西鉄バスジャック事件 【2000年5月3日13時35分ごろ】 「天神には行くな、このバスを乗っ取ります」 乗員乗客22人が乗った佐賀県佐賀市の佐賀駅バスセンター発 福岡県福岡市の西鉄天神バスセンター行きの西日本鉄道の高速バス『わかくす号』が九州自動車道太宰府インター付近で刃渡り30センチの牛刀を持った 17歳少年 Xに乗っ取られた。 少年は男性客5人を最後列の席に移動させ、前の席に座っていた女性客 当時34歳 にも席の移動を命令。 しかし、この女性客が眠っていて気づかなかったため少年は彼女の首を切りつけた。 呆然とする乗客に少年は次々と指示を出し、補助席を倒し乗客の動きを封じるなどその行動は計画的だった。 少年は「あなたたちの行き先は天神じゃない。 地獄です。 」と言い、運転席後ろの女児 当時6歳 の隣に座ると、運転手に牛刀を突き付け西鉄天神バスセンターには行かず九州自動車道をしばらく走行するよう脅した。 【事件発生から1時間12分】 福岡県門司IC インターチェンジ 手前のバス停でバスは初めて停車。 少年は、トイレに行きたいと訴えた乗客に1人ずつ行くよう指示、乗客が絶対に逃げないよう「もし逃げたら1人殺す」と脅した。 まず、犬を連れた女性が犬のケージを抱えてバスを降りたのだが、 なんとその女性が逃げだした。 怒りをあらわにした少年は、見せしめのため女性客Yさんの顔と首を切りつけた。 少年は、乗客に連帯責任だから逃げないよう命令、逃げたら刺すと告げた。 【事件発生から1時間24分】 犬を連れて逃げた女性の通報により、ようやく事件が明るみになった。 その後、バスは九州自動車道から中国自動車道に入ったが、中国自動車道 小郡IC付近を走行中、30代の女性がバスの窓から飛び降りていた。 それを知った少年は、女性客Tさんの首に何度も包丁を振り下ろしたのだった。 山口県小郡IC付近で飛び降り負傷した乗客が警察に発見され、この乗客の証言によりバスで負傷者が出ていることが判明。 【事件発生から2時間46分】 通報を受けた警察は下松SA サービスエリア で道路を封鎖。 バスは下松SA付近で警察車両に行く手を阻まれ、この時減速したバスから身を乗り出した乗客1人が警察に救出されている。 この頃、マスコミ各社が事件の報道を開始。 この男性乗客が救出される瞬間はテレビで中継された。 速度を落としながらパトカーをすり抜けていったバスの中では、さらなる凶行が! 3人目の逃亡者が出たことで怒った犯人が再びTさんを切りつけたのだった。 そして少年は、別の女性客の前に行くと「次に誰か逃げたら あなたを殺す…」と脅した。 そして、警察が動き出したことを知った少年は驚くべきことに自分の携帯電話で警察に電話。 なんと拳銃を準備するよう要求したのだが携帯電話の番号から犯人の素性が明らかとなる。 犯人は佐賀市に住む 17歳の少年と判明。 中学時代の成績はクラスで上位、まじめな生徒だったが高校進学後1週間ほど登校しただけで不登校となり…その後、自主退学していた。 犯人の少年は、事件が起こる3ヵ月前から、自分の部屋に鍵をかけ閉じこもるようになり猟奇犯罪のホームページに没頭していたという。 その後、バスは広島方向へ。 広島県へ入ったバスは山陽自動車道を東へと走り続け… スポンサーリンク 【午後5時24分】 広島市安佐南区の武田山トンネル付近で停車すると男性客全員を解放した。 この時、初めて少年は、まるで盾にするかのように6歳の女児の首に包丁を突き付けた。 そのため男性客は犯人の少年に手を出すことができなかった。 女児に包丁を突きつける犯人の少年の姿はテレビ中継され、GW ゴールデンウィーク の行楽ムードは一転、日本全国に戦慄が走った。 こうして車内の人質は運転手と負傷者を含める14人の女性客となった。 【午後5時50分】 バスは東広島市の奥屋PA パーキングエリア に入り停車。 広島県警機動捜査隊の隊長が説得し、奥屋PAに停車してから2時間が経過した頃、犯人の少年は差し入れを提供するという条件で負傷した人質3人を解放した。 最初に襲われた女性と、次に襲われたYさんは重傷。 Yさんの友人で犯人の少年に何度も切り付けられたTさんは病院で死亡が確認された。 この事件は、日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となった。 【午後9時36分】 バスは再び動き出した。 残る人質は運転手と女性客11人。 バスは山陽自動車道上り線に戻り奥屋PAから岡山方面へ向かった。 交通規制が敷かれ、この上り車線を走っているのは警察車両と、それに挟まれるように走行しているバスだけに。 その後、犯人の要求で簡易トイレが差し入れられることになりバスは東広島市の山陽自動車道小谷SAで停車した。 犯人の少年は燃料と引き換えに人質1人を解放。 広島県警は簡易トイレのほか、食料や毛布などを乗客に差し入れ、少年の家族も説得の為に現場に到着したが少年はそれを拒否した。 停車したバスの中、残る人質は運転手と女性客10名。 犯人の少年は乗客らに寝ていいと告げるとバスの電気を消した。 しかし、恐怖に耐え続けている人質の女性らは全員、眠ることなどできず… また、警察の少年への説得は一向にうまくいかず…人質たちの疲労はピークに達していた。 もう残された道は、一つしかなかった。 スポンサーリンク 強行突入 警察は同じ型のバスを用意、特殊急襲部隊SATが緊急招集され突入シミュレーションが行われた。 【5月4日 午前4時30分】 小谷SAに停車したバスの近くでは、車の陰で突入の準備が開始されていた。 バスの後ろにライトバンが移動し、車の陰に隠れた突入部隊がタイミングをうかがっていた。 【午前 5時3分】 小谷SAに停車した車内に隊員が強行突入。 6歳の女児を救出し、その後も次々に人質の女性らを救出。 発生から15時間30分で人質らは全員救出された。 【午前5時5分】 犯人の少年を現行犯逮捕。 この事件が起きる2日前にもある事件が起きていたのです。 【2000年5月1日】 愛知県豊川市で当時17歳の少年が老夫婦を殺傷するという 『豊川市主婦殺人事件』を起こしています。 この少年は主婦を40ヵ所も刺し命を奪い、夫にも重傷を負わせ逮捕されました。 この少年は 「人を殺す経験をしたかった」と供述……何を言ってんだ!と言いたくなるほど気味の悪い犯行動機です。 実は、西鉄バスジャック事件の犯人 少年Xは『豊川市主婦殺人事件』について、日記に次のように記していました。 すばらしい しかも僕と同じ17歳とか… よい風潮だ 僕も今日実行する なんか何か運命的なものを君とは感じるよ 歳も一緒 学校では優等生… 西鉄バスジャックの犯人の少年が語った犯行動機は「世の中に腹が立っていた」「世間に注目されたかった」。 動機や目的が世間の理解を超えた17歳の凶行は、ぬぐい去れない暗い影を社会に落としました。 佐賀家裁は同年9月、西鉄バスジャック事件の犯人17歳少年Xを京都医療少年院送致の保護処分としました。 2014年7月20日に福岡県で起きたバスジャック事件では、事件発生の5分後にSOS緊急信号が発信され、わずか30分で犯人の身柄を確保しています。 乗客1人を殺害、4人に重軽傷を負わせた犯人は、わずか17歳の少年でした。 なぜこのような恐ろしい犯罪を犯したのか… 当時、犯人の年齢にも驚きましたが、もっと衝撃をうけたのが犯行動機。 「世の中に腹が立っていた」「世間に注目されたかった」という、私には理解不能な動機でしたが、この事件の後も「誰でもいいから人を…」などを理由に人を傷つける事件は多く起きており最近では気味の悪い犯行動機を聞いても驚かなくなってしまいました。 さて、気になるのが 西鉄バスジャック事件のその後。 犯人の少年Xは京都医療少年院に送致されていましたが、調 べてみるとすでに退院して社会復帰 しているんですね。 被害者感情を考えたら早い…など、いろんな意見があると思いますが、この事件で気になるのは犯人から包丁を突き付けられた6歳の少女や切り付けられ重傷を負った方たち、そしてご遺族の方たちのその後。 6歳の少女は福岡市の祖父母に会うため一人でこのバスに乗っていたそうですが、心の傷は癒えているのでしょうか。 佐賀新聞の記事によれば、亡くなったTさんの息子さんと顔や首を切られ重傷を負ったYさんは、少年Xの更生を願っているといいます。 Tさんの息子さんは、Xが社会復帰する1年ほど前に医療少年院側から面会を要請されたそうですが、それは固辞。 墓参りは構わないと答え手紙は受け取り母親の仏壇に供えたそうです。 Tさんの息子さんは 「手紙に書いたことが本心なのかは、その後の行動で分かる。 ただ、本当に更生したのならば、母も僕も許せるかもしれない。 一方、Yさんは矯正教育の一環として京都医療少年院で少年Xと3回面会しており、少年はYさんに謝罪しているそうです。 さいごに、亡くなったTさんのご冥福をお祈りします。
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神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の第一の事件は、1997年2月10日午後4時ごろに起こりました。 神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴム製のハンマーで殴られて1人が重症を負うという通り魔的な事件でした。 被害者の父親は娘の話から犯人が近所の中学生ではないかと思い、学校や警察に生徒の写真を見せて欲しいとお願いしていましたが、結局開示されることはありませんでした。 後にこのことが「ここで捜査をしていたら、続く事件は防げたのではないか」と批判されることとなります。 なお、この第一の事件は被害者の家族の要望もあって非公開とされていました。 この第一の事件が起こる前の5月15日から、犯人である元少年Aは中学校を休んでいます。 その代わりに、母親とともに児童相談所に通い始めています。 これは、5月13日に同級生と喧嘩をして歯を折るなどの怪我を負わせたためによる措置でした。 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の第二の事件は、1997年3月16日午後0時25分ごろに起こりました。 犯人の元少年Aは竜が台の公園で山下彩花ちゃんに声をかけ近くの学校まで案内させます。 その後、彩花ちゃんを金槌で殴りつけて逃走します。 彩花ちゃんは病院に運ばれますが、1週間後に脳挫傷で亡くなりました。 彩花ちゃん殴打後の午後0時35分ごろ、元少年Aは別の小学生3年生の女児にもその魔の手を伸ばします。 こちらは腹部を刃渡り13センチの小刀で刺し、2週間の怪我を負わせました。 幸いにも被害者の命は助かりましたが、手術の際には1. 8リットルの輸血が必要なほどの重症でした。 第一の事件と第二の事件は、この段階ではまだ連続事件としては扱われていませんでした。 2つの事件ともに通り魔による犯行とされ、有力な目撃情報もないまま捜査は難航します。 そして神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の第三の事件は、1997年5月24日からはじまります。 犯人の元少年Aは、当時既に人を殺してみたいという欲望が高まっていました。 この日の昼過ぎに自転車で神戸市立多井畑小学校近くで顔見知りの土師淳君と出会います。 淳君は元少年Aの弟の友達でした。 カメが好きな淳君に「カメがいるよ」と近くの「タンク山」と呼ばれる高台に誘い、山頂の手前にあるケーブルテレビ用のアンテナ施設の入り口付近で絞殺し、その施設に遺体を隠しました。 元少年Aは犯行後、施設にかけられていた古い南京錠を壊すために近くのホームセンターでノコギリなどを万引きします。 そして犯行現場に戻って鍵を壊し施設内に侵入し、局舎の床下に淳君の遺体を隠しました。 犯行後、元少年Aは友達と何もなかったかのように遊んで帰宅しています。 帰宅後は疲労のためかすぐに寝てしまったそうです。 元少年Aは夜中に目を覚まし、その瞬間にノコギリで人間の首を切ってみたい衝動にかられます。 そして翌日の25日、いつものように昼前に起床して黒いゴミ袋や小刀などをもって出かけます。 ケーブルテレビ用のアンテナ施設に到着すると施設に隠してあったノコギリを取り出し局舎の床下に隠していた淳君の遺体から首を切断します。 元少年Aは持ってきた小刀で淳君の両目を突き刺したり、ビニール袋にたまった淳君の血を飲んでいます。 淳君の胴体は元の通り施設の局舎の床下に隠し、袋に入った淳君の首は少し山を降りたところにある「入角ノ池」の淵の木の根元に空いていた穴に隠します。 使われたノコギリは友が丘西公園のとなりにある向畑ノ池に投げ捨てました。 翌26日、元少年Aは淳君の首を自宅に持ち帰ります。 いすれ警察には発見されるだろうと考えていた元少年Aは少しでも警察を混乱させようと思い、淳君の首を思いがけない場所におくことを思いつきます。 それが自分の通っている神戸市立友が丘中学校であり、その中でも最も目立つ正門でした。 元少年Aは26日の昼に淳君の首を家に持って帰ります。 帰宅後、家で淳君の首を洗い終えると自分の部屋の天井裏に隠しました。 首を隠した後はベッドに横になり、捜査をかく乱する方法を考えます。 このとき「偽りの犯人像」を表現するには手紙が一番だと思いつきました。 部屋にあった「瑪羅門の家族(ばらもんのかぞく)」というマンガから「長年つもり積もった恨みを持つ人間の犯行」と感じさせる文と、別の本で覚えていた言葉を組み合わせて手紙を書き上げました。 これが淳君にくわえさせていた「酒鬼薔薇聖斗」の手紙です。 5月27日未明、元少年Aは午前1時から午前3時の間に淳君の首が入ったカバンを自転車の前かごに入れて家を出ます。 中学校の正門に到着すると首の置き方に試行錯誤し、最終的に正門前の地面に置きました。 最後に「酒鬼薔薇聖斗」の文字が見えるように手紙を口にくわえさせます。 その後、家族に気付かれないように窓から2階の自室に戻り朝まで眠りました。 起床後テレビで淳君の首が発見されたことを知りましたが、同時にタンク山に隠した胴体まで発見されたニュースも知り驚きます。 「バレるのが早すぎる」と一瞬焦りましたが報道では犯人像が自分以外の人物であるかのように報道されていたことから、操作かく乱は上手くいったと安心しました。 このとき、報道の一部で犯人の名前が「鬼薔薇」と間違えて報道されており、このことに対して怒りを感じます。 6月4日、神戸新聞社宛に赤インクで書かれた手紙が届きました。 「酒鬼薔薇」という名前を「鬼薔薇」と間違えたことに対する抗議文章でした。 この段階で捜査班は容疑者の元少年Aが学校で書いた作文の筆跡と犯行に使われた2つの手紙とで筆跡鑑定を行っていますが、一致断定までには至りませんでした。 6月28日の朝、警察は元少年Aに任意同行を求めます。 取調べ中、元少年Aは当初犯行を否定していましたが、第一の犯行声明文を見せて「君が学校で書いた作文の字とこの犯行声明文の筆跡鑑定が一致した」とかまをかけると、元少年Aは号泣しながら罪を認めました。 同日午後7時5分、殺人および死体遺棄の容疑で酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aは逮捕されました。 取調べ中に第一と第二の事件に関しても犯行を認めたため、これらの事件は同一犯による連続事件として「神戸連続児童殺傷事件」と呼ばれるようになりました。 神戸連続児童殺傷事件の犯人である、東慎一郎は小学校5年生のときから動物に対する殺害を始めています。 最初は蛙やナメクジの解剖でしたが、その後は猫が対象になっています。 東慎一郎は友人に20匹くらいの猫を殺したと語っています。 猫を殺すようになってから、東慎一郎は動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになりました。 この性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人にまでエスカレートしてしまったのが神戸児童連続殺傷事件といえます。 東慎一郎の行動や言動を危惧した両親は、中学入学後の1995年11月に東慎一郎を精神化の病院に通院させています。 診断テストや脳の検査を受けた結果、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の診断を受けました。 1997年10月13日、神戸家庭裁判所は神戸連続児童殺傷事件の犯人である東慎一郎を医療少年院送致が相当と判断し、関東医療少年院に身柄を移しました。 2001年11月27日、治療が順調であるとの判断から東北少年院に移送されます。 2002年の初夏にイジメられたこと対して暴れて抵抗し、この騒動の後、神戸家裁が2004年末まで少年院収容継続を決定しました。 それにも関わらず、2003年3月に関東医療少年院は東慎一郎の仮退院を申請しています。 当然、このことに対して被害者たちからは批判があがりました。 神戸家裁の決定や被害者の気持ちとは裏腹に、2004年3月10日、成人した神戸連続児童殺傷事件の犯人である東慎一郎は少年院を仮退院しています。 そして翌年2005年1月1日、ついに本退院が許可されました。 神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎の父親は鹿児島県沖永良部島の出身で、姉妹の多い8人兄妹だったようです。 そのためか日ごろから「とにかく今すぐ息子が欲しい」という言い方をしていたといいます。 神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎の父親の趣味は日曜大工や釣り、ゴルフ、スケート、パチンコでした。 1970年ごろに中学を卒業後、就職で神戸に来ています。 父親は神戸連続児童殺傷事件当時47歳でした。 1980年、父親が30歳のときに結婚しています。 32歳くらいから心臓を患っていたとの情報もありました。 事件後の父親から息子に対しての発言や行動から考えて、酒鬼薔薇聖斗の父親は子煩悩な性格だったと考えられます。 酒鬼薔薇聖斗の父親の現在の消息は不明です。 神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎の母親は三姉妹の次女でした。 結婚してからずっと専業主婦をしています。 次男のPTA役員を務めるなど、活発で社交的な性格だといわれていたようです。 7歳の頃に父親を亡くしたので父親の記憶がほとんど無いと回りに話しをしていたとの証言もありました。 専業主婦のわりには育児にあまり関心がなく、子供は放任主義だったようです。 お酒やパチンコにふらりとひとりで出かけていたという話もあります。 子供の教育に対しては一貫性がなく、また日ごろの行動にも非常識な点があったそうです。 また、神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎に対して、生後半年くらいから体罰を与えていたとの情報もありました。 父親と同じく、母親も現在の消息は不明です。 現在は離婚したのではないかとの話もあるようです。 神戸連続児童殺傷事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎には2人の弟がいます。 次男は東慎一郎と年子です。 事件当時、神戸市立友が丘中学校2年生でした。 第3の事件の被害者である土師淳くんのお兄ちゃんである巧くんと同級生だったようです。 大学は工学部に進学し、その後アニメの学校に通ったという話がありましたが、現在の消息は不明です。 下の弟である三男は、東慎一郎の3歳下です。 事件当時は神戸市立井畑小学校6年生でした。 第3の事件の被害者である淳くんと三男は、かつて教室で机を並べたこともある同級生で、友達でもありました。 被害者の淳くんは東家に何度も遊びに来ています。 高校は中退してしまったらしく、やはり現在の消息は不明です。 事件後しばらくして両親が離婚し、二人の弟はともに母親の旧姓に改名したという話があります。 その後3人で人目を避ける生活を強いられ、四国や和歌山を転々としたようです。 今現在は社会に復帰している神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である東慎一郎は、当時法務省によって守られていました。 「彼の更生には世間の暖かい理解と協力が重要だ。 公表は支障をきたす」とのことで、法務省からの情報は一切ノーコメントで通しています。 それどころか意図的に偽情報を流しているとも言われていました。 今現在は大人の刑法が適用される年齢が14歳になっていますが当時は16歳からだったため、報道では犯人は少年Aとされて保護されていました。 被害者よりも加害者がより強く保護されていると言われ、この事件が少年法の改正のきっかけになりました。 大人の刑法が適用されなかった犯人・東慎一郎は少年院を既に退院し、今現在は完全に社会復帰しています。 今、酒鬼薔薇聖斗は結婚しているのか、子供はいるのかなどを調べてみました。 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)をきっかけに、マスコミに対する過剰な報道も問題になりました。 少年法に守られている神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)だったため、被害者が知りえる事件の情報はすべてマスコミを通したものでした。 しかし同時に被害者とその家族はマスコミから24時間監視されて、精神的な苦痛を味わっています。 1998年2月10日には週刊誌に犯人の供述書7枚が掲載されました。 これに対し、被害者側から「遺族の心情を考慮すると、興味本位で読まれるのは辛い」と弁護士を通してコメント発表がありました。 2000年に発生した西鉄バスジャック事件の犯人は酒鬼薔薇聖斗を崇拝しており、3月に「酒鬼薔薇聖斗」と署名した犯行予告をバス営業所に送りつけています。 このように、思わぬところで神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の影響で犯罪が作り出されているのです。 加害者が未成年で未発達な年齢の場合は罰を与えるより矯正させるという考え方は、法治国家では当然の姿勢ではあります。 しかし現代社会は小学生でも片手で情報収集ができます。 そのことを考えれば刑法適用を16歳から14歳に下げただけでは済まされません。 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の犯人である酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎が今なおマスコミに追い回されるのは必至かもしれません。 それは当時の少年法の保護により、今なお罪を償っていないという印象があり、世間は今でも犯人を許していないからです。 既に第二の酒鬼薔聖斗は西鉄バスジャック事件で生み出されてしまいました。 もしかすると、キレる17歳といわれた頃から量産されているのかもしれません。 そういった意味でも、子供を取り巻く教育や地域社会のつながりがいかに大切なものかを、大人が改めて考えなければいけないと感じさせる事件だったと言えるのではないでしょうか。
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『毎日新聞』東京社会部記者・井上英介は 、2001年(平成13年)1月から少年D(当時29歳)と同居する母親と接触を図り、同年春ごろから取材を開始、2001年4月8日朝刊にて少年Dの当時の状況を記事として発表した。 記事には50通を超える反響があったが、その内容は共感・批判が相半ばし、批判には「加害者に同情的すぎる」「被害者遺族の心情を逆なでするものだ」などといったものが多かった。 一方、井上自身も「遺族の痛みは想像を絶する。 取材前に裁判記録・事件を記録したルポ・過去の新聞記事などを可能な限り調べたが、事件の惨たらしさから目を背けたかったし、取材を終えてもまだ迷いがある。 今は読者の皆様からいただいた批判を読みつつ、『罪を償うことの難しさ』を実感している」と綴った。 主犯格少年A以外の少年たちは、出所あるいは退院後にそれぞれマスコミのインタビューを受けている。 少年Bは1999年(平成11年)に刑務所を出所してから関係者の女性とを結び姓を変えた。 受刑中にパソコンのスキルを学び、出所後はIT関連の仕事をしていたが、前科が知られ人間関係に行き詰まり、退職後は暴力団の構成員になった。 (平成16年)に再び同じ足立区やで男性に言いがかりをつけ監禁し負傷させた事件()を起こし、しかも当事件を脅し文句に使うなど更生した様子を見せず、に警視庁に逮捕され、懲役4年が確定した。 2009年(平成21年)に2度目の出所をした。 主犯格の少年Aはで一定期間を過ごし、後にへ移送された。 元無期懲役受刑者・金原龍一 2009 は同じ千葉刑務所に服役していたころの少年Aについて以下のように述べている。 「明るく屈託がなく調子のいい男で、とてもあのような残虐な犯行ができるようには思えず、親子ほど年齢の離れた自分にも積極的に声を掛けてきた。 本来あれだけ酷い性犯罪を犯した者は他の受刑者からいじめられることが多いが、Aは世渡り上手だった」• 「千葉刑務所に来てから約10年後の2004年ごろには模範囚だったことからが予定されていたが、結局は刑務所側から『お前はもう満期(まで服役)だ』と通告されて落胆していた。 が性犯罪者への世論を鑑みて厳罰化のお触れを出したことに加え、共犯者の男(少年B)が別の刑務所を出所後に再び凶悪事件を起こしたことが影響したためだろう」 元受刑者Aは2009年(平成21年)に刑務所を出所した後、をして名前を変えた。 Aはのジムに通い、よく後輩をバーベキューやキャバクラに連れて行っていた。 を乗り回して高級腕時計やブランド品を身に着けていた。 「暴力団とつながりがある」「都内の振り込め詐欺グループには知り合いが多い」と吹聴し、で儲けていた。 セックスの話が大好きで、「100均の縄で女を縛るのが好き」と語っていた。 2013年(平成25年)1月、加害者元少年Aがで警視庁に逮捕された。 無作為に全国の個人宅に電話をかけ、『パチンコ必勝法』の情報料名目で現金を騙し取る詐欺グループの一員として、の銀行で金をおろす「受け子(出し子)」をしていたとみられるが、完全を貫いたため、詐欺グループの解明が出来ないまま2013年(平成25年)1月31日付で不起訴処分となりされ、その後は消息不明となった。 から14年3か月後となる2018年(30年)8月19日夕方、犯行グループのメンバーだった男(元少年C)が内の路上で通行人の32歳男性に対し、肩を警棒で殴る・首をナイフで刺すなどして殺害しようとした殺人未遂容疑で、にされたことが『デイリー新潮』()の同月21日配信記事、およびその続報に当たる『』2018年9月6日号(8月30日発売)にて報道された。 『デイリー新潮』および『週刊新潮』は、その被疑者元少年を実名報道した上で「今回逮捕された元少年は両親が党員で、29年前の事件では監禁場所として自宅を提供した人物。 刑事裁判では懲役4年以上6年以下の不定期刑判決を受けた」即ち元少年Cであること、元記者ののコメントを報道している。 なお『デイリー新潮』『週刊新潮』以外の報道機関(『』および配信の『』・『』両紙・)においては、被疑者・元少年Cの実名報道こそ行われたものの、本事件の前科については一切触れられていない。 2019年(令和元年)11月22日、から懲役1年6月、付き執行猶予3年の判決を受けた。 主犯以外の少年で他にも覚醒剤で逮捕された者もいる。 『』1989年3月30日東京夕刊第一社会面19面「女高生に乱暴し殺害 コンクリ詰め死体発見 少年数人を逮捕へ/警視庁」• 産経新聞 産業経済新聞社. 2015年8月21日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 デイリー新潮 新潮社. 2018年8月21日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 デイリー新潮 新潮社. 2018年8月21日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 産経新聞 産業経済新聞社. 2015年8月21日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 『朝日新聞』1989年6月6日朝刊東京面「女子高生殺しの少年らに花売らせた暴力団員を書類送検 東京・足立」• 『朝日新聞』1989年4月27日朝刊第一社会面31面「少年2人を家裁送り 女子高生コンクリ詰め殺人事件」• 『朝日新聞』1989年5月19日朝刊第一社会面31面「『刑事処分相当』と少年ら地検に逆送 女子高生コンクリート詰め殺人事件」• 『毎日新聞』1989年5月19日東京朝刊第二社会面26面「少年4人逆送致 女高生コンクリート詰め殺人」• 『読売新聞』1989年5月26日東京朝刊第一社会面31面「女高生監禁殺人の少年4人を起訴」• 『朝日新聞』1989年5月26日朝刊第一社会面31面「4少年を起訴 東京・足立区の女子高生コンクリート殺人」• 『毎日新聞』1989年5月26日東京朝刊第一社会面27面「コンクリ詰め殺人の4少年、『悪質、残酷』と起訴--東京地検」• 『毎日新聞』1989年8月1日東京朝刊第二社会面22面「女高生コンクリート詰め殺人--初公判『未必の故意』認める」• 『毎日新聞』1990年6月25日東京夕刊第一社会面11面「『確定的な殺意なし』と被告側弁論 女子高生コンクリ詰め殺人」• , p. 『毎日新聞』1991年7月24日東京夕刊第一社会面11面「被告の1人が上告--女子高校生コンクリート詰め殺人事件」• 『毎日新聞』1991年7月26日東京夕刊第一社会面15面「女子高校生コンクリート詰め殺人の4被告 東京高検は上告せず」• 『毎日新聞』1991年7月27日東京朝刊第一社会面27面「女子高校生コンクリート詰め殺人、3被告の刑が確定」• 『毎日新聞』1991年7月27日大阪朝刊第一社会面27面「3被告の刑確定--女子高校生コンクリート詰め殺人事件」• 『朝日新聞』1992年7月19日朝刊第二社会面30面「少年側の上告棄却 女子高校生コンクリ殺人事件」• 女性セブン2018年9月13日号. 2018年9月1日. の2018年10月6日時点におけるアーカイブ。 2018年10月6日閲覧。 , p. 219. , pp. 220-222. , pp. 223-224. 『朝日新聞』2018年8月20日東京夕刊第二社会面「首刺した疑い、埼玉で男逮捕 殺人未遂容疑」• 産経新聞 産業経済新聞社. 2018年8月20日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 日本経済新聞 日本経済新聞社. 2018年8月20日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 JNNニュース. 2018年8月19日. の2018年8月25日時点におけるアーカイブ。 2018年8月25日閲覧。 128-131• 190-193「女子高生惨殺事件 第2弾 加害者の名前も公表せよ!」• 『週刊文春』(文藝春秋)1989年4月13日号(1989年4月6日発売)p. 202-205「女子高生監禁・殺人の惨 彼らに少年法が必要か」• 『朝日新聞]』1989年4月30日朝刊時事評論4面「花田紀凱さん 『週刊文春』編集長・46歳 少年凶悪犯を実名報道(メディアの顔)」• (日弁連)会長 1989年6月23日. 2017年7月13日時点の [ リンク切れ]よりアーカイブ。 2017年7月13日閲覧。 『朝日新聞』1989年6月24日朝刊第二社会面30面「女子高校生監禁殺人事件、『実名報道は遺憾』 日弁連が談話」• 『』 : p. 132. 1989年4月13日• 『しんぶん赤旗』 日本共産党. 1989年4月7日• 『しんぶん赤旗』 日本共産党. 1989年5月20日• 『朝日新聞』1992年3月27日朝刊社会面29面「論議呼ぶ19歳容疑者の実名報道 少年法巡り異なる見方(メディア)」• 『20世紀にっぽん殺人事典』、2001年8月15日、642-643頁。 「名古屋・非行少年グループ、アベック殺人」• 村野薫(編集)、事件・犯罪研究会 (編集)『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』、2002年7月5日、612頁。 『朝日新聞』1989年4月8日朝刊投書欄• 『朝日新聞』1991年3月12日夕刊第一社会面23面「『寛大に過ぎる1審』 控訴審で検察陳述 女子高校生コンクリ殺人」• 『』1989年6月28日夕刊1面「大高緑地アベック殺人 主犯少年(当時)に死刑 『残虐、冷酷な犯罪』 共犯の5被告、無期 - 不定期刑に 名地裁判決」• 『中日新聞』1990年9月12日朝刊第二社会面30面「名古屋のアベック殺人 きょうから控訴審 名高裁」• 『週刊文春』(文藝春秋)1990年8月2日号p. 40-42「大特集 肝心なことを書かない新聞」『名古屋アベック殺人と女子高生コンクリート詰め殺人 「死刑と17年の落差」』」 『週刊文春』(文藝春秋)1990年8月2日号p. 43-44「名古屋アベック殺人被害女性の両親が激怒 十七年でも死刑でも彼らは絶対に許せない!」• 碓井真史『少女はなぜ逃げなかったか』()129-130頁• スマイリーキクチ『突然、僕は殺人犯にされた - ネット中傷被害を受けた10年間』()• 『19歳 一家四人惨殺犯の告白』、2004年8月25日、14,181-184。 小田泰之(企画・製作)、倉谷宣緒(エグゼクティブプロデューサー)、菅乃廣(脚本家) 2004年5月. 2017年6月13日時点のよりアーカイブ。 2017年6月13日閲覧。 小田泰之(企画・製作)、倉谷宣緒(エグゼクティブプロデューサー) 2004年6月1日. ベンテンエンタテインメント. 2017年6月13日時点のよりアーカイブ。 2017年6月13日閲覧。
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