星セント 星ルイス 生年月日 昭和23年(1948年)1月16日 昭和23年(1948年)11月17日 没年月日 平成16年(2004年)7月22日 平成17年(2005年)3月10日 出身地 長野県長野市 東京都 趣味・特技 アイススケート 動物、柔道 長野中央高校卒業後、東京プリンスホテルに入社 その後5、6回職を変え、トリオザパンチに入る 昭和44年(1969年)獅子てんや・瀬戸わんやに弟子入り 高校在学中に晴乃ピーチク・パーチクに弟子入り。 昭和46年(1971年)に師匠コンビが解散することになった為、 てんや・わんやに客分扱いで招かれ星セントとコンビを結成。 芸歴 1977年 ツービートらを抑えてNHK漫才コンクールで優勝。 長身のセントが早口でギャグをまくし立て、小さなルイスがつっこむというスタイルで、社会風刺をネタにした独特の漫才で一躍人気となる。 1980年 「田園調布に家が建つ」というギャグで一世を風靡。 漫才ブームの先駆けとなった。 2003年 コンビを解消。 P R オープンシャツにノーネクタイ、革ジャンやタイトなマンボズボン、頭にはダービーハットといった衣装を好み、ブーツを履いてステージに上がる事が多かった。 セントは新劇に傾倒するところがあり、漫才にシェークスピアの戯曲から台詞を引用したり、スタニスラフスキーの名前をギャグのフレーズに登場させたりした。 売れない頃は暇を見つけては演劇芝居に取り組んでいたという。 名が知られてからもイヨネスコの「授業」や、ベケットの「ゴドーを待ちながら」などに出演している。
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「」も参照 出身。 を卒業。 高校時代からを志望しており、、、といったにファンレターを熱心に送るような青年だった。 ファンレターを送る中で、からは卒業後に来るよう返事をもらう。 高校卒業後、商業デザイナーを目指して上京。 で勤務するなど様々な職業を転々とした後 、、てんや・わんやに弟子入りする。 、とともにを結成し、1977年にに出場し優勝(最優秀賞を受賞)。 には、「に家が建つ!! 」といった社会風刺ネタの漫才で人気者となり、、、に先駆けて、一躍の火付け役となる。 しかし、その思索的な性格から、、などのの仕掛け人に対して懐疑的で、次第に彼らと距離を置くようになり、テレビ出演が激減。 漫才ブーム全盛期には第一線から後退していた。 不振の漫才活動の一方で、役者としても活躍した。 の『授業』や、の『』などに出演した。 にはにが見つかり右肺を全摘出。 セントはこの手術で声も失ったが、リハビリを行い回復した。 にはルイスとのコンビを解消するも、最後まで漫才への情熱を捨てなかった。 、のため56歳で死去した。 また、には、セントの相方のルイスも後を追うかのように同じ病気で亡くなった。 出演 [ ] テレビドラマ [ ]• 鳥取砂丘殺人事件(、)• 棄てられた女(、TBS)• 第6話「こちら突撃リポーター」(1986年、TBS)• 信州八ヶ岳殺人事件(1987年、)• (1987年、、「セント」名義)• (1987年、)• 美談の裏側(1989年、)• 盗聴(1991年、関西テレビ)• 十三人の目撃者(1992年、TBS)• (1993年、)• (2000年、)• 第1話「美人医転落死は自殺!? 」(2001年、・)• 路(TBS、) 映画 [ ]• 部長の愛人 ピンクのストッキング(1986年、)• 極道はクリスチャン 修羅の抗争(2000年、Knack)• カックンカフェ(1984年、日本ヘラルド) コンビで声の出演。 弟子 [ ]• () B21スペシャルは、セントが亡くなった2日後に『』にて久しぶりに漫才を披露し、それが師匠セントのネタを盗んだものであることを語った。 脚注 [ ] [].
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「第13回漫才新人大賞」にスペシャルプレゼンターとしてサプライズで登場したビートたけし。 左はきよし 本紙客員編集長を務めるビートたけし(67)が7月に行われた「第13回漫才新人大賞」にスペシャルプレゼンターとしてサプライズで登場した。 大会を見たたけしは「しかしうまくなった。 オレらの時は関西に押されてて、東京漫才はセントルイスとツービートの2組だけだったのに」と感心することしきり。 B&Bは拠点を東京に移していたが、もともとは関西で結成されたコンビだ。 そうしたなか、関東勢で孤軍奮闘していたのがツービートなのだが、たけしを取材した際に「同じ舞台に立って、これは勝てないと思った」と正直な気持ちを吐露したコンビが1組だけいる。 それがWヤングだ。 ちなみに現在、関西で活躍中のWヤングは2代目で、たけしが言うのは初代の方。 たけしは「Wヤングさんの漫才をマネしようかと思ってやったけど、できなかった」と明かす。 初代Wヤングは平川幸男と故中田治雄さんのコンビ。 関西のお笑い関係者は「最近は『ダブルボケ、ダブルツッコミ』なんてよく言うけど、ボケとツッコミが入れ替わるスタイルはWヤングが最初かな。 一時は、やすきよより高く評価されたくらい」と明かす。 ただ漫才ブームでやすきよは天下を取ったが、Wヤングは全国的な人気を得られなかった。 というのも漫才ブームが巻き起こる直前に、中田さんが自殺したため。 「当時の芸人は『飲む、打つ、買う』が当たり前の時代で、自殺の原因はばくちで作った借金だった。 もし漫才ブームまで生きてたら、荒稼ぎして借金くらいすぐに返せたのに」(前出のお笑い関係者) 残された平川は数年後、13歳年下の佐藤武志とコンビを結成。 しかし、すでに漫才ブームは下火になり、2代目も全国的な人気は得られなかった。 ただ、今でも関西で漫才を続けており、吉本関係者は「NGK(なんばグランド花月)にも定期的に出演していて、今でもびっくりするほどウケている」と明かす。 最近はツービートの再結成も噂されるだけに、久々の共演に期待したところだ。 (文化部デスク・藤野達哉).
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