4箇所しかないので、地図を何度も見て、語呂合わせ(1342)とセットで 覚えられると思われます。 難関校対策としては、そこからさらに進んで、 個々の公害病の 詳細や原因、他との違いまで理解していると良いでしょう。 正誤問題で言うと、すべての公害病で、原因が特定されていて、 すべての裁判で原告(被害者)側が勝訴しています。 1953年(昭和28年)頃から、 熊本県南西部の水俣湾で発生しました。 原因物質は メチル水銀です。 新日本窒素肥料水俣工場の排水 に含まれるメチル水銀を魚介類が摂取し、食物連鎖を通じて 魚類に 生体濃縮され、これを食べた住民が手足や口のしびれ等々の 症状があらわれ、死にいたる事もありました。 胎児性水俣病もありました。 Minamataの名前で世界的に知られました。 水俣病の場所:熊本県の水俣湾 水俣湾は、熊本県の南西部です。 水俣病の原因:メチル水銀 チッソ(会社の名前)はビニールづくりに必要な原料である アセトアルデビドを生産する工場でした。 このアセトアルデビドを作るときに使用された硫酸水銀という 物質から発生したのが、原因となった物質のメチル水銀です。 水俣病のその後 有害物質が溜まってしまっていた水俣湾は、13年かけて埋め立てられました。 1997年、熊本県知事は「水俣湾の安全宣言」を行いました。 水俣湾で魚を釣って、その魚を食べることもできるし、水俣湾で泳ぐことも できるようになったのです。 現在の水俣市は、世界の環境モデル都市として、水俣病の悲劇を二度と繰り 返さないために積極的な都市づくりを行っています。 受験対策としての水俣病 「水俣病」は場所が必須です。 熊本県南西部の水俣湾。 また、公害病の代表のようになっていますので、詳細 まで知っておいた方が良いでしょう。 1910年代~1970年代という長い期間にわたっています。 原因は「カドミニウム」という物質です。 イタイイタイ病の場所:富山県神通川流域 イタイイタイ病の原因:カドミウム イタイイタイ病の原因は、神通川の上流の岐阜県の高原川に、 三井金属鉱業神岡鉱山の亜鉛精錬所から流れ出た カドミウムという 物質による 水質汚染です。 神通川上流の流域では、江戸時代から銀や銅、鉛などを生産していま した。 その川の水を使って農業をしたり、飲み水に使ったりしていた ので、当時から被害は出ていました。 日露戦争 1094-05)をきっかけに、非鉄金属(鋼以外の金属)の生産が 注目され、生産量が大きく増加。 さらに戦後の高度経済成長期を迎え、 カドミウムを含んだ大量の廃物が川に流れ込んでしまいました。 そのため、工場周辺の地域だけでなく、神通川の下流地域に住んでいた人 にも被害を与えてしまいました。 当時は公害病の原因となった物質のカドミウムについて、よくわかっておら ず、病気とどう関連しているかもはっきりしていなかったため、対策をすぐ にとることができず、公害を広めてしまう結果になりました。 イタイイタイとしか言えない イタイイタイ病は、骨軟化症を招き、ちょっと動いただけで、骨折をするなど、 患者が「イタイイタイ」としか言えなくなるような症状を示したことから 「イタイイタイ病」と言われています。 受験対策としてのイタイイタイ病 「イタイイタイ病=富山県」、これがまず必須です。 次に 、富山県の神通川流域である事ですね。 これは川の名前が 大事です(新潟水俣病は阿賀野川)。 また、かなり古い時代から神通側流域ではそういった 公害問題があった事も知っておいた方が良いでしょう。 新潟水俣病の原因:メチル水銀 原因は熊本県の水俣病と同じです。 工場の排水に含まれるメチル水銀を阿賀野川の魚介類が摂取し、食物連鎖を 通じて魚類に 生体濃縮され、これを食べた住民が手足や口のしびれ等々の 症状があらわれ、死にいたる事もありました。 受験対策としての新潟水俣病 名前が新潟水俣病ですから、県は出ません。 出るのは、川の名前です。 阿賀野川の下流域です。 地図上の場所も知っておいた方が良いでしょう。 1965年(昭和40年)と四大公害病では最も遅く確認されました。 そのために、今でも、「新潟水俣病は防げたのではないか?」 といった議論がされています。 四日市ぜん息の場所:三重県四日市市 四日市ぜん息の原因 大気汚染と亜硫酸ガスが原因です。 三重県四日市市は港を埋め立てた広い土地に、日本初の本格的な 石油化学コンビナート(四日市コンビナート)があります。 工場で石油を精製するときに亜硫酸ガスが煙と一緒に大気に流れ 出ていたのです。 異常な数の患者がぜん息を訴え、原因が、空気中に多くの工場から 排出された有毒なガスが含まれていることだった事がわかりました。 こうして、四日市コンビナートが公害病の原因と断定されたのです。 気管支炎や気管支ぜんそくが具体的な病名です。 「ぜんそく」というとセキと思われがちですが、認定されているだけで 死者は600人に及んでいます。 受験勉強としての四日市ぜん息 場所が三重県四日市市であること。 地図も必須です。 伊勢湾沿いですね。 他の四大公害病はすべて「川」が関わっていますが、 四日市ぜんそく は、石油コンビナートの大気汚染が原因です。 その後、「開発独裁」「成長独裁」的な方向には法的に待ったが かかるようになっています。 ただし、いわゆる開発途上国等では、 21世紀の現在も同じような問題が起きているのもまた事実です。
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しかし、そのカメラマンは高齢化しており、このままでは、それらのフィルムが失われる可能性があります。 その対策として本館では、それらのフィルムをデジタルデータとして保存する取組を行っております。 塩田武史さんは、1970年から16年間水俣に居住して、患者の身近なところから数多くの写真を撮影し、水俣病と地域の状況を広く伝えてきた方です。 塩田武史さんの写真を通して、水俣病のことをより深く感じていただければ幸いです。 新潟水俣病が発生した阿賀野川の石で作られた「水俣地蔵」は水俣の百間(ひゃっけん)排水口前に、水俣川の石で作られた「阿賀地蔵」は阿賀野川のほとりの千唐仁(せんとうじ)に安置されています。 二人はそれぞれの地域で、水俣病の未認定患者の認定を求めて運動を展開していきました。 何を伝え、残そうとしたのかを考えることは、私たちに新たな視点を与えてくれることと思います。 本企画展で は、平成の時代における水俣病と水俣での動きに焦点を当て て、当館が所蔵する資料や写真などを中心に振り返ります。 平成元年度に水俣湾等公害防止事業が完了し、水俣再生・ 公害防止に関する様々な取り組みが始まりました。 水俣病問 題では、政治解決策や特措法の施行により、水俣病に認定さ れていない被害者の救済策が実施されました。 水俣の海はサンゴやタツノオトシゴが生息するきれいな海に なりました。 一方で、水俣病の認定申請や裁判は続いており、 エコパークみなまたに眠る水銀を含んだヘドロの処理や護岸の 耐用年数の問題など、多くの課題が残されております。 本企画展を通して平成の時代をふりかえり、残された課題を 深く考えるとともに、これからの水俣、そして自らの未来につい て想いを巡らせていただきたいと思います。 オープニングトーク 語り部の皆さんによるパネルディスカッション 日時:令和元年6月15日 土 14:00~16:00 語り部の皆さんに、それぞれの視点からこの30年の出来事 に何を思ったのか、どんなことが課題だと感じているのか、どん な未来を思い描いているのかなどについてお話をしていただき ました。 昨年から語り部補として5回ほど練習を兼ねて講話を行ってきた滝下さんは「仲間の分まで、体が続く限り続けたい」と決意を述べられました。 滝下さんの新たな加入により現在、語り部は11名(うち3名は休止中)となりました。 それから45年後、スイスのジュネーブで開催された水銀に関する水俣条約に関する会議(COP1)に坂本しのぶさんは同じように「水俣の悲劇を繰り返さないでほしい」と訴えました。 水俣病患者の皆さんは、何を訴え、何を伝えたかったのか。 当時の写真や現地の様子をもとに、公害の恐ろしさ、繰り返さないための方策について、自らの生き方と共に感じ考えていただきたいと思います。 現在、語り部は10名(うち3名は休止中)となっており、負担を軽減し、また様々な立場の方々にお話ししていただくことで、より深いまなびの場を提供したいと考えております。 「伝え手」となられたのは次の4名の方です。 ・吉永利夫さん ・遠藤邦夫さん ・坂本直充さん ・浮嶌清己さん 今後、さらに「伝え手」を増やしていきたいと考えております。 皆様方のご理解とご協力をお願いいたします。 水俣市民であり、チッソの労働者であった鬼塚巌さんのレンズを通して、当時の水俣で起きてきたこと、水俣で生活する様々な立場の人々の感情や暮らし、小さな生物から、失われてしまった尊い命や大切な自然などについて想いを巡らせて頂ければと考えます。 「おるが水俣」の「おるが」とは「わたしの」という水俣の方言です。 あなたにとっての「おるが水俣」「おるが故郷」とはどのようなものでしょうか。 考えるきっかけにしていただければと考えます。 オープニングトーク 平成30年8月25日 土 14:00~16:00 鬼塚さんと一緒に撮影されていた田辺広喜さん 千葉在住)にお話しを伺いました。 今回お話しいただいた、詩人坂本直充さんは、元水俣病資料館館長として勤務されていたことをあり、また、ご自身にも水俣病と同じ症状がある方でありましたので、試行に併せてお話をいただくことになりました。 講話の中で「小児脳性マヒと言い続けていた幼い頃から、水俣病患者の皆さんと関わるようになり、自分自身も病状と逃げずに向き合って、水俣病と対峙していく決意を持っている。 皆さんも生きていく上ではいろいろなことがあると思うが、しっかりと前を向いて取り組んでほしい。 逃げないでほしい。 」とおっしゃっておられました。 また、水俣病と向き合うきっかけとなった石牟礼道子さんとの出会いや詩人としての活動など示唆に富んだお話しをしていただき、聞いていた子どもたちにもその想いをしっかりと感じてもらえたと考えています。 今後、この試行を続けながら「伝え手制度」の確立に向けて準備していき、秋からの本格実施を目指していきたいと考えています。 皆様のご理解ご協力をお願いいたします。
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地理 [ ] の最南部、から南西に約70kmの場所に位置する。 南はに接し、西は(八代海)に面するである。 中心部はJNC(チッソの子会社)とその関連工場などが多く立地し工業都市のイメージがあるが、北・東・南の三方を山に囲まれ緑の多い土地である。 人口は発生後しばらくしてから減少傾向が続いており、前半に 3万人を割り込んでいる。 山:矢城山(586m)、大関山(902m)、国見山(867m)、鬼岳(735m)、(687m)• 川:、久木野川、湯出川• また、 大学山の照葉樹林はのに選ばれており、明治時代より林業に力をいれ、スギ、ヒノキの植林を行っている。 1996年から市民参加により、大学山の緑を倍増すべく「水源の森」において植樹、下刈りを行っている。 水源の森は、全ての市民参加で植えた森としては全国有数規模であり、水俣病患者、漁師、住民参加も得て、不知火海の再生の一端を担っている。 石坂川• 市渡瀬• 小津奈木• 南福寺• 宝川内• 大川 旧・• 久木野 旧・久木野村• 越小場 旧・久木野村• 古里 旧・久木野村• 旭町 ~。 浜・江添より発足し、大園町1丁目~3丁目・大黒町1丁目~2丁目となる。 現・旭町とは別• 桜井町1丁目~3丁目 1954年、浜より発足。 昭和町1丁目~2丁目 3丁目 1954年、浜より発足。 3丁目は1965年に桜井町1丁目~3丁目に編入され消滅。 大黒町1丁目~2丁目 1954年、浜より発足。 当初丁目はなかったが、1965年旭町・江添の一部を編入し、丁目がつく。 天神町1丁目~2丁目 1954年、浜より発足。 百間町1丁目~2丁目 1954年、浜・江添より発足。 港町1丁目~3丁目 1954年、浜より発足。 当初は2丁目までであったが、1965年、江添の一部を編入し3丁目が発足。 旭町1丁目~2丁目 1965年、浜・江添より発足• 洗切町 1965年、浜より発足• 梅戸町1丁目~2丁目 1965年、浜より発足• 江南町 1965年、江添より発足• 大園町1丁目~3丁目 1965年、浜・江添・旭町・天神町1丁目~2丁目より発足• 古賀町1丁目~2丁目 1965年、浜・大黒町より発足• 幸町 1965年、浜・陳内より発足• 栄町1丁目~2丁目 1965年、浜・大黒町より発足• 塩浜町 1965年、浜より発足• 多々良町 1965年、浜・江添より発足• 築地 1965年、浜より発足• 中央公園 1965年、浜・江添より発足• 野口町 1965年、浜より発足• 八幡町1丁目~3丁目 1965年、浜より発足• 浜町1丁目~3丁目 1965年、浜・天神町1丁目~2丁目より発足• 浜松町 1965年、浜より発足• ひばりヶ丘 1965年、陳内より発足• 平町 1965年、浜・江添より発足• 緑ヶ丘 1965年、江添より発足• 山手町1丁目~2丁目 1965年、浜・江添より発足• 浦上町 、江添より発足• 祇園町 1967年、浜より発足• 汐見町1丁目~2丁目 1967年、浜より発足• 八ノ窪町1丁目~2丁目 1967年、江添より発足• 丸島町1丁目~3丁目 1967年、浜より発足• 明神町 1967年、浜より発足• 古城1丁目~3丁目 、陳内・長野より発足• 桜ヶ丘 1968年、浜より発足• 白浜町 1968年、浜より発足• 陣内1丁目~2丁目 1968年、陳内より発足• 長野町 1968年、長野・陳内より発足• 南福寺 1968年、南福寺より発足• 牧ノ内 1968年、陳内・浜より発足• わらび野 1968年、陳内より発足 歴史 [ ] 行政区域の変遷 [ ]• (明治22年) - 施行により、 水俣村として発足する。 (大正元年) - 町制を施行し、 水俣町となる。 (昭和24年)4月1日 - 市制を施行し、 水俣市となる。 (昭和31年) - を編入する。 年表 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2011年11月)• 2万数千年前() - 水俣石飛地区には、人が住んでいた。 88年(景行18年)頃 - が征討の際、を発見したと伝えられる。 ( - )で、水俣と仁王に厭家(うまや)が置かれたとあり、そのころから交通の要衝だった。 (2年) - 今川了俊の書状に水俣城名が記されている。 (11年) - 水俣の惣庄屋()の初代頼氏(水俣吉左エ門)が茂道山に松を密植した。 (5年) - 水俣郵便取扱所が開設される。 (明治6年) - 棟内村列(31ヵ村)、浜村列(15ヵ村)の両行政区が布かれて、それぞれに戸長役場が設けられた。 (明治14年) - 水俣分署(現在の)が設置される。 (明治23年) - 市町村制の施行にともない、両列が合併し水俣村(人口12,303人)が誕生する。 なお、村役場が陣内に置かれた。 (明治40年) - ・藤山常一・市川誠次らがを設立し、水俣村に製造工場を設ける。 (明治41年) - 日本窒素肥料(日窒)水俣工場が設けられる。 (元年) - の前身である水俣町立水俣女子実業補習学校が創立される。 (大正5年) - 日窒が、水俣工場の専用港として梅戸港の整備に着工し、翌年完工する。 (大正14年) - 湯の児温泉でボーリングに成功し、豊富な湯量を得て温泉街の規模が大きくなる。 (大正15年) - 川内本線がから水俣駅まで延伸され、が開業する。 (2年) - 川内本線が水俣駅から湯浦駅まで延伸され、同線の全通にともないに改称される。 (昭和6年)11月16日 - 日本窒素水俣工場を視察する。 (昭和10年) - の前身である水俣町立水俣実務学校が創立される。 (昭和20年) - による初空襲があり、日窒工場に銃爆撃を加えた。 荷揚げ用のクレーンと岸壁30mを破壊し、停泊中の貨物船を爆破沈没させた。 (昭和23年) - 熊本県立水俣高等女学校と熊本県立水俣農工学校を統合し、が発足する。 (昭和24年) - が水俣市日本窒素をご巡幸。 (昭和28年) -水俣の医師濱田謙吉らの長年の署名集めにより、 水俣市立病院(現在の)が開院する。 (昭和30年) - の河口付近に36万立方米の残渣を捨てることが出来る埋立地が完成。 (昭和36年) - 熊本県立水俣高等学校から機械科、建築科を熊本県立水俣工業高等学校に分離する。 (昭和53年) - 水俣市が跡に運動公園を造成する。 工事中には、地下から石垣が発見された。 (5年) - が開館する。 (平成9年) - に安全宣言が出され、漁業も再開される。 (平成14年) - 八幡残渣プールの外周道路の土地が、から水俣市に無償譲渡される。 (平成15年) - 水俣市コミュニティバス「」が運行を開始する。 (平成16年) - の部分開業に伴い、が開業する。 鹿児島本線の市内区間がの管轄となる。 (平成23年) - 第10回にて環境首都の称号を得る。 水俣病 [ ] 詳しくはの記事を参照。 (明治41年)に、日本窒素肥料株式会社(現在の)水俣工場が開設されて以来、水俣市は同社のとして発展してきた。 しかし同社はを含んだ廃液を海()へ流したの原因企業であった。 水俣病の公式発見は、(昭和31年)とされている。 水俣湾内の汚染魚介類の流出を防ぐために仕切り網が設置されていたが、(平成9年)には安全が確認されて全面撤去された。 しかし、多くの犠牲者が出て「死の海」と呼ばれるようになり、「水俣」は世界的規模で負のイメージを帯びることになった。 この水俣病は地域社会の人間関係にも大きな傷を残している。 関連施設 水俣市のエコパーク内にある水俣病情報センター熊本県環境センター• 水俣病歴史考証館• もやい館(水俣市総合もやい直しセンター)• 水俣市立水俣病資料館• 熊本県環境センター• 国立水俣病総合研究センター・水俣病情報センター 環境都市づくり [ ] 水俣病などの苦難の歴史を乗り越えるべく、「環境・健康・福祉を大切にする産業文化都市」をキャッチフレーズとし、市民・企業・行政が高い意識を持ち世界のモデルとなることを目指して 環境モデル都市づくりを進めている。 (平成20年)7月に国が「環境モデル都市」と認定した全国 6のうちの一つである。 (平成5年)から、全国に先駆けて、の分別収集を行っており、現在の分別種類数は24種類と、全国でも最も細かいレベルにある。 このような共同作業は希薄になりがちな近所付き合いの活性剤となり、水俣病によって崩壊したコミュニティの再生にもつながった。 こうした取り組みと地域における環境関連産業の振興を有機的に結びつけたまちづくりを目指し「水俣エコタウンプラン」を策定、(平成13年)2月にとの承認を受けた。 複数の環境で組織する「環境首都コンテスト全国ネットワーク」が主催する「」において、(平成16年度)と(平成17年度)の2年連続で1位となり、その後の(平成21年度)と(平成22年度)と(平成23年度)にも1位になっている。 行政 [ ] 市役所 [ ]• :(19代目、就任、1期目)• 議員 16人 歴代市長 [ ]• (1994年 - 2002年、13・14代目)• 江口隆一(2002年 - 2006年、15代目)• 宮本勝彬(2006年 - 2014年、16・17代目)• (2014年 - 2018年、18代目 ) 国家機関 [ ]• 水俣公共職業安定所• 国立水俣病総合研究センター 県の機関 [ ]• 水俣保健所• 環境センター• 水俣駅前交番• 袋駐在所• 葛渡駐在所 産業 [ ]• 市内総生産 942億円() 第一次産業 [ ] もともと豊富な海の幸に恵まれた不知火海沿岸であるためが盛んであったが、水俣病の発生により1958年以降、禁漁となり壊滅した。 もに遇い、大打撃を受けたが、水俣病の経験を踏まえた環境を大切にする地域一体となったまちづくりの下、農薬・化学肥料を使わない農業が広がり、その一環として甘みがあって生でも食べられる サラダたまねぎのブランドを確立し、全国的にも高い評価を得ている(このサラダたまねぎは『』において「特選素材」として紹介(同市内ではを通して放送された)されたが、その際に生産地の「水俣市」の名が隠され、放送局側の偏見が批判された。 これに関しては読売テレビに対しで抗議文が送られている。 無農薬で作った茶や柑橘類の日本有数の産地でもある。 これまでの取り組みにより水俣産の食材・食品の評価は高まりつつある。 長年禁漁であった漁業も海の浄化が進んだことによって1997年に解禁されている。 中でもはの名物料理としても知られ、太公望が多く訪れる。 第二次産業 [ ] チッソ水俣工場は現在でも事業を移管した子会社の水俣工場として操業しており、JNCのとしての性格が強い。 JNCは世界でトップ3に入るシェアを持っており、近年の液晶需要の増加から業績を回復させている。 一方、約20ヘクタールの水俣産業団地内にエコタウン事業等による環境関連産業の立地と既存企業の環境配慮型への転換を推進しており、既に、家電リサイクル施設、びんのリユース・リサイクル施設、使用済みタイヤリサイクル施設 撤退 、廃プラスチック複合再生樹脂リサイクル施設など6企業が立地し事業を開始している。 このエコタウンへのリサイクル企業の進出については、市民が取り組んでいる高度なごみ分別収集が工場の立地を可能にしており、ペットボトルを始めとする全ての資源物の品質レベルが高く、「水俣ブランド」と呼ばれ全国的に注目されている。 また、進出企業については、の取得を要請するなど厳しいを市と結ぶこととしている。 環境ビジネスなど地場産業の育成と技術向上のための支援を図り、環境モデル都市の実現に寄与するために地域企業と大学、等のネットワークを活かしながら、それを支援していくための交流拠点として、1999年に「みなまた環境テクノセンター」を設立している。 このような水俣病の教訓を生かした水俣独自の持続可能な資源循環型社会の構築を目指した取り組みにより、近年、多くの人が視察、研修で水俣を訪れている。 第三次産業 [ ] 観光 [ ] 昔から不知火海に面するレジャー指向の、湯出川上流の湯治場・の2つの温泉が知られている。 また、エコパーク水俣バラ園が開園し、最大の観光地となっている。 水俣病の歴史学習や環境学習を目的とする修学旅行・視察旅行などもあり、エコパーク水俣などに国・県・市の学習拠点が整備されている。 地魚料理は、のみりん干し、などの海産物や、サラダ玉ねぎ、みなまた茶、、寒漬け、晩柑、、、などがみられる。 主な観光イベント• 3月 - サラたまちゃん祭り• 4月 - 湯の児桜まつり、みなまた春まつり(水俣三社祭り)• 5月 - ローズフェスタ(春)、みなまた港フェスティバル・みなまた総合物産展• 7月 - 恋龍祭• 8月 - 海上花火大会、湯の鶴温泉夏祭り• 10月 - ローズフェスタ(秋)• 11月 - 湯の鶴ウォーク 商業 [ ] 中心市街地の核店舗である「水光社 M's CITY」。 中心商店街は水俣駅東側の国道3号線周辺を中心として広がる。 核店舗は本店、水光社エムズシティ(旧水俣百貨店)、鶴屋百貨店水俣店(小型店舗)である 郊外部には大規模商業施設はないものの、国道3号線沿いを中心に郊外地域にかけてもロードサイド型店舗の進出が見られる。 環境マイスター [ ] 環境にこだわったものづくりに取り組む職人を認定する 環境マイスター制度を1998年に全国で初めて設け、紙漉き職人、お茶・みかん・野菜・米づくりを行っている人など9名を認定。 現在は33名が環境マイスターとして認定されており、いずれも、原料、生産、加工、販売、廃棄物のどの行程においても、環境にこだわったものづくりを進めている。 主な企業・組合 [ ]• (旧団体名:生活協同組合水光社)• ASBエコウッド• アクトビーリサイクリング• サン・エレクトロニクス• リプラ・テック• 旭印刷• 大森産業• 新栄合板工業• 摂津工業• 福田農場ワイナリー• 水俣本部• 水俣製造所• 水俣工場• 喜楽鉱業水俣エネルギー工房• マルイ食品しらぬい工場 金融機関• 水俣支店• 水俣支店• 水俣支店• 水俣支店 姉妹都市・提携都市 [ ] 海外 [ ] 姉妹都市• () 平成8年 - 姉妹都市提携 教育 [ ] 近年、市の「小中学校再編成実施計画」により一部学校の統廃合が実施された。 高等学校 [ ]• (に水俣高等学校に統合) 中学校 [ ] 2011年4月1日、上述計画による統廃合が実施された。 なお、廃校となったおよび湯出中学校については、既存の水俣第一中学校・水俣第二中学校とともに校区が再編された。 - 総合医療センターに所在し、入院生徒向けの教育を行っている。 - 葛渡中学校と久木野中学校が統合。 校舎は前者を使用している。 小学校 [ ] 上述計画による統廃合は、および4月にそれぞれ実施された。 太字の学校はがある。 交通 [ ] 鉄道 [ ] 市の中心となる駅: 、 (JR九州)• :()- -()• 廃止後は跡地を再利用した「日本一長〜い運動場」(歩行者と自転車の専用道)が整備されている。 路線バス [ ]• 水俣市 - 津奈木町 - 芦北町• 水俣市 - -• 水俣市 -• 水俣市 - 伊佐市 - - ()• E3A• また、南九州西回り自動車道ののからのまでの区間が芦北出水道路として事業中であり、水俣市内には今後、も設置される予定である。 一般国道 [ ]• 主要地方道 [ ]• 道の駅 [ ]• 海運 [ ] 水俣港 [ ] 2000年5月23日、特定地域振興重要港湾に選定されている。 1976年、県が水俣湾の水銀汚泥の処理を目的とした「水俣湾公害防止事業」に着手し、1976年には1工区約4. 5ha、1990年には2工区約54haの埋め立てがそれぞれ竣工した。 また、これに先立つ1989年には水深7. 5mおよび10mの岸壁がそれぞれ1バース整備された。 なお、熊本県土木部港湾課による「水俣湾公害防止事業埋立地護岸耐震及び高経年化対策委員会」の調査において、護岸背面近傍に総及びの溶出量値が下限値以下であることが報告されている [ ]。 船舶 [ ]• 南国海運: - 御所浦港 - 廃止済み• 獅子島汽船: - 諸浦港 航空 [ ]• 最寄りの空港は• 水俣駅およびより直通バスが各々運行されている(南国交通)。 水俣駅からは本数が少ないが、出水駅からは毎時1本のペースで運行されている。 名所・旧跡・観光スポット [ ] 水俣市立水俣病資料館• 水俣諏訪神社• 濱八幡宮• 住吉神社• 海水浴場• フィッシングパーク• 湯の児スペイン村・福田農場 - 車で 5分程の高台上の・果樹園。 チェリーライン - 湯の児温泉と湯の鶴温泉を結ぶ約500本の桜並木の街道• 大学山の照葉樹林:• 寒川地区の棚田:• 久木野ふるさとセンター愛林館• ・生家 - 現存する町屋造りの建物としては県内最古、県史跡文化財。 水俣市立蘇峰記念館• 侍街道はぜのき館 - 付近は和ロウソクの原料である「はぜの木」が多く栽培されており、ろうそく作り体験や歴史資料の閲覧ができる。 エコパーク水俣• 観光物産館まつぼっくり• エコパーク水俣バラ園• 水俣メモリアル• 水俣市立水俣病資料館• 熊本県環境センター(県立)• 水俣病情報センター(国立) メディア [ ] 水俣市立図書館では、鹿児島県のであるが発行日より閲覧可能であったが、現在は行われていない。 ラジオ放送 [ ] 熊本県の放送局においてはNHK第一は水俣市、第二は、NHKFM・RKK・FMKはから送信される電波を受信する。 なお、外となる他県の放送も一部の聴取が可能であり、鹿児島・長崎・福岡の各県を放送対象地域とするAM放送局が標榜するサービスエリアには市域も含まれている。 AMラジオ放送• 水俣中継所・1341kHz• 熊本送信所・873kHz• ラジオ第2放送阿久根中継所・1467kHz• RKK御所浦中継所・1197kHz• MBC阿久根中継所・1107kHz• NBC長崎送信所・1233kHz• ()福岡送信所・1278kHz• ()福岡送信所・1413kHz FMラジオ放送• FMK 御所浦中継所78. 4MHz• 5MHz• fm nagasaki 長崎送信所 79. 5MHz• 水俣中継所82. 5MHz• RKK熊本放送 水俣94. 2MHz• MBC南日本放送 阿久根FM補完中継所93. 2MHz テレビ放送 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2011年11月) 熊本県の放送局においてはを中心に受信されている。 地上デジタル放送は2007年10月に放送開始された。 一部地域では出水()・長島方面にアンテナを向け鹿児島の放送を受信している世帯もある。 (チッソ水俣病患者連盟委員長、水俣市議会議員)• (水俣学研究者)• (民俗学者、地名学者、、)• (儒学者、。 徳富兄弟の父)• (、評論家)• (食文化ジャーナリスト、)• (詩人、評論家、教育運動家)• (詩人)• (社会事業家。 徳富兄弟の姉)• (漫画家、水俣市生まれ育ち、水俣市の観光ポスターを手掛けている)• (シンガーソングライター、幼少期の一部を隣接の鹿児島県出水市で過ごした。 (、元・)• (元・バレーボール選手、現指導者、母親の実家がある水俣市で生まれで育つ)• (元・九州栄養福祉大学教授) 脚注 [ ] []• 昭和30年11月5日の『水俣工場新聞』水俣川尻に大埋立地!護岸工事近く完成」という見出しで、「1日200トンのが、工場から排出される。 空地を見付けては残渣のプールとして、それに流し込んでいたが、空地もなくなり、海を埋め立てることになった。 近く護岸工事が完成すると(中略)36万立方米の残渣を捨てることが出来る。 」と記載• 「登記承諾書」チッソ社長から水俣市長宛 平成14年10月7日• 2018年12月11日閲覧。 - 選挙ドットコム• くまもと経済 2006年3月20日. 2018年1月5日閲覧。 JIJI. COM. 2018年1月5日閲覧。 水俣市. 2018年2月7日閲覧。 - 熊本県観光サイト なごみ紀行(熊本県、熊本県観光連盟)• (くまもとの港) - 熊本県(2011年11月27日閲覧)• 第3回水俣湾公害防止事業埋立地護岸耐震及び高経年化対策委員会資料 関連項目 [ ] に関連するメディアがあります。 には、 に関する旅行情報があります。 (チッソ株式会社社長)、(沖縄大学名誉教授)• 外部リンク [ ] オープンストリートマップに があります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (日本語)• (日本語)• (日本語) -• (日本語)• (日本語)• (日本語)• (日本語)• ウィキトラベルには、に関する旅行ガイドがあります。 (日本語).
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