現代のもののけ姫。 「現代のもののけ姫」YouTuber MacoさんがHAL体験の動画を公開

現代のもののけ姫Maco(渋谷真子)の車椅子の原因は?!年齢や出身プロフィール!

現代のもののけ姫

今日、で『』を観ました。 『』はもちろん、中世日本を舞台にした時代劇なわけなんですが、それが描くもの、提示しているものは極めて現代的なのではないか。 端的にいえば、日本にとっての近代化とはなんだったのか、それを描く寓話のように読むことができるのではないか。 そこらへんのことをちょっとメモ的に書いとこうと思います。 それはタタラ場を率いるエボシ。 自然を切り開いて製鉄を行う彼女は、比喩ではなく神をも恐れぬ人間である。 この神をも恐れぬ姿勢、「脱魔術化」されたメンタルを持つ彼女は、まさしく「近代人」としての役割を物語上で背負っているといえる。 そうした「近代人」が、女性という、前近代社会における社会的弱者であること、女性を男性以上に重く用いていること、また女性以上に社会の周縁に追いやられていたであろう患者をも自らの陣営に組み入れていること。 そうした、彼女とその仲間が帯びるある種特異な属性は、の描いた中世の姿を下敷きにして想像の翼を羽ばたかせたものでもあり、さらに多くのことを含意するものでもあるんじゃないかと思う。 『もののけ姫』をもっと楽しむための読書案内! - 宇宙、日本、練馬 たとえば、社会的な弱者、社会の周縁におかれた人間たちこそが、近代的合理性の担い手になる、という像から、の『古代』を想起したりもする。 パーリア民族としての人とタタラ場の人間たちとのアナロジー。 さすがに突飛すぎますね。 その中でも特徴的な人物はジコ坊だろう。 彼も目的のためには手段を選ばない、ある意味合理的な人物であるといえるかもしれない。 シシ神を「目がつぶれる」と見ようとしなかったジバシリに対して、ジコ坊はなんのためらいもなくシシ神を偵察し、その居場所を突き止める。 こうしたふるまいからは、彼も脱魔術化した近代人であるようにも思える。 一面では、彼も近代人としての側面を持っていることは否定できないだろう。 とはいえ、ジコ坊の合理性はエボシほど徹底してはいないように思える。 その証左として、あくまで彼はシシ神殺害をエボシにやらせようとする。 自分があくまで下手人となることを避けようとするように。 この機制を理解するために、監督自身が、アメリカで受けたインタビューが大きな助けになる。 そのインタビューの中でジコ坊について尋ねられた監督は、「彼は日本人の典型」であると発言する。 このことは、彼の劇中における特異な立ち位置からにとっての日本人というものを解釈する材料になるだろうし、それから日本人論を語るだしにもなるだろう。 それもまたどこかで書きたいけれども、ここでは「シシ神殺しの下手人」になりたくない彼の心性を説明するための縁として、「ジコ坊=日本人」というイメージを使おうと思う。 では、そうした日本人の心性とはいかなるものなのか。 それを示す面白い事例が、以下で引用する記事の中にある。 昨年の11月に話題になった上の記事の中に、お守りをめぐる教授と学生とのやりとりがひかれている。 それを引用しよう。 この中で宗教を信じている人、手を挙げてください」と言うと、200人の教室で2、3人の手が挙がる。 中略 「じゃあ、何も信じてない人、手を挙げてください」と言うと、みんなバーッと挙げるんですよ。 「その中で初詣に行ったことのある人」と言うと、手を挙げる。 「その中でお守りを持っている人、持ったことのある人」と言うと、手が挙がって、カバンの中に持っている子がいるんです。 「じゃあ、あなたたち、 宗教を信じていないのなら、ここにハサミがあったとしたら、そのお守りをズタズタに切れる?」と言うのです(笑)。 「宗教なんか信じてなくて、神様も信じてないなら切れるだろう?」と言うと、「 ダメです。 そんなことできるわけないじゃないですか」とうろたえる。 「何でできないんだ?」と聞くと、「バチが当たる」と。 「誰がバチを当てるんだ?」「神様のバチが当たる」って。 「おまえ、神様を信じてるのか?」「いや、神様なんて信じてません」と。 「じゃあ、切れるんじゃない?」って、そこで押し問答になるわけです(笑)。 ここに、日本人的な機制がダイレクトに表れている。 神様なんか信じちゃいないのに、お守りを切れと言われたらなんとなくためらってしまう。 この感覚は、まさしく「シシ神殺しの下手人」になりたくないジコ坊のそれと大きく重なるのではないだろうか。 彼もまた、神なぞ信じてはいないのに、それに対する恐れから完全には自由になりきらない。 魔術の残り香に縛られる人間としての日本人という像が、ここから浮かび上がってくるのではなかろうか。 近代人のと日本人のあいだ 『』は、透徹した近代人であるエボシは、究極の破滅への対応というクライマックスの活劇から姿を消し、近代人エボシを利用して神の首を得たジコ坊と、ジコ坊から首を取り戻してなんとか破滅を阻止しようとするアシカタとサンとの対立へと物語は収斂する。 このことは、はたして何を意味しているのか。 なんとか首を神に返したアシタカとサン、「馬鹿には勝てん」というジコ坊の言葉、よみがえったかに見えるがしかしシシ神の去った森...。 それがどんな像を結ぶのかはまだあいまいなので、また機会を作って見直して加筆しようと思います。

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エボシには使命が…もののけ姫で「ハンセン病」が描かれた本当のワケ | シネパラ

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今日、で『』を観ました。 『』はもちろん、中世日本を舞台にした時代劇なわけなんですが、それが描くもの、提示しているものは極めて現代的なのではないか。 端的にいえば、日本にとっての近代化とはなんだったのか、それを描く寓話のように読むことができるのではないか。 そこらへんのことをちょっとメモ的に書いとこうと思います。 それはタタラ場を率いるエボシ。 自然を切り開いて製鉄を行う彼女は、比喩ではなく神をも恐れぬ人間である。 この神をも恐れぬ姿勢、「脱魔術化」されたメンタルを持つ彼女は、まさしく「近代人」としての役割を物語上で背負っているといえる。 そうした「近代人」が、女性という、前近代社会における社会的弱者であること、女性を男性以上に重く用いていること、また女性以上に社会の周縁に追いやられていたであろう患者をも自らの陣営に組み入れていること。 そうした、彼女とその仲間が帯びるある種特異な属性は、の描いた中世の姿を下敷きにして想像の翼を羽ばたかせたものでもあり、さらに多くのことを含意するものでもあるんじゃないかと思う。 『もののけ姫』をもっと楽しむための読書案内! - 宇宙、日本、練馬 たとえば、社会的な弱者、社会の周縁におかれた人間たちこそが、近代的合理性の担い手になる、という像から、の『古代』を想起したりもする。 パーリア民族としての人とタタラ場の人間たちとのアナロジー。 さすがに突飛すぎますね。 その中でも特徴的な人物はジコ坊だろう。 彼も目的のためには手段を選ばない、ある意味合理的な人物であるといえるかもしれない。 シシ神を「目がつぶれる」と見ようとしなかったジバシリに対して、ジコ坊はなんのためらいもなくシシ神を偵察し、その居場所を突き止める。 こうしたふるまいからは、彼も脱魔術化した近代人であるようにも思える。 一面では、彼も近代人としての側面を持っていることは否定できないだろう。 とはいえ、ジコ坊の合理性はエボシほど徹底してはいないように思える。 その証左として、あくまで彼はシシ神殺害をエボシにやらせようとする。 自分があくまで下手人となることを避けようとするように。 この機制を理解するために、監督自身が、アメリカで受けたインタビューが大きな助けになる。 そのインタビューの中でジコ坊について尋ねられた監督は、「彼は日本人の典型」であると発言する。 このことは、彼の劇中における特異な立ち位置からにとっての日本人というものを解釈する材料になるだろうし、それから日本人論を語るだしにもなるだろう。 それもまたどこかで書きたいけれども、ここでは「シシ神殺しの下手人」になりたくない彼の心性を説明するための縁として、「ジコ坊=日本人」というイメージを使おうと思う。 では、そうした日本人の心性とはいかなるものなのか。 それを示す面白い事例が、以下で引用する記事の中にある。 昨年の11月に話題になった上の記事の中に、お守りをめぐる教授と学生とのやりとりがひかれている。 それを引用しよう。 この中で宗教を信じている人、手を挙げてください」と言うと、200人の教室で2、3人の手が挙がる。 中略 「じゃあ、何も信じてない人、手を挙げてください」と言うと、みんなバーッと挙げるんですよ。 「その中で初詣に行ったことのある人」と言うと、手を挙げる。 「その中でお守りを持っている人、持ったことのある人」と言うと、手が挙がって、カバンの中に持っている子がいるんです。 「じゃあ、あなたたち、 宗教を信じていないのなら、ここにハサミがあったとしたら、そのお守りをズタズタに切れる?」と言うのです(笑)。 「宗教なんか信じてなくて、神様も信じてないなら切れるだろう?」と言うと、「 ダメです。 そんなことできるわけないじゃないですか」とうろたえる。 「何でできないんだ?」と聞くと、「バチが当たる」と。 「誰がバチを当てるんだ?」「神様のバチが当たる」って。 「おまえ、神様を信じてるのか?」「いや、神様なんて信じてません」と。 「じゃあ、切れるんじゃない?」って、そこで押し問答になるわけです(笑)。 ここに、日本人的な機制がダイレクトに表れている。 神様なんか信じちゃいないのに、お守りを切れと言われたらなんとなくためらってしまう。 この感覚は、まさしく「シシ神殺しの下手人」になりたくないジコ坊のそれと大きく重なるのではないだろうか。 彼もまた、神なぞ信じてはいないのに、それに対する恐れから完全には自由になりきらない。 魔術の残り香に縛られる人間としての日本人という像が、ここから浮かび上がってくるのではなかろうか。 近代人のと日本人のあいだ 『』は、透徹した近代人であるエボシは、究極の破滅への対応というクライマックスの活劇から姿を消し、近代人エボシを利用して神の首を得たジコ坊と、ジコ坊から首を取り戻してなんとか破滅を阻止しようとするアシカタとサンとの対立へと物語は収斂する。 このことは、はたして何を意味しているのか。 なんとか首を神に返したアシタカとサン、「馬鹿には勝てん」というジコ坊の言葉、よみがえったかに見えるがしかしシシ神の去った森...。 それがどんな像を結ぶのかはまだあいまいなので、また機会を作って見直して加筆しようと思います。

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『もののけ姫』を映画館で“再体験”する醍醐味 スクリーンでこそ気付く静かなシーンの魅力|Real Sound|リアルサウンド 映画部

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事故から3ヶ月。 私は今のところ 完全麻痺。 ここから先は 私のカラダを 全て公開して脊髄損傷とは何かをお伝えしようと思います。 損傷部位によって症状も様々ですし 同じ損傷部でも症状が変わってきますので、あくまでも私の症例でお伝えします。 赤裸々に書きすぎてる内容もあります。 読むにあたって 気持ちが整えられない方はご遠慮ください。 ですが読み終えた後。 少しでも、様々な事柄の捉え方に 変化があるようなキッカケとなって頂ければ幸いです。 以前にもお伝えしたように、ヘソから下の感覚がありません。 足が使えないので動作は全て 腕と背筋と腹筋の上部で補います。 ベットから車椅子 車椅子からお風呂 車椅子から車 … 移乗は全て下半身を持ち上げなくてはいけないので毎日が腕の筋トレです。 内臓機能はしっかり活動していますが 排便の感覚がないために全て自己管理です。 水分量や膀胱許容量などを把握して時間で管理します。 自力では出来ないので、尿の場合は時間で尿道にカテーテルを入れて排尿し 夜はカテーテルを入れたままにし、専用のパックに常に尿を流せる状況にします。 便は1日1回、座薬を入れ摘便をします。 30分から1時間弱トイレにこもります。 しっかり自分で管理が出来ないと 日常生活で失禁をすることになります。 管理をしてても食べたものや飲んだもので失禁をしてしまうこともあるんです。 怪我にも注意が必要です。 痛みがわからないので傷が出来ていることや捻挫や骨折などもわかりません。 何かに足が挟まれても気付かないのです。 痙性(けいせい)という 筋収縮に伴い脚が勝手に動く症状があります。 脚だけではなく腹筋や背筋にも起こるので 移乗動作や走行中に起こると怪我の原因にも繋がる恐れがある為に薬で管理します。 そして1番注意しなければならないのが 褥瘡(じょくそう) 謂わゆる床ずれです。 寝返りが出来ない分、時間で起きて体勢を変えます。 しかし褥瘡は寝てる時だけではありません。 そして、よく聞く腰の部分だけではなく、膝やかかと、小指などにも出来ます。 合わない靴を履いて小指が痛いと感じる事がありますよね? それを感じることなく、ずっと圧迫されたままだとそこが褥瘡になります。 気付かずに同じ場所に圧をかけ続ければ 皮膚に穴が空き、骨まで達してしまうのです。 当たり前だった動作が出来なくて、自分のカラダなのに何も知らなかった。 当たり前だった動作だからこそ何も考える事なく行っていた。 だからやり方を知らない。 だから一から覚えるしかない。 いつ出来るかわからない動作を毎日毎日繰り返す。 ゴールが見えないマラソン。 でもゴールがあると信じて毎日走り続ける。 なりたい自分になるために、納得いく自分になるためには走り続けるしかない。 車椅子で大勢の人の中を通る事があんなにも怖くて 少しの坂道さえも登る事が大変で 階段は大きな壁にみえ 少しの隙間さえも車輪がはまったら抜けだす事ができない。 人の手がどれだけ助かるのかを身をもって感じた。 人は人がいないと生きてはいけない。 だから助け合って支え合って生きていく。 足りない部分は補い合っていく。 ブログを通しても多くの人から支えられています。 会った事がなくてもネットの先にいるのは同じ人です。 伝えて理解してもらうことは容易でなくても このブログを通して発信し続け、誰かの架け橋となれることを信じています。 Maco 追伸: トレーニングの一部をまとめた動画を作成してみました。 ご要望が多くありLINE を追加しました。 ライフスタイルの相談などありましたらご連絡ください。 実は、私の主人は頸髄損傷です。 排尿は膀胱ろうで、排便は人工肛門管理で過ごしています。 褥瘡で入院した事もありますし、ちょうど今体調を崩していて、排痰に多くの時間を割かれています。 (それをしないと肺炎になってしまうので…) 受傷された時の記事も拝見しましたが、非常に主人と考え方の感覚が似ているなと感じ、そうそう!と多くの部分で共感しました。 この経験は、きっとMacoさんの新たなステージへのきっかけになるのだと思います。 脊髄損傷は、一度に失うものも多いですが、二次障害に注意すれば、歩みはゆっくりでも、止めなければ進んで行きます。 I misspelled it wrong when I entered my name, so I retyped it and resubmitted it. ごめんなさい。 名前のキー入力の時に綴りを間違えてしまったので、再入力して再送信いたしました。 Hi hello, good to see you. I am a Grade 1 disabled person named Mikey with paralysis of the left side of my body due to the aftereffects of two cerebral infarctions. ハ〜イ、こんにちは、はじめまして。 私は脳梗塞2回発症による後遺障害で、左半身麻痺の身体障害者等級1級のMikeyです。

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