大阪南部を縄張りにしたヤクザ組織・井出組の傘下の秋場組々長・秋葉吟二が、何者かによって殺された。 三ヶ月前、リゾートホテル建設という大事業に手を出していた秋場は、取引先の信用金庫のトラブルから融資を打ち切られ、苦しい状況にあった。 しかし、信用金庫の理事長・岩岡が50億円もの隠匿預金があるという情報を秘かに掴んでおり、それをネタに一発逆転を狙っていた。 秋場が殺されたのは、そんな矢先の出来事だった。 秋場を殺した犯人・玉城が捕まり、彼が秋場殺しを指示したのが井出組長だと自供した為に、井出が逮捕。 秋場を我が子のように思っていた井出が、秋場を殺める筈がない。 井出の妻・春日は、夫の汚名を晴らす為、そして秋場を弔う為に、秋場の妻・杏子や傘下・番水組組長の妻・彩子たちの協力を得て、事件の真相を暴こうと調査を開始する。 そんな折、杏子に恩義のある賭博師・東造が、事件解明の鍵を握ってやってきた。 黒幕は傘下の名越組々長・名越兼良だった。 信用金庫から50億円もの金を奪う秋場の計画を事前に知った名越は、その金を横取りするため秋場を殺害、そして井出を罠に嵌めたのだ。 名越は、まんまと50億もの大金を手入れた。 これを知った春日をはじめとする極妻たちは激怒。 独立をも企んでいた名越にけじめをとらせる為、組長の出所祝いと称した賭場で金を奪回。 名越の命を奪い、謀反に決着をつけるのであった。 極道の妻たち 決着の概要 家田荘子のルポルタージュを原作にそれまでのヤクザ映画では脇役が多かった女性側の視点から描いた異色のやくざ映画シリーズ。 原作本は「極道の妻たち」(ごくどうのつまたち)であり、読み方が異なる。 愛する夫を組同士の抗争や内部の謀略で失った『極妻』が自らの手で仇を取るという復讐劇。
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解説 夫を罠にはめ、暴利を貪る傘下の悪徳ヤクザに闘いを挑む、極妻の活躍を描いた人気シリーズの第10弾にして最終作。 監督は「極道の妻たち危険な賭け」の中島貞夫。 脚本は「まむしの兄弟」の高田宏治。 撮影を「鉄と鉛 STEEL&LEAD」の仙元誠三が担当している。 主演は「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」の岩下志麻。 1998年製作/116分/日本 配給:東映 ストーリー 大阪南部を縄張りにしたヤクザ組織・井出組の傘下の秋葉組組長・秋葉吟二が、何者かによって殺された。 三ヶ月前、リゾートホテル建設という大事業に手を出していた秋葉は、取引先の信用金庫のトラブルから融資を打ち切られ、苦しい状況にあった。 しかし、信用金庫の理事長が50億もの隠し財産があるという情報を秘かに掴んだ彼は、それをネタに一発逆転を狙っていた。 彼が殺されたのは、そんな矢先の出来事だった--。 秋葉を殺した犯人・玉城が捕まり、彼が秋葉殺しを指示したのが井出組長だと自供した為に、井出が逮捕された。 秋葉を我が子のように思っていた井出が、秋葉を殺める筈がない。 井出の妻・春日は、夫の汚名を晴らす為、そして秋葉を弔う為に、秋葉の妻・杏子や傘下・番水組組長の妻・彩子たちの協力を得て、事件の真相を暴こうと調査を開始する。 そんな折、杏子に恩義のある賭博師・東造が、事件解明の鍵を握ってやってきた。 黒幕は傘下の名腰組組長・名腰兼良だった。 信用金庫から50億の金を奪う秋葉の計画を事前に知った名腰は、その金を横領しようと秋葉を殺害、井出を罠にはめたのだ。 そして、彼はまんまと50億を手中に収めていた。 これを知った春日をはじめとする極妻たちは激怒。 独立をも企んでいた名腰にけじめをとらせる為、組長の出所祝いと称した賭場で金を奪回。 名腰の命を奪い、謀反に決着をつけるのであった。 ネタバレ! クリックして本文を読む 1. 2013年• 2005年• 2001年• 2000年• 1999年• 1999年• 1998年• 1996年• 1995年• 1994年• 1993年• 1991年• 1990年• 1989年• 1987年• 1986年 極道の妻たち 決着• 作品トップ• 映画館を探す• 予告編・動画• インタビュー• フォトギャラリー•
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概要 [ ] のを原作にそれまでのヤクザ映画では脇役が多かった女性側の視点から描いた異色のやくざ映画シリーズ。 原作本は「極道の妻たち」( ごくどうのつまたち)であり、読み方が異なる。 愛する夫を組同士の抗争や内部の謀略で失った『極妻』が自らの手で仇を取るという復讐劇。 製作経緯 [ ] 企画 [ ] 企画は。 東京に行くで『』に連載された家田荘子の原作を読み、家田に直接会って映画化の交渉を行う。 日下部が引かれたのはまず、さらにリアリティーが持つ非日常的な迫力に圧倒された。 日下部もそれまで多くのを手掛け、ヤクザの世界にはかなり通じているつもりでいたが、それ以上に知らない生態を体当たりで取材している。 聞けば、既にと話が進み、からも声がかかっていた。 日下部はやや強引に「おこがましいようだが、こういうものを作らせたら、東映にかなう会社はありませんよ。 しかもこの手の企画なら、わたしが一番だという自信がある。 誰にでも聞いてみて下さい」などと説得、家田を口説き落とすことに成功した。 東映社長(当時)には事後承諾の形となったが、幸い岡田社長からすんなり了承を得た。 キャスティング [ ] 1960年代のヤクザ映画全盛のには、体制に不満を持つ学生を中心に、底辺で働く若者や水商売の女性、あるいは都会の片隅で孤独に生きる人たちが多かった。 直前の1980年代半ばの日本には、代わってごく普通のOL、あるいは女子学生にも広く受け入れられる映画が要求された。 ヤクザ映画はといわれたが、方法論を変えれば打破できるはずだと日下部は考えていた。 一般の主婦やOLは、ヤクザ映画には抵抗を持ちながら、一方で見てみたいという気持ちを強く持っている。 それには、主婦やOLに違和感なく、ヤクザ映画には縁のない、テレビなどで好感度の高い大物女優を主人公に起用して安心感を与える 、ヤクザ映画とは全然関係のないスターを起用することで、ヤクザ映画に市民権を持たせたかった。 日下部は当初、「"極妻"は東映の監督陣と日本を代表する女優たちとで回していきたい」と、一作目の主演女優を、二作目を、三作目を、四作目を、五作目をという構想を練っていた。 ところが、四作目の製作が決定した際に、岡田社長が「やっぱり岩下に戻そうや」と"鶴の一声"を発して以降は長く岩下が主演を務め、"極妻は岩下"の代名詞となるほどの岩下の当たり役シリーズとなり 、シリーズ終了後も岩下が出演するCMは"極妻"ので制作されたものが多かった。 岩下は同じ監督の1982年、『』で、既に"姐御"役を経験していたが、本作では凄みの効いた低い声で「あんたら、覚悟しいや! 」とをぶっ放し"姐御"イメージを決定的にした。 岩下自身「"極妻"は自分の財産になる作品になったと思うんです。 こんなに長いシリーズ物をやらせていただいたのは、女優生活で初めてなんですね。 年代的にもう中年になってから、こういう主演作に巡り逢えるとは思いもよらなかった」と述べている。 忘れられない3本として『』(1969年)、『』(1977年)とともに『極妻』を挙げている。 岩下とともに"極妻"に欠かせない女優が。 かたせは当時テレビを中心に活動していたが、官能的で毒の部分を表現できる女優が、ヤクザの男たちの好みのタイプと判断しキャスティングされた。 映画の大役は初めてで極度に緊張して、岩下がかたせに宝石店でをはめてあげるシーンでは、かたせの手が震えて指輪がなかなかはまらなかった。 第1作ではかたせとのシーンが大きな話題を呼んだ。 最初はお色気担当のような役割だったが、次第に姐さんとともに闘う女に変身していった。 かたせは芸能生活10年目で初めて手にした大役をやりとげ、出演者の中で最多の8作品に出演し、女優として大きな成長をとげた。 かたせ以降も、若手女優のヌードや濡れ場シーンが必ず入る。 シリーズ4作目『極道の妻たち 最後の戦い』(1990年)で岩下が復帰した際に、岩下が日下部に監督にを希望した。 脚本 [ ] 家田の原作は亭主が浮気するとか、家に金を入れないなどの苦労話で、日下部の下に付いていた奈村協プロデューサーや監督の五社、脚本のも「『鬼龍院花子の生涯』のようなパワーのある、燃焼できた物の後、いまさらヤクザの嫁さんの話でもないだろう」という意見で一致。 このため東映上層部の意向は無視して原作にこだわることなく、もう一回アクションの原点に戻し、女に借りたヤクザの実録というコンセプトで脚本が書かれた。 脚本の高田は家田の原作に、当時のや高田が脚本を手掛けた三国事件(『』)を素材に物語を構成した、そういった時代を入れたから迫力のあるスケールの大きな話が出来た、と述べている。 岩下の役作り [ ] セリフ ホテルの部屋でセリフの練習をしている時に友人から電話がかかってきた際、役に入り込み過ぎて、電話を取った第一声が 「わてや」になってしまったという。 刺青 京都撮影所の俳優センターに「刺青部屋」が当時あり、専属の刺青師が朝の5時から3時間かけて岩下の背中のを描いた。 勿論実際の彫り物ではなく後で落とせるものであるが、を伸ばす際に使うがチクチクするのと、絵の具を乾かすときに塗るに刺激があり、少し痛みがあったという。 ファッション 衣装は五社監督と相談したものだが、着こなしは岩下自身が工夫したもの。 にやをすると下品になるが、岩下はあえて小さなとプチネックレスをつけた。 着物は襟首の下で合わせるのが普通だが、岩下は胸のところにがあり、ほくろを目安に襟を開けた。 また着物を着たときは内股が常識だが、歩き方も外股にし、あごを上げて上から見下すような感じで、声のトーンをなるべく下げてものを喋ってみた。 一作目はそんなに低くないが『新極道の妻たち 覚悟しいや』(1993年)あたりがかなり低い。 くわえたばこ 岩下はもともと非喫煙者だったが、役作りのために周りの同世代が禁煙を始める頃からを吸い始めた。 以来チェーンスモーカーになったが、"極妻"が終わって5年くらいでたばこをやめた。 イメージ 岩下は『』(1980年、監督)が大好きで 、"極妻"をやってるときにはいつものイメージがあったという。 『グロリア』をベースにした脚本やを自身で作り、企画を出していたが実現できずに結局諦めたが、「実現できててたら『』よりずっと早かったのに」と話している。 興行 [ ] 一作目の大ヒット以降、少しずつは落ち 、7作目あたりで1作目の半分程度の成績だった。 しかしそれとしてテレビ放映時のが高く 、も東映の劇場公開映画では当時一番のヒット商品で、二次使用でも大きな力を持つシリーズだった。 評価 [ ] 初公開時には観客は主演の岩下志麻を見て、あっと驚いた。 くわえたばこで足を組み、をあおり、「あほんだら、撃てるもんなら撃ってみい!」と啖呵を切る。 背中に刺青、懐には。 どこから見ても筋金入りの極道一家の姐さんだった。 ヤクザ映画のファンはそれまでコアな男性層だけだったが、本作は女性層にも支持された。 保身と駆け引きに明け暮れる男たちとは対照的に、意地を貫き通す"極妻"たちのかっこよさに、普通の女たちが快哉を叫んだ。 本シリーズが大ヒットした背景には、男が弱く、女が強くなっていく時代の流れがあったと評される。 公開された1986年は、職場での男女平等を確保する「」が施行された年で、闘う女を主人公にした"極妻"はそうした時代の流れと深部で共鳴していたのである。 外部からはスター監督のを起用する一方で、内部ではやといった冷や飯を食わされていた男たちを起用するなど「やる気があるのかないのか見えない点」も東映フリークからは好評だった。 五社が二作目以降に監督を降ろされた理由について、高田が日下部に聞いたら「すべて五社の手柄にするから」と言っていたという。 高田は「もし五社さんの続投に踏み切っていたら『極妻』シリーズは日本の映画史に燦然と残るの金字塔になってかもしれない。 日下部がいみじくも家田さんに力説したように、この手の危ない素材を自分の血と肉にして、大衆を興奮させるだけのに仕上げる手腕において、五社さんに勝る監督が日下部の手持ちの中にはいなかったんです」などと述べている。 逸話 [ ] は「の原作が出る以前に『山口組の姐さんたち』というタイトルの映画の企画を東映に出した。 がそれをとの対談で喋ったことがある。 しかし企画は通らず、それからしばらくして『極妻』が作られることになったので、「おかしいやないかと言うたら、わしのとこへ了解を取りにきた」と話している。 シリーズ10作目で、岡田社長が突然「これで10作になるのでやめます」と宣言し『極妻』シリーズは終了した。 岩下もイメージを引きずって、他の役がやれない恐怖があったので「よかった」と思ったという。 しかし岩下="極妻"イメージはしばらく続き、も「〇〇させていただきます」と"極妻"風に言う依頼が続いた。 しかし振り返るとやっぱり「これだけの作品をやれた、娯楽作品でこれだけのシリーズを持たせていただいたというのは、私の大きな素晴らしい財産です」と話している。 高島礼子版極妻 [ ] 劇場シリーズの完結後もで好評のため、の企画として主演で新シリーズが製作された。 しかし、レンタルビデオ主導の企画であることから予算規模は大幅に縮小され、劇場用の35ミリフィルム撮影ではなくスーパー16ミリでの撮影となり、短期間に小規模上映された。 東映ビデオと共同でが制作に関与しており、TBS系の枠などで放送されることもある。 また系でも放送歴がある。 高島抜擢の経緯 [ ] はにのCMを見たの目に留まり、に招かれ、25歳のとき『』の""役で女優デビューした。 その後、「」のCMを見た東映首脳が高島の着物姿に惚れ込み、極妻の四代目ヒロインに抜擢されることになった。 しかし歴代の主演女優に比べて、高島は当時30代半ばと若く不安視されたが、が『彼女に合わせて極妻の誕生編を撮ったらいい』と提案し、これが採用されピタッとハマった。 高島は高校時代からのファンで、『』の藤純子()や、に心酔し『』も研究していた。 高島の起用は東映社内でも大きな賭けであったが大ヒットし、岡田社長も「この子はスターになる」と手放しで喜び、高島主演でシリーズ化が決定 、高島は本シリーズを出世作とした。 逸話 [ ] 高島版シリーズ二作目の『極道の妻たち 死んで貰います!』は、高島の他、、の三人の女優が共演し、役柄的にはもらい役の東にどうしても目が行ってしまうところであったが、高島は「絶対負けるもんか」という女のライバル意識が強烈で、二人は舞台挨拶で一言も口を利かなかったといわれる。 黒谷友香版極妻 [ ] 高島礼子版は2005年の「情炎」で完結となったが、、主演で新シリーズが製作された。 配給収入7. テレビ放送は、他の東映制作シリーズが系で放送されるのに対し、本作のみ系「」枠で放送される(最近の放送は2007年12月21日)。 和田アキ子は主題歌「」で、同年の(和田が紅組司会も担当)にて紅組のトリを飾った。 川島なお美、、、中尾彬、、• 出演:、、、、、、、、、、、• 東映チャンネル. 2020年6月13日閲覧。 やのカップ麺「ごんぶと」など。 、171-172頁• 、185頁• 、179頁• ・『任侠映画伝』、1999年、274頁。。 1997年3月31日. の1997年7月14日時点におけるアーカイブ。 2016年9月10日閲覧。 zakzak. 2013年7月11日. の2013年7月14日時点におけるアーカイブ。 2016年9月10日閲覧。 2016年7月2日. の1997年7月14日時点におけるアーカイブ。 2016年9月10日閲覧。 2016年7月9日. 2016年9月10日閲覧。 「1986年邦画4社<封切配収ベスト作品>」『』(62年)下旬号、、1987年、 130頁。 「1990年邦画3社<封切配収ベスト作品>」『』(3年)下旬号、、1991年、 144頁。 「日本映画業界決算」『』(9年)下旬号、、1997年、 157頁。 参考文献・ウェブサイト [ ]• 『クロニクル東映:1947-1991』1、東映、1992年。 『クロニクル東映:1947-1991』2、東映、1992年。 五社巴『さよならだけが人生さ ー五社英雄という生き方』、1995年。。 西谷拓哉・『高田宏治東映のアルチザン』、1997年。。 『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年。。 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年。。 伊良子序『昭和の女優 今も愛され続ける美神たち』、2012年。。 立花珠樹『岩下志麻という人生 いつまでも輝く、妥協はしない』、2012年。。 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』、2013年。。 関連項目 [ ]• …ソニー・デジタルエンタテインメント・サービスによってスマートフォン用GREEにてゲーム化。 この項目は、に関連した です。
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