キャシー中島の長女。 【キャシー中島に聞く】モデル時代、勝野洋との結婚、長女の死、皮膚がん…波瀾万丈の人生を赤裸々に でも涙は見せたくない(1/13ページ)

キャシー中島の病気は皮膚癌だった!長女・次女の娘や夫の今現在は?【徹子の部屋】

キャシー中島の長女

キャシー中島さんのプロフィール 名前:キャシー中島 きゃしー なかじま 本名:勝野八千代 出身地:米国ハワイ州・マウイ島 生年月日:1952年2月6日 年齢:65歳 執筆時 現職:タレント、キルト作家 所属事務所:株式会社スタジオ・ケイグループ キャシー中島さんは1952年にアメリカ・ハワイのマウイ島に生まれます。 父親はアイルランド系のアメリカ軍人、母親は日仏ハーフの日本人です。 1969年にレナウンのCMでモデルとしてデビュー。 1972年には『銀座NOW!』のアシスタントを務め、司会のせんだみつおさんと共に人気を博します。 女優転向を視野に入れ、ドラマに進出しようとしますが、1973年のドラマ『雑居時代』で共演した杉田かおるさんから、 「ねぇねぇ、お姉ちゃん。 演技下手ね。 女優に向いていないんじゃない」 と言われてしまいます。 チャンネルNECO、明日朝8時、『雑居時代』第24話。 当時、杉田かおるちゃんはキャシー中島さんに「ねぇねぇ、お姉ちゃん。 演技下手ね。 女優に向いていないんじゃない」と、マイクが入っていない時言ったそうです。 キャシーさんはそれがきっかけで、女優を断念しタレント活動に専念したとのこと。 なお、2人はそれから40年以上を経た2016年のTBS『7時にあいましょうSP』にて対面し、和解を果たしています。 以後、『爆笑パニック! 1979年には俳優のさんと再婚しています(モデル時代に一度結婚していた)。 再婚後はしばらく芸能活動から遠ざかりますが、1980年出版の林寛子さんとの共著『キャシーと寛子が月見草でいきいきやせた 西田式月見草減量法』を契機に芸能活動を再開。 また、ハワイアンキルトの第一人者としても知られ、キルト作品の販売、本の出版など、幅広く活躍しています。 次ページ:キャシー中島さんの長女・勝野七奈美さんと次女・勝野雅奈恵さんについて.

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勝野洋・キャシー中島の長女29歳で死去/芸能/デイリースポーツ online

キャシー中島の長女

1番良いなと思ったのは、お金を結構大事にするんですよ。 なぜかって言うと、あまりお金をあげたことがないの。 だって御殿場の家のところには使う場所がなかったのね。 使うときには車で連れて行ってもらうか、自転車で30分ぐらいこいで行くしかないの。 でも、それはできないじゃないですか。 だからお金をあまりあげないから、例えばお年玉とかで1000円とか2000円とかもらうと、『1000円もらった、2000円もらった。 ママどうするの?どうするの?』って言うぐらい。 それは高校生ぐらいまでそうでしたね」 -東京に引っ越されたのはいつ頃ですか?- 「97年、私が45歳のときです。 東京に出てきてからは外に行けば何でも買えるので、『自分のお金』のことを言うようになったんですけど、『昔預かってもらったお年玉どうなっているの?』って聞かれたときには『あれはあなたの学費になった』とか、そういうふうに言いましたけどね(笑)。 子どもたちにとって最高の金額がおとなになっても5000円でしたからね。 だから娘を亡くしたときに私がビービー泣くじゃないですか。 そうすると『おかん泣いたら5000円取るからね』って。 罰金も5000円。 5000円以上言ったことないの(笑)。 だからお金の大切さとか、基本的なことは教えられたかなぁと思います」 -2009年には七奈美さんが肺ガンで亡くなりました。 まだ29歳という若さでした- 「まさかうちにそんなことが起きるとは思っていなかったので、娘が亡くなったときには、もう針も持てないかもしれないと思いました。 でも、娘が好きだったオレンジ系の色の作品だったらできるかなと思って、やってみたら娘と話をしているような感じでできたんです。 だから娘が好きなオレンジ色のキルトを作ろうと思いました。 2015年にスイスの男性と結婚。 2016年、キャシーさんにとって初孫となる女児が誕生する。 -今、お孫さんは一緒に住んでらっしゃるのですか- 「2世帯住居になっている2階部分に住んでいるんですけど、毎朝9時くらいになると『ばぁば』って上がってくるので付きっきりの状態。 孫中心の生活ですよ。 子どもたちも小さいときはそういう状態だったんですよ。 でも、丸一日一緒にいて『ダメなことはダメ』って私が言うので、『ばぁば、ちょっと厳しい』と思っているみたいですよ(笑)」 -手芸に関してはどうですか- 「デザインを書いていると手を出してきたり、カットし終わった布をバラバラにしたりしているので、きれいな色が好きみたいですね。 私はきれいな色しか作らないので。 だからそれが好きなのかもしれない」 -DNAが受け継がれているんでしょうね- 「そうですね。 俳優、タレント、手芸家、デザイナーとして活動を始め、キャシーさんとタッグを組んで仕事をすることも多く、さまざまなコラボ企画も誕生する。 だが、2016年、七奈恵さんを亡くした悲しみを抱えながらも、家族一丸となって前向きな生活を送り始めていた勝野家に新たな悲劇が降りかかる…。 -一昨年皮膚ガンの手術をされたということですが、どういう状態だったのですか- 「2年位前に左の頬に赤いポッチができて、それがだんだんカサブタがつくようになったのね。 それでかさぶたになると治ると思うじゃないですか。 でもかさぶたが取れてもグジュグジュしていて治らないの。 それが何回かあって、厚いかさぶたになってきたから、もしかしたら悪い病気かなぁって思って。 皮膚ガンだとゴソッっと切除すると聞いていたから、顔だし、もうどうにもならないなぁって。 娘と息子は『とにかく早く病院に行って、診てもらって』って言うんだけど『もし皮膚ガンだったら?』って言って嫌がっていたの。 そうしたら勝野が『ママだったら大丈夫だよ。 傷跡もチャームポイントになるよ』なんてワケの分からないことを言って(笑)。 それで病院に行ったら『基底細胞ガン』という、上の方にできるガンで、中のほうには浸透しないガンだと言われたんです。 でも、ほかにできる可能性があるので、念のためにえぐり取ってもらって。 それで石鹸で顔を洗えと言われたので、言われた通りにしていたら、えぐり取られて穴のようになっていたところも肉が盛り上がってきて目立たなくなってきました」 -今はもうほとんどわからないですね。 でも、勝野さんすごいですね。 傷跡もチャームポイントになるからってすぐに言えるところがステキです- 「そうですね。 『もうあまり気にしないで平気だよ』って言われたときには楽でしたね。 命に関わるガンではなかったのでホッとしたんですけど、できやすいということはわかったので、定期的に検査してもらいに行っていますし、その辺はすごく気をつけるようにしています」 -勝野さんはご自宅の屋上のステキな庭園の整備も担当されているそうですね- 「そうなんです。 私は言うだけ。 私が言って勝野が動くの。 ただ、とにかくすごくダジャレを言うので、それに反応してあげないとちょっとすねちゃうの。 キャシーさんとイベントに登場する長男の洋輔さんにもお話を聞かせていただいた。 -5年8カ月もフランスに留学されていたのですね- 洋輔さん「そうです。 もの作りが好きなので、やっぱりせっかく行くんだったら、何かスキルを身につけて帰ってきたいと思って」 -洋輔さんもお母さんが刺繍をしたり、パッチワークをしている姿は、ずっと見てらしたわけですよね- 洋輔さん「もちろん見ていました。 小さいときにスキーとかサーフィン、水泳など習い事をしているとき、待っている間、ずっと縫っているので。 水泳のときは上から見られるようになっているんですけど、パッと上を見ると、ずっと縫っていて、たまに目が合うという感じでしたね」 -3人のお子さんの中で、一番物を作るということに興味を持ったのが洋輔さん?- キャシーさん「みんなそれぞれには作ったんだけど、向いてなかったのね(笑)。 向いていたのが洋輔だった」 洋輔さん「うちは女性をたてる、女性優先、レディーファーストな家なので、姉ちゃんたちが作り始めて。 それで、姉ちゃんたちが作りきれなかったものが全部僕に回ってきていたので、根気があって、最後まで作りあげるのが僕だったという感じですね」 -物を作ることに関してキャシーさんから何か言われていました?- 洋輔さん「物作りに関しては、放置されていたというか、好きに作ってみたら?という感じで、見せると『良いじゃん』って言われることが多かったですね」 -ほめられるとやっぱりうれしいでしょう?- 洋輔さん「うれしいんだけど僕の性格から行くと、ものすごくあまのじゃくなんですよ。 だからダイレクトにほめられると、『裏ではどう思っているんだろう?』って考えちゃうんですけど、おかんの場合は『まぁ、いいんじゃない』って言った後に、僕が作った作品を使ってくれていたりするので、それを見ると本当に気にいってるんだなぁって思う」 -母子でコラボして作品を作るというのはステキですね- 洋輔さん「5年のブランクというか、家族と離れていた期間があるからこそ、帰ってきてからちゃんと家族と向き合って働きたいと思っていました」 キャシーさん「物を作るというのは、どんな時代になってもできることですよね。 だけど俳優さんの仕事とかタレントさんの仕事というのは、波があって、乗っているときはいいんだけれども、ある程度の年齢になるとみんな落ち着くじゃないですか。 そのときに自分の気持ちを保っていくような強いスキルを持っていればいいんだけれども、なかなかそうはいかないので、そういう意味ではそういうときにものを作っていたり、デザインしていたりとかして、そして俳優として出てほしいと言われたときには出られるという状態がいいと思うの。 昔みたいに『二兎追うものは一兎をも得ず』と言う時代とは違うので。 キャシーさん「キルトの話なんて延々としていても面白くないじゃないですか。 洋輔が一緒だと、キルトの話もできるし、ほかの話もできるから内容が広がっていくから便利なんですよ(笑)。 打ち合わせをしないのは、その時々で臨機応変にやっていけないといけるようにならないとね。 そうやってきたから、いまNHK(『すてきにハンドメイド』)で司会の仕事ができているのよ。 それがなかったらできないですよ」 洋輔さん「そうね。 そうやって鍛えてくれていたんだというのは、MCの仕事を始めてからわかりましたけどね」 -今後の活動はどのように?- キャシーさん「今回DeAGOSTINIで『キャシーといっしょに ハワイアンキルト』という通信教育のようなものをやるじゃないですか。 すごく良かったと思うの。 インスタとかブログに皆さんから『遠いから教えてもらいたくても通えなかった』というコメントがいっぱい入ってくるんですね。 でも、『これで頑張ってやります』というコメントがあって、本当に良かったと思います。 これは3年ぐらい隔週刊で続くということなので。 それにスケジュール的にも自分が行って教えてあげられなくても、皆さんがそういう形でやってくれれば楽になるかなと思っています。 あと、今年も鳥取や新潟をはじめ、美術館での展示も決まっていますし、若い人たちにもっと身近にキルトを楽しんで欲しいので、色々な提案をしていきたいですね」 -洋輔さんは?- 洋輔さん「僕は男性にプレゼントできるような作品をデザインしたりしてお手伝いしていきたいと思っています」 キャシーさん「洋輔は『KATSUNO鞄』というキルトの鞄のブランドを立ち上げたので、そういう鞄を皆さんがどんどん楽しんで使っていただけたらと思っています。 男女関係なくね。 勝野洋さんと初の親子3人共演が話題に。 今年は勝野さんの古希のお祝いの舞台を上演する予定だそう。 勝野ファミリーのパワーを結集した舞台が楽しみだ。

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勝野洋・キャシー中島の長女29歳で死去/芸能/デイリースポーツ online

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キャシー中島の長女七奈美さんが病気で死亡していた キャシーさんの長女は 勝野七奈美さんと言います。 1979年生まれ。 父親の勝野洋さんの本名である「六洋」と、母親のキャシー中島さんの本名「八千代」の数字「六」と「八」の間を取って「七」の字を用いて名付けられました。 1988年に妹の勝野雅奈恵さんとともにペア写真集『デュオ』を出版し、芸能界デビュー。 後にジュエリーデザイナーとしても活躍。 2008年11月にはヒップホップダンサーの猪田武さんと結婚。 幸せの絶頂にあった勝野七奈美さんでしたが、その直後に不幸が襲いかかります。 2009年2月、新婚旅行先の ハワイで咳が止まらなくなり、帰国後に検査したところ、肺がんが発覚。 「小細胞肺がん」という、特に進行の早いタイプの癌で、生存率わずか6%と宣告されます。 勝野七奈美さんはあくまでも前向きに、 「その6%に入ればいいんでしょ」 「治らなくても、がんに負けなければいいんだ」 と様々な治療を試しますが、額や骨など、身体の様々な部位に転移が進んでいきました。 カテーテル治療や重粒子線・陽子線治療など、様々な高額な最新治療を当たってみたといいます。 しかし、癌の進行を食い止めることはかなわず、 同年7月7日に29歳の若さで息を引き取りました。 七奈美さんは タバコは吸いません。 非喫煙者だったのです。 それなのに 肺がん宣告からわずか4ヶ月という短い期間で帰らぬ人となってしまいました。 肺がんの原因は? 七奈美さんが冒された肺がんの種類、「 小細胞肺がん」が大きく関わっています。 身体に異変を感じたのは年が明けた2009年1月末のことでした。 咳が止まらなくなったのです。 結婚式から年末と慌ただしい時期だったこともあり、「疲れているのかもしれない」なんて会話もあったかもしれません。 キャシー中島さんの自宅近くの小さな病院へ行き、 気管支炎と診断され処方された薬を持って、七奈美さんは新婚旅行でマウイ島へ行ったといいます。 帰国後の七奈美さんの咳はひどくなっていました。 そこで池尻にある大学病院で診察を受けたそうです。 病名は肺炎。 やはり、気管支炎が治りきらないまま海外へ行ったため、悪化してしまった、そんな認識でしたのでしょう。 抗生剤を処方され、「これで大丈夫」と思ったとキャシー中島さんは自身のブログに綴っています。 しかし、七奈美さんの咳は治ることはありませんでした。 鎌倉の病院に検査入院して精密検査を受けました。 検査の 結果は肺がん… 肺がんは早期に発見し治療すれば8割は快方に向かうと言われているがんです。 肺がんと診断されてもなお、キャシー中島さんを始め家族も、また七奈美さん本人も、 この時点では希望を捨てていなかったと思います。 都内に戻り、国立がんセンターでさらに調べてみると、 長女・七奈美さんの肺がんは肺がんのなかでも 最悪の小細胞肺癌であることがわかりました。 その日は勝野の35周年の特別公演を日本橋の三越劇場でやっていて、 次の日が千秋楽でしたので、誰にも言えませんでした。 (中略) もっと早くがんと言うことが分かっていたら、 こんな結末にならなかったのでしょうか。 本当に本当にがんの中でも小細胞がんは最悪ながんです。 私はただ側で見ていることしか出来ない母親でした。 肺がんのなかでも最悪のがんと言われる小細胞がんであるということがわかった日のことを、 キャシー中島さんは自身のブログで以上のように綴っていました。 小細胞がんの進行は驚くほど早く、発見されたときにはすでに全身に転移、末期の状態であることが多いそうです。 がん細胞が1箇所にとどまっている期間が短いので、 小細胞がんで手術を行うのは、極々初期の段階のみ。 肺がんの中でも最悪と言われる所以は以上のことにあります。 最後の方は往診のたびに 自宅に帰りたいと主治医に訴え、念願叶い自宅に一時帰宅で一泊した翌日、病院で容態が急変したそうです。 七奈美さんの死後、キャシー中島さんは七奈美の笑顔が思い出せない、浮かんでくるのはがんに苦しむ表情だけ…と辛い胸のうちをブログに綴っていました。 食べたいのに食べられなかったね。 のどが痛くて痛くて がまんしたよね。 最後に食べたのがピオーネ! それも一粒の半分をやっと。 母の愛情がやばいですね。 とっても悲しみを乗り越えて愛情を超越した何かを感じますね なお、七奈美さんと夫の猪田武さんは、5年の交際の後、結婚されていて、交際が始まって3年くらいから キャシー中島さんたち家族と同居していました。 七奈美さんが亡くなった後も同居は続いたとのことです。 キャシー中島さんはブログに、 武ちゃんは私達ファミリーの一員であり大切な人です! 武ちゃんが一人になりたいと言うまで、私の義理の息子でいてほしい。 猪田武は勝野家には必要な人です。 たから、一緒にいるのが自然なのです。 と記しています。 猪田武さんとキャシー中島さんのお二方は、 七奈美さんの闘病中はずっと付きっきりだったそうで、とても強い絆で結ばれていることがわかります。 現在も同居なさっているかは不明ですが、 猪田武さんは現在アクセサリーやジュエリーの製作販売、ダンス事業や音楽事業を手がける株式会社マナ・ファクトリーの代表をなさっています。 なお、 同社の副社長には勝野洋さんが、取締役には勝野雅奈恵さんが名前を連ねています。 また、妻である 七奈美さんの遺志を受け継ぎ、がん啓発のためのチャリティー事業も展開するなど、事業家として幅広く活躍しています。 夫が再婚? ネット上には、七奈美さんの夫が再婚したという噂も出ていましたが、上に書いたように、最愛の妻の意志を継いで、さらにはご家族も会社に巻き込んで精力的にご活躍されていますので、 再婚したというのはデマのようです。

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