り込み、反抗しかしてこない人間の代わりに犠牲にしてあげた、 とてつもなくお優しい神なのです。 すべてを赦してくれる神がそばにいてくださる。 これは自分のすべてを見続けているスーパー優しい友達にいつでも語りかけることができるということ、いやその何百倍です。 (「永遠の女性」でも良いでしょう。 あぁ!!) 絶対の孤独が約束されていた険しい険しいこの人生という道に、 生まれてから土に還るまでまで付き添ってくれるひと(神)がいるわけです。 それだけでもう、景色は一変するように思われます。 これは 生きることに苦しむ人にとっては、巨大な打開策でしょう。 もちろんキリスト教はもっともっとたくさんの要素を持っていますが、「語りかけることのできる神がいる」ということだけでも、素晴らしいことだと思います。 ぼくは、臨済禅の修行を行じていました。 自己以外一切頼るものはない、!という超マッチョな世界です。 自分の外から与えられたものなんて、何の役にも立たない、 自分が自分でつかみとったもの以外に真理はない、清々しいほどに厳しい世界なのです。 だからこの「赦しと愛の神」が心に沁みるのでしょう。 それはまさに「救い主」であります。 「我も汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな」ヨハネ福音書。 聖書入門 赦しと愛の神と言いました。 じゃあそれはどんな神なのか。 今回はヨハネ福音書から引用するのみで終わりたいと思います。 イエスはオリーブ山に行かれた。 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御もとに寄って来たので、座って教えられ始めた。 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人たちが、姦淫の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。 「先生、この女は姦淫をしているときに捕まりました。 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。 ところで、あなたはどうお考えになりますか。 」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書いておられた。 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。 「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。 」 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってゆき、イエス独りと、真ん中にいた女が残った。 イエスは、身を起こして言われた。 「女よ、あの人たちはどこにいるのか。 誰もあなたを罪に定めなかったのか。 」 女が、「主よ、誰も」と言うと、イエスは言われた。 「私もあなたを罪に定めない。 行きなさい。 これからは、もう罪を犯してはいけない。 」[3] 彼女の罪を赦し、彼女を愛し、もう罪を犯すなよと、彼女を優しく支えるイエスがここにはいます。 こんな優しく頼れる神様が、いつもそばにいるのだとしたら……。 ジョージ・ハーバートの祈り せっかくなので、素敵な祈りも一つご紹介させていただきます。 愛の主がわたしを歓迎してくださったのにわたしの魂は怯んだ、 汚辱と罪のために。 しかし目ざとく愛の主は、戸口でまず二の足を踏んだ わたしを見てとって、 近くに来られ、やさしく尋ねられた、 なにか不足なのかと。 わたしは答えた、「ここに客となる資格がありません」と。 「お前がその客なのだよ」と主は言われた。 「不実で恩知らずのわたしがですか。 ああ、とてもわたしには あなたを見上げることはできません」 主はわたしの手をとって、微笑みながら言われた、 「その目はわたしの他の誰が造ったと言うのか」と。 「まことに主よ、あなたです、けれどもわたしが汚しました。 ですから恥は負わせてください」 すると愛の主は言われる「その恥を負ったのは誰か、知らないのか」 「ああ主よ、いまこそわたしはお仕えします」 「席につくのだ、そしてわが肉をあじわうがいい」と主。 だからわたしは、座って、食したのです。 『聖書の読み方』はタイトルどおり、聖書をいかに読めば良いのか、聖書を読ませるために書かれています。 (今回の引用はこの本からです。 ) 『聖書百話』はキリスト教の諸概念を、両開きで一つずつ、簡潔かつ感動的に説明しています。 辞書的な使い方もできるすばらしい著作です。 『キリスト教は役に立つか』は、「イエスとともに歩く人生・生活」という視点からキリスト教信仰を紹介する格好の入門書です。 amzonレビューも書いてみました。

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