平成オンナの大事件」と題して、2010年7月に大阪市西区で起こった「大阪2児餓死事件」を取り上げる。 ホスト遊びに夢中だった下村早苗被告が育児を放棄した結果、子どもを餓死させたことは当時、世間でも大いに注目された事件である。 現在、下村は養子縁組として中村へと性が変わると同時に、懲役30年で服役中。 下村被告は1審、2審の判決を不服として上告したが最高裁で棄却された。 最終弁論で、下村被告は幼いころに受けた育児放棄などが影響して事件が起きたものと主張。 複雑な家庭環境で育った下村被告は母親が3回変わるなど、悲惨な生い立ちに遭遇していることなどが分かっている。 中でも父親が3回目に再婚した相手は自分より年下で、父親が勤める三重県立四日市農芸高校の教え子。 事件が起きる前年に元夫と父親、それぞれに子供を預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられている。 仮にどちらかが、子供を預かってさえいれば、こうした悲惨な事件は起こらなかったかもしれない。 下村早苗は父親と母親が原因で事件を起こした? 下村早苗被告は平成18年5月、当時大学生だった羽木直樹氏と交際を開始。 同年12月に結婚し、半年後の19年5月に長女・桜子ちゃんを出産。 そして翌年20年10月に長男・楓ちゃんを出産した。 夫の羽木氏は大学を中退。 地元三重県いなべ市のデンソーへ契約社員として勤務。 その後、社内試験を受け正社員となり数年は平和な生活をしていたという。 しかし、下村被告が中学校時代の同級生と浮気をして借金を作って離婚。 夫側は離婚の際、子供2人を下村被告に押し付けた。 父親と険悪だった下村被告はその後名古屋へキャバ嬢として勤務。 だが、元同僚や客と金銭トラブルを起こして今度は大阪へ出向き「クラブリッチエレガンス」で働くようになる。 また、名古屋時代の2009年10月に下村被告は新型インフルエンザにかかっている。 幼い子どもが命を落とす可能性があるというニュースが流れていたため、下村被告は元夫と父親に子供を預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられた。 離婚後の元夫は養育費を渡さず、独身の気楽さから外車・アウディを購入。 地元の女友達と遊びほうけていたという噂もあったが、現在、再婚をして新しい家庭を築いている。 一方、下村被告の父親はラグビーで有名な下村大介監督。 三重県立四日市農芸高校に勤めラグビー部の監督・顧問を勤めていた。 父親はこれまで3回の結婚をしており、下村被告にとっては3人母親が変わったことになる。 父親の一番目の妻は、1985年に卒業した下村大介氏の教え子で、長女の早苗被告を含め三姉妹の母親。 だが、DVが原因で離婚したようだ。 2番目の妻との間には子供はおらず、2009年に3度目の結婚。 相手は四日市農芸高校ラグビー部のマネージャーだった。 妻3人とも自分の教え子と結婚したという下村大介氏は、事件後に「今でも自分を責める。 早苗が離婚した後、孫2人を預かっておけばとか。 やりきれない」と語っているが、時すでに遅しである。 娘の下村被告は小学生のときに父親と母親が離婚。 当時の母親も育児放棄し、下村被告が妹2人の世話をしていたそうだ。 結局、中学入学後、素行不良になっていくのだが、原因はやはり家庭環境にあったようだ。 下村早苗 現在は中村の性で服役中 下村早苗被告は現在、下村から中村へと性が変わっている。 それは同じ拘置所に入っていた女性が下村被告と連絡を取り続けていて、女性の夫も賛同したことから養子縁組になったとか。 また、養子縁組になったのは、実家から縁を切られたということだが、真相は分かっていない。 裁判は2012年3月16日、大阪地裁で行われた1審判決で懲役30年。 同年12月は中村早苗として大阪高裁で2審が開かれるも1審の判決が支持され、被告の控訴が棄却された。 翌年2013年3月25日の最高裁では、被告の上告を棄却。 よって懲役30年とした1、2審の判決が確定している。 下村被告は最終意見陳述の際、涙を流し「もう一度2人を抱きしめたい。 こんなひどい母親ですが、私はこれからも2人の母親でいます。 一生2人を背負って、罪を償って生きていきます」と述べていた。
次の下村早苗はマンションに長女の桜子ちゃん 当時3歳 と長男の楓くん 当時1歳 を置き去りにし、約2ヵ月間家に帰らず、子供たちを餓死させました。 寄り添うように倒れていた2人の遺体は、一部分が白骨化しており、胃の中は空っぽだったそうです。 大阪2児餓死事件が発覚する約4ヵ月前、下村早苗のマンションから聞こえる子供の泣き声に不安を覚えた近所の住民が虐待を疑い、児童相談所に通報していました。 しかし職員は何度足を運んでも、下村早苗にも子供にも会うことはできませんでした。 「子供を助けたい」という近隣住民や児童相談所職員の思いも届かず、2010年7月30日、動かなくなった桜子ちゃんと楓くんが発見されたのです。 下村早苗の父親・下村大介は長年、三重県立四日市農芸高校で体育を教えていました。 さらに下村大介はこの高校でラグビー部の顧問を務め、四日市農芸高校をラグビーの強豪校へと育て上げました。 下村大介自身はラグビーの経験はありませんが、ラグビーに対しての強い熱意があり、熱血教師だと言われていました。 強豪チームの監督ということで下村大介はたびたびメディアにも登場しています。 それほど有名な人物だったため、大阪2児餓死事件を起こした下村早苗の父親だと発覚したときは世間が騒然としました。 大阪2児餓死事件の真相が次々と明るみに出る中で、下村早苗の複雑な生い立ちは、父親の下村大介の影響もあるのではないかと囁かれるようになりました。 下村大介は3度結婚していますが、3人とも高校の教え子でした。 そのうちの1人が、まだ幼い下村早苗を置いて家を出て行った実の母親でした。 下村早苗の両親が離婚したのは下村大介の浮気が原因だったと言われています。 しかし下村早苗の暗い生い立ちに影響を与えたのは父親の下村大介ではなく、実は母親だったとも囁かれています。 下村大介が指導するラグビーチームの合宿の日に、母親はよく自宅に別の男性を招き入れていたそうです。 下村大介と下村早苗の母親が別居中の時も「夜中にお母さんがいない」と下村早苗から父親に電話がかかってくることが度々ありました。 家は散らかっており子供たちの髪はいつもベトベトだったそうです。 母親は夜遊びや不倫を繰り返した末に子供を置いて家出しました。 娘の下村早苗はそのような母の行動を見て育ったので、子供たちを心から愛することができなかったのかも知れません。 子供たちの辛い気持ちをわかっていながら、その後自分も母親と同じように虐待をしたのです。
次のスポンサーリンク• | スポンサーリンク 下村早苗• 下村早苗 2010年7月30日に発覚した大阪二児虐待死事件の犯人。 亡くなったのは下村の実子二人(3歳の女児と1歳8ヶ月の男児)。 二人はゴミだらけでエアコンもない部屋に約二月閉じ込められ、餓死した。 2012年、大阪地裁で懲役30年の判決。 続く二審でも一審判決が支持された。 2013年、最高裁で上告が棄却され、刑が確定した。 <概要> 下村は1987年、高校教師の父と主婦の母親との間に三姉妹の長女として生まれた。 父親は不良のたまり場と呼ばれた高校で名門ラグビー部を育て上げた有名監督だった。 母親は父親の教え子の一人で、高校卒業後に結婚・出産するが、夜遊びや不倫を繰り返した。 両親の離婚後、下村ら三姉妹は父親に引き取られるが、父親やその再婚相手からはあまり手をかけられなかったらしい。 小学校では優等生だった彼女は、中学入学以降、非行グループとつるむようになる。 中学卒業後は父親の手引きで関東のとある私立高校に入学する。 そこでは父親の知り合いの教師の実家に下宿した。 当初は反発した彼女だったが、卒業の頃には落ち着き、家事や礼儀作法を身につけたという。 高校卒業後、下村は地元に戻り、割烹店に就職した。 そこで当時大学生だった男性と出会い、妊娠・結婚する。 結婚後、夫婦は夫の実家に同居し、二人の子供が生まれた。 当初、下村は夫の両親とも良好な関係を築いており、子供達は両親と祖父母に囲まれて大切に育てられた。 この時期、彼女はブログを開設し、子供への愛情や幸せな生活について書いている。 しかし、2008年に二人目の子供が生まれた直後、下村は人間関係に問題を抱えるようになった。 古い友達と連絡を取るようになり、子供を家に置いて朝帰りを繰り返した。 彼女の不倫はすぐに夫やその家族の知るところになり、夫婦は結局離婚することとなった。 子供達は下村が引き取った。 子連れの下村は実母を頼った。 しかし、その実母も精神的に不安定で、子育ての協力を期待出来る相手ではなかった。 下村は実母の元を離れ、寮付きの風俗店を転々とする生活が始まった。 元夫からの養育費などはなく、両親の援助も得られない。 当然のように、子供達は育児放棄状態になった。 彼女自身が行政に相談したこともあったし、近隣からの児童相談所への通報もあった。 しかし、結局親子を救う者はなかった。 2010年6月9日、下村は子供達だけを残して従業員寮の部屋を出た。 部屋と玄関の間の戸には粘着テープが貼られ、子供達が部屋の外へは出られないようにされていた。 部屋には水道はなく、冷蔵庫は空だった。 母親が置いていったわずかな食糧が尽きると、子供達はドアホンで外部に助けを求めたり、汚物で汚れた手で壁を叩いたりした。 しかし、通報を受けた警察が彼らを発見したのは7月30日のことだった。 二人は既に餓死していた。 子供達は裸で、遺体は腐敗して一部が白骨化していた。 段ボール10箱分のゴミに囲まれ、折り重なるように亡くなっていたという。 同日、下村は逮捕された。 なお、彼女は6月下旬と事件発覚の直前に部屋に戻っていた。 しかし、子供達の遺体を発見しても通報することもせず、再び外出してホスト遊びに興じていたという。 2012年、大阪地裁で懲役30年の判決を下した。 続く二審でも一審判決が支持された。 2013年、最高裁で上告が棄却され、刑が確定した。 なお現在は支援者と養子縁組し、中村姓を名乗っている。 <ノンフィクション> 本事件を取材したルポ。 登場する人物名は全て仮名。 この事件の疑問点は、母親が実の子に対してどうしてあそこまで冷酷になれたのかだと思う。 そして、そこまで我が子が邪魔なら、どうして手放さなかったのか、ということだ。 だが、本書を読んでその理由の一端は分かったような気がした。 例えば、離婚直後、家を追い出された下村が子供二人と共に知人男性(友人であり不倫相手ではないという)宅へと連れて行かれ、ミルク代もなく置き去りにされたという不可解なエピソード。 下村がインフルエンザにかかり、父親や実家住まいの元夫に子らの面倒を頼んでも、あっさりと断られたという話。 元夫は離婚後一度も子供達に会っていないし、子供達の誕生日にお祝いのメールすら送ることはなかったという。 下村は彼らのこのような扱いに対し、「(自分や子供を)なかったことにしたいんだと思った」らしい。 困窮した彼女が助けを求めようとしなかったのは、ある意味当然なのかもしれない。 <映画> 本事件やを元にした映画『』。 <類似の事件> ・ 2006年に北海道で実子二人を放置して死に至らしめた。 ・ 2006年に秋田県で実子と隣家の子二人を殺害した。
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