ケネディ マリリン モンロー。 マリリン・モンローと結婚したのは誰ですか?

自殺ではなかった!?マリリン・モンローの死にまつわる7つの噂

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ホワイトハウス()に電話をかけ、ケネディ夫人にその意志を告げてさえいたという。 これは、6日に発売されたジャーナリストのクリストファー・アンダーセン()氏の新著『(この貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の1年)』からのエピソードの1つ。 ジャクリーン・ケネディ()夫人(愛称ジャッキー)は、モンローさんのファーストレディ就任を歓迎するとさえ告げたという。 同著によると、ジャッキーさんは、「あなたはホワイトハウスに引っ越してきて、ファーストレディの責任を引き継ぐの。 私はここを出て、あなたが全部の問題を背負うの」とモンローさんに語ったとされる。 「核攻撃のときもそばにいたい」とジャッキーさんがケネディ大統領に懇願したことや、生まれたばかりのパトリック君の死を2人がどのように耐えたか、そしてケネディ大統領の度重なる不倫をいかにしてしのいだか、などについて新著は年代順に記述している。 著作の目的は、全米の心をつかんだケネディ大統領夫妻が、本当に愛し合っていたかどうか、という問いに答えることだ。 そして冷戦の緊張の中でキューバ危機が浮上した1962年、核攻撃の際に彼女と子どもたちをワシントンD. ()から離れたシェルターに避難させるという計画に、ジャッキーさんは抗議した。 「もし何かが起きたとしても、私をどこかへ送らないで。 私たちはみんなここで、あなたと一緒にいる。 「大統領は階上の誰もいない部屋に戻ってドアを閉め、ベッドの隅に座り、そして泣いた」と、アンダーセン氏は綴った。 「だがジャック(ケネディ大統領の愛称)が彼女の病室に戻ると、2人は一緒に泣いた。 『ああジャック、ジャック』と彼女は涙を流した。 テキサス()州でリー・ハーベイ・オズワルド()に大統領は暗殺された。 ジャッキーさんは、ケネディ大統領暗殺の5年後、ギリシャの実業家アリストテレス・オナシス()氏と再婚し、大統領の死後30年近く生きた。 アンダーセン氏はこう問いかけている。 「究極の問いは残っている。

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20世紀のハリウッドを代表する女優の一人、マリリン・モンロー。 セックスシンボルとして一世を風靡し、私生活でもジョー・ディマジオやアーサー・ミラーといった有名人と結婚・離婚、さらにジョン・F・ケネティと不倫するなど常に話題を振りまき、わずか36歳という若さで死を遂げた伝説の女優である。 彼女の死については当時からさまざまな説が取りざたされているが、最近では新たな陰謀論も囁かれている。 なんと彼女は、エリア51にいるエイリアンについて知り、それを暴露したため殺されたというのである。 ロサンゼルス郊外ブレントウッドの自宅で、ベッドに全裸で倒れているところをメイドによって発見された。 検死解剖の結果、死因は睡眠薬の大量服用によるバルビツレート中毒とされた。 ハリウッドの大スターのあまりにも突然の訃報、しかも自殺の可能性があるとして、このニュースは世界中で大々的に報じられた。 しかし、現場には不可解な点がいくつも残されていた。 まず、薬を飲むのに必要なコップが見当たらなかったこと。 倒れたマリリンの手には電話の受話器が握られていたのに、電話局に通話記録が残っていなかったこと。 さらに彼女の赤い日記帳が消えていたのだ。 マリリンは時の大統領ジョン・F・ケネディのみならず、その弟で司法長官ロバート・ケネディとも不倫関係にあったとされ、彼女を危険視したCIAやFBIによる暗殺・隠蔽説は当時から根強い。 しかし、暗殺が事実だったとして、なぜマリリンは殺されなければならなかったのか? マフィアとの関係を危ぶまれていたという話もあるが、すでにケネディ兄弟との関係は終わっていたのだ。 その答えとして近年新たな説が浮上している。 それはマリリンの死の直前である1962年8月3日に書かれたもので、ケネディ兄弟は交際中、マリリンにある機密情報を教えてしまい、その後、別れ話に怒った彼女がジャーナリストのドロシー・キルガレンにその情報を流し、暴露しようとしているという内容のものだった。 1947年7月に米ニューメキシコ州で起きたロズウェル事件では、墜落したUFOと搭乗員のエイリアンの遺体が回収され、ネバダ州にあるグルーム・レイク空軍基地、通称エリア51に運び込まれたとされている。 政府が隠蔽していたこの事実を、あろうことか大統領が不倫相手に漏らしてしまったというのである。 マリリンとマフィアの関係を危険視したFBI長官の忠告により、ジョン・F・ケネディはマリリンと別れることを決意したとされる。 だが、この別れ話に激怒したマリリンは、ロズウェル事件について調査していたキルガレンと接触、電話で秘密を話したというのだ。 この事態を重く見て、CIAはついにマリリンの暗殺を決定。 このことはケネディ大統領も知っていたという。 現場から赤い日記帳がなくなったのも、この秘密が書かれていたからとされる。 なお、マリリンが接触したキルガレンはその後もジャーナリストとして活動し、1963年のケネディ大統領暗殺事件ではウォーレン委員会報告書に公然と疑義を呈していた。 しかし、1965年に自宅で亡くなっている。 その死はアルコールと睡眠薬バルビツレートの併用が原因とされ、こちらもやはり謀殺の噂がある。 この説が事実であるとすれば、20世紀を代表するUFO事件とハリウッドを象徴する伝説の女優の死がつながっているということになる。 以前トカナでも報じているが、ケネディ大統領自身もUFO情報を要求して暗殺されたという疑惑がある。 UFOとエイリアンの秘密を守るためなら、相手が誰であれ、どんなことでもするということなのか。 米国の闇は深い。 (編集部) ケネディ大統領の誕生パーティー後、ケネディ兄弟と話すマリリン。 画像:「Wikipedia」より あわせて読みたい•

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「ケースバイケースだ」と言うのは、10月に『The Kennedy Half-Century: The Presidency, Assassination and Lasting Legacy of John F. Kennedy(ケネディ半世紀)』を上梓し、ベストセラー作家となったラリー・サバト()氏だ。 「JFKは、力や影響力のある人々に対しては上品で礼儀正しく振る舞った。 だが彼の性欲は飽くことがなかった。 今日で言うなら、彼は若く美しい女性を性の対象として扱っていたのだ」と、バージニア大学()政治学センターのセンター長も務めるサバト氏はAFPに語った。 ケネディの人生の中心にいたのは、妻のジャッキーだ。 旧姓ジャクリーン・ブーヴィエ()は1929年7月、裕福な家庭に生まれた。 彼女の洗練されたファッションスタイルには、世界中が注目した。 ケネディがテキサス()州ダラス()で暗殺されたとき、ジャッキーはあのオープンカーで彼の隣に座っていた。 その後の数時間、彼女が夫の血が飛び散ったシャネルのピンクのスーツを着替えることを拒んだのは有名な話だ。 「犯人たちがジャックに何をしたのか見せてやりたい」と、彼女は言った。 ケネディ家は現代アメリカの恵まれた家庭を象徴するイメージを世間に与え続けたが、大統領のプライベートは愛人に囲まれた生活だった。 最も有名なのは女優のマリリン・モンロー()だ。 ハリウッドのセックスシンボルは、1962年の民主党の資金集めパーティーで、色気たっぷりに「ハッピーバースデー」を歌った。 誕生日を祝ってもらったケネディは喜びを隠さなかった。 今年8月に出版された『These Precious Few Days: The Final Year of Jack with Jackie(貴重な数日間:ジャックとジャッキーの最後の年)』の著者でジャーナリストのクリストファー・アンダーソン()氏によれば、ジャッキーは2人の関係を知っていただけではなく、モンローに夫を譲ってあげると告げたという。

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