熊本 県 心霊 スポット。 熊本県の心霊スポット&恐怖ランキング

金峰山の心霊現象&心霊体験

熊本 県 心霊 スポット

永国寺を開山した実底超真和尚が描いた幽霊の掛け軸が保管されている。 永国寺が全焼しても幽霊の掛け軸は燃えなかった。 幽霊の掛け軸の写真を撮ると何か良くないことが起こる。 幽霊の掛け軸に男性の霊が取り憑いている。 永国寺を開山した実底超真和尚が境内の池で女性の霊を目撃し、その姿を描いたとされる掛け軸が現在も伝わっていて、これが幽霊寺と呼ばれている理由です。 幽霊の掛け軸は残念ながら普段は非公開ですが、レプリカならいつでも見れる状態になっています。 実は年に一度だけ本物が公開される日があり、それは8月に行われるゆうれい祭りの日です。 本物が見たい方はゆうれい祭りの日を逃さない様にしましょう。 ちなみに今年のゆうれい祭りは8月4日 日 でもう終わってしまったので来年まで見ることができません… 幽霊寺 永国寺 に伝わる本物の幽霊の掛け軸には様々な怖い噂があります。 西南戦争の際に幽霊寺 永国寺 が全焼してしまったのですが、奇跡的に幽霊の掛け軸は無傷だったという話。 幽霊の掛け軸の写真を撮った人に不幸が続いたので、お寺に写真を供養して貰ったという話。 幽霊の掛け軸に描かれている女性の霊は成仏したものの、掛け軸に男性の霊が取り憑いているという話もあります。 駐車料と拝観料が無料なのが非常に嬉しい所ですね。 人吉市の観光マップと 幽霊寺 永国寺 の説明が書かれています。 説明を文字に起こしてきますね。 西南の役薩軍本陣跡 永国寺 明治10年2月21日、西郷隆盛は、熊本に向う途中、諸将と共に、人吉に一泊、球磨川を下って、八代に向ったが、熊本田原坂に破れ、4月27日、再び人吉に至り、ここ永国寺を本陣とした。 西郷は、一切の作戦を村田、桐野等、諸将にまかせ、時折、このあたりを散策し、時には、うさぎを狩り、或いは球磨川に漁したという。 かくて官軍が、人吉に迫るに及び、5月29日、33日間とどまった本陣を去り、狙撃隊に守られ大畑、加久藤峠を越え、小林に向った。 又、八代南郊の戦いで傷ついた、人吉藩士、別府晋介等は、ここで治療をうけており、臨時病院ともなった。 幽霊寺 永国寺 は西南戦争の時に薩摩軍の本陣にもなっていました、その時に全焼してしまうのですが、幽霊の掛け軸はなぜか無事なんですよね。 その火災以外にも何度か火事に遭ったそうですが、無傷だったと言われています。 何か特殊な力が宿っているのでしょうか? 海外にも何度火事になっても燃えない「泣く少年の絵」という呪いの絵があるので、そんな感じでしょうか? では境内へ入っていきます。 幽霊寺 永国寺 の説明看板があったので文字に起こしておきます。 永国寺 本尊は釈迦如来で、曹洞宗蓬莱山永国寺という。 第九代相良前続公が開基、一徑永就和尚が開山し、寺院の創立は応永十五年 一四〇八 とも十七年ともいい、第二代住職實底和尚の時である。 明治十年西南の役の際、約一ケ月程西郷軍の本営となったところでもある。 寺宝として有名な幽霊の絵がある。 私は実底超真和尚が開山したと書きましたが、説明看板では一徑永就和尚が開山と書いてありますね。 間違っているんじゃないか?と言われそうなので解説しておきます。 一徑永就和尚が勧請開山、実底超真和尚が創建開山ということです。 簡単に言うと実底超真和尚が開山したのですが、師匠への尊敬の思いが強く、師匠を名前だけでも開山にしようと思った訳です。 開山や開基、似たような言葉が沢山あってややこしいですよね… 宗派によっても意味が少しずつ違ったりするそうなので、私も詳しくは分かっていません 笑 周囲は墓地になっています。 木のそばにある石搭は千人塚石搭 耳塚 です。 名前で察する方もいるかと思いますが、この石搭にもかなり物騒なお話が伝わっています。 千人塚石搭 耳塚 の説明看板があるので文字に起こしますね。 千人塚石搭 耳塚 朝鮮出兵で秀吉は諸大名に手柄の証拠として討ち取った敵兵の耳鼻をそぎおとし塩漬けにし、目録を提出するように命令する。 相良二十代頼房も耳鼻千八百を秀吉に進上した。 この石搭は、その霊を鎮めるためのものと伝わる。 元は門前の千人塚に建てられていたものである。 説明を要約すると、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に相良氏が討ち取った耳鼻1800個を供養するために建てた石搭だそうです。 なんとも恐ろしいお話ですね… 霊よりも人間の方が余程恐ろしい。 大名によっては手柄を立てるために敵兵ではなく、武器を持たない民間人を襲い、沢山の耳鼻を討ち取ったという話もあります。 とても立派な門なので、写真に収まりきってません。 門の左右には仁王像が置かれています。 こちらが本堂です。 本堂に幽霊の掛け軸があるので入っていきましょう。 幽霊寺 永国寺 の御本尊は釈迦如来です。 御本尊に手を合わせ、お参りをします。 お参りを済ませてから女性の霊が出たという池を見に行ってみましょう。 これが女性の霊が出たと言われる池です。 昼間に見ると不気味な印象も無く、風情のある池に見えますが、夜に見ると雰囲気が一変するのでしょうか? これが池に出た女性の霊を描いたと言われている掛け軸のレプリカです。 恨めしそうな表情の女性の霊が描かれており、なんとも不気味な絵ですね。 幽霊画というと不吉なイメージを持つ人が多いと思うんですけど、実は反対でとても縁起の良いものなのを知っていましたか?? 幽霊には足が無いことから、「足が出ない」つまりは「お金が出ていかない」と言われていたり、泥棒が入った時にその恐ろしい絵を見て逃げ出すように描かれていたりするそうです。 お金や家を守る守護神みたいな役割があったそうです。 幽霊の掛け軸の隣に説明があったので文字に起こしておきます。 幽霊の由来 應永十五年 約五百六十年前 相良九代前續公の時代永國寺開山実底超真和尚の筆といわれている。 㺷广郡木上郷に知名の士ありて、妾さんという女性あり、不慮の死により成佛出来ず。 中有の卋に迷い、和尚の法力を頼つて、數夜にわたつて出現せしを和尚ねんごろに因果の道理を説きつゝその姿を描いたと伝えられている。 この幽霊の掛け軸にはこういう物語があったんですね。 他サイトでは心霊スポットという扱いでしたが、心霊スポットとは少し違いますね。 ここは心霊スポット探索という感覚では無くて、寺社巡りという感覚で行く方が良いかと思います。 駐車料も拝観料も無料の親切なお寺さんですし、くれぐれも迷惑を掛けない様にしましょう。

次の

熊本県の心霊スポット&恐怖ランキング

熊本 県 心霊 スポット

名無しさん 阿蘇大橋、600メートル下流で再建へ 熊本地震で崩落 朝日新聞デジタル 7月5日 火 17時26分配信 阿蘇大橋、600メートル下流で再建へ 熊本地震で崩落 熊本地震で阿蘇大橋が崩落した現場=熊本県南阿蘇村、朝日新聞社ヘリから、長沢幹城撮影 熊本地震による土砂崩れで崩落した阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)について、国土交通省は5日、元の場所から600メートルほど下流に架け直すことを決めた。 設計を終えて本格的に着工するまでには数年程度かかる可能性がある。 阿蘇大橋は1971年に開通した全長約200メートルのアーチ橋。 阿蘇から流れる黒川の高さ約80メートルの谷にかかっていた。 交通量は1日約8千台で、南阿蘇地方と熊本市中心部を結ぶ役割を果たしていた。 しかし、4月16日の本震で起きた大規模な土砂崩れで崩落した。 エボ5さん色々と自分なりに調べていますが、一家惨殺でなくて当時住んでいた奥さんだけが刺殺されたようです。 それ以前にご主人は市議会議員でしたが、車を運転中に誤って池?に転落して亡くなってます。 その後、再婚して女の子が生まれているようです。 また、前のご主人との間に息子さんがいらっしゃいます。 再婚した相手の男性のことは不明ですが、事件当時は息子さんと女の子と刺殺された奥さんの3人で暮らしていたようです。 刺殺された部屋は玄関から入ってすぐのリビング 洋間? で息子さんが発見したようです。 事件後は何度か家の整理に来ておられたようですが今は皆さんもご存知の状態となっています。 あるサイトに詳しく書いてありました。 また熊本地震で離れの建物は倒壊したもようです。 最近行かれた方が写真を載せてあります。 どうやら土地にかなり問題があるみたいで、住んではいけない場所に住んでしまったということみたいです。

次の

☆【熊本県心霊スポット特集・実話体験談】 実際に起こってしまった心霊体験3選

熊本 県 心霊 スポット

熊本市の北区植木町豊岡方面一帯を「田原坂」と言います。 明治10年、政府軍と薩摩軍が戦った国内最期の内戦、日本の歴史に残る、かの有名な西南戦争の跡地です。 元々政府軍だった西郷隆盛率いる薩摩軍、親交も厚かった政府軍の大久保利通を敵に回し、また、西郷の実弟も政府軍で、兄弟、肉親で争った悲しい戦いでもあります。 西南戦争資料館では、当時の様子が詳しく立体的に再現されています。 また資料館に隣接する田原坂公園は、昼間は家族連れやカップルで賑わっていますが、夕方頃になると一転、夏でも寒気が襲うほどです。 熊本県民なら知らぬ人はいない最強の心霊スポットとなっています。 各種アトラクションはじめ、様々な施設も多く、大人でも十分楽しめる遊園地です。 実は、ここ、お化け屋敷に、本物のお化けが出るのです。 ・・・ということは、本当の意味でのお化け屋敷ですねっ!!「ホラータワー廃校への招待状」です。 公式サイトでも、心霊スポットと掲載しているくらい有名なお化け屋敷です。 私も学生時代、このお化け屋敷(以前は「魔女の館」という名前でした)の中で、誰かに足首をつかまれ、引っ張られ、ボロボロ大泣き状態で出た事があります。 あれ以来、グリーンランドへ行っても、ここだけは、足を踏み入れることは出来ません。 【HP】 【住所】熊本県荒尾市緑ヶ丘 【アクセス】JR荒尾駅から車で10分 【地図】の地図 県南にある芦北町にある「旧佐敷トンネル」です。 この付近は、三太郎と言って、難関の峠が3つありました。 赤松太郎、佐敷太郎、津奈木太郎。 この3つの峠は、車での通行にとても険しいため、明治41年、「旧佐敷トンネル」は作られました。 このトンネルのおかげで、八代市から、水俣市までの通行が時短出来るようになりました。 昭和40年に、今の国道3号線に佐敷トンネルが開通すると、「旧佐敷トンネル」は人通りもなく、寂しい場所となりました。 掘削中に落盤事故があったようです。 また、山沿いの小道で、崖も多く、夜道はマジで怖いです。 トンネルに、向かう途中に顔のないお地蔵様、また、トンネルの北側には、幽霊坂もあります。 でも、こちらのトンネルのすごい所は、登録有形文化財に指定されているのですよ~。 江戸時代、幕府は、農民を含めたキリシタンを制圧したかったため、幕府と農民の一揆とされています。 そのリーダーが天草四郎時貞です。 この乱で、1万余りのキリシタンの(農民達の)首が3つに分けて葬られました。 そのひとつが「富岡吉利支丹供養碑」。 千人塚、首塚などとも言われています。 天草初代の代官、鈴木重成がここに慰霊碑を建設しました。 公園になっており、昼間は観光スポットで有名ですが、夕方になると、少し重たい空気が流れます。 慰霊碑なので、たくさんのキリシタン、女性や子供の泣き叫ぶ声や悲しみや恨み、いろんな感情が集まっているのでしょう。 1963年(昭和38年)に開通している高さ88mの「内大臣」。 名前の由来は、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人(小松内大臣)が、この渓谷に逃げ延びたことから、つけられました。 美しいアーチ橋ですが、昼間でも人通りがなく、ひっそりとしています。 地元の人は、心霊スポットと知っているようなので、誰も近づきません。 また、誰もいないはずなのに、人の気配や声が聞こえたり、絶対人が上れるはずがないアーチの上の方まで、足跡が続いていたり・・・。 橋の前に、お地蔵様があるのも、自殺された方の供養のためでしょう。 また、西南戦争で敗れた西郷隆盛が、33日間このお寺を本営としました。 熊本でも知らぬ人はいないお寺「永国寺」です。 1408年(応永15年(1408)開山。 かなり古いお寺で、人吉市の観光スポットになっています。 幽霊の掛け軸のレプリカは、いつでも展示されています。 夏には、幽霊祭りもあり、地元では賑わっています。 夜は熊本を代表する夜景スポットして有名ですが、実は、同じくらい心霊スポットとしても呼び名が高いです。 昔から、霊山として有名ですから、霊以外にも、木の陰が変わったり、時間が移動したり?!と、不思議なことが起こるそうです。 山頂には、金峰山神社があります。 文豪の夏目漱石の小説に登場する「峠の茶屋」が麓にあります。 近くには、剣豪の宮本武蔵が五輪の書をしたためた「霊巌洞」もあります。 金峰山には、本妙寺とうお寺もあり、そこでも霊現象が多発しています。 昔から、姥捨て山という説もあり、黒い影や老婆が出てきたりします。 また、車道はカーブが多いので、危険な箇所も多いですから、首がないライダーや無灯火のバイクなどの目撃者が多いです。 【HP】 【住所】熊本市西区河内町岳 【アクセス】JR熊本駅から、車で約30分 【地図】の地図 いかがでしたか?熊本の心霊スポットも最強なものばかりです。 熊本の歴史を感じながら、昔の人々の深い苦しみや悲しみが感じられます。 昼間は行けても、夜は危険ですから、行くのは怖すぎます~。 決して、遊び半分で行ってはいけません。

次の