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聖人伝説と聖遺物崇拝の関係: ケンジントン

荒野行動くるま階級

2018年7月15日 鈴木朝子 (バイヤース),ベッツイ() (1928~ ) アメリカの児童文学作家。 ノース・カロライナ州シャーロット生まれ。 クイーンズ大学を卒業後、結婚。 雑誌や新聞に短編を発表していたが、自分の子の誕生後は子ども向けの物語の執筆を始め、野生動物と少年とのふれあいを描いた『黒ギツネと少年』(1968)などの作品を出版。 現代の子どもたちの心や社会の問題を明るくユーモラスに描き出し、障害児の弟を持つ思春期の少女の心の揺れを描いた『白鳥の夏』(1970)は、ニューベリー賞を受賞。 他の作品に、家族の問題を扱った『うちへ帰ろう』(1977)などがある。 『白鳥の夏』 訳 冨山房 1975• 『黒ギツネと少年』 訳 あかね書房 1975• 『飛べ! ぼくとおじいさんのツル』 訳 旺文社 1982• 『うちへ帰ろう』 訳 文研出版 1983• 『名前のない手紙』 訳 文研出版 1986• 『ありがとう ぼくの家族』 訳 文研出版 1993• 『18番目の大ピンチ』 訳 あかね書房 1993• 『ぼくのおとうとアントニー』 訳 文化出版局 1997• 『漫画少年』 訳 さ・え・ら書房 2011• 『トルネード!』 訳 学研教育出版 2015 (1942~2001) アメリカの作家・評論家。 アメリカ先住民の血を引いて生まれる。 父親を交通事故で失い、白人の家族の養子となる。 美術・音楽・舞踏の評論などの多くのノンフィクションの著作があるほか、講演やテレビなどを通じて先住民の文化を広く紹介する。 小説作品に、先住民の伝説を取り入れた幻想的な美しい物語『アンパオ』(1977)、自伝的な要素を含んだ、先住民の女性の白人との葛藤の中での一代記<物語>などがある。 『アンパオ』 訳 福武書店 1988• <物語> 訳 福武書店• 『伝説の日々』1989• 『汚れなき儀式』1989• 『暁の星をおびて』1989 (1853~1911) アメリカの作家・挿絵画家。 デラウェア州ウィルミントン生まれ。 フィラデルフィアの美術学校に学ぶ。 1876年挿絵入り紀行文が雑誌に採用されたのを機にニューヨークへ出て、「ハーパー」や子ども向けの「セント・ニコラス」などの雑誌で小説や挿絵の仕事をする。 調子の良い言葉づかいで、挿絵も自分で描いた民話や伝説の再話、歴史物語を多く著す。 ロビン・フッド伝説を初めて一つにまとめたと言われる『ロビン・フッドのゆかいな冒険』(1883)や、<アーサー王物語>四部作などを発表。 中世ドイツを舞台にした歴史物語『銀のうでのオットー』(1888)は、荒々しく素朴な時代の中の一人の少年をめぐる心に残る物語である。 『ロビン・フッドのゆかいな冒険』 ,訳 岩波書店 1971• 『カリブ海の海賊』 訳 学習研究社 1973• 『ふしぎなふしぎな時計』 訳 講談社 1972 (1938~ ) アメリカの児童文学作家。 イリノイ州生まれ。 ミズーリ大学でジャーナリズムを、オクラホマ大学で文学を学ぶ。 家出して厳しい自然の中で自分を見つめ直す少女の物語『家出』(1976)の処女作以来、子どもたちに対して重い問題を真っ向から扱い、嘘をつくことの罪、約束を守ることの大切さ、命や平和の問題などを描いている。 他に、ジェーン・アダムズ児童図書賞を受賞した『ヒロシマから帰った兄』(1983)、『トニーが消えた日』(1986)などの作品がある。 執筆活動のかたわらミネアポリス児童図書協会で創作を教える。 訳 文研出版 1981• 『トニーが消えた日』 訳 佑学社 1989• 『ヒロシマから帰った兄』 訳 佑学社 1992• 『ながいながいよる』(絵本) 訳 岩波書店 2011 テッド・ルウィン絵• 『はるのおとがきこえるよ』(絵本) 訳 ブロンズ新社 2015 ジョン・シェリー絵 (1945~2008) ノルウェーの児童文学作家。 オスロ北東のトリシルに生まれる。 オスロ大学で文学と美術を学ぶ。 ムンク美術館に勤めたのち、専業作家となる。 子どもの不安や悩みを詩的な短い文章で淡々と描き、連作『夜の鳥』(1975)『少年ヨアキム』(1979)では、一人の少年をめぐる両親や友人・知人との難しい人間関係を静かに描き出している。 他の作品に、家出少年と関わることで成長していく過保護だった少女の物語『魔法のことばツェッペリン』(1976)などがある。 1990年に国際アンデルセン大賞を受賞。 『魔法のことばツェッペリン』 訳 文研出版 1985• 『消えた一日』 訳 文研出版 1986• 『夏には-きっと』 訳 文研出版 1989• 『月の石』 訳 WAVE出版 1999• 『トロルとばらの城の寓話』 訳 ポプラ社 2002 (1928~ ) ドイツの作家。 チェコ生まれ。 第二次大戦後西ドイツ(当時)へ移住。 チリ、ベネズエラなどのドイツ人学校で教師として働く。 1972年からヘッセン州の小学校で教師を務めるかたわら作家活動を始め、南米での体験や、アウトサイダーや亡命者、平和問題などを扱った作品を執筆。 チューリッヒ児童図書賞を受賞した『最後の子どもたち』(1983)と、ドイツ児童文学賞を受賞した『見えない雲』(1987)は、それぞれドイツでの原爆投下と原子力発電所の事故という現実的な恐ろしさを描いた警句的な近未来小説である。 他の作品に、『うら庭の水の精』(1985)、『おじいちゃんは荷車にのって』(1988)などがある。 『最後の子どもたち』 訳 小学館 1984• 『見えない雲』 訳 小学館 1987• 『ぼく、ネコの父さんになる』 ,訳 小学館 1988• 『小さな逃亡者』 訳 草の根出版会 1988• 『うら庭の水の精』 訳 福武書店 1991• 『おじいちゃんは荷車にのって』 訳 徳間書店 1994• 『ちきゅうの子どもたち』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1990 アンネゲルト・フックスフーバー絵• 『ハロー・ディア・エネミー!』(絵本) 訳 くもん出版 2001 インゲ・シュタイネケ絵 (1914~1988) ドイツの作家・詩人。 バイエルン州アンベルク生まれ。 小学校教師を務めたのち、ベルリン大学で哲学を学ぶ。 卒業後各地を旅行し、詩や戯曲を執筆。 第二次大戦時はナチスの活動に参加し、のち厳しい批判を受ける。 戦後は子ども向けの歴史小説やノンフィクションを多く著し、絵本や幼年向けの読み物、ロシアの子どもの本の翻訳・紹介も手がける。 13世紀のモンゴルでのフビライと弟アリク・ブカの対立を描いた『草原の子ら』(1954)、第二次ポエニ戦争時のハンニバル軍に参加した象つかいの少年の物語『ハンニバルの象つかい』(1960)などの作品で、戦争の中の様々な人間の姿を刻明に描き出している。 他に『コロンブスのむすこ』(1951)、『大昔の狩人の洞穴』(1953)などの作品がある。 『大昔の狩人の洞穴』 訳 岩波少年文庫 1955• 『草原の子ら』上・下 訳 岩波少年文庫 1957• 『コロンブスのむすこ』上・下 訳 岩波少年文庫 1958• 『ハンニバルの象つかい』 訳 岩波書店 1966• 『イーカロスのつばさ』 訳 岩波書店 1979• 『兄弟の船』上・下 訳 平凡社 1957• 『小さくなった大きなぞう』 訳 偕成社 1970• 『たいようの小馬』 訳 学習研究社 1965• 『ペルーの神々と黄金』 訳 学習研究社 1970• 『神々の橋をもとめて』 訳 学習研究社 1971• 『屋根の上の回転木馬 ほか』 訳 講談社 1972• 『うさぎくんはやくはやく!』(絵本) 訳 偕成社 1977 アントニー・ボラチンスキー絵• 『みんなみんなねむっている』(絵本) 訳 評論社 1984 エリカ・ディーチェ=カペレ絵• 『どでかいサイがやってきた』(絵本) 文 評論社 1986 ライナー・シュトルテ絵 (1874~1965) アメリカの作家。 マサチューセッツ州サンドウィッチ生まれ。 幼いうちに父親をなくす。 ボストンの商科大学を中退して靴屋に勤めたのち、フェルプス社の編集者になり、「グッド・ハウスキーピング」誌の編集などに携わる。 1902年頃から雑誌に自然や動物のことを寄稿。 息子に書き送ったお話をもとに動物物語集『西風かあさん』(1910)を出版、以後多くの動物物語を執筆し、日本でも『ふくろねずみのビリーおじさん』などの話が<バージェス アニマル・ブックス>として広く親しまれ、「山ねずみロッキーチャック」の題名でアニメや絵本にもなる。 1938年ノースイースタン大学から文学博士号を授与された。 <バージェス アニマル・ブックス> 金の星社• 『うずらのボブのぼうけん』 訳 1969• 『おしゃべりリスのチャタラー』 訳 1969• 『ふくろねずみのビリーおじさん』 訳 1969• 『くまのバスターはあわてもの』 訳 1969• 『ビーバーが森にやってきた』 訳 1969• 『のねずみダニーのぼうけん』 訳 1969• 『じいさまがえるのたび』 訳 1970• 『いばらやしきのピーターうさぎ』 訳 1970• 『やまねずみジョニーのひみつ』 訳 1970• 『あらいぐまボビーのしっぱい』 訳 1970• 『コヨーテは森いちばんのりこうもの』 訳 1972• 『かものクワックおくさん』 訳 1972• 『子ぎつねレッドの大しっぱい』 訳 1972• 『にっこりいけのヒキガエル』 訳 1972• 『みどりの森は大さわぎ』 訳 1972• 『やまあらしプリックリーのひみつ』 訳 1972• 『スカンク・ジミーのピンチ』 訳 1972• 『森のやじうま・かけすのサミー』 訳 1972• 『じゃこうねずみジェリーのたんけん』 訳 1972• 『コンドルおやじのぼうけん』 訳 1972 (1879~1950) ソビエト時代のロシアの作家。 ウラル地方の村に生まれる。 ペルミ市の神学校を卒業後、教師をするかたわら、子どもの頃から親しんできたウラル地方の民話や伝説を採集。 1918年の内戦に従軍、のち「農民新聞」の記者を務める。 45歳のとき処女作『ウラル昔語り』(1924)を出版。 映画やバレエになった「石の花」「銀のひづめ」などを収め、ソビエト国家賞を受賞した『くじゃく石の小箱』(1939)は、集めた民話・伝説をもとに、鉱山労働者や石細工職人などを登場させながら、自然の美しさや神秘を描いた幻想的な物語集である。 日本版はその中から『石の花』では8編を、<バジョーフ・民話の本>シリーズでは23編を選んで訳したもの。 他に、自伝的小説『みどりの小馬』(1939)などがある。 『石の花』 訳 岩波少年文庫 1981• <バジョーフ・民話の本> 訳 童心社• 『石の花』1979• 『小さな鏡』1983• 『火の踊り子』1983• 『銀のひづめ』1984 (1932~ ) アメリカの児童文学作家。 中国生まれ。 第二次大戦で帰国。 大学を卒業後、小学校の教師となる。 1957年から4年間宣教師の夫とともに日本に滞在し、帰国後日本の中世を舞台にした小説や、民話の絵本を発表。 2人の養子を含む4人の子どもを育てる。 その後子どもたちの心理や様々な家族の姿を、あるがままにしっかりと描いた作品を執筆。 秘密の場所での友情を描いた『テラビシアにかける橋』(1977)、双子の姉妹の愛憎を描いた『海は知っていた』(1980)で、2回ニューベリー賞を受賞。 その他の作品に、里親の間を転々とする激しい性格の少女の生き方と厳しい現実を描いて全米図書賞を受賞した『ガラスの家族』(1978)、スコット・オデール歴史小説賞を受賞した『北極星をめざして』(1996)などがある。 1998年国際アンデルセン大賞を受賞。 『テラビシアにかける橋』 訳 偕成社 1981• 『ガラスの家族』 訳 偕成社 1984• 『海は知っていた』 訳 偕成社 1985• 『父さんと歌いたい』 訳 偕成社 1987• 『もうひとつの家族』 訳 偕成社 1992• 『ワーキング・ガール』 訳 偕成社 1994• 『かぼちゃ畑の女王さま』 訳 偕成社 1996• 『北極星をめざして』 訳 偕成社 1998• 『パンとバラ』 訳 偕成社 2012• 『悪童ロビーの冒険』 訳 白水社 2000• 『星をまく人』 訳 ポプラ社 2003• 『クリスマスの短編』 訳 すぐ書房 1980• 『聖なる夜に』 訳 あすなろ書房 1999• 『いじわるロージー』 訳 あすなろ書房 2000• 『たいようもつきも』(絵本) 訳 日本キリスト教団出版局 2013 パメラ・ドルトン絵• ソルトレーク・シティ生まれ。 コロンビア大学で図書館学を学び、卒業後ニューヨークの公共図書館で児童図書館員として働き、図書館の新聞の編集も行う。 貧乏な百姓のために金持ちから食べ物や金を持って来る鍋の愉快なお話「ものいうなべ」など、のんびりした明るく楽しいデンマークの昔話を再話した『デンマークの13の話』(1947)を出版。 日本版の『ものいうなべ』はその中から8編を選んで訳したもの。 『ものいうなべ』 訳 岩波書店 1964 ,フランセス()・ホジソン (1849~1924) アメリカの作家。 イギリスのマンチェスター生まれ。 幼いうちに父親を失い、1865年にアメリカへ移住。 17歳のときから生活のために小説を書き始める。 1873年に結婚して二人の子の母親となるが、のちに離婚。 ヨーロッパ各地を旅行し、しばしばイギリスに滞在する。 突然イギリス貴族の後継者になったアメリカ育ちの純真な少年が周囲の人心や状況を明るく変えていく『小公子』(1886)、貧しい境遇に落ちながらも気高い心を持ち続ける少女を描いた『小公女』(1905)、ひねくれて育った少女と少年が自然とのふれあいによって成長する『秘密の花園』(1911)の3作で、今日まで広く知られる。 感傷的で通俗的との批判もあるが、その健全なわかりやすさが人の心を強くとらえる名作になっている。 『小公子』 訳 岩波少年文庫 1954 / 訳 岩波少年文庫 2011 /他• 『小公女』 訳 岩波少年文庫 1954 / 訳 岩波少年文庫 2012 / 訳 福音館書店 2011 /他• 『秘密の花園』上・下 訳 岩波少年文庫 1958 / 上・下 訳 岩波少年文庫 2005 / 訳 福音館書店 1979 /他• 『消えた王子』上・下 訳 岩波少年文庫 2010• ロンドン生まれ。 ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジで文学を学ぶ。 一時ニューヨークで暮らし、チェース・マンハッタン銀行で広報の仕事をする。 イギリスからニューヨークに来た子どもたちが、巻き込まれた誘拐事件を解決するスリルあふれる物語『ロッカバイ・ベイビー誘拐事件』(1966)、イギリスの古い屋敷で幽霊になっていた100年前の子どもたちを助けるタイム・ファンタジーでもあるゴースト・ストーリー『幽霊』(1969)などの作品がある。 趣味は乗馬、園芸。 『ロッカバイ・ベイビー誘拐事件』 訳 評論社 1975• 『幽霊』 訳 評論社 1975• 『ネズミあなのネコの物語』(絵本) ,訳 ブックローン出版 1991 ニコラ・ベイリー絵• 『まほうつかいのむすめ』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1993 エロール・ル・カイン絵• 『やんちゃなサルとしずかなパンダ』(絵本) 訳 評論社 2001 メイロ・ソー絵 (1932~2016) アメリカの児童文学作家。 オハイオ州デイトン生まれ。 マサチューセッツ州ノーサンプトンのスミス大学を卒業。 詩人のサムエル・バビットと結婚し、三人の子の母親となる。 いたずら好きで少々ドジな悪魔の物語集『悪魔の物語』(1974)は、挿絵も自分でつけた軽妙でユーモラスな連作で、続編『もう一つの悪魔の物語』(1987)もある。 一方クリストファー賞を受賞した『時をさまようタック』(1975)は、不死になった一家の苦悩を描いた重いファンタジーである。 創作のほか、詩集や絵本のイラストも手がけ、ニューヨーク州のカークランド大学で児童文学の創作とイラストの講師も務める。 『おいしいものさがし』 訳 冨山房 1971• 『時をさまようタック』 訳 評論社 1989• 『ニーノック・ライズ』 訳 評論社 1994• 『悪魔の物語』 訳 評論社 1994• 『もう一つの悪魔の物語』 訳 評論社 1995• 『月は、ぼくの友だち』 訳 評論社 2016• 『アマリリス号』 訳 福武書店 1992• 『おどるねこネリー』(絵本) 訳 評論社 1995• オハイオ州イエロー・スプリングス生まれ。 アンティオーク大学、オハイオ州立大学で社会学を学ぶ。 処女作『わたしは女王を見たのか』(1967)は、アメリカの黒人の心の誇りを描いた印象的な作品で、以後生まれ育った中西部を主な舞台にして、アフリカ系の黒人の生き方を中心に、現代のアメリカ人の様々な姿を魅力的に描き出す。 山地で暮らす少年が外の世界に目を向けていく『偉大なるM.C.』(1974)は、ニューベリー賞、全米図書賞、ボストングローブ・ホーンブック賞を受賞。 他の作品に、自伝的な『わたしはアリラ』(1977)、再度ボストングローブ・ホーンブック賞を受賞した『マイゴーストアンクル』(1982)、アフリカから語り継がれてきた民話を集めた『人間だって空を飛べる』(1985)などがある。 1992年国際アンデルセン大賞、1995年ローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞。 『わたしは女王を見たのか』 訳 岩波書店 1979• 『偉大なるM. 』 訳 岩波書店 1980• 『わたしはアリラ』 訳 岩波書店 1985• 『ジュニア・ブラウンの惑星』 訳 岩波書店 1988• 『プリティパールのふしぎな冒険』 訳 岩波書店 1996• 『雪あらしの町』 訳 岩波書店 1996• 『マイゴーストアンクル』 訳 原生林 1992• 『キャミーの八月』 訳 講談社 1994• 『ブルーイッシュ』 訳 あすなろ書房 2002• 『人間だって空を飛べる』 訳 福音館書店 1989 (1881~1969) ノルウェーの児童文学作家。 教師、舞台女優などの職についたのち、1909年に作家クヌート・ハムズンと結婚、以後は農場で暮らす。 自分の子どもたちをモデルにして、4人の兄弟姉妹の農場での素朴な生活を明るく丁寧に描いた『村の子どもたち』(1924~32)を出版。 日本版の『小さい牛追い』『牛追いの冬』はその中の第一部にあたる。 他に、家族のその後を描いた続編や、詩集、回想記などがある。 『小さい牛追い』 訳 岩波書店 1969• 『牛追いの冬』 訳 岩波書店 1969 (1884~1949) ハンガリーの作家。 南部のセゲド生まれ。 ブダペストの大学を卒業後、ベルリン、パリで学ぶ。 新聞記者をしながら、詩・戯曲・小説を発表、映画評論家・監督としても活動する。 第一次大戦後の共産主義政府に参加して、その崩壊後ドイツやソビエトで亡命生活を送り、第二次大戦後に帰国。 貧しい少年が手にいれた魔法の絵の具をめぐる物語『ほんとうの空色』(1925)は、少年の成長を描いた色彩と空想の豊かな小品である。 他に、歌劇台本『青ひげ公の城』(1911)、映画評論『視覚的人間』(1924)など多くの著作がある。 スコットランドのキリミア生まれ。 エジンバラ大学を卒業後、「ノッティンガム・ジャーナル」紙の記者を務める。 1885年にロンドンへ出てフリーのジャーナリストとして活動しながら評論や小説の執筆を続け、故郷の町を描いた小説『スラムズの窓』(1889)などで認められる。 その後劇作に力を入れ、『あっぱれクライトン』(1902)、『12ポンドの目つき』(1910)などの作品が上演され好評を博す。 初めに小説『小さな白い鳥』(1902)の中に現れたピーター・パンの物語は、戯曲『ピーター・パン、大人になりたがらない少年』(1904初演、1928出版)として独立し、小説の形では『ケンジントン公園のピーター・パン』(1906)『ピーター・パンとウェンディ』(1911)がある。 感傷的なところもあるが、子どもの生き生きとした姿を描いて、今日でも読まれ、上演されている。 1913年に准男爵となる。 セント・アンドルーズ大学、エジンバラ大学の学長となってそれぞれから法学博士号を、オックスフォード大学から文学博士号を授与される。 『ケンジントン公園のピーター・パン』 訳 文研出版 1971• 『ピーター・パン』 訳 岩波少年文庫 1954 /『ピーター・パンとウェンディ』 訳 福音館書店 1972 イギリスの作家。 カナダで様々な仕事に携わったのち、結婚後しばらくインドに滞在。 第二次大戦時に疎開した家をモデルにして、『丘の上のセーラ』(1986)に始まる四人姉妹をその隣人の家族を含めて描く長編小説<ヒルクレストの娘たち>を執筆。 同じ時代・同じ出来事を4人の娘それぞれの視点から語り直す(ただし巻が進むにつれて描かれる時代が長くなっている)という独特の構成で、性格や考え方の違いなどを描き分けて興味深い心理小説にもなっている。 <ヒルクレストの娘たち> 訳 岩波書店• 『丘の家のセーラ』1990• 『フランセスの青春』1991• 『海を渡るジュリア』1992• 『グウェンの旅立ち』1995 (1923~ ) イギリスの作家。 ロンドン生まれ。 ロンドンのコートランド研究所工学科を卒業。 赤十字の看護婦、絵画の復元師、「タイムズ」紙の児童書の書評者などを務めるかたわら、1956年から大人向けの小説の執筆を始める。 ヤング・アダルト向けの作品も書き、大洪水のときの古代エジプトでの冒険の旅を描いて、カーネギー賞を受賞した『ノアの箱船に乗ったのは?』(1968)と、続編を含めた三部作を発表。 他に、不安定な思春期の少年少女のもとで古い伝説がよみがえる微妙なファンタジー『遠い日の歌がきこえる』(1971)、東洋の民話を再話した作品などがある。 『遠い日の歌がきこえる』 訳 冨山房 1986• 『ノアの箱船に乗ったのは?』 訳 冨山房 1987• 『美女と野獣』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1984 エロール・ル・カイン絵 (1923~ ) ドイツの児童文学作家。 シュレージエン(現・ポーランドのシレジア)地方に生まれる。 第二次大戦後西ドイツ(当時)に移住。 戦争と故郷の占領、追放という体験から、ソビエト(ロシア)という国と戦いの中の人間の心の問題を扱った、重厚な歴史物語の力作を執筆。 16世紀のロシアのシベリア征服を、『コサック軍シベリアをゆく』(1959)ではまだ劣勢だったロシア側から、『急げ草原の王のもとへ』(1961)では敗れていくタタール側から描いている。 1963年ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン賞第一位を獲得。 各地の小学校での自作朗読、幼年向けの短編集の編集なども行う。 『コサック軍シベリアをゆく』 訳 岩波書店 1973• 『急げ草原の王のもとへ』 訳 岩波書店 1975• 『なだれだ!行けそうさく犬』 訳 冨山房 1980• 『もうすぐクリスマス』 訳 新教出版社 1983• 『魔法のなべと魔法のたま』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1990 ドゥシャン・カーライ絵 デンマークの児童文学作家。 夫のヴィル・ハンセンが描いた小熊が主人公の漫画『ペッツィ』(1953)の文章を担当する。 この作品がヨーロッパ各国の新聞に掲載され、単行本もベストセラーとなって広く知られる。 以後、森の中を探険して友達を見つけるこうさぎのお話『こうさぎのぼうけん』(1968)など、挿絵も描く夫と合作の形でいくつかの物語を執筆する。 『こうさぎのぼうけん』 訳 学習研究社 1970 () (1922~2012) イギリスの作家。 エジンバラの東のイースト・ロシアン生まれ。 母親はスコットランド人、父親はアイルランド人。 14歳で父親をなくして学校をやめ、以後は図書館で独学しながら作家をめざす。 無駄のない簡潔な文章で、スコットランドの民間伝承や歴史を題材にした物語を執筆。 妖精と人間との争いを扱ったファンタジー『魔の山』(1972)、ローマ人の侵入に対するケルト人の戦いを描いてカーネギー賞を受賞した、読みごたえのある歴史物語『砦』(1974)などの作品がある。 『魔の山』 訳 評論社 1978• 『砦』 訳 評論社 1978• 『つっぱり魔物グロリカン』 訳 評論社 1985 (1907~ ) アメリカの作家。 イリノイ州南部に生まれる。 イリノイ大学とミネソタ大学を卒業し、コロラド大学の大学院で心理学を学ぶ。 イリノイ州の公立中学やサウスダコタ大学でフランス語などを教える。 価値のある古いものを好み、子どもたちとその中の人種問題や貧しい家庭環境などに関心を寄せながら作品を執筆。 ニューベリー賞を受賞した『ジュリー』(1966)は、厳格なおばのもとで暮らす少女の成長を細やかに描いている。 趣味は古い家具や調度品を磨くこと。 イギリスのスコットランド生まれ。 射撃や飛行機操縦に優れ、第二次大戦時は看護婦として海軍病院に勤め、病院車の運転も担当。 1948年にカナダへ移住。 「パンチ」誌や「グラスゴー・ヘラルド」紙などに詩やエッセイを寄稿。 自分の飼犬と飼猫をモデルにした、2匹の犬と1匹の猫が飼い主を求めて困難な旅をする『三びき荒野を行く』(1961)は、ベストセラーとなってカナダ総督賞など多くの賞を受賞し、映画化もされた。 他に、第二次大戦の中の1匹の犬とそれをめぐる人々の姿を印象深く描いた『ベル・リア』(1977)などの作品がある。 『三びき荒野を行く』 訳 あかね書房 1965 /『信じられぬ旅』 訳 集英社 1965• 『ベル・リア』 訳 評論社 1978 ,フィリパ() (1920~2006) イギリスの児童文学作家。 ケンブリッジシャー州のグレート・シェルフォード生まれ。 ケンブリッジ大学を卒業。 情報局に勤めたのち、BBCで脚本家・プロデューサーを務め、その後オックスフォード大学出版局などで編集者として働く。 結核の療養中に想像の楽しみに目覚め、緻密に構成された、情景と心理の描写がきめ細かい優れた作品を執筆。 宝探しをする少年たちの冒険を描いた処女作『ハヤ号セイ川をいく』(1955)で評判になり、共に不自由さを感じていた少年と老女の心がふれあうタイム・ファンタジー『トムは真夜中の庭で』(1958)で、カーネギー賞を受賞。 他に、犬を欲しがる少年の心理を見事に表した『まぼろしの小さい犬』(1962)、ウィットブレッド賞を受賞した『ペットねずみ大さわぎ』(1978)、父親の謎をさぐる少女の物語『サティン入江のなぞ』(1983)などの作品がある。 『トムは真夜中の庭で』 訳 岩波書店 1967• 『ハヤ号セイ川をいく』 訳 講談社 1974/『ミノー号の冒険』 訳 文研出版 1970• 『おばあさん空をとぶ』 訳 文研出版 1972• 『それいけちびっこ作戦』 訳 ポプラ社 1983• 『幽霊を見た10の話』 訳 岩波書店 1984• 『ペットねずみ大さわぎ』 訳 岩波書店 1984• 『サティン入江のなぞ』 訳 岩波書店 1986• 『ライオンが学校へやってきた』 訳 岩波書店 1989• 『こわがっているのはだれ?』 訳 岩波書店 1992• 『川べのちいさなモグラ紳士』 訳 岩波書店 2005• 『8つの物語』 訳 あすなろ書房 2002• 『消えた犬と野原の魔法』 訳 徳間書店 2014• 『コクルおばあさんとねこ』 訳 徳間書店 2018• 『りす女房』(絵本) 訳 冨山房 1982 倉石隆絵• 『エミリーのぞう』(絵本) 訳 岩波書店 1989 ジョン・ローレンス絵• 『ふしぎなボール』(絵本) 訳 岩波書店 1989 ヘレン・ガンリー絵• 『ひとりでおとまりしたよるに』(絵本) 訳 徳間書店 2014 ヘレン・クレイグ絵 (1947~ ) カナダの作家。 大学・大学院で図書館学・児童文学を学ぶ。 児童図書館員・教師を務めるかたわら子どもの本を執筆、のち専業作家となる。 辛い家庭環境を抱えて本の世界に慰めを見出だしている少女の現実にファンタジーを絡めて描いた物語『丘の家、夢の家族』(1996)でカナダ総督賞を受賞。 他にカナダ図書館協会賞を受賞した『床下の古い時計』(1987)などの作品がある。 『床下の古い時計』 訳 金の星社 1990• 『丘の家、夢の家族』 訳 徳間書店 2000 ,マージェリイ(マジョリー)(・) (1881~1944) イギリスの児童文学作家。 ロンドン生まれ。 子どもの頃から英米両国を行き来し、結婚後もヨーロッパ各地やアメリカで過ごす。 子ども時代の思い出を生き生きと描き、本物になる人形のうさぎのお話「ビロードうさぎ」(1922)などの作品がある。 他に、昔話の研究家と集めた美しいフィンランドの民話集『あるフィンランドの家からきいたお話』(1936)があり、日本版の『かぎのない箱』はその中から7編を選んで訳したもの。 『かぎのない箱』(との共作)訳 岩波書店 1963 (1905~1990) イギリスの作家・挿絵画家。 本名D.J.ワトキンス=ピッチフォード。 ノーサンプトン州生まれ。 少年時代は病弱で、家庭で教育を受けながら自然に親しむ。 王立美術学校に学び、のちパリに渡って美術の修業をする。 ラグビー校で美術教師を務めるかたわら、自然を舞台にした物語や随筆を執筆し、ほとんどの作品に本名で挿絵をつける。 『風のまにまに号の旅』(1957)に始まる<あなぐまビルのぼうけん>六部作は、イギリスの田園の中で個性豊かな動物たちが繰り広げるスリルあふれる冒険物語である。 他の作品に、カーネギー賞を受賞した『灰色の小人たちと川の冒険』(1942)、少年の釣りへの情熱を描いた『少年と黒魔女の淵』(1974)などがある。 『少年と黒魔女の淵』 訳 大日本図書 1987• 『森のノーム鉄道』 訳 大日本図書 1988• 『森の魔法使い』 訳 大日本図書 1988• 『灰色の小人たちと川の冒険』 訳 大日本図書 1995• 『灰色の小人たち空を飛ぶ』 訳 大日本図書 1995• <あなぐまビルのぼうけん> 訳 大日本図書• 『風のまにまに号の旅』1983• 『船のクリスマス』1984• 『海賊のしゅうげき』1984• 『どらねこ潜水艦』1984• 『あしのささやき号』1984• 『さよなら風のまにまに号』1984 , (1881~1958) スペインの詩人。 アンダルシア地方のモゲール生まれ。 セビーリャの大学で法律を学ぶ。 19歳でマドリードに出、スペインの近代詩運動に参加して詩人として活動する。 故郷の町で過ごした数年間を一頭のロバに語りかける形で淡々と綴った「子どものための」散文詩『プラテーロとわたし』(1914)は、静かで素朴な心に残る作品である。 1916年にニューヨークで結婚。 1936年に勃発したスペイン内戦により出国、以後アメリカや中南米で過ごす。 1956年ノーベル文学賞を受賞。 ,訳 理論社 1965/ 訳 岩波少年文庫 1975 (1925~2003) カナダの児童文学作家。 イギリスのリバプール生まれ。 幼少期をエジプトで過ごす。 第二次大戦中は海軍の気象部門の仕事に従事し、戦後デザイナー、銀行員として働く。 1952年カナダに移住、オタワの国立研究所に技術者として勤務。 結婚後、1971年頃から本格的に作家活動に入る。 SFを中心に執筆し、他の恒星の惑星上での物語『イシスの燈台守』(1980、2000年にフェニックス賞を受賞)と、その続編でカナダ・カウンシル児童文学賞を受賞した『イシスの後見人』(1981)、寒冷になった地球での生活を描く『リングライズ リングセット』(1982)、カナダ・カウンシル児童文学賞とカナダ・ヤングアダルト・ブック賞を受賞した『闇に追われて』(1994)などの作品がある。 『リングライズ リングセット』 訳 佑学社 1987• 『イシスの燈台守』 訳 すぐ書房 1986• 『イシスの後見人』 訳 すぐ書房 1988• 『闇に追われて』 訳 すぐ書房 1994 (1900~1976) イギリスの作家・詩人。 ウェールズ生まれ。 オックスフォード大学を卒業。 在学中から詩集や戯曲を発表し、卒業後は街頭絵描きなどをしながら世界各地を放浪する。 海賊につかまった子どもたちの行動と心理を鋭く描き出した小説『ジャマイカの烈風』(1929)で広く知られる。 一方子ども向けの作品としては、「まほうのレンズ」「なんにも無い」ほかの奇想天外な短いお話を収めた、友人の子どもたちへの語りから生まれた物語集『クモの宮殿』(1931)などがある。 『ひろったまほうのレンズ』 訳 文研出版 1974• 『クモの宮殿』 ,訳 ハヤカワ文庫FT 1979• ヨークシャー州生まれ。 図書館員、自動車修理工などを経て、1950年から4年間中学校教師を務める。 この頃から作品の執筆を始め、1950年短編でトム=ガロン賞を受賞。 自らの経験を生かして、労働者階級の子どもたちを扱った作品を発表して注目される。 元気な少年少女が身の回りのちょっとしたことを調べて回る『こちらマガーク探偵団』(1973)に始まる<マガーク少年探偵団>シリーズのほか、<幽霊探偵団>シリーズなど多くの作品がある。 <マガーク少年探偵団> 訳 あかね書房• 『こちらマガーク探偵団』1977• 『あのネコは犯人か?』1977• 『消えた新聞少年』1978• 『あやうしマガーク探偵団』1978• 『スーパースターをすくえ』1978• 『見えない犬のなぞ』1979• 『あやしい手紙』1979• 『まぼろしのカエル』1979• 『木の上のたからもの』1980• 『雪の中のスパイ』1981• 『銀行強盗をつかまえろ』1982• 『マガーク対魔女』1983• 『ぬすまれた宝石のなぞ』1984• 『悪魔vsマガーク+数学の天才』1985• 『ゆうかい犯vs空手少女』1986• 『ミイラのつぶやき』1987• 『オウムどろぼう事件』1990• 『作戦名はマガークザウルス』1995• <幽霊探偵団> 訳 講談社• 『とびだせ幽霊探偵団』1988• 『幽霊探偵団コンコルドにのる』1988• 『幽霊探偵団ハロウィン大作戦』1989• 『幽霊探偵団殺人鬼を追う』1990• 『幽霊探偵団対人体のっとり計画』1991 (1881~1965) イギリスの作家・詩人。 ロンドン生まれ。 学校教育は受けず、家庭で読書や兄弟との空想遊びにふける。 1903年作家だった父親が亡くなり一時アメリカに渡るが、まもなく帰国。 自然の中で素朴な生活を送りながら、ロバート・フロスト、エドワード・トマスら多くの詩人・作家と交流し、物語や詩や劇を執筆。 語りの形式をとった民話風の創作物語が多く、生の喜びに満ちた詩情豊かなファンタジーの書き手として、イギリスのアンデルセンとも言われる。 古い歌の遊戯をふまえた恋物語『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(1921)、ばあやが語って聞かせる形の物語集『年とったばあやのお話かご』(1931)、民話を題材にした『銀のシギ』(1953)『ガラスのくつ』(1955)などの作品がある。 「月がほしいと王女さまが泣いた」「十円ぶん」などをおさめた自選短編集『ムギと王さま』(1955)で、1956年のカーネギー賞と国際アンデルセン大賞を受賞。 <ファージョン作品集> 訳 岩波書店• 『年とったばあやのお話かご』1970• 『イタリアののぞきめがね』1970• 『リンゴ畑のマーティン・ピピン』1972• 『ヒナギク野のマーティン・ピピン』1974• 『銀のシギ』1975• 『ガラスのくつ』1986• 『金の足のベルタ』 訳 講談社 1969• 『マローンおばさん』 ,訳 こぐま社 1996• 『ねんねんネコのねるとこは』(絵本) 訳 評論社 1998 アン・モーティマー絵• 『エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする』(絵本) 訳 岩波書店 2004 シャーロット・ヴォーク絵• 『ちいさなもののいのり』(絵本) 訳 新教出版社 2010 エリザベス・オートン・ジョーンズ絵• 『ファージョン自伝』(自伝) 監訳 ,訳 西村書店 2000 , (1939~ ) イギリスの児童文学作家。 ケント州生まれ。 少女時代は病弱で、多くの時間をアーサー・ランサムの物語などを読んで過ごす。 オックスフォード大学で歴史学を、ロンドン大学で社会学を学ぶ。 ウェイトレスやベビーシッター、代用教員などを経験。 学生のとき書いた短編が出版されたことから、子ども向けの本を執筆するようになる。 奇妙な雰囲気に満ちたファンタジーを多く描き、謎の少年と空を飛ぶ『夏の小鳥たち』(1962)、夢の中で時間を越えて飛ぶ『冬の日のエマ』(1966)、40年前の少女と入れ替わってしまう『ある朝、シャーロットは…』(1969)の3連作のほか、別世界への入り口となる不思議なたんすをめぐる冒険を描く『骨の城』(1972)などの作品がある。 『夏の小鳥たち』 訳 篠崎書林 1976• 『冬の日のエマ』 訳 篠崎書林 1977• 『ある朝、シャーロットは…』 訳 篠崎書林 1977• 『骨の城』 訳 篠崎書林 1974• 『陶器の人形』 ,訳 篠崎書林 1977• 『八月四日』 訳 篠崎書林 1978• 『ぼくのカモメ』 訳 岩波書店 1979• 『ちょっとちがった夏休み』 訳 岩波書店 1980• 『イヴの物語』 訳 トパーズプレス 1996 アメリカの作家。 ニューヨーク州生まれ。 中世文学を学び、博士号を取得。 15世紀に関する論文を数多く執筆するほか、ラジオドラマや演劇の脚本・演出を手がける。 編著書に、「ボロずきんの冒険」「三人の強い女」などの、独立心に富み積極的に行動する、元気で賢い少女や女性たちが主人公となっている民話を集めた『ボロずきんの冒険』(1978)がある。 日本版はその中から13話を選んで訳したもの。 『ボロずきんの冒険』 訳 学陽書房 1993 カナダの作家。 ブリティッシュ・コロンビア州ケローナ生まれ。 クィーンズ大学とトロント大学で地質学・鉱物学・古生物学を学ぶ。 オンタリオ博物館で教育部門のスタッフを務めたのち、フリーランサーとなる。 化石を研究するかたわら、雑誌や新聞に化石や古生物の記事を執筆するほか、ラジオの解説などを行う。 作品に、19世紀のイギリスで少女が魚竜の化石を発見するまでを生き生きと描いた興味深い伝記物語『海辺のたから』(1964)がある。 『海辺のたから』 訳 ぬぷん児童図書出版 1977 /『海辺の宝もの』訳 あすなろ書房 2012 (1955~ ) イギリスの作家。 子どもの頃からギリシャ神話や北欧神話などに親しむ。 14歳で「デイリー・ミラー」紙の短編小説コンクールに入賞。 博物館のガイド、皿洗いなど様々な仕事をしながら物語の執筆を続ける。 カーネギー賞を受賞した『ゴースト・ドラム』(1987)は、厳しい北の国を舞台として、淡々と力強く物語られる伝説風のファンタジーである。 他に、『オーディンとのろわれた語り部』(1986)、ガーディアン賞を受賞した『500年のトンネル』(1998)などの作品がある。 『ゴースト・ドラム』 訳 福武書店 1991• 『オーディンとのろわれた語り部』 訳 徳間書店 1997• 『500年のトンネル』上・下 ,訳 創元推理文庫 2003• 『500年の恋人』 ,訳 創元推理文庫 2010• <エルフギフト> 訳 ポプラ社• 上『復讐のちかい』2002• 下『裏切りの剣』2002• 『12の怖い昔話』 他訳 長崎出版 2009• ロンドン生まれ。 幼い頃は音楽家をめざして、ピアノと声楽の勉強に励む。 教育学と自然史を学び、教師として務めたのち、子どもの本のベストセラー作家となる。 ストーリーはやや通俗的・類型的ながら子どもたちの姿はよく書けていて、生涯600作もの作品を執筆し、多くの国でも翻訳出版される。 2組の兄妹が奇妙な小島をめぐる謎を探る『冒険の島』(1944)に始まる<冒険シリーズ>、人形の世界を描きテレビシリーズ化もされた<おもちゃの国のノディ>、学園もの<おちゃめなふたご><おてんばエリザベス>などの作品がある。 <冒険シリーズ> 訳 新学社文庫• 『冒険の島』1984• 『冒険の城』1984• 『冒険の谷』1984• 『冒険の海』1984• 『冒険のサーカス』1990• 『冒険の船』1993• 『冒険の川』1994• 『学校一のいたずらっ子エリザベス』 訳 新学社 1987• 『続 学校一のいたずらっ子エリザベス』 訳 新学社 1993• <クレア学院物語> 文 ポプラ社• 『おちゃめなふたご』1991• 『おちゃめなふたごの同級生』1991• <おちゃめなふたご> 文 ポプラ社文庫• 『おちゃめなふたごの新学期』1985• 『おちゃめなふたごのすてきな休暇』1985• 『おちゃめなふたごのさいごの秘密』1986• <おてんばエリザベス> 文 ポプラ社文庫• 『おてんばエリザベス』1986• 『おてんばエリザベスのすてきな夢』1986• 『おてんばエリザベスのすてきな友だち』1987• <こちらおなじみ探険隊> 文 ポプラ社文庫• 『それいけ!宝島へ』1986• 『秘密の迷路をさがせ!』1987• 『謎のシグナルをさぐれ!』1988• <フェイマス・ファイブ> 実業之日本社• 『宝島への大冒険』 訳 2003• 『島にいるのはだれだ!』 ,訳 2004• 『サーカス団の秘密』 ,訳 2004• <マロリータワーズ学園シリーズ> 文 ポプラ社文庫• 『はりきりダレルは新入生』1987• 『はりきりダレルと麗しの転校生』1987• 『はりきりダレルと女優志望の女の子』1988• 『はりきりダレルとかわいい妹』1989• 『はりきりダレルとシンデレラ』1990• 『はりきりダレルの卒業ノート』1991• <シークレット・セブン探偵ノート> 文 ポプラ社文庫• 『変装雪だるま怪事件』1988• 『夢のサーカス潜入事件』1988• <シークレット・セブン> オークラ出版• 『ひみつクラブとなかまたち』 訳 2007• 『ひみつクラブの大冒険!』 訳 2007• 『ひみつクラブとツリーハウス』 訳 2007• 『ひみつクラブと五人のライバル』 訳 2007• 『ベッツィ・メイとこいぬ』 訳 岩波書店 2015• 『ベッツィ・メイとにんぎょう』 訳 岩波書店 2015• <ゆかいなノディー> 講談社• 『ノディーおもちゃのくにへ』 訳 1976• 『ノディーとじどうしゃどろぼう』 訳 1976• 『ノディーのタクシーやさん』 訳 1976• 『ノディーとグルグルゴリー』 訳 1977• 『ノディーといたずらこおに』 訳 1977• 『ノディーのがくげいかい』 訳 1977• 『ノディーうみへいく』 訳 1977• 『ノディーのめいたんてい』 訳 1977• 『ノディーとまほうのけしゴム』 訳 1977• 『ノディーのじどうしゃレース』 訳 1977• 『ノディーにサンタがやってきた』 訳 1977• 『ノディーのたこたこあがれ』 訳 1977• <おもちゃの国のノディ>(絵本) 文溪堂• 1『ノディとおとしもの』 訳 1995• 2『たいへんくるまがぬすまれた』 訳 1995• 3『まほうのケシゴム』 訳 1995• 4『ノディとあめのひ』 訳 1995• 5『びょうきになったくるま』 訳 1995• 6『ノディのたこあげ』 訳 1995• 7『あたらしいおともだち』 訳 1995• 8『ノディのついてないひ』 訳 1995• 9『ノディのぎゅうにゅうやさん』 訳 1995• 10『ノディのおまわりさん』 訳 1995• 『ノディとサンタクロース』 訳 1995• 『ノディ、いまなんじ?』1996 アソル・マクドナルド絵• 『ノディ、どんないろ?』1997• 『ノディ、いっしょにかぞえてね』1997• <おもちゃのくにのノディえほん>(絵本) 訳 主婦の友社• 『ノディのおくりもの』2005• 『ビッグイヤーのじてんしゃ』2005• 『まほうのパウダー』2006 (1898~1980) イギリスの作家・民俗学者。 ロンドン郊外のハムステッド生まれ。 幼い頃から昔話や妖精物語に親しむ。 オックスフォード大学で英文学を学び、ガールスカウトの指導者としてストーリーテリングや演劇活動を行う。 第二次大戦時は空軍で働く。 戦後オックスフォード大学に戻って民俗学の研究に努め、博士号を獲得。 イギリスの民話・伝説を収集・分類した『英国民話事典』(1970~1971)、『妖精事典』(1976)などの著書がある。 英国民俗学会の会長も務める。 物語作品に、17世紀のイギリス中南部の屋敷を舞台に家つき妖精が魔女と戦う『妖精ディックのたたかい』(1955)、魔女の母親にねらわれる義理の姉妹を守ろうとする少女の物語『魔女とふたりのケイト』(1963)がある。 『妖精ディックのたたかい』 訳 岩波書店 1987• 『魔女とふたりのケイト』 訳 岩波書店 1987 (1920~1996) イギリスの作家・評論家。 30代末まで教師を務める。 その後子どものための本の編集・評論に携わり、英米の現代児童文学作家の発言を集めた『とげのあるパラダイス』(1975)のほか、百科事典・詩集・年鑑の編集を手がける。 レオン・ガーフィールドと共著でギリシア神話を再話した『ギリシア神話物語』(1970)『金色の影』(1973)という作品もあり、前者はカーネギー賞を受賞。 他に、数巻に渡る自伝がある。 (との共作)訳 講談社 1975• 『金色の影』(との共作)訳 ぬぷん児童図書出版 1981 (1914~1970) ノルウェーの作家・詩人。 ヘデマルク地方のリングサーケル生まれ。 貧しい小作農民の子として、学校には行けず幼い頃から働く。 豊かな空想力に恵まれ、歌や物語を作って、各地を歌ったり語ったりして回る。 1945年に最初の作品集を出版。 小説『電灯にとまったツグミ』(1949)は、劇・映画・ミュージカルにもなる。 子ども向けの物語に、突然スプーンぐらいの大きさになってしまうおばさんの愉快な冒険を描く楽しい物語集『小さなスプーンおばさん』『スプーンおばさんのぼうけん』『スプーンおばさんのゆかいな旅』(1957~1967)などがあり、ラジオやテレビにもなって広く親しまれている。 『小さなスプーンおばさん』 訳 学習研究社 1966• 『スプーンおばさんのぼうけん』 訳 学習研究社 1968• 『スプーンおばさんのゆかいな旅』 訳 学習研究社 1970• 『しあわせのテントウムシ』 訳 岩波書店 1979• 『10までかぞえられるこやぎ』(絵本) 訳 福音館書店 1991 林明子絵 (1922~2003) オーストラリアの児童文学作家。 ニューサウスウェールズ州のブルー山脈地方に生まれる。 12歳まで家庭と通信で教育を受け、シドニーの教師養成大学に進む。 教師や演劇関係の仕事についたのち、ラジオ原稿の執筆を始め、40代になってからオーストラリアの現代の青少年の姿を描いたティーンエイジャー向けの都会的な小説を次々に発表。 処女作『青さぎ牧場』(1964)は、人種問題を通して一人の少女が自己を確認するに至る物語で、オーストラリア児童文学賞を受賞。 『青さぎ牧場』 訳 冨山房 1976 ,カルル() (1906~1982) オーストリアの児童文学作家。 ウィーン生まれ。 小学校卒業後、錠前工など様々な職業を転々とし、28歳でブラジルに渡るが、2年後に帰国。 体験談の執筆、古典のリライトなどを経て、第二次大戦後は子ども向けの物語を執筆、多くの賞を受賞。 ノンフィクション的な作品『黄金のファラオ』(1957)は、エジプトのツタンカーメン王の墓の発掘に至る息詰まるドラマを描いている。 他に、メキシコの第一次革命を扱った冒険物語『メキシコの嵐』(1949)、イタリアの家出少年を描いた『ジーノのあした』(1955)、広島の被爆少女を主人公にした『サダコは生きる』(1961)などの作品がある。 『メキシコの嵐』上・下 訳 岩波少年文庫 1958• 『黄金のファラオ』 訳 岩波書店 1973• 『ロボット・スパイ戦争』 訳 あかね書房 1972 (1796~1867) アメリカの作家。 ボストン生まれ。 ハーバード大学を卒業。 教師を経て銀行員として働く。 勤務のかたわら神話や伝説を研究し、読みやすい物語に書きかえて広く紹介する。 ギリシア・ローマ神話などを再話した『空想の時代』(1955)、アーサー王伝説やシャルルマーニュ伝説を再話した『騎士道の時代』(1958)『中世のロマン伝説』(1963)などの著作がある。 日本版の『ギリシア・ローマ神話』は『空想の時代』から神話篇を抜き出したもの。 『ギリシア・ローマ神話』上・下 訳 岩波少年文庫 1954 (1946~ ) イギリスの作家。 ノリッジ生まれ。 オックスフォード大学を卒業。 中学校教師として勤めながら児童文学の執筆を始め、のち専業作家となる。 冒険ファンタジー<ライラの冒険シリーズ>の1作目となる『黄金の羅針盤』(1995)でカーネギー賞・ガーディアン賞を受賞。 宗教的な色合いは濃いものの、多くの異世界の状景や登場人物・生き物たちの魅力も大きくファンタジーの物語として読みごたえがある。 3作目の『琥珀の望遠鏡』(2000)でウィットブレッド賞を受賞。 他の作品に『時計はとまらない』(1996)、ビクトリア朝時代の女性を探偵役にしたミステリーのシリーズなどがある。 <ライラの冒険シリーズ> 訳 新潮社• 『黄金の羅針盤』1999• 『神秘の短剣』2000• 『琥珀の望遠鏡』2002• <サリー・ロックハートの冒険> 訳 東京創元社• 1『マハラジャのルビー』2007• 2『仮面の大富豪』上・下 2008• 3『井戸の中の虎』上・下 2010• 外伝『ブリキの王女』上・下 2011• 『時計はとまらない』 訳 偕成社 1998• 『ぼく、ネズミだったの!』 訳 偕成社 2000• 『花火師リーラと火の魔王』 訳 ポプラ社 2003• 『かかしと召し使い』 訳 理論社 2006 (1923~2013) ドイツの児童文学作家。 ライヒェンベルク(現・チェコのリベレツ)生まれ。 第二次大戦でドイツ軍に入隊、5年間ソビエト軍の捕虜生活を送る。 1949年から西ドイツ(当時)南部シュロスベルクで小学校教師をしながら創作を始める。 1970年以降は作家活動に専念。 愉快で楽しい作品をテンポ良く描き、気のいい魔女やかわいいお化けなどが主人公の『小さい水の精』(1956)『小さい魔女』(1957)『小さいおばけ』(1966)、盗賊とそれを追いかける少年たちが繰り広げる物語『大どろぼうホッツェンプロッツ』(1962)に始まる3連作などがある。 また、ドイツ内のスラヴ系少数民族ヴェンド人の伝説をもとにした『クラバート』(1971)は、愛と自由を描いた味わい深いファンタジーとなっていて、ドイツ児童図書賞を受賞。 『小さい水の精』 訳 学習研究社 1966 / 訳 徳間書店 2003• 『小さい魔女』 訳 学習研究社 1965• 『小さいおばけ』 訳 学習研究社 1967 / 訳 徳間書店 2003• 『大どろぼうホッツェンプロッツ』 訳 偕成社 1966• 『大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる』 訳 偕成社 1970• 『大どろぼうホッツェンプロッツ三たびあらわる』 訳 偕成社 1975• 『クラバート』 訳 偕成社 1980• 『小人ヘルベのぼうけん』 訳 偕成社 1984• 『小人ヘルベと大食らいのツボッテル』 訳 偕成社 1985• 『先生は魔法つかい?』 訳 偕成社 1991• 『かかしのトーマス』 訳 さ・え・ら書房 2012• 『ニット帽の天使』 訳 さ・え・ら書房 2016• 『みどり色のつりがね』(絵本) 訳 偕成社 1980 ヘルベルト・ホルツィング絵• 『ユニコーン伝説』(絵本) 訳 偕成社 1989 ゲンナージー・スピーリン絵• 『おまつりおまつり!』(絵本) 訳 偕成社 1991 ヘルベルト・ホルツィング絵• <プロイスラーの昔話> 訳 小峰書店• 『わたしの山の精霊(リューベツァール)ものがたり』 訳 さ・え・ら書房 2011 (1918~1994) ロシアの作家。 ゴーリキー生まれ。 水路運輸大学を中退後、水夫・工員などの仕事をしたのち、教師となる。 第二次大戦では従軍し、戦後レニングラード大学の新聞学科を卒業。 新聞の編集、映画・演劇の批評やシナリオ、ルポルタージュの執筆などに携わる。 家庭や恋愛の問題に悩むソビエト(当時)の現代の青少年の姿を鋭く描き出した処女作『愛について』(1966)は、劇や映画になり、多くの外国語に訳されアメリカの児童問題研究協会の名誉賞を受賞するなど大きな反響を呼んだ力作である。 『愛について』 ,訳 岩波書店 1973 (1929~ ) イギリスの作家。 バーミンガム生まれ。 19歳で処女作を出版。 美術学校在学中駆け落ち結婚し、夫婦合作を含め本格的に小説を執筆し始める。 馬や飛行機といったものを効果的に絡ませながら一人の女性の一代記をドラマチックに描いた『愛の旅だち』(1967)『雲のはて』(1969)『めぐりくる夏』(1969)の<フランバーズ屋敷の人びと>は、最初の3作でガーディアン賞を、2作目でカーネギー賞を受賞し、のち『愛ふたたび』(1981)を加えて四部作となる。 自分の生き方を探る若者の姿を生き生きと描き出すことに優れ、他に、ピアニストをめざす青年の物語『卒業の夏』(1970)に始まる三部作、60年前の出来事を通じて自分の道を見出だす青年を描いた『バラの構図』(1972)などの作品がある。 <フランバーズ屋敷の人びと> 訳• 4『愛ふたたび』上 岩波少年文庫 1986• 5『愛ふたたび』下 岩波少年文庫 1986• 『バラの構図』 訳 岩波書店 1974• 『走れわたしのポニー』 訳 学習研究社 1980• 『愛のはじまるとき』 訳 晶文社 1984• 『運命の馬ダークリング』 訳 岩波書店 1994• 『駆けぬけて、テッサ!』 訳 徳間書店 2003 (1875~1961) アメリカの児童文学作家。 ニューヨーク州フーシック・フォール生まれ。 コロンビア大学教育学部を卒業。 教師、ソーシャルワーカー、編集者などの仕事に就いたのち、子ども向けの物語の執筆を始める。 1936年結婚、夏場は夫の死後相続したりんご園の経営に携わる。 木の実が頭のちょっと気取った人形の、森での暮らしとその思いがけない結末を描く『ミス・ヒッコリーと森のなかまたち』(1946)で、ニューベリー賞を受賞。 『みんなでつくったクリスマス・ツリー』(絵本) 訳 福音館書店 1985 こうもとさちこ絵 (1938~ ) イギリスの作家。 ミドルセックス州ノースウッド生まれ。 ロンドン大学を卒業。 ロンドンの郵便局や弁護士事務所などに法律の専門家として勤める。 1967年に結婚。 いなくなった母親を探す少年の物語である処女作『黒岳と夏星の国』(1968)は、ウェールズの伝説をもとにした不思議な雰囲気に満ちたファンタジーである。 趣味は旅行、鉄道、歴史、神話、音楽鑑賞など。 『黒岳と夏星の国』 訳 冨山房 1970 (1933~2017) ドイツの作家・詩人。 ザクセン州ケムニッツ(のち東ドイツのカール・マルクス・シュタット)生まれ。 チェコに移住。 第二次大戦後オーストリアを経て西ドイツ(当時)に戻る中、相次いで両親を失う。 ギムナジウムを中退して工場で働いたのち、新聞記者や雑誌の編集者を務めるかたわら詩や小説を出版。 専業作家となり、1970年頃からは子ども向けの作品を書き始める。 障害児の心を見事に描いた『ヒルベルという子がいた』(1973)、老いを扱いドイツ児童図書賞を受賞した『おばあちゃん』(1975)など、決して楽しいばかりではない現実を簡潔にありのままに描き出すことに優れている。 他に、初恋を描きチューリヒ児童図書賞を受賞した『ベンはアンナがすき』(1979)、戦後の混乱を描いた『ぼくは松葉杖のおじさんと会った』(1986)などの作品がある。 『ヒルベルという子がいた』 訳 偕成社 1978• 『おばあちゃん』 訳 偕成社 1979• 『ベンはアンナがすき』 訳 偕成社 1983• 『ヨーンじいちゃん』 訳 偕成社 1985• 『ぼくは松葉杖のおじさんと会った』 訳 偕成社 1988• 『ひとりだけのコンサート』 訳 偕成社 1991• 『クララをいれてみんなで6人』 訳 偕成社 1995• 『屋根にのるレーナ』 訳 偕成社 1997• 『風に向かっての旅』 訳 偕成社 2003• 『家出する少年』 訳 さ・え・ら書房 1988• 『さよなら わたしの本屋さん』 訳 さ・え・ら書房 1996• 『テオの家出』 訳 文研出版 1990• 『おくればせの愛』 訳 岩波書店 1992 (1628~1703) フランスの作家・詩人・評論家。 パリ生まれ。 リヨン大学で弁護士の資格を得、のち大蔵大臣コルベールに認められてルイ14世の宮廷に仕える。 1671年アカデミー会員となる。 1687年、現代(17世紀)は古典の時代より優れているとした詩を発表し、フランス文学界に「新旧論争」を巻き起こす。 一方、当時サロンで流行していた民話を再話したコントの執筆を手がけ、韻文で「ろばの皮」など3編、散文で「長靴をはいたねこ」「サンドリヨン(シンデレラ)」「青ひげ」「親指小僧」など8編を発表し、『教訓つきの昔話集』(1697)として無署名で刊行。 これらの話は、テンポのよい文章で民話の基本の型を守りながら、具体的な描写で当時の生活を盛りこんで脚色し、子どもたちを含め広く受け入れられ、今日まで読まれている。 『長ぐつをはいたねこ』 訳 偕成社文庫 1978• 『ペロー童話集』 訳 岩波少年文庫 2003 /他多数 (1922~2003) ドイツの作家。 グロイチュ生まれ。 医学を志すが、第二次大戦での兵役をはさんだのち、戦後はオーストリアの大学で音楽学とゲルマン学を学ぶ。 教会関係の図書館の司書や編集の仕事をするほか、大学で音楽史と児童文学を教え、イギリス児童文学の翻訳も手がける。 ハンス・マルティンソンの筆名で1960年代に2冊の小説を出版。 20年の間を置いて、架空の世界でのとある不思議な石と笛を巡る一人の少年の成長物語、一人の男の一代記となる、味わい深く読みごたえのあるメルヘン・ロマン『石と笛』(1983)を発表。 その他の作品に、架空の国での言語の問題を扱った不思議な小説『鏡の中の言葉』(1984)などがある。 『石と笛』1~3下 訳 河出書房新社 1993 (), (1932~ ) ドイツの作家・絵本作家。 ケルン生まれ。 バイエルン地方で育つ。 グラフィック・デザインを学び、1950年代から絵本作家として活動する。 1970年代から読み物も書き始め、アメリカの開拓時代の連作、馬や戦争を題材にした作品を発表。 1980年代以降は、探検好きな父親に連れられてアマゾンを訪れた少女の体験を描いた冒険物語『月の狩人』(1983)、アフリカやアラビアを舞台とした二重構造の物語『砂漠の宝』(1987)など、エキゾチックで神秘的な雰囲気を持つ作品も手がけている。 『月の狩人』 訳 福武書店 1987• 『砂漠の宝』 訳 福武書店 1990• 『りんごどろぼうはだーれ?』(絵本) 訳 偕成社 1982 ホイク絵• 『かがやく星を道しるべに』(絵本) 訳 新教出版社 1994 ウーリセス・ウェンセル絵• 『ふくろうおばけとゆうれいねずみ』(絵本) ,訳 評論社 1996 ベルンハート・オーベルディーク絵 (),ウィリアム (1944~ ) イギリスの作家。 オックスフォード生まれ。 ブリストル大学を卒業。 10年間ロンドンで「デーリー・メール」紙の編集者として働いたのち、1978年から専業作家となる。 モグラの世界の愛と闘いを描いた優れた動物ファンタジー『ダンクトンの森』(1980米)で、高く評価される。 他に、ケネス・グレアムの『たのしい川べ』の続編『川べにこがらし』(1993)『川べに恋風』(1995)、大人向けの作品に、障害者の心とコンピュータの世界を描く『スカヤグリーグ』(1987)などがある。 『ダンクトンの森』上・中・下 訳 評論社 1987• 『川べにこがらし』 訳 講談社 1994• 『川べに恋風』 訳 講談社 1998 (1880~1961) アメリカの民話研究家。 オハイオ州リープシック生まれ。 オハイオ・ノーザン大学、ハーバード大学を卒業。 アイオワ州やミシガン州の大学で英語を教える。 イギリスの児童文学作家マージェリイ・ビアンコとフィンランドの民話を集め、美しい民話集『あるフィンランドの家からきいたお話』(1936)などを出版する。 日本版の『かぎのない箱』はその中から7編を選んで訳したもの。 他の子ども向けの作品に『史上最高のカウボーイ』(1937)などがある。 『かぎのない箱』(との共作)訳 岩波書店 1963 (1923~2009) デンマークの作家。 コペンハーゲン生まれ。 農民として働いていたが、17歳で渡米、のちカナダを経て、アイルランドに移住。 第二次大戦時はパイロットとして従軍、イタリアに赴く。 アメリカ、イギリス、日本を含め世界各地を舞台にして、戦争、愛、自由などを扱った物語を平易な文章で描いている。 バイキングの少年と奴隷だった少女の物語『バイキングのハーコン』(1963)『どれい少女ヘルガ』(1965)の連作のほか、ボストングローブ・ホーンブック賞、ジェーン・アダムズ児童図書賞を受賞した、イタリアの戦災孤児の物語『小さな魚』(1967)、1988年フェニックス賞を受賞した、ユダヤ人のローマへの抵抗を描いた『さいごのとりでマサダ』(1968)などの作品がある。 他に、劇作やデンマーク語での詩作、アンデルセンの英訳なども行う。 『バイキングのハーコン』 訳 冨山房 1970• 『どれい少女ヘルガ』 訳 冨山房 1970• 『小さな魚』 訳 冨山房 1969• 『さいごのとりでマサダ』 訳 冨山房 1971• 『心にひめた物語』 訳 冨山房 1973• 『風のみなしご』 訳 冨山房 1975• 『議会への使者』 訳 冨山房 1980 ,ルーシー()・マリア (1892~1990) イギリスの作家。 ランカシャー州サウスポート生まれ。 オックスフォード大学に学び、第一次大戦時はフランスで看護婦を務める。 イギリスで最古の住宅といわれるマナー・ハウスに住み、その家をモデルにした古い屋敷をめぐる物語の連作<グリーン・ノウ物語>を執筆する。 過去の子どもたちとの微妙なふれあいを描く『グリーン・ノウの子どもたち』(1954)、少年と迷い込んできたゴリラとの交流を描きカーネギー賞を受賞した『グリーン・ノウのお客さま』(1961)、屋敷をのっとろうとする現代の魔女と戦う『グリーン・ノウの魔女』(1964)などの作品で、生きることの意義を豊かな空想力で描き出している。 他の作品に、刈り込まれた植木の城の世界を描く『みどりの魔法の城』(1965)、海の美しさと不思議を描いた『海のたまご』(1967)、自伝『意地っぱりのおばかさん』(1979)などがある。 バラの古代種の栽培、刺繍などにも優れる。 <グリーン・ノウ物語> 訳 評論社• 2『グリーン・ノウの煙突』1977• 3『グリーン・ノウの川』1970• 4『グリーン・ノウのお客さま』1968• 5『グリーン・ノウの魔女』1968• 別巻『グリーン・ノウの石』1981• 『みどりの魔法の城』 訳 大日本図書 1980• 『リビイが見た木の妖精』 訳 岩波少年文庫 1980• 『ふしぎな家の番人たち』 訳 岩波書店 2001• ニュー・ハンプシャー州リトルトン生まれ。 病弱で高校を中退、健康を回復後、ニュー・イングランド音楽院を卒業。 結婚後10数年たってから執筆活動を始め、ロマンス小説などを発表する。 「喜びの遊び」で周囲の人々を明るく幸せにしていく孤児の少女の物語『少女パレアナ』(1913)『パレアナの青春』(1915)は、多くの人の心をとらえる忘れがたい印象を残す作品である。 「パレアナ」は喜びを意味する普通名詞として辞書にも載り、他の作家により多くの続編が書かれている。 他の作品に、『スウ姉さん』(1921)などがある。 『少女パレアナ』 訳 角川文庫 1962 /『少女ポリアンナ』 訳 偕成社文庫 1986 / 訳 岩波少年文庫 2002• 『パレアナの青春』 訳 角川文庫 1962 /『ポリアンナの青春』 訳 偕成社文庫 1986 / 訳 岩波少年文庫 2004• 『金髪のマーガレット』 訳 偕成社 1972• 『ぼく、デイヴィッド』 訳 岩波少年文庫 2007 , (1863~1924) アメリカの作家。 インディアナ州生まれ。 1886年に結婚。 鳥の研究に打ち込み、野外生活に関する雑誌に寄稿したり雑誌の写真の編集に携わったりする。 近郊の森を舞台にして、孤児の少年が森の番人をして働きながら幸せをつかむ『そばかすの少年』(1904)、少女が集めた蛾を売って学資をかせごうと奮闘する『リンバロストの乙女』(1909)の連作は、自然の中での印象深い人々の物語である。 小説のほか、鳥の研究の著作がある。 『そばかすの少年』 訳 角川文庫 1964 /『少女のいのり』 編著 偕成社 1961• 『リンバロストの乙女』上・下 訳 角川文庫 1963 / 訳 講談社 1957 (),C.ウォルター (1909~2004) イギリスの児童文学作家・挿絵画家・舞台美術家。 ケント州生まれ。 ゴールドスミス美術大学を卒業。 劇場の舞台装置や衣装・広告のデザインに携わり、壁画や雑誌・物語の挿絵も手がける。 第二次大戦中はカムフラージュの仕事で軍に協力。 自ら挿絵をつけた物語も執筆し、ユーモラスな空想物語『空とぶ家』(1947)のほか、デーン人とサクソン人の戦いの時代を描いた、読みごたえのある骨太な歴史物語の連作『アルフレッド王の戦い』(1964)『アルフレッド王の勝利』(1967)などの作品がある。 『シェイクスピアの劇場』(1964)でケイト・グリーナウェイ賞を受賞。 『アルフレッド王の戦い』 訳 岩波書店 1971• 『アルフレッド王の勝利』 訳 岩波書店 1977• 『空とぶ家』 訳 学習研究社 1965• オックスフォード大学を卒業。 都市計画や教育映画などの仕事に携わる。 1952年処女作を発表、1963年以降は子ども向けの冒険物語なども執筆。 第二次大戦中の疎開してきた少女の生活と心情を細やかに描いた『帰ってきたキャリー』(1973)は、BBCでテレビ映画化され、1993年フェニックス賞を受賞。 続編に、独裁国家への反乱に巻き込まれそうになる少女の物語『砦の町の秘密の反乱』(1978)がある。 他の作品に、ペットの子豚との交流を描き、ガーディアン賞を受賞した『ペパーミント・ピッグのジョニー』(1975)などがある。 『帰ってきたキャリー』 訳 評論社 1977• 『砦の町の秘密の反乱』 訳 評論社 1983• 『ペパーミント・ピッグのジョニー』 訳 評論社 1978• 『闇の中のデービッド』 訳 評論社 1986• 『家族さがしの夏』 訳 国土社 1998• 『おばあちゃんはハーレーにのって』 訳 偕成社 2002 (1925~2011) アメリカの作家。 ペンシルベニア州ランズデイル生まれ。 大学を中退後フィラデルフィア博物館工芸美術学校で学ぶ。 第二次大戦中は従軍しイタリアに出征。 1944年に結婚するが1975年に離婚、のち再婚。 1969年にイギリスに移住。 戦後イラストレーター、アートディレクター、コピーライターなどの仕事をしながら、絵本や物語の執筆を始める。 絵本(文章)では子どもの心理をユーモラスに生き生きと描いた『おやすみなさいフランシス』(1960)『ジャムつきパンとフランシス』(1964)のシリーズ、ウィットブレッド賞を受賞した『さすがのナジョーク船長もトムには手も足もでなかったこと』(1974)、物語ではゼンマイじかけのおもちゃのネズミの親子が幸せを求めて旅をする『親子ネズミの冒険』(1967)などがある。 1970年代からは複雑な構成の大人向けの幻想小説も発表する。 『親子ネズミの冒険』 訳 評論社 1978• 『それぞれの海へ』 訳 評論社 1987• 『エミットとかあさんの歌』 訳 文研出版 1977• 『あやうし、カミナリ山!』 訳 あかね書房 2000• 『池のほとりのなかまたち』 訳 徳間書店 2004• 『おやすみなさいフランシス』(絵本) 訳 福音館書店 1966 ガース・ウィリアムズ絵• 『フランシスのいえで』(絵本) 訳 好学社 1971 リリアン・ホーバン絵• 『ジャムつきパンとフランシス』(絵本) 訳 好学社 1971 リリアン・ホーバン絵• 『フランシスとたんじょうび』(絵本) 訳 好学社 1972 リリアン・ホーバン絵• 『フランシスのおともだち』(絵本) 訳 好学社 1972 リリアン・ホーバン絵• 『ハービーのかくれが』(絵本) 訳 あかね書房 1979 リリアン・ホーバン絵• 『ジョンのふしぎなぼうけん』(絵本) 訳 金の星社 1995 パトリック・ベンソン絵• 『さすがのナジョーク船長もトムには手も足もでなかったこと』(絵本) 訳 評論社 1980 クェンティン・ブレイク絵• 『あこがれの星をめざして』(絵本) 訳 評論社 1999 パトリック・ベンソン絵• 『わにのアーサーおよばれにいく』(絵本) 訳 偕成社 2001 ジェイムズ・マーシャル絵• 『むしゃくしゃかぞく』(絵本) 訳 あすなろ書房 2003 リリアン・ホーバン絵 (), (1856~1919) アメリカの作家。 ニューヨーク州チトナンゴ生まれ。 病弱で、シラキュースの邸宅で家庭教師に教育を受ける。 新聞記者、雑誌の編集者、劇場支配人、雑貨店の経営者、セールスマンなど様々な仕事に従事し、切手収集や養鶏の本も執筆。 子ども向けの作品として出した童謡集の好評を受けて、自分の子どもたちに語って聞かせたファンタジー冒険物語を『オズの魔法使い』(1900)として出版。 低い評価しかしない向きもあるが、子どもたちには大変喜ばれ、色鮮やかな風物や奇想天外な登場人物など、アメリカ的な明るく楽しい現代のおとぎ話として今日まで読み継がれている。 1902年には自らの脚本でミュージカルになり、その後も何度か映画化された。 ファンの要望を受けて多くの続編が書かれ、本人の手になるものが『オズのオズマ姫』(1907)など13作、他の人々によるものが26作あり、<オズ・シリーズ>は全40作となっている。 <オズ・シリーズ> ハヤカワ文庫NV• 『オズの魔法使い』1974 / 訳 国土社 1978 / 訳 福音館書店 1990 / 訳 岩波少年文庫 2003 /他• 『オズの虹の国』1975• 『オズのオズマ姫』1975• 『オズと不思議な地下の国』1985• 『オズへつづく道』1986• 『オズのエメラルドの都』1976• 『オズのつぎはぎ娘』1977• 『オズのチクタク』1981• 『オズのかかし』1982• 『オズのリンキティンク』1988• 『オズの消えたプリンセス』1990• 『オズのブリキの木樵り』1984• 『オズの魔法くらべ』1992• 『オズのグリンダ』1994• ルーアン生まれ。 結婚後一時イギリスへ渡り、のち再婚。 6人の子どもたちを育てながら教育事業に携わり、ロンドンの新聞に民話をもとにした物語や歴史・伝記・地理などの知識を子どもたちに教えるための作品を執筆。 その中の『美女と野獣』(1756)などは簡潔で美しい文体の物語である。 フランスで初めて子ども向けの読み物の雑誌を作り、他にも多くの著作がある。 『美女と野獣』 訳 佑学社 1979 /『ベルとまもの』 編著 講談社 1951 /他 (1939~ ) アメリカの作家。 ミネソタ州生まれ。 エンジニア、編集者、俳優、農夫、トラック運転手、猟師など多くの職業を経たのち作家となる。 戦争の非人間的な面、少数民族、自然と調和した生き方などを取り上げた作品が多い。 自らの体験も盛り込まれた『ひとりぼっちの不時着』(1987)は、カナダの森林に不時着し、たった一人で生き抜いていく少年がサバイバル体験を通して成長していく様を描いたリアルな物語である。 他の作品に『はてしなき追跡』(1984)、『さまざまな出発』(1986)などがある。 『はてしなき追跡』 訳 くもん出版 1991• 『さまざまな出発』 訳 くもん出版 1993• 『ひとりぼっちの不時着』 訳 くもん出版 1994• 『少年は戦場へ旅立った』 訳 あすなろ書房 2005• 『いつもそばに犬がいた』 訳 文研出版 2006• 『ハリスとぼくの夏』 訳 文研出版 2008• 『ローン・ボーイ』 訳 文芸社 2010 , デンマークの作家。 『探偵キムと仲間たち』(1971)に始まる、4人の少年少女が町に起こる事件を次々に解決していく<探偵キム・シリーズ>は、スリルあふれる冒険と友情を描いた連作ミステリーである。 スウェーデンやノルウェーなどの他の北欧の国々のほか、多くの国で訳され広く親しまれている。 <探偵キム・シリーズ> 訳 評論社• 『探偵キムと仲間たち』1975• 『探偵キムと盗まれた宝』1976• 『探偵キムと消えた警官』1976• 『探偵キムと作られた幽霊』1976• 『探偵キムと崖屋敷の秘密』1976• 『探偵キムと海べの足跡』1976• 『探偵キムと青いオウム』1976• 『探偵キムと港祭り事件』1977• 『探偵キムと二人のスパイ』1977• 『探偵キムと宝石のありか』1977 (1902~1970) アメリカの児童文学作家。 ミズーリ州セントルイス生まれ。 犬や馬などの動物のほか書くことが好きで、11歳の頃から物語を書き始める。 女優や演出家など10年程劇場関係の仕事に従事する。 1945年頃からフリーランスのライターになり、動物とその家族の楽しい物語などを執筆する。 作品に、いろいろなことができる不思議な猫が活躍する『へんなネコのセラピナ』(1951)、愉快な犬の物語『ジャンケットがんばる』(1955)などがある。 『ジャンケットがんばる』 訳 学習研究社 1969• 『へんなネコのセラピナ』 訳 学習研究社 1971 (1899~1985) アメリカの作家。 ニューヨーク州マウント・ヴァーノン生まれ。 コーネル大学を卒業後、各地を旅行し様々な職に就く。 1926年から「ニューヨーカー」誌の編集者となり、ユーモラスに社会を風刺したエッセイや詩の執筆も行う。 子豚とクモとの友情の物語『シャーロットのおくりもの』(1952)は、人生や生と死の問題を考えさせる印象深い作品で、映画化もされた。 他の子ども向けの作品として、『ちびっこスチュアート』(1945)、『白鳥のトランペット』(1970)がある。 1970年ローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞。 『ちびっこスチュアート』 訳 法政大学出版局 1975 / 訳 あすなろ書房 2000• 『白鳥のトランペット』 訳 福音館書店 1976 (1881~1952) ドイツの作家・詩人。 ハンブルク郊外のアーレンスブルク生まれ。 高校生のとき家を飛び出して世界各地を放浪し、様々な職に就く。 25歳で処女作を発表、多くの小説・旅行記・劇・詩などを執筆し、当時非常によく読まれる。 1匹のミツバチの少女の冒険物語『みつばちマーヤの冒険』(1912)は、自然の美しさとともに擬人化した昆虫の世界を生き生きと描いた物語で、世界的なベストセラーになり映画化もされた。 他に、『天国の民』(1914)などの作品がある。 『ミツバチ・マアヤの冒険』 訳 岩波少年文庫 1951 /『みつばちマーヤの冒険』 訳 旺文社 1969 /他• 朝日出版社 1962• 『マリオと動物たち』 訳 白水社 1964 (1926~2017) イギリスの作家。 バークシャー州ニューベリー生まれ。 1942年軍隊に入り、航空部隊・陸軍の隊員として世界各地へ赴く。 エジプトに勤務中に短編や論文を雑誌に発表し始める。 戦後退役して結婚、BBCのカメラマンとして務めるかたわら、ラジオやテレビドラマの脚本・短編の執筆を続け、1965年から専業作家となる。 子ども向けの作品には、『くまのパディントン』(1958)に始まる好奇心旺盛なクマの子が騒動を巻き起こす連作があり、幼児のような無邪気な失敗とそれを暖かく見守る周囲の人々を描いた楽しい物語である。 ユーモアあふれる動物物語の作品が多く、他に、モルモットが主人公の<オルガ・ダ・ポルガ物語>(1971)などがある。 <パディントンの本> 福音館書店• <くまのパディントン最終章> WAVE出版• 『パディントン、テストをうける』2017• 『パディントンのどろぼう退治』2018• 『パディントン、映画に出る』2018• <オルガ・ダ・ポルガ物語> ,訳 冨山房• 『オルガとあたらしい仲間』1976• 『オルガとボリス』1976• 『オルガのかつやく』1976• 『ろばのウインドミル』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1977 トニー・カッタネオ絵 [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [].

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荒野行動くるま階級

2018年7月15日 鈴木朝子 (バイヤース),ベッツイ() (1928~ ) アメリカの児童文学作家。 ノース・カロライナ州シャーロット生まれ。 クイーンズ大学を卒業後、結婚。 雑誌や新聞に短編を発表していたが、自分の子の誕生後は子ども向けの物語の執筆を始め、野生動物と少年とのふれあいを描いた『黒ギツネと少年』(1968)などの作品を出版。 現代の子どもたちの心や社会の問題を明るくユーモラスに描き出し、障害児の弟を持つ思春期の少女の心の揺れを描いた『白鳥の夏』(1970)は、ニューベリー賞を受賞。 他の作品に、家族の問題を扱った『うちへ帰ろう』(1977)などがある。 『白鳥の夏』 訳 冨山房 1975• 『黒ギツネと少年』 訳 あかね書房 1975• 『飛べ! ぼくとおじいさんのツル』 訳 旺文社 1982• 『うちへ帰ろう』 訳 文研出版 1983• 『名前のない手紙』 訳 文研出版 1986• 『ありがとう ぼくの家族』 訳 文研出版 1993• 『18番目の大ピンチ』 訳 あかね書房 1993• 『ぼくのおとうとアントニー』 訳 文化出版局 1997• 『漫画少年』 訳 さ・え・ら書房 2011• 『トルネード!』 訳 学研教育出版 2015 (1942~2001) アメリカの作家・評論家。 アメリカ先住民の血を引いて生まれる。 父親を交通事故で失い、白人の家族の養子となる。 美術・音楽・舞踏の評論などの多くのノンフィクションの著作があるほか、講演やテレビなどを通じて先住民の文化を広く紹介する。 小説作品に、先住民の伝説を取り入れた幻想的な美しい物語『アンパオ』(1977)、自伝的な要素を含んだ、先住民の女性の白人との葛藤の中での一代記<物語>などがある。 『アンパオ』 訳 福武書店 1988• <物語> 訳 福武書店• 『伝説の日々』1989• 『汚れなき儀式』1989• 『暁の星をおびて』1989 (1853~1911) アメリカの作家・挿絵画家。 デラウェア州ウィルミントン生まれ。 フィラデルフィアの美術学校に学ぶ。 1876年挿絵入り紀行文が雑誌に採用されたのを機にニューヨークへ出て、「ハーパー」や子ども向けの「セント・ニコラス」などの雑誌で小説や挿絵の仕事をする。 調子の良い言葉づかいで、挿絵も自分で描いた民話や伝説の再話、歴史物語を多く著す。 ロビン・フッド伝説を初めて一つにまとめたと言われる『ロビン・フッドのゆかいな冒険』(1883)や、<アーサー王物語>四部作などを発表。 中世ドイツを舞台にした歴史物語『銀のうでのオットー』(1888)は、荒々しく素朴な時代の中の一人の少年をめぐる心に残る物語である。 『ロビン・フッドのゆかいな冒険』 ,訳 岩波書店 1971• 『カリブ海の海賊』 訳 学習研究社 1973• 『ふしぎなふしぎな時計』 訳 講談社 1972 (1938~ ) アメリカの児童文学作家。 イリノイ州生まれ。 ミズーリ大学でジャーナリズムを、オクラホマ大学で文学を学ぶ。 家出して厳しい自然の中で自分を見つめ直す少女の物語『家出』(1976)の処女作以来、子どもたちに対して重い問題を真っ向から扱い、嘘をつくことの罪、約束を守ることの大切さ、命や平和の問題などを描いている。 他に、ジェーン・アダムズ児童図書賞を受賞した『ヒロシマから帰った兄』(1983)、『トニーが消えた日』(1986)などの作品がある。 執筆活動のかたわらミネアポリス児童図書協会で創作を教える。 訳 文研出版 1981• 『トニーが消えた日』 訳 佑学社 1989• 『ヒロシマから帰った兄』 訳 佑学社 1992• 『ながいながいよる』(絵本) 訳 岩波書店 2011 テッド・ルウィン絵• 『はるのおとがきこえるよ』(絵本) 訳 ブロンズ新社 2015 ジョン・シェリー絵 (1945~2008) ノルウェーの児童文学作家。 オスロ北東のトリシルに生まれる。 オスロ大学で文学と美術を学ぶ。 ムンク美術館に勤めたのち、専業作家となる。 子どもの不安や悩みを詩的な短い文章で淡々と描き、連作『夜の鳥』(1975)『少年ヨアキム』(1979)では、一人の少年をめぐる両親や友人・知人との難しい人間関係を静かに描き出している。 他の作品に、家出少年と関わることで成長していく過保護だった少女の物語『魔法のことばツェッペリン』(1976)などがある。 1990年に国際アンデルセン大賞を受賞。 『魔法のことばツェッペリン』 訳 文研出版 1985• 『消えた一日』 訳 文研出版 1986• 『夏には-きっと』 訳 文研出版 1989• 『月の石』 訳 WAVE出版 1999• 『トロルとばらの城の寓話』 訳 ポプラ社 2002 (1928~ ) ドイツの作家。 チェコ生まれ。 第二次大戦後西ドイツ(当時)へ移住。 チリ、ベネズエラなどのドイツ人学校で教師として働く。 1972年からヘッセン州の小学校で教師を務めるかたわら作家活動を始め、南米での体験や、アウトサイダーや亡命者、平和問題などを扱った作品を執筆。 チューリッヒ児童図書賞を受賞した『最後の子どもたち』(1983)と、ドイツ児童文学賞を受賞した『見えない雲』(1987)は、それぞれドイツでの原爆投下と原子力発電所の事故という現実的な恐ろしさを描いた警句的な近未来小説である。 他の作品に、『うら庭の水の精』(1985)、『おじいちゃんは荷車にのって』(1988)などがある。 『最後の子どもたち』 訳 小学館 1984• 『見えない雲』 訳 小学館 1987• 『ぼく、ネコの父さんになる』 ,訳 小学館 1988• 『小さな逃亡者』 訳 草の根出版会 1988• 『うら庭の水の精』 訳 福武書店 1991• 『おじいちゃんは荷車にのって』 訳 徳間書店 1994• 『ちきゅうの子どもたち』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1990 アンネゲルト・フックスフーバー絵• 『ハロー・ディア・エネミー!』(絵本) 訳 くもん出版 2001 インゲ・シュタイネケ絵 (1914~1988) ドイツの作家・詩人。 バイエルン州アンベルク生まれ。 小学校教師を務めたのち、ベルリン大学で哲学を学ぶ。 卒業後各地を旅行し、詩や戯曲を執筆。 第二次大戦時はナチスの活動に参加し、のち厳しい批判を受ける。 戦後は子ども向けの歴史小説やノンフィクションを多く著し、絵本や幼年向けの読み物、ロシアの子どもの本の翻訳・紹介も手がける。 13世紀のモンゴルでのフビライと弟アリク・ブカの対立を描いた『草原の子ら』(1954)、第二次ポエニ戦争時のハンニバル軍に参加した象つかいの少年の物語『ハンニバルの象つかい』(1960)などの作品で、戦争の中の様々な人間の姿を刻明に描き出している。 他に『コロンブスのむすこ』(1951)、『大昔の狩人の洞穴』(1953)などの作品がある。 『大昔の狩人の洞穴』 訳 岩波少年文庫 1955• 『草原の子ら』上・下 訳 岩波少年文庫 1957• 『コロンブスのむすこ』上・下 訳 岩波少年文庫 1958• 『ハンニバルの象つかい』 訳 岩波書店 1966• 『イーカロスのつばさ』 訳 岩波書店 1979• 『兄弟の船』上・下 訳 平凡社 1957• 『小さくなった大きなぞう』 訳 偕成社 1970• 『たいようの小馬』 訳 学習研究社 1965• 『ペルーの神々と黄金』 訳 学習研究社 1970• 『神々の橋をもとめて』 訳 学習研究社 1971• 『屋根の上の回転木馬 ほか』 訳 講談社 1972• 『うさぎくんはやくはやく!』(絵本) 訳 偕成社 1977 アントニー・ボラチンスキー絵• 『みんなみんなねむっている』(絵本) 訳 評論社 1984 エリカ・ディーチェ=カペレ絵• 『どでかいサイがやってきた』(絵本) 文 評論社 1986 ライナー・シュトルテ絵 (1874~1965) アメリカの作家。 マサチューセッツ州サンドウィッチ生まれ。 幼いうちに父親をなくす。 ボストンの商科大学を中退して靴屋に勤めたのち、フェルプス社の編集者になり、「グッド・ハウスキーピング」誌の編集などに携わる。 1902年頃から雑誌に自然や動物のことを寄稿。 息子に書き送ったお話をもとに動物物語集『西風かあさん』(1910)を出版、以後多くの動物物語を執筆し、日本でも『ふくろねずみのビリーおじさん』などの話が<バージェス アニマル・ブックス>として広く親しまれ、「山ねずみロッキーチャック」の題名でアニメや絵本にもなる。 1938年ノースイースタン大学から文学博士号を授与された。 <バージェス アニマル・ブックス> 金の星社• 『うずらのボブのぼうけん』 訳 1969• 『おしゃべりリスのチャタラー』 訳 1969• 『ふくろねずみのビリーおじさん』 訳 1969• 『くまのバスターはあわてもの』 訳 1969• 『ビーバーが森にやってきた』 訳 1969• 『のねずみダニーのぼうけん』 訳 1969• 『じいさまがえるのたび』 訳 1970• 『いばらやしきのピーターうさぎ』 訳 1970• 『やまねずみジョニーのひみつ』 訳 1970• 『あらいぐまボビーのしっぱい』 訳 1970• 『コヨーテは森いちばんのりこうもの』 訳 1972• 『かものクワックおくさん』 訳 1972• 『子ぎつねレッドの大しっぱい』 訳 1972• 『にっこりいけのヒキガエル』 訳 1972• 『みどりの森は大さわぎ』 訳 1972• 『やまあらしプリックリーのひみつ』 訳 1972• 『スカンク・ジミーのピンチ』 訳 1972• 『森のやじうま・かけすのサミー』 訳 1972• 『じゃこうねずみジェリーのたんけん』 訳 1972• 『コンドルおやじのぼうけん』 訳 1972 (1879~1950) ソビエト時代のロシアの作家。 ウラル地方の村に生まれる。 ペルミ市の神学校を卒業後、教師をするかたわら、子どもの頃から親しんできたウラル地方の民話や伝説を採集。 1918年の内戦に従軍、のち「農民新聞」の記者を務める。 45歳のとき処女作『ウラル昔語り』(1924)を出版。 映画やバレエになった「石の花」「銀のひづめ」などを収め、ソビエト国家賞を受賞した『くじゃく石の小箱』(1939)は、集めた民話・伝説をもとに、鉱山労働者や石細工職人などを登場させながら、自然の美しさや神秘を描いた幻想的な物語集である。 日本版はその中から『石の花』では8編を、<バジョーフ・民話の本>シリーズでは23編を選んで訳したもの。 他に、自伝的小説『みどりの小馬』(1939)などがある。 『石の花』 訳 岩波少年文庫 1981• <バジョーフ・民話の本> 訳 童心社• 『石の花』1979• 『小さな鏡』1983• 『火の踊り子』1983• 『銀のひづめ』1984 (1932~ ) アメリカの児童文学作家。 中国生まれ。 第二次大戦で帰国。 大学を卒業後、小学校の教師となる。 1957年から4年間宣教師の夫とともに日本に滞在し、帰国後日本の中世を舞台にした小説や、民話の絵本を発表。 2人の養子を含む4人の子どもを育てる。 その後子どもたちの心理や様々な家族の姿を、あるがままにしっかりと描いた作品を執筆。 秘密の場所での友情を描いた『テラビシアにかける橋』(1977)、双子の姉妹の愛憎を描いた『海は知っていた』(1980)で、2回ニューベリー賞を受賞。 その他の作品に、里親の間を転々とする激しい性格の少女の生き方と厳しい現実を描いて全米図書賞を受賞した『ガラスの家族』(1978)、スコット・オデール歴史小説賞を受賞した『北極星をめざして』(1996)などがある。 1998年国際アンデルセン大賞を受賞。 『テラビシアにかける橋』 訳 偕成社 1981• 『ガラスの家族』 訳 偕成社 1984• 『海は知っていた』 訳 偕成社 1985• 『父さんと歌いたい』 訳 偕成社 1987• 『もうひとつの家族』 訳 偕成社 1992• 『ワーキング・ガール』 訳 偕成社 1994• 『かぼちゃ畑の女王さま』 訳 偕成社 1996• 『北極星をめざして』 訳 偕成社 1998• 『パンとバラ』 訳 偕成社 2012• 『悪童ロビーの冒険』 訳 白水社 2000• 『星をまく人』 訳 ポプラ社 2003• 『クリスマスの短編』 訳 すぐ書房 1980• 『聖なる夜に』 訳 あすなろ書房 1999• 『いじわるロージー』 訳 あすなろ書房 2000• 『たいようもつきも』(絵本) 訳 日本キリスト教団出版局 2013 パメラ・ドルトン絵• ソルトレーク・シティ生まれ。 コロンビア大学で図書館学を学び、卒業後ニューヨークの公共図書館で児童図書館員として働き、図書館の新聞の編集も行う。 貧乏な百姓のために金持ちから食べ物や金を持って来る鍋の愉快なお話「ものいうなべ」など、のんびりした明るく楽しいデンマークの昔話を再話した『デンマークの13の話』(1947)を出版。 日本版の『ものいうなべ』はその中から8編を選んで訳したもの。 『ものいうなべ』 訳 岩波書店 1964 ,フランセス()・ホジソン (1849~1924) アメリカの作家。 イギリスのマンチェスター生まれ。 幼いうちに父親を失い、1865年にアメリカへ移住。 17歳のときから生活のために小説を書き始める。 1873年に結婚して二人の子の母親となるが、のちに離婚。 ヨーロッパ各地を旅行し、しばしばイギリスに滞在する。 突然イギリス貴族の後継者になったアメリカ育ちの純真な少年が周囲の人心や状況を明るく変えていく『小公子』(1886)、貧しい境遇に落ちながらも気高い心を持ち続ける少女を描いた『小公女』(1905)、ひねくれて育った少女と少年が自然とのふれあいによって成長する『秘密の花園』(1911)の3作で、今日まで広く知られる。 感傷的で通俗的との批判もあるが、その健全なわかりやすさが人の心を強くとらえる名作になっている。 『小公子』 訳 岩波少年文庫 1954 / 訳 岩波少年文庫 2011 /他• 『小公女』 訳 岩波少年文庫 1954 / 訳 岩波少年文庫 2012 / 訳 福音館書店 2011 /他• 『秘密の花園』上・下 訳 岩波少年文庫 1958 / 上・下 訳 岩波少年文庫 2005 / 訳 福音館書店 1979 /他• 『消えた王子』上・下 訳 岩波少年文庫 2010• ロンドン生まれ。 ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジで文学を学ぶ。 一時ニューヨークで暮らし、チェース・マンハッタン銀行で広報の仕事をする。 イギリスからニューヨークに来た子どもたちが、巻き込まれた誘拐事件を解決するスリルあふれる物語『ロッカバイ・ベイビー誘拐事件』(1966)、イギリスの古い屋敷で幽霊になっていた100年前の子どもたちを助けるタイム・ファンタジーでもあるゴースト・ストーリー『幽霊』(1969)などの作品がある。 趣味は乗馬、園芸。 『ロッカバイ・ベイビー誘拐事件』 訳 評論社 1975• 『幽霊』 訳 評論社 1975• 『ネズミあなのネコの物語』(絵本) ,訳 ブックローン出版 1991 ニコラ・ベイリー絵• 『まほうつかいのむすめ』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1993 エロール・ル・カイン絵• 『やんちゃなサルとしずかなパンダ』(絵本) 訳 評論社 2001 メイロ・ソー絵 (1932~2016) アメリカの児童文学作家。 オハイオ州デイトン生まれ。 マサチューセッツ州ノーサンプトンのスミス大学を卒業。 詩人のサムエル・バビットと結婚し、三人の子の母親となる。 いたずら好きで少々ドジな悪魔の物語集『悪魔の物語』(1974)は、挿絵も自分でつけた軽妙でユーモラスな連作で、続編『もう一つの悪魔の物語』(1987)もある。 一方クリストファー賞を受賞した『時をさまようタック』(1975)は、不死になった一家の苦悩を描いた重いファンタジーである。 創作のほか、詩集や絵本のイラストも手がけ、ニューヨーク州のカークランド大学で児童文学の創作とイラストの講師も務める。 『おいしいものさがし』 訳 冨山房 1971• 『時をさまようタック』 訳 評論社 1989• 『ニーノック・ライズ』 訳 評論社 1994• 『悪魔の物語』 訳 評論社 1994• 『もう一つの悪魔の物語』 訳 評論社 1995• 『月は、ぼくの友だち』 訳 評論社 2016• 『アマリリス号』 訳 福武書店 1992• 『おどるねこネリー』(絵本) 訳 評論社 1995• オハイオ州イエロー・スプリングス生まれ。 アンティオーク大学、オハイオ州立大学で社会学を学ぶ。 処女作『わたしは女王を見たのか』(1967)は、アメリカの黒人の心の誇りを描いた印象的な作品で、以後生まれ育った中西部を主な舞台にして、アフリカ系の黒人の生き方を中心に、現代のアメリカ人の様々な姿を魅力的に描き出す。 山地で暮らす少年が外の世界に目を向けていく『偉大なるM.C.』(1974)は、ニューベリー賞、全米図書賞、ボストングローブ・ホーンブック賞を受賞。 他の作品に、自伝的な『わたしはアリラ』(1977)、再度ボストングローブ・ホーンブック賞を受賞した『マイゴーストアンクル』(1982)、アフリカから語り継がれてきた民話を集めた『人間だって空を飛べる』(1985)などがある。 1992年国際アンデルセン大賞、1995年ローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞。 『わたしは女王を見たのか』 訳 岩波書店 1979• 『偉大なるM. 』 訳 岩波書店 1980• 『わたしはアリラ』 訳 岩波書店 1985• 『ジュニア・ブラウンの惑星』 訳 岩波書店 1988• 『プリティパールのふしぎな冒険』 訳 岩波書店 1996• 『雪あらしの町』 訳 岩波書店 1996• 『マイゴーストアンクル』 訳 原生林 1992• 『キャミーの八月』 訳 講談社 1994• 『ブルーイッシュ』 訳 あすなろ書房 2002• 『人間だって空を飛べる』 訳 福音館書店 1989 (1881~1969) ノルウェーの児童文学作家。 教師、舞台女優などの職についたのち、1909年に作家クヌート・ハムズンと結婚、以後は農場で暮らす。 自分の子どもたちをモデルにして、4人の兄弟姉妹の農場での素朴な生活を明るく丁寧に描いた『村の子どもたち』(1924~32)を出版。 日本版の『小さい牛追い』『牛追いの冬』はその中の第一部にあたる。 他に、家族のその後を描いた続編や、詩集、回想記などがある。 『小さい牛追い』 訳 岩波書店 1969• 『牛追いの冬』 訳 岩波書店 1969 (1884~1949) ハンガリーの作家。 南部のセゲド生まれ。 ブダペストの大学を卒業後、ベルリン、パリで学ぶ。 新聞記者をしながら、詩・戯曲・小説を発表、映画評論家・監督としても活動する。 第一次大戦後の共産主義政府に参加して、その崩壊後ドイツやソビエトで亡命生活を送り、第二次大戦後に帰国。 貧しい少年が手にいれた魔法の絵の具をめぐる物語『ほんとうの空色』(1925)は、少年の成長を描いた色彩と空想の豊かな小品である。 他に、歌劇台本『青ひげ公の城』(1911)、映画評論『視覚的人間』(1924)など多くの著作がある。 スコットランドのキリミア生まれ。 エジンバラ大学を卒業後、「ノッティンガム・ジャーナル」紙の記者を務める。 1885年にロンドンへ出てフリーのジャーナリストとして活動しながら評論や小説の執筆を続け、故郷の町を描いた小説『スラムズの窓』(1889)などで認められる。 その後劇作に力を入れ、『あっぱれクライトン』(1902)、『12ポンドの目つき』(1910)などの作品が上演され好評を博す。 初めに小説『小さな白い鳥』(1902)の中に現れたピーター・パンの物語は、戯曲『ピーター・パン、大人になりたがらない少年』(1904初演、1928出版)として独立し、小説の形では『ケンジントン公園のピーター・パン』(1906)『ピーター・パンとウェンディ』(1911)がある。 感傷的なところもあるが、子どもの生き生きとした姿を描いて、今日でも読まれ、上演されている。 1913年に准男爵となる。 セント・アンドルーズ大学、エジンバラ大学の学長となってそれぞれから法学博士号を、オックスフォード大学から文学博士号を授与される。 『ケンジントン公園のピーター・パン』 訳 文研出版 1971• 『ピーター・パン』 訳 岩波少年文庫 1954 /『ピーター・パンとウェンディ』 訳 福音館書店 1972 イギリスの作家。 カナダで様々な仕事に携わったのち、結婚後しばらくインドに滞在。 第二次大戦時に疎開した家をモデルにして、『丘の上のセーラ』(1986)に始まる四人姉妹をその隣人の家族を含めて描く長編小説<ヒルクレストの娘たち>を執筆。 同じ時代・同じ出来事を4人の娘それぞれの視点から語り直す(ただし巻が進むにつれて描かれる時代が長くなっている)という独特の構成で、性格や考え方の違いなどを描き分けて興味深い心理小説にもなっている。 <ヒルクレストの娘たち> 訳 岩波書店• 『丘の家のセーラ』1990• 『フランセスの青春』1991• 『海を渡るジュリア』1992• 『グウェンの旅立ち』1995 (1923~ ) イギリスの作家。 ロンドン生まれ。 ロンドンのコートランド研究所工学科を卒業。 赤十字の看護婦、絵画の復元師、「タイムズ」紙の児童書の書評者などを務めるかたわら、1956年から大人向けの小説の執筆を始める。 ヤング・アダルト向けの作品も書き、大洪水のときの古代エジプトでの冒険の旅を描いて、カーネギー賞を受賞した『ノアの箱船に乗ったのは?』(1968)と、続編を含めた三部作を発表。 他に、不安定な思春期の少年少女のもとで古い伝説がよみがえる微妙なファンタジー『遠い日の歌がきこえる』(1971)、東洋の民話を再話した作品などがある。 『遠い日の歌がきこえる』 訳 冨山房 1986• 『ノアの箱船に乗ったのは?』 訳 冨山房 1987• 『美女と野獣』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1984 エロール・ル・カイン絵 (1923~ ) ドイツの児童文学作家。 シュレージエン(現・ポーランドのシレジア)地方に生まれる。 第二次大戦後西ドイツ(当時)に移住。 戦争と故郷の占領、追放という体験から、ソビエト(ロシア)という国と戦いの中の人間の心の問題を扱った、重厚な歴史物語の力作を執筆。 16世紀のロシアのシベリア征服を、『コサック軍シベリアをゆく』(1959)ではまだ劣勢だったロシア側から、『急げ草原の王のもとへ』(1961)では敗れていくタタール側から描いている。 1963年ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン賞第一位を獲得。 各地の小学校での自作朗読、幼年向けの短編集の編集なども行う。 『コサック軍シベリアをゆく』 訳 岩波書店 1973• 『急げ草原の王のもとへ』 訳 岩波書店 1975• 『なだれだ!行けそうさく犬』 訳 冨山房 1980• 『もうすぐクリスマス』 訳 新教出版社 1983• 『魔法のなべと魔法のたま』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1990 ドゥシャン・カーライ絵 デンマークの児童文学作家。 夫のヴィル・ハンセンが描いた小熊が主人公の漫画『ペッツィ』(1953)の文章を担当する。 この作品がヨーロッパ各国の新聞に掲載され、単行本もベストセラーとなって広く知られる。 以後、森の中を探険して友達を見つけるこうさぎのお話『こうさぎのぼうけん』(1968)など、挿絵も描く夫と合作の形でいくつかの物語を執筆する。 『こうさぎのぼうけん』 訳 学習研究社 1970 () (1922~2012) イギリスの作家。 エジンバラの東のイースト・ロシアン生まれ。 母親はスコットランド人、父親はアイルランド人。 14歳で父親をなくして学校をやめ、以後は図書館で独学しながら作家をめざす。 無駄のない簡潔な文章で、スコットランドの民間伝承や歴史を題材にした物語を執筆。 妖精と人間との争いを扱ったファンタジー『魔の山』(1972)、ローマ人の侵入に対するケルト人の戦いを描いてカーネギー賞を受賞した、読みごたえのある歴史物語『砦』(1974)などの作品がある。 『魔の山』 訳 評論社 1978• 『砦』 訳 評論社 1978• 『つっぱり魔物グロリカン』 訳 評論社 1985 (1907~ ) アメリカの作家。 イリノイ州南部に生まれる。 イリノイ大学とミネソタ大学を卒業し、コロラド大学の大学院で心理学を学ぶ。 イリノイ州の公立中学やサウスダコタ大学でフランス語などを教える。 価値のある古いものを好み、子どもたちとその中の人種問題や貧しい家庭環境などに関心を寄せながら作品を執筆。 ニューベリー賞を受賞した『ジュリー』(1966)は、厳格なおばのもとで暮らす少女の成長を細やかに描いている。 趣味は古い家具や調度品を磨くこと。 イギリスのスコットランド生まれ。 射撃や飛行機操縦に優れ、第二次大戦時は看護婦として海軍病院に勤め、病院車の運転も担当。 1948年にカナダへ移住。 「パンチ」誌や「グラスゴー・ヘラルド」紙などに詩やエッセイを寄稿。 自分の飼犬と飼猫をモデルにした、2匹の犬と1匹の猫が飼い主を求めて困難な旅をする『三びき荒野を行く』(1961)は、ベストセラーとなってカナダ総督賞など多くの賞を受賞し、映画化もされた。 他に、第二次大戦の中の1匹の犬とそれをめぐる人々の姿を印象深く描いた『ベル・リア』(1977)などの作品がある。 『三びき荒野を行く』 訳 あかね書房 1965 /『信じられぬ旅』 訳 集英社 1965• 『ベル・リア』 訳 評論社 1978 ,フィリパ() (1920~2006) イギリスの児童文学作家。 ケンブリッジシャー州のグレート・シェルフォード生まれ。 ケンブリッジ大学を卒業。 情報局に勤めたのち、BBCで脚本家・プロデューサーを務め、その後オックスフォード大学出版局などで編集者として働く。 結核の療養中に想像の楽しみに目覚め、緻密に構成された、情景と心理の描写がきめ細かい優れた作品を執筆。 宝探しをする少年たちの冒険を描いた処女作『ハヤ号セイ川をいく』(1955)で評判になり、共に不自由さを感じていた少年と老女の心がふれあうタイム・ファンタジー『トムは真夜中の庭で』(1958)で、カーネギー賞を受賞。 他に、犬を欲しがる少年の心理を見事に表した『まぼろしの小さい犬』(1962)、ウィットブレッド賞を受賞した『ペットねずみ大さわぎ』(1978)、父親の謎をさぐる少女の物語『サティン入江のなぞ』(1983)などの作品がある。 『トムは真夜中の庭で』 訳 岩波書店 1967• 『ハヤ号セイ川をいく』 訳 講談社 1974/『ミノー号の冒険』 訳 文研出版 1970• 『おばあさん空をとぶ』 訳 文研出版 1972• 『それいけちびっこ作戦』 訳 ポプラ社 1983• 『幽霊を見た10の話』 訳 岩波書店 1984• 『ペットねずみ大さわぎ』 訳 岩波書店 1984• 『サティン入江のなぞ』 訳 岩波書店 1986• 『ライオンが学校へやってきた』 訳 岩波書店 1989• 『こわがっているのはだれ?』 訳 岩波書店 1992• 『川べのちいさなモグラ紳士』 訳 岩波書店 2005• 『8つの物語』 訳 あすなろ書房 2002• 『消えた犬と野原の魔法』 訳 徳間書店 2014• 『コクルおばあさんとねこ』 訳 徳間書店 2018• 『りす女房』(絵本) 訳 冨山房 1982 倉石隆絵• 『エミリーのぞう』(絵本) 訳 岩波書店 1989 ジョン・ローレンス絵• 『ふしぎなボール』(絵本) 訳 岩波書店 1989 ヘレン・ガンリー絵• 『ひとりでおとまりしたよるに』(絵本) 訳 徳間書店 2014 ヘレン・クレイグ絵 (1947~ ) カナダの作家。 大学・大学院で図書館学・児童文学を学ぶ。 児童図書館員・教師を務めるかたわら子どもの本を執筆、のち専業作家となる。 辛い家庭環境を抱えて本の世界に慰めを見出だしている少女の現実にファンタジーを絡めて描いた物語『丘の家、夢の家族』(1996)でカナダ総督賞を受賞。 他にカナダ図書館協会賞を受賞した『床下の古い時計』(1987)などの作品がある。 『床下の古い時計』 訳 金の星社 1990• 『丘の家、夢の家族』 訳 徳間書店 2000 ,マージェリイ(マジョリー)(・) (1881~1944) イギリスの児童文学作家。 ロンドン生まれ。 子どもの頃から英米両国を行き来し、結婚後もヨーロッパ各地やアメリカで過ごす。 子ども時代の思い出を生き生きと描き、本物になる人形のうさぎのお話「ビロードうさぎ」(1922)などの作品がある。 他に、昔話の研究家と集めた美しいフィンランドの民話集『あるフィンランドの家からきいたお話』(1936)があり、日本版の『かぎのない箱』はその中から7編を選んで訳したもの。 『かぎのない箱』(との共作)訳 岩波書店 1963 (1905~1990) イギリスの作家・挿絵画家。 本名D.J.ワトキンス=ピッチフォード。 ノーサンプトン州生まれ。 少年時代は病弱で、家庭で教育を受けながら自然に親しむ。 王立美術学校に学び、のちパリに渡って美術の修業をする。 ラグビー校で美術教師を務めるかたわら、自然を舞台にした物語や随筆を執筆し、ほとんどの作品に本名で挿絵をつける。 『風のまにまに号の旅』(1957)に始まる<あなぐまビルのぼうけん>六部作は、イギリスの田園の中で個性豊かな動物たちが繰り広げるスリルあふれる冒険物語である。 他の作品に、カーネギー賞を受賞した『灰色の小人たちと川の冒険』(1942)、少年の釣りへの情熱を描いた『少年と黒魔女の淵』(1974)などがある。 『少年と黒魔女の淵』 訳 大日本図書 1987• 『森のノーム鉄道』 訳 大日本図書 1988• 『森の魔法使い』 訳 大日本図書 1988• 『灰色の小人たちと川の冒険』 訳 大日本図書 1995• 『灰色の小人たち空を飛ぶ』 訳 大日本図書 1995• <あなぐまビルのぼうけん> 訳 大日本図書• 『風のまにまに号の旅』1983• 『船のクリスマス』1984• 『海賊のしゅうげき』1984• 『どらねこ潜水艦』1984• 『あしのささやき号』1984• 『さよなら風のまにまに号』1984 , (1881~1958) スペインの詩人。 アンダルシア地方のモゲール生まれ。 セビーリャの大学で法律を学ぶ。 19歳でマドリードに出、スペインの近代詩運動に参加して詩人として活動する。 故郷の町で過ごした数年間を一頭のロバに語りかける形で淡々と綴った「子どものための」散文詩『プラテーロとわたし』(1914)は、静かで素朴な心に残る作品である。 1916年にニューヨークで結婚。 1936年に勃発したスペイン内戦により出国、以後アメリカや中南米で過ごす。 1956年ノーベル文学賞を受賞。 ,訳 理論社 1965/ 訳 岩波少年文庫 1975 (1925~2003) カナダの児童文学作家。 イギリスのリバプール生まれ。 幼少期をエジプトで過ごす。 第二次大戦中は海軍の気象部門の仕事に従事し、戦後デザイナー、銀行員として働く。 1952年カナダに移住、オタワの国立研究所に技術者として勤務。 結婚後、1971年頃から本格的に作家活動に入る。 SFを中心に執筆し、他の恒星の惑星上での物語『イシスの燈台守』(1980、2000年にフェニックス賞を受賞)と、その続編でカナダ・カウンシル児童文学賞を受賞した『イシスの後見人』(1981)、寒冷になった地球での生活を描く『リングライズ リングセット』(1982)、カナダ・カウンシル児童文学賞とカナダ・ヤングアダルト・ブック賞を受賞した『闇に追われて』(1994)などの作品がある。 『リングライズ リングセット』 訳 佑学社 1987• 『イシスの燈台守』 訳 すぐ書房 1986• 『イシスの後見人』 訳 すぐ書房 1988• 『闇に追われて』 訳 すぐ書房 1994 (1900~1976) イギリスの作家・詩人。 ウェールズ生まれ。 オックスフォード大学を卒業。 在学中から詩集や戯曲を発表し、卒業後は街頭絵描きなどをしながら世界各地を放浪する。 海賊につかまった子どもたちの行動と心理を鋭く描き出した小説『ジャマイカの烈風』(1929)で広く知られる。 一方子ども向けの作品としては、「まほうのレンズ」「なんにも無い」ほかの奇想天外な短いお話を収めた、友人の子どもたちへの語りから生まれた物語集『クモの宮殿』(1931)などがある。 『ひろったまほうのレンズ』 訳 文研出版 1974• 『クモの宮殿』 ,訳 ハヤカワ文庫FT 1979• ヨークシャー州生まれ。 図書館員、自動車修理工などを経て、1950年から4年間中学校教師を務める。 この頃から作品の執筆を始め、1950年短編でトム=ガロン賞を受賞。 自らの経験を生かして、労働者階級の子どもたちを扱った作品を発表して注目される。 元気な少年少女が身の回りのちょっとしたことを調べて回る『こちらマガーク探偵団』(1973)に始まる<マガーク少年探偵団>シリーズのほか、<幽霊探偵団>シリーズなど多くの作品がある。 <マガーク少年探偵団> 訳 あかね書房• 『こちらマガーク探偵団』1977• 『あのネコは犯人か?』1977• 『消えた新聞少年』1978• 『あやうしマガーク探偵団』1978• 『スーパースターをすくえ』1978• 『見えない犬のなぞ』1979• 『あやしい手紙』1979• 『まぼろしのカエル』1979• 『木の上のたからもの』1980• 『雪の中のスパイ』1981• 『銀行強盗をつかまえろ』1982• 『マガーク対魔女』1983• 『ぬすまれた宝石のなぞ』1984• 『悪魔vsマガーク+数学の天才』1985• 『ゆうかい犯vs空手少女』1986• 『ミイラのつぶやき』1987• 『オウムどろぼう事件』1990• 『作戦名はマガークザウルス』1995• <幽霊探偵団> 訳 講談社• 『とびだせ幽霊探偵団』1988• 『幽霊探偵団コンコルドにのる』1988• 『幽霊探偵団ハロウィン大作戦』1989• 『幽霊探偵団殺人鬼を追う』1990• 『幽霊探偵団対人体のっとり計画』1991 (1881~1965) イギリスの作家・詩人。 ロンドン生まれ。 学校教育は受けず、家庭で読書や兄弟との空想遊びにふける。 1903年作家だった父親が亡くなり一時アメリカに渡るが、まもなく帰国。 自然の中で素朴な生活を送りながら、ロバート・フロスト、エドワード・トマスら多くの詩人・作家と交流し、物語や詩や劇を執筆。 語りの形式をとった民話風の創作物語が多く、生の喜びに満ちた詩情豊かなファンタジーの書き手として、イギリスのアンデルセンとも言われる。 古い歌の遊戯をふまえた恋物語『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(1921)、ばあやが語って聞かせる形の物語集『年とったばあやのお話かご』(1931)、民話を題材にした『銀のシギ』(1953)『ガラスのくつ』(1955)などの作品がある。 「月がほしいと王女さまが泣いた」「十円ぶん」などをおさめた自選短編集『ムギと王さま』(1955)で、1956年のカーネギー賞と国際アンデルセン大賞を受賞。 <ファージョン作品集> 訳 岩波書店• 『年とったばあやのお話かご』1970• 『イタリアののぞきめがね』1970• 『リンゴ畑のマーティン・ピピン』1972• 『ヒナギク野のマーティン・ピピン』1974• 『銀のシギ』1975• 『ガラスのくつ』1986• 『金の足のベルタ』 訳 講談社 1969• 『マローンおばさん』 ,訳 こぐま社 1996• 『ねんねんネコのねるとこは』(絵本) 訳 評論社 1998 アン・モーティマー絵• 『エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする』(絵本) 訳 岩波書店 2004 シャーロット・ヴォーク絵• 『ちいさなもののいのり』(絵本) 訳 新教出版社 2010 エリザベス・オートン・ジョーンズ絵• 『ファージョン自伝』(自伝) 監訳 ,訳 西村書店 2000 , (1939~ ) イギリスの児童文学作家。 ケント州生まれ。 少女時代は病弱で、多くの時間をアーサー・ランサムの物語などを読んで過ごす。 オックスフォード大学で歴史学を、ロンドン大学で社会学を学ぶ。 ウェイトレスやベビーシッター、代用教員などを経験。 学生のとき書いた短編が出版されたことから、子ども向けの本を執筆するようになる。 奇妙な雰囲気に満ちたファンタジーを多く描き、謎の少年と空を飛ぶ『夏の小鳥たち』(1962)、夢の中で時間を越えて飛ぶ『冬の日のエマ』(1966)、40年前の少女と入れ替わってしまう『ある朝、シャーロットは…』(1969)の3連作のほか、別世界への入り口となる不思議なたんすをめぐる冒険を描く『骨の城』(1972)などの作品がある。 『夏の小鳥たち』 訳 篠崎書林 1976• 『冬の日のエマ』 訳 篠崎書林 1977• 『ある朝、シャーロットは…』 訳 篠崎書林 1977• 『骨の城』 訳 篠崎書林 1974• 『陶器の人形』 ,訳 篠崎書林 1977• 『八月四日』 訳 篠崎書林 1978• 『ぼくのカモメ』 訳 岩波書店 1979• 『ちょっとちがった夏休み』 訳 岩波書店 1980• 『イヴの物語』 訳 トパーズプレス 1996 アメリカの作家。 ニューヨーク州生まれ。 中世文学を学び、博士号を取得。 15世紀に関する論文を数多く執筆するほか、ラジオドラマや演劇の脚本・演出を手がける。 編著書に、「ボロずきんの冒険」「三人の強い女」などの、独立心に富み積極的に行動する、元気で賢い少女や女性たちが主人公となっている民話を集めた『ボロずきんの冒険』(1978)がある。 日本版はその中から13話を選んで訳したもの。 『ボロずきんの冒険』 訳 学陽書房 1993 カナダの作家。 ブリティッシュ・コロンビア州ケローナ生まれ。 クィーンズ大学とトロント大学で地質学・鉱物学・古生物学を学ぶ。 オンタリオ博物館で教育部門のスタッフを務めたのち、フリーランサーとなる。 化石を研究するかたわら、雑誌や新聞に化石や古生物の記事を執筆するほか、ラジオの解説などを行う。 作品に、19世紀のイギリスで少女が魚竜の化石を発見するまでを生き生きと描いた興味深い伝記物語『海辺のたから』(1964)がある。 『海辺のたから』 訳 ぬぷん児童図書出版 1977 /『海辺の宝もの』訳 あすなろ書房 2012 (1955~ ) イギリスの作家。 子どもの頃からギリシャ神話や北欧神話などに親しむ。 14歳で「デイリー・ミラー」紙の短編小説コンクールに入賞。 博物館のガイド、皿洗いなど様々な仕事をしながら物語の執筆を続ける。 カーネギー賞を受賞した『ゴースト・ドラム』(1987)は、厳しい北の国を舞台として、淡々と力強く物語られる伝説風のファンタジーである。 他に、『オーディンとのろわれた語り部』(1986)、ガーディアン賞を受賞した『500年のトンネル』(1998)などの作品がある。 『ゴースト・ドラム』 訳 福武書店 1991• 『オーディンとのろわれた語り部』 訳 徳間書店 1997• 『500年のトンネル』上・下 ,訳 創元推理文庫 2003• 『500年の恋人』 ,訳 創元推理文庫 2010• <エルフギフト> 訳 ポプラ社• 上『復讐のちかい』2002• 下『裏切りの剣』2002• 『12の怖い昔話』 他訳 長崎出版 2009• ロンドン生まれ。 幼い頃は音楽家をめざして、ピアノと声楽の勉強に励む。 教育学と自然史を学び、教師として務めたのち、子どもの本のベストセラー作家となる。 ストーリーはやや通俗的・類型的ながら子どもたちの姿はよく書けていて、生涯600作もの作品を執筆し、多くの国でも翻訳出版される。 2組の兄妹が奇妙な小島をめぐる謎を探る『冒険の島』(1944)に始まる<冒険シリーズ>、人形の世界を描きテレビシリーズ化もされた<おもちゃの国のノディ>、学園もの<おちゃめなふたご><おてんばエリザベス>などの作品がある。 <冒険シリーズ> 訳 新学社文庫• 『冒険の島』1984• 『冒険の城』1984• 『冒険の谷』1984• 『冒険の海』1984• 『冒険のサーカス』1990• 『冒険の船』1993• 『冒険の川』1994• 『学校一のいたずらっ子エリザベス』 訳 新学社 1987• 『続 学校一のいたずらっ子エリザベス』 訳 新学社 1993• <クレア学院物語> 文 ポプラ社• 『おちゃめなふたご』1991• 『おちゃめなふたごの同級生』1991• <おちゃめなふたご> 文 ポプラ社文庫• 『おちゃめなふたごの新学期』1985• 『おちゃめなふたごのすてきな休暇』1985• 『おちゃめなふたごのさいごの秘密』1986• <おてんばエリザベス> 文 ポプラ社文庫• 『おてんばエリザベス』1986• 『おてんばエリザベスのすてきな夢』1986• 『おてんばエリザベスのすてきな友だち』1987• <こちらおなじみ探険隊> 文 ポプラ社文庫• 『それいけ!宝島へ』1986• 『秘密の迷路をさがせ!』1987• 『謎のシグナルをさぐれ!』1988• <フェイマス・ファイブ> 実業之日本社• 『宝島への大冒険』 訳 2003• 『島にいるのはだれだ!』 ,訳 2004• 『サーカス団の秘密』 ,訳 2004• <マロリータワーズ学園シリーズ> 文 ポプラ社文庫• 『はりきりダレルは新入生』1987• 『はりきりダレルと麗しの転校生』1987• 『はりきりダレルと女優志望の女の子』1988• 『はりきりダレルとかわいい妹』1989• 『はりきりダレルとシンデレラ』1990• 『はりきりダレルの卒業ノート』1991• <シークレット・セブン探偵ノート> 文 ポプラ社文庫• 『変装雪だるま怪事件』1988• 『夢のサーカス潜入事件』1988• <シークレット・セブン> オークラ出版• 『ひみつクラブとなかまたち』 訳 2007• 『ひみつクラブの大冒険!』 訳 2007• 『ひみつクラブとツリーハウス』 訳 2007• 『ひみつクラブと五人のライバル』 訳 2007• 『ベッツィ・メイとこいぬ』 訳 岩波書店 2015• 『ベッツィ・メイとにんぎょう』 訳 岩波書店 2015• <ゆかいなノディー> 講談社• 『ノディーおもちゃのくにへ』 訳 1976• 『ノディーとじどうしゃどろぼう』 訳 1976• 『ノディーのタクシーやさん』 訳 1976• 『ノディーとグルグルゴリー』 訳 1977• 『ノディーといたずらこおに』 訳 1977• 『ノディーのがくげいかい』 訳 1977• 『ノディーうみへいく』 訳 1977• 『ノディーのめいたんてい』 訳 1977• 『ノディーとまほうのけしゴム』 訳 1977• 『ノディーのじどうしゃレース』 訳 1977• 『ノディーにサンタがやってきた』 訳 1977• 『ノディーのたこたこあがれ』 訳 1977• <おもちゃの国のノディ>(絵本) 文溪堂• 1『ノディとおとしもの』 訳 1995• 2『たいへんくるまがぬすまれた』 訳 1995• 3『まほうのケシゴム』 訳 1995• 4『ノディとあめのひ』 訳 1995• 5『びょうきになったくるま』 訳 1995• 6『ノディのたこあげ』 訳 1995• 7『あたらしいおともだち』 訳 1995• 8『ノディのついてないひ』 訳 1995• 9『ノディのぎゅうにゅうやさん』 訳 1995• 10『ノディのおまわりさん』 訳 1995• 『ノディとサンタクロース』 訳 1995• 『ノディ、いまなんじ?』1996 アソル・マクドナルド絵• 『ノディ、どんないろ?』1997• 『ノディ、いっしょにかぞえてね』1997• <おもちゃのくにのノディえほん>(絵本) 訳 主婦の友社• 『ノディのおくりもの』2005• 『ビッグイヤーのじてんしゃ』2005• 『まほうのパウダー』2006 (1898~1980) イギリスの作家・民俗学者。 ロンドン郊外のハムステッド生まれ。 幼い頃から昔話や妖精物語に親しむ。 オックスフォード大学で英文学を学び、ガールスカウトの指導者としてストーリーテリングや演劇活動を行う。 第二次大戦時は空軍で働く。 戦後オックスフォード大学に戻って民俗学の研究に努め、博士号を獲得。 イギリスの民話・伝説を収集・分類した『英国民話事典』(1970~1971)、『妖精事典』(1976)などの著書がある。 英国民俗学会の会長も務める。 物語作品に、17世紀のイギリス中南部の屋敷を舞台に家つき妖精が魔女と戦う『妖精ディックのたたかい』(1955)、魔女の母親にねらわれる義理の姉妹を守ろうとする少女の物語『魔女とふたりのケイト』(1963)がある。 『妖精ディックのたたかい』 訳 岩波書店 1987• 『魔女とふたりのケイト』 訳 岩波書店 1987 (1920~1996) イギリスの作家・評論家。 30代末まで教師を務める。 その後子どものための本の編集・評論に携わり、英米の現代児童文学作家の発言を集めた『とげのあるパラダイス』(1975)のほか、百科事典・詩集・年鑑の編集を手がける。 レオン・ガーフィールドと共著でギリシア神話を再話した『ギリシア神話物語』(1970)『金色の影』(1973)という作品もあり、前者はカーネギー賞を受賞。 他に、数巻に渡る自伝がある。 (との共作)訳 講談社 1975• 『金色の影』(との共作)訳 ぬぷん児童図書出版 1981 (1914~1970) ノルウェーの作家・詩人。 ヘデマルク地方のリングサーケル生まれ。 貧しい小作農民の子として、学校には行けず幼い頃から働く。 豊かな空想力に恵まれ、歌や物語を作って、各地を歌ったり語ったりして回る。 1945年に最初の作品集を出版。 小説『電灯にとまったツグミ』(1949)は、劇・映画・ミュージカルにもなる。 子ども向けの物語に、突然スプーンぐらいの大きさになってしまうおばさんの愉快な冒険を描く楽しい物語集『小さなスプーンおばさん』『スプーンおばさんのぼうけん』『スプーンおばさんのゆかいな旅』(1957~1967)などがあり、ラジオやテレビにもなって広く親しまれている。 『小さなスプーンおばさん』 訳 学習研究社 1966• 『スプーンおばさんのぼうけん』 訳 学習研究社 1968• 『スプーンおばさんのゆかいな旅』 訳 学習研究社 1970• 『しあわせのテントウムシ』 訳 岩波書店 1979• 『10までかぞえられるこやぎ』(絵本) 訳 福音館書店 1991 林明子絵 (1922~2003) オーストラリアの児童文学作家。 ニューサウスウェールズ州のブルー山脈地方に生まれる。 12歳まで家庭と通信で教育を受け、シドニーの教師養成大学に進む。 教師や演劇関係の仕事についたのち、ラジオ原稿の執筆を始め、40代になってからオーストラリアの現代の青少年の姿を描いたティーンエイジャー向けの都会的な小説を次々に発表。 処女作『青さぎ牧場』(1964)は、人種問題を通して一人の少女が自己を確認するに至る物語で、オーストラリア児童文学賞を受賞。 『青さぎ牧場』 訳 冨山房 1976 ,カルル() (1906~1982) オーストリアの児童文学作家。 ウィーン生まれ。 小学校卒業後、錠前工など様々な職業を転々とし、28歳でブラジルに渡るが、2年後に帰国。 体験談の執筆、古典のリライトなどを経て、第二次大戦後は子ども向けの物語を執筆、多くの賞を受賞。 ノンフィクション的な作品『黄金のファラオ』(1957)は、エジプトのツタンカーメン王の墓の発掘に至る息詰まるドラマを描いている。 他に、メキシコの第一次革命を扱った冒険物語『メキシコの嵐』(1949)、イタリアの家出少年を描いた『ジーノのあした』(1955)、広島の被爆少女を主人公にした『サダコは生きる』(1961)などの作品がある。 『メキシコの嵐』上・下 訳 岩波少年文庫 1958• 『黄金のファラオ』 訳 岩波書店 1973• 『ロボット・スパイ戦争』 訳 あかね書房 1972 (1796~1867) アメリカの作家。 ボストン生まれ。 ハーバード大学を卒業。 教師を経て銀行員として働く。 勤務のかたわら神話や伝説を研究し、読みやすい物語に書きかえて広く紹介する。 ギリシア・ローマ神話などを再話した『空想の時代』(1955)、アーサー王伝説やシャルルマーニュ伝説を再話した『騎士道の時代』(1958)『中世のロマン伝説』(1963)などの著作がある。 日本版の『ギリシア・ローマ神話』は『空想の時代』から神話篇を抜き出したもの。 『ギリシア・ローマ神話』上・下 訳 岩波少年文庫 1954 (1946~ ) イギリスの作家。 ノリッジ生まれ。 オックスフォード大学を卒業。 中学校教師として勤めながら児童文学の執筆を始め、のち専業作家となる。 冒険ファンタジー<ライラの冒険シリーズ>の1作目となる『黄金の羅針盤』(1995)でカーネギー賞・ガーディアン賞を受賞。 宗教的な色合いは濃いものの、多くの異世界の状景や登場人物・生き物たちの魅力も大きくファンタジーの物語として読みごたえがある。 3作目の『琥珀の望遠鏡』(2000)でウィットブレッド賞を受賞。 他の作品に『時計はとまらない』(1996)、ビクトリア朝時代の女性を探偵役にしたミステリーのシリーズなどがある。 <ライラの冒険シリーズ> 訳 新潮社• 『黄金の羅針盤』1999• 『神秘の短剣』2000• 『琥珀の望遠鏡』2002• <サリー・ロックハートの冒険> 訳 東京創元社• 1『マハラジャのルビー』2007• 2『仮面の大富豪』上・下 2008• 3『井戸の中の虎』上・下 2010• 外伝『ブリキの王女』上・下 2011• 『時計はとまらない』 訳 偕成社 1998• 『ぼく、ネズミだったの!』 訳 偕成社 2000• 『花火師リーラと火の魔王』 訳 ポプラ社 2003• 『かかしと召し使い』 訳 理論社 2006 (1923~2013) ドイツの児童文学作家。 ライヒェンベルク(現・チェコのリベレツ)生まれ。 第二次大戦でドイツ軍に入隊、5年間ソビエト軍の捕虜生活を送る。 1949年から西ドイツ(当時)南部シュロスベルクで小学校教師をしながら創作を始める。 1970年以降は作家活動に専念。 愉快で楽しい作品をテンポ良く描き、気のいい魔女やかわいいお化けなどが主人公の『小さい水の精』(1956)『小さい魔女』(1957)『小さいおばけ』(1966)、盗賊とそれを追いかける少年たちが繰り広げる物語『大どろぼうホッツェンプロッツ』(1962)に始まる3連作などがある。 また、ドイツ内のスラヴ系少数民族ヴェンド人の伝説をもとにした『クラバート』(1971)は、愛と自由を描いた味わい深いファンタジーとなっていて、ドイツ児童図書賞を受賞。 『小さい水の精』 訳 学習研究社 1966 / 訳 徳間書店 2003• 『小さい魔女』 訳 学習研究社 1965• 『小さいおばけ』 訳 学習研究社 1967 / 訳 徳間書店 2003• 『大どろぼうホッツェンプロッツ』 訳 偕成社 1966• 『大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる』 訳 偕成社 1970• 『大どろぼうホッツェンプロッツ三たびあらわる』 訳 偕成社 1975• 『クラバート』 訳 偕成社 1980• 『小人ヘルベのぼうけん』 訳 偕成社 1984• 『小人ヘルベと大食らいのツボッテル』 訳 偕成社 1985• 『先生は魔法つかい?』 訳 偕成社 1991• 『かかしのトーマス』 訳 さ・え・ら書房 2012• 『ニット帽の天使』 訳 さ・え・ら書房 2016• 『みどり色のつりがね』(絵本) 訳 偕成社 1980 ヘルベルト・ホルツィング絵• 『ユニコーン伝説』(絵本) 訳 偕成社 1989 ゲンナージー・スピーリン絵• 『おまつりおまつり!』(絵本) 訳 偕成社 1991 ヘルベルト・ホルツィング絵• <プロイスラーの昔話> 訳 小峰書店• 『わたしの山の精霊(リューベツァール)ものがたり』 訳 さ・え・ら書房 2011 (1918~1994) ロシアの作家。 ゴーリキー生まれ。 水路運輸大学を中退後、水夫・工員などの仕事をしたのち、教師となる。 第二次大戦では従軍し、戦後レニングラード大学の新聞学科を卒業。 新聞の編集、映画・演劇の批評やシナリオ、ルポルタージュの執筆などに携わる。 家庭や恋愛の問題に悩むソビエト(当時)の現代の青少年の姿を鋭く描き出した処女作『愛について』(1966)は、劇や映画になり、多くの外国語に訳されアメリカの児童問題研究協会の名誉賞を受賞するなど大きな反響を呼んだ力作である。 『愛について』 ,訳 岩波書店 1973 (1929~ ) イギリスの作家。 バーミンガム生まれ。 19歳で処女作を出版。 美術学校在学中駆け落ち結婚し、夫婦合作を含め本格的に小説を執筆し始める。 馬や飛行機といったものを効果的に絡ませながら一人の女性の一代記をドラマチックに描いた『愛の旅だち』(1967)『雲のはて』(1969)『めぐりくる夏』(1969)の<フランバーズ屋敷の人びと>は、最初の3作でガーディアン賞を、2作目でカーネギー賞を受賞し、のち『愛ふたたび』(1981)を加えて四部作となる。 自分の生き方を探る若者の姿を生き生きと描き出すことに優れ、他に、ピアニストをめざす青年の物語『卒業の夏』(1970)に始まる三部作、60年前の出来事を通じて自分の道を見出だす青年を描いた『バラの構図』(1972)などの作品がある。 <フランバーズ屋敷の人びと> 訳• 4『愛ふたたび』上 岩波少年文庫 1986• 5『愛ふたたび』下 岩波少年文庫 1986• 『バラの構図』 訳 岩波書店 1974• 『走れわたしのポニー』 訳 学習研究社 1980• 『愛のはじまるとき』 訳 晶文社 1984• 『運命の馬ダークリング』 訳 岩波書店 1994• 『駆けぬけて、テッサ!』 訳 徳間書店 2003 (1875~1961) アメリカの児童文学作家。 ニューヨーク州フーシック・フォール生まれ。 コロンビア大学教育学部を卒業。 教師、ソーシャルワーカー、編集者などの仕事に就いたのち、子ども向けの物語の執筆を始める。 1936年結婚、夏場は夫の死後相続したりんご園の経営に携わる。 木の実が頭のちょっと気取った人形の、森での暮らしとその思いがけない結末を描く『ミス・ヒッコリーと森のなかまたち』(1946)で、ニューベリー賞を受賞。 『みんなでつくったクリスマス・ツリー』(絵本) 訳 福音館書店 1985 こうもとさちこ絵 (1938~ ) イギリスの作家。 ミドルセックス州ノースウッド生まれ。 ロンドン大学を卒業。 ロンドンの郵便局や弁護士事務所などに法律の専門家として勤める。 1967年に結婚。 いなくなった母親を探す少年の物語である処女作『黒岳と夏星の国』(1968)は、ウェールズの伝説をもとにした不思議な雰囲気に満ちたファンタジーである。 趣味は旅行、鉄道、歴史、神話、音楽鑑賞など。 『黒岳と夏星の国』 訳 冨山房 1970 (1933~2017) ドイツの作家・詩人。 ザクセン州ケムニッツ(のち東ドイツのカール・マルクス・シュタット)生まれ。 チェコに移住。 第二次大戦後オーストリアを経て西ドイツ(当時)に戻る中、相次いで両親を失う。 ギムナジウムを中退して工場で働いたのち、新聞記者や雑誌の編集者を務めるかたわら詩や小説を出版。 専業作家となり、1970年頃からは子ども向けの作品を書き始める。 障害児の心を見事に描いた『ヒルベルという子がいた』(1973)、老いを扱いドイツ児童図書賞を受賞した『おばあちゃん』(1975)など、決して楽しいばかりではない現実を簡潔にありのままに描き出すことに優れている。 他に、初恋を描きチューリヒ児童図書賞を受賞した『ベンはアンナがすき』(1979)、戦後の混乱を描いた『ぼくは松葉杖のおじさんと会った』(1986)などの作品がある。 『ヒルベルという子がいた』 訳 偕成社 1978• 『おばあちゃん』 訳 偕成社 1979• 『ベンはアンナがすき』 訳 偕成社 1983• 『ヨーンじいちゃん』 訳 偕成社 1985• 『ぼくは松葉杖のおじさんと会った』 訳 偕成社 1988• 『ひとりだけのコンサート』 訳 偕成社 1991• 『クララをいれてみんなで6人』 訳 偕成社 1995• 『屋根にのるレーナ』 訳 偕成社 1997• 『風に向かっての旅』 訳 偕成社 2003• 『家出する少年』 訳 さ・え・ら書房 1988• 『さよなら わたしの本屋さん』 訳 さ・え・ら書房 1996• 『テオの家出』 訳 文研出版 1990• 『おくればせの愛』 訳 岩波書店 1992 (1628~1703) フランスの作家・詩人・評論家。 パリ生まれ。 リヨン大学で弁護士の資格を得、のち大蔵大臣コルベールに認められてルイ14世の宮廷に仕える。 1671年アカデミー会員となる。 1687年、現代(17世紀)は古典の時代より優れているとした詩を発表し、フランス文学界に「新旧論争」を巻き起こす。 一方、当時サロンで流行していた民話を再話したコントの執筆を手がけ、韻文で「ろばの皮」など3編、散文で「長靴をはいたねこ」「サンドリヨン(シンデレラ)」「青ひげ」「親指小僧」など8編を発表し、『教訓つきの昔話集』(1697)として無署名で刊行。 これらの話は、テンポのよい文章で民話の基本の型を守りながら、具体的な描写で当時の生活を盛りこんで脚色し、子どもたちを含め広く受け入れられ、今日まで読まれている。 『長ぐつをはいたねこ』 訳 偕成社文庫 1978• 『ペロー童話集』 訳 岩波少年文庫 2003 /他多数 (1922~2003) ドイツの作家。 グロイチュ生まれ。 医学を志すが、第二次大戦での兵役をはさんだのち、戦後はオーストリアの大学で音楽学とゲルマン学を学ぶ。 教会関係の図書館の司書や編集の仕事をするほか、大学で音楽史と児童文学を教え、イギリス児童文学の翻訳も手がける。 ハンス・マルティンソンの筆名で1960年代に2冊の小説を出版。 20年の間を置いて、架空の世界でのとある不思議な石と笛を巡る一人の少年の成長物語、一人の男の一代記となる、味わい深く読みごたえのあるメルヘン・ロマン『石と笛』(1983)を発表。 その他の作品に、架空の国での言語の問題を扱った不思議な小説『鏡の中の言葉』(1984)などがある。 『石と笛』1~3下 訳 河出書房新社 1993 (), (1932~ ) ドイツの作家・絵本作家。 ケルン生まれ。 バイエルン地方で育つ。 グラフィック・デザインを学び、1950年代から絵本作家として活動する。 1970年代から読み物も書き始め、アメリカの開拓時代の連作、馬や戦争を題材にした作品を発表。 1980年代以降は、探検好きな父親に連れられてアマゾンを訪れた少女の体験を描いた冒険物語『月の狩人』(1983)、アフリカやアラビアを舞台とした二重構造の物語『砂漠の宝』(1987)など、エキゾチックで神秘的な雰囲気を持つ作品も手がけている。 『月の狩人』 訳 福武書店 1987• 『砂漠の宝』 訳 福武書店 1990• 『りんごどろぼうはだーれ?』(絵本) 訳 偕成社 1982 ホイク絵• 『かがやく星を道しるべに』(絵本) 訳 新教出版社 1994 ウーリセス・ウェンセル絵• 『ふくろうおばけとゆうれいねずみ』(絵本) ,訳 評論社 1996 ベルンハート・オーベルディーク絵 (),ウィリアム (1944~ ) イギリスの作家。 オックスフォード生まれ。 ブリストル大学を卒業。 10年間ロンドンで「デーリー・メール」紙の編集者として働いたのち、1978年から専業作家となる。 モグラの世界の愛と闘いを描いた優れた動物ファンタジー『ダンクトンの森』(1980米)で、高く評価される。 他に、ケネス・グレアムの『たのしい川べ』の続編『川べにこがらし』(1993)『川べに恋風』(1995)、大人向けの作品に、障害者の心とコンピュータの世界を描く『スカヤグリーグ』(1987)などがある。 『ダンクトンの森』上・中・下 訳 評論社 1987• 『川べにこがらし』 訳 講談社 1994• 『川べに恋風』 訳 講談社 1998 (1880~1961) アメリカの民話研究家。 オハイオ州リープシック生まれ。 オハイオ・ノーザン大学、ハーバード大学を卒業。 アイオワ州やミシガン州の大学で英語を教える。 イギリスの児童文学作家マージェリイ・ビアンコとフィンランドの民話を集め、美しい民話集『あるフィンランドの家からきいたお話』(1936)などを出版する。 日本版の『かぎのない箱』はその中から7編を選んで訳したもの。 他の子ども向けの作品に『史上最高のカウボーイ』(1937)などがある。 『かぎのない箱』(との共作)訳 岩波書店 1963 (1923~2009) デンマークの作家。 コペンハーゲン生まれ。 農民として働いていたが、17歳で渡米、のちカナダを経て、アイルランドに移住。 第二次大戦時はパイロットとして従軍、イタリアに赴く。 アメリカ、イギリス、日本を含め世界各地を舞台にして、戦争、愛、自由などを扱った物語を平易な文章で描いている。 バイキングの少年と奴隷だった少女の物語『バイキングのハーコン』(1963)『どれい少女ヘルガ』(1965)の連作のほか、ボストングローブ・ホーンブック賞、ジェーン・アダムズ児童図書賞を受賞した、イタリアの戦災孤児の物語『小さな魚』(1967)、1988年フェニックス賞を受賞した、ユダヤ人のローマへの抵抗を描いた『さいごのとりでマサダ』(1968)などの作品がある。 他に、劇作やデンマーク語での詩作、アンデルセンの英訳なども行う。 『バイキングのハーコン』 訳 冨山房 1970• 『どれい少女ヘルガ』 訳 冨山房 1970• 『小さな魚』 訳 冨山房 1969• 『さいごのとりでマサダ』 訳 冨山房 1971• 『心にひめた物語』 訳 冨山房 1973• 『風のみなしご』 訳 冨山房 1975• 『議会への使者』 訳 冨山房 1980 ,ルーシー()・マリア (1892~1990) イギリスの作家。 ランカシャー州サウスポート生まれ。 オックスフォード大学に学び、第一次大戦時はフランスで看護婦を務める。 イギリスで最古の住宅といわれるマナー・ハウスに住み、その家をモデルにした古い屋敷をめぐる物語の連作<グリーン・ノウ物語>を執筆する。 過去の子どもたちとの微妙なふれあいを描く『グリーン・ノウの子どもたち』(1954)、少年と迷い込んできたゴリラとの交流を描きカーネギー賞を受賞した『グリーン・ノウのお客さま』(1961)、屋敷をのっとろうとする現代の魔女と戦う『グリーン・ノウの魔女』(1964)などの作品で、生きることの意義を豊かな空想力で描き出している。 他の作品に、刈り込まれた植木の城の世界を描く『みどりの魔法の城』(1965)、海の美しさと不思議を描いた『海のたまご』(1967)、自伝『意地っぱりのおばかさん』(1979)などがある。 バラの古代種の栽培、刺繍などにも優れる。 <グリーン・ノウ物語> 訳 評論社• 2『グリーン・ノウの煙突』1977• 3『グリーン・ノウの川』1970• 4『グリーン・ノウのお客さま』1968• 5『グリーン・ノウの魔女』1968• 別巻『グリーン・ノウの石』1981• 『みどりの魔法の城』 訳 大日本図書 1980• 『リビイが見た木の妖精』 訳 岩波少年文庫 1980• 『ふしぎな家の番人たち』 訳 岩波書店 2001• ニュー・ハンプシャー州リトルトン生まれ。 病弱で高校を中退、健康を回復後、ニュー・イングランド音楽院を卒業。 結婚後10数年たってから執筆活動を始め、ロマンス小説などを発表する。 「喜びの遊び」で周囲の人々を明るく幸せにしていく孤児の少女の物語『少女パレアナ』(1913)『パレアナの青春』(1915)は、多くの人の心をとらえる忘れがたい印象を残す作品である。 「パレアナ」は喜びを意味する普通名詞として辞書にも載り、他の作家により多くの続編が書かれている。 他の作品に、『スウ姉さん』(1921)などがある。 『少女パレアナ』 訳 角川文庫 1962 /『少女ポリアンナ』 訳 偕成社文庫 1986 / 訳 岩波少年文庫 2002• 『パレアナの青春』 訳 角川文庫 1962 /『ポリアンナの青春』 訳 偕成社文庫 1986 / 訳 岩波少年文庫 2004• 『金髪のマーガレット』 訳 偕成社 1972• 『ぼく、デイヴィッド』 訳 岩波少年文庫 2007 , (1863~1924) アメリカの作家。 インディアナ州生まれ。 1886年に結婚。 鳥の研究に打ち込み、野外生活に関する雑誌に寄稿したり雑誌の写真の編集に携わったりする。 近郊の森を舞台にして、孤児の少年が森の番人をして働きながら幸せをつかむ『そばかすの少年』(1904)、少女が集めた蛾を売って学資をかせごうと奮闘する『リンバロストの乙女』(1909)の連作は、自然の中での印象深い人々の物語である。 小説のほか、鳥の研究の著作がある。 『そばかすの少年』 訳 角川文庫 1964 /『少女のいのり』 編著 偕成社 1961• 『リンバロストの乙女』上・下 訳 角川文庫 1963 / 訳 講談社 1957 (),C.ウォルター (1909~2004) イギリスの児童文学作家・挿絵画家・舞台美術家。 ケント州生まれ。 ゴールドスミス美術大学を卒業。 劇場の舞台装置や衣装・広告のデザインに携わり、壁画や雑誌・物語の挿絵も手がける。 第二次大戦中はカムフラージュの仕事で軍に協力。 自ら挿絵をつけた物語も執筆し、ユーモラスな空想物語『空とぶ家』(1947)のほか、デーン人とサクソン人の戦いの時代を描いた、読みごたえのある骨太な歴史物語の連作『アルフレッド王の戦い』(1964)『アルフレッド王の勝利』(1967)などの作品がある。 『シェイクスピアの劇場』(1964)でケイト・グリーナウェイ賞を受賞。 『アルフレッド王の戦い』 訳 岩波書店 1971• 『アルフレッド王の勝利』 訳 岩波書店 1977• 『空とぶ家』 訳 学習研究社 1965• オックスフォード大学を卒業。 都市計画や教育映画などの仕事に携わる。 1952年処女作を発表、1963年以降は子ども向けの冒険物語なども執筆。 第二次大戦中の疎開してきた少女の生活と心情を細やかに描いた『帰ってきたキャリー』(1973)は、BBCでテレビ映画化され、1993年フェニックス賞を受賞。 続編に、独裁国家への反乱に巻き込まれそうになる少女の物語『砦の町の秘密の反乱』(1978)がある。 他の作品に、ペットの子豚との交流を描き、ガーディアン賞を受賞した『ペパーミント・ピッグのジョニー』(1975)などがある。 『帰ってきたキャリー』 訳 評論社 1977• 『砦の町の秘密の反乱』 訳 評論社 1983• 『ペパーミント・ピッグのジョニー』 訳 評論社 1978• 『闇の中のデービッド』 訳 評論社 1986• 『家族さがしの夏』 訳 国土社 1998• 『おばあちゃんはハーレーにのって』 訳 偕成社 2002 (1925~2011) アメリカの作家。 ペンシルベニア州ランズデイル生まれ。 大学を中退後フィラデルフィア博物館工芸美術学校で学ぶ。 第二次大戦中は従軍しイタリアに出征。 1944年に結婚するが1975年に離婚、のち再婚。 1969年にイギリスに移住。 戦後イラストレーター、アートディレクター、コピーライターなどの仕事をしながら、絵本や物語の執筆を始める。 絵本(文章)では子どもの心理をユーモラスに生き生きと描いた『おやすみなさいフランシス』(1960)『ジャムつきパンとフランシス』(1964)のシリーズ、ウィットブレッド賞を受賞した『さすがのナジョーク船長もトムには手も足もでなかったこと』(1974)、物語ではゼンマイじかけのおもちゃのネズミの親子が幸せを求めて旅をする『親子ネズミの冒険』(1967)などがある。 1970年代からは複雑な構成の大人向けの幻想小説も発表する。 『親子ネズミの冒険』 訳 評論社 1978• 『それぞれの海へ』 訳 評論社 1987• 『エミットとかあさんの歌』 訳 文研出版 1977• 『あやうし、カミナリ山!』 訳 あかね書房 2000• 『池のほとりのなかまたち』 訳 徳間書店 2004• 『おやすみなさいフランシス』(絵本) 訳 福音館書店 1966 ガース・ウィリアムズ絵• 『フランシスのいえで』(絵本) 訳 好学社 1971 リリアン・ホーバン絵• 『ジャムつきパンとフランシス』(絵本) 訳 好学社 1971 リリアン・ホーバン絵• 『フランシスとたんじょうび』(絵本) 訳 好学社 1972 リリアン・ホーバン絵• 『フランシスのおともだち』(絵本) 訳 好学社 1972 リリアン・ホーバン絵• 『ハービーのかくれが』(絵本) 訳 あかね書房 1979 リリアン・ホーバン絵• 『ジョンのふしぎなぼうけん』(絵本) 訳 金の星社 1995 パトリック・ベンソン絵• 『さすがのナジョーク船長もトムには手も足もでなかったこと』(絵本) 訳 評論社 1980 クェンティン・ブレイク絵• 『あこがれの星をめざして』(絵本) 訳 評論社 1999 パトリック・ベンソン絵• 『わにのアーサーおよばれにいく』(絵本) 訳 偕成社 2001 ジェイムズ・マーシャル絵• 『むしゃくしゃかぞく』(絵本) 訳 あすなろ書房 2003 リリアン・ホーバン絵 (), (1856~1919) アメリカの作家。 ニューヨーク州チトナンゴ生まれ。 病弱で、シラキュースの邸宅で家庭教師に教育を受ける。 新聞記者、雑誌の編集者、劇場支配人、雑貨店の経営者、セールスマンなど様々な仕事に従事し、切手収集や養鶏の本も執筆。 子ども向けの作品として出した童謡集の好評を受けて、自分の子どもたちに語って聞かせたファンタジー冒険物語を『オズの魔法使い』(1900)として出版。 低い評価しかしない向きもあるが、子どもたちには大変喜ばれ、色鮮やかな風物や奇想天外な登場人物など、アメリカ的な明るく楽しい現代のおとぎ話として今日まで読み継がれている。 1902年には自らの脚本でミュージカルになり、その後も何度か映画化された。 ファンの要望を受けて多くの続編が書かれ、本人の手になるものが『オズのオズマ姫』(1907)など13作、他の人々によるものが26作あり、<オズ・シリーズ>は全40作となっている。 <オズ・シリーズ> ハヤカワ文庫NV• 『オズの魔法使い』1974 / 訳 国土社 1978 / 訳 福音館書店 1990 / 訳 岩波少年文庫 2003 /他• 『オズの虹の国』1975• 『オズのオズマ姫』1975• 『オズと不思議な地下の国』1985• 『オズへつづく道』1986• 『オズのエメラルドの都』1976• 『オズのつぎはぎ娘』1977• 『オズのチクタク』1981• 『オズのかかし』1982• 『オズのリンキティンク』1988• 『オズの消えたプリンセス』1990• 『オズのブリキの木樵り』1984• 『オズの魔法くらべ』1992• 『オズのグリンダ』1994• ルーアン生まれ。 結婚後一時イギリスへ渡り、のち再婚。 6人の子どもたちを育てながら教育事業に携わり、ロンドンの新聞に民話をもとにした物語や歴史・伝記・地理などの知識を子どもたちに教えるための作品を執筆。 その中の『美女と野獣』(1756)などは簡潔で美しい文体の物語である。 フランスで初めて子ども向けの読み物の雑誌を作り、他にも多くの著作がある。 『美女と野獣』 訳 佑学社 1979 /『ベルとまもの』 編著 講談社 1951 /他 (1939~ ) アメリカの作家。 ミネソタ州生まれ。 エンジニア、編集者、俳優、農夫、トラック運転手、猟師など多くの職業を経たのち作家となる。 戦争の非人間的な面、少数民族、自然と調和した生き方などを取り上げた作品が多い。 自らの体験も盛り込まれた『ひとりぼっちの不時着』(1987)は、カナダの森林に不時着し、たった一人で生き抜いていく少年がサバイバル体験を通して成長していく様を描いたリアルな物語である。 他の作品に『はてしなき追跡』(1984)、『さまざまな出発』(1986)などがある。 『はてしなき追跡』 訳 くもん出版 1991• 『さまざまな出発』 訳 くもん出版 1993• 『ひとりぼっちの不時着』 訳 くもん出版 1994• 『少年は戦場へ旅立った』 訳 あすなろ書房 2005• 『いつもそばに犬がいた』 訳 文研出版 2006• 『ハリスとぼくの夏』 訳 文研出版 2008• 『ローン・ボーイ』 訳 文芸社 2010 , デンマークの作家。 『探偵キムと仲間たち』(1971)に始まる、4人の少年少女が町に起こる事件を次々に解決していく<探偵キム・シリーズ>は、スリルあふれる冒険と友情を描いた連作ミステリーである。 スウェーデンやノルウェーなどの他の北欧の国々のほか、多くの国で訳され広く親しまれている。 <探偵キム・シリーズ> 訳 評論社• 『探偵キムと仲間たち』1975• 『探偵キムと盗まれた宝』1976• 『探偵キムと消えた警官』1976• 『探偵キムと作られた幽霊』1976• 『探偵キムと崖屋敷の秘密』1976• 『探偵キムと海べの足跡』1976• 『探偵キムと青いオウム』1976• 『探偵キムと港祭り事件』1977• 『探偵キムと二人のスパイ』1977• 『探偵キムと宝石のありか』1977 (1902~1970) アメリカの児童文学作家。 ミズーリ州セントルイス生まれ。 犬や馬などの動物のほか書くことが好きで、11歳の頃から物語を書き始める。 女優や演出家など10年程劇場関係の仕事に従事する。 1945年頃からフリーランスのライターになり、動物とその家族の楽しい物語などを執筆する。 作品に、いろいろなことができる不思議な猫が活躍する『へんなネコのセラピナ』(1951)、愉快な犬の物語『ジャンケットがんばる』(1955)などがある。 『ジャンケットがんばる』 訳 学習研究社 1969• 『へんなネコのセラピナ』 訳 学習研究社 1971 (1899~1985) アメリカの作家。 ニューヨーク州マウント・ヴァーノン生まれ。 コーネル大学を卒業後、各地を旅行し様々な職に就く。 1926年から「ニューヨーカー」誌の編集者となり、ユーモラスに社会を風刺したエッセイや詩の執筆も行う。 子豚とクモとの友情の物語『シャーロットのおくりもの』(1952)は、人生や生と死の問題を考えさせる印象深い作品で、映画化もされた。 他の子ども向けの作品として、『ちびっこスチュアート』(1945)、『白鳥のトランペット』(1970)がある。 1970年ローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞。 『ちびっこスチュアート』 訳 法政大学出版局 1975 / 訳 あすなろ書房 2000• 『白鳥のトランペット』 訳 福音館書店 1976 (1881~1952) ドイツの作家・詩人。 ハンブルク郊外のアーレンスブルク生まれ。 高校生のとき家を飛び出して世界各地を放浪し、様々な職に就く。 25歳で処女作を発表、多くの小説・旅行記・劇・詩などを執筆し、当時非常によく読まれる。 1匹のミツバチの少女の冒険物語『みつばちマーヤの冒険』(1912)は、自然の美しさとともに擬人化した昆虫の世界を生き生きと描いた物語で、世界的なベストセラーになり映画化もされた。 他に、『天国の民』(1914)などの作品がある。 『ミツバチ・マアヤの冒険』 訳 岩波少年文庫 1951 /『みつばちマーヤの冒険』 訳 旺文社 1969 /他• 朝日出版社 1962• 『マリオと動物たち』 訳 白水社 1964 (1926~2017) イギリスの作家。 バークシャー州ニューベリー生まれ。 1942年軍隊に入り、航空部隊・陸軍の隊員として世界各地へ赴く。 エジプトに勤務中に短編や論文を雑誌に発表し始める。 戦後退役して結婚、BBCのカメラマンとして務めるかたわら、ラジオやテレビドラマの脚本・短編の執筆を続け、1965年から専業作家となる。 子ども向けの作品には、『くまのパディントン』(1958)に始まる好奇心旺盛なクマの子が騒動を巻き起こす連作があり、幼児のような無邪気な失敗とそれを暖かく見守る周囲の人々を描いた楽しい物語である。 ユーモアあふれる動物物語の作品が多く、他に、モルモットが主人公の<オルガ・ダ・ポルガ物語>(1971)などがある。 <パディントンの本> 福音館書店• <くまのパディントン最終章> WAVE出版• 『パディントン、テストをうける』2017• 『パディントンのどろぼう退治』2018• 『パディントン、映画に出る』2018• <オルガ・ダ・ポルガ物語> ,訳 冨山房• 『オルガとあたらしい仲間』1976• 『オルガとボリス』1976• 『オルガのかつやく』1976• 『ろばのウインドミル』(絵本) 訳 ほるぷ出版 1977 トニー・カッタネオ絵 [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [] [].

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第一章 聖書・聖書外典が語る世界 新約聖書の福音書は、六五~七五年頃に書かれたマルコ伝に始まり、八〇~九〇年代のマタイ伝・ルカ伝 に続いて、一世紀末頃にはヨハネ伝が編まれている。 これらは、いずれもパレスティナ以外の地で、しかも 古代ギリシア語(コイネー)で書かれたという共通点を持つが、あくまでキリスト教布教のための福音書で あり、厳密には歴史的事実を記したものではない。 しかし、キリスト者となった人々が、福音書、その外典、 『黄金文書』などに描かれた事柄を信じ、新しいヨーロッパ世界をつくって来たのは紛れもない事実である。 そこで、これらの書物に記され、キリスト者が信じてきた世界とはどのようなものかを、特に聖人・聖遺物 崇拝との関わりについて触れながら考察してみたい。 (一)聖母マリアの伝説 1 マリアの処女懐胎 マタイ伝によれば、イエスは、聖母マリアの夫ヨセフがダヴィデ王から二七代目の子孫に当たることから、 「ユダヤの王」を継承できる血筋ということになる。 しかし、イエスがマリアの処女懐胎によって生まれた 子供ならヨセフとの血のつながりはなくなる。 こうした問題を簡単にクリアしたのが福音書の外典である。 聖書外典には『ヤコブ原福音書』、『偽トマス福音書』、『偽マタイ福音書』、『マリア誕生譚』、聖アムブロシ ウスのテキスト〈DE VIRGINIBAL〉などがあり、それらはいずれも、ヨセフだけでなくマリアもダビデの 家系だったという。 すなわち、ダビデの息子のうちソロモン王の家系がヨセフの先祖であり、もう一人の息 子ナタンの家系はマリアの父ヨアキムの先祖であると説明している。 ヨアキムと結婚したアンナはマリアと いう女の子を産むが、マリアとはヘブライ語で「海YAMの一滴の水MAR」または「女見神者」(預言者) MYRIAMという意味である。 三歳で神殿に預けられたマリアは、十二歳の時にベツレヘムBethlehemの大 工ヨセフについて行くように命じられた。 ヨセフは、最初の結婚で四人の息子と二人の娘を持つ男やもめで あった。 彼は高齢であるし息子もいるのでマリアとの結婚を辞退したが、説得されて彼女を家に連れて帰っ た。 ヨセフはその後、家を建てる仕事に出かけ、二年間も留守にした。 マリアは、数え年十四歳になった時、聖霊によって身ごもる。 三月二五日、水くみに出かけたマリアは、 「喜べ、恵まれし女よ、主は汝と共にいる。 汝は女の中で祝福されし者である」という声を聴く。 怖くなっ たマリアは急いで帰宅して織物をしていると、大天使ガブリエルが現れて「恐れてはいけません。 マリアよ、 あなたは万物の主の前に恵みを得ました。 主の言葉によって身ごもるでしょう。 」と告げた。 驚いたマリア は「私が主の子を身ごもるですって」と聞き返すが、ガブリエルの説明を聞いて一旦は納得する。 しかし、 許嫁ヨセフの留守中に自分の理解を超えたことが起きたことに不安が募り、親戚のエリザベツを訪ねている (七月二日。 現在は五月三一日に変えられた)。 何故なら、婚約中の密通は姦通罪として石打ちの死刑に値 し、エリザベツが高齢にもかかわらず神の恵みで妊娠したと天使から知らされていたからである。 いずれに しても、マリアは妊娠三ヶ月の身重にもかかわらず、ガリラヤの都市ナザレNazaretから山里の町ユダまで 一人旅をし、エリザベツに会って安心した。 二人はともに聖霊に満たされ主を讃えることが出来たと言われ る。 マリアがナザレに戻った後、しばらくして婚約者ヨセフが仕事を終えて帰ってくる。 彼は、マリアが身ご もっていることを知り怖れおののく。 自分は神殿から引き取った乙女を守らなければならなかったのに、留 守の間に何者かがマリアを汚したと考えたからである。 興奮したヨセフはなじったものの、マリアを姦通罪 の科で告発するすることは忍びがたいと思い直し、離縁して家から追い出すことしか彼女の命を救う途はな いと観念した。 ところが、ある夜、夢の中に大天使ガブリエルが現れて、マリアを妻としてとどめることを 怖れてはならないこと、彼女は聖霊によって身ごもったのであり、生まれる子はイエスと名付けるべきこと、 その子は民を救うであろうことなどを告げた。 ヨセフは驚き、それが神の御心ならそれらを成就する必要が あると考え、敬虔な諦めの境地に至ったという。 こうして、ヨセフはマリアの保護者として彼女と「神の子」 を守る立場を選択したのである。 マリアが臨月を迎えた頃、アウグストゥス帝Augustus(在位紀元前二七~後一四)の人口調査に関する勅 令(前六/七年頃)が発せられ、誰もが自分の出生地で戸籍登録を行う必要があった。 そこでダヴィデ王の 家系であるヨセフはナザレの南方約一〇〇キロ以上離れたベツレヘムまで移動する。 その間、身重の妻はロ バの鞍に乗り、荒野を進んだのである。 ようやくベツレヘムにたどり着いたヨハネは、まだ生まれていない 子供の名前を「ダヴィデの子孫ヨセフ、妻のマリア、その息子イエス」と記した。 ベツレヘムにいる間にマ リアが産気づき、宿を探したが見つからなかったため、やむを得ず馬小屋を借りて、イエスJesusは家畜た ちに見守られながら誕生し、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされたという。 その直後、天使に救い主の 誕生を告げられた羊飼いたちや、星によって導かれてユダヤ人の王に贈り物を捧げる東方の三博士がこの馬 小屋に現れてイエスの誕生を祝福している。 もっとも『ヤコブ原福音書』によれば、マリアはベツレヘム近 郊の洞窟の中でイエスを出産したことになっている。 その時、サロメという女がマリアの処女懐胎を疑って マリアの体を調べているが、それを確認すると、己の不信を嘆いてその手を焼かれたが、神に許しを請い、 赤子を抱き上げたところ癒されたという。 なお、イエス誕生の年月については、マタイ伝では「ヘロデ王の治世にユダヤのベトレヘムで生まれた」 第二章一 とあり、ルカ伝では、「カエサル・アウグストゥスから、全世界の戸口調査をせよとの勅令が出 た。 この戸口調査はクィリニウスがシリア〔州〕の総督であった時施行された、最初のものであった」(第 二章一節)となっており、正確なところは分からない。 例えば、誕生から八日目の一月一日が割礼の祝日、六日が東方の三博 士が訪ねてきた主の顕現の主日、出産から四〇日をへた二月二日が蝋燭の祝福を伴う聖母お清めの祝日とな る。 聖母お清めの祝日は、ユダヤの戒律(レビ一二)の中に、男子を出産した女は汚れているので七日間男 と交渉を持てず、さらに三三日間は神殿にも上がれないという規定に対応している(女子を出産した場合は それぞれ二倍となる)。 2 イエス誕生 マリアの身に試練が続く。 東方の三博士から「ユダヤの王が生まれた」と耳にしたヘロデ王が、ベツレヘ ムとその周辺に住む二歳以下の男の子を皆殺しにする命令を出したからである。 ヨセフの夢の中に現れた天 使がエジプトに逃げるよう告げたので、親子三人でロバの背に揺られながら約五〇〇キロも離れたエジプト への逃避行を行った。 一年ほど過ぎたある日、ヨセフは再びお告げでヘロデ王の死を知り、一家はナザレに 戻る。 ヨセフの一家は毎年、過越祭paschaにはイェルサレムの神殿に詣でていたが、ヨセフ一一〇歳の時、 ついに死の時が訪れた。 病を得たヨセフは死の恐怖から平静さを失ったが、少年イエスが声をかけるとヨセ フは落ち着き、イエスこそが神の遣わした救い主だと実感し、出生の秘密を告げたと言われる。 その時、マ リアは既に三十代になっていたが、悲しみにうちふるえていた彼女を励まし救ったのもイエスである。 ヨセフの死後、イエスは直ぐに宣教を開始することなく、母マリアを支えながら十余年にわたって普通の 生活を過ごしたと思われる。 その後、宣教活動を開始したイエスはわずか数年の布教活動の間に、現実に生 きる人間の眼には信じがたい「神の絶対愛」を証明するために病を癒し、悪魔を祓い、「律法は成就し、人 は神への信仰によって救われる」と説いた。 一般にイエスの教えは「ユダヤ教の律法主義(ファリサイズム) とユダヤの支配層を批判して神の愛を説き、己のごとく隣人を愛する者は救われ、最後の審判とともに神の 国に入れることを約束した」と理解され、反感を抱いたユダヤ人支配層が彼を殺そうとはかり、ローマの総 督ピラトゥスPilatus(ピラトPilato在任二六~三六)は政治犯としてローマ式の極刑である十字架刑に処し たと言われる(三〇年頃)。 しかし、イエスには以上のような記述では説明しきれない別の顔がある。 先ず第一に、強烈な民族主義者 の顔であり、疎外された者への偏向、権力者・富者に対する激しい憤り、差別意識を併せ持つ反逆者の姿で ある。 マタイ伝によれば、イエスは使徒たちに対して「異邦人の道には行くな、またサマリア人の町には入 るな。 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のもとへ行け」(第一〇章五~六)と命じ、「主よ、ダビデの 子よ、私に憐れみを。 私の娘が悪霊に憑かれ、ひどく〔苦しんでおります〕」と叫ぶカナンの女に対して、 一旦は「私は、イスラエルの家の失われた羊たち以外の者のためには遣されていない」(第一五章二二~二 八)と冷たく拒絶している。 一方でイエスは、時の権力者ヘロデ=アンティパスHerod Antipasを「狐」(ル カ伝第一三章三一~三二)、パリサイ派を「蛇よ、蝮の裔よ」(マタイ伝第二三章三三)と罵り、弟子たち に対して「金持ちが神の王国に入るよりは、駱駝が針の孔を通り抜ける方がまだやさしい」(同第一九章二 三~二四)と語っている。 このような発言の底にあるのは、ヘロデ=アンティパスとその背後に控えている ローマ帝国に対するユダヤ民衆の怒りや憎悪の念ではないか。 換言すれば、ユダヤ民衆には民族的誇りを捨 てたヘレニストやローマ帝国の「帝国の論理」に対するどうにも抑えきれない感情があり、そこから派生し た(集団的)抵抗の意志が存在したと考えられる。 イエスの説く「愛と平和」はこうした激しさに裏打ちさ れたものであった。 第二に、福音書のそこかしこに描かれた「慰めの物語」や「奇跡物語」は、イエスが虐げられた人々、貧 しい人々、病める人々の側に居続けよう、人生の同伴者たろうとしていることを示している。 しかし、これ ら不幸な人々が求めるものも、結局のところは現実世界における〈効果〉でしかなかった。 神の愛の現実的 無力に気づいたとき、彼等は掌を返したように裏切る。 イエスが「あなたがたは徴と不思議を見ないかぎり、 決して信じないのであろう」(ヨハネ伝第四章四八)と悲しげに呟くのはそのためである。 イエスがゴルゴダの丘で処刑されたとき、ユダヤの群衆はもとより、イエスの弟子たちもかかわり合いに なることを怖れてガリラヤ(マタイ伝・マルコ伝)またはイェルサレム(ルカ伝・使徒行伝)に逃げ去った と言う。 しかし、ヨハネ伝によれば、「イエスの十字架のそばには、その母と彼の母の姉妹、クロパのマリ アとマグダラのマリアが立っていた(スターバト・マーテルSTABAT MATER=母は立っていた)。 さて、 イエスは母と、自分の愛していた弟子がそばに立っているのを見ると、母に言う、『女よ、ご覧なさい、〔こ れが〕あなたの子です』。 ついでその弟子に言う、『ご覧なさい、〔これが〕あなたの母だ』」(第一九章二五 ~二七)と言い残している。 ヨハネJoanneはこの時以来マリアを引き取り、実の母のように遇したと言わ れている。 しかし、人の子の母として若くして残酷きわまる死に方を した息子のことを考えると、痛いほどの悲しみがマリアの胸から薄らぐことはなかった。 ある日、息子のこ とを思って滂沱の涙を流していたマリアの前に、天使が現れて「祝福されたマリアさま、ヤコブに救いを与 えた方からの恵みをお受けください。 ここに天国から持ってきた棕櫚 しゆろ の葉があります。 これをあなたの棺の 前につけなさい。 三日後にあなたは肉体から離れられるでしょう。 あなたの息子がお待ちしています。 」と 告げた。 マリアはこの知らせにたじろぐことはなかったが、イエス亡き後の行動をともにしてきた使徒たち に囲まれて死にたい、彼らの手で埋葬されたいと望み、また魂が肉体を離れた後で悪霊に出会わないこと、 サタンの手先に邪魔されぬことを願った。 そこで天使はマリアの願いが全て叶うことを告げて天に戻ったが、 マリアのもとには緑輝く大きな棕櫚の葉(実際はヤシ科の常緑高木ナツメヤシ・棗椰子のこと)が残されて いたという。 その頃ヨハネはエフェソスEphesos(小アジア西海岸の都市)で宣教していたが、突然稲妻が光り、白雲 が湧き上がったかと思うと、体が浮遊し、そのままマリアの家の前まで運ばれた。 ヨハネの姿を認めたマリ アは、喜びの涙を浮かべて、「息子ヨハネよ、あなたの師匠が私とあなたを母と子として結びつけた言葉を 覚えていますか。 私にはいよいよ主からお迎えが来ました。 私の体をしっかり守ってください。 ユダヤ人た ちは、イエスを産んだ女が死ぬときはその体を奪って火にくべてしまえと日ごろ言っているのです。 この棕 櫚の葉を棺の前に立てて、無事に墓まで運んでください。 」と頼んだという。 各地に散らばっていた他の使 徒たちもヨハネ同様の方法で戻って来たので、マリアは神を祝福し、使徒たちは松明や燭台を灯してマリア の周りにすわった。 日没後三時間がたった頃、イエスが天使たち、族長たち、殉教者たち、告解師の軍団、処女 おとめ たちの聖歌隊を伴って現れ、聖母マリアの前で甘美な雅歌を歌い始めた。 イエスの「さあ、いらっしゃい、私の選んだあなたよ、あなたの美しさゆえに私の玉座につけましょう」 という呼びかけに応えて、マリアは「心の準備はできています、主よ、心の準備はできています」という言 葉に続いて、あたかも若い日のように輝く顔で「すべての国が私を幸いな者と呼ぶでしょう、聖なる全能の 方が私にお恵みをくれたからです。 」と歌った。 さらに「来なさい、私の妻よ、冠をさずけましょう」とい う主の声に、マリアは「参ります。 私の救い主の中で私の心は喜びでいっぱいです」と答えた。 こうしてマ リアの魂はその肉体から離れて息子イエスに抱かれて去っていった。 その時、マリアに肉体の苦痛は全くな かったと言われる。 主は使徒たちに「聖母の体をヨサファの谷に運んでそこにある新しい墓に入れなさい。 そうして三日間、 私の来るのを待ちなさい」と言い残し、殉教者たちが持っていた薔薇の花と天使たちが抱えていた谷百合の 花が聖母マリアを包み込んだ。 使徒たちは「私たちを覚えていてください」と叫んだ。 また、天に残ってい た天使たちは、イエスの御胸に抱かれて天へ向かうマリアの魂を見て感動し、それが誰かを知ろうとした。 するとイエスに付き従っていた天使たちは「イェルサレムの乙女たちの中で最も美しく慈悲と愛に満ちた方 です」と答えた。 こうしてマリアは歓喜をもって迎えられ、息子の右側の栄光の玉座に座らされた。 使徒た ちはマリアの魂が真っ白に輝くのを見たという。 なお、マリアはイェルサレム近郊で亡くなりゲッセマネの墓所に葬られたという説と、小アジアのエフェ ソスで亡くなったという説がある。 また、聖エピファニウスEpiphanius(三一五~四〇二)によれば、マリ アはイエス昇天後も二四年間生き続けたという。 受胎告知の時に一四歳だから、イエスを出産したのは一五 歳。 イエスとともに三三年間生きたとすると、マリアは七二歳まで生きたことになる。 もっとも教父エウセ ビオスEusebios(二六三頃~三三九頃)の『教会史』の中に、使徒たちがユダヤの国とその周辺を宣教して 回るのに一二年かかったという記述があることから、マリアはイエスの死後一二年間生きて六〇歳で亡くな ったという説もある。 三人の乙女がマリアの遺体を洗うために衣服を脱がせたが、やはり大いなる光が出て誰も聖母の体を見た 者はいなかった。 使徒たちが屍衣のマリアを板に乗せた時、ヨハネは(イエスの第一弟子と見なされていた) ペテロに棕櫚の葉を持って先導するよう頼んだが、ペテロはその役割をヨハネに譲り、自分は遺体を運ぶと 申し出た。 こうして葬列はヨセフが先導し、マリアの棺は使徒たちや伝道者パウロによって運ばれた。 葬列 は彼らと天使たちの歌声とともに進んだが、白い雲が彼らを隠すように包んだため、周りの人々には全く見 えなかった。 ところがマリアの葬列だという噂が広まると、使徒を殺してマリアの体を火にくべようとする 群衆が殺到し、ユダヤの祭司長はマリアの棺に手をかけた。 すると群衆は光のために目が見えなくなり、祭 司長の手は遺体を載せた板から離れなくなって命乞いの叫びを発した。 その時ペテロは祭司長に「主イエス は真に神の子で、ここにおわすのはその聖なる母上だと信じます」と唱えさせ、ヨハネが持つ棕櫚の葉を借 りて武器を持つ群衆に向けて「主イエスを信じる者は癒され、信じない者は永遠に目が見えないだろう」と 言わせた。 マリアの遺体が墓所に入れられてから三日目、約束どおりイエスが多くの天使たちを連れて現れ「平和が あなたがたにありますように」と言い、使徒たちは神を讃えた。 イエスが「今日私の母にどんな恵みをさし あげればいいと思いますか」と尋ねたので、使徒たちは「あなたが死に打ち勝って復活し、永遠に統治され ますように、あなたの母上も、復活させて永遠にあなたの右手に置かれますように」と答えた。 すると大天 使ミカエルがマリアの魂を抱えて現れ、イエスは「起きなさい、お母さん、私の白鳩、栄光の聖櫃 せいき 、命の壺、 天の神殿、私を受胎した時に汚されなかったように、墓の中でも肉体は滅ぼされないでしょう」と声をかけ た。 するとマリアの肉体が墓から持ち上がり、魂が中に入って、多くの天使たちに伴われながら天に上げら れていった(被昇天ASSUMERE)。 このとき、後から駆けつけた使徒トマスThomas(懐疑主義者・実証主義者。 インドで殉教)は墓所が空 であることを見ても聖母マリアの被昇天を信じなかったが、天からマリアの帯がひらひらと落ちてきてよう やく得心がいったと言われている。 マリアの帯は聖遺物としてさまざまの奇跡を起こすことになる。 この上衣は奇蹟による病気治癒だ けでなく、ノルマン侵攻の際にはこの上衣を竿にくくりつけて軍旗のように掲げて戦い、奇跡的勝利を得た と言われる。 天使たちとともに天に上げられた聖母マリアは、イエスに祝福され冠を授けられた(父と子と聖霊の三位 一体よって戴冠されたというイコンIkon, icon〔聖像画〕もある)。 マリア戴冠については、サルド司教のメ リトンが書いたと言われる聖書外典を、六世紀にトゥールのグレゴリウスGregorius(『フランク人の歴史』 Historia Francorumの著者)が使い始めてから広く流布するようになった。 特に十二世紀に入って、サン・ ドニ修道院長シュジェールSugerによって神学的考察がなされ、彼が建設させたサン・ドニ大聖堂Basilique de Saint-Denis (一一三六~四四年建設)をはじめとするゴシック式大聖堂を飾るイコンとなった。 マリア 戴冠の意義は、その〈祝祭性〉にある。 イエスの受難が荒々しく悲劇そのものであり、その昇天が使徒に宣 教を託す荘厳なものであるのに対して、聖母マリアの被昇天と戴冠は全く対照的な明るさ、華やかさがある。 また、同世紀の聖ヴェルナルドゥスBernard (シトー修道会の聖ベルナール。 クレルヴォーのベルナルド ゥスBernard of Clairvaux。 第二回十字軍勧説者)は、「マリアは、その身体に神性という恩寵を、そのここ ろに神の愛という恩寵を、その口に人びとを慰藉する力という恩寵を、その手に寛大な慈悲という恩寵を受 けておられる」と述べ、さらにこう言っている。 「マリアは、ほんとうに恩寵にみたされておられた。 とい うのは、その充溢 じゆういつ から、囚われの人びとは解放を、病める人たちは治癒を、悲しみの人びとは慰めを、罪 人たちは罪の赦しを、義 ただ しい人たちは恩寵を、天使たちは喜びを、聖三位一体は称賛と栄誉を、人の子(イ エス)はまことの人間の身体を受けたからである」と。 (『黄金伝説』の「主のお告げ」より引用) 二 聖女マリア・マグダレーナの伝説 1 海の聖なるマリアたち 南フランスのローマ都市アルルArlesの中心部に、市庁舎や石造博物館などが並ぶレピュブリック広場が ある。 一〇世紀頃から、当時共同墓地アリスカンに 眠っていた聖トロフィモの聖遺物をこの教会(サン=テチエンヌ大聖堂)に安置しなおそうという動きが持 ち上がり、プロヴァンス・ロマネスク様式教会堂の原型が建造された。 やがて、九七二年に聖トロフィムス の聖遺物(遺体)が移され、彼の名に因んでサン=トロフィーム大聖堂となったと言われている。 ところで聖トロフィムスとはどのような人物なのか。 トロフィモとはパウロと行動をともにしていた男で、紀元四六年にア ルルの町に到着してまもなく、カマルグの海辺Camargueに辿り着いた聖なるマリアたち、マグダラのマリ ア、ラザロなど多くのキリスト者を迎え入れたことになっている。 その場所は、ローヌ川が地中海にそそぐ 直前で大ローヌと小ローヌに分かれ、二筋の川がつくりだすデルタ地帯や湿地帯が広がるところで、十九世 紀以降はサント=マリー=ド=ラ=メールSaintes-Maries-de-la-Mer(海の聖なるマリアたち)と呼ばれてい る。 彼の地が特異な名称を持つのは、トロフィモがイェルサレムから小舟で逃れてきた「聖なるマリアたち」、 すなわちマリア・ヤコベ(聖母マリアの姉妹で、クレオパの妻)、マリア・サロメ(聖母マリアの姉妹で、 ゼベダイの妻。 ヤコブとヨハネの母)と、マグダラのマリア(マリア・マグダレーナ)を迎え入れたという 伝承に由来し、その他にもマルタ、ラザロ、マルティア(マルタの召使い)、主によって目を開けてもらっ たセドン(シドワーヌ)、マクシマン(マクシミヌス)なども流れ着いたと言われる。 『黄金伝説』によれば、「主のご受難からかぞえて十四年目、弟子たちは、さまざまな国に出かけていっ て、神の言葉を宣べ伝えていた。 そのころ、主の七十二人の弟子たちのひとりの聖マクシミヌスは、使徒た ちと行動をともにしていた。 聖ペテロは、マグダラのマリアをこのマクシミヌスの手にゆだねた」という。 キリスト教徒弾圧の嵐が吹き荒れる中、捕らえられたマクシミヌスは無理やり小舟に乗せられて海(地中海) に流され、同じ頃、聖母マリアの姉妹たち、マルタ、ラザロ、マグダラのマリアも暴徒に襲われて波騒ぐ大 海へと流された。 「そうすることで、彼等をみな溺れ死にさせられると、不信仰な者たちは考えたのでした」。 実際何度も危機に遭遇したが、マクシミヌスが天に向かって祈りを捧げた結果、小舟は神の恵みに支えられ て無事マルセイユMarseilleに到着したと言われる。 しかし、いつの日か、聖なるマリアたちの乗った舟は ローヌ川の河口(現在のサント=マリー=ド=ラ=メール)に漂着したと信じられるようになったのである。 その後、トロフィモはアルル近辺の洞窟内で祈り三昧の晩年を過ごし、彼の住んだ洞窟の上にモンマジュー ル修道院が建設され、アルルの共同墓地アリスカンにも聖母マリアに捧げられた礼拝堂が建立されたと伝え られている。 マリア・ヤコベとマリア・サロメとこれに従うサラ(召使い)はその場に残り、サント=マリ ーの地域住民と親しく交わって少しずつキリスト教信仰を伝えたものと思われている。 その他、サチュルナンはトゥールーズToulouseへ、またマルタとマクシマン(マクシミヌス)はエクス =アン=プロヴァンス(エクス)Aix-en-Provenceへ向かい、マルタの弟ラザロはマルセイユへ行ったと言わ れる。 そしてマグダラのマリアは、いったんマルセイユに出た後でマクシマンの後を追ってエクスからサン ト=ボーム山塊Massif de la Sainte-Baumeへ赴いたとされており、それぞれの地にはながく語りつがれる伝 説が残っている。 2 マグダラのマリアとは何者か マグダラのマリアとはどのような女性なのか。 出身地マグダラはガリラヤ湖畔の町で、塩漬けの魚を周辺 各地に発送する漁業と商業の盛んな一大集散地であった。 この町でマリアはどのような暮らしをしていたの だろうか。 彼女が福音書に登場するのは、主に福音の旅立ち(ルカ伝第八章一~三)、キリスト磔刑の立会 人(マタイ伝第二七章五五~五七、マルコ伝第一五章、ルカ伝第二三章四九、ヨハネ伝第一九章二五)、キ リスト埋葬の立会人(マタイ伝第二七章六一、マルコ伝第一五章四七、ルカ伝第二三章五五)、キリスト復 活の証人(マタイ伝第二八章一~一〇、マルコ伝第一六章一~一一、ルカ伝第二四章一~一一、ヨハネ伝第 二〇章一~一八)としての四場面である。 先ずマタイ伝・マルコ伝・ルカ伝では、キリスト磔刑に際して「そこには多くの女たちが遠くから見てい た彼女らは、イエスに仕えながら、ガリラヤから彼に従って来た者たちである。 その中には、マグダラのマ リアと、ヤコブとヨセフとの母マリア、そしてゼベダイの子らの母もいた。 」(マタイ伝)とあるが、ヨハ ネ伝においては「イエスの十字架のそばには、その母と彼の母の姉妹、クロバのマリアとマグダラのマリア が立っていた。 」と書かれており、すぐ間近にいたように描かれている。 また、キリスト復活の場面では、 マタイ伝・マルコ伝・ヨハネ伝が彼女と他のマリアたちがキリスト復活の最初の証言者として弟子たちに伝 える役割を果たしているが、マタイ伝は恐怖と歓喜と信頼の感情が入り交じった心理描写を特徴としており、 マルコ伝では驚きや動転、恐れの感情が強調されている。 それに対して、ヨハネ伝のイエスは「私にしがみ つくのはよしなさい。 私はまだのぼって父のところにいるわけではないのだから。 私の兄弟たちのところへ 行きなさい。 」と優しく語り、所謂「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレNoli me tangere)」の主題もイエス と彼女の関係の親密さを表している。 こうしてマグダラのマリアは、初期キリスト時代の教父たちから「使 徒たちへの使徒」と呼ばれ、ギリシア正教会においては亜使徒という称号が使われている。 このように、マグダラのマリアの位置づけをめぐる四人の福音書記者たちの間には著しい相違点が見られ る。 岡田温司氏に従ってより肯定的な立場からより否定的なものへという序列をつければ、ヨハネ、マタイ、 マルコ、ルカという順になろうか(中公新書『マグダラのマリア』参照)。 そして注目すべきは最も否定的 なルカ伝の記述である。 キリスト磔刑から三日目の早朝、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブのマリア、 そして彼女たちと一緒にいた女たちは香料を携えて墓参をするが、そこでキリスト復活を知って引き返し、 使徒たちに伝える。 しかし、彼らはその話を信用せず、シモン・ペトロなど幾人かが墓に走って亜麻布だけ が残っていることを確認している。 その後、復活したキリストが最初にその姿を顕すのは、イェルサレムか ら六〇スタディオン(約一一・五キロ)離れたエマオ村へ向かっていたペテロ、クレオパスの前にであった。 ルカは「まことに主は起こされ、シモンに現れた」と強調しているが、そこから明らかなことはマグダラの マリアなど女性が果たした役割を軽く抑える一方で、使徒ペテロの威信を高めようとする意志である。 こうした意志は、マグダラのマリアと「聖なるマリアたち」の三番目のマリア(ベタニア三兄妹の末子) との混同を生み、やがて二人は同一人物なのではないかと理解されていく。 そこで、話を「ラザロの甦り」 後まで遡らせたい。 ヨハネ伝によれば、その頃のイエスは、弟子たちとともに荒れ野に近いエフライムとい う町で暮らしていたという。 ユダヤの過越祭が近づいたので、彼らはイェルサレムへ行こうとする。 イェル サレム到着の六日前、一行がベタニア村のラザロに家に立ち寄ったところ、イエスのために夕食の席が設け られた。 マルタの給仕で食事が始まろうとしたところ、「マリアが純粋で高価なナルド香油一リトラ(約三 二六グラム)を取ってイエスの足に注ぎ、自分の髪でその足を拭った。 家は香油の香りで満たされた。 」(ヨ ハネ伝第一二章三)。 このとき、弟子の一人イスカリオテのユダがマリアの贅沢を非難するが、イエスは「彼 女のしたいようにさせてあげなさい。 私の葬りの日のためにそれを取っておいたことになるためである。 」 とたしなめている。 マタイ伝やマルコ伝では、この出来事はベタニア村の重い皮膚病患者シモンの家で起き たとなっているが、いずれにしても、塗油はイエスの葬送の用意、すなわち間もなく亡くなるイエスを清め る行為と考えられている。 しかし、ファリサイ派の家に招かれたイエスが食事の席に着いたときという設定で語る、ルカ伝(第七章 三六)では大きく異なる内容となっている。 「その町の罪人であった一人の女が、彼がそのファリサイ人の 家で食事の座に着いていると知り、香油の〔入った〕石膏の壺を持って来て、後方から彼の足もとに進み出、 泣きながら、涙で彼の両足を濡らし始め、自分の髪の毛で〔それをいくども〕拭き、さらには彼の両足に接 吻し続け、また〔くり返し〕香油を塗った。 」という。 文中の「その町の罪人であった一人の女」とは娼婦 か、肉の欲情にまみれてその悪から抜け出せない女を意味している。 しかし、イエスは「この女の罪は〔た とえ〕多くとも赦されている。 〔それは〕この女が多く愛したことから〔わかる〕。 少ししか赦されない者 は、少ししか愛さないものだ。 」と言い、「あなたの信仰があなたを救ったのです。 安らかに歩んで行きな さい。 」と励ましている。 また、続く第八章の冒頭では「イエスは町や村を通って行きながら、宣教し、神の王国〔の福音〕を告げ 知らせていた。 また、十二人も彼と一緒にいた。 また、悪しき霊どもと病弱さから癒された何人かの女たち も〔、同様に彼と一緒にいた〕。 〔つまり、〕七つの悪霊どもが出て行った、マグダラの女と言われていたマ リア、そしてヘロデの管理人クーザの妻ヨハンナ、そしてスサンナ、そして多くの他の女たちも〔一緒であ った〕。 彼女たちは、自らの財産の中から〔布施しながら〕彼らに仕えていた。 」と記し、マグダラのマリ アがイエスと行動をともにするようになったことを告げている。 このようにヨハネ伝でベタニアのマリアが演じた役割は、ルカ伝では「その町の罪人であった一人の女」 の取って代わられ、あたかもそれがマグダラのマリアであるかの如く描かれている。 トリックとでも言うべ きこの変化の背後には、何らかの意志が存在するのではないか。 アレクサンドリア学派の神学者オリゲネス Origenes Adamantius 一八五頃~二五四頃)は、その著『雅歌注釈』において、旧約聖書『雅歌』に詠われ た「花婿」と「花嫁」をそれぞれキリストと教会とに準えているが、同時に「花嫁」はベタニアのマリアに 当てはめることが出来るという。 すなわち彼女の中に信仰と気高い愛の証を読み取ったのである。 オリゲネ スはもう一つの著書『雅歌講話』の中でベタニアのマリアとマグダラのマリアとは別人だと指摘しているが、 福音書書記ルカは前者に与えられた特性(花嫁と瞑想的生活)を後者に接ぎ木することに成功している。 「そ の町の罪人であった一人の女」はマグダラのマリアとなり、「泣きながら、涙で彼の両足を濡らし始め、自 分の髪の毛で〔それをいくども〕拭き、さらには彼の両足に接吻し続け、また〔くり返し〕香油を塗った」 行為は悔い改めと奉仕と愛の象徴となり、マグダラのマリアの存在はキリストへの敬虔な奉仕と瞑想的生活 の理想と化した。 すなわち、マグダラのマリアは罪から罪へと押しやる肉の欲情に支配され、悲鳴をあげて いた罪人であったからこそ悔い改めと希望の模範となり、隠修士 hermit,ermite,Eremit としての後半生が用 意されることになったのである。 さて、『黄金伝説』によれば、イエス=キリストの受難から十四年目、マグダラのマリアは聖マクシミヌ ス(聖マクシマン)や聖母マリアの姉妹たち、マルタ、ラザロ等とともに小舟に乗せられ、荒れ狂う地中海 に放り出されたが、辛うじてマルセイユに漂着したという。 ところが、宿を貸してくれる人がいなかったの で、やむなく異教の神殿の入口に近い柱廊で宿借りを決め込んだ。 ある日、マグダラのマリアは供物を捧げ るために集まってきた人びとに「偽りの神々を礼拝することは止めなさい」と巧みな言葉で話しかけ、確信 に満ちた口調でキリストの教えを説き始めた。 その後、この地方の領主が妻と一緒に神殿を訪れ、子宝の願 掛けをしようとしたとき、マグダラのマリアはキリストの信仰を説き、供香を止めさせた。 さらに数日後、 マグダラのマリアは幻となって領主夫人の前に現れて「あなたがたは、贅沢な暮らしをしているくせに、ど うして神の聖人たちが飢えと寒さに苦しんでおられるのを黙って見ているのですか」と言い、あの聖人たち を助けるよう夫に忠告しなさいと、きつく言い聞かせた。 しかし、夫人はそのことを夫に打ち明ける勇気が なかったが、次の夜も現れ、そして三日目には夫婦の両方に現れて烈火のように怒った顔で「何という情け 知らずの人でしょう。 あなたの父は、悪魔で、あなたは、その手先に違いありません。 あなたが寝床をとも にしているあなたの妻は、意地の悪い蛇です。 わたしの言葉をあなたに取り次いでくれません。 あなたは、 キリストの十字架の敵です。 」と告げた。 反省した領主夫妻は聖人たちを迎えて宿を貸し、必要なものは何 でも用立てたという。 ある日、マグダラのマリアが説教をしているところに来た領主は、彼女が説いている信仰が真実であるこ とを証明できるかと問うた。 マリアは、ローマにいる師ペテロが示してくれた奇跡と説教によって証明でき ると答えた。 そこで領主夫妻は、自分たちに男の子を授けてくれたら全てあなたに従うと叫び、マリアの祈 りによって領主夫人はまもなく妊娠した。 その後、領主はマグダラのマリアがキリストについて説いている ことが本当かどうかを確かめるために、聖ペテロにいるローマへの旅を計画したところ、身重の妻も同行す ることになった。 そこでマグダラのマリアは、旅の途中で悪魔に危害を加えられないように、二人の肩に聖 なる十字架のしるしを縫いつけてやった。 船出して一昼夜が過ぎた頃、時化が襲ってきた。 領主夫人は、波 にもまれる船中で産み月よりも早く男児を出産するが、自らは息を引き取る。 生まれたばかりの赤子は母親 の乳房を求めて泣き叫ぶが、水夫たちは無情にも嵐を鎮めるためには遺体を海に投げ捨てようとした。 その 時、船から遠くないところに岩礁を見つけた領主は、洞穴のような場所に遺体を運び、自分のマントを広げ てその上に遺体を寝かせ、赤子は母親の胸元に寄り添わせた。 そしてマグダラのマリアのご加護を祈った後、 船に戻って先を急いだという。 領主はローマに着いて聖ペテロに会い、旅の途中の一部始終を話すと、聖ペテロは「あなたのおつれあい が眠り、お子さんが一緒に休んでいることを悲しんではなりません。 主は誰に対しても思し召しのままに与 え、奪い、再び与える力、悲しみを喜びに変える力をお持ちだからです。 」と言うのであった。 その後、聖 ペテロは領主を連れてイェルサレムへ旅し、キリストが説教や奇跡を起こした場所などの聖跡を案内し、さ らに十字架にかけられた場所や昇天した場所をみせながらキリスト教信仰の手ほどきをした。 二年後に帰途 につくが、天主の思し召しで例の岩礁に上陸すると母子は健在であった。 男児はマグダラのマリアに保護さ れてすくすくと育っていたし、眠りから覚めた領主夫人は「あなたが帰ってきた聖地巡礼の旅から、私も今 戻って来たところです。 」と話した。 彼女が言うには、夫が聖ペテロの案内で聖地巡礼をしている間、彼女 はマグダラのマリアの導きで夫の側を歩いていたのである。 やがてマルセイユに戻ると、マグダラのマリア は弟子たちとともに説教をしていた。 二人はマグダラのマリアの足もとに身を投げて、涙ながらに自分たち の身に起こった出来事を話し、聖マクシミヌスから聖なる洗礼を受けたのである。 その後、マルセイユの人 々は異教の神殿をことごとく打ち壊し、キリスト教の教会を建立した。 マルセイユの初代司教には全員一致 で聖ラザロが選ばれ、その後、マリアと弟子たちが移ったエクスの司教には聖マクシミヌスが選出された。 3 隠修士としてのマリア・マグダレーナ 一方、マグダラのマリアは天国を見ることのできる境地に達したいと思って人住まぬ荒野に引きこもった という。 そして伝承によれば、その場所は南フランスのサント=ボーム山塊Massif de la Sainte-Baumeの中 腹に掘られた洞窟だとされている。 エクス=アン=プロヴァンスからローマ皇帝アウレリアヌスの名に因ん だアウレリア街道を進むと、サント=ヴィクトワール山と石灰岩の岩肌がおよそ十二キロメートルにわたっ て続くサント=ボーム山塊の間を通るルート(現在の国道七号線)にさしかかり、オーバーニュ、ロクヴォ ワール、オーリオル、サン=ザカリーを経て、やがて右手に最高峰一一四七メートルのサント=ボーム山脈 が迫ってくる。 山腹近くまでの下半分は森に覆われ、その上は黒みを帯びた斑点や無数の亀裂が走る垂直の 岸壁が聳えているが、ちょうど森から突き抜けた山肌に不気味に口を開けているのがサント=ボームの洞窟 (「聖なるボーム」とはプロヴァンス語のbaoumoに由来し、洞窟の意味)である。 その場所は、サン・マ クシマンの村からは南西へ二〇キロ以上離れた、海抜六七五メートルの地点である。 彼女は天使の手で用意された場所で隠修士としての生活をおくり、日ごと七回迎える祈りの時間には天使 たちに導かれて天空にあがり天使たちの賛歌を聴き、そして三〇年間が過ぎたと言われている。 復活祭の朝、 聖マクシミヌスはマグダラのマリアからの伝言を伝えたある司祭の言葉を信じてたった一人で教会に出かけ てみた。 すると、マグダラのマリアが天使たちの群れの真ん中で両手を広げて主に祈りを捧げていた。 彼女 は地面から二キュピトの高さの高さに浮かんでおり、顔は眩しいばかりに光り輝いていた。 聖マクシミヌス は先の司祭はもとより、全ての聖職者たちを集合させ、マグダラのマリアが司教マクシミヌスの手で聖体と 聖血を拝領してその聖なる魂が天に昇っていくさまを見届けさせた。 彼女が亡くなった後、教会内には甘美 な芳香が広がり、それは七日後まで続いたと言われる。 聖マクシミヌスは、聖遺体に高価な香料をたっぷり と振りかけ、盛大な礼をもって埋葬した。 そして、自分が死んだらこの側に葬って欲しいと遺言を残したと いう伝承が残っている。 ケルト人やゲルマン人の最古の至 聖所sanctuairesは、ローマの支配下においても大概は祭祀上の土地のままであり、その塔はキリスト教によ って使用された。 キリスト教の諸聖人は、ローマ以前またはローマの神々の後継者となったのである」と述 べている。 それでは中世後期に新たな展開を見せたキリスト教世界は、国家権力が強 力に推進した宗教政策以外に、どのような力が作用して生まれたものなのであろうか。 一)聖遺物崇拝の起源 イエス・キリストの生涯と受難が端的に示すように、キリスト教はユダヤ教をはじめとする古代諸民族の さまざまな宗教との軋轢に苦しみ、ローマ帝国の迫害も苛烈を極めるものであった。 古代ローマ帝国は基本 的に寛容な宗教政策をとっていたが、三世紀以降にキリスト教徒の数が増加すると態度を豹変させた。 特に デキウス帝Decius(在位二四九~二五一)からディオクレティアヌス帝Diocletianus(在位二八四~三〇五) にかけての大迫害時代には迫害が苛烈を極め、多くの殉教者がでた。 しかし、迫害の犠牲者は命をかけて神 の意思を守り抜いた義しき人であり、キリストと同じ死をとげることによって信仰の正しさを立証した「神 の証人」、すなわち「殉教者」となる。 すなわち、「殉教者は死をもって神との内的合体を果たした」とい う観念が信徒の間に成立し、殉教者は神の不滅性を分有し、人を神に「執り成しうる」特別な霊力が付与さ れた聖人と見なされるようになったのである。 また、ポリュカルポスの処刑は、一五五/一五六年頃、同市の コロッセウムにおいて執行されたことになっているが、エウセビオスEusebiosがマルクス=アウレリウス 帝Marcus Aurelius Antoninus (在位一六一~一八〇)の治世下だと記しているので一六一~一六九年頃かも 知れない。 いずれにせよ二世紀後半に書かれた書簡の中に、「しかる後、我らは宝石よりも貴く黄金よりも 価高き骨を拾い集め、ふさわしき場所に安置した。 事情の許すかぎり我らは歓びにあふれてこの場所につど い、主の許しのもとに殉教によって彼が誕生した日を祝う」という記述がある。 この文章に見られる遺骸に 対する強い愛着と畏敬の念は後の聖遺物崇拝に発達する可能性を示唆しているが、この段階ではポリュカル ポスに対する追悼敬慕の感情が前面に出ており、少し後の聖遺物に寄せる感情とは明らかに異なっている。 古代ローマ社会では死者を居住市壁外の墓地に埋葬し、親族は 命日に集まって故人を追憶し食事を共にする習わしを持っていた。 迫害時代のキリスト教徒もこれに倣い、 都市郊外の殉教者の墓地や地下墳墓カタコンベに集い、故人を讃えて祈りを捧げ、共同で会食する。 信徒は 「最後の晩餐」に倣い、そこがキリストの臨存するところ、祈りと聖霊の交錯する場として食卓を中心に礼 拝を執り行ったのである。 これが後の聖餐式(ミサ)の起源であり、食卓は教会堂の祭壇に変化する。 聖人 崇拝の原形を殉教者崇拝に求め、殉教者崇拝の起源を古代社会の葬送儀礼や死者儀礼の中に探ったことで知 られるイポリット・ドゥルエーH. Delehayeによれば、古代ローマ社会では埋葬後三日目、七日目、三〇日 目など特定の日に近親者が墓を訪れて死者と共餐する習慣があったが、キリスト教徒はローマの一般慣習を 踏襲しながらも、墓前祭を忌日ないし埋葬の日に固定して「誕生日」としての意味づけを与えたという。 殉 教の日(忌日)を「生誕の日」として祝うために墓所に参集する慣行の成立は屍体の移動や分割を禁じたロ ーマ古来の葬制慣習の変化をもたらしたのである。 渡邊昌美氏によれば、三世紀前半の聖サトゥルス(『ペルペトゥア受難記』)、 聖キプリアヌス(『聖キプリアヌス事蹟録』の例は未だ記念品レヴェルを超えるものではないが、四世紀初 頭の「雷鳴軍団」の兵士たち、すなわち四〇殉教者の場合には、殉教者自身が分骨はおろか分離埋葬すら嫌 がったのにもかかわらず灰の分配を是としており、既に聖遺物崇拝の急速な進展があったことを示唆してい ると言う。 たぐいまれな個性を持った人物の遺骸に対する尊崇の念は、なにもキリスト教徒に限ったことで はないし、時代や地域を超えるものである。 単なる物理的存在に過ぎないはずの遺骸に価値や意味を持たせ るものは、見つめる者の〈心的状況〉である。 キリスト教の信徒たちは、迫害や拷問に堪えた殉教者の壮絶 な死(肉体の最終的否定)を神との特別な関係や超肉体的な霊力が生まれる契機と受けとめた。 殉教者の遺 骸は地上の可視的な遺体としてとどまっているが、その魂は天国で祝福されて最終審判における復活昇天が 約束されていると見たのである。 したがって、殉教者の遺体は人類の最終的救済を触知できる神の保証物で あり、神の摂理を地上にもたらし、敬虔な信徒の願いを神に仲介(執り成し)できる特別な霊力によってさ まざまな奇跡を起こすと考えた。 この勅令でキリスト教の布教は自由となり、 改宗者が急増する。 その間、各都市には司教座が設置され、教会組織の整備も進んだ。 また、教会ご とにまちまちであった典礼もローマのそれに統一され始めた。 以上のような政策転換は、キリスト教の信徒数を飛躍的に増大させた。 しかし、信徒の急増は俗信の混入 につながり、聖遺物に対する需要の増大につながった。 そして同時に迫害停止に伴う殉教者の急減・消滅は、 聖遺物の供給激減という新たな問題を発生させた。 そこで考えられたのが証聖者confessonという生前の徳 による聖人であり、「昔の・忘れられた・誰も知らない」殉教者の発見・移葬による聖遺物の供給拡大であ った。 先ず聖人概念の問題であるが、教会初期から信仰への献身と完徳ゆえに生前から「聖なる人」と敬われて いた教会指導者も存在した。 それに加えて三世紀後半、エジプトの砂漠に住み苦行に励む聖アントニウス Antonius、聖パコミウスPachomius エジプト共住修道院の創始者 のような隠修士が現れると、それを慕う 人びとが群れをなすようになった。 砂漠の僧窟はエジプトからシナイ半島、ヨルダンの谷へと広がり、四世 紀初めには修道院も開かれている。 ローマ帝国がキリスト教に脅威を感じるようになるのはこの頃で、キリ スト者を「皇帝崇拝を認めない無神論者」として迫害するようになった。 特に大迫害時代には苛烈を極め、 多くの殉教者がでたが、その間にもキリスト教は社会階層や民族の違いをこえて広がりを見せて、三一三年 のキリスト教公認に至ったのである。 キリスト教は国家権力との関係を強化しながら教会制度を整え、それ に付随して聖職者や信者も都市内で平穏に暮らせるようになった。 しかし、隠修士たちは豊かな世俗生活に 背を向け、あたかも「キリストに倣いて」真の信仰生活を送ろうと苦行の道を選択していた。 すなわち、自 ら高位富裕の世俗すべてを投げ打ち、すすんで貧困、孤独、純潔、不眠、黙想などの徹底した禁欲、苦行の 信仰生活を選んだのである。 彼らの中には深い学識と洞察力とをもって民衆の間に発生したさまざまな問題 を解決するなど社会的役割を果たす人物もいた。 先に述べた聖アントニウスは紅海北西端に近いコルジム山 に隠棲し、「修道生活の父」と呼ばれた人物であるが、同時にアレクサンドリア主教アタナシウスAthanasius と親交を結んでいた(アタナシウスは『聖アントニウス伝』〈Vita Antonii〉を著述している)。 当時のキリ スト教布教には、アタナシウスのように民衆の前面に立って説教するやり方と、聖アントニウスのように隠 修士としての生きざまが民衆の信頼を集めるという二つの方法が存在したのである。 その結果、限界を超え るまでの強烈な克己と苦行生活を過ごす隠修士たちは、殉教に劣らぬ「肉体の否定」を行っていると受けと められようになり、「神の手、天国の栄光のなか」にある魂は幻視を感じ、予言をなし、悪霊に打ち克ち、 祈りによって信徒に天国の門を開くことができると信じられるようになった。 こうして隠修士たちは霊的な 聖人、「緩慢な殉教者」と見なされて、その墓所は信徒との巡礼対象となっていく。 一方、移葬の慣行は、コンスタンティヌス帝の母后ヘレナによる「真 まこと の十字架」発見伝説に象徴される ように、先ず東方に出現した。 記録上最古の移葬は、デキウス帝の迫害で捕らえられ獄死した聖バビュラス Babylasの聖遺物である。 三五一~三五四年の間に、アンティオキア近郊のダフニ地区を浄めるために彼の 遺骨が移され、同地のアポロン神殿はキリスト教の礼拝所に変えられた(但し、ユリアヌス帝が再びアンテ ィオキアに戻した)。 その後、テオドシウス一世の治世には聖パウロ、アルカディウス帝Arcadius(在位三八三~四〇 八)のそれには預言者サムエルSamouelの聖遺物の移葬という信じがたいことまで実施されている。 西方世界では、ミラノ司教アンブロシウスAmbrosiusやヒッポ司教アウグスティヌスAugustinusが登場す る四世紀末から五世紀前半に、聖遺物発見とそれに伴う奇跡が続発する。 三七四年、司教職に就いたアンブ ロシウスはアリウスAlius派側に立つミラノ宮廷の圧力に屈することなく、教会の自立性保持に努力したこ とで知られる。 この危機的 状況を回避させたのが、アンブロシウスによるゲルヴァシウスGervasius、プロタシウスProtasiusという二 人の殉教者の遺骸発見であった。 二人はネロ帝Nero(在位五四~六八)の治世下に殉教したと思しきミラ ノの保護聖人であるが、「その名も墓所も知られていず、人々はその上を歩いていた」というから、発見と いうより創造と呼ぶべきかも知れない。 二人の遺骸はミラノ郊外の教会の祭壇下に移葬され、その日に因ん で祝日は六月十九日と定められた。 アンブロシウスは、聖遺物の発見・移葬がもたらした聖人崇拝の高揚を 背景にしてアリウス派の要求を断固拒否し、グラティアヌス帝Gratianus(在位三七五~三八三)に命じて 異教の「勝利の女神」の祭壇を撤去させている 彼はまた、三九三年にもボローニャ Bolognaのユダヤ人共同墓地に葬られていた二人の殉教者ヴィタリ スVitalis・アグリコラAgricolaの遺骸を発見し、フィレンツェへの移葬式を執り行っている。 これはウァレ ンティニアヌス二世の暗殺で混乱している帝国西方を東帝テオドシウス一世が攻撃している最中のことであ った。 翌年、テオドシウス一世は全帝国を掌中に収めることに成功するが、アンブロシウスはその彼にさえ 教会堂の聖職者席への着座は認めず、一般信徒席に着くよう要求している。 ノラ司教パウリヌスPaulinusは、 アンブロシウスの思想を「皇帝は教会の中にあり、教会の上にはいない」と表現したが、聖遺物の発見・移 葬が教会の自立性確保に一役買っていることは確かである。 翌年の復活祭前夜、 アンブロシウスの手で洗礼を受けたアウグスティヌスは、三九一年にヒッポの司祭となり、三九五年補助司 教、三九六年司教となった。 その当時、北アフリカのカトリック教会を脅かしていたのは、ドナトゥス派 Donatistsの運動である。 ドナトゥス派はカエキリアヌスCaecilianusのカルタゴ司教就任反対闘争から生ま れた勢力で、反ローマ的民族運動や下層農民の抵抗運動と結びついて北アフリカに一大勢力を築いていた。 四一一年のカルタゴ教会会議において辛うじてドナトゥス派追放に成功した頃、新たに「人間は善行によっ て救われる」と主張するローマの修道士ペラギウスPelagiusの考え方が浸透してきた。 ペラギウスは「神は 人間を善なるものとして創造したのであるから、人間の原罪は人間の本質を汚すものではない。 故に人間は 神からの恩寵を必要とはせず、自分の自由意志によって功徳を積むことで救霊に至ることが可能である」と 主張した。 アウグスティヌスはペラギウス主義Pelagianismに対して厳しい論陣を張り、「人間の持つ〈選択 の自由〉の中に神意の采配が宿っており、〈神の恩寵〉と結びついた選択によりはじめて道が開ける」とす る神の恩寵と自由意志等に関する自説を確立した。 ペラギウス主義はその後、四一六年のカルタゴ教会会議 で異端とされている。 しかし、ゲルマン民族大移動の嵐は五世紀に入ってますます激しさを増すばかりで、四一〇年には西ゴー ト王アラリックAlarichの軍がローマを襲って掠奪の限りを尽くしたと言われる。 この事件は、キリスト教 に対する異教の反撃を招いた。 すなわち、ローマが被った大災厄は〈ローマ以前またはローマの神々〉を捨 ててキリスト教を信仰した報いだとする非難の声がわき起こり、信者の中にも動揺が広がったのである。 ア ウグスティヌスが異教徒から受けた非難を論破する大著『神国論』〈De Civitate Dei〉全二二巻を著すのは四 一三~四二六年のことであり、聖遺物に関わるのは四二四年から翌年にかけての冬のことである。 もちろん、 彼は最初から聖遺物崇拝や奇跡を容認していたわけではなく、カルタゴ教会会議決議(四〇一年)等によれ ば、むしろ懐疑の念や警戒心を抱いていたと思われる。 その決議には「いかなる殉教者の祠堂 メモリア も、そこに遺 骸ないし確実なる遺物が存するのでないかぎり、安易に受け容れてはならない。 夢や空しき霊感めいたもの によって祭壇を設けることは万難を排して非難されなければならない。 」「当該地区の司教において可能で あるならば、ただちにそれらを破却すべきである。 民衆の暴動によって妨害される場合にも、信者が迷信に 流れることなからんためには、これらを頻繁に訪れることのないよう信者に教えなければならない」(第一 四条)とあり、明らかに統制の姿勢をとっている。 しかし、ローマ世界の解体を目の当たりにした信者の間に広がる動揺を食い止め、ローマ=カトリック教 会の秩序を再建するためには、聖遺物崇拝や奇跡をためらう余裕はなかった。 四一五年、イェルサレムに近 いカファルガマラの僧ルキアヌスという男が、夢の中に律法学者ガマリエルGamlielが現れて、ガマリエル やその二人の子ども、そして使徒ステパノ(聖ステファヌス)Stephanosの遺骸の在処を告げた、とイェル サレム司教に急報した。 聖ステファヌスは、十二使徒のうち最初に迫害の犠牲となったために「筆頭殉教者」 と呼ばれる聖人である。 発掘するとギリシア文字でヘブル名を刻んだ四基の墓が現れ、報せを聞いて集まっ た群衆のうち七三名が病を癒すという奇跡が起きたという。 遺骸はイェルサレムの聖シオン教会に移葬され、 右腕は新たに建立されたコンスタンティノープルの聖ステファヌス聖堂に移されたが、啓示を受けて墓の在 処を知ったルキアヌスは「使徒の肢体のうち小さき骨の節々、および使徒の肉のしみこんだ土埃」を密かに 手許に留め置き、やがて西方に拡散する原因をつくったと言われる(ルキアヌス回状)。 発掘のとき、現場 に居あわせたスペインの神学者パウルス・オロシウスPaulus Orosiusは、ルキアヌスから聖遺物の一部を乞 い受けて故郷に帰る途中、ミノルカ島やウザルムに一部を残し、そこから再配分されたものが地中海沿岸の 諸都市に伝えられた。 ミノルカ島に分与された四一八年頃、聖遺物の一部がアウグスティヌスの弟子にあた るウザルム司教エヴォドゥスにわたり、エヴォドゥスを通してアウグスティヌスにも分与されたものと思わ れる。 聖ステファヌスの遺物がヒッポ教会に到達したのは、前述のように四二四年から翌年にかけての冬と推定 されており、遅くとも四二五年の復活祭には聖堂内に安置されていた。 この時、カッパドキアから来た巡礼 者パオロと、その姉妹パラディアに奇跡が起こる。 彼らは大勢の兄弟姉妹がいたがそろって親不孝者で、母 親の呪いを受けたために「手足が震動してとまらない」奇病に取り憑かれ、仕事もままならないために「ロ ーマ帝国のほぼ半ばを経巡る」巡礼の旅に出ていた。 多くの兄弟姉妹のうちパオロとパラディアは夢告を頼 りにヒッポまでたどり着き、聖ステファヌスの聖遺物の前で治癒の奇跡にあずかることが出来た。 先ず柵に すがって祈っていたパオロが突然気絶して転倒したが、正気に返ったときには、多年の痼疾は全快していた。 三日後にはパラディアにも同じ奇跡が起きた。 「柵に触れると倒れて眠ったようになっていたが、起き上が ったときには完全に治癒していた」。 「会衆はこもごも感嘆と泣き声をあげて、とどまるところを知らなか った」(アウグスティヌス『神の国』二二巻八章)。 ところで、ここで再確認しなければならないのは、アウグスティヌスの聖遺物崇拝に関する意図である。 アウグスティヌスは、「この頃、私は恩寵を受けた者たちの報告書libellumを公衆の間で朗読することを始 めた」(『神国論』二二巻)と述べているように、奇跡の記録化を推進しており、「かつて聖ステファヌスの 肉であった一つまみの埃」が到着して二年足らずでおよそ七〇件の報告書が作られ、ウザルムでは二巻の『聖 ステパノ奇跡録』が編まれた。 彼の意図は、まず第一に聖遺物の顕彰を通してキリスト教信仰を鼓舞するこ とにあり、第二に記録によって奇跡を客観化し、真正の奇蹟だけを識別し固定化することにあった。 そして 最終目的としては、聖人・聖遺物崇拝の奔流を制御し、ローマ=カトリック教会の秩序を再建することにあ ったと思われる。 すなわち、「犠牲(聖餐)を捧げるのはあくまでも神に対してであって、殉教者に対して ではない。 聖職者は神に仕えるのであって殉教者に仕えるのではない」(『神国論』二二巻)、「ステファヌ スのために祭壇を設けるのではない。 ステファヌスの骨をもって神のための祭壇を築くのだ」(『説教』三 一八)というのが彼の基本姿勢であった。 ここでは神への信仰と聖人崇拝の違いが明確に区別されているが、 他の教会人、ましてや改宗したばかりの一般信徒にその峻別は無理であったと思われる。 したがって、彼の後継者に課せられた任務は、信者を護るだけでなく、侵 入してくる異教徒に福音を伝えること、すなわちゲルマン民族の土俗信仰を克服してキリスト教世界を西欧 全体に根づかせることも含まれていた。 ノラ司教パウリヌスの友人シェルピス・セヴェール(スルピキウス ・セヴェルス)Selpice Severe Sulpicius Severus が著した『聖マルタン伝』〈Vita S. Martini〉に詳しいトゥー ル司教マルタン(聖マルティヌス)Saint Martinもその一人である。 彼は十五歳でローマ騎兵となり、ガリ アのアミアンに駐屯している。 その頃の彼は裸の物乞いに与える物さえなかったため、仕方なしに自分のマ ントの半分を切って与えたが、夢の中にキリストが現れて「その男こそ私だ」と告げられた。 やがて十八歳 の時受洗し、直ちに(あるいは三五六年に)退役してポワティエ司教ヒラリウスHilariusによって司祭に叙 階された後は、イタリア各地で隠修士生活を送っている。 三七〇(または三七一)年に第三代トゥール司教 に就任し、その後はガリア各地を精力的に巡回説教しただけでなく、病気治癒を施し、樹木や墓など異教の 偶像を破壊して多くの信者を獲得したと言われている。 シャルトルでは子どもを蘇生させ、リュテースでは 癩患者を治癒し、トリールでは悪霊に取り憑かれた者を救い、ヴィエンヌではパウリヌスの眼病を治した。 このように、ガリア各地で活躍した伝道者たちは異教の祠をキリスト教の教会堂に変え、悪霊憑きや病気の 治癒を施し、神罰を説きながら福音を広めたのである。 しかし、伝道者たちは、宗教とは直接かかわりのな い執拗な抵抗に遭う。 古代の神々を排除することは比較的容易な場合も、現実生活や日常的経験の世界と結 びついた〈心的習慣〉はいつまでも残り続けた。 したがって、ローマ=カトリック教会は民間伝承に対して 排除と吸収の両面作戦に迫られたのである。 初期フランク社会のガリアでは地下墳墓から聖人の遺骨を取 り上げ、石または木の匣 はこ や棺に納め、祭壇の中や傍らに移す(移葬・遷座)する風習が一般化し、移葬の際 には盛大且つ厳粛な式典が挙行されて聖遺物と祭壇の一体化が確認された。 その結果、有名聖遺物を所蔵す る教会堂を信仰・礼拝の的とする巡礼が開始され、往来する信徒の必要から宿泊施設などが建設されて新た なる都市が成立する。 所謂「旧市」に対する「新市」の誕生で、従来は市壁によって分断されていた生と死 の領域が一つの空間になりつつあった。 五世紀末、ガリアの地ではフランク王国メロヴィング朝のクローヴィスClovis I(在位四八一/四 八二~五一一)がランス大司教レミギウスRemigius(聖レミRemi)の手でカトリックとしての洗礼を受け、 正統派キリスト教に転じた。 トゥール司教グレゴリウスGregorius Turonensisが編んだ『フランク人の歴史』 によれば、スイスのアラマン人を撃破したトルビアックの戦い(四九六年)の後、十二月二五日に洗礼を受 けたという。 ただし、受洗の年については四九八年、四九九年、五〇六年と諸説があり、場所も聖マルティ ヌスMartinusの墓に巡礼した後のトゥールではないかとも考えられている。 いずれにせよ、クローヴィス は、正統派キリスト教に転じることでローマ=カトリック教会やガリア地方に住むローマ人貴族の支持を獲 得し、西欧社会に特徴的な教権(ローマ=カトリック教会)と俗権の提携が開始された。 また、古代地中海 世界のキリスト教は一般民衆から漸次上層階級に広がっていったが、中世ヨーロッパ世界ではまず王や王族 に布教の狙いを定め、ついで貴族層・一般民衆に広めるという全く逆の流れであった。 もちろん、王侯貴族 層の改宗がただちに全部族民に影響するわけではないが、土俗信仰からキリスト教信仰への大きな転機とな ったことは疑いようがない。 フランク王国メロヴィング朝はしばしば分裂と内紛を繰り返したが、その支配 領域がガリア全土に広がると、征服された東・西ゴート族やブルグント族なども漸次カトリックに転じてい る。 一方、ローマ=カトリック教は、ゲルマン諸族に広がる過程で、自らの変質を経験することになる。 何故 なら、カトリックの聖職者や神学者が口をきわめて異教的慣行を非難しても、ながく土俗信仰に浸ってきた 人々の心に響くことはなかった。 いかに王侯貴族層の信仰を集めたとしても、一般民衆の支持なくしては宗 教として存立できないことは明らかである。 そこでやむを得ず、古ゲルマン以来の宗教的伝統に自らのロー マ=カトリック教を接合させようとしたことが、キリスト教の「土俗化・卑俗化」を生むことになった。 そ して、ローマ=カトリック教会の頂点に君臨した教皇自身がこうした弾力的方策を採用したのである。 その彼が採用したのは、異 教の神殿や祠、神像の破壊というドラスティックな目に見える伝道方法ではなかった。 彼が伝道士たちに命 じたのは、異教の神像は破壊するが、神殿や祠は破壊しないでキリスト教の教会堂として利用すること、新 たな教会堂には聖水をふり注ぎ、祭壇を設けて聖遺物を置くことであった。 グレゴリウス一世は、上記アウグスティヌスに写本、祭儀用の衣服や器具とともに「聖なる使徒や殉教者の 聖遺物」を送り、これらは「教会の経営と職務に必要なもの」と書き添えている。 異教圧伏には聖遺物こそ が最大の武器となったのである。 祭壇の石の洞に納められた聖遺物は、異教の地方神や精霊(氏神)が果た してきた役割を肩代わりし、当該地域の安寧を実現する。 こうして聖遺物とそれが引き起こす奇跡は、ロー マ=カトリック教会の想定をはるかに超えて重要性を獲得し、キリスト教信仰はあたかも聖人・聖遺物崇拝 の観を呈するようになったのである。 八一一年までにローマ以北のイタリアに五つ、アルプス以北に十六の合計 二一の首都大司教管区を設置し、ほとんどの首都司教に大司教の権威を与えている。 首都大司教管区は幾つ かの司教区に細分化され、司教たちは大司教に服従する(七七九年ハリスタル勅令)とともに、司教区内の 監察と司教区会議の開催を義務づけられた。 司教の権限は原則的に司教区内の総ての聖職者に及ぶことにな っていたが、私有教会の司祭任命権は世俗領主が留保し、修道院の独立性も認めざるを得なかった。 しかし、 シャルルマーニュは司教や修道院長を自由に任命する権限(聖職叙任権)を持ち、聖職者になるためには国 王の認可が必要であった。 また、カール=マルテルKarl Martell以来、カロリング家は家臣を給養するため に教会領を収公して恩給地beneficiumとして分配している。 その際、カロリング家は教会側の土地所有権を 保障し、家臣との間に土地の貸借関係を構成させるとともに、借地人に対して地代(生産物の五分の一)を 支払うよう命じている。 しかし同時に、八〇一年と八一三年の二度 にわたって開かれたカルタゴ教会会議では、聖遺物を祭壇に置くよう規定したニカイア公会議 七八七年) の決定を踏襲し、聖遺物を欠く祭壇の破壊を命じている。 さらには、ローマ=カトリック教会の動向に呼応 して、ザクセン人に対して異教的な魔法や占卜の行使者を奴隷として教会に引き渡すこと、それらの神々に 犠牲を捧げる者を処刑することなどを命じる一方で、宣誓や各種の「神判」、奴隷解放の際などにキリスト 教の聖遺物崇拝を取り入れるよう求めている。 これらは、公権力が未成熟で、大多数の人々が文盲であった 古ゲルマン社会以来、個人や集団間の取り決めの際には可視的な保証物を介する「宣誓」が行われ、相手に その遵守を強制する慣行が継承されてきたことに着目したからである。 シャルルマーニュ帝は「あらゆる宣 誓は、教会内かまたは聖遺物を介してか、いずれかでなさるべき」と命じることによって、古ゲルマン的慣 行をキリスト教世界に取り入れ、超自然的な聖化による権威づけに成功した。 こうして、聖遺物にかけての 宣誓は聖人の名における「厳粛な契約」と変化し、違反者は聖人への侮蔑として時には死をもって贖わなけ ればならなかった。 その間、西ヨーロッパ世界は封建制社会へ移行していったが、相次ぐ政治的 混乱は外敵の侵攻を招いた。 南からイスラーム教徒、北方からノルマン人(ヴァイキング)、そして東方か らはマジャール人が侵攻し、キリスト教会ならびに修道院は焼き討ちの対象とされ、民衆の恐怖心は極点に 達した。 しかし、十一世紀を迎える頃に変化が訪れる。 当時の西欧社会は、気候の温暖化に伴って農業生産が向上 し、外敵侵攻による混乱も収束して人々の暮らしが安定化に向かいだしたのである。 すなわち、同世紀初め から鉄製農具や重量有輪犂、二圃制度・三圃制度の普及で麦の収穫量が急増する農業革命や集村化現象が本 格化し、同世紀後半から十三世紀前半にかけては森林や荒れ地の開墾が進む大開墾時代を迎えていた。 また 同時に荘園制度は従来の古典荘園から地代荘園(純粋荘園)への転換期に相当し、教会行事や農事暦と結び ついた祭礼など共同体的結びつきが強まった。 教区教会では教区司祭が冠婚葬祭や日曜ミサなどを通じて布 教活動に務めていたが、それらは土俗信仰とキリスト教が接合する場となってマリア信仰や聖人・聖遺物崇 拝、泉水を利用した病気治癒祈願などを爆発的に拡大させる契機ともなったのである。 その間、ローマ=カトリック教会は世俗社会との関わりを深め、聖職者の結婚、世俗領主による聖職者の 任命はありふれたことで、聖職売買も珍しいことではなくなっている。 一方、民衆の間では聖遺物崇拝の熱 がますます高まり、聖遺物が納められている教会・修道院への巡礼が流行となっていた。 一〇世紀末のフラ ンスなどでは貴族間の私闘を抑えるための「神の平和」運動が起きたが、十一世紀にはクリュニー修道院 Abbaye de Saint-Pierre et Saint-Paul de Cluny(ブルゴーニュ地方、九〇九年創建のベネディクト会修道院)を 中心とする教会刷新運動が大きなうねりとなって西欧全体を包んでいった。 この一連の動きの中で注目すべきは、マグダラのマリアの物語に登場する隠修士の存在である。 一〇世紀 末から十一世紀にかけて南イタリアに多かったギリシア系修道士は贖罪のために森に入って瞑想と禁欲の (まさしく隠修士としての)信仰生活を送っていたが、彼らは「悔い改めと奉仕と愛の象徴」である聖女マ グダラのマリアに親近感を抱き、彼女に自らの庵の保護を委ねることが多かったという。 こうした隠修士を 中心とする悔悛運動とクリュニー修道院を中心とする教会刷新運動が結合して物語が誕生し、教皇グレゴリ ウス七世の所謂「グレゴリウス改革」を準備したのである。 実際、改革の理論的支柱となったペトルス・ダ ミアニ Petrus Damianusやシトー修道会の創立者であるモレームの聖ロベールSt. Robert de Molesmeなどは いずれも隠修士であった。 そして、教皇権の隆盛と深い関係にあったのが十字軍の派遣である。 ウルバヌス二世は一〇九五年のクレルモン公会議で聖 地回復のための十字軍を提唱し、熱狂的な支持を集めることに成功する。 翌年、第一回十字軍が出発し、こ こに約二世紀にわたり七回に及ぶ十字軍遠征が開始された。 十字軍は、教皇にとっては東西両教会統一の主 導権確保という目論見があったが、多くの民衆やキリスト教布教の最前線にいた司祭たちにとっては、殉教 者の勲功で名高い都市や、著名な聖人が禁欲修行を重ねて奇跡をもたらした場所への巡礼の最たる行為であ った。 第一回十字軍の背後で隠然たる力を発揮していたのはクリュニー修道院であり、その院長ピエール(尊者 ピエールPierre le Venerable)は「主がその足で立ちたもうた場所をおのれの目で眺めて涙を注ぐことは、 修道の戒律が我らに禁じている」とイェルサレム主教に書き送っている(『書簡』八三)。 また、第二回十 字軍の勧説者として知られるシトー修道会の聖ベルナールBernard クレルヴォーClairvauxのベルナルドゥ ス)は、同会の全修道院長宛回状で十字軍に参加する修道僧や助修士を破門すると通知し、同会総会(一一 五七年)では「イェルサレムであれ、その他の地であれ、巡礼に出る修道僧は二度と故郷の修道院に帰るこ とを許さない」と定めている。 但し、ここで見落としてはならないのは、隠修士の系譜をひくことによって 一般信徒の模範と見なされた修道僧に対する禁令を通して巡礼を統制しようとする修道院勢力の意図であ る。 また、多くの禁令の存在は、かえって理屈を超えた衝動にも似た巡礼への憧れ、あるいは十字軍熱が民 衆間に横溢していたことを如実に示している。 例えば民衆十字軍は、アミアンの隠者ピエールPierre l'Ermite や騎士ゴーティエGautier Sans-Avoir(無一文のゴーティエ)に率いられて出発し、ボスフォラス海峡を渡 って全滅覚悟でルーム・セルジューク軍の中に突入したが、群衆の中にあったのはまさしく神のご加護への 信頼であった。 ところで、多くの教会・修道院が競って聖遺物を集め、民衆の期待に応えようとしていたことは、大量の 「奇跡録」や「移葬記」などが作成されたことからも明らかである。 また、ラン スのサン=レミ修道院Saint-Remiでは、一一四五年、地下墓室の聖ジブリアンという来歴の分からない聖者 の遺骸が入った容器を新調したところ、にわかに奇跡が起きて巡礼者が参集した。 『聖ジブリアン奇跡録』 によれば、同年四月一六日から八月二四日までの間に一〇二件の奇跡(うち九八件が病気治癒)が発生して いる。 これらの記録から当時の人々がどのようなことに怖れを抱き、何を求めていたのかが推測できるが、 それらは古ゲルマン以来の土俗信仰と聖遺物崇拝とが結びついた結果の顕れでもある。 し かし、それ以外にもトゥールの聖マルタンSaint Martin、カンタベリーの聖トマス・ベケットThomas Becket、 南イタリアのモンテ・ガルガノGarganoやフランスのモン・サン=ミシェルMont Saint-Michelにおける大 天使聖ミカエルSan Michele、シャルトルやフランス南西部のロカマドオールRocamadour における聖母マリ ア、ヴェズレーのマグダラのマリアなどの大霊場が存在し、民衆の身近な霊場としては古ゲルマン以来の「聖 別された土地」locus sanctusが各地に点在していた。 ヨーロッパ各地に広がった「真正なる」聖遺物を獲得しようとする情熱の高まりは、聖人の遺骸を移葬す るという強硬手段をとらせることになる。 ここで再び取り上げるのは聖女マグダラのマリアである。 ヴェズレー修道院は、八五八年 八六一年)頃に創建されたバシリカ式教 会堂で、最初はイエス=キリストと聖母マリアに捧げられたベネディクト会修道院で、マグダラのマリアと は何の関わりもなかった。 しかし、十一世紀初め、修道院長として着任したジョフロワ Geoffroy(在職一 〇三七~一〇五〇 は、クリュニー修道院の戒律を受け入れるとともに、その当時ヴェルダンでマグダラの マリアに捧げる聖堂を建設中であることに着目して、ヴェズレー修道院にも導入しようとした。 この思いつ きは功を奏し、聖遺物の公開はさまざまな奇跡を引き起こし、多くの巡礼者が押し寄せることになる。 同世 紀後半とりわけ一〇九〇年代以降、マグダラのマリアは聖マドレーヌ大聖堂Basilique Sainte-Madelaine の守 護聖人として多くの民衆の信仰を集め、サンティアゴ・コンポステーラ巡礼の「サン・ジャックの道」 Les chemins de Saint Jacques のペリグー Perigueux を通るルートの起点となった。 このように教皇のお墨付きを得たばかりか、多くの寄進を受けて広大な領地を 持つようになったヴェズレー修道院は、一〇九六年、当時のアルトー修道院長l'abbe Artaudが新しい聖堂の 建設に着手し、一一〇四年には完成させた(ただし、工事費用の負担は地域住民の肩に重くのしかかり、一 一〇六年に発生した暴動で修道院長が殺害されている)。 ヴェズレー修道院 の繁栄を示す例は多い。 そこで考案されたのが、聖母マ リアをはじめ多くの聖女たちのカマルグ上陸とサン・マクシマンからの移葬という物語である。 十二世紀後 半に編まれたヴェズレー修道院の公式年代記によれば、サン・マクシマンに聖女マグダラのマリアの遺体が あることを知ったヴェズレー修道院長と貴族ジラールGirart de Roussilon(八一〇頃~八七七)が修道士バ ディロンを派遣し、この修道士が危険を冒して聖女の遺骨(頭蓋骨)を盗み出し、ヴェズレー修道院へ移葬 したという訳である。 ヴェズレー修道院が案出したこの物語は、聖女たちのカマルグ上陸という伝承を生み 出しただけでなく、聖女マグダラのマリアの本来の墓所とされる聖堂 La basilique de Sainte Marie-Madeleine de Saint-Maximin-la-Sainte-Baume の名前にもなっている聖マクシミヌスという聖人を創出し、ヴェズレー に対抗したオータン司教座聖堂にラザロの遺体を出現させ、タラスコンにマルタの遺体を出現させる結果と なったのである。 また、この物語は、当時流布していた所謂「ジラール・ド・ルシヨン伝説」を移葬と結び つけ、物語性と信憑性を高めることになり、『聖ヤコブの書』などにも採用された。 一二六五年には聖遺物 の検認が行われ、ヴェズレー修道院に安置されていた棺の中からマグダラのマリアの名前を記した書類が発 見されたと発表している。 ところが一二七九年に大事件が発生する。 聖女マグダラのマリアの聖遺物争いで巻き返しを図るプロヴァ ンス側が、ナポリ王シャルル二世Charles II d'Anjou立ち会いの下、エクス大司教区のサン・マクシマン修道 院のベネディクト会士たちによって古い地下礼拝堂から聖女マグダラのマリアの遺体が発見されたと発表し たのである。 聖女の遺体とともに由来を記した書類も発見され、そこには「サント=ボームの人々は、イス ラーム教徒による破壊を恐れて、予め聖女の遺体を別人の遺体とすり替えていた」と記されていた。 すなわ ち、今回見つかったのが「真正の遺体」であって、ヴェズレーの修道士が当地から盗み出したと主張する遺 体は替え玉だったという訳である。 聖女の遺体が発見されるや否や、サン・マクシマンでは奇跡が続発し、 その真正性を裏付けることとなった。 しばらくの間、ヴェズレー修道院とサン・マクシマン修道院は、それぞれ自らの正統性を主張し合ってい たが、やがて形勢はヴェズレーが不利になる。 一二九四年、シャルル二世が支配するナポリ王国で教皇に選出されたボニファティウス八世 Bonifatius VIII(在位一二九四~一三〇三) は、その翌年にサン・マクシマンの遺体こそが「真正の」聖女 のものであると宣言し、以後、ヴェズレーの命運は断たれることになった。 イエスの受難に厳格な父たる神の存在を認め、父と子と聖霊の栄光を讃える気持 ちに偽りはないけれども、それだけでは満たされないものがある。 それゆえ母親のように柔らかく包み込ん でくれる聖母マリアに対する憧れがあった。 ひたすら無名で従順で、慎ましく禁欲的に生きた処女が天に上 げられて女王になるというマリア戴冠は、多くの人びとに感動を与えた。 また、キリストへの敬虔な奉仕に よって瞑想的生活の理想と見なされた聖女マグダラのマリアは、隠修士としての後半生が用意され、聖人崇 拝と聖遺物崇拝とを結びつける格好の材料を提供することになった。 こうして聖母マリアや聖女マリア・マ グダレーナの伝説は、古ゲルマン以来の土俗信仰とローマ=カトリック教の聖遺物崇拝とを結びつけ、キリ スト教が新たな地平を切り開く役割を果たしていったのである。 特に十一世紀以降は、西ヨーロッパのキリ スト教を特徴づけている宗教的不安が女性的存在の重要性を高めていった。 十六世紀フランスの神学者ギヨーム・ポステルGuillaume Postelによれば、人間の魂には男性原理(アニ ムスanimus)と女性原理(アニマanima)が存在し、男性の魂のなかにも女性原理が存在すると言う。 男は より弱い性である女にひかれることで生のベクトルが下に向くのに対して、女はより強い男という性にひか れることで、より高いものへ自分を導き自己実現を果たそうとするベクトルが働く。 したがって、発展や完 成の原動力は、男へと向かう女のうちにあるというわけである。 父なる神に対する子なるイエスも、教会も、 聖人たちも、その意味ではみな「女性」に相当し、自らを空しくして父なる神を目指すものに他ならない。 新約聖書の福音書に描かれたイエスの物語は、旧約聖書の男性預言者の時代(ユダヤ的男性社会)の終焉を 示しているが、どうしても男性原理から離れられない弱みが残っていた。 その不完全な「女性原理」を補完 したのがマリア信仰であり聖女マグダラのマリアを通した祈りであった。 こうして、キリスト教は、聖人・ 聖遺物崇拝という衣を身につけて、静かに、そして人びとの暮らしの奥深くまで浸透していったのである。 もちろん、異説が多いのは承知している。 また、福音書における「マリヤ」は、本稿では統一して「マリ ア」と表記している。 Delehaye, Les origines du culte des martyrs. 2 edition. Bruxelles,1933. ドイツ宣教に献身し殉教したベネディクト会修道士ボニファティウス Bonifatiusは、七二三年、ガイスマール近くで雷神トールの聖なるオークを切り倒して異教の神の無力さ を実証した。 これは、民族大移動という大きな変化の中で、ゲルマン固有の社会組織や宗教が解体過程に 入っており、キリスト教が入り込む隙間を発見したことを示している。 Cambridge, Harvard University Press,1957. 一方、中世民衆の信仰について研究したR・マンセッリは、民衆は「キリストの啓示の〈ことば〉によ って与えられる諸事実を、・・・至高の権能によって保証された真実として受け容れ」るとして、「論理 的事実よりも感情的な事実に継続して優越が認められることになり、先在する伝承が確としてひき続き変 容と適合をみせつつ、知的な省察に由来する指示や禁止を越えたある現実 リアリティー として続くこと になる」という。 それ故、彼等は聖職者から教えられる複雑な教義から信仰に入るのではなく、個人的な 救済の必要、すなわち保護や援助、慰めの要請などを表現する宗教的世界に生きていたという事実にも留 意する必要があるという。

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