「マルクス経済学者大内兵衛氏は、健造先生より約20年後の1988年に生まれ、東大経済学部を首席で卒業し、大蔵省を経て東大教授となりました。 」と前話で紹介しましたが、結婚式などで、ご祝儀言辞だとしても「首席で卒業し・・」などと聞くと「首席卒業って、どういう基準だろうか」と縁のない私には不思議な謎でした。 以下、「首席」と「銀時計」についての解説を貼り付けます。 天皇(又は代理)臨席の卒業式で与えられ、至高の名誉と見なされた。 銀時計を授与された者は「銀時計組」と呼ばれた。 「首席卒業」と「銀時計」は、帝国憲法時代、軍学校から始まり、旧帝国大学等に対象が広がった制度ですから、銀時計が授与された者は、「首席卒業」を公にできた自他ともに認めるエリートだった訳です。 ちなみに東京帝国大学では1899年から1918年まで授与制度が続き、323人が銀時計を授与されているそうです。 また、選定基準は必ずしも明確ではなく、成績と人格も評価され、学部1名と決まっていた訳ではないそうですから、当時も自称「首席」はいたようです。 戦前の銀時計拝受者は、それに価するに足る十分な自覚があったというテーマで追ったのが「銀時計の特攻」です。 これは、幼年学校、士官学校予科、航空士官学校と恩賜の銀時計を三度も拝受して卒業し、「将来の陸軍大将」と誰からも嘱望された青年将校若杉是俊の評伝です。 若杉は、特攻隊の創設と共に率先志願して、昭和19年12月、フィリピン・ミンダナオ島沖の米艦隊に突入戦死しました。 将来、帝国陸軍を背負って立つ逸材と目されたエリートにもかかわらず、「銀時計組」の自分は、軍人の模範とならねばならないと特攻を志願し散りましたが、同期や後輩には「絶対特攻にはなるな」と言い遺しています。 この強烈な使命感は、真のエリートたる自覚を育んだ三つの銀時計と無縁ではないでしょう。 大内兵衛氏の一貫性にもつながる22歳の散華は、こんな私でも涙なくして読めなかった一冊でした。 104•
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【銀の時計座】基本性格• 好奇心が強い• 向上心や行動力がある• 周囲が驚くような人脈を持つタイプ• 言いたいことを我慢してしまう• 出会いは多いが、いい友達で終わりがち 世話好きで面倒見が良く、色々な人と仲良くなれるので 自然と人間関係も豊かになる傾向にあります。 人に影響されるタイプと思われがちですが、野心を持ち合わせているので、実は、自ら影響を受けにいっていることもしばしば。 親戚の中にいない生き方を選択する人が多く、不思議な人生を送る人も多いでしょう。 恋愛は常に一緒にいることを望むタイプ。 アクティブに行動するよりも、家でまったりしてふたりの世界に浸っていることに幸せを感じます。 付き合ってから結婚までの期間が短いパターンが多いので、長く付き合うと縁が切れてしまう可能性が高くなるでしょう。 【銀の時計座】2020年の運勢は? 2020年の全体運 「 準備の年」は、何事も準備が足らないことでトラブルを引き起こしてしまう可能性があるので、 少し先のことを考えて行動することが大事です。 気を引き締めて行動しておけば、楽しい時間が増えるでしょう。 たとえば明日の準備をしてから就寝したり、帰宅時間を決めて行動するなどでも良いでしょう。 急な予定変更をすると不要な出費やミスが増えるなど、自分を苦しめてしまうので注意しましょう。 2020年の恋愛運 これまでに恋愛に縁がなかった人も「モテ期」を感じることができそうです。 異性と遊ぶ機会やデートが増えるでしょう。 ほんの少しの勇気でモテモテの時期過ごすことができますが、今年の出会いは「恋愛=遊び」と割り切れる人にとって非常にいい年になるでしょう。 すでに気になる異性がいる場合は、食事や飲みに誘ってみると良い関係が作れそうです。 将来を真剣に考える相手との恋愛は2021年以降になりそう。 2020年の結婚運 準備不足が見つかったり安定しない年なので入籍にはあまりオススメできませんが、2019年中に婚約と入籍をすることが決まっている場合、年始頃に入籍をすると楽しい夫婦関係を築くことができそうです。 迷っている場合は今の相手と人生を共に出来るのか、貯金や収入なども視野に入れて考え、 互いに計画を立てられるようにするといいでしょう。 「授かり婚」が起きやすい運気でもあるので、 準備がないまま結婚に進まないように注意しましょう。 2020年の仕事運 今の仕事に飽きてしまったり、不満がある勢いで転職してしまうと「想像と違う」と感じ転職を繰り返す可能性があるので、早まる前に冷静に考えて下調べをしておきましょう。 今の職場で仕事があることに感謝したり、 今のポジションの楽しさを見つけることが大事ですので、職場の人との飲み会やプライベートで遊ぶ機会を増やしてみると、思った以上に楽しい職場に変わる可能性が高いです。 他のタイプの2020年の運勢.
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「マルクス経済学者大内兵衛氏は、健造先生より約20年後の1988年に生まれ、東大経済学部を首席で卒業し、大蔵省を経て東大教授となりました。 」と前話で紹介しましたが、結婚式などで、ご祝儀言辞だとしても「首席で卒業し・・」などと聞くと「首席卒業って、どういう基準だろうか」と縁のない私には不思議な謎でした。 以下、「首席」と「銀時計」についての解説を貼り付けます。 天皇(又は代理)臨席の卒業式で与えられ、至高の名誉と見なされた。 銀時計を授与された者は「銀時計組」と呼ばれた。 「首席卒業」と「銀時計」は、帝国憲法時代、軍学校から始まり、旧帝国大学等に対象が広がった制度ですから、銀時計が授与された者は、「首席卒業」を公にできた自他ともに認めるエリートだった訳です。 ちなみに東京帝国大学では1899年から1918年まで授与制度が続き、323人が銀時計を授与されているそうです。 また、選定基準は必ずしも明確ではなく、成績と人格も評価され、学部1名と決まっていた訳ではないそうですから、当時も自称「首席」はいたようです。 戦前の銀時計拝受者は、それに価するに足る十分な自覚があったというテーマで追ったのが「銀時計の特攻」です。 これは、幼年学校、士官学校予科、航空士官学校と恩賜の銀時計を三度も拝受して卒業し、「将来の陸軍大将」と誰からも嘱望された青年将校若杉是俊の評伝です。 若杉は、特攻隊の創設と共に率先志願して、昭和19年12月、フィリピン・ミンダナオ島沖の米艦隊に突入戦死しました。 将来、帝国陸軍を背負って立つ逸材と目されたエリートにもかかわらず、「銀時計組」の自分は、軍人の模範とならねばならないと特攻を志願し散りましたが、同期や後輩には「絶対特攻にはなるな」と言い遺しています。 この強烈な使命感は、真のエリートたる自覚を育んだ三つの銀時計と無縁ではないでしょう。 大内兵衛氏の一貫性にもつながる22歳の散華は、こんな私でも涙なくして読めなかった一冊でした。 104•
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