本名:田代 政(たしろ まさし) 愛称:マーシー 年齢:1956年8月31日生まれ 現在63歳 血液型:A型 身長:172 cm 出身地:佐賀県唐津市生まれ、東京都新宿区育ち 出身校:芝浦工業大学工業高等学校卒 1986年頃からタレントやコメディアンとして活動開始しますが、 2000年に迷惑防止条例違反で書類送検され、その後も軽犯罪法違反容疑や覚せい剤取締法違反容疑などで逮捕され、2019年に3回目の覚せい剤取締法違反で逮捕。 (違法薬物としては4回目の逮捕) 2020年3月、志村けんさんの追悼コメントをYouTubeにアップし話題となりました。 「志村さんより僕が逝くべきだった。 」 「笑いに必要なこと、大切なことをたくさん教えていただいてありがとうございました。 他にも、リップスライム、ライムスター、冨永裕輔など、数々のアーティストを世に送り出しました。 現在、 ファイルレコードの代表取締役社長と、芸能スクール 「ジャパン・エンターテインメント・アカデミー JEA 」の名誉校長を務めたり、鈴木雅之さんのアルバムやコンサートにも参加し、アーティスト活動も行っています。 それで今夜最後のツイートは、マーチンこと鈴木雅之さん、バスの佐藤善雄さん、くわマンことトランペットの桑野信義さんの素敵なご近影が見つかったので、そっとアップさせて頂きます。 しかし、これは、リーダーが充電休養中にニューヨークで黒人と話した時に、 チャネルズとしか読んでくれなかったことから、「S」に変更したという話もあるようです。 改名理由は、はっきりと明言していませんが、 ドゥー・ワップにとらわれない音楽活動を目指すためと言われています。 カテゴリー•
次の
それ以前は、「シャネルズ」(CHANELS、後にSHANELSに変更)という名前で活動していました。 そんなシャネルズが活動を休止したのは1982年1月のこと。 果たして当時、シャネルズには何があったのでしょうか。 このような書状が各メディアに届いたのは1981年12月1日のことでした。 人気急落やメンパーが急病というのなら理解もできますが、当時のシャネルズは人気も上々。 そのため、誰もが首を傾げたのです。 この理由に対して、リーダーの鈴木雅之さんはこのようにコメントしています。 この1年間頑張ってきたけれど、僕らは正直いって器用じゃない。 音楽的にも蓄えてたものを全部はき出しちゃった。 それで2ヵ月間音楽活動を休止して、元の職場に戻って技術面でも精神面でも充電しようというのが狙いなんです。 事務所の藤岡社長も、 シャネルズは素人っぽさを持ってやっていました。 そのバックボーンは彼らが勤労青年として、職場で得てきたものです。 ところがブラウン管で生活してる間に、素人っぽさが希薄になってきた。 メンバーに危機感が出てきたので、いわばシーズンオフのような期間を取り、初心に返って職場というかアルバイトをやって、パワーアップしようというわけです。 と語ったのでした。 しかし、2ヵ月間のオフというのは少し長い気もします… 当時からサイクルが短いことでも知られている音楽界で、オフの間に人気ガタ落ちする可能性もありました。 そうした危険を冒してまでオフを取る理由があったのでしょうか。 コンサートではギャグやコントをやるが、笑いのポイントが会場と微妙にくい違ってきたんです。 もともと若いファンと同じシチュエーションに立っていたはずなのに、オチが決まらなくなったんです。 と鈴木さん。 また、流行にも敏感だったシャネルズが、感覚的に遅れてきたとも感じていました。 そして、鈴木さんはもう一つの大きな理由としてテクニックの弱さを挙げました。 個人個人のテクニック、精神面の弱さが見え始めたんです。 いつもフレーズを問違える奴がいるし、恥ずかしい話だけど譜面が読めない奴もいる。 僕らはレコードを出すためのグループではないし、もう一度働きながらレベルを上げる作業をしたいんです。 そう判断した鈴木さんは、藤岡社長と相談してオフを取ることを前年の1981年11月初句に決定したのです。 幸いテレビやラジオのスケジュールはあまり入れてなかったこともあり、コンサートを7~9月に延期して2カ月間のオフを確保しました。 では、この2ヶ月間でメンバーは何をしていたのでしょうか。 実はシャネルズはデビュー前に、川崎や蒲田で働いていました。 佐藤善雄さん(バスボーカル)はデパートの派遣店員。 田代まさしさん(テナーボーカル)はトラック運転手で、久保木博之さん(トップテナーボーカル)はガソリンスタンドの店員でした。 また、桑野信義さん(トランペット・ボーカル)と高橋進さん(ベース)はトラックの運転手、新保清孝(ドラムス・ボーカル)もガソリンスタンド店員だったのです。 出雲亮一(ギター・ボーカル)さんはアンテナ屋、山崎廣明(キーボード)は材木店で働いていました。 リーダーの鈴木さんが旋盤工だったこともファンの中では有名な話です。 このように早々と職場復帰が決まったのも、川崎や蒲田の土地柄がありました。 みんな知ってる人たちだし、心よく迎えてくれます。 と語る鈴木さん。 働きながら各人がテクニックを磨き、時間の許す限り勉強会を開いていました。 旅行に出るなんてことはしません。 2ヵ月間働いてパワーを蓄積し、3月に入ったらオフを終えてキャンプイン。 3月19日から、東京・久保講堂での5日連続のコンサートを皮切りに、全国60ヵ所でのコンサートになだれ込みます。 とコメント。 こうして1982年1月にシャネルズは活動を休止。 メンバーは昼間は旋盤工などの仕事をし、夜に集まって練習をするという生活に戻りました。 そうして宣言通り2ヶ月後に復帰し、この時に「CHANELS」のスペルを「SHANELS」と変えています。
次の当初はCHANELS(シャネルズ)として活動していましたが、1982年にSHANELS(読みは同じシャネルズ)に変更しているのです。 ただ、1980代は芸能人が改名すると言えば、売れなくなった時とかヤバイことをやって復帰するためなど、どちらかと言えばネガティブなイメージがありました。 そんな中、シャネルズは「CHANELS」から「SHANELS」へと、何の前ぶれも無しに変えたです。 この理由は何だったのでしょうか? 1982年1月1日から、3ヶ月の充電休養をとっていたシャネルズは、3月19日から5日間、復活コンサートを東京の久保講堂(1984年3月に閉館)で行ない、パワーアップしたステージを見せていました。 3ヶ月の充電効果は十分に感じられたと反響も上々だったのです。 また、コンサート最終日の2日後、3月21日には新曲「憧れのスレンダー・ガール」を発売し、シャネルズ完全復活を知らしめました。 ちなみに「憧れのスレンダー・ガール」は当時テナーボーカルであった田代まさしさんが作詞を、リーダーの鈴木雅之さんが作曲を担当した曲としても知られています。 そして、この「憧れのスレンダー・ガール」から、シャネルズのスペルが「C」から「S」に変わっていたのです。 この改名に際しては、フランスの高級ブランド・シャネル(CHANEL)からのクレームが入ったのではないか?という話も出ていました。 香水や洋服で有名なシャネルが、「シャネル・スーツの名称は自社製にしか使えない」と意匠登録保全を訴えた事件も起きていたからです。 しかし、当時のシャネル株式会社からは、「シャネル・スーツについては主張していますが、シャネルズについては、申し入れなどしておりません」とクレームを出していないとコメントしています。 また、レーベルである株式会社EPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)の独断なのか?との疑念の声も出ました。 しかし、こちらも企画制作2部の丸山部長が、「リーダーの鈴木が変えたいというので、休養あけで気分一新にもなるし、気軽にOKしました。 日本語で聞く限りは同じだし、問題ないでしょう」とコメントを出していたのです。 つまり、リーダーの鈴木雅之さんの発案だったのです。 鈴木さん曰く、 充電中にニューヨークのハーレムに行き、黒人と話し合ったけど、彼らはチャネルズとしか読んでくれないんだ。 俺たちのブラザー(黒人)に、ちゃんと発言してもらいたいのでSにしたんだ。 メンバーも納得してくれたし、俺も鈴木だし、Sでいいんじゃないの。 とのことでした。 シャネルズの「CHANELS」から「SHANELS」への改名の背景には、このような理由があったのです。 その後、シャネルズは1983年に「ラッツ&スター」に改名し、ラッツ&スターとしてのデビュー曲「め組のひと」が80万枚を売り上げました。
次の