中江滋樹が死亡? 中江さんの死亡説について「KYODO」は次のように報じています。 警視庁によると、 20日午前、 東京都葛飾区でアパートから 性別不明の遺体が見つかった。 契約者情報から、 投資家が詐欺被害に遭った投資ジャーナル事件で実刑判決を受けた中江滋樹元会長の 可能性があり、 確認を進めている。 (2020年2月20日配信) 上記の通り、中江さんの死亡説が浮上した背景には、 アパートの契約者情報がきっかけだったのです。 また、彼には詐欺罪での前科があることから、 「身代わり説」が持ち上がる事態となっています。 さらには、 「暗殺説」や 「陰謀説」までもが浮上しており、事態は混迷を極めています。 清純派のアイドルとして人気の高かった倉田さんですが、中江さんとの ツーショット写真がマスコミに流出したことで風向きが一変。 というのも、当時の中江さんは詐欺事件で告発されており、100億円の 金を持ち逃げして雲隠れしていたのです。 また、この直後に倉田さんが 7,000万円の物件を購入していたことが判明。 これらの状況証拠から、マスコミは「倉田まり子= 中江滋樹の愛人」説を疑うようになりました。 問題視されたのは倉田まり子がこの時期、 目黒区の一等地に3階建ての豪邸を購入していたことだ。 落ち目のアイドルが 7000万円は下らないとされる豪邸を購入、 背後に戦後最大の詐欺師といわれた指名手配犯がいる。 あまりに不自然な、汚れた背景を感じさせる構図である。 マスコミはここ一番と倉田まり子の元へ殺到、 中江に 枕営業をかけ、 愛人となった代償が豪邸だったのではないかと追求。 しかし、物件を購入した資金の出処は 「借金」であったことが後に判明。 事件の結末は、 税務署の調査で倉田側から7000万円の 借用証が発見され、 購入資金は借金だったと証明されて 愛人疑惑は消えた。 税務署の差し押さえで倉田は豪邸を失うが、 最悪のスキャンダルだけは免れた。
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閉じる 今も昔も、スキャンダルによって人生を狂わされたアイドルは多い。 ここに取り上げる倉田まり子も、スキャンダルの疑惑をマスコミによって煽られ、痛くもない腹を探られた結果、芸能界からの引退を余儀なくされた一人である。 長崎県出身の倉田は、地元で行われた視聴者参加型の歌謡番組に出場した際、スカウトマンにその実力を認められて高校1年のときに上京。 1979年に『グラジュエイション』でデビューすると、日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、順調なアイドル人生をスタートさせた。 その後も、サードシングル『HOW! ワンダフル』が江崎グリコの人気商品、ポッキーのCMソングに起用されて大ヒットし、人気を不動のものにする。 また、歌手以外にも、テレビドラマ出演や声優などの活動をマルチに行い、人気アイドルの一人に数えられていた。 しかし、80年代に入り、倉田は松田聖子などの新世代アイドルに押され、落ち目となっていく。 そこへ降って湧いたのが85年の「投資ジャーナル事件」で、これにより倉田の芸能活動は完全に断たれてしまうのだ。 中江は雑誌上で利用者から金を徴収して銘柄を紹介したほか、保証金を追加すれば預り金の10倍以上の融資を受けられるとした。 しかし、実際は預かり証を渡すだけで株式の引き渡しは行われず、数百億円を詐取したとされている。 この中で取り沙汰されたのが、中江と倉田の関係だ。 事件の渦中で、写真週刊誌『FRIDAY』が、中江に肩を抱かれている倉田とのツーショット写真を掲載。 奇しくも、この時期に倉田が目黒区に7000万円ともいわれる豪邸を建てていた事実も相まって、マスコミは倉田が中江の愛人で、詐取された金がこの豪邸に流れているのではないかと追及したのだった。 この件について、倉田は完全に否定したものの、中江が自社の社員を金で口説いた逸話を掲載する週刊誌もあり、さも中江と倉田の関係は既成事実のように報じられた。 これによって倉田は芸能界から身を引くことを余儀なくされたのだった。 最終的に税務署の調査によって、倉田が豪邸の資金を借金で賄ったことを証明する借用書が見つかり、この疑惑は解消されたが、時すでに遅く、豪邸も税務署の差し押さえにより失うはめに…。 もともと、この中江と倉田の接近は、中江に出資させることで事務所からの独立を果たそうとしていたマネジャーが、自ら画策したものだったとされており、ある意味で倉田が芸能界引退に追い込まれたことは、こうした独立の動きへの制裁であったとの見方をする関係者も多い。 後年、中江自身もこの疑惑について、4〜5回デートしただけで肉体関係はなかったことを週刊誌の取材で告白している。 倉田は芸能界引退後、法律事務所の秘書や資格試験予備校の執行役員などを務めた後に、キャリア・カウンセラーとして独立し、2015年には東京学芸大学の特命教授となっている。 ある意味、キャリアの重要性を痛いほど知る倉田が、この職を選んだのは当然だったと言えるのかもしれない。
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今回ご紹介するのは1979年デビューのアイドル・倉田まり子の極上とも言えるスタイルの良さを活かしたタイツ脚です。 NHK「レッツゴーヤング」のレギュラーでおなじみでしたね。 曲は「哀しみのポエジー」(1981年7月21日発売)。 「レッツゴーヤング」以降の曲なのであまりリアルタイムでの記憶はありません。 1960年11月20日生まれなので、この時点でまだ20歳ということになります。 まずはこちら。 スタイルの良さが有名だっただけあって、素晴らしいプロポーション! 曲はちょっと地味めです。 あまり飾り気のない少し未来チックな衣装です。 焦げ茶のタイツ。 ちゃんと爪先まであります。 生地が光沢のあるスパンデックス系なのでレギンスと勘違いしそうですが、ちゃんとタイツです。 なんとスカートの両サイドには深いスリットが入っているので、横から見ると腰の少し下あたりまでタイツが丸見えです。 素晴らしい。 カメラもちゃんとそこは押さえてくれています(笑 さてでは別の番組での動画。 屋外イベントでのライブです。 当時のこうした映像が残っているのは珍しいのでは。 首はなんらかの怪我のようですね。 衣装は最初の動画と同じもののようですが、ベルトの処理が違います。 またタイツは焦げ茶ではなく黒に見えます。 いずれにしても生で見てみたかったですね。 これはTVのトークショーに出たときのもの。 明石家さんまも紳助竜介も若い(笑 ステージに登場して座ると、スカートのスリットのせいでタイツ脚から腰まで丸見えになってしまいます。 ご本人はちょっと恥ずかしかったかも、と想像してしまいますね。 残念ながら1984年にスキャンダルに巻き込まれて芸能界からは引退してしまいます。 しかし顔良しスタイル良しで歌も上手いと、記憶に残るアイドルでした。 それにしても素晴らしいタイツ脚です。
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