『小説真髄』は、日本近代文学史上で重要な役割を担った文学論です。 『小説真髄』は、上巻と下巻に分かれています。 上巻では小説とはいかなるものかが説明されており、下巻では小説の技法について説明されています。 言うなれば上巻が「理論編」、下巻が「実践編」といったところです。 擬古文で書かれていて読みにくいので、読むのにちょっと覚悟が要る本だと思います。 坪内逍遥は、「小説の首脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」と言っています p. 坪内の言う「人情」とは、人間の情欲のことです。 どんなに徳が高そうな人にも、感性的な煩悩があるものです。 あらゆる人間の心の奥底を描き、人情を「見える」ようにさせるのが小説家の仕事だと坪内は考えました。 坪内は『南総里見八犬伝』の人物描写を批判しています p. 『八犬伝』の登場人物は作者の理想上の人物であり、リアリティが無いからです。 理想上の架空の人物、今で言う「キャラクター」に近い人物像が批判されています。 しかし、坪内は他の箇所では滝沢馬琴を評価しており、馬琴の良いところはちゃんと認めているという印象を受けます。 坪内は、理想上の主人公を造形する方法には先天法 演繹法 と後天法 帰納法 があると言います p. 172。 あらかじめ決まっている理想上の性質を分析解剖し、物語の主人公を造形するのが先天法 演繹法 です。 この世に見られるような様々な性質を集め、調合して物語の主人公を造形するのが後天法 帰納法 です。 哲学や数学でよく見られる演繹法と帰納法がキャラクターデザインに応用されているところが面白いと思いました。 ウノーさん 以下ウ :この先生によって、「日本の文学」が定義づけられたのは、間違いない事実です。 サ:もちろん、異論、反論もあるだろうが、明治の近代化によって、軽んじられていた「小説」や「古典」を「無用の長物」から「芸術」へと価値観を大転換させたのだから、その功績は大きい。 ウ:この本自体も、読み物として面白く書かれています。 サ:登場する言葉は固いけど、小説という「有形にして無形」の存在に対して、真っ向から挑んでいく姿勢は、さすがとしか言いようがない。 ウ:哲学、心理学の観点から「人と本」「人と小説」を紐解き、解説しているのは、斬新で楽しいです。 サ:本を読む、他人が創作した物語を文字として認識する行為そのものか、言葉によって定義されている。 ウ:人は外部に現れる行為と内部に隠れた思想の両面をもっているから、「外から内へ、人情を穿つ(うがつ)行為」こそが「小説」の真髄なんですね。 サ:この本は、道徳やルールを伝え知るものではなく、人間の生き方や哲学を説くものでもない。 ウ:あくまでも「情欲」「人情」に対しての「求心力」を「小説」だと定義づけているのは、潔いし、わかりやすいです。 サ:だからこそ、小説には「真髄」が求められる。 時が流れ、人の営みが変わり、社会が変わったとしても「人間の情にある本質」はいささかも変わることがない。 それを描かない文章は「小説」ではないわけだ。 ウ:人が人として生きるうえで、大切にしたいもの、軽んじてはいけないものを、私たちは小説から受け継いでいるのですね。 サ:まあ、受け継がなくてもいい「感情」や、受け入れがたい「衝動」もあるけどな。 ウ:それも含めて、大切だということです。 【了】.
次の
『小説真髄』は、日本近代文学史上で重要な役割を担った文学論です。 『小説真髄』は、上巻と下巻に分かれています。 上巻では小説とはいかなるものかが説明されており、下巻では小説の技法について説明されています。 言うなれば上巻が「理論編」、下巻が「実践編」といったところです。 擬古文で書かれていて読みにくいので、読むのにちょっと覚悟が要る本だと思います。 坪内逍遥は、「小説の首脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」と言っています p. 坪内の言う「人情」とは、人間の情欲のことです。 どんなに徳が高そうな人にも、感性的な煩悩があるものです。 あらゆる人間の心の奥底を描き、人情を「見える」ようにさせるのが小説家の仕事だと坪内は考えました。 坪内は『南総里見八犬伝』の人物描写を批判しています p. 『八犬伝』の登場人物は作者の理想上の人物であり、リアリティが無いからです。 理想上の架空の人物、今で言う「キャラクター」に近い人物像が批判されています。 しかし、坪内は他の箇所では滝沢馬琴を評価しており、馬琴の良いところはちゃんと認めているという印象を受けます。 坪内は、理想上の主人公を造形する方法には先天法 演繹法 と後天法 帰納法 があると言います p. 172。 あらかじめ決まっている理想上の性質を分析解剖し、物語の主人公を造形するのが先天法 演繹法 です。 この世に見られるような様々な性質を集め、調合して物語の主人公を造形するのが後天法 帰納法 です。 哲学や数学でよく見られる演繹法と帰納法がキャラクターデザインに応用されているところが面白いと思いました。 ウノーさん 以下ウ :この先生によって、「日本の文学」が定義づけられたのは、間違いない事実です。 サ:もちろん、異論、反論もあるだろうが、明治の近代化によって、軽んじられていた「小説」や「古典」を「無用の長物」から「芸術」へと価値観を大転換させたのだから、その功績は大きい。 ウ:この本自体も、読み物として面白く書かれています。 サ:登場する言葉は固いけど、小説という「有形にして無形」の存在に対して、真っ向から挑んでいく姿勢は、さすがとしか言いようがない。 ウ:哲学、心理学の観点から「人と本」「人と小説」を紐解き、解説しているのは、斬新で楽しいです。 サ:本を読む、他人が創作した物語を文字として認識する行為そのものか、言葉によって定義されている。 ウ:人は外部に現れる行為と内部に隠れた思想の両面をもっているから、「外から内へ、人情を穿つ(うがつ)行為」こそが「小説」の真髄なんですね。 サ:この本は、道徳やルールを伝え知るものではなく、人間の生き方や哲学を説くものでもない。 ウ:あくまでも「情欲」「人情」に対しての「求心力」を「小説」だと定義づけているのは、潔いし、わかりやすいです。 サ:だからこそ、小説には「真髄」が求められる。 時が流れ、人の営みが変わり、社会が変わったとしても「人間の情にある本質」はいささかも変わることがない。 それを描かない文章は「小説」ではないわけだ。 ウ:人が人として生きるうえで、大切にしたいもの、軽んじてはいけないものを、私たちは小説から受け継いでいるのですね。 サ:まあ、受け継がなくてもいい「感情」や、受け入れがたい「衝動」もあるけどな。 ウ:それも含めて、大切だということです。 【了】.
次の
定義 [ ] 小説は作者が自由な方法とスタイルで、人間や社会を描く様式。 は、で作成されたのとしてされる。 はの「英華字典」(1822年刊)でnovelの見出しで「A small tale」と載り、その後、が西洋の文学形態の変遷を踏まえ、「」でnovelの訳語とした。 その後、坪内逍遥に影響されたが著したでが主張された。 起源 [ ] 小説か物語か [ ] 小説というは、がやに対する志を書いたや、君主の命などを受けて編纂されたに分類される的なやに対して、が持つ的や人生観などのを、一般に、より具体的に分かりやすくして示す、小編のというを持たされて、らによって作られて定着していったものとも言われている。 以前は、小説との間には明確な区分があるとされてきた。 言い換えると小説は「虚構の連続性と因果律のある話の構造」を持たねばならないことがとされた。 さらに発展して「話の展開と主人公の具体的な性格に必然的な関わりがあるのが小説。 そうでないのが物語」とも言われた。 以降に小説の主題概念が強くなるために「小説」は主題、主人公の造形、話の展開の結びつきが密接であることを要求されてきた。 ただしこのような観念は、に入って『贋金造り』()のような小説が登場するに至って、崩壊したといえよう。 反小説なる小説まで登場した現代では、もはや何を以て小説とするかは一概に決めることはできない。 このように近代文学観の呪縛から離れてみれば、古代の『』()は、近代の心理小説に匹敵する描写がみられることが指摘されているし、古代の『』(ロンゴス)なども、「小説」的要素を持った最古の例のひとつといえよう。 ヨーロッパの小説 [ ] ではまで「小説」は、「小話」と長編の散文との間の、短い物語のジャンルとして考えられていた(現在の短編小説にあたる)。 の『模範小説集(Novelas ejemplares、)』は短篇の物語集であるが、それまでの散文形式にとらわれない、「新しい物語叙述」を創り出した。 セルバンテスの書いた『』(1605-1615年)は作者の世界観を表現しながら、登場人物たちの成長や、の変化など、「個」に主眼においた近代的な作品であった。 よって彼をもって「近代小説の祖」とする人もいる。 また同様の理由で、の『』(1719年)も「近代小説の祖」といわれる。 近代小説のは、で18世紀に流行した(手紙、あるいは手紙のやりとりという体裁の文学)から始まる。 近代小説の発展は以降の、フランスなどでの中産階級の勃興と切り離すことができないとされている。 すなわち、識字率の高い、比較的裕福な人たちが読者層となり、その独特のに合わせて発展したと考えられている。 またイギリスで起こったにより印刷術が発達し、さらに言論、出版の自由が社会的に保障されるようになってから次第に中産階級、労働者階級にも浸透していくことになる。 中国の小説 [ ] 「」も参照 中国の前近代においては、「小説」というが使われ始めたのは、目録上でのことだった(『』「」 )。 しかも、それは、・的な用語として生まれたのではなかった。 「芸文志」には「街談・巷語、道聴・塗説する者が造る所なり 」「、その観るべきもの、ただ九家のみ 」という記述がある。 街巷で語られた話や道端で聞いたり言ったりしている者が作り上げたのが小説であるとされ、の諸子とは異なり、一ランク下のものと考えられていたことが分かる。 遡って、『』「外物篇 」には「 小説を飾り以て縣令を干むるは、其の大達に於いて亦た遠し 」とある。 直訳すれば、取るに足りない言説で県令になることを求めるのは、その目標から遠い、となる。 ここで言わんとすることは、手段と方法を合わせることで目的に到達することが出来るということである。 になると、は、その著の『』中において、小説に対する議論を展開しているが、ここには大きな変化が見られる。 つまり「かの 小説家は残叢の小語を合し、近く譬喩を取り、以て短書を作り、治身理家に、観るべきの辞あり」と述べられているのである。 ここで用いられている小説は、後代の小説と、似通った意味合いで用いられる。 但し桓譚が用いている「短書」とは、なお軽慢の意があることは免れない。 中国で唯一の小説家皇帝のような例外はあるものの、古代中国での小説は以上のように上流階級から蔑まれる物であった。 しかし、これ以降の時代には主に民衆から支持を得る形で小説が人気を得ていく。 時代の小説は、内容的に神異的になり、と呼ばれた。 代のに至ると「奇」が勝ちをおさめた。 が『中国小説史略』 の中で指摘しているように、と同様に唐代で一変し、なお怪異を求める風は存したが、その文学性は格段に洗練された。 つまり、唐代の「伝奇」は、従来のように怪異を叙述しながら、人事の機微までをも描き得ており、それは、前代の「志怪」の描ききれていないところであったのである。 代表的なのは、『』や『霍小玉伝』 である。 また唐代には、通俗小説が出現し、後世の文学に多大な影響を与えた。 代には、庶民の社会生活を描写した「」が出現し、『碾玉観音』 や『錯斬崔寧』 などの代表作 が作られた。 宋代話本の特色はと呼ばれ、(口語)を用いて描写される点にある。 よって、唐代の伝奇に比べて更に通俗的となった。 が著しく発展した代は、によれば小説史に於いては不作の時代だったが、唐・宋伝奇の末流として、元初という小説不作の時代に開いた浪花(あだばな)ともいえる『嬌紅記 』があるが、字数が唐・宋代のものより多いため小説長編化の途上の作品とされる。 代以後、小説の発展は成熟期を迎えた。 唐代の伝奇、宋代の話本の伝統を継承し、創作の題材上においては、歴史、怪異、英雄、世情を論ずることなく、すべてを網羅するようになった。 明代の通俗小説は、長編と短編の二大潮流に分かれることとなる。 は「」を代表とする。 は、、凌濛初編纂の「」を代表とする。 代の小説では、「」という中国長編小説の一大傑作が生まれた。 日本の小説 [ ] では、に、などはあったが、近代小説が誕生したのは以降である。 Novelの訳語に「小説」という、江戸時代にたちを中心にして自作を表現するために使われていた中国由来の言葉をあて、従来のを斥け、人情を映す文学作品として定義したのはの『小説神髄』( - )である。 その文学理論を実践したのが坪内逍遥の『』である。 もともと中国で国史・正史に対して、民間の俗話のことを「稗史小説」と呼んでいた。 「」も参照 媒体の拡がり [ ] 小説 [ ] 末よりネット小説の試みが行われた。 による映画「」は岩井自身によるネット小説がもとになっている。 の小説『共生虫』はインターネット上から注文すると紙の本に印刷して配達されるという出版の形態をとっていた。 には、サイトに連載されていた著「」シリーズが大ヒットした。 、匿名掲示板上で、投稿の形を取って発表された「」がから書籍化された。 現在、日本ではと呼ばれている。 デジタルノベル [ ] 「インターネットの小説」はサイト上で読む小説であるが、この数年「」と呼ばれるものも一般的である。 デジタルノベルは、「」「」とも呼ばれ、インターネットの広がりで主にソフトウェアをダウンロードさせる形で提供される。 本文と共に背景画、主要人物のキャラクター画が表示され、マウスクリックや実行キーを押すことで読み進めることが出来る。 ・それぞれあるが、や、などのデジタルノベル製作ソフトなどの登場で手軽に公開できるようになったことから、個人製作のが圧倒的に多い。 ソフトウェア配布サイトのなどでは、多数のデジタルノベルが公開されている。 個人製作といっても、本媒体のものと比べて必ずしも質が劣るわけではなく、出版するに充分値するようなものも多い。 デジタルノベル製作ソフトには動画やBGM、画面効果を挿入できるものも多いため、それらを組み合わせて、優れた演出効果を出すこともある(オープニングやエンディングの映像など)。 近年はなどのインターネット上の発表を前提とする公開も目立っている。 これは紙文化の時代のゲラ刷りや入稿や推敲といった旧来の小説成立プロセスを、大きく揺るがすものである。 分類 [ ] 長さ・発表形式による分類 [ ]• 内容による分類 [ ]• (ミステリー、ミステリとも)• 小説(SF小説)• (幻想小説)• (怪奇小説)• (劇画系、美少女系、耽美系などに分かれる。 特殊な分類 [ ]• 純文学と大衆文学 [ ] 小説は19世紀以降的傾向のものと的傾向のものとに分類されることが一般的となった。 それ以前の小説は、セルバンテスやラブレーがそうであるように芸術性と通俗性を区分することなくひとつの目標として追求することが多かったが、小説の読者がひろがり、技法的な発達を見せるにしたがって、交通整理が行われるようになってくる。 各国の事情によって多少の差はあるが、現代文学では両者の傾向を分けて考えるのが一般的である。 日本の場合は純文学、大衆文学と呼ばれる。 区分が具体的になってくるのは明治末年ごろの文壇からで、大正期のメディアの発達によってこれが具体化・固定化し、芥川賞・直木賞の制定によってひとつの度として捉えられるようになった。 戦前から戦後のある時期までは、純文学は芸術性を指向し、大衆文学は通俗性・娯楽性を指向するものであるという区分が明確で、「自分のために書く小説、読者のために書く小説」といった言いかたをされることもあった。 この時期は純文学の主流は私小説、大衆文学では時代小説であり、それを書く作家が固定していたのも特徴である。 ただし当時から一人の作家について通俗的作品、芸術的作品と分類されることもあり、単純ではない。 現在では純文学、大衆文学の境界はあいまいで、双方の作品を発表する作家、一方から他方へと移行する作家、自作について特段の区分を求めない作家が多くなってきている。 実態としては純文学・大衆文学の区別は掲載誌によって行うことが一般的である。 文学賞では、は純文学、は大衆文学の賞であり、受賞作家・作品をみればある程度捉えられていた。 しかし、芥川賞作家が娯楽作品を執筆することもあり(たとえば、)、作家名で判断することはできなくなっている。 純文学作家の三島由紀夫も大衆文学を書いている。 逆に大衆文学の作家が純文学的作品を書く例もある(筒井康隆など)。 また、最近では芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学と単純に言えない例も出てきた。 第二次世界大戦後、という分類をおくこともあったが、現在ではほとんど死語であろう。 純文学小説の堕落と見る向きもあるが、19世紀的な芸術/娯楽という二項対立的分類が、現代文学の状況を正確に把握しきれなくなったためではないかという指摘もある。 海外でもチャンドラーやグリーンのように通俗性を保ちつつ高度の芸術性を発揮する小説作品が少なくない。 内容・分野によれば、通俗恋愛小説、冒険小説、推理小説、、通俗歴史小説、サイエンス・フィクション、ファンタジー、ホラー小説、武侠小説などは大衆文学とすることが一般的であるが、これらの性格を持ちながら純文学とされる作品は戦前から少なくない。 関連項目 [ ] に関連の辞書項目があります。 漢書 卷三十 兿文志 第十 中国語版に本記事に関連した原文があります:• 「小說家者流,蓋出於稗官。 街談巷語,道聽塗說者之所造也。 「諸子十家,其可觀者九家而已。 雜篇 外物第二十六。 雜篇は後世の撰述と推定されている。 原文は「飾小說以干縣令、其於大達亦遠矣」 中国語版に本記事に関連した原文があります:• かくしょうぎょくでん、蒋防 (生没年不詳、一説に792-835年)作、後世ひろくながく愛読された。 日本語訳は今村与志雄 訳がある。 82-99。 てんぎょくかんのん 京本通俗小説 第十巻。 日本語訳は 訳がある、『玉の観音』 1958年 平凡社 中国古典文学全集7 p. 3-12。 種本とされる『警世通言 第八巻 崔待詔生死冤家』の日本語訳には 訳 がある、『玉細工師崔寧 幽霊妻と暮らしたこと』 1960年 平凡社 中国古典文学大系25 p. 86-100。 さくざんさいねい 京本通俗小説 第十五巻。 日本語訳は 吉川幸次郎 訳がある、『崔寧の不運』 1958年 平凡社 中国古典文学全集7 p. 49-60。 種本とされる『醒世恒言 第三十三巻 十五貫戯言成巧禍』の日本語訳には 訳 がある、『十五貫の冗談から思わぬ禍を招いたこと』 1960年 平凡社 中国古典文学大系25 p. 223-238。 残存するのは、この2編のほか『菩薩蛮 ぼさつばん 』『西山一窟鬼 せいざんいっくつき 』『志誠張主管』『拗相公 ようしょうこう 』『馮玉梅 ふうぎょくばい 団円』の合わせて7編であり、中国古典文学全集7 及び中国古典文学大系25 のそれぞれに日本語訳されている。 は、「京本通俗小説」古写本の発見者 による偽作説を『書誌学論考』中に最初に論じており、松枝茂夫も中国古典文学大系25 p. 527-528 で賛同しているが、これら7編がから代の作品であることは疑いの余地がないと述べている。 きょうこうき、宋遠(梅洞と号す、宋末-元初、詳細不詳)作とされる。 日本語訳は伊藤漱平 訳がある、平凡社 中国古典文学大系38 《今古奇観 下・嬌紅記》 1973年 p. 359-451。 中国古典文学大系38 解説 p. 483、p. 489。 参考文献 [ ]• 台灣師範大學國文學系楊昌年教授《現代小說》,三民書局• 《小說中國:晚清到當代的中文小說》,麥田出版,王德威,• 见其《中国小说源流论》• 高罗佩《武则天四大奇案》.
次の