離陸から12分が経った18時24分、JAL123便の垂直尾翼が後部圧力隔壁の破壊によって破壊されます。 垂直安定板の下部半分しか残されておらず、油圧委系統すべてが制御不能となります。 この故障によって、両主翼にあるエンジンの推力調整だけで飛行することになりました。 機内では飛行機部品の破壊時の衝撃音が響いた後、各座席に用意された酸素マスクが落下、緊急放送が流れました。 機内は大きな混乱もなく、異常発生から墜落まで、全員が冷静に行動できていたそうです。 その後、クルーの必死の努力にもかかわらずJAL123便は降下を続けます。 18時56分14秒に対地接近警報装置が作動し、一瞬はわずかに上昇したものの、18時56分23秒に機体後部と右主翼が樹木に接触しました。 そして18時56分30秒に高天原山の斜面に、前傾姿勢で反転するようにして衝突、墜落しました。 この事故の原因は、運輸省(当時)航空事故調査委員会の発表によれば、墜落より7年前に発生したしりもち事故のときにボーイング社が行った修復にミスがあり、それが原因となって客室と期待尾部を隔てる降雨圧力隔壁が破壊されたことにあると認定されました。 墜落から約20分後の19時15分頃、アメリカ空軍のC-130輸送機がこの墜落現場を発見して通報しました。 アメリカ陸軍救難ヘリを現場に誘導したものの、日本側の要請によって救助開始の寸前に活動の中止を命じられました。 その後19時21分ごろに航空自衛隊のF-4戦闘機の炎上するJAL123便を発見して通報、墜落から約2時間後の20時42分に百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターが現場の上空に到着しました。 しかし、このときには本格的な夜間救難装備がないことなどを理由に、救難員が降下しての救助活動は行われませんでした。 その後14時間が過ぎた明朝8時30分ごろ、長野県警機動隊員2名がヘリコプターから降下し、続いて陸上自衛隊第一空挺団員がJAL123便に向けて降下、救助が開始されました。 このことが救助体制の不備や緊急時における縦割り行政の問題点ということで、大きなバッシングを受けることになります。 この事故には多くの謎が残されています。 ・なぜすぐに救助活動が行われなかったのか。 本当に証言通りの理由で救助活動が遅れてしまったのか。 ・機体の故障原因は本当に修理のミスだったのか。 機体の大半は未回収で、その破壊過程は特定できないはずであり、そもそも尾翼の捜索自体が十分に行われていない。 様々な謎が残ることから、以下のような陰謀説がささやかれています。 ・米軍機が誤射によってJAL123便を墜落させてしまった。 ・自衛隊機が誤射によってJAL123便を墜落させてしまった。 ・JAL123便には核兵器が積載されており、その運搬の証拠を隠滅するために様々な謎が残った。 ・日本初のOSであるTRONの研究者17名を暗殺するためにJAL123便の墜落を誘発させた。 真相が明らかにされていない謎の事故であるため、様々な憶測が飛び交っています。 川上慶子さんの証言 ・気が付くとまっくらで、あたりには油のにおいが漂っていた。 ・子供の泣き声をはじめ、乗客のざわざわとした声が聞こえた。 ・手足を動かすと、足の下に空間があり動かすことができた。 ・自分の体を触って確かめると、欠損個所はなく、自分は生きているのだと感じた ・自分以外の家族は生きているか確かめるため、名前を呼ぶと父親と妹が返事をしたが、母親からの応答はなかった。 ・父親に手足を動かすよう言われ、動かしてみると靴が脱げそうになったため、手を足へとのばしたところ、足首がぬるぬるとしていたため、血だな、と思った。 ・父親が右わきから下半身にかけて乗りかかっており、身動きが取れない状態だった。 無理に動こうとすると、自分の腹部がとても苦しかったため、「お父ちゃん、お父ちゃん、苦しい、苦しい。 すごく痛い」と言っているうちに、父親は動かなくなってしまった。 ・妹に聞くと、母も父も冷たくなって死んでいると言った。 ・その後妹と話をしていると、妹が突然苦しみだした。 その後妹はゲボゲボと吐くような声を出し、会話が途絶えた。 ・一人になってしまったという思いを抱き、明朝まで意識が消えたり戻ったりした。 墜落事故の後、慶子さんは祖母と兄との三人で生活していました。 彼女の周りには励ましの声とともに、好奇心からくる迷惑行為も殺到していたといいます。 ストーカーまがいの行為や、嫌がらせの電話が頻繁にかかってくるなど、そのような行為に長年苦しまされたようです。 そのような状態が10年近くも続き、川上慶子さんは「こんなことをされるのならあのとき家族と一緒に死ねばよかった」と漏らすこともあったそうです。 しかし、そのような行為にも健気に耐え続け、保健師だった母親の遺志を継ぎ、川上慶子さんは看護師となります。 兵庫県の病院で働き始めた川上慶子さんは、1995年の阪神淡路大震災でけが人の手当てに当たりました。 その後趣味のスキューバダイビングのために訪れたアメリカで、川上慶子さんは運命の人に出会います。 その人とは2002年に国際結婚を果たしました。 事故後数年間、川上慶子さんは飛行機に乗れなかったそうですが、今では乗ることができるそうです。 しかし、事故の話をするとなるとPTSDの症状が出るため、やはり今も川上慶子さんの心の傷は癒えてはいないようです。 日航機墜落事故の際、アシスタントパーサーをしていた落合由美さんは、当時私用で日航機123便に乗っていました。 日航機墜落事故で生き残った川上慶子さんら4人のうちの一人です。 事故のあと、落合由美さんは一度日航で事故関連の仕事についていたようです。 その後落合由美さんは定年となり、日航を退職し、おそらく主婦として生活しているといわれています。 落合由美さんはメディアに顔を出すことがほとんどなかったため、その後の消息があまりつかめません。 しかし、落合由美さんの行動も真っ当なものなのです。 川上慶子さんのようにインタビューを受けたせいで、その後嫌がらせを受けた生存者の方もいらっしゃいます。 そう考えると、取材を受けない落合由美さんの行動も至極正しいものだと思われます。 落合由美さんの生活に平穏が訪れることを願ってやみません。
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1985年(昭和60年)8月12日、東京・羽田発大阪・伊丹行きの日本航空123便が、群馬県の御巣鷹山尾根に墜落しました。 乗員、乗客合わせて524名を乗せたJAL123便の「日航機墜落事故」は、520名もの犠牲者を出した史上最悪の航空機事故となったのです。 また、日航機墜落事故は、520名もの犠牲者が出た一方で、重傷を負いながらも命が助かった生存者がいました。 生存者に至っては、当時、墜落現場に向かった自衛隊員が、ヘリコプターを使って救出しているところを、テレビニュースで見た人も多いかと思います。 この事故で生き残ったのは4人の女性。 ただ、当初の報道では、生存者は7人いるとか8人いると混乱していたようです。 そこで今回は、そのときの生存者4人の内の1人、川上慶子さんの現在や嫌がらせがあったこと。 また、日本航空123便が墜落して救助に向かった自衛隊員が射殺された、生存者を殺害したというウワサについても調べてみました。 日航機墜落事故の生存者に嫌がらせ 日航機墜落事故は、520名の犠牲者を出しましたが、4人の生存者が発見されました。 奇跡的に助かったのは、日航客室乗務員で、当日客として乗り合わせていた落合由美さん、吉崎博子さんと美紀子さんの親子、当時12歳だった川上慶子さんの女性4人で、全員が機体後部の座席にいた乗客だったのです。 ただ、墜落事故直後の日本経済新聞には、「生存者7人発見」、朝日新聞には、「生存者は8人」との見出しが飛び交ったのでした。 しかし、これらの情報は結局、誤報だったことが判明するわけですが、なぜ新聞各社は当初、生存者を7人や8人と報道したのでしょうか。 その原因は、人数確認のミスでした。 最初は「生存者3名」と報道され、続いて「男の子とみられる1名を発見」で4名。 そのあとに少女1名が生存と判明し、女性が計4名に。 続いて「女性3名発見」で7名となり、「男の子の見られる1名」が追加されて8名になったのです。 このように、現場は当初、混乱して生存者の「ダブルカウント」が発生。 その後になって、ようやく生存者は女性4名と確定する報道に切り替わったのです。 そこで生存者4人の現在を調べてみると、親子で助かった吉崎博子さんは現在68歳、美紀子さんは42歳になっていて、今もいっしょに東京都内にある母方の実家で元気に暮らしているといいます。 落合由美さんは現在59歳になっていて、大阪府内で暮らしているとか。 それに落合由美さんは、事故から長くして取材には答えていないようです。 ただ、何年にもわたる日航側の講演要請に対し、安全教育セミナーを開いて、事故前後にあった自身の近況などを語ったということです。 そして、北海道旅行の帰りに家族で123便に搭乗していた、川上慶子さんは現在46歳になっています。 家族の中で唯一助かった川上慶子さんは、事故後、島根県で祖母と123便に搭乗していなかった兄の3人で生活していました。 しかし、墜落事故のニュースで有名になったため、嫌がらせの電話がかかってきたり、ストーカーまがいの行為に長く悩まされたといいます。 その後の川上慶子さんは、保健士だった母親の遺志を継いで、兵庫県の病院で看護士となって働き始めたとか。 そんな慶子さんは、やがて趣味のスキューバダイビングがこうじて、アメリカで現地の男性と知りあい、2002年秋に結婚。 現在は、看護師を辞めて、会社員の夫と2人の息子、娘といっしょに、西日本の都市でひっそりと暮らしているそうです。 日航機墜落事故の原因と自衛隊が殺害? 1985年(昭和60年)8月12日、JAL123便が相模湾上空で垂直尾翼を失い、制御不能となって群馬県の御巣鷹山に墜落しました。 ところがこの「日航機墜落事故」は、原因に不可解なことが多いため、陰謀説もささやかれるのです。 中でも「自衛隊のミサイル誤射」、「米軍の撃墜」などの陰謀説がネット上に駆けめぐっているわけですが、いまだ墜落原因の真相究明には至ってません。 また、墜落原因の「自衛隊のミサイル誤射説」を唱える青山透子氏の著書には、自衛隊が生存者を殺害したかのようなことも書かれています。 ただ、自衛隊がJAL123便を撃ち落とし、生存者を殺害したというのは考えられないことなので、この話はまったくのデマでしょう。 その証拠に後の事故調査報告書では、123便の墜落原因として次の3つが考えられると公表しています。 1、 圧力隔壁の損壊 飛行中に事故機の後部圧力隔壁が損壊、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に漏れ出した。 これに伴い機体尾部と垂直尾翼が破壊された。 また、4つの油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出。 機体は操縦機能を失った。 2、 金属疲労と亀裂 圧力隔壁の損壊は、接続部の金属疲労により亀裂が生まれ、隔壁の強度が低下。 そのために、与圧に耐えられなくなったことで生じたと推定できる。 3、 過去のしりもち事故 当該機は1978年に「しりもち事故」を起こしている。 その際、ボーイング社による修理が不適切だったこと。 また、点検で、これらの異常を発見できなかったことも事故原因の一つである。 しかし、この事故調査報告書は、1999年11月に廃棄処分されています。 さらに、機長の声が入っているボイスレコーダーの録音テープなどの資料も処分されたというのだから、「政府にとって都合が悪いことを隠ぺいしてる」と思われても仕方ありません。 とりあえず、日航機墜落事故の陰謀論は、この先も続くだろうし、真実についても一生語られることはないのかもしれないのです。 その中で100パーセント分かっているのは、4人の生存者がいたということだけです。 日航機墜落事故 自衛隊の射殺報道とは? 日航機墜落事故は、もっと早く現場に救出に向かっていたら、ほかにも助かった人がいたはずだと言われています。 事故直後は、生存者4人以外にも、生きている人たちがいたという証言もあるようです。 しかも、米軍が墜落した場所を特定していたのに、救助せずに突如現場を引き返すという謎の行動もあったのだとか。 このように、あまりにも不可解なことが多い「日航機墜落事故」ですが、ニュース速報に流れたときにも不思議な出来事があったそうです。 私自身は知らなかったことですが、123便が墜落したした際、NHKニュースが「長野県警によると、待機していた自衛隊員が何者かに銃撃されて、射殺されました」というテロップを出したといいます。 しかし、後になって、「自衛隊員が射殺されたというのは誤報でした」というテロップが流れたのだそう。 この誤報テロップは、3回ほどニュースの中で流れ、アナウンサーが謝罪していたということなのですが、はたしてそんなことが本当にあったのだろうか。 ネット上では「そのようなテロップは流れていない」という声や、「待機命令を無視して救助に向かった自衛隊員が、1名射殺された」とニュースが流れていたという声もあります。 どちらが本当にせよ、個人的には「自衛隊員が射殺された」というニュースが流れたのは、誰かの作り話で、デマだった可能性の方が高いと思います。 日航機墜落事故で亡くなった著名人と搭乗する予定だった芸能人 日航機墜落事故では、著名人も犠牲者となりました。 『上を向いて歩こう』で知られる歌手の坂本九さんが、日航機墜落事故の犠牲者ということは有名です。 ほかにも、宝塚歌劇団の北原遥子さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、ハウス食品代表取締役社長の浦上郁夫さんら財界人も、123便に搭乗していて亡くなったのです。 一方、墜落したJAL123便に搭乗していたはずが、予定変更になって搭乗しなかったため、命が助かった芸能人もい、ました。 事故した123便に搭乗する予定だった話で、有名なのは明石家さんまです。 さんまは事故当日、「オレたちひょうきん族」の収録があって、その後に123便で大阪入りするはずだったとか。 ところが、収録が早く終わったため、1つ早い便に変更して難なく事故を免れたのだといいます。 自分の子供・いまるは、日航機墜落事故から生まれた座右の銘「生きてるだけで丸儲け」から名付けたそうです。 ほかにも稲川淳二が当日、体調が悪くなって123便の搭乗を回避。 大阪入りを次の日にして、飛行機から朝一番の新幹線に変更していたのです。 また、1993年にがんで亡くなった逸見政孝さんも、家族4人でJAL123便に搭乗する予定だったとか。 しかし、息子の逸見太郎が「4人なら新幹線の方が安い」と直前に言いだしたため、大阪へは新幹線を利用して事故を回避したということです。
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既に多くの自衛隊基地に核弾頭配備済みとは関係者の間では常識です。 そして、日本国民はその事実を知らされることは一切ありません。 JAL123便の真実 提供: 田村珠芳氏書籍 核兵器に使うプルトニウムが、長野県にある極秘の核施設で取り出されているという話を聞いて 私にはピンとくるものがありました。 それは1985年8月に起きた、JAL123便の墜落事故との関連です。 この墜落事故は実は、金属疲労による事故ではなく、自衛隊と米軍による戦闘の結果でした。 一連の事件を目撃した地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め 25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけではなく、米海兵隊所属の プロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した 米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸だったのです。 JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた 関西財界の大物4人を暗殺するためでした。 1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが 関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。 しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。 実は、123便は「核」を積んでいたというのです。 国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。 アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと 内偵していたところ、JAL123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために 黒い塗料で偽装した所属不明機でJAL機を付け狙いました。 日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので 現物を押さえられると非常に困ります。 そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように 仕向けたのでした。 しかし、JAL機の機長は思いのほか優秀な人でした。 日本政府は、JAL機側には積み荷の中身を伝えておらず、ただ「貴重なものである」ということで ベテランのパイロットの搭乗を要求しました。 そこで自衛隊出身であり、飛行技術に長けた腕利きのパイロットである「高濱雅巳操縦士」を その任に就かせました。 彼は戦闘訓練を積んでいるので、米軍によって尾翼が破壊された時点で すでに人為的攻撃であることに気づいたようです。 すぐさま、高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替えました。 この高度ならレーダーに捉えられないからです。 ただしそのために、以後、123便は管制レーダーからは消えてしまい 周辺の航空管制官はJAL機を助けたくとも、その機影を追うことさえできなくなりました。 ですから異常発生後の正確なルートは、今もってわかりません。 その後の事故調査の状況から推察すると、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず 海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失ったJAJ123便は、突如として現れた自衛隊機に誘導されて 長野方面に向かったようです。 機長にしてみれば、「これで助かった」と思ったでしょう。 ところが自衛隊機は、JAL123便を助ける気など、さらさらありませんでした。 米軍にかぎつけられたことを知り、証拠品である「核」を消すために、追って来ている 米軍機だけではなく、JAL123便の乗客もろとも、すべてを消し去ろうとしていたのです。 自衛隊機は逃げまどうJAL123便を誘導し、秘密基地のある高天原(たかまがはら)まで誘い込み 待ち構えていた地上部隊のレッドアイで米軍機もろとも撃墜しました。 こうしてJAL123便は、高天原山中にある御巣鷹山(おすたかやま)の尾根へと墜落したのです。 そのやり方は徹底しています。 JAL123便とそれを追っていた米軍機はもちろん、誘導した自衛隊機、それに諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、さらに異変を察知してついて来ていただけのロシア軍の スホーイまで、ことごとく撃ち落したのです。 自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いました。 事故直後から「おかしい」と気づき、山に入って調査した人がいて、当日、山を縦走していた 登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。 それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が 多数聞こえていたそうです。 しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。 そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音が ピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。 このヘリコプターの行動について、生存者を残さないために、現場にを撒いたのでは ないかと、複数の専門家たちが分析しています。 その後、事故を目撃した地元の有志たちが生存者を救うべく入山しようとすると すでに自衛隊がバリケードを築いており、近づくことができなかったと証言しています。 なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。 それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。 おそらくその時すでに、核兵器の残骸などの「証拠品」は回収され、闇に葬られたのでしょう。 何が真実で、誰が見方で、敵が何者か、その実態は正確にはつかめませんが 大きな陰謀が存在することは確かのようです。 ちなみに、JAL123便が墜落したのが8月で、その翌月の9月に、ニューヨークのプラザホテルで 先進5カ国(G5)による合意がなされました。 世に言う「プラザ合意」です。 アメリカを救うべく、円高ドル安への国際協調が取り決められましたが 日本は想定される円高不況を乗り切るために、金融緩和へと動きました。 つまり公定歩合を下げ、低金利政策を採用し、通貨供給量を大幅に増加させ、社会にお金が ジャブジャブだぶつくようにして、景気後退を防ごうとしたのです。 その結果、日本は狂乱のバブル景気へと突っ走ることになりました。 JAL123便の520人の犠牲者 先に述べましたが、「JAL123便」は核を積んでいたために撃ち落されました。 そのとき巻き添えになった520人の乗員、乗客の無念は計り知れません。 これも神の計画の一端であるといわれても、あまりにも無残です。 しかし本当に、彼らは無駄に犠牲になっただけなのでしょうか? なぜJAL機は、高天原に落ちたのか?なぜ123便であったのか? なぜ犠牲者は520人だったのか?そこには理由があるはずです。 そこは 高天原という、特別な名前のついた山でした。 周知のように、そこは古事記において、天津神(あまつかみ)が住まうとされる 神聖な場所を意味します。 123=「ひふみ」は、神事を表す特別な数字であり、残酷なまでの情報隠滅作戦にもかかわらず 結果的に524人の乗客のうち4人が生き残り、犠牲者が520人となったことなど 偶然の一致では片づけられない不思議な符号が、本当の理由を教えてくれました。 この世界には偶然というものは存在しません。 ですからそこには大きな意味があります。 行き着いたのは、 高天原にある神社の両脇に眠る520体の石仏でした。 その神社のご神体は、 国常立尊です。 古代日本の王であった国常立尊は優れた人物でしたが、厳格すぎる性格が災いして 家臣に恐れられ、暗殺されました。 そして、暗殺された国常立尊の首が流されたのが神流川(かんながわ)、胴体を流したのが荒川 暗殺者が返り血をすすいだ時「くまなく血で染まった」のが千曲川(ちくまがわ) そしてその三つの川の源流こそが、 高天原です。 その神社に国常立尊が生き返るようにと、昔の人たちはコツコツと石仏を納めました。 そして 納めた520体の石仏に、JAL123便で命を落とした520人の御霊(みたま)が入った瞬間 国常立尊が蘇えるという伝説があります。 この伝説を知る地元の人々は、JAL123便の事故のニュースを見た時、犠牲者が520人だったと わかって、 「あぁ、この人たちが神様を蘇えらせてくれるのだ」と悟ったそうです。 JAL123便の巻き添えになったロシア軍のスホーイは、まったくの偶然で巻き込まれたのでした。 JAL123便が米軍機に攻撃された静岡の焼津周辺には、ツナ缶の工場があります。 そこでは原料のツナをロシアから輸入しており、その積荷が降ろされるのが焼津漁港なのです。 ですからロシア船で日本に原料のツナが運び込まれる時には、護衛のためにロシア空軍の スホーイが上空から船に追尾することが慣例になっていました。 この日も、ちょうど船の入港日であったために、たまたまロシア機が上空にいたとき JAL123便の尾翼を攻撃した米軍機の機影をとらえたようです。 これは何かあるに違いないと、スホーイのパイロットは密かに後をつけた結果、自衛隊と 米軍機の交戦に巻き込まれてしまいました。 この事実は、JAL123便の乗客が機内から撮影したカメラに残されていました。 しかしカメラの持ち主は亡くなってしまいましたが、墜落現場にフィルムが残されていて 調査をしていた地元の人が持ち帰って現像したところ、飛行機の窓越しに空ばかり映した写真が 何枚も出てきました。 カメラの持ち主は白浜あたりで、窓越しに光る物体を見つけたようです。 その後も追いかけてくるスホーイを不審に思ったらしく、ロシア機が見えるたびに何度も 撮影していました。 写真の背景にわずかに映っている景色を分析した結果、飛行機が実際に飛んだルートが 推測できたのでした。 それだけ徹底した殲滅(せんめつ)作戦を展開したのは、重大な秘密がJAL123便にあった ということです。 提供: zeraniumのブログ ついに歴史の真実に目を向ける時が来たようです。 日本は既に核兵器を保有しており、JAL123便は核弾頭を輸送していたため撃ち落とされた という事実です。 提供:黄金時代へ・日本の黒い霧 来年の大河ドラマの明智光秀って知ってる? とうとう正体がわかっちゃったのよ!
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