IT活用による教育ソリューションをご提案 さまざまなメリットがあるeラーニングは、すでに多くの企業で導入が進んでいます。 PHPのeラーニングは初期費用やシステムの維持運用費がかからないASPサービスです。 システム関連の業務は弊社が担当しますので、人事・教育部門や情報システム部門は本来業務に集中することができます。 内定者教育、コンプライアンス研修など、eラーニングによる教育ソリューションをご提案いたします。 eラーニングのメリット• 社内LANを経由して利用する場合、動画が正常に再生されないなどの不具合が生じるケースがあります。 をご覧ください。 法人のお客様にかぎり、eラーニングの体験受講をご用意しております。 ご希望の方はに必要事項と備考欄に「体験受講希望」とご記入の上、送信してください。 パンフレットの送付も承ります。 推奨動作環境 PHP研究所のeラーニングは、以下の環境を推奨しています。 管理者機能のスマートフォン/タブレット利用は、サポート対象外となりますので、あらかじめご了解ください。
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中学校1年生の生徒でもできる「英語福笑い」 英語福笑いは、正月に遊ぶ福笑いを、英語でコミュニケーションをとりながら進めていくゲームです。 福笑いをする人は、応援者の「left」「right」「up」「down」「OK」といった英語の指示を聞きながら顔のパーツを配置していきます。 英語福笑いは、簡単な英単語だけ使うので、中学校1年生でも遊ぶことができます。 英語福笑いの進め方• 模造紙大の福笑いの顔とそれに合わせた目、鼻、耳、口、髪の毛等のパーツを1組として3組用意します。 パーツの裏側にはあらかじめマグネットを貼っておきます。 福笑いの顔を黒板の左側、中央、右側の3か所にマグネット等で固定します。 生徒の席を6列にし、左側、中央、右側の2列ずつ3チームに分け、それぞれの福笑いに挑戦させます。 挑戦者は1人ずつとし、他のチームメートは応援者とします。 目隠しした挑戦者はパーツを1つずつ手にとり高く掲げ応援者に示します。 応援者はそれが何のパーツか英語で伝えます。 例えば、挑戦者が手に取ったものが鼻なら「nose」と大声で指示します。 挑戦者はパーツを福笑いの顔に貼り付けますが、不適切な場所になりそうな場合、応援者は英語で指示します。 応援者が挑戦者に指示する際の使用する英語は「left」「right」「up」「down」、それでよい場合の「OK」、次のパーツに進む際の「next」など単純な英語でよいこととします。 4~7を繰り返して、すべてのパーツ貼り付けの調整が終わったところで、挑戦者たちは目隠しをはずします。 授業者は、3つの福笑いの出来映えを5段階で採点します。 全員挑戦者を経験したら終了として、平均点の高いチームを勝ちとします。 英語福笑いの留意点 中学校3年生の場合には、バリエーションのある英語を発声させるとよいでしょう。 例えば、パーツの貼り付け場所の微調整が必要な場合は left a little bit、貼り付けるパーツの向きが違う場合は tilt it to the left や up side down、パーツを裏返しに置こうとしている時は turn it over といった英語を使わせてみましょう。 ゲームを始める前に教えておくか、黒板に書いておき生徒が参照できるようにしておくと、ゲームがよりスムーズに運びます。 英語福笑いのゲームで期待される学習効果 顔の部分を表す英単語や、左右上下を表す英語が定着します。 「OK」や「next」など、他者に英語でごく簡単な指示をすることを経験できます。 生徒への評価方法 挑戦者は、英語で指示された通りに反応できたか、応援者は正しく挑戦者に英語で指示できたかが、評価のポイントです。 中学校で数字の英語を覚えるのに役立つ「英語足し算カルタ」 英語足し算カルタは、数字の英語を覚える目的に特化したゲームです。 簡単な足し算の速さも試される中学校1年生での授業に適したカードゲームです。 英語足し算カルタゲームの進め方• クラスを5〜7人程度のグループに分けます。 取り札として片面に数字の英語を記したカードを用意します。 具体的には0〜50の各数字及び、60、70、80、90、99、100 を記した57枚のカードを用意します。 取り札については57枚を1組としグループの数だけの組数を用意します。 読み札は、three plus thirteen、thirty-one plus twenty-nine などの足し算の問題とします。 読み札の計算の答えが0〜50の各数字及び、60、70、80、90、99、100 のすべてに1枚ずつあてはまるように足し算問題を作成し57枚の読み札に記します。 読み手は教壇にたちゆっくりと大きな声で読み札を読み上げます。 競技者は読み手が読む英語をよく聞いて計算した答えの札を取ります。 より多くとったものが勝ちです。 時間に余裕がある場合は、取った数の多いもの順にメンバーをグループに振り分けて新たなグループで2回戦を行います。 英語足し算カルタゲームの留意点 読み手の生徒は、1〜100までの英語が大きな声で正しく発音できる人を選ぶとよいでしょう。 カルタゲームを行う前の授業で、読み手のオーディションを行う方法もあります。 競技者よりも、読み手の方を好む生徒もいることでしょう。 英語足し算カルタで期待できる中学生への学習効果 競技者は、数字の英語を聞き分ける練習を通して、0から100までの数字の英語の定着が図れます。 読み手は0から100までの数字の読み方に習熟します。 英語を使った簡単な足し算に慣れることができます。 英語足し算カルタでの評価方法 0から100までの数字の英語について、競技者は正しく聞き分けられるか、英語での足し算を正しく理解しているか、また読み手は正しく大きな声で発音できるかが評価のポイントです。 英語の単語の綴りを覚えるセブンブリッジゲーム 中学生なら慣れ親しんでいるトランプのセブンブリッジゲームの英単語版です。 今まで学習した英単語だけを使って遊べるので、中学校1年生から3年生まで遊ぶことができます。 英語のセブンブリッジの進め方• クラスを5人のグループに分けます。 1つのグループで使うカードはa〜zまでのアルファベット26文字について4枚ずつ計104枚のカードです。 カードを1人に7枚ずつ配ります。 残りを山札として真ん中に置きます。 配られたカードで英単語として揃っているものは場に提示します。 その際、英単語を正しく発音し、グループ内で日本語の意味が分からないものがいる場合は意味を教えます。 以下は上がりとなる例です。 上がれない場合は、順番に山札と1枚ずつ、なるべく早く上がるように交換していきます。 より早く上がったものが勝ちです。 セブンブリッジゲームでの留意点• クラスの状況に応じて、使える単語を教科書の第何章の単語に限るなどの制限をかける必要があります。 また、英単語に関する習熟度が低い場合はゲーム中教科書を参照することを許すなど状況を見て対応を判断します。 以下のような単語を解答として認めるかあらかじめルールを提示します。 ・a や i I の1文字単語 ・地名、人名や商品名の固有名詞 ・名詞の複数形、動詞の3人称単数形や過去形、過去分詞形や〜ing 形• グループの習熟度が高い場合、または単語の制限をかけない場合、1人が持つカードを7枚から増やすと、より文字数の多い単語の解答にも対応ができます。 期待される学習効果 ゲームで早く上がるには正しい綴りの知識が必要なので、繰り返しこのゲームを行うことで、単語の綴りに強くなります。 また、同グループの他の競技者が提示する単語で未知の単語があればそれを学習できます。 英語版セブンブリッジゲームでの生徒への評価方法 場に提示したカードの英単語の綴りに間違いがないか、また正しく発音できるか、日本語の意味を正しく知っているかが評価のポイントです。 中学校の英語授業の復習に役立つ語句整序ゲーム 語句整序ゲームは、英語の語句を整序して、英文を完成させるゲームです。 生徒の学習事項の習熟度を図るのに役立ちます。 語句整序ゲームの進行方法• 1人1つの文の語句整序を担当するので、あらかじめクラス生徒数分だけの英文カードを用意します。 英文はその時点での復習事項から選びます。 クラスを列ごとに3チームに分けます。 例えば1チーム10人となる場合、以下のような文の10組が、チームごとに用意されます。 1つの文は3つのカードに分けます。 以下の例は、第5文型、後置修飾、関係代名詞主格の復習を想定しています。 黒板の左側、中央、右側にそれぞれ上のようなカード30枚を順序をばらばらにして貼り付けます。 各チーム1人ずつ黒板へ進んで、1文ずつ語句整序して黒板に貼り付けます。 カードの単語については、チームごとに少し変えておくとカンニング防止になります。 リレー形式で行いより早く全文の語句整序が完成したチームが勝利です。 語句整序ゲームでの留意点 全文について語句整序が完成した場合は、黒板に縦に3列、横に10個の文、合計30の文が並ぶことになります。 黒板の大きさに比してかなりの数となること、またゲーム終了後に文の意味の確認をするなどの授業に生かすため、黒板に貼り付ける際は、まっすぐ丁寧に貼り付けるよう注意を促します。 英語の語句整序ゲームで期待される学習効果 既習のキーセンテンスの確認や語順についての再確認ができます。 学期の終わり等に英語の総復習がきます。 中学生生徒への評価方法 正しくカードを選べるか、語順は正しいか、どの程度の速さで整序した正解を得られるかが評価のポイントです。 中学校では難しい関係代名詞の英語授業も楽しくなる椅子取りゲーム 英語で行う椅子取りゲームは、鬼役の人が発する英語の指示1つで、数人または全員が移動して椅子を奪い合うゲームです。 鬼が正しくわかりやすく英語で指示できるか、また他の生徒はそれを正しく聞き取れるかがゲームの成否にかかわります。 英語の指示には関係代名詞を使うため、中学3年生の授業で取り入れるとよいでしょう。 英語の椅子取りゲームの進行方法• 10人程度のグループに分け、椅子を円形に置きます。 グループごとに鬼を1人決めて、鬼以外は椅子に座ります。 鬼に指示された生徒たちは、立ち上がって他の椅子に移動しなくてはなりません。 鬼はその隙に椅子に座ることができます。 座れなかった者が次の鬼となります。 鬼が指示する際に使う英語は次のようなものとします。 椅子取りゲームで期待される学習効果 関係代名詞 who の使い方に慣れることが一番の学習効果です。 鬼になると何とか座っている生徒を移動させようと、他の生徒に通じる英語を表現しようとするため、アウトプットの練習になります。 鬼でない生徒は、鬼の指示を懸命に聞こうとするため、リスニングの練習になります。 英語の椅子取りゲームでの評価 関係代名詞 who を正しく使えたか、鬼はわかりやすく指示できたか、他のものは指示を正しく聞き取り命令に正しく従えたかが評価のポイントです。 関連サイト — 文部科学省 — 佐賀県教育センター — 神奈川県立総合教育センター 中学生の英語力アップにはweblio英会話がお薦めです.
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2001(平成13)年2月8日、(財)日本規格協会のホームページに「視覚障害者誘導用ブロック等の突起の形状・寸法及びその配列」の日本工業規格・JIS(案)が公開された。 この公開によるパブリックコメントを受けて、3月22日、「視覚障害者誘導用ブロックJIS原案作成委員会・第3回委員会」が開催され、一部修正のうえ、JIS案が最終的に決定された。 私も当委員会の委員として末席に参加させていただいたことを光栄に思っている。 この原案は工業標準化法に基づいて、日本工業標準調査会の審議を経て、日本工業規格として平成13年9月20日、経済産業大臣により制定され同日、官報公示された。 思い起こせば、記念すべき点字ブロック第1号が岡山市の国道2号線に敷設されたのが1967(昭和42)年3月。 以来30余年は、その普及に専心した年月であった。 その間に考案者、三宅精一は志半ばにして1982(昭和57)年、病に倒れ(享年57歳)、精一の友人として、また良き理解者であった(福)日本ライトハウス元理事長の岩橋英行氏も1984(昭和59)年に亡くなられるという無念の時を体験した。 そして21世紀を迎えたいま、その点字ブロックがJIS化に至ったことは実に感慨深いものがある。 それは手塩にかけたわが子がようやく一人前になって世に認められ、30年余にして"成人式"を迎えるような思いである。 私にとって点字ブロックのJIS化実現は、それほどの喜びであり同時に社会的にも意義深いものがあると思う。 故三宅精一、故岩橋英行氏をはじめ草創期にこの道を拓いた方々をはじめ普及にご支援ご協力をいただいた多くの方々にあらためて感謝の念をささげたい。 点字ブロックの考案は、三宅精一と岩橋英行氏の運命的な出会いが大きく影響している。 精一は、1961(昭和36)年頃岡山市で自営業を営む傍ら町の発明家としても結構活躍していた。 中でも交通問題に関しては、特に強い興味をもち、特許を得たものも多く、試作品は100種類を超えるほどののめりこみようであった。 精一は私の実兄であり、兄の元に身を寄せていた関係で、私はその兄の生き方に共感し、補佐役として協力を惜しまなかった。 そして1962(昭和37)年から自然な流れで兄の仕事の世界に入った。 また精一と私は無類の動物好きで、多くの生き物を飼育していたのである。 とくにセントバーナード犬に興味をもち、方々手を尽くして手に入れた雌雄一つがいからセントバーナードの仔犬が生まれた。 このことを風のたよりに聞いて兵庫県西宮から岡山のわが家を訪ねてきた人がいた。 これまた動物好きの岩橋英行氏の命を受けた訓練士の方だった。 セントバーナード犬に仲介された精一と岩橋氏の出会いの伏線である。 その頃精一は、「交差点で白い杖を持った盲人が、車道を横断する姿に目を留めた時、横を車が勢いよく走り去った」という危険な場面に遭遇した。 以後精一は、「盲人の安全歩行」の課題が日夜頭を占めるようになった。 発明家精一の発想の連鎖から「点字ブロック」構想が浮かび上がったのである。 1963(昭和38)〜1964年の頃である。 その折も折、岩橋氏は家族連れでセントバーナードのいるわが家をお訪ねになり、家族ぐるみのおつきあいが進んでいった。 その岩橋氏こそ日本ライトハウスの理事長であった。 岩橋氏は日本ライトハウスのことを語り、盲人のことを熱心に語る。 すでに点字ブロック構想をあたためていた精一は、この運命的な知遇を得て、「点字ブロック」構想が一気に育っていくことになったのである。 それは私の得意分野でもあった。 建築会社勤務のキャリアを生かし、コンクリートブロックの表面に突起物を配列する。 その形状・配列・数・寸法等の図面を書き、毎日のように話し合い、地元ユーザーの意見を聴くなど多種多様の試作を繰り返した。 考案したコンクリート片のネーミングを議論した。 このことから点字をイメージした。 このネーミングは以後30余年の普及の過程で普通名詞のように使われるようになった。 要を得たネーミングで、以後の普及に大きな力になったと思っている。 岩橋氏の影響を強く受けていた精一は、盲人の「人間としての自立」、そのための「単独安全歩行」のための安全誘導システムを日本全国へ展開しようという途方もない夢をふくらませるようになった。 点字ブロックを日本の各都市・駅に敷きつめる、という壮大な夢に向かって歩みはじめた。 精一は後半の人生をこの公益的な事業にかけよう、と決心したのである。 兄精一と一心同体のように仕事を補佐していた私も同じ夢の道である。 1965(昭和40)年、自宅を開放して「安全交通試験研究センター」の看板をかかげ退路を断ってのスタートであった。 夢の実現の第一歩は、岡山県立岡山盲学校近くの国道2号線の横断歩道への敷設である。 旧建設省岡山国道工事事務所等と交渉し、点字ブロック230枚を寄贈、敷設した。 1967(昭和42)年3月、それは日本初、また世界初の記念すべきできごとであった。 その工事に先立ち、私たちは点字ブロックの一枚一枚に洗剤をつけタワシで水洗いして荷を整えた。 冷たい水の感触に気持ちをひきしめ、身ぶるいするほどの興奮を覚えた。 当時はフォークリフト等の機械設備もなく、一枚一枚を車上に積み込む。 軍手の指先はすぐ穴があき、腰の痛さもまたたいへんであったことなどがまだ体の芯に残っている。 完工渡り初め式を目前にして私たちは感想をうかがうべく岩橋氏を現場へお迎えした。 岩橋氏は未だ幼いご子息と共に来岡され、現場で何度も何度も歩行テストを頂いた。 私はその時の感動的なシーンをいまも忘れることができない。 そしていよいよ完工渡り初め式である。 盲学校の生徒たちと先生も立ち会って感触を確かめてもらった。 当日、「盲人用の横断標識お目見え」のテレビ放送や翌日の新聞に「これでもう安心」「足で知る点字ブロック」の見出しが踊った。 誕生間もない点字ブロックは、1967(昭和42)年世界盲人福祉協議会(WCWB)実行委員会に出席した岩橋氏により、点字ブロックの写真と資料で世界各国の専門家に紹介され、意見を求めた。 世界の国々には音響信号機はあったが、危険を知らせる誘導をかねた敷設物は存在しなかった。 各国の専門家は大きな興味を示し、多くの方々から意見や賞賛の言葉をいただいた。 岩橋氏はこの時の感想を「点字ブロック歩道」によせてと題して送ってくださった。 私たちは、この一文を点字ブロックの手づくりパンフレットに掲載させてもらった。 『「点字ブロック」の登場……実に画期的な問題である。 過去6回世界をまわって、こうした問題に正面からとりくんでいる国はない。 「点字ブロック」を通し、盲人の交通安全がはかられ、守るという問題を通し、盲人への関心が社会に広まるならばそれだけ盲人の閉ざされた世界は広くなり、かべは取り去られてゆく……。 「あなたのランプの灯を、いま少し高くかかげて下さい。 見えぬ人のゆく手を照らすために……」ヘレンケラー女史の言葉だが、この足をふみしめる「点字ブロック」の世界の出現で一つの輝きを増したように思うのは、あに、私一人の考えであろうか』 私たちは、世界の評価を得て、独りよがりではなかったことに安堵し、いよいよ自信と勇気をもって日本全国への敷設を!と決意を新たにしたのである。 世の中は甘くない。 点字ブロックのPR資料を全国の福祉事務所や関係省庁等に発送し、あるいは点字ブロックの実物をもって土木部等関係先を歩きまわり、ひたすら点字ブロックの意義を説き普及活動に努めた。 同時に、実績づくりのために地元岡山をはじめ京都、大阪、東京、仙台……など、各地に点字ブロックを贈呈し続けたのである。 しかし、いつまでたっても注文はおろか問い合わせの電話も鳴らない。 夜おそくなると精一も私も弱気になる。 「もう止めようか、そろそろ資金も底をついたで」 この時は深い谷底をのぞく思いであった。 既に点字ブロック考案から6年を経ていたのである。 いまにして思えば、その頃の日本は高度経済成長のまっ只中で、世界第2の経済大国にのし上がり自信に満ちていた。 反面ちょっと立ち止まってふりかえり、足元を見る心の余裕はなかったのである。 まして障害者に対して「同情」はするが、障害者を「理解」し、社会的に援助する考え方までには至らない時代であった。 日本の「福祉思想」の未成熟さは、夢に向かって進む私たちの決意の前に厚いバリアとして立ちふさがっていたのである。 1970(昭和45)年、東京都道路局安全施設課から「点字ブロック」を採用するとの電話が入った。 高田馬場一帯は盲人施設が多く、交通安全上からその必要性を感じている。 一万枚でも予算処置が可能とのことであった。 東京都は同年10月、戸塚署の協力を得て、日本点字図書館、日本盲人福祉センター、東京ヘレンケラー協会など、視覚障害者関係の施設が多く集まっている高田馬場駅東側一帯を全国で初めて「交通安全モデル地区」に指定。 点字ブロック敷設を中心に安全施設づくりを行ったのである。 都道府県レベルで東京都が先陣を切ったことになり、この流れは地方都市へと連鎖反応して広がっていった。 1973(昭和48)年10月、石油産油国でつくっているOPECが緊急閣僚会議を開いて石油の供給削減、供給制限を決めた。 安い石油依存で高度経済成長を続けていた日本は社会パニックを起こした。 石油ショックである。 トイレットペーパーの買い占めに象徴されるように日用必需品が不足するという不安から何でも買い漁る状態になった。 物価は急騰し、政府は「石油緊急対策要項」を発表し、マイカーの自粛、エネルギーの節約など「総需要抑制政策」を打ち出した。 高度経済成長に一気にブレーキがかかり、福祉型の低経済成長へという価値観の大転換が進んだ。 その中で政府も福祉に目を向けた予算をつくるようになる。 この年、昭和48年を日本の「福祉元年」に位置づけられる。 皮肉にも、石油ショックが私たちにはまさに救いの神になったのである。 1973(昭和48)年を境にわたしたちの前に立ちふさがっていたカベに穴があいた。 思想的なバリアフリー化が一気に進んだのである。 そして1974年、旧建設省道路局企画課から「道路における盲人誘導システム」の研究協力依頼の連絡が入った。 点字ブロックが専門家たちの研究対象になったのである。 精一は、「10年たってやっと点字ブロックが市民権を得るに至った」と喜んだ。 これを受けて、研究委託機関としての法人格を整える必要性が生まれ、これまでの任意団体としての「安全交通試験研究センター」は、建設省に背を押される形で「財団法人安全交通試験研究センター」として社会に責任ある存在となるべく、1974年(昭和49. 1)「福祉国家におけるシビルミニマム」をスローガンに掲げ点字ブロックの普及啓蒙事業を目的とする公益法人として再発足することになった。 法人格化にあたって、精一は株式会社等の選択肢もあったが、公益性を重視し財団法人の道を選んだ。 精一は、ここでも基本財産として私財を投入し財団の認可を得た。 財団法人安全交通試験センターは、建設省が提示した「道路における盲人誘導システム等に関する研究」の委員会メンバーとして調査研究に参加。 (受託当時には任意団体であったために法人格を有する団体でないとまずいとのことで、受託団体として財団法人全日本交通安全協会を経由する形で実質的な研究を受けもつこととなった。 )委員会の構成員は、警察庁、建設省、厚生省、盲人代表、指導者として建設省から数名が加わり、月1回調査研究討議を重ね、1975(昭和50)年3月に報告書が提出された。 研究報告書の中から、その意義について一部を抜粋して紹介しておく。 「本研究は建設省昭和49年度建設省技術研究補助金によるものであって、道路における盲人歩行誘導の実際を検討しつつ、その系統的・統一的手法と、これに使用する形状及び敷設方法等の技術的開発を考察することを試みたものである。 研究を進めるにあたり研究分野を「点字ブロック」の実験的開発研究と「盲人案内板」の実験的開発研究とに分けて行っている。 前者に関しては財団法人安全交通試験センターが、後者に関してはアルトプラスチック社が担当したものである。 しかし全体的にはまだ実用的応用の場も少なく、その施設に対する体系も確立されていない。 本研究は、盲人の歩行行動の特性を考察しながら現在までに開発されている点字ブロックの研究とこれの改良・応用、さらにこれら形状・敷設方法の合理化をも含めて、盲人の安全歩行誘導のための施設の標準化を目的としたものである」 点字ブロックはこれまで突起の形状は「点」だけで考えられていたが、本研究で初めて「線」の形状が生まれ、「点」と「線」の組み合わせによる誘導システムが考えられるようになった。 このような状況の中で、点字ブロックは盲人の残存機能である触感覚を利用して、交通の安全に役立てることを基調として考案、開発された。 」 「この点字ブロックは開発以来今日(1974年時点)まで全国で数十万枚敷設され、盲人の歩行安全に大きな効果を果たしてきたが、利用度の高まりにつれて、敷設の方法、材質、突起の形状等について標準化への要望を高めた。 今後ますます敷設が進んでいくと思われるが、批判や要望を率直に受けとめ、盲人の誘導方法の総合的見地から再検討を行い、統一性と系統性を有する実用的なものへの開発的研究が期待されるところである」と、標準化への強い願いを述べている。 旧国鉄施設局は、1977(昭和52)年「身体障害者の利用を考慮した旅客設備設計資料集」を作成、報告している。 国鉄においても、これまで個々の分野での配慮はなされてきたが、交通機関利用システムとしては統一された仕様がないまま実行されてきたのが実情であった。 そこで1974(昭和49)年度より旅客駅における身障者設備の研究というテーマを取上げ、逐年成果を積みあげてきた」とある。 その中で、視覚障害者への配慮の項では、次のように系統的なシステムとしてまとめられている。 旧建設省大臣官房官庁営繕部は、1981(昭和56)年「官庁営繕における身体障害者の利用を考慮した設計指針」を出している。 そのまえがきで、「建設省では身体障害者の利用に対する施設整備を1973(昭和48)年以来窓口業務のある官署に重点的に行ってきたが、それは主として肢体不自由者を対象にしたものであった。 本年(1981年)は国際障害者年ということもあり、身体障害者に対する社会的関心が一層高まっており、従来見落とされがちであった視覚障害者や聴覚障害者への誘導や伝達方法を検討したことなど、新しい試みが含まれている。 障害者の"完全な参加と平等"が社会的に実現されようとしている時である。 この機に種々の建物や都市の物的環境がいまいちど見直されることを心から願って止まない」と述べている。 点字ブロックが急速な普及をみる過程で、多種多様な類似品が出まわり始めて、信頼性のある点字ブロックの品質が求められる時代になった。 上記学問的研究の必要性もそこにあった。 これについて岩橋英行氏は著書「白浪に向いて」の中で指摘している。 「さて、世の中は実に見苦しいものである。 精一が苦しみ、悩み、まさに破産寸前まで追い込まれた時は、誰ひとり点字ブロックに身を傾け、注目しようとはしなかった。 それがこうして全国に普及し、主要都市に敷きつめられて、盲人の単独歩行と交通安全、社会参加への自立が叫ばれだすや、いかがわしい類似品が姿をあらわしはじめたのである。 ……利益追求のためならば、なりふりかまわず、という業者も出現した。 たとえば突起物を千鳥に配列してみたり、健常者用に開発されたノンスリップを目的としたものを盲人用に流用するものが駅などに見られるようになった。 発注する方は、いかなる経過により、これが作られたかは知らない。 ましてこの点字ブロックが世界的背景をもち、盲人の人間宣言という確固たる哲学の延長上に生まれてきたゆえんも熟知しない。 この誕生こそ「盲人たりと言えども人間である。 人間である限り、自由なる行動と職業選択の自由がほしい」といったテーマに基き、世界の盲人関係者たちが衆知を集め検討し、これを凝縮して、精一と三郎によりつくられた36点の山を持つ点字ブロックこそが真に盲人の歩行を助ける唯一のものであることを、為政者も利用者も確認しておいてもらいたい」岩橋氏の言葉は私たちにとって胸のすくような訴えであった。 まさに売れない時代だから売れる時代の到来である。 建設省の「道路における盲人の誘導システム」に関する研究委員会の中で精一は、主として「点字ブロック」の実験的開発研究分野に精力的に取り組み、これで「点字ブロック」は市民権を得る、という思いであった。 持ち前の研究開発型の性格から精一は、全国にアンケートを実施するなど、盲人の交通安全対策に対するあらゆる情報を収集し、この委員会に研究発表という形で報告している。 ここで点字ブロックが単に危険を知らせるものだけでなく「誘導」システムとして敷設する考え方を提示している。 これは岩橋氏が、1967(昭和42)年、考案したばかりの点字ブロックの資料をもってヨーロッパを廻り、意見を聞いたとき各国の代表から指摘されたことであった。 しかし、精一の体はこの頃から危険信号を発していた。 長年の過労から急性肝炎を発症。 1976(昭和51)年9月慢性肝炎で岡山大学病院に入院した。 私はほとんど毎日見舞いに行っては現況を報告し、また何かと相談をもちかけながら留守を守った。 1982(昭和57)年7月、岡山大学の高度な治療のかいもなく私たちを遺して逝ってしまった。 いよいよこれから世界へ向かって翔こう!という夢をもって逝ってしまった。 その日から私は、悲しみを越えて兄精一の志を確実に発展させることが使命であると自分に言い聞かせた。
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