レビュー記事 あびる優さんと、格闘家の才賀紀左衛門さんが結婚。 どちらも本名。 2014-09-16 01:46 トクダス タレントのあびる優さんが、 格闘家の才賀紀左衛門(さいが・きざえもん)さんと、 近く結婚すると出演している番組の中で発表したそうです。 どちらもほとんど存じ上げないのですが、 興味を持ちました。 というのは、あびるさんが 「変わった名字と名前同士の結婚」とコメントされていますが、 お二人の名前、名字にひかれたからです。 あびるさんも、才賀さんもどちらも本名なんですね。 「あびる」さんは、全国に5400にほど。 才賀さんは、全国に300人くらいしかいない 珍しい名字なんですね。 あびる優さんの「あびる」は、「阿比留」。 プロフィールでは東京都出身と書かれていますけれど、 福岡県大牟田市生まれとのこと。 こちらの阿比留さんは、福岡県大牟田市のご出身。 「阿比留」氏ですが、発祥の地は 上総国畔蒜郡、現在の千葉県袖ヶ浦市付近のよう。 「畔蒜」は、地名にもなっていますけれど、「あびる」と読み、 畔(あぜ)に生える植物の蒜(ひる)が語源。 現在では、「のびる」と呼ばれていますね。 日本史上、よく知られているのは、 この阿比留氏が、対馬の支配を行った一族で あったということ。 対馬や壱岐を寛仁3年(1019年)に、 女真人の刀伊たち海賊の集団が襲った いわゆる「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」。 その際、阿比留氏は刀伊の将龍羽を討ち果たしています。 その後、元久年間(1204年~1205年)には、 阿比留秋依が朝廷から従五位下の官職を下賜されています。 けれど、寛元4年(1246年)、阿比留親元が 高麗と密貿易を行っていたたとして、征討されています。 こうして対馬の支配階級から滑り落ちた阿比留氏ですが、 400年あまりにもわたり、支配を行ってきたということから、 現在の長崎県対馬市で、最も多い姓のひとつとなっています。 tsushima-net. php 《阿比留氏と宗氏 ~中世対馬の有力者~ 現在の対馬でもっとも多い姓は「阿比留」(あびる)です。 本土の人は「あひる」と読んでしまうこの姓のルーツは、 平安時代まで遡ることができます。 阿比留一族は交易などの 実権を握って対馬で大きな勢力を持っていたようですが、 鎌倉時代になると大宰府との関係が悪化し、 惟宗(これむね)氏によって支配権を奪われます。 》 一方の才賀紀左衛門さんは、大阪府堺市の出身。 なお父上は亡くなっており、 現在、会社は、才賀紀三郎さんが 代表取締役を務められています。 saiga. 才賀さんは堺市の出身。 上の会社は大阪府高石市が本社ですが、 才賀さんの一族は、名前につけられている「紀」 という字から察せられるように、もともと紀州を 本拠地とする一族のようです。 daily. shtml 紀州で「才賀」と言えば、 「雑賀衆」(一般的な読みは「さいかしゅう」)を 思い出します。 「雑賀衆」は鉄砲の扱いの巧みさで知られ、 戦国時代、味方にすれば必ず勝つ と言われた傭兵集団でした。 php. php. 本願寺信徒が多く、鉄砲組を主とした 強力な軍事力を持っていました。 石山本願寺の戦いでは、織田信長と対抗。 その後、1585年、豊臣秀吉によって解体されています。 html 《雑賀衆の末裔とされる雑賀一族会の会員が行列に加わる。 江戸時代後期の和歌祭を描いた明治5年(1872)の川上舎寿の写である 「東照宮御祭礼絵図大観」では鎧(よろい)武者にあたる「幟(のぼり)さし」のあとに 「才賀(さいか)組 杖突(つえつき)一人」が描かれているため、 江戸時代後期から渡御行列に参加していたことが考えられる。 》 才賀紀左衛門さんが試合で身につけるトランクスには、 その雑賀衆の鉄砲にちなみ、ピストルがデザインされているとか。 バラエティに富む日本の名字。 名字一つでいろいろな歴史を 探っていくのは楽しいですね。 〇念のために付け加えますが、 あびる優さん、才賀紀左衛門さんと そのご家族の情報については、 公開されている情報のみを基にしています。 〇さいか屋 紀州藩主だった吉宗が徳川8代将軍に。 それに伴い、雑賀衆の末裔の一部も、東に移動し、 横須賀市浦賀周辺に住み着いた。 その雑賀衆の末裔とされる岡本傅兵衛が、 1867年、横須賀市西浦賀で呉服屋を開業。 1872年、横須賀に移転して雑賀屋呉服店として再出発。 横須賀に店を出したこの1872年を 開業の年としているようです。 html 〇雑賀孫市の息子の小源太こと孫市郎は、 豊臣秀吉が行った「文禄・慶長の役」の際に、 雑賀衆を率いて参戦したが、投降。 朝鮮軍に味方し、秀吉軍と戦った。 その後、帰化し、韓国名・金忠善、 呼び名「沙也可」として、李朝の将軍となった。 和歌山社会経済研究所。 wsk. fc2web.
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レビュー記事 あびる優さんと、格闘家の才賀紀左衛門さんが結婚。 どちらも本名。 2014-09-16 01:46 トクダス タレントのあびる優さんが、 格闘家の才賀紀左衛門(さいが・きざえもん)さんと、 近く結婚すると出演している番組の中で発表したそうです。 どちらもほとんど存じ上げないのですが、 興味を持ちました。 というのは、あびるさんが 「変わった名字と名前同士の結婚」とコメントされていますが、 お二人の名前、名字にひかれたからです。 あびるさんも、才賀さんもどちらも本名なんですね。 「あびる」さんは、全国に5400にほど。 才賀さんは、全国に300人くらいしかいない 珍しい名字なんですね。 あびる優さんの「あびる」は、「阿比留」。 プロフィールでは東京都出身と書かれていますけれど、 福岡県大牟田市生まれとのこと。 こちらの阿比留さんは、福岡県大牟田市のご出身。 「阿比留」氏ですが、発祥の地は 上総国畔蒜郡、現在の千葉県袖ヶ浦市付近のよう。 「畔蒜」は、地名にもなっていますけれど、「あびる」と読み、 畔(あぜ)に生える植物の蒜(ひる)が語源。 現在では、「のびる」と呼ばれていますね。 日本史上、よく知られているのは、 この阿比留氏が、対馬の支配を行った一族で あったということ。 対馬や壱岐を寛仁3年(1019年)に、 女真人の刀伊たち海賊の集団が襲った いわゆる「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」。 その際、阿比留氏は刀伊の将龍羽を討ち果たしています。 その後、元久年間(1204年~1205年)には、 阿比留秋依が朝廷から従五位下の官職を下賜されています。 けれど、寛元4年(1246年)、阿比留親元が 高麗と密貿易を行っていたたとして、征討されています。 こうして対馬の支配階級から滑り落ちた阿比留氏ですが、 400年あまりにもわたり、支配を行ってきたということから、 現在の長崎県対馬市で、最も多い姓のひとつとなっています。 tsushima-net. php 《阿比留氏と宗氏 ~中世対馬の有力者~ 現在の対馬でもっとも多い姓は「阿比留」(あびる)です。 本土の人は「あひる」と読んでしまうこの姓のルーツは、 平安時代まで遡ることができます。 阿比留一族は交易などの 実権を握って対馬で大きな勢力を持っていたようですが、 鎌倉時代になると大宰府との関係が悪化し、 惟宗(これむね)氏によって支配権を奪われます。 》 一方の才賀紀左衛門さんは、大阪府堺市の出身。 なお父上は亡くなっており、 現在、会社は、才賀紀三郎さんが 代表取締役を務められています。 saiga. 才賀さんは堺市の出身。 上の会社は大阪府高石市が本社ですが、 才賀さんの一族は、名前につけられている「紀」 という字から察せられるように、もともと紀州を 本拠地とする一族のようです。 daily. shtml 紀州で「才賀」と言えば、 「雑賀衆」(一般的な読みは「さいかしゅう」)を 思い出します。 「雑賀衆」は鉄砲の扱いの巧みさで知られ、 戦国時代、味方にすれば必ず勝つ と言われた傭兵集団でした。 php. php. 本願寺信徒が多く、鉄砲組を主とした 強力な軍事力を持っていました。 石山本願寺の戦いでは、織田信長と対抗。 その後、1585年、豊臣秀吉によって解体されています。 html 《雑賀衆の末裔とされる雑賀一族会の会員が行列に加わる。 江戸時代後期の和歌祭を描いた明治5年(1872)の川上舎寿の写である 「東照宮御祭礼絵図大観」では鎧(よろい)武者にあたる「幟(のぼり)さし」のあとに 「才賀(さいか)組 杖突(つえつき)一人」が描かれているため、 江戸時代後期から渡御行列に参加していたことが考えられる。 》 才賀紀左衛門さんが試合で身につけるトランクスには、 その雑賀衆の鉄砲にちなみ、ピストルがデザインされているとか。 バラエティに富む日本の名字。 名字一つでいろいろな歴史を 探っていくのは楽しいですね。 〇念のために付け加えますが、 あびる優さん、才賀紀左衛門さんと そのご家族の情報については、 公開されている情報のみを基にしています。 〇さいか屋 紀州藩主だった吉宗が徳川8代将軍に。 それに伴い、雑賀衆の末裔の一部も、東に移動し、 横須賀市浦賀周辺に住み着いた。 その雑賀衆の末裔とされる岡本傅兵衛が、 1867年、横須賀市西浦賀で呉服屋を開業。 1872年、横須賀に移転して雑賀屋呉服店として再出発。 横須賀に店を出したこの1872年を 開業の年としているようです。 html 〇雑賀孫市の息子の小源太こと孫市郎は、 豊臣秀吉が行った「文禄・慶長の役」の際に、 雑賀衆を率いて参戦したが、投降。 朝鮮軍に味方し、秀吉軍と戦った。 その後、帰化し、韓国名・金忠善、 呼び名「沙也可」として、李朝の将軍となった。 和歌山社会経済研究所。 wsk. fc2web.
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息子と孫のために大阪から上京して一緒に暮らしている実母と、娘の母親である「元奥さん」への思いを述べているのだ。 今年2月には才賀の母親が大阪から上京し、子育てや家事のサポートをしているという。 あびるは5月5日の娘の誕生日に直接お祝いの言葉を伝えることができなかったようで、『あびる優 yuabiru74 Instagram』に「5才のお誕生日おめでとう」と綴り、 5月10日・母の日の『才賀紀左衛門オフィシャルブログ』には、笑顔のよっちゃんと母親とのスリーショットが投稿されている。 「僕は幼い時からオカンには迷惑ばかりかけて1番手がかかる息子でした」と回想し、実家を離れてからも時々にサポートしてくれて、今では自分たちと同居して家事や育児を手伝ってくれる母親に深い感謝の意を示した。 そして「たくさん仕事頑張って僕は子供とオカンをしっかり幸せにします」と宣言し、最後に「今は別れてしまったけど、子供と出会えたのは元奥さんに出会えたおかげです。 ありがとう」と感謝の言葉を記している。 投稿された写真の花はカーネーションではなく、母親が大好きな芍薬(シャクヤク)だ。 コメント欄には「よっちゃんにとって、ただひとりの大切なママ。 これは絶対」「母にしかわからない事が絶対にあります。 離れていても、想いあっていれば大丈夫」「どんなに離れていても、血の繋がりは一生消えないから」「優さんの思いが、よっちゃんに届きますように!」とフォロワーからたくさんの励ましが届いていた。 画像は『才賀紀左衛門 2020年5月10日付オフィシャルブログ「母の日」』『あびる優 2020年5月10日付Instagram「母の日 喧嘩もするし、未だに怒られたりするけど 心から大好きです」』のスクリーンショット.
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